伝統文化紹介 Relationship



基本的に、2022年の3月2日の22時57分に行った投稿の再掲です。



佃島(tsukudajima)は、東京都心部の東部(下町(旧市街))の南部にある地域です。



永代(eitai)橋は、東京都心部でも中心的な地域の東部と、東京中心部(東京23区)東部の下町(旧市街)を結ぶ橋です。


永代(eitai)橋の初代の橋(木造)は、1698年に作られました。


名所江戸百景(One Hundred Famous Views of Edo)は、歌川広重(utagawa hiroshige)(下の補足説明を参照)が、1856年から1858年に制作した、東京の、様々な名所を描いた作品です。
歌川広重(utagawa hiroshige):1797年生まれ。1858年に亡くなる。日本の、代表的な、浮世絵(ukiyoe)(日本の伝統的な、大衆(大衆向けの)版画・絵画)画家の一人。




写真は、借り物。名所江戸百景(One Hundred Famous Views of Edo)より、永代橋佃しま(永代(eitai)橋 佃島(tsukudajima))。永代(eitai)橋から、佃島(tsukudajima)地域を眺めた絵です。






写真は、借り物。現在の、永代(eitai)橋。現在の、永代(eitai)橋は、1926年に作られた物です。





現代の、佃島(tsukudajima)は、昔とは、姿を大きく変え、超高層アパート(超高層マンション)が立ち並ぶ地区となっています。






写真は、借り物(写真の作者:663highland)。現代の佃島(tsukudajima)の風景。佃島(tsukudajima)の、超高層アパート(超高層マンション)群の建物は、主に、1980年代後期から1990年代の初め頃に建てられ、日本の、超高層アパート(超高層マンション)の、先駆け(先駆)の一つと言われています。






写真は、借り物(写真の作者:椰子之樹)。現代の、永代(eitai)橋から、佃島(tsukudajima)地域を眺めた風景。




現代の佃島(tsukudajima)は、他の、東京の、下町(旧市街)同様、昔の風景と、とても異なりますが、他の、東京の、下町(旧市街)同様、伝統的な文化は、現代に受け継がれています。




佃島(tsukudajima)は、元々、16世紀後期から17世紀前半に、大阪(東京に次ぐ、日本第二の都市圏人口を有する都市。日本の西部に位置する)の佃(tsukuda)地区(当時は、佃(tsukuda)村と言う村であった。以下、佃(tsukuda)村と書きます)から移住して来た、漁師(fisherman)達が開拓した地域です。


佃煮(tsukudani)は、現在は、日本全国で食べられている食べ物ですが(江戸(edo)時代(17世紀から19世紀中期)に、東京の庶民に普及し、さらに、日本全国に広まって行った)、元々、佃島(tsukudajima)に移住して、佃島(tsukudajima)を開拓した、佃(tsukuda)村の、漁師(fisherman)達が作り、食べ始めた(あるいは、佃島(tsukudajima)に移住する前の佃(tsukuda)村の時代から、作り、食べていた)、食べ物です。




以下、2月の前半に行った投稿から抜粋して来た物です。



佃煮(tsukudani)は、小魚(小さな魚)、小海老(小さな海老)、昆布(海藻)、胡桃等の木の実等を、砂糖、醤油等で、甘辛く、煮つめた(よく煮た)、煮物食品で、日本の伝統的な、保存食品の一つです。




これは、成城石井(seijoishii)と言うマートの、胡桃、小魚(小さな魚)等の、佃煮(tsukudani)です。成城石井(seijoishii)の、この佃煮(tsukudani)製品は、お気に入りで、よく、我が家で買っており、サイドディッシュ(side
dish)の一つや、お酒の、おつまみとして食べています。




以上、2月の前半に行った投稿から抜粋して来た物でした。





個人的に、去年の12月29日が、仕事納めで、去年の12月29日の夜から1月3日まで、年末年始の休日を、彼女と過ごしました。


参考に、以下、「」内。私の前の投稿文より。。。

「ちなみに、私は、実家は、我が家(東京都心部の西部の、静かで落ち着いた住宅地にあります)の近所にある、一戸建て住宅(私の実家は、元々、私の母方の祖父母の家で(私の母の実家で)、母方の祖父母共既に亡くなり、現在は、両親が引き継いで暮らしています。ちなみに、母は、一人っ子です)、彼女の実家は、横浜市(彼女の実家は、普通に、毎日、通勤電車で、東京都心に通勤している人々が暮らす、横浜市の、静かで、落ち着いた住宅地にある、一戸建て住宅)なので、私も彼女も、帰省するという感覚がありません。私は、実家に訪れるのは、近所のマート(スーパー)に歩いて買い物に行くのと同じ感覚(距離感)、彼女も、実家は、前述の通り、普通に、毎日、通勤電車で、東京都心に通勤している人々が暮らす、横浜市の住宅地にあるので、行くなら、日帰りで、チャチャっと行って来れます。」


今年の1月1日は、前日に我が家に泊まった彼女と、夜更かしをし、朝寝坊をし、遅い朝食兼昼食を食べた後、我が家の近所の、私の実家に、両親への贈り物を持って、彼女と、訪れ、1時間程、私の両親と話して来ました。また、彼女と共に、我が家から、彼女のiPadで、彼女の実家の、彼女の両親とFaceTime通話をしました(ちなみに、彼女の実家の、彼女の両親には、お歳暮を贈ったりしています)。


個人的に、1月3日で、正月休みは、一旦終りで、1月4日が、仕事始めでした。1月3日の夕食を、我が家で彼女と食べた後、(去年の12月29日の夜から我が家で過ごしていた)彼女を、車で、我が家の隣の区の彼女の一人暮らしのマンションに送りました。




初詣 (hatsumoude)とは、新年に、神社(shrine)や寺に、お参りして、その年の願い事などをする、日本の風習です。



1月6日、1月7日と、私も彼女も、休みで、今年の、初詣 (hatsumoude)は、1月6日に、前日に我が家に泊まった彼女としました。



1月5日(以下、この日と書きます)は、コロナウイルスの状況により、基本、在宅勤務でしたが、車で、仕事の取引先は、訪れました。


この日の夕食は、彼女と我が家で食べ、彼女は、我が家に泊まりました。



ちなみに、この日の夕食時は、私は、飲み物は、お酒は、日本酒を飲みました。

参考に、以下、「」内。私の前の投稿文より。。。

「私は、両親とも、酒に強くて酒飲みでw、遺伝により、酒は強いです(私は、酒が強く、酒をいくら飲んでも、顔色が、全く、変わらないタイプです)。酒は、基本、どんなに飲んでも酒に飲まれる事はありませんw  それは、ウイスキーをストレートでボトル1本を超えて、比較的短時間で飲めば、時間差で後から腰は抜けますが(学生の頃の話w)、どんなに飲んでも、性格は、普段よりも陽気で上機嫌になる位で、大きくは変わりません。

日本酒、ワイン、ウイスキー、ビール、焼酎なんでも行けますが、私は、お酒の飲み方は、本来的には、ウイスキーの様な、濃いお酒を、ロックで、チビリチビリと飲むのが好きです。

