伝統文化






以下、基本的に前に行った投稿から抜粋して来た物です。



横浜を散歩して来た時の物です。横浜は、東京areaの海の玄関口(gateway)となっている、大きな港町です。この日は、横浜の、関内(kannai)areaにある日本郵船(Nippon Yusen)歴史博物館で、日本の客船の、インテリア(内装)の歴史に関する、展覧会(exhibition)を見て来ました。

 
日本郵船(Nippon Yusen)歴史博物館がある関内(kannai)areaは、横浜の都心部に有る、横浜の古くからの中心ビジネス(business)地区です。

 

関内(kannai)areaには、第2次世界大戦前(1920年代から1930年代頃)の関内(kannai)areaの姿を想像させる、第2次世界大戦末期の空襲や、戦後の建て替えの波の中で生き残った、1910年代から1930年代頃に建てられた建物が点在しています。

 

写真以下2枚は、関内(kannai)areaに残る、第二次世界大戦前に建てられた近代建築の建物で、横浜銀行協会(1881年創立)の建物です。横浜の銀行の関係者達の社交施設の建物(初代の建物は、1897年に建てられた)の4代目の建物で、1936年に建てられた物です。





















写真以下3枚は、参考に。。。前にアップ(upload)した写真の再利用ですが、東京の丸の内(marunouchi)(東京都心部の中でも中心的な地域に位置する、東京を代表するビジネス(business)の中心地区)にある東京銀行協会ビル。東京を中心とした、日本全国の銀行関係者の会員制クラブ(club)、銀行倶楽部(1880年創立)の社交施設が入っているビルです。1916年に建てられた、銀行倶楽部の先代の社交施設の建物の外壁と内装の一部を保存する形で、新しいビルが建てられています。この様な形式の建物の保存方法は、一般的に、景観上、それ程、美しい物とは言えないと思いますが、個人的に、全く保存されないよりは、マシ(良い)と考えています。















第2次世界大戦前、日本は、イギリス、アメリカに次ぐ、世界第3位の海運(shipping・marine transportation)国でした。日本郵船(Nippon Yusen)株式会社は、その世界第3位の海運(shipping・marine transportation)国、日本の三大海運(shipping・marine transportation)会社の内の一つでした(今でも、日本郵船(Nippon Yusen)株式会社は、日本の三大海運(shipping・marine transportation)会社の内の一つであると共に、世界有数の海運(shipping・marine transportation)会社となっています)。 



写真以下3枚は、参考に。。。前にアップ(upload)した写真の再利用ですが、東京の丸の内(marunouchi)(東京都心部の中でも中心的な地域に位置する、東京を代表するビジネス(business)の中心地区)にある日本郵船(Nippon Yusen)株式会社の、現在の東京本社ビル。


















写真以下3枚も、参考に。。。




昔の彩色絵葉書(白黒写真(monochrome写真)に色を付けた絵葉書)を集めた本より。。。1930年代頃の丸の内(marunouchi)(東京都心部の中でも中心的な地域に位置する、東京を代表するビジネス(business)の中心地区)の風景の中から。。。写真右側の白い近代建築の、オフィス(office)用ビルは、日本郵船(Nippon Yusen)株式会社(1885年創業)の、先代の東京本社ビルで、1923年に完成した物です。





写真は、借り物。日本郵船(Nippon Yusen)株式会社の、先代の東京本社ビル(1923年完成)。これは、1923年に完成した当時の頃の写真かな?






日本郵船(Nippon Yusen)株式会社の、先代の東京本社ビル(1923年完成)。丸の内(marunouchi)の、立派な近代建築のオフィス(office)用ビルの一つでしたが、1970年代に、無機質な現代建築の建物(現在の建物)に建て替えられてしまいました。



 

写真以下3枚の建物は、横浜の都心部の関内(kannai)area(横浜の都心部に有る、横浜の古くからの中心ビジネス(business)地区)にある、1936年に建てられた、日本郵船(Nippon Yusen)株式会社の横浜支店の建物です。堂々とした近代建築です。文化財に指定されている、この建物は、現在でも、日本郵船(Nippon Yusen)株式会社の横浜支店の建物となっていますが、現在では、日本郵船(Nippon Yusen)株式会社の東京areaの事務所機能は、東京本店(東京の丸の内(marunouchi)にある、日本郵船(Nippon Yusen)株式会社の東京本社ビル)に集中している為、建物は、主として、日本郵船(Nippon Yusen)歴史博物館として、日本郵船(Nippon Yusen)株式会社の歴史を紹介する資料館として使われています。











写真は、借り物(写真の作者:663highland )。







これは、前に、enjoyでアップ(upload)した写真の再利用です。横から見た、日本郵船(Nippon Yusen)株式会社の横浜支店(現在では、主として、日本郵船(Nippon Yusen)歴史博物館として、日本郵船(Nippon Yusen)の歴史を紹介する資料館として使われている)の建物。1936年に完成した物です。支店の建物でありながら、堂々とした近代建築です。当時の日本郵船(Nippon Yusen)株式会社の勢いを感じます。

 

 




 日本郵船(Nippon Yusen)歴史博物館のパンフレット(booklet)から。。。第二次世界大戦前(おそらく、1920年代から1930年代頃)の、日本郵船(Nippon Yusen)株式会社の、世界一周の、客船航路の、海外向け(日本国外向け)のパンフレット(leaflet)。




写真以下4枚。この時、日本郵船(Nippon Yusen)歴史博物館で買った、絵葉書より。。。伊予丸(iyomaru)(下の補足説明参照)の、1914年の夕食の、英語表記メニュー(menu)から。。。
伊予丸(iyomaru):日本と、アメリカのシアトル(Seattle)を結ぶ航路で活躍した、日本(日本郵船(Nippon Yusen)株式会社)の客船。三菱(mitsubishi)長崎(nagasaki)造船所製。6,320トン(GT)。1901年就航。1933年引退。





1914年9月1日の、夕食のメニュー(menu)。





1914年9月5日の、夕食のメニュー(menu)。





1914年9月6日の、夕食のメニュー(menu)。





1914年9月11日の、夕食のメニュー(menu)。

 

 

写真以下2枚。日本郵船(Nippon Yusen)歴史博物館の展示より。。。前にenjoyでアップ(upload)した写真の再利用。




1937年の、ある日の、日本郵船(Nippon Yusen)株式会社の豪華客船(国際航路向けの長距離客船)の夕食を、(蝋で)、再現したものです。





これも、1930年代の、日本郵船(Nippon Yusen)株式会社の豪華客船(国際航路向けの長距離客船)の食事を、(蝋で)、再現したものです 。盛り付けは、やや、古臭い(古典的な)感じですが、食事は、現在と、それ程は、変わらないかも知れません。






絵葉書より。。。浅間丸(asamamaru)(下の補足説明参照)の食事メニュー(menu)。絵は、竹久 夢二(takehisa yumeji)(1884年生まれ。1934年に亡くなる。1900年代末頃から1930年代初めまで活躍した、日本の有名な画家、グラフィックデザイナー(graphic designer))が、描いています。
浅間丸(asamamaru):1929年に完成し、運航を開始した、横浜とHonolulu、San Franciscoを結ぶ、日本(日本郵船(Nippon Yusen)株式会社)の豪華客船。





