うちの町内






先週、個人的に休みであった日(以下、この日と書きます)に、横浜を散歩して来た時の物です。


横浜は、東京areaの海の玄関口(gateway)となっている大きな港町です。私は、横浜は、仕事の用事でも、よく訪れますが、横浜の港町の雰囲気が好きで、休日にも、よく遊びに行きます。


参考に、横浜の、みなとみらい(minatomirai)地区は、横浜の都心部の海沿いの地区の一つで、横浜の都心部で、最も、新しく開発された(1980年代から開発された(本格的な開発は、1980年代後半から))、横浜の都心部の新しい住商複合地区です。


以下、この日、訪れた、三菱(mitsubishi)みなとみらい(minatomirai)技術館の続きからです。


三菱(mitsubishi)みなとみらい(minatomirai)技術館は、1994年に開館した、横浜の、みなとみらい(minatomirai)地区にある、三菱(mitsubishi)重工業の技術を中心とした、科学技術に関する資料館です。主として、子供を対象にした施設と言った感じですが、大人でも、十分楽しめます。


三菱(mitsubishi)重工業(1884年創業)は、日本最大級の重工業会社の一つであり、日本を代表する重工業会社の一つです。三菱(mitsubishi)重工業は、旧(かつての)三菱(mitsubishi)財閥(下の補足説明参照)系の、企業です。
三菱(mitsubishi)財閥:近代の日本で最大級の財閥(近代日本の、三大財閥又は四大財閥)の一つ。ちなみに、財閥は、日本では、第二次世界大戦後、解体されました(廃止されました)。現在は、旧(かつての)三菱(mitsubishi)財閥系の企業は、三菱(mitsubishi)group(日本最大級の企業グループ(conglomerate)の内の一つ)を形成しています。



写真以下7枚。三菱(mitsubishi)みなとみらい(minatomirai)技術館の展示風景例の続きです(なお、以下、展示の説明において、(主として、第二次世界大戦以前において)、現在の、三菱(mitsubishi)重工業に該当する会社が、製造・建造等した物については、全て、三菱(mitsubishi)重工業が、製造・建造等した物として説明しています)。三菱(mitsubishi)みなとみらい(minatomirai)技術館は、規模は、それ程、大きくない施設ですが、凝縮された展示で、規模の割に、楽しむ事が出来ます。写真は、前に、kjで、アップ(uplaod)した写真(前回(初めて)、三菱(mitsubishi)みなとみらい(minatomirai)技術館を訪れた時に、撮影した写真)を、再利用した物と、今回、撮影した写真が混じっています(なお、前回、三菱(mitsubishi)みなとみらい(minatomirai)技術館を訪れた時と、現在では、展示内容は、一部、異なっています)。





日章丸(nisyomaru)(第二次世界大戦後に建造された、日本の石油タンカー(oil
tanker)、日章丸(nisyomaru)とは、別の船)の、模型。以下、日章丸(nisyomaru)に関する説明は、展示の解説文等を参考にしました。日章丸(nisyomaru)(14,055トン)は、1938年に完成した、三菱(mitsubishi)重工業製の、日本の、石油タンカー(oil
tanker)です。第二次世界大戦前の、日本の、大型の、石油タンカー(oil
tanker)であり、あらゆる面において、最新の技術が取り入れられ、流線型の船体が美しい、石油タンカー(oil
tanker)でした。第二次世界大戦中は、同種・同規模の船としては、世界的に類を見ない速度で、日本の艦隊に随伴し、給油船として活躍しました。その、技術・性能・美しさ等から、日本の石油タンカー(oil
tanker)史上に名を残す、名船(有名な船・傑作の船)の一つと呼ばれています。










隼鷹(jyunyou)の模型。隼鷹(jyunyou)(27,700トン(GT))は、1942年に完成した、三菱(mitsubishi)重工業製の、日本海軍の、空母(aircraft
carrier)です。隼鷹(jyunyou)は、元々、豪華客船、橿原丸(kashiharamaru)(前回の投稿、参照)として完成する予定であった船です。新しい、「太平洋の女王」として、日本と北米(サンフランシスコ(San
Francisco))を結ぶ航路で活躍するはずであった、日本郵船(Nippon
Yusen)株式会社の、豪華客船、橿原丸(kashiharamaru)ですが、戦争の影響により、就航する事なく、空母、隼鷹(jyunyou)へと改造されました。












武蔵(musashi)(基準65,000トン。満載72,809トン)の、模型。武蔵(musashi)は、1942年に完成した、三菱(mitsubishi)重工業製の、日本海軍の、戦艦(battleship)です。日本は、日露戦争(1904年から1905年にかけて、日本とロシア(Russia)の間で行われた戦争。日本の実質的な勝利に終わる)後から、第二次世界大戦まで、世界有数の海軍力を持つ国でした。武蔵(musashi)は、大和(yamato)(基準64,000トン、満載72,900トン。1941年完成。日本海軍直営の造船所製)と共に、日本海軍が建造した、世界の歴史上、最大の戦艦(battleship)です(ちなみに、歴史上、建造された艦艇(軍事用の船)に搭載された主砲の中で、一番口径の大きい主砲は、大和(yamato)型戦艦(大和(yamato)と武蔵(musashi))の46cm砲です)。日本海軍は、1944年に、それまでの歴史上、最大の空母(aircraft
carrier)、且つ、第二次世界大戦中最大の空母(aircraft carrier)(1961年、アメリカ海軍の空母(aircraft
carrier)、キティホーク (USS Kitty Hawk)(基準 61,351トン。満載
83,301トン)が登場するまで、史上最大の(史上最大の排水量の)空母(aircraft
carrier)だった。wikiより。。。)、信濃(shinano)(基準62,000トン。満載71,890トン。日本海軍直営の造船所製。大和(yamato)、武蔵(musashi)に次ぐ、三番目の大和(yamato)型戦艦を、建造中に、空母(aircraft
carrier)に設計変更した物)も、建造しています。


