うちの町内

 

 

 

 

次回の投稿(「東京散歩&食べ物後編」)は、4月の下旬、(前回の投稿内容の日(前回の投稿(「東京散歩&食べ物前編」)を参照)の翌日)、個人的に休みであった日(以下、この日と書きます)に、中野(nakano)(中野(nakano)駅周辺)を散歩して来た時の事についての投稿ですが、この投稿は、その次回の投稿の、おまけの投稿です。

この日、中野(nakano)(中野(nakano)駅周辺)(東京中心部(東京23区)の西部に位置する)を訪れた目的は、(私は、個人的に、建物に興味がある事から)、近い内に(近年の内に)、建て替えの為、取り壊される予定の、1973年前半に建てられた、中野(nakano)駅周辺の高層ビル、中野(nakano)sunplazaを写真に収め、中野(nakano)sunplazaを訪れる事にありました。もっとも、私が、情報を、勘違いしていて、中野(nakano)sunplazaは、今年中にも、建て替えの準備の為、閉鎖されると思っていたのですが、建て替えの予定は、しばらく先の様で、建て替え準備の為、閉鎖されるのは、おそらく2018年以降(実際に、建て替え工事が行われるのは、2020年から2024年頃)の様で、何も、焦る必要は、全く、ありませんでしたw

 

 

次回の投稿(「東京散歩&食べ物後編」)の前に、この投稿(「東京散歩&食べ物後編(おまけ)」)では、参考に、日本の、超高層ビルの歴史について説明します。

 

 

第二次世界大戦が終って間も無い1940年代後半から、戦後復興期初めの1950年代半ば頃くらいまでは、東京や大阪では、主として、(第二次世界大戦時の、アメリカによる空襲で破壊されずに生き残った)第二次世界大戦前に建てられた、近代建築のビルを、引き続き活用していました。その後、高度経済成長に伴い、1950年代後期頃から、ようやく、戦後の現代建築のビルの建設boomが起り始め、1950年代後期から1960年代を通じて、東京や大阪では、戦前に建てられた重厚な近代建築のビルが、戦後に建てられた、機能的な現代建築のビルに、次々と、取り替えられる様になりました(この頃は、経済成長最優先であり、老朽化した近代建築を修理しながら、保存・活用しよう等と言う、ゆとりが無かった)。なお、高層towerに関しては、日本では、既に、1950年代には、日本の様な地震地帯の大地震でも、耐えられる様な、建築設計技術が確立しており、1950年代から、1960年代初期にかけて、名古屋(nagoya )TV tower(1954年完成。高さ180m。1929年に完成した、高さ250mの日本の依佐美送信所鉄塔の様な支線式の鉄塔を除けば、完成当時アジアで最も高い建築物)、東京tower(1958年完成、高さ約333m。完成当時は、世界一高いtowerであると供に、名古屋(nagoya) TV towerを抜かし、アジアで、最も高い建築物)等、日本の大都市で、展望台付きの高層towerの建築boomがありました。日本では、TV放送は、1953年に始まりましたが、1950年代から1960年代初期にかけて、日本の大都市に建てられた、6個の展望台付きの高層towerの内、名古屋(nagoya) TV tower(1954年完成)、北海道(hokkaido)の札幌(sapporo) TV tower(1957年完成)、東京tower(1958年完成)は、(もちろん、展望台を有し、観光施設としての側面も有していますが)、基本的には、来るべき、TVの大衆化時代に備えて、建てられた、TV電波塔です(ちなみに、大阪areaでは、郊外の山の上に電波送信所を建てる事が出来た為、1956年に大阪に完成した、展望台付きの高層tower、(2代目)通天閣(tsutenkaku)は、TV電波塔では無く純粋に観光用です)。一方、1960年代において、日本の様な地震地帯の大地震でも、大丈夫な超高層ビルを設計・建築する技術が日本国内で成熟するに至り、日本初の超高層ビルが、完成するのは、1960年代後期を待たなければなりませんでした。


 

1960年代において、日本は、日本の様な地震地帯の大地震でも、大丈夫な超高層ビルを設計・建築する技術が成熟するに至り、1968年に、ようやく、日本初の超高層ビル、霞ヶ関(kasumigaseki)ビルが、東京都心部でも、中心的な地域に完成しました。

 

 

 

写真は、借り物。霞ヶ関(kasumigaseki)ビル。1968年に完成した、東京都心部でも、中心的な地域にある、オフィス(office)用のビルです。日本初、且つ、アジア初の超高層ビルであり、完成当時、アジアで最も高かったビルです。高さは、156m。設計は、日本の不動産会社である三井(mitsui)不動産の建築設計部門と、日本の建築設計事務所である山下寿朗設計事務所です。

 

 

 

 

 写真は、借り物(写真の作者:663highland)。神戸商工貿易センタービル(Kobe,commerce,Industory and trade center building)。1969年に完成した、神戸(kobe)(関西(kansai)大都市圏の海の玄関口(gateway)(貿易港)となっている、大きな港町(大都市))の、office用のビルです。関西(kansai)大都市圏(大阪、京都、神戸(kobe)を中心とする大都市圏。東京に次ぐ、日本、第二の都市圏人口を有する大都市圏)で、初めて建てられた超高層ビルです。高さは、107m。設計は、日本の世界最大級の建築設計事務所、日建設計(Nikken Sekkei)(1900年創業の、歴史のある建築設計事務所)です。このビルは、1995年の阪神・淡路(hanshin awaji)大地震(神戸(kobe)等を中心に、襲った大地震。神戸(kobe)が、大きな被害を受けた)の際、最も激しく揺れた地域に建っていたのですが、構造への被害は、皆無(0)で、地震の、わずか3ヶ月後ぐらいには、ほとんど通常の業務を再開出来るくらいまで、復旧が完了していました。なお、このビルを管理・運営する、日本の会社(神戸(kobe)市と神戸(kobe)商工会議所を中心とした、神戸(kobe)経済界により設立された会社)は、アメリカのNew Yorkに本部がある、世界貿易センター連合(World trade center association)の会員であり(たぶん。。。)、このビルは、1970年に、世界貿易センター連合(World trade center association)総会(会議)の会議場として、として使用されました。


