伝統文化

 







神道(Shinto)は、多神教の宗教であり、八百万の神がいると言われています(八百万は、実際に、神道(Shinto)に、八百万の神がいると言う意味ではなく、非常に数が多い事の、例え。。。)。神道(Shinto)は、少し極端に言えば、キリスト(Jesus Christ)や釈迦(Buddha)でさえも、神道(Shinto)の神の一つとして受け入れる程の包容力を有する宗教です(キリスト教の人達からすれば、信じられない事かもしれませんが。。。)。



湯島(yushima)天神(tenjin)は、菅原 道真(sugawara no michizane)(下の補足説明を参照)を、学問の神様として祀っている、神道(Shinto)の神社(shrine)です。

菅原 道真(sugawara no michizane):菅原 道真(sugawara no michizane)(845年生まれ。903年に亡くなる)は、日本の、貴族、学者、詩人、政治家です。菅原 道真(sugawara no michizane)は、輝かしい伝統を持つ学者の家系に生まれ、幼少期の頃から、文才に優れ、学者として、(昔から現代に至るまで)有名です。以上、菅原 道真(sugawara no michizane)の説明は、このsiteを参考にしました→
https://kotobank.jp/word/菅原道真-83478



以下、湯島(yushima)天神(tenjin)に関する説明は、wikiを参考にしました。

湯島(yushima)天神(tenjin)は、458年に創建されたと伝えられている、とても、歴史が古い、神道の神社(shrine)です。1355年に、住民の請願により、菅原 道真(sugawara no michizane)を学問の神様として祀る神社(shrine)となり、この時(1355年)をもって、湯島(yushima)天神(tenjin)の、正式な創建とする説もあります。湯島(yushima)天神(tenjin)は、学問の神様として知られる、菅原 道真(sugawara no michizane)を祀っているため、受験シーズン(受験の時期)には多数の受験生が合格祈願に訪れますが、普段からも学問成就や修学旅行の学生らで非常な賑わいを見せています(wikiより)。


ちなみに、私は、高校受験の時も、大学受験の時も、合格祈願そのものを目的として、神道(Shinto)の神社(shrine)を訪れていません(初詣(hatsumoude)等、他の目的で、神社(shrine)を訪れた際に、志望の高校・大学の合格を祈った程度)。また、湯島(yushima)天神(tenjin)は、東京(東京圏)の学生に人気が高い、合格祈願の神社(shrine)ですが、私は、実家(元々、私の母方の祖父母の家で、母方の祖父母共既に亡くなり、現在は、両親が引き継いで暮らしている。ちなみに、母は、一人っ子です)が、我が家(東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地に位置します)の近所にあり、東京生まれ・東京育ちですが、高校受験の際も、大学受験の際も、湯島(yushima)天神(tenjin)は、訪れませんでした。



湯島(yushima)天神(tenjin)が、学問の神様を祀る神社(shrine)として有名であるのに対し、神田(kanda)明神(myoujin)は、商売(商売繁盛)の神様を祀る神社(shrine)として有名です。

神田(kanda)明神(myoujin)は、東京の、多くの会社経営者・ビジネスマン(businessman)・会社員が、初詣(hatsumoude)に訪れる、神社(shrine)です。


以下、神田(kanda)明神(myoujin)に関する説明は、wiki等を参考にしました。

神田(kanda)明神(myoujin)は、730年に創建されたと伝えられている、とても、歴史が、古い、神道(Shinto)の神社(shrine)です。神田 (kanda)明神(myoujin)は、古くから、商売(商売繁盛)・お金儲けの、神様を祀る神社(shrine)として、東京の、大衆に、親しまれて来た神社(shrine)です。





ちなみに、以下の投稿文に関して、参考に、以下、「」内。私の前の投稿文より。。。

「私は、両親とも、酒に強くて酒飲みでw、遺伝により、酒は強いです(私は、酒が強く、酒をいくら飲んでも、顔色が、全く、変わらないタイプです)。酒は、基本、どんなに飲んでも酒に飲まれる事はありませんw  それは、ウイスキーをストレートでボトル1本を超えて、比較的短時間で飲めば、時間差で後から腰は抜けますが(学生の頃の話w)、どんなに飲んでも、性格は、普段よりも陽気で上機嫌になる位で、大きくは変わりません。

日本酒、ワイン、ウイスキー、ビール、焼酎なんでも行けますが、私は、お酒の飲み方は、本来的には、ウイスキーの様な、濃いお酒を、ロックで、チビリチビリと飲むのが好きです。

ちなみに、彼女は、お酒が弱いです。」


前述の通り、私は、酒が強く、酒をいくら飲んでも、顔色が、全く、変わらないタイプで、酒癖も良く、どんなに飲んでも、性格は、普段よりも陽気で上機嫌になる位で、大きくは変わらないのですが、以下、2016年の投稿から抜粋して来た物ですが、当時は、今よりも、全般的に、相対的に、たくさん(相対的に、一度に、たくさんの量の)、お酒を飲んでいましたねw(今でも、たくさん、お酒を飲む時は、飲みますが)。




日本では、現代においては、焼肉(ちなみに、日本で は、焼肉と言う場合、通常は、牛肉の焼肉の事を指します)が、広く浸透しており、日本には、とても多くの焼肉食堂があり、焼肉は、日本の食文化の一部となっている感じです。私も、焼肉は、好きですが、焼肉は、普段、家で食べると言うよりも、外食で、よく食べています(ただし、コロナ禍という特殊な状況においては例外)。


日本では、韓国系の人々が経営している、焼肉食堂が多いですが、(韓国系以外の)日本人が経営している、焼肉食堂も、少なくありません。日本において、韓国系の人々が経営している焼肉食堂と、韓国系以外の人々が経営している焼肉食堂は、どちらが、水準が高く、美味しいかと言う事はなく、焼肉食堂の、水準が 高いか、低いか、味が美味しいか、そうでないかは、韓国系の人々の経営、それ以外の人々の経営と言う事では、決まらず(韓国系の人々の経営、それ以外の人々 の経営と言う事は、関係がなく(無関係で))、それぞれの、店によって決まると言った感じです。ちなみに、日本では、焼肉と言う場合、通常は、牛肉の焼肉の事を指します。


以下、基本的に、2016年に行った投稿から抜粋して来た物で、2016年の、1月の中旬の、土曜日(以下、この日と書きます)に、彼女と、遅れ馳せながら、初詣(hatsumoude)に行って来た時の物です。


この日は、(前日に我が家に泊まった彼女と)、上野(ueno)area方面に遊びに行き、湯島(yushima)天神(tenjin)と、神田(kanda)明神(myoujin)に、初詣(hatsumoude)に行って来ました。初詣(hatsumoude)とは、新年に、神社(shrine)や寺に、お参りして、その年の願い事などをする、日本の風習です。


上野(ueno)は、東京都心部の北東部に位置する、浅草(asakusa)と並ぶ、東京の下町(東京都心部の東部。旧市街)最大級の繁華街です。



この日は、まず、上野(ueno)areaの、アメ横(ameyoko)を訪れました。ちなみに、この日、我が家で食べた朝食は、普段、働いている日に食べている朝食(パン、シリアル(cereal)、野菜サラダ(salad)、3種類程の果物、牛乳、ジュース(juice)、ヨーグルト(yoghurt))と、基本的に、同じでした。



写真以下2枚。アメ横(ameyoko)の風景例。前にkjで、アップ(upload)した写真の、再利用。上野(ueno)areaにある、在来市場です。第二次世界大戦直後の混乱期の、闇市(何らかの物価を統制する体制下で、物資が不足している状況において、違法取引の品物を売る店が集まっている場所)に起源を持つアメ横(ameyoko)は、東京で最大の在来市場であると共に、東京で、唯一の、在来市場らしい、在来市場で、東京の観光場所の一つとなっています。ソウルの南大門市場(Namdaemun Market)や東大門市場(Dongdaemun Market)と比べると、在来市場としての規模は、ずっと小さいと思いますが、アメ横(ameyoko)及び、その周辺(御徒町(okachimaci)area)には、雑多で、庶民的な、様々な店舗(現在は、若者向けの服店も多い)があると共に、非常に庶民的な飲食店が、たくさんあります。








上野(ueno)areaは、東京で、韓国系の人々が、多く暮らし、商売を行っている地域の一つとなっており(上野(ueno)areaは、東京で、古くから、韓国系の人々が、多く暮らしている地域です)、上野(ueno)areaには、焼肉食堂が多くあります。



写真以下2枚。この日の昼食は、上野(ueno)areaの、アメ横(ameyoko)で、適当に目に付いた、焼肉食堂で食べました。この焼肉食堂は、おそらく、韓国系の家族が経営している焼肉食堂です。この焼肉食堂は、この時、初めて利用しました(上野(ueno)areaには、焼肉食堂が多くありますが、実は、今まで、個人的に、上野(ueno)areaの、焼肉には、馴染みがなく、上野(ueno)areaの、焼肉食堂は、この時、初めて利用しました)。