1930年代当時、アメリカとカナダの会社も、北米と日本の間に、豪華客船を走らせていましたが、日本郵船(Nippon Yusen)株式会社も、当時、太平洋航路向けの主要な豪華客船としては、氷川丸(hikawamaru)を含め6隻の豪華客船を保有し、日本の横浜と北米を結んでいました。当時の、日本郵船(Nippon Yusen)株式会社の、太平洋航路向けの主要な豪華客船は、氷川丸(hikawamaru)を含む日本とシアトル(seattle)、バンクーバー(Vancouver)を結ぶ、比較的小さな豪華客船3隻と、日本と、サンフランシスコ(San Francisco)を結ぶ比較的大きな豪華客船3隻です。この6隻の中で、代表的な、1929年に完成し、運航を開始した、横浜とホノルル(Honolulu)、サンフランシスコ(San Francisco)を結ぶ浅間丸(asamamaru)は、現存していませんが、他の同社の日本とサンフランシスコ(San Francisco)を結ぶ豪華客船同様に、氷川丸(hikawamaru)よりも一回り大きく、約17,000トン(GT)あり、また、同社の日本と北米を結ぶ豪華客船の中でも取り分け豪華で、「太平洋の女王」と呼ばれたそうです。 





日本郵船(Nippon Yusen)歴史博物館のパンフレット(booklet)から。。。浅間丸(asamamaru)の模型。





1929年に完成し、運航を開始した、横浜とホノルル(Honolulu),サンフランシスコ(San Francisco)を結ぶ浅間丸(asamamaru)。他の日本郵船(Nippon Yusen)株式会社の日本とサンフランシスコ(San Francisco)を結ぶ豪華客船同様に、氷川丸(hikawamaru)よりも一回り大きく(約17,000トン(GT))、船内の豪華さにおいては、氷川丸(hikawamaru)をはるかに上回るものであり(食堂(dining room・レストラン)の内装には、贅沢にイタリア産大理石が使われ、客室内には当時最先端の設備が使われていた。wikiより)、「太平洋の女王」と呼ばれました。

 

 

写真、すぐ下。浅間丸(asamamaru)、又は、浅間丸(asamamaru)と同じく日本とSan Franciscoを結んだ、浅間丸(asamamaru)と同級の、約17,000トン(GT)の、日本郵船(Nippon Yusen)株式会社の豪華客船、龍田丸(tatsutamaru)(どちらか分からない)の、2等(second class)客用の食堂(dining room)。



写真、すぐ上。浅間丸(asamamaru)、又は、浅間丸(asamamaru)と同じく日本とSan Franciscoを結んだ、浅間丸(asamamaru)と同級の、日本郵船(Nippon Yusen)株式会社の豪華客船、龍田丸(tatsutamaru)(どちらか分からない)の、2等(second class)客用のラウンジ(lounge)。





龍田丸(tatsutamaru)の絵葉書より、龍田丸(tatsutamaru)。龍田丸(tatsutamaru)(約17,000トン(GT)。1930年完成。1930年運航開始)は、浅間丸(asamamaru)の姉妹船で、1930年代に、日本とSan Franciscoを結ぶ航路で活躍した、日本郵船(Nippon Yusen)株式会社の、浅間丸(asamamaru)と同級の豪華客船です。



この日は、横浜の日本郵船(Nippon Yusen)歴史博物館で、日本の客船の、インテリア(内装)の歴史に関する、展覧会(exhibition)を見て来ました。




 この展覧会(exhibition)のパンフレット(booklet)。この展覧会(exhibition)は、主として、第二次世界大戦前の、日本の客船の、インテリア(内装)における、日本の建築家の活躍に焦点を当てた展覧会(exhibition)でした。

 

 

以下、この展覧会(exhibition)の説明なのですが、この展覧会(exhibition)の説明は、主として、この展覧会(exhibition)のパンフレット(booklet)の文を、要約又は抜粋・引用した物です。

 

1930年代から1940年代初めの、日本の豪華客船のインテリア(内装)の設計には、中村 順平(nakamura jyunpei)や村野 藤吾(murano togo)を始め、松田 軍平(matsuda gunpei)、久米 権九郎(kume gonkuro)と言った、多くの、日本の著名な建築家達が関わっていました。その中には、日本の伝統住宅建築を近代化した事で知られる、吉田 五十六(yoshida isoya)や、若手時代の、丹下 健三(tange kenzo)等も含まれています。この展覧会は、客船のインテリア(内装)の歴史における、こうした建築家達の活躍に注目した展覧会です。



以下、近代以降の、日本の客船のインテリア(内装)の歴史について、時代を追って見て行きたいと思います。

 



江戸(edo)時代(16世紀から19世紀半ば)の鎖国政策により、規模の大きな船の建造が禁止されていた日本は、開国し、西洋の先進工業国の技術を取り入れ、工業化を始めたものの、しばらくは、大型の、近代的な船を建造する技術はありませんでした。この様な事情から、1880年代から1900年頃にかけての日本は、大型の船は、イギリスの様な、造船先進国からの輸入に頼っていました。客船も、イギリスの様な、造船先進国から、インテリア(内装)を含めて船体を、丸ごと購入していました。その為、当時の、日本の客船のインテリア(内装)は、その船を建造した国の権威を象徴する、古典的なデザイン(design)からなっていました。1900年代に入ると、日光丸(nikkomaru。1903年完成。5,539総トン(GT)。日本の客船)や、天洋丸(tenyomaru。1908年完成。13,402総トン(GT)。日本の客船)等、徐々に、近代的な、大型の客船の国産化が進みました(一部の、日本の、近代的な、大型の客船が、日本で建造される様になりました)。そして、日本国内の装飾会社も、日本の客船のインテリア(内装)に、少しずつ携わる様になりました。





この展覧会(exhibition)のパンフレット(booklet)から。。。写真上、西京丸(saikyomaru。日本の客船。1888年完成)の、一等(first class)の食堂(dining room・レストラン)。西京丸(saikyomaru)は、イギリスに発注して、船体を、丸ごと購入した客船です(1888年完成)。ロンドン&グラスゴーエンジニアリング&アイアン社(London and Glasgow Engineering and Iron Shipbuilding Company)製。大きなシャンデリア(chandelier)が吊り下がる等、陸上の意匠(内装デザイン(design))が、そのまま転用されているのが分かる。
写真下、天洋丸(tenyomaru。日本の客船。1908年完成。13,402総トン(GT))の、一等(first class)の読書室。天洋丸(tenyomaru)は、日本の、三菱(mitsubishi)造船、長崎(nagasaki)造船所製の、日本の客船です。船内のインテリア(内装)設計は、イギリスの、アルダム・ヒートン(Aldam Heaton)社に依頼。一部、日本の、工学博士・建築家である、塚本 靖(tsukamoto yasushi)がインテリア(内装)の設計に関わっており、椅子やカーテン(curtain)、壁紙の布地は、日本の京都の川島(kawashima)織物が担当しています。

