伝統文化紹介 Relationship



今までkjで書いて来た、私の男の友人に関するエピソードの纏めの投稿です。この投稿(友人エピソード集シリーズ)で書く(この投稿(友人エピソード集シリーズ)に登場する)、男の友人は、それぞれ、別の友人です。



東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地にある、我が家の近所の、私の実家は、元々、私の母方の祖父母の家で(ちなみに母は、一人っ子です)、現在は、両親が引き継いで暮らしています。既に、母方の祖父母共に、亡くなっています。

私には、兄弟姉妹は、2歳年下の弟が一人います。私の弟は、外資系の会社員で、既に、結婚をし、(まだ、二人共、幼いですが)子供が2人いて(男の子(上)が1人と、女の子(下)が1人。女の子は、一昨年、生まれたばかり)、弟の家族(妻・子供)と共に、東京の西部郊外の、静かで落ち着いた住宅地に買った、一戸建て住宅に、暮らしています。


私の弟に関しては、以下の投稿を参照して下さい。

私と弟1 →
/jp/board/exc_board_8/view/id/2694414?&sfl=membername&stx=jlemon
私と弟2 →
/jp/board/exc_board_8/view/id/2694200?&sfl=membername&stx=jlemon

以下、最近レスで書いた、私の幼稚園時代のエピソードより。。。

幼稚園の頃、ヤクザの息子と親友同士で、二人で、一緒に、よく遊んでいましたw(お互いのお母さん同士が、ママ友で(友達同士で)仲良かったというw)。あっ、あと、イタリア人とのハーフの男の子が、幼稚園の女子人気のライバルでした(まあ、私が勝ってたけどw)。

あっ、あと幼稚園当時、恐竜にとても興味があり、幼稚園児基準で恐竜にとても詳しかったので、男子達からは恐竜博士とも呼ばれていましたw投稿見て、一瞬、幼稚園くらいの頃の事なんて、あまり憶えていないかなと思ったのですが、思い返して見ると、案外、よく憶えているものですねw



以下、少し、最近レスで書いた、ディズニーランドに関するエピソードを中心としたもの。

TDLは、子供の頃から、何度も、訪れている馴染みの遊園地です(子供の頃は親に連れて行って貰って、中学生以降は女性とデートで行くようになりました)。

子供の頃は、もちろん、ジャングルクルーズやカリブの海賊も大好きでしたが、カントリーベア・ジャンボリー、チキルームと言った地味目のアトラクションも好きでした。

マークトウェイン号は、子供の頃から好きなアトラクションの一つです。夕暮れ時に乗るのも良いですね(女性とのデートでも喜ばれます)。

ちなみに、生まれて初めてのTDLは、私の父、私、(我が家及び我が家の近所の実家の近所に暮らしていた)私と同年代の私の母方の又従兄弟の、3人で行きました。その日は、子供の頃の事なので、理由は憶えていませんが(雨の天気予報が外れたのかもしれません(その日は、一日、曇りだった記憶があります))、やたらと空き空きで、一日で、アトラクションのほぼ全てを制覇してしまった記憶があります。私の記念すべきw、最初のTDLの外食は、その日の昼食で、ハングリーベア・レストランのカレーでした。

ちなみに、その又従兄弟とは、小学生の頃までは、お互いの実家を行き来して、一緒によく遊んでいましたが、二人共、地元の同じ公立の小学校を卒業した後、地元の同じ公立の中学に進学しましたが、中学以降は、チャラチャラした私と全く正反対の、真面目なガリ勉くんの又従兄弟とは、お互いに一緒に遊ぶ友達も被らず、基本的に一緒に遊ばなくなりましたw

又従兄弟は、優秀な公立の高校を卒業した後、東京の西部郊外の国立の大学を卒業し、会社員で、既に、結婚をし、子供がおり、隣の区に買った、一戸建て住宅で、自分の家族と共に暮らしています(又従兄弟(ルックスは、昔から眼鏡をかけ、ガリ勉くんに見えるものの、昔から爽やかな感じで悪くはないです)は、昔から、真面目で、堅実。高校時代に交際していた、女の子は一人だけで、同じ学校内の女の子。大学時代に交際する女性も、おそらく全て同じ大学内又は大学時代のサークル内で見つけ、チャラチャラした面は全くなく(学生時代・社会人の独身時代に、合コンも、ほとんどしていなかった(参加していなかった)のではないでしょうか)、社内結婚です(又従兄弟の、奥さんは、又従兄弟と同年代で、保守的で、おしとやかな感じで、まあまあ綺麗な方です)。又従兄弟は、会社員として、仕事は出来る様です)。ちなみに、どうでも良いですけど、私の2歳年下の弟(学生時代・若い頃サーフィン(surfing)ばかりしていましたw)も、既に、結婚をし、(まだ幼いですが)子供がいるのですが(東京の西部郊外(たまたまですが、私の、又従兄弟が卒業した大学と同じ市w)に買った、一戸建て住宅に、自分の家族と共に暮らしています)、私の弟の、奥さん(妻)は、私の弟よりも、かなり年下ですw

私の母方の親戚に関しては、以下の投稿を参照して下さい。

ボブの絵画教室→
/jp/board/exc_board_8/view/id/2610488/page/8?&sfl=membername&stx=jlemon

ピーターパン(アトラクション)も、子供の頃、好きだったなぁ。

小学校低学年の頃は、父の仕事の関係でロスに暮らしていたのですが、元祖ディズニーランドに親に連れて行って貰いました。当時、私と私の2歳年下の弟は、元祖ディズニーランドで親に買って貰った、デイビークロケットの帽子とカリブの海賊のおもちゃの鉄砲で、よく遊んでいました。当時の、(デイビークロケットの帽子は今はちょっとどうか分かりませんが)カリブの海賊のおもちゃの鉄砲は、東京の我が家の近所の実家にまだあると思います(本格的な木製で、かなりかさばる物ですw)。



私は、子供の頃、博物館が好きで、東京国立科学博物館や、交通博物館、科学技術館に、よく行きました(幼い時は、親に連れて行ってもらいましたが、小学校4年生頃からは、同じ興味を持つ友達(達)と、小学生だけで、行く様になりました。中学生になってからは、ほとんど行かなくなりましたが。。。)。私は、幼い頃、恐竜に、とても興味があったので、取り分け、国立科学博物館の、恐竜に関する展示は、印象に残っています(ちなみに、かつては、本館(現在の日本館)の1階の、かつての玄関を入って右側が、恐竜に関する展示室となっていました)。



私は、小学校の中学年の頃、当時、同じクラスであったのですが、クラスと言うか、学年の、ガキ大将的な男の子と友達でした。と言うか、そのガキ大将の男の子が、やたらと私と友達になりたかったらしく、私に、友達になってくれオーラ全開で、せっついて来て、強制的に、友達にされてしまったと言った感じでしたw ちなみに、私は高校の頃は学校で自分の身の回りにイジメはありませんでしたが、小学校・中学校の頃は、クラスでいじめられている子を、まあ時には暴力に訴えてしまう事もありましたが、いじめっ子から助ける(解放してあげる)事は、得意でしたし、自分の身の回りに、イジメを受けている子がいたら見逃せずにそうして来ましたし、小学校・中学・高校の頃は、クラスに、クラスの男どもをしめようとする、いけ好かない男がいた場合は、私が、殴ったり、張り手をかましたりしたら、以後、私には干渉しなくなったものですが、その男の子は、一応、弱い者イジメのような事はしませんでしたし、クラス等の、男子、全員を、しめようとするようなタイプの、ガキ大将でもありませんでした。

私の街の、我が家から離れた場所に、子供向けの、様々な雑多な物・お菓子を含む、色々、雑多な物を売っていた文具店があったのですが、ある放課後、私と、そのガキ大将の男の子と、そのガキ大将の取り巻きの子分の男子達で遊んでいた所、そのガキ大将の男の子に命じられて、そのガキ大将の取り巻きの子分の男子達が、その文具店の店頭に置いてあった、お菓子を、白昼、堂々と、それぞれ、箱ごとと言った感じで、大量に、万引きして来ましたw そのガキ大将の男の子は、万引きをして来た、そのガキ大将の取り巻きの子分の男子達に、ご褒美で、万引きして来た、お菓子の中から、少しずつあげて、残りを(全体の大半を)、私と二人で、山分けしました。私は、まだ、小学校の中学年で、善悪の判断が、それ程、厳格にはついておらず、後ろめたい気持ち・悪い事をしている気持ちはあったけれども、まあ、いいかなと言った感じで、分けて貰った、お菓子を、一度に、家に持ち帰れなかったので、何回かに分けて、家に持ち帰り、それを、私の2歳年下の弟と、(お母さんと、お父さんには、秘密ねと言った感じに弟に言って)、山分けし、私と弟は、家(実家)の、それぞれの部屋に、お菓子を隠し、少しずつ食べていましたw

しかしながら、そんな白昼堂々とした、大量の、万引きがバレないはずがなくw、目撃者がいて、すぐにバレて、おそらく学校に通報され、学校中の、問題とされ、おそらくPTAでも、取り上げられました。

記憶が曖昧ですが、おそらく、私は、母に聞かれて、これは、正直に言わざるを得ないと思ったのでしょう。私は母に正直に、話しました。この私の自首により、当然、私は、この大量万引きの犯人の一人として確定しました。また、私以外の、その大量万引き関係者の男子全員も、自首・その他により、それぞれの、親に、その事がバレてしまいました。

