うちの町内

 

 

 

 





後述する、富士屋(fujiya)ホテルは、2018年の4月から、2020年の7月まで、建物の耐震補強工事を伴う改装の為、基本的に閉館となっていました。コロナ禍の2020年7月15日に、富士屋(fujiya)ホテルは、改装を終え、営業を再開しました。(もちろん、改装工事は、その前から計画されていましたが)改装工事期間がコロナ禍と重なったのは、富士屋(fujiya)ホテルの経営にとっては、良かったのかもしれません。改装により、富士屋(fujiya)ホテルは、男女別の共同温泉風呂が、新たに設置される等しました。改装後の、富士屋(fujiya)ホテルは、1度、彼女と、アフタヌーンティー(afternoon tea)を利用していますが、宿泊はしていません。以下の投稿文の、富士屋(fujiya)ホテルの説明は、改装前の、富士屋(fujiya)ホテルを前提としています。




以下、基本的に(参考の投稿を入れ替える等しています)、2020年の6月の下旬に行った投稿の再掲です。


以下、参考の投稿。

小津 安二郎映画「晩春」他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3758979?&sfl=membername&stx=nnemon2





以下、「」内。私の前の投稿文より。。。

「我が家の近所の私の実家の私の母は、胸は大きくないのですが、おそらく、本人は、昔から、くびれと尻の形には自信を持っていると思いますw 私の母は、ある意味、ぶっ飛んだ面のある女性です。私の母は、昔から(若い頃から)、自分の脚線美に自信があるらしく(今は、さすがに、母は、もう、おばあさんなので、それはない(自分の脚線美に自信があるという事はない)と思いますが。。。ちなみに、母は、身長は、163cm位と、私の母の世代の女性にしては、割と高く、また、痩せの大食い体質で(ちなみに、私は母の痩せの大食い体質を受け継いでいますw)、年を取っても相変わらず痩せています)、私の母は、今はさすがにそれはしませんが、60代の初め頃までは、(もちろん、カジュアルな服装として)、ショートパンツに、生足で、お出掛けする事もありましたw」


以下、「」内。私の前の投稿文より。。。

「私は、学生の頃(高校生・大学生の頃)、おそらくチャラチャラしていた事もあってw、芸能人・モデル事務所の人からスカウトの声がかけられていたのですが、母も女子大生の時、一応、芸能人・モデル事務所の人からスカウトの声がかかっていたそうですw(母方の祖父は穏やかで温和な性格であったのですが、当時、母にそれだけはやめてくれと言っていたそうでw、母は、母方の祖父に従って、断っていたそうです)。」


「私の母は、大学を卒業した後、私の父と結婚をするまでOLをしていました。私の父と母が知り合ったきっかけは、二人共、まだ社会人になってから間もない頃、英検の準備学校で(母は英検1級持ってます。父は英検1級は挫折しましたw)、母が教室に通う初日に、教室に入った時に、既に着席していた(その時初対面の)父の顔を見て、一目惚れした私の母が、咄嗟の判断で、(さり気なくか強引か分かりませんがw)父の隣りの席に座り、教科書を忘れたふりをして、父に見せて貰った事です。」


以下、前に投稿で紹介した動画です。ちなみに、私は、DaiGo(メンタリスト)の話の動画は、この投稿で紹介している動画を含めて、ほぼほぼ、今までに、kjで紹介している物しか見ていません。
 

外見レベルが上の相手と付き合う【心理学的戦略】とは→
https://youtu.be/wg1TBItbA40



以下、「」内。私の前の投稿文より。。。

「私は、20代の初めまでは、実年齢よりも上に見られ、20代の後半頃からは、実年齢よりも、下に見られるようになり、それが、今も続いています。それに関しても、(私の)母からの遺伝なのかもしれません(まあ、私は、顔は、母よりも、父に似ているのですが。。。)。」


以下、前に投稿で紹介した動画です。ちなみに、IQが高い事は、年齢の割の若さにも関係しているようです。その事に関しては、私は、以下の動画の話で初めて、知りました。


【ゆたぼん】学校に行くべきか否か、科学の結論は→
https://youtu.be/s2O83TMyKaA


ちなみに、私は、ゆたぼんについて関心がなく、全く、詳しくありません。


以上、前に行った投稿から抜粋して来た物でした。





以下、「」内。前の(去年(2019年)の7月の)、他の方の投稿の私のレスより。。。





 

 

写真は、借り物。前から投稿で書いていますが、近所の実家の私の母は、昔から(若い頃から)、自分の脚線美に自信があるらしく(今はさすがに母はもうおばあさんなので、それはない(自分の脚線美に自信があるという事はない)と思いますが。。。ちなみに、母は、身長は163cm位と私の母の世代の女性にしては、割と高く、また、痩せの大食い体質で(ちなみに私は母の痩せの大食い体質を受け継いでいますw)、年を取っても相変わらず痩せています)、私の母は、今はさすがにそれはしませんが、60代の初め頃までは、(もちろんカジュアルな服装として)、ショートパンツに、生足で、お出掛けする事もあったのですが、先程、物をあげに、ちょっと我が家の近所の実家に立ち寄った際に、母は、軽くエアコンを効かせた室内で、この様なハーフパンツスタイルの室内着で登場しましたw(上下ともこのような感じで、色の組み合わせも、調度、このような感じです)。



前述の通り、母は痩せの大食い体質で(私は母の体質を受け継いでいます)、おばあさんですが、今でも、この写真の女性のような体型を保っていますw」





以下、「」内。前の私の投稿の他の方のレスに対する、私のレスより。。。

「ちなみに、私の母は、運動神経が良く、自動車の駐車等、確かに女性にしては(と言うか男女関係なく)上手いのですが、自分が自動車の運転が上手いと言う自信が、妙に高くてw(今は、さすがに、もう高齢者の年齢に突入し、昔よりも、自動車の運転は、慎重になっているようですw)、私が子供の頃から中学生・高校生の頃、それが故に、母が運転する車に乗るのは、ちょっと怖かったですw(家の車(両親の車)の運転は、同乗者(家族(妻・子供))の事を気遣い、慎重な安全運転である父の運転の方が、安心でしたw)。

確かに車の運転は上手いのですが、車の運転に妙に自信があって、同乗するのが怖いと言う人、特に、男にいますよねw 私の若い頃の友人の中にも、そうした男が、何人かいましたw その中の一人で、同じ大学に通っていた大学生時代の友人(ちなみに、その友人はF1が大好きで、国内開催のレースを必ず見に行く事はもちろんの事、F1を見る為に、わざわざ海外に行く程のF1好きでした)で、親(実家は飲食店(割と大きな和食店)を経営)のボルボのステーションワゴン(当時、ボルボのどの車種だか意識して見ていなかったが、おそらく900シリーズか850)を、よく持ち出して乗っていた、男の友人がいたのですが、その友人、高速道路で、別に飛ばしモードではなく、普通で、150kmから160km位で走っていました(いくらボルボが安全だからと言って、日本の高速道路の、カーブの設計や交通の流れで、普通で150kmから160km位って、同乗していて、ちょっと怖いですよねw しかも、その友人、前方の車との車間距離も短く運転するタイプでしたしw)。」



以下、前に行った投稿から抜粋して来た物です。

 



写真は、借り物(写真の作者:160SX)。「Cosmo AP」。「Cosmo AP」は、MAZDA(日本の、大規模、自動車会社の一つ。ただし、大規模会社としては、規模が小さい)が、1975年に販売を開始した、ミドルクラス(中級class)の乗用車です。「Cosmo AP」は、私が、幼い頃から子供の頃、実家(両親)の、自動車でした。