 

 

1910年代に入ると、日本は、近代的な大型船に関し、外国の製品を使用しながらも、国産(日本で建造)出来る様になり、外国(造船先進国)からの輸入に頼る必要はなくなりました。しかしながら、客船のインテリア(内装)に関しては、外国(客船のインテリア(内装)の先進国)の装飾業者に依存する時期が、しばらく続きました。

 

写真以下3枚。この展覧会(exhibition)のパンフレット(booklet)より。。。





写真左。大洋丸(taiyomaru。日本の客船。14,458総トン(GT))の、一等(first class)の食堂(dining room・レストラン)。大洋丸(taiyomaru)は、第一次世界大戦の賠償船として、日本政府が、ドイツから取得した客船(1911年完成)です。日本の業者は、この船から、ドイツの、合理的な、客船の内装の設計方法や新素材を学習しました。
写真右。浅間丸(asamamaru。1929年完成。日本の豪華客船。16,947総トン(GT)。三菱(mitsubishi)造船、長崎(nagasaki)造船所製)の、1等(first class)の社交室。浅間丸(asamamaru)は、インテリア(内装)の設計を、イギリスのワーリン・ギロー(Waring & Gillow)社に依頼した事から、「浅間丸(asamamaru) 国辱論争」が起こりました。その後の、日本の客船のインテリア(内装)では、ますます、日本の装飾業者や、日本人建築家が活躍する事になりました。





写真右上、浅間丸(asamamaru。1929年完成。日本の豪華客船)の、2等(second class)客用の喫煙室(smoking room)。浅間丸(asamamaru)の2等(second class)客用の公室(乗客の共用場所)の施工は、大林組(obayashigumi。日本の大規模建設会社の一つ。1892年創業)が行いました(以降、大林組(obayashigumi)は、客船のインテリア(内装)の施工を多く手がける様になります)。日本の業者が、豪華客船のインテリア(内装)に関する知識を蓄え、技術向上させて来た時代です。
写真右下。氷川丸(hikawamaru。1930年完成。日本の豪華客船。横浜船渠(かつて、横浜にあった造船所)製)の、一等(first class)喫煙室(smoking room)。氷川丸(hikawamaru)のインテリア(内装)は、フランスのデザイン(design)会社が設計を手がけました。当時、フランスの豪華客船、イル・ド・フランス(Ile de France。1927年完成)が、当時、流行し始めた、アール・デコ(Art Deco)を船内に取り入れ、評判を呼んでいました。1930年に建造された、日本の豪華客船、秩父丸(chichibumaru。17,526トン(GT)。浅間丸(asamamaru)と共に、「太平洋の女王」と称された)、そして、氷川丸(hikawamaru)は、その流行を、いち早く取り入れました。

 






写真左下。浅間丸(asamamaru。1929年完成。日本の豪華客船)の、一等(first class)特別客室(deluxe room)の居室(living room)。川島(kawashima)織物が、室内装飾設計を担当。高島屋(Takashimaya。日本のデパートchain。本店は、大阪。1831年、京都で創業したデパートchainで、大阪には、1898年に進出、東京へは、1922年に進出しました)も、浅間丸(asamamaru)の、一等(first class)特別客室(deluxe room)の居室(living room)の設計を手がけています。既に、日本の豪華客船の客室の設計においては、日本の装飾業者が活躍していました。
写真右下。浅間丸(asamamaru。1929年完成。日本の豪華客船)の、一等(first class)特別客室(deluxe room)の居室(living room)の椅子の張地。川島(kawashima)織物、制作。川島(kawashima)織物(下の補足説明参照)は、日本で、椅子の織地、カーテン(curtain)、壁面装飾織物等で、いち早く、上流階級の西洋式の居間(living room)の空間をデザイン(design)していた会社です。
川島(kawashima)織物:1843年創業の、京都の、織物・インテリア(内装)・繊維会社。明治(meiji)宮殿(1888年に建てられた、日本の天皇の、東京の宮殿の建物。1945年、空襲により焼失(天皇の宮殿は、アメリカ軍に、直接狙われた訳ではなく、類焼による焼失))や御料車(日本の天皇及び皇族(天皇の一族)が利用する、馬車・自動車)等、皇室(日本の天皇家)関連の室内装飾設計を多く手がけている。また、早くから豪華客船の船内装飾に携わり(いち早く、1903年に、日光丸(nikkomaru)の客船のインテリア(内装)を手がけている)、日光(nikkomaru)丸や香取丸(katorimaru。日本の客船。1913年完成。10,513トン(GT)。三菱(mitsubishi)造船、長崎(nagasaki)造船所製)、そして浅間丸(asamamaru)の、一等(first class)特別客室(deluxe room)、氷川丸(hikawamaru)の、一等(first class)特別客室(deluxe room)等、数多くの、日本の客船の船内装飾設計を行っている。

 

欧米では、1920年代後半になると、客船のインテリア(内装)が飛躍的に進化します。それまでは、陸上建築の後発文化である客船のインテリア(内装)は、過去の陸上建築の様式を引用するばかりでした。しかし、船体が最新の科学技術からなるのに対し、船内が、いつまでも過去の様式であるのは、おかしいと言う事で、客船インテリア(内装)にも、当時の陸上建築で流行し始めていたアール・デコ(Art Deco)と言う様式が採用され出したのです。よって、当時の日本の客船には、当時の欧米の客船同様、欧米の古典的な様式の内装の客船と、最先端のアール・デコ(Art Deco)の装飾の内装を持つ客船と、いずれの客船も混在しています。これは、欧米における客船のインテリア(内装)の過渡期が、そのまま日本の客船に反映されていたからです。ところで、注目すべきは、イギリス等の豪華客船の内装の先進国の装飾業者に依存する中、京都の川島(kawashima)織物を始め、大阪の高島屋(Takashimaya)や三越(Mitsukoshi)(日本で最もbrand力の有る、デパートchainの一つ。1673年東京で創業。本店は、東京の日本橋(nihonbashi)に有る日本橋(nihonbashi)店。東京に基盤を置く)と言った、日本のデパートの装飾部門、そして、大林組(obayashigumi。日本の大規模建設会社の一つ。1892年創業)や、(日本の)造船所の技術者達が、豪華客船の内装に関する知識を蓄え、活躍し始めていた事です。そして、部分的ではありますが、重要な一等(first class)の公室(乗客の共用場所)を除いた、二等(second class)公室(乗客の共用場所)や、一等(first class)特別客室(deluxe room)等に、日本趣味あふれる独特な空間を設計していました。

 

