食べ物

 

 

適当に日々の食事(ちょっと前ですが、五月の終わりの4日間(五月の、第四金曜日(27日)から第五月曜日(30日))の食事の中から適当に。。。

 

五月の下旬に、アメリカ(New York)に、五日間程出張に行ってきたのですが、その翌日(五月の、第四金曜日(27日))の食事からです。。。

 

五月の、第四金曜日は、朝早くから、自動車で、職場(事務所)に出て、その後、渋谷(shibuya)(渋谷(shibuya)区最大の繁華街。東京最大級の繁華街の一つでもある)に、仕事の用事で出て、用事を終えた後、松濤(syouto)美術館で展覧会(exhibition)を見ました。展覧会(exhibition)を見た後、(美術館の)周辺で昼食を食べてもよかったのですが、まだ、腹が減っていなかったので、一旦、我が家に帰って来てから、ぶらりと、私の街の、イタリア料理レストランに、昼食を食べに行き、(その日は、元々、半日休みにするつもりだったのですが)、午後は、自宅で、自宅に持ち込んだ仕事をしていました。


 

 

写真は、enjoyにアップ(upload)した物の再利用ですが、松濤(syoutou)美術館。私が暮らす渋谷(shibuya)区が運営している、公立の美術館です。渋谷(shibuya)区の中部の松濤(syouto)(渋谷(shibuya)(渋谷(shibuya)区最大の繁華街)から坂を登った所にある高級住宅地。東京都心部の高級住宅地の一つ)にあります。建物は、1980年に完成したもので、設計は、日本の有名な建築家、白井 晟一(shirai seiichi)(1905年生まれ。1983年に亡くなる)です。建物の外壁には、赤味を帯びた韓国産の花崗岩が用いられています(したがって、韓国の方が、どことなく親しみを感じる外観かもしれません)。日本には、もちろん規模の大きな、公立美術館も、たくさん有りますが、この様な、地域住民の為の、規模の小さな、公立美術館も、たくさん有ります。企画展(exhibition)を中心とした美術館で(中々興味深い展覧会(exhibition)を、よく実施しています)、渋谷(shibuya)区の、小学生・中学生の絵の展覧会(exhibition)と言った、非常にlocalな、展覧会(exhibition)も実施しています。

 

この日は、渋谷(shibuya)で仕事の用事を終えた後、この時、松濤(syoutou)美術館で行われていた、牛島 憲之(ushijima noriyuki)の展覧会(exhibition)を見て来ました。
牛島 憲之(ushijima noriyuki)(1900年生まれ。1997年に亡くなる)は、1920年代後半から1990年代にかけて活躍した、日本の、有名な、近代・現代画家です。

 

 

写真以下2枚。展覧会(exhibition)のパンフレット(leaflet)。

 

 

 

 

牛島 憲之(ushijima noriyuki)の作品については、府中(fucyu)市美術館(府中(fucyu)市(東京の西の郊外に位置する中都市)が運営する公立の美術館)が、充実したコレクション(collection)を有しているのですが、この展覧会(exhibition)は、もちろん、府中(fucyu)市美術館からも、作品を借りて来ていましたが、その割合は、少なく、多くの個人蔵(個人が所有している)の作品を含む、様々な所から借りられてきた、牛島 憲之(ushijima noriyuki)の作品が展示されていました。

 

私は、この展覧会(exhibition)を見るまで、牛島 憲之(ushijima noriyuki)の作品は、何となく、いいな位にしか思っていなかったのですが、この展覧会(exhibition)を見て、改めて、牛島 憲之(ushijima noriyuki)の作品の世界に魅力を感じ、牛島 憲之(ushijima noriyuki)は、個人的に、お気に入りの画家の一人となりました。

 

この展覧会(exhibition)(牛島 憲之(ushijima noriyuki)の展覧会(exhibition))のカタログ(catalogue)。現在は、個人的に、展覧会(exhibition)を見に行っても、めったに、カタログ(catalogue)を買わないのですが、この時は、思わずカタログ(catalogue)を買ってしまいました。ちなみに、昔は、あまり展覧会(exhibition)に行かなかったのですが、展覧会(exhibition)に行ったら、結構カタログ(catalogue)等を買っていました。逆に、美術館及び、美術館等で開催される展覧会(exhibition)に、ちょくちょく(頻繁に)行く様になってから、展覧会(exhibition)に行っても、わざわざカタログ(catalogue)を買う様な事は、ほとんどなくなりました。

 

 

写真以下2枚。牛島 憲之(ushijima noriyuki)。1900年生まれ。1997年に、97歳で亡くなる近くまで、絵を描いていました。

 

 

 

 

 

 

写真以下37枚(途中、銀杏並木の写真を除く)、この展覧会(exhibition)の展示作品例。展覧会(exhibition)のカタログ(catalogue)から。。。全て、牛島 憲之(ushijima noriyuki)の作品です。

 

「自画像」。1927年。

 

 

 

「芝居」。1927年。

 

 

 

「貝焼場の風景」。1933年。

 

 

「山の駅」。1935年。中央本線(東京の都心部と長野(nagano)県を結ぶ鉄道路線の一つ)の、山梨(yamanashi)県の上野原(uenohara)駅を描いた物です。

 

 

「四谷(yotsuya)風景」。1935年。

 

 

「赤坂見附(akasakamitsuke)」。1940年。

 

 

 

「自画像」。1942年。

 

 

「雨」。1943年。

 

 

 

「田園風景」。1944年。

 

 

「残夏」。1946年。

 

 

「炎昼」。1946年。

 

 

 

「春林」。1946年。

 

 

 

「邨(村)」。1947年。

 

 

写真以下2枚。「樹」。1949年。

 

 

 

 

 

 

 

「煙突の風景」。1950年。

 

 

「煙突」。1951年。

 

 

 

「午後(タンク(tank))」。1952年。

 

 

「永代(eitai)橋」。1952年。

 

 

「水門(水辺)」。1952年。

 

 

「橋の風景」。1954年。

 

 

「タンク(tank)の風景」。1955年。

 

 

 

「まるい(丸い)タンク(tank)」。1957年。

 

 

写真以下4枚。前に、kjにアップ(upload)した写真の再利用で、紅葉時期(去年の紅葉時期)の写真ですが、私の職場(事務所)近くの通りの、銀杏並木。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下2枚。この(上の)、銀杏並木を描いた牛島 憲之(ushijima noriyuki)の作品ですが、牛島 憲之(ushijima noriyuki)が、この銀杏並木を描くと、こうなります。