日本は、空母(aircraft
carrier)において、世界で、先駆的な国の一つでした。以下、「」内は、wikiを参考にしました。「空母(aircraft
carrier)の前段階の水上機母艦は、フランスのフードル(Foudre)(常備5,994トン。水上機母艦時6,089トン。水上機母艦としては、1912年に就役)が、世界で最初の物ですが、日本は、第一次世界大戦初期の1914年に(日本は、当時、日英同盟(日本・イギリス同盟)を結んでいた為、第一次世界大戦の勃発後、間もなく、ドイツに対して宣戦布告し、連合国側として参戦した)、日本海軍の水上機母艦、若宮(wakamiya)(基準5,180トン。常備5,895トン)を、ドイツ軍基地のあった中国の青島沖に派遣し、搭載機が攻撃を行いました(水上機母艦であるため、搭載機の発着は海面を用い、機体はクレーン(crane)で揚収した)。また、1922年に完成した、日本海軍の空母(aircraft
carrier)、鳳翔(housyou)(基準7,470トン。満載10,500トン)は、最初から空母(aircraft
carrier)として起工された船で、世界で最初に完成した物です(なお、鳳翔(housyou)は、あくまで、設計・開発段階の当初から純粋空母としての運行を目的として建造された空母(正規空母)で、世界で最初に完成した物。改造空母(既成の軍艦を改造して出来た空母(aircraft
carrier))は、これ以前にもイギリスとアメリカに存在し、イギリスのフューリアス(Furious)(基準22,450トン。排水28,500トン。1917年)が、世界初の空母(aircraft
carrier)であり第一次世界大戦にも参加している。また、世界で最初に、最初から空母(aircraft
carrier)として起工された船は、イギリス海軍のハーミーズ(Hermes)(基準10,850トン)であったが、ハーミーズ(Hermes)は、鳳翔(housyou)よりも遅れて完成した(最初から空母(aircraft
carrier)として起工された船で、鳳翔(housyou)に次いで、世界で2番目に、1924年に完成))」。


「また、日本が、アメリカ・イギリス等に宣戦を布告し、第二次世界大戦に参戦して間も無い、1941年12月、マレー半島(Malay
Peninsula)東方沖にて、日本海軍の爆撃機隊が、当時世界最強の海軍を自認していたイギリス海軍東洋艦隊の、(当時最新鋭の戦艦(battleship))プリンス・オブ・ウェールズ(Prince
of
Wales)(1941年に完成。基準36,727トン。満載43,786トン)と、巡洋戦艦レパルス(Repulse)(1916年に完成。満載38,200トン)を撃沈しました。これは、世界史上初の、航空機の攻撃のみによる、行動中の戦艦(battleship)の撃沈であり、当時の、「作戦行動中の戦艦(battleship)を航空機で沈めることは出来ない」と言う常識を覆し、戦艦(battleship)への攻撃に、航空機が効果的である事を証明し、又、大艦巨砲主義(巨大な主砲を持つ巨大な戦艦を開発・建造し、保有する事は、その国の海軍力の証明となると言う、戦艦(battleship)中心の考え方)の転換についての示唆を与え、その後の世界各国の戦術・戦略に大きな影響を与ました」。


しかしながら、その一方において、日本海軍は、大和(yamato)・武蔵(musashi)の様な船を建造・戦力として温存し、その最終的な威力を期待していました。大和(yamato)・武蔵(musashi)には、当時の最新技術が多数採用さていましたが、史上最大の戦艦(battleship)と言う発想は、急速に時代遅れとなり、武蔵(musashi)は、(1945年に、アメリカ軍の航空隊の、激しい攻撃を受けて、沈没した、大和(yamato)と同様)、目立った活躍をする事なく、1944年に、アメリカ軍の航空隊の、激しい攻撃を受けて、沈没しました。

なお、大和(yamato)・武蔵(musashi)(当時の日本の最高技術を結集し建造された)を、設計・建造する事によって蓄積された技術は、第二次世界大戦後の、日本の産業・技術に、応用され、役立てられました。











伊号第一九潜水艦の、模型。以下、伊号第一九潜水艦に関する説明は、wiki等を参考にしました。伊号第一九潜水艦(基準2,198トン
。常備2,584トン。水中3,654トン)は、1941年に完成した、三菱(mitsubishi)重工業製の、日本海軍の、潜水艦です。アメリカの空母(aircraft
carrier)、USS Wasp (CV-7)を沈める等しました。
 

 
ちなみに、日本海軍は、第二次世界大戦末期(1944年から1945年)において、第二次世界大戦中に就航した、世界の潜水艦の中で、最大の、伊400型潜水艦(水上攻撃飛行機を3機搭載し、潜水空母とも呼ばれている)(下の補足説明参照)を製造しました(日本海軍直営の、造船所・工場製)。
伊400型潜水艦:説明は、wikiを参考にしました。基準3,530トン。常備5,223トン。水中6,560トン。理論的には、地球を一周半する事が可能と言う、長大な航続距離を持ち、日本から、地球上の、何処にでも出かけて、任意に攻撃を行い、そのまま、日本に帰る事が可能であった潜水艦。大柄な船体を持ちますが、水中性能は良好で、急速潜航に要する時間は、1分でした。伊400型潜水艦は、伊15型潜水艦(日本海軍の潜水艦)による、アメリカ本土攻撃が成功していた1942年に、18隻の建造が計画されましたが、戦局の悪化と共に、計画は、5隻に縮小され、最終的に3隻が完成しました(伊号第400潜水艦(1944年)、伊号第401潜水艦(1945年)、伊号第402潜水艦(1945年))。伊400型潜水艦が、完成した頃は、日本海軍は、アメリカ軍により、日本周辺の制海権、制空権共に失い、壊滅的な状態となっており、伊400型潜水艦は、既に、活躍出来る機会を失っていました。伊400型潜水艦は、前述の通り、三隻が完成しましたが、いずれも、具体的な戦果を上げる前に、日本が、アメリカを中心とする連合国に対して無条件降伏し、第二次世界大戦が終結しました。アメリカ軍は、戦後間もなく、伊400型潜水艦を接収し、技術調査をした後、冷戦による、当時のソビエト(Soviet)連邦への技術情報の漏洩を恐れ、海没処分にしました(破壊し、海に沈めて処分しました)。











ダイヤモンド・プリンセス(Diamond
Princess)の、模型。ダイヤモンド・プリンセス(Diamond
Princess)(115,875トン(GT))は、完成当時、世界最大級の豪華客船であった、2004年に完成した、三菱(mitsubishi)重工業製の、(アメリカ・イギリスの会社の傘下にある)イギリスの会社が保有する(この辺り、資本関係の変動が激しく、間違っていたら、申し訳ありません)、豪華客船です(おそらく、主に、日本で運行しており、日本の顧客を相手にしています)。