写真以下2枚。この焼肉食堂で食べた、この日の昼食。手頃な値段で、簡単な、牛肉の(ちなみに、日本では、焼肉と言う場合、通常は、牛肉の焼肉の事を指します)、焼肉のメニュー(menu)を食べました。二人共(私も、彼女も)、同じメニュー(menu)を食べました(写真は、一人分)。




皿の左上は、牛の舌です(美味しかったです)。



この焼肉食堂、手頃な値段で(安い値段で)、美味しかったです。上野(ueno)areaの、焼肉、良いですね。



写真以下5枚。アメ横(ameyoko)の、焼肉食堂で、昼食を食べた後は、散歩がてら(散歩しながら)、湯島(yushima)天神(tenjin)に、初詣(hatsumoude)に行きました。湯島(yushima)天神(tenjin)は、湯島(yushima)にある、神道の神社(shrine)です。湯島(yushima)は、上野(ueno)areaの南西部に隣接する地域で(東京都心部の、中北東部に位置する)、広い意味での、上野(ueno)areaに含めて考える事も出来ると言った感じです。

湯島(yushima)天神(tenjin)は、学問の神様を祀る神社(shrine)ですが、もちろん、学問以外の、願い事をしても構いません。


写真以下5枚。湯島(yushima)天神(tenjin)の、拝殿(haiden)・本殿(honden)の建物(メイン(main)の、建物)。



手前に見えるのは、食べ物等を売る、屋台。湯島(yushima)天神(tenjin)は、学問の神様を祀る神社(shrine)で、古くから、東京の、多くの学者・文人達の崇敬を集めて来ましたが、別に、堅苦しい神社(shrine)ではなく、古くから、東京の、一般庶民達に、親しまれて来た神社(shrine)です。湯島(yushima)天神(tenjin)の周りは、現在は、アパート(マンション)等のビルが建ち並んでいます。湯島(yushima)area、及び、その周辺は、第二次世界大戦末期における、アメリカ軍の空襲により、非常に、大きな被害を受けましたが(その為、古い(第二次世界大戦前からの)建物は、あまり残っていませんが)、古くからの、東京と言った地域です。個人的には、東京都心部の西部に位置する、一戸建て住宅を中心とした、静かで落ち着いた、住宅地である、私の街の方が、(私にとっては)、暮らし易いと思いますが、この辺り(湯島(yushima)area、及び、その周辺)は、古くからの東京の名残が、所々に感じられると共に、魅力的な、店舗や飲食店も多い感じで、個人的に、東京に留学に来ている、外国からの(特に、アメリカ、ヨーロッパ、オーストラリア等からの)留学生が、短期的に暮らすには、とても楽しい街であると思います。










湯島(yushima)天神(tenjin)で、初詣(hatsumoude)をした後は、散歩がてら(散歩しながら。。。ちなみに、私も、彼女も、歩くのは、好きです)、神田(kanda)明神(myoujin)に、初詣(hatsumoude)に行きました。


神田(kanda)明神(myoujin)は、(湯島(yushima)areaの南に隣接する)神田(kanda)・御茶ノ水(ochanomizu)area(東京中心部の中でも中心的な地域の北部に位置する)の、北端部に位置する、神道の神社(shrine)です。


写真以下5枚。神田(kanda)明神(myoujin)の風景例。





写真以下2枚。神田(kanda)明神(myoujin)の、拝殿(haiden)・本殿(honden)の建物(メイン(main)の、建物)。現在の、神田(kanda)明神(myoujin)の、拝殿(haiden)・本殿(honden)の建物は、先代の建物が、関東大震災(1923年に東京areaを襲った巨大地震。東京都心部等が、非常に大きな被害を受けた)で、焼失した後、(1782年に建てられた、先代の建物の形を模して)、1934年に、鉄筋コンクリートで再建された物です。













写真以下6枚。神田(kanda)明神(myoujin)で、初詣(hatsumoude)をした後は、湯島(yushima)areaの、神田(kanda)・御茶ノ水(ochanomizu)areaの近くにある、前から、ちょっと気になっていた、カフェ(cafe)で、おやつを食べました。

この、カフェ(cafe)、この時、初めて利用したのですが、店員さんの、感じも良く、飲み物や食べ物も良い感じで、値段も良心的で(高い質の割に安く)、良かったです。ちなみに、このカフェ(cafe)は、コーヒー(coffee)に、こだわっている感じ(客に、最高に、美味しい、コーヒー(coffee)を飲ませようと、コーヒー(coffee)に、とても力を入れている感じ)のカフェ(cafe)で、コーヒー(coffee)が、とても、美味しい、カフェ(cafe)です。日本には(特に、日本の大都市、さらに、特に、大都市の中でも、人口が多い、東京や大阪、飲食産業が盛んな、京都等には)、コーヒー(coffee)に、こだわっている(客に、最高に、美味しい、コーヒー(coffee)を飲ませようと、コーヒー(coffee)
に、とても力を入れている)、喫茶店(日本式coffee shop)・カフェ(cafe)も、たくさんあります。したがって、東京や大阪に暮らすのならば、日本は、コーヒー(coffee)が好きな人が暮らすのに、良い国であると思います。ちなみに、私は、コーヒー(coffee)は、特に嫌いでもなければ、特に好きでもなく、まあ、普通と言った感じで、コーヒー(coffee)の味に関しては、あまり関心がなくw、したがって、コーヒー(coffee)の味に詳しくもありませんw(美味しいコーヒー(coffee)と、不味いコーヒー(coffee)の見分けくらいはつくと思うけどw)。



写真以下2枚。この時、私達が、このカフェ(cafe)で、おやつと共に、飲んだ飲み物。この他、この時、二人共、コーヒー(coffee)を飲みました。


私が飲んだ、カフェ・ラテ(caffe latte)。



彼女が飲んだ、カフェモカ(cafe mocha)。




写真以下4枚。この時、このカフェ(cafe)で食べた、おやつ。二つ共、二人で分けて食べました。


写真以下2枚。サツマイモ(sweet potato)と、マイヤーレモン(Meyer lemon)の、フレンチトースト(french toast)。







写真以下2枚。パンケーキ(pancake)。お好みで(好きな量)、メープルシロップ(maple syrup)をかけて食べます。








写真以下、4枚。この日の夕食は、何処で食べるか決めていなかったのですが、結局、散歩がてら(散歩しながら)、上野(ueno)areaの、アメ横(ameyoko)に戻り、アメ横(ameyoko)を、ブラブラした後、適当に目に付いた、アメ横(ameyoko)の、海産物(seafood)料理が中心の、大衆的な居酒屋で、(お酒(アルコール(alcoholic)飲料)等)を)飲みながら食べました。この居酒屋は、この時、初めて利用したのですが、手頃な値段で(安くて)、料理も、まあまあ美味しく、中々、良かったです。


この時、私は、飲み物は、ひたすら(専ら)、日本酒を飲んだのですが、この時、この居酒屋で、私が飲んだ、日本酒の一つ。旭(asahi)酒造(shuzo)(山口(yamaguchi)県(日本の、西部に位置する県の一つ)の、1948年創業の(比較的、新しい)、日本酒の会社)の、獺祭(dassai)と言う、日本酒です。



この時、この居酒屋では、色々と(色々な)、おつまみを食べたのですが、写真以下、3枚は、この時、私達が、この居酒屋で食べた、おつまみの、一部。


エイヒレ((エイ(ray)の、鰭)の、磯部揚げ(海苔を巻いた、揚げ物)。美味しかったです。



刺身。



イカ(烏賊)の、焼き物。




以上、基本的に、2016年に行った投稿から抜粋して来た物で、2016年の、1月の中旬の、土曜日に、彼女と、遅れ馳せながら、初詣(hatsumoude)に行って来た時の物でした。






以下、おまけ。



ちなみに、私は、若い頃、遊んでいましたが、今は、落ち着いて、真面目なw大人になっています。


ちなみに、私の、実家(元々、私の母方の祖父母の家で、母方の祖父母共既に亡くなり、現在は、両親が引き継いで暮らしている。ちなみに、母は、一人っ子です)は、我が家(東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地に位置します)の近所にあります。私は、兄弟姉妹は、2歳年下の弟が一人います。弟は、既に結婚をし、(まだ2人共幼いですが)子供が2人おり(兄・妹)、東京の西部郊外の静かで落ち着いた住宅地に買った一戸建て住宅に、弟の家族と共に暮らしています。


 以下、「」内。私の前の投稿文より。。。

「私も私の弟も文系で、(育った家庭環境もあり)昔から英語が得意と言う事は共通しているのですが、弟は私程、社会(歴史や地理)に興味を示さなかった一方で、私よりも読書家で、私よりも、本をよく読み、国語が得意科目でした。また、弟は、文系ですが、昔から、パソコンやITに関する知識は割と豊富で(私は、パソコンやITに関する知識は乏しく、疎いですw)、実家ではパソコンの調子が変になったり使い方が分からなかったりしたら、弟に聞けと言うのが家訓になっていましたw 私も私の弟も、父に似て、知的好奇心が旺盛と言う点に関しては共通していますが、興味の方向性と言う事に関しては、昔から微妙に異なります。」