 

「並木路」。1975年。

 

 

「並木」。1981年。

 

 

「薄日」。1979年。

 

 

写真以下5枚は、牛島 憲之(ushijima noriyuki)が、80歳代の時の作品です。牛島 憲之(ushijima noriyuki)は、1900年生まれなので、「私は、1900年生まれなので、西暦が、調度、年齢になります」と語ったそうです。

 

「うらら」。1983年。

 

 

「灯台のある島」。1984年。

 

 

 

「晴日」。1987年。

 

 

「郊」。1988年。

 

 

 

「岬の道」。1989年。この絵は、勘なのですが(済みません、詳しい知識がなくて)、真鶴(manazuru)半島の先端部方面を描いた物の様な気がします。

 

 

写真以下2枚。牛島 憲之(ushijima noriyuki)が、90歳代の時の作品です。

 

「タンク(tank)・煙突」。1994年。

 

 

「道一筋」。1996年。

 

 

(前述の通り)、この日、展覧会(exhibition)を見た後、(美術館の)周辺で昼食を食べてもよかったのですが、まだ、腹が減っていなかったので、一旦、我が家に帰って来てから、ぶらりと、私の街の、イタリア料理レストランに、昼食を食べに行きました。

 

写真以下3枚。よく利用する、私の街の、イタリア料理レストランで食べた、この日の昼食。

これに、パンが付きます。

 

付け合せ(side dish)のサラダ(salad)。京都の飯尾(iio)醸造の酢のドレッシング (dressing)とバリ島(Bali)の海塩がかかっています。


 

桜海老と水菜のパスタ(pasta)。

 

 

 

デザート(dessert)。ライチ(lychee)のパンナコッタ(panna cotta)。

 

 

 

(前述の通り)、(この日は、元々、半日休みにするつもりだったのですが)、午後は、自宅で、自宅に持ち込んだ仕事をしていました。

 

この日、我が家で、一人で食べた夕食の、メイン(main)の、おかずの一つ。鰹のたたき。この他、メイン(main)の、おかずは、牛肉を、すき焼き(sukiyaki)風に、焼いた物にしました。

 

 

 

 

この翌日は、土曜日(五月の、第四土曜日)でしたが、個人的に仕事で、又、夜も、一人でした。

 

この日(五月の、第四土曜日)、仕事の用事で、池袋(ikebukuro)(東京都心部の北西部に位置する。東京最大級の繁華街の一つ)に訪れた際に、PARCO(服やアクセサリーの販売を中心とした商業ビル(実質的には、デパートの様な物)のチェーン店(chain)。若い層に人気が高い)の池袋(ikebukuro)店に入っている、YOSHIMI(北海道(hokkaido)の札幌(sapporo)のレストラン。私は、利用した事がありません)が手掛けているスープカレー(soup curry)店で、食べた、昼食。チキン(鶏肉)と野菜の、スープカレー(soup curry)(下の補足説明参照)。この店は、初めて利用しました(と言うか、スープカレー(soup curry)自体、食べたのは、この時で、人生で、2回目位と言った感じでした)。この店のスープカレー(soup curry)が、今一つなのか、スープカレー(soup curry)と言う食べ物自体、もしかしたら、あまり、私の好みに合わない料理(もっとも、寒い冬に食べたら、美味しいと思います)なのかは、よく分かりませんが、少なくとも、この店に関しては、もう一度利用したいと思う程では、全くありませんでした。

スープカレー(soup curry):カレー(curry)の一種。北海道(hokkaido)の札幌(sapporo)で、よく食べられている。

 

 

写真以下3枚。この日、我が家で、一人で食べた夕食の、おかずの一部。

 

写真以下2枚。この日の夕食のメイン(main)の、おかず。ステーキ(beefsteak)、醤油ソース(sauce)。この時は、輸入物の非常にチープな(非常に安い)牛肉を使ったのですが、まあ、それなりに美味しかったです。


 

 

 

 

 

鰤の焼き物。鰤は、二切れ焼いたのですが、一切れは、撮影する前(本格的に、夕食を食べる前に)に、ステーキ(beefsteak)を焼く準備やTVを見ながら、酒の、つまみとして、食べてしまいました。

 

 

この翌日は、日曜日(五月の、第五日曜日)でしたが、基本的に、一日、自宅に持ち込んだ仕事をしていました(途中、ちょっと、仕事の用事で、(実質的に私の街の西の隣街と言った感じの)下北沢(shimokitazawa)に出ました)。

 

写真以下4枚。この日、我が家で食べた夕食の、メイン(main)の、おかず(メイン(main)の、おかずと言っても、この時は、おかずとしては、これ以外、野菜saladしか、食べなかったのですが。。。)。ブイヤベース(Bouillabaisse)(二人分)。これと、パンで、食べました。

 

写真以下3枚。ブイヤベース(Bouillabaisse)の食材。

 

 

 

 

海老(二人分としては、やや多いと思われるかもしれませんが、煮ると縮まります。ちなみに、私も、彼女も、海老好きです)。

 

 

 

 

 

 

見掛けは、あまり良くありませんが、美味しかったです。この時は、サフラン(saffron)の量が、ちょっと多過ぎたかな。。。あと、トマト(tomato)を、もう少し、多目に入れて、酸味を、もうちょっと出しても良かったかなと思いました。

 

 

 

写真以下3枚。この日の夕食のデザート(dessert)。下北沢(shimokitazawa)の、ケーキ(cake)・西洋菓子屋さんで買った、ケーキ(cake)(便宜上、写真は、夕食前に撮影しました)。この、ケーキ(cake)・西洋菓子屋さんは、前から、ちょっと気になっていたのですが、この時、初めて、ケーキ(cake)を買ってみました。美味しかったです。この店は、この時から、この投稿するまでの間に、既に、2回、利用していますが(今までで合計三回利用している)、今後、私の街及び、その周辺の、お気に入りの店の一つに加わりそうな予感です。

 

 

 

 

私が食べた、レモン(lemon)のケーキ(cake)。

 

 

チョコレートと、フランボワーズ(木苺)のケーキ(cake)。

 

 

写真以下、この翌日(五月の、第五月曜日)は、個人的に休みだったのですが、横浜(東京areaの海の玄関となっている、大きな港町)に、遊びに出かけました。横浜は、仕事の用事でも、よく行きますが、横浜の港町の雰囲気が好きで、休日にも、よく遊びに(散歩に)出かけます。尚、この日は、朝寝坊して、遅い朝食兼昼食を食べてから、横浜に出ました。