三菱(mitsubishi)重工業は、最近(2016年10月)に、(アメリカ・イギリスの会社の傘下にある)ドイツの会社から受注した、124.500トン(GT)の、超大型の、豪華客船、2隻の(おそらく、主に、ヨーロッパで運行中・運行予定であり、ヨーロッパの顧客を相手にしています)、建造中の火災、設計変更等による、3回に渡る、納期の遅れによって、受注額を、大幅に上回る、2,400億円(約2兆4000億won)を超える損失を出した事を理由として、100,000トン(GT)を超える、超大型の、豪華客船の、建造事業から、撤退する事を発表しました。第二次世界大戦前の、豪華客船の、黄金期(全盛期)からの、三菱(mitsubishi)重工業の、客船の製造事業の歴史(前回の投稿を参照)を考えると、非常に、惜しい気がします。MRJ(Mitsubishi
Regional
Jet)(三菱(mitsubishi)重工業が、設計・開発中の、小型の旅客機。前回の投稿参照)の、度重なる、納期の遅れ(当初、2013年に運用を開始する計画であった物が、4回程度の(おそらく。。。)、運用開始予定時期の延期により、現在は、2018年に、運用が開始予定なっています)と言い、イタリア人には、申し訳ありませんが、従来の日本と言うよりも、何か、イタリア辺りで起こりそうな、出来事と言った感じですw
 三菱(mitsubishi)重工業は、(依然として、多方面において、世界有数の、世界最先端の技術を、多く保有する)、日本を代表する重工業会社の一つである事から、頑張って、欲しい物です。(近代化の先発組であり(最も、初期の頃に近代化した国であり)、完璧ではないが、多方面において食べて行ける、方法を確立している)イギリスやフランス、(資源・研究・人材を含めた超大国である)アメリカと異なり、ドイツ、日本、イタリア、韓国と言った国は、どうしても、ある程度は、製造業(物を作ることによって)で食べていかなければならないと言う部分があると思います。































写真以下。三菱(mitsubishi)みなとみらい(minatomirai)技術館を訪れた後は、横浜の、みなとみらい(minatomirai)地区、及び、横浜の、みなとみらい(minatomirai)地区周辺の、横浜の都心部の海沿いを、散歩しました。



写真以下3枚。横浜の、みなとみらい(minatomirai)地区(三菱(mitsubishi)みなとみらい(minatomirai)技術館の周辺)の、風景例。













写真以下2枚の建物は、横浜の、みなとみらい(minatomirai)地区にあるショッピングモール(shopping
mall)の一つ、MARK IS
みなとみらい(minatomirai)の建物。ちなみに、横浜の、みなとみらい(minatomirai)地区には、私が、知る限り、5つのショッピングモール(shopping
mall)があります。






















写真以下3枚。横浜の、みなとみらい(minatomirai)地区にあるショッピングモール(shopping mall)の一つ、Queen’s Square。











写真以下2枚。Queen’s Squareの、今年の、クリスマスツリー(Christmas tree)。





















写真以下12枚。赤煉瓦倉庫、及び、その周辺。赤煉瓦倉庫は、元々は、倉庫として使われていた建物で、1号館と2号館の2個の建物が、並んで建っています。1号館は、1913年に完成し、2号館は、1911年に完成しました。現在は、1号館は、主として、展示場やhallが入る文化施設として、2号館は、洒落たshopや、レストラン、cafe等が入る商業施設として使われています。




写真以下2枚。向こうに見えるのは、太陽ではなく、夜の、月です。














































写真左が、1911年に建てられた、赤煉瓦倉庫2号館。現在は、洒落たshopや、レストラン、cafe等が入る商業施設として使われています。写真右が、1913年に建てられた、赤煉瓦倉庫1号館。現在は、主として、展示場やhallが入る文化施設として使われています。









































写真以下3枚。向こうに見えるのは、太陽ではなく、夜の、月です。






向こうに見える橋は、横浜bay bridge。横浜bay bridgeは、1989年に完成した、大きな斜張橋(cable-stayed bridge)です。




















写真で、横浜bay bridgeの手前に見えるのは、大桟橋(oosanbashi)。大桟橋(oosanbashi)は、横浜の都心部の海沿いにある、豪華客船も、よく発着する、国際ferry terminalのある大きな桟橋です。




















写真以下2枚。汽車道(kisyamichi)にて。。。汽車道(kisyamichi)は、元々、貨物用列車の古い線路でしたが、現在は歩行者専用の散歩道となっている、海上の道です。



写真右端の超高層ビルは、Intercontinental
Yokohama Grandホテルの建物です(1989年に着工し、1991年に完成)。ちなみに、Dubaiのホテル、Burj Al
Arabの建物(1994年に着工し、1999年に完成)の形が、このホテルの建物の形に似ています。写真中央に見える、大きな観覧車は、Cosmo
Clock。かつて、世界最大の観覧車であった、大きな観覧車です。











写真の、一番高い、超高層ビルは、横浜landmark
tower。1993年完成、高さ約296mの、みなとみらい(minatomirai)地区にある、超高層ビルです。23年前に建てられたビルですが、未だに、日本で、2番目に高い、超高層ビルとなっています。横浜landmark
towerは、既に、世界的に見れば、ちょっとした、高いビル程度となってしまいましたが、大きなビルではあり、床面積は、Empire State
BuildingやOne World Trade
Center(2014年に完成した、アメリカで、一番、世界で、3番目に、背の高いビル)を、遥かに上回り、Taipei
101(世界で、4番目に、背の高いビル。2004年完成)や、Shanghai World Financial
Center(中国(香港を含む)で、最も背の高いビル。世界で5番目に背の高いビル。2008年完成)も、上回ります。ちなみに、横浜landmark
towerは、三菱(mitsubishi)地所(Mitsubishi
Estate)(日本の、大規模、不動産会社の一つ)の、所有です。三菱(mitsubishi)地所(Mitsubishi
Estate)は、三菱(mitsubishi)重工業と同じく、旧(かつての)三菱(mitsubishi)財閥系の会社です。写真左下に見える、帆船(sailing
ship)は、日本丸(nipponmaru)です。日本丸(nipponmaru)は、1930年に建造された、約2,300トン(GT)の、日本の、大型の帆船(sailing
ship)です。日本丸(nipponmaru)は、商業用の船の船員を養成する学校の練習用の船として建造されましたが、(新しい、より大きな練習用の帆船(日本丸(nipponmaru)二世。日本の帆船。世界でも有数の高速帆船)が建造され、1984年より使用されている為)、現在は使われておらず、横浜の都心部の海沿いで、永久保存されています。






