食べ物

 

 

昨日は、土曜日ですが、仕事でした(前日の金曜日に代休を取ったけど。。。)。日々の食事の断片と言った感じの投稿です。

 

5以上の大学及び、多くの専門学校、予備校(大学受験準備学校)が集まる、神田(kanda)・御茶ノ水(ochanomizu)area(東京中心部の中でも、さらに中心近くに位置する)は、古くからの学生街で有ると供に、東京最大の学生街となっています。神田(kanda)・御茶ノ水(ochanomizu)areaは、世界最大の書店街、古本屋街で有る神保町(jinboucho)、sports用品店街で有る小川町(ogawamachi)、楽器店街で有る御茶ノ水(ochanomizu)と言った、個性的な街を有しています。

 

写真以下4枚。先々週の木曜日の夕食。先々週の木曜日は、仕事の外回りを終えた後、神保町(jinboucho)に有る、1909年からの歴史を有する、洋食屋・beer hallで、仕事を終えた後の一杯と、夕食を、一人で取りました。この洋食屋・beer hallは、今回、初めて利用しました。もう、私も、おじさんの年齢ですが、この店の客は、学生や20代と思われる人々は、あまりいなく、私の目から見ても、おじさんと思える人々(私の親の世代、所謂中高年(50代から70代位)の男性)が、多い感じがしました。もっとも、第二次世界大戦前は、この店の主たる客層は、学生だった様ですが。。。

 

仕事を終えての一杯。レーベンブロイ(Lowenbrau)の生ビール。一杯とは言いつつ、もう一杯飲みました。

 

 

メンチカツ(コロッケの様な食べ物だが、中身は、ポテト(potato)では無く、主に牛肉の挽肉。日本で、よく食べられている、大衆的な食べ物・おかずの内の一つ)。美味しかったです。

 

 

メンチカツ。断面図。こう言う外食の食べ物の断面図とか、撮影し慣れていなくて、しかも、(撮影するのが)ちょっと気恥ずかしくて(彼女と一緒の時ならば、まだ、少しは、マシだが、一人だと、余計気恥ずかしい。。)、ちょっと慌ててしまって。。。キャベツ(cabbage)が、ちょっと上に載ったまま撮影してしまったりして、綺麗では無く、美味しそうにも見えない写真になってしまいましたw。

 

 

ビーフパイ(beef pie)。中身(具)は、今一つだったけど、衣(皮)は、とても美味しかったです。

 

 

 

 

店内で撮影するのが、恥ずかしくて、家に1枚、持ち帰り撮影した、この店の紙ナプキン(napkin)。何か、ロゴ(logo)が、学生街に有る店と言った感じですね。

 

 

食べ物を待つ間、手持ち無沙汰にしていたら、この店の、女主人らしき人が、これでも読みますか?と持って来てくれた本。「本の街」と言う、この店がある街の月刊文化情報誌です。ちなみに、この店が有る神保町(jinboucho)は、世界最大の書店街、古本屋街となっています。

 

以下、翌日(先々週の金曜日)の話と食事。

 

私は、子供の頃、博物館が好きで、国立科学博物館や、交通博物館、科学技術館に、よく行きました(幼い時は、親に連れて行って貰ったが、小学校4年生頃からは、同じ興味を持つ友達(達)と、小学生だけで行く様になった。中学生になってからは、ほとんど行かなくなりましたが。。。)。東京の渋谷(shibuya)(渋谷(shibuya)区最大の繁華街で有ると供に、銀座(ginza)・有楽町(yurakucho)、新宿と並ぶ、東京最大級の繁華街の内の一つ)に有る、煙草と塩の博物館は、日本煙草産業株式会社(JT)(日本唯一の煙草会社で有り、世界有数の煙草会社でも有る)が運営する、煙草と塩に関する専門博物館です。煙草の博物館なんて言うと、大人向けの博物館と言うイメージを持たれるかもしれませんが、博物館好きの、子供の好奇心も満たす様な展示となっています。私は、前述の通り博物館好きの子供だったので、子供の頃、煙草と塩の博物館にも行きました(もっとも、やはり、国立科学博物館、交通博物館、科学技術館に比べて、相対的に、つまらなかったのか、この3つの博物館とは違って、頻繁には行きませんでしたが。。。)。

