うちの町内

 

 

 

4月の第4月曜日(この日は、個人的に休みでした。以下、この日と書きます)に、鎌倉(kamakura)を散歩して来た時の物です。

 

東京の南部近郊(東京圏の南部を占める神奈川(kanagawa)県の南東部)にある、鎌倉(kamakura)は、中世(1185年から1333年まで)に、日本の政治の中心地であった中都市であり、中世以来の歴史を有する、寺や神社(shrine)が、数多くあります(ただし、鎌倉(kamakura)の寺や神社(shrine)の、現在の建物については、(極一部の例外を除き)中世よりも後の時代に、火事等の焼失により、再建された物であったり、時代に合わせて、建て替えられている物です)。その為、鎌倉(kamakura)は、東京近郊の主要な観光地の一つとなっています。

 

私は、通常、鎌倉(kamakura)散歩が主目的の場合、(鎌倉(kamakura)は、道が狭くて、自動車を運転するのが疲れる等の理由により)、自動車ではなく、電車を使って行きます。この時も、電車を使って行きました。

 

この日の昼食は、前から気になっていて、一度利用して見たいと思っていた、北鎌倉(北kamakura)の、ピザ(pizza)レストランで食べようと思っていたのですが、残念ながら、その店は、予約で一杯で入れず、代わりに、別のピザ(pizza)レストラン(鎌倉(kamakura)で、お気に入りの、小ぢんまりとした、ピザ(pizza)レストラン)で、食べました。

 

写真以下3枚。この日の昼食は、鎌倉(kamakura)で、お気に入りの、小ぢんまりとした、ピザ(pizza)レストランで食べました。

 

 

 

 

 

 

写真以下2枚。このピザ(pizza)レストランで食べた、この日の昼食。二つ共、二人で分けて食べました。

 

 

水牛のモッツァレラチーズ(mozzarella)、セミドライトマト(semi-dried tomato)、バジル(basil)のピザ(pizza)。

 

 

 

 

 

生ハム(ham)、モッツァレラチーズ(mozzarella)、マッシュルーム(mushroom)、ポモドーロ(salsa di pomodoro)のピザ(pizza)。

 

 

 

鎌倉(kamakura)は、(中世には、日本の政治の中心地でしたが)、15世紀半ば以降、衰退し、一時期、基本的に衰退した状態に有りましたが、19世紀頃から、徐々に観光地として発展し始め、また、19世紀後期以降、東京に近い、近代別荘地・保養地として発展し、再興しました(wikiを参考にしました)。鎌倉(kamakura)は、19世紀後期以降、作家や詩人等、多くの文学者が、好んで、居住し、若しくは、別荘を構えて来ました。また、鎌倉(kamakura)は、1920年代、1930年代頃から、横浜や東京に通勤する、大学教授や高学歴(大学卒)会社員等の、インテリ(知識人)中流層・中上流層が暮らす、郊外住宅地として発展して行きました。鎌倉(kamakura)は、現在も、小説家や、画家、文系の大学教授等、文化人達に好まれ、鎌倉(kamakura)及びその周辺には、こうした人々が、多く暮らしているイメージが有ります。

 

写真以下40枚。この日は、鎌倉(kamakura)の、静かで落ち着いた住宅地にある(ちなみに、鎌倉(kamakura)は、中心部の繁華街や、自動車の通行量の多い幹線道路沿いを除けば、基本的には、静かで落ち着いた住宅地となっています)、かつての、里見 とん(satomi ton)(下の補足説明参照)の住宅を訪れました。ちなみに、この日は、基本的に、鎌倉(kamakura)の、所謂、観光場所(寺や神社(shrine))は、訪れず、かつての、里見 とん(satomi ton)(下の補足説明参照)の住宅を訪れて、新緑の鎌倉(kamakura)の住宅街を、のんびり散歩しただけと言った感じでした。
里見 とん(satomi ton):1888年、横浜(神奈川(kanagawa)県(東京圏の南部を占める県)の中心都市)生まれ。1983年に亡くなる。1910年代半ば頃から活躍した、日本の作家(小説家)。

 

写真以下2枚。かつての、里見 とん(satomi ton)の住宅の周辺の、住宅地の風景。

 

 

写真左上は、小さな、仏教の寺の建物。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下38枚。かつての、里見 とん(satomi ton)の住宅を訪れました。

 

 

 

里見 とん(satomi ton)。パンフレット(leaflet)より。。。里見 とん(satomi ton)(1888年、横浜生まれ。1983年に亡くなる)は、1910年代半ば頃から活躍した、日本の、作家(小説家)です。里見 とん(satomi ton)は、有名な作家(小説家)ではありますが、超有名な作家(小説家)と言う程ではなく、日本人ならば、誰でもが、常識として知っているべき作家(小説家)と言う程ではありません(日本人であっても、特に日本文学に興味がない人ならば、知らない人が多いと思います)。

 

 

写真以下37枚。鎌倉(kamakura)の、静かで落ち着いた住宅地にある、かつての、里見 とん(satomi ton)の住宅。住宅の建物は、西洋式の建物(住宅のメイン(main)の建物)と、付属の日本伝統式の建物から成り、西洋式の建物と、日本伝統式の建物は、渡り廊下で繋がっています。西洋式の建物は、1926年に完成し、日本伝統式の建物は、西洋式の建物に増築される形で、1929年に完成しました。里見 とん(satomi ton)は、この住宅の建物を建てる際に、設計の段階から、大きく関わり、この住宅の建物を、こだわりを持って(自分の好みを、大きく反映させて)建てた様です。かつての、里見 とん(satomi ton)の住宅は、近年まで、現在の所有者(owner)が暮らしていた様ですが、現在は、この住宅の所有者(owner)は、同じ、鎌倉(kamakura)かどうか分かりませんが、別の場所に暮らしており、現在は(2007年より)、建築士が、この住宅を借り、自分の事務所(建築設計事務所)として使用しています。この様に、かつての、里見 とん(satomi ton)の住宅は、現在は、建築設計事務所として使われていますが、建築設計事務所になってから、一週間に一度、月曜日だけ、見学を受け付けています(一般に公開しています)。かつての、里見 とん(satomi ton)の住宅は、所謂、観光場所ではなく、特定の興味を持つ人(日本文学に、深い興味がある人や、私の様に、古い住宅の建物に興味がある者等)以外にとっては、あまりに地味で、つまらない場所だと思います。私は、個人的に、古い住宅の建物等に興味がある事等から、かつての、里見 とん(satomi ton)の住宅は、前から(一般公開されている事を知ってから)、気になっていて、機会があれば、一度、訪れたいと思っていたのですが、この時、初めて訪れました(この日の、鎌倉(kamakura)散歩の、主目的は、かつての、里見 とん(satomi ton)の住宅を訪れる事にありました)。かつての、里見 とん(satomi ton)の住宅の、見学時は、この建築設計事務所に勤務されている、若い(まあ、若いと言っても、おそらく、私と、同年齢位又は、私より、少し若い位の)、建築士?の方が、とても丁寧に、住宅の建物等について、解説して下さって、良かったです(なお、以下、かつての、里見 とん(satomi ton)の住宅の説明は、この方の解説も、参考にしています)。