写真以下6枚。この日の夕食は、landmark
plaza(みなとみらい(minatomirai)地区にあるショッピングモール(shopping mall)の一つで、横浜landmark
towerの下層階を占める、ショッピングモール(shopping mall))に入っている、肉料理(ステーキ(beef
steak)・焼肉)レストランで食べました。このレストランは、割と最近(今年の9月に)、横浜を散歩した際に、初めて利用した店ですが、中々、雰囲気が良く、雰囲気の割に手頃な値段のレストランです(若いcoupleの利用も、多いレストランです)。




写真以下6枚。このレストランで食べた、この日の、夕食等。






この夕食時に、私が飲んだ、飲み物の一つ(最初の、一杯)。生絞りオレンジ(orange)の、
カンパリ・オレンジ(Campari and
Orange)。ちなみに、この夕食時は、私は、飲み物は、この他、赤ワイン(赤wine)等を飲みました(飲み物は、主に、赤ワイン(赤wine)を飲みました)。







写真以下5枚。このレストランで食べた、この日の夕食。この他、ご飯(rice)、付け合わせ(side dish)の、サラダ(salad)を、一人、一皿ずつ食べました。



写真以下2枚。メイン(main)料理。ステーキ(beef
steak)。写真は、私が食べた、ステーキ(beef steak)(部位は、ribロース(rib・short
loin))。彼女は、この時、これよりも、小さなサイズ(size)の、ステーキ(beef steak)(部位は、ribロース(rib・short
loin))を食べました。



















写真以下3枚。デザート(dessert)。




写真以下2枚。私が食べた、アップルパイ(apple pie)、バニラアイスクリーム(vanilla ice cream)添え。




写真、右上は、この時、私が、デザート(dessert)と共に、飲んだ飲み物で、生絞りオレンジ(orange)の、 サングリア(sangria)。























彼女が食べた、フォンダン・ショコラ(fondant au chocolat)。









写真以下17枚。Queen’s Square(みなとみらい(minatomirai)地区にあるショッピングモール(shopping mall)の一つ)。













写真以下16枚。Queen’s Squareの、今年の、クリスマスツリー(Christmas tree)。























































































































































写真以下2枚。向こうに見える、大きな、観覧車は、Cosmo Clock。かつて、世界最大の観覧車であった、大きな観覧車です。





















横浜散歩&食べ物、終わり。。。















요코하마 산책&음식 3






지난 주, 개인적으로 휴일인 날(이하, 이 날이라고 씁니다)에, 요코하마를 산책해 왔을 때의 물건입니다.


요코하마는, 도쿄 area의 바다의 현관문(gateway)이 되고 있는 큰 항구도시입니다.나는, 요코하마는, 일의 용무에서도, 잘 방문합니다만, 요코하마의 항구도시의 분위기를 좋아하고, 휴일에도, 잘 놀러 갑니다.


참고에, 요코하마의, 미나토미라이(minatomirai) 지구는, 요코하마의 도심부의 해안의 지구의 하나로, 요코하마의 도심부에서, 가장, 새롭게 개발된(1980년대부터 개발된(본격적인 개발은, 1980년대 후반부터)), 요코하마의 도심부가 새로운 주상복합 지구입니다.


이하, 이 날, 방문한, 미츠비시(mitsubishi) 미나토미라이(minatomirai) 기술관의 계속으로부터입니다.


미츠비시(mitsubishi) 미나토미라이(minatomirai) 기술관은, 1994년에 개관한, 요코하마의, 미나토미라이(minatomirai) 지구에 있는, 미츠비시(mitsubishi) 중공업의 기술을 중심으로 한, 과학기술에 관한 자료관입니다.주로, 아이를 대상으로 한 시설이라고 한 느낌입니다만, 어른이라도, 충분히 즐길 수 있습니다.


미츠비시(mitsubishi) 중공업(1884년 창업)은, 일본 최대급의 중공업 회사의 하나이며, 일본을 대표하는 중공업 회사의 하나입니다.미츠비시(mitsubishi) 중공업은, 구(한 때의) 미츠비시(mitsubishi) 재벌(아래의 보충 설명 참조) 계의, 기업입니다.
미츠비시(mitsubishi) 재벌:근대의 일본에서 최대급의 재벌(근대 일본의, 3 대재벌 또는 4 대재벌)의 하나.덧붙여서, 재벌은, 일본에서는, 제이차 세계대전 후, 해체되었습니다(폐지되었습니다).현재는, 구(한 때의) 미츠비시(mitsubishi) 재벌계의 기업은, 미츠비시(mitsubishi) group(일본 최대급의 기업 그룹(conglomerate) 중의 하나)을 형성하고 있습니다.



사진 이하 7매.미츠비시(mitsubishi/`j미나토미라이(minatomirai) 기술관의 전시 풍경 예의 계속입니다(덧붙여 이하, 전시의 설명에 대하고, (주로, 제이차 세계대전 이전에 있고), 현재의, 미츠비시(mitsubishi) 중공업에 해당하는 회사가, 제조・건조등 한 것에 대해서는, 모두, 미츠비시(mitsubishi) 중공업이, 제조・건조등 한 것으로서 설명하고 있습니다).미츠비시(mitsubishi) 미나토미라이(minatomirai) 기술관은, 규모는, 그렇게, 크지 않은 시설입니다만, 응축된 전시로, 규모에 비해, 즐길 수가 있습니다.사진은, 전에, kj로, 업(uplaod) 한 사진(전회(처음), 미츠비시(mitsubishi) 미나토미라이(minatomirai) 기술관을 방문했을 때에, 촬영한 사진)를, 재이용한 것과 이번, 촬영한 사진이 섞이고 있습니다(덧붙여 전회, 미츠비시(mitsubishi) 미나토미라이(minatomirai) 기술관을 방문했을 때와 현재는, 전시 내용은, 일부, 차이가 납니다).





