食べ物

 

 

4月の初旬、個人的に休みだった日(四月の第二金曜日)についての投稿です(前編と後編の二部構成です)。この日は、一日休みでしたが、近場で過ごしました。午前中は、運動を兼ねて(運動不足解消を兼ねて)、桜の花の時期の、私の街を、ぶらぶらと散歩、午後は、中目黒(nakameguro)に出て、目黒(meguro)川・代官山(daikanyama)を散歩しました。

 

以下、近場で過ごす休日&食べ物前編からの続き。。。

 

写真以下、36枚。この日、午後は、目黒(meguro)川・代官山(daikanyama)を散歩しました。目黒(meguro)川は、東京都心部の南西部から南部を流れて、東京湾へ至る、全長8km程の、幅の細い川です。目黒(meguro)川の約半分、東京都心部の南西部(ほぼ、目黒(meguro)区(東京中心部(東京23区)の南西部に位置する区)の北東部)を流れる、約4km部分の川沿いが、桜並木となっており、目黒(meguro)川は、東京都心部の桜の花の名所の一つとなっています。この時は、私達は、目黒(meguro)川は、目黒(meguro)川の桜並木になっている部分の北半分のさらに半分位(即ち、4分の一位)、中目黒(nakameguro)から代官山(daikanyama)areaの西郷山(saigouyama)公園辺りまでを、散歩しました(中目黒(nakameguro)areaは、代官山(daikanyama)areaの南西部に接し、目黒(meguro)川の一部は、代官山(daikanyama)areaの西部に接する様な形で流れています)。

 

 

 

中目黒(nakameguro)駅から撮影した、目黒(meguro)川の桜(渋谷(shibuya)駅方面から来ましたが、写真は、目黒(meguro)川の桜が、より良く見える、反対側のプラットホーム(platform)から撮影しました)。中目黒(nakameguro)駅は、東急(tokyu)東横(toyoko)線(渋谷(shibuya)と横浜の都心部を結ぶ通勤電車(韓国式に言えば地下鉄)路線)で、渋谷(shibuya)駅から、二駅目です(渋谷(shibuya)駅→代官山(daikanyama)駅→中目黒(nakameguro)駅。急行(express)等の場合、代官山(daikanyama)駅を抜かすので一駅)(ちなみに、目黒(meguro)区は、渋谷(shibuya)区の、北西部を除く西部に隣接しています)。

 

中目黒(nakameguro)areaは、目黒(meguro)区(東京中心部(東京23区)の南西部に位置する区)の北東部に位置するareaで、渋谷(shibuya)区(東京中心部(東京23区)の西部に位置する区)の南西部(代官山(daikanyama)・恵比寿area)に接しています。中目黒(nakameguro)areaは、やや雑然とした雰囲気もありますが、目黒(meguro)川沿いや、その他の場所に、若者や、比較的若い層向けの、洒落た、店や飲食店が、多く点在しており、若者や、比較的若い層に人気の高い街の一つとなっています。また、中目黒(nakameguro)areaの高級アパート(マンション)等には、芸能人が、多く暮らしているらしいです。

 

 

中目黒(nakameguro)の、お気に入りのピザ(pizza)レストランで食べた昼食。二人共、マルゲリータ(Margherita)を食べました。中目黒(nakameguro)には、もう一軒、個人的に、お気に入りのピザ(pizza)レストランがあるのですが、割と最近オープン(open)した、こちらの店の方が、より好みとなっています。

 

 

写真以下23枚。目黒(meguro)川沿いの店等を覗きながら、目黒(meguro)川を散歩。目黒(meguro)川の約半分、約4km部分の川沿いが、桜並木となっており、東京都心部の桜の花の名所の一つとなっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下2枚。出店(道端に臨時に出る店)で、スパークリングワイン(sparkling wine)を買って飲みました。桜の花の時期には、目黒(meguro)川沿いに、たくさんの屋台や出店が出ます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下11枚。(中目黒(nakameguro)areaの北東部に隣接する)代官山(daikanyama)areaを散歩。。。

 

東京中心部(東京23区)の西部に位置する渋谷(shibuya)区の南部は、商業地&高級住宅地と言った感じになっています(代官山(daikanyama)を含む西部は、目黒(meguro)区に隣接しています)。代官山(daikanyama)は、高級住宅地となっていますが(東京を代表する様な高級レストランも点在しています)、高級住宅地とは言っても、豪邸が建ち並ぶと言った程の雰囲気では無く、住宅価格や、マンション(アパート)の家賃がとても高い為に、暮らしている人々の平均収入が高く、高級住宅地となっている感じです。住人は、マンション(アパート)暮らしの、小金持ち・中金持ちの若い層や欧米企業の駐在員、外国大使館の職員等も、多い印象です。代官山(daikanyama)は、一応商業地区と言えなくも無いですが、、まとまった繁華街を形成すると言うよりは、レストラン、cafe、洒落た店等が、住宅街に溶け込んで存在していると言う感じです。また、代官山(daikanyama)の裏通りには、流行に敏感な、若者や比較的若い層向けの、cafeや店が数多く点在し、代官山(daikanyama)は、若者や比較的若い層に人気が高い街となっていると共に、原宿(harajyuku)等と並ぶ、東京の主要な流行の発信地の一つともなっています。

 

尚、代官山(daikanyama)areaと言う場合、若しくは、単に、代官山(daikanyama)と言う場合であっても、一般的に、目黒(meguro)区の青葉台(aobadai)(代官山(daikanyama)の西部に近接する、静かで落ち着いた住宅地)の一部等を含む、代官山(daikanyama)周辺地域も含まれると考えられている様です(私も、その様に考えています)。

 

写真以下7枚。菅刈(sugekari)公園&西郷(saigouyama)山公園。菅刈(sugekari)公園と西郷(saigouyama)山公園は、代官山(daikanyama)area(青葉台(aobadai))にある、比較的な小規模な公園で(菅刈(sugekari)公園、20,049平方m(約6,060坪)、西郷(saigouyama)山公園、10,549平方m(約3,190坪))、周辺住民の憩いの場となっている公園です。菅刈(sugekari)公園と西郷(saigouyama)山公園は、現在は、現代的な公園として整備されていますが、かつて、西郷 従道(saigo tsugumichi)の邸宅の内の一つ(敷地面積約60,000平方m(約18,150坪))(西郷 従道(saigo tsugumichi)の邸宅の内の一つになる前は、現在の大分(oita)県の、地方領主の一人の、東京の邸宅の一つだった)の、敷地の一部でした。
西郷 従道(saigou tsugumichi):1843年生まれ、1902年に亡くなる。軍人、政治家、貴族(侯爵)。西郷 隆盛(saigou takamori)(ここでは、説明を省略しますが、日本の歴史上の重要人物の一人)の弟。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

代官山(daikanyama)の大通りである旧山手通り。

 

 

写真以下3枚。キルフェボン(Quil fait bon)(タルト(tart)・ケーキ(cake)店。1号店は、静岡(shizuoka)店(静岡(shizuoka)県、静岡(shizuoka)市)。運営する会社の本社は、静岡(shizuoka)に有る)の、代官山(daikanyama)店に併設されているcafeで、タルト(tart)を食べました。キルフェボン(Quil fait bon)の代官山(daikanyama)店は、前は、時々利用していましたが、最近、ちょっと御無沙汰していました(訪れていませんでした)。

 

 

 

 

この時、私が食べた、グレープフルーツ(grapefruit)のタルト(tart)。

 

 

 

この時、彼女が食べた、季節の果物のタルト(tart)。

 

 

 

写真以下5枚。この日の夕食は、時々利用する、私の街(渋谷(shibuya)区中北部)の、主に東南アジア系の料理を出す、cafeで食べました。このcafeは、個人的に、前は、典型的な、お洒落系内装の、スノビッシュ(snobbish)なcafeとして、ちょっと小馬鹿にしていた部分があったのですが、最近、ちょっと認めて来てw、たまに利用すると言った程度から、時々利用すると言った感じになって来ました(年を取って、趣向が変化して来たのかな。。。)。尚、写真が暗くて申し訳ありません(店内の照明が暗いもので。。。)。

 

この時、私が飲んだ、飲み物の一つ。モヒート(mojito)。モヒート(mojito)は、私の好きな、カクテル(cocktail)の内の一つです。さっぱりとしたカクテル(cocktail)です。特に、暑い時期に、bar等で、飲む場合、最初の一杯は、このカクテル(cocktail)で、なんて事も、多いです。

 

写真以下4枚。おつまみ&食事。全て、二人で分けて食べました。通常は、このcafeで、例えば、二人で夕食を食べる場合、もう一品位、腹が減っている時は、もう2品位、さらには、気が向いたら、それ+デザート(dessert)も頼むのですが、この時は、おやつ(キルフェボン(Quil fait bon)のタルト(tart))を食べてから、あまり時間が経っておらず、二人共、それ程、お腹が空いていなかったので、やや少な目。。。