私が幼い頃から現在に至るまでの、(我が家の近所の)私の実家の(私の両親の)、自動車の変遷は、MAZDA「Cosmo AP」→Nissan  Volkswagen Santana(日産(nissan)自動車が、日本国内市場向けに、日本国内で生産していた、2代目、Volkswagen Passat(Volkswagen Passat (B2))の姉妹自動車。1984年に販売開始)→Mercedes-Benz C-Class →Mercedes-Benz E-Class (W211)(現在)(Mercedes-Benz E-Class の中では安い物です)となっていますが、両親は、まだ、W211 E-Classに乗り続けていて、今のところ、一向に(全く)、買い替える気配を見せません。私の、家系(家族の性質)は、一度、自動車を買ったら、とても長く乗る(乗り潰す位の、つもりで乗る)、家系(家族の性質)ですw(私も、私の弟も、そうです)。

私の実家(両親)の自動車の選択は、母が主導権を握っているので、私の母は、前述の通り、ミーハーでチャラチャラしたところがあるんでw(現代に若者時代を過ごしていたら、ギャルになったような気もしますw)、Nissan Volkswagen Santanaは、ドイツ車(当時、日本では、おそらく、まだドイツ車のブランド力が高かった)が、国産の同クラスの車と同程度の価格で買える、「ラッキー!」と言った程度の乗りで買ったような気がしますw その後、両親は、Mercedes-Benz C-Class、Mercedes-Benz E-Classと乗り継いでいるのですが、ベンツと言う選択は、母の見栄の部分もある事は、否定出来ないと思いますw  まあ、(私もそうなのですが)、両親は、休日に高速道路を使う機会が多いので、その点において、ドイツ車と言う選択は、良いのだと思いますが。

幼い頃、親に連れられて、実家のコスモで国内旅行をした際に、現地の私よりも年上の(おそらく自動車に興味がある・自動車好きの)見知らぬ男の子が、うちの(実家の)コスモを見て、「品川ナンバーのコスモ、かっけー!」みたいな内容の事を言い、その言葉が耳に残り、子供心になんとなくですが、品川ナンバーってブランド力があるんだなと言う事を初めて認識しましたw


以上、前に行った投稿から、抜粋して来た物でした。



以下、「」内。去年の12月4日に行った、基本的に(この投稿に合わせて、少しアレンジしています)、私の投稿の他の方のレスに対する、私のレスから抜粋して来た物です。


「11月前半の、 他の方の投稿において、以下「」内のようにレスしましたが。。。

「ちなみに実家の両親は、長年乗り潰すつもりで乗って来たW211ベンツを買い替える事を検討しているようです(ベンツは母の見栄の部分があったと思いますが、もうベンツである必要はないし、お金の無駄遣いなので、今度は、国産のものを検討しているようです)。何れにしても買い替えを検討しているという事は、両親は、まだ当分の間、車の運転を続けるつもりであるようです。」

その後、近所の実家の両親と話す機会があった際に、両親は買い替える車に関して、プリウスも検討の選択肢に入れているようですw おいおい、息子の真似かいっw

私の車に関しては、以下の投稿を参照して下さい。

葉山(hayama)のビーチ(beach)沿いのレストラン他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_1/view/id/3319926/page/2?&sfl=membername&stx=nnemon2

まあ、親は、プリウス買うとしても、私とは色違いの物を買うようですし(ちなみに、私は、今の自分の車(現行プリウス)の色は気に入っています)、(色々と付いた)私よりも高いグレードの物を買うと思いますが。車のダウンサイジングに関しては、親よりも、子供(私)の方が早かったというw」


以下、「」内。最近の他の方の投稿の私のレスから抜粋して来た物です。

「我が家の近所の実家の両親は、比較的最近、とても長く乗っていたW211 E-Classから、私のと色違いですが、私と同じ現行のプリウスに買い替えたのですが(おそらく私の影響を受けましたw ちなみに車のダウンサイジングは両親よりも私の方が早かったです)、後部のデザインがマシになってから(マシになったというだけで、決して、良くなったという訳ではないw)、買い替えやがったw」



以下、「」内。去年の12月4日に行った、私の投稿の他の方のレスに対する、私のレスから抜粋して来た物です。


「ちなみに、父は、母に負けずに元気で、まあ、私の実家は、元々、大食いの家系なのですが(ちなみに、私は、母の痩せの大食い体質を受け継いでいますw 大食いと言っても標準よりも、少し多く食べる程度ですが)、上の両親の車の買い替えに関する話を聞いた際に、両親から聞いた話なのですが、この前、両親が、両親と同年代の両親と親しい友人夫妻と4人で、一泊2日の温泉旅行に行った際に、その両親の友人夫妻は、温泉宿の朝食バイキングで、父が、(おそらく少なからぬ)スクランブルエッグと共に、目玉焼き(2個)と、温泉玉子2個とっているのを見て、驚いていたと言っていましたw ちなみに、その両親の友人夫妻の夫の方は、食が細くて、私の父の3分の1程度しか食べないようです(し〜さまさんタイプの体質なのかもしれません)。


以下「」。両親を連れて、私と両親の3人で、箱根の富士屋ホテルに泊まった際の投稿から抜粋して来た物w

「この日の朝食は、両親の希望で(両親が、バイキング(buffet)の方が、良いと言った為)、富士屋(fujiya)ホテルの、主食堂(main dining room)の建物に入っている、富士屋(fujiya)ホテルの、カジュアル(casual)な雰囲気の、洋食・西洋料理レストランの、朝食バイキング(buffet)で食べました。」」




ちなみに、私の父親は(身長は、177cmと、私の父親の世代にしては、背が高い方です)、中年になって以降、それなりに肉が付きましたが、(年齢の割に、比較的、たくさん食べるものの)、別に、太っていると言う程ではなく、同世代の男性の標準的な、体形と言った感じです(私の父は、若い頃は、痩せていました)。ちなみに、前述の通り、私は、母の痩せの大食い体質(大食いと言っても標準よりも、少し多く食べる程度ですが)を受け継ぎました。


私の両親及び私の両親の自動車に関して、以下の投稿を参照して下さい。

アニメのテーマ曲他1→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3589006/page/32?&sfl=membername&stx=nnemon2
小津 安二郎映画「晩春」他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_2/view/id/3580708/page/3?&sfl=membername&stx=nnemon2





以下の投稿の続きです。

1878年からの歴史を有するリゾートホテル1→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3758985?&sfl=membername&stx=nnemon2
1878年からの歴史を有するリゾートホテル2→

https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3758984?&sfl=membername&stx=nnemon2
1878年からの歴史を有するリゾートホテル3→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3758982?&sfl=membername&stx=nnemon2
1878年からの歴史を有するリゾートホテル4→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3758981?&sfl=membername&stx=nnemon2



以下、基本的には(参考の投稿を加える等しています)、2016年の12月に行った投稿の再掲で、2016年の2月の終わりに、両親を連れて、箱根(hakone)の、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊して来た時の物です。投稿文は、2016年12月の投稿を前提としています。ちなみに、その時の、両親の、富士屋(fujiya)ホテルの印象が良かったらしく、両親は、その時から今まで、2回、夫婦で、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊している様です。


ある程度、前の事ですが、2月の終わりに、両親を連れて、箱根(hakone)の、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊して来た時の物です。


私の2歳年下の弟(東京の西部郊外に暮らしています)は、既に、結婚して、子供がいて、今は、子育てに忙しいので、今の所、こう言う役割は、私と言う事で。。。


実は、去年の12月の初めに、両親を連れて、箱根(hakone)の、萬翠楼福住(bansuiro fukuzumi)と言う、温泉旅館に宿泊して来た時に、勢いで、両親に、今度、富士屋(fujiya)ホテルに連れて行くと言ってしまった事が、この時の、両親を連れた、富士屋(fujiya)ホテルの宿泊に、繋がりましたw(これから、やや、しばらくの間は、両親を連れて旅行に行くかどうかは、ちょっと分かりませんw)。


(この時、私達が宿泊した)富士屋(fujiya)ホテルは、私は、この時を、含めて6回、宿泊しています(この時、(我が家の近所の私の実家の)両親を連れて、箱根(hakone)の、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊して来た時の、1回を除き、(残りの5回は)、全て、couple(女性と2人)で宿泊しています)。富士屋(fujiya)ホテルは、花御殿(hanagoten)、西洋館、本館に宿泊した事があります。また、菊華荘(kikkaso)(宿泊も可能)は、宿泊はした事がありませんが、食事はした事があります(その時は、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊しないで、食事だけした)。


