食べ物


去年の12月の初めに、関西(kansai)area(東京areaに次ぐ、日本第2の大都市圏)の3大都市で有る、大阪、京都、神戸(kobe)を、4泊5日で、旅行して来た時の物です。

 

以下、関西(kansai)旅行&食事7からの続き。。。

 

旅行3日目、京都(kyoto)で、のんびり昼食を取った後(京都(kyoto)満喫と言った感でしたが、やはり京都(kyoto)は、奥が深く、いくら訪れても魅力を味わい尽くせないと言う事で、名残惜しくも有りました)、次ぎの目的地、神戸(kobe)へ向かいました。

 

関西(kansai)areaの3大都市、大阪、京都、神戸(kobe)は、東京から遠い順(東から西に)、京都(東京から480km程)、大阪(京都から40kmから50km程)、神戸(kobe)(大阪から30km程)となっています。大阪、京都、神戸(kobe)は、それぞれ個性の異なる都市です。

神戸(kobe)は、関西(kansai)areaの海の玄関口(gateway)となっている、大きな港町です。日本の大都市の中では、中規模程度の人口を有しており、関西(kansai)areaの3大都市の一つとなっています。神戸(kobe)は、横浜と供に、日本の2大港町となっており、(東京areaの海の玄関口(gateway)となっている)横浜と、神戸(kobe)は、日本の2大、海の玄関口(gateway)となっています(横浜は、日本の東の海の玄関口(gateway)。神戸(kobe)は、日本の西の海の玄関口(gateway))。今回は、訪れませんでしたが、神戸(kobe)には、横浜の中華街(chinatown)に次ぐ、日本第2の規模の中華街(chinatown)が有ります。

 

写真以下4枚は、写真の転載が自由なsiteから借りて来た物です。

 

 

 

神戸(kobe)ポートタワー(port tower)(1963年完成)。詳細な説明は、後程。。。

 

写真以下2枚。神戸(kobe)の都心部の海沿いに有る、2つの規模の大きな、(準)高級ホテル、hotel okura kobeと、kobe merikenpark oriental hotel。この二つのホテルは、いつか宿泊してみたいと思っていたホテルです。

 

hotel okura kobe。1989年に開業。手前に見える、屋根の形が、特徴的な建物は、神戸(kobe)海洋博物館(1987年開館。詳しい説明は後程)。

 

kobe merikenpark oriental hotel。1995年開業。豪華客船も発着する(50,000トン級の豪華客船に対応)大きな桟橋、中突堤(nakatottei)(1938年完成)の上に有り、ホテルの2階は、客船ターミナル(terminal)となっています。ちなみに、神戸(kobe)を代表する客船用、埠頭(wharf)は、神戸(kobe)port terminal(新港第四突堤。1922年完成。現在の客船ターミナル(terminal)ビルは、1970年完成)で、こちらの方は、100,000トンを超えるclassの豪華客船に対応しており、50,000トン級の豪華客船ならば、同時に4隻、着岸可能、横浜の大桟橋(oosanbashi。下の補足説明参照)を凌ぐ、日本最大の客船用、埠頭(wharf)となっています。

大桟橋(oosanbashi):横浜を代表する客船用、埠頭(wharf)。1894年に完成したが、1923年の関東大震災(大地震)で崩壊。1925年に再建完了。現在の客船ターミナル(terminal)ビルは、2002年に完成。70,000トン級の豪華客船が2隻同時に着岸可能。30,000トン以下のclassの豪華客船ならば、4隻同時に着岸可能。

 

以下の写真は、全て、私自身が撮影した物。

 

写真以下18枚。今回の関西(kansai)旅行では、宿泊した順に、京都に2泊、神戸(kobe)に1泊、大阪に1泊しましたが、神戸(kobe)では、kobe merikenpark oriental hotelに宿泊しました。hotel okura kobeと、kobe merikenpark oriental hotelは、いつか宿泊したいと思っていましたが、どちらの方を先に宿泊してみたかったと言えば、kobe merikenpark oriental hotel方でした。前から、船をイメージした、独特な建物の形と、大きな桟橋の上に有ると言う、個性的な立地に魅力を感じていたし、hotel okura kobeよりも、より、神戸(kobe)の港の景観の個性を際立たせている建物で有ると感じていたからです。

 

 

kobe merikenpark oriental hotelから見た海(翌日撮影)。kobe merikenpark oriental hotelは、豪華客船も発着する大きな桟橋の上に有り、ホテルの2階は、客船ターミナル(terminal)となっています。

 

ロビー(lobby)にて。。。

 

写真以下6枚。私達が宿泊した部屋。(kobe merikenpark oriental hotelの)、だいたい、真ん中位のclassの部屋です。

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下2枚。角部屋なので、バルコニー(balconoy)が、2面付いており、それぞれ違った景色を楽しめました。

 

海側のバルコニー(balconoy)(写真は、翌日に撮影した物)。

 

 

市街地側のバルコニー(balconoy)。

 

写真以下10枚。部屋のバルコニー(balconoy)から見た、神戸(kobe)中心部の夜景。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神戸(kobe)は、神戸(kobe)が属する兵庫(hyogo)県(関西(kansai)大都市圏の西部を占める県。中心都市は、神戸(kobe))で、生産される、神戸(kobe)牛(kobe beef)が、有名です。神戸(kobe)牛(kobe beef)は、日本の代表的な高級牛肉の一つで(イメージ的には、日本の高級牛肉の中で、頂点と言った感じかな)、日本を代表する高級食材の一つとして、日本国外のグルメ(gourmet)の間でも知名度が高いです(実感としては、特に、アメリカ人のグルメ(gourmet)に、よく知られていると言った感じかな。。。)。代表的な、食べ方は、ステーキ(steak)と言った感じです。

 

旅行3日目の夕食は、三宮(sannomiya。神戸(kobe)の都心部に有る繁華街。神戸(kobe)を代表する繁華街の一つで有り、隣接する元町(motomachi)等と供に、神戸(kobe)の中心繁華街(神戸(kobe)最大の繁華街)を形成)に有る、規模の大きな、神戸(kobe)牛(kobe beef)を中心としたステーキ(steak)レストランで食べました。神戸(kobe)牛(kobe beef)と言えば、高級食材の代名詞と言った感じですが、このレストランは、神戸(kobe)牛(kobe beef)のステーキ(steak)を、大衆値段で食べさせてくれる店です(まあ、それでも、神戸(kobe)牛(kobe beef)は、神戸(kobe)牛(kobe beef)なので、ある程度の値段はしますが。。。いずれにしても、大衆が、比較的、気軽に神戸(kobe)牛(kobe beef)のステーキ(steak)を食べる事が出来る店で有る事には、変わりが有りません)。私が知る限り、東京には、この様な店(神戸(kobe)牛(kobe beef)のステーキ(steak)を、大衆値段で食べさせてくれる店)は、存在しません。やはり、神戸(kobe)牛(kobe beef)の地元、神戸(kobe)ならではと言った感じなのかな。。。(まあ、同じ神戸(kobe)でも、高級店の、神戸(kobe)牛(kobe beef)のステーキ(steak)は、東京等と同様、いくらでも、高い物が有りそうですが。。同じ質の神戸(kobe)牛(kobe beef)のステーキ(steak)ならば、やはり、東京よりも、神戸(kobe)の方が、安く食べられると思いますし、私には、未知の世界ですがw、神戸(kobe)には、東京では、お目にかかれない(見る事の出来ない)様な、極上の神戸(kobe)牛(kobe beef)のステーキ(steak)を食べさせてくれる店が、結構有るかもしれません。。。)。