ちなみに、彼女は、お酒が弱いです。」





この日の夕食で食べた、国産の(日本産の)乾燥の香茸(koutake)(頂き物)を使った、香茸(koutake)の炊き込みご飯(rice)。私と彼女、共同の手作り。香茸(koutake)(高級な茸)は、流通量が少ない為、一般的には、あまり知られていない、茸ですが、松茸(matsutake)(日本で、代表的な高級な茸)と並ぶ、高級な茸と言われている様です。香茸(koutake)は、私も彼女も、この時、初めて食べましたが、香茸(koutake)は、個性が強い香りなので、好みは分かれるかもしれませんが、香茸(koutake)の炊き込みご飯(rice)、美味しかったです(彼女も、美味しいと言って食べていました)。ただし、香茸(koutake)は、極たまに、貴重な食材として食べるのに良く、あまり(頻繁に)食べると飽きるかもしれませんw(彼女も、同様の感想でした)。香茸(koutake)の炊き込みご飯(rice)は、事前に、両親に電話で予告をしておいて、我が家の近所の私の実家の私の両親に、少し、あげましたが(私が持って行きました)、両親も、香茸(koutake)は、食べた事がなかったそうですが、後から、食べた感想として美味しかったと言っていました。香茸(koutake)の炊き込みご飯(rice)は、この日の夕食で、食べると共に、余った物は、翌日の、遅い朝食兼昼食で食べました。


頂き物の、国産の(日本産の)乾燥の香茸(koutake)は、あと一回、香茸(koutake)の炊き込みご飯(rice)を作る量、余りましたが、先月(2月)の、第一日曜日に、また、私と彼女、共同の手作りで、香茸(koutake)の炊き込みご飯(rice)を作って、夕食で食べました。





写真以下3枚。この日の夕食の、メイン(main)の、おかず(の食材)。この日の夕食の、メイン(main)の、おかずの食材は、事前に、彼女と会話の中で(彼女は、1週間の内、1日から3日位、我が家に泊まっていますが、彼女が、我が家に泊まらない日は、基本的に、夜に、1時間程、(我が家の隣の区の彼女の一人暮らしのマンションの)彼女とスカイプで話しています)、彼女は、私にお任せと言う事で、私が、車で、仕事の取引先を訪れたついでに(車で、仕事の取引先を訪れた帰りに)、取引先の周辺のマートで買って来た物です。



ちなみに、この日の夕食は、私と彼女、共同で手作りした、国産(日本産)の、高品質な豚肉を使った、豚汁(具が多い、豚肉と野菜の、味噌汁(miso soup))も、飲みました(豚汁は、余り、余った分は、翌日の、遅い朝食兼昼食で、温め直して飲みました)。





この日の夕食の、メイン(main)の、おかずの一つの、海老の、塩焼き(焼き物)の食材の、海老で、アルゼンチン(Argentina)産の、赤海老(海老)。海老は、私も、彼女も、好きな食材です。







この日の夕食の、メイン(main)の、おかずの一つで、海老の、塩焼き(焼き物)。美味しかったです(彼女も、美味しいと言って食べていました)。






この日の夕食の、メイン(main)の、おかずの一つの、牛肉の焼き物の食材で、国産(日本産)の、高品質な牛肉の、ザブトン(肩ロース(肩loin)のあばら骨側にある肉。肩ロース(肩loin)の中で、サシが多い部位)の、焼肉用。150g程。和風(日本風)の、味付けで、焼いて食べました。美味しかったです(彼女も、美味しいと言って食べていました)。ちなみに、私は、肉が好きです(彼女も、肉は、好きです)。






おまけ。この日の、夕食の、デザート(dessert)として食べた、頂き物の、国産の(日本産の)、ラ・フランス(西洋梨)(熟れた物)。美味しかったです。






前述の通り、この日は、彼女は、我が家に泊まりました。



上野(ueno)は、浅草(asakusa)と並ぶ、東京の下町(shitamachi)(東京都心部の東部。旧市街)最大級の繁華街となっています。上野(ueno)にある、上野(ueno)公園は、東京中心部にある公園の中では、最大級の公園の内の一つであり、また、美術館・博物館等の文化施設が集まっています。


東京都心部の東部(北東部)に位置する、浅草(asakusa)(上野(ueno)から地下鉄で、3駅、5分程の場所にあります)は、東京の下町(shitamachi)(旧市街)(東京都心部の東部)の中心的な繁華街となっています。浅草(sensou)寺は、浅草(asakusa)にある、規模の大きな、仏教の寺で、古くから、東京の庶民に、親しまれて来た寺であり、東京で、最も、人気が高い、初詣 (hatsumoude)場所の一つとなっています。とても歴史の古い寺で、歴史自体は、7世紀まで遡りますが、現在の建物の、ほとんどが、第2次世界大戦後(1950年代から1970年代初め)に、鉄筋コンクリートにより、再建された物です(浅草(sensou)寺は、他の、東京の、下町(shitamachi)(東京都心部の東部。旧市街)同様、第二次世界大戦末期の、アメリカ軍の空襲により、壊滅的な、被害を受けました)。第2次世界大戦後に、再建された、浅草(sensou)寺の建物については、外観は、17世紀に建てられた、先代の建物を、再現しています。




前述の通り、この翌日(1月6日)、及び、この翌々日(1月7日)は、私も彼女も、休みで、元々、彼女と、1月6日に、上野(ueno)の森美術館(上野(ueno)公園にある美術館の一つ)で、この時、開催されていた、私も、彼女も、前から気になっていた、深堀 隆介(fukahori ryusuke)(日本の現代美術artist)の、展覧会(exhibition)を観て、上野(ueno)に、1泊し、その翌日(1月7日)に、浅草(sensou)寺で、初詣 (hatsumoude)をして、我が家に帰って来る予定を立てていたのですが(上野(ueno)も、浅草(asakusa)も、通常は、日帰りで、遊びに行く場所ですが、上野(ueno)も、浅草(asakusa)も、東京の下町(shitamachi)(旧市街)(東京都心部の東部)に位置し、我が家(東京都心部の西部に位置する)とは、東京の都心を挟んで、反対側に位置する為、一旦、我が家に帰って、出直すよりも、楽という事で、上野(ueno)で、1泊する事にしました)、コロナウイルスの状況により、人が多い、浅草(sensou)寺で、初詣 (hatsumoude)をする事はやめ、予定を変更し、1月6日に、上野(ueno)公園内の、神社(shrine)と寺で、初詣 (hatsumoude)をし、上野(ueno)に、一泊し、翌日(1月7日に)、上野(ueno)の森美術館で、この時、開催されていた、深堀 隆介(fukahori ryusuke)の展覧会(exhibition)を観て、我が家に帰って来ました。



1月6日(以下、この日と書きます)は、前日に(我が家に泊まった彼女と)夜更かしをし、遅い朝食兼昼食を食べた後、地下鉄で、上野(ueno)公園内の、神社(shrine)と寺に、初詣 (hatsumoude)をしに行きました。ちなみに、我が家の、普段の、朝食又は(休みの日の)遅い朝食兼昼食は、パン、シリアル(cereal)、野菜サラダ(salad)、3種類程の果物、牛乳、ジュース(juice)、ヨーグルト(yogurt)と言った内容ですが、この日の、遅い朝食兼昼食は、魚の干物の焼き物等と共に、前日の夕食の余りの、香茸(koutake)の炊き込みご飯(rice)を食べ、和風の(日本料理の)、遅い朝食兼昼食にしました。


この日の、東京の天気は、東京では珍しく、積もる程の雪で、普段は、見られない、幻想的な、雪景色の、上野(ueno)公園及び、上野(ueno)公園内の、神社(shrine)と寺等の風景を楽しむ事が出来ました。


前述の通り、この日は、上野(ueno)に泊まり、翌日(1月7日。以下、この日と書きます)、上野(ueno)の森美術館で、この時、開催されていた、私も、彼女も、前から気になっていた、深堀 隆介(fukahori ryusuke)の展覧会(exhibition)を観て、電車(通勤電車)で、我が家に帰って来ました。