 

 

 

かつての、里見 とん(satomi ton)の住宅(現在は、建築設計事務所として使われている)の、西洋式の建物(住宅のメイン(main)の建物)の1階と、日本伝統式の建物の、間取り図。パンフレット(leaflet)より。。。左上(緑色で塗られている部分)は、日本伝統式の建物の間取り。日本伝統式の建物と、西洋式の建物は、渡り廊下で繋がっています。西洋式の建物(住宅のメイン(main)の建物)の1階の間取りは、以下、左上から、時計回りに、説明して行きます。間取りの上の方、左から。。。里見 とん(satomi ton)の住宅であった時に、書生(syosei。家賃を払わずに、他人の家の一角(一隅)に住まわせて貰う代わりに、簡単な家の手伝いを行いながら、勉強に励む学生。第二次世界大戦前においては、少なからぬ富裕層の家庭が、書生(syosei)を受け入れていました)の部屋であった部屋。トイレの部屋(WCと書いてある所)。里見 とん(satomi ton)の住宅であった時に、女中(maid)の部屋であった部屋。物置(倉庫)として使われている部屋。バスルーム(bathroom)。間取りの下の方に行き、右から。。。台所(kitchen)。里見 とん(satomi ton)の住宅であった時に、食堂(dining room)であった部屋(現在は、建築設計事務所の、事務室(仕事部屋)として使われています)。応接間・居間(living room)(水色(青色)で塗られている部分)とサンルーム(sunroom)。ロビー(玄関・家の入口の空間)(ピンク色で塗られている部分)。この住宅が建てられた当時の、日本の、上流階級の家や、比較的裕福な中上流層の家では、女中(maid)用の部屋や、書生(syosei)用の部屋は、来客等に、その気配を感じさせない為に、なるべく、家の、隠れた見えない場所に配置されていたのですが、この住宅は、当時の、上流階級の家や、比較的裕福な中上流層の家に比べれば、小さいので、女中(maid)用の部屋や、書生(syosei)用の部屋は、応接間・居間(living room)や、食堂(dining room)の、すぐ近くに配置されています。ちなみに、日本伝統式の建物と、西洋式の建物(住宅のメイン(main)の建物)の応接間・居間(living room)は、現在は、建築設計事務所において、顧客等の訪問者を、迎えたり・接待する場所(部屋)、建築設計事務所の代表(所長)の建築士と、建築事務所に勤務する建築士等が会議を行う場所(部屋)、建築設計事務所の代表(所長)の建築士と、建築事務所に勤務する建築士・従業員が、寛いだり、宴会(party)を行ったりする場所(部屋)等として使われている様ですが、パーティー(party)や会合等用に、一般に貸し出されてもいる様です。

 

 

写真以下6枚。絵葉書より。。。

 

 

写真以下4枚。かつての、里見 とん(satomi ton)の住宅の西洋式の建物(住宅のメイン(main)の建物)。1926年に建てられた物です。

 

 

玄関。

 

 

 

 

 

ロビー(玄関・家の入口の空間)。

 

 

 

 

 

応接間・居間(living room)。奥に見えるのは、サンルーム(sunroom)。

 

 

 

 

 

応接間・居間(living room)に付属した、サンルーム(sunroom)。大きな窓で、日の光を浴びながら、寛ぐ部屋です。

 

 

 

写真以下2枚。日本伝統式の建物。西洋式の建物に増築される形で、1929年に完成しました。

 

里見 とん(satomi ton)は、設計段階において、(日本伝統式の建物の部屋から見える景色を考慮しながら)、日本伝統式の建物の床の高さを決めるだけに、半年も、時間をかけたそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下30枚は、この時、私自身が、撮影した写真。

 

写真以下17枚。かつての、里見 とん(satomi ton)の住宅の、西洋式の建物(住宅のメイン(main)の建物)。1926年に建てられた物です。

 

写真以下3枚。玄関。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

左奥に、日本伝統式の建物が見えます。日本伝統式の建物は、西洋式の建物に増築される形で、1929年に完成しました。西洋式の建物(住宅のメイン(main)の建物)と、日本伝統式の建物は、渡り廊下で繋がっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ロビー(玄関・家の入口の空間)の、部分(窓)。

 

 

 

 

 

ロビー(玄関・家の入口の空間)から見た、応接間・居間(living room)に付属した、サンルーム(sunroom)。サンルーム(sunroom)は、大きな窓で、日の光を浴びながら、寛ぐ部屋です。

 

 

 

 

 

ロビー(玄関・家の入口の空間)から見た、応接間・居間(living room)。奥の扉の向こう部屋は、里見 とん(satomi ton)の住宅であった時に、食堂(dining room)であった部屋で、現在は、建築設計事務所の、事務室(仕事部屋)として使われています(この住宅が、一般公開が行われている時も、公開はされていません。この時は、特別に、少しだけ見せて貰いましたが。。。)。写真では閉まっていますが、奥の扉を開けると、食堂(dining room)(現在は、前述の通り、建築設計事務所の、事務室(仕事部屋)として使われています)、応接間・居間(living room)(及び、応接間・居間(living room)に付属した、サンルーム(sunroom))、ロビー(玄関・家の入口の空間)が、一つに繋がって、一つの、とても大きな部屋の様になり、多くの人を招待するパーティー(party)等に対応出来る設計となっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