 

 

 

1970年代に入ると、日本では、超高層ビルの建設が、本格化し、東京を中心として、次々と超高層ビルが、建てられる様になりました。これは、日本と同じく地震地帯にある、Los Angelsや、San Francisco等の、アメリカの西海岸の大都市で、本格的に超高層ビルが建てられる様になった時期と一致しています。逆に、1970年代に入るまでは、アメリカの地震地帯では無い地域を除けば、世界に超高層ビルは、ほとんど存在しませんでした。

 

 

 

写真以下10枚は、1970年代に、東京に、次々と建てられた、超高層ビルの一部です。


 

 

 

前に、kjでアップ(upload)した写真の再利用。世界貿易センタービル(world trade center building)(東京都心部でも中心的な地域の海沿いに位置する)。1970年に完成した、office用のビルですが、最上階の40階は、(観光用の)展望台となっています。高さは、162.59m。設計は、日本の、世界最大級の建築設計事務所である日建設計(Nikken Sekkei)と、日本の構造力学(structural mechanics)研究所である武藤(muto)構造力学(structural mechanics)研究所が行いました。ちなみに、東京に拠点を置く(東京の、世界貿易センタービル(world trade center building)に拠点を置く)、日本の社団法人(日本の貿易振興団体)、世界貿易センター(world trade center)東京は、アメリカのNew Yorkに本部がある、世界貿易センター連合(world trade centers association)(1970年設立)の創立memberで、現在に至るまで世界貿易センター連合(world trade centers association) の発展に中心的な役割を果たして来た様です。このビルは、現在見ると、何てことない(特別高くもない)、少し、古ぼけた、超高層ビルですが、1970年に完成した当時、(それまで、アジアで最も高いビルであった、日本の、霞ヶ関(kasumigaseki)ビル(高さ、156mのoffice用ビル。日本初、且つ、アジア初の超高層ビルであり、完成当時、アジアで最も高かったビル)を抜き)、アジアで最も高いビルでした。もっとも、アジアで最も高いビルの座に君臨した期間は短く、アジアで、最も高いビルの座は、1971年に、東京都心部の西部の新宿に完成した、keio plazaホテルの建物(高さは、178m。完成当時、アジアで最も高いビル。日本で、最初、また、アジアでも最初の超高層ホテル)に、奪われてしまいました。世界貿易センタービル(world trade center building)は、老朽化の為(ビル自体の耐震性等の安全性は、全く問題はないが、完成してから、45年程、経過し、時の経過により、ビルの競争力(魅力)が落ちて来ている為の様です)、比較的、近い将来、新しい超高層ビル(高さ200m位)に建て替えられる予定があります(9年後位に、新しい超高層ビルが完成する予定の様です)。世界貿易センタービル(world trade center building)の周囲の再開発は、世界貿易センタービル(world trade center building)の建て替えよりも、早く始まりますが、世界貿易センタービル(world trade center building)の建て替えは、一番、最後に行われる予定であり、世界貿易センタービル(world trade center building)は、あと4年位は、このまま使われる様です。

 

 

 

 

 

 

写真は借り物(このsite→http://www.blue-style.com/から借りて来た物)。keio plazaホテル。1971年完成。高さは、178m。新宿(東京の主要なビジネス(business)地区の一つであると共に、東京最大級の繁華街の一つ。東京都心部の西部に位置する)の、新宿副都心(主として1970年代に開発された、200m級の超高層ビルが建ち並ぶ、ビジネス(business)地区。日本で最初の、200m級、超高層ビル群)で、最初に建てられた、超高層ビルです。当時、アジアで最も高いビルであった、同じく日本の世界貿易センタービル(world trade center building)を追い抜き、完成当時、アジアで最も高いビルでした。日本で、最初、また、アジアでも最初の超高層ホテルです(また、間違っていたら申し訳ありませんが、たぶん、完成当時、世界一、背の高い(世界一、高層の)、ホテルでした)。設計は、日本の、大規模、建築設計事務所の一つである、日本設計(NIHON SEKKEI)(霞ヶ関(kasumigaseki)ビルを設計した建築家達が中心となり、1967年に設立した建築設計事務所)が、手掛けました。keio plazaホテルは、規模の大きな、高級classのホテルです(おそらく、1970年代当時においては、東京最大級のホテル(世界的に見ても、かなり規模が大きなホテル)であった。1970年代においては、現在よりも、比較的、高級なイメージのホテルで(新しい東京を代表するホテルの一つと言った感じのホテルで)、日本国内の、出張(business)旅行者・観光客のみならず、アメリカ・ヨーロッパからの、出張(business)旅行者・観光客にも、人気が高かった様です)。keio plazaホテルは、現在は、高級classのホテルの中では、大衆的なホテルです(準高級ホテルと言った感じ。。。)。日本国内の、出張(business)旅行者・観光客のみならず、韓国・台湾(Taiwan)・香港(Hong Kong)・シンガポール(Singapore)・ヨーロッパ・アメリカ・オーストラリア等からの観光客、また、最近は、中国人の富裕層の旅行客等にも、人気が高いホテルで、宿泊費が、高級classのホテルとしては、安い(手頃な)割に、質が高い所が、高く評価されている様です。ちなみに、私は、keio plazaホテルで、食事をする等はした事がありますが、泊まった事はありません(我が家の最寄りの電車(通勤電車)駅から、新宿までは、電車(通勤電車)で、5分程で(私が育った実家も、我が家の近所)、基本的に、新宿のホテルに宿泊する意味がない。。)。