 

写真以下7枚。先々週の金曜日、仕事の外回り中に出来た、ちょっとした空き時間を利用して、とても久々に(おそらく、小学校卒業以来初めて)、煙草と塩の博物館に入館してみました。昔は、確か入館は、無料だった気がしますが、現在は、わずかばかりですが入館料を取られました。

 

写真以下3枚。煙草と塩の博物館の外観。

 

 

 

 

 

 

 

煙草と塩の博物館で、この時行われていた、「カフェ(cafe)と煙草 にみるウィーン(Vienna)の文化史」の展覧会(exhibition)を見て来ました。皇帝を始めとした、オーストリア(Austria)の上流階級の煙草用品や、1873年のウィーン(Vienna)万国博覧会(Expo)の展示用に制作された、装飾品としての煙草用品等、多くの、芸術品とも言える、煙草用品が展示されていました。

 

 

煙草と塩の博物館の常設展示の中から。18世紀頃の、日本の都市部の、小さな、家族経営の煙草屋の、煙草製造作業風景の展示(お使いの少女が、煙草を買いに来ています)。

 

写真以下2枚。今回、煙草と塩の博物館で購入した絵葉書。

 

鈴木 春信(suzuki harunobu)(1725年?生まれ。1770年に亡くなる。Edo時代(17世紀初めから19世紀半ば)の有名な、浮世絵(庶民や都市中流層の風俗を描いた、(上流階級や特権階級では無い)一般大衆向けの日本画)の画家。町娘(都市部の一般女性。特に中流以上の商人の娘?)や遊女(売春婦)等、多くの都市部の美女を描いた)の作品、「真乳山の暮雪」(1764年から1772年頃)。18世紀頃から19世紀半ば頃は(この頃は、煙草が一般大衆にも普及した)、浮世絵等で、この頃に、煙草を吸っていたとイメージされる商家(商人の家)の女性や遊女(売春婦)のみならず、広く女性が煙草を吸う事に対して、その後、日本が近代化を急速に押し進めた時代(19世紀後半以降)よりも、ずっと寛容だった様です。

 

 

煙草。「みのり」のポスター(poster)。1930年。杉浦 非水(sugiura hisui)(1876年生まれ。1965年に亡くなる。特に、1910年代から1930年代に活躍。近代日本を代表するグラフィックデザイナー(Graphic designer)の一人)の作品です。

ちなみに、私は、もう禁煙してから、相当経ちます。よく、冗談で、20歳(日本で、法的に煙草を吸う事が許される最低年齢)で禁煙したと言っていますがw、実際は、20代の初め頃まで、煙草を吸っていました。高〇生の頃は、Marlboro又はMarlboro  Lightsを、大学生の頃は、Marlboro・Marlboro Lights(大学生の初めの頃まで)、Gitanes(紅の豚好きの友人に影響されたw)、Parliamentを、主に吸っていました。Parliamentは、何か、大人の煙草のイメージが有り、大人ぶりたいから吸っていました。ちなみに、この頃、想定していた大人(20代の終り位)の年齢を越えて、30代半ばに突入してしまった現在(観光地の売店のおばさん等に、お兄さんと言われると、まだ大丈夫だなと、少し嬉しくなる、お年頃w)においては、むしろ、気取りや、格好付けを棄て、子供っぽい部分も多々有るw素の自分を、正直に出している為、今の彼女からは、昔は、クールな男を気取っていたなんで、信じられないと、よく言われますw。また、高〇生の頃は、悪ぶりたいから煙草を吸っていただけで有り(もっとも、勉強は、しませんでしたが、親と学校の先生の前では、至って優等生に映る様にしていましたw)、大学生の頃は、自分は、話術(会話)が、得意では無いと思っていたので(まあ、今でも、あまり得意でないと思いますが)、clubや、bar、居酒屋、pub等で、友人や、彼女、その場で知り合った人達等と、会話をする時の合間に出来る間を繋ぐ為に吸っていたので(すなわち煙草中毒と言う訳では無かったので)、止めようと思ったら、すんなりと一切止める事が出来ました(煙草を吸っていた時も、全く吸わない日も、結構有った。自分は、結構、何にでも、それ程、のめり込まない性格だと思います)。