応接間・居間(living room)から見た、応接間・居間(living room)に付属した、サンルーム(sunroom)。サンルーム(sunroom)は、大きな窓で、庭の景色を見たり、日の光を浴びながら、寛ぐ部屋です。

 

 

 

 

 

 

応接間・居間(living room)の暖炉(fireplace)(左上)と、応接間・居間(living room)から見た、応接間・居間(living room)に付属した、サンルーム(sunroom)。

 

 

 

 

写真以下2枚。応接間・居間(living room)から眺めた、ロビー(玄関・家の入口の空間)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(里見 とん(satomi ton)の住宅であった時に)、女中(maid)の部屋であった部屋の正面の、一階の廊下部分に、設置された、女中(maid)用の、家の主人及び、その家族が、女中(maid)に用事がある事を知らせる装置。女中(maid)に用事がある事を知らせるボタン(button)?(基本的に、住宅の全ての部屋に設置されている)を、家の主人又は、その家族が押すと、この装置は、音が鳴ると共に、どの部屋で、家の主人又は、その家族が、女中(maid)を呼んでいるのか、女中(maid)に知らせます(装置の、丸い部分が、それぞれの部屋を表し、家の主人又は、その家族が、各部屋において、女中(maid)に用事がある事を知らせるボタン(button)を押すと、音が鳴ると共に、(家の主人又は、その家族が、ボタン(button)を押した部屋に該当する)丸い部分に、標が付きます)。この住宅が建てられた当時(1920年代から1930年代頃)の、日本の、中上流階級から上流階級の家では、この様な装置が、設置されているのが、一般的であった様です。ただし、当時の、日本の、上流階級の家や、比較的裕福な中上流層の家では、この様な装置は、女中(maid)用の部屋と共に、家の、隠れた場所にあったのですが、この住宅は、当時の、日本の、上流階級の家や、比較的裕福な中上流層の家に比べれば小さいので、(この住宅においては)、女中(maid)用の部屋と共に、応接間・居間(living room)の、すぐ近くに配置されています(この装置は、応接間・居間(living room)と女中(maid)用の部屋の間の廊下(1階の廊下)に、女中(maid)用の部屋は、1階の廊下を挟んで、応接間・居間(living room)の向かいに配置されている)。

 

 

 

1階の廊下。

 

 

 

 

写真以下2枚。2階へと上がる階段。2階は、寝室(bedroom)となっています(2階は、この住宅が、一般公開が行われている時も、公開はされていません)。

 

写真右下の、階段の手摺りの柱の上の部分は、角が削られています。こうする事によって、子供や女性に、恐怖感を感じさせない効果があるそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下11枚。かつての、里見 とん(satomi ton)の住宅の、日本伝統式の建物。日本伝統式の建物は、(1926年に建てられた)西洋式の建物に増築される形で、1929年に完成しました。西洋式の建物(住宅のメイン(main)の建物)と、日本伝統式の建物は、渡り廊下で繋がっています。

 

 

外観。前述の通り、里見 とん(satomi ton)は、設計段階において、(日本伝統式の建物の部屋から見える景色を考慮しながら)、日本伝統式の建物の床の高さを決めるだけに、半年も、時間をかけたそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本伝統式の建物から見た、西洋式の建物。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かつての、里見 とん(satomi ton)の住宅の、西洋式の建物の、ロビー(玄関・家の入口の空間)。

 

 

 

 

 

かつての、里見 とん(satomi ton)の住宅の、西洋式の建物の、ロビー(玄関・家の入口の空間)から眺めた、応接間・居間(living room)の一部。

 

 

 

前述の通り、鎌倉(kamakura)は、1920年代、1930年代頃から、横浜や東京に通勤する、大学教授や高学歴(大学卒)会社員等の、インテリ(知識人)中流層・中上流層が暮らす、郊外住宅地として発展して行きました。

 

写真以下16枚。新緑の、鎌倉(kamakura)の、静かで、落ち着いた住宅地を散歩。前述の通り、鎌倉(kamakura)は、中心部の繁華街や、自動車の通行量の多い幹線道路沿いを除けば、基本的には、静かで落ち着いた住宅地となっています。

 

 

写真の中の、建物の内、奥の方の建物は、仏教の寺の建物です。

 

 

 

第2次世界大戦前に建てられた一戸建て住宅の建物は、日本では、戦後、特に1970年代以降、建替え等により、急速に失われてしまいましたが、その様な中で、鎌倉(kamakura)は、東京近郊の都市の中では、第2次世界大戦前(1920年代から1930年代頃)に建てられたと思われる、古い趣の有る、一戸建て住宅の建物が、比較的、多く残っている方だと思います(それでも、鎌倉(kamakura)でも、古い趣の有る、一戸建て住宅の建物は、建て替えにより、少しずつ、失われて行っていますが。。。。)。

 

 

写真以下2枚(写真以下2枚は、同じ、一戸建て住宅)。第2次世界大戦前(1920年代から1930年代頃)に建てられたと思われる、基本的に、日本伝統式だが、一部、西洋式を取り入れた、一戸建て住宅。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下2枚(写真以下2枚は、同じ、一戸建て住宅)。(改装はなされていると思いますが)、第2次世界大戦前(1920年代から1930年代頃)に建てられたと思われる、西洋式の、一戸建て住宅。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第2次世界大戦前(1920年代から1930年代頃)に建てられたと思われる一戸建て住宅の建物の、一部。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下5枚。御成(onari)通りの、カフェ(cafe)・喫茶店の一つで、ココア(hot cocoa)を飲みながら、のんびりし、その後、(同(同じ)カフェ(cafe)・喫茶店(日本式coffee shop)で)、この日、一回目の夕食を食べました。電車の鎌倉(kamakura)駅の、すぐ近くには、小町(komachi)通り(下の補足説明参照)と、御成(onari)通りと言う二つの商店街がありますが、小町(komachi)通りは、地元の人々よりも、観光客が多い商店街と言った感じであるのに対し、御成(onari)通りは、観光客よりも、地元の人々の利用が多い商店街と言った感じで、(小町(komachi)通りよりも)、落ち着いています。
小町(komachi)通り:鎌倉(kamakura)の中心部にある、全長600m程の、幅の細い通りで、商店や飲食店が連なり、観光客や地元の人々で賑わう、鎌倉(kamakura)で、最も賑やかな通りとなっている。