 

 

 

以下の二つのビルは、超高層ビルと呼ぶには、少し高さが低いとは、思いますが、1970年代初期に完成した高層ビルにしては、デザイン(design)に、それ程、古さを感じられません。


 

 

写真は、借り物。NHK放送centerビル。日本の公共テレビ・ラジオ放送局(韓国で言えば、KBSに相当する)であるNHKの、東京areaの、中心的な放送局となっているビルです。東京都心部の西部の、渋谷(shibuya)区にあります。高さは、101.8m。1973年に完成しました。設計は、日本の世界最大級の建築設計事務所、日建設計(Nikken Sekkei)です。1970年代初期に完成した高層ビルにしては、デザイン(design)に、それ程、古さを感じられません。

 

 

 

 

 

中野(nakano)(中野(nakano)駅周辺)(東京中心部(東京23区)の西部に位置する)にある、中野(nakano)sunplaza(詳しくは、次回の投稿(「東京散歩&食べ物後編」)で、説明します)。1973年完成。高さ92m。設計は、日本の世界最大級の建築設計事務所、日建設計(Nikken Sekkei)です。1970年代初期に完成した高層ビルにしては、デザイン(design)に、それ程、古さを感じられません。

 

 

 

 

 

 

写真は借り物。新宿(東京都心部の西部)の、新宿副都心にある、新宿住友(新宿sumitomo)ビル。1974年3月に完成した、高さ210mの、オフィス(office)用のビルです。日本のみならず、アジアでも最初の、高さ200m以上のビルです。断面が、3角形(の様な形)の、個性的なデザイン(design)の超高層ビルである事から、3角ビルと呼ばれています。完成当時、アジアで最も高いビルでした。設計は、日本の世界最大級の建築設計事務所、日建設計(Nikken Sekkei)です(ちなみに、日建設計(Nikken Sekkei)は、元々、住友(sumitomo)系の(旧(かつての)住友(sumitomo)財閥系の)、建築設計事務所です)。

 

 

 

 

写真以下2枚は、前に、kjでアップ(upload)した写真の再利用(私自身が撮影した写真)。

 


 

新宿(東京都心部の西部)の、新宿副都心にある、新宿三井(新宿mitsui)ビル。新宿三井(新宿mitsui)ビルは、1974年9月に完成した、高さ、225mの、オフィス(office)用のビルです。新宿住友(新宿sumitomo)ビルを追い抜き、完成当時、アジアで、最も高いビルでした。設計は、日本の不動産会社である三井(mitsui)不動産の建築設計部門と、日本の、大規模、建築設計事務所の一つである日本設計(NIHON SEKKEI)及び日本の構造力学(structural mechanics)研究所である武藤(muto)構造力学(structural mechanics)研究所です。新宿住友(新宿sumitomo)ビルの高さ210m及び、新宿三井(新宿mitsui)ビルの高さ225mは、前年の1973年に完成した(前に、kjで、1972年に完成したと書きましたが、1973年完成の間違えでした。済みません)、フランスで最初の高さ100mを越す超高層ビルであり、且つ、完成当時、西ヨーロッパで最も高いビルであった、Tour Montparnasseの高さ、210mを意識した物なのかも知れません(ちなみに、Tour Montparnasseは、1990年まで、西ヨーロッパで最も高いビルでした)。

 

 

 

 

 

 

写真左側、新宿住友(新宿sumitomo)ビル(1974年完成。高さ210m)。写真右側、新宿三井(新宿mitsui)ビル(1974年完成。高さ225m)。

 

 

 

 

 

以下、二つの超高層ビルは、高さは、それ程高くは、ありませんが、1970年代半ばに完成した超高層ビルにしては、デザイン(design)に、それ程、古さを感じられません。


 

 

写真は借り物。一番手前の、超高層ビル。ホテルnew otani the garden tower。1974年完成。高さ144.5m。東京を代表する大規模ホテルの一つ、且つ、東京を代表する高級ホテルの一つ、ホテルnew otani(1964年開業。東京都心部でも中心的な地域の西部に位置する)の、建物の一つ(別館(annex))として建てられました。設計は、日本の建設会社、大成建設の建築設計部門です。1970年代半ばに完成した、超高層ビルにしては、それ程、デザイン(design)に古さを感じられません。

 

 

 

 

 

 

写真左側の、黒っぽい色の(黒色系の)、超高層ビル。中野(nakano)(中野(nakano)駅周辺)にある、NTT Docomo中野ビル。1976年完成。高さ115mの、無線中継所兼オフィス(office)用のビルです。元々は、(1985年に)NTTとして民営化される前の、日本の国営、電話・通信会社の、日本電信電話公社のビルの一つとして建てられた物です。設計は、当時は、日本電信電話公社として、日本の国営、電話・通信会社であったNTTの設計部門です。1970年代半ばに完成した、高層ビルにしては、それ程、デザイン(design)に、古さを感じられません。

 

 

 

 

 

 