深堀 隆介(fukahori ryusuke)の展覧会(exhibition)→
https://www.ueno-mori.org/exhibitions/article.cgi?id=1044788


この時、上野(ueno)では、三井(mitsui)ガーデンホテル(garden hotel)上野(ueno)と言う、中級classのホテルとビジネスホテル(budget hotel)の中間位のclassのホテルに宿泊しました→
https://www.gardenhotels.co.jp/ueno/


この時、上野(ueno)公園内の、神社(shrine)と寺で、初詣 (hatsumoude)をした時の事と、深堀 隆介(fukahori ryusuke)の展覧会(exhibition)を観た時の事に関しては、また、改めて、別に投稿しようと思います。




前述の通り、この日は、深堀 隆介(fukahori ryusuke)の展覧会(exhibition)を観て、電車(通勤電車)で、我が家に帰って来たのですが、彼女と我が家で食べた、この日の夕食は、帰りに、上野(ueno)駅の構内(上野(ueno)駅の構内は、店舗が充実しています)で買った、弁当(bento)(簡易な食事)等を食べました。

上野(ueno)駅の構内の食料品の店舗(ちなみに、この時、上野(ueno)駅の構内の店舗では、彼女に、彼女が選んだ、我が家の隣の区の彼女の一人暮らしのマンション用の、お菓子等も買ってあげました)→
https://www.ecute.jp/ueno/shop?utf8=✓&c[]=4





写真以下2枚。この日の夜に、私と彼女、共同で手作りした、牛肉の、赤ワイン(wine)煮込み(煮物)と、ビーフシチュー(beef stew)の中間の様な(牛肉の、赤ワイン(wine)煮込み(煮物)と、ビーフシチュー(beef stew)のレシピ(調理法)を折衷させた様な)料理。彼女と、ワイワイ、2人共同作業で料理をするのも、楽しいものです。





作っている途中。食材の、牛肉は、オーストラリア産の牛肉の脛肉(すね肉)を、780g程使いました。





完成。前述の通り、牛肉の、赤ワイン(wine)煮込み(煮物)と、ビーフシチュー(beef stew)のレシピ(調理法)を折衷させた様な料理なので、市販の、ビーフシチュー(beef stew)の、素(もと)(固形のルー)も使いましたが、ビーフシチュー(beef stew)の、素(もと)(固形のルー)は、標準の量の半分程を使いました。私一人用の、一食分は、冷凍保存して置いて、後日、我が家で、一人の時の夕食時の、メイン(main)料理として食べ、それ以外は、この翌日の、遅い朝食兼昼食の、メイン(main)料理として、温め直して、彼女と食べました。美味しかったです(彼女も、美味しいと言って食べていました)。




この日は、彼女は、我が家に泊まり、2人共、夜更かしをし、この翌日(1月8日。1月の第二土曜日。以下、この日と書きます)は、遅い朝食兼昼食を食べた後、何処にも遊びに出掛けずに、休日を、彼女と、我が家で、まったりと過ごしていました(それは、それで、楽しい)。



前述の通り、我が家の、普段の、朝食又は(休みの日の)遅い朝食兼昼食は、パン、シリアル(cereal)、野菜サラダ(salad)、3種類程の果物、牛乳、ジュース(juice)、ヨーグルト(yogurt)と言った内容ですが、この日の遅い朝食兼昼食は、前日の夜に、私と彼女、共同で手作りした、牛肉の、赤ワイン(wine)煮込み(煮物)と、ビーフシチュー(beef stew)の中間の様な料理をメイン(main)料理とした食事(牛肉の、赤ワイン(wine)煮込み(煮物)と、ビーフシチュー(beef stew)の中間の様な料理は、元々、この日の夕食の、メイン(main)料理として食べる予定でしたが、私も彼女も、気が変わり、予定を変更しました)を、のんびりと、食べました(この食事の内容ならば、私は、通常は、赤ワイン(wine)を飲みますが、後述しますが、遅い朝食兼昼食を食べた後、彼女と、車で、私の街の周辺のマートの一つに、食料品の買い物に出たので、お酒は飲みませんでした。前述の通り、私は、酒飲みで、酒は強いのですが、べつに、酒がなくても、食事は、楽しめます)。



前述の通り、この日は、何処にも遊びに出掛けずに、休日を、彼女と我が家で、まったりと過ごしていましたが、のんびりと、遅い朝食兼昼食を食べた後、彼女と、車で、私の街の周辺のマートの一つに、食料品の買い物には出ました。私も、彼女も、一日中、家に籠って過ごす休日も、楽しいですが、マート等に買い物に出る事は、ちょっとした気分転換になります。




写真以下6枚。彼女と我が家で食べた、この日の夕食の、メイン(main)料理。この時、私の街の周辺のマートの一つでは、小規模ですが、日本全国の、食べ物を販売する催しをやっていたのですが、この日、買って来た、その催し関連の食べ物で、富山(toyama)県産の、鱒(trout)寿司。鱒(trout)寿司は、私も彼女も、好きな食べ物です。一人、一個ずつ食べました(写真は、一人分)。ちなみに、私も、彼女も、基本、ご飯(rice)食い(ご飯(rice)を、比較的、たくさん食べるタイプ)ではなく、おかず食い(おかずを、比較的、たくさん食べるタイプ)なのですが、寿司(握り寿司・押し寿司両方含む)の、ご飯(rice)は、別腹となりますw(あと、私も彼女も、炊き込みご飯(rice)の場合もそうw)。鱒(trout)寿司は、富山(toyama)県(日本の中部地方に位置する県の一つ)の伝統料理の一つで、鱒(trout)を使った、押し寿司です。富山(toyama)県の、鱒(trout)寿司は、日本全国的に、よく知られています。

ちなみに、この日の夕食時は、私は、飲み物は、お酒は、日本酒を飲みました。








































おまけ。新潟(nigata)県(日本の中部地方に位置する県の一つ)の新潟(nigata)市の、加島屋(kashimaya)と言う店(1885年創業)の、瓶詰めの、左から、鮭(salmon)、イクラ(鮭の玉子)の醤油漬、帆立(scallop)貝柱のうま煮(煮物)。頂き物。全部一度に食べた訳ではありませんが、この日の夕食では、真ん中の、イクラ(鮭の玉子)の醤油漬けを食べました。瓶詰めの鮭は、色々な、店や会社が製造していますが、個人的には、加島屋(kashimaya)の、瓶詰めの鮭(salmon)が、1番好きです。






以下、1月の前半に行った投稿から抜粋して来た物で、この日の夕食のデザート(dessert)で食べた、くず(kuzu)餅です。


写真以下4枚。この時、私の街の周辺のマートの一つでは、小規模ですが、日本全国の、食べ物を販売する催しをやっていたのですが、この日、買って来た、その催し関連の食べ物の一つで、川崎(kawasaki)大師(daishi)(下の補足説明を参照)周辺の店の、くず(kuzu)餅です。我が家で食べた、この日の夕食の、デザート(dessert)と、この翌日の、おやつとして、彼女と食べました。