それで、その大量万引き関係者である、そのガキ大将の男の子、そのガキ大将の取り巻きの子分の男子達、私と、それぞれの母親(もちろん、私の母を含む)が、全員で、万引きの被害相当額のお金かお詫びの品かどちらかを持って(どちらか記憶が曖昧です)、その文具店に、お詫びをしに行った事で、その万引き事件は、解決しました。

そして、母と共に、その文具店に、謝罪に行って、家に帰って来た後、当然、私は、母に、お説教されました。

私の父も、私の母も、昔から、子供を叱る・お説教する時は、感情に任せて、怒鳴ったりするのではなく、理詰めで教え諭すような叱り方をする主義です。私も私の弟も、父親にも、母親にも、一度も、大きな声で、叱られたような事はありません。

私の母は、記憶が曖昧ですが、おそらく、文具店の家族は、品物を販売する事によって生活をしているのだから、その品物を盗むような事は、その文具店の家族の生活の手段を奪う事であり、その文具店の家族を悲しませる悪い事であると言った内容の事を、私に言って聞かせました。私も、母の言う通りだと思い納得したのですが。。。

私の母は、私の母方の祖母(既に亡くなっています)と共に、私の母方の祖父(既に亡くなっています)の、真面目な点・誠実な点・正直な点・誰に対しても、めったに怒らない性格が穏やかな紳士である点等を賞賛していましたが、私の母は、その様な、母方の祖父の下に育った、一人っ子(一人娘)です。

私の母は、大量万引きに関係したと言う、私の事について、その文具店に、私と共に、謝りに行ったと言う事が、相当、悔しかった、相当、プライドが傷ついたのでしょう。

私の母は、その事(その時、私が、大量万引きに関係したと言う事について)、一通り、私に説教をした後、最後に、目に涙を一杯溜めて、私の目を、じっと見つめて、私に、「お母さんの事、好き?」と聞きました。私が、「うん」と言うと、母は、「お母さんは、この事で、一杯、傷ついたの。お母さんの事、好きなら、お母さんの事を、もう傷つけないで」と言うと、ポロリと、大粒の涙を落とすと言うか頬に流しました。私は、それを見て、泣きはしませんでしたが、思わず泣きそうになり、「うん、もうしないよ」と言う事が精一杯でした。

私は、その時、母の、理詰めの、お説教も、その通りだと思ったのですが、それよりも、何よりも、その時の、最後の、母の涙とセリフが、子供心にも、強いインパクトを残しました。私が、人生の内で、万引きをしたのは、後にも、先にも、この時、一度だけです(まあ、この時も、私が、直接、万引きを指示したり、直接、万引きした訳ではありませんがw)。ちなみに、私の弟は、生まれてから一度も、万引きをした事がないと思います。


私の子供の頃に関しては、上でリンクをつけた、「私と弟1」を参照して下さい。


私は、会社員の父の仕事の関係で、小学校低学年の時の約2年間(当時、日本のアニメ等は祖母が私の為にマメにビデオに録画してくれましたw)、中学1年と2年の間の約1年間、アメリカに暮らしていて(小学生の頃はL.A.、中学の頃は、サンフランシスコ)、休みの日に、現地で親に色々遊びに連れて行って貰ったり、良い(楽しい)思い出として残っています。

私は、実家が我が家の近所にあり、私の街(東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地)で、生まれ、育ちました。

私の街の神社(shrine)の秋祭り(秋に行われる祭り)は、(私も、そうでしたが)、一般的に、幼い頃、小学校低学年頃までは、親に連れて行って貰いますが、小学校中学年頃からは、友人同士で行き始めます。

また、中学生になると、(私も、そうでしたが)、引き続き、友人同士で、私の街の神社(shrine)の秋祭り(秋に行われる祭り)に遊びに行くと共に、だいたい、仲が良い、女の子、又は、交際している女の子と、二人で、デート(date)でも、私の街の神社(shrine)の秋祭り(秋に行われる祭り)に行く様になります。

日本では、中学生の場合(まあ、遊んでいる(clubで、夜遊び等している)高校生(高校時代の私も含むw)以外は、高校生の場合もそうですが)、(デート(date)する位)仲が良くなる女の子、又は、交際する女の子は、だいたい、同級生の(同じ学校で、同じclassの)女の子、又は、同じ学校に通う女の子であるので、中学生の頃(ちなみに、私は、地元の、私の母も卒業した、公立の中学校(渋谷(shibuya)区が運営する公立の中学校の一つ)を卒業しています)、デート(date)で、私の街の神社(shrine)の秋祭り(秋に行われる祭り)に行き、同級生(同じ学校で、同じclassの人達)、又は、同じ学校に通う、友人・知り合い等に出会うと(そもそも、地元の神社(shrine)であるので、小学生・中学生の頃、秋祭り(秋に行われる祭り)に、遊びに行けば、同級生(同じ学校で、同じclassの人達)、又は、同じ学校に通う、友人・知り合い等に会いまくりですw(頻繁に会います))、お互いに、からかったり、からかわれたり、それは、大変な物でしたw(それは、それで、思春期における、良い(楽しい)思い出となっていますw)。

中学生の時、初めて、浴衣(yukata)を着た女の子と、私の街の(前述の通り、実家は我が家の近所で、私は、私の街で生まれ育ちました)、神社(shrine)の秋祭り(秋に行われる祭り。毎年9月に行われます)に、デートで(二人きりで)行った時、何だか、男として、一段階、大人になれたような(成長出来たような)気分になりましたw

ちなみに、浴衣(yukata)の女性とデートする時は、普段のデートに比べて、より一層、女性に対して、マメに気を遣う(女性に、細かい気配りを行う事も含む)事が必要です。例えば、デートの際には、女性の歩く速度に合わせて歩く必要がありますが、女性は、浴衣(yukata)を着ると、普段よりも、歩く速度が遅くなる事に特に留意する事等です。浴衣(yukata)は、現代(洋服)の軽い夏服に比べると、やはり、色々と大変な面がある服装です。男性は、女性が、浴衣(yukata)を着る事によって、洋服に比べて、物理的・心理的に大変な点を、さり気なく、スマートに、出来るだけカバーしてあげる事が必要です。せっかく、女性が、お洒落をして、浴衣(yukata)で来てくれているのだから、男性は、それ位の事をして当たり前です。

ちなみに、デートにおいて、女性に対して、マメに気を遣う(女性に、細かい気配りを行う事も含む)事は、出来て当たり前と言った事で(そんなに難しく考える必要はないと思います。私は、性格に、天然で、細かい事は気にしない、大雑把な面がありますがw(ちなみに、私の今の彼女も性格に同様な面があります)、そんな私でさえ、昔から(若い頃から)、自然に(自然体でスマートに)、出来ているのですから)、本当に大事なのは、その男性自身の魅力だと思います。それに関しては(自分自身の魅力と言う点に関しては)、私の、自己評価として、まだ修行中(まだ発展の余地は大いにあり)と言った感じです。

ちなみに、私は14歳の時(中学2年生の後半の時)、女性と交際し始めましたが、自分で言うのも何なんですが、男の子が早い時期から、しっかりと女の子と交際すると言うのは、男の子の精神的な自立や自己中心的でなく他人を思いやる心養う、早く精神的に大人になると言った教育面においても良い事だと思います。




私は、高校時代(私の高校生活は)、爽やかな面も、あった事はあったのですが、素朴で、爽やかな青春と言うよりは、どちらかと言えば、(当時、当時の私と同じ位、程度の低かったw、友達達と共に)、club(nightclub)等で、よく、夜遊びしたり、(私は、普通の、男女共学の高校に通っていて、学校内の、女の子達とも、仲良くしていたのですが)、よく、他の高校に通う、女の子達等と、合コン(友人や知り合い等の紹介による、男女が、知り合う為の、居酒屋等での、飲み会や食事会。日本では、大学生等の学生位の年齢(18歳位)から20代位の年齢の若者の間で、盛んに行われている)したりして、また、ここでは書けないような事をしたりして(人を傷つけるような事ではありません)、どちらかと言えば、都会の、荒くれた(率直に言ってしまえば、爽やかと言うよりも、どちらかと言えば、猥雑で、堕落して、馬鹿っぽい(馬鹿のような))高校生活を送っていましたw(まあ、それは、それで、楽しかった)。

ちなみに、私も、当時、私と一緒に遊んでいた、悪友達(友達達)も、学校の先生の前では、優等生で(素直で、礼儀正しく、一般的には、学校内においては、学校の規則を、しっかりと守る生徒で)、親の前でも、一般的には、反抗期なんて言う物は存在しない位、良い子(良い、子供)でしたw  また、私には2歳年下の弟がいるのですが、私の弟は、(若い頃、サーフィン(surfing)や、スケートボード(skateboarding)、スノーボード(snowboarding)を、よく、やっていて、そう言う面(運動と言った面)に関しては、私よりも活発でしたが)、私に比べれば、かなり真面目でした。