 

写真以下8枚。旅行3日目の夕食。コック(cook)さんが、テーブル(table)の目の前の鉄板で、ステーキ(steak)等を調理して(焼いて)くれる、鉄板焼き(Teppanyaki)形式の店です。値段が値段なので、ステーキ(steak)は、神戸(kobe)牛(kobe beef)の中でも、最も、安いclassの物を使用していると思いますが、それでも、神戸(kobe)牛(kobe beef)は、神戸(kobe)牛(kobe beef)。神戸(kobe)牛(kobe beef)のステーキ(steak)なんて物を普段食べ慣れていないw、東京の庶民の舌にとっては、とても美味しかったです。

 

写真以下8枚の食事に、ご飯(rice)が付きます。

 

軽い前菜。スモークサーモン(smoked salmon)。一人一皿ずつ。

 

 

魚介類(seafood)、野菜等の焼き物。特に、魚介類(seafood)が、新鮮で、良い物を使っている様で、美味しかったです。一人一皿ずつ。

 

写真以下2枚。神戸(kobe)牛(kobe beef)のサーロイン(sirloin)ステーキ(steak)とモヤシの焼き物等。一人一皿ずつ。とても美味しかったです。

 

 

 

 

 

付け合せ(side dish)のスープ(soup)。一人一皿ずつ。

 

 

付け合せ(side dish)のサラダ(salad)。一人一皿ずつ。

 

写真以下2枚。デザート(dessert)。

 

私が食べた、柚子のシャーベット(sorbet)。

 

 

彼女が食べた、カシス(cassis)のシャーベット(sorbet)。

 

写真以下76枚。神戸(kobe)の都心部のクリスマス時期の夜景。

 

写真以下2枚。大丸(daimaru)デパート、神戸(kobe)店。大丸(daimaru)(1717年京都で創業。1726年、大阪に進出。本店は、大阪。関西(kansai)大都市圏に基盤を置く)は、三越(mitsukoshi)(1673年東京で創業。本店は、東京。東京に基盤を置く)と並んで、おそらく、日本で最もbrand力の有る、デパートchainです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下34枚。神戸(kobe)ルミナリエ。1995年に起った阪神淡路大震災(大地震)(神戸(kobe)が一番大きな被害を受けた)で、失われた、尊い命を追悼し、又、復興への祈りを込めて、阪神淡路大震災(大地震)で激減した、神戸(kobe)への観光客を呼び戻す目的で、1995年に始められた光のイベント(event)で、1995年以来、毎年12月に、神戸(kobe)の都心部で行われています。神戸(kobe)ルミナリエは、今回初めて見ましたが、美しかったです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下27枚。神戸(kobe)の都心部の海沿いの夜景。港町の雰囲気、たっぷりと言った感じです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回、私達が、神戸(kobe)で宿泊した、kobe merikenpark oriental hotel。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神戸(kobe)ポートタワー(port tower)、hotel okura kobe、神戸(kobe)海洋博物館。

 

写真以下4枚。神戸(kobe)ポートタワー(port tower)。1963年に完成した、高さ108mの塔です。神戸(kobe)の港を象徴する建物となっています。横浜マリンタワー(marine tower)と供に、1950年代から1960年代初めにかけての、日本の大都市における、高層タワー(tower)建設ブーム(boom)(この間に建てられたタワー(tower)の代表的な物に、東京タワー(tower)が有る)の末期に建てられたタワー(tower)です。神戸(kobe)ポートタワー(port tower)のデザイン(design)は、日本の伝統的な楽器で有る、鼓(tsuzumi)をイメージした物となっています。神戸(kobe)ポートタワー(port tower)は、今となっては、高さは、たいした事有りませんが、個人的に、日本に数多く有る高層タワー(tower)の中でも、最も優れたデザイン(design)のタワー(tower)の内の一つで有ると思います。ちなみに、神戸(kobe)ポートタワー(port tower)のデザイン(design)の影響を受けたのかどうかは、分かりませんが、去年(2009年)末に完成し、現在開業準備中(今年(2010年)開業予定)の、中国の広州のGuangzhou TV & Sightseeing Towerのデザイン(design)が、神戸(kobe)ポートタワー(port tower)のデザイン(design)に、よく似ている様です。


 

 

 

 

 

 

 

 

写真左、hotel okura kobe(1989年開業)。写真右、神戸(kobe)海洋博物館(1987年開館。前身は1962年に開館した神戸国際港湾博物館)。世界有数の規模の海洋博物館(「海・船・港」をテーマとする博物館)だそうです(wikiより)。私は、まだ、神戸(kobe)海洋博物館の中には、入った事が有りません。

 

写真以下5枚。散歩を終え、kobe merikenpark oriental hotelへ、帰って来ました。翌日は、結構、遅い時間まで、のんびりと寝ていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神戸(kobe)は、お洒落な女性が多く、東京と並ぶ、日本のファッション(fashion)の中心地となっています。私は、ファッション(fashion)に、詳しくは無いので、よく分かりませんが、基本的に、多くのファッションブランド(fashion brands)が有ると言う意味において、日本のファッション(fashion)の中心地となっている東京に対し、神戸(kobe)は、ファッション(fashion)産業が、伝統的に、とても盛んで有ると言うのも有りますが、一般人(特に女性)の、お洒落な着こなし方が、日本の他の地域に住む人々(特に女性)の手本になると言う意味においても、日本のファッション(fashion)の中心地となっている様な気がます。以下で説明する、阪神間モダニズム(大阪・神戸(kobe)間modernism)は、これの背景の基となった物の一つかもしれません。

 

以下、「」内は、wikiの文を、加筆、省略、修正した物です。

 

「阪神間モダニズム(大阪・神戸(kobe)間modernism)とは、第2次世界大戦前(主に1900年代から1930年代)にかけて、主に大阪・神戸(kobe)間(神戸(kobe)の東部郊外)を中心とした地域を土台に育まれた、近代的な芸術・文化・生活様式とその時代の状況を指す。1894年から1895年の日清戦争(日本と清(中国)の間の戦争。日本の勝利に終る)を経て、当時の大阪は、日本最大の経済都市となり、神戸(kobe)も東洋最大の港湾都市へと発展した。相前後して関西(kannsai)大都市圏では、当時のアメリカ合衆国を模範としたインターアーバン(interurban。都市間電車)路線の建設が盛んとなった。これに伴った、阪神電気鉄道本線(1905年開業)、続く箕面有馬電気軌道(後の阪急宝塚本線、1910年開業)、阪神急行電鉄神戸本線(1920年開業)他の開通は、大阪・神戸(kobe)間の未開発で有った近郊農村地帯への着目の、きっかけとなり、快適な住環境創造を目的とする郊外新興住宅地の開発が、大阪・神戸(kobe)間において進められた(この地区の都市的、文化的な発達と関西(kannsai)の私営鉄道会社資本は切っても切れない関係にある)。大阪・神戸(kobe)間において、まずは、大阪・京都・神戸(kobe)の富裕な商人の邸宅が次々と建てられた。1910年代以降になると、実業家や富裕な商人層だけでなく、知的労働を行う、大学卒業の会社員層を始めとした中流階級(ここで言う中流階級とは、労働者階級に対する中流階級)の為の住宅地として発展していった。文化的、経済的な環境が整った事から芸術家や文化人等が多く移り住み、以前からの別荘地であった六甲山(rokkosan。神戸(kobe)(郊外を含む)の北部に広がる比較的標高の低い山々が連なる山地。神戸(kobe)都市圏は、基本的に、比較的標高の低い山々が連なる山地と海の間の細長い土地に広がっている)の山上及び、緑豊な市街地・郊外住宅地となった山麓と海の間に、彼ら富裕層・新しい知識者層・文化人等を対象とした、余暇活動・文化活動を行う場、社交場等としての、様々な、近代娯楽施設・ホテル等が造られ、大リゾート(resort)地が形成された。そして、西洋的な生活様式・文化・建築・家具・生活用具等を、日本人の好みに合う様に取り入れた近代日本の生活様式の一大(特別に大きな)発信地としての土壌が育まれたのである。1923年の関東大震災(大地震)によって継続的な都市化が一旦中断した東京圏とは対照的に、都市拡大を続けた大阪及び神戸(kobe)の、近郊地域の開発及び新興住宅地化に伴って、大阪の北西部近郊(当時)や神戸(kobe)の西部近郊(当時)等にも、その拠点は拡がっていった。それらは、現在に至る日本の芸術や文化、教育、娯楽、生活に多大な影響を与えた。田園調布(denen cyoufu。下の補足説明参照)等の、1920年代から1930年代に、東京郊外(当時)に開発された新興住宅地や軽井沢(karuizawa。下の補足説明参照)の開発等にも、阪神間モダニズム(大阪・神戸(kobe)間modernism)の影響を見ることができる。」