(亡くなった)私の母方の祖父母は、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊した事がありましたが(母方の祖父母は夫婦で宿泊した事があり、母方の祖母に関しては、結婚前(子供の頃を含む)、母方の祖母の家族でも宿泊した事あり)、私の母は、その時まで、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊した事がありませんでした。また、私の父は、その時まで、富士屋(fujiya)ホテルは、会社の研修で、一度、宿泊した事がありましたが、個人的な旅行で宿泊した訳ではないので、富士屋(fujiya)ホテルの雰囲気を、ゆっくりと味わう事は、全く、出来なかったそうです。その様な事から、去年の12月の初めに、両親を連れて、箱根(hakone)の、萬翠楼 福住(bansuiro fukuzumi)と言う、温泉旅館に宿泊して来た時に(その時、両親と旅行したのは、とても久しぶりでした)、弾みで(勢いで)、両親に、今度、富士屋(fujiya)ホテルに連れて行くと言ってしまった事が、この時の、両親を連れた、富士屋(fujiya)ホテルの宿泊に繋がりましたw 


ちなみに、上記の、私の、両親を連れた、萬翠楼 福住(bansuiro fukuzumi)に宿泊した旅行、及び、この時の、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊した旅行の、宿泊費、食事代等は、両親の分を含めて、全て、私が支払っています。




私の母方の祖父に関しては、以下の2つの投稿を参照して下さい。

芸者(geisha)・祖父の話他(私の父方の祖父の話も含みます)→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3658686/page/19?&sfl=membername&stx=nnemon2
旧朝香宮(asakanomiya)邸他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3658681/page/19?&sfl=membername&stx=nnemon2
小津 安二郎映画「晩春」他(参考の投稿・関連投稿)→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_2/view/id/3580708/page/3?&sfl=membername&stx=nnemon2

私の母方の祖母に関しては、以下の投稿を参照して下さい。

母方の祖母の話→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3658687/page/19?&sfl=membername&stx=nnemon2




富士屋(fujiya)ホテルは、箱根(hakone)を代表する、高級resortホテルの一つです。富士屋(fujiya)ホテルは、前身の温泉旅館時代も含めると(16世紀後半には、韓国では悪名が高い(悪い意味で有名な)、豊臣 秀吉(toyotomi hideyoshi)も宿泊しました)、14世紀末からの(600年以上もの)歴史を有する(近代的なリゾート(resort)ホテルに変わってからの歴史は、1878年から)、箱根(hakone)を代表する高級リゾート(resort)ホテルです(富士屋(fujiya)ホテルは、箱根(hakone)の仙石原(sengokuhara)地区に、箱根(hakone)で、最も古い歴史を有する(詳しくないのですが、少なくとも、現在営業されている箱根(hakone)のゴルフ場(golf course)の中では、最も古い)、ゴルフ場(golf course)(1917年開業)も有しています)。富士屋(fujiya)ホテルは、第2次世界大戦前には、日本国内のみならず、(日本以外の)東・東南アジア在住の欧米人富裕層の間でも、東洋有数のリゾート(resort)ホテルとして知られていました。富士屋(fujiya)ホテルには、今まで、孫文(Sun Yat-sen)(日本に2度、亡命し、亡命中は、日本の、実業家等から支援を受けて、裕福な暮らしをしていた)、チャーリー・チャップリン(Charlie Chaplin)、フランク・ロイド・ライト(Frank Lloyd Wright)、ヘレン・ケラー(Helen Keller)、ジョン・レノン(John Lennon)・小野 洋子(ono yoko)夫妻等、世界的な著名人も訪れています。



以下、「1878年からの歴史を有するリゾートホテル4」からの続きで、この時の2日目(以下、この日と書きます)からです。この時は、旅行と言うよりかは、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊する事を目的として、箱根(hakone)を訪れたと言った感じでした。ちなみに、この時の初日は、私は、自分の自動車で、両親の湘南(syonan)areaの別荘に行き(ちなみに、この翌日、湘南(syonan)areaの電車駅で、(自分の自動車で)彼女を拾って、彼女と、湘南(syonan)をdriveする予定でした)、両親の湘南(syonan)areaの別荘で、両親と一緒に、昼食を食べた後(この時は、両親は、湘南(syonan)の別荘の方に、滞在中でした)、両親の湘南(syonan)areaの別荘に、自分の自動車を置き、両親の自動車(W211 E-Class)で(両親の自動車に、両親を乗せて)、箱根(hakone)の、富士屋(fujiya)ホテルへ向かいました。


私の自動車に関しては、以下の投稿を参照して下さい。

葉山(hayama)のビーチ(beach)沿いのレストラン他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_1/view/id/3319926/page/2?&sfl=membername&stx=nnemon2



ちなみに、両親は、我が家(東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地に位置しています)の近所の私の実家(元々、母方の祖父母の家。現在は、両親が引き継いで暮らしている)に暮らしているのですが、18年程前に、湘南(syonan)area に、父が仕事を引退したら暮らす為の別荘(別荘とは言っても、典型的な別荘ではなく、普通の一戸建て住宅です)を、新築で、購入しました。父が、半分、定年退職状態になってからは(父は、会社員で、母は、父と結婚してから、ずっと主婦をしています)、両親は、基本的に、一週間の内の、半分を、東京都心部の我が家の近所の実家(元々、母方の祖父母の家。私の母にとっては、元々両親の家。ちなみに、母は、一人っ子です)、もう半分を、保養と気分転換に、湘南(syonan)areaの別荘で過ごしています。今の所、都会での生活が捨て難く(まあ、湘南(syonan)areaも、自動車生活圏で見れば、十分都会だと思いますが)、東京都心部の家(我が家の近所の私の実家)及び近所(私の街)に愛着がある(特に、母にとっては、生まれ育った家と街なので。。。)事等から、両親は、父が完全に定年退職しても、基本的に、一週間の内の半分を、東京都心部の家(我が家の近所の私の実家)、もう半分を、気分転換に、湘南(syonan)areaの別荘で過ごすと言う生活は、続けるつもりだそうです。




この時、私達は、富士屋(fujiya)ホテルの西洋館に宿泊しました。この時、富士屋(fujiya)ホテルの西洋館と、花御殿(hanagoten)、どちらに宿泊しようかと迷ったのですが、この時、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊し、両親が、富士屋(fujiya)ホテルが良いと思ったら、両親だけで、ゆっくりと、富士屋(fujiya)ホテルの、花御殿(hanagoten)に宿泊しに行けば良いかなと思い、この時は、西洋館に宿泊する事にしました。ちなみに、西洋館は、私が初めて、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊した時に、宿泊した建物です。富士屋(fujiya)ホテルの、西洋館に関しては、「1878年からの歴史を有するリゾートホテル3」を、参照して下さい。


花御殿(hanagoten)に関しては、以下の投稿を、参照して下さい。

箱根 富士屋ホテル 花御殿他    →
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3758718?&sfl=membername&stx=nnemon2



写真以下2枚。この日の朝、客室(この時、私達が、宿泊した客室)の、窓から眺めた、富士屋(fujiya)ホテルの本館の建物。富士屋(fujiya)ホテルの本館の建物は、1891年に建てられた建物で、主に、ロビー(Lobby)と客室として使われています。富士屋(fujiya)ホテルの玄関の役割を果たしている建物であると共に、現在、宿泊可能な富士屋(fujiya)ホテル建物の中では、最も古い建物となっています。