日本における客船のインテリア(内装)の大きな転換期として忘れてはならないのが、1929年に完成した、日本の豪華客船、浅間丸(asamamaru。16,947総トン)の存在です。この船の建造を境に、日本の客船インテリア(内装)の様式は、大きく転換しました。浅間丸(asamamaru)は、日本郵船(Nippon Yusen)株式会社を代表する、太平洋航路の豪華客船で、建造の段階から、設備、サービス(service)等、全てにおいて一流の物が必要とされました。しかし、船の所有会社(日本郵船(Nippon Yusen)株式会社)と造船所(三菱(mitsubishi))が判断した、当時の一流のデザイン(design)とは、従来通りの、ヨーロッパの伝統的な装飾様式を得意とする、イギリスの老舗(歴史のある)装飾業者(ワーリン・ギロー(Waring & Gillow)社)に設計を依頼する事でした。この判断に、多くの、日本の建築家達が、失望しました。1929年と言えば、高島屋(Takashimaya)や三越(Mitsukoshi)、白木屋(shirokiya。17世紀創業。現在の、東急(tokyu)デパート(日本のデパートのchainの一つ))と言った、日本のデパートの装飾部門が、十分に、豪華客船の内装に関する知識や技術を蓄えて来た頃です。また、既に、中村 順平(nakamura jyunpei)等の、日本の建築家も、日本の豪華客船の船内の装飾設計に、実績を挙げ始めていました。そのため、浅間丸(asamamaru)のインテリア(内装)は、日本国内の装飾業者、そして、日本人建築家の手によってなされるべきであると言う主張が、日本の建築界において、声高になされる事になったのです。興味深い事に、当時の、日本の工芸雑誌の一つ、「帝国工芸」には、「船内装飾に関する特別号」と言う、特集記事が組まれ、東京大学、建築学科教授、岸田 日出刀(kishida hideto)や、京都大学、建築学科教授、武田 五一(takeda goichi)等、そうそうたる顔ぶれの、日本の建築家達が、名を連ね、「この度の、浅間丸(asamamaru)のインテリア(内装)を、イギリスの装飾業者が手がけた事は、日本の恥である」と言う趣旨の論稿を寄せています。一部の論者は、浅間丸(asamamaru)を「国辱船」と称している事からも、彼等の怒りが、どれ程の物であったのか、想像に難くありません。そして、この特別号は、大きな反響を呼んだと言います。以降、日本の客船のインテリア(内装)は、日本人の建築家達によって、「現代日本様式」と言う、独自の様式で設計される事が、一般的になって行きます。また、装飾材料も、イギリス製等から、国産へと移行して行きます。この様に、日本が、自国の客船のインテリア(内装)を、イギリス等の豪華客船の内装の先進国の装飾業者に依存していた時代の最高峰(最終到達点)とも言える、浅間丸(asamamaru)の完成が、「現代日本様式」へと転換する、大きなきっかけとなったのです。

 

写真以下2枚。この展覧会(exhibition)のパンフレット(booklet)より。。。




浅間丸(asamamaru)の、1等(first class)読書室の机と椅子(ワーリン・ギロー(Waring & Gillow)設計。1929年)。ほとんどの、第二次世界大戦前の日本の客船が、第二次世界大戦で沈み、その調度品が現存しない中、幸運にも陸に逃されて残っていた物。






写真上、浅間丸(asamamaru。1929年完成)の、1等(first class)読書室(ワーリン・ギロー(Waring & Gillow)設計)。
写真下、浅間丸(asamamaru1929年完成)の、1等(first class)社交室(ワーリン・ギロー(Waring & Gillow)設計)のカラースキーム。日本郵船(Nippon Yusen)株式会社は、とりわけ、客船に、この様な、王道とも言える重厚感のある、ヨーロッパの古典様式を採用する事を好んだ。

 

1929年の、「浅間丸(asamamaru)国辱論争」を境に、高く評価される様になった、日本独自の客船のインテリア(内装)様式が、「現代日本様式」です。

 

次回の投稿からは、この展覧会(exhibition)の主題(中心的なテーマ)と言える、「現代日本様式」と、日本の客船のインテリア(内装)設計における、日本の著名な、建築家達の活躍について、見て行きたいと思います。




現代日本伝統様式(戦前日本の客船の内装)他2(すぐ下でリンクを付けた投稿)へ続く。。。


現代日本伝統様式(戦前日本の客船の内装)他2→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3524281?&sfl=membername&stx=nnemon2



 


현대 일본 전통 님 식(전쟁 전 일본의 여객선의 내장) 외 1






이하, 기본적으로 앞에 간 투고로부터 발췌해 온 것입니다.



요코하마를 산책해 왔을 때의 물건입니다.요코하마는, 도쿄 area의 바다의 현관문(gateway)이 되고 있는, 큰 항구도시입니다.이 날은, 요코하마의, 칸나이(kannai) area에 있는 일본우선(Nippon Yusen) 역사 박물관에서, 일본의 여객선의, 인테리어(내장)의 역사에 관한, 전람회(exhibition)를 보고 왔습니다.


일본우선(NipponYusen) 역사 박물관이 있다 칸나이(kannai) area는, 요코하마의 도심부에 있는, 요코하마의 옛부터의 중심 비즈니스(business) 지구입니다.



칸나이(kannai) area에는, 제2차 세계대전전(1920년대부터 1930년대무렵)의 칸나이(kannai) area의 모습을 상상시키는, 제2차 세계대전 말기의 공습이나, 전후의 재건축의 물결 중(안)에서 살아 남은, 1910년대부터 1930년대무렵에 지어진 건물이 점재하고 있습니다.



사진 이하 2매는, 칸나이(kannai) area에 남는, 제이차 세계대전전에 지어진 근대 건축의 건물에서, 요코하마 은행 협회(1881년 창립)의 건물입니다.요코하마의 은행의 관계자들의 사교 시설의 건물(초대의 건물은, 1897년에 지어졌다)의 4대째의 건물에서, 1936년에 지어진 것입니다.





















사진 이하 3매는, 참고에...전에 업(upload) 한 사진의 재이용입니다만, 도쿄의 마루노우치(marunouchi)(도쿄도심부안에서도 중심적인 지역에 위치하는, 도쿄를 대표하는 비즈니스(business)의 중심지구)에 있는 토쿄은행 협회 빌딩.도쿄를 중심으로 한, 일본 전국의 은행 관계자의 회원제 클럽(club), 은행 클럽(1880년 창립)의 사교 시설이 들어가 있는 빌딩입니다.1916년에 지어진, 은행 클럽의 선대의 사교 시설의 건물의 외벽과 내장의 일부를 보존하는 형태로, 새로운 빌딩이 지어지고 있습니다.이와 같은 형식의 건물의 보존 방법은, 일반적으로, 경관상, 그렇게, 아름다운 것이라고는 할 수 없다고 생각합니다만, 개인적으로, 전혀 보존되지 않는 것 보다는, 마시(좋다)라고 생각하고 있습니다.