川崎(kawasaki)大師(daishi): 川崎(kawasaki)大師(daishi)は、川崎(kawasaki)市(下の補足説明を参照)の、海側(海に近い地域)にある、1128年に創建された、仏教の寺です。川崎(kawasaki)大師(daishi)は、古くから、多くの庶民の信仰を集めて来た寺で、東京圏で、特に、初詣(hatsumode)をする人々が多い、仏教の寺の一つです。初詣(hatsumoude)とは、新年に、神社(shrine)や寺に、お参りして、その年の願い事などをする、日本の風習です。
川崎(kawasaki)市: 東京中心部(東京23区)と、横浜(東京圏で、東京中心部(東京23区)に次いで、第2の人口を有する都市。東京圏の海の玄関口(gateway)となっている大きな港町であると共に、東京都心部に通勤する人々が多く暮らす、静かで落ち着いた住宅地地帯となっている)の間に位置する(東京中心部(東京23区)の南部と横浜市の北部に隣接する)、大都市(ただし、大都市としては、人口は、比較的、少ない)。川崎(kawasaki)市は、海側(海に近い地域)は、主として、工業地帯・工場地帯と庶民的な街となっており、内陸部は、主として、東京都心部に通勤する人々が多く暮らす、静かで落ち着いた郊外住宅地となっています。



くず(kuzu)餅は、くず(kuzu)と呼ばれる豆科の植物のデンプンから作った粉、若しくは、乳酸菌で発酵させた小麦粉から作る、素朴で、庶民的な和菓子(日本伝統菓子)で、きな粉(大豆を粉末にした食品)と、黒糖蜜を付けて食べます。私は、くず(kuzu)餅が好きですが、くず(kuzu)と呼ばれる豆科の植物のデンプンから作った粉から作られた、くず(kuzu)餅も、乳酸菌で発酵させた小麦粉から作られた、くず(kuzu)餅も、どちらも好きです(彼女も、どちらの、くず(kuzu)餅も、好きです)。この、くず(kuzu)餅は、乳酸菌で発酵させた小麦粉から作られた、くず(kuzu)餅です。












きな粉(大豆を粉末にした食品)(箱の左側に入っている)と、黒糖蜜(箱の上側に入つている)を付けて食べます。





以上、1月の前半に行った投稿から抜粋して来た物で、この日の夕食のデザート(dessert)で食べた、くず(kuzu)餅でした。



この日も、彼女は、我が家に泊まり、2人共、夜更かしをし、この翌日(1月9日。1月の第二日曜日。以下、この日と書きます)は、遅い朝食兼昼食を食べた後、何処にも遊びに出掛けずに、引き続き、休日を、彼女と、我が家で、まったりと過ごしていました(それは、それで、楽しい)。


ちなみに、彼女と我が家で食べた、この日の遅い朝食兼昼食は、普段の朝食(パン、シリアル(cereal)、野菜サラダ(salad)、3種類程の果物、牛乳、ジュース(juice)、ヨーグルト(yogurt))と同じ内容でした。



彼女と我が家で食べた、この日の夕食は、SALVATOREの、宅配(delivery)のピザ(pizza)にしました。我が家は、宅配(delivery)のピザ(pizza)と言えば、基本的に(一番多く)、SALVATOREを利用しています。

以下、参考に、私の前の投稿の中から、宅配(delivery)の、SALVATOREの、ピザ(pizza)の例。

宅配(delivery)ピザ(pizza)→
/jp/board/exc_board_24/view/id/2904615/page/2?&sfl=membername&stx=nnemon



この日は、夕食後、車で、彼女を、我が家の隣の区の彼女の一人暮らしのマンションに送った為、この日の夕食時は、お酒は飲みませんでした。



この翌日(1月の第二月曜日)は、日本は、祝日(国民の休日)でしたが、個人的に、仕事でした。







두타가와 히로시게 에이타이바시전섬외



기본적으로, 2022년의 3월 2일의 22시 57분에 간 투고의 재게입니다.



쓰쿠다지마(tsukudajima)는, 도쿄도심부의 동부(변두리(구시가))의 남부에 있는 지역입니다.



오랜 세월(eitai) 다리는, 도쿄도심부에서도 중심적인 지역의 동부와 도쿄 중심부(도쿄 23구) 동부의 변두리(구시가)를 묶는 다리입니다.


오랜 세월(eitai) 다리의 초대의 다리(목조)는, 1698년에 만들어졌습니다.


명소 에도백경(One Hundred Famous Views of Edo)은, 두타가와 히로시게(utagawa hiroshige)(아래의 보충 설명을 참조)가, 1856년부터 1858년에 제작한, 도쿄의, 님 들인 명소를 그린 작품입니다.
두타가와 히로시게(utagawa hiroshige):1797 년생.1858년에 죽는다.일본의, 대표적인, 강호시대의 풍속화(ukiyoe)(일본의 전통적인, 대중(대중용의) 판화·회화) 화가의 한 명.




사진은, 차용물.명소 에도백경(One Hundred Famous Views of Edo)보다, 에이타이바시전섬(오랜 세월(eitai) 다리 쓰쿠다지마(tsukudajima)).오랜 세월(eitai) 다리로부터, 쓰쿠다지마(tsukudajima) 지역을 바라본 그림입니다.






사진은, 차용물.현재의, 오랜 세월(eitai) 다리.현재의, 오랜 세월(eitai) 다리는, 1926년에 만들어진 것입니다.





현대의, 쓰쿠다지마(tsukudajima)는, 옛날이란, 모습을 크게 바꾸어 초고층 아파트(초고층 맨션)가 나란히 서는 지구가 되고 있습니다.






사진은, 차용물(사진의 작자:663 highland).현대의 쓰쿠다지마(tsukudajima)의 풍경.쓰쿠다지마(tsukudajima)의, 초고층 아파트(초고층 맨션) 군의 건물은, 주로, 1980년대 후기부터 1990년대의 처음무렵에 지어져 일본의, 초고층 아파트(초고층 맨션)의, 앞장 서(선구)의 하나라고 말해집니다.






사진은, 차용물(사진의 작자:야자지수).현대의, 오랜 세월(eitai) 다리로부터, 쓰쿠다지마(tsukudajima) 지역을 바라본 풍경.




현대의 쓰쿠다지마(tsukudajima)는, 다른, 도쿄의, 변두리(구시가) 같이, 옛 풍경과 매우 다릅니다만, 다른, 도쿄의, 변두리(구시가) 같이, 전통적인 문화는, 현대에 계승해지고 있습니다.




쓰쿠다지마(tsukudajima)는, 원래, 16 세기 후기부터 17 세기 전반에, 오사카(도쿄에 뒤잇는, 일본 제2의 도시권 인구를 가지는 도시.일본의 서부에 위치한다)의 전(tsukuda) 지구(당시는, 전(tsukuda) 촌이라고 하는 마을에서 만났다.이하, 전(tsukuda) 촌이라고 씁니다)으로부터 이주해 온, 어부(fisherman) 들이 개척한 지역입니다.


해산물 조림(tsukudani)은, 현재는, 일본 전국에서 먹을 수 있고 있는 음식입니다만(에도(edo) 시대(17 세기부터 19 세기 중기)에, 도쿄의 서민에게 보급해, 게다가 일본 전국에 퍼져서 간), 원래, 쓰쿠다지마(tsukudajima)에 이주하고, 쓰쿠다지마(tsukudajima)를 개척한, 전(tsukuda) 촌의, 어부(fisherman) 들이 만들어, 먹기 시작하는 것(있다 있어는, 쓰쿠다지마(tsukudajima)에 이주하기 전의 전(tsukuda) 촌의 시대나?`역A 만들어, 먹고 있던), 음식입니다.




이하, 2월의 전반에 간 투고로부터 발췌해 온 것입니다.