写真以下3枚。富士屋(fujiya)ホテルの建物の廊下の例。この辺りは、おそらく、富士屋(fujiya)ホテルの、主食堂(main dining room)の建物が建てられた時と、同じく、1930年頃に建てられたと思われます。ちなみに、富士屋(fujiya)ホテルの、主食堂(main dining room)の建物は、富士屋(fujiya)ホテルの、主食堂(main dining room)の建物が建てられた当時の、富士屋(fujiya)ホテルの経営者である、富士屋(fujiya)ホテルの、実質的な2代目の経営者、山口 正造(yamaguchi shozo)(「1878年からの歴史を有するリゾートホテル1」を、参照    )の生まれ故郷である、日光(nikko)の、東照宮(toshogu)等をイメージした物となっています。














この猫の彫刻は、日光(nikko)の、東照宮(toshogu)の、眠り猫(眠っている猫)の、彫刻をイメージした物であると思います。

東照宮(toshogu)の、眠り猫(眠っている猫)に関しては、以下の投稿を、参照して下さい。

日光東照宮と温泉旅館2→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3724101/page/9?&sfl=membername&stx=nnemon2




写真以下5枚。富士屋(fujiya)ホテルの、宴会場(party会場)のカスケードルーム(cascade room)(元は、ballroomとしても、使われていた。1920年完成)。


























この日の朝食は、両親の希望で(両親が、バイキング(buffet)の方が、良いと言った為)、富士屋(fujiya)ホテルの、主食堂(main dining room)の建物に入っている、富士屋(fujiya)ホテルの、カジュアル(casual)な雰囲気の、洋食・西洋料理レストランの、朝食バイキング(buffet)で食べました。富士屋(fujiya)ホテルの、主食堂(main dining room)の建物は、1930年に建てられた建物で、主に、主食堂(main dining room)の建物として使われていますが(主食堂(main dining room)については、「1878年からの歴史を有するリゾートホテル4 」を参照して下さい)、主食堂(main dining room)の他、カジュアル(casual)な雰囲気の、洋食・西洋料理レストランと、バー(bar)が入っています。


写真以下4枚。これで、全てではありませんが、この時、私が、富士屋(fujiya)ホテルの、カジュアル(casual)な雰囲気の、洋食・西洋料理レストランの、朝食バイキング(buffet)で食べた物。この他、パン、サラダ(salad)、ヨーグルト(yogurt)を食べました。





こうした、細かい食べ物は、もう一皿、お代わりして食べました。





オムレツ(omelette)。オムレツ(omelette)は、実演方式(バイキング(buffet)において、あらかじめ作った物を置いておくのではなく、コック(cook)等が、その場で、料理を作る形式)となっています。




左側、カレー(curry)。



















トイレ(washroom)。










写真以下。朝食を食べた後は、富士屋(fujiya)ホテルの庭等を、散歩しました。富士屋(fujiya)ホテルの全体像については、「1878年からの歴史を有するリゾートホテル3」を参照して下さい。









温泉の熱を利用した温室。昔、富士屋(fujiya)ホテルの庭の温室では、ワニ(鰐)を飼っていた事があるそうです。その、ワニ(鰐)は、富士屋(fujiya)ホテルに、よく宿泊していた(おそらく。。。)、日本の政治家(無名の(有名ではない)政治家です)が、1948年に、海外旅行をした際に、日本に持ち帰った、ワニ(鰐)を、富士屋(fujiya)ホテルに寄贈した物で、富士屋(fujiya)ホテルの庭の温室で飼育され、宿泊客の人気を集めましたが、その鰐が、2m近くまで成長した為、富士屋(fujiya)ホテルは、安全性を考えて、1951年に、そのワニ(鰐)を、上野(ueno)動物園(東京の都心部にある。東京を代表する動物園の一つ)に、寄贈しました。その時、お返しに、上野(ueno)動物園から、富士屋(fujiya)ホテルに、孔雀が贈られ、やはり宿泊客の、人気を集めました。




1878年からの歴史を有するリゾートホテル6へ続く。。。


「1878年からの歴史を有するリゾートホテル6」は、以下です。


1878年からの歴史を有するリゾートホテル6→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3758979?&sfl=membername&stx=nnemon2

 


1878년부터의 역사를 가지는 리조트 호텔 5





후술 하는, 후지야(fujiya) 호텔은, 2018년의 4월부터, 2020년의 7월까지, 건물의 내진 보강 공사를 수반하는 개장 (위해)때문에, 기본적으로 폐관이 되고 있었습니다.코로나재난의 2020년 7월 15일에, 후지야(fujiya) 호텔은, 개장을 끝내 영업을 재개했습니다.(물론, 개장 공사는, 그 전부터 계획되고 있었습니다만) 개장 공사 기간이 코로나재난과 겹친 것은, 후지야(fujiya) 호텔의 경영에 있어서는, 좋았던 것일지도 모릅니다.개장에 의해, 후지야(fujiya) 호텔은, 남녀별의 공동 온천 목욕탕이, 새롭게 설치되는 등 했습니다.개장 후의, 후지야(fujiya) 호텔은, 1도, 그녀와 아후타는티(afternoon tea)를 이용하고 있습니다만, 숙박은 하고 있지 않습니다.이하의 투고문의, 후지야(fujiya) 호텔의 설명은, 개장전의, 후지야(fujiya) 호텔을 전제로 하고 있습니다.




이하, 기본적으로(참고의 투고를 바꿔 넣는 등 하고 있습니다), 2020년의 6월의 하순에 간 투고의 재게입니다.


이하, 참고의 투고.

오즈 야스지로 영화 「만춘」외→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3758979?&sfl=membername&stx=nnemon2





이하, 「」 안.나의 앞의 투고문보다...

「우리 집의 부근의 나의 친가의 나의 어머니는, 가슴은 크지 않습니다만, 아마, 본인은, 옛부터, 교살하라고 엉덩이의 형태에는 자신을 가지고 있다고 생각하는 w 나의 어머니는, 있다 의미, 난 면이 있는 여성입니다.나의 어머니는, 옛부터(젊은 무렵부터), 자신의 각선미에 자신이 있다답고(지금은, 과연, 어머니는, 이제(벌써), 할머니이므로, 그것은 없다(자신의 각선미에 자신이 있다라고 하는 것은 없다)라고 생각합니다만...덧붙여서, 어머니는, 신장은, 163 cm위와 나의 어머니의 세대의 여성으로서는, 생각보다는 높고, 또, 마름의 대식 체질로(덧붙여서, 나는 어머니의 마름의 대식 체질을 계승하고 있습니다 w), 나이를 먹어도 변함 없이 야위고 있습니다), 나의 어머니는, 지금은 과연 그것은 하지 않습니다만, 60대의 처음무렵까지는, (물론, 캐쥬얼인 복장으로서), 숏팬츠에, 생족으로, 나가는 일도 있었던 w」


이하, 「」 안.나의 앞의 투고문보다...

「 나는, 학생의 무렵(고교생·대학생의 무렵), 아마 체라체라 하고 있던 일도 있어 w, 연예인·모델 사무소의 사람으로부터 스카우트의 말을 걸칠 수 있고 있었습니다만, 어머니도 여대생때, 일단, 연예인·모델 사무소의 사람으로부터 스카우트의 소리가 나돌고 있었다고 합니다 w(외가의 조부는 온화하고 온화한 성격이었습니다만, 당시 , 어머니에게 그 만큼은 그만두어 줘라고 말하고 있었다고 하고 w, 어머니는, 외가의 조부에 따라서, 끊고 있었다고 합니다).」


「 나의 어머니는, 대학을 졸업한 후, 나의 아버지와 결혼을 할 때까지 OL를 하고 있었습니다.나의 아버지와 어머니가 알게 된 계기는, 두 명모두, 아직 사회인이 되고 나서 얼마 되지 않은 무렵, 영검의 준비 학교에서(어머니는 영검 1급 가지고 있습니다.아버지는 영검 1급은 좌절 했던 w), 어머니가 교실에 다니는 첫날에, 교실에 들어갔을 때에, 이미 착석 하고 있던(그 때 첫 대면의) 아버지의 얼굴을 보고, 한 눈 반한 나의 어머니가, 순간의 판단으로, (아무렇지도 않게인가 무리한가 모릅니다만 w) 아버지의 이웃의 자리에 앉아, 교과서를 잊은 체를 하고, 아버지에게 보이게 해 받은 일입니다.」


이하, 전에 투고로 소개한 동영상입니다.덧붙여서, 나는, DaiGo(멘타리스트)의 이야기의 동영상은, 이 투고로 소개하고 있는 동영상을 포함하고, 거의 거의, 지금까지, kj로 소개하고 있는 것 밖에 보고 있지 않습니다.