私の母は、大学は英米文学科を出ているのですが、それはあまり関係がなく、洋画がとても好きだったと言うのがあるのか、英語がとても好きで、女版、小林 克也?と言った感じで(もちろん外貌は、小林 克也と、全く、違います。 私の母は、特に今よりも若い頃は、年齢よりもかなり若く見えた事もあって、今よりも若い頃、外貌が老けてからのYOU(タレント。元FAIRCHILD)に似ていると言われていましたw)、留学経験はなくても、独学で、英語は、昔から発音も良く流暢に話せましたし(今でも大丈夫でしょう(それ程英語は忘れていないでしょう))、父も、留学経験はないですが、仕事で使う関係で、昔から英語は話せます(発音は、あまり上手くありませんがw)。

私の父と母が知り合ったきっかけは、二人共、まだ社会人になってから間もない頃、英検の準備学校で(母は英検1級持ってます。父は英検1級は挫折しましたw)、母が教室に通う初日に、教室に入った時に、既に着席していた(その時初対面の)父の顔を見て、ビビビッときた(一目惚れした)私の母が、咄嗟の判断で、(さり気なくか強引か分かりませんがw)父の隣りの席に座り、教科書を忘れたふりをして、父に見せて貰った事ですw ちなみに、私は、顔は、母よりも、父に似ており、私の弟は、父と母、両方に似ているとも言えるし、父と母、どちらにも似ていないとも言える顔です。母は、大学卒業後、会社員の父と結婚する前は、OLとして働いていましたが、父と結婚してからは、主婦となりました。

以下、参考。私の両親に関連する話。

銀座のホステス→

/jp/board/exc_board_8/view/id/2686292/page/2?&sfl=membername&stx=jlemon



私の親は、自由放任主義的な面があり、私の母は、私が、中学生・高校生時代、夜遊びをする際に、友達の家に泊まって来る等と言えば、深く詮索しませんでしたし、母自体が、チャラチャラしている面があり、男の子は、ある程度、遊んだ方が良い・やんちゃした方が良い位に、思っていた節がありw、そう言う意味では、ある意味、やり易かったですw(私は、遊び易かったですw)。



私は、若い頃、それなりに危ない事はしましたが、幸いな事に、路上等で、人に攻撃されそうになった事はなく、私は、喧嘩に関する、武勇伝等は、全くありませんw

私は、中学1年生の時に、地元の同じ中学校に通う、当時、中学3年生の、スケバン(不良の女性)の、番長に、告白された(その番長と、その番長の、子分又は友人の、同じ中学校に通う不良の中学校3年生の女子中学生の、二人で、中学校の通学路で、待ち伏せされ、その番長に告白された)のに始まって、私は、若い頃、所謂、典型的な不良とは、むしろ、女性との絡みが多かったですw

私は小学生の時は、高学年になっても、まだ性欲には目覚めていなかったのですが、小学校中学年頃から、異性に目覚めている部分はありました。

私は、小学生の頃は、同じ小学校に通う、同じclassの女の子・同学年の女の子のような、同年代の、子供の女の子達には興味は示さず、小学校の中学年から高学年頃(特に、小学校の高学年頃)、小学生の頃の私から見たら、十分に、大人に見える、女性、芸能人の事が好きでした。

以下、参考の投稿。

80年代の音楽の思い出前編 →

/jp/board/exc_board_8/view/id/2636409/page/4?&sfl=membername&stx=jlemon

80年代の音楽の思い出後編    →

/jp/board/exc_board_8/view/id/2636407/page/5?&sfl=membername&stx=jlemon



しかしながら、私は、中学1年生の時、その、当時、中学3年生のスケバン(女性の不良)の番長(美人で、背が高い、女優・モデル系の外貌の女性でした)に告白された際に、私は、その様な年上の女性に、告白される、心の準備が出来ておらず、又、まだ、あまり物事を、よく考えられない年頃であったと言うのもあり、咄嗟に、どうして良いか、全く、分からず、「今は、ちょっと付き合う事が出来ません」と断りました。その、スケバン(女性の不良)の番長とは、それ以来、何もありませんでした。



ちなみに、私が、初めて女性と交際したのは、中学2年生の後半(14歳の時)で、相手は地元の同じ中学校に通っていた同学年(同い年)の女の子で、それまで、「目と目で通じあう」(工藤静香の歌とは全く関係ないですw まあ、私が初めて女性と交際し始めた時期と似たような年のヒット曲ではありますがw)と言った感じで、お互いに両想いであるのは分かっていて、私が誘った初めてのデートの際に、私が、「付き合っちゃおうか!」と言い、相手が、それに対して快諾した事で、交際がスタートしました。

以下、参考の投稿。

私の初体験話→
/jp/board/exc_board_50/view/id/2522219/page/2?&sfl=membername&stx=jlemon




前述のように、私は、若い頃、所謂、典型的な不良とは、むしろ、女性との絡みが多かったのですが、別な意味での、悪い友人(悪い友人達)との付き合いは、中学生の頃からあり、既に、中学生の頃から、渋谷での、ディスコ・クラブでの夜遊びの、デビューを果たしていました(本格的に、club(nightclub)等で、よく、夜遊びするのは高校生になってからでしたが。。。)。

以下の話は、私が中学3年生の夏休みの(私が14歳の時の)、ある週末(以下、その日と書きます)の話です。ちなみに、私は、当時、既に、当時交際していた、初めての交際相手である当時地元の同じ中学校に通っていた同学年(同い年)の女の子と童貞・処女を失っていました(中学校3年生になってからの話ですが、二人共、14歳の時)。ちなみに、私は、中学1年生の終わりから、中学校2年生の前半頃にかけて、身長が、急激に伸び、14歳の頃には、身長は、十分に、大人の身長(174cm位)になっていました。ちなみに、それからは、身長はあまり伸びずに、結局、身長は、19歳から20歳位の頃に、176cmから177cm位(現在の身長)で止まりました(やはり、高校の頃の、不摂生(club(nightclub)等で、たくさん夜遊び)が、いけなかったのかな。。。)。

その日は、私と同い年の、悪友(悪い友達。以下、その友達と書きます)と、二人で、渋谷のディスコに夜遊びに、繰り出しました。当初は、その日は、その友達も、その予定でしたが、私も(と言うか、私が、その友達の予定に合わせて)、夜遅くにはなりますが、ディスコで夜遊びをした後、家に帰る予定でいました。

その日、その友達と、ディスコで踊ったりしていると、背が高い(身長180cmから183cm位の)、ハンサムな、大人の男性(おそらく、当時30代の初め位であったと思います)に、話しかけられました。その男性は、私達に、お酒を、奢ってくれて、私達は、その男性と、(まあ、その日、その男性とは初対面であったのですが、夜遊びの大先輩から、色々と学びたい気持ちもあって)、上機嫌に会話しました。その内、友達が帰らなければいけない時間になって、私も、一緒に帰る事にしたのですが、3人でディスコを出た際に、その男性が、あからさまに、私に対して、ディスコの入場料や飲み物代は心配しないで良く、すべて、奢るので、場所を移動して、違うディスコに行かないかと言って来ました。何れにしても、その友達(私の友達)は、どうしても、その日、家に帰らなければならなかったのですが、私は、元々、その日、友達が良ければ、親に友達の家に泊まると言って家を出て来て、オールする(一晩中遊ぶ)覚悟でいたので、「ちょっと家に電話をして見て大丈夫なら行きます」と、その男性に言いました。

私は家に電話し、「今日、友達の家に泊まる事になった」と母に言い、友達と別れ、その男性と二人で、別のディスコに移動しました。

その男性は、当時、渋谷で顔がきく男性だったらしく、そのディスコ(移動した別のディスコ)では、私を連れて、顔パスで入り(たぶん、その男性は、最初のディスコも顔パスだったのではないでしょうか?)、そのディスコの、VIP席に座りました。

そのVIP席では、その男性と、私と、その男性の知りあいの、3人の、綺麗な(美人の)、20代の初め位の、お姉さん(女性)達で、お酒を飲んで、おつまみを食べて、酒に酔って、大騒ぎをしました。

私が、その3人の、酒に酔った、綺麗な(美人の)、お姉さん(女性)達に、遊ばれていたと言う面もあると思いますが、その、お姉さん(女性)達と、ディープキスをしたり、その、お姉さん(女性)達の、胸や尻等の体を触らせてもらったり、当時の14歳の少年の私にとっては、ある意味、夢のような時を、過ごしましたw

ディスコで、そのように過ごしている中、3人の、お姉さん(女性)達が踊りに行ってしまい、私と、その男性と、二人切りになった時に、その男性は、私に、「AVを見た事があるか?」と聞いて来ました。私は、その時、既に、友達の家で、(モザイクのある)AVは見た事があったので、「はい」と答えました。そうしたら、その男性は、「モザイクのあるやつか?」と言って来ました。私は、「はい」と答えると、「家に、モザイクのないAVがあるので、家に見に来て、今日は、家に泊まらないか? 家は、すぐ近くだよ」と言いました。私は、モザイクのないAVに興味があったので、「はい」と答えました。

私と、その男性は、3人の、お姉さん(女性)達に、さよならをし、ディスコを出て、タクシーで、その男性の暮らす、広尾の、高級マンションに行きました。

男性のマンションでは、私は、その男性と、食べ物を食べたりしながら、モザイクのないAV(所謂、裏ビデオ)を鑑賞しましたw  まあ、私は、初めて見るので、興味深かったですw  その後は、お風呂を利用させてくれたり、新品の歯ブラシを出してくれたり、寝間着替わりに、男性の、Tシャツと短パンを貸してくれたり、至れり尽くせりでした。

