うちの町内

 

 

8月の第4火曜日(以下、この日と書きます。この日は、個人的に休みでした)、近場で休日を過ごした時の物です。

 

この日は、銀座(ginza)を散歩しました。銀座(ginza。東京都心部の中でも、中心的な地域に位置する)は、東京を代表する高級繁華街且つ、東京を代表する繁華街であり、また、隣の有楽町(yurakucho)と合わせて(銀座(ginza)・有楽町(yurakucho))、東京最大級の繁華街の一つとなっています。第二次世界大戦前は、銀座(ginza。東京都心部の中でも、中心的な地域に位置する)と浅草(asakusa。東京都心部の東部(北東部)に位置する)が、東京の二大繁華街でした(第二次世界大戦前は、銀座(ginza)が、中流層及び上流層の為の中心的繁華街、浅草(asakusa)が、庶民の為の中心的繁華街と言った感じでした。ちなみに、銀座(ginza)は、今でも、東京を代表する繁華街の座を維持しています)。浅草(asakusa)は、第二次世界大戦末期の空襲で、壊滅的な被害を受けました。また、第二次世界大戦後、浅草(asakusa)が、衰退して行く一方で、東京都心部西部(1920年代から1930年代に、本格的な開発が始まった、東京の新市街・新興住宅地)の、新宿(shinjyuku)や渋谷(shibuya)等が、東京の新たな主要繁華街として、成長し、台頭して来ました。これにより、浅草(asakusa)は、東京最大級の繁華街の座は、新宿(shinjyuku)や渋谷(shibuya)等、他の繁華街に譲り、現在は、東京の主要な繁華街の一つに過ぎません(もっとも、浅草(asakusa)は、それでも、東京の下町(旧市街)(東京都心部の東部)の中心的な繁華街となっています)。一方、銀座(ginza)は、第二次世界大戦前と後を通じて、現在に至るまで、東京を代表する繁華街で有ると供に、隣の有楽町(yurakucho)と合わせて(銀座(ginza)・有楽町(yurakucho))、東京最大級の繁華街の座を維持しています。銀座(ginza)areaは、繁華街の規模(範囲)が大きい為、最寄りの地下鉄・通勤電車(韓国式に言えば地下鉄)駅が、5つ程あります。

 

 

写真以下2枚。銀座(ginza)の風景例。この日は、(暑さが厳しい、東京都心の夏の日々の中において、オアシス(oasis)的な日と言った感じで)、あまり暑くなく、快適な気候でした。爽やかな気候で、街(繁華街)の散歩日和と言った感じで、気持ち良く、銀座(ginza)を散歩出来ました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この日は、(銀座(ginza)の、資生堂(Shiseido)パーラー(parlour)の本店に入っている)資生堂(Shiseido)galleryで、現在行われている、ミン・ウォン(Ming Wong)の展覧会(exhibition)を見て来ました。

 

 

銀座(ginza)にある、資生堂(Shiseido)パーラー(parlour)(下の補足説明参照)の本店の、現在の建物。パンフレット(leaflet)より。。。複数の飲食店と、西洋菓子・ケーキ(cake)店(西洋菓子・ケーキ(cake)売り場)、art gallery(資生堂(Shiseido)gallery)が、入っています。道路を挟んで、隣には、資生堂(Shiseido)の、銀座(ginza)の旗艦店(flagship store)のビルが建っています。
資生堂(Shiseido)パーラー(parlour):資生堂(Shiseido)(下の補足説明参照)が経営する(資生堂(Shiseido)の子会社の)、飲食店(レストラン・カフェ(cafe))・西洋菓子店。1902年創業。レストラン・カフェ(cafe)は、東京圏を中心に店舗を展開。特に、銀座(ginza)の本店は、第二次世界大戦前から、高いブランド(brand)力を有している。
資生堂(Shiseido):銀座(ginza)発祥の会社で、日本の大規模化粧品会社の一つであると共に、日本最大、且つ、日本を代表する化粧品会社(世界でも、有数の規模の化粧品会社)。1872年創業。


 

 

写真以下3枚。資生堂(Shiseido)パーラー(parlour)の本店のビルの、最上階からの眺め。。。(まあ、あまり高いビルではないので、眺めは、大した事ありません)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下5枚。この日の昼食は、資生堂(Shiseido)パーラー(parlour)の本店の、最上階にある、カジュアル(casual)で、現代的な雰囲気の、レストランで食べました。このレストランは、カジュアル(casual)な雰囲気のレストランで、資生堂(Shiseido)パーラー(parlour)の本店の飲食店の中では、料理等の内容に比べた値段が、最も安いですが(おそらく。。。)、それでも、やはり、銀座(ginza)の、資生堂(Shiseido)パーラー(parlour)の本店に入っている飲食店なので、値段は、やや高目です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この時、私達が、このレストランで座った席からの眺め。。。

 

 

 

 

 

 

写真以下3枚。このレストランで食べた、この日の昼食。これに、パンが付きます。

 

 

簡単な、サラダ(salad)とスープ(soup)。一人一皿ずつ。スープ(soup)は、冷たい、南瓜のスープ(soup)。

 

 

 

 

 

 

メイン(main)料理。一人一皿ずつ(二人共、同じメイン(main)料理を選びました)。炙った国産(日本産)牛肉が載った、冷たい野菜のパスタ(pasta)(正確な名前は、忘れましたが、その様な内容の料理です)。

 

 

 

 

 

 

 

 

デザート(dessert)。桃(白桃)のシャーベット(sorbet)。一人一皿ずつ。

 

 

 

 

 

 

写真以下12枚。この日は、資生堂(Shiseido)パーラー(parlour)の本店に入っている、資生堂(Shiseido)galleryで、現在行われている、ミン・ウォン(Ming Wong)の展覧会(exhibition)を見て来ました。

 

写真以下3枚。資生堂(Shiseido)galleryを含む、資生堂(Shiseido)の、一般向けの(一般に公開している)、芸術・文化の展示施設のパンフレット(leaflet)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