외관 레벨이 위의 상대와 교제하는【심리학적 전략】이란→
https://youtu.be/wg1TBItbA40



이하, 「」 안.나의 앞의 투고문보다...

「 나는, 20대의 처음까지는, 실연령보다 위로 보여져 20대의 후반무렵부터는, 실연령보다, 깔볼 수 있게 되어, 그것이, 지금도 계속 되고 있습니다.거기에 관계해도, ( 나의) 어머니로부터의 유전인지도 모릅니다(뭐, 나는, 얼굴은, 어머니보다, 아버지를 닮아 있습니다만...).」


이하, 전에 투고로 소개한 동영상입니다.덧붙여서, IQ가 높은 일은, 연령의 비율의 젊음에도 관계하고 있는 것 같습니다.그 일에 관해서는, 나는, 이하의 동영상의 이야기로 처음으로, 알았습니다.


【개】학교에 가야할 것인가 아닌가, 과학의 결론은→
https://youtu.be/s2O83TMyKaA


덧붙여서, 나는, 개에 대해 관심이 없고, 완전히, 자세하지는 않습니다.


이상, 앞에 간 투고로부터 발췌해 온 것이었습니다.





이하, 「」 안.전의 것(작년(2019년)의 7월의), 다른 분의 투고의 나의 레스보다...





사진은, 차용물.전부터 투고로 쓰고 있습니다만, 근처의 친가의 나의 어머니는, 옛부터(젊은 무렵부터), 자신의 각선미에 자신이 있다답고(지금은 과연 어머니는 이제(벌써) 할머니이므로, 그것은 없다(자신의 각선미에 자신이 있다라고 하는 것은 없다)라고 생각합니다만...덧붙여서, 어머니는, 신장은 163 cm위와 나의 어머니의 세대의 여성으로서는, 생각보다는 높고, 또, 마름의 대식 체질로(덧붙여서 나는 어머니의 마름의 대식 체질을 계승하고 있습니다 w), 나이를 먹어도 변함 없이 야위고 있습니다), 나의 어머니는, 지금은 과연 그것은 하지 않습니다만, 60대의 처음무렵까지는, (물론 캐쥬얼인 복장으로서), 숏팬츠에, 생족으로, 나가는 일도 있었습니다만, 조금 전, 물건을 주어에, 조금 우리 집의 부근의 친가에 들렀을 때에, 어머니는, 가볍게 에어콘을 효과가 있게 한 실내에서, 이와 같은 하프 팬츠 스타일의 실내벌로 등장했던 w(상하와도 이러한 느낌으로, 색 편성도, 세간, 이러한 느낌입니다).



상술한 대로, 어머니는 마름의 대식 체질로( 나는 어머니의 체질을 계승하고 있습니다), 할머니입니다만, 지금도, 이 사진의 여성과 같은 체형을 유지하고 있습니다 w」





이하,/`u」내.전의 나의 투고의 다른 분의 레스에 대한, 나의 레스보다...

「덧붙여서, 나의 어머니는, 운동신경이 좋고, 자동차의 주차등 , 확실히 여성으로서는(라고 말할까 남녀를 불문하고) 능숙합니다만, 자신이 자동차의 운전이 능숙하다고 하는 자신이, 묘하게 높아서 w(지금은, 과연, 이제(벌써) 고령자의 연령에 돌입해, 옛날보다, 자동차의 운전은, 신중하게 되어 있는 것 같습니다 w), 내가 어릴 적부터 중학생·고교생의 무렵, 그것이 고로, 어머니가 운전하는 차를 타는 것은, 조금 무서웠습니다 w(집의 차( 부모님의 차)의 운전은, 동승자(가족(아내·아이))의 일을 염려해, 신중한 안전 운전인 아버지의 운전이, 안심이었습니다 w).

확실히 차의 운전은 능숙합니다만, 차의 운전에 묘하게 자신이 있고, 동승 하는 것이 무섭다고 하는 사람, 특히, 남자에게 있는군요 w 나의 젊은 무렵의 친구중에도, 그러한 남자가, 여러명 있었던 w 그 중의 한 사람으로, 같은 대학에 다니고 있던 대학생 시대의 친구(덧붙여서, 그 친구는 F1를 아주 좋아하고, 국내 개최의 레이스를 반드시 보러 가는 일은 물론의 일, F1를 보기 위해, 일부러 해외에 갈 정도의 F1를 좋아했습니다)로, 부모(친가는 음식점(생각보다는 큰 일식점)을 경영)의 볼보의 스테이션 웨건(당시 , 보르타 `{목의 차종일까 의식해 보지 않았지만, 아마 900 시리즈나 850)을, 잘 꺼내 타고 있던, 남자의 친구가 있었습니다만, 그 친구, 고속도로에서, 따로 날려 모드가 아니고, 보통으로, 150 km에서 160 km위로 달리고 있었습니다(아무리 볼보가 안전하기 때문에라고 말하고, 일본의 고속도로의, 커브의 설계나 교통이 흘러 나와 보통으로 150 km에서 160 km위는, 동승 하고 있고, 조금 무섭지요 w 게다가, 그 친구, 전방의 차와의 차간거리도 짧게 운전하는 타입였고 w).」



이하, 앞에 간 투고로부터 발췌해 온 것입니다.



사진은, 차용물(사진의 작자:160 SX).「Cosmo AP」.「Cosmo AP」는, MAZDA(일본의, 대규모, 자동차 회사의 하나.다만, 대규모 회사로서는, 규모가 작다)가, 1975년에 판매를 개시한, 미들 클래스(중급 class)의 승용차입니다.「Cosmo AP」는, 내가, 어릴 적부터 어릴 적, 친가( 부모님)의, 자동차였습니다.


내가 어릴 적부터 현재에 이르기까지의, (우리 집의 부근의) 나의 친가의( 나의 부모님의), 자동차의 변천은, MAZDA 「Cosmo AP」→Nissan Volkswagen Santana(닛산(nissan) 자동차가, 일본내 시장용으로, 일본내에서 생산하고 있던, 2대째, Volkswagen Passat(Volkswagen Passat (B2))의 자매 자동차.1984년에 판매 개시)→Mercedes-Benz C-Class →Mercedes-Benz E-Class (W211)(현재)(Mercedes-Benz E-Class 중(안)에서는 싼 것입니다)되고 있습니다만, 부모님은, 아직, W211 E-Class를 계속 타고 있고, 현재, 전혀(완전히), 사서 바꾸는 기색을 보이지 않습니다.나의, 가계(가족의 성질)는, 한 번, 자동차를 사면, 매우 길게 타는(타 잡는 정도의, 작정으로 탄다), 가계(가족의 성질)입니다 w( 나도, 나의 남동생도, 그렇습니다).

나의 친가( 부모님)의 자동차의 선택은, 어머니가 주도권을 잡고 있으므로, 나의 어머니는, 상술한 대로, 미하-로 체라체라 한 곳(점)이 있다 그리고 w(현대에 젊은이 시대를 보내고 있으면, 걸이 된 것 같은 생각도 드는 w), Nissan Volkswagen Santana는, 독일차(당시 , 일본에서는, 아마, 아직 독일차의 브랜드력이 높았다)가, 국산의 동클래스의 차와 동일한 정도의 가격으로 살 수 있는, 「럭키!」라고 한 정도의 타기에서 산 것 같은 생각이 드는 w 그 후, 부모님은, Mercedes-Benz C-Class, Mercedes-Benz E-Class와 갈아타고 있습니다만, 벤츠라고 하는 선택은, 어머니의 허세의 부분도 있는 일은, 부정 할 수 없다고 생각하는 w 뭐, ( 나도 그렇습니다만), 부모님은, 휴일에 고속도로를 사용할 기회가 많기 때문에, 그 점에 있고, 독일차라고 하는 선택은, 좋은 것이라고 생각합니다만.

