うちの町内

 

 

1月2日に、初詣(hatsumoude。新年に、神社(shrine)や寺に、お参りして、その年の願い事などをする、日本の風習)と運動(ウォーキング)を兼ねて、私の街に近い、世田谷(setagaya)区の中北東部(中北東端部)から中東部を、ぶらぶら散歩して来た時の物です。世田谷(setagaya)区は、東京中心部(東京23区)の西端に位置する区で、東京の23の区の中で、最大級の面積を有すると供に、最大の人口を有しています。世田谷(setagaya)区は、基本的に、東京の都心部に通勤する人々が暮らす静かで落ち着いた住宅地となっています。

 

まずは、下北沢(shimokitazawa)まで、通勤電車(韓国式に言えば地下鉄)で移動し、そこから散歩をスタートしました(散歩を始めました)。下北沢(shimokitazawa)は、私の街(渋谷区(shibuya)区中北部area)の、西の隣町(西に隣接する)、世田谷(setagaya)区中北東部(中北東端部)areaに有ります。下北沢(shimokitazawa)は、若者に人気となっている繁華街ですが、繁華街を、少し外れると、静かで落ち着いた住宅地となります。ちなみに、我が家から、直線距離だと、新宿、渋谷(shibuya)、原宿(harajyuku)、下北沢(shimokitazawa)は、だいたい同じ位の距離だと思います。

 

アメリカや西ヨーロッパの国々に、非常に多くのキリスト教の教会がある事と同様、日本には、非常に多くの、仏教の寺と神道の神社(shrine)があり、また、アメリカや西ヨーロッパの国々では、どの町内でも、少なくとも一つの、キリスト教の教会があると思いますが、それと同様に、日本でも、どの町内にも、一般的には、少なくとも、1つの仏教の寺又は神道の神社(shrine)、もしくは両方が存在します。こうした、神道の神社(shrine)と仏教の寺は、宗教と言うよりも、生活文化として、町内の人々の生活の中に自然と溶け込んでいます。

 

この時の、散歩時は、世田谷(setagaya)区(東京中心部(東京23区)の西端に位置する区)の中北東部(中北東端部)から中東部の静かで落ち着いた住宅地の中にある、3つの仏教の寺と2つの神道の神社(shrine)で(厳密に言えば、もっとですが。。。)、初詣(hatsumoude。新年に、神社(shrine)や寺に、お参りして、その年の願い事などをする、日本の風習)をしました(何れの、寺・神社(shrine)も、初詣(hatsumoude)の時期には、初めて訪れました)。ちなみに、通常、初詣(hatsumoude)において、こんなに、お参りする必要は、ありません。初詣(hatsumoude)は、一つの神社(shrine)又は寺だけでしても、十分です。まあ、この時は、運動を兼ねた散歩ついでだったので。。。

 

写真以下15枚。森巌(shingan)寺。1608年に創建された、仏教の寺です。銀杏の大木が、印象的な寺で、紅葉時期は、銀杏の紅葉が、綺麗です。規模は大きくない寺ですが、境内(敷地内)には、淡島(awashima)神社(shrine)と言う、小さな神社(shrine)もあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下6枚。北澤(kitazawa)八幡(hachiman)神社(shrine)。15世紀後半頃に創建された、神道の神社(shrine)です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下4枚。阿川(agawa)家(読み方は、agawa家で良いと思いますが、間違っていたら済みません)の門。江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)の名主(nanushi。富裕な農家(農民))の邸宅の、古い門が、現存し、世田谷(setagaya)100景(下の補足説明参)に選定されています。
世田谷(setagaya)100景:1984年に、以下の8つ基準により、世田谷(setagaya)区民によって選ばれた、世田谷(setagaya)区の、100の趣のある風景。区民の誰もが見ること、加わることができる風景。多くの区民の愛着・共感を集めている風景。このまま持続することが期待できる風景。大小にかかわらず、その町の景観の顔となっている風景。区民の運動・努力の結果として守られている風景。地域の持つ歴史、風土、文化が現れている風景。ユニークさを(個性を)持つ風景、あるいは、世田谷(setagaya)独特の風景。催し、行事などを含め、コミュニティー(community。地域共同体)の雰囲気が、にじみ出ている風景。