写真以下2枚。借り物写真。池袋(ikebukuro)(東京都心部の北西部に位置する。東京最大級の繁華街の一つ)にある、超高層ビル、Sunshine60ビル。1978年完成、高さ約240m(239.7m)の、オフィス(office)用のビルです。デザイン(design)は、退屈ですが、1978年の完成当時、アジアで最も高いビルであった、同じく日本の、新宿三井(新宿mitsui)ビル(1974年完成)を追い抜き、完成当時アジアで最も高いビルでした。設計は、日本の不動産会社である三菱(mitsubishi)地所の建築設計部門と、日本の構造力学(structural mechanics)研究所である、武藤(muto)構造力学(structural mechanics)研究所です。Sunshine60ビルの下層階及び周囲には、水族館、劇場等の娯楽・文化施設、ホテル等を併設した、規模の大きなshopping mall、Sunshine city(Sunshine60ビルと同じく、1978年にオープン(open))が広がっています(こちらは、中野(nakano)ブロードウェイ(Broadway)(次回の投稿で、アップ(upload)します)と異なり、しっかりとした、現代的な、規模の大きな、shopping mallですw)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真の作者:Kure

 

 

 

 

 

日本以外のアジアで、超高層ビルを、最も初期に建て始めたのは、香港とシンガポール(Singapore)です。香港と、シンガポール(Singapore)は、日本やアメリカの西海岸と違って、特に地震地帯ではありませんが、まだ、経済的に、発展途上であった為、日本と比べて、超高層ビルが建てられ始める様になった時期が、若干遅れました(それでも、ほぼ同時期)。1970年代には、アジアにおける、超高層ビル建設をリード(lead)した日本ですが、日本に引き続き、1980年代に入ると、香港とシンガポール(Singapore)で、本格的な、超高層ビルの建設ラッシュ(rush)が始まります。また、1985年に、韓国のソウルに完成した、63ビル(高さ249m)は、当時アジアで、最も高いビルであった、日本のSunshine60ビル(1978年完成)を追い抜き、完成当時、アジアで最も高いビルでした。この様に、1980年代に入ると、日本に続いて、香港、シンガポール(Singapore)、韓国が、まず、アジアにおける、超高層ビル建設をリード(lead)する様になりました。さらに、1990年代半ばに入ると、超高層ビル建設の波は、当時、東南アジアで、最も勢い良く発展していた発展途上国、タイ(Thailand)、Malaysia、Indonesiaまで、広がり、最早、超高層ビルは、先進国、準先進国・地域(香港、Singapore、韓国)(当時。現在は、これ等の国・地域は、既に、先進国・地域に、含まれている)、中進国(中南米、南アフリカ)だけの物では、無くなりました。さらに、1990年代末以降は、中国が、超高層ビルの建設において、急速に台頭する様になり、超高層ビルの建設は、他の発展途上国にまで広がると供に、中東では、ドバイ(dubai)を中心とした、過熱とも言える超高層ビル建築ブーム(boom)が起こりました。

 

 

 


東京散歩&食べ物後編へ続く。。。

 

 

 

 

 

 


도쿄 산책&음식 후편(덤)

 

 

 

 

다음 번의 투고( 「도쿄 산책&음식 후편」)는, 4월의 하순, (전회의 투고 내용의 날(전회의 투고( 「도쿄 산책&음식 전편」)를 참조)의 다음날), 개인적으로 휴일인 날(이하, 이 날이라고 씁니다)에, 나카노(nakano)(나카노(nakano) 역 주변)를 산책해 왔을 때의 일에 대한 투고입니다만, 이 투고는, 그 다음회의 투고의, 덤의 투고입니다.

이 날, 나카노(nakano)(나카노(nakano) 역 주변)(도쿄 중심부(도쿄 23구)의 서부에 위치한다)를 방문한 목적은, ( 나는, 개인적으로, 건물에 흥미가 있는 일로부터), 가까운 동안에(근년중에), 재건축이기 때문에, 해체될 예정의, 1973년전반에 지어진, 나카노(nakano) 역 주변의 고층빌딩, 나카노(nakano) sunplaza를 사진에 거두어 나카노(nakano) sunplaza를 방문하는 일에 있었습니다.무엇보다, 내가, 정보를, 착각 하고 있고, 나카노(nakano) sunplaza는, 금년중에도, 재건축의 준비 (위해)때문에, 폐쇄된다고 생각했습니다만, 재건축의 예정은, 당분간 앞의 같고, 재건축 준비 (위해)때문에, 폐쇄되는 것은, 아마 2018년 이후(실제로, 재건축 공사를 하는 것은, 2020년부터 2024년경)의 같고, 아무것도, 초조해 할 필요는, 완전히, 없었습니다 w

 

 

다음 번의 투고( 「도쿄 산책&음식 후편」) 전에, 이 투고( 「도쿄 산책&음식 후편(덤)」)에서는, 참고에, 일본의, 초고층 빌딩의 역사에 대해 설명합니다.

 

 