そうして、明け方に、寝る事になったのですが、男性のマンションには、とても大きなベッドが一つしかなく、私は、そのベッドで、その男性と一緒に寝る事になりました。まあ、私は、その時は、男性同士の性的な関係等、想像もつかなかったので、とても大きなベッドでしたし、その男性と二人で寝る事に、別に、違和感は、感じませんでした。

そうして、寝はじめて、しばらく経った頃、その男性は、マッサージにこっているんで、マッサージをしてやろうかと言って、私の、足や、太もも等を撫で始めました。私は、急に、違和感と恐怖を感じ、体が、硬直してしまいました。

その内、その男性は、私の履いていた短パンと、パンツ(下着)をおろし、私の、大事な場所を、舐め始め、フ○ラ○オを始めました。私は、頭の中が、真っ白になってしまうと共に、もし、ここで渋谷で顔がきく人に抵抗したら、これから先、渋谷で、夜遊びする事は出来なくなるかもと言う思いもめぐったりして、さらに、まだ14歳で、あまり物事も、よく考えられず、抵抗は出来ませんでした。

そうして、その男性は、かなり長い時間(少なくとも、私は、その時、そう感じました)、私の、大事な所を、フ○ラ○オした後、その男性は、「大きくはなるんだけど駄目だね。でも、カリが、大きいんで、女は喜ぶぞ」と言い(そのセリフは割と明瞭に憶えています。私は、ホモではないのだから、男性に舐められても、駄目に決まっているじゃないか!と言う感じですがw)、フ○ラ○オを止め、今度は、私の手を、その男性の大事な所に導き、その男性の大事な所を、私にしごかせ、又、私に、乳首を舐めろと命令し、抵抗が出来なかった14歳の私は、男性の言う通りにしたのですが、自分のは、もちろんw、自慰でしごいた事がありましたが、人のをしごくのは、もちろん初めてであったし、とにかく、気が動転してしまっていたので、力の加減が分からずに、最後は、激し過ぎる位、しごく事になり、その男性が、「痛てて(痛い)」と言い、私の手をどけて、終わりとなりました。たぶん、その時、その男性は、行かなかったと思います(私は、何しろ気が動転していたし、又、そんな事、確認もしたくなかったのですが、たぶん。。)。

その後は、寝る事になったのですが(寝ると言っても、睡眠ですw)、私は、気が動転していたし、又、また何をされるのか怖くて、寝たのか寝ないのか分からなかったのですが、幸いな事に、その男性は、その後、バスルームに行って、しばらくして戻って来た後(もしかしたら、バスルームでは、行けなかった処理を、自分でして来たのかもしれません)、その男性は、普通に寝て、何もして来ませんでした。

翌日、起きた後、その男性は何事もなかったように、午後3時頃、私を、渋谷駅まで、男性の自動車(確かBMWだったと思います)で、丁寧に、送って、降ろしました。

私が、人生の内で、男性と、性的な、接触を持ったのは、後にも、先にも、この時、一度だけです。

ちなみに、以降、私が、渋谷で、夜遊びしている時に、その男性と、遭遇する事が、何度かあったのですが、幸いな事に、その際は、お互いに軽く会釈したり、目で挨拶する位で、その男性は、私に、話しかけて来ませんでしたし、何も、起こりませんでした。

幸いな事に、この事は、私にトラウマとなる程の記憶にはなりませんでしたが、引っかかりのある(違和感のある)、記憶として、強く、印象には残っています。

この様な、体験は、もしかしたら、過激な体験であるのかもしれません。しかし、あくまで、私の推測なので、間違っていたら申し訳ありませんが、ジャニーズ事務所の社長の、ジャニさんは、ホモであるようですし、もしかしたら、現在、活躍している、ジャニーズの男性達も、少年の頃、これ位の経験(ジャニさんに、これ位の事はされた経験)はあるのかもしれませんw
ジャニーズのファンの皆さん、申し訳ありません。あくまで、私の、個人的な、推測です。



友人エピソード集2へ続く。

友人エピソード集2は以下です。

友人エピソード集2→

/jp/board/exc_board_11/view/id/2696383?&sfl=membername&stx=jlemon



친구 에피소드집 1



지금까지 kj로 써 온, 나의 남자의 친구에 관한 에피소드가 모아의 투고입니다.이 투고(친구 에피소드집시리즈)로 쓰는(이 투고(친구 에피소드집시리즈)에 등장한다), 남자의 친구는, 각각, 다른 친구입니다.



도쿄도심부의 서부의 조용하고 침착한 주택지에 있는, 우리 집의 부근의, 나의 친가는, 원래, 나의 외가의 조부모의 집에서(덧붙여서 어머니는, 독자입니다), 현재는, 부모님이 계승하며 살고 있습니다.이미, 외가의 조부모 모두, 죽습니다.

나에게는, 형제 자매는, 2세 연하의 남동생이 한 명 있습니다.나의 남동생은, 외자계의 회사원으로, 이미, 결혼을 해, ( 아직, 두 명모두, 어립니다만) 아이가 2명 있어(사내 아이(위)가 1명으로 여자 아이(아래)가 1명.여자 아이는, 재작년, 태어났던 바로 직후), 남동생의 가족(아내·아이)과 함께, 도쿄의 서부 교외의, 조용하고 침착한 주택지에 산, 독립주택에, 살고 있습니다.


나의 남동생에 관해서는, 이하의 투고를 참조해 주세요.

나와 남동생 1 →
/jp/board/exc_board_8/view/id/2694414?&sfl=membername&stx=jlemon
나와 남동생 2 →
/jp/board/exc_board_8/view/id/2694200?&sfl=membername&stx=jlemon

이하, 최근 레스로 쓴, 나의 유치원 시대의 에피소드보다...

유치원의 무렵, 야쿠자의 아들과 친구끼리, 둘이서, 함께, 잘 놀고 있었던 w(서로의 엄마끼리가, 마마친구로(친구끼리) 사이 좋았다고 하는 w).아, 그리고, 이탈리아인과의 하프의 사내 아이가, 유치원의 여자 인기의 라이벌이었습니다(뭐, 내가 이겼지만 w).

아, 앞으로 유치원 당시 , 공룡에 매우 흥미가 있어, 유치원아 기준으로 공룡에 매우 자세했기 때문에, 남자들에게서는 공룡 박사라고도 불리고 있었던 w투고 보고, 일순간, 유치원만한 무렵의 일은, 별로 기억하지 않을까라고 생각했습니다만, 다시 생각해 보면, 의외로, 잘 기억하고 있는 것이군요 w



이하, 조금, 최근 레스로 쓴, 디즈니랜드에 관한 에피소드를 중심으로 한 것.

TDL는, 어릴 적부터, 몇번이나, 방문하고 있는 익숙한 것의 유원지입니다(어릴 적은 부모에게 데려서 가서 받고, 중학생 이후는 여성과 데이트로 가게 되었습니다).

어릴 적은, 물론, 정글 크루즈나 카리브의 해적도 정말 좋아했습니다 하지만, 컨트리 베어·잼버리, 치키룸이라고 한 수수함눈의 어트랙션도 좋아했습니다.

마크트웨인호는, 어릴 적부터 좋아하는 어트랙션의 하나입니다.황혼시를 타는 것도 좋네요(여성과의 데이트에서도 환영받습니다).

덧붙여서, 태어나 첫 TDL는, 나의 부, 나, (우리 집 및 우리 집의 부근의 친가의 부근에 살고 있던) 나와 동년대의 나의 외가의 또 사촌형제의, 3명이서 갔습니다.그 날은, 어릴 적의 일이므로, 이유는 기억하고 있지 않습니다만(비의 일기 예보가 빗나갔을지도 모릅니다(그 날은, 하루, 흐림이었던 기억이 있어요)), 함부로 비어 빈 곳에서, 하루로, 어트랙션의 거의 모두를 제패해 버린 기억이 있어요.나의 기념해야 할 w, 최초의 TDL의 외식은, 그 날의 점심 식사로, 헝그리 베어·레스토랑의 카레였습니다.

덧붙여서, 그 또 사촌형제와는, 초등 학생의 무렵까지는, 서로의 친가를 왕래하고, 함께 잘 놀고 있었습니다만, 두 명모두, 현지의 같은 공립의 초등학교를 졸업한 후, 현지의 같은 공립의 중학에 진학했습니다만, 중학 이후는, 체라체라 한 나와 완전히 정반대의, 성실한 공부벌레 군의 또 사촌형제란, 서로 함께 노는 친구도 입지 않고 , 기본적으로 함께 놀지 않게 되었던 w

또 사촌형제는, 우수한 공립의 고등학교를 졸업한 후, 도쿄의 서부 교외의 국립의 대학을 졸업해, 회사원으로, 이미, 결혼을 해, 아이가 있어 근처의 구에 산, 독립주택에서, 자신의 가족과 함께 살고 있습니다(또 사촌형제(룩스는, 옛부터 안경을 써 공부벌레 군으로 보이지만, 옛부터 상쾌한 느낌으로 나쁘지는 않습니다)는, 옛부터, 성실하고, 견실.고교시절에 교제하고 있던, 여자 아이는 한 명만으로, 같은 학교내의 여자 아이.대학시절에 교제하는 여성도, 아마 모두 같은 대학내 또는 대학시절의 써클내에서 찾아내 체라체라 한 면은 전혀 없고(학생시절·사회인의 독신 시대에, 미팅도, 거의하지 않았다(참가하지 않았다) 것은 아닐까요), 사내 결혼입니다(또 사촌형제의, 부인은, 또 사촌형제와 동년대로, 보수적이고, 벙어리와 태워느낌으로, 그저 예쁜 분입니다).또 사촌형제는, 회사원으로서 일은 할 수 있는 님입니다).덧붙여서, 꼭 좋지만, 나의 2세 연하의 남동생(학생시절·젊은 무렵 서핑(surfing)만 하고 있었던 w)도, 이미, 결혼을 해, ( 아직 어립니다만) 아이가 있습니다만(도쿄의 서부 교외(가끔입니다만, 나의/`A 또 사촌형제가 졸업한 대학과 같은 시 w)에 산, 독립주택에, 자신의 가족과 함께 살고 있습니다), 나의 남동생의, 부인(아내)은, 나의 남동생보다, 꽤 연하입니다 w

나의 외가의 친척에 관해서는, 이하의 투고를 참조해 주세요.