 

阿川(agawa)家の門は、この時、初めて見ました。かつての、阿川(agawa)家の邸宅の敷地は、現在は、幾つかの、似た様な感じの一戸建て住宅が建ち並ぶ(門の右側の、一戸建て住宅は、その内の一つ)、非常に小規模な、一戸建て住宅団地(一戸建て住宅を計画的、集団的に建てた区域)と言った感じになっていました(時代の流れを感じさせられます)。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下7枚。北沢(kitazawa)川緑道の一部を通り、世田谷(setagaya)区中北東部(中北東端部)areaから、その西(南西)に隣接する世田谷(setagaya)区中東部areaへ。。。北沢(kitazawa)川緑道は、世田谷(setagaya)区の東部を、東から西へ(まあ、別に西から東と言ってもいいのですが)横切る感じの、静かで落ち着いた住宅地の遊歩道(歩行者専用の散歩道)で、4km以上の長さがあります(私は、全部は、歩いた事がありません)。この時の、散歩の主目的は、北沢(kitazawa)川緑道を散歩する事でした。北沢(kitazawa)川緑道は、中々、好きな散歩道です。北沢(kitazawa)川緑道は、春には、桜の花が綺麗です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下3枚。円乗院(enjyouin)。1625年に創建された、仏教の寺です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

寒桜。

 

 

写真以下7枚。散歩途中、世田谷(setagaya)区中東部area(梅ヶ丘(umegaoka)・豪徳(goutoku)寺area)の、梅ヶ丘(umegaoka)にある、寿司食堂、美登利(midori)(美登利(midori)寿司と呼ばれる事が多い)で昼食を食べました。美登利(midori)は、梅ヶ丘(umegaoka)に本店を有する、寿司食堂で、現在、東京中心部と東京の西部郊外に、5店舗、(寿司食堂の)支店を展開しています。美登利(midori)は、値段と質のバランスの良さから(手頃な値段(安い値段)にしては、質が高い事から)、非常に人気のある、寿司食堂です。美登利(midori)は、昔は(昔と言っても、それ程、大昔ではないけど)、たまに利用していましたが、最近は、混雑(席に案内されるまでの行列)に、うんざりして、遠ざかり気味です。美登利(midori)の、梅ヶ丘(umegaoka)の本店は、本館と新館があるのですが、この日も、本館の方は、順番待ちの、長い行列が出来ていました。この日は、比較的空いている(穴場と言える)、新館の方で食べました(新館の方は、調度、待たずに入れて、上手く行ったと言う感じでしたw)。

 

写真以下7枚。これに、味噌汁(miso soup)が付きます。二人共、同じ物を食べました(写真は、一人分)。


 

 

写真左から、鮪(中トロ)、金目鯛、鮪、帆立。

 

 

 

 

写真左、イカ。写真右、卵焼き。

 

 

 

 

写真左から、蟹(松葉蟹)、ウニ(海栗)、イクラ(鮭の卵)。

 

 

 

 

左、ボタン海老。右は、上の物と重複ですが、蟹(松葉蟹)とウニ(海栗)。

 

 

 

 

穴子寿司。

 

 

 

 

茶碗蒸し。

 

 

 

デザート。杏仁豆腐(almond jelly)。

 

 

写真以下、寿司と共に飲んだ、ビールと樽の木の香りが良い振舞酒(正月等に無料で配られる日本酒)で、ほろ酔い気分になりながら、散歩を再開。

 

住宅街の大きな木。近くには、立派な、日本伝統式の邸宅がありました。

 

 