資生堂(Shiseido)gallery。資生堂(Shiseido)の、一般向けの(一般に公開している)、芸術・文化の展示施設のパンフレット(leaflet)より。。。写真左上の写真は、1934年頃の資生堂(Shiseido)galleryの写真、それ以外は、資生堂(Shiseido)galleryの、現在の様子です(建物は、時代に合せて、建て替えられています)。以下、資生堂(Shiseido)galleryに関する説明は、資生堂(Shiseido)の、一般向けの(一般に公開している)、芸術・文化の展示施設のパンフレット(leaflet)の説明文・資生堂(Shiseido)galleryのsite等を参考にしました。資生堂(Shiseido)galleryは、1919年に開館した、資生堂(Shiseido)が運営するギャラリー(art gallery)です。現在も、運営され続けている、近代・現代式(西洋式)のギャラリー(art gallery)としては、日本最古の物の一つのようです。資生堂(Shiseido)gallery(1919年開館)の、開館の目的は、作品発表の機会に恵まれない、将来性のある若手芸術家達に、無償で、会場を提供し、彼等が、世に出る(有名になる)、後押し(支援)をする事でした。資生堂(Shiseido)galleryは、「新しい美の発見と創造」を活動理念として、1919年の開館以来、現在まで、3,100回以上の展覧会(exhibition)を開催して来ました。第二次世界大戦中は、戦争(軍需産業)に直接関連しない産業分野の会社(化粧品会社)である、資生堂(Shiseido)の経営は、困難でしたが、それでも、資生堂(Shiseido)galleryは、1939年(72回)、1940年(82回)、1941年(85回)、1942年(96回)、1943年(90回)、1944年(80回)と、1939年から1944年にかけて、合計、505回もの、若手artist達の展覧会(exhibition)を開催しました(時局が戦時体制へと傾く中、若いartist達の群小グループが、続々と生まれた事に因る。。。)。資生堂(Shiseido)galleryは、1944年12月(日本が、第二次世界大戦に敗戦し、第二次世界大戦が終わる8ヶ月前)、戦争の激化により、やむなく、一時、休館しますが、1947年に、再び開館し、展覧会(exhibition)を再開しました。資生堂(Shiseido)galleryは、現在は、現代美術に主軸を定め、前衛性と純粋性を兼ね備えた同時代の表現を、積極的に紹介しています(若手artistの支援を継続しつつ、現代美術を中心とする、新しいartの紹介に力を入れています)。

 

 

 

写真以下9枚。この日、見て来た、資生堂(Shiseido)galleryで、現在行われている、ミン・ウォン(Ming Wong)(1971年生まれの、ドイツのベルリン(Berlin)在住の、シンガポール(Singapore)人、現代artist)の、展覧会(exhibition)。以下、この展覧会(exhibition)に関する説明は、この展覧会(exhibition)のsiteの説明文を、ほぼ抜粋・要約した物です。「1971年、シンガポール(Singapore)生まれのミン・ウォン(Ming Wong)は、現在、ドイツのベルリン(Berlin)を拠点に活動しています。彼は、象徴的な、世界の映画の傑作に、リメイク(remake)という手法を通じて自ら入り込み、語り口(セリフ・台詞)や脚本、演出(演出技法)に、新しい解釈を加えることで、オリジナル(原作)の映画との差異を際出たせ、人種的・文化的アイデンティティー、ジェンダー(性別)、言語、ナショナリティーといった問題に言及した、ユニークな(個性的な)映像作品を制作しています。2009年にヴェネチア・ビエンナーレ(Venice Biennale)のシンガポール(Singapore)館で、個展(展覧会)を開催し、シンガポール(Singapore)人として最高の審査員特別表彰を受賞。その後、同展(同展覧会)は世界各地を巡回しました。以降、ミン・ウォン(Ming Wong)の活動は国際的な注目を集め、シドニー・ビエンナーレ(Biennale of Sydney)(2010年)、光州ビエンナーレ(Gwangju Biennale)(2010年)、シンガポール・ビエンナーレ(Singapore Biennale)(2011年)、リバプール・ビエンナーレ(Liverpool Biennial)(2012年)等の国際展に参加し、シンガポール(Singapore)を代表する現代artistの一人となっています。この展覧会(exhibition)では、日本映画や日本の伝統芸能から着想を得て制作した、ミン・ウォン(Ming Wong)の、新作、「私のなかの私(私の中の私)」を発表します。この作品は、ミン・ウォン(Ming Wong)が、かねてより(前から・かつてから)望んでいた、日本での滞在制作による作品で、彼は、日本映画と、その歴史を調査・分析し、「時代劇(近代より前の日本を舞台とした物)」、「現代劇」、「アニメ(anime)」の、3つのジャンルに分類することを試みました。「西洋の映画は写真の延長に存在し、日本の映画は歌舞伎(kabuki)や能(noh)と言った伝統芸能(伝統的な演劇)の延長にある」と指摘する彼は、この3つ(「時代劇、「現代劇」、「アニメ(anime)」)の分野の映画の世界を、それぞれ特有の演技・映画的撮影スタイル・物語設定により、日本映画の典型として表現しています。「時代劇(近代より前の日本を舞台とした物)」では、奥行きを感じさせない舞台の上で、平面的かつ舞台と正対する撮影法により、歌舞伎(kabuki)舞踊で、女装の敵討ちを演じ、日本映画の黄金期の、小津 安二郎(ozu yasujiro)の映画と成瀬 巳喜男(naruse mikio)の映画に、インスピレーションを得た「現代劇」では、高度経済成長期を舞台に、女性の葛藤、父と娘の複雑な関係性を捉えています。また「アニメ(anime)」では、「新世紀エヴァンゲリオン(Neon Genesis Evangelion)」、「メトロポリス(Metropolis)」、「攻殻機動隊(Ghost in the Shell)」と言った、心理学的要素を含む日本のアニメ(anime)を基に、過去の高校生の頃の記憶を取り戻そうとするアンドロイドが主人公の物語を創造しています。ミン・ウォン(Ming Wong)は、どのシーン(場面)においても、日本映画における、元型的なキャラクターを創造し、それら全てを、彼自身が演じていますが、日本語による台詞の発音、言い回しの、ぎこちなさ、身体的特徴からは、性差・世代・言語・人種といった、個人に備わる要素が否応無しに浮かび上がってきます」。

 

 

 

写真以下6枚。この展覧会(exhibition)のパンフレット(leaflet)。

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下5枚。この展覧会(exhibition)のパンフレット(leaflet)より。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この作品(「私のなかの私(私の中の私」)の、「現代劇」は、小津 安二郎(ozu yasujiro)(1903年生まれ。1963年に亡くなる。1920年代後半から、1960年代初めに活躍。日本の世界的に有名な映画監督の一人)と成瀬 巳喜男(naruse mikio)(1905年生まれ。1969年に亡くなる。1930年代から1960年代に活躍(遺作は、1967年の作品)。日本の有名な映画監督の一人)の映画を、イメージした物となっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下3枚。この展覧会(exhibition)の様子。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この展覧会(exhibition)、つまらなくはなかったけど、期待していた程は、面白くありませんでした。