보브의 회화 교실→
/jp/board/exc_board_8/view/id/2610488/page/8?&sfl=membername&stx=jlemon

피터팬(어트랙션)도, 어릴 적, 좋아했던.

초등학교 저학년의 무렵은, 아버지의 일의 관계로 로스에 살고 있었습니다만, 원조 디즈니랜드에 부모에게 데려서 가서 받았습니다.당시 , 나와 나의 2세 연하의 남동생은, 원조 디즈니랜드에서 부모에게 사 받은, 데이비크로켓트의 모자와 카리브의 해적의 장난감의 총으로, 잘 놀고 있었습니다.당시의, (데이비크로켓트의 모자는 지금은 조금 어떨까 모릅니다만) 카리브의 해적의 장난감의 총은, 도쿄의 우리 집의 부근의 친가에 아직 있다라고 생각합니다(본격적인 목제로, 꽤 부피가 커지는 것입니다 w).



나는, 어릴 적, 박물관을 좋아하고, 도쿄 국립 과학박물관이나, 교통 박물관, 과학기술관에, 자주 갔던(어릴 때는, 부모에게 데려서 가 주었습니다만, 초등학교 4 학년무렵부터는, 같은 흥미를 가지는 친구(들)와 초등 학생만으로, 가는 것처럼 되었습니다.중학생이 되고 나서는, 거의 가지 않게 되었습니다만...).나는, 어릴 적, 공룡에, 매우 흥미가 있었으므로, 몫, 국립 과학박물관의, 공룡에 관한 전시는, 인상에 남아 있습니다(덧붙여서, 이전에는, 본관(현재의 일본관)의 1층의, 한 때의 현관을 들어가 우측이, 공룡에 관한 전시실이 되고 있었습니다).



나는, 초등학교의 중학년의 무렵, 당시 , 같은 클래스에서 만났습니다만, 클래스라고 말하는지, 학년의, 녀석 대장적인 사내 아이와 친구였습니다.이렇게 말하는지, 그 녀석 대장인 사내 아이가, 함부로 나와 친구가 되고 싶었던 것 같아서, 나에게, 친구가 되어 줘아우라 전개로, 재촉해 오고, 강제적으로, 친구로 되어 버렸다고 한 느낌이었습니다 w 덧붙여서, 나는 고등학교의 무렵은 학교에서 자신의 신변에 이지메는 없었습니다만, 초등학교·중학교의 무렵은, 클래스에서 괴롭힘을 당하고 있는 아이를, 뭐시에는 폭력에 호소해 버리는 일도 있었습니다만, 집단 괴롭힘자로부터 돕는(해방 해 준다) 일은, 자신있었고, 자신의 신변에, 이지메를 받고 있는 아이가 있으면 놓치지 못하고에 따르고라고 왔고, 초등학교·중학·고등학교의 무렵은, 클래스에, 클래스의 남자들을 닫으려고 하는, 불쾌한 남자가 있었을 경우는, 내가, 때리거나 의욕손을 물리거나 하면, 이후, 나에게는 간섭하지 않게 된 것입니다만, 그 사내 아이는, 일단, 약한 사람 이지메와 같은 일은 하지 않아 했고, 클래스등의, 남자, 전원을, 닫으려고 하는 타입의, 녀석 대장이기도 하지 않았습니다.

나의 거리의, 우리 집으로부터 멀어진 장소에, 어린이용의, 님 들인 잡다한 것·과자를 포함한, 여러가지, 잡다한 것을 팔고 있던 문구점이 있었습니다만, 있다 방과후, 나와 그 녀석 대장인 사내 아이와 그 녀석 대장의 둘러쌈의 부하의 남자들로 놀고 있던 곳, 그 녀석 대장인 사내 아이에게 명할 수 있고, 그 녀석 대장의 둘러쌈의 부하의 남자들이, 그 문구점의 매장에 놓여져 있던, 과자를, 대낮, 당당히, 각각, 상자마다라고 한 느낌으로, 대량으로, 도둑해 왔던 w 그 녀석 대장인 사내 아이는, 도둑을 하고 온, 그 녀석 대장의 둘러쌈의 부하의 남자들에게, 포상으로, 도둑해 온, 과자중에서, 조금씩 주고, 나머지를(전체의 대부분을), 나와 둘이서, 절반 했습니다.나는, 아직, 초등학교의 중학년으로, 선악의 판단이, 그렇게, 엄격하게는 붙지 않고, 꺼림칙한 기분·나쁜 일을 하고 있는 기분은 있었지만, 뭐, 좋을까라고 한 느낌으로, 나누어 받은, 과자를, 한 번에, 집에 가지고 돌아갈 수 없었기 때문에, 몇회인가로 나누고, 집에 가지고 돌아가, 그것을, 나의 2세 연하의 남동생과(엄마라고 아버지에게는, 비밀이군요라고 한 느낌에 남동생에게 말하고), 절반 해, 나와 남동생은, 집(친가)의, 각각의 방에, 과자를 숨겨, 조금씩 먹고 있었던 w

그렇지만, 그런 대낮 당당한, 대량의, 도둑이 들키지 않을 리가 없고 w, 목격자가 있고, 곧바로 들키고, 아마 학교에 통보되어 학교안의, 문제로 여겨져 아마 PTA에서도, 다루어졌습니다.

기억이 애매합니다만, 아마, 나는, 어머니가 (듣)묻고, 이것은, 정직하게 말하지 않을 수 없다고 생각했겠지요.나는 어머니에게 정직하게, 이야기했습니다.이 나의 자수에 의해, 당연, 나는, 이 대량 도둑의 범인의 한 명으로서 확정했습니다.또, 나 이외의, 그 대량 도둑 관계자의 남자 전원도, 자수·그 외에 의해, 각각의, 부모에게, 그 일이 들켜 버렸습니다.

그래서, 그 대량 도둑 관계자인, 그 녀석 대장인 사내 아이, 그 녀석 대장의 둘러쌈의 부하의 남자들, 나와 각각의 모친(물론, 나의 어머니를 포함한다)이, 전원이, 도둑의 피해 상당액의 돈이나 사과의 물건인가 어느 쪽인지를 가지고(어느 쪽인지 기억이 애매합니다), 그 문구점에, 사과를 하러 간 일로, 그 도둑 사건은, 해결했습니다.

그리고, 어머니와 함께, ?`후 문구점에, 사죄하러 가서, 집에 돌아온 후, 당연, 나는, 어머니에게, 설교하셨습니다.

나의 아버지도, 나의 어머니도, 옛부터, 아이를 꾸짖는·설교할 때는, 감정에 맡기고, 고함치거나 하는 것이 아니라, 이치따지기로 가르쳐 설득하는 꾸짖는 방법을 하는 주의입니다.나도 나의 남동생도, 부친에게도, 모친에게도, 한번도, 큰 소리로, 꾸중들은 것 같은 일은 없습니다.

나의 어머니는, 기억이 애매합니다만, 아마, 문구점의 가족은, 물건을 판매하는 일에 의해서 생활을 하고 있으니까, 그 물건을 훔치는 일은, 그 문구점의 가족의 생활의 수단을 빼앗는 일이며, 그 문구점의 가족을 슬퍼하게 하는 나쁜 일이다고 한 내용의 일을, 나에게 말을 들려 주었습니다.나도, 어머니가 말하는 대로라고 생각해 납득했습니다만...

나의 어머니는, 나의 외가의 조모(이미 죽습니다)와 함께, 나의 외가의 조부(이미 죽습니다)의, 성실한 점·성실한 점·정직한 점·수에 대해서도, 좀처럼 화내지 않는 성격이 온화한 신사인 점등을 칭찬하고 있었습니다만, 나의 어머니는, 그 님, 외가의 조부아래로 자란, 독자(외동딸)입니다.

나의 어머니는, 대량 도둑에 관계했다고 말하는, 나의 일에 대해서, 그 문구점에, 나와 함께, 사과?`노 갔다고 하는 것이, 상당, 분했다, 상당, 프라이드가 다쳤겠지요.