제이차 세계대전이 끝나 동안도 없는 1940년대 후반부터, 전후 부흥기 초의 1950년대 중반무렵 정도까지는, 도쿄나 오사카에서는, 주로, (제이차 세계대전시의, 미국에 의한 공습으로 파괴되지 않고 살아 남은) 제이차 세계대전전에 지어진, 근대 건축의 빌딩을, 계속 활용하고 있었습니다.그 후, 고도 경제성장에 수반해, 1950년대 후기무렵부터, 간신히, 전후의 현대 건축의 빌딩의 건설 boom가 일어나기 시작해 1950년대 후기부터 1960년대를 통해서, 도쿄나 오사카에서는, 전쟁 전에 지어진 중후한 근대 건축의 빌딩이, 전후에 지어진, 기능적인 현대 건축의 빌딩에, 차례차례로, 바꿀 수 있는 것처럼 되었습니다(요즘은, 경제성장 최우선이며, 노후화 한 근대 건축을 수리하면서, 보존·활용하자 등이라고 말하는, 여유가 없었다).덧붙여 고층 tower에 관해서는, 일본에서는, 이미, 1950년대에는, 일본과 같은 지진 지대의 대지진에서도, 견딜 수 있는 것 같은, 건축 설계 기술이 확립하고 있어, 1950년대부터, 1960년대 초기에 걸치고, 나고야(nagoya ) TVtower(1954년 완성.높이 180 m.1929년에 완성한, 높이 250 m의 일본의 의사비 송신소 철탑과 같은 지선식의 철탑을 제외하면, 완성 당시 아시아에서 가장 높은 건축물), 도쿄 tower(1958년 완성, 높이 약 333 m.완성 당시는, 세계 제일 높은 tower이라고 보조자에, 나고야(nagoya) TV tower를 빠뜨려, 아시아에서, 가장 높은 건축물) 등 , 일본의 대도시에서, 전망대 첨부의 고층 tower의 건축 boom가 있었습니다.일본에서는, TV방송은, 1953년에 시작했습니다만, 1950년대부터 1960년대 초기에 걸치고, 일본의 대도시에 지어진, 6개의 전망대 첨부의 고층 tower중, 나고야(nagoya) TV tower(1954년 완성), 홋카이도(hokkaido)의 삿포로(sapporo) TVtower(1957년 완성), 도쿄 tower(1958년 완성)는, (물론, 전망대를 가져, 관광 시설로서의 측면도 가지고 있습니다만), 기본적으로는, 와야 할, TV의 대중화 시대에 대비하고, 지어진, TV전파탑입니다(덧붙여서, 오사카 area에서는, 교외의 산 위에 전파 송신곳을 세울 수가 있던 때문, 1956년에 오사카에 완성한, 전망대 첨부의 고층 tower, (2대째) 통천각(tsutenkaku)은, TV전파탑은 아니고 순수하게 관광용입니다).한편, 1960년대에 있고, 일본과 같은 지진 지대의 대지진에서도, 괜찮은 초고층 빌딩을 설계·건축하는 기술이 일본내에서 성숙하기에 이르러, 일본 최초의 초고층 빌딩이, 완성하는 것은, 1960년대 후기를 기다리지 않으면 안되었습니다.


 

1960년대에 있고, 일본은, 일본과 같은 지진 지대의 대지진에서도, 괜찮은 초고층 빌딩을 설계·건축하는 기술이 성숙하기에 이르러, 1968년에, 간신히, 일본 최초의 초고층 빌딩, 가스미가세키(kasumigaseki) 빌딩이, 도쿄도심부에서도, 중심적인 지역에 완성했습니다.

 

 

 

사진은, 차용물.가스미가세키(kasumigaseki) 빌딩.1968년에 완성한, 도쿄도심부에서도, 중심적인 지역에 있는, 오피스(office) 용의 빌딩입니다.일본 최초, 한편, 아시아 첫 초고층 빌딩이며, 완성 당시 , 아시아에서 가장 비쌌던 빌딩입니다.높이는, 156 m.설계는, 일본의 부동산 회사인 미츠이(mitsui) 부동산의 건축 설계부문과 일본의 건축설계사무소인 야마시타 토시아키 설계 사무소입니다.

 

 

 

 

 사진은, 차용물(사진의 작자:663 highland).코베 상공 무역 센터 빌딩(Kobe,commerce,Industory and trade center building).1969년에 완성한, 코베(kobe)(칸사이(kansai) 대도시권의 바다의 현관문(gateway)(무역항)가 되고 있는, 큰 항구도시(대도시))의, office용의 빌딩입니다.칸사이(kansai) 대도시권(오사카, 쿄토, 코베(kobe)를 중심으로 하는 대도시권.도쿄에 뒤잇는, 일본, 제2의 도시권 인구를 가지는 대도시권)으로, 처음으로 지어진 초고층 빌딩입니다.높이는, 107 m.설계는, 일본의 세계 최대급의 건축설계사무소, 닛켄 설계(Nikken Sekkei)(1900년 창업의, 역사가 있는 건축설계사무소)입니다.이 빌딩은, 1995년의 한신·아와지(hanshinawaji) 대지진(코베(kobe) 등을 중심으로, 덮친 대지진.코베(kobe)가, 큰 피해를 받았다)때, 가장 격렬하게 흔들린 지역에 세우고 있었습니다만, 구조에의 피해는, 전무(0)로, 지진의, 불과 3개월 후 정도에는, 거의 통상의 업무를 재개 할 수 있을 정도로까지, 복구가 완료하고 있었습니다.덧붙여 이 빌딩을 관리·운영하는, 일본의 회사(코베(kobe) 시와 코베(kobe) 상공회의소 를 중심으로 한, 코베(kobe) 경제계에 의해 설립된 회사)는, 미국의 New York에 본부가 있는, 세계 무역 센터 연합(World trade center association)의 회원이며(아마...), 이 빌딩은, 1970년에, 세계 무역 센터 연합(World trade center association) 총회(회의)의 회의장으로서로서 사용되었습니다.


 

 

 

1970년대에 들어오면, 일본에서는, 초고층 빌딩의 건설이, 본격화해, 도쿄를 중심으로서 차례차례로 초고층 빌딩이, 지어지는 것처럼 되었습니다.이것은, 일본과 같이 지진 지대에 있는, Los Angels나, San Francisco등의, 미국의 서해안의 대도시에서, 본격적으로 초고층 빌딩이 지어지는 것처럼 되었던 시기와 일치하고 있습니다.반대로, 1970년대에 들어올 때까지는, 미국의 지진 지대는 아닌 지역을 제외하면, 세계에 초고층 빌딩은, 거의 존재하지 않았습니다.

 

 

 

사진 이하 10매는, 1970년대에, 도쿄에, 차례차례로 지어진, 초고층 빌딩의 일부입니다.


