食べ物

 

 

去年の年末に、箱根(hakone)に、一泊二日の小旅行と言うか、保養に行って来た時の物です。箱根(hakone)は、日光(nikko)と共に、東京近郊を代表する観光地・保養地・避暑地となっています(箱根(hakone)は、日本有数の温泉地ともなっています)。

 

 

写真以下50枚、箱根(hakone)小旅行&食事前編からの続き。。。

 

写真以下2枚。ホテルの部屋(この時、私達が宿泊した部屋)の窓から見た景色。


 

 

 

 

 

 

 

写真以下6枚。翌日(以下、この日と書きます)の朝食は、ホテル(この時、私達が宿泊した箱根(hakone)ホテル)の朝食バイキング(buffet)で食べました。

 

写真以下6枚。この時、ホテルの朝食バイキング(buffet)で、私が食べた物。

 

 

写真右下は、豆腐ステーキ(steak)。

 

 

 

 

サラダ(salad)は、もう一杯、お代わりしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下3枚。朝食後、ホテルの前を、少し散歩。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

向こうに見える、雪で白い山は、富士山。富士山(標高3,776m)は、日本で最も高い山であると共に、その形の美しさから、世界的に名が知られている山です。

 

 

写真以下6枚。ホテルの部屋(この時、私達が宿泊した部屋)の窓から見た景色。この日は、午前中は、富士山が、よく見えました。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この日は、ホテルをチェックアウト(check-out)した後、箱根(hakone)areaのdriveを楽しみ(途中、十国(jitsukoku)峠を訪れました)、その後、小田原(odawara)の蒲鉾(kamaboko)店(鈴廣(suzuhiro))を訪れてから帰りました。

 

写真以下2枚。十国(jitsukoku)峠から戻って来て、撮影した写真ですが、芦ノ湖(ashino湖)。芦ノ湖(ashino湖)(写真で見えているのは、一部)は、箱根(hakone)に有る大きな湖です。この時、私達が宿泊した箱根(hakone)ホテル(前回の投稿参照)は、芦ノ湖(ashino湖)の湖畔にあるリゾート(resort)ホテルの一つです。


 

 

 

 

 

 

向こうに見える赤い屋根の建物は、山のホテルの建物です。山のホテルは、芦ノ湖(ashino湖)の湖畔の高級リゾート(resort)ホテルで、庭園の、ツツジの花が綺麗な事で知られています。山のホテルは、近代の日本で最大級の財閥(近代日本の、三大財閥又は四大財閥)の一つで有った、三菱(mitsubishi)財閥(現在の、三菱(mitsubishi)group(日本最大級の企業グループ(conglomerate)の内の一つ))のオーナー(owner)で有り、貴族(男爵)でも有った、資本家の家、岩崎(iwasaki)家の、1911年に造られた、敷地面積、約100,000坪(約330,000平方m)の、箱根(hakone)の芦ノ湖(ashino湖)の湖畔の別荘(建物は、現存せず)の敷地の一部(半分弱)を利用して、1948年に開業したリゾート(resort)ホテルで、45,000坪(約149,000平方m)の敷地面積が有ります。この他にも、箱根(hakone)では、箱根(hakone)湯元(yumoto)areaにある、高級classの旅館、吉池(yoshiike)旅館(私は、宿泊した事がありません)が、1904年から1908年位の間に整備された、元、岩崎(iwasaki)家の、箱根(hakone)湯元(yumoto)areaの別荘の敷地(面積約10,000坪(約33,000平方m))に建っています。東京中心部にも、元、岩崎(iwasaki)家の邸宅、別荘(別邸)だった場所が、かなりあり、岩崎(iwasaki)家は、第二次世界大戦前は、たくさんの、とても広い敷地の邸宅・別荘を保有していた様です。岩崎(iwasaki)家は、元々、(侍(samurai)の家柄ではありましたが)、身分が高い家柄ではなかった為?、いくら財産を築いても、近代貴族としては、男爵(最も、身分の低い爵位。日本の近代貴族の爵位は、身分が高い順に、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵)止まりでしたが、おそらく、第二次世界大戦前において、日本で、最も富裕な家族の一つであったでしょう。

 

 

写真以下17枚。十国(jitsukoku)峠にて。。。十国(jitsukoku)峠は、箱根(hakone)areaの熱海(atami)に近い場所にある、眺望の良い場所です。十国(jitsukoku)峠は、箱根(hakone)areaで、お気に入りの場所となっています。

 

写真以下4枚。富士山。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

十国(jitsukoku)峠のケーブルカー(funicular)の線路。十国(jitsukoku)峠のケーブルカー(funicular)は、1956年に開業しました。上に見える建物は、山頂の展望台・売店の建物。