 

 

甘海老のカルパッチョ(carpaccio)、サラダ(salad)仕立て。

 

 

 

揚げ春巻き(spring roll)。

 

 

 

 

牛肉(和牛(wagyu))の網焼き(焼き物)。

 

 

 

ナシゴレン(Nasi goreng)。

 

 

近場で過ごす休日&食べ物、終わり。。。

 

写真以下6枚。おまけ1。この翌日(四月の第二土曜日)の夕食等。この日は、土曜日でしたが、個人的に、仕事でした。

 

写真以下5枚。お気に入りで、よく利用する、私の街の、手打ち蕎麦屋(蕎麦食堂)で食べた、この日の夕食。

 

三つ葉と、ズワイ蟹の、出汁巻き卵。

 

 

三浦(miura)半島産の黒鯛の、かま、岩塩焼き。

 

 

私が食べた、鴨汁の、つけ蕎麦の、鴨汁(中に鴨の肉が入っています)。

 

 

彼女が食べた、天麩羅蕎麦の、天麩羅等。

 

 

 

蕎麦。一人一皿ずつ(写真は、一人分)。

 

 

 

この日、夕食を済ませた後、我が家に帰って来て食べた甘い物。時々利用する、私の街の、(割と最近オープン(open)した)、ケーキ(cake)屋さんの、ケーキ(cake)。サバラン(savarin)と、桜のエクレア(eclair)。サバラン(savarin)と言えば、私は、子供の頃、生意気かもしれませんがw、サバラン(savarin)が、大好きでした。

 

 

写真以下22枚。おまけ2。前々回の投稿、「大井町(oimachi)線沿線散歩&食べ物」の、おまけです。前々回の投稿では、ゴールデンウィーク(Golden Week)の真中辺り、5月(今月)の第1週の水曜日に、大井町(oimachi)線の沿線を散歩して来た時の事について投稿しましたが、その後、数日間に食べた、食べ物の中から適当に。。。

 

写真以下2枚。その翌日(5月の第1週の木曜日)は、個人的に、仕事でしたが、我が家に帰って来て食べた甘い物の一つ(夕食は、外食で済ませました)。これ全部、一度に食べた訳では、ありませんが、頂き物の、ういろう(uiro)。ういろう(uiro)は、名古屋(nagoya)等で、よく食べられている、日本伝統菓子です(東京では、あまり人気がない。。。)。個人的に、ういろう(uiro)は、最も好きな、お菓子の一つです。これは、大阪の、絹笠(kinugasa)と言う、和菓子(日本伝統菓子)店(会社)(1867年創業)の、栗ういろう(uiro)です。

 

 

 

 

 

 

 

写真以下18枚。その、翌日(5月の第一週の金曜日)の昼食等。この日の昼食は、私達と、親しい友人夫妻、4人で、新宿で食べました。この日は、のんびりとした一日で、昼食後、ほんのり酔っ払いながら、新宿のデパートで、買い物等した後、我が家に帰りました。ちなみに、新宿(東京都心部の西部に位置する。新宿区(東京都心部の西部に位置する区)最大の繁華街であると共に、銀座(ginza)・有楽町(yurakucho)、渋谷(shibuya)と並ぶ、東京最大級の繁華街の一つ)は、個人的に、最も馴染みのある繁華街と言っても過言ではありません。。。我が家は、渋谷(shibuya)区の中北部にあり、我が家から、渋谷(shibuya)(渋谷(shibuya)区最大の繁華街)も、原宿(harajyuku)(渋谷(shibuya)区第二の繁華街)も、新宿も、直線距離にすれば、だいたい同じ位だと思うのですが、公共交通(電車)を使う場合、我が家から、一番早く着くのは、原宿(harajyuku)と新宿です(我が家の最寄り駅から、新宿までは、通勤電車(韓国式に言えば地下鉄)で、5分程。。)。したがって、新宿と渋谷(shibuya)を比較すると、昔から(私は、一人暮らしですが、実家は、近所にあります)、新宿の方が、より馴染んでいます(もっとも、高校生の頃は、渋谷(shibuya)で、よく遊んでいましたが。。。)。

 

以下、小さな字の部分は、新宿副都心についての説明ですが、興味のある方だけ、ご覧下さい。。。。

 

新宿副都心は、主として、1970年代に開発された、200m級の超高層ビルが建ち並ぶ、ビジネス(business)地区です。新宿副都心は、1970年代に開発された日本で最初の200m級超高層ビル群です。1970年代は、第2次世界大戦後の復興と高度経済成長が、一段落し(落ち着き)、日本が成熟した先進工業国としての道を歩き始めた年代です。1960年代までの、東京のビジネス(business)の中心地区と言えば、やはり圧倒的に東京駅を最寄駅とする丸の内(marunouchi)でした(東京都心部の中でも、中心的な地域に位置するmarunouchiは、今でも東京のbusinessの中心地区です)。丸の内(marunouchi)は、日本における産業革命から第2次世界大戦直前までの19世紀末から1930年代にかけて、西洋先進国の大都市中心部のビジネス(business)街と比べても見劣りしないビジネス(business)街を東京に造ろうと、当時のロンドン(London)のビジネス(business)街を模範として街単位で本気で開発がなされてきた地区です。このような、丸の内(marunouchi)に対して、第2次世界大戦後の経済復興を終えて、成熟した先進工業国としての道を歩き始めた日本の首都東京の、新しい顔を造ろうと、1970年代に、本気で開発された、新ビジネス(business)地区が、新宿副都心です。1960年代において、日本は、日本の様な地震地帯の大地震でも、大丈夫な超高層ビルを設計・建築する技術が成熟するに至り、1968年に、日本初の超高層ビル、霞ヶ関(kasumigaseki)ビル(日本初且つアジア初の超高層ビルであり、完成当時、アジアで最も高かったビル)が東京の霞ヶ関(kasumigaseki)に完成しました。こうした流れを受けて、新宿副都心は、日本初の200m級、超高層ビル街として1970年代に開発されました。1970年代に入ると、日本では、超高層ビルの建設が、本格化し、東京を中心として、次々と超高層ビルが、建てられる様になりました。これは、日本と同じく地震地帯にある、Los Angelsや、San Francisco等のアメリカ西海岸の大都市で、本格的に超高層ビルが建てられる様になった時期と一致しています。逆に、1970年代に入るまでは、アメリカの地震地帯では無い地域を除けば、世界に超高層ビルは、ほとんど存在しませんでした。1970年代に建てられた、新宿副都心の超高層ビルの設計は、全て日本人建築家又は、日本の建築設計会社の手によるものです。新宿副都心の超高層ビル群は、1970年代当時の、日本の超高層ビルの設計技術力及びデザイン(design)力を試す場でもあった事でしょう。新宿副都心の超高層ビル郡は、日本の首都東京の新しい顔として、本気で開発がなされた地区なので、主として1970年代に超高層ビルが建てられたエリア(area)は、超高層ビルとビルとの間隔、ビルのデザイン(design)や色の個性と調和等、ビル郡全体としての調和が、かなりよく考えられており、世界的に見ても、第一級の都市景観となっていると思います。もっとも、近年出来た、新しい超高層ビルによって、新宿の超高層ビル郡全体の景観の調和は、現在、やや崩れつつあります。日本以外のアジアで、超高層ビルを最も初期に建て始めたのは、香港とシンガポール(Singapore)です。香港と、シンガポール(Singapore)は、日本やアメリカ西海岸と違って、特に地震地帯ではありませんが、まだ、経済的に、発展途上であった為、日本と比べて超高層ビルが建てられ始める様になった時期が、若干遅れました(それでも、ほぼ同時期)。1970年代には、アジアにおける、超高層ビル建設をリード(lead)した日本ですが、日本に引き続き、1980年代に入ると、香港とシンガポール(Singapore)で、本格的な超高層ビル建設ラッシュ(rush)が始まります。また、1985年に、韓国のソウルに完成した、63ビル(高さ249m)は、当時アジアで、最も高いビルであった、日本のSunshine60ビル(1978年完成)を追い抜き、完成当時アジアで最も高いビルでした。この様に、1980年代に入ると、日本に続いて、香港、シンガポール(Singapore)、韓国が、まず、アジアにおける、超高層ビル建設をリード(lead)する様になりました。さらに、1990年代半ばに入ると、超高層ビル建設の波は、当時東南アジアで、最も勢い良く発展していた発展途上国、Thai,Malaysia,Indonesiaまで、広がり、最早、超高層ビルは、先進国、準先進国・地域(香港、Singapore、韓国)(当時。現在は、これ等の国・地域は、既に、先進国・地域に十分含まれるていると思います)、中進国(中南米、南アフリカ)だけの物では、無くなりました。さらに、90年代末以降は、中国が、超高層ビルの建設において、急速に台頭する様になり、近年では、超高層ビルの建設は、他の発展途上国にまで広がると供に、中東では、ドバイ(dubai)を中心とした、過熱とも言える超高層ビル建築ブーム(boom)が起りました。