「私は弟とは、昔から(幼い頃から)、お互いに、過干渉しない、適度な距離感の、個人主義なのですが、中学校・高校時代、学校の部活に縛られない、帰宅部であった事、大学受験の為の、予備校は、通わず、学校の勉強と、(自分で選んだ参考書を使った)自宅の勉強だけで(家で、自分だけで行った勉強だけで)、大学を受験した事、大学時代に1年間、アメリカの大学に留学した事等について、弟は、私の影響を受けており、ちゃんと、私の背中を見ていてくれたのだなと思います。

私は、高校の時、遊び重視派高校生だったのでw、大学受験の為の予備校・塾には行かずに(模試は何回か受けた)、学校の勉強以外は、(自分で選んだ参考書を使った)自宅の勉強だけで(家で自分で行った勉強だけで)、大学を受験しました(弟も、その影響を受けました。私も弟も、高校までずっと公立(私も弟も高校までずっと共学でw、弟の方が勉強が出来た高校だが、何れにしても、私が通った高校も弟が通った高校も、伝統的に、全般的に女子の方が優勢で校風は何となく女性的な高校w)で浪人もしなかったので、私の両親は、大学受験までは、私にも私の弟にも、教育費に関してはあまり掛からなかったと思います)。ちなみに、私は、異性関係チャラチャラ男子高校生、2歳年下の弟はスケボ・サーフィン男子高校生でしたw

私は、高校生の時は、放課後は女の子・女の子達や私と同じチャラチャラした男友達達と遊ぶのに忙しく(渋谷でよく遊んでいました)、クラブ等での夜遊びや合コンもたくさんしていました。

私の弟は、高校の頃、サーフィンや、スケートボード、スノーボードを、よく、やっていて、アウトドア派でしたが、私は、基本、インドア派でした。私の場合、インドア派と言っても、人と過ごすインドアで、交際している女の子・親密な女の子との放課後のカラオケボックスでのカラオケ(渋谷のカラオケボックスをよく利用していました)、交際している女の子・親密な女の子との放課後のラブホテルのご休憩(エッチ)(渋谷周辺のラブホテルをよく利用していました)、放課後に交際している女の子と家(実家)の自分の部屋でテレビゲームをして遊ぶ事、放課後に交際している女の子の家(実家)に遊びに行き交際している女の子の部屋で過ごす事、合コン、クラブでの夜遊び等と言った物です。」


以下、「」内。前の他の方の投稿の私のレスより。。。

「私は、個人的には、集中して仕事(勉強)する時はちゃんとする必要がありますが、休む時は、たっぷりと・のんびりと休む必要があると思います。

私は、何故かしれないけど、小学生・中学生・高校生の頃、夏休みの宿題に苦労したと言う記憶はありません(ちなみに、私は、中学生・高校生の頃、夏休み等の宿題は、休みが終わった後、各教科の、最初の授業までに仕上げるタイプでしたw)。私は、 高校は都立高校に通っていたのですが、今の事情はどうか分かりませんが、私の頃は、記憶が曖昧ですが、期末テストが終わった後の正式の夏休みに入る前の休み(記憶が曖昧ですが試験休みって言うんでしたっけ?)を含めて、夏休みは、かなり長かったような印象があります。

日本の学校の、今の部活のあり方(私は中高生の頃から、無駄な人間関係や時間に拘束されたくないと言う考えがあったのだと思います。帰宅部を選択し、その事は、私の2歳年下の弟にも影響を与えました)と、夏休み期間中に宿題をたくさん出すと言うのは、個人的には、どうかなと思います。」



以下、「」内。私の前の投稿文より。。。

「私は、理数系ではないので(数学・理科は苦手なので)、大学は、全て、私立大学の文系の学部を受験しました。

以下、私の受験した大学です。

W大学(不合格)。この大学は、元々、私の学力からして受かると思わなく、初めから狙っておらず(したがって、この大学を受験する為の受験対策も、全くしておらず(過去問題等も全く見ておらず))、まあ、可能性は低いけれども、まぐれで、受かれば、ラッキー程度の、記念受験と言った感じでした。

M大学(合格)。

C央大学(合格)。

A学院大学(合格)。

M学院大学(滑り止めの大学として受験。合格)。

S蹊(kei)大学(吉祥寺(kichijyoji)(東京中心部(東京23区)に近い東京の西部郊外に位置する大学。不合格)。S蹊(kei)大学は、入試難易度(難度)は、当時、M大学、C央大学、A学院大学よりも低く、概ね、M学院大学と同じ位であったのですが、試験問題が、個人的に肌に合わず(この大学は、元々、この大学の入試問題向けの受験対策も、全くしておらず(過去問題等も全く見ておらず))、ちょっと舐めて受験したと言うのもあります)、受験している時から手応えがなく、不合格でした。

M大学(合格)、C央大学(合格)、A学院大学(合格)は、当時、概ね、入試難易度(難度)が、同じ位でした。

C央大学は、東京都心部から、比較的遠い、東京の西部郊外に位置する大学で、大学のキャンパス(敷地や校舎)は、広く、ゆったりとしていて、学習環境的には、当時、受験した大学の中で、最も良かったのですが、(東京都心部に生まれ育った私からしたらw)こんな田舎に4年間も通いたくないと思い、合格しましたが、行くのをやめました。

A学院大学は、受験したのは、東京都心部の校舎でしたが、当時1年生から2年生は、遠い、東京近郊にあるキャンパス(校舎)に通わなければならなかったので(現在は、再び、元々のように(私の母が通っていた頃のように)、4年間、東京都心部のキャンパス(校舎)に戻っている)、合格しましたが、それを理由に行くのをやめました。

M学院大学(滑り止めの大学として受験。合格)は、私の母方の祖母は、M学院大学の創立者のアメリカ人と、私の母方の祖母の祖父が仲が良かったようで、行く事を勧めてくれたのですが(ちなみに、私の母方の祖母は、自分が卒業した、A学院大学は、(本当は、私に、行って欲しかったようですが)、敢えて勧めませんでした)、M学院大学も、悪い大学ではないのですが、この時、受験し、合格した、他の大学に比べると、名門度と言う点においては落ち、就職面において不利かなと思い(その点においては、元々、大学の入試問題向けの受験対策も、全くしておらず(過去問題等も全く見ておらず))、ちょっと舐めて受験した事と、試験問題が、個人的に肌に合わず、不合格でありましたが、前述したS蹊(kei)大学も同じ)、行くのをやめました。

結局、消去法により、通学が楽な(1、2年は、東京中心部(東京23区)の西端地域に位置するキャンパス(校舎)、3、4年は、東京都心のキャンパス(校舎))、合格した、M大学に行く事にしました。

ちなみに、M大学は、政治経済学部を選んで受験したのですが、学部は、入学してから、勉強が楽である(単位が取り易い)学部であると言う、とても単純で馬鹿な基準で選びました。M大学の、政治経済学部は、当時、勉強が楽である(単位が取り易い)事から、大学内において、パラダイス(paradise・天国)政治経済学部と呼ばれていましたw(私のような、チャラチャラした学生が行くには、環境的に、調度、良いw)。ちなみに、M大学は、実は、受験前から、前述した理由による消去法により、第一志望でした。


ちなみに、私の弟も、私同様、理数系ではないので(数学・理科は苦手なので)、大学は、全て、私立大学の文系の学部を受験したのですが、私の弟は、最初から、W大学(弟はW大学は法学部を選んで受験しました)が第一志望で、その大学に合格する為の受験勉強をし、その大学以外は、私の記憶が曖昧なので、間違っていたら申し訳ありませんが、何れも、滑り止めとして、M大学、C央大学、A学院大学を受験して、何れも、合格しています(弟は、何だかんだ言って、私の背中を見ていてくれたようで、弟は、受験する大学は、私の影響を受けました(私の真似をしました))。」



以下、「」内。私の前の投稿・レスより。。。

「私は、大学時代1年間、アメリカの大学に留学していますが、普通に、日本の、4年制の大学を卒業していますが、私の大学生活は、非常に、楽しかったです。」

「私は、大学時代、広い人脈を有していました(私が、人生の中で、一番広い人脈を有していたのは、暇で、時間が、とてもたくさんあった、私が大学生の時です)。」

「私は、大学時代、日本の大学に通う一方で、1年間、アメリカの大学に留学したのですが、アメリカの大学で取った単位を日本の大学に組み入れる事で、途中、アメリカの大学に1年留学しても、4年間で、大学を卒業する事が可能であったのですが、(まあ、私は、高校時代も、よく遊んでいたのですがw、引き続き)、大学時代も、遊ぶ事を重視していた為、ゆとりを持って、大学4年生の9月から、概ね1年間留学をし、また、日本の大学の4年生に復学して、大学を卒業した為、結果として5年間で大学を卒業する事となり、私は、大学入試の時、浪人(希望の大学を受験する為に、高校卒業後、一定期間(通常は1年間)、予備校(大学受験準備学校)に通う等して勉強する事)はしなかったのですが、最終的には1年浪人して大学に入学した人と同い年で大学を卒業しました。就職に関しては、一年間のアメリカの大学の留学から、日本に帰国し、日本の大学の4年生に復学した後、大学時代の友人と個人事業を始めた(厳密には、元々、大学時代の友人が既に始めていた事業に参加した)ので、問題はありませんでした。大学時代の、アメリカの大学の1年間の留学は、今でも、良い思い出として残っており、行って良かったと思っています。」