 

 

同日(先々週の金曜日)、渋谷(shibuya)で、仕事の外回り中の空き時間に、tapas&tapasで食べた昼食。渡り蟹のトマトクリーム(tomato cream)スパゲッティ(spaghetti)。tapas&tapasは、パスタ(pasta)を中心としたメニュー(menu)構成の、南欧料理レストランのchain店です(値段を抑えた、学生から20代向けのレストランchain店と言った感じです。したがって、大人が落ち着いて食事をする店と言った感じでは無く、店内は、若者達(特に、女の子達)の、しゃべり声で、うるさいw)。私は、tapas&tapasは、高校生から大学生の初めの頃、よく利用していましたが、しばらく足が遠のいていた(利用しなかった)期間を経て、近年、再び利用する様になりました。近年は、ほとんど一人で利用しています(仕事の、外回り中の食事で、時々利用すると言った感じ)。tapas&tapasの渡り蟹のトマトクリーム(tomato cream)スパゲッティ(spaghetti)は、値段の割りに、すこぶる美味しいです(近年は、tapas&tapasでは、渡り蟹のトマトクリーム(tomato cream)スパゲッティ(spaghetti)ばかり食べている気がする。。。)。

 

写真以下4枚。同日(先々週の金曜日)、我が家で食べた夕食。これに、ご飯(rice)で食べました。

 

写真以下3枚。お気に入りで、時々、主として持ち帰り(take-out)で利用する、隣り街の中国料理食堂の、おかずです。この中国料理食堂の、おかずは、前にkjでアップ(upload)した事が有ります。

 

鶏肉。この中国料理食堂の鶏肉は、美味しいです(私の、お気に入り)。

 

 

麻婆豆腐(mapo doufu)。

 

 

少し食べてしまってから撮影しましたが、鶏肉(皿に盛った図)。写真右、お好みで、付属の、ケチャップ(tomato ketchup)と、焼き塩・胡椒を付けて食べます。

 

枝豆。

 

 

以下、適当な、おまけ。

 

写真以下3枚。私は、朝食で、通常、3種類位の果物を食べていますが、写真以下3枚は、先々週の金曜日時点で、我が家に有った林檎です。

 

東北地方の岩手(iwate)県特産の林檎、黄太郎(kitarou)。フジ(fuji)(日本で、最も、一般的に、好まれて、食べられている林檎)よりも、美味しいかも。。。

 

 

これは、北海道(hokkaido)、青森(aomori)県等で、栽培されている林檎、紅将軍。

 

これは、陽光(youkou)だったかな。。。

 

 

仕事から帰って来てからの1杯用ビール。写真左と真ん中は、suntory(日本の大手(major)ウイスキー(whisky)会社の一つで有ると供に、日本の大手(major)ビール会社の一つ。1899年創業。大阪に本社を置き、大阪を基盤とした全国的企業)のビール。ちなみに、suntory は、同族経営(Family business)の大規模会社で有り、オーナー(owner)一族は、日本有数の金持ちです。写真右は、sapporo(日本の大手(major)ビール会社の一つ。1876年、北海道の札幌(sapporo)市で創業)のビール。仕事から帰って来てからの1杯は、ビールが多いです。

 

 

は、高校生から大学生の始めの頃まで、友人の影響を受けて、村上 春樹(murakami haruki)の小説に、嵌っていました。特に、「風の歌を聴け(Hear the Wind Sing)」、「1973年のピンボール(Pinball,1973)」、「ノルウェイの森(Norwegian Wood)」が大好きで、何度も、読んでいました(ちなみに、村上 春樹(murakami haruki)の作品は、「国境の南、太陽の西(South of the Border,West of the Sun)」を読んでいた時、途中で、つまらなくて、読むのも止めてしまった事をきっかけとして、国境の南、太陽の西(South of the Border,West of the Sun)以降に発表された作品は、基本的に読んでいません)。

 