 

 

写真以下2枚。写真だと、薄くなってしまって、やや見え難いですが(実際は、もっと、はっきり見えます)、富士山。


 

 

富士山は、写真奥です。

 

 

 

 

富士山は、写真左側です。

 

 

写真以下2枚。真鶴(manazuru)半島。真鶴(manazuru)半島を含む真鶴(manazuru)は、小さな半島(真鶴(manazuru)半島)及び、その周辺部からなる、保養地・漁師町です。温泉地ではないですが、海産物(seafood)料理で有名で、海産物(seafood)料理を食べる為に、東京都心部方面から真鶴(manazuru)を訪れたり、真鶴(manazuru)に宿泊する人も結構います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下2枚。展望台・売店の建物(向こうに見える建物)は、おそらく、1956年の、ケーブルカー(funicular)開業時以来の物です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真だと、かなり薄くなってしまっていますが(実際は、写真よりも、はっきりと見えます)、展望台・売店の建物の左横に、富士山が見えるのが、分かるかな。。。

 

 

写真以下3枚。向こうに見えるのは、海。

 

 

 

 

 

 

向こうに見える、小さな島は、熱海(atami)(伊豆(izu)半島の東の付け根にある海沿いの大規模な温泉保養地)の沖に有る島、初島(hatsushima)です。初島(hatsushima)は、私は、行った事が有りませんが、会員制の高級リゾート(resort)等が有る様です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この時は、最後に、小田原(odawara)の、鈴廣(suzuhiro)の本店を訪れて、買い物&遅目の昼食を食べてから、我が家への帰途につきました。

 

小田原(odawara)は、箱根(hakone)の玄関(箱根(hakone)観光の拠点)となっている、海沿いの中都市です。鈴廣(suzuhiro)は、小田原(odawara)の、1865年創業の、規模の大きな蒲鉾(kamaboko)店です。蒲鉾(kamaboko)(魚の練り物食品の一種)は、日本全国で食べられている食べ物ですが、小田原(odawara)の名物(主要な産物)の一つとなっており(小田原(odawara)は、東京圏(関東)における、蒲鉾(kamaboko)の代表的な産地となっています)、小田原(odawara)には、多くの蒲鉾(kamaboko)店(蒲鉾(kamaboko)会社)があります(小田原(odawara)の蒲鉾(kamaboko)の歴史は、1500年代まで遡ると言われています)。その中でも(小田原(odawara)の蒲鉾(kamaboko)店(蒲鉾(kamaboko)会社)の中でも)、鈴廣(suzuhiro)は、籠清(kagosei。1814年創業)と共に、二大蒲鉾(kamaboko)店(蒲鉾(kamaboko)会社)であり、おそらく、小田原(odawara)最大の蒲鉾(kamaboko)店(蒲鉾(kamaboko)会社)だと思います。

 

小田原(odawara)にある、鈴廣(suzuhiro)の本店は、複数の店舗と飲食店から成り(蒲鉾(kamaboko)の博物館(資料館)まである)、ちょっとした、ショッピングモール(shopping mall)と言った感じで、小田原(odawara)最大の、蒲鉾(kamaboko)店の店舗となっています(おそらく。。。)。

 

この時、鈴廣(suzuhiro)の本店で、ちょっと気になっていた、バイキング(buffet)レストランで、遅目の昼食を食べ、買い物(主として、贈り物の選択と購入手続き、また、我が家の近所の実家への、お土産としての蒲鉾(kamaboko)の購入(近所の実家の母に、年末に箱根(hakone)に行くなら、小田原(odawara)で、正月用の蒲鉾(kamaboko)を買って来てくれと頼まれていたw)を行いました)をしてから帰りました。

 

写真以下11枚。鈴廣(suzuhiro)の本店にある飲食店の一つである、バイキング(buffet)レストランで、遅目の昼食を食べました。このレストランは、前は、バイキング(buffet)レストランではなかったのですが、近年、改装されて、地元の食材と、蒲鉾(kamaboko)店ならではの蒲鉾(kamaboko)等の魚の練り製品を活かしたバイキング(buffet)レストランとなりました。

 

写真以下11枚。この時、このバイキング(buffet)レストランで、私が食べた物。これと、あと、米粉のパンと人参パンを食べました。このレストランは、健康志向の、値段が安いバイキング(buffet)レストランです。安いバイキング(buffet)レストランなので、高価な(高級な)材料(食材)は使っていませんでしたが、並んでいる食べ物の種類は、豊富で(夕食時間帯になると、昼食時間帯に比べ値段は上がりますが、食べ物の種類は、さらに増える様です)、さらに、一品一品、地元の食材を活かしながら、質の良い材料を使っている感じでした。味付けも、手頃なレストランの食事の味付けとしては、全般的に、洗練されていました。このバイキング(buffet)レストランは、また利用しても、いいかなと思いました。