写真以下36枚。豪徳(goutoku)寺。世田谷(setagaya)区中東部areaの、静かで落ち着いた住宅地にある、規模の大きな、仏教の寺です。豪徳(goutoku)寺は、中々、雰囲気が好きな寺です(まあ、夕方に訪れると、カラス(crows)が鳴いたりして、不気味な雰囲気(少し怖い雰囲気)の時もあるけどw)。以下、豪徳(goutoku)寺に関する説明は、wiki等を参考にしました。豪徳(goutoku)寺及び、その周辺は、中世以来、武蔵(musashi)吉良(kira)家(世田谷(setagaya)(現在の、ほぼ世田谷(setagaya)区に当たる地域でいいのかな。。。)を統治していた地方領主)が居館とし(邸宅を構え)、1590年に廃城となった(豊臣(toyotomi)家に接収された後、城が廃止された)、世田谷(setagaya)城(castle)(武蔵(musashi)吉良(kira)家の城(castle))の主要部であったと言われています。豪徳(goutoku)寺は、1480年に、当事の武蔵(musashi)吉良(kira)家の当主が、亡くなった伯母の冥福の為に、世田谷(setagaya)城(castle)の敷地内に建てた、小規模な仏教の寺(弘徳院)が前身となっています。17世紀前半、井伊(ii)家(下の補足説明参照)の、当事の当主、井伊 直孝(ii naotaka)(1590年生まれ。1659年に亡くなる)が、貧しくなっていた、この寺を、整備し直し、井伊(ii)家の菩提寺(先祖代々の墓を置く寺)の一つ(井伊(ii)家の、東京(当事は、江戸(edo)と呼ばれていた)areaにおける菩提寺)としました(当事、現在の豪徳(goutoku)寺一帯は、井伊(ii)家の、東京(当事は、江戸(edo)と呼ばれていた)areaの領地内となっていました)。また、寺の名前も、井伊 直孝(ii naotaka)の死後、1659年に、井伊 直孝(ii naotaka)の戒名(仏教徒としての名前)に因み、豪徳(goutoku)寺と改められました。
井伊(ii)家:江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)に、彦根(hikone)藩(現在の滋賀(shiga)県北部)を統治していた地方領主の家。居城は、現在の、滋賀(shiga)県、彦根(hikone)市に位置する、彦根(hikone)城(castle)。徳川(tokugawa)家(下の補足説明参照)に、とても重用された、非常に有力な地方領主(の家)。少なからぬ当主が、徳川(tokugawa)幕府(中央政府)の中枢的な役職を務めた。
徳川(tokugawa)家:江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)において、東京(当事は、江戸(edo)と呼ばれていた)に拠点を置き、日本全国の地方領主の長(leader)として、日本を、実質的に統治していた家。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

豪徳(goutoku)寺は、招き猫(下の補足説明参照)の発祥の地と言う説があり、現在は、むしろ、一般的に、井伊(ii)家の菩提寺と言うよりか、招き猫の寺として知られているかもしれません。
招き猫:前足で人を招く格好をした、日本の猫の置物。客や金を招き、商売が繁盛すると言われており、日本では、店舗によく置かれている他、家の置物(特に、客商売を営む家の置物)としても人気が高い。

 