 

写真以下20枚。横浜都心部の山手(yamate)を散歩。

 

かつて、横浜や神戸(kobe)等の貿易港のある都市では、日本で商売で成功した欧米人や、欧米企業の駐在員、領事館の職員等は、港の見える岡(小さい山)の上に、ゆったりとした一戸建て住宅を建てて暮らし、住宅街を形成していました。横浜の山手(yamate)は、この様な、かつて(第2次世界大戦前に)西洋人住宅地であった、静かで、落ち着いた住宅街で、横浜(yokohama)の都心部の高級住宅地となっています。横浜の山手(yamate)の第2次世界大戦前に建てられた西洋式住宅は、ほとんど現存していませんが、極一部は、現存し、その内の一部は、横浜市が所有して、観光客向けに、無料で、一般公開しています。ちなみに、第2次世界大戦前に、横浜(yokohama)の山手(yamate)等に建てられた、欧米人向けの一戸建て住宅は、西洋式の住宅の建物と言っても、日本の風土(気候)に、ある程度合わせた物であり、1910年代以前は、日本の上流層・中上流層の西洋式の邸宅と、また、1920年代、1930年代以降は、それに加えて、東京の山の手(yamanote。新市街地。現在の東京中心部西部)の新興住宅地、田園調布(denencyofu。現在は、田園調布(denencyofu)は、東京の代表的な高級住宅地の一つとなっていますが、第二次世界大戦前は、田園都市構想(ニュータウン開発計画)によって、東京や大阪の郊外に開発された、中流層や新興金持ち向けの郊外新興住宅地(ニュータウン)の一つでした)等の大都市郊外の新興住宅地等の、日本の中流階級(ここで言う中流階級とは、第二次世界大戦前の階級社会における、労働者階級に対する中流階級)向けの西洋式住宅と、互いに影響を与えあっていたと思います。

 

写真以下7枚の、西洋式の一戸建て住宅は、横浜の山手(yamate)に保存されている、第二次世界大戦前に建てられた西洋式の一戸建て住宅の一つではありますが、欧米人向けに山手(yamate)に建てられた住宅ではなく、元々、1910年に、東京の渋谷(shibuya)区(現在の東京中心部西部)に、日本人外交官(上級公務員)(ブラジルの日本公使(大使の次に偉い役職)(1907年に就任)、スウェーデンの日本公使(1912年に就任)、トルコの日本大使(1923年就任)等を務める。1924年に退職)の住宅として建てられた物で、1997年に、横浜市が、この外交官の子孫から、寄贈を受け、観光用として活用する為に、また文化財・歴史的資料として保存する為に、東京都心部の渋谷(shibuya)区の南平台(nanpeidai)から横浜の山手(yamate)地区に、移築した物です。したがって、山手(yamate)に保存され、観光客向けに、一般公開されている、(第二次世界大戦前に建てられた)西洋式の一戸建て住宅の建物の中では、例外的な物となっています。

 

写真以下3枚は、前に、enjoyにアップ(upload)した写真の再利用(12月に撮影した物)。尚、かつては、この西洋式の住宅の建物に隣接して、日本伝統式の住宅の建物がありましたが、移築時に、日本伝統式の住宅の建物は取り壊されてしまって、今はありません。したがって、移築され、保存されているのは、西洋式の住宅部分のみとなっています(尚、第二次世界大戦前の、日本の、富裕層の住宅の建物は、かつての、この外交官の住宅の建物の様に、西洋式の住宅の建物と日本伝統式の住宅の建物が隣接して建てられている形式の物も、多かったです)。

 

正面の庭は、かつてイタリア領事館の庭であったものです。当時の中上流階級の家は、広い敷地内にゆったりと建てられていたのが一般的であった為、渋谷(shibuya)区にあった時も、(少なくとも、第2次世界大戦前は)、これ位の広さの庭はあったことでしょう(もっとも、このように美しく整えられていたかは、分かりませんが。。。)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

山手(yamate)の、旧イギリス総領事(consul general)公邸(横浜の、旧イギリス総領事(consul general)の邸宅)の近くでは、この時、調度、スコットランド(Scotland)から来た、バグパイプ(Great Highland Bagpipe)の演奏隊が、演奏していました。

 

 

 

 

 

横浜の、旧イギリス総領事(consul general)公邸(旧イギリス総領事(consul general)の邸宅)の建物。1937年に建てられた物です。この写真だと、やや分かり難いですが、住宅の建物としては、かなり規模の大きな物です。広い敷地と建物規模を持ち、当時、東アジアにあるイギリス総領事(consul general)公邸(イギリス総領事(consul general)の邸宅)の中でも、上位に格付けられていたそうです。

 

写真以下6枚。旧イギリス総領事(consul general)公邸近くの、1926年にアメリカ人商人の住宅として建てられた西洋式の一戸建て住宅を改装した、薔薇の紅茶や薔薇のケーキ(cake)等を出すcafe(tearoom)で、おやつを食べました。このcafe(tearoom)は、中々、雰囲気が良く、私達の、お気に入りの店となっています。

 

 

 

 

薔薇の紅茶。この他、アールグレイ(Earl Grey tea)を飲みました。

 

 

 

 

 

 

写真以下3枚。おやつは、三種類注文し、全て、二人で分けて食べました。

 

色々(説明は、省略)。

 

 

薔薇のシフォンケーキ(chiffon cake)。

 

 

 

薔薇のロールケーキ(swiss roll)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

山手(yamate)を散歩した後、横浜都心部の、横浜駅周辺(横浜最大の繁華街であると共に、東京の南部郊外最大の繁華街となっている)の、高島屋(takashimaya)デパート横浜店の、ギャラリー(art gallery)で、この時行われていた、中川 一政(nakagawa kazumasa)の展覧会(exhibition)を見ました。中川 一政(nakagawa kazumasa。1893年、東京生まれ、1991年、97歳で亡くなる)は、1920年代頃から1980年代(1991年、97歳で亡くなる近く)まで活躍した、日本の有名な、近代画家(西洋画家)です。

 