田園調布(denen cyoufu):東京で、最も有名な高級住宅地の一つ。1920年代から1930年代に、東京郊外(当時)に開発された、新興住宅地の一つで、1920年代初めに開発された。第二次世界大戦前の、1920年代から1930年代は、田園調布(denen cyoufu)は、現在程の、高級住宅地では無く、中流階級(ここで言う中流階級とは、労働者階級に対する中流階級)や新興金持ちの向けの、郊外の新興住宅地で有った。

軽井沢(karuizawa):東京から、自動車で、約2時間、電車(新幹線)で、約1時間の、長野(nagano)県に有る、多くの東京の比較的裕福な人々が別荘を所有する、広大な高原別荘地。19世紀末に、日本在住の西洋人向け別荘地として、西洋人によって、開発され始めたが、やがて、日本資本も本格的に開発に参入し、東京を後背地に持つ、日本を代表する高級避暑別荘地の一つへと発展した。第二次世界大戦前は、軽井沢(karuizawa)に別荘を所有するのは、日本人の金持ちと日本在住の裕福な西洋人のみで、またリゾート(resort)ホテルも高級なものだけで、軽井沢(karuizawa)は、一般庶民には縁の無い、上流層を中心とした人々の為の、排他的な高級避暑別荘地だったが、第二次世界大戦によって、軽井沢(karuizawa)の別荘で、夏を過ごしていた日本在住の裕福な西洋人達が、母国に帰った後は、替わりに、第二次世界大戦後の、日本の経済成長に伴って、日本の金持ちのみならず、中産層の中でも比較的裕福な人々達が、たくさん軽井沢(karuizawa)に別荘を所有するようになり、軽井沢(karuizawa)は、広大な高原地帯に、別荘地が広がる、日本最大級の別荘地となった。また、第二次世界大戦後の、日本の経済成長に伴って、軽井沢(karuizawa)に別荘を所有していなくても、多くの、東京areaの一般庶民達も、蒸し暑い夏の東京を離れて、軽井沢(karuizawa)で避暑を楽しむ様になった。したがって、現在では、軽井沢(karuizawa)には、その為の、値段の手頃なresort ホテル、食堂、レストラン、shopping mall,ゴルフ場等も充実している。この事から、軽井沢(karuizawa)は、現在では、金持ちだけの避暑地では無く、(交通も便利で、多くの一般庶民達も夏休みを過ごしに来る)単純に東京を後背地に持つ避暑地の中で、代表的な場所と言うイメージとなっている。

追加補足説明:第2次世界大戦前は、日本では、現在よりも、貧富の格差が激しく、庶民の生活は、当然、現在よりも、ずっと貧しかったですし、農村の小作人・低賃金工場労働者等の低所得者層の生活状態は、悲惨な物でしたが、中中流階級(ここで言う中流階級とは、労働者階級に対する中流階級)以上の人々の生活は、むしろ、現在よりも、豊かでした。第2次世界大戦後、農地改革により、地主から小作人が開放され、貴族制度が廃止され、財閥は解体されました。その結果、上流階級は、かなりの土地と財産を処分せざるを得ませんでした。このようにして、上流階級が以前のように贅沢な暮らしが出来なくなった一方で、農村の(元)小作人達は、東京・大阪・名古屋等の大都市圏や、地方都市に流入し、日本の急速な都市化(urbanization)を促すとともに、工場労働者やサラリーマン(会社員)として、新しい都市庶民層を形成するようになりました。農村には、比較的裕福な自作農民が残った一方で、高度経済成長による大量生産・大量消費時代の到来により、都市庶民層の消費生活水準は、飛躍的に向上しました。また、肉体労働者(第2次世界大戦前における、主として労働者階級)とホワイトカラー(white-collar)労働者の、収入格差及び(会社に勤めている場合は)待遇格差が縮小し、両者の生活水準は、それ程変わりがなくなりました。このように、上流階級を含む富裕層の没落と庶民層の生活の向上の結果、日本は1970年代から1980年代には、西側先進国で、最も平等な国とまで言われる様になりました。もっとも、1980年代においてさえも、(日本と言う国全体が勢いが良かった為に目立たなかっただけで)、日本にも貧富の格差は、ちゃんと存在していましたし、近年は、日本で、アメリカの様に(もちろん、アメリカ程では有りませんが)、貧富の格差が拡大しつつあります。

 

神戸(kobe)郊外は、日本で、最も、多くの金持ちが暮らす地域の一つとなっています。特に、神戸(kobe)と大阪の間は、日本で最もbrand力の高い住宅地域の一つとなっており、おそらく、日本の金持ちの中でも、上位層に位置する人々が、最も多く暮らしている地域です。この様に、神戸(kobe)郊外に、多くの金持ちが家を構える(構えたがる)のは、上で説明した阪神間モダニズム(大阪・神戸(kobe)間modernism)を土台にした、洗練された、近・現代的な、環境と文化が、この地に有るからかもしれません。

 

写真以下、神戸(kobe)の都心部から、姫路(himeji)城(castle)の有る姫路(himeji)市(神戸(kobe)の都心部から西に約60km離れている)に向かう途中に訪れた、神戸(kobe)の西部郊外の静かで落ち着いた住宅地、須磨(suma)にて。。。須磨(suma)は、神戸(kobe)の都心部から最も近いビーチリゾート(beach resort)ともなっており(神戸(kobe)の都心から西に約10km、大阪の都心から西に約40km)、夏には、神戸(kobe)・大阪都市圏から、多くの人々が、須磨(suma)のビーチ(beach)に海水浴に訪れます。須磨(suma)を訪れたのは、今回が初めてです。

 

 

須磨(suma)離宮公園に向かう途中の道にて。。。1920年代から1930年代に建てられたと思われる、日本伝統式の一戸建て住宅。須磨(suma)は、基本的に、神戸(kobe)の都心部に近い、神戸(kobe)の西部郊外の静かで落ち着いた住宅地となっている様です。

 