 

 

 

 

写真以下4枚。参考に、資生堂(Shiseido)の、資生堂(Shiseido)gallery以外の、一般向けの(一般に公開している)、芸術・文化の展示施設。資生堂(Shiseido)の、一般向けの(一般に公開している)、芸術・文化の展示施設のパンフレット(leaflet)より。。。

 

写真以下2枚。資生堂(Shiseido)アートハウス(art house)。1978年に開館した、資生堂(Shiseido)が運営する、私営の美術館です(建物(1978年完成)は、谷口 吉生(taniguchi yoshio。1937年生まれ。日本の世界的に有名な建築家の一人)の設計です)。静岡(shizuoka)県(日本の中部地方に位置する県の一つ)にあります。私は、資生堂(Shiseido)アートハウス(art house)は、訪れた事がありません。


 

 

 

 

 

 

 

 

資生堂(Shiseido)アートハウス(art house)の収蔵・展示作品例。写真に写っているのは、全て、日本の作家の作品です。

 

 

 

 

 

写真以下2枚。資生堂(Shiseido)企業資料館。1992年に開館した、資生堂(Shiseido)が運営する、資生堂(Shiseido)の歴史に関する資料館です。静岡(shizuoka)県(日本の中部地方に位置する県の一つ)にあります。私は、資生堂(Shiseido)企業資料館は、訪れた事がありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

資生堂((Shiseido)企業資料館の、収蔵・展示品例。右上は、大正(taisho)時代(1912年から1926年)の、香水(perfume)の瓶。右下は、(おそらく)、1920年代から1930年代頃の、資生堂(Shiseido)の店舗の従業員の制服。

 

 

 

 

 

写真以下14枚。資生堂(Shiseido)galleryで、ミン・ウォン(Ming Wong)の展覧会を見た後は、銀座(ginza)を、しばらく散歩しました。前述の通り、この日は、(暑さが厳しい、東京都心の夏の日々の中において、オアシス(oasis)的な日と言った感じで)、あまり暑くなく、快適な気候でした。爽やかな気候で、街(繁華街)の散歩日和と言った感じで、気持ち良く、銀座(ginza)を散歩出来ました。

 

写真以下14枚。銀座(ginza)の風景例。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もうすぐ、建て替えられる、松坂屋(matsuzakaya)デパート(名古屋(nagoya)(東京、大阪に次ぐ、日本第3の都市圏人口を有する都市で、日本の中部地方の中心都市)に本店がある、日本のデパートのチェーン(chain)。1611年、名古屋(nagoya)で創業)の、銀座(ginza)店(1924年開店)の、現在の建物(松坂屋(matsuzakaya)デパートの、銀座(ginza)店の、現在の建物は、1950年代初めに建てられたようです)。松坂屋(matsuzakaya)デパートの、銀座(ginza)店は、建物の建て替えの為、今年の6月の末を以って、一旦、営業を終了しました(この建物(松坂屋(matsuzakaya)デパートの、銀座(ginza)店の、現在の建物)は、今年中に、取り壊しが開始され、新しい建物は、2017年頃に完成する予定のようです)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下3枚。写真左側。和光(wako)。和光(wako)は、銀座(ginza)の一等地にある、東京を代表する高級デパートです。現在の建物は、1932年に建てられた物です。和光(wako)は、1881年に、銀座(ginza)で創業した輸入時計店、服部(hattori)時計店を起源に持つ高級デパートです。写真以下2枚の右側は、三越(Mitsukoshi)(下の補足説明参照)の、銀座(ginza)店(1930年開店)の建物(現在の建物は、1960年代に建てられた物のようです)。
三越(Mitsukoshi):日本で最もbrand力の有る、デパートchainの一つ。1673年に、東京で創業。本店は、東京の日本橋(nihonbashi)に有る日本橋(nihonbashi)店(三越(Mitsukoshi)の本店(日本橋(nihonbashi)店)は、東京を代表する高級デパートの一つとなっています)。三越(Mitsukoshi)の本店のある、日本橋(nihonbashi)(東京都心部の中でも、中心的な地域に位置する)は、江戸(edo)時代(17世紀)から、東京を代表する商業地です。銀座(ginza)は、日本橋(nihonbashi)に比べれば、新興商業地です。

 

写真以下2枚。写真左側、和光(wako)(1881年に、銀座(ginza)で創業した輸入時計店、服部(hattori)時計店を起源に持つ高級デパート)の、現在の建物(1932年完成)。写真右側、三越(Mitsukoshi)デパートの、銀座(ginza)店(1930年開店)の建物(現在の建物は、1960年代に建てられた物のようです)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真左、和光(wako)。

 

 

 

 

 

 

写真以下2枚。銀座(ginza)の路地の風景例。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下3枚(写真以下3枚は、同じビル)。1920年代から1930年代に建てられたと思われるビル。第二次世界大戦前(1930年代以前)に、銀座(ginza)に建てられたビルは、第二次世界大戦中の空襲による破壊及び、第二次世界大戦後、現在に至るまでの建て替えにより、ほとんどが失われてしまい、現存する、銀座(ginza)の、第二次世界大戦前(1930年代以前)に建てられたビルは、数少ないですが、これは、銀座(ginza)に現存する、数少ない、第二次世界大戦前(1930年代以前)に建てられたビルの一つです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下。色々な店舗を覗いたり、軽い買い物をしながら、銀座(ginza)を、しばらく散歩した後は、資生堂(Shiseido)パーラー(parlour)の本店に、再び戻って来て、資生堂(Shiseido)パーラー(parlour)の本店のカフェ(cafe)で、おやつ(ケーキ(cake))を食べてから、地下鉄で、私の街に帰りました。

 

 

銀座(ginza)にある、資生堂(Shiseido)パーラー(parlour)(下の補足説明参照)の本店の、現在の建物。パンフレット(leaflet)より。。。複数の飲食店と、西洋菓子・ケーキ(cake)店(西洋菓子・ケーキ(cake)売り場)、art gallery(資生堂(Shiseido)gallery)が、入っています。
資生堂(Shiseido)パーラー(parlour):資生堂(Shiseido)(下の補足説明参照)が経営する(資生堂(Shiseido)の子会社の)、飲食店(レストラン・カフェ(cafe))・西洋菓子店。1902年創業。レストラン・カフェ(cafe)は、東京圏を中心に店舗を展開。特に、銀座(ginza)の本店は、第二次世界大戦前から、高いブランド(brand)力を有している。
資生堂(Shiseido):銀座(ginza)発祥の会社で、日本の大規模化粧品会社の一つであると共に、日本最大、且つ、日本を代表する化粧品会社(世界でも、有数の規模の化粧品会社)。1872年創業。