 

 

写真以下8枚。新宿副都心(主として、1970年代に開発された日本で最初の200m級超高層ビル群)の風景(の一部)。新宿副都心の超高層ビル郡は、日本の首都、東京の新しい顔として、本気で開発がなされた地区なので、高層ビルとビルとの間隔、ビルのデザイン(design)や色の個性と調和等、ビル郡全体としての調和が、かなりよく考えられており、世界的に見ても、第一級の都市景観となっていると思います。尚、写真は、昼食後、新宿住友(新宿sumitomo)ビル)のロビー(lobby)で、友人夫妻と別れてから、少し、ぶらぶら散歩しながら、撮影しました。超高層ビルの説明は、写真に写っている超高層ビルの内、東京都庁以外は、1970年代に建てられた物だけについて解説しています(解説している超高層ビルの設計は、全て日本人建築家又は、日本の建築設計会社の手によるものです。新宿副都心の超高層ビル群は、1970年代当時の、日本の超高層ビルの設計技術力及びデザイン(design)力を試す場でもあった事でしょう)。

 

写真中央部分は、東京都庁ビル。東京都(日本の47の都道府県(prefecture)の内の一つ。主に、東京中心部(東京23区)と東京の西部郊外・近郊から成る)の庁舎(government building)となっているビルです。写真中央部分の右側が、東京都庁第一本庁舎ビル(一般的に、東京都庁ビルと言う場合、このビルを指す事が多い様です)。1991年完成。高さは、243.4m。設計は、丹下健三(Tange Kenzo)(下の補足説明参照)です。新宿副都心の超高層ビルの中では、比較的、新しい方のビルですが、現在は、新宿副都心を代表する超高層ビルとなっています。写真中央部分の左側は、東京都庁第二本庁舎ビル。高さは、163m。1991年完成。設計は、同じく丹下健三(Tange Kenzo)。こちらも、大きなビルです。ちなみに、東京都庁ビルを設計した丹下健三(Tange Kenzo)は、シンガポール(Singapore)で、最も高い三つのビルの内、二つの設計を手掛けています(OUB center(1986年完成)、UOB plaza one(1995年完成))。シンガポール(Singapore)のスカイライン(skyline)で、目立つビルのデザイン(design)の傾向が、何となく、東京都庁ビルに似ているのは、その為です。ちなみに、シンガポール(Singapore)で、最も高い三つのビルの内、残りの一つ(republic plaza。1995年に完成)は、丹下健三(Tange Kenzo)弟子であり、日本の、世界最高水準の建築家の一人で有る、黒川 紀章(kurokawa kisyo)が、設計しました。
丹下 健三(Tange Kenzo):日本の世界最高水準の建築家の一人。1950年代から、亡くなる近くまで活躍。日本人建築家の中で、初めて世界に名が知られた建築家であると供に、1960年代に、日本を、現代建築設計の分野において、世界最高水準の国の一つに、引き上げた人物として知られています。1913年に生れ、90歳以上生きて、2005年に、亡くなりました。丹下健三(Tange Kenzo)の弟子には、磯崎 新(Isozaki Arata)、黒川 紀章(kurokawa kisyo)、槇 文彦(maki fumihiko)と言った、世界的に有名な、日本人建築家達が、名を連ねています。黒川 紀章(kurokawa kisyo)は、既に亡くなりましたし、他の弟子達も、既に、80歳前後の高齢です。

 

 

写真右端、keio plazaホテル。

 

 

写真中央、東京都庁第一本庁舎ビル。写真右端、新宿住友(新宿sumitomo)ビル。写真左端に、ほんの少し見えているのは、keio plazaホテル。

 

 

写真以下2枚。keio plazaホテル。1971年完成。高さは、178m。当時、アジアで最も高いビルであった、日本(東京)の世界貿易センタービル(world trade center building)を追い抜き、完成当時アジアで最も高いビルでした。日本で、最初、また、アジアでも最初の超高層ホテルです。

 

 

 

 

 

 

 

写真左側の黒いビルは、新宿三井(新宿mitsui)ビル。写真中央の奥に見えるビルは、損保(Sompo )Japan本社ビル。高さ200m。1976年完成した、オフィス(office)用ビルです。その右に見える、茶色い色のビルは、新宿centerビル。高さ216m。1979年完成した、オフィス(office)用ビルです。

 

 

写真左から、新宿三井(新宿mitsui)ビル、新宿野村(nomura)ビル(写真中央の奥。高さ209.9m。1978年完成のオフィス(office)用ビル)、損保(Sompo )Japan本社ビル(頭の一部だけ、少し見える)、新宿centerビル(写真右端)。

 

 

写真左、新宿住友(新宿sumitomo)ビル。写真右の黒い色のビル、新宿三井(新宿mitsui)ビル。新宿三井(新宿mitsui)ビルは、1974年9月に完成した、高さ、225mの、オフィス(office)用ビルです。新宿住友(新宿sumitomo)ビルを追い抜き、完成当時、アジアで最も高いビルでした。新宿住友(新宿sumitomo)ビルの高さ210m及び、新宿三井(新宿mitsui)ビルの高さ225mは、1972年に完成した、フランスで最初の高さ100mを越す超高層ビルであり、且つ、完成当時、西ヨーロッパで最も高いビルであった、Tour Montparnasseの高さ、210mを意識した物なのかも知れません(ちなみに、Tour Montparnasseは、1990年まで、西ヨーロッパで最も高いビルでした)。

 

 

写真以下4枚。新宿住友(新宿sumitomo)ビル。1974年3月に完成した、高さ210mの、オフィス(office)用ビルです。日本のみならず、アジアでも最初の高さ200m以上のビルです。完成当時アジアで最も高いビルでした。断面が、3角形(の様な形)の、個性的なデザイン(design)の超高層ビルである事から、3角ビルと呼ばれています。

 

 

 

 

 

 

 

写真以下2枚。新宿住友(新宿sumitomo)ビルの、1階のロビー(lobby)から上を見上げる。。。新宿住友(新宿sumitomo)ビルの内側は、断面が三角状の、吹き抜けとなっています。

 

 

 

 

 

 

新宿住友(新宿sumitomo)ビルは、基本的には、オフィス(office)用ビルですが、48階から52階までは、レストラン用の階となっており、特に、49階から52階は、レストラン街となっています。また、51階には、無料の展望台があります。新宿住友(新宿sumitomo)ビルは、子供の頃、親が、たまに連れて来てくれた記憶があります。

 

写真以下6枚、新宿住友(新宿sumitomo)ビルの52階のレストラン街に入っている、比較的、カジュアル(casual)な雰囲気の、イタリア料理レストランで食べた、この日の昼食。この日の昼食は、前述の通り、私達と、親しい友人夫妻、4人で食べました。これに、あと、サラダ(salad)、パンが付きます。このレストランは、何度か利用して、割と良い印象を持っていた、眺望の良いレストランです(夜景も綺麗です)。

 

前菜、一人一皿ずつ。

 

 

ゴボウのスープ(soup)。一人一皿ずつ。

 

 

写真以下3枚は、全て4人で分けて食べました。

 

ピザ(pizza)。

 

 

写真以下2枚。パスタ(pasta)。

 

 

 

 

一見、ツナ(tuna)のパスタ(pasta)の様にも見えますが、鮭(salmon)のパスタ(pasta)です。

 

 

 

デザート(dessert)。一人一皿ずつ。

 

このレストランでは、パスタ(pasta)を主体とした食事をしたのは、今回が初めてでした。このレストランで、パスタ(pasta)を食べた事がなかった訳ではありませんが、今回、パスタ(pasta)を主体とした食事をしてみて、このレストランは、パスタ(pasta)は、今一つだなと言う事を実感しました。このレストランは、ピザ(pizza)を、売り(自慢のメニュー(menu))としているレストランですが、やはり、このレストランは、パスタ(pasta)よりも、ピザ(pizza)の方が、美味しいと思います(このレストランのピザ(pizza)は、中々美味しいと思います)。

 

 

 

この日、我が家で食べた夕食の、メイン(main)の、おかず。。。。鱸のアクアパッツァ(acqua pazza)(二人分。私は、二切れ)。我ながら、とても美味しく出来ました。

 

 

 

 