어릴 적, 부모 에 이끌리고, 친가의 코스모로 국내 여행을 했을 때에, 현지의 나보다 연상의(아마 자동차에 흥미가 있다·자동차 좋아하는) 낯선 사내 아이가, 우리 (친가의) 코스모를 보고, 「시나가와 넘버의 코스모, 각기―!」같은 내용의 일을 말해, 그 말이 귀에 남아, 어린 생각에 너무나 없고입니다만, 시나가와 넘버는 브랜드력이 있다 응이다라고 하는 것을 처음으로 인식했던 w


이상, 앞에 간 투고로부터, 발췌해 온 것이었습니다.



이하, 「」 안.작년의 12월 4일에 간, 기본적으로(이 투고에 맞추고, 조금 어레인지하고 있습니다), 나의 투고의 다른 분의 레스에 대한, 나의 레스로부터 발췌해 온 것입니다.


「11월 전반의, 다른 분의 투고에 대하고, 이하 「」 안과 같이 레스 했습니다만...

「덧붙여서 친가의 부모님은, 오랜 세월 타 잡을 생각으로 타 온 W211 벤츠를 사서 바꾸는 일을 검토하고 있는 것 같습니다(벤츠는 어머니의 허세의 부분이 있었다고 생각합니다만, 더이상 벤츠일 필요는 없고, 돈의 낭비이므로, 이번은, 국산의 것을 검토하고 있는 것 같습니다).어느 쪽으로 해도 다시 사들이기를 검토하고 있다고 하는 일은, 부모님은, 아직 당분간, 차의 운전을 계속할 생각인 것 같습니다.」

그 후, 근처의 친가의 부모님과 이야기할 기회가 있었을 때에, 부모님은 사서 바꾸는 차에 관해서, 프리우스도 검토의 선택사항에 넣고 있는 것 같습니다 w 이봐 이봐, 아들의 흉내 보람w

나의 차에 관해서는, 이하의 투고를 참조해 주세요.

하야마(hayama)의 비치(beach) 가의 레스토랑외→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_1/view/id/3319926/page/2?&sfl=membername&stx=nnemon2

뭐, 부모는, 프리우스 산다고 해도, 나와는 다른 색의 물건을 사는 것 같고(덧붙여서, 나는, 지금의 자신의 차(현행 프리우스)의 색은 마음에 듭니다 ), (다양하게 붙은) 나보다 높은 그레이드의 물건을 산다고 생각합니다만.차의 다운사이징에 관해서는, 부모보다, 아이( 나)가 빨랐다고 하는 w」


이하, 「」 안.최근의 다른 분의 투고의 나의 레스로부터 발췌해 온 것입니다.

「우리 집의 부근의 친가의 부모님은, 비교적 최근, 매우 길게 타고 있던 W211 E-Class로부터, 나의 것과 다른 색입니다만, 나와 같은 현행의 프리우스에 사서 바꾸었습니다만(아마 나의 영향을 받았던 w 덧붙여서 차의 다운사이징은 부모님보다 제 쪽이 빨랐습니다), 후부의 디자인이 좋아 지고 나서(좋아 졌다고 하는 것만으로, 결코, 좋아졌다고 하는 것이 아닌 w), 다시 사들이기w」



이하, 「」 안.작년의 12월 4일에 간, 나의 투고의 다른 분의 레스에 대한, 나의 레스로부터 발췌해 온 것입니다.


「덧붙여서, 아버지는, 어머니에게 지지 않고 건강하고, 뭐, 나의 친가는, 원래, 대식의 가계입니다만(덧붙여서, 나는, 어머니의 마름의 대식 체질을 계승하고 있습니다 w 대식이라고 해도 표준보다, 조금 많이 먹는 정도입니다만), 위의 부모님의 차의 사서 바꾸어에 관한 이야기를 들었을 때에, 부모님으로부터 들은 이야기입니다만, 일전에, 부모님이, 부모님과 동년대의 부모님과 친한 친구 부부와 4명으로, 일박 2일의 온천 여행하러 갔을 때에, 그 부모님의 친구 부부는, 온천숙소의 아침 식사 바이킹으로, 아버지가, (아마 적지않은) 달걀 볶음과 함께, 달걀 후라이(2개)와 온천 계란 2개와는 있는 것을 보고, 놀라고 있었다고 했던 w 덧붙여서, 그 부모님의 친구표`v아내의 남편은, 음식이 가늘어서, 나의 아버지의 3분의 1 정도 밖에 먹지 않는 것 같습니다(해~깨지 않는 타입의 체질인지도 모릅니다).


이하 「」.부모님을 동반하고, 나와 부모님의 3명으로, 하코네의 후지야 호텔에 묵었을 때의 투고로부터 발췌해 온 것w

「이 날의 아침 식사는, 부모님의 희망으로( 부모님이, 바이킹(buffet)이, 좋다고 한 때문), 후지야(fujiya) 호텔의, 주식당(main dining room)의 건물에 들어가 있는, 후지야(fujiya) 호텔의, 캐쥬얼(casual)인 분위기의, 양식·서양 요리 레스토랑의, 아침 식사 바이킹(buffet)으로 먹었습니다.」」




덧붙여서, 나의 부친은(신장은, 177 cm로 나의 부친의 세대으로서는, 키가 큰 분입니다), 중년이 된 이후, 그 나름대로 고기가 붙었습니다만, (연령에 비해, 비교적, 많이 먹지만), 별로, 살쪄 있다고 할 정도가 아니고, 동세대의 남성의 표준적인, 체형이라고 한 느낌입니다( 나의 아버지는, 젊은 무렵은, 야위고 있었습니다).덧붙여서, 상술한 대로, 나는, 어머니의 마름의 대식 체질(대식이라고 해도 표준보다, 조금 많이 먹는 정도입니다만)을 계승했습니다.


나의 부모님 및 나의 부모님의 자동차에 관해서, 이하의 투고를 참조해 주세요.

애니메이션의 테마곡외 1→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3589006/page/32?&sfl=membername&stx=nnemon2
오즈 야스지로 영화 「만춘」외→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_2/view/id/3580708/page/3?&sfl=membername&stx=nnemon2





이하의 투고의 계속입니다.

1878년부터의 역사를 가지는 리조트 호텔 1→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3758985?&sfl=membername&stx=nnemon2
1878년부터의 역사를 가지는 리조트 호텔 2→

https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3758984?&sfl=membername&stx=nnemon2
1878년부터의 역사를 가지는 리조트 호텔 3→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3758982?&sfl=membername&stx=nnemon2
1878년부터의 역사를 가지는 리조트 호텔 4→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3758981?&sfl=membername&stx=nnemon2



이하, 기본적으로는(참고의 투고를 더하는 등 하고 있습니다), 2016년의 12월에 간 투고의 재게로, 2016년의 2월의 마지막에, 부모님을 동반하고, 하코네(hakone)의, 후지야(fujiya) 호텔에 숙박해 왔을 때의 물건입니다.투고문은, 2016년 12월의 투고를 전제로 하고 있습니다.덧붙여서, 그 때의, 부모님의, 후지야(fujiya) 호텔의 인상이 좋았던 것 같아서, 부모님은, 그 때부터 지금까지, 2회, 부부로, 후지야(fujiya) 호텔에 숙박하고 있는 님입니다.


있다 정도, 전의 일입니다만, 2월의 마지막에, 부모님을 동반하고, 하코네(hakone)의, 후지야(fujiya) 호텔에 숙박해 왔을 때의 물건입니다.