해산물 조림(tsukudani)은, 작은 물고기(작은 물고기), 코카이로(작은 새우), 다시마(해조), 호두등의 열매등을, 설탕, 간장등으로, 달짝지근하고, 익혀 채운(잘 익힌), 조림 식품으로, 일본의 전통적인, 보존식품의 하나입니다.




이것은, 세이죠 이시이(seijoishii)라고 하는 마트의, 호두, 작은 물고기(작은 물고기) 등의, 해산물 조림(tsukudani)입니다.세이죠 이시이(seijoishii)의, 이 해산물 조림(tsukudani) 제품은, 마음에 드는 것으로, 자주(잘), 우리 집에서 사고 있어 사이드 디쉬(side dish)의 하나나, 술의, 안주로서 먹고 있습니다.




이상, 2월의 전반에 간 투고로부터 발췌해 온 것이었습니다.





개인적으로, 작년의 12월 29일이, 일마지막으로, 작년의 12월 29일의 밤부터 1월 3일까지, 연말 연시의 휴일을, 그녀와 보냈습니다.


참고에, 이하, 「」 안.나의 앞의 투고문보다...

「덧붙여서, 나는, 친가는, 우리 집(도쿄도심부의 서부의, 조용하고 침착한 주택지에 있습니다)의 부근에 있는, 독립주택( 나의 친가는, 원래, 나의 외가의 조부모의 집에서( 나의 어머니의 친가에서), 외가의 조부모모두 이미 죽어, 현재는, 부모님이 계승하며 살고 있습니다.덧붙여서, 어머니는, 독자입니다), 그녀의 친가는, 요코하마시(그녀의 친가는, 보통으로, 매일, 통근 전철로, 도쿄도심에 통근하고 있는 사람들이 사는, 요코하마시의, 조용하고, 침착한 주택지에 있는, 독립주택)이므로, 나나 그녀도, 귀성한다고 하는 감각이 없습니다.나는, 친가에 방문하는 것은, 근처의 마트(슈퍼)에 걷고 쇼핑하러 가는 것과 같은 감각(거리감), 그녀도, 친가는, 상술한 대로, 보통으로, 매일, 통근 전철로, 도쿄도심에 통근 하고 있는 사람들이 사는, 요코하마시의 주택지에 있으므로, 간다면, 당일치기로, 차 차와 가고 올 수 있습니다.」


금년의 1월 1일은, 전날에 우리 집에 묵은 그녀와 밤샘을 해, 늦잠을 자, 늦은 아침 식사겸점심 식사를 먹은 후, 우리 집의 부근의, 나의 친가에, 부모님에게의 선물을 가지고, 그녀와 방문해 1시간정도, 나의 부모님과 이야기해 왔습니다.또, 그녀와 함께, 우리 집으로부터, 그녀의 iPad로, 그녀의 친가의, 그녀의 부모님과 FaceTime 통화를 했습니다(덧붙여서, 그녀의 친가의, 그녀의 부모님에게는, 연말선물을 주거나 하고 있습니다).


개인적으로, 1월 3일로, 정월 휴일은, 일단 끝으로, 1월 4일이, 일 개시의 행사였습니다.1월 3일의 저녁 식사를, 우리 집에서 그녀와 먹은 후, (작년의 12월 29일의 밤부터 우리 집에서 보내고 있던) 그녀를, 차로, 우리 집의 근처의 구의 그녀의 혼자 생활의 맨션에 보냈습니다.




첫 참배 (hatsumoude)란, 신년에, 신사(shrine)나 절에, 참배 하고, 그 해의 소원등을 하는, 일본의 풍습입니다.



1월 6일, 1월 7일로 나나 그녀도, 휴일로, 금년의, 첫 참배 (hatsumoude)(은)는, 1월 6일에, 전날에 우리 집에 묵은 그녀로 했습니다.



1월 5일(이하, 이 날이라고 씁니다)은, 코로나 바이러스의 상황에 의해, 기본, 재택 근무였지만, 차로, 일의 거래처는, 방문했습니다.


이 날의 저녁 식사는, 그녀와 우리 집에서 먹어 그녀는, 우리 집에 묵었습니다.



덧붙여서, 이 날의 저녁 식사시는, 나는, 음료는, 술은, 일본술을 마셨습니다.

참고에, 이하, 「」 안.나의 앞의 투고문보다...

「 나는, 부모님 모두, 술에 강해서 술꾼으로 w, 유전에 의해, 술은 강합니다( 나는, 술이 강하고, 술을 아무리 마셔도, 안색이, 완전히, 변하지 않는 타입입니다).술은, 기본, 아무리 마셔도 술에 먹히는 일은 없습니다 w 그것은, 위스키를 스트레이트로 보틀 1개를 넘고, 비교적 단시간에 마시면, 시간차이로 나중에 허리는 빠집니다만(학생의 무렵의 이야기 w), 아무리 마셔도, 성격은, 평상시보다 밝고 매우 기분이 좋아 지는 정도로, 크지는 바뀌지 않습니다.

일본술, 와인, 위스키, 맥주, 소주 뭐든지 갈 수 있습니다만, 나는, 술의 마시는 방법은, 본래적으로는, 위스키와 같은, 진한 술을, 락으로, 치비리치비리와 마시는 것을 좋아합니다.

덧붙여서, 그녀는, 술이 약합니다.」





이 날의 저녁 식사로 먹은, 국산의(일본산의) 건조의 향용(koutake)(선물)를 사용한, 향 버섯(koutake)의 밥을 지어 밥(rice).나와 그녀, 공동의 손수 만들기.향용(koutake)(고급버섯)는, 유통량이 적기 때문에, 일반적으로는, 별로 알려지지 않은, 버섯입니다만, 송이버섯(matsutake)(일본에서, 대표적인 고급버섯)와 대등한, 고급버섯이라고 말해지는 님입니다.향용(koutake)은, 나나 그녀도, 이 때, 처음으로 먹었습니다만, 향용(koutake)은, 개성이 강한 향기이므로, 기호는 나뉠지도 모릅니다만, 향 버섯(koutake)의 밥을 지어 밥(rice), 맛있었습니다(그녀도, 맛있다고 해 먹고 있었습니다).다만, 향용(koutake)은, 극히 이따금, 귀중한 식재로서 먹는데 자주(잘), 너무(빈번히) 먹으면 질릴지도 모릅니다 w(그녀도, 같은 감상이었습니다).향 버섯(koutake)의 밥을 지어 밥(rice)은, 사전에, 부모님에게 전화로 예고를 해 두고, 우리 집의 부근의 나의 친가의 나의 부모님에게, 조금, 주었습니다만(내가 가지고 갔습니다), 부모님도, 향용(koutake)은, 먹은 일이 없었다고 합니다만, 나중에, 먹은 감상으로서 맛있었다고 말했습니다.향용(koutake)의 밥을 지어 밥(rice)은, 이 날의 저녁 식사로, 먹음과 동시에, 남은 것은, 다음날의, 늦은 아침 식사겸점심 식사에 먹었습니다.


선물의, 국산의(일본산의) 건조의 향용(koutake)은, 앞으로 1회, 향 버섯(koutake)의 밥을 지어 밥(rice)을 만드는 양, 남았습니다만, 지난 달(2월)의, 제일 일요일에, 또, 나와 그녀, 공동의 손수 만들기로, 향 버섯(koutake)의 밥을 지어 밥(rice)을 만들고, 저녁 식사로 먹었습니다.