제2차 세계대전전, 일본은, 영국, 미국에 뒤잇는, 세계 제 3위의 해운(shipping·marine transportation) 국이었습니다.일본우선(Nippon Yusen) 주식회사는, 그 세계 제 3위의 해운(shipping·marine transportation) 국, 일본의 3 대해운(shipping·marine transportation) 회사 중의 하나였습니다(지금도, 일본우선(Nippon Yusen) 주식회사는, 일본의 3 대해운(shipping·marine transportation) 회사 중의 하나임과 동시에, 세계 유수한 해운(shipping·marine transportation) 회사가 되고 있습니다). 



사진 이하 3매는, 참고에...전에 업(upload) 한 사진의 재이용입니다만, 도쿄의 마루노우치(marunouchi)(도쿄도심부안에서도 중심적인 지역에 위치하는, 도쿄를 대표하는 비즈니스(business)의 중심지구)에 있는 일본우선(Nippon Yusen) 주식회사의, 현재의 도쿄 본사 빌딩.


















사진 이하 3매나, 참고에...




옛 채색 그림 엽서(흑백 사진(monochrome 사진)에 첨가한 그림 엽서)을 모은 책보다...1930년대무렵의 마루노우치(marunouchi)(도쿄도심부안에서도 중심적인 지역에 위치하는, 도쿄를 대표하는 비즈니스(business)의 중심지구)의 풍경중에서...사진 우측이 흰 근대 건축의, 오피스(office) 용 빌딩은, 일본우선(Nippon Yusen) 주식회사(1885년 창업)의, 선대의 도쿄 본사 빌딩에서, 1923년에 완성한 것입니다.





사진은, 차용물.일본우선(Nippon Yusen) 주식회사의, 선대의 도쿄 본사 빌딩(1923년 완성).이것은, 1923년에 완성한 당시의 무렵의 사진일까?






일본우선(Nippon Yusen) 주식회사의, 선대의 도쿄 본사 빌딩(1923년 완성).마루노우치(marunouchi)의, 훌륭한 근대 건축의 오피스(office) 용 빌딩의 하나였지만, 1970년대에, 무기질인 현대 건축의 건물(현재의 건물)에 다시 세워져 버렸습니다.





사진 이하 3매의 건물은, 요코하마의 도심부의 칸나이(kannai) area(요코하마의 도심부에 있는, 요코하마의 옛부터의 중심 비즈니스(business) 지구)에 있는, 1936년에 지어진, 일본우선(Nippon Yusen) 주식회사의 요코하마 지점의 건물입니다.당당한 근대 건축입니다.문화재로 지정되어 있는, 이 건물은, 현재에도, 일본우선(Nippon Yusen) 주식회사의 요코하마 지점의 건물이 되고 있습니다만, 현재는, 일본우선(Nippon Yusen) 주식회사의 도쿄 area의 사무소 기능은, 도쿄 본점(도쿄의 마루노우치(marunouchi)에 있는, 일본우선(Nippon Yusen) 주식회사의 도쿄 본사 빌딩)에 집중하고 있기 때문에(위해), 건물은, 주로, 일본우선(Nippon Yusen) 역사 박물관으로서 일본우선(Nippon Yusen) 주식회사의 역사를 소개하는 자료관으로서 사용되고 있습니다.











사진은, 차용물(사진의 작자 :663highland ).







이것은, 전에, enjoy로 업(upload) 한 사진의 재이용입니다.옆에서 본, 일본우선(Nippon Yusen) 주식회사의 요코하마 지점(현재는, 주로, 일본우선(Nippon Yusen) 역사 박물관으로서 일본우선(Nippon Yusen)의 역사를 소개하는 자료관으로서 사용되고 있다)의 건물.1936년에 완성한 것입니다.지점의 건물이면서, 당당한 근대 건축입니다.당시의 일본우선(Nippon Yusen) 주식회사의 기세를 느낍니다.








일본우선(Nippon Yusen) 역사 박물관의 팜플렛(booklet)으로부터...제이차 세계대전전(아마, 1920년대부터 1930년대무렵)의, 일본우선(Nippon Yusen) 주식회사의, 세계일주의, 여객선 항로의, 해외 겨냥(일본 외국용)의 팜플렛(leaflet).




사진 이하 4매.이 때, 일본우선(Nippon Yusen) 역사 박물관에서 산, 그림 엽서보다...이요환(iyomaru)(아래의 보충 설명 참조)의, 1914년의 저녁 식사의, 영어 표기 메뉴(menu)로부터...
이요환(iyomaru):일본과 미국의 시애틀(Seattle)을 연결하는 항로에서 활약한, 일본(일본우선(Nippon Yusen) 주식회사)의 여객선.미츠비시(mitsubishi) 나가사키(nagasaki) 조선소제.6,320톤(GT).1901년 취항.1933년 은퇴.





1914년 9월 1일의, 저녁 식사의 메뉴(menu).





1914년 9월 5일의, 저녁 식사의 메뉴(menu).





1914년 9월 6일의, 저녁 식사의 메뉴(menu).





1914년 9월 11일의, 저녁 식사의 메뉴(menu).





사진 이하 2매.일본우선(Nippon Yusen) 역사 박물관의 전시보다...전에 enjoy로 업(upload) 한 사진의 재이용.




1937년의, 있다 일의, 일본우선(Nippon Yusen) 주식회사의 호화 여객선(국제 항로 전용의 장거리 여객선)의 저녁 식사를, (납으로), 재현한 것입니다.





이것도, 1930년대의, 일본우선(Nippon Yusen) 주식회사의 호화 여객선(국제 항로 전용의 장거리 여객선)의 식사를, (납으로), 재현한 것입니다 .담음은, 약간, 낡은(고전적인) 느낌입니다만, 식사는, 현재와 그렇게는, 변하지 않을지도 모릅니다.






그림 엽서보다...아사마환(asamamaru)(아래의 보충 설명 참조)의 식사 메뉴(menu).그림은, 타케히사 무지(takehisa yumeji)(1884 년생.1934년에 죽는다.1900년대말 무렵부터 1930년대 초까지 활약한, 일본의 유명한 화가, 그래픽 디자이너(graphic designer))가, 그리고 있습니다.
아사마환(asamamaru):1929년에 완성해, 운항을 개시한, 요코하마와 Honolulu, San Francisco를 묶는, 일본(일본우선(Nippon Yusen) 주식회사)의 호화 여객선.





1930년대 당시 , 미국과 캐나다의 회사도, 북미와 일본의 사이에, 호화 여객선을 달리게 하고 있었습니다만, 일본우선(Nippon Yusen) 주식회사도, 당시 , 태평양 항로 전용의 주요한 호화 여객선으로서는, 히카와환(hikawamaru)을 포함 6척의 호화 여객선을 보유해, 일본의 요코하마와 북미를 연결하고 있었습니다.당시의, 일본우선(Nippon Yusen) 주식회사의, 태평양 항로 전용의 주요한 호화 여객선은, 히카와환(hikawamaru)을 포함한 일본과 시애틀(seattle), 밴쿠버(Vancouver)를 묶는, 비교적 작은 호화 여객선 3척으로 일본과 샌프란시스코(SanFrancisco)를 묶는 비교적 큰 호화 여객선 3척입니다.이 6척 중(안)에서, 대표적인, 1929년에 완성해, 운항을 개시한, 요코하마와 호놀루루(Honolulu), 샌프란시스코(San Francisco)를 연결하는 아사마환(asamamaru)은, 현존 하고 있지 않습니다만, 다른 동사의 일본과 샌프란시스코(San Francisco)를 연결하는 호화 여객선 같이 히카와환(hikawamaru)보다 한층 크고, 약 17,000톤(GT) 있어, 또, 동사의 일본과 북미를 연결하는 호화 여객선 중(안)에서도 몫호화롭고, 「태평양의 여왕」이라고 불렸다고 합니다. 