その翌日(5月の第一週の土曜日)、我が家で一人で食べた夕食。この日は、我が家の近所の友人夫妻(この前日に、新宿で、一緒に昼食を食べた夫妻とは、別の夫妻です。。。前日に、新宿で、一緒に昼食を食べた夫妻は、新宿に割と近い場所に住んでいますが、我が家の近所に住んでいる訳ではありません。。。)の家で、昼から夕方まで、だらだらと宴会(party)だったのですが、その余り物の、出前(delivery)の寿司を貰った物。。。(写真は、我が家で、皿に移してから撮りました)。中々、腹が減らずに、かなり、夜遅くに食べました。この寿司、宴会(party)でも食べましたが、美味しかったです。

 

 

 

写真以下9枚。おまけ3。適当に、昼食の中から。。。

 

写真以下2枚。前にkjでアップ(upload)した写真の再利用ですが、横浜(東京areaの海の玄関口(gateway)となっている、大きな港町)の、日本大通りの、風景。。。日本大通りは、関内(kannai)area(横浜の都心部に有る、横浜の古くからの中心ビジネス(business)地区)に有る、横浜を代表する通りです。関内(kannai)areaには、第2次世界大戦前(1920年代から1930年代頃)の関内(kannai)areaの姿を想像させる、第2次世界大戦末期の空襲や、戦後の建て替えの波の中で生き残った、1910年代から1930年代頃に建てられた建物が点在しています。

 

 

 

 

 

 

写真以下6枚。先々週の水曜日、横浜で、仕事の用事を終えた後、日本大通りある、アルテリーベ(Alte Lieve)と言う、西洋料理レストランで、昼食を食べました。アルテリーベ(Alte Lieve)は、1929年にオフィス(office)用ビルとして建てられた建物の中に入っている、西洋料理レストランです。このレストランは、高級レストランのイメージがあったのですが、ふっと、店先のメニュー(menu)を見た所、(平日の?)昼は、軽目の食事を、割と手頃な値段で食べられる事を知り、この日の昼食で、利用しました。

 

 

 

 

 

 

 

パン。

 

 

 

バター(butter)。

 

 

 

 

付け合せ(side dish)のサラダ(salad)。

 

 

 

メイン(main)料理。ローストポーク(roast pork)。

 

 

 

 

先々週の木曜日、新宿で、仕事の用事(仕事の外回り)を終えた後、千吉(senkichi)の新宿店で食べた、遅目の昼食。新宿は、仕事の用事(仕事の外回り)でも、よく訪れます(と言うか、現在は、新宿は、仕事の用事での方が、よく訪れる感じです。。。休日は、もっと遠くに、遊びに行ってしまう事が、多いので。。。)。千吉(senkichi)は、カレー(curry)うどん(下の補足説明参照)の、チェーン(chain)店です。私は、カレー(curry)うどんは、基本的には、あまり来ない食べ物なのですが、このチェーン(chain)店のカレー(curry)うどんは、中々美味しいと思います。千吉(senkichi)の新宿店は、新宿に、仕事の用事で訪れた際、よく利用しています。写真は、この日食べた、トマト(tomato)カレー(curry)うどん。個性的な、カレー(curry)うどんに属しますが、千吉(senkichi)で、個人的に、お気に入りのメニュー(menu)になっています(まあ、(千吉(senkichi)の)普通のカレー(curry)うどんも、よく食べていますが。。。)。
カレー(curry)うどん:近代に生まれた、日本の大衆食の一つ。100年程前に生まれた食べ物で、まあ、うどんにカレー(curry)を入れた様な食べ物。

 

 

P.S.済みません、今から、出張に出てしまい、出張中は、忙しいので、コメントをつけて下さった方への返事(reply)は、週末頃になってしまうと思います(返事(reply)は、遅れても、必ずつけるつもりでいます。最近は、食べ物板の投稿の流れが遅いので、おそらく、悪質な連続投稿をする人でもいない限り、この投稿は、週末辺りでも、2画面目以内に、留まっている物と思われます)。出張から帰って来てから投稿してもいいかなとも思ったのですが、投稿文の、ほとんどが、作成済みであった事(新宿副都心及び、その超高層ビルの説明なんかは、ほとんど全て、私が過去に作成し、enjoyやkjに投稿した文の、コピーです)、前回の投稿、「近場で過ごす休日&食べ物前編」と、一纏まりの投稿にしたかったので。。。

 


근처에서 보내는 휴일&음식 후편

 

 

4월의 초순, 개인적으로 휴일이었던 날(4월의 제2 금요일)에 대한 투고입니다(전편과 후편의 이부 구성입니다).이 날은, 하루 휴일이었지만, 근처에서 보냈습니다.오전중은, 운동을 겸하고(운동부족 해소를 겸하고), 벚꽃의 시기의, 나의 거리를, 어슬렁어슬렁산책, 오후는, 나카메구로(nakameguro)에 나오고, 메구로(meguro) 강·다이칸산(daikanyama)을 산책했습니다.

 

이하, 근처에서 보내는 휴일&음식 전편으로부터의 계속...

 

사진 이하, 36매.이 날, 오후는, 메구로(meguro) 강·다이칸산(daikanyama)을 산책했습니다.메구로(meguro) 강은, 도쿄도심부의 남서부에서 남부를 흐르고, 도쿄만에 도달하는, 전체 길이 8 km 정도의, 폭의 가는 강입니다.메구로(meguro) 강의 약 반, 도쿄도심부의 남서부(거의, 메구로(meguro) 구(도쿄 중심부(도쿄 23구)의 남서부에 위치하는 구)의 북동부)를 흐르는, 약 4 km부분의 강가가, 벚꽃길이 되고 있어 메구로(meguro) 강은, 도쿄도심부의 벚꽃의 명소의 하나가 되고 있습니다.이 때는, 저희들은, 메구로(meguro) 강은, 메구로(meguro) 강의 벚꽃길이 되어 있는 부분의 북반 분의 또한 반 정도(즉, 4 분의 1위), 나카메구로(nakameguro)로부터 다이칸산(daikanyama) area의 서향산(saigouyama) 공원 근처까지를, 산책했던(나카메구로(nakameguro) area는, 다이칸산(daikanyama) area의 남서부에 접해, 메구로(meguro) 강의 일부는, 다이칸산(daikanyama) area의 서부에 접하는 것 같은 형태로 흐르고 있습니다).

 

 

 

나카메구로(nakameguro) 역으로부터 촬영한, 메구로(meguro) 강의 사쿠라(시부야(shibuya) 역 방면에서 왔습니다만, 사진은, 메구로(meguro) 강의 벚꽃이, 보다 좋게 보이는, 반대측의 플랫폼(platform)으로부터 촬영했습니다).나카메구로(nakameguro) 역은, 토큐(tokyu) 동 횡(toyoko) 선(시부야(shibuya)와 요코하마의 도심부를 묶는 통근 전철(한국식에 말하면 지하철) 노선)로, 시부야(shibuya) 역으로부터, 2역눈입니다(시부야(shibuya) 역→다이칸산(daikanyama) 역→나카메구로(nakameguro) 역.급행(express) 등의 경우, 다이칸산(daikanyama) 역을 빠뜨리므로 1역)(덧붙여서, 메구로(meguro) 구는, 시부야(shibuya) 구의, 북서부를 제외한 서부에 인접하고 있습니다).

 

나카메구로(nakameguro) area는, 메구로(meguro) 구(도쿄 중심부(도쿄 23구)의 남서부에 위치하는 구)의 북동부에 위치하는 area로, 시부야(shibuya) 구(도쿄 중심부(도쿄 23구)의 서부에 위치하는 구)의 남서부(다이칸산(daikanyama)·에비스 area)에 접하고 있습니다.나카메구로(nakameguro) area는, 약간 지저분하게 어질러진 분위기도 있습니다만, 메구로(meguro) 강가나, 그 외의 장소에, 젊은이나, 비교적 젊은 층 전용의, 멋부린, 가게나 음식점이, 많게 점재하고 있어, 젊은이나, 비교적 젊은 층에 인기가 높은 거리의 하나가 되고 있습니다.또, 나카메구로(nakameguro) area의 고급 아파트(맨션) 등에는, 연예인이, 많이 살고 있는 것 같습니다.

 

 

나카메구로(nakameguro)의, 마음에 드는 피자(pizza) 레스토랑에서 먹은 점심 식사.두 명모두, 마르게리타(Margherita)를 먹었습니다.나카메구로(nakameguro)에는, 이제(벌써) 한 채, 개인적으로, 마음에 드는 피자(pizza) 레스토랑이 있습니다만, 생각보다는 최근 오픈(open)한, 이쪽의 가게가, 가리기가 되고 있습니다.