以下、前に行った投稿から抜粋して来た物です。ちなみに、私の彼女は、4年制の、私立の女子大学を卒業しています。




動画は、借り物。東京六大学チアリーダー。東京六大学応援歌メドレー 。仲が良さそうでいいですね。



上の動画で、私が卒業した大学の、チアリーダーの、ユニフォームは、紫をベースとし(紫を基本とし)、紫の、スカートに黄色の縦線が、入った、ユニフォームです。


上の動画で、私の弟、及び、私の父方の従兄(私の父方の伯母の息子。私には男のいとこは一人しかいない)が卒業した大学の、チアリーダーの、ユニフォームは、赤をベースとし(赤を基本とし)、胸の部分に、逆三角形(遠くから見るとVの字にも見える)が入った、ユニフォームです。


上の動画で、私の父が卒業した大学の、チアリーダーの、ユニフォームは、青をベースとし(青を基本とし)、胸の部分に、斜めのアルファベットが入っていない方の、ユニフォームです。


上の動画で、私の父方の伯母の夫(私の父方の義理の伯父)、我が家(東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地に位置します)及び我が家の近所の私の実家の近所に暮らす、私の母の女性のいとこ(私の母と同年代)の夫、私の母の女性のいとこ(私の母と同年代)の娘(私の母方の又従妹)が、卒業した大学の、チアリーダーの、ユニフォームは、青をベースとし(青を基本とし)、胸の部分に、斜めのアルファベットが入った、ユニフォームです。


ちなみに、私の母は、一人っ子なので、私には、母方の、いとこはいません。


以上、前に行った投稿から抜粋して来た物でした。


以下、参考の投稿。

東京六大学チアリーダー・東京六大学応援歌メドレー他→
/jp/board/exc_board_5/view/id/3280219/page/5?&sfl=membername&stx=nnemon2



以下、定期的に、私の卒業した大学の卒業生の家に、送られて来る、私の卒業した大学の、広報誌の、最新号より。。。














親子孫、三代卒業者。ちなみに、私の母方の祖母と私の母は、我が家及び我が家の近所の私の実家の同区内の、A学院大学という、私立の大学を卒業している為、私又は私の弟が、A学院大学に行って、A学院大学を卒業していれば、親子孫、三代卒業者となっていました。









以下、参考の投稿。

北欧 サマーハウスでする9つのこと他→
/jp/board/exc_board_11/view/id/3359400?&sfl=membername&stx=nnemon2
シラノ・ド・ベルジュラック(Cyrano de Bergerac)他→
/jp/board/exc_board_14/view/id/3341331/page/1?&sfl=membername&stx=nnemon2
仏教 善友の話他→
/jp/board/exc_board_14/view/id/3341332?&sfl=membername&stx=nnemon2
適当に文化比較の話→
/jp/board/exc_board_14/view/id/3339695/page/2?&sfl=membername&stx=nnemon2
雨があがれば晴れになる→
/jp/board/exc_board_26/view/id/3319779/page/3?&sfl=membername&stx=nnemon2
今日は、晴れ→
/jp/board/exc_board_26/view/id/3319780/page/3?&sfl=membername&stx=nnemon2

 


유시마 천신·간다묘신사외







신도(Shinto)는, 다신교의 종교이며, 수 많은 신이 있다고 말해지고 있습니다(수가 아주 많음은, 실제로, 신도(Shinto)에, 수 많은 신이 있다고 하는 의미가 아니고, 매우 수가 많은 일의, 비유...).신도(Shinto)는, 조금 극단적으로 말하면, 그리스도(Jesus Christ)나 석가(Buddha)조차도, 신도(Shinto)의 신의 하나로서 받아 들일 정도의 포용력을 가지는 종교입니다(크리스트교의 사람들로부터 하면, 믿을 수 없는 것일지도 모릅니다만...).



유시마(yushima) 천신(tenjin)은, 스가와라도진(sugawara no michizane)(아래의 보충 설명을 참조)를, 학문의 신으로서 모시고 있는, 신도(Shinto)의 신사(shrine)입니다.

스가와라도진(sugawara no michizane):스가와라도진(sugawara no michizane)(845 년생.903년에 죽는다)는, 일본의, 귀족, 학자, 시인, 정치가입니다.스가와라도진(sugawara no michizane)은, 훌륭한 전통을 가지는 학자의 가계로 태어나 유소기의 무렵부터, 문재가 뛰어나 학자로서(옛부터 현대에 이르기까지) 유명합니다.이상, 스가와라도진(sugawara nomichizane)의 설명은, 이 site를 참고로 했습니다→
https://kotobank.jp/word/스가와라도진-83478



이하, 유시마(yushima) 천신(tenjin)에 관한 설명은, wiki를 참고로 했습니다.

유시마(yushima) 천신(tenjin)은, 458년에 창건 되었다고 전하고 있다, 매우, 역사가 낡은, 신도의 신사(shrine)입니다.1355년에, 주민의 청원에 의해, 스가와라도진(sugawara no michizane)을 학문의 신으로서 모시는 신사(shrine)가 되어, 이 때(1355년)로서, 유시마(yushima) 천신(tenjin)의, 정식적 창건으로 하는 설도 있습니다.유시마(yushima) 천신(tenjin)은, 학문의 신으로서 알려진, 스가와라도진(sugawara nomichizane)를 모시고 있기 때문에, 수험 시즌(수험의 시기)에는 다수의 수험생이 합격 기원에 방문합니다만, 평상시부터도 학문 성취나 수학 여행의 학생들로 대단한 활기를 보이고 있습니다(wiki보다).


덧붙여서, 나는, 고교 수험때도, 대학 수험때도, 합격 기원 그 자체를 목적으로 하고, 신도(Shinto)의 신사(shrine)를 방문하고 있지 않습니다(첫 참배(hatsumoude) 등 , 다른 목적으로, 신사(shrine)를 방문했을 때에, 지망의 고교·대학의 합격을 빈 정도).또, 유시마(yushima) 천신(tenjin)은, 도쿄(동경권)의 학생에게 인기가 높은, 합격 기원의 신사(shrine)입니다만, 나는, 친가(원래, 나의 외가의 조부모의 집에서, 외가의 조부모모두 이미 죽어, 현재는, 부모님이 계승하며 살고 있다.덧붙여서, 어머니는, 독자입니다)가, 우리 집(도쿄도심부의 서부의 조용하고 침착한 주택지에 위치합니다)의 부근에 있어, 도쿄 태어나·도쿄 태생입니다만, 고교 수험때도, 대학 수험때도, 유시마(yushima) 천신(tenjin)은, 방문하지 않았습니다.



유시마(yushima) 천신(tenjin)이, 학문의 신을 모시는 신사(shrine)로서 유명해요에 대해, 칸다(kanda) 묘진(myoujin)은, 장사(장사 번성)의 신을 모시는 신사(shrine)로서 유명합니다.

칸다(kanda) 묘진(myoujin)은, 도쿄의, 많은 회사 경영자·비지니스맨(businessman)·회사원이, 첫 참배(hatsumoude)에 방문하는, 신사(shrine)입니다.


이하, 칸다(kanda) 묘진(myoujin)에 관한 설명은, wiki등을 참고로 했습니다.

칸다(kanda) 묘진(myoujin)은, 730년에 창건 되었다고 전하고 있다, 매우, 역사가, 낡은, 신도(Shinto)의 신사(shrine)입니다.칸다 (kanda) 묘진(myoujin)은, 옛부터, 장사(장사 번성)·돈벌이의, 신을 모시는 신사(shrine)로서 도쿄의, 대중에게, 사랑받아 온 신사(shrine)입니다.





덧붙여서, 이하의 투고문에 관해서, 참고에, 이하, 「」 안.나의 앞의 투고문보다...

「 나는, 부모님 모두, 술에 강해서 술꾼으로 w, 유전에 의해, 술은 강합니다( 나는, 술이 강하고, 술을 아무리 마셔도, 안색이, 완전히, 변하지 않는 타입입니다).술은, 기본, 아무리 마셔도 술에 먹히는 일은 없습니다 w 그것은, 위스키를 스트레이트로 보틀 1개를 넘고, 비교적 단시간에 마시면, 시간차이로 나중에 허리는 빠집니다만(학생의 무렵의 이야기 w), 아무리 마셔도, 성격은, 평상시보다 밝고 매우 기분이 좋아 지는 정도로, 크지는 바뀌지 않습니다.