写真以下2枚。この、カフェ(cafe)・喫茶店(日本式coffee shop)の、ココア(hot cocoa)。この店の、ココア(hot cocoa)は、お気に入りとなっています。この店のココア(hot cocoa)は、5時間かけて練って、12時間、寝かして作られています(手間がかかっている割に、手頃な値段です(とても良心的な値段です))。この店の、ココア(hot cocoa)は、とても、美味しいと思います。ちなみに、この店は、店に入って、すぐ右側の、カウンター(counter)席が、落ち着きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下3枚。この店で食べた、この日、一回目の夕食。

 

写真以下2枚。鎌倉(kamakura)野菜と、生青海苔の、クリームパスタ(cream pasta)。一人一皿ずつ。二人共、同じ物を食べました(写真は、一人分)。


 

 

 

 

 

 

 

一瞬、野菜サラダ(salad)の様に見えますが、下の方は、こうなっています。

 

 

 

 

 

パスタ(pasta)の、おまけの、小さなデザート(dessert)。栗のアイスクリーム(ice cream)。一人一皿ずつ。

 

 

 

写真以下5枚。小町(komachi)通りの、カフェ(cafe)の一つで、この日、2回目の、夕食を食べました。このカフェ(cafe)(歴史が、古そうなカフェ(cafe)です)は、前から、ほんの少し気になっていたのですが、この時、初めて利用しました。

 

写真以下5枚。このカフェ(cafe)で食べた、この日、2度目の夕食。

 

 

彼女が食べた、海老入り、グラタン(gratin)。ちなみに、彼女は、この時は、飲み物は、アイスティー(冷たい紅茶)と、ソフトドリンク(soft drink)を飲みました(彼女は、アルコール(alcohol)は、体質的に、かなり苦手です)。

 

 

写真以下4枚。この時、私が、ビールと共に、食べた、軽い夕食の、セットメニュー(組み合わせメニュー(menu))。

 

 

写真左、ローストビーフ(roast beef)。写真右、サラダ(salad)。写真左上の、スープ(soup)は、コーンスープ(corn soup)。

 

 

 

 

 

蟹入り、グラタン(gratin)。

 

 

 

 

 

茸ピラフ(pilaf)。

 

 

 

 

 

 

デザート(dessert)。

 

 

この店は、安い値段で、中々、落ち着いた感じで、悪くありませんでした。

 

 

 

写真以下、この日は、鎌倉(kamakura)から、東京都心部の私の街に帰って来てから(ちなみに、彼女は、この日は、我が家に泊まらず、東京都心部の、別の街の、彼女のアパート(マンション)に帰りました)、時々利用する、私の街の、チェコ(Czech)料理レストラン(バー(bar)的に使える店でもあります)で、一人で、ちょっと、(酒(アルコール(alcoholic)飲料)を)飲んでから、我が家に帰りました。

 

 

この時、この店で食べた、おつまみの一つ。ハム(ham)とチーズ(cheese)の盛り合わせ。この時、まだ、腹は、満腹状態であったので、おつまみは、この、ハム(ham)とチーズ(cheese)の盛り合わせと、オリーブ(olive)だけ食べました。

 

 

 

写真以下。この時、この店で飲んだ、お酒(アルコール(alcoholic)飲料)の一部。

 

 

スタロプラメンプレミアム(Staropramen Premium)と言う、チェコ(Czech)のビール。

 

 

 

 

 

フェルネット(fernet)(アルコール(alcohol)度数は、40%程)の、ストレート(straight)。

 

 

 

 

 

ベヘロフカ(Becherovka)(アルコール(alcohol)度数は、38%)の、ストレート(straight)。

 

 

この他、この時、この店では、Veltlinske zeleneと言う、チェコ(Czech)の白ワイン(wine)をグラス(glass)で一杯と、ピルスナーウルケル(Pilsner Urquell)と言う、チェコ(Czech)のビールを、一本、飲みました。

 

 

 

 

 

 

 


카마쿠라(kamakura) 산책.

 

 

 

4월의 제4 월요일(이 날은, 개인적으로 휴일이었습니다.이하, 이 날이라고 씁니다)에, 카마쿠라(kamakura)를 산책해 왔을 때의 물건입니다.

 

도쿄의 남부 근교(동경권의 남부를 차지하는 카나가와(kanagawa) 현의 남동부)에 있는, 카마쿠라(kamakura)는, 중세(1185년부터 1333년까지)에, 일본의 정치의 중심지에서 만난 안도시이며, 중세 이래의 역사를 가지는, 절이나 신사(shrine)가, 많이 있습니다(다만, 카마쿠라(kamakura)의 절이나 신사(shrine)의, 현재의 건물에 대해서는, (극히 일부의 예외를 제외해) 중세보다 후의 시대에, 화재등의 소실에 의해, 재건된 것이거나 시대에 맞추고, 다시 세워지고 있는 것입니다).그 때문에, 카마쿠라(kamakura)는, 도쿄 근교의 주요한 관광지의 하나가 되고 있습니다.

 

나는, 통상, 카마쿠라(kamakura) 산책이 주목적의 경우, (카마쿠라(kamakura)는, 길이 좁아서, 자동차를 운전하는 것이 지치는 등의 이유에 의해), 자동차가 아니고, 전철을 사용해 갑니다.이 때도, 전철을 사용해 갔습니다.

 

이 날의 점심 식사는, 전부터 신경이 쓰이고 있고, 한 번 이용해 보고 싶음 , 북 카마쿠라(키타 kamakura)의, 피자(pizza) 레스토랑에서 먹으려고 생각했습니다만, 유감스럽지만, 그 가게는, 예약으로 가득하고 넣지 않고, 대신에, 다른 피자(pizza) 레스토랑(카마쿠라(kamakura)에서, 마음에 드는, 소로 한, 피자(pizza) 레스토랑)로, 먹었습니다.

 

사진 이하 3매.이 날의 점심 식사는, 카마쿠라(kamakura)에서, 마음에 드는, 소로 한, 피자(pizza) 레스토랑에서 먹었습니다.

 

 

 

 

 

 

사진 이하 2매.이 피자(pizza) 레스토랑에서 먹은, 이 날의 점심 식사.둘 모두, 둘이서 나누어 먹었습니다.

 

 

물소의 모짜렐라 치즈(mozzarella), 세미 드라이 토마토(semi-dried tomato), 바질(basil)의 피자(pizza).