 

 

사진 이하 23매.메구로(meguro) 강가의 가게등을 들여다 보면서, 메구로(meguro) 강을 산책.메구로(meguro) 강의 약 반, 약 4 km부분의 강가가, 벚꽃길이 되고 있어 도쿄도심부의 벚꽃의 명소의 하나가 되고 있습니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 2매.출점(길가에 임시에 나오는 가게)에서, 발포성 포도주(sparkling wine)를 사 마셨습니다.벚꽃의 시기에는, 메구로(meguro) 강가에, 많은 포장마차나 출점이 나옵니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 11매.(나카메구로(nakameguro) area의 북동부에 인접한다) 다이칸산(daikanyama) area를 산책...

 

도쿄 중심부(도쿄 23구)의 서부에 위치하는 시부야(shibuya) 구의 남부는, 상업지&고급 주택지라고 말한 기분이 들고 있습니다(다이칸산(daikanyama)을 포함한 서부는, 메구로(meguro) 구에 인접하고 있습니다).다이칸산(daikanyama)은, 고급 주택지가 되고 있습니다만(도쿄를 대표하는 것 같은 고급 레스토랑도 점재하고 있습니다), 고급 주택지라고는 해도, 대저택이 늘어선다고 했을 정도의 분위기는 아니고, 주택 가격이나, 맨션(아파트)의 집세가 매우 비싸기 때문에, 살고 있는 사람들의 평균 수입이 높고, 고급 주택지가 되고 있는 느낌입니다.거주자는, 맨션(아파트) 생활의, 약간의 돈 소유·나카가네 소유의 젊은 층이나 구미 기업의 주재원, 외국 대사관의 직원등도, 많은 인상입니다.다이칸산(daikanyama)은, 일단 상업지구라고 말할 수 없지도 않습니다만, , 결정된 번화가를 형성한다고 하는 것보다는, 레스토랑, cafe, 멋부린 가게등이, 주택가에 용해해 존재하고 있다고 하는 느낌입니다.또, 다이칸산(daikanyama)의 뒷 골목에는, 유행에 민감한, 젊은이나 비교적 젊은 층 전용의, cafe나 가게가 많이 점재해, 다이칸산(daikanyama)은, 젊은이나 비교적 젊은 층에 인기가 높은 거리가 되고 있음과 동시에, 하라쥬쿠(harajyuku) 등으로 대등한, 도쿄의 찬`와v인 유행의 발신지의 하나나 되고 있습니다.

 

상, 다이칸산(daikanyama) area라고 하는 경우, 혹은, 단지, 다이칸산(daikanyama)이라고 하는 경우여도, 일반적으로, 메구로(meguro) 구의 아오바다이(aobadai)(다이칸산(daikanyama)의 서부에 근접하는, 조용하고 침착한 주택지)의 일부등을 포함한, 다이칸산(daikanyama) 주변지역도 포함된다고 생각되고 있는 것 같습니다( 나도, 그님이 생각하고 있습니다).

 

사진 이하 7매.스가카리(sugekari) 공원&서향(saigouyama) 산공원.스가카리(sugekari) 공원과 서향(saigouyama) 산공원은, 다이칸산(daikanyama) area(아오바다이(aobadai))에 있는, 비교적인 소규모의 공원에서(스가카리(sugekari) 공원, 20,049평방 m( 약 6,060평), 서향(saigouyama) 산공원, 10,549평방 m( 약 3,190평)), 주변 주민의 휴식의 장소가 되고 있는 공원입니다.스가카리(sugekari) 공원과 서향(saigouyama) 산공원은, 현재는, 현대적인 공원으로서 정비되고 있습니다만, 일찌기, 사이고 쓰구미치(saigo tsugumichi)의 저택 중의 하나(부지면적 약 60,000평방 m( 약 18,150평))(사이고 쓰구미치(saigo tsugumichi)의 저택 중의 하나가 되기 전은, 현재의 상당히(oita) 현의, 지방 영주의 한 명의, 도쿄의 저택의 하나였다)의, 부지의 일부였습니다.
사이고 쓰구미치(saigou tsugumichi):1843 년생, 1902년에 죽는다.군인, 정치가, 귀족(후작).사이고 다카모리(saigou takamori)(여기에서는, 설명을 생략 합니다만, 일본의 역사상의 중요 인물의 한 명)의 남동생.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

다이칸산(daikanyama)의 큰 길인 구야마테도리.

 

 

사진 이하 3매.키르페본(Quil fait bon)(과일 파이(tart)·케이크(cake) 점.1호점은, 시즈오카(shizuoka) 점(시즈오카(shizuoka) 현, 시즈오카(shizuoka) 시).운영하는 회사의 본사는, 시즈오카(shizuoka)에 있다)의, 다이칸산(daikanyama) 점에 병설되고 있는 cafe로, 과일 파이(tart)를 먹었습니다.키르페본(Quil fait bon)의 다이칸산(daikanyama) 점은, 전은, 가끔 이용하고 있었습니다만, 최근, 조금 무소식 하고 있었습니다(방문하고 있지 않았습니다).

 

 

 

 

이 때, 내가 먹은, 그레이프 후르츠(grapefruit)의 과일 파이(tart).

 

 

 

이 때, 그녀가 먹은, 계절의 과일의 과일 파이(tart).

 

 

 

사진 이하 5매.이 날의 저녁 식사는, 가끔 이용하는, 나의 가(시부야(shibuya) 구중 북부)의, 주로 동남아시아계의 요리를 내는, cafe로 먹었습니다.이 cafe는, 개인적으로, 전은, 전형적인, 멋부려 계 내장의, 스노빗슈(snobbish)인 cafe로서 조금 바보 취급하고 있던 부분이 있었습니다만, 최근, 조금 인정해 와 w, 이따금 이용한다고 한 정도로부터, 가끔 이용한다고 한 기분이 들어 왔습니다(나이를 먹고, 취향이 변화해 왔던가...).상, 사진이 어두워서 죄송합니다(점내의 조명이 어두워서...).

 

이 때, 내가 마신, 음료의 하나.모히트(mojito).모히트(mojito)는, 내의 좋아하는, 칵테일(cocktail) 중의 하나입니다.시원시원한 칵테일(cocktail)입니다.특히, 더운 시기에, bar등으로, 마시는 경우, 최초의 한 잔은, 이 칵테일(cocktail)로, 같은 일도, 많습니다.

 

사진 이하 4매.안주&식사.모두, 둘이서 나누어 먹었습니다.통상은, 이 cafe로, 예를 들면, 둘이서 저녁 식사를 먹는 경우, 이제(벌써) 일품위, 배가 고플 때는, 이제(벌써) 2 품위, 또, 기분이 내키면, 그것+디저트(dessert)도 부탁합니다만, 이 때는, 간식(키르페본(Quil fait bon)의 과일 파이(tart))를 먹고 나서, 너무 시간이 지나지 않고, 두 명모두, 그렇게, 배가 비지 않았기 때문에, 약간 적은 눈...

 

 

새우의 카파치오(carpaccio), 사라다(salad) 완성.

 

 

 

튀김 춘권(spring roll).

 

 

 

 

쇠고기(일본소(wagyu))의 석쇠 구이(구이).

 

 

 

나시고렌(Nasi goreng).

 

 

근처에서 보내는 휴일&음식, 마지막...

 

사진 이하 6매.덤 1.이 다음날(4월의 제2 토요일)의 저녁 식사등.이 날은, 토요일이었지만, 개인적으로, 일이었습니다.

 

사진 이하 5매.마음에 드는 것으로, 자주(잘) 이용하는, 나의 거리의, 수타 소바가게(소바 식당)에서 먹은, 이 날의 저녁 식사.

 

세닢과 즈와이게의, 국물 권알.

 

 

미우라(miura) 반도산의 흑 도미의, 가마, 암염 구이.

 

 

내가 먹은, 오리국물의, 청구서 소바의, 오리국물(안에 오리의 고기가 들어가 있습니다).

 

 

그녀가 먹은, 튀김국수의, 천부라등.

 

 

 

소바.일인일명씩(사진은, 일인분).

 

 

 

이 날, 저녁 식사를 끝마친 후, 우리 집에 돌아와 먹은 단 것.가끔 이용하는, 나의 거리의, (생각보다는 최근 오픈(open)한), 케이크(cake) 가게의, 케이크(cake).사바랭(savarin)과 벚꽃의 에크레아(eclair).사바랭(savarin)이라고 말하면, 나는, 어릴 적, 건방질지도 모릅니다만 w, 사바랭(savarin)이, 정말 좋아했습니다.