사진 이하 3매.이 날의 저녁 식사의, 메인(main)의, 반찬(의 식재).이 날의 저녁 식사의, 메인(main)의, 반찬의 식재는, 사전에, 그녀와 회화속에서(그녀는, 1주간중, 1일부터 3일 정도, 우리 집에 묵고 있습니다만, 그녀가, 우리 집에 묵지 않는 날은, 기본적으로, 밤에, 1시간정도, (우리 집의 근처의 구의 그녀의 혼자 생활의 맨션의) 그녀와 스카이프로 이야기하고 있습니다), 그녀는, 나에게 맡겨라라고 하는 것으로, 내가, 차로, 일의 거래처를 방문한 김에(차로, 일의 거래처를 방문한 오는 길에 ), 거래처의 주변의 마트에서 사 온 것입니다.



덧붙여서, 이 날의 저녁 식사는, 나와 그녀, 공동으로 직접 만든, 국산(일본산)의, 고품질인 돼지고기를 사?`스, 돼지고기 된장국(도구가 많은, 돼지고기와 야채의, 된장국(miso soup))도, 마셨습니다(돼지고기 된장국은, 남아, 남은 만큼은, 다음날의, 늦은 아침 식사겸점심 식사로, 다시 따뜻하게 해 마셨습니다).





이 날의 저녁 식사의, 메인(main)의, 반찬의 하나의, 새우의, 소금구이(구이)의 식재의, 새우로, 아르헨티나(Argentina) 산의, 보리새우과 새우(새우).새우는, 나도, 그녀도, 좋아하는 식재입니다.







이 날의 저녁 식사의, 메인(main)의, 반찬의 하나로, 새우의, 소금구이(구이).맛있었습니다(그녀도, 맛있다고 해 먹고 있었습니다).






이 날의 저녁 식사의, 메인(main)의, 반찬의 하나의, 쇠고기의 구이의 식재로, 국산(일본산)의, 고품질인 쇠고기의, 방석(어깨등심(어깨 loin)의 갈빗대 측에 있다 고기.어깨등심(어깨 loin) 중(안)에서, 구더기가 많은 부위)의, 불고기용.150 g정도.일본식(일본풍)의, 맛내기로, 구워 먹었습니다.맛있었습니다(그녀도, 맛있다고 해 먹고 있었습니다).덧붙여서, 나는, 고기를 좋아합니다(그녀도, 고기는, 좋아합니다).






덤.이 날의, 저녁 식사의, 디저트(dessert)로서 먹은, 선물의, 국산의(일본산의), 라·프랑스(서양 배나무)(익은 것).맛있었습니다.






상술한 대로, 이 날은, 그녀는, 우리 집에 묵었습니다.



우에노(ueno)는, 아사쿠사(asakusa)와 대등한, 도쿄의 게노마치(shitamachi)(도쿄도심부의 동부.구시가) 최대급의 번화가가 되고 있습니다.우에노(ueno)에게 있는, 우에노(ueno) 공원은, 도쿄 중심부에 있는 공원안에서는, 최대급의 공원 중의 하나이며, 또, 미술관·박물관등의 문화 시설이 모여 있습니다.


도쿄도심부의 동부(북동부)에 위치하는, 아사쿠사(asakusa)(우에노(ueno)로부터 지하철로, 3역, 5분 정도의 장소에 있습니다)는, 도쿄의 변두리(shitamachi)(구시가)(도쿄도심부의 동부)의 중심적인 번화가가 되고 있습니다.아사쿠사(sensou) 절은, 아사쿠사(asakusa)에게 있는, 규모의 큰, 불교의 절에서, 옛부터, 도쿄의 서민에게, 사랑받아 온 절이며, 도쿄에서, 가장, 인기가 높은, 첫 참배 (hatsumoude) 장소의 하나가 되고 있습니다.매우 역사의 낡은 절에서, 역사 자체는, 7 세기까지 거슬러 올라갑니다만, 현재의 건물의, 대부분이, 제2차 세계대전 후(1950년대부터 1970년대 초)에, 철근 콘크리트에 의해, 재건된 것입니다(아사쿠사(sensou) 절은, 다른, 도쿄의, 게노마치(shitamachi)(도쿄도심부의 동부.구시가) 같이, 제이차 세계대전 말기의, 미군의 공습에 의해, 괴멸적인, 피해를 받았습니다).제2차 세계대전 후에, 재건된, 아사쿠사(sensou) 절의 건물에 대해서는, 외관은, 17 세기에 지어진, 선대의 건물을, 재현하고 있습니다.




상술한 대로, 이 다음날(1월 6일), 및, 이 다음 다음날(1월 7일)은, 나나 그녀도, 휴일로, 원래, 그녀와 1월 6일에, 우에노(ueno)의 숲미술관(우에노(ueno) 공원에 있는 미술관의 하나)로, 이 때, 개최되고 있던, 나도, 그녀도, 전부터 신경이 쓰이고 있던, 후카보리 륭개(fukahori ryusuke)(일본의 현대 미술 artist)의, 전람회(exhibition)를 보고, 우에노(ueno)에, 1박 해, 그 다음날(1월 7일)에, 아사쿠사(sensou) 절에서, 첫 참배 (hatsumoude)(을)를 하고, 우리 집에 돌아올 예정을 세우고 있었습니다만(우에노(ueno)도, 아사쿠사(asakusa)도, 통상은, 당일치기로, 놀러 가는 장소입니다만, 우에노(ueno)도, 아사쿠사(asakusa)도, 도쿄의 변두리(shitamachi)(구시가)(도쿄도심부의 동부)에 위치해, 우리 집(도쿄도심부의 서부에 위치한다)이란, 도쿄의 도심을 사이에 두고, 반대 측에 위치하기 때문에(위해), 일단, 우리 집에 돌아가고, 다시 하는 것보다도, 락이라는 것, 우에노(ueno)로, 1박 하는 일로 했습니다), 코로나 바이러스의 상황에 의해, 사람이 많은, 아사쿠사(sensou) 절에서, 첫 참배 (hatsumoude)(을)를 하는 일은 그만두어 예정을 변경해, 1월 6일에, 우에노(ueno) 공원내의, 신사(shrine)와 절에서, 첫 참배 (hatsumoude)(을)를 해, 우에노(ueno)에, 일박해, 다음날(1월 7일에), 우에노(ueno)의 숲미술관에서, 이 때, 개최되고 있던, 후카보리 륭개(fukahori ryusuke)의 전람회(exhibition)를 보고, 우리 집에 돌아왔습니다.



1월 6일(이하, 이 날이라고 씁니다)은, 전날에(우리 집에 묵은 그녀와) 밤샘을 해, 늦은 아침 식사겸점심 식사를 먹은 후, 지하철로, 우에노(ueno) 공원내의, 신사(shrine)와 절에, 첫 참배 (hatsumoude)(을)를 하러 갔습니다.덧붙여서, 우리 집의, 평상시의, 아침 식사 또는(휴일이) 늦은 아침 식사겸점심 식사는, 빵, 시리얼(cereal), 야채 사라다(salad), 3 종류정도의 과일, 우유, 쥬스(juice), 요구르트(yogurt)라고 한 내용입니다만, 이 날의, 늦은 아침 식사겸점심 식사는, 물고기의 건어물의 구이등과 함께, 전날의 저녁 식사의 넘치는, 향 버섯(koutake)의 밥을 지어 밥(rice)을 먹어 일본식의(일본 요리의), 늦은 아침 식사겸점심 식사로 했습니다.