この展覧会(exhibition)のチラシ(leaflet)。小じんまりとした展覧会(exhibition)でしたが、中々、良質な展覧会(exhibition)でした。日本には、中川 一政(nakagawa kazumasa)美術館(神奈川(kanagawa)県の真鶴(manazuru)にある)と、中川 一政(nakagawa kazumasa)記念美術館(石川(ishikawa)県の松任(mattou。中川 一政(nakagawa kazumasa)の母親の出身地。中川 一政(nakagawa kazumasa)自身も、幼い頃や青年時代に、何度か訪れた)にある)と、(私が知る限り)二つの、中川 一政(nakagawa kazumasa)の作品の専門の美術館がありますが(私は、中川 一政(nakagawa kazumasa)記念美術館の方は、訪れた事がありません)、この展覧会(exhibition)の展示作品は、この二つの美術館から借りられて来た作品を中心としながら、個人蔵(個人の所有)の作品、その他の美術館から借りられて来た作品も、含まれていました。

 

 

 

前にkjで、アップ(upload)した写真の再利用ですが、中川 一政(nakagawa kazumasa)美術館のパンフレット(leaflet)。パンフレット(leaflet)の表紙に載っている絵は、「二つの壷の薔薇」。1986年、中川 一政(nakagawa kazumasa)が90歳代の時の作品です。中川 一政(nakagawa kazumasa)美術館は、東京area(東京圏)の南西端(神奈川(kanagawa)県の、南西端area)にある、小さな半島(真鶴(manazuru)半島)及び、その周辺部からなる、漁師町、真鶴(manazuru)にあります(中川 一政(nakagawa kazumasa)は、1949年、50代半ばの時に、真鶴(manazuru)に移り住み、その後、約40年間、真鶴(manazuru)に暮らし、円熟期の創作活動を行いました)。中川 一政(nakagawa kazumasa)美術館は、非常に充実した、中川 一政(nakagawa kazumasa)の作品の収蔵品(collection)(おそらく、日本(世界)最大の、中川 一政(nakagawa kazumasa)の作品のコレクション(collection))を有しています。私は、中川 一政(nakagawa kazumasa)の作品は、特別好きと言う程ではなく、まあ普通と言った感じなのですが、中川 一政(nakagawa kazumasa)美術館は、美術館の雰囲気、美術館周辺の環境(真鶴(manazuru)半島の先端部方面にある)も含めて、個人的に、お気に入りの美術館の一つとなっています。

 

 

写真以下2枚。絵葉書の写真で、申し訳有りませんが、中川 一政(nakagawa kazumasa)の作品例(中川 一政(nakagawa kazumasa)美術館の収蔵作品(collection)から。。。)。

 

「金魚」

 

 

「百合とマジョリカ壷」

 

 

 

写真以下2枚。この日の夕食は、高島屋(takashimaya)デパート横浜店に入っている、中村 孝明(nakamura koumei。有名な、日本料理のシェフ(chef)の一人)のレストランで食べました。このレストランは、この時で、利用したのは、三回目でした。有名なシェフ(chef)のレストランとは言っても、高級レストランと言う程ではなく、値段は、割と手頃で(中級レストランと言った感じ)、私の様な者でも、割と気軽に利用出来るレストランとなっています(料理の味は、美味しいです)。

 

写真以下2枚。この時は、このレストランの夕食のメニュー(menu)で、一番安い、ご飯(rice)と、おかずの組み合わせメニュー(menu)を頼みました(二人共、同じ物を頼み(食べ)ました。写真は、一人分)。このメニュー(menu)を頼んだのは、この時が、初めてでしたが(それ以前に、2回、このレストランを利用した時は、何れも、これよりも高い、ご飯(rice)と、おかずの組み合わせメニュー(menu)を頼みました)、このメニュー(menu)(このレストランの夕食のメニュー(menu)で、一番安い、ご飯(rice)と、おかずの組み合わせメニュー(menu))でも、十分と言った感じでした。

 

 

中央にある、メイン(main)の、おかずは、海老しんじょう(海老の練り物)の揚げ物、和風(日本風)アメリケーヌ(Americaine)ソース(sauce)。写真右の、サラダ(salad)にかかっている物は、イカの揚げ物でした。


 

デザート(dessert)。ピンクグレープフルーツ(pink grapefruit)のシャーベット(sorbet)。

 

 

 


적당하게 나날의 식사

 

 

적당하게 나날의 식사(조금 전입니다만, 5월의 마지막의 4일간(5월의, 제4 금요일(27일)부터 제5 월요일(30일))의 식사중에서 적당하게...

 

5월의 하순에, 미국(New York)에, 닷새간정도 출장하러 다녀 왔습니다만, 그 다음날(5월의, 제4 금요일(27일))의 식사로부터입니다...

 

5월의, 제4 금요일은, 아침 일찍부터, 자동차로, 직장(사무소)에 나오고, 그 후, 시부야(shibuya)(시부야(shibuya) 구 최대의 번화가.도쿄 최대급의 번화가의 하나이기도 하다)에, 일의 용무로 나오고, 용무를 끝낸 후, 쇼우토우(syouto) 미술관에서 전람회(exhibition)를 보았습니다.전람회(exhibition)를 본 후, (미술관의) 주변에서 점심 식사를 먹어도 괜찮았습니다만, 아직, 배가 고프지 않았기 때문에, 일단, 우리 집에 돌아오고 나서, 훌쩍과 나의 거리의, 이탈리아 요리 레스토랑에, 점심 식사를 먹으러 가, (그 날은, 원래, 반나절 휴일로 할 생각이었습니다만), 오후는, 자택에서, 자택에 반입한 일을 하고 있었습니다.


 

 

사진은, enjoy에 업(upload) 한 것의 재이용입니다만, 쇼우토우(syoutou) 미술관.내가 사는 시부야(shibuya) 구가 운영하고 있는, 공립의 미술관입니다.시부야(shibuya) 구의 중부의 쇼우토우(syouto)(시부야(shibuya)(시부야(shibuya) 구 최대의 번화가)에서 비탈을 오른 곳에 있는 고급 주택지.도쿄도심부의 고급 주택지의 하나)에 있습니다.건물은, 1980년에 완성한 것으로, 설계는, 일본의 유명한 건축가, 시라이 세이이치(shirai seiichi)(1905 년생.1983년에 죽는다)입니다.건물의 외벽에는, 붉은 빛을 띤 한국산의 화강암이 이용되고 있습니다(따라서, 한국 분이, 어딘지 모르게 친밀감을 느끼는 외관일지도 모릅니다).일본에는, 물론 규모의 큰, 공립 미술관도, 많이 있습니다만, 이와 같은, 지역 주민을 위한, 규모의 작은, 공립 미술관도, 많이 있습니다.기획전(exhibition)을 중심으로 한 미술관에서(꽤 흥미로운 전람회(exhibition)를, 자주(잘) 실시하고 있습니다), 시부야(shibuya) 구의, 초등 학생·중학생의 그림의 전람회(exhibition)라고 말한, 매우 local인, 전람회(exhibition)도 실시하고 있습니다.