 

 

 

전에, kj로 업(upload) 한 사진의 재이용.세계 무역센터빌딩(world trade center building)(도쿄도심부에서도 중심적인 지역의 해안에 위치한다).1970년에 완성한, office용의 빌딩입니다만, 최상층의 40층은, (관광용의) 전망대가 되고 있습니다.높이는, 162.59m.설계는, 일본의, 세계 최대급의 건축설계사무소인 닛켄 설계(Nikken Sekkei)와 일본의 구조 역학(structural mechanics) 연구소인 무토(muto) 구조 역학(structural mechanics) 연구소가 실시했습니다.덧붙여서, 도쿄에 거점을 두는(도쿄의, 세계 무역센터빌딩(world trade center building)에 거점을 둔다), 일본의 사단법인(일본의 무역 진흥 단체), 세계 무역 센터(world trade center) 도쿄는, 미국의 New York에 본부가 있는, 세계 무역 센터 연합(world trade centers association)(1970년 설립)의 창립 member로, 현재에 이르기까지 세계 무역 센터 연합(world trade centers association) 의 발전에 중심적인 역할을 이루어 온 같습니다.이 빌딩은, 현재 보면, 은 일 없는(특별 높지도 않다), 조금, 낡아서 더러워진, 초고층 빌딩입니다만, 1970년에 완성한 당시 , (그것까지, 아시아에서 가장 비싼 빌딩인, 일본의, 가스미가세키(kasumigaseki) 빌딩(높이, 156 m의 office용 빌딩.일본 최초, 한편, 아시아 첫 초고층 빌딩이며, 완성 당시 , 아시아에서 가장 비쌌던 빌딩)을 빼기), 아시아에서 가장 비싼 빌딩이었습니다.무엇보다, 아시아에서 가장 비싼 빌딩의 자리에 군림한 기간은 짧고, 아시아에서, 가장 비싼 빌딩의 자리는, 1971년에, 도쿄도심부의 서부의 신쥬쿠에 완성한, keio plaza 호텔의 건물(높이는, 178 m.완성 당시 , 아시아에서 가장 비싼 빌딩.일본에서, 최초, 또, 아시아에서도 최초의 초고층 호텔)에, 빼앗겨 버렸습니다.세계 무역센터빌딩(world trade centerbuilding)는, 노후화이기 때문에(빌딩 자체의 내진성등의 안전성은, 전혀 문제는 없지만, 완성하고 나서, 45년 정도, 경과해, 때의 경과에 의해, 빌딩의 경쟁력(매력)이 떨어져 와있기 때문에(위해)의 같습니다), 비교적, 가까운 장래, 새로운 초고층 빌딩(높이 200 m위)에 다시 세워질 예정이 있습니다(9년 후위에, 새로운 초고층 빌딩이 완성할 예정의 같습니다).세계 무역센터빌딩(world trade center building)의 주위의 재개발은, 세계 무역센터빌딩(world trade center building)의 재건축보다, 빨리 시작됩니다만, 세계 무역센터빌딩(world trade center building)의 재건축은, 제일, 마지막에 행해질 예정이며, 세계 무역센터빌딩(world trade center building)은, 앞으로 4년 정도는, 이대로 사용되는 것 같습니다.

 

 

 

 

 

 

사진은 차용물(이 site→http://www.blue-style.com/로부터 빌려 온 것).keio plaza 호텔.1971년 완성.높이는, 178 m.신쥬쿠(도쿄의 주요한 비즈니스(business) 지구의 하나임과 동시에, 도쿄 최대급의 번화가의 하나.도쿄도심부의 서부에 위치한다)의, 신쥬쿠 부도심(주로 1970년대에 개발된, 200 m급의 초고층 빌딩이 늘어서는, 비즈니스(business) 지구.일본에서 최초의, 200 m급, 초고층 빌딩군)으로, 최초로 지어진, 초고층 빌딩입니다.당시 , 아시아에서 가장 비싼 빌딩인, 같은 일본의 세계 무역센터빌딩(world trade center building)을 앞질러, 완성 당시 , 아시아에서 가장 비싼 빌딩이었습니다.일본에서, 최초, 또, 아시아에서도 최초의 초고층 호텔입니다(또, 잘못되어 있으면 죄송합니다만, 아마, 완성 당시 , 세계 제일, 키가 큰(세계 제일, 고층의), 호텔이었습니다).설계는, 일본의, 대규모, 건축설계사무소의 하나인, 일본 설계(NIHON SEKKEI)(가스미가세키(kasumigaseki) 빌딩을 설계한 건축가들이 중심이 되어, 1967년에 설립한 건축설계사무소)가, 다루었습니다.keioplaza 호텔은, 규모의 큰, 고급 class의 호텔입니다(아마, 1970년대 당시에 있어서는, 도쿄 최대급의 호텔(세계적으로 봐도, 꽤 규모가 큰 호텔)에서 만났다.1970년대에 있어서는, 현재보다, 비교적, 고급 이미지의 호텔에서(새로운 도쿄를 대표하는 호텔의 하나라고 한 느낌의 호텔에서), 일본내의, 출장(business) 여행자·관광객 뿐만 아니라, 미국·유럽으로부터의, 출장(business) 여행자·관광객에게도, 인기가 높았다 같습니다).keio plaza 호텔은, 현재는, 고급 class의 호텔안에서는, 대중적인 호텔입니다( 준고급 호텔이라고 한 느낌...).일본내의, 출장(business) 여행자·관광객 뿐만 아니라, 한국·대만(Taiwan)·홍콩(Hong Kong)·싱가폴(Singapore)·유럽·미국·오스트레일리아등으로부터의 관광객, 또, 최근에는, 중국인의 부유층의 여행객등에도, 인기가 높은 호텔에서, 숙박비가, 고급 class의 호텔로서는, 싼(적당한) 비교적, 질이 높은 곳이, 높게 평가되고 있는 것 같습니다.덧붙여서, 나는, keioplaza 호텔에서, 식사를 하는 등은 한 일이 있습니다만, 묵은 일은 없습니다(우리 집의 근처의 전철(통근 전철) 역으로부터, 신쥬쿠까지는, 전철(통근 전철)로, 5분 정도로(내가 자란 친가도, 우리 집의 부근), 기본적으로, 신쥬쿠의 호텔에 숙박하는 의미가 없다..).