写真以下8枚。須磨(suma)に有る須磨(suma)離宮公園。約250,000坪の広さの公園で、西洋式庭園を中心とした本園と植物園からなります。以下、須磨(suma)離宮公園に関する説明は、wiki等を参考にしました。西洋式庭園を中心とした本園(広さ約180,000坪)は、元々、大谷 光瑞(ootani kouzui。宗教家。探検家。貴族(伯爵))の別荘を宮内省(現在における宮内庁に相当。皇室(天皇の一族)に関する事務を取り行う、国の行政機関)が、1907年に、買取り、1908年から1914年にかけて、皇室(天皇の一族)の別荘(宮殿)として整備を行い、以後、第2次世界大戦の終りまで、皇室(天皇の一族)の別荘(宮殿)の一つとして使われていた物です(第2次世界大戦末期の1945年に、空襲により、敷地内の建物郡の、ほとんどが焼失。第2次世界大戦後は、神戸(kobe)市の所有となり、庭園は、可能な限り、前の状態に復元整備され、公園として開園しました)。一方、植物園(広さ約70,000坪)の方は、元々、第2次世界大戦前は、神戸(kobe)の財閥、岡崎(okazaki)財閥の当主及び、その家族が暮らしていた邸宅だった物です(第2次世界大戦後も、(旧)岡崎(okazaki)財閥の当主及び、その家族、その子孫が暮らしていたのか、あるいは、他の人の手に渡ったのか、ちょっと分かりませんが、いずれにしても、神戸(kobe)市が、1973年に買収し、植物園として整備し、須磨(suma)離宮公園に組み入れました)。岡崎(okazaki)財閥の邸宅時代(第2次世界大戦前)に、敷地内に建てられた建物の内、西洋式の邸宅の建物については、1990年代前半まで、現存していましたが、1995年に起った阪神淡路大震災(大地震)(神戸(kobe)が一番大きな被害を受けた)で、倒壊しました。

写真以下8枚は、須磨(suma)離宮公園の本園の方です(植物園の方は、訪れませんでした)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下17枚。旅行4日目の、遅い朝食兼昼食は、1919年に建てられた、貿易商の西洋式の邸宅の建物を改装した、フランス料理レストランで食べました。近年まで、個人所有で個人が暮らしていた?様ですが、現在は、改装されて高級フランス料理レストランとなっています(超高級と言う程では無い)。敷地面積は、約3,000坪有ります。建物は、1920年代から1930年代頃に建てられた中上流層の西洋式の住宅の建物の中でも、大きな物の方だと思います。現存している、1920年代から1930年代頃に建てられた中上流層の西洋式の住宅の建物の中で、これだけ立派な物は、中々無いと思います。もっとも、現在も個人所有で人が暮らしていて、非公開になっている物については、よく分かりませんが。。。

 

 

 

 

 

こう言う古い西洋式の邸宅の建物を見ると、何となく、「怪物くん」の家や、ディズニーランド(disneylamd)のホーンテッドマンション(haunted mansion)を思い出してしまうw 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここは、レストランでテーブル(table)に案内されるのを待つ、待合室。個人の邸宅だった時も、訪問客(来賓)の待合室だったそうです。

 

神戸(kobe)は、日本における西洋料理・西洋菓子の中心地となっています。第2次世界大戦前において、横浜港は、主として、日本と北米(アメリカ・カナダ)を結ぶ航路を担っていたのに対し、神戸(kobe)港は、主として、日本とヨーロッパを結ぶ航路を担っていたと言うのが、関係しているのかもしれません。。。

 

写真以下6枚の食事にパンが付きました。

 

前菜。12種類の野菜のテリーヌ(terrine)と魚介のマリネ(marinade)。一人一皿ずつ。

 

 

蕪のスープ(soup)。一人一皿ずつ。

 

 

私が食べたメイン(main)料理、フランス産、仔鴨肉のロティ(roti)、愛媛(ehime)県から届いた野菜と山椒の香漂う、ポトフ(pot-au-feu)仕立て。

 

 

彼女が食べたメイン(main)料理、和(国産)牛肉の白ワイン(wine)煮込み。

 

 

デザート(dessert)。一人一皿ずつ。

 

 


칸사이(kansai) 여행&식사 8


작년의 12 월초에, 칸사이(kansai) area(도쿄 area에 뒤잇는, 일본 제 2의 대도시권)의 3 대도시에서 있는, 오사카, 쿄토, 코베(kobe)를, 4박 5일로, 여행해 왔을 때의 물건입니다.

 

이하, 칸사이(kansai) 여행&식사 7으로부터의 계속...

 

여행 3일째, 쿄토(kyoto)에서, 한가로이 점심 식사를 배달시킨 후 (쿄토(kyoto) 만끽이라고 한 감이었지만, 역시 쿄토(kyoto)는, 안쪽이 깊고, 아무리 방문해도 매력을 다 맛볼 수 없다고 하는 일로, 자취 아깝게도 있었습니다), 다음의 목적지, 코베(kobe)로 향했습니다.

 

칸사이(kansai) area의 3 대도시, 오사카, 쿄토, 코베(kobe)는, 도쿄에서 먼 순서(동쪽에서 서쪽으로), 쿄토(도쿄로부터 480 km 정도), 오사카(쿄토로부터 40 km에서 50 km 정도), 코베(kobe)(오사카로부터 30 km 정도)가 되고 있습니다.오사카, 쿄토, 코베(kobe)는, 각각 개성이 다른 도시입니다.

코베(kobe)는, 칸사이(kansai) area의 바다의 현관문(gateway)이 되고 있는, 큰 항구도시입니다.일본의 대도시안에서는, 중 규모 정도의 인구를 가지고 있어 칸사이(kansai) area의 3 대도시의 하나가 되고 있습니다.코베(kobe)는, 요코하마와 보조자에, 일본의 2대항구도시가 되고 있어(도쿄 area의 바다의 현관문(gateway)이 되고 있다) 요코하마와 코베(kobe)는, 일본의 2대, 바다의 현관문(gateway)이 되고 있습니다(요코하마는, 일본의 동쪽의 바다의 현관문(gateway).코베(kobe)는, 일본의 서쪽의 바다의 현관문(gateway)).이번은, 방문하지 않았습니다만, 코베(kobe)에게는, 요코하마의 중화가(chinatown)에 뒤잇는, 일본 제 2의 규모의 중화가(chinatown)가 있습니다.

 

사진 이하 4매는, 사진의 전재가 자유로운 site로부터 빌려 온 것입니다.

 

 

 

코베(kobe) 포토 타워(port tower)(1963년 완성).상세한 설명은, 나중에...

 

사진 이하 2매.코베(kobe)의 도심부의 해안에 있는, 2개의 규모의 큰, ( 준) 고급 호텔, hotel okura kobe와 kobe merikenpark oriental hotel.이 두 개의 호텔은, 언젠가 숙박해 보고 싶은 호텔입니다.

 

hotel okura kobe.1989년에 개업.앞으로 보이는, 지붕의 형태가, 특징적인 건물은, 코베(kobe) 해양 박물관(1987년 개관.자세한 설명은 나중에).

 

kobe merikenpark oriental hotel.1995년 개업.호화 여객선도 발착한다(50,000톤급의 호화 여객선에 대응) 큰 부두, 안제방(nakatottei)(1938년 완성)의 위에 있어, 호텔의 2층은, 여객선 터미널(terminal)이 되고 있습니다.덧붙여서, 코베(kobe)를 대표하는 여객선용, 부두(wharf)는, 코베(kobe) port terminal(심미나토 제4 제방.1922년 완성.현재의 여객선 터미널(terminal) 빌딩은, 1970년 완성)에서, 이 쪽은, 100,000톤을 넘는 class의 호화 여객선에 대응하고 있어, 50,000톤급의 호화 여객선이라면, 동시에 4척, 착안 가능, 요코하마의 대부두(oosanbashi.아래의 보충 설명 참조)를 견디는, 일본 최대의 여객선용, 부두(wharf)가 되고 있습니다.