以下、豪徳(goutoku)寺の招き猫発祥説の内容に関しては、wikiを参考にしました。


17世紀初期、当事の井伊(ii)家の当主、井伊 直孝(ii naotaka)が、鷹狩(狩猟)の帰りに、豪徳(goutoku)寺の前身の寺(弘徳院)の前を通りかかった。この時、この寺の和尚(僧)の飼い猫が、寺の門の前で、手招きする様な仕草をしていた為、井伊 直孝(ii naotaka)は、この寺に立ち寄り、休憩した。すると、雷雨が降りはじめた。これを機に、井伊 直孝(ii naotaka)は、この寺(豪徳(goutoku)寺の前身の寺)の和尚(僧)と親しくなり、雨に降られずにすんだことを喜んだ井伊 直孝(ii naotaka)は、後日、荒れていた、この寺(当事は、小さな貧しい寺だった)を建て直すために多額の寄進をし(金銭・物品を寄付し)、寺は、盛り返した。この縁で、寺は、井伊(ii)家の菩提寺となり、名前も、豪徳(goutoku)寺となった(ちなみに、豪徳(goutoku)寺の名前は、井伊 直孝(ii naotaka)の戒名(仏教徒としての名前)に由来する)。豪徳(goutoku)寺(の前身の寺)の和尚(僧)は、この猫が死ぬと墓を建てて弔った。後に、豪徳(goutoku)寺の境内(寺の敷地内)に、招猫堂(この猫を祀る建物)が建てられ、猫が片手を挙げている姿を模った置物(招き猫)が作られるようになった。豪徳(goutoku)寺の招き猫発祥説は、別の説もある。井伊 直孝(ii naotaka)が、豪徳(goutoku)寺の前身の寺(弘徳院)の一本の木の下で雨宿りをしていたところ、一匹の猫が手招きをしていた。井伊 直孝(ii naotaka)が、その猫に近づいたところ、先ほど雨宿りをしていた木に雷が落ちた。それを避けられたことを感謝し、井伊 直孝(ii naotaka)は、豪徳(goutoku)寺(の前身の寺)に多くの寄進をし(多くの金銭・物品を寄付し)、井伊(ii)家の菩提寺としたと言うものである。私は、個人的に、1番目の説の方が、信憑性が高いと思います。


ちなみに、井伊(ii)家の居城であった、彦根(hikone)城(castle)(滋賀(shiga)県、彦根(hikone)市)の、観光用マスコットキャラクター(mascot)、ひこにゃん(hikonyan)は、この猫に由来します(ひこにゃん(hikonyan)は、より劇的な2番目の説の猫(井伊 直孝(ii naotaka)を落雷から救った猫)をモデル(model)にしている様です)。個人的に、彦根(hikone)城(castle)は、2回しか訪れた事がありませんが、雰囲気が好きな城(castle)です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下4枚。世田谷(setagaya)八幡(hachiman)神社(shrine)。1091年に創建された、神道の神社(shrine)です。食べ物や甘酒を売る屋台が出て、初詣(hatsumoude)をしに来た人達で賑わっていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

豪徳(goutoku)寺駅(豪徳(goutoku)寺の通勤電車(韓国式に言えば地下鉄)の最寄り駅)の駅の入り口(出口)前の、招き猫の像。帰りは、豪徳(goutoku)寺駅から、通勤電車(韓国式に言えば地下鉄)に乗って帰りました。

 

 

 

 

 



첫 참배(hatsumode) 산책

 

 

1월 2일에, 첫 참배(hatsumoude.신년에, 신사(shrine)나 절에, 참배 하고, 그 해의 소원등을 하는, 일본의 풍습)와 운동(워킹)을 겸하고, 나의 거리에 가까운, 세타가야(setagaya) 구안북동부(안북동 단부)로부터 중동부를, 어슬렁어슬렁 산책해 왔을 때의 물건입니다.세타가야(setagaya) 구는, 도쿄 중심부(도쿄 23구)의 니시하타에 위치하는 구로, 도쿄의 23의 구 중(안)에서, 최대급의 면적을 가지면 보조자에, 최대의 인구를 가지고 있습니다.세타가야(setagaya) 구는, 기본적으로, 도쿄의 도심부에 통근하는 사람들이 사는 조용하고 침착한 주택지가 되고 있습니다.

 

우선은, 시모키타자와(shimokitazawa)까지, 통근 전철(한국식에 말하면 지하철)로 이동해, 거기로부터 산책을 스타트 했습니다(산책을 시작했습니다).시모키타자와(shimokitazawa)는, 나의 가(시부야구(shibuya) 구중 북부 area)의, 서쪽의 이웃마을(서쪽으로 인접한다), 세타가야(setagaya) 구중 북동부(안북동 단부) area에 있습니다.시모키타자와(shimokitazawa)는, 젊은이에게 인기가 되고 있는 번화가입니다만, 번화가를, 조금 빗나가면, 조용하고 침착한 주택지가 됩니다.덧붙여서, 우리 집으로부터, 직선 거리라고, 신쥬쿠, 시부야(shibuya), 하라쥬쿠(harajyuku), 시모키타자와(shimokitazawa)는, 대체로 같은 정도의 거리라고 생각합니다.