나의 어머니는, 그 일(그 때, 내가, 대량 도둑에 관계했다고 말하는 일에 대해서), 대충, 나에게 설교를 한 후, 마지막으로, 눈에 눈물을 한 잔 모으고, 나의 눈을, 가만히 응시하고, 나에게, 「엄마의 일, 좋아?」라고 (들)물었습니다.내가, 「응」이라고 하면, 어머니는, 「엄마는, 이 일로, 한 잔, 다쳤어.엄마의 일, 좋아하면, 엄마의 일을, 더이상 손상시키지 않고」라고 하면, 포로리와 굵은 눈물을 떨어뜨린다고 할까 뺨에 흘렸습니다.나는, 그것을 보고, 울음은 하지 않았습니다만, 무심코 울 것 같게 되어, 「응, 더이상 하지 않아」라고 하는 것이 힘껏이었습니다.

나는, 그 때, 어머니의, 이치따지기의, 설교도, 그 대로라고 생각했습니다만, 그것보다, 무엇보다도, 그 때의, 마지막, 어머니의 눈물과 대사가, 어린 생각에도, 강한 임펙트를 남겼습니다.내가, 인생중에서, 도둑을 한 것은, 후에도, 먼저도, 이 때, 한 번 뿐입니다(뭐, 이 때도, 내가, 직접, 도둑을 지시하거나 직접, 도둑한 것은 아닙니다만 w).덧붙여서, 나의 남동생은, 태어나고 나서 한번도, 도둑을 한 일이 없다고 생각합니다.


나의 어릴 적에 관해서는, 위에서 링크를 붙인, 「 나와 남동생 1」을 참조해 주세요.


나는, 회사원의 아버지의 일의 관계로, 초등학교 저학년때의 약 2년간(당시 , 일본의 애니메이션등은 조모가 나를 위해 콩(물집)에 비디오에 녹화해 주었던 w), 중학 1년과 2년간의 약 1년간, 미국에 살고 있어(초등 학생의 무렵은 L.A., 중학의 무렵은, 샌프란시스코), 휴일에, 현지에서 부모에게 여러가지 놀이에 데려서 가서 받거나 좋은(즐겁다) 추억으로서 남아 있습니다.

나는, 친가가 우리 집의 부근에 있어, 나의 거리(도쿄도심부의 서부의 조용하고 침착한 주택지)에서, 태어나 자랐습니다.

나의 거리의 신사(shrine)의 가을 축제(가을에 행해지는 축제)는, ( 나도, 그랬습니다만), 일반적으로, 어릴 적, 초등학교 저학년무렵까지는, 부모에게 데려서 가서 받습니다만, 초등학교 중학 년경부터는, 친구끼리가기 시작합니다.

또, 중학생이 되면, ( 나도, 그랬습니다만), 계속해, 친구끼리, 나의 거리의 신사(shrine)의 가을 축제(가을에 행해지는 축제)에 놀러 감과 동시에, 대체로, 사이가 좋은, 여자 아이, 또는, 교제하고 있는 여자 아이와 둘이서, 데이트(date)에서도, 나의 거리의 신사(shrine)의 가을 축제(가을에 행해지는 축제)에 가는 것처럼 됩니다.

일본에서는, 중학생의 경우(뭐, 놀고 있는(club로, 밤놀이등 하고 있다) 고교생(고교시절의 나도 포함한 w) 이외는, 고교생의 경우도 그렇습니다만), (데이트(date) 하는 위) 사이가 좋아지는 여자 아이, 또는, 교제하는 여자 아이는, 대체로, 동급생의(같은 학교에서, 같은 class의) 여자의 아이, 또는, 같은 학교에 다니는 여자 아이이므로, 중학생의 경(덧붙여서, 나는, 현지의, 나의 어머니도 졸업한, 공립의 중학교(시부야(shibuya) 구가 운영하는 공립의 중학교의 하나)를 졸업하고 있습니다), 데이트(date)로, 나의 거리의 신사(shrine)의 가을 축제(가을에 행해지는 축제)에 가, 동급생(같은 학교에서, 같은 class의 사람들), 또는, 같은 학교에 다니는, 친구·아는 사람등을 만나면(원래, 현지의 신사(shrine)이므로, 초등 학생·중학생의 무렵, 가을 축제(가을에 행해지는 축제)에, 놀러 가면, 동급생(같은 학교에서, 같은 class의 사람들), 또는, 같은 학교에 다니는, 친구·아는 사람등을 만나 밤입니다 w(빈번히 만납니다)), 서로, 맵거나, 조롱당하거나 그것은, 대단한 것이었습니다 w(그것은, 그래서, 사춘기에 있어서의, 좋은(즐겁다) 추억이 되고 있습니다 w).

중학생때, 처음으로, 유카타(yukata)를 입은 여자 아이와 나의 거리의(상술한 대로, 친가는 우리 집의 부근에서, 나는, 나의 거리에서 태어나 자랐습니다), 신사(shrine)의 가을 축제(가을에 행해지는 축제.매년 9월에 행해집니다)에, 데이트로(둘이서로) 갔을 때, 무엇인가, 남자로서 일단층, 어른이 될 수 있던 것 같은(성장 할 수 있던 것 같은) 기분이 되었던 w

덧붙여서, 유카타(yukata)의 여성과 데이트 할 때는, 평상시의 데이트에 비해, 보다 한층, 여성에 대해서, 콩(물집)에 배려를 하는(여성에게, 세세한 배려를 실시하는 일도 포함한다) 일이 필요합니다.예를 들면, 데이트 시에는, 여성이 걷는 속도에 맞추어 걸을 필요가 있어요가, 여성은, 유카타(yukata)를 입으면, 평상시보다, 걷는 속도가 늦어지는 일에 특히 유의하는 일등입니다.유카타(yukata)는, 현대(양복)의 가벼운 하복에 비하면, 역시, 다양하게 대단한 면이 있다 복장입니다.남성은, 여성이, 유카타(yukata)를 입는 일에 의해서, 양복에 비해, 물리적·심리적으로 대단한 점을, 아무렇지도 않게, 스마트하게, 가능한 한 커버 해 주는 것이 필요합니다.모처럼, 여성이, 멋을 부리고, 유카타(yukata)로 와 주고 있으니까, 남성은, 그것위의 일을 해 당연합니다.

덧붙여서, 데이트에 대하고, 여성에 대해서, 콩(물집)에 배려를 하는(여성에게, 세세한 배려를 실시하는 일도 포함한다) 일은, 되어있어 당연이라고 한 것으로(그렇게 어렵게 생각할 필요는 없다고 생각합니다.나는, 성격에, 천연으로, 세세한 일은 신경쓰지 않는, 대략적인 면이 있어요가 w(덧붙여서, 나의 지금의 그녀도 성격에 동일한 면이 있어요), 응?`네 나조차, 옛부터(젊은 무렵부터), 자연스럽게(자연체로 스마트하게), 되어있으니까), 정말로 소중한 것은, 그 남성 자신의 매력이라고 생각합니다.거기에 관계해서는(자기 자신의 매력이라고 하는 점에 관해서는), 나의, 자기 평가로서 아직 수행중( 아직 발전의 여지는 많이 있어)이라고 한 느낌입니다.

덧붙여서, 나는 14세 때(중학 2 학년의 후반때), 여성과 교제하기 시작했습니다만, 스스로 말하는 것도 무엇입니다만, 사내 아이가 빠른 시기부터, 제대로 여자 아이와 교제한다고 말하는 것은, 사내 아이의 정신적인 자립이나 자기중심적이 아니고 타인을 배려하는 마음 기른다, 빨리 정신적으로 어른이 된다고 한 교육면에 있어도 좋은 일이라고 생각합니다.




나는, 고교시절( 나의 고교생활은), 상쾌한 면도, 어느A 일은 있었습니다만, 소박하고, 상쾌한 청춘이라고 말하는 것보다는, 어느 쪽일까하고 말하면, (당시 , 당시의 나와 같은 정도, 정도가 낮았던 w, 친구들과 함께), club(nightclub) 등으로, 자주(잘), 밤놀이하거나( 나는, 보통, 남녀공학의 고교에 다니고 있고, 학교내의, 여자 아이들과도, 사이좋게 지내고 있었습니다만), 자주(잘), 다른 고교에 다니는, 여자 아이들등과 미팅(친구나 알게 되어 등의 소개에 의한, 남녀가, 알게 되기 때문에(위해)의, 선술집등으로의, 회식이나 식사회.일본에서는, 대학생등의 학생위의 연령(18세 정도)으로부터 20 대위의 연령의 젊은이의 사이로, 활발히 행해지고 있다) 하거나 하고, 또, 여기에서는 쓸 수 없는 듯한 것을 하거나 하고(사람을 상처 입히는 일이 아닙니다), 어느 쪽일까하고 말하면, 도시의, 난폭한(솔직하게 말해 버리면, 상쾌라고 말하는 것보다도, 어느 쪽일까하고 말하면, 추잡하고, 타락 하고, 바보 같다(바보와 같은)) 고교생활을 보내고 있었던 w(뭐, 그것은, 그래서, 즐거웠다).

덧붙여서, 나도, 당시 , 나와 함께 놀고 있던, 나쁜 친구들(친구들)도, 학교의 선생님의 앞에서는, 우등생으로(솔직하고, 예의 바르고, 일반적으로는, 학교내에 있어서는, 학교의 규칙을, 제대로 지키는 학생으로), 부모의 앞에서도, 일반적으로는, 반항기라고 말하는 것은 존재하지 않는 정도, 좋은 아이(좋은, 아이)였습니다 w  또, 나에게는 2세 연하의 남동생이 있습니다만, 나의 남동생은, (젊은 무렵, 서핑(surfing)이나, 스케이트보드(skateboarding), 스노보드(snowboarding)를, 자주(잘), 하고 있고, 그렇게 말하는 면(운동이라고 한 면)에 관해서는, 나보다 활발했습니다만), 나에 비하면, 꽤 성실했습니다.