일장환(nisyomaru)(제이차 세계대전 후에 건조된, 일본의 석유 탱커(oil tanker), 일장환(nisyomaru)이란, 다른 배)의, 모형.이하, 일장환(nisyomaru)에 관한 설명은, 전시의 해설문등을 참고로 했습니다.일장환(nisyomaru)(14,055톤)은, 1938년에 완성한, 미츠비시(mitsubishi) 중공업제의, 일본의, 석유 탱커(oil tanker)입니다.제이차 세계대전전의, 일본의, 대형의, 석유 탱커(oil tanker)여, 모든 면에 있고, 최신의 기술이 받아들여져 유선형의 선체가 아름다운, 석유 탱커(oil tanker)였습니다.제이차 세계대전중은, 동종・ 동규모의 배로서는, 세계적으로 유례없는 속도로, 일본의 함대에게 수반 해, 급유선으로서 활약했습니다.그, 기술・성능・아름다움 등으로부터, 일본의 석유 탱커(oil tanker) 사상에 이름을 남기는, 명선(유명한 배・걸작의 배)의 하나로 불리고 있습니다.










하야부사매(jyunyou)의 모형.하야부사매(jyunyou)(27,700톤(GT))은, 1942년에 완성한, 미츠비시(mitsubishi) 중공업제의, 일본해군의, 항공 모함(aircraft carrier)입니다.하야부사매(jyunyou)는, 원래, 호화 여객선, 카시하라환(kashiharamaru)(전회의 투고, 참조)로서 완성할 예정인 배입니다.새로운, 「태평양의 여왕」로서 일본과 북미(샌프란시스코(San Francisco))를 묶는 항로에서 활약할 것에서 만난, 일본우선(Nippon Yusen) 주식회사의, 호화 여객선, 카시하라환(kashiharamaru)입니다만, 전쟁의 영향에 의해, 취항하는 무사히, 항공 모함, 하야부사매(jyunyou)로 개조되었습니다.












무사시(musashi)(기준 65,000톤.가득 72,809톤)의, 모형.무사시(musashi)는, 1942년에 완성한, 미츠비시(mitsubishi) 중공업제의, 일본해군의, 전함(battleship)입니다.일본은, 러일 전쟁(1904년부터 1905년에 걸치고, 일본과 러시아(Russia)의 사이에 행해진 전쟁.일본의 실질적인 승리에 끝난다) 나중에, 제이차 세계대전까지, 세계 유수한 해군력을 가지는 나라였습니다.무사시(musashi)는, 다이와(yamato)(기준 64,000톤, 가득 72,900톤.1941년 완성.일본해군직영의 조선소제)와 함께, 일본해군이 건조한, 세계의 역사상, 최대의 전함(battleship)입니다(덧붙여서, 역사상, 건조된 함정(군사용의 배)에 탑재된 주포 중(안)에서, 제일 구경의 큰 주포는, 다이와(yamato) 형 전함(다이와(yamato)와 무사시(musashi))의 46 cm포입니다).일본해군은, 1944년에, 지금까지의 역사상, 최대의 항공 모함(aircraft carrier), 한편, 제이차 세계대전중 최대의 항공 모함(aircraft carrier)(1961년, 미국 해군의 항공 모함(aircraft carrier), 키티 호크 (USS Kitty Hawk)(기준 61,351톤.가득 83,301톤)이 등장할 때까지, 사상 최대의(사상 최대의 배수량의) 항공 모함(aircraft carrier)였다.wiki보다...), 시나노(shinano)(기준 62,000톤.가득 71,890톤.일본해군직영의 조선소제.다이와(yamato), 무사시(musashi)에 뒤잇는, 3번째의 다이와(yamato) 형 전함을, 건조중에, 항공 모함(aircraft carrier)로 설계 변경한 것)도, 건조하고 있습니다.


일본은, 항공 모함(aircraft carrier)에 두고, 세계에서, 선구적인 나라의 하나였습니다.이하, 「」 안은, wiki를 참고로 했습니다.「항공 모함(aircraft carrier)의 전단층의 수상기 모함은, 프랑스의 후돌(Foudre)(상비 5,994톤.수상기 모함시 6,089톤.수상기 모함으로서는, 1912년에 취역)이, 세계에서 최초의 물건입니다만, 일본은, 제1차 세계 대전 초기의 1914년에(일본은, 당시 , 영일 동맹(일본・영국 동맹)을 맺고 있던 때문, 제1차 세계 대전의 발발 후, 머지 않아, 독일에 대해서 선전포고해, 연합국측으로서 참전한), 일본해군의 수상기 모함, 와카미야(wakamiya)(기준 5,180톤.상비 5,895톤)을, 독일군기지가 있던 중국의 아오시마 바다에 파견해, 탑재기가 공격을 실시했던(수상기 모함이기 위해, 탑재기의 발착은 해면을 이용해 기체는 크레인(crane)으로 양수 했다).또, 1922년에 완성한, 일본해군의 항공 모함(aircraft carrier), 봉상(housyou)(기준 7,470톤.가득 10,500톤)은, 최초부터 항공 모함(aircraft carrier)로서 기공된 배로, 세계에서 최초로 완성한 것입니다(덧붙여 봉상(housyou)은, 어디까지나, 설계・개발 단계의 당초부터 순수 항공 모함으로서의 운행을 목적으로 해 건조된 항공 모함(정규 항공 모함)으로, 세계에서 최초로 완성한 것.개조 항공 모함(기성의 군함을 개조해 할 수 있던 항공 모함(aircraft carrier))는, 이것 이전에도 영국과 미국에 존재해, 영국의 퓨리아스(Furious)(기준 22,450톤.배수 28,500톤.1917년)이, 세계 최초의 항공 모함(aircraft carrier)여 제1차 세계 대전에도 참가하고 있다.또, 세계에서 최초로, 최초부터 항공 모함(aircraft carrier)로서 기공된 배는, 영국 해군의 하미즈(Hermes)(기준 10,850톤)에서 만났지만, 하미즈(Hermes)는, 봉상(housyou)보다 늦어 완성했다(최초부터 항공 모함(aircraft carrier)로서 기공된 배로, 봉상(housyou)에 이어, 세계에서 2번째에, 1924년에 완성)) 」.