 

미국이나 서유럽의 나라들에, 매우 많은 크리스트교의 교회가 있는 일과 같이, 일본에는, 매우 많은, 불교의 절과 신도의 신사(shrine)가 있어, 또, 미국이나 서유럽의 나라들에서는, 어느 동내에서도, 적어도 하나의, 크리스트교의 교회가 있다고 생각합니다만, 그것과 같게, 일본에서도, 어느 동내에도, 일반적으로는, 적어도, 1개의 불교의 절 또는 신도의 신사(shrine), 혹은 양쪽 모두가 존재합니다.이러한, 신도의 신사(shrine)와 불교의 절은, 종교라고 말하는 것보다도, 생활 문화로서 동내의 사람들의 생활속에 자연과 융합 되어 있습니다.

 

이 때의, 산책시는, 세타가야(setagaya) 구(도쿄 중심부(도쿄 23구)의 니시하타에 위치하는 구)안북동부(안북동 단부)로부터 중동부의 조용하고 침착한 주택지안에 있는, 3개의 불교의 절과 2개의 신도의 신사(shrine)에서(엄밀하게 말하면, 더입니다만...), 첫 참배(hatsumoude.신년에, 신사(shrine)나 절에, 참배 하고, 그 해의 소원등을 하는, 일본의 풍습)를 했던(어느 쪽의, 절·신사(shrine)도, 첫 참배(hatsumoude)의 시기에는, 처음으로 방문했습니다).덧붙여서, 통상, 첫 참배(hatsumoude)에 대하고, 이렇게, 참배 할 필요는, 없습니다.첫 참배(hatsumoude)는, 하나의 신사(shrine) 또는 절만으로 하고도, 충분합니다.뭐, 이 때는, 운동을 겸한 산책 그 다음에였으므로...

 

사진 이하 15매.모리 겐(shingan) 절.1608년에 창건 된, 불교의 절입니다.은행의 대목이, 인상적인 절에서, 단풍 시기는, 은행의 단풍이, 깨끗합니다.규모는 크지 않은 절입니다만, 경내(부지내)에는, 아와시마(awashima) 신사(shrine)라고 말하는, 작은 신사(shrine)도 있습니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 6매.키타자와(kitazawa) 야와타(hachiman) 신사(shrine).15 세기 후반무렵에 창건 된, 신도의 신사(shrine)입니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 4매.아카와(agawa) 가(읽는 법은, agawa가로 좋다고 생각합니다만, 잘못되어 있으면 끝나지 않습니다)의 문.에도(edo) 시대(17 세기부터 19 세기 중반)의 훌륭한 군주(nanushi.부유인 농가(농민))의 저택의, 낡은 문이, 현존 해, 세타가야(setagaya) 100경(아래의 보충 설명참)에 선정되고 있습니다.
세타가야(setagaya) 100경:1984년에, 이하의 8개 기준에 의해, 세타가야(setagaya) 구민에 의해서 선택된, 세타가야(setagaya) 구의, 100의 정취가 있는 풍경.구민의 누구나가 보는 것, 더해질 수 있는 풍경.많은 구민의 애착·공감을 모으고 있는 풍경.이대로 지속하는 것을 기대할 수 있는 풍경.대소에 관계없이, 그 마을의 경관의 얼굴이 되고 있는 풍경.구민의 운동·노력의 결과로서 지켜지고 있는 풍경.지역이 가지는 역사, 풍토, 문화가 나타나고 있는 풍경.독특함을(개성을) 가지는 풍경, 혹은, 세타가야(setagaya) 특유의 풍경.개최해, 행사등을 포함해 커뮤니티(community.지역 공동체)의 분위기가, 스며 나오고 있는 풍경.

 

아카와(agawa) 가의 문은, 이 때, 처음으로 보았습니다.한 때의, 아카와(agawa) 가의 저택의 부지는, 현재는, 몇개의, 닮은 같은 느낌의 독립주택이 늘어선다(문의 우측의, 독립주택은, 그 안의 하나), 매우 소규모의, 독립주택 단지(독립주택을 계획적, 집단적으로 세운 구역)라고 말한 기분이 들고 있었습니다(시대의 흐름을 느끼게 할 수 있습니다).