나의 2세 연하의 남동생(도쿄의 서부 교외에 살고 있습니다)은, 이미, 결혼하고, 아이가 있고, 지금은, 육아에 바쁘기 때문에, 지금 단계, 이렇게 말하는 역할은, 나라고 하는 것으로...


실은, 작년의 12 월초에, 부모님을 동반하고, 하코네(hakone)의, 만취루후쿠스미(bansuiro fukuzumi)라고 말하는, 온천 여관에 숙박해 왔을 때에, 기세로, 부모님에게, 이번, 후지야(fujiya) 호텔에 데리고 간다고 해 버린 일이, 이 때의, 부모님을 동반한, 후지야(fujiya) 호텔의 숙박에, 연결되었던 w(지금부터, 약간, 당분간의 사이는, 부모님을 동반하고 여행하러 갈지 어떨지는, 잘 모릅니다 w).


(이 때, 저희들이 숙박한) 후지야(fujiya) 호텔은, 나는, 이 때를, 포함해 6회, 숙박하고 있는(이 때, (우리 집의 부근의 나의 친가의) 부모님을 동반하고, 하코네(hakone)의, 후지야(fujiya) 호텔에 숙박해 왔을 때의, 1회를 제외해, (나머지의 5회는), 모두, couple(여성과 2명)로 숙박하고 있습니다).후지야(fujiya) 호텔은, 꽃저택(hanagoten), 서양관, 본관에 숙박한 일이 있어요.또, 국화장(kikkaso)(숙박도 가능)는, 숙박은 한 일이 없습니다만, 식사는 한 일이 있어요(그 때는, 후지야(fujiya) 호텔에 숙박하지 않고, 식사만 했다).


(죽은) 나의 외가의 조부모는, 후지야(fujiya) 호텔에 숙박한 일이 있었습니다만(외가의 조부모는 부부로 숙박한 일이 있어, 외가의 조모에 관해서는, 결혼전(어릴 적을 포함한다) , 외가의 조모의 가족이라도 숙박한 일 있어), 나의 어머니는, 그 때까지, 후지야(fujiya) 호텔에 숙박한 일이 없었습니다.또, 나의 아버지는, 그 때까지, 후지야(fujiya) 호텔은, 회사의 연수로, 한 번, 숙박한 일이 있었습니다만, 개인적인 여행으로 숙박한 것은 아니기 때문에, 후지야(fujiya) 호텔의 분위기를, 천천히 맛보는 일은, 완전히, 할 수 없었다고 합니다.그 님일로부터, 작년의 12 월초에, 부모님을 동반하고, 하코네(hakone)의, 만취루 후쿠스미(bansuiro fukuzumi)라고 말하는, 온천 여관에 숙박해 왔을 때에(그 때, 부모님과 여행한 것은, 매우 오래간만이었습니다), 탄력으로(기세로), 부모님에게, 이번, 후지야(fujiya) 호텔에 데리고 간다고 해 버린 일이, 이 때의, 부모님을 동반한, 후지야(fujiya) 호텔의 숙박에 연결되었던 w 


덧붙여서, 상기의, 나의, 부모님을 동반한, 만취루후쿠스미(bansuiro fukuzumi)에 숙박한 여행, 및, 이 때의, 후지야(fujiya) 호텔에 숙박한 여행의, 숙박비, 식사비등은, 부모님의 몫을 포함하고, 모두, 내가 지불하고 있습니다.




나의 외가의 조부에 관해서는, 이하의 2개의 투고를 참조해 주세요.

기생(geisha)·조부의 화외( 나의 아버지 쪽의 조부의 이야기도 포함합니다)→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3658686/page/19?&sfl=membername&stx=nnemon2
구아사카궁(asakanomiya) 저외→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3658681/page/19?&sfl=membername&stx=nnemon2
오즈 야스지로 영화 「만춘」외(참고의 투고·관련 투고)→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_2/view/id/3580708/page/3?&sfl=membername&stx=nnemon2

나의 외가의 조모에 관해서는, 이하의 투고를 참조해 주세요.

외가의 조모의 이야기→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3658687/page/19?&sfl=membername&stx=nnemon2




후지야(fujiya) 호텔은, 하코네(hakone)를 대표하는, 고급 resort 호텔의 하나입니다.후지야(fujiya) 호텔은, 전신의 온천 여관 시대도 포함하면(16 세기 후반에는, 한국에서는 악명이 높은(나쁜 의미로 유명한), 도요토미 히데요시(toyotomi hideyoshi)도 숙박했습니다), 14 세기말로부터의(600년 이상의) 역사를 가지는(근대적인 리조트(resort) 호텔로 바뀌고 나서의 역사는, 1878년부터), 하코네(hakone)를 대표하는 고급 리조트(resort) 호텔입니다(후지야(fujiya) 호텔은, 하코네(hakone)의 센고쿠바라(sengokuhara) 지구에, 하코네(hakone)에서, 가장 오래된 역사를 가지는(자세하지 않습니다만, 적어도, 현재 영업되고 있는 하코네(hakone)의 골프장(golf course) 중(안)에서는, 가장 낡다), 골프장(golf course)(1917년 개업)도 가지고 있습니다).후지야(fujiya) 호텔은, 제2차 세계대전전에는, 일본내 뿐만 아니라, (일본 이외의) 동쪽·동남아시아 거주의 구미인 부유층의 사이에서도, 동양 유수한 리조트(resort) 호텔로서 알려져 있었습니다.후지야(fujiya) 호텔에는, 지금까지, 손문(Sun Yat-sen)(일본에 2도, 망명해, 망명중은, 일본의, 실업가등으로부터 지원을 받고, 유복한 생활을 하고 있던), 찰리·채플린(Charlie Chaplin), 프랭크·로이드·라이트(Frank Lloyd Wright), 헬렌·켈러(Helen Keller), 존·레넌(John Lennon)·오노 요코(ono yoko) 부부등 , 세계적인 저명인도 방문하고 있습니다.



이하, 「1878년부터의 역사를 가지는 리조트 호텔 4」로부터의 계속으로, 이 때의 2일째(이하, 이 날이라고 씁니다)부터입니다.이 때는, 여행이라고 말하는 것보다인가는, 후지야(fujiya) 호텔에 숙박하는 일을 목적으로 하고, 하코네(hakone)를 방문했다고 말한 느낌이었습니다.덧붙여서, 이 때의 첫날은, 나는, 자신의 자동차로, 부모님 쇼난(syonan) area의 별장에 가(덧붙여서, 이 다음날, 쇼난(syonan) area의 전철역에서, (자신의 자동차로) 그녀를 줍고, 그녀와 쇼난(syonan)을 drive 할 예정이었습니다), 부모님 쇼난(syonan) area의 별장에서, 부모님과 함께, 점심 식사를 먹은 후 (이 때는, 부모님은, 쇼난(syonan)의 별장(분)편에, 체제중이었습니다), 부모님 쇼난(syonan) area의 별장에, 자신의 자동차를 두어, 부모님의 자동차(W211 E-Class)로( 부모님의 자동차에, 부모님을 태우고), 하코네(hakone)의, 후지야(fujiya) 호텔로 향했습니다.


나의 자동차에 관해서는, 이하의 투고를 참조해 주세요.