 

이 날은, 시부야(shibuya)에서 일의 용무를 끝낸 후, 이 때, 쇼우토우(syoutou) 미술관에서 행해지고 있던, 우시지마 노리유키(ushijima noriyuki)의 전람회(exhibition)를 보고 왔습니다.
우시지마 노리유키(ushijima noriyuki)(1900 년생.1997년에 죽는다)는, 1920년대 후반부터 1990년대에 걸쳐 활약한, 일본의, 유명한, 근대·현대 화가입니다.

 

 

사진 이하 2매.전람회(exhibition)의 팜플렛(leaflet).

 

 

 

 

우시지마 노리유키(ushijima noriyuki)의 작품에 대해서는, 후츄(fucyu) 시 미술관(후츄(fucyu) 시(도쿄의 서쪽의 교외에 위치하는 중 도시)가 운영하는 공립의 미술관)가, 충실한 콜렉션(collection)을 가지고 있습니다만, 이 전람회(exhibition)는, 물론, 후츄(fucyu) 시 미술관으로부터도, 작품을 빌려 와있었습니다만, 그 비율은, 적고, 많은 개인창고(개인이 소유하고 있다)의 작품을 포함한, 여러가지 곳으로부터 빌릴 수 있어 온, 우시지마 노리유키(ushijima noriyuki)의 작품이 전시되고 있었습니다.

 

나는, 이 전람회(exhibition)를 볼 때까지, 우시지마 노리유키(ushijima noriyuki)의 작품은, 웬지 모르게, 좋다 정도 밖에 생각하지 않았습니다만, 이 전람회(exhibition)를 보고, 재차, 우시지마 노리유키(ushijima noriyuki)의 작품의 세계에 매력을 느껴 우시지마 노리유키(ushijima noriyuki)는, 개인적으로, 마음에 드는 화가의 한 명이 되었습니다.

 

이 전람회(exhibition)(우시지마 노리유키(ushijima noriyuki)의 전람회(exhibition))의 카탈로그(catalogue).현재는, 개인적으로, 전람회(exhibition)를 보러 가도, 좀처럼, 카탈로그(catalogue)를 사지 않습니다만, 이 때는, 무심코 카탈로그(catalogue)를 사 버렸습니다.덧붙여서, 옛날은, 너무 전람회(exhibition)에 가지 않았습니다만, 전람회(exhibition)에 가면, 상당히 카탈로그(catalogue) 등을 사고 있었습니다.반대로, 미술관 및, 미술관등에서 개최되는 전람회(exhibition)에, 가끔(빈번히) 가는 것처럼 되고 나서, 전람회(exhibition)에 가도, 일부러 카탈로그(catalogue)를 사는 것 같은 일은, 거의 없어졌습니다.

 

 

사진 이하 2매.우시지마 노리유키(ushijima noriyuki).1900 년생.1997년에, 97세에 죽는 근처까지, 그림을 그리고 있었습니다.

 

 

 

 

 

 

사진 이하 37매(도중 , 은행 가로수의 사진을 제외하다), 이 전람회(exhibition)의 전시 작품예.전람회(exhibition)의 카탈로그(catalogue)로부터...모두, 우시지마 노리유키(ushijima noriyuki)의 작품입니다.

 

「자화상」.1927년.

 

 

 

「연극」.1927년.

 

 

 

「패소장의 풍경」.1933년.

 

 

「산의 역」.1935년.중앙본선(도쿄의 도심부와 나가노(nagano) 현을 묶는 철도 노선의 하나)의, 야마나시(yamanashi) 현의 카미노하라(uenohara) 역을 그린 것입니다.

 

 

「요츠야(yotsuya) 풍경」.1935년.

 

 

「아카사카 미츠케(akasakamitsuke)」.1940년.

 

 

 

「자화상」.1942년.

 

 

「비」.1943년.

 

 

 

「전원 풍경」.1944년.

 

 

「잔하」.1946년.

 

 

「염 주」.1946년.

 

 

 

「춘림」.1946년.

 

 

 

「총(마을)」.1947년.

 

 

사진 이하 2매.「수」.1949년.

 

 

 

 

 

 

 

「굴뚝의 풍경」.1950년.

 

 

「굴뚝」.1951년.

 

 

 

「오후(탱크(tank))」.1952년.

 

 

「오랜 세월(eitai) 다리」.1952년.

 

 

「수문(물가)」.1952년.

 

 

「다리의 풍경」.1954년.

 

 

「탱크(tank)의 풍경」.1955년.

 

 

 

「만 있어(둥글다) 탱크(tank)」.1957년.

 

 

사진 이하 4매.전에, kj에 업(upload) 한 사진의 재이용으로, 단풍 시기(작년의 단풍 시기)의 사진입니다만, 나의 직장(사무소) 가까이의 대로의, 은행 가로수.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 2매.이(위의), 은행 가로수를 그린 우시지마 노리유키(ushijima noriyuki)의 작품입니다만, 우시지마 노리유키(ushijima noriyuki)가, 이 은행 가로수를 그리면, 이렇게 됩니다.

 

「가로수로」.1975년.

 

 

「가로수」.1981년.

 

 

「약한 햇살」.1979년.

 

 

사진 이하 5매는, 우시지마 노리유키(ushijima noriyuki)가, 80대때의 작품입니다.우시지마 노리유키(ushijima noriyuki)는, 1900 년생이므로, 「 나는, 1900 년생이므로, 서기가, 세간, 연령이 됩니다」라고 말했다고 합니다.

 

「안등」.1983년.

 

 

「등대가 있는 섬」.1984년.

 

 

 

「청일」.1987년.

 

 

「교」.1988년.

 

 

 

「미사키의 길」.1989년.이 그림은, 감입니다만(끝나지 않습니다, 자세한 지식이 없어서), 마나츠루(manazuru) 반도의 첨단부 방면을 그린 것의 같은 생각이 듭니다.

 

 

사진 이하 2매.우시지마 노리유키(ushijima noriyuki)가, 90대때의 작품입니다.

 

「탱크(tank)·굴뚝」.1994년.

 

 

「미치카즈 관계」.1996년.

 

 

(상술한 대로), 이 날, 전람회(exhibition)를 본 후, (미술관의) 주변에서 점심 식사를 먹어도 괜찮았습니다만, 아직, 배가 고프지 않았기 때문에, 일단, 우리 집에 돌아오고 나서, 훌쩍과 나의 거리의, 이탈리아 요리 레스토랑에, 점심 식사를 먹으러 갔습니다.