 

 

 

 

 

날 햄(ham), 모짜렐라 치즈(mozzarella), 머시룸(mushroom), 포모드로(salsa di pomodoro)의 피자(pizza).

 

 

 

카마쿠라(kamakura)는, (중세에는, 일본의 정치의 중심지였지만), 15 세기 중반 이후, 쇠퇴해, 한시기, 기본적으로 쇠퇴한 상태에 있었습니다만, 19 세기무렵부터, 서서히 관광지로서 발전하기 시작해 또, 19 세기 후기 이후, 도쿄에 가까운, 근대 별장지·보양지로서 발전해, 재흥 했습니다(wiki를 참고로 했습니다).카마쿠라(kamakura)는, 19 세기 후기 이후, 작가나 시인등 , 많은 문학자가, 기꺼이, 거주해, 혹은, 별장을 지어 왔습니다.또, 카마쿠라(kamakura)는, 1920년대, 1930년대무렵부터, 요코하마나 도쿄에 통근하는, 대학교수나 고학력(대졸) 회사원등의, 인텔리(지식인) 중류층·나카가미류층이 사는, 교외 주택지로서 발전해 갔습니다.카마쿠라(kamakura)는, 현재도, 소설가나, 화가, 문과의 대학교수등 , 문화인들에게 선호되어 카마쿠라(kamakura) 및 그 주변에는, 이러한 사람들이, 많이 살고 있는 이미지가 있습니다.

 

사진 이하 40매.이 날은, 카마쿠라(kamakura)의, 조용하고 침착한 주택지에 있는(덧붙여서, 카마쿠라(kamakura)는, 중심부의 번화가나, 자동차의 통행량이 많은 간선도로 가를 제외하면, 기본적으로는, 조용하고 침착한 주택지가 되고 있습니다), 한 때의, 사토미와 (satomi ton)(아래의 보충 설명 참조)의 주택을 방문했습니다.덧붙여서, 이 날은, 기본적으로, 카마쿠라(kamakura)의, 소위, 관광 장소(절이나 신사(shrine))는, 방문하지 않고, 한 때의, 사토미와 (satomi ton)(아래의 보충 설명 참조)의 주택을 방문하고, 신록의 카마쿠라(kamakura)의 주택가를, 한가로이 산책한만큼이라고 한 느낌이었습니다.
사토미와 (satomi ton):1888년, 요코하마(카나가와(kanagawa) 현(동경권의 남부를 차지하는 현)의 중심 도시) 태생.1983년에 죽는다.1910년대 중반무렵부터 활약한, 일본의 작가(소설가).

 

사진 이하 2매.한 때의, 사토미와 (satomi ton)의 주택의 주변의, 주택지의 풍경.

 

 

사진 좌상은, 작은, 불교의 절의 건물.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 38매.한 때의, 사토미와 (satomi ton)의 주택을 방문했습니다.

 

 

 

사토미와 (satomi ton).팜플렛(leaflet)보다...사토미와 (satomi ton)(1888년, 요코하마 태생.1983년에 죽는다)는, 1910년대 중반무렵부터 활약한, 일본의, 작가(소설가)입니다.사토미와 (satomi ton)는, 유명한 작가(소설가)입니다만, 매우 유명한 작가(소설가)라고 말할 정도가 아니고, 일본인이라면, 누구라도, 상식으로서 알고 있어야 할 작가(소설가)라고 말할 정도가 아닙니다(일본인이어도, 특히 일본 문학에 흥미가 없는 사람이라면, 모르는 사람이 많다고 생각합니다).

 

 

사진 이하 37매.카마쿠라(kamakura)의, 조용하고 침착한 주택지에 있는, 한 때의, 사토미와 (satomi ton)의 주택.주택의 건물은, 서양식의 건물(주택의 메인(main)의 건물)과 부속의 일본 전통식의 건물로부터 완성되어, 서양식의 건물과 일본 전통식의 건물은, 이동 복도에서 연결되고 있습니다.서양식의 건물은, 1926년에 완성해, 일본 전통식의 건물은, 서양식의 건물에 증축되는 형태로, 1929년에 완성했습니다.사토미와 (satomi ton)는, 이 주택의 건물을 지을 때에, 설계의 단계로부터, 크게 관련되어, 이 주택의 건물을, 조건을 가지고(자신의 취향을, 크게 반영시켜) 세운 같습니다.한 때의, 사토미와 (satomi ton)의 주택은, 근년까지, 현재의 소유자(owner)가 살고 있던 같습니다만, 현재는, 이 주택의 소유자(owner)는, 같을, 카마쿠라(kamakura) 화도인가 모릅니다만, 다른 장소에 살고 있어 현재는(2007년부터), 건축사가, 이 주택을 빌려 자신의 사무소(건축설계사무소)로서 사용하고 있습니다.이와 같게, 한 때의, 사토미와 (satomiton)의 주택은, 현재는, 건축설계사무소로서 사용되고 있습니다만, 건축설계사무소가 되고 나서, 일주일간에 한 번, 월요일만, 견학을 받아들이고 있습니다(일반적으로 공개하고 있습니다).한 때의, 사토미와 (satomi ton)의 주택은, 소위, 관광 장소가 아니고, 특정의 흥미를 가지는 사람(일본 문학에, 깊은 흥미가 있는 사람이나, 나와 같이, 낡은 주택의 건물에 흥미가 어떤 사람등 ) 이외에 취해서는, 너무나 수수하고, 시시한 장소라고 생각합니다.나는, 개인적으로, 낡은 주택의 건물등에 흥미가 있는 일등으로부터, 한 때의, 사토미와 (satomi ton)의 주택은, 전부터(일반 공개되고 있는 일을 알고 나서), 신경이 쓰이고 있고, 기회가 있으면, 한 번, 방문하고 싶었습니다만 , 이 때, 처음으로 방문했던(이 날의, 카마쿠라(kamakura) 산책의, 주목적은, 한 때의, 사토미와 (satomi ton)의 주택을 방문하는 일에 있었습니다).한 때의, 사토미와 (satomiton)의 주택의, 견학시는, 이 건축설계사무소에 근무되고 있는, 젊은(뭐, 젊다고 해도, 아마, 나와 같은 연령위 또는, 나보다, 조금 젊은 정도의), 건축사?(분)편이, 매우 정중하게, 주택의 건물등에 대해서, 해설해 주시고, 좋았습니다(덧붙여 이하, 한 때의, 사토미와 (satomi ton)의 주택의 설명은, 이 분의 해설도, 참고로 하고 있습니다).