대부두(oosanbashi):요코하마를 대표하는 여객선용, 부두(wharf).1894년에 완성했지만, 1923년의 간동대지진(대지진)에서 붕괴.1925년에 재건 완료.현재의 여객선 터미널(terminal) 빌딩은, 2002년에 완성.70,000톤급의 호화 여객선이 2척 동시에 착안 가능.30,000톤 이하의 class의 호화 여객선이라면, 4척 동시에 착안 가능.

 

이하의 사진은, 모두, 나 자신이 촬영한 것.

 

사진 이하 18매.이번 칸사이(kansai) 여행에서는, 숙박한 순서에, 쿄토에 2박, 코베(kobe)에 1박, 오사카에 1박 했습니다만, 코베(kobe)에서는, kobe merikenpark oriental hotel에 숙박했습니다.hotel okura kobe와 kobe merikenpark oriental hotel는, 언젠가 숙박하고 싶었습니다만 , 어느쪽을 먼저 숙박해 보고 싶었다고 말하면, kobe merikenpark oriental hotel분이었습니다.전부터, 배를 이미지 한, 독특한 건물의 형태와 큰 부두 위에 있다고 하는, 개성적인 입지에 매력을 느끼고 있었고, hotel okura kobe보다, 보다 , 코베(kobe)의 항구의 경관의 개성을 두드러지게 하고 있는 건물에서 있다고 느끼고 있었기 때문에입니다.

 

 

kobe merikenpark oriental hotel로부터 본 바다(다음날 촬영).kobe merikenpark oriental hotel는, 호화 여객선도 발착하는 큰 부두 위에 있어, 호텔의 2층은, 여객선 터미널(terminal)이 되고 있습니다.

 

로비(lobby)에서...

 

사진 이하 6매.저희들이 숙박한 방.(kobe merikenpark oriental hotel의), 대체로, 한가운데위의 class의 방입니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 2매.귀퉁이 방이므로, 발코니(balconoy)가, 2 표정 있어 각각 다른 경치를 즐길 수 있었습니다.

 

해측의 발코니(balconoy)(사진은, 다음날에 촬영한 것).

 

 

시가지측의 발코니(balconoy).

 

사진 이하 10매.방의 발코니(balconoy)로부터 본, 코베(kobe) 중심부의 야경.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

코베(kobe)는, 코베(kobe)가 속하는 효고(hyogo) 현(칸사이(kansai) 대도시권의 서부를 차지하는 현.중심 도시는, 코베(kobe))에서, 생산되는, 코베(kobe) 소(kobe beef)가, 유명합니다.코베(kobe) 소(kobe beef)는, 일본의 대표적인 고급 쇠고기의 하나로(이미지적으로는, 일본의 고급 쇠고기 중(안)에서, 정점이라고 한 느낌일까), 일본을 대표하는 고급 식품 재료의 하나로서, 일본외의 음식(gourmet)의 사이에서도 지명도가 높습니다(실감으로서는, 특히, 미국인의 음식(gourmet)에, 잘 알려져 있다고 한 느낌일까...).대표적인, 먹는 방법은, 스테이크(steak)라고 한 느낌입니다.

 

여행 3일째의 저녁 식사는, 산노미야(sannomiya.코베(kobe)의 도심부에 있는 번화가.코베(kobe)를 대표하는 번화가의 하나로 있어, 인접하는 모토마치(motomachi) 등과 보조자에, 코베(kobe)의 중심 번화가(코베(kobe) 최대의 번화가)를 형성)에 있는, 규모의 큰, 코베(kobe) 소(kobe beef)를 중심으로 한 스테이크(steak) 레스토랑에서 먹었습니다.코베(kobe) 소(kobe beef)라고 말하면, 고급 식품 재료의 대명사라고 한 느낌입니다만, 이 레스토랑은, 코베(kobe) 소(kobe beef)의 스테이크(steak)를, 대중 가격으로 먹여 주는 가게입니다(뭐, 그런데도, 코베(kobe) 소(kobe beef)는, 코베(kobe) 소(kobe beef)이므로, 어느 정도의 가격은 합니다만...어쨌든, 대중이, 비교적, 부담없이 코베(kobe) 소(kobe beef)의 스테이크(steak)를 먹을 수가 있는 가게에서 있는 일에는, 변화가 없습니다).내가 아는 한, 도쿄에는, 이와 같은 점(코베(kobe) 소(kobe beef)의 스테이크(steak)를, 대중 가격으로 먹여 주는 가게)는, 존재하지 않습니다.역시, 코베(kobe) 소(kobebeef)의 현지, 코베(kobe)가 아니라면이라고 한 느낌인가...(뭐, 같은 코베(kobe)에서도, 고급점의, 코베(kobe) 소(kobe beef)의 스테이크(steak)는, 도쿄등과 같이, 얼마든지, 비싼 것이 있을 것 같습니다만..같은 질의 코베(kobe) 소(kobe beef)의 스테이크(steak)라면, 역시, 도쿄보다, 코베(kobe)가, 싸게 먹을 수 있다고 생각하고, 나에게는, 미지의 세계입니다만 w, 코베(kobe)에게는, 도쿄에서는, 뵐 수 없는(보는 일을 할 수 없다) 같은, 극상의 코베(kobe) 소(kobe beef)의 스테이크(steak)를 먹여 주는 가게가, 상당히 있을지도 모릅니다...).

 

사진 이하 8매.여행 3일째의 저녁 식사.콕(cook)씨가, 테이블(table)의 눈앞의 철판으로, 스테이크(steak) 등을 조리해(구워) 주는, 철판구이(Teppanyaki) 형식의 가게입니다.가격이 가격이므로, 스테이크(steak)는, 코베(kobe) 소(kobe beef) 중(안)에서도, 가장, 싼 class의 물건을 사용하고 있다고 생각합니다만, 그런데도, 코베(kobe) 소(kobe beef)는, 코베(kobe) 소(kobe beef).코베(kobe) 소(kobe beef)의 스테이크(steak)는 물건을 평상시 먹어 익숙해지지 않은 w, 도쿄의 서민의 혀에 있어서는, 매우 맛있었습니다.

 

사진 이하 8매의 식사에, 밥(rice)이 붙습니다.

 

가벼운 전채.훈제 연어(smoked salmon).일인일명씩.

 

 

어패류(seafood), 야채등의 구이.특히, 어패류(seafood)가, 신선하고, 좋은 것을 사용하고 있는 것 같고, 맛있었습니다.일인일명씩.

 

사진 이하 2매.코베(kobe) 소(kobe beef)의 sirloin(sirloin) 스테이크(steak)와 콩나물의 구이등.일인일명씩.매우 맛있었습니다.

 

 

 

 

 

곁들여(side dish)의 스프(soup).일인일명씩.

 

 

곁들여(side dish)의 사라다(salad).일인일명씩.

 

사진 이하 2매.디저트(dessert).

 

내가 먹은, 유자나무의 샤벳(sorbet).

 

 

그녀가 먹은, 카시스(cassis)의 샤벳(sorbet).

 

사진 이하 76매.코베(kobe)의 도심부의 크리스마스 시기의 야경.