 

사진 이하 3매.자주(잘) 이용하는, 나의 거리의, 이탈리아 요리 레스토랑에서 먹은, 이 날의 점심 식사.

이것에, 팬이 뒤따릅니다.

 

곁들여(side dish)의 사라다(salad).쿄토의 이이오(iio) 양조의 식초의 드레싱 (dressing)과 발리섬(Bali)의 해 염이 걸려 있습니다.


 

새우의 일종과 유채의 파스타(pasta).

 

 

 

디저트(dessert).라이치(lychee)의 판나콧타(panna cotta).

 

 

 

(상술한 대로), (이 날은, 원래, 반나절 휴일로 할 생각이었습니다만), 오후는, 자택에서, 자택에 반입한 일을 하고 있었습니다.

 

이 날, 우리 집에서, 혼자서 먹은 저녁 식사의, 메인(main)의, 반찬의 하나.가다랭이의 쳐.이 외, 메인(main)의, 반찬은, 쇠고기를, 스키야키(sukiyaki) 풍으로, 구운 것으로 했습니다.

 

 

 

 

이 다음날은, 토요일(5월의, 제4 토요일)이었지만, 개인적으로 일로, 또, 밤도, 혼자서 했다.

 

이 날(5월의, 제4 토요일), 일의 용무로, 이케부쿠로(ikebukuro)(도쿄도심부의 북서부에 위치한다.도쿄 최대급의 번화가의 하나)에 방문했을 때에, PARCO(옷이나 액세서리의 판매를 중심으로 한 상업 빌딩(실질적으로는, 백화점의 같은 것)의 체인점(chain).젊은 층에 인기가 높다)의 이케부쿠로(ikebukuro) 점에 들어가 있는, YOSHIMI(홋카이도(hokkaido)의 삿포로(sapporo)의 레스토랑.나는, 이용한 일이 없습니다)가 다루고 있는 스프 카레(soup curry) 점에서, 먹은, 점심 식사.치킨(닭고기)과 야채의, 스프 카레(soup curry)(아래의 보충 설명 참조).이 가게는, 처음으로 이용했던(라고 말하는지, 스프 카레(soup curry) 자체, 먹은 것은, 이 때로, 인생으로, 2번째정도라고 한 느낌이었습니다).이 가게의 스프 카레(soup curry)가, 좀 더인가, 스프 카레(soup curry)라고 하는 음식 자체, 혹시, 너무, 나의 취향에 맞지 않는 요리(가장, 추운 겨울에 먹으면, 맛있다고 생각합니다)인가는, 잘 모릅니다만, 적어도, 이 가게에 관해서는, 한번 더 이용하고 만큼 에서는, 전혀 없었습니다.

스프 카레(soup curry):카레(curry)의 일종.홋카이도(hokkaido)의 삿포로(sapporo)에서, 잘 먹을 수 있고 있다.

 

 

사진 이하 3매.이 날, 우리 집에서, 혼자서 먹은 저녁 식사의, 반찬의 일부.

 

사진 이하 2매.이 날의 저녁 식사의 메인(main)의, 반찬.스테이크(beefsteak), 간장 소스(sauce).이 때는, 수입물의 매우 저렴한(매우 싸다) 쇠고기를 사용했습니다만, 뭐, 그 나름대로 맛있었습니다.


 

 

 

 

 

사의 구이.사는, 2끊어져 구웠습니다만, 한 조각은, 촬영하기 전(본격적으로, 저녁 식사를 먹기 전에)에, 스테이크(beefsteak)를 구울 준비나 TV를 보면서, 술의, 안주로서 먹어 버렸습니다.

 

 

이 다음날은, 일요일(5월의, 제5 일요일)이었지만, 기본적으로, 하루, 자택에 반입한 일을 하고 있었던(도중 , 조금, 일의 용무로, (실질적으로 나의 거리의 서쪽의 린가라고 한 느낌의) 시모키타자와(shimokitazawa)에 나왔습니다).

 

사진 이하 4매.이 날, 우리 집에서 먹은 저녁 식사의, 메인(main)의, 반찬(메인(main)의, 반찬이라고 말해도, 이 때는, 반찬으로서는, 이외, 야채 salad 밖에, 먹지 않았습니다만...).bouillabaisse(Bouillabaisse)(두 명분 ).이것과 빵으로, 먹었습니다.

 

사진 이하 3매.bouillabaisse(Bouillabaisse)의 식품 재료.

 

 

 

 

새우(두 명분으로서는, 약간 많다고 생각될지도 모릅니다만, 익히면 줄어듭니다.덧붙여서, 나도, 그녀도, 새우를 좋아합니다).

 

 

 

 

 

 

외관은, 별로 좋지 않습니다만, 맛있었습니다.이 때는, saffron(saffron)의 양이, 조금 너무 많았는지...그리고, 토마토(tomato)를, 좀 더, 다눈에 들어올 수 있고, 산미를, 좀 더 내도 좋았지라고 생각했습니다.

 

 

 

사진 이하 3매.이 날의 저녁 식사의 디저트(dessert).시모키타자와(shimokitazawa)의, 케이크(cake)·서양 과자 가게씨에서 산, 케이크(cake)(편의상, 사진은, 저녁 식사전에 촬영했습니다).이, 케이크(cake)·서양 과자 가게씨는, 전부터, 조금 신경이 쓰이고 있었습니다만, 이 때, 처음으로, 케이크(cake)를 사 보았습니다.맛있었습니다.이 가게는, 이 때부터, 이 투고할 때까지 에, 이미, 2회, 이용하고 있습니다만(지금까지로 합계 3회 이용하고 있다), 향후, 나의 거리 및, 그 주변의, 마음에 드는 가게의 하나에 참가할 것 같은 예감입니다.

 

 

 

 

내가 먹은, 레몬(lemon)의 케이크(cake).

 

 

초콜릿과 후란보워즈(나무딸기)의 케이크(cake).

 

 

사진 이하, 이 다음날(5월의, 제5 월요일)은, 개인적으로 휴일이었습니다만, 요코하마(도쿄 area의 바다의 현관이 되고 있는, 큰 항구도시)에, 놀러 나와 걸쳤습니다.요코하마는, 일의 용무에서도, 자주 갑니다만, 요코하마의 항구도시의 분위기를 좋아하고, 휴일에도, 잘 놀러 (산책하러) 나갑니다.상, 이 날은, 늦잠을 자고, 늦은 아침 식사겸 점심 식사를 먹고 나서, 요코하마에 나왔습니다.