 

 

写真以下7枚。資生堂(Shiseido)パーラー(parlour)の本店の、飲食店等。資生堂(Shiseido)パーラー(parlour)の本店のパンフレット(leaflet)より。。。

 

 

写真以下5枚。資生堂(Shiseido)パーラー(parlour)の本店の、飲食店。

 

 

 

この日、私達が、昼食を食べた、カジュアル(casual)で、現代的な雰囲気の、レストラン。資生堂(Shiseido)パーラー(parlour)の本店の、最上階に入っています。このレストランは、カジュアル(casual)な雰囲気のレストランで、資生堂(Shiseido)パーラー(parlour)の本店の飲食店の中では、料理等の内容に比べた値段が、最も安いですが(おそらく。。。)、それでも、やはり、銀座(ginza)の、資生堂(Shiseido)パーラー(parlour)の本店に入っている飲食店なので、値段は、やや高目です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

資生堂(Shiseido)パーラー(parlour)(レストラン)。資生堂(Shiseido)パーラー(parlour)の、長年の伝統を引き継ぐ、レストランです。

 

 

 

 

 

 

 

資生堂(Shiseido)パーラー(parlour)、「SALON DE CAFE」。この日、私達が、おやつ(ケーキ(cake))を食べたカフェ(cafe)。資生堂(Shiseido)パーラー(parlour)の、長年の伝統を引き継ぐ、カフェ(cafe)です。

 

 

 

 

 

資生堂(Shiseido)パーラー(parlour)の本店の1階の、(資生堂(Shiseido)パーラー(parlour)の)西洋菓子・ケーキ(cake)売り場。

 

 

 

 

資生堂(Shiseido)パーラー(parlour)の本店の、地下1階に入っている、現在の資生堂(Shiseido)gallery(1919年に開館した、資生堂(Shiseido)が運営するギャラリー(art gallery))。

 

 

 

 

 

資生堂(Shiseido)パーラー(parlour)の本店の、パンフレット(leaflet)。

 

 

 

 

写真以下3枚。資生堂(Shiseido)パーラー(parlour)の本店の、飲食店の、カード(card)、色々。伝統を意識しているのか、何となく、落ち着いたデザイン(design)です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下。資生堂(Shiseido)パーラー(parlour)の本店のカフェ(cafe)で、おやつ(ケーキ(cake))を食べてから、地下鉄で、私の街に帰りました。このカフェ(cafe)は、資生堂(Shiseido)パーラー(parlour)の、長年の伝統を引き継ぐ、カフェ(cafe)です。

 

現在の建物は、現代的な建物ですが、メニュー(menu)は、重厚な感じで、何となく、伝統を感じさせます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この時、私が、このカフェ(cafe)で飲んだ、飲み物。冷たい紅茶。

 

 

 

 

写真以下3枚。この時、このカフェ(cafe)で食べた、ケーキ(cake)。

 

写真以下2枚。私が食べたケーキ(cake)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼女が食べた、ケーキ(cake)。夏のモンブラン(Mont Blanc)。

 

 

 

 

この日の夕食は、私の街の居酒屋で、彼女と食べました(銀座(ginza)で、(お酒(アルコール(alcoholic)飲料)を)飲むよりも、私の街で飲む方が、落ち着きますw)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


근처에서 보내는 휴일.

 

 

8월의 제4 화요일(이하, 이 날이라고 씁니다.이 날은, 개인적으로 휴일이었습니다), 근처에서 휴일을 보냈을 때의 물건입니다.

 

이 날은, 긴자(ginza)를 산책했습니다.긴자(ginza.도쿄도심부안에서도, 중심적인 지역에 위치한다)는, 도쿄를 대표하는 고급 번화가 한편, 도쿄를 대표하는 번화가이며, 또, 근처의 유라쿠쵸(yurakucho)와 합해(긴자(ginza)·유라쿠쵸(yurakucho)), 도쿄 최대급의 번화가의 하나가 되고 있습니다.제이차 세계대전전은, 긴자(ginza.도쿄도심부안에서도, 중심적인 지역에 위치한다)와 아사쿠사(asakusa.도쿄도심부의 동부(북동부)에 위치한다)가, 도쿄의 2대번화가였습니다(제이차 세계대전전은, 긴자(ginza)가, 중류층 및 상류층을 위한 중심적 번화가, 아사쿠사(asakusa)가, 서민을 위한 중심적 번화가라고 한 느낌이었습니다.덧붙여서, 긴자(ginza)는, 지금도, 도쿄를 대표하는 번화가의 자리를 유지하고 있습니다).아사쿠사(asakusa)는, 제이차 세계대전 말기의 공습으로, 괴멸적인 피해를 받았습니다.또, 제이차 세계대전 후, 아사쿠사(asakusa)가, 쇠퇴해 가는 한편으로, 도쿄도심부 서부(1920년대부터 1930년대에, 본격적인 개발이 시작된, 도쿄의 신시가·신흥 주택지)의, 신쥬쿠(shinjyuku)나 시부야(shibuya) 등이, 도쿄의 새로운 주요 번화가로서 성장해, 대두해 왔습니다.이것에 의해, 아사쿠사(asakusa)는, 도쿄 최대급의 번화가의 자리는, 신쥬쿠(shinjyuku)나 시부야(shibuya) 등 , 다른 번화가에 양보해, 현재는, 도쿄의 주요한 번화가의 하나에 지나지 않습니다(가장, 아사쿠사(asakusa)는, 그런데도, 도쿄의 게노마치(구시가)(도쿄도심부의 동부)의 중심적인 번화가가 되고 있습니다).한편, 긴자(ginza)는, 제이차 세계대전전과 후를 통해서, 현재에 이를 때까지, 도쿄를 대표하는 번화가에서 있으면 보조자에, 근처의 유라쿠쵸(yurakucho)와 합해(긴자(ginza)·유라쿠쵸(yurakucho)), 도쿄 최대급의 번화가의 자리를 유지하고 있습니다.긴자(ginza) area는, 번화가의 규모(범위)가 크기 때문에, 근처의 지하철·통근 전철(한국식에 말하면 지하철) 역이, 5정도 있습니다.