이 날의, 도쿄의 날씨는, 도쿄에서는 드물고, 쌓일 정도의 눈으로, 평상시는, 볼 수 없는, 환상적인, 설경의, 우에노(ueno) 공원 및, 우에노(ueno) 공원내의, 신사(shrine)와 절등의 풍경을 즐길 수가 있었습니다.


상술한 대로, 이 날은, 우에노(ueno)에 묵어, 다음날(1월 7일.이하, 이 날이라고 씁니다), 우에노(ueno)의 숲미술관에서, 이 때, 개최되고 있던, 나도, 그녀도, 전부터 신경이 쓰이고 있던, 후카보리 륭개(fukahori ryusuke)의 전람회(exhibition)를 보고, 전철(통근 전철)로, 우리 집에 돌아왔습니다.


후카보리 타카시개(fukahori ryusuke)의 전람회(exhibition)→
https://www.ueno-mori.org/exhibitions/article.cgi?id=1044788


이 때, 우에노(ueno)에서는, 미츠이(mitsui) 가든 호텔(garden hotel) 우에노(ueno)라고 말하는, 중급 class의 호텔과 비지니스용 호텔(budget hotel)의 중간위의 class의 호텔에 숙박했습니다→
https://www.gardenhotels.co.jp/ueno/


이 때, 우에노(ueno) 공원내의, 신사(shrine)와 절에서, 첫 참배 (hatsumoude)를 했을 때의 일과 후카보리 타카시개(fukahori ryusuke)의 전람회(exhibition)를 보았을 때의 일에 관해서는, 또, 재차, 따로 투고하려고 합니다.




상술한 대로, 이 날은, 후카보리 륭개(fukahori ryusuke)의 전람회(exhibition)를 보고, 전철(통근 전철)로, 우리 집에 돌아왔습니다만, 그녀와 우리 집에서 먹은, 이 날의 저녁 식사는, 오는 길에 , 우에노(ueno) 역의 구내(우에노(ueno) 역의 구내는, 점포가 충실합니다)에서 산, 도시락(bento)(간단하고 쉬운 식사) 등을 먹었습니다.

우에노(ueno) 역의 구내의 식료품의 점포(덧붙여서, 이 때, 우에노(ueno) 역의 구내의 점포에서는, 그녀에게, 그녀가 선택한, 우리 집의 근처의 구의 그녀의 혼자 생활의 맨션용의, 과자등도 사 주었습니다)→
https://www.ecute.jp/ueno/shop?utf8=&c[]=4





사진 이하 2매.이 날의 밤에, 나와 그녀, 공동으로 직접 만든, 쇠고기의, 붉은 와인(wine) 삶어(조림)와 비프 스튜(beef stew)의 중간 과 같이(쇠고기의, 붉은 와인(wine) 삶어(조림)와 비프 스튜(beef stew)의 레시피(조리법)를 절충 시킨 님) 요리.그녀와 와글와글, 2명 공동 작업으로 요리를 하는 것도, 즐거운 것입니다.





만들고 있는 도중.식재의, 쇠고기는, 오스트레일리아산의 쇠고기의 정강이육(무릎육)을, 780 g정도 사용했습니다.





완성.상술한 대로, 쇠고기의, 붉은 와인(wine) 삶어(조림)와 비프 스튜(beef stew)의 레시피(조리법)를 절충 시킨 님요리이므로, 시판의, 비프 스튜(beef stew)의, 소(아래)(고형의 루)도 사용했습니다만, 비프 스튜(beef stew)의, 소(아래)(고형의 루)는, 표준의 양의 반 정도를 사용했습니다.나 혼자용의, 한끼분은, 냉동 보존해 두고, 후일, 우리 집에서, 한 명때의 저녁 식사시의, 메인(main) 요리로서 먹어 그 이외는, 이 다음날의, 늦은 아침 식사겸점심 식사의, 메인(main) 요리로서 다시 로서 따뜻하게 하고 , 그녀와 먹었습니다.맛있었습니다(그녀도, 맛있다고 해 먹고 있었습니다).




이 날은, 그녀는, 우리 집에 묵어, 2명 모두, 밤샘을 해, 이 다음날(1월 8일.1월의 제2 토요일.이하, 이 날이라고 씁니다)는, 늦은 아침 식사겸점심 식사를 먹은 후, 어디에도 놀러 나와 걸지 않고 , 휴일을, 그녀와 우리 집에서, 기다리거나와 보내고 있었습니다(그것은, 그래서, 즐겁다).



상술한 대로, 우리 집의, 평상시의, 아침 식사 또는(휴일이) 늦은 아침 식사겸점심 식사는, 빵, 시리얼(cereal), 야채 사라다(salad), 3 종류정도의 과일, 우유, 쥬스(juice), 요구르트(yogurt)라고 한 내용입니다만, 이 날이 늦은 아침 식사겸점심 식사는, 전날의 밤에, 나와 그녀, 공동으로 직접 만든, 쇠고기의, 붉은 와인(wine) 삶어(조림)와 비프 스튜(beef stew)의 중간과 같은 요리를 메인(main) 요리로 한 식사(쇠고기의, 붉은 와인(wine) 삶어(조림)와 비프 스튜(beef stew)의 중간과 같은 요리는, 원래, 이 날의 저녁 식사의, 메인(main) 요리로서 먹을 예정이었지만, 나나 그녀도, 기분이 바뀌어, 예정을 변경했습니다)을, 한가롭게, 먹었던(이 식사의 내용이라면, 나는, 통상은, 붉은 와인(wine)을 마십니다만, 후술 합니다만, 늦은 아침 식사겸점심 식사를 먹은 후, 그녀와 차로, 나의 거리의 주변의 마트의 하나에, 식료품의 쇼핑하러 나왔으므로, 술은 마시지 않았습니다.상술한 대로, 나는, 술꾼으로, 술은 강합니다만, 특별히, 술이 없어도, 식사는, 즐길 수 있습니다).



상술한 대로, 이 날은, 어디에도 놀러 나와 걸지 않고 , 휴일을, 그녀와 우리 집에서, 기다리거나와 보내고 있었습니다만, 한가롭게, 늦은 아침 식사겸점심 식사를 먹은 후, 그녀와 차로, 나의 거리의 주변의 마트의 하나에, 식료품의 쇼핑에는 나왔습니다.나도, 그녀도, 하루종일, 집에 틀어박이며 보내는 휴일도, 즐겁습니다만, 마트등에 쇼핑하러 나오는 일은, 약간의 기분 전환이 됩니다.




사진 이하 6매.그녀와 우리 집에서 먹은, 이 날의 저녁 식사의, 메인(main) 요리.이 때, 나의 거리의 주변의 마트의 하나에서는, 소규모입니다만, 일본 전국의, 음식을 판매하는 행사를이나 ?`트 있었습니다만, 이 날, 사 온, 그 행사 관련의 음식으로, 토야마(toyama) 현산의, 준(trout) 스시.준(trout) 스시는, 나나 그녀도, 좋아하는 음식입니다.한 명, 한 개씩 먹었습니다(사진은, 일인분).덧붙여서, 나도, 그녀도, 기본, 밥(rice) 먹어(밥(rice)을, 비교적, 많이 먹는 타입)이 아니고, 반찬 먹어(반찬을, 비교적, 많이 먹는 타입)입니다만, 스시(쥠스시·밀기 스시 양쪽 모두 포함한다)의, 밥(rice)은, 별복이 됩니다 w(그리고, 나나 그녀도, 밥을 지어 밥(rice)의 경우도 그렇게 w).준(trout) 스시는, 토야마(toyama) 현(일본의 중부 지방에 위치하는 현의 한 개)의 전통 요리의 하나로, 준(trout)을 사용한, 밀기 스시입니다.토야마(toyama) 현의, 준(trout) 스시는, 일본 전국적으로, 잘 알려져 있습니다.