「또, 일본이, 미국・영국등에 선전을 포고해, 제이차 세계대전에 참전해 동안도 없는, 1941년 12월, 말레이 반도(Malay Peninsula) 동방바다에서, 일본해군의 폭격기대가, 당시 세계 최강의 해군을 자인하고 있던 영국 해군 동양 함대의, (당시 최신예의 전함(battleship)) 프린스・오브・웨일즈(Prince of Wales)(1941년에 완성.기준 36,727톤.가득 43,786톤)과 순양전함 레파르스(Repulse)(1916년에 완성.가득 38200톤)을 격침했습니다.이것은, 세계사상 처음의, 항공기의 공격에만 밤, 행동중의 전함(battleship)의 격침이며, 당시의, 「작전 행동중의 전함(battleship)을 항공기로 가라앉히는 것은 할 수 없는」라고 하는 상식을 뒤집어, 전함(battleship)에의 공격에, 항공기가 효과적인 일을 증명해, 또, 대함 거포 주의(거대한 주포를 가지는 거대한 전함을 개발・건조해, 보유하는 일은, 그 나라의 해군력의 증명이 된다고 하는, 전함(battleship) 중심의 생각)의 전환에 대한 시사를 주어 그 후의 세계 각국의 전술・전략에 큰 영향을 여한 」.


그렇지만, 그 한편에 있고, 일본해군은, 다이와(yamato)・무사시(musashi)와 같은 배를 건조・전력으로서 온존 해, 그 최종적인 위력을 기대하고 있었습니다.다이와(yamato)・무사시(musashi)에는, 당시의 최신 기술이 다수 채용 그런데 있었습니다만, 사상 최대의 전함(battleship)이라고 하는 발상은, 급속히 시대착오가 되어, 무사시(musashi)는, (1945년에, 미군의 항공대의, 격렬한 공격을 받고, 침몰한, 다이와(yamato)와 같이), 눈에 띈 활약을 하는 무사히, 1944년에, 미군의 항공대 의, 격렬한 공격을 받고, 침몰했습니다.

덧붙여 다이와(yamato)・무사시(musashi)(당시의 일본의 최고 기술을 결집해 건조되었다)를, 설계・건조하는 일에 의해서 축적된 기술은, 제이차 세계대전 후의, 일본의 산업・기술에, 응용되어서 도움이 될 수 있었습니다.











이호제19 잠수함의, 모형.이하, 이호제19 잠수함에 관한 설명은, wiki등을 참고로 했습니다.이호제19 잠수함(기준 2,198톤 .상비 2,584톤.수중 3,654톤)은, 1941년에 완성한, 미츠비시(mitsubishi) 중공업제의, 일본해군의, 잠수함입니다.미국의 항공 모함(aircraft carrier), USS Wasp (CV-7)를 가라앉히는 등 했습니다.
 

 
덧붙여서, 일본해군은, 제이차 세계대전 말기(1944년부터 1945년)에 있고, 제이차 세계대전중에 취항한, 세계의 잠수함 중(안)에서, 최대의, 이탈리아 400형 잠수함(수상 공격 비행기를 3기 탑재해, 잠수 항공 모함이라고도 불리고 있다)(아래의 보충 설명 참조)를 제조했습니다(일본해군직영의, 조선소・공장제).
이탈리아 400형 잠수함:설명은, wiki를 참고로 했습니다.기준 3,530톤.상비 5,223톤.수중 6560톤.이론적으로는, 지구를 일주반 하는 것이 가능이라고 말하는, 장대한 항속 거리를 가져, 일본으로부터, 지구상의, 어디에라도 나가고, 임의에 공격을 실시해, 그대로, 일본에 돌아가는 것이 가능함 잠수함.몸집이 큰 선체를 가집니다만, 수중 성능은 양호하고, 급속 잠항에 필요로 하는 시간은, 1분이었습니다.이탈리아 400형 잠수함은, 이탈리아 15형 잠수함(일본해군의 잠수함)에 의한, 미국 본토 공격이 성공하고 있던 1942년에, 18척의 건조가 계획되었습니다만, 전국의 악화와 함께, 계획은, 5척에 축소되어 최종적으로 3척이 완성했습니다(이호 제 400 잠수함(1944년), 이호 제 401 잠수함(1945년), 이호 제 402 잠수함(1945년)).이탈리아 400형 잠수함이, 완성했을 무렵은, 일본해군은, 미군에 의해, 일본 주변의 해상권, 제공권 모두 잃어, 괴멸적인 상태가 되고 있어 이탈리아 400형 잠수함은, 이미, 활약 할 수 있을 기회를 잃고 있었습니다.이탈리아 400형 잠수함은, 상술한 대로, 3척이 완성했습니다만, 모두, 구체적인 전과를 올리기 전에, 일본이, 미국을 중심으로 하는 연합국에 대해서 무조건 항복 해, 제이차 세계대전이 종결했습니다.미군은, 전후 머지 않아, 이탈리아 400형 잠수함을 접수해, 기술 조사를 한 후, 냉전에 의한, 당시의 소비에 트(Soviet) 연방에의 기술 정보의 누설을 무서워해 해 몰처분으로 했습니다(파괴해, 바다에 가라앉혀 처분했습니다).











다이아몬드・프린세스(Diamond Princess)의, 모형.다이아몬드・프린세스(Diamond Princess)(115,875톤(GT))은, 완성 당시 , 세계 최대급의 호화 여객선인, 2004년에 완성한, 미츠비시(mitsubishi) 중공업제의, (미국・영국의 회사의 산하에 있다) 영국의 회사가 보유하는(이 근처, 자본 관계의 변동이 격렬하고, 잘못되어 있으면, 죄송합니다), 호화 여객선입니다(아마, 주로, 일본에서 운행하고 있어, 일본의 고객을 상대로 하고 있습니다).