 

사진 이하 20매.요코하마 도심부의 산쪽(yamate)을 산책.

 

일찌기, 요코하마나 코베(kobe) 등의 무역항이 있는 도시에서는, 일본에서 장사로 성공한 구미인이나, 구미 기업의 주재원, 영사관의 직원등은, 항구가 보이는 언덕(작은 산) 위에, 느긋한 독립주택을 세우며 살아, 주택가를 형성하고 있었습니다.요코하마의 산쪽(yamate)은, 이와 같은, 일찌기( 제2차 세계대전전에) 서양인 주택지에서 만난, 조용하고, 침착한 주택가에서, 요코하마(yokohama)의 도심부의 고급 주택지가 되고 있습니다.요코하마의 산쪽(yamate)의 제2차 세계대전전에 지어진 서양식 주택은, 거의 현존 하고 있지 않습니다만, 극히 일부는, 현존 해, 그 안의 일부는, 요코하마시가 소유하고, 관광객 전용으로, 무료로, 일반 공개하고 있습니다.덧붙여서, 제2차 세계대전전에, 요코하마(yokohama)의 산쪽(yamate) 등에 지어진, 구미 사람용의 독립주택은, 서양식의 주택의 건물이라고 말해도, 일본의 풍토(기후)에, 어느 정도 맞춘 것이며, 1910년대 이전에는, 일본의 상류층·나카가미류층의 서양식의 저택과 또, 1920년대, 1930년대 이후는, 거기에 더하고, 도쿄의 높은 지대(yamanote.신시가지.현재의 도쿄 중심부 서부)의 신흥 주택지, 덴엔쵸후(denencyofu.현재는, 덴엔쵸후(denencyofu)는, 전`결모후 대표적인 고급 주택지의 하나가 되고 있습니다만, 제이차 세계대전전은, 전원 도시 구상(뉴 타운 개발 계획)에 의해서, 도쿄나 오사카의 교외에 개발된, 중류층이나 신흥 부자 전용의 교외 신흥 주택지(뉴 타운)의 하나였습니다) 등의 대도시 교외의 신흥 주택지등의, 일본의 중류 계급(여기서 말하는 중류 계급이란, 제이차 세계대전전의 계급 사회에 있어서의, 노동자 계급에 대한 중류 계급) 향해의 서양식 주택과 서로 영향을 서로 주고 있었다고 생각합니다.

 

사진 이하 7매의, 서양식의 독립주택은, 요코하마의 산쪽(yamate)으로 보존되고 있는, 제이차 세계대전전에 지어진 서양식의 독립주택의 하나입니다만, 구미 사람용으로 산쪽(yamate)으로 지어진 주택이 아니고, 원래, 1910년에, 도쿄의 시부야(shibuya) 구(현재의 도쿄 중심부 서부)에, 일본인 외교관(상급 공무원)(브라질의 일본 공사(대사의 다음에 훌륭한 직무)(1907년에 취임), 스웨덴의 일본 공사(1912년에 취임), 터키의 일본 대사(1923년 취임) 등을 맡는다.1924년에 퇴직)의 주택으로서 지어진 것으로, 1997년에, 요코하마시가, 이 외교관의 자손으로부터, 기증을 받아 관광용으로서 활용하기 위해, 또 문화재·역사적 자료로서 보존하기 위해, 도쿄도심부의 시부야(shibuya) 구의 남페이다이(nanpeidai)에서 요코하마의 산쪽(yamate) 지구에, 이축한 것입니다.따라서, 산쪽(yamate)으로 보존되어 관광객 전용으로, 일반 공개되고 있는, (제이차 세계대전전에 지어진) 서양식의 독립주택의 건물 중(안)에서는, 예외적인 물건이 되고 있습니다.

 

사진 이하 3매는, 전에, enjoy에 업(upload) 한 사진의 재이용(12월에 촬영한 것).상, 이전에는, 이 서양식의 주택의 건물에 인접하고, 일본 전통식의 주택의 건물이 있었습니다만, 이축시에, 일본 전통식의 주택의 건물은 해체되어 버리고, 지금은 없습니다.따라서, 이축되어 보존되고 있는 것은, 서양식의 주택 부분만되고 있습니다(상, 제이차 세계대전전의, 일본의, 부유층의 주택의 건물은, 한 때의, 이 외교관의 주택의 건물과 같이, 서양식의 주택의 건물과 일본 전통식의 주택의 건물이 인접해 지어지고 있는 형식의 물건도, 많았습니다).

 

정면의 뜰은, 일찌기 이탈리아령사관의 뜰에서 만난 것입니다.당시의 나카가미류계급의 집은, 넓은 부지내에 느긋하게 지어지고 있었던 것이 일반적임 때문, 시부야(shibuya) 구에 있었을 때도, (적어도, 제2차 세계대전전은), 이 정도의 넓이의 뜰은 있던 것이지요(가장, 이와 같이 아름답게 정돈되고 있었는가는, 모릅니다만...).

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

산쪽(yamate)의, 구영국 총영사(consul general) 공저(요코하마의, 구영국 총영사(consul general)의 저택)의 근처에서는, 이 때, 세간, 스코틀랜드(Scotland)에서 온, 백파이프(Great Highland Bagpipe)의 연주대가, 연주하고 있었습니다.

 

 

 

 

 

요코하마의, 구영국 총영사(consul general) 공저( 구영국 총영사(consul general)의 저택)의 건물.1937년에 지어진 것입니다.이 사진이라고, 약간 알기 어렵습니다만, 주택의 건물로서는, 꽤 규모의 큰 것입니다.넓은 부지와 건물 규모를 가져, 당시 , 동아시아에 있는 영국 총영사(consul general) 공저(영국 총영사(consul general)의 저택)중에서도, 상위에 등급설정심한 것 같습니다.

 

사진 이하 6매.구영국 총영사(consul general) 공저 가까이의, 1926년에 미국인 상인의 주택으로서 지어진 서양식의 독립주택을 개장한, 장미의 홍차나 장미의 케이크(cake) 등을 내는 cafe(tearoom)로, 간식을 먹었습니다.이 cafe(tearoom)는, 꽤, 분위기가 좋고, 저희들의, 마음에 드는 가게가 되고 있습니다.

 

 

 

 

장미의 홍차.이 외, 아르 그레이(Earl Grey tea)를 마셨습니다.

