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カナダでなぜ「南京大虐殺記念日」が?


今年はいわゆる南京大虐殺(1937年)から80年目にあたる節目の年だ。そこで10月26日、海外の“ある地方”の議会で日本軍の南京占領日にあたる12月13日を「南京大虐殺記念日」とする動議が出され、審議を経て満場一致で可決した。


さて、この地方議会の場所は中国か韓国か、はたまた台湾か――? と思いきや、答えはなんとカナダのオンタリオ州である。同国最大の都市トロントと首都のオタワを有する、カナダの事実上の中枢部と呼んでいい州だ。


カナダはもともとリベラルな気質が強い国で、特にトロント市は非欧州系住民が人口の約5割を超える多民族都市である。2016年の国勢調査によれば、同市では29.9万人の華人系住民が暮らし、市の全体人口(約269万人)の11.1%を占めている。


今回の「南京大虐殺記念日」の動議を州議会に提出したのも、現地のリベラル派政党・オンタリオ自由党に所属する華人系女性議員のスー・ウォン(Soo Wong、黄素梅)氏だ。スー議員は昨年12月に記念日制定を求める「79号法案」を提出しており、その願いがついに叶った形である。




※日本軍兵士による強姦被害や、いわゆる「100人斬り」被害を強調する中国の南京大虐殺記念館の館内展示。これらの歴史観は遠くカナダのオンタリオ州にも反映されている。南京市内で筆者撮影。



今年8月、日本側からは衛藤征士郎氏・衛藤晟一氏など保守系の国会議員14人が連名で「関係国間で好ましくない論争を引き起こす可能性がある」と懸念を伝える意見書がトロント議会に送付されたが、特に効果もなく記念日は制定された。


中国国営通信社・新華社によると、中国以外の国で南京大虐殺の記念日が制定された例は初であるらしい。


カナダ最大の日刊紙『トロント・スター』WEB版の10月27日記事は、オンタリオ進歩保守党に所属する現地女性議員リサ・マクロード氏(欧州系)のコメントをこう報じる。


「日本の皇軍が南京市でレイプし略奪し虐殺をおこなうことを決めた6週間、それは西洋人が言うところの『この世の地獄』でした。およそ2万人から8万人がレイプされたのです」


「それ(=南京大虐殺)を記念するのに80年を費やしたとは信じられない」


南京における「2万人~8万人」のレイプ被害者の数は中国国内の学者があまり根拠を示さずに主張している数字だが、いまやトロント市議会の保守系議員の間でも「事実」として認識され、大新聞を通じて英語圏に広く伝えられつつあるらしい。中国側から見れば大金星の成果だ。




※スー・ウォン議員の公式ツイッター@SooWongMPP のトップページ。左のアジア系の女性が彼女だ。



この79号法案を提出したスー議員は1962年香港生まれ。8歳のときにカナダに移住し、看護師としてキャリアを積んでから看護学の大学教授になり、2011年に同じ華人系の保守系候補を破ってオンタリオ州議会に当選した苦労人である。


本人のツイッターを見る限り、女性や在加華人の権利擁護、第二次大戦の追悼・真相究明などに熱心な、リベラル派の在外華人の王道を歩んでいるような人である。


慈善活動家・ウォンが巻き起こした波紋疾走


もっとも、オンタリオ州における「南京大虐殺記念日」実現の影の立役者は別にいる。その名はジョセフ・ウォン(Joseph Y.K. Wong、王裕佳)。香港出身で1968年にカナダに移民したジョセフ氏は、本業はホームドクターだ。


トロント市内で老人向け医療施設の立ち上げに奔走し、過去には前出の『トロント・スター』紙や現地大手月刊誌の『トロント・ライフ』などでしばしば表彰されるなど、地域の名士と言っていい慈善活動家である。




※ALPHAのホームページに掲載されたジョセフ・ウォンの略歴。今年の「南京大虐殺記念日」制定にあたってはALPHAを通じて民間で10万人の署名を集めた。


1996 年、当時の華人社会で盛り上がっていた尖閣諸島(釣魚島)の防衛運動(保釣運動)に刺激を受けたウォンはトロントに保釣行動委員会を設立。在加華人を満載した観光バス4台をチャーターしてオタワの日本大使館に抗議に向かった。どうやらこれが、ウォンの社会運動がオーバードライブしていくきっかけになったらしい。