 

사진 이하 2매.다이마루(daimaru) 백화점, 코베(kobe) 점.다이마루(daimaru)(1717년 쿄토에서 창업.1726년, 오사카에 진출.본점은, 오사카.칸사이(kansai) 대도시권에 기반을 둔다)는, 미츠코시(mitsukoshi)(1673년 도쿄에서 창업.본점은, 도쿄.도쿄에 기반을 둔다)와 함께, 아마, 일본에서 가장 brand력이 있는, 백화점 chain입니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 34매.코베(kobe) 르미나리에.1995년에 떠난 한신 아와지 대지진(대지진)(코베(kobe)가 제일 큰 피해를 받았다)에서, 없어진, 고귀한 생명을 추도 해, 또, 부흥에의 기원을 담고, 한신 아와지 대지진(대지진)으로 격감한, 코베(kobe)에의 관광객을 귀환시키는 목적으로, 1995년에 시작할 수 있었던 빛의 이벤트(event)로, 1995년 이래, 매년 12월에, 코베(kobe)의 도심부에서 행해지고 있습니다.코베(kobe) 르미나리에는, 이번 처음으로 보았습니다만, 아름다웠습니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 27매.코베(kobe)의 도심부의 해안의 야경.항구도시의 분위기, 충분히라고 한 느낌입니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

이번, 저희들이, 코베(kobe)에서 숙박한, kobe merikenpark oriental hotel.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

코베(kobe) 포토 타워(port tower), hotel okura kobe, 코베(kobe) 해양 박물관.

 

사진 이하 4매.코베(kobe) 포토 타워(port tower).1963년에 완성한, 높이 108 m의 탑입니다.코베(kobe)의 항구를 상징하는 건물이 되고 있습니다.요코하마 마린 타워(marine tower)와 보조자에, 1950년대부터 1960년대 초에 걸친, 일본의 대도시에 있어서의, 고층 타워(tower) 건설 붐(boom)(이전에 지어진 타워(tower)의 대표적인 것에, 도쿄 타워(tower)가 있다)의 말기에 지어진 타워(tower)입니다.코베(kobe) 포토 타워(port tower)의 디자인(design)은, 일본의 전통적인 악기로 있는, 북(tsuzumi)을 이미지 한 것이 되고 있습니다.코베(kobe) 포토 타워(port tower)는, 이제 와서는, 높이는, 별 일 없습니다만, 개인적으로, 일본에 많이 있는 고층 타워(tower) 중(안)에서도, 가장 뛰어난 디자인(design)의 타워(tower) 중의 하나로 있다고 생각합니다.덧붙여서, 코베(kobe) 포토 타워(port tower)의 디자인(design)의 영향을 받았는지 어떤지는, 모릅니다만, 작년(2009년) 말에 완성해, 현재 개업 준비중(금년(2010년) 개업 예정)의, 중국의 꽝조우의 Guangzhou TV &Sightseeing Tower의 디자인(design)이, 코베(kobe) 포토 타워(port tower)의 디자인(design)에, 잘 비슷한 것 같습니다.


 

 

 

 

 

 

 

 

사진왼쪽, hotel okura kobe(1989년 개업).사진 오른쪽, 코베(kobe) 해양 박물관(1987년 개관.전신은 1962년에 개관한 코베 국제 항만 박물관).세계 유수한 규모의 해양 박물관( 「해·선·항」을 테마로 하는 박물관)이라고 합니다(wiki보다).나는, 아직, 코베(kobe) 해양 박물관가운데에는, 들어간 일이 없습니다.

 

사진 이하 5매.산책을 끝내 kobe merikenpark oriental hotel에, 돌아왔습니다.다음날은, 상당히, 늦은 시간까지, 한가롭게 자고 있었습니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

코베(kobe)는, 세련된 여성이 대부분, 도쿄와 대등한, 일본의 패션(fashion)의 중심지가 되고 있습니다.나는, 패션(fashion)에, 자세한 것은 없기 때문에, 잘 모릅니다만, 기본적으로, 많은 패션 브랜드(fashion brands)가 있다고 하는 의미에 대하고, 일본의 패션(fashion)의 중심지가 되고 있는 도쿄에 대해, 코베(kobe)는, 패션(fashion) 산업이, 전통적으로, 매우 번성하고 있다고 하는 것도 있습니다만, 일반인(특히 여성)의, 세련된 맵시있게 입는 방법이, 일본의 다른 지역에 사는 사람들(특히 여성)의 표본이 된다고 하는 의미에 대해도, 일본의 패션(fashion)의 중심지가 되고 있는 것 같은 기분이 더한다.이하로 설명하는, 한신간 모더니즘(오사카·코베(kobe) 간modernism)는, 이것의 배경의 기가 된 것의 하나일지도 모릅니다.

 

이하, 「」 안은, wiki의 문장을, 가필, 생략, 수정한 것입니다.

 

「한신간 모더니즘(오사카·코베(kobe) 간modernism)란, 제2차 세계대전전(주로 1900년대부터 1930년대)에 걸치고, 주로 오사카·코베(kobe) 간(코베(kobe)의 동부 교외)를 중심으로 한 지역을 토대로 길러진, 근대적인 예술·문화·생활 양식과 그 시대의 상황을 가리킨다.1894년부터 1895년의 청일 전쟁(일본과 청(중국)의 사이의 전쟁.일본의 승리에 끝난다)를 거치고, 당시의 오사카는, 일본 최대의 경제 도시가 되어, 코베(kobe)도 동양 최대의 항만 도시로 발전했다.잇따라 칸사이(kannsai) 대도시권에서는, 당시의 아메리카 합중국을 모범으로 한 인터 어번(interurban.도시간전철) 노선의 건설이 왕성이 되었다.이것에 수반한, 한신 전기철도본선(1905년 개업), 계속 되는 미노오 아리마 전기 궤도( 후의 판급다카라즈카본선, 1910년 개업), 한신 급행 전철 코베본선(1920년 개업) 다른 개통은, 오사카·코베(kobe) 간의 미개발로 있던 근교 농촌 지대에의 주목의, 계기가 되어, 쾌적한 주환경 창조를 목적으로 하는 교외 신흥 주택지의 개발이, 오사카·코베(kobe) 간에 있어서 진행되었다(이 지구의 도시적, 문화적인 발달과 칸사이(kannsai)의 사영 철도 회사 자본은 끊을래야 끊을 수 없는 관계에 있다).오사카·코베(kobe) 사이에 있고, 우선은, 오사카·쿄토·코베(kobe)의 부유인 상인의 저택이 차례차례로 지어졌다.1910년대 이후가 되면, 실업가나 부유인 상인층 뿐만이 아니라, 지적 노동을 실시하는, 대학졸업의 회사원층을 시작으로 한 중류 계급(여기서 말하는 중류 계급과는, 노동자 계급에 대한 중류 계급)을 위한 주택지로서 발전하며 갔다.문화적, 경제적인 환경이 갖추어진 일로부터 예술가나 문화인등이 많이 이주해, 이전부터의 별장지에서 만난 록코산(rokkosan.코베(kobe)(교외를 포함한다)의 북부에 퍼지는 비교적 표고의 낮은 산들이 늘어서는 산지.코베(kobe) 도시권은, 기본적으로, 비교적 표고의 낮은 산들이 늘어서는 산지와 바다의 사이의 홀쪽한 토지에 퍼지고 있다)의 산상 및, 록풍인 시가지·교외 주택지가 된 산록과 바다의 사이에, 그들 부유층·새로운 지식자층·문화인등을 대상으로 한, 여가 활동·문화 활동을 실시하는 장소, 사교장등으로서의, 여러가지, 근대 오락시설·호텔등이 만들어져 대리조트(resort) 지가 형성되었다.그리고, 서양적인 생활 양식·문화·건축·가구·생활 용구등을, 일본인의 기호에 맞는 것처럼 도입한 근대 일본생활 양식의 일대(특별히 큰) 발신지로서의 토양이 길러졌던 것이다.1923년의 간동대지진(대지진 )에 의해서 계속적인 도시화가 일단 중단한 동경권과는 대조적으로, 도시 확대를 계속한 오사카 및 코베(kobe)의, 근교 지역의 개발 및 신흥 주택지화에 수반하고, 오사카의 북서부 근교(당시 )나 코베(kobe)의 서부 근교(당시 ) 등에도, 그 거점은 펼쳐져 갔다.그것들은, 현재에 이르는 일본의 예술이나 문화, 교육, 오락, 생활에 다대한 영향을 주었다.덴엔쵸후(denen cyoufu.아래의 보충 설명 참조) 등의, 1920년대부터 1930년대에, 도쿄 교외(당시 )에 개발된 신흥 주택지나 카루이자와(karuizawa.아래의 보충 설명 참조)의 개발등에도, 한신간 모더니즘(오사카·코베(kobe) 간modernism)의 영향을 볼 수 있다.」