일본술, 와인, 위스키, 맥주, 소주 뭐든지 갈 수 있습니다만, 나는, 술의 마시는 방법은, 본래적으로는, 위스키와 같은, 진한 술을, 락으로, 치비리치비리와 마시는 것을 좋아합니다.

덧붙여서, 그녀는, 술이 약합니다.」


상술한 대로, 나는, 술이 강하고, 술을 아무리 마셔도, 안색이, 완전히, 변하지 않는 타입으로, 술버릇도 좋고, 아무리 마셔도, 성격은, 평상시보다 밝고 매우 기분이 좋아 지는 정도로, 크지는 변하지 않습니다만, 이하, 2016년의 투고로부터 발췌해 온 것입니다만, 당시는, 지금보다, 전반적으로, 상대적으로, 많이(상대적으로, 한 번에, 많은 양의), 술을 마시고 있었어요 w(지금도, 많이, 술을 마실 때는, 마십니다만).




일본에서는, 현대에 있어서는, 불고기(덧붙여서, 일본에서 (은)는, 불고기라고 하는 경우, 통상은, 쇠고기의 불고기의 일을 가리킵니다)가, 넓게 침투하고 있어, 일본에는, 매우 많은 불고기 식당이 있어, 불고기는, 일본의 식생활 문화의 일부가 되고 있는 느낌입니다.나도, 불고기는, 좋아합니다만, 불고기는, 평상시, 집에서 먹는다고 하는 것보다도, 외식으로, 잘 먹고 있습니다(다만, 코로나재난이라고 하는 특수한 상황에 있고는 예외).


일본에서는, 한국계의 사람들이 경영하고 있는, 불고기 식당이 많습니다만, (한국계 이외의) 일본인이 경영하고 있는, 불고기 식당도, 적지는 않습니다.일본에 있고, 한국계의 사람들이 경영하고 있는 불고기 식당과 한국계 이외의 사람들이 경영하고 있는 불고기 식당은, 어느 쪽이, 수준이 높고, 맛있을까 말하는 일은 없고, 불고기 식당의, 수준이 높은지, 낮은지, 맛이 맛있는지, 그렇지 않은가는, 한국계의 사람들의 경영, 그 이외의 사람들의 경영이라고 하는 것에서는, 정해지지 않고(한국계의 사람들의 경영, 그 이외의 사람들 의 경영이라고 하는 것은, 관계가 없고(무관계하고)), 각각의, 가게에 의해서 정해진다고 한 느낌입니다.덧붙여서, 일본에서는, 불고기라고 하는 경우, 통상은, 쇠고기의 불고기의 일을 가리킵니다.


이하, 기본적으로, 2016년에 간 투고로부터 발췌해 온 것으로, 2016년의, 1월의 중순의, 토요일(이하, 이 날이라고 씁니다)에, 그녀와 늦어 달리면서, 첫 참배(hatsumoude)에 갔다 왔을 때의 물건입니다.


이 날은, (전날에 우리 집에 묵은 그녀와), 우에노(ueno) area 방면으로 놀러 가, 유시마(yushima) 천신(tenjin)과 칸다(kanda) 묘진(myoujin)에, 첫 참배(hatsumoude)에 갔다 왔습니다.첫 참배(hatsumoude)란, 신년에, 신사(shrine)나 절에, 참배 하고, 그 해의 소원등을 하는, 일본의 풍습입니다.


우에노(ueno)는, 도쿄도심부의 북동부에 위치하는, 아사쿠사(asakusa)와 대등한, 도쿄의 변두리(도쿄도심부의 동부.구시가) 최대급의 번화가입니다.



이 날은, 우선, 우에노(ueno) area의, 사탕옆(ameyoko)을 방문했습니다.덧붙여서, 이 날, 우리 집에서 먹은 아침 식사는, 평상시, 일하고 있는 날에 먹고 있는 아침 식사(빵, 시리얼(cereal), 야채 사라다(salad), 3 종류정도의 과일, 우유, 쥬스(juice), 요구르트(yoghurt))와 기본적으로, 같았습니다.



사진 이하 2매.사탕옆(ameyoko)의 풍경예.전에 kj로, 업(upload) 한 사진의, 재이용.우에노(ueno) area에 있는, 재래 시장입니다.제이차 세계대전 직후의 혼란기의, 암시장(어떠한 물가를 통제하는 체제하에서, 물자가 부족한 상황에 있고, 위법 거래의 물건을 파는 가게가 모여 있는 장소)에 기원을 가지는 사탕옆(ameyoko)은, 도쿄에서 최대의 재래 시장임과 동시에, 도쿄에서, 유일한, 재래 시장인것 같은, 재래 시장에서, 도쿄의 관광 장소의 하나가 되고 있습니다.서울의 남대문 시장(Namdaemun Market)이나 동대문 시장(Dongdaemun Market)과 비교하면, 재래 시장으로서의 규모는, 훨씬 작다고 생각합니다만, 사탕옆(ameyoko) 및, 그 주변(오카치마치(okachimaci) area)에는, 잡다하고, 서민적인, 님 들인 점포(현재는, 젊은 층을 겨냥의 복점도 많다)가 있다와 함께, 매우 서민적인 음식점이, 많이 있어요.








우에노(ueno) area는, 도쿄에서, 한국계의 사람들이, 많이 살아, 장사를 실시하고 있는 지역의 하나가 되고 있어(우에노(ueno) area는, 도쿄에서, 옛부터, 한국계의 사람들이, 많이 살고 있는 지역입니다), 우에노(ueno) area에는, 불고기 식당이 많이 있어요.



사진 이하 2매.이 날의 점심 식사는, 우에노(ueno) area의, 사탕옆(ameyoko)에서, 적당하게 눈에 띈, 불고기 식당에서 먹었습니다.이 불고기 식당은, 아마, 한국계의 가족이 경영하고 있는 불고기 식당입니다.이 불고기 식당은, 이 때, 처음으로 이용했던(우에노(ueno) area에는, 불고기 식당이 많이 있어요가, 실은, 지금까지, 개인적으로, 우에노(ueno) area의, 불고기에는, 익숙한 것이 없고, 우에노(ueno) area의, 불고기 식당은, 이 때, 처음으로 이용했습니다).



사진 이하 2매.이 불고기 식당에서 먹은, 이 날의 점심 식사.적당한 가격으로, 간단한, 쇠고기의(덧붙여서, 일본에서는, 불고기라고 하는 경우, 통상은, 쇠고기의 불고기의 일을 가리킵니다), 불고기의 메뉴(menu)를 먹었습니다.두 명모두( 나도, 그녀도), 같은 메뉴(menu)를 먹었습니다(사진은, 일인분).




접시의 좌상은, 소의 혀입니다(맛있었습니다).



이 불고기 식당, 적당한 가격으로(싼 가격으로), 맛있었습니다.우에노(ueno) area의, 불고기, 좋네요.



사진 이하 5매.사탕옆(ameyoko)의, 불고기 식당에서, 점심 식사를 먹은 다음은, 산책할 겸(산책하면서), 유시마(yushima) 천신(tenjin)에, 첫 참배(hatsumoude)에 갔습니다.유시마(yushima) 천신(tenjin)은, 유시마(yushima)에 있는, 신도의 신사(shrine)입니다.유시마(yushima)는, 우에노(ueno) area의 남서부에 인접하는 지역에서(도쿄도심부의, 안북동부에 위치한다), 넓은 의미로의, 우에노(ueno) area에 포함하고 생각하는 일도 할 수 있다고 한 느낌입니다.

유시마(yushima) 천신(tenjin)은, 학문의 신을 모시는 신사(shrine)입니다만, 물론, 학문 이외의, 소원을 해도 상관하지 않습니다.


사진 이하 5매.유시마(yushima) 천신(tenjin)의, 배전(haiden)·본전(honden)의 건물(메인(main)의, 건물).



앞으로 보이는 것은, 음식등을 파는, 포장마차.유시마(yushima) 천신(tenjin)은, 학문의 신을 모시는 신사(shrine)에서, 옛부터, 도쿄의, 많은 학자·문인들의 숭경을 모아 왔습니다만, 별로, 딱딱한 신사(shrine)가 아니고, 옛부터, 도쿄의, 일반 서민들에게, 사랑받아 온 신사(shrine)입니다.유시마(yushima) 천신(tenjin)의 주위는, 현재는, 아파트(맨션) 등의 빌딩이 늘어서 있습니다.유시마(yushima) area, 및, 그 주변은, 제이차 세계대전 말기에 있어서의, 미군의 공습에 의해, 매우, 큰 피해를 받았습니다만(그 때문에, 낡은(제이차 세계대전 전부터의) 건물은, 별로 남아 있지 않습니다만), 옛부터의, 도쿄라고 한 지역입니다.개인적으로는, 도쿄도심부의 서부에 위치하는, 독립주택을 중심으로 한, 조용하고 침착한, 주택지인, 나의 거리가, ( 나에게 있어서는), 살기 쉽다고 생각합니다만, 이 근처(유시마(yushima) area, 및, 그 주변)는, 옛부터의 도쿄의 자취가, 곳곳에 느껴짐과 동시에, 매력적인, 점포나 음식점도 많은 느낌으로, 개인적으로, 도쿄에 유학하러 와있는, 외국으로부터의(특히, 미국, 유럽, 오스트레일리아등으로부터의) 류학생이, 단기적으로 살려면 , 정말 즐거운 거리이다고 생각합니다.