하야마(hayama)의 비치(beach) 가의 레스토랑외→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_1/view/id/3319926/page/2?&sfl=membername&stx=nnemon2



덧붙여서, 부모님은, 우리 집(도쿄도심부의 서부의 조용하고 침착한 주택지에 위치하고 있습니다)의 부근의 나의 친가(원래, 외가의 조부모의 집.현재는, 부모님이 계승하며 살고 있다)에 살고 있습니다만, 18년 정도전에, 쇼난(syonan) area 에, 아버지가 일을 은퇴하면 살기 때문에(위해)의 별장(별장이라고는 해도, 전형적인 별장이 아니고, 보통 독립주택입니다)을, 신축으로, 구입했습니다.아버지가, 반, 정년퇴직 상태가 되고 나서는(아버지는, 회사원으로, 어머니는, 아버지와 결혼하고 나서, 쭉 주부를 하고 있습니다), 부모님은, 기본적으로, 일주일간 중의, 반을, 도쿄도심부의 우리 집의 부근의 친가(원래, 외가의 조부모의 집.나의 어머니에게 있어서는, 원래 부모님의 집.덧붙여서, 어머니는, 독자입니다), 이제(벌써) 반을, 보양과 기분 전환에, 쇼난(syonan) area의 별장에서 보내고 있습니다.지금 단계, 도시에서의 생활이 버리기 어렵게(뭐, 쇼난(syonan) area도, 자동차 생활권에서 보면, 충분히 도시라고 생각합니다만), 도쿄도심부의 집(우리 집의 부근의 나의 친가) 및 근처( 나의 거리)에 애착이 있다(특히, 어머니에게 있어서는, 태어나 자란 집과 거리이므로...) 일등으로부터, 부모님은, 아버지가 완전하게 정년퇴직해도, 기본적으로, 일주일간 중의 반을, 도쿄도심부의 집(우리 집의 부근의 나의 친가), 이제(벌써) 반을, 기분 전환에, 쇼난(syonan) area의 별장에서 보낸다고 하는 생활은, 계속할 생각이라고 합니다.




이 때, 저희들은, 후지야(fujiya) 호텔의 서양관에 숙박했습니다.?`아때, 후지야(fujiya) 호텔의 서양관과 꽃저택(hanagoten), 어느 쪽으로 숙박할까하고 헤매었습니다만, 이 때, 후지야(fujiya) 호텔에 숙박해, 부모님이, 후지야(fujiya) 호텔이 좋다고 했더니, 부모님만으로, 천천히, 후지야(fujiya) 호텔의, 꽃저택(hanagoten)에 숙박하러 가면 좋을까라고 생각해, 이 때는, 서양관에 숙박하는 일로 했습니다.덧붙여서, 서양관은, 내가 처음으로, 후지야(fujiya) 호텔에 숙박했을 때에, 숙박한 건물입니다.후지야(fujiya) 호텔의, 서양관에 관해서는, 「1878년부터의 역사를 가지는 리조트 호텔 3」을, 참조해 주세요.


꽃저택(hanagoten)에 관해서는, 이하의 투고를, 참조해 주세요.

하코네 후지야 호텔꽃저택외 →
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3758718?&sfl=membername&stx=nnemon2



사진 이하 2매.이 날의 아침, 객실(이 때, 저희들이, 숙박한 객실)의, 창으로부터 바라본, 후지야(fujiya) 호텔의 본관의 건물.후지야(fujiya) 호텔의 본관의 건물은, 1891년에 지어진 건물에서, 주로, 로비(Lobby)와 객실로서 사용되고 있습니다.후지야(fujiya) 호텔의 현관의 역할을 이루어 있는 건물임과 동시에, 현재, 숙박 가능한 후지야(fujiya) 호텔 건물 중(안)에서는, 가장 낡은 건물이 되고 있습니다.












사진 이하 3매.후지야(fujiya) 호텔의 건물의 복도의 예.이 근처는, 아마, 후지야(fujiya) 호텔의, 주식당(main dining room)의 건물이 지어졌을 때와 같이, 1930년경에 지어졌다고 생각됩니다.덧붙여서, 후지야(fujiya) 호텔의, 주식당(main dining room)의 건물은, 후지야(fujiya) 호텔의, 주식당(main dining room)의 건물이 지어진 당시의, 후지야(fujiya) 호텔의 경영자인, 후지야(fujiya) 호텔의, 실질적인 2대째의 경영자, 야마구치 쇼우조우(yamaguchi shozo)( 「1878년부터의 역사를 가지는 리조트 호텔 1」을, 참조 )의 태어난 고향인, 닛코(nikko)의, 토쇼궁(toshogu) 등을 이미지 한 것이 되고 있습니다.














이 고양이의 조각은, 닛코(nikko)의, 토쇼궁(toshogu)의, 잠 고양이(자고 있는 고양이)의, 조각을 이미지 한 것이다고 생각합니다.

토쇼궁(toshogu)의, 잠 고양이(자고 있는 고양이)에 관해서는, 이하의 투고를, 참조해 주세요.

닛코 토쇼궁과 온천 여관 2→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3724101/page/9?&sfl=membername&stx=nnemon2




사진 이하 5매.후지야(fujiya) 호텔의, 연회장(party 회장)의 캐스케이드 룸(cascade room)(원래는, ballroom라고 해도, 사용되고 있었다.1920년 완성).


























이 날의 아침 식사는, 부모님의 희망으로( 부모님이, 바이킹(buffet)이, 좋다고 한 때문), 후지야(fujiya) 호텔의, 주식당(main dining room)의 건물에 들어가 있는, 후지야(fujiya) 호텔의, 캐쥬얼(casual)인 분위기의, 양식·서양 요리 레스토랑의, 아침 식사 바이킹(buffet)으로 먹었습니다.후지야(fujiya) 호텔의, 주식당(main dining room)의 건물은, 1930년에 지어진 건물에서, 주로, 주식당(main dining room)의 건물로서 사용되고 있습니다만(주식당(main dining room)에 대해서는, 「1878년부터의 역사를 가지는 리조트 호텔 4 」를 참조해 주세요), 주식당(main dining room) 외, 캐쥬얼(casual)인 분위기의, 양식·서양 요리 레스토랑과 바(bar)가 들어가 있습니다.


사진 이하 4매.이것으로, 모두가 아닙니다만, 이 때, 내가, 후지야(fujiya) 호텔의, 캐쥬얼(casual)인 분위기의, 양식·서양 요리 레스토랑의, 아침 식사 바이킹(buffet)으로 먹은 것.이 외, 빵, 사라다(salad), 요구르트(yogurt)를 먹었습니다.





이러한, 세세한 음식은, 이제(벌써) 일명, 한 그릇 더 해 먹었습니다.





오믈렛(omelette).오믈렛(omelette)은, 실연 방식(바이킹(buffet)에 대하고, 미리 만든 것을 놓아두는 것이 아니라, 콕(cook) 등이, 그 자리에서, 요리를 만드는 형식)이 되고 있습니다.




좌측, 카레(curry).



















화장실(washroom).










사진 이하.아침 식사를 먹은 다음은, 후지야(fujiya) 호텔의 뜰등을, 산책했습니다.후지야(fujiya) 호텔의 전체상에 대해서는, 「1878년부터의 역사를 가지는 리조트 호텔 3」을 참조해 주세요.









온천의 열을 이용한 온실.옛날, 후지야(fujiya) 호텔의 뜰의 온실에서는, 악어(악)를 기르고 있던 일이 있다 그렇습니다.그, 악어(악)는, 후지야(fujiya) 호텔에, 자주(잘) 숙박하고 있었다(아마...), 일본의 정치가(무명의(유명하지 않다) 정치가입니다)가, 1948년에, 해외 여행을 했을 때에, 일본에 가지고 돌아간, 악어(악)를, 후지야(fujiya) 호텔에 기증한 것으로, 후지야(fujiya) 호텔의 뜰의 온실에서 사육되어 숙박객의 인기를 끌었습니다만, 그 악이, 2 m 근처까지 성장한 때문, 후지야(fujiya) 호텔은, 안전성을 생각하고, 1951년에, 그 악어(악)를, 우에노(ueno) 동물원(도쿄의 도심부에 있다.도쿄를 대표하는 동물원의 하나)에, 기증했습니다.그 때, 답례에, 우에노(ueno) 동물원으로부터, 후지야(fujiya) 호텔에, 공작이 주어져 역시 숙박객의, 인기를 끌었습니다.




1878년부터의 역사를 가지는 리조트 호텔 6에 계속 된다...


「1878년부터의 역사를 가지는 리조트 호텔 6」은, 이하입니다.


1878년부터의 역사를 가지는 리조트 호텔 6→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3758979?&sfl=membername&stx=nnemon2



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