나의 어머니는, 대학은 영미 문학과를 나와 있습니다만, 그것은 별로 관계가 없고, 양화를 아주 좋아했다고 말하는 것이 있다 의 것인지, 영어를 아주 좋아하고, 녀판, 고바야시 카츠야?이렇게 말한 느낌으로(물론 외모는, 고바야시 카츠야와 완전히, 다릅니다. 나의 어머니는, 특히 지금보다 젊은 무렵은, 연령보다 꽤 젊게 보인 일도 있고, 지금보다 젊은 무렵, 외모가 늙고 나서의 YOU(탤런트.원FAIRCHILD)를 닮아 있다고 말해지고 있었던 w), 유학 경험은 없어도, 독학으로, 영어는, 옛부터 발음도 잘 유창하게 이야기할 수 있었고(지금도 괜찮겠지요(그렇게 영어는 잊지 않을 것입니다)), 아버지도, 유학 경험은 없습니다만, 일로 사용하는 관계로, 옛부터 영어는 할 수 있습니다(발음은, 별로 능숙하지는 않습니다가 w).

나의 아버지와 어머니가 알게 된 계기는, 두 명모두, 아직 사회인이 되고 나서 얼마 되지 않은 무렵, 영검의 준비 학교에서(어머니는 영검 1급 가지고 있습니다.아버지는 영검 1급은 좌절 했던 w), 어머니가 교실에 다니는 첫날에, 교실에 들어갔을 때에, 이미 착석 하고 있던(그 때 첫 대면의) 아버지의 얼굴을 보고, 비비빅이라고 한(한 눈 반한) 나의 어머니가, 순간의 판단으로, (아무렇지도 않게인가 무리한가 모릅니다만 w) 아버지의 이웃의 자리에 앉아, 교과서를 잊은 체를 하고, 아버지에게 보이게 해 받은 일입니다 w 덧붙여서, 나는, 얼굴은, 어머니보다, 아버지를 닮아 있어 나의 남동생은, 아버지와 어머니, 양쪽 모두를 닮아 있다고도 말할 수 있고, 아버지와 어머니, 어느 쪽에도 닮지 않다고 말할 수 있는 얼굴입니다.어머니는, 대학졸업 후, 회사원의 아버지와 결혼하기 전은, OL로서 일하고 있었습니다만, 아버지와 결혼하고 나서는, 주부가 되었습니다.

이하, 참고.나의 부모님에게 관련하는 이야기.

긴자의 호스테스→

/jp/board/exc_board_8/view/id/2686292/page/2?&sfl=membername&stx=jlemon



나의 부모는, 자유방임 주의적인 면이 있어, 나의 어머니는, 내가, 중학생·고교생 시대, 밤놀이를 할 때에, 친구의 집에 묵어 오는 등이라고 말하면, 깊게 잔소리해 , 어머니 자체가, 체라체라 하고 있는 면이 있어, 사내 아이는, 있다 정도, 노는 것이 좋은·응석 하는 것이 좋은 정도에, 생각한 마디가 있어 w, 그렇게 말하는 의미에서는, 있다 의미, 하기 쉬웠습니다 w( 나는, 놀기 쉬웠습니다 w).



나는, 젊은 무렵, 그 나름대로 위험한 것은 했습니다만, 다행스럽게, 노상등에서, 사람에게 공격받을 것 같게 된 일은 없고, 나는, 싸움에 관한, 무용전등은, 전혀 없습니다 w

나는, 중학 1 학년때에, 현지의 같은 중학교에 다니는, 당시 , 중학 3 학년의, 스케반(불량의 여성)의, 두목에게, 고백되었다(그 두목과 그 두목의, 부하 또는 친구의, 같은 중학교에 다니는 불량의 중학교 3 학년의 여자 중학생의, 둘이서, 중학교의 통학로에서, 매복해 되어 그 두목에게 고백되었다)가에 시작하고, 나는, 젊은 무렵, 소위, 전형적인 불량이란, 오히려, 여성과의 관련이 많았습니다 w

나는 초등 학생의 찬`모헤, 고학년이 되어도, 아직 성욕에는 눈을 뜨지 않았습니다만, 초등학교 중학 년경부터, 이성에게 눈을 뜨고 있는 부분은 있었습니다.

나는, 초등 학생의 무렵은, 같은 초등학교에 다닌다, 같은 class의 여자 아이· 동학년의 여자 아이와 같은, 동년대의, 아이의 여자 아이들에게는 흥미는 보이지 않고, 초등학교의 중학년부터 고학년무렵(특히, 초등학교의 고학년무렵), 초등 학생의 무렵의 내가 보면, 충분히, 어른으로 보이는, 여성, 연예인의 일을 좋아했습니다.

이하, 참고의 투고.

80년대의 음악의 추억 전편 →

/jp/board/exc_board_8/view/id/2636409/page/4?&sfl=membername&stx=jlemon

80년대의 음악의 추억 후편 →

/jp/board/exc_board_8/view/id/2636407/page/5?&sfl=membername&stx=jlemon



그렇지만, 나는, 중학 1 학년때, 그, 당시 , 중학 3 학년의 스케반(여성의 불량)의 두목(미인으로, 키가 큰, 여배우·모델계의 외모의 여성이었습니다)에게 고백되었을 때에, 나는, 그 님연상의 여성에게, 고백되는, 마음의 준비가 되어있지 않고, 또, 아직, 너무 사물을, 잘 생각할 수 없는 년경이었다고 하는 것도 있어, 순간에, 어째서 좋은지, 완전히, 알지 못하고, 「지금은, 조금 교제할 수가 없습니다」라고 거절했습니다.그, 스케반(여성의 불량)의 두목이란, 그 이후로, 아무것도 없었습니다.



덧붙여서, 내가, 처음으로 여성과 교제한 것은, 중학 2 학년의 후반(14세 때)으로, 상대는 현지의 같은 중학교에 다니고 있던 동학년(동갑)의 여자 아이로, 그것까지, 「눈과 눈으로 서로 통한다 」(쿠도 시즈카의 노래와는 완전히 관계없습니다 w 뭐, 내가 처음으로 여성과 교제하기 시작했던 시기와 닮은 것 같은 해의 히트곡입니다만 w)라고 한 느낌으로, 서로 양구상인 것은 알고 있고, 내가 부른 첫 데이트 시에, 내가, 「교제해 버리자인가!」라고 해, 상대가, 그에 대한 쾌락한 일로, 교제가 스타트했습니다.

이하, 참고의 투고.

나의 첫체험이야기→
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전술과 같이, 나는, 젊은 무렵, 소위, 전형적인 불량이란, 오히려, 여성과의 관련이 많았습니다만, 별도인 의미로의, 나쁜 친구(나쁜 친구들)와의 교제는, 중학생의 무렵부터 있어, 이미, 중학생의 무렵부터, 시부야에서의, 디스코·클럽으로의 밤놀이의, 데뷔를 이루어 있었던(본격적으로, club(nightclub) 등으로, 자주(잘), 밤놀이하는 것은 고교생이 되고 나서였지만...).

이하의 이야기는, 내가 중학 3 학년의 여름휴가(방학)의(내가 14세 때의), 있다 주말(이하, 그 날이라고 씁니다)의 이야기입니다.덧붙여서, 나는, 당시 , 이미, 당시 교제하고 있던, 첫 교제 상대인 당시 현지의 같은 중학교에 다니고 있던 동학년(동갑)의 여자 아이와 동정·처녀를 잃고 있었습니다(중학교 3 학년이 되고 나서의 이야기입니다만, 두 명모두, 14세 때).덧붙여서, 나는, 중학 1 학년의 마지막으로부터, 중학교 2 학년의 전반경에 걸치고, 신장이, 급격하게 성장해 14세의 무렵에는, 신장은, 충분히, 어른의 신장(174 cm위)이 되어 있었습니다.덧붙여서, 그리고는, 신장은 별로 성장하지 못하고 , 결국, 신장은/`A19나이부터 20세 정도의 무렵에, 176 cm에서 177 cm위(현재의 신장)로 멈추었던(역시, 고등학교의 무렵의, 불섭생(club(nightclub) 등으로, 많이 밤놀이)가, 안 되었던 것일까...).

그 날은, 나와 동갑의, 나쁜 친구(나쁜 친구.이하, 그 친구와 씁니다)와 둘이서, 시부야의 디스코에 밤놀이에, 계속 내보냈습니다.당초는, 그 날은, 그 친구도, 그 예정이었지만, 나도(라고 말하는지, 내가, 그 친구의 예정에 맞추고), 밤 늦게는 됩니다만, 디스코로 밤놀이를 한 후, 집에 돌아갈 예정으로 있었습니다.