村上 春樹(murakami haruki)の小説に嵌っていた頃保有していた、「1973年のピンボール(Pinball,1973)」の文庫本。保有していた、村上 春樹(murakami haruki)の本は、ほとんど処分してしまいましたが、何故か、この「1973年のピンボール(Pinball,1973)」だけ残っていました。所有していた、村上 春樹(murakami haruki)の長編小説の本は、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド(Hard-Boild Wonderland and the End of the World)」を除けば、基本的に文庫本でした(「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド(Hard-Boild Wonderland and the End of the World)」については、ちゃんとした本)。(村上 春樹(murakami haruki)の)短編集に関しては、図書館で借りて読んでいました。ちなみに、(日本では)文庫本は、一般的に、小さなサイズ(size)で、簡素な装丁の替わりに、安い値段で、販売されている本の事を言います。文庫本は、元来(第2次世界大戦前)は、安い値段で、文学作品を市場に大量に供給する事により、文学を一般大衆へ普及させる事を志として発刊されていた物ですが、安価で、小さなサイズ(size)で持ち歩くのに便利な文庫本(電車、バス(bus)、飛行機等の中で、読むのに便利)は、現在でも多くの人々に読まれており、現在でも、多くの数の文庫本が、出版され続けていると供に、書店(本屋)の、文庫本売場には、たくさんの文学作品・小説の文庫本が並んでいます。日本では、一般的に、文庫本も含めて、本は、きれいなカバー(jacket)に包まれて売られているのですが、私は、元来、本を、あまり大事に扱わないので(読まないと言うよりも、逆に、よく読んでいたが故に。。)、上の「1973年のピンボール(Pinball,1973)」は、残っていたとは言っても、カバー(jacket)を無くしてしまっていました。

 

ちなみに、働くようになってから、「ねじまき鳥のクロニクル(The Wind-up Bird Chronicle)」を買いましたが(文庫本ではなく、ちゃんとした本)、つまらないと言う印象は無かったと思いますが、多忙だった事により、途中まで読んで止めてしまいました(この本も、おそらく処分してしまったと思うけど、もしかしたら、我が家の近所の実家の何処かに眠っているかも。。。)。多忙な時期が長く(働き過ぎが原因で、精神に少し異常をきたし、カウンセリング(counseling)に通っていた事も有る)、本(特に文学)を、ほとんど読まなくなり、近年は、収入は、そこそこでも、仕事の量は抑えて、時間的なゆとりを持つ様にしていますが(小さな個人事業を営んでいます)、本(特に文学)を読まない癖が付いたまま、現在まで至っています。 


적당하게 식사.

 

 

어제는, 토요일입니다만, 일이었습니다(전날의 금요일에 대휴를 취했지만...).나날의 식사의 단편이라고 한 느낌의 투고입니다.

 

5이상의 대학 및, 많은 전문학교, 예비학교(대학 수험 준비 학교)가 모이는, 칸다(kanda)·오차노미즈(ochanomizu) area(도쿄 중심부안에서도, 한층 더 중심 근처에 위치한다)는, 옛부터의 학생거리에서 있으면 보조자에, 도쿄 최대의 학생거리가 되고 있습니다.칸다(kanda)·오차노미즈(ochanomizu) area는, 세계 최대의 서점거리, 헌책방거리에서 있는 짐보우쵸(jinboucho), sports 용품점거리에서 있는 오가와마치(ogawamachi), 악기점 거리에서 있는 오차노미즈(ochanomizu)라고 말한, 개성적인 거리를 가지고 있습니다.

 

사진 이하 4매.앞으로주의 목요일의 저녁 식사.앞으로주의 목요일은, 일의 부근을 끝낸 후, 짐보우쵸(jinboucho)에 있는, 1909년부터의 역사를 가지는, 양식가게·beer hall로, 일을 끝낸 후의 한 잔과 저녁 식사를, 혼자서 취했습니다.이 양식가게·beer hall는, 이번, 처음으로 이용했습니다.이제(벌써), 나도, 아저씨의 연령입니다만, 이 가게의 손님은, 학생이나 20대라고 생각되는 사람들은, 별로 없고, 나의 눈에서 봐도, 아저씨라고 생각되는 사람들( 나의 부모의 세대, 소위 중노년(50대에서 70 대위)의 남성)이, 많은 느낌이 들었습니다.무엇보다, 제이차 세계대전전은, 이 가게의 주된 손님층은, 학생이었다 같습니다만...

 

일을 끝낸 한 잔.레이벤브로이(Lowenbrau)의 생맥주.가득하다고는 말하면서, 한잔 더 마셨습니다.