 

 

사진 이하 22매.덤 2.전전번의 투고, 「오이마치(oimachi) 선연선 산책&음식」의, 덤입니다.전전번의 투고에서는, 골든 위크(Golden Week)의 한가운데 근처, 5월(이번 달)의 제1주의 수요일에, 오이마치(oimachi) 선의 연선을 산책해 왔을 때의 일에 대해 투고했습니다만, 그 후, 몇일간에 먹은, 음식중에서 적당하게...

 

사진 이하 2매.그 다음날(5월의 제1주의 목요일)은, 개인적으로, 일이었지만, 우리 집에 돌아와 먹은 단 것의 하나(저녁 식사는, 외식으로 끝마쳤습니다).이것 전부, 한 번에 먹은 것은, 없습니다만, 선물의, 필요하자(uiro).필요하자(uiro)는, 나고야(nagoya) 등에서, 잘 먹을 수 있고 있는, 일본 전통 과자입니다(도쿄에서는, 별로 인기가 없다...).개인적으로, 필요하자(uiro)는, 가장 좋아하는, 과자의 하나입니다.이것은, 오사카의, 견립(kinugasa)이라고 말하는, 일본식 과자(일본 전통 과자) 점(회사)(1867년 창업)의, 률필요하자(uiro)입니다.

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 18매.그, 다음날(5월의 제일주의 금요일)의 점심 식사등.이 날의 점심 식사는, 저희들과 친한 친구 부부, 4명으로, 신쥬쿠에서 먹었습니다.이 날은, 한가롭게 한 하루로, 점심 식사 후, 희미하게 몹시 취하면서, 신쥬쿠의 백화점에서, 쇼핑등 한 후, 우리 집에 돌아갔습니다.덧붙여서, 신쥬쿠(도쿄도심부의 서부에 위치한다.신쥬쿠구(도쿄도심부의 서부에 위치하는 구) 최대의 번화가임과 동시에, 긴자(ginza)·유라쿠쵸(yurakucho), 시부야(shibuya)와 대등한, 도쿄 최대급의 번화가의 하나)는, 개인적으로, 가장 익숙한 것이 있는 번화가라고 해도 과언이 아닙니다...우리 집은, 시부야(shibuya) 구안북부에 있어, 우리 집으로부터, 시부야(shibuya)(시부야(shibuya) 구 최대의 번화가)도, 하라쥬쿠(harajyuku)(시부야(shibuya) 구 제2의 번화가)도, 신쥬쿠도, 직선 거리로 하면, 대체로 같은 정도라고 생각합니다만, 공공 교통(전철)을 사용하는 경우, 우리 집으로부터, 제일 빨리 도착하는 것은, 하라쥬쿠(harajyuku)와 신쥬쿠입니다(우리 집의 근처역으로부터, 신쥬쿠까지는, 통근 전철(한국식에 말하면 지하철)로, 5분 정도..).따라서, 신쥬쿠와 시부야(shibuya)를 비교하면, 옛부터( 나는, 독신 생활입니다만, 친가는, 근처에 ?`항와), 신쥬쿠가, 보다 친숙해 지고 있습니다(가장, 고교생의 무렵은, 시부야(shibuya)에서, 잘 놀고 있었습니다만...).

 

이하, 작은 글자의 부분은, 신쥬쿠 부도심에 대한 설명입니다만, 흥미가 있는 분만, 봐 주세요....

 

신쥬쿠 부도심은, 주로, 1970년대에 개발된, 200 m급의 초고층 빌딩이 늘어서는, 비지니스(business) 지구입니다.신쥬쿠 부도심은, 1970년대에 개발된 일본에서 최초의 200 m급 초고층 빌딩군입니다.1970년대는, 제2차 세계대전 후의 부흥과 고도 경제성장이, 일단락해(침착성), 일본이 성숙한 선진 공업국으로서의 길을 걷기 시작한 연대입니다.1960년대까지의, 도쿄의 비지니스(business)의 중심지구라고 말하면, 역시 압도적으로 도쿄역을 제일 가까운 역으로 하는 마루노우치(marunouchi)였습니다(도쿄도심부안에서도, 중심적인 지역에 위치하는 marunouchi는, 지금도 도쿄의 business의 중심지구입니다).마루노우치(marunouchi)는, 일본에 있어서의 산업혁명으로부터 제2차 세계대전 직전까지의 19 세기말로부터 1930년대에 걸치고, 서양 선진국의 대도시 중심부의 비지니스(business) 거리와 비교해도 열등하지 않는 비지니스(business) 거리를 도쿄에 만들려고, 당시의 런던(London)의 비지니스(business) 거리를 모범으로서 거리 단위로 진심으로 개발이 이루어져 온 지구입니다.이러한, 마루노우치(marunouchi)에 대해서, 제2차 세계대전 후의 경제 부흥을 끝내고, 성숙한 선진 공업국으로서의 길을 걷기 시작한 일본의 수도 도쿄의, 새로운 얼굴을 만들려고, 1970년대에, 진심으로 개발된, 신비지니스(business) 지구가, 신쥬쿠 부도심입니다.1960년대에 있고, 일본은, 일본의 같은 지진 지대의 대지진에서도, 괜찮은 초고층 빌딩을 설계·건축하는 기술이 성숙하기에 이르러, 1968년에, 일본 최초의 초고층 빌딩, 가스미가세키(kasumigaseki) 빌딩(일본 최초 한편 아시아 첫 초고층 빌딩이며, 완성 당시 , 아시아에서 가장 비쌌던 빌딩)이 도쿄의 가스미가세키(kasumigaseki)에 완성했습니다.이러한 흐름을 받고, 신쥬쿠 부도심은, 일본 최초의 200 m급, 초고층 빌딩거리로서 1970년대에 개발되었습니다.1970년대에 들어오면, 일본에서는, 초고층 빌딩의 건설이, 본격화해, 도쿄를 중심으로서 차례차례로 초고층 빌딩이, 지어지는 것처럼 되었습니다.이것은, 일본과 같이 지진 지대에 있는, Los Angels나, SanFrancisco등의 미국 서해안의 대도시에서, 본격적으로 초고층 빌딩이 지어지는 것처럼 되었던 시기와 일치하고 있습니다.반대로, 1970년대에 들어올 때까지는, 미국의 지진 지대는 아닌 지역을 제외하면, 세계에 초고층 빌딩은, 거의 존재하지 않았습니다.1970년대에 지어진, 신쥬쿠 부도심의 초고층 빌딩의 설계는, 모두 일본인 건축가 또는, 일본의 건축 설계 회사의 손에 의하는 것입니다.신쥬쿠 부도심의 초고층 빌딩군은, 1970년대 당시의, 일본의 초고층 빌딩의 설계 기술력 및 디자인(design) 력을 시험하는 장소이기도 한 일이지요.신쥬쿠 부도심의 초고층 빌딩군은, 일본의 수도 도쿄의 새로운 얼굴로서 진심으로 개발이 이루어진 지구이므로, 주로 1970년대에 초고층 빌딩이 지어진 에리어(area)는, 초고층 빌딩과 빌딩과의 간격, 빌딩의 디자인(design)이나 색의 개성과 조화등 , 빌딩군 전체적으로의 조화가, 꽤 잘 생각되고 있어 세계적으로 봐도, 제일급의 도시 경관이 되고 있다고 생각합니다.무엇보다, 근년 할 수 있던, 새로운 초고층 빌딩에 의해서, 신쥬쿠의 초고층 빌딩군 전체의 경관의 조화는, 현재, 약간 무너지고 있습니다.일본 이외의 아시아에서, 초고층 빌딩을 가장 초기에 세우기 시작한 것은, 홍콩과 싱가폴(Singapore)입니다.홍콩과 싱가폴(Singapore)은, 일본이나 미국 서해안과 달리, 특히 지진 지대가 아닙니다만, 아직, 경제적으로, 발전도상인 때문, 일본과 비교해서 초고층 빌딩이 지어지기 시작하는 것처럼 되었던 시기가, 약간 늦었습니다(그런데도, 거의 동시기).1970년대에는, 아시아에 있어서의, 초고층 빌딩 건설을 리드(lead)한 일본입니다만, 일본에 계속해, 1980년대에 들어오면, 홍콩과 싱가폴(Singapore)에서, 본격적인 초고층 빌딩 건설 러쉬(rush)가 시작됩니다.또, 1985년에, 한국의 서울에 완성한, 63 빌딩(높이 249 m)은, 당시 아시아에서, 가장 비싼 빌딩인, 일본의 Sunshine60 빌딩(1978년 완성)을 앞질러, 완성 당시 아시아에서 가장 비싼 빌딩이었습니다.이와 같게, 1980년대에 들어오면, 일본에 잇고, 홍콩, 싱가폴(Singapore), 한국이, 우선, 아시아에 있어서의, 초고층 빌딩 건설을 리드(lead)하는 것처럼 되었습니다.게다가 1990년대 중반에 들어가면, 초고층 빌딩 건설의 물결은, 당시 동남아시아로, 가장 기세 좋게 발전하고 있던 개발 도상국, Thai,MalaysiaIndonesia까지, 퍼져, 최조, 초고층 빌딩은, 선진국, 준선진국·지역(홍콩, Singapore, 한국)(당시.현재는, 이것등의 나라·지역은, 이미, 선진국·지역에 충분히 포함되는이라고 있다고 생각합니다), 중진국(중남미, 남아프리카)만의 물건에서는, 않게 되었습니다.게다가 90년대말 이후는, 중국이, 초고층 빌딩의 건설에 대하고, 급속히 대두하는 것처럼 되어, 근래에는, 초고층 빌딩의 건설은, 다른 개발 도상국에까지 퍼지면 보조자에, 중동에서는, 도바이(dubai)를 중심으로 한, 과열이라고도 말할 수 있는 초고층 빌딩 건축 붐(boom)이 일어났습니다.