유시마(yushima) 천신(tenjin)으로, 첫 참배(hatsumoude)를 한 다음은, 산책할 겸(산책하면서...덧붙여서, 나도, 그녀도, 걷는 것은, 좋아합니다), 칸다(kanda) 묘진(myoujin)에, 첫 참배(hatsumoude)에 갔습니다.


칸다(kanda) 묘진(myoujin)은, (유시마(yushima) area의 남쪽으로 인접한다) 칸다(kanda)·오차노미즈(ochanomizu) area(도쿄 중심부안에서도 중심적인 지역의 북부에 위치한다)의, 북단부에 위치하는, 신도의 신사(shrine)입니다.


사진 이하 5매.칸다(kanda) 묘진(myoujin)의 풍경예.





사진 이하 2매.칸다(kanda) 묘진(myoujin)의, 배전(haiden)·본전(honden)의 건물(메인(main)의, 건물).현재의, 칸다(kanda) 묘진(myoujin)의, 배전(haiden)·본전(honden)의 건물은, 선대의 건물이, 관동 대지진(1923년에 도쿄 area를 덮친 거대 지진.도쿄도심부등이, 매우 큰 피해를 받았다)로, 소실한 후, (1782년에 지어진, 선대의 건물의 형태를 본뜨고), 1934년에, 철근 콘크리트에서 재건된 것입니다.













사진 이하 6매.칸다(kanda) 묘진(myoujin)으로, 첫 참배(hatsumoude)를 한 다음은, 유시마(yushima) area의, 칸다(kanda)·오차노미즈(ochanomizu) area의 근처에 있다, 전부터, 조금 신경이 쓰이고 있던, 카페(cafe)에서, 간식을 먹었습니다.

이, 카페(cafe), 이 때, 처음으로 이용했습니다만, 점원의, 느낌도 좋고, 음료나 음식도 좋은 느낌으로, 가격도 양심적이고(높은 질에 비해 싸고), 좋았습니다.덧붙여서, 이 카페(cafe)는, 커피(coffee)에, 구애되고 있는 느낌(손님에게, 최고로, 맛있는, 커피(coffee)를 먹이려고, 커피(coffee)에, 매우 힘을 쓰고 있는 느낌)의 카페(cafe)에서, 커피(coffee)가, 매우, 맛있는, 카페(cafe)입니다.일본에는(특히, 일본의 대도시, 게다가 특히, 대도시안에서도, 인구가 많은, 도쿄나 오사카, 음식 산업이 번성한, 쿄토등에는), 커피(coffee)에, 구애되고 있는(손님에게, 최고로, 맛있는, 커피(coffee)를 먹이려고, 커피(coffee)
에, 매우 힘을 쓰고 있다), 찻집(일본식 coffeeshop)·카페(cafe)도, 많이 있어요.따라서, 도쿄나 오사카에 산다면, 일본은, 커피(coffee)를 좋아하는 사람이 사는데, 좋은 나라이다고 생각합니다.덧붙여서, 나는, 커피(coffee)는, 특히 싫지도 않으면, 특히 좋아하지도 않고, 뭐, 보통이라고 한 느낌으로, 커피(coffee)의 맛에 관해서는, 별로 관심이 없고 w, 따라서, 커피(coffee)의 맛을 잘 안지도 않습니다 w(맛있는 커피(coffee)와 맛이 없는 커피(coffee)의 분별 정도는 붙는다고 생각하지만 w).



사진 이하 2매.이 때, 저희들이, 이 카페(cafe)에서, 간식과 함께, 마신 음료.이 외, 이 때, 두 명모두, 커피(coffee)를 마셨습니다.


내가 마신, 카페·라테(caffe latte).



그녀가 마신, 카페 모카(cafe mocha).




사진 이하 4매.이 때, 이 카페(cafe)에서 먹은, 간식.둘 모두, 둘이서 나누어 먹었습니다.


사진 이하 2매.고구마(sweet potato)와 마이어 레몬(Meyer lemon)의, 프렌치 토스트(french toast).







사진 이하 2매.팬케이크(pancake).기호로(좋아하는 양), 메이플 시럽(maple syrup)을 쳐 먹습니다.








사진 이하, 4매.이 날의 저녁 식사는, 어디에서 먹을까 결정하지 않았습니다만, 결국, 산책할 겸(산책하면서), 우에노(ueno) area의, 사탕옆(ameyoko)으로 돌아와, 사탕옆(ameyoko)을, 흔들흔들 한 후, 적당하게 눈에 띈, 사탕옆(ameyoko)의, 해산물(seafood) 요리가 중심의, 대중적인 선술집에서, (술(알코올(alcoholic) 음료) 등 )을) 마시면서 먹었습니다.이 선술집은, 이 때, 처음으로 이용했습니다만, 적당한 가격으로(싸서), 요리도, 그저 맛있고, 꽤, 좋았습니다.


이 때, 나는, 음료는, 오로지(오로지), 일본술을 마셨습니다만, 이 때, 이 선술집에서, 내가 마신, 일본술의 하나.아사히(asahi) 주조(shuzo)(야마구치(yamaguchi) 현(일본의, 서부에 위치하는 현의 하나)의, 1948년 창업의(비교적, 새롭다), 일본술의 회사)한, 수달제(dassai)라고 말하는, 일본술입니다.



이 때, 이 선술집에서는, 다양하게(다양한), 안주를 먹었습니다만, 사진 이하, 3매는, 이 때, 저희들이, 이 선술집에서 먹은, 안주의, 일부.


에이히레((에이(ray)의, 기)의, 이소베 올려(김을 감은, 튀김).맛있었습니다.



생선회.



오징어(오징어)의, 구이.




이상, 기본적으로, 2016년에 간 투고로부터 발췌해 온 것으로, 2016년의, 1월의 중순의, 토요일에, 그녀와 늦어 달리면서, 첫 참배(hatsumoude)에 갔다 왔을 때의 물건이었습니다.






이하, 덤.



덧붙여서, 나는, 젊은 무렵, 놀고 있었습니다만, 지금은, 침착하고, 성실한 w어른이 되어 있습니다.


덧붙여서, 나의, 친가(원래, 나의 외가의 조부모의 집에서, 외가의 조부모모두 이미 죽어, 현재는, 부모님이 계승하며 살고 있다.덧붙여서, 어머니는, 독자입니다)는, 우리 집(도쿄도심부의 서부의 조용하고 침착한 주택지에 위치합니다)의 부근에 있습니다.나는, 형제 자매는, 2세 연하의 남동생이 한 명 있습니다.남동생은, 이미 결혼을 해, ( 아직 2명 모두 어립니다만) 아이가 2명 있어(형·세), 도쿄의 서부 교외의 조용하고 침착한 주택지에 산 독립주택에, 남동생의 가족과 함께 살고 있습니다.


이하, 「」 안.나의 앞의 투고문보다...

「 나도 나의 남동생도 문과에서, (자란 가정환경도 있어) 옛부터 영어가 이익이라고 하는 것은 공통되고 있습니다만, 남동생은 사정, 사회(역사나 지리)에 흥미를 나타내지 않았던 한편, 나보다 독서가로, 나보다, 책을 잘 읽어, 국어가 이익 과목이었습니다.또, 남동생은, 문과입니다만, 옛부터, PC나 IT에 관한 지식은 생각보다는 풍부하고( 나는, PC나 IT에 관한 지식은 부족하고, 서먹합니다 w), 친가에서는 PC의 상태가 이상하게 되거나 사용법을 모르거나 하면, 남동생에게 (들)물으라고 하는 것이 가훈이 되어 있었던 w 나도 나의 남동생도, 아버지를 닮고, 지적 호기심이 왕성이라고 하는 점에 관해서는 공통되고 있습니다만, 흥미의 방향성이라고 하는 것에 관해서는, 옛부터 미묘하게 다릅니다.」


「 나는 남동생이란, 옛부터(어릴 적부터), 서로, 과간섭하지 않는, 적당한 거리감의, 개인주의입니다만, 중학교·고교시절, 학교의 동아리에 묶이지 않는, 귀가부에서 만난 일, 대학 수험을 위한, 예비학교는, 다니지 않고, 학교의 공부와(스스로 선택한 참고서를 사용한) 자택의 공부만으로(집에서, 자신만으로 간 공부만으로), 대학을 수험한 일, 대학시절에 1년간, 미국의 대학에 유학한 일등에 대해 , 남동생은, 나의 영향을 받고 있어 제대로, 나의 등을 보고 있어 주었던 것이다라고 생각합니다.