 

 

멘치카트(고로케의 같은 음식이지만, 내용은, 포테이토(potato)는 아니고, 주로 쇠고기의 (기계로)간 고기.일본에서, 잘 먹을 수 있고 있는, 대중적인 음식·반찬 중의 하나).맛있었습니다.

 

 

멘치카트.단면도.이렇게 말하는 외식의 음식의 단면도라든지, 촬영 숙달되고 않고, 게다가, (촬영하는 것이) 조금 부끄러워서(그녀와 함께의 때라면, 아직, 조금은, 좋지만, 한 명이라고, 더 부끄럽다..), 조금 당황해 버려...양배추(cabbage)가, 조금 위에 실린 채로 촬영해 버리거나 하고, 깨끗하지 않고, 맛있을 것 같게도 안보이는 사진이 되어 버렸던 w.

 

 

비프 파이(beef pie).내용(도구)은, 좀 더였지만, 옷(가죽)은, 매우 맛있었습니다.

 

 

 

 

점내에서 촬영하는 것이, 부끄러워서, 집에 1매, 포장판매 촬영한, 이 가게의 종이 냅킨(napkin).무엇인가, 로고(logo)가, 학생거리에 있는 가게라고 한 느낌이군요.

 

 

음식을 기다리는 동안, 할 일이 없는 상태로 하고 있으면, 이 가게의, 여주인인 같은 사람이, 이것이라도 읽습니까?(와)과 가져 와 준 책.「책의 거리」라고 하는, 이 가게가 있는 거리의 월간 문화 정보지입니다.덧붙여서, 이 가게가 있는 짐보우쵸(jinboucho)는, 세계 최대의 서점거리, 헌책방거리가 되고 있습니다.

 

이하, 다음날(앞으로주의 금요일)의 이야기와 식사.

 

나는, 어릴 적, 박물관을 좋아하고, 국립 과학박물관이나, 교통 박물관, 과학기술관에, 자주 갔던(어릴 때는, 부모에게 데려서 가서 받았지만, 초등학교 4 학년무렵부터는, 같은 흥미를 가지는 친구(들)와 초등 학생만으로 가는 것처럼 되었다.중학생이 되고 나서는, 거의 가지 않게 되었습니다만...).도쿄의 시부야(shibuya)(시부야(shibuya) 구 최대의 번화가에서 있으면 보조자에, 긴자(ginza)·유라쿠쵸(yurakucho), 신쥬쿠와 대등한, 도쿄 최대급의 번화가 중의 하나)에 있는, 담배와 소금의 박물관은, 일본 담배 산업 주식회사(JT)(일본 유일한 담배 회사에서 있어, 세계 유수한 담배 회사에서도 있다)가 운영하는, 담배와 소금에 관한 전문 박물관입니다.담배의 박물관이라고 말하면, 어른용의 박물관이라고 하는 이미지를 갖게 할지도 모릅니다만, 박물관 좋아하는, 아이의 호기심도 채우는 것 같은 전시가 되고 있습니다.나는, 상술한 대로 박물관 좋아하는 아이였으므로, 어릴 적, 담배와 소금의 박물관에도 갔습니다(가장, 역시, 국립 과학박물관, 교통 박물관, 과학기술관에 비해, 상대적으로, 시시했던 것일까, 이 3개의 박물관과는 다르고, 빈번히는 가지 않았습니다만...).

 

사진 이하 7매.앞으로주의 금요일, 일의 부근안에 할 수 있던, 약간의 빈 시간을 이용하고, 매우 오래간만에(아마, 초등학교 졸업 이래 처음), 담배와 소금의 박물관에 입관해 보았습니다.옛날은, 확실히 입관은, 무료였던 생각이 듭니다만, 현재는, 불과(뿐)만입니다만 입관료를 놓쳤습니다.

 

사진 이하 3매.담배와 소금의 박물관의 외관.

 

 

 

 

 

 

 

담배와 소금의 박물관에서, 이 때 행해지고 있던, 「카페(cafe)와 담배에 보는 빈(Vienna)의 문화사」의 전람회(exhibition)를 보고 왔습니다.황제를 시작으로 한, 오스트리아(Austria)의 상류계급의 담배용품이나, 1873년의 빈(Vienna) 만국 박람회(Expo)의 전시용에 제작된, 장식품으로서의 담배용 품등, 많은, 예술품이라고도 말할 수 있는, 담배용품이 전시되고 있었습니다.