미츠비시(mitsubishi) 중공업은, 최근(2016년 10월)에, (미국・영국의 회사의 산하에 있다) 독일의 회사로부터 수주한, 124.500톤(GT)의, 초대형의, 호화 여객선, 2척의(아마, 주로, 유럽에서 운행중・운행 예정이며, 유럽의 고객을 상대로 하고 있습니다), 건조중의 화재, 설계 변경등에 의한, 3회에 걸치는, 납기의 지연에 의해서, 수주액을, 큰폭으로 웃도는, 2,400억엔( 약 2조 4000억 won)을 넘는 손실을 낸 일을 이유로서 100,000톤(GT)을 넘는, 초대형의, 호화 여객선의, 건조 사업으로부터, 철퇴하는 일을 발표했습니다.제이차 세계대전전의, 호화 여객선의, 황금기(전성기)부터의, 미츠비시(mitsubishi) 중공업의, 여객선의 제조 사업의 역사(전회의 투고를 참조)를 생각하면, 매우, 아까운 생각이 듭니다.MRJ(Mitsubishi Regional Jet)(미츠비시(mitsubishi) 중공업이, 설계・개발중의, 소형의 여객기.전회의 투고 참조)의, 거듭되는, 납기의 지연(당초, 2013년에 운용을 개시할 계획인 것이, 4회 정도의(아마...), 운용 개시 예정 시기의 연기에 의해, 현재는, 2018년에, 운용이 개시 예정 되어 있습니다)라고 말해, 이탈리아인에게는, 죄송합니다만, 종래의 일본이라고 말하는 것보다도, 무엇인가, 이탈리아 근처에서 일어날 것 같은, 사건이라고 한 느낌입니다 w  미츠비시(mitsubishi) 중공업은, (여전히, 다방면에 있고, 세계 유수한, 세계 최첨단의 기술을, 많이 보유한다), 일본을 대표하는 중공업 회사의 하나인 일로부터, 노력하고, 갖고 싶은 것입니다.(근대화의 선발조이며(가장, 초기의 무렵에 근대화 한 나라이며), 완벽하지 않지만, 다방면에 있어 먹어 갈 수 있는, 방법을 확립해 있다) 영국이나 프랑스, (자원・연구・인재를 포함한 초강대국이다) 미국과 달리, 독일, 일본, 이탈리아, 한국이라고 한 나라는, 아무래도, 있다 정도는, 제조업(물건을 만드는 것에 의해서)으로 먹어 가지 않으면 안 된다고 하는 부분이 있다라고 생각합니다.































사진 이하.미츠비시(mitsubishi) 미나토미라이(minatomirai) 기술관을 방문한 다음은, 요코하마의, 미나토미라이(minatomirai) 지구, 및, 요코하마의, 미나토미라이(minatomirai) 지구 주변의, 요코하마의 도심부의 해안을, 산책했습니다.



사진 이하 3매.요코하마의, 미나토미라이(minatomirai) 지구(미츠비시(mitsubishi) 미나토미라이(minatomirai) 기술관의 주변)의, 풍경예.













사진 이하 2매의 건물은, 요코하마의, 미나토미라이(minatomirai) 지구에 있는 쇼핑 몰(shopping mall)의 하나, MARK IS 미나토미라이(minatomirai)의 건물.덧붙여서, 요코하마의, 미나토미라이(minatomirai) 지구에는, 내가, 아는 한, 5개의 쇼핑 몰(shopping mall)가 있어요.






















사진 이하 3매.요코하마의, 미나토미라이(minatomirai) 지구에 있는 쇼핑 몰(shopping mall)의 하나, Queen’s Square.











사진 이하 2매.Queen’s Square의, 금년의, 크리스마스 트리(Christmas tree).





















사진 이하 12매.붉은 벽돌 창고, 및, 그 주변.붉은 벽돌 창고는, 원래는, 창고로서 사용되고 있던 건물에서, 1호관과 2호관의 2개의 건물이, 줄서 세우고 있습니다.1호관은, 1913년에 완성해, 2호관은, 1911년에 완성했습니다.현재는, 1호관은, 주로, 전시장이나 hall가 들어가는 문화 시설로서 2호관은, 멋부린 shop나, 레스토랑, cafe등이 들어가는 상업 시설로서 사용되고 있습니다.




사진 이하 2매.저 편으로 보이는 것은, 태양이 아니고, 밤의, 달입니다.














































사진왼쪽이, 1911년에 지어진, 붉은 벽돌 창고 2호관.현재는, 멋부린 shop나, 레스토랑, cafe등이 들어가는 상업 시설로서 사용되고 있습니다.사진 오른쪽이, 1913년에 지어진, 붉은 벽돌 창고 1호관.현재는, 주로, 전시장이나 hall가 들어가는 문화 시설로서 사용되고 있습니다.









































사진 이하 3매.저 편으로 보이는 것은, 태양이 아니고, 밤의, 달입니다.





저 편으로 보이는 다리는, 요코하마 bay bridge.요코하마 bay bridge는, 1989년에 완성한, 큰 사장교(cable-stayed bridge)입니다.




















사진으로, 요코하마 bay bridge의 앞으로 보이는 것은, 대부두(oosanbashi).대부두(oosanbashi)는, 요코하마의 도심부의 해안에 있는, 호화 여객선도, 자주(잘) 발착하는, 국제 ferry terminal가 있는 큰 부두입니다.




















사진 이하 2매.기차도(kisyamichi)에서...기차도(kisyamichi)는, 원래, 화물용 열차의 낡은 선로였지만, 현재는 보행자 전용의 산책도가 되고 있는, 해상의 길입니다.



사진 우단의 초고층 빌딩은, Intercontinental Yokohama Grand 호텔의 건물입니다(1989년에 착공해, 1991년에 완성).덧붙여서, Dubai의 호텔, Burj Al Arab의 건물(1994년에 착공해, 1999년에 완성)의 형태가, 이 호텔의 건물의 형태를 닮아 있습니다.사진 중앙으로 보이는, 큰 관람차는, Cosmo Clock.일찌기, 세계 최대의 관람차인, 큰 관람차입니다.