 

 

 

한 때의, 사토미와 (satomi ton)의 주택(현재는, 건축설계사무소로서 사용되고 있다)의, 서양식의 건물(주택의 메인(main)의 건물)의 1층으로 일본 전통식의 건물의, 방 배치도.팜플렛(leaflet)보다...좌상(녹색으로 칠해지고 있는 부분)은, 일본 전통식의 건물의 방 배치.일본 전통식의 건물과 서양식의 건물은, 이동 복도에서 연결되고 있습니다.서양식의 건물(주택의 메인(main)의 건물)의 1층의 방 배치는, 이하, 좌상으로부터, 시계회전에, 설명해 갑니다.방 배치 위쪽, 왼쪽에서...사토미와 (satomi ton)의 주택에서 만났을 때에, 학생(syosei.집세를 지불하지 않고 , 타인의 집의 일각(한 구석)에 사게 해 받는 대신에, 간단한 집의 심부름을 실시하면서, 공부에 힘쓰는 학생.제이차 세계대전전에 있어서는, 적지않은 부유층의 가정이, 학생(syosei)을 받아 들이고 있었습니다)의 방에서 만난 방.화장실의 방(WC라고 써 있는 곳).사토미와 (satomi ton)의 주택에서 만났을 때에, 가정부(maid)의 방에서 만난 방.헛간(창고)으로서 사용되고 있는 방.욕실(bathroom).방 배치의 아래쪽에 가, 오른쪽에서...부엌(kitchen).사토미와 (satomiton)의 주택에서 만났을 때에, 식당(dining room)에서 만난 방(현재는, 건축설계사무소의, 사무실(작업실)로서 사용되고 있습니다).응접실·거실(living room)(물색(청색)으로 칠해지고 있는 부분)과 썬룸(sunroom).로비(현관·집의 입구의 공간)(핑크색으로 칠해지고 있는 부분).이 주택이 지어진 당시의, 일본의, 상류계급의 집이나, 비교적 유복한 나카가미류층의 집에서는, 가정부(maid) 용의 방이나, 학생(syosei) 용의 방은, 손님등에, 그 기색을 느끼게 하지 않기 때문에, 가능한 한, 집의, 숨은 안보이는 장소에 배치되어 있었습니다만, 이 주택은, 당시의, 상류계급의 집이나, 비교적 유복한 나카가미류층의 집에 비하면, 작기 때문에, 가정부(maid) 용의 방이나, 학생(syosei) 용의 방은, 응접실·거실(living room)이나, 식당(dining room)의, 곧 근처에 배치되어 있습니다.덧붙여서, 일본 전통식의 건물과 서양식의 건물(주택의 메인(main)의 건물)의 응접실·거실(livingroom)는, 현재는, 건축설계사무소에 대하고, 고객등의 방문자를, 맞이하거나·접대하는 장소(방), 건축설계사무소의 대표(소장)의 건축사와 건축 사무소에 근무하는 건축사등이 회의를 실시하는 장소(방), 건축설계사무소의 대표(소장)의 건축사와 건축 사무소에 근무하는 건축사·종업원이, 편히 쉬거나 연회(party)를 실시하거나 하는 장소(방) 등으로서 사용되고 있는 것 같습니다만, 파티(party)나 회합등용으로, 일반적으로 대출되어도 있는 것 같습니다.

 

 

사진 이하 6매.그림 엽서보다...

 

 

사진 이하 4매.한 때의, 사토미와 (satomi ton)의 주택의 서양식의 건물(주택의 메인(main)의 건물).1926년에 지어진 것입니다.

 

 

현관.

 

 

 

 

 

로비(현관·집의 입구의 공간).

 

 

 

 

 

응접실·거실(living room).안쪽으로 보이는 것은, 썬룸(sunroom).

 

 

 

 

 

응접실·거실(living room)에 부속된, 썬룸(sunroom).큰 창으로, 햇빛을 받으면서, 편히 쉬는 방입니다.

 

 

 

사진 이하 2매.일본 전통식의 건물.서양식의 건물에 증축되는 형태로, 1929년에 완성했습니다.

 

사토미와 (satomi ton)는, 설계 단계에 있고, (일본 전통식의 건물의 방으로부터 보이는 경치를 고려하면서), 일본 전통식의 건물의 마루의 높이를 결정하는 만큼, 반년도, 시간을 들였다고 합니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 30매는, 이 때, 나 자신이, 촬영한 사진.

 

사진 이하 17매.한 때의, 사토미와 (satomi ton)의 주택의, 서양식의 건물(주택의 메인(main)의 건물).1926년에 지어진 것입니다.

 

사진 이하 3매.현관.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

좌옥에, 일본 전통식의 건물이 보입니다.일본 전통식의 건물은, 서양식의 건물에 증축되는 형태로, 1929년에 완성했습니다.서양식의 건물(주택의 메인(main)의 건물)과 일본 전통식의 건물은, 이동 복도에서 연결되고 있습니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

로비(현관·집의 입구의 공간)의, 부분(창).

 

 

 

 

 

로비(현관·집의 입구의 공간)로부터 본, 응접실·거실(living room)에 부속된, 썬룸(sunroom).썬룸(sunroom)은, 큰 창으로, 햇빛을 받으면서, 편히 쉬는 방입니다.

 

 

 

 

 

로비(현관·집의 입구의 공간)로부터 본, 응접실·거실(living room).안쪽의 문의 저 편 방은, 사토미와 (satomi ton)의 주택에서 만났을 때에, 식당(dining room)에서 만난 방에서, 현재는, 건축설계사무소의, 사무실(작업실)로서 사용되고 있습니다(이 주택이, 일반 공개를 하고 있을 때도, 공개는 되고 있지 않습니다.이 때는, 특별히, 약간 보여 받았습니다만...).사진에서는 닫히고 있습니다만, 안쪽의 문을 열면, 식당(dining room)(현재는, 상술한 대로, 건축설계사무소의, 사무실(작업실)로서 사용되고 있습니다), 응접실·거실(living room)(및, 응접실·거실(living room)에 부속된, 썬룸(sunroom)), 로비(현관·집의 입구의 공간)가, 하나에 연결되고, 하나의, 매우 큰 방과 같이 되어, 많은 사람을 초대하는 파티(party) 등에 대응 할 수 있는 설계가 되고 있습니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

응접실·거실(living room)로부터 본, 응접실·거실(living room)에 부속된, 썬룸(sunroom).썬룸(sunroom)은, 큰 창으로, 뜰의 경치를 보거나 햇빛을 받으면서, 편히 쉬는 방입니다.