 

 

사진 이하 2매.긴자(ginza)의 풍경예.이 날은, (더위가 심한, 도쿄도심의 여름의 나날의 안에 대하고, 오아시스(oasis)적인 날이라고 한 느낌으로), 별로 덥지 않고, 쾌적한 기후였습니다.상쾌한 기후로, 거리(번화가)의 산책 날씨라고 한 느낌으로, 기분 좋게, 긴자(ginza)를 산책 할 수 있었습니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

이 날은, (긴자(ginza)의, 시세이도(Shiseido) 팔러(parlour)의 본점에 들어가 있다) 시세이도(Shiseido) gallery로, 현재 행해지고 있는, 민·원(Ming Wong)의 전람회(exhibition)를 보고 왔습니다.

 

 

긴자(ginza)에 있는, 시세이도(Shiseido) 팔러(parlour)(아래의 보충 설명 참조)의 본점의, 현재의 건물.팜플렛(leaflet)보다...복수의 음식점과 서양 과자·케이크(cake) 점(서양 과자·케이크(cake) 판매장), art gallery(시세이도(Shiseido) gallery)가, 들어가 있습니다.도로를 사이에 두고, 근처에는, 시세이도(Shiseido)의, 긴자(ginza)의 기함점(flagship store)의 빌딩이 세워지고 있습니다.
시세이도(Shiseido) 팔러(parlour):시세이도(Shiseido)(아래의 보충 설명 참조)가 경영하는(시세이도(Shiseido)의 자회사의), 음식점(레스토랑·카페(cafe))·서양 과자점.1902년 창업.레스토랑·카페(cafe)는, 동경권을 중심으로 점포를 전개.특히, 긴자(ginza)의 본점은, 제이차 세계대전 전부터, 비싼 브랜드(brand) 력을 가지고 있다.
시세이도(Shiseido):긴자(ginza) 발상의 회사에서, 일본의 대규모 화장품 회사의 하나임과 동시에, 일본 최대, 한편, 일본을 대표하는 화장품 회사(세계에서도, 유수한 규모의 화장품 회사).1872년 창업.


 

 

사진 이하 3매.시세이도(Shiseido) 팔러(parlour)의 본점의 빌딩의, 최상층으로부터의 경치...(뭐, 너무 비싼 빌딩은 아니기 때문에, 경치는, 대단한 일 없습니다).

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 5매.이 날의 점심 식사는, 시세이도(Shiseido) 팔러(parlour)의 본점의, 최상층에 있는, 캐쥬얼(casual)로, 현대적인 분위기의, 레스토랑에서 먹었습니다.이 레스토랑은, 캐쥬얼(casual)인 분위기의 레스토랑에서, 시세이도(Shiseido) 팔러(parlour)의 본점의 음식점 중(안)에서는, 요리등의 내용에 비한 가격이, 가장 쌉니다만(아마...), 그런데도, 역시, 긴자(ginza)의, 시세이도(Shiseido) 팔러(parlour)의 본점에 들어가 있는 음식점이므로, 가격은, 약간 약간 비쌉니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

이 때, 저희들이, 이 레스토랑에서 앉은 석으로부터의 경치...

 

 

 

 

 

 

사진 이하 3매.이 레스토랑에서 먹은, 이 날의 점심 식사.이것에, 팬이 뒤따릅니다.

 

 

간단한, 사라다(salad)와 스프(soup).일인일명씩.스프(soup)는, 차가운, 호박의 스프(soup).

 

 

 

 

 

 

메인(main) 요리.일인일명씩(두 명모두, 같은 메인(main) 요리를 선택했습니다).쬔 국산(일본산) 쇠고기가 실린, 차가운 야채의 파스타(pasta)(정확한 이름은, 잊었습니다만, 그 같은 내용의 요리입니다).

 

 

 

 

 

 

 

 

디저트(dessert).복숭아(백도)의 샤벳(sorbet).일인일명씩.

 

 

 

 

 

 

사진 이하 12매.이 날은, 시세이도(Shiseido) 팔러(parlour)의 본점에 들어가 있는, 시세이도(Shiseido) gallery로, 현재 행해지고 있는, 민·원(Ming Wong)의 전람회(exhibition)를 보고 왔습니다.

 

사진 이하 3매.시세이도(Shiseido) gallery를 포함한, 시세이도(Shiseido)의, 일반용의(일반적으로 공개하고 있다), 예술·문화의 전시 시설의 팜플렛(leaflet).

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

시세이도(Shiseido) gallery.시세이도(Shiseido)의, 일반용의(일반적으로 공개하고 있다), 예술·문화의 전시 시설의 팜플렛(leaflet)보다...사진 좌상의 사진은, 1934년경의 시세이도(Shiseido) gallery의 사진, 그 이외는, 시세이도(Shiseido) gallery의, 현재의 모습입니다(건물은, 시대에 배합하고, 다시 세워지고 있습니다).이하, 시세이도(Shiseido) gallery에 관한 설명은, 시세이도(Shiseido)의, 일반용의(일반적으로 공개하고 있다), 예술·문화의 전시 시설의 팜플렛(leaflet)의 설명문·시세이도(Shiseido) gallery의 site등을 참고로 했습니다.시세이도(Shiseido) gallery는, 1919년에 개관한, 시세이도(Shiseido)가 운영하는 갤러리(art gallery)입니다.현재도, 운영계속 되고 있는, 근대·현대식(서양식)의 갤러리(artgallery)로서는, 일본 최고의 물건의 하나의 같습니다.시세이도(Shiseido) gallery(1919년 개관)의, 개관의 목적은, 작품 발표의 기회를 타고 나지 않는, 장래성이 있는 신진 예술가들에게, 무상으로, 회장을 제공해, 그들이, 출세하는(유명하게 된다), 지지(지원)를 하는 일이었습니다.시세이도(Shiseido) gallery는, 「새로운 미의 발견과 창조」를 활동 이념으로서 1919년의 개관 이래, 현재까지, 3100회이상의 전람회(exhibition)를 개최해 왔습니다.제이차 세계대전중은, 전쟁(군수산업)에 직접 관련하지 않는 산업분야의 회사(화장품 회사)인, 시세이도(Shiseido)의 경영은, 곤란했습니다만, 그런데도, 시세이도(Shiseido) gallery는, 1939년(72회), 1940년(82회), 1941년(85회), 1942년(96회), 1943년(90회), 1944년(80회)으로 1939년부터 1944년에 걸치고, 합계, 505회의, 젊은이 artist들의 전람회(exhibition)를 개최했습니다(시국이 전시체제로 기우는 중, 젊은 artist들의 군소 그룹이, 잇달아 태어난 일에 인하다...).시세이도(Shiseido) gallery는, 1944년 12월(일본이, 제이차 세계대전에 패전해, 제이차 세계대전이 끝나는 8개월전), 전쟁의 격화에 의해, 부득이, 한때, 휴관합니다만, 1947년에, 다시 개관해, 전람회(exhibition)를 재개했습니다.시세이도(Shiseido) gallery는, 현재는, 현대 미술에 주축을 정해 전위성과 순수성을 겸비한 동시대의 표현을, 적극적으로 소개하고 있습니다(젊은이 artist의 지원을 계속하면서, 현대 미술을 중심으로 하는, 새로운 art의 소개에 힘을 쓰고 있습니다).