 

 

 

이하의 두 개의 빌딩은, 초고층 빌딩이라고 부르려면 , 조금 높이가 낮다고는, 생각합니다만, 1970년대 초기에 완성한 고층빌딩으로서는, 디자인(design)에, 그렇게, 낡음을 느껴지지 않습니다.


 

 

사진은, 차용물.NHK 방송 center 빌딩.일본의 공공 TV·라디오 방송국(한국에서 말하면, KBS에 상당한다)인 NHK의, 도쿄 area의, 중심적인 방송국이 되고 있는 빌딩입니다.도쿄도심부의 서부의, 시부야(shibuya) 구에 있습니다.높이는, 101.8m.1973년에 완성했습니다.설계는, 일본의 세계 최대급의 건축설계사무소, 닛켄 설계(Nikken Sekkei)입니다.1970년대 초기에 완성한 고층빌딩으로서는, 디자인(design)에, 그렇게, 낡음을 느껴지지 않습니다.

 

 

 

 

 

나카노(nakano)(나카노(nakano) 역 주변)(도쿄 중심부(도쿄 23구)의 서부에 위치한다)에 있는, 나카노(nakano) sunplaza(자세한 것은, 다음 번의 투고( 「도쿄 산책&음식 후편」)로, 설명합니다).1973년 완성.높이 92 m.설계는, 일본의 세계 최대급의 건축설계사무소, 닛켄 설계(Nikken Sekkei)입니다.1970년대 초기에 완성한 고층빌딩으로서는, 디자인(design)에, 그렇게, 낡음을 느껴지지 않습니다.

 

 

 

 

 

 

사진은 차용물.신쥬쿠(도쿄도심부의 서부)의, 신쥬쿠 부도심에 있는, 신쥬쿠 스미토모(니이쥬쿠 sumitomo) 빌.1974년 3월에 완성한, 높이 210 m의, 오피스(office) 용의 빌딩입니다.일본 뿐만 아니라, 아시아에서도 최초의, 높이 200 m이상의 빌딩입니다.단면이, 3 각형(와 같은 형태)의, 개성적인 디자인(design)의 초고층 빌딩인 일로부터, 3각 빌딩으로 불리고 있습니다.완성 당시 , 아시아에서 가장 비싼 빌딩이었습니다.설계는, 일본의 세계 최대급의 건축설계사무소, 닛켄 설계(Nikken Sekkei)입니다(덧붙여서, 닛켄 설계(Nikken Sekkei)는, 원래, 스미토모(sumitomo) 계의( 구(한 때의) 스미토모(sumitomo) 재벌계의), 건축설계사무소입니다).

 

 

 

 

사진 이하 2매는, 전에, kj로 업(upload) 한 사진의 재이용(나 자신이 촬영한 사진).

 


 

신쥬쿠(도쿄도심부의 서부)의, 신쥬쿠 부도심에 있는, 신쥬쿠 미츠이(니이쥬쿠 mitsui) 빌.신쥬쿠 미츠이(니이쥬쿠 mitsui) 빌은, 1974년 9월에 완성한, 높이, 225 m의, 오피스(office) 용의 빌딩입니다.신쥬쿠 스미토모(니이쥬쿠 sumitomo) 빌을 앞질러, 완성 당시 , 아시아에서, 가장 비싼 빌딩이었습니다.설계는, 일본의 부동산 회사인 미츠이(mitsui) 부동산의 건축 설계부문과 일본의, 대규모, 건축설계사무소의 하나인 일본 설계(NIHON SEKKEI) 및 일본의 구조 역학(structural mechanics) 연구소인 무토(muto) 구조 역학(structural mechanics) 연구소입니다.신쥬쿠 스미토모(니이쥬쿠 sumitomo) 빌의 높이 210 m 및, 신쥬쿠 미츠이(니이쥬쿠 mitsui) 빌의 높이 225 m는, 전년의 1973년에 완성했다(전에, kj로, 1972년에 완성했다고 썼습니다만, 1973년 완성이 잘못해였습니다.끝나지 않습니다), 프랑스에서 최초의 높이 100 m를 넘는 초고층 빌딩이며, 한편, 완성 당시 , 서유럽에서 가장 비싼 빌딩인, Tour Montparnasse의 높이, 210 m를 의식한 것인지도 모릅니다(덧붙여서, Tour Montparnasse는, 1990년까지, 서유럽에서 가장 비싼 빌딩이었습니다).

 

 

 

 

 

 

사진 좌측, 신쥬쿠 스미토모(니이쥬쿠 sumitomo) 빌(1974년 완성.높이 210 m).사진 우측, 신쥬쿠 미츠이(니이쥬쿠 mitsui) 빌(1974년 완성.높이 225 m).

 

 

 

 

 

이하, 두 개의 초고층 빌딩은, 높이는, 그렇게 높지는, 없습니다만, 1970년대 중반에 완성한 초고층 빌딩으로서는, 디자인(design)에, 그렇게, 낡음을 느껴지지 않습니다.