 

 

 

 

 

 

응접실·거실(living room)의 난로(fireplace)(좌상)와 응접실·거실(living room)로부터 본, 응접실·거실(living room)에 부속된, 썬룸(sunroom).

 

 

 

 

사진 이하 2매.응접실·거실(living room)로부터 바라본, 로비(현관·집의 입구의 공간).

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(사토미와 (satomiton)의 주택에서 만났을 때에), 가정부(maid)의 방에서 만난 방의 정면의, 1층의 복도 부분에, 설치된, 가정부(maid) 용의, 집의 주인 및, 그 가족이, 가정부(maid)에 용무가 있는 일을 알리는 장치.가정부(maid)에 용무가 있는 일을 알리는 버튼(button)?(기본적으로, 주택의 모든 방에 설치되어 있다)(을)를, 집의 주인 또는, 그 가족이 누르면, 이 장치는, 소리가 움과 동시에, 어느 방에서, 집의 주인 또는, 그 가족이, 가정부(maid)를 부르고 있는지, 가정부(maid)에 알립니다(장치의, 둥근 부분이, 각각의 방을 나타내, 집의 주인 또는, 그 가족이, 각부가게에 있고, 가정부(maid)에 용무가 있는 일을 알리는 버튼(button)을 누르면, 소리가 움과 동시에, (집의 주인 또는, 그 가족이, 버튼(button)을 누른 방에 해당한다) 둥근 부분에, 안표가 붙습니다).이 주택이 지어진 당시 (1920년대부터 1930년대무렵)의, 일본의, 나카가미류계급으로부터 상류계급의 집에서는, 이와 같은 장치가, 설치되어 있는 것이, 일반적임 같습니다.다만, 당시의, 일본의, 상류계급의 집이나, 비교적 유복한 나카가미류층의 집에서는, 이와 같은 장치는, 가정부(maid) 용의 방과 함께, 집의, 숨은 장소에 있던 것?`나가, 이 주택은, 당시의, 일본의, 상류계급의 집이나, 비교적 유복한 나카가미류층의 집에 비하면 작기 때문에, (이 주택에 있어서는), 가정부(maid) 용의 방과 함께, 응접실·거실(living room)의, 곧 근처에 배치되어 있습니다(이 장치는, 응접실·거실(living room)과 가정부(maid) 용의 방의 사이의 복도(1층의 복도)에, 가정부(maid) 용의 방은, 1층의 복도를 사이에 두고, 응접실·거실(living room)의 맞은 편에 배치되어 있다).

 

 

 

1층의 복도.

 

 

 

 

사진 이하 2매.2층으로 오르는 계단.2층은, 침실(bedroom)이 되고 있습니다(2층은, 이 주택이, 일반 공개를 하고 있을 때도, 공개는 되고 있지 않습니다).

 

사진 우하의, 계단의 난간의 기둥 위의 부분은, 모퉁이가 깎아지고 있습니다.이렇게 하는 일에 의해서, 아이나 여성에게, 공포감을 느끼게 하지 않는 효과가 있다고 합니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 11매.한 때의, 사토미와 (satomi ton)의 주택의, 일본 전통식의 건물.일본 전통식의 건물은, (1926년에 지어진) 서양식의 건물에 증축되는 형태로, 1929년에 완성했습니다.서양식의 건물(주택의 메인(main)의 건물)과 일본 전통식의 건물은, 이동 복도에서 연결되고 있습니다.

 

 

외관.상술한 대로, 사토미와 (satomi ton)는, 설계 단계에 있고, (일본 전통식의 건물의 방으로부터 보이는 경치를 고려하면서), 일본 전통식의 건물의 마루의 높이를 결정하는 만큼, 반년도, 시간을 들였다고 합니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

일본 전통식의 건물로부터 본, 서양식의 건물.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

한 때의, 사토미와 (satomi ton)의 주택의, 서양식의 건물의, 로비(현관·집의 입구의 공간).

 

 

 

 

 

한 때의, 사토미와 (satomi ton)의 주택의, 서양식의 건물의, 로비(현관·집의 입구의 공간)로부터 바라본, 응접실·거실(living room)의 일부.

 

 

 

상술한 대로, 카마쿠라(kamakura)는, 1920년대, 1930년대무렵부터, 요코하마나 도쿄에 통근하는, 대학교수나 고학력(대졸) 회사원등의, 인텔리(지식인) 중류층·나카가미류층이 사는, 교외 주택지로서 발전해 갔습니다.

 

사진 이하 16매.신록의, 카마쿠라(kamakura)의, 조용하고, 침착한 주택지를 산책.상술한 대로, 카마쿠라(kamakura)는, 중심부의 번화가나, 자동차의 통행량이 많은 간선도로 가를 제외하면, 기본적으로는, 조용하고 침착한 주택지가 되고 있습니다.

 

 

사진안의, 건물중, 안쪽쪽의 건물은, 불교의 절의 건물입니다.

 

 

 

제2차 세계대전전에 지어진 독립주택의 건물은, 일본에서는, 전후, 특히 1970년대 이후, 개축등에 의해, 급속히 없어져버렸습니다만, 그 같은 안으로, 카마쿠라(kamakura)는, 도쿄 근교의 도시안에서는, 제2차 세계대전전(1920년대부터 1930년대무렵)에 지어졌다고 생각되는, 낡은 정취가 있는, 독립주택의 건물이, 비교적, 많이 남아 있는 분이라고 생각합니다(그런데도, 카마쿠라(kamakura)에서도, 낡은 정취가 있는, 독립주택의 건물은, 재건축에 의해, 조금씩, 없어져 가고 있습니다만....).