사진의, 제일 높은, 초고층 빌딩은, 요코하마 landmark tower.1993년 완성, 높이 약 296 m의, 미나토미라이(minatomirai) 지구에 있는, 초고층 빌딩입니다.23년전에 지어진 빌딩입니다만, 아직도, 일본에서, 2번째로 높은, 초고층 빌딩이 되고 있습니다.요코하마 landmark tower는, 이미, 세계적으로 보면, 약간의, 비싼 빌딩 정도가 되어 버렸습니다만, 큰 빌딩이어, 바닥 면적은, Empire State Building나 One World Trade Center(2014년에 완성한, 미국에서, 제일, 세계에서, 3번째에, 키가 큰 빌딩)를, 훨씬 더 웃돌아, Taipei 101(세계에서, 4번째에, 키가 큰 빌딩.2004년 완성)이나, Shanghai World Financial Center(중국(홍콩을 포함한다)에서, 가장 키가 큰 빌딩.세계에서 5번째로 키가 큰 빌딩.2008년 완성)도, 웃돕니다.덧붙여서, 요코하마 landmark tower는, 미츠비시(mitsubishi) 지소(Mitsubishi Estate)(일본의, 대규모, 부동산 회사의 하나)의, 소유입니다.미츠비시(mitsubishi) 지소(Mitsubishi Estate)는, 미츠비시(mitsubishi) 중공업과 같이, 구(한 때의) 미츠비시(mitsubishi) 재벌계의 회사입니다.사진 좌하로 보이는, 범선(sailing ship)는, 닛폰마루(nipponmaru)입니다.닛폰마루(nipponmaru)는, 1930년에 건조된, 약 2,300톤(GT)의, 일본의, 대형의 범선(sailing ship)입니다.닛폰마루(nipponmaru)는, 상업용의 배의 선원을 양성하는 학교의 연습용의 배로서 건조되었습니다만, (새로운, 보다 큰 연습용의 범선(닛폰마루(nipponmaru) 2세.일본의 범선.세계에서도 유수한 고속 범선)이 건조되어 1984년부터 사용되고 있기 때문에(위해)), 현재는 사용되지 않고, 요코하마의 도심부의 해안에서, 영구 보존 되고 있습니다.






사진 이하 6매.이 날의 저녁 식사는, landmark plaza(미나토미라이(minatomirai) 지구에 있는 쇼핑 몰(shopping mall)의 하나로, 요코하마 landmark tower의 하층층을 차지하는, 쇼핑 몰(shopping mall))에 들어가 있는, 고기 요리(스테이크(beef steak)・불고기) 레스토랑에서 먹었습니다.이 레스토랑은, 생각보다는 최근(금년의 9월에), 요코하마를 산책했을 때에, 처음으로 이용한 가게입니다만, 꽤, 분위기가 좋고, 분위기에 비해 적당한 가격의 레스토랑입니다(젊은 couple의 이용도, 많은 레스토랑입니다).




사진 이하 6매.이 레스토랑에서 먹은, 이 날의, 저녁 식사등.





이 저녁 식사시에, 내가 마신, 음료의 하나(최초의, 한 잔).생 조임 오렌지(orange)의, 캄파리・오렌지(Campari and Orange).덧붙여서, 이 저녁 식사시는, 나는, 음료는, 이 외, 붉은 와인(빨강 wine) 등을 마셨던(음료는, 주로, 붉은 와인(빨강 wine)을 마셨습니다).







사진 이하 5매.이 레스토랑에서 먹은, 이 날의 저녁 식사.이 외, 밥(rice), 붙여(side dish)의, 사라다(salad)를, 한 명, 일명씩 먹었습니다.



사진 이하 2매.메인(main) 요리.스테이크(beef steak).사진은, 내가 먹은, 스테이크(beef steak)(부위는, rib 로스(rib・short loin)).그녀는, 이 때, 이것보다, 작은 사이즈(size)의, 스테이크(beef steak)(부위는, rib 로스(rib・short loin))를 먹었습니다.



















사진 이하 3매.디저트(dessert).




사진 이하 2매.내가 먹은, 애플 파이(apple pie), 바닐라 아이스크림(vanilla ice cream) 더해져라.




사진, 우상은, 이 때, 내가, 디저트(dessert)와 함께, 마신 음료로, 생 조임 오렌지(orange)의, 상리아(sangria).























그녀가 먹은, 시럽・초콜릿(fondant au chocolat).









사진 이하 17매.Queen’s Square(미나토미라이(minatomirai) 지구에 있는 쇼핑 몰(shopping mall)의 하나).













사진 이하 16매.Queen’s Square의, 금년의, 크리스마스 트리(Christmas tree).























































































































































사진 이하 2매.저 편으로 보이는, 큰, 관람차는, Cosmo Clock.일찌기, 세계 최대의 관람차인, 큰 관람차입니다.





















요코하마 산책&음식, 마지막...















TOTAL: 415

番号 タイトル ライター 参照 推薦
315
No Image
横浜散歩&食べ物2 jlemon 2016-12-19 1081 0
314
No Image
横浜散歩&食べ物1 jlemon 2016-12-19 2855 0
313
No Image
古典的ホテルに宿泊&食べ物3 jlemon 2016-12-17 1358 0
312
No Image
古典的ホテルに宿泊&食べ物1 jlemon 2016-12-17 1000 0
311
No Image
古典的ホテルに宿泊&食べ物2 jlemon 2016-12-11 1138 0
310
No Image
鎌倉(kamakura)散歩&食べ物2 jlemon 2016-12-09 1087 0
309
No Image
鎌倉(kamakura)散歩&食べ物1 jlemon 2016-12-09 902 0
308
No Image
90年前の日本の都市文化 jlemon 2016-12-09 1260 0
307
No Image
日光(nikko)散歩&食べ物 jlemon 2016-12-09 1167 0
306
No Image
横浜散歩&食べ物1 jlemon 2016-11-28 887 0
305
No Image
横浜散歩&食べ物2 jlemon 2016-11-27 2401 0
304
No Image
湯河原(yugawara)・熱海(atami)....... jlemon 2016-11-20 1057 0
303
No Image
湯河原(yugawara)・熱海(atami)....... jlemon 2016-11-20 2521 0
302
No Image
花見(hanami)&食べ物1 jlemon 2016-10-16 1200 0
301
No Image
横浜・神戸(kobe)の夜景 jlemon 2016-10-15 1277 0
300
No Image
花見(hanami)&食べ物2 jlemon 2016-10-07 1036 0
299
No Image
上の投稿の、参考投稿 jlemon 2016-10-07 1180 0
298
No Image
建築家の家と作品 jlemon 2016-10-07 1458 0
297
No Image
鎌倉(kamakura)散歩&食べ物等 jlemon 2016-10-05 2901 0
296
No Image
夏の湘南(syonan)drive&食べ物等 jlemon 2016-10-05 1265 0