 

 

 

사진 이하 9매.이 날, 보고 온, 시세이도(Shiseido) gallery로, 현재 행해지고 있는, 민·원(Ming Wong)(1971 년생의, 독일의 베를린(Berlin) 거주의, 싱가폴(Singapore) 인, 현대 artist)의, 전람회(exhibition).이하, 이 전람회(exhibition)에 관한 설명은, 이 전람회(exhibition)의 site의 설명문을, 거의 발췌·요약한 것입니다.「1971년, 싱가폴(Singapore) 태생의 민·원(Ming Wong)은, 현재, 독일의 베를린(Berlin)을 거점으로 활동하고 있습니다.그는, 상징적인, 세계의 영화의 걸작에, 리메이크(remake)라고 하는 수법을 통해서 스스로 비집고 들어가, 실마리(대사·대사)나 각본, 연출(연출 기법)에, 새로운 해석을 더하는 것으로, 오리지날(원작)의 영화와의 차이를 때 나온 키, 인종적·문화적 아이덴티티, 성(성별), 언어, 내셔널리티-라고 하는 문제에 언급한, 독특한(개성적인) 영상 작품을 제작하고 있습니다.2009년에 베네치아·국제미술전(VeniceBiennale)의 싱가폴(Singapore) 관에서, 개인전(전람회)을 개최해, 싱가폴(Singapore) 인으로서 최고의 심사원 특별 표창을 수상.그 후, 같은 전시회(같은 전시회람회)는 세계 각지를 순회했습니다.이후, 민·원(Ming Wong)의 활동은 국제적인 주목을 끌어 시드니·국제미술전(Biennale of Sydney)(2010년), 광주 국제미술전(Gwangju Biennale)(2010년), 싱가폴·국제미술전(Singapore Biennale)(2011년), 리버풀·국제미술전(Liverpool Biennial)(2012년) 등의 국제전에 참가해, 싱가폴(Singapore)을 대표하는 현대 artist의 한 명이 되고 있습니다.이 전람회(exhibition)에서는, 일본 영화나 일본의 전통 예능으로부터 착상을 얻어 제작한, 민·원(Ming Wong)의, 신작, 「 나 속의 나(내 안의 나)」를 발표합니다.이 작품은, 민·원(MingWong)가, 전부터(전부터·일찌기로부터) 바라고 있던, 일본에서의 체재 제작에 의한 작품으로, 그는, 일본 영화와 그 역사를 조사·분석해, 「시대극(근대보다 전날책을 무대로 한 것)」, 「현대극」, 「애니메이션(anime)」의, 3개의 장르로 분류하는 것을 시도했습니다.「서양의 영화는 사진의 연장에 존재해, 일본의 영화는 가부키(kabuki)나 능(noh)이라고 한 전통 예능(전통적인 연극)의 연장에 있다」라고 지적하는 그는, 이 3( 「시대극, 「현대극」, 「애니메이션(anime)」)의 분야의 영화의 세계를, 각각 특유의 연기·영화적 촬영 스타일·이야기 설정에 의해, 일본 영화의 전형으로서 표현하고 있습니다.「시대극(근대보다 전날책을 무대로 한 것)」에서는, 깊이를 느끼게 하지 않는 무대 위에서, 평면적 또한 무대와 정면으로 맞서는 촬영법에 의해, 가부키(kabuki) 무용으로, 여장의 복수를 연기해 일본 영화의 황금기의, 오즈 야스지로(ozu yasujiro)의 영화와 나루세 미키오(naruse mikio)의 영화에, 인스피레이션을 얻은 「현대극」에서는, 고도 경제성장기를 무대에, 여성의 갈등, 아버지와 딸(아가씨)의 복잡한 관계성을 파악하고 있습니다.또 「애니메이션(anime)」에서는, 「 신세기 에반게리온(Neon GenesisEvangelion)」, 「메트로폴리스(Metropolis)」, 「마사요시 기동대(Ghost in the Shell)」라고 한, 심리학적 요소를 포함한 일본의 애니메이션(anime)을 기본으로, 과거의 고교생의 무렵의 기억을 되찾으려고 하는 앤드로이드가 주인공의 이야기를 창조하고 있습니다.민·원(Ming Wong)은, 어느 장면(장면)에 있어도, 일본 영화에 있어서의, 원형적인 캐릭터를 창조해, 그것들 모두를, 그 자신이 연기하고 있습니다만, 일본어에 의한 대사의 발음, 표현의, 어색함, 신체적 특징에서는, 성차·세대·언어·인종이라고 한, 개인에게 갖춰지는 요소가 가부간의 대답 없이 떠올라 옵니다」.

 

 

 

사진 이하 6매.이 전람회(exhibition)의 팜플렛(leaflet).

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 5매.이 전람회(exhibition)의 팜플렛(leaflet)보다...

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

이 작품( 「 나 속의 나(내 안의 나」)의, 「현대극」은, 오즈 야스지로(ozu yasujiro)(1903 년생.1963년에 죽는다.1920년대 후반부터, 1960년대 초에 활약.일본의 세계적으로 유명한 영화 감독의 한 명)과 나루세 미키오(naruse mikio)(1905 년생.1969년에 죽는다.1930년대부터 1960년대에 활약(유작은, 1967년의 작품).일본의 유명한 영화 감독의 한 명)의 영화를, 이미지 한 것이 되고 있습니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 3매.이 전람회(exhibition)의 모습.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

이 전람회(exhibition), 시시하지는 않았지만, 기대하고 있었을 정도는, 재미있지 않았습니다.