 

 

담배와 소금의 박물관의 상설 전시중에서.18 세기무렵의, 일본의 도시지역의, 작은, 가족 경영의 담배가게의, 담배 제조 작업 풍경의 전시(사용의 소녀가, 담배를 사러 와있습니다).

 

사진 이하 2매.이번, 담배와 소금의 박물관에서 구입한 그림 엽서.

 

스즈키 하루노부(suzuki harunobu)(1725년?태생.1770년에 죽는다.Edo 시대(17 세기 처음부터 19 세기 중반)의 유명한, 강호시대의 풍속화(서민이나 도시 중류층의 풍속을 그린, (상류계급이나 특권계급은 아니다) 일반 대중용의 일본화)의 화가.정낭(도시지역의 일반 여성.특히 중류 이상의 상인의 딸(아가씨)?)(이)나 유녀(매춘부) 등 , 많은 도시지역의 미녀를 그렸다)의 작품, 「진유산의 구레유키」(1764년부터 1772년경).18 세기무렵부터 19 세기 중반무렵은(요즘은, 담배가 일반 대중에게도 보급한), 강호시대의 풍속화등으로, 요즘에, 담배를 피고 있었다고 이미지 되는 상가(상인의 집)의 여성이나 유녀(매춘부) 뿐만 아니라, 넓게 여성이 담배를 피는 일에 대해서, 그 후, 일본이 근대화를 급속히 추천했던 시대(19 세기 후반 이후)보다, 훨씬 너그러웠던 같습니다.

 

 

담배.「미노리」의 포스터(poster).1930년.스기우라 히스이(sugiura hisui)(1876 년생.1965년에 죽는다.특히, 1910년대부터 1930년대에 활약.근대 일본을 대표하는 그래픽 디자이너(Graphic designer)의 한 명)의 작품입니다.

덧붙여서, 나는, 벌써 금연하고 나서, 상당히 지납니다.자주(잘), 농담으로, 20세(일본에서, 법적으로 담배를 피는 것이 허락되는 최저 연령)로 금연했다고 합니다만 w, 실제는, 20대의 처음무렵까지, 담배를 피고 있었습니다.고0생의 무렵은, Marlboro 또는 Marlboro  Lights를, 대학생의 무렵은, Marlboro·MarlboroLights(대학생의 처음의 무렵까지), Gitanes(주홍 돼지 좋아하는 친구에게 영향을 받은 w), Parliament를, 주로 들이마시고 있었습니다.Parliament는, 무엇인가, 어른의 담배의 이미지가 있어, 어른상 싶기 때문에 들이마시고 있었습니다.덧붙여서, 요즘, 상정하고 있던 어른(20대의 끝위)의 연령을 넘기고, 30대 반에 돌입해 버린 현재(관광지의 매점의 아줌마등에, 형(오빠)라고 말해지면, 아직 괜찮다와 조금 기뻐지는, 나이무렵 w)에 있어서는, 오히려, 기분 잡기나, 모습부를 버려 아이 같은 부분도 많이 있는 w소의 자신을, 정직하게 내고 있기 때문에(위해), 지금의 그녀에게서는, 옛날은, 쿨한 남자를 뽐내 아픈 그리고, 믿을 수 없으면 잘 말해지는 w.또, 고0생의 무렵은, 악상 싶기 때문에 담배를 피어 받을 수 있어로 있어(가장, 공부는, 하지 않았습니다만, 부모와 학교의 선생님의 앞에서는, 도달하고 우등생에게 비치는 것처럼 하고 있었던 w), 대학생의 무렵은, 자신은, 화술(회화)이, 자신있지 않다고 생각했으므로(뭐, 지금도, 별로 자신있지 않다고 생각합니다만), club나, bar, 선술집, pub등으로, 친구나, 그녀, 그 자리에서 알게 된 사람들등이라고 회화를 할 때의 사이에 할 수 있는 동안을 연결하기 위해 들이마시고 있었으므로(즉 담배 중독이라고 말하는 것으로 (은)는 없었기 때문에), 멈추려고 하면, 순조롭게 모두 멈출 수가 있었습니다(담배를 피고 있었을 때도, 전혀 들이마시지 않는 날도, 상당히 있었다.자신은, 상당히, 무엇이라도, 그렇게, 빠져들지 않는 성격이라고 생각합니다).