일본우선(Nippon Yusen) 역사 박물관의 팜플렛(booklet)으로부터...아사마환(asamamaru)의 모형.





1929년에 완성해, 운항을 개시한, 요코하마와 호놀루루(Honolulu),샌프란시스코(San Francisco)를 연결하는 아사마환(asamamaru).다른 일본우선(Nippon Yusen) 주식회사의 일본과 샌프란시스코(San Francisco)를 연결하는 호화 여객선 같이 히카와환(hikawamaru)보다 한층 크고( 약 17,000톤(GT)), 선내의 호화로움냄새나서는, 히카와환(hikawamaru)을 훨씬 웃도는 것이어(식당(dining room·레스토랑)의 내장에는, 사치스럽게 이탈리아산 대리석이 사용되어 객실내에는 당시 최첨단의 설비가 사용되고 있었다.wiki보다), 「태평양의 여왕」이라고 불렸습니다.





사진, 바로 아래.아사마환(asamamaru), 또는, 아사마환(asamamaru)과 같이 일본과 San Francisco를 묶은, 아사마환(asamamaru)과 동급의, 약 17,000톤(GT)의, 일본우선(Nippon Yusen) 주식회사의 호화 여객선, 타츠타환(tatsutamaru)(어느 쪽인지 모른다)의, 2등 (second class) 손님용의 식당(dining room).



사진, 바로 위.아사마환(asamamaru), 또는, 아사마환(asamamaru)과 같이 일본과 San Francisco를 묶은, 아사마환(asamamaru)과 동급의, 일본우선(Nippon Yusen) 주식회사의 호화 여객선, 타츠타환(tatsutamaru)(어느 쪽인지 모른다)의, 2등 (second class) 손님용의 라운지(lounge).





타츠타환(tatsutamaru)의 그림 엽서보다, 타츠타환(tatsutamaru).타츠타환(tatsutamaru)( 약 17,000톤(GT).1930년 완성.1930년 운항 개시)는, 아사마환(asamamaru)의 자매선으로, 1930년대에, 일본과 San Francisco를 묶는 항로에서 활약한, 일본우선(Nippon Yusen) 주식회사의, 아사마환(asamamaru)과 동급의 호화 여객선입니다.



이 날은, 요코하마의 일본우선(Nippon Yusen) 역사 박물관에서, 일본의 여객선의, 인테리어(내장)의 역사에 관한, 전람회(exhibition)를 보고 왔습니다.




이 전람회(exhibition)의 팜플렛(booklet).이 전람회(exhibition)는, 주로, 제이차 세계대전전의, 일본의 여객선의, 인테리어(내장)에 있어서의, 일본의 건축가의 활약에 초점을 맞힌 전람회(exhibition)였습니다.





이하, 이 전람회(exhibition)의 설명입니다만, 이 전람회(exhibition)의 설명은, 주로, 이 전람회(exhibition)의 팜플렛(booklet)의 문장을, 요약 또는 발췌·인용한 것입니다.



1930년대부터 1940년대 초의, 일본의 호화 여객선의 인테리어(내장)의 설계에는, 나카무라순평(nakamura jyunpei)이나 무라노 도고(murano togo)를 시작해 마츠다 군페이(matsuda gunpei), 쿠메권 쿠로우(kume gonkuro)라고 말한, 많은, 일본의 저명한 건축가들이 관련되고 있었습니다.그 중에는, 일본의 전통 주택 건축을 근대화 한 일로 알려진, 요시다56(yoshida isoya)이나, 젊은이 시대의, 단게 겐조(tangekenzo) 등도 포함되어 있습니다.이 전람회는, 여객선의 인테리어(내장)의 역사에 있어서의, 이러한 건축가들의 활약에 주목한 전람회입니다.



이하, 근대 이후의, 일본의 여객선의 인테리어(내장)의 역사에 대해서, 시대를 쫓아 보고 가고 싶습니다.





에도(edo) 시대(16 세기부터 19 세기 중반)의 쇄국 정책에 의해, 규모의 큰 배의 건조가 금지되고 있던 일본은, 개국해, 서양의 선진 공업국의 기술을 도입해 공업화를 시작했지만, 당분간은, 대형의, 근대적인 배를 건조하는 기술은 없었습니다.이와 같은 사정으로부터, 1880년대부터 1900년경에 걸친 일본은, 대형의 배는, 영국과 같은, 조선 선진국으로부터의 수입에 의지하고 있었습니다.여객선도, 영국과 같은, 조선 선진국으로부터, 인테리어(내장)를 포함해 선체를, 통째로 구입하고 있었습니다.그 때문에, 당시의, 일본의 여객선의 인테리어(내장)는, 그 배를 건조한 나라의 권위를 상징하는, 고전적인 디자인(design) 매운은 있었습니다.1900년대에 들어오면, 닛코환(nikkomaru.1903년 완성.5,539 총 톤수(GT).일본의 여객선)이나, 천양환(tenyomaru.1908년 완성.13402총 톤수(GT).일본의 여객선) 등 , 서서히, 근대적인, 대형의 여객선의 국산화가 진행되었습니다(일부의, 일본의, 근대적인, 대형의 여객선이, 일본에서 건조되는 것처럼 되었습니다).그리고, 일본내의 장식 회사도, 일본의 여객선의 인테리어(내장)에, 조금씩 종사하는 것처럼 되었습니다.





이 전람회(exhibition)의 팜플렛(booklet)으로부터...사진상, 사이쿄환(saikyomaru.일본의 여객선.1888년 완성)의, 일등(first class)의 식당(dining room·레스토랑).사이쿄환(saikyomaru)은, 영국에 발주하고, 선체를, 통째로 구입한 여객선입니다(1888년 완성).런던&그래스고우 엔지니어링&아이언사(London and Glasgow Engineering and Iron Shipbuilding Company) 제.큰 샹들리에(chandelier)가 매달아 내리는 등 , 육상의 생각(내장 디자인(design))이, 그대로 전용되고 있는 것을 안다.
사진하, 천양환(tenyomaru.일본의 여객선.1908년 완성.13,402 총 톤수(GT))의, 일등(first class)의 독서실.천양환(tenyomaru)은, 일본의, 미츠비시(mitsubishi) 조선, 나가사키(nagasaki) 조선소제의, 일본의 여객선입니다.선내의 인테리어(내장) 설계는, 영국의, 알 댐·히톤(Aldam Heaton) 사에 의뢰.일부, 일본의, 공학박사·건축가인, 츠카모토 야스시(tsukamotoyasushi)가 인테리어(내장)의 설계에 관련되고 있어 의자나 커텐(curtain), 벽지의 천은, 일본의 쿄토의 카와시마(kawashima) 직물이 담당하고 있습니다.