 

 

 

 

사진 이하 4매.참고에, 시세이도(Shiseido)의, 시세이도(Shiseido) gallery 이외의, 일반용의(일반적으로 공개하고 있다), 예술·문화의 전시 시설.시세이도(Shiseido)의, 일반용의(일반적으로 공개하고 있다), 예술·문화의 전시 시설의 팜플렛(leaflet)보다...

 

사진 이하 2매.시세이도(Shiseido) 아트 하우스(art house).1978년에 개관한, 시세이도(Shiseido)가 운영하는, 사영의 미술관입니다(건물(1978년 완성)은, 타니구치 요시우(taniguchi yoshio.1937 년생.일본의 세계적으로 유명한 건축가의 한 명)의 설계입니다).시즈오카(shizuoka) 현(일본의 중부 지방에 위치하는 현의 하나)에 있습니다.나는, 시세이도(Shiseido) 아트 하우스(art house)는, 방문한 일이 없습니다.


 

 

 

 

 

 

 

 

시세이도(Shiseido) 아트 하우스(art house)의 수장·전시 작품예.사진에 찍히고 있는 것은, 모두, 일본의 작가의 작품입니다.

 

 

 

 

 

사진 이하 2매.시세이도(Shiseido) 기업 자료관.1992년에 개관한, 시세이도(Shiseido)가 운영하는, 시세이도(Shiseido)의 역사에 관한 자료관입니다.시즈오카(shizuoka) 현(일본의 중부 지방에 위치하는 현의 하나)에 있습니다.나는, 시세이도(Shiseido) 기업 자료관은, 방문한 일이 없습니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

시세이도((Shiseido) 기업 자료관의, 수장·전시품예.우상은, 타이쇼(taisho) 시대(1912년부터 1926년)의, 향수(perfume)의 병.우하는, (아마), 1920년대부터 1930년대무렵의, 시세이도(Shiseido)의 점포의 종업원의 제복.

 

 

 

 

 

사진 이하 14매.시세이도(Shiseido) gallery로, 민·원(Ming Wong)의 전람회를 본 후는, 긴자(ginza)를, 당분간 산책했습니다.상술한 대로, 이 날은, (더위가 심한, 도쿄도심의 여름의 나날의 안에 대하고, 오아시스(oasis)적인 날이라고 한 느낌으로), 별로 덥지 않고, 쾌적한 기후였습니다.상쾌한 기후로, 거리(번화가)의 산책 날씨라고 한 느낌으로, 기분 좋게, 긴자(ginza)를 산책 할 수 있었습니다.

 

사진 이하 14매.긴자(ginza)의 풍경예...

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

곧 있으면, 다시 세워지는, 마츠자카야(matsuzakaya) 백화점(나고야(nagoya)(도쿄, 오사카에 뒤잇는, 일본 제 3의 도시권 인구를 가지는 도시에서, 일본의 중부 지방의 중심 도시)에 본점이 있는, 일본의 백화점의 체인(chain).1611년, 나고야(nagoya)에서 창업)의, 긴자(ginza) 점(1924년 개점)의, 현재의 건물(마츠자카야(matsuzakaya) 백화점의, 긴자(ginza) 점의, 현재의 건물은, 1950년대 초에 지어진 것 같습니다).마츠자카야(matsuzakaya) 백화점의, 긴자(ginza) 점은, 건물의 재건축이기 때문에, 금년의 6월말로, 일단, 영업을 종료했던(이 건물(마츠자카야(matsuzakaya) 백화점의, 긴자(ginza) 점의, 현재의 건물)는, 금년중에, 해체가 개시되어 새로운 건물은, 2017년경에 완성할 예정같습니다).

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 3매.사진 좌측.와코우(wako).와코우(wako)는, 긴자(ginza)의 일등지에 있는, 도쿄를 대표하는 고급 백화점입니다.현재의 건물은, 1932년에 지어진 것입니다.와코우(wako)는, 1881년에, 긴자(ginza)에서 창업한 수입 시계포, 핫토리(hattori) 시계포를 기원에 가지는 고급 백화점입니다.사진 이하 2매의 우측은, 미츠코시(Mitsukoshi)(아래의 보충 설명 참조)의, 긴자(ginza) 점(1930년 개점)의 건물(현재의 건물은, 1960년대에 지어진 것같습니다).
미츠코시(Mitsukoshi):일본에서 가장 brand력이 있는, 백화점 chain의 하나.1673년에, 도쿄에서 창업.본점은, 도쿄의 니혼바시(nihonbashi)에 있는 니혼바시(nihonbashi) 점(미츠코시(Mitsukoshi)의 본점(니혼바시(nihonbashi) 점)는, 도쿄를 대표하는 고급 백화점의 하나가 되고 있습니다).미츠코시(Mitsukoshi)의 본점이 있는, 니혼바시(nihonbashi)(도쿄도심부안에서도, 중심적인 지역에 위치한다)는, 에도(edo) 시대(17 세기)부터, 도쿄를 대표하는 상업지입니다.긴자(ginza)는, 니혼바시(nihonbashi)에 비하면, 신흥 상업지입니다.

 

사진 이하 2매.사진 좌측, 와코우(wako)(1881년에, 긴자(ginza)에서 창업한 수입 시계포, 핫토리(hattori) 시계포를 기원에 가지는 고급 백화점)의, 현재의 건물(1932년 완성).사진 우측, 미츠코시(Mitsukoshi) 백화점의, 긴자(ginza) 점(1930년 개점)의 건물(현재의 건물은, 1960년대에 지어진 것같습니다).

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진왼쪽, 와코우(wako).

 

 

 

 

 

 

사진 이하 2매.긴자(ginza)의 골목의 풍경예...

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 3매(사진 이하 3매는, 같은 빌딩).1920년대부터 1930년대에 지어졌다고 생각되는 빌딩.제이차 세계대전전(1930년대 이전)에, 긴자(ginza)에 지어진 빌딩은, 제이차 세계대전중의 공습에 의한 파괴 및, 제이차 세계대전 후, 현재에 이를 때까지의 재건축에 의해, 대부분이 없어져 버려, 현존 하는, 긴자(ginza)의, 제이차 세계대전전(1930년대 이전)에 지어진 빌딩은, 얼마 안됩니다만, 이것은, 긴자(ginza)에 현존 하는, 얼마 안되는, 제이차 세계대전전(1930년대 이전)에 지어진 빌딩의 하나입니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하.다양한 점포를 들여다 보거나 가벼운 쇼핑을 하면서, 긴자(ginza)를, 당분간 산책한 후는, 시세이도(Shiseido) 팔러(parlour)의 본점에, 다시 돌아오고, 시세이도(Shiseido) 팔러(parlour)의 본점의 카페(cafe)에서, 간식(케이크(cake))를 먹고 나서, 지하철로, 나의 거리에 돌아갔습니다.