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 7매.키타자와(kitazawa) 강도시공원의 하나의 일부를 대로, 세타가야(setagaya) 구중 북동부(안북동 단부) area로부터, 그 서쪽(남서)으로 인접하는 세타가야(setagaya) 구 중동부 area에...키타자와(kitazawa) 강도시공원의 하나는, 세타가야(setagaya) 구의 동부를, 동쪽에서 서쪽에(뭐, 별로 서쪽에서 동쪽이라고 말해도 괜찮습니다만) 횡단하는 느낌의, 조용하고 침착한 주택지의 산책길(보행자 전용의 산책도)에서, 4 km이상의 길이가 있습니다( 나는, 전부는, 걸은 일이 없습니다).이 때의, 산책의 주목적은, 키타자와(kitazawa) 강도시공원의 하나를 산책하는 일이었습니다.키타자와(kitazawa) 강도시공원의 하나는, 꽤, 좋아하는 산책도입니다.키타자와(kitazawa) 강도시공원의 하나는, 봄에는, 벚꽃이 깨끗합니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 3매.원승원(enjyouin).1625년에 창건 된, 불교의 절입니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

벚나무의 일종.

 

 

사진 이하 7매.산책 도중 , 세타가야(setagaya) 구 중동부 area(우메가오카(umegaoka)·호덕(goutoku) 사area)의, 우메가오카(umegaoka)에 있는, 스시 식당, 미도리(midori)(미도리(midori) 스시로 불리는 것이 많다)로 점심 식사를 먹었습니다.미도리(midori)는, 우메가오카(umegaoka)에 본점을 가지는, 스시 식당에서, 현재, 도쿄 중심부와 도쿄의 서부 교외에, 5 점포, (스시 식당의) 지점을 전개하고 있습니다.미도리(midori)는, 가격과 질의 밸런스의 좋은 점으로부터(적당한 가격(싼 가격)으로서는, 질이 높은 일로부터), 매우 인기가 있는, 스시 식당입니다.미도리(midori)는, 옛날은(옛날이라고 말해도, 그렇게, 먼 옛날은 아닌데), 이따금 이용하고 있었습니다만, 최근에는, 혼잡(석에 안내될 때까지의 행렬)에, 진절머리 나고, 멀어져 기색입니다.미도리(midori)의, 우메가오카(umegaoka)의 본점은, 본관과 니이다테가 있습니다만, 이 날도, 본관은, 차례 기다리는, 긴 행렬이 되어있었습니다.이 날은, 비교적 비어 있는(명당이라고 말할 수 있다), 니이다테의 분으로 먹었습니다(니이다테는, 세간, 기다리지 않고 넣고, 능숙하게 갔다고 하는 느낌이었습니다 w).

 

사진 이하 7매.이것에, 된장국(miso soup)이 붙습니다.두 명모두, 같은 물건을 먹었습니다(사진은, 일인분).


 

 

사진왼쪽에서, 큰 다랑어(안다랑어), 값 도미, 큰 다랑어, 범립.

 

 

 

 

사진왼쪽, 오징어.사진 오른쪽, 계란부침.

 

 

 

 

사진왼쪽에서, 게(왕게), 성게(해 률), 이크라(연어의 알).

 

 

 

 

왼쪽, 버튼 새우.오른쪽은, 위의 물건과 중복입니다만, 게(왕게)와 성게(해 률).

 

 

 

 

붕장어 스시.

 

 

 

 

계란찜.

 

 

 

디저트.살구씨 두부(almond jelly).

 

 

사진 이하, 스시와 함께 마신, 맥주와 준의 나무 향기가 좋은 행동주(정월등에 무료로 배부되는 일본술)로, 취기 기분이 되면서, 산책을 재개.

 

주택가의 큰 나무.가까운 곳에는, 훌륭한, 일본 전통식의 저택이 있었습니다.