翌1997年、ホロコーストの恐怖を語り伝えるユダヤ人たちの姿に感心したというウォンは、アジア太平洋戦争における各国の被害について世間の関心が薄いことを懸念し、歴史問題啓発団体「トロント・アジア第二次世界大戦史実擁護会(略称ALPHA)」を設立する。


この年、王氏はさっそく『ザ・レイプ・オブ・南京』を刊行したばかりの華人系米国人作家、アイリス・チャン氏をカナダに招聘。


初版が2000部しか刷られていなかったマイナー書籍をカナダ社会で大いに宣伝し、同書が世界的なベストセラーとなる契機を作った(なお、アイリス氏の死後の2007年、ウォンはドキュメンタリー映画『アイリス・チャン ザ・レイプ・オブ・南京』の制作にも主要な協力者として名を連ねている)。


さらにウォンはALPHAを通じてオンタリオ州教育庁に働きかけ、2005年には同会が主張する内容に沿った「アジアの第二次大戦の歴史」を州内の高校の必修カリキュラムに組み込むことに成功。


その際に出した「人道主義の立場から、慰安婦・南京大虐殺・強制労働などの人道に違反した精神(の負の面)を強調しなくてはならない」という建議書も、同州教育庁による批准を受けた。


翌年にALPHAは『ザ・レイプ・オブ・南京』を含めた日本軍の反人動的行為を記す資料を州内の高校900校の図書館に無料寄贈する活動もおこなっている。上記の79号法案を提出したスー議員もこのALPHAの熱心な支持者で、ネットを検索するとウォンとともにさまざまな活動に出席していることがわかる。




※アイリス・チャンの『ザ・レイプ・オブ・南京』(左、1997年)と『The Woman Who Could Not Forget』(右、2011年)。なおアイリス氏は2004年に自殺している。



ちなみにウォンは、自身が民族主義者ではなく平和主義者であると強調する。事実、ALPHAには著名な日系カナダ人の女性作家ジョイ・コガワ氏をはじめ少なからぬ日系カナダ人が支持を表明しており、日本民族それ自体に対するヘイトを目的とした「反日」組織ではないというスタンスだ。


さらに慰安婦映画で中国・台湾と協調


ところで近年、中華圏の各国では慰安婦ドキュメンタリー映画がブームである。すなわち、今年夏に中国で公開されて興行収入1億7000万元(約29億円)以上を叩き出した『二十二』(監督:郭柯、2017年中国)、一昨年夏に台湾で公開されてスマッシュヒットを記録した『蘆葦之歌』(監督:呉秀菁、2015年台湾)などだ。


実はこちらの分野でも、カナダ華人は存在感を発揮している。中国人・朝鮮人・フィリピン人の元慰安婦に取材した『THE APOLOGY』というドキュメンタリー映画(2016年カナダ)が制作されているのだ。


『THE APOLOGY』の監督は、トロント市内で活動するティファニー・ション(Tiffany Hsiung、熊邦琳)氏という台湾系の華人女性。映画製作はやはりALPHAが全面的にバックアップしている。


カナダ華人のニュースサイト『365netTV』によれば、そもそも映画が作られた契機からして、2009年にウォンがティファニー監督を引率する形で中国と韓国を訪問して「歴史の真実」を教えてあげたことにあるらしい。




※2016年9月10日、オンタリオ州ヴォーン市内でおこなわれた『THE APOLOGY』の上映会。ALPHAのホームページで告知されていた。右下には例の「少女像」が!



今年8月、台北で開かれた「慰安婦国際人権映画祭」では、上記の『二十二』『蘆葦之歌』『THE APOLOGY』という中国・台湾・カナダの3大慰安婦映画が上映され、さらに各作品の監督の座談会も開催されている。


従来はもっぱら「韓国」のイメージが強かった慰安婦問題だが、近年は中華圏においても南京大虐殺に続く新たなホットトピックとして注目を集めるようになっている。


香港出身の大物慈善活動家・ウォンとその愛弟子たちが生み出した、対日歴史問題強硬派のビッグウェーブ。今年になってオンタリオ州で南京大虐殺記念日が制定されたのは、なにも突如として起きた話ではなく、彼らの20年以上にわたる地道な宣伝活動とロビー活動の賜物であったわけなのだ。