 

 

같은 날(앞으로주의 금요일), 시부야(shibuya)에서, 일의 부근안의 빈 시간에, tapas&tapas로 먹은 점심 식사.이동게의 토마토 크림(tomato cream) 스파게티(spaghetti).tapas&tapas는, 파스타(pasta)를 중심으로 한 메뉴(menu) 구성의, 남 유럽 요리 레스토랑의 chain점입니다(가격을 억제한, 학생으로부터 20 대용의 레스토랑 chain점이라고 한 느낌입니다.따라서, 어른이 침착하고 식사를 하는 가게라고 한 느낌은 아니고, 점내는, 젊은이들(특히, 여자 아이들)의, 말 소리로, 시끄러운 w).나는, tapas&tapas는, 고교생으로부터 대학생의 처음의 무렵, 자주(잘) 이용하고 있었습니다만, 당분간 다리가 멀어지고 있던(이용하지 않았다) 기간을 거치고, 근년, 다시 이용하는 것처럼 되었습니다.근년은, 거의 혼자서 이용하고 있습니다(일의, 부근안의 식사로, 가끔 이용한다고 한 느낌).tapas&tapas의 이동게의 토마토 크림(tomato cream) 스파게티(spaghetti)는, 가격의 나누기에, 대단히 맛있습니다(근년은, tapas&tapas에서는, 이동게의 토마토 크림(tomato cream) 스파게티(spaghetti)만 먹고 있는 것 같다...).

 

사진 이하 4매.같은 날(앞으로주의 금요일), 우리 집에서 먹은 저녁 식사.이것에, 밥(rice)으로 먹었습니다.

 

사진 이하 3매.마음에 드는 것으로, 가끔, 주로 가지고 돌아가(take-out)로 이용하는, 이웃거리의 중국 요리 식당의, 반찬입니다.이 중국 요리 식당의, 반찬은, 전에 kj로 업(upload) 한 일이 있습니다.

 

닭고기.이 중국 요리 식당의 닭고기는, 맛있습니다( 나의, 마음에 드는 것).

 

 

마파두부(mapo doufu).

 

 

조금 먹어 버리고 나서 촬영했습니다만, 닭고기(접시에 담은 그림).사진 오른쪽, 기호로, 부속의, 케찹(tomato ketchup)과 볶은 소금·후추를 붙여 먹습니다.

 

완두콩.

 

 

이하, 적당한, 덤.

 

사진 이하 3매.나는, 아침 식사로, 통상, 3 종류위의 과일을 먹고 있습니다만, 사진 이하 3매는, 앞으로주의 금요일 시점에서, 우리 집에 있던 사과입니다.

 

동북지방의 이와테(iwate) 현 특산의 사과, 노랑 타로(kitarou).후지(fuji)(일본에서, 가장, 일반적으로, 선호되고, 먹을 수 있고 있는 사과)보다, 맛있을지도...

 

 

이것은, 홋카이도(hokkaido), 아오모리(aomori) 현 등에서, 재배되고 있는 사과, 다홍색 장군.

 

이것은, 태양의 빛(youkou)이었는지...

 

 

일로부터 돌아오고 나서의 한잔용 맥주.사진왼쪽과 한가운데는, suntory(일본의 대기업(major) 위스키(whisky) 회사의 하나로 있으면 보조자에, 일본의 대기업(major) 맥주 회사의 하나.1899년 창업.오사카에 본사를 두어, 오사카를 기반으로 한 전국적 기업)의 맥주.덧붙여서, suntory 는, 동족 경영(Family business)의 대규모 회사에서 있어, 오너(owner) 일족은, 일본 유수한 부자입니다.사진 오른쪽은, sapporo(일본의 대기업(major) 맥주 회사의 하나.1876년, 홋카이도의 삿포로(sapporo) 시에서 창업)의 맥주.일로부터 돌아오고 나서의 한잔은, 맥주가 많습니다.