덧붙여서, 이 날의 저녁 식사시는, 나는, 음료는, 술은, 일본술을 마셨습니다.








































덤.니가타(nigata) 현(일본의 중부 지방에 위치하는 현의 한 개)의 니가타(nigata) 시의, 카지마가게(kashimaya)라고 하는 가게(1885년 창업)의, 병조림의, 왼쪽에서, 연어(salmon), 이크라(연어의 계란)의 간장지, 범립(scallop) 조개관자의 말 익혀(조림).선물.전부 한 번에 먹은 것은 아닙니다만, 이 날의 저녁 식사에서는, 한가운데의, 이크라(연어의 계란)의 간장 담그어를 먹었습니다.병조림의 연어는, 다양한, 가게나 회사가 제조하고 있습니다만, 개인적으로는, 카지마가게(kashimaya)의, 병조림의 연어(salmon)가, 1번을 좋아합니다.






이하, 1월의 전반에 간 투고로부터 발췌해 온 것으로, 이 날의 저녁 식사의 디저트(dessert)로 먹은, 쓰레기(kuzu) 떡입니다.


사진 이하 4매.이 때, 나의 거리의 주변의 마트의 하나에서는, 소규모입니다만, 일본 전국의, 음식을 판매하는 행사를 하고 있었습니다만, 이 날, 사 온, 그 행사 관련의 음식의 하나로, 카와사키(kawasaki) 대사(daishi)(아래의 보충 설명을 참조) 주변의 가게의, 쓰레기(kuzu) 떡입니다.우리 집에서 먹은, 이 날의 저녁 식사의, 디저트(dessert)와 이 다음날의, 간식으로서 그녀 (와)과 먹었습니다.


카와사키(kawasaki) 대사(daishi): 카와사키(kawasaki) 대사(daishi)는, 카와사키(kawasaki) 시(아래의 보충 설명을 참조)의, 해측(바다에 가까운 지역)에게 있는, 1128년에 창건 된, 불교의 절입니다.카와사키(kawasaki) 대사(daishi)는, 옛부터, 많은 서민의 신앙을 모아 온 절에서, 동경권으로, 특히, 첫 참배(hatsumode)를 하는 사람들이 많은, 불교의 절의 하나입니다.첫 참배(hatsumoude)란, 신년에, 신사(shrine)나 절에, 참배 하고, 그 해의 소원등을 하는, 일본의 풍습입니다.
카와사키(kawasaki) 시: 도쿄 중심부(도쿄 23구)와 요코하마(동경권으로, 도쿄 중심부(도쿄 23구)에 이어, 제2의 인구를 가지는 도시.동경권의 바다의 현관문(gateway)이 되고 있는 큰 항구도시임과 동시에, 도쿄도심부에 통근하는 사람들이 대부분 사는, 조용하고 침착한 주택지 지대가 되고 있다)의 사이에 위치하는(도쿄 중심부(도쿄 23구)의 남부와 요코하마시의 북부에 인접한다), 대도시(다만, 대도시로서는, 인구는, 비교적, 적다).카와사키(kawasaki) 시는, 해측(바다에 가까운 지역)은, 주로, 공업지대·공장지대와 서민적인 거리가 되고 있어 내륙부는, 주로, 도쿄도심부에 통근하는 사람들이 대부분 사는, 조용하고 침착한 교외 주택지가 되고 있습니다.



쓰레기(kuzu) 떡은, 쓰레기(kuzu)로 불리는 콩과의 식물의 전분으로부터 만든 가루, 혹은, 유산균으로 발효 시킨 소맥분으로부터 만드는, 소박하고, 서민적인 일본식 과자(일본 전통 과자)로, 콩가루(대두를 분말로 한 식품)와 흑당밀을 붙여 먹습니다.나는, 쓰레기(kuzu) 떡을 좋아합니다만, 쓰레기(kuzu)로 불리는 콩과의 식물의 전분으로부터 만든 가루로부터 만들어진, 쓰레기(kuzu) 떡도, 유산균으로 발효 시킨 소맥분으로부터 만들어진, 쓰레기(kuzu) 떡도 , 어느쪽이나 좋아합니다(그녀도, 어느 쪽의, 쓰레기(kuzu) 떡도, 좋아합니다).이, 쓰레기(kuzu) 떡은, 유산균으로 발효 시킨 소맥분으로부터 만들어진, 쓰레기(kuzu) 떡입니다.












콩가루(대두를 분말로 한 식품)(상자의 좌측으로 들어가 있다)와 흑당밀(상자의 위쪽에 입연줄 있다)을 붙여 먹습니다.





이상, 1월의 전반에 간 투고로부터 발췌해 온 것으로, 이 날의 저녁 식사의 디저트(dessert)로 먹은, 쓰레기(kuzu) 떡이었습니다.



이 날도, 그녀는, 우리 집에 묵어, 2명 모두, 밤샘을 해, 이 다음날(1월 9일.1월의 제2 일요일.이하, 이 날이라고 씁니다)는, 늦은 아침 식사겸점심 식사를 먹은 후, 어디에도 놀러 나와 걸지 않고 , 계속해, 휴일을, 그녀와 우리 집에서, 기다리거나와 보내고 있었습니다(그것은, 그래서, 즐겁다).


덧붙여서, 그녀와 우리 집에서 먹은, 이 날이 늦은 아침 식사겸점심 식사는, 평상시의 아침 식사(빵, 시리얼(cereal), 야채 사라다(salad), 3 종류정도의 과일, 우유, 쥬스(juice), 요구르트(yogurt))와 같은 내용이었습니다.



그녀와 우리 집에서 먹은, 이 날의 저녁 식사는, SALVATORE의, 택배(delivery)의 피자(pizza)로 했습니다.우리 집은, 택배(delivery)의 피자(pizza)라고 말하면, 기본적으로(제일 많아), SALVATORE를 이용하고 있습니다.

이하, 참고?`노, 나의 앞의 투고중에서, 택배(delivery)의, SALVATORE의, 피자(pizza)의 예.

택배(delivery) 피자(pizza)→
/jp/board/exc_board_24/view/id/2904615/page/2?&sfl=membername&stx=nnemon



이 날은, 저녁 식사 후, 차로, 그녀를, 우리 집의 근처의 구의 그녀의 혼자 생활의 맨션에 보낸 때문, 이 날의 저녁 식사시는, 술은 마시지 않았습니다.



이 다음날(1월의 제2 월요일)은, 일본은, 축일(국민의 휴일)이었지만, 개인적으로, 일이었습니다.








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1206 国立西洋美術館 nnemon2 04-10 224 0
1205 日本橋・歴史のあるデパート他 nnemon2 04-10 189 0
1204 銭湯・霧子のタンゴ他 nnemon2 04-08 200 0
1203 アジア最古の地下鉄・フランク永井....... nnemon2 04-08 168 0
1202 アイヌの伝統住居・大草原の渡り鳥....... nnemon2 04-07 196 0
1201 葉山加地邸・古い映画他 nnemon2 04-03 191 0
1200 米子城跡・米子他 nnemon2 04-03 201 0
1199 河童・河童の三平他 nnemon2 04-03 184 0
1198 宇宙 和菓子(日本伝統菓子)他 nnemon2 03-31 242 0
1197 31年の歴史の美術館他 nnemon2 03-31 197 0