덴엔쵸후(denen cyoufu):도쿄에서, 가장 유명한 고급 주택지의 하나.1920년대부터 1930년대에, 도쿄 교외(당시 )에 개발된, 신흥 주택지의 하나로, 1920년대 초에 개발되었다.제이차 세계대전전의, 1920년대부터 1930년대는, 덴엔쵸후(denen cyoufu)는, 현재정도의, 고급 주택지는 아니고, 중류 계급(여기서 말하는 중류 계급과는, 노동자 계급에 대한 중류 계급)이나 신흥 부자가 보내의, 교외의 신흥 주택지에서 있었다.

카루이자와(karuizawa):도쿄로부터, 자동차로, 약 2시간, 전철(신간선)로, 약 1시간의, 나가노(nagano) 현에 있는, 많은 도쿄의 비교적 유복한 사람들이 별장을 소유하는, 광대한 타카하라 별장지.19 세기말에, 일본 거주의 서양인을 위한 별장지로서 서양인에 의해서, 개발되기 시작했지만, 이윽고, 일본 자본도 본격적으로 개발에 참가해, 도쿄를 배후지에 가지는, 일본을 대표하는 고급 피서 별장지의 하나로 발전했다.제이차 세계대전전은, 카루이자와(karuizawa)에 별장을 소유하는 것은, 일본인의 부자와 일본 거주의 유복한 서양인만으로, 또 리조트(resort) 호텔도 고급의 것만으로, 카루이자와(karuizawa)는, 일반 서민에게는 인연이 없는, 상류층을 중심으로 한 사람들을 위한, 배타적인 고급 피서 별장지였지만, 제이차 세계대전에 의해서, 카루이자와(karuizawa)의 별장에서, 여름을 보내고 있던 일본 거주의 유복한 서양인들이, 모국에 돌아간 후는, 교체에, 제이차 세계대전 후의, 일본의 경제성장에 수반하고, 일본의 부자 뿐만 아니라, 중산층안에서도 비교적 유복한 사람들들이, 많이 카루이자와(karuizawa)에 별장을 소유하게 되어, 카루이자와(karuizawa)는, 광대한 타카하라 지대에, 별장지가 퍼지는, 일본 최대급의 별장지가 되었다.?`스, 제이차 세계대전 후의, 일본의 경제성장에 수반하고, 카루이자와(karuizawa)에 별장을 소유하고 있지 않아도, 많은, 도쿄 area의 일반 서민들도, 찌는 듯이 더운 여름의 도쿄를 떠나고, 카루이자와(karuizawa)에서 피서를 즐기는 것처럼 되었다.따라서, 현재는, 카루이자와(karuizawa)에는, 그 때문에의, 가격의 적당한 resort 호텔, 식당, 레스토랑, shopping mall,골프장등도 충실한다.이 일로부터, 카루이자와(karuizawa)는, 현재는, 부자만의 피서지는 아니고, (교통도 편리하고, 많은 일반 서민들도 여름 방학(휴가)를 보내러 온다) 단순하게 도쿄를 배후지에 가지는 피서지안에서, 대표적인 장소라고 하는 이미지가 되고 있다.

추가 보충 설명:제2차 세계대전전은, 일본에서는, 현재보다, 빈부의 격차가 격렬하고, 서민의 생활은, 당연, 현재보다, 훨씬 궁핍했습니다 해, 농촌의 소작인·저임금 공장 노동자등의 저소득자층의 생활상태는, 비참한 것이었지만, 상당히 류계급(여기서 말하는 중류 계급과는, 노동자 계급에 대한 중류 계급) 이상의 사람들의 생활은, 오히려, 현재보다, 풍부했습니다.제2차 세계대전 후, 농지 개혁에 의해, 지주로부터 소작인이 개방되어 귀족제도가 폐지되어 재벌은 해체되었습니다.그 결과, 상류계급은, 상당한 토지와 재산을 처분하지 않을 수 없습니다였습니다.이와 같이 하고, 상류계급이 이전과 같이 사치스러운 생활을 할 수 없게 된 한편, 농촌의(원) 소작인들은, 도쿄·오사카·나고야등의 대도시권이나, 지방도시에 유입해, 일본의 급속한 도시화(urbanization)를 재촉하는 것과 동시에, 공장 노동자나 샐러리맨(회사원)으로서 새로운 도시 서민층을 형성하게 되었습니다.농촌에는, 비교적 유복한 자작농민이 남은 한편, 고도 경제성장에 의한 대량생산·대량 소비 시대의 도래에 의해, 도시 서민층의 소비 생활수준은, 비약적으로 향상했습니다.또, 육체 노동자( 제2차 세계대전전에 있어서의, 주로 노동자계의`언j와 화이트 칼라(white-collar) 노동자의, 수입 격차 및(회사에 근무하고 있는 경우는) 대우 격차가 축소해, 양자의 생활수준은, 그렇게 변화가 없어졌습니다.이와 같이, 상류계급을 포함한 부유층의 몰락과 서민층의 생활의 향상의 결과, 일본은 1970년대부터 1980년대에는, 서쪽 선진국에서, 가장 평등한 나라와까지 말해지는 것처럼 되었습니다.무엇보다, 1980년대에 있어 조차도, (일본이라고 하는 나라 전체가 기세가 좋았던 때문에 눈에 띄지 않았던 것 뿐으로), 일본에도 빈부의 격차는, 분명하게 존재하고 있었고, 근년은, 일본에서, 미국과 같이(물론, 미국정도가 아닙니다만), 빈부의 격차가 확대하고 있습니다.

 

코베(kobe) 교외는, 일본에서, 가장, 많은 부자가 사는 지역의 하나가 되고 있습니다.특히, 코베(kobe)와 오사카의 사이는, 일본에서 가장 brand력의 높은 주택지역의 하나가 되고 있어 아마, 일본의 부자중에서도, 상위층에 위치하는 사람들이, 가장 많이 살고 있는 지역입니다.이와 같게, 코베(kobe) 교외에, 많은 부자가 집을 짓는(자세 하고 싶어한다) 것은, 위에서 설명한 한신간 모더니즘(오사카·코베(kobe) 간modernism)를 토대로 한, 세련된, 근·현대적인, 환경과 문화가, 이 땅에 있기 때문일지도 모릅니다.