 

 

사진 이하 8매.신쥬쿠 부도심(주로, 1970년대에 개발된 일본에서 최초의 200 m급 초고층 빌딩군)의 풍경(의 일부).신쥬쿠 부도심의 초고층 빌딩군은, 일본의 수도, 도쿄의 새로운 얼굴로서 진심으로 개발이 이루어진 지구이므로, 고층빌딩과 빌딩과의 간격, 빌딩의 디자인(design)이나 색의 개성과 조화등 , 빌딩군 전체적으로의 조화가, 꽤 잘 생각되고 있어 세계적으로 봐도, 제일급의 도시 경관이 되고 있다고 생각합니다.상, 사진은, 점심 식사 후, 신쥬쿠 스미토모(니이쥬쿠 sumitomo) 빌)의 로비(lobby)에서, 친구 부부와 헤어지고 나서, 조금, 어슬렁어슬렁 산책하면서, 촬영했습니다.초고층 빌딩의 설명은, 사진에 찍히고 있는 초고층 빌딩중, 도쿄도청 이외는, 1970년대에 지어진 것인 만큼 붙어 해설하고 있습니다(해설하고 있는 초고층 빌딩의 설계는, 모두 일본인 건축가 또는, 일본의 건축 설계 회사의 손에 의하는 것입니다.신쥬쿠 부도심의 초고층 빌딩군은, 1970년대 당시의, 일본의 초고층 빌딩의 설계 기술력 및 디자인(design) 력을 시험하는 장소이기도 한 일이지요).

 

사진 중앙 부분은, 도쿄도청빌딩.도쿄도(일본의 47의 도도부현(prefecture) 중의 하나.주로, 도쿄 중심부(도쿄 23구)와 도쿄의 서부 교외·근교로부터 완성된다)의 청사(government building)가 되고 있는 빌딩입니다.사진 중앙 부분의 우측이, 도쿄도청제일 본청사빌딩(일반적으로, 도쿄도청빌딩이라고 하는 경우, 이 빌딩을 가리키는 것이 많은 같습니다).1991년 완성.높이는, 243.4m.설계는, 단게 겐조(Tange Kenzo)(아래의 보충 설명 참조)입니다.신쥬쿠 부도심의 초고층 빌딩 중(안)에서는, 비교적, 새로운 분 빌딩입니다만, 현재는, 신쥬쿠 부도심을 대표하는 초고층 빌딩이 되고 있습니다.사진 중앙 부분의 좌측은, 도쿄도청제2 본청사빌딩.높이는, 163 m.1991년 완성.설계는, 같은 단게 겐조(Tange Kenzo).이쪽도, 큰 빌딩입니다.덧붙여서, 도쿄도청빌딩을 설계한 단게 겐조(Tange Kenzo)는, 싱가폴(Singapore)에서, 가장 높은 세 개의 빌딩중, 두 개의 설계를 다루고 있습니다(OUB center(1986년 완성), UOB plazaone(1995년 완성)).싱가폴(Singapore)의 스카이라인(skyline)으로, 눈에 띄는 빌딩의 디자인(design)의 경향이, 웬지 모르게, 도쿄도청빌딩을 닮아 있는 것은, 그 때문입니다.덧붙여서, 싱가폴(Singapore)에서, 가장 높은 세 개의 빌딩중, 나머지의 하나(republic plaza.1995년에 완성)은, 단게 겐조(Tange Kenzo) 제자이며, 일본의, 세계 최고 수준의 건축가의 혼자서 있는, 구로카와 기쇼(kurokawa kisyo)가, 설계했습니다.
단게 겐조(Tange Kenzo):일본의 세계 최고 수준의 건축가의 한 명.1950년대부터, 죽는 근처까지 활약.일본인 건축가중에서, 처음으로 세계에 이름이 알려진 건축가이라고 보조자에, 1960년대에, 일본을, 현대 건축 설계의 분야에 있고, 세계 최고 수준의 나라의 하나에, 끌어올린 인물로서 알려져 있습니다.1913년에 태어나 90세 이상 살고, 2005년에, 돌아가셨습니다.단게 겐조(Tange Kenzo)의 제자에게는, 이소자키 아라타(Isozaki Arata), 구로카와 기쇼(kurokawa kisyo), 마키 후미히코(maki fumihiko)라고 말한, 세계적으로 유명한, 일본인 건축가들이, 일원이 되고 있습니다.구로카와 기쇼(kurokawakisyo)는, 이미 돌아가셨고, 다른 제자들도, 이미, 80세 전후의 고령입니다.

 

 

사진 우단, keio plaza 호텔.

 

 

사진 츄우오, 도쿄도청제일 본청사빌딩.사진 우단, 신쥬쿠 스미토모(니이쥬쿠 sumitomo) 빌.사진 좌단에, 아주 조금 보이고 있는 것은, keio plaza 호텔.

 

 

사진 이하 2매.keio plaza 호텔.1971년 완성.높이는, 178 m.당시 , 아시아에서 가장 비싼 빌딩인, 일본(도쿄)의 세계 무역센터빌딩(world trade center building)을 앞질러, 완성 당시 아시아에서 가장 비싼 빌딩이었습니다.일본에서, 최초, 또, 아시아에서도 최초의 초고층 호텔입니다.

 

 

 

 

 

 

 

사진 좌측의 검은 빌딩은, 신쥬쿠 미츠이(니이쥬쿠 mitsui) 빌.사진 중앙의 안쪽으로 보이는 빌딩은, 손해보험(Sompo ) Japan 본사 빌딩.높이 200 m.1976년 완성한, 오피스(office) 용 빌딩입니다.그 오른쪽으로 보이는, 갈색색의 빌딩은, 신쥬쿠 center 빌딩.높이 216 m.1979년 완성한, 오피스(office) 용 빌딩입니다.

 

 

사진왼쪽에서, 신쥬쿠 미츠이(니이쥬쿠 mitsui) 빌, 신쥬쿠 노무라(nomura) 빌(사진 중앙의 안쪽.높이 209.9m.1978년 완성의 오피스(office) 용 빌딩), 손해보험(Sompo ) Japan 본사 빌(카시라의 일부만, 조금 보인다), 신쥬쿠 center 빌딩(사진 우단).

 

 

사진왼쪽, 신쥬쿠 스미토모(니이쥬쿠 sumitomo) 빌.사진 오른쪽의 검은 색의 빌, 신쥬쿠 미츠이(니이쥬쿠 mitsui) 빌.신쥬쿠 미츠이(니이쥬쿠 mitsui) 빌은, 1974년 9월에 완성한, 높이, 225 m의, 오피스(office) 용 빌딩입니다.신쥬쿠 스미토모(니이쥬쿠 sumitomo) 빌을 앞질러, 완성 당시 , 아시아에서 가장 비싼 빌딩이었습니다.신쥬쿠 스미토모(니이쥬쿠 sumitomo) 빌의 높이 210 m 및, 신쥬쿠 미츠이(니이쥬쿠 mitsui) 빌의 높이 225 m는, 1972년에 완성한, 프랑스에서 최초의 높이 100 m를 넘는 초고층 빌딩이며, 한편, 완성 당시 , 서유럽에서 가장 비싼 빌딩인, Tour Montparnasse의 높이, 210 m를 의식한 것인지도 모릅니다(덧붙여서, Tour Montparnasse는, 1990년까지, 서유럽에서 가장 비싼 빌딩이었습니다).

 

 

사진 이하 4매.신쥬쿠 스미토모(니이쥬쿠 sumitomo) 빌.1974년 3월에 완성한, 높이 210 m의, 오피스(office) 용 빌딩입니다.일본 뿐만 아니라, 아시아에서도 최초의 높이 200 m이상의 빌딩입니다.완성 당시 아시아에서 가장 비싼 빌딩이었습니다.단면이, 3 각형(의 같은 형태)의, 개성적인 디자인(design)의 초고층 빌딩인 일로부터, 3각 빌딩으로 불리고 있습니다.