 

 

긴자(ginza)에 있는, 시세이도(Shiseido) 팔러(parlour)(아래의 보충 설명 참조)의 본점의, 현재의 건물.팜플렛(leaflet)보다...복수의 음식점과 서양 과자·케이크(cake) 점(서양 과자·케이크(cake) 판매장), art gallery(시세이도(Shiseido) gallery)가, 들어가 있습니다.
시세이도(Shiseido) 팔러(parlour):시세이도(Shiseido)(아래의 보충 설명 참조)가 경영하는(시세이도(Shiseido)의 자회사의), 음식점(레스토랑·카페(cafe))·서양 과자점.1902년 창업.레스토랑·카페(cafe)는, 동경권을 중심으로 점포를 전개.특히, 긴자(ginza)의 본점은, 제이차 세계대전 전부터, 비싼 브랜드(brand) 력을 가지고 있다.
시세이도(Shiseido):긴자(ginza) 발상의 회사에서, 일본의 대규모 화장품 회사의 하나임과 동시에, 일본 최대, 한편, 일본을 대표하는 화장품 회사(세계에서도, 유수한 규모의 화장품 회사).1872년 창업.

 

 

사진 이하 7매.시세이도(Shiseido) 팔러(parlour)의 본점의, 음식점등.시세이도(Shiseido) 팔러(parlour)의 본점의 팜플렛(leaflet)보다...

 

 

사진 이하 5매.시세이도(Shiseido) 팔러(parlour)의 본점의, 음식점.

 

 

 

이 날, 저희들이, 점심 식사를 먹은, 캐쥬얼(casual)로, 현대적인 분위기의, 레스토랑.시세이도(Shiseido) 팔러(parlour)의 본점의, 최상층에 들어가 있습니다.이 레스토랑은, 캐쥬얼(casual)인 분위기의 레스토랑에서, 시세이도(Shiseido) 팔러(parlour)의 본점의 음식점 중(안)에서는, 요리등의 내용에 비한 가격이, 가장 쌉니다만(아마...), 그런데도, 역시, 긴자(ginza)의, 시세이도(Shiseido) 팔러(parlour)의 본점에 들어가 있는 음식점이므로, 가격은, 약간 약간 비쌉니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

시세이도(Shiseido) 팔러(parlour)(레스토랑).시세이도(Shiseido) 팔러(parlour)의, 오랜 세월의 전통을 계승하는, 레스토랑입니다.

 

 

 

 

 

 

 

시세이도(Shiseido) 팔러(parlour), 「SALON DE CAFE」.이 날, 저희들이, 간식(케이크(cake))를 먹은 카페(cafe).시세이도(Shiseido) 팔러(parlour)의, 오랜 세월의 전통을 계승하는, 카페(cafe)입니다.

 

 

 

 

 

시세이도(Shiseido) 팔러(parlour)의 본점의 1층의, (시세이도(Shiseido) 팔러(parlour)의) 서양 과자·케이크(cake) 판매장.

 

 

 

 

시세이도(Shiseido) 팔러(parlour)의 본점의, 지하 1층에 들어가 있는, 현재의 시세이도(Shiseido) gallery(1919년에 개관한, 시세이도(Shiseido)가 운영하는 갤러리(art gallery)).

 

 

 

 

 

시세이도(Shiseido) 팔러(parlour)의 본점의, 팜플렛(leaflet).

 

 

 

 

사진 이하 3매.시세이도(Shiseido) 팔러(parlour)의 본점의, 음식점의, 카드(card), 여러가지.전통을 의식하고 있는지, 웬지 모르게, 침착한 디자인(design)입니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하.시세이도(Shiseido) 팔러(parlour)의 본점의 카페(cafe)에서, 간식(케이크(cake))를 먹고 나서, 지하철로, 나의 거리에 돌아갔습니다.이 카페(cafe)는, 시세이도(Shiseido) 팔러(parlour)의, 오랜 세월의 전통을 계승하는, 카페(cafe)입니다.

 

현재의 건물은, 현대적인 건물입니다만, 메뉴(menu)는, 중후한 느낌으로, 웬지 모르게, 전통을 느끼게 합니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

이 때, 내가, 이 카페(cafe)에서 마신, 음료.차가운 홍차.

 

 

 

 

사진 이하 3매.이 때, 이 카페(cafe)에서 먹은, 케이크(cake).

 

사진 이하 2매.내가 먹은 케이크(cake).

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

그녀가 먹은, 케이크(cake).여름의 몽블랑(Mont Blanc).

 

 

 

 

이 날의 저녁 식사는, 나의 거리의 선술집에서, 그녀와 먹었던(긴자(ginza)에서, (술(알코올(alcoholic) 음료)을) 마시는 것보다도, 나의 거리에서 마시는 분이, 안정됩니다 w).

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



TOTAL: 415

番号 タイトル ライター 参照 推薦
75
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London/Osaka Time lapse jlemon 2013-09-16 1716 0
74
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Tokyo/New York jlemon 2013-09-15 1640 0
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近場で過ごす休日。 jlemon 2013-09-12 1550 0
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湘南(syonan)drive&食べ物。 jlemon 2013-08-05 1610 0
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長野(nagano)県北部の温泉旅館後編....... jlemon 2013-07-27 1312 0
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適当に近郊散歩&食べ物。 jlemon 2013-07-14 2479 0
66
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適当に、横浜の情報&食べ物。 jlemon 2013-07-07 9846 0
65
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適当に、風景&食べ物等。 jlemon 2013-05-30 1642 0
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鎌倉(kamakura)散歩。 jlemon 2013-05-28 5252 0
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新緑の、鎌倉(kamakura)散歩後編。 jlemon 2013-05-28 1620 0
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新緑の、鎌倉(kamakura)散歩前編。 jlemon 2013-05-28 3138 0
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適当に、横浜&食べ物。 jlemon 2013-05-22 3483 0
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桃の花見等。 jlemon 2013-05-11 6831 0
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温泉&食べ物。 jlemon 2013-05-11 7890 0
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東京圏の自然。 jlemon 2013-05-07 1921 0
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日本の多様な自然の紹介。 jlemon 2013-05-06 2035 0
56
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適当に、春の東京風景。 jlemon 2013-04-27 14542 0