 

 

사진 이하 36매.호덕(goutoku) 사.세타가야(setagaya) 구 중동부 area의, 조용하고 침착한 주택지에 있는, 규모의 큰, 불교의 절입니다.호덕(goutoku) 사는, 꽤, 분위기를 좋아하는 절입니다(뭐, 저녁에 방문하면, 까마귀(crows)가 울거나 하고, 기분 나쁜 분위기(조금 무서운 분위기)때도 있지만 w).이하, 호덕(goutoku) 사에 관한 설명은, wiki등을 참고로 했습니다.호덕(goutoku) 사 및, 그 주변은, 중세 이래, 무사시(musashi) 키라(kira) 가(세타가야(setagaya)(현재의, 거의 세타가야(setagaya) 구에 해당되는 지역에서 좋은 것인지...)(을)를 통치하고 있던 지방 영주)가 저택으로 해(저택을 지어), 1590년에 폐성이 된(도요토미(toyotomi) 가에 접수된 후, 성이 폐지된), 세타가야(setagaya) 시로(castle)(무사시(musashi) 키라(kira) 가의 성(castle))의 주요부에서 만났다고 말해지고 있습니다.호덕(goutoku) 사는, 1480년에, 당사의 무사시(musashi) 키라(kira) 가의 당주가, 죽은 백모의 명복을 위해, 세타가야(setagaya) 성(castle)의 부지내에 세운, 소규모의 불교의 절(홍덕원)이 전신이 되고 있습니다.17 세기 전반, 정이(ii) 가(아래의 보충 설명참융`니)의, 당사의 당주, 정이직효(ii naotaka)(1590 년생.1659년에 죽는다)가, 궁핍해지고 있던, 이 절을, 다시 정비해 , 정이(ii) 가의 보리사(선조 대대의 무덤을 두는 절)의 하나(정이(ii) 가의, 도쿄(당사는, 에도(edo)로 불리고 있던) area에 있어서의 보리사)로 했던(당사, 현재의 호덕(goutoku) 사일대는, 정이(ii) 가의, 도쿄(당사는, 에도(edo)로 불리고 있던) area의 영지내가 되고 있었습니다).또, 절의 이름도, 정이직효(ii naotaka)의 사후, 1659년에, 정이직효(iinaotaka)의 계명(불교도로서의 이름)에 연관되어, 호덕(goutoku) 사와 고쳐졌습니다.
정이(ii) 가:에도(edo) 시대(17 세기부터 19 세기 중반)에, 히코네(hikone) 번(현재의 시가(shiga) 현 북부)를 통치하고 있던 지방 영주의 집.거성은, 현재의, 시가(shiga) 현, 히코네(hikone) 시에 위치하는, 히코네(hikone) 성(castle).토쿠가와(tokugawa) 가(아래의 보충 설명 참조)에, 매우 중용 된, 매우 유력한 지방 영주(의 집).적지않은 당주가, 토쿠가와(tokugawa) 막부(중앙정부)의 중추적인 직무를 맡았다.
토쿠가와(tokugawa) 가:에도(edo) 시대(17 세기부터 19 세기 중반)에 있고, 도쿄(당사는, 에도(edo)로 불리고 있는 것)에 거점을 두어, 일본 전국의 지방 영주 장(leader)으로서 일본을, 실질적으로 통치하고 있던 집.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

호덕(goutoku) 사는, 고양이 장식물(아래의 보충 설명 참조)의 발상지라고 하는 설이 있어, 현재는, 오히려, 일반적으로, 정이(ii) 가의 보리사라고 말하는 것보다인가, 고양이 장식물의 절로서 알려져 있을지도 모릅니다.
고양이 장식물:앞발로 사람을 부르는 모습을 한, 일본의 고양이의 장식물.손님이나 돈을 불러, 장사가 번성한다고 말해지고 있어 일본에서는, 점포에 잘 놓여져 있는 것 외, 집의 장식물(특히, 접객업을 영위하는 집의 장식물)이라고 해도 인기가 높다.