나는, 고등학교때, 놀이 중시파 고교생이었으므로 w, 대학 수험을 위한 예비학교·학원에는 가지 않고 (모의 시험은 몇회인가 받은), 학교의 공부 이외는, (스스로 선택한 참고서를 사용한) 자택의 공부만으로(집에서 스스로 간 공부만으로), 대학을 수험했습니다(남동생도, 그 영향을 받았습니다.나나 남동생도, 고등학교까지 쭉 공립( 나나 남동생도 고등학교까지 쭉 공학으로 w, 남동생이 공부를 할 수 있던 고등학교이지만, 어느 쪽으로 해도, 내가 다닌 고등학교도 남동생이 다닌 고등학교도, 전통적으로, 전반적으로 여자가 우세하고 교풍은 웬지 모르게 여성적인 고교 w)으로 재수생도 하지 않았기 때문에, 나의 부모님은, 대학 수험까지는, 나에게도 나의 남동생에게도, 교육비에 관해서는 별로 걸리지 않았다고 생각합니다).덧붙여서, 나는, 이성 관계 체라체라 남자 고교생, 2세 연하의 남동생은 스케보·서핑 남자 고교생이었습니다 w

나는, 고교생때는, 방과후는 여자 아이·여자 아이들이나 나와 같은 체라체라 한 남자 친구들과 노는데 바쁘고(시부야에서 잘 놀고 있었습니다), 클럽등으로의 밤놀이나 미팅도 많이 하고 있었습니다.

나의 남동생은, 고등학교의 무렵, 서핑이나, 스케이트보드 , 스노보드를, 자주(잘), 하고 있고, 아웃도어파였지만, 나는, 기본, 인도어파였습니다.나의 경우, 인도어파라고 말해도, 사람과 보내는 인도어로, 교제하고 있는 여자 아이·친밀한 여자 아이와의 방과후의 가라오케 박스로의 가라오케(시부야의 가라오케 박스를 자주(잘) 이용하고 있었습니다), 교제하고 있는 여자 아이·친밀한 여자 아이와의 방과후의 러브호텔의 휴식(에이치)(시부야 주변의 러브호텔을 자주(잘) 이용하고 있었습니다), 방과후에 교제하고 있는 여자 아이와 집(친가)의 자신의 방에서 텔레비젼 게임을 해 노는 일, 방과후에 교제하고 있는 여자 아이의 집(친가)에 놀러 가 교제하고 있는 여자 아이의 방에서 보내는 일, 미팅, 클럽으로의 밤놀이등이라고 한 것입니다.」


이하, 「」 안.전의 다른 분의 투고의 나의 레스보다...

「 나는, 개인적으로는, 집중해 일(공부)할 때는 확실할 필요가 있어요가, 쉴 때는, 충분히·한가롭게 쉴 필요가 있다라고 생각합니다.

나는, 왜일까 모르지만, 초등 학생·중학생·고교생의 무렵, 여름휴가(방학)의 숙제에 고생했다고 말하는 기억은 없습니다(덧붙여서, 나는, 중학생·고교생의 무렵, 여름휴가(방학)등의 숙제는, 휴일이 끝난 후, 각 교과의, 최초의 수업그리고로 완성하는 타입이었습니다 w).나는, 고등학교는 도립고교에 다니고 있었습니다만, 지금의 사정은 어떨까 모릅니다만, 나의 무렵은, 기억이 애매합니다만, 기말 테스트가 끝난 후의 정식의 여름휴가(방학)에 들어가기 전의 휴일(기억이 애매합니다만 시험 휴일이라고 말하기 때문에 했던가?)(을)를 포함하고, 여름휴가(방학)은, 꽤 길었던 것 같은 인상이 있어요.

일본의 학교의, 지금의 동아리의 본연의 자세( 나는 중고생의 무렵부터, 쓸데 없는 인간 관계나 시간에 구속되고 싶지 않다고 하는 생각이 있었던 것이라고 생각합니다.귀가부를 선택해, 그 일은, 나의 2세 연하의 남동생에게도 영향을 주었습니다)와 여름휴가(방학) 기간중에 숙제를 많이 낸다고 하는 것은, 개인적으로는 아무쪼록인이라고 생각합니다.」



이하, 「」 안.나의 앞의 투고문보다...

「 나는, 이수계는 아니기 때문에(수학·이과는 서툴러서), 대학은, 모두, 사립 대학의 문과의 학부를 수험했습니다.

이하, 나의 수험한 대학입니다.

W대학(불합격).이 대학은, 원래, 나의 학력부터 합격한다고 생각하지 않고, 처음부터 노리지 않고(따라서, 이 대학을 수험하기 때문에(위해)의 수험 대책도, 전혀 있지 않고(과거 문제등도 완전히 보지 않고)), 뭐, 가능성은 낮지만, 우연으로, 합격하면, 럭키 정도의, 기념 수험과 형태 `세느낌이었습니다.

M대학(합격).

C앙대학(합격).

A학원 대학(합격).

M학원 대학(미끄럼방지의 대학으로서 수험.합격).

S혜(kei) 대학(키츠쇼지(kichijyoji)(도쿄 중심부(도쿄 23구)에 가까운 도쿄의 서부 교외에 위치하는 대학.불합격).S혜(kei) 대학은, 입시 난이도(난도)는, 당시 , M대학, C앙대학, A학원 대학보다 낮고, 대체로, M학원 대학과 같은 정도였습니다만, 시험 문제가, 개인적으로 피부에 맞지 않고(이 대학은, 원래, 이 대학의 입시 문제 전용의 수험 대책도, 전혀 있지 않고(과거 문제등도 완전히 보지 않고)), 조금 얕봐 수험했다고 말하는 것도 있어요), 수험하고 있을 때부터 반응이 없고, 불합격이었습니다.

M대학(합격), C앙대학(합격), A학원 대학(합격)은, 당시 , 대체로, 입시 난이도(난도)가, 같은 정도였습니다.

C앙대학은, 도쿄도심부로부터, 비교적 먼, 도쿄의 서부 교외에 위치하는 대학에서, 대학의 캠퍼스(부지나 교사)는, 넓고, 느긋하고 있고, 학습 환경적으로는, 당시 , 수험한 대학안에서, 가장 좋았습니다만, (도쿄도심부에서 태어나 자란 나부터 하면 w) 이런 시골에 4년간이나 다니고 싶지 않다고 마음 , 합격했습니다만, 가는 것을 그만두었습니다.

A학원 대학은, 수험한 것은, 도쿄도심부의 교사였지만, 당시 1 학년에서 2 학년은, 먼, 도쿄 근교에 있는 캠퍼스(교사)에 다니지 않으면 안 되었기 때문에(현재는, 다시, 원래와 같이( 나의 어머니가 다니고 있었을 무렵과 같이), 4년간, 도쿄도심부의 캠퍼스(교사)로 돌아오고 있다), 합격했습니다만, 그것을 이유로 가는 것을 그만두었습니다.

M학원 대학(미끄럼방지의 대학으로서 수험.합격)은, 나의 외가의 조모는, M학원 대학의 창립자의 미국인과 나의 외가의 조모의 조부가 사이가 좋았던 것 같고, 가는 일을 권해 주었습니다만(덧붙여서, 나의 외가의 조모는, 자신이 졸업한, A학원 대학은, (사실은, 나에게, 갔으면 좋았던 것 같습니다만), 감히 권하지 않았습니다), M학원 대학도, 나쁜 대학은 아닙니다만, 이 때, 수험해, 합격한, 다른 대학에 비하면, 명문도라고 하는 점에 대하고는 떨어져 취직면에 있어 불리한가와 생각(그 점에 있어서는, 원래, 대학의 입시 문제 전용의 수험 대책도, 전혀 있지 않고(과거 문제등도 완전히 보지 않고)), 조금 얕봐 수험한 일과 시험 문제가, 개인적으로 피부에 맞지 않고, 불합격이었습니다만, 전술해?`스 S혜(kei) 대학도 같다), 가는 것을 그만두었습니다.

결국, 소거법에 의해, 통학이 편한(1, 2년은, 도쿄 중심부(도쿄 23구)의 니시하타 지역에 위치하는 캠퍼스(교사), 3, 4년은, 도쿄도심의 캠퍼스(교사)), 합격한, M대학에 가는 일로 했습니다.

덧붙여서, M대학은, 정치 경제학부를 선택해 수험했습니다만, 학부는, 입학하고 나서, 공부가 편한(단위가 취하기 쉽다) 학부이다고 한다, 매우 단순하고 바보같은 기준으로 선택했습니다.M대학의, 정치 경제학부는, 당시 , 공부가 편한(단위가 취하기 쉽다) 일로부터, 대학내에 있고, 파라다이스(paradise·천국) 정치 경제학부로 불리고 있었던 w( 나와 같은, 체라체라 한 학생이 가려면 , 환경적으로, 세간, 좋은 w).덧붙여서, M대학은, 실은, 수험 전부터, 전술한 이유에 의한 소거법에 의해, 제일 지망이었습니다.