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 2매.신쥬쿠 스미토모(니이쥬쿠 sumitomo) 빌의, 1층의 로비(lobby)에서 위를 올려본다...신쥬쿠 스미토모(니이쥬쿠 sumitomo) 빌의 안쪽은, 단면이 삼각장의, 불어되고 있습니다.

 

 

 

 

 

 

신쥬쿠 스미토모(니이쥬쿠 sumitomo) 빌은, 기본적으로는, 오피스(office) 용 빌딩입니다만, 48층에서 52층까지는, 레스토랑용의 층이 되고 있어 특히, 49층에서 52층은, 레스토랑거리가 되고 있습니다.또, 51층에는, 무료의 전망대가 있습니다.신쥬쿠 스미토모(니이쥬쿠 sumitomo) 빌은, 어릴 적, 부모가, 이따금 데려 와 준 기억이 있습니다.

 

사진 이하 6매, 신쥬쿠 스미토모(니이쥬쿠 sumitomo) 빌의 52층의 레스토랑거리에 들어가 있는, 비교적, 캐쥬얼(casual)인 분위기의, 이탈리아 요리 레스토랑에서 먹은, 이 날의 점심 식사.이 날의 점심 식사는, 상술한 대로, 저희들과 친한 친구 부부, 4명이서 먹었습니다.이것에, 그리고, 사라다(salad), 팬이 뒤따릅니다.이 레스토랑은, 몇 번이나 이용하고, 생각보다는 좋은 인상을 가지고 있던, 전망이 좋은 레스토랑입니다(야경도 깨끗합니다).

 

전채, 일인일명씩.

 

 

우엉의 스프(soup).일인일명씩.

 

 

사진 이하 3매는, 모두 4명이서 나누어 먹었습니다.

 

피자(pizza).

 

 

사진 이하 2매.파스타(pasta).

 

 

 

 

일견, 참치(tuna)의 파스타(pasta)와 같이도 보입니다만, 연어(salmon)의 파스타(pasta)입니다.

 

 

 

디저트(dessert).일인일명씩.

 

이 레스토랑에서는, 파스타(pasta)를 주체로 한 식사를 한 것은, 이번이 처음이었습니다.이 레스토랑에서, 파스타(pasta)를 먹은 일이 없었던 (뜻)이유가 아닙니다만, 이번, 파스타(pasta)를 주체로 한 식사를 해 보고, 이 레스토랑은, 파스타(pasta)는, 좀 더다라고 하는 것을 실감했습니다.이 레스토랑은, 피자(pizza)를, 매도(자랑의 메뉴(menu))로 하고 있는 레스토랑입니다만, 역시, 이 레스토랑은, 파스타(pasta)보다, 피자(pizza)가, 맛있다고 생각합니다(이 레스토랑의 피자(pizza)는, 꽤 맛있다고 생각합니다).

 

 

 

이 날, 우리 집에서 먹은 저녁 식사의, 메인(main)의, 반찬....노의 아크아팟트(acqua pazza)(두 명분.나는, 2끊어져).나면서, 매우 맛있게 할 수 있었습니다.

 

 

 

 

그 다음날(5월의 제일주의 토요일), 우리 집에서 혼자서 먹은 저녁 식사.이 날은, 우리 집의 부근의 친구 부부(일전에일에, 신쥬쿠에서, 함께 점심 식사를 먹은 부부란, 다른 부부입니다...전날에, 신쥬쿠에서, 함께 점심 식사를 먹은 부부는, 신쥬쿠에 생각보다는 가까운 장소에 살고 있습니다만, 우리 집의 부근에 살고 있는 것이 아닙니다...)의 집에서, 낮부터 저녁까지, 지루하게 연회(party)였습니다만, 그 여분의, 요리 배달(delivery)의 스시를 받은 것...(사진은, 우리 집에서, 접시로 옮기고 나서 찍었습니다).꽤, 배가 고프지 않고 , 꽤, 밤 늦게 먹었습니다.이 스시, 연회(party)에서도 먹었습니다만, 맛있었습니다.

 

 

 

사진 이하 9매.덤 3.적당하게, 점심 식사중에서...

 

사진 이하 2매.전에 kj로 업(upload) 한 사진의 재이용입니다만, 요코하마(도쿄 area의 바다의 현관문(gateway)이 되고 있는, 큰 항구도시)의, 니혼오도리의, 풍경...니혼오도리는, 칸나이(kannai) area(요코하마의 도심부에 있는, 요코하마의 옛부터의 중심 비지니스(business) 지구)에 있는, 요코하마를 대표하는 대로입니다.칸나이(kannai) area에는, 제2차 세계대전전(1920년대부터 1930년대무렵)의 칸나이(kannai) area의 모습을 상상시키는, 제2차 세계대전 말기의 공습이나, 전후의 재건축의 물결 중(안)에서 살아 남은, 1910년대부터 1930년대무렵에 지어진 건물이 점재하고 있습니다.

 

 

 

 

 

 

사진 이하 6매.앞으로주의 수요일, 요코하마에서, 일의 용무를 끝낸 후, 니혼오도리있는, 아르테리베(Alte Lieve)라고 말하는, 서양 요리 레스토랑에서, 점심 식사를 먹었습니다.아르테리베(Alte Lieve)는, 1929년에 오피스(office) 용 빌딩으로서 지어진 건물가운데에 들어가 있는, 서양 요리 레스토랑입니다.이 레스토랑은, 고급 레스토랑의 이미지가 있었습니다만, 갑자기, 점포 앞의 메뉴(menu)를 본 곳, (평일의?) 낮은, 경목의 식사를, 생각보다는 적당한 가격으로 먹을 수 있는 일을 알아, 이 날의 점심 식사로, 이용했습니다.

 

 

 

 

 

 

 

빵.

 

 

 

버터(butter).

 

 

 

 

곁들여(side dish)의 사라다(salad).

 

 

 

메인(main) 요리.로스트 포크(roast pork).

 

 

 

 

앞으로주의 목요일, 신쥬쿠에서, 일의 용무(일의 부근)를 끝낸 후, 천길(senkichi)의 신쥬쿠점에서 먹은, 지목의 점심 식사.신쥬쿠는, 일의 용무(일의 부근)에서도, 잘 방문합니다(라고 말하는지, 현재는, 신쥬쿠는, 일의 용무로의 분이, 잘 방문하는 느낌입니다...휴일은, 더 멀리, 놀러 가 버리는 것이, 많기 때문에...).천길(senkichi)은, 카레(curry) 우동(아래의 보충 설명 참조)의, 체인(chain) 점입니다.나는, 카레(curry) 우동은, 기본적으로는, 별로 오지 않는 음식입니다만, 이 체인(chain) 점의 카레(curry) 우동은, 꽤 맛있다고 생각합니다.천길(senkichi)의 신쥬쿠점은, 신쥬쿠에, 일의 용무로 방문했을 때, 자주(잘) 이용하고 있습니다.사진은, 이 일식, 토마토(tomato) 카레(curry) 우동.개성적인, 카레(curry) 우동에 속합니다만, 천길(senkichi)로, 개인적으로, 마음에 드는 메뉴(menu)가 되어 있습니다(뭐, (천길(senkichi)의) 보통 카레(curry) 우동도, 잘 먹고 있습니다만...).
카레(curry) 우동:근대에 태어난, 일본의 대중식의 하나.100년 정도전에 태어난 음식으로, 뭐, 우동에 카레 (curry)(을)를 넣은 같은 음식.

 

 

P.S.끝나지 않습니다, 지금부터, 출장하러 나와 버려, 출장중은, 바쁘기 때문에, 코멘트를 적어 주신 (분)편에의 대답(reply)은, 주말무렵이 되어 버린다고 생각합니다(대답(reply)은, 늦어도, 반드시 붙일 생각으로 있습니다.최근에는, 음식판의 투고의 흐름이 늦기 때문에, 아마, 악질적인 연속 투고를 하는 사람이라도 없는 한, 이 투고는, 주말 근처에서도, 2 화면눈이내에, 머물고 있는 것이라고 생각됩니다).출장으로부터 돌아오고 나서 투고해도 괜찮을까라고도 생각했습니다만, 투고문의, 대부분이, 작성이 끝난 상태인 일(신쥬쿠 부도심 및, 그 초고층 빌딩의 설명은, 거의 모두, 내가 과거에 작성해, enjoy나 kj에 투고한 문장의, 카피입니다), 전회의 투고, 「근처에서 보내는 휴일&음식 전편」이라고, 한정리의 투고로 하고 싶었기 때문에...

 

 



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