 

사진 이하, 코베(kobe)의 도심부로부터, 히메지(himeji) 성(castle)이 있는 히메지(himeji) 시(코베(kobe)의 도심부에서 서쪽으로 약 60 km 떨어져 있다)를 향하는 도중에 방문한, 코베(kobe)의 서부 교외의 조용하고 침착한 주택지, 스마(suma)에서...스마(suma)는, 코베(kobe)의 도심부로부터 가장 가까운 비치 리조트(beach resort)가 되고 있어(코베(kobe)의 도심에서 서쪽으로 약 10 km, 오사카의 도심에서 서쪽으로 약 40 km), 여름에는, 코베(kobe)·오사카 도시권으로부터, 많은 사람들이, 스마(suma)의 비치(beach)에 해수욕에 방문합니다.스마(suma)를 방문한 것은, 이번이 처음입니다.

 

 

스마(suma) 별궁 공원으로 향하는 도중의 길에서...1920년대부터 1930년대에 지어졌다고 생각되는, 일본 전통식의 독립주택.스마(suma)는, 기본적으로, 코베(kobe)의 도심부에 가까운, 코베(kobe)의 서부 교외의 조용하고 침착한 주택지가 되고 있는 것 같습니다.

 

사진 이하 8매.스마(suma)에 있는 스마(suma) 별궁 공원.약 250,000평의 넓이의 공원에서, 서양식 정원을 중심으로 한 본원과 식물원으로부터 됩니다.이하, 스마(suma) 별궁 공원에 관한 설명은, wiki등을 참고로 했습니다.서양식 정원을 중심으로 한 본원(넓이 약 180,000평)은, 원래, 오오타니 고즈이(ootani kouzui.종교가.탐험가.귀족(백작))의 별장을 궁내성(현재에 있어서의 궁내청에 상당.황실(천황의 일족)에 관한 사무를 취해 실시하는, 나라의 행정 기관)이, 1907년에, 매입, 1908년부터 1914년에 걸치고, 황실(천황의 일족)의 별장(궁전)으로서 정비를 실시해, 이후, 제2차 세계대전의 끝까지, 황실(천황의 일족)의 별장(궁전)의 하나로서 사용되고 있던 것입니다( 제2차 세계대전 말기의 1945년에, 공습에 의해, 부지내의 건물군의, 대부분이 소실.제2차 세계대전 후는, 코베(kobe) 시의 소유가 되어, 정원은, 가능한 한, 전 상태에 복원 정비되어 공원으로서 개원했습니다).한편, 식물원(넓이 약 70000평)(분)편은, 원래, 제2차 세계대전전은, 코베(kobe)의 재벌, 오카자키(okazaki) 재벌의 당주 및, 그 가족이 살고 있던 저택이었던 물건입니다( 제2차 세계대전 후도, ( 구) 오카자키(okazaki) 재벌의 당주 및, 그 가족, 그 자손이 살고 있었는지, 혹은, 다른 사람의 손에 건넜는지, 잘 모릅니다만, 어쨌든, 코베(kobe) 시가, 1973년에 매수해, 식물원으로서 정비해, 스마(suma) 별궁 공원에 집어 넣었습니다).오카자키(okazaki) 재벌의 저택 시대( 제2차 세계대전전)에, 부지내에 지어진 건물중, 서양식의 저택의 건물에 대해서는, 1990년대 전반까지, 현존 하고 있었습니다만, 1995년에 떠난 한신 아와지 대지진(대지진)(코베(kobe)가 제일 큰 피해를 받았다)에서, 도괴했습니다.

사진 이하 8매는, 스마(suma) 별궁 공원의 본원의 분입니다(식물원은, 방문하지 않았습니다).

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 17매.여행 4일째의, 늦은 아침 식사겸 점심 식사는, 1919년에 지어진, 무역상의 서양식의 저택의 건물을 개장한, 프랑스 요리 레스토랑에서 먹었습니다.근년까지, 개인 소유로 개인이 살고 있었다?같습니다만, 현재는, 개장되어 고급 프랑스 요리 레스토랑이 되고 있습니다(초고급이라고 말할 정도는 아니다).부지면적은, 약 3,000평 있습니다.건물은, 1920년대부터 1930년대무렵에 지어진 나카가미류층의 서양식의 주택의 건물 중(안)에서도, 큰 것의 분이라고 생각합니다.현존 하고 있는, 1920년대부터 1930년대무렵에 지어진 나카가미류층의 서양식의 주택의 건물 중(안)에서, 이만큼 훌륭한 것은, 꽤 없다고 생각합니다.무엇보다, 현재도 개인 소유로 사람이 살고 있고, 비공개가 되어 있는 것에 대해서는, 잘 모릅니다만...

 

 

 

 

 

이렇게 말하는 낡은 서양식의 저택의 건물을 보면, 웬지 모르게, 「괴물 훈」의 집이나, 디즈니랜드(disneylamd)의 호른 테드 맨션(haunted mansion)을 생각해 내 버리는 w 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

여기는, 레스토랑에서 테이블(table)에 안내되는 것을 기다리는, 대합실.개인의 저택이었던 때도, 방문객(내빈)의 대합실이었다고 합니다.

 

코베(kobe)는, 일본에 있어서의 서양 요리·서양 과자의 중심지가 되고 있습니다.제2차 세계대전전에 있고, 요코하마항은, 주로, 일본과 북미(미국·캐나다)를 연결하는 항로를 담당하고 있던 것에 대해, 코베(kobe) 항은, 주로, 일본과 유럽을 연결하는 항로를 담당하고 있었다고 하는 것이, 관계하고 있는지도 모릅니다...

 

사진 이하 6매의 식사에 팬이 뒤따랐습니다.

 

전채.12 종류의 야채의 테리느(terrine)와 어개의 마리네(marinade).일인일명씩.

 

 

무의 스프(soup).일인일명씩.

 

 

내가 먹은 메인(main) 요리, 프랑스산, 자압육의 로티(roti), 에히메(ehime) 현으로부터 도착한 야채와 산초의 향기 감도는, 포트후(pot-au-feu) 완성.

 

 

그녀가 먹은 메인(main) 요리, 화(국산) 쇠고기의 흰색 와인(wine) 삶어.

 

 

디저트(dessert).일인일명씩.

 

 

도쿄로부터 왔다고 하면, 부탁한 메뉴(menu)에 없었다, 이런, 약간의, 덤을 붙여 주었습니다.접시의 우상에 그려져 있는 것은, 왼쪽에서, 이번, 저희들이, 코베(kobe)에서 숙박한 kobe merikenpark oriental hotel, 코베(kobe) 포토 타워(port tower), hotel okura kobe와 코베(kobe) 해양 박물관.좋은 추억이 되었습니다^^ (이 가게의 메뉴(menu) 중(안)에서는) 싼 메뉴(menu)를 부탁했는데, 이런, 약간의, 대접을 받으면, 장래 결혼할 때에는, 여기서, 결혼식을 올려도 괜찮을까..정말, 조금 생각해 버렸습니다 w(여기는, 결혼식의 회장으로서도 사용되고 있는 것 같습니다).뭐, 내가 사는 도쿄에서는, 먼데요..

 

칸사이(kansai) 여행&식사 9에 계속 된다.

 

길게 7회나 계속한, 쿄토편에 대해서, 1회만이었지만, 이것으로, 코베(kobe) 편은, 끝입니다.이 Series, 다음 번은, 히메지(himeji) 성(castle) 편입니다(히메지(himeji) 성(castle) 편도, 1회로, 끝낼 예정).



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