1910년대에 들어오면, 일본은, 근대적인 대형선에 관해, 외국의 제품을 사용하면서도, 국산(일본에서 건조) 할 수 있는 것처럼 되어, 외국(조선 선진국)으로부터의 수입에 의지할 필요는 없어졌습니다.그렇지만, 여객선의 인테리어(내장)에 관해서는, 외국(여객선의 인테리어(내장)의 선진국)의 장식 업자에게 의존하는 시기가, 당분간 계속 되었습니다.



사진 이하 3매.이 전람회(exhibition)의 팜플렛(booklet)보다...





사진왼쪽.대양환(taiyomaru.일본의 여객선.14,458 총 톤수(GT))의, 일등(first class)의 식당(dining room·레스토랑).대양환(taiyomaru)은, 제1차 세계 대전의 배상선으로서 일본 정부가, 독일로부터 취득한 여객선(1911년 완성)입니다.일본의 업자는, 이 배로부터, 독일의, 합리적인, 여객선의 내장의 설계 방법이나 신소재를 학습했습니다.
사진 오른쪽.아사마환(asamamaru.1929년 완성.일본의 호화 여객선.16,947 총 톤수(GT).미츠비시(mitsubishi) 조선, 나가사키(nagasaki) 조선소제)의, 1등 (first class)의 사교실.아사마환(asamamaru)은, 인테리어(내장)의 설계를, 영국의 워린·기로(Waring & Gillow) 사에 의뢰한 일로부터, 「아사마환(asamamaru) 국욕 논쟁」이 일어났습니다.그 후의, 일본의 여객선의 인테리어(내장)에서는, 더욱 더, 일본의 장식 업자나, 일본인 건축가가 활약하는 일이 되었습니다.





사진 우상, 아사마환(asamamaru.1929년 완성.일본의 호화 여객선)의, 2등 (second class) 손님용의 흡연실(smoking room).아사마환(asamamaru)의 2등 (second class) 손님용의 공실(승객의 공용 장소)의 시공은, 오오바야시구미(obayashigumi.일본의 대규모 건설회사의 하나.1892년 창업)이 실시했던(이후, 오오바야시구미(obayashigumi)는, 여객선의 인테리어(내장)의 시공을 많이 다루는 것처럼 됩니다).일본의 업자가, 호화 여객선의 인테리어(내장)에 관한 지식을 쌓아 기술 향상시켜 왔던 시대입니다.
사진 우하.히카와환(hikawamaru.1930년 완성.일본의 호화 여객선.요코하마 선거(일찌기, 요코하마에 있던 조선소) 제)의, 일등(first class) 흡연실(smoking room).히카와환(hikawamaru)의 인테리어(내장)는, 프랑스의 디자인(design) 회사가 설계를 다루었습니다.당시 , 프랑스의 호화 여객선, 일·드·프랑스(Ile de France.1927년 완성)이, 당시 , 유행하기 시작한, 아르·데코(Art Deco)를 선내에 도입하고 평판을 부르고 있었습니다.1930년에 건조된, 일본의 호화 여객선, 치치부환(chichibumaru.17526톤(GT).아사마환(asamamaru)과 함께, 「태평양의 여왕」이라고 칭해진), 그리고, 히카와환(hikawamaru)은, 그 유행을, 재빨리 도입했습니다.







사진 좌하.아사마환(asamamaru.1929년 완성.일본의 호화 여객선)의, 일등(first class) 특별 객실(deluxe room)의 거실(living room).카와시마(kawashima) 직물이, 실내장식 설계를 담당.다카시마야(Takashimaya.일본의 백화점 chain.본점은, 오사카.1831년, 쿄토에서 창업한 백화점 chain로, 오사카에는, 1898년에 진출, 도쿄에는, 1922년에 진출했습니다)도, 아사마환(asamamaru)의, 일등(first class) 특별 객실(deluxe room)의 거실(living room)의 설계를 다루고 있습니다.이미, 일본의 호화 여객선의 객실의 설계에 대해서는, 일본의 장식 업자가 활약하고 있었습니다.
사진 우하.아사마환(asamamaru.1929년 완성.일본의 호화 여객선)의, 일등(first class) 특별 객실(deluxe room)의 거실(living room)의 의자의 장지.카와시마(kawashima) 직물, 제작.카와시마(kawashima) 직물(아래의 보충 설명 참조)은, 일본에서, 의자의 직지, 커텐(curtain), 벽면 장식 직물등으로, 재빨리, 상류계급의 서양식의 거실(livingroom)의 공간을 디자인(design)하고 있던 회사입니다.
카와시마(kawashima) 직물:1843년 창업의, 쿄토의, 직물·인테리어(내장)·섬유 회사.메이지(meiji) 궁전(1888년에 지어진, 일본의 천황의, 도쿄의 궁전의 건물.1945년, 공습에 의해 소실(천황의 궁전은, 미군에, 직접 표적이 된 것은 아니고, 불길의 번짐에 의한 소실))이나 고료차(일본의 천황 및 황족(천황의 일족)이 이용하는, 마차·자동차) 등 , 황실(일본의 천황가) 관련의 실내장식 설계를 많이 다루고 있다.또, 일찍부터 호화 여객선의 선내 장식에 종사해(재빨리, 1903년에, 닛코환(nikkomaru)의 여객선의 인테리어(내장)를 다루고 있다), 닛코(nikkomaru) 환이나 카토리환(katorimaru.일본의 여객선.1913년 완성.10,513톤(GT).미츠비시(mitsubishi) 조선, 나가사키(nagasaki) 조선소제), 그리고 아사마환(asamamaru)의, 일등(first class) 특별 객실(deluxe room), 히카와환(hikawamaru)의, 일등(first class) 특별 객실(deluxeroom) 등 , 수많은 , 일본의 여객선의 선내 장식 설계를 실시하고 있다.