덧붙여서, 나의 남동생도, 저와 같이, 이수계는 아니기 때문에(수학·이과는 서툴러서), 대학은, 모두, 사립 대학의 문과의 학부를 수험했습니다만, 나의 남동생은, 최초부터, W대학(남동생은 W대학은 법학부를 선택해 수험했습니다)이 제일 지망으로, 그 대학에 합격하기 때문에(위해)의 수험 공부를 해, 그 대학 이외는, 나의 기억이 걸`B매이므로, 잘못되어 있으면 죄송합니다만, 어느 쪽도, 미끄럼방지로서 M대학, C앙대학, A학원 대학을 수험하고, 어느 쪽도, 합격하고 있습니다(남동생은, 무엇인가 응이다 말하고, 나의 등을 보고 있어 준 것 같고, 남동생은, 수험하는 대학은, 나의 영향을 받았습니다( 나의 흉내를 냈습니다)).」



이하, 「」 안.나의 앞의 투고·레스보다...

「 나는, 대학시절 1년간, 미국의 대학에 유학하고 있습니다만, 보통으로, 일본의, 4년제의 대학을 졸업하고 있습니다만, 나의 대학생활은, 매우, 즐거웠습니다.」

「 나는, 대학시절, 넓은 인맥을 가지고 있었습니다(내가, 인생에서, 제일 넓은 인맥을 가지고 있던 것은, 한가해서, 시간이, 매우 많이 있던, 내가 대학생때입니다).」

「 나는, 대학시절, 일본의 대학에 다니는 한편으로, 1년간, 미국의 대학에 유학했습니다만, 미국의 대학에서 잡은 단위를 일본의 대학에 집어 넣는 일로, 도중 , 미국의 대학에 1년 유학해도, 4년간으로, 대학을 졸업하는 것이 가능했어입니다만, (뭐, 나는, 고교시절도, 잘 놀고 있었습니다만 w, 계속), 대학시절도, 노는 일을 중시하고 있던 때문, 여유를 가지고, 대학 4 학년의 9월이나 들 , 대체로 1년간 유학을 해, 또, 일본의 대학의 4 학년에 복학하고, 대학을 졸업한 때문, 결과적으로 5년간에 대학을 졸업하는 일이 되어, 나는, 대학 입시때, 재수생(희망의 대학을 수험하기 위해, 고교 졸업 후, 일정기간(통상은 1년간), 예비학교(대학 수험 준비 학교)에 다니는 등 해 공부하는 일)는 하지 않았습니다만, 최종적으로는 1년 재수생 해 대학에 입학한 사람과 동갑으로 대학을 졸업했습니다.취직에 관해서는, 1년간의 미국의 대학의 유학으로부터, 일본에 귀국해, 일본의 대학의 4 학년에 복학한 후, 대학시절의 친구와 개인 사업을 시작했다(엄밀하게는, 원래, 대학시절의 친구가 이미 시작하고 있던 사업에 참가했다) 것으로, 문제는 없었습니다.대학시절의, 미국의 대학의 1년간의 유학은, 지금도, 좋은 추억으로서 남아 있어 가서 좋았다고 생각합니다.」



이하, 앞에 간 투고로부터 발췌해 온 것입니다.덧붙여서, 나의 그녀는, 4년제의, 사립의 여자대학을 졸업하고 있습니다.



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동영상은, 차용물.도쿄 육대학 치어리더.도쿄 육대학 응원가 메들리 .사이가 좋을 것 같고 좋네요.



위의 동영상으로, 내가 졸업한 대학의, 치어리더의, 유니폼은, 보라색을 베이스로 해(보라색을 기본으로 해), 보라색의, 스커트에 황색 종선이, 들어간, 유니폼입니다.


위의 동영상으로, 나의 남동생, 및, 나의 아버지 쪽의 사촌( 나의 아버지 쪽의 백모의 아들.나에게는 남자의 사촌은 한 명 밖에 없다)가 졸업한 대학의, 치어리더의, 유니폼은, 빨강을 베이스로 해(빨강을 기본으로 해), 가슴의 부분에, 역삼각형(멀리서 보면 V의 글자에도 보인다)이 들어간, 유니폼입니다.


위의 동영상으로, 나의 아버지가 졸업한 대학의, 치어리더의, 유니폼은, 파랑을 베이스로 해(파랑을 기본으로 해), 가슴의 부분에, 기울기의 알파벳이 들어가 있지 않은 분의, 유니폼입니다.


위의 동영상으로, 나의 아버지 쪽의 백모의 남편( 나의 아버지 쪽의 의리의 백부), 우리 집(도쿄도심부의 서부의 조용하고 침착한 주택지에 위치합니다) 및 우리 집의 부근의 나의 친가의 부근에 사는, 나의 어머니의 여성의 사촌( 나의 어머니와 동년대)의 남편, 나의 어머니의 여성의 사촌( 나의 어머니와 동년대)의 딸(아가씨)( 나의 외가의 또 사촌여동생)가, 졸업한 대학의, 치어리더의, 유니폼은, 파랑을 베이스로 해(파랑 (을)를 기본으로 해), 가슴의 부분에, 기울기의 알파벳이 들어간, 유니폼입니다.


덧붙여서, 나의 어머니는, 독자이므로, 나에게는, 외가의, 사촌은 없습니다.


이상, 앞에 간 투고로부터 발췌해 온 것이었습니다.


이하, 참고의 투고.

도쿄 육대학 치어리더·도쿄 육대학 응원가 메들리외→
/jp/board/exc_board_5/view/id/3280219/page/5?&sfl=membername&stx=nnemon2



이하, 정기적으로, 나의 졸업한 대학의 졸업생의 집에, 보내져 오는, 나의 졸업한 대학의, 홍보잡지의, 최신호부터...














부모와 자식손자, 삼대 졸업자.덧붙여서, 나의 외가의 조모와 나의 어머니는, 우리 집 및 우리 집의 부근의 나의 친가의 동구내의, A학원 대학이라고 하는, 사립의 대학을 졸업하고 있기 때문에(위해), 나 또는 나의 남동생이, A학원 대학에 가서, A학원 대학을 졸업하고 있으면, 부모와 자식손자, 삼대 졸업자가 되고 있었습니다.









이하, 참고의 투고.

북유럽 여름 별장에서 하는 9외→
/jp/board/exc_board_11/view/id/3359400?&sfl=membername&stx=nnemon2
시라노·드·베르쥬락크(Cyrano de Bergerac) 외→
/jp/board/exc_board_14/view/id/3341331/page/1?&sfl=membername&stx=nnemon2
불교 젠유우의 화외→
/jp/board/exc_board_14/view/id/3341332?&sfl=membername&stx=nnemon2
적당하게 문화 비교의 이야기→
/jp/board/exc_board_14/view/id/3339695/page/2?&sfl=membername&stx=nnemon2
비가 그치면 맑음이 된다→
/jp/board/exc_board_26/view/id/3319779/page/3?&sfl=membername&stx=nnemon2
오늘은, 맑음→
/jp/board/exc_board_26/view/id/3319780/page/3?&sfl=membername&stx=nnemon2



TOTAL: 185

番号 タイトル ライター 参照 推薦
185
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1937年(85年前)に名古屋で開催された博覧会他 nnemon2 08-07 54 0
184
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宇賀神(ugajin)(日本で古くから信仰されている神)他 nnemon2 08-06 61 0
183
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長野県の、158年の歴史を有する日本酒の会社他 nnemon2 08-06 49 0
182
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カスタードプリン(crème caramel)の歴史他 nnemon2 07-31 108 0
181
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日本の桃の歴史他 nnemon2 07-27 130 0
180
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蛸焼き(takoyaki)の歴史他 nnemon2 07-23 164 0
179
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横浜の130年の歴史を有する中国料理レストラン他 nnemon2 07-15 213 0
178
No Image
横浜の145年以上の歴史を有する公園他 nnemon2 07-15 206 0
177
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日本の花見(hanami)文化(砧公園)等前編 nnemon2 07-11 220 0
176
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日本の花見(hanami)文化(砧公園)等後編 nnemon2 07-11 224 0
175
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甘酒(日本の伝統的な飲み物)他 nnemon2 07-11 239 0
174
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東京郊外の190年以上の歴史を有する日本料理食堂他 nnemon2 07-01 309 0
173
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Budapest国立工芸博物館名品展他 nnemon2 06-28 320 0
172
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三越本店の建物(1927年築)の天女像他 nnemon2 06-27 337 0
171
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ハヤシライス(hayashi rice)の歴史他 nnemon2 06-27 342 0
170
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盆栽(bonsai)(日本の伝統的な、趣味・園芸)他 nnemon2 06-24 404 0
169
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回転寿司の歴史他 nnemon2 06-24 379 0
168
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新版御府内流行名物案内双六(19世紀中期の日本のboa… nnemon2 06-20 412 0
167
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鯉のぼり(日本の伝統的な風習)他 nnemon2 06-16 415 0
166
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縄文(Jomon)土器と岡本 太郎(okamoto taro)他 nnemon2 06-16 416 0