 

 

사진은 차용물.일번수전의, 초고층 빌딩.호텔 new otani the garden tower.1974년 완성.높이 144.5m.도쿄를 대표하는 대규모 호텔의 하나, 한편, 도쿄를 대표하는 고급 호텔의 하나, 호텔 new otani(1964년 개업.도쿄도심부에서도 중심적인 지역의 서부에 위치한다)의, 건물의 하나(별관(annex))으로서 지어졌습니다.설계는, 일본의 건설회사, 타이세이 건설의 건축 설계부문입니다.1970년대 중반에 완성한, 초고층 빌딩으로서는, 그렇게, 디자인(design)에 낡음을 느껴지지 않습니다.

 

 

 

 

 

 

사진 좌측의, 거뭇한 색의(흑색계의), 초고층 빌딩.나카노(nakano)(나카노(nakano) 역 주변)에게 있는, NTT Docomo 나카노 빌.1976년 완성.높이 115 m의, 무선 중계소겸오피스(office) 용의 빌딩입니다.원래는, (1985년에) NTT로서 민영화되기 전의, 일본의 국영, 전화·통신 회사의, 일본 전신전화 공사의 빌딩의 하나로서 지어진 것입니다.설계는, 당시는, 일본 전신전화 공사로서 일본의 국영, 전화·통신 회사에서 만난 NTT의 설계부문입니다.1970년대 중반에 완성한, 고층빌딩으로서는, 그렇게, 디자인(design)에, 낡음을 느껴지지 않습니다.

 

 

 

 

 

 

사진 이하 2매.차용물 사진.이케부쿠로(ikebukuro)(도쿄도심부의 북서부에 위치한다.도쿄 최대급의 번화가의 하나)에 있는, 초고층 빌딩, Sunshine60 빌딩.1978년 완성, 높이 약 240 m(239.7m)의, 오피스(office) 용의 빌딩입니다.디자인(design)은, 지루합니다만, 1978년의 완성 당시 , 아시아에서 가장 비싼 빌딩인, 같은 일본의, 신쥬쿠 미츠이(니이쥬쿠 mitsui) 빌(1974년 완성)을 앞질러, 완성 당시 아시아에서 가장 비싼 빌딩이었습니다.설계는, 일본의 부동산 회사인 미츠비시(mitsubishi) 지소의 건축 설계부문과 일본의 구조 역학(structural mechanics) 연구소인, 무토(muto) 구조 역학(structural mechanics) 연구소입니다.Sunshine60 빌딩의 하층층 및 주위에는, 수족관, 극장등의 오락·문화 시설, 호텔등을 병설한, 규모가 큰 shopping mall, Sunshine city(Sunshine60 빌딩과 같이, 1978년에 오픈(open))이 퍼지고 있습니다(이쪽은, 나카노(nakano) 브로드 웨이(Broadway)(다음 번의 투고로, 업(upload) 합니다)과 달리, 제대로 한, 현대적인, 규모의 큰, shopping mall입니다 w).

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진의 작자:Kure

 

 

 

 

 

일본 이외의 아시아에서, 초고층 빌딩을, 가장 초기에 세우기 시작한 것은, 홍콩과 싱가폴(Singapore)입니다.홍콩과 싱가폴(Singapore)은, 일본이나 미국의 서해안과 달리, 특히 지진 지대가 아닙니다만, 아직, 경제적으로, 발전도상인 때문, 일본과 비교해서, 초고층 빌딩이 지어지기 시작하는 것처럼 되었던 시기가, 약간 늦었습니다(그런데도, 거의 동시기).1970년대에는, 아시아에 있어서의, 초고층 빌딩 건설을 리드(lead)한 일본입니다만, 일본에 계속해, 1980년대에 들어오면, 홍콩과 싱가폴(Singapore)에서, 본격적인, 초고층 빌딩의 건설 러쉬(rush)가 시작됩니다.또, 1985년에, 한국의 서울에 완성한, 63 빌딩(높이 249 m)은, 당시 아시아에서, 가장 비싼 빌딩인, 일본의 Sunshine60 빌딩(1978년 완성)을 앞질러, 완성 당시 , 아시아에서 가장 비싼 빌딩이었습니다.이와 같게, 1980년대에 들어오면, 일본에 잇고, 홍콩, 싱가폴(Singapore), 한국이, 우선, 아시아에 있어서의, 초고층 빌딩 건설을 리드(lead)하는 것처럼 되었습니다.게다가 1990년대 중반에 들어가면, 초고층 빌딩 건설의 물결은, 당시 , 동남아시아로, 가장 기세 좋게 발전하고 있던 발전도상국, 타이(Thailand), Malaysia, Indonesia까지, 퍼져, 최조, 초고층 빌딩은, 선진국, 준선진국·지역(홍콩, Singapore, 한국)(당시.현재는, 이것등의 나라·지역은, 이미, 선진국·지역에, 포함되어 있다), 중진국(중남미, 남아프리카)만의 물건에서는, 않게 되었습니다.게다가 1990년대말 이후는, 중국이, 초고층 빌딩의 건설에 대하고, 급속히 대두하는 것처럼 되어, 초고층 빌딩의 건설은, 다른 개발 도상국에까지 퍼지면 보조자에, 중동에서는, 도바이(dubai)를 중심으로 한, 과열이라고도 말할 수 있는 초고층 빌딩 건축 붐(boom)이 일어났습니다.

 

 

 


도쿄 산책&음식 후편에 계속 된다...

 

 

 

 

 

 

 



TOTAL: 415

番号 タイトル ライター 参照 推薦
255
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横浜散歩&食べ物 jlemon 2015-02-23 2809 0
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