그 날, 그 친구와 디스코로 춤추거나 하고 있으면, 키가 큰(신장 180 cm에서 183 cm위의), 핸섬한, 어른의 남성(아마, 당시 30대의 처음위였다고 생각합니다)에게, 말을 건넬 수 있었습니다.그 남성은, 저희들에게, 술을, 사치해 주고, 저희들은, 그 남성과(뭐, 그 날, 그 남성과는 첫 대면이었습니다만, 밤놀이의 대선배로부터, 다양하게 배우고 싶은 기분도 있고), 매우 기분이 좋게 회화했습니다.그 안, 친구가 돌아가지 않으면 안 된다 시간이 되고, 나도, 함께 돌아가는 일로 했습니다만, 3명이서 디스코를 나왔을 때에, 그 남성이, 명백하게, 나에 대해 (이)라고, 디스코의 입장료나 음료대는 걱정하지 않고 자주(잘), 모두, 사치하므로, 장소를 이동하고, 다른 디스코에 가지 않을까 말해 왔습니다.어느 쪽으로 해도, 그 친구( 나의 친구)는, 아무래도, 그 날, 집에 돌아가지 않으면 안 되었습니다만, 나는, 원래, 그 날, 친구가 좋다면, 부모에게 친구의 집에 묵는다고 하고 집을 나오고, 올 할(밤새 놀) 각오로 있었으므로, 「조금 집에 전화를 해 보고 괜찮으면 갑니다」라고, 그 남성에게 말했습니다.

나는 집에 전화해, 「오늘, 친구의 집에 묵는 일이 되었다」라고 어머니에게 말해, 친구와 헤어져 그 남성과 둘이서, 다른 디스코로 이동했습니다.

그 남성은, 당시 , 시부야에서 얼굴이 (듣)묻는 남성이라면 까는, 그 디스코(이동한 다른 디스코)에서는, 나를 동반하고, 얼굴 패스로 들어와(아마, 그 남성은, 최초의 디스코도 얼굴 패스(이)었던 것은 아닐까요?), 그 디스코의, VIP석에 앉았습니다.

그 VIP석에서는, 그 남성과 나와 그 남성의 아는사이의, 3명의, 깨끗한(미인의), 20대의 처음위의, 언니(누나)(여성) 들로, 술을 마시고, 안주를 먹고, 술에 취하고, 큰소란을 했습니다.

내가, 그 3명의, 술에 취한, 깨끗한(미인의), 언니(누나)(여성) 들에게, 농락 당하고 있었다고 하는 면도 있다고 생각합니다만, 그, 언니(누나)(여성) 들과 진한키스를 하거나 그, 언니(누나)(여성) 들의, 가슴이나 엉덩이등의 몸을 손대게 해 주거나 당시의 14세의 소년의 나에게 있어서는, 있다 의미, 꿈과 같은 때를, 보냈던 w

디스코로, 그처럼 보내고 있는 중, 3명의, 언니(누나)(여성) 들이 춤추러 가 버려, 나와 그 남성과 두 명 자르가 되었을 때에, 그 남성은, 나에게, 「AV를 본 일이 있다인가?」라고 (들)물어 왔습니다.나는, 그 때, 이미, 친구의 집에서, (모자이크가 있다) AV는 본 일이 있었으므로, 「네」라고 대답했습니다.그랬더니, 그 남성은, 「모자이크가 있는 녀석인가?」라고 해 왔습니다.나는, 「네」라고 대답하면, 「집에, 모자이크가 없는 AV가 있다의로, 집에 보러 오고, 오늘은, 집에 묵지 않는가? 집은, 곧 근처야」라고 했습니다.나는, 모자이크가 없는 AV에 흥미가 있었으므로, 「네」라고 대답했습니다.

나와 그 남성은, 3명의, 언니(누나)(여성) 들에게, 안녕을 해, 디스코를 나오고, 택시로, 그 남성이 사는, 히로오의, 고급 맨션에 갔습니다.

남성의 타 `}션에서는, 나는, 그 남성과 음식을 먹거나 하면서, 모자이크가 없는 AV(소위, 불법비디오)를 감상했던 w 뭐, 나는, 처음으로 보므로, 흥미로왔습니다 w 그 다음은, 욕실을 이용시켜 주거나 신품의 칫솔을 내 주거나 잠옷 교체에, 남성의, T셔츠와 짧은 팬츠를 빌려 주거나 극진함이었습니다.

그렇게 해서, 새벽녘에, 자는 일이 되었습니다만, 남성의 맨션에는, 매우 큰 침대가 하나 밖에 없고, 나는, 그 침대에서, 그 남성과 함께 자는 일이 되었습니다.뭐, 나는, 그 때는, 남성끼리의 성적인 관계등 , 상상도 할 수 없었기 때문에, 매우 큰 침대였고, 그 남성과 둘이서 자는 일에, 별로, 위화감은, 느끼지 않았습니다.

그렇게 해서, 잠처음, 당분간 지났을 무렵, 그 남성은, 맛사지에 개는 있기 때문에, 맛사지를 해 줄까하고 하고, 나의, 다리나, 허벅지등을 어루만지기 시작했습니다.나는, 갑자기, 위화감과 공포를 느껴 몸이, 경직되어 버렸습니다.

그 안, 그 남성은, 내가 신고 있던 짧은 팬츠와 팬츠(속옷)를 내려, 나의, 소중한 장소를, 얕보기 시작해 후○라○오를 시작했습니다.나는, 머릿속이, 새하얗게 되어 버림과 동시에, 만약, 여기서 시부야에서 얼굴이 (듣)묻는 사람에게 저항하면, 지금부터 앞, 시부야에서, 밤놀이하는 일은 할 수 없게 될지도라고 하는 생각도 둘러싸거나 하고, 게다가 아직 1 4세에, 너무 사물도, 잘 생각할 수 있지 못하고, 저항은 할 수 없었습니다.

그렇게 해서, 그 남성은, 꽤 긴 시간(적어도, 나는, 그 때, 그렇게 느꼈습니다), 나의, 소중한 곳을, 후○라○오 한 후, 그 남성은, 「크지는 되지만 안된다.그렇지만, 칼리가, 커서, 여자는 기뻐할거야」라고 해(그 대사는 생각보다는 명료하게 기억하고 있습니다.나는, 호모는 아니니까, 남성이 얕볼 수 있어도, 안되게 정해져 있잖아!이렇게 말하는 느낌입니다만 w), 후○라○오를 멈추어 이번은, 나의 손을, 그 남성의 소중한 곳으로 이끌어, 그 남성의 소중한 곳을, 나로 해 고까세, 또, 나에게, 유두를 얕보라고 명령해, 저항을 할 수 없었던 14세의 나는, 남성이 말하는 대로 했습니다만, 자신의 것은, 물론 w, 자위로 훑어 낸 일이 있었습니다만, 사람의 것을 아주의는, 물론 처음에서 만났고, 어쨌든, 기분이 놀라 버리고 있었으므로, 힘의 가감을 알 수 있지 못하고 , 최후는, 너무 격렬한 정도, 아주 일이 되어, 그 남성이, 「통이라고라고(아프다)」라고 해, 나의 손을 치우고, 마지막이 되었습니다.아마, 그 때, 그 남성은, 가지 않았다고 생각합니다( 나는, 어쨌든 기분이 놀라 해, 또, 그런 일, 확인도 하고 싶지 않았습니다 하지만, 아마..).

그 다음은, 자는 일이 되었습니다만(잔다고 해도, 수면입니다 w), 나는, 기분이 놀라 해, 또, 또 무엇을 하시는지 무서워서, 잤는지 잠을 자지 않는 것인지 몰랐습니다만, 다행스럽게, 그 남성은, 그 후, 욕실에 가서, 잠시 후 돌아온 후(혹시, 욕실에서는, 갈 수 없었던 처리를, 스스로 하고 왔을지도 모릅니다), 그 남성은, 보통으로 자고, 아무것도 하고 오지 않았습니다.

다음날, 일어난 후, 그 남성은 아무 일도 없는 것처럼, 오후 3 시경, 나를, 시부야역까지, 남성의 자동차(확실히 BMW였다고 생각합니다)로, 정중하게, 보내고, 내렸습니다.

내가, 인생중에서, 남성과 성적인, 접촉을 가진 것은, 후에도, 먼저도, 이 때, 한 번 뿐입니다.

덧붙여서, 이후, 내가, 시부야에서, 밤놀이하고 있을 때에, 그 남성과 조우하는 것이, 몇 번인가 있었습니다만, 다행스럽게, 그 때는, 서로 가볍게 인사 하거나 눈으로 인사하는 정도로, 그 남성은, 나에게, 말을 걸어 와 , 아무것도, 일어나지 않았습니다.

다행스럽게, 이 일은, 나에게 트라우마가 될 정도의 기억으로는 되지 않았습니다만, 인담당자가 있다(위화감 (이)가 있다), 기억으로서 강하고, 인상에는 남아 있습니다.

이와 같은, 체험은, 혹시, 과격한 체험인지도 모릅니다.그러나, 어디까지나, 나의 추측이므로, 잘못되어 있으면 죄송합니다만, 쟈니즈사무소의 사장의, 쟈니씨는, 호모인 것 같고, 혹시, 현재, 활약하고 있는, 쟈니즈의 남성들도, 소년의 무렵, 이 정도의 경험(쟈니씨에게, 이 정도의 일은 된 경험)은 있다 의 것인지도 알려지지 않습니다 w
쟈니즈의 팬 여러분, 죄송합니다.어디까지나, 나의, 개인적인, 추측입니다.



친구 에피소드집 2에 계속 된다.

친구 에피소드집 2는 이하입니다.

친구 에피소드집 2→

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TOTAL: 72

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