 

 

사진 이하 2매(사진 이하 2매는, 같을, 독립주택).제2차 세계대전전(1920년대부터 1930년대무렵)에 지어졌다고 생각된다, 기본적으로, 일본 전통식이지만, 일부, 서양식을 도입한, 독립주택.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 2매(사진 이하 2매는, 같을, 독립주택).(개장은 이루어지고 있다고 생각합니다만), 제2차 세계대전전(1920년대부터 1930년대무렵)에 지어졌다고 생각되는, 서양식의, 독립주택.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

제2차 세계대전전(1920년대부터 1930년대무렵)에 지어졌다고 생각되는 독립주택의 건물의, 일부.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 5매.오나리(onari) 그대로의, 카페(cafe)·찻집의 하나로, 코코아(hot cocoa)를 마시면서, 빈둥거려, 그 후, ( 동(같은) 카페(cafe)·찻집(일본식 coffee shop)에서), 이 날, 1회째의 저녁 식사를 먹었습니다.전철의 카마쿠라(kamakura) 역의, 곧 가까운 곳에는, 코마치(komachi) 거리(아래의 보충 설명 참조)와 오나리(onari) 거리라고 하는 두 개의 상가가 있습니다만, 코마치(komachi) 거리는, 현지의 사람들보다, 관광객이 많은 상가라고 한 느낌인데 대해, 오나리(onari) 거리는, 관광객보다, 현지의 사람들의 이용이 많은 상가라고 한 느낌으로, (코마치(komachi) 거리보다), 침착하고 있습니다.
코마치(komachi) 거리:카마쿠라(kamakura)의 중심부에 있는, 전체 길이 600 m정도의, 폭의 가는 대로로, 상점이나 음식점이 늘어서, 관광객이나 현지의 사람들로 활기찬, 카마쿠라(kamakura)에서, 가장 떠들썩한 대로가 되고 있다.

사진 이하 2매.이, 카페(cafe)·찻집(일본식 coffee shop)의, 코코아(hot cocoa).이 가게의, 코코아(hot cocoa)는, 마음에 드는 것이 되고 있습니다.이 가게의 코코아(hot cocoa)는, 5시간 들여 가다듬고, 12시간, 재워 만들어지고 있습니다(시간이 들고 있는 비교적, 적당한 가격입니다(매우 양심적인 가격입니다)).이 가게의, 코코아(hot cocoa)는, 매우, 맛있다고 생각합니다.덧붙여서, 이 가게는, 가게에 들어가고, 바로 우측의, 카운터(counter) 석이, 안정됩니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 3매.이 가게에서 먹은, 이 날, 1회째의 저녁 식사.

 

사진 이하 2매.카마쿠라(kamakura) 야채와 생 녹조류의, 크림 파스타(cream pasta).일인일명씩.두 명모두, 같은 물건을 먹었습니다(사진은, 일인분).


 

 

 

 

 

 

 

일순간, 야채 사라다(salad)와 같이 보입니다만, 아래쪽은, 이렇게 되고 있습니다.

 

 

 

 

 

파스타(pasta)의, 덤의, 작은 디저트(dessert).률의 아이스크림(ice cream).일인일명씩.

 

 

 

사진 이하 5매.코마치(komachi) 그대로의, 카페(cafe)의 하나로, 이 날, 2번째의, 저녁 식사를 먹었습니다.이 카페(cafe)(역사가, 낡은 것 같은 카페(cafe)입니다)는, 전부터, 아주 조금 신경이 쓰이고 있었습니다만, 이 때, 처음으로 이용했습니다.

 

사진 이하 5매.이 카페(cafe)에서 먹은, 이 날, 2번째의 저녁 식사.

 

 

그녀가 먹은, 새우 들어가, 그라탕(gratin).덧붙여서, 그녀는, 이 때는, 음료는, 아이스 티(차가운 홍차)와 소프트 드링크(soft drink)를 마셨던(그녀는, 알코올(alcohol)은, 체질적으로, 꽤 서투릅니다).

 

 

사진 이하 4매.이 때, 내가, 맥주와 함께, 먹은, 가벼운 저녁 식사의, 세트 메뉴(편성 메뉴(menu)).

 

 

사진왼쪽, 로스트 비프(roast beef).사진 오른쪽, 사라다(salad).사진 좌상의, 스프(soup)는, 콘 스프(corn soup).

 

 

 

 

 

게 들어가, 그라탕(gratin).

 

 

 

 

 

버섯 필라프(pilaf).

 

 

 

 

 

 

디저트(dessert).

 

 

이 가게는, 싼 가격으로, 꽤, 침착한 느낌으로, 나쁘지 않았습니다.

 

 

 

사진 이하, 이 날은, 카마쿠라(kamakura)로부터, 도쿄도심부의 나의 거리에 돌아오고 나서(덧붙여서, 그녀는, 이 날은, 우리 집에 묵지 않고, 도쿄도심부의, 다른 거리의, 그녀의 아파트(맨션)에 돌아갔습니다), 가끔 이용하는, 나의 거리의, 체코(Czech) 요리 레스토랑(바(bar)적으로 사용할 수 있는 가게이기도 합니다)로, 혼자서, 조금, (술(알코올(alcoholic) 음료)을) 마시고 나서, 우리 집에 돌아갔습니다.

 

 

이 때, 이 가게에서 먹은, 안주의 하나.햄(ham)과 치즈(cheese)의 진열.이 때, 아직, 배는, 만복 상태였으므로, 안주는, 이, 햄(ham)과 치즈(cheese)의 진열과 올리브(olive)만 먹었습니다.

 

 

 

사진 이하.이 때, 이 가게에서 마신, 술(알코올(alcoholic) 음료)의 일부.

 

 

스타로프라멘프레미암(Staropramen Premium)이라고 말하는, 체코(Czech)의 맥주.

 

 

 

 

 

페르넷트(fernet)(알코올(alcohol) 도수는, 40%정도)의, 스트레이트(straight).

 

 

 

 

 

베헤로후카(Becherovka)(알코올(alcohol) 도수는, 38%)의, 스트레이트(straight).

 

 

이 외, 이 때, 이 가게에서는, Veltlinske zelene라고 말하는, 체코(Czech)의 흰색 와인(wine)을 글래스(glass)로 한 잔과 피르스나우르켈(Pilsner Urquell)이라고 말하는, 체코(Czech)의 맥주를, 한 개, 마셨습니다.

 

 

 

 

 

 

 

 



TOTAL: 415

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