 

 

 

 

 

 

사진 이하 3매.간식은, 3종류 주문해, 모두, 둘이서 나누어 먹었습니다.

 

여러가지(설명은, 생략).

 

 

장미의 시폰 케이크(chiffon cake).

 

 

 

장미의 롤 케이크(swiss roll).

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

산쪽(yamate)을 산책한 후, 요코하마 도심부의, 요코하마역 주변(요코하마 최대의 번화가임과 동시에, 도쿄의 남부 교외 최대의 번화가가 되고 있다)의, 다카시마야(takashimaya) 백화점 요코하마점의, 갤러리(art gallery)에서, 이 때 행해지고 있던, 나카가와 가즈마사(nakagawa kazumasa)의 전람회(exhibition)를 보았습니다.나카가와 가즈마사(nakagawa kazumasa.1893년, 도쿄 태어나 1991년, 97세에 죽는다)는, 1920년대무렵부터 1980년대(1991년, 97세에 죽는 근처)까지 활약한, 일본의 유명한, 근대 화가(서양화가)입니다.

 

이 전람회(exhibition)의 광고지(leaflet).소로 한 전람회(exhibition)였지만, 꽤, 양질인 전람회(exhibition)였습니다.일본에는, 나카가와 가즈마사(nakagawa kazumasa) 미술관(카나가와(kanagawa) 현의 마나츠루(manazuru)에 있다)와 나카가와 가즈마사(nakagawa kazumasa) 기념 미술관(이시카와(ishikawa) 현의 송임(mattou.나카가와 가즈마사(nakagawa kazumasa)의 모친의 출신지.나카가와 가즈마사(nakagawa kazumasa) 자신도, 어릴 적이나 청년시대에, 몇 번인가 방문한)에게 있다)와(내가 아는 한) 두 개의, 나카가와 가즈마사(nakagawa kazumasa)의 작품의 전문의 미술관이 있습니다만( 나는, 나카가와 가즈마사(nakagawa kazumasa) 기념 미술관은, 방문한 일이 없습니다), 이 전람회(exhibition)의 전시 작품은, 이 두 개의 미술관으로부터 빌릴 수 있어 온 작품을 중심으로 하면서, 개인창고(개인의 소유)의 작품, 그 외의 미술관으로부터 빌릴 수 있어 온 작품도, 포함되어 있었습니다.

 

 

 

전에 kj로, 업(upload) 한 사진의 재이용입니다만, 나카가와 가즈마사(nakagawa kazumasa) 미술관의 팜플렛(leaflet).팜플렛(leaflet)의 표지에 실려 있는 그림은, 「두 개의 단지의 장미」.1986년, 나카가와 가즈마사(nakagawa kazumasa)가 90대때의 작품입니다.나카가와 가즈마사(nakagawa kazumasa) 미술관은, 도쿄 area(동경권)의 남서단(카나가와(kanagawa) 현의, 남서단 area)에 있는, 작은 반도(마나츠루(manazuru) 반도) 및, 그 주변부로부터 되는, 어촌, 마나츠루(manazuru)에 있습니다(나카가와 가즈마사(nakagawa kazumasa)는, 1949년, 50대 반때에, 마나츠루(manazuru)로 옮겨 살아, 그 후, 약 40년간, 마나츠루(manazuru)에 살아, 원숙기의 창작 활동을 실시했습니다).나카가와 가즈마사(nakagawa kazumasa) 미술관은, 매우 충실한, 나카가와 가즈마사(nakagawa kazumasa)의 작품의 수장품(collection)(아마, 일본(세계) 최대의, 나카가와 가즈마사(nakagawa kazumasa)의 작품의 콜렉션(collection))을 가지고 있습니다.나는, 나카가와 가즈마사(nakagawa kazumasa)의 작품은, 특별을 좋아하는 사람이라고 말할 정도가 아니고, 뭐보통이라고 한 느낌입니다만, 나카가와 가즈마사(nakagawakazumasa) 미술관은, 미술관의 분위기, 미술관 주변의 환경(마나츠루(manazuru) 반도의 첨단부 방면에 있다)도 포함하고, 개인적으로, 마음에 드는 미술관의 하나가 되고 있습니다.

 

 

사진 이하 2매.그림 엽서의 사진으로, 죄송합니다만, 나카가와 가즈마사(nakagawa kazumasa)의 작품예(나카가와 가즈마사(nakagawa kazumasa) 미술관의 수장 작품(collection)으로부터...).

 

「금붕어」

 

 

「백합과 마졸리카단지」

 

 

 

사진 이하 2매.이 날의 저녁 식사는, 다카시마야(takashimaya) 백화점 요코하마점에 들어가 있는, 나카무라 타카아키(nakamura koumei.유명한, 일본 요리의 세프(chef)의 한 명)의 레스토랑에서 먹었습니다.이 레스토랑은, 이 때로, 이용한 것은, 3회째였습니다.유명한 세프(chef)의 레스토랑이라고는 해도, 고급 레스토랑이라고 말할 정도가 아니고, 가격은, 생각보다는 적당하고(중급 레스토랑이라고 한 느낌), 나의 같은 사람이라도, 생각보다는 부담없이 이용 할 수 있는 레스토랑이 되고 있습니다(요리의 맛은, 맛있습니다).

 

사진 이하 2매.이 때는, 이 레스토랑의 저녁 식사의 메뉴(menu)로, 제일 싼, 밥(rice)과 반찬의 편성 메뉴(menu)를 부탁했던(두 명모두, 같은 물건을 부탁해(먹어) 했다.사진은, 일인분).이 메뉴(menu)를 부탁한 것은, 이 때가, 처음이었지만(그 이전에, 2회, 이 레스토랑을 이용했을 때는, 어느 쪽도, 이것보다 높은, 밥(rice)과 반찬의 편성 메뉴(menu)를 부탁했습니다), 이 메뉴(menu)(이 레스토랑의 저녁 식사의 메뉴(menu)로, 제일 싼, 밥(rice)과 반찬의 편성 메뉴(menu))에서도, 충분히라고 한 느낌이었습니다.

 

 

중앙에 있는, 메인(main)의, 반찬은, 새우 해 (새우의 반죽물)의 튀김, 일본식(일본풍) 아메리케이누(Americaine) 소스(sauce).사진 오른쪽의, 사라다(salad)에 걸려 있는 것은, 오징어의 튀김이었습니다.


 

디저트(dessert).핑크 그레이프 후르츠(pink grapefruit)의 샤벳(sorbet).

 

 

 

 



TOTAL: 945

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