 

이하, 호덕(goutoku) 사의 고양이 장식물 발상설의 내용에 관해서는, wiki를 참고로 했습니다.


17 세기 초기, 당사의 정이(ii) 가의 당주, 정이직효(ii naotaka)가, 타카가리(카료)의 오는 길에 , 호덕(goutoku) 테라노마에몸의 절(홍덕원)의 전을 우연히 지나갔다.이 때, 이 절의 스님(승려)의 집고양이가, 절의 문의 앞에서, 손짓 하는 것 같은 행동을 하고 있던 때문, 정이직효(ii naotaka)는, 이 절에 들러, 쉬었다.그러자(면), 뇌우가 내리기 시작했다.이것을 기회로, 정이직효(ii naotaka)는, 이 절(호덕(goutoku) 테라노마에몸의 절)의 스님(승려)과 친해져, 비를 맞지 않고 끝난 것을 기뻐한 정이직효(ii naotaka)는, 후일, 거칠어지고 있던, 이 절(당사는, 작은 궁핍한 절이었다)을 다시 세우기 위해서 고액의 기부를 해(금전·물품을 기부해), 절은, 만회했다.이 인연으로, 절은, 정이(ii) 가의 보리사가 되어, 이름도, 호덕(goutoku) 사가 된(덧붙여서, 호덕(goutoku) 사의 이름은, 정이직효(iinaotaka)의 계명(불교도로서의 이름)에 유래한다).호덕(goutoku) 사(의 전신의 절)의 스님(승려)은, 이 고양이가 죽으면 무덤을 지어 조상했다.후에, 호덕(goutoku) 사의 경내(절의 부지내)에, 초묘당(이 고양이를 모시는 건물)이 지어져 고양이가 한 손을 들고 있는 모습을 모장식물(고양이 장식물)이 만들어지게 되었다.호덕(goutoku) 사의 고양이 장식물 발상설은, 다른 설도 있다.정이직효(ii naotaka)가, 호덕(goutoku) 테라노마에몸의 절(홍덕원)의 한 개의 나무 아래에서 비를 피하고 있고 있던 참, 한마리의 고양이가 손짓을 하고 있었다.정이직효(ii naotaka)가, 그 고양이에 가까워졌는데, 방금전 비를 피하고 있고 있던 나무에 불벼락이 떨어졌다.그것을 피할 수 있던 것을 감사해, 정이직효(ii naotaka)는, 호덕(goutoku) 사(의 전신의 절)에 많은 기부를 해(많은 금전·물품을 기부해), 정이(ii) 가의 보리사로 했다고 하는 것이다.나는, 개인적으로, 1번째의 설이, 신빙성이 높다고 생각합니다.


덧붙여서, 정이(ii) 가의 거성인, 히코네(hikone) 시로(castle)(시가(shiga) 현, 히코네(hikone) 시)의, 관광용 마스코트 캐릭터(mascot), 히개응(hikonyan)은, 이 고양이에 유래합니다(히개응(hikonyan)은, 보다 극적인 2번째의 설의 고양이(정이직효(ii naotaka)를 낙뢰로부터 구한 고양이)를 모델(model)로 하고 있는 것 같습니다).개인적으로, 히코네(hikone) 성(castle)은, 2 회 밖에 방문한 일이 없습니다만, 분위기를 좋아하는 성(castle)입니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 4매.세타가야(setagaya) 야와타(hachiman) 신사(shrine).1091년에 창건 된, 신도의 신사(shrine)입니다.음식이나 식혜를 파는 포장마차가 나오고, 첫 참배(hatsumoude)를 하러 온 사람들로 활기차 있었습니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

호덕(goutoku) 사역(호덕(goutoku) 사의 통근 전철(한국식에 말하면 지하철)의 근처역)의 역의 입구(출구) 앞의, 고양이 장식물의 상.귀가는, 호덕(goutoku) 사역으로부터, 통근 전철(한국식에 말하면 지하철)을 타 돌아갔습니다.

 

 

 

 

 


 



TOTAL: 415

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