구미에서는, 1920년대 후반이 되면, 여객선의 인테리어(내장)가 비약적으로 진화합니다.그것까지는, 육상 건축의 후발 문화인 여객선의 인테리어(내장)는, 과거의 육상 건축의 님 식을 인용할 뿐이었습니다.그러나, 선체가 최신의 과학기술로부터 되는데 대해, 선내가, 언제까지나 과거의 님 식인 것은, 이상하다고 하는 일로, 여객선 인테리어(내장)에도, 당시의 육상 건축으로 유행하기 시작하고 있던 아르·데코(Art Deco)라고 말하는 님 식이 채용되어 냈습니다.따라서, 당시의 일본의 여객선에는, 당시의 구미의 여객선 같이, 구미의 고전적인 님 식의 내장의 여객선과 최첨단의 아르·데코(ArtDeco)의 장식의 내장을 가지는 여객선과 어느 여객선도 혼재하고 있습니다.이것은, 구미에 있어서의 여객선의 인테리어(내장)의 과도기가, 그대로 일본의 여객선에 반영되고 있었기 때문에입니다.그런데, 주목 해야 할 것은, 영국등의 호화 여객선의 내장의 선진국의 장식 업자에게 의존하는 중, 쿄토의 카와시마(kawashima) 직물을 시작해 오사카의 다카시마야(Takashimaya)나 미코시(Mitsukoshi)(일본에서 가장 brand력이 있는, 백화점 chain의 하나.1673년 도쿄에서 창업.본점은, 도쿄의 니혼바시(nihonbashi)에 있는 니혼바시(nihonbashi) 점.도쿄에 기반을 둔다)라고 말한, 일본의 백화점의 장식 부문, 그리고, 오오바야시구미(obayashigumi.일본의 대규모 건설회사의 하나.1892년 창업)이나, (일본의) 조선소의 기술자들이, 호화 여객선의 내장에 관한 지식을 쌓아 활약하기 시작하고 있던 일입니다.그리고, 부분적입니다만, 중요한 일등(first class)의 공실(승객의 공용 장소)을 제외한, 2등 (second class) 공실(승객의 공용 장소)이나, 일등(first class) 특별 객실(deluxeroom) 등에, 일본 취미 넘치는 독특한 공간을 설계하고 있었습니다.



일본에 있어서의 여객선의 인테리어(내장)의 큰 전환기로서 잊어서는 안되는 것이, 1929년에 완성한, 일본의 호화 여객선, 아사마환(asamamaru.16,947 총 톤수)의 존재입니다.이 배의 건조를 경계로, 일본의 여객선 인테리어(내장)의 님 식은, 크게 전환했습니다.아사마환(asamamaru)은, 일본우선(Nippon Yusen) 주식회사를 대표하는, 태평양 항로의 호화 여객선으로, 건조의 단계로부터, 설비, 서비스(service) 등 , 모두에 대해 일류의 물건이 필요하게 되었습니다.그러나, 배의 소유 회사(일본우선(Nippon Yusen) 주식회사)과 조선소(미츠비시(mitsubishi))가 판단한, 당시의 일류의 디자인(design)이란, 종래대로의, 유럽의 전통적인 장식 님 식을 자랑으로 여기는, 영국의 노포(역사가 있다) 장식 업자(워린·기로(Waring &Gillow) 회사)에 설계를 의뢰하는 일이었습니다.이 판단에, 많은, 일본의 건축가들이, 실망했습니다.1929년이라고 말하면, 다카시마야(Takashimaya)나 미츠코시(Mitsukoshi), 시로키야(shirokiya.17 세기 창업.현재의, 토큐(tokyu) 백화점(일본의 백화점의 chain의 하나))이라고 말한, 일본의 백화점의 장식 부문이, 충분히, 호화 여객선의 내장에 관한 지식이나 기술을 저축해 왔을 무렵입니다.또, 이미, 나카무라순평(nakamura jyunpei) 등의, 일본의 건축가도, 일본의 호화 여객선의 선내의 장식 설계에, 실적을 올리기 시작하고 있었습니다.그 때문에, 아사마환(asamamaru)의 인테리어(내장)는, 일본내의 장식 업자, 그리고, 일본인 건축가의 손에 의해서 되어야 하는 것이다고 하는 주장이, 일본의 건축계에 있고, 소리 높여 되는 일이 되었습니다.흥미로운 일에, 당시의, 일본의 공예 잡지의 하나, 「제국 공예」에는, 「선내 장식에 관한 특별호」라고 하는, 특집 기사가 짜여져 도쿄대학, 건축 학과 교수, 키시타 일출 칼(kishida hideto)이나, 쿄토 대학, 건축 학과 교수, 다케다 고이치(takedagoichi) 등 , 쟁쟁한 멤버의, 일본의 건축가들이, 일원이 되어 「이번의, 아사마환(asamamaru)의 인테리어(내장)를, 영국의 장식 업자가 다룬 일은, 일본의 수치이다」라고 하는 취지의 논고를 보내고 있습니다.일부의 논자는, 아사마환(asamamaru)을 「국욕선」이라고 칭하고 있는 일로부터도, 그들의 분노가, 어떤 것정도의 물건이었는지, 상상에 어렵지는 않습니다.그리고, 이 특별호는, 큰 반향을 불렀다고 합니다.이후, 일본의 여객선의 인테리어(내장)는, 일본인의 건축가들에 의해서, 「현대 일본 님 식」이라고 하는, 독자적인 님 식에서 설계되는 것이, 일반적으로 되어서 갑니다.또, 장식 재료도, 영국제등으로부터, 국산으로 이행 하고 갑니다.이와 같게, 일본이, 자국의 여객선의 인테리어(내장)를, 영국등의 호화 여객선의 내장의 선진국의 장식 업자에게 의존하고 있었던 시대의 최고봉(최종 도달점) 이라고도 말할 수 있는, 아사마환(asamamaru)의 완성이, 「현대 일본 님 식」으로 전환하는, 큰 계기가 되었습니다.



사진 이하 2매.이 전람회(exhibition)의 팜플렛(booklet)보다...




아사마환(asamamaru)의, 1등 (first class) 독서실의 책상과 의자(워린·기로(Waring & Gillow) 설계.1929년).대부분의, 제이차 세계대전 전날책의 여객선이, 제이차 세계대전에서 가라앉아, 그 일상 생활 용품이 현존 하지 않는 가운데, 행운에도 육지에 놓쳐져 남아 있던 것.






사진상, 아사마환(asamamaru.1929년 완성)의, 1등 (first class) 독서실(워린·기로(Waring & Gillow) 설계).
사진하, 아사마환(asamamaru1929년 완성)의, 1등 (first class) 사교실(워린·기로(Waring & Gillow) 설계)의 칼라 스킴.일본우선(Nippon Yusen) 주식회사는, 특히, 여객선에, 이와 같은, 왕도라고도 말할 수 있는 중후감이 있는, 유럽의 고전 님 식을 채용하는 일을 좋아했다.



1929년의, 「아사마환(asamamaru) 국욕 논쟁」을 경계로, 높게 평가되는 것처럼 된, 일본 독자적인 여객선의 인테리어(내장) 님 식이, 「현대 일본 님 식」입니다.



다음 번의 투고에서는, 이 전람회(exhibition)의 주제(중심적인 테마)라고 말할 수 있는, 「현대 일본 님 식」이라고, 일본의 여객선의 인테리어(내장) 설계에 있어서의, 일본의 저명한, 건축가들의 활약에 대해서, 보고 가고 싶습니다.




현대 일본 전통 님 식(전쟁 전 일본의 여객선의 내장) 외 2(바로 아래에서 링크를 붙인 투고)에 계속 된다...


현대 일본 전통 님 식(전쟁 전 일본의 여객선의 내장) 외 2→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3524281?&sfl=membername&stx=nnemon2





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