 

 

는, 고교생으로부터 대학생의 초의 무렵까지, 친구의 영향을 받고, 무라카미 하루키(murakami haruki)의 소설에, 감은 있었습니다.특히, 「바람의 노래를 들을 수 있다(Hear the Wind Sing)」, 「1973년의 핀볼(Pinball,1973)」, 「노르웨이의 숲(Norwegian Wood)」를 아주 좋아하고, 몇번이나, 읽고 있었던(덧붙여서, 무라카미 하루키(murakami haruki)의 작품은, 「국경의 남쪽, 태양의 서쪽(South of the Border,West of the Sun)」를 읽고 있었을 때, 도중에, 시시해서, 읽는 것도 멈추어 버린 일을 계기로서 국경의 남쪽, 태양의 서쪽(South of the Border,West of the Sun) 이후에 발표된 작품은, 기본적으로 읽고 있지 않습니다).

 

무라카미 하루키(murakami haruki)의 소설에 감은 있었을 무렵 보유하고 있던, 「1973년의 핀볼(Pinball,1973)」의 문고본.보유하고 있던, 무라카미 하루키(murakami haruki)의 책은, 거의 처분해 버렸습니다만, 왜일까, 이 「1973년의 핀볼(Pinball,1973)」만 남아 있었습니다.소유하고 있던, 무라카미 하루키(murakami haruki)의 장편 소설의 책은, 「세계의 끝과 하드보일드·이상한나라(Hard-Boild Wonderland and the End of the World)」를 제외하면, 기본적으로 문고본이었습니다( 「세계의 끝과 하드보일드·이상한나라(Hard-Boild Wonderland and the End of the World)」에 대해서는, 제대로 된 책).(무라카미 하루키(murakamiharuki)의) 단편집에 관해서는, 도서관에서 빌려 읽고 있었습니다.덧붙여서, (일본에서는) 문고본은, 일반적으로, 작은 사이즈(size)로, 간소한 장정의 교체에, 싼 가격으로, 판매되고 있는 책의 일을 말합니다.문고본은, 원래( 제2차 세계대전전)는, 싼 가격으로, 문학 작품을 시장에 대량으로 공급하는 일에 의해, 문학을 일반 대중에게 보급시키는 일을 뜻으로서 발간되고 있던 것입니다만, 염가로, 작은 사이즈(size)로 가지고 다니는데 편리한 문고본(전철, 버스(bus), 비행기등 중(안)에서, 읽는데 편리)는, 현재에도 많은 사람들에게 읽혀지고 있어 현재에도, 많은 수의 문고본이, 출판계속 되고 있으면 보조자에, 서점(책방)의, 문고본 매장에는, 많은 문학 작품·소설의 문고본이 줄지어 있습니다.일본에서는, 일반적으로, 문고본도 포함하고, 책은, 예쁜 커버(jacket)에 싸여 팔리고 있습니다만, 나는, 원래, 책을, 너무 소중하게 취급하지 않기 때문에(읽지 않는다고 하는 것보다도, 반대로, 잘 읽고 있었기 때문에..), 위의 「1973년의 핀볼(Pinball,1973)」는, 남아 있었다고는 말해도, 커버(jacket)를 없게 해 버리고 있었습니다.

 

덧붙여서, 일하게 되고 나서, 「태엽 감는 새의 연대기(The Wind-up Bird Chronicle)」를 샀습니다만(문고본이 아니고, 제대로 된 책), 시시하다고 하는 인상은 없었다고 생각합니다만, 다망했던 일에 의해, 도중까지 읽어 멈추어 버렸습니다(이 책도, 아마 처분해 버렸다고 생각하지만, 혹시, 우리 집의 부근의 친가의 어딘가에 자고 있을지도...).다망한 시기가 길게(너무 일해 가 원인으로, 정신에 조금 이상을 왔고, 카운셀링(counseling)에 다니고 있던 일도 있다), 책(특히 문학)을, 거의 읽지 않게 되어, 근년은, 수입은, 적당히에서도, 일의 양은 억제하고, 시간적인 여유를 가지는 것처럼 하고 있습니다만(작은 개인 사업을 영위하고 있습니다), 책(특히 문학)을 읽지 않는 버릇이 붙은 채로, 현재까지 도달하고 있습니다. 



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