 

 

写真で、皿の下部を除き、蒲鉾(kamaboko)を中心とした、魚の練り物食品色々。魚の練り物食品の種類の豊富さと質は、さすがに、蒲鉾(kamaboko)店が経営している、バイキング(buffet)レストランと言った感じです。

 

 

 

写真左上、食べている途中、店員が、出来立てのパンを持って来たので、貰いました。

 

 

 

 

写真一番左の真ん中は、海産物(seafood)で作ったソーセージ(sausage)です。鈴廣(suzuhiro)の、海産物(seafood)で作ったソーセージ(sausage)は美味しいです。

 

 

 

 

写真左、サラダ(salad)。サラダ(salad)の野菜は、全て、地元産の野菜が、並べられていました(確か。。)。鈴廣(suzuhiro)によれば、環境を考え、蒲鉾(kamaboko)を作る際に、魚から身をとった後に残る皮や骨や内臓から肥料を作り、地元の農家に使って貰うと言う研究を進めて来て、安心・安全な野菜・果物を作る事に成功し、そうした、野菜・果物を、このバイキング(buffet)で使っているそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鶏肉(腿肉)の料理。実演(コック(cook)が、その場で作って、切り分ける)形式でした。

 

 

 

 

小田原(odawara)味噌ラーメン。これは、あまり美味しくありませんでした。

 

 

 

 

蒲鉾(kamaboko)のピンチョス(pinchos)が美味しかったので、たくさん、お代わりw。

 

 

写真以下2枚。デザート。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鈴廣(suzuhiro)の本店の、蒲鉾(kamaboko)の博物館(資料館)にある展示の一つで、日本の中世(1115年)の貴族の、宴会(party)の食事を、(当時の絵と記録を元に)再現した模型。蒲鉾(kamaboko)の原型の一つと思われる、魚の練り物食品が、見られます。

 

 

写真以下2枚。この時の、箱根(hakone)旅行で買って来た物の一部。

 

鈴廣(suzuhiro)の本店で買った、蒲鉾(kamaboko)(自宅用)。これは、自宅(我が家)用の安い物ですが、実家用には、もっと良い蒲鉾(kamaboko)を、贈り物用には、全般的に、さらに良い蒲鉾(kamaboko)を買いましたw 。安い蒲鉾(kamaboko)とは言っても、紀文(kibun.。日本の大規模食品会社の一つ。主力商品は、主に魚肉練り製品)の蒲鉾(kamaboko)(大量生産の安い蒲鉾(kamaboko)の代名詞的(代表的)な物)なんかに比べれば高いですし、美味しいです。鈴廣(suzuhiro)にしても、籠清(kagosei)にしても、小田原(odawara)の二大蒲鉾(kamaboko)会社(おそらく。。)と言っても、所詮、中規模の蒲鉾(kamaboko)会社であり、紀文(kibun)の様に、日本全国的な、超大量生産の会社とは違います。ちなみに、蒲鉾(kamaboko)は、お節(osechi)料理(日本の家庭で、伝統的に、正月に食べられている料理)の一つでもありますが、別に、日本で、普段、よく食べられている食べ物でもあります。

 

 

鈴廣(suzuhiro)の本店で買った、海産物(seafood)で作ったソーセージ(sausage)(左側が海老で、右側が帆立)です。鈴廣(suzuhiro)の、海産物(seafood)で作ったソーセージ(sausage)は美味しいです。鈴廣(suzuhiro)は、伝統のみに固執せずに、色々と新しい分野に挑戦している蒲鉾(kamaboko)会社です(まあ、責めの経営と言った感じかな。。。)。

 

 

箱根(hakone)小旅行&食事、終わり。。。

 

 

 

写真以下、おまけ。。。

 

写真以下15枚。6月の第4金曜日(以下、この日と書きます)の夕食等。この日は、仕事の終わりに、新宿(東京最大級の繁華街の一つであると共に、東京の主要なビジネス(business)地区の一つ。東京都心部の西部に位置する)の取引先を訪れたのですが、その後(仕事を終えた後)、新宿の損保ジャパン(sompo japan)美術館で、この時行われていた、アンリ・ル・シダネル(Henri Le Sidaner)の展覧会(exhibition)を見てから我が家に帰りました。損保ジャパン(sompo japan)美術館は、新宿副都心((主として)1970年代に開発された、200m級の超高層ビルが建ち並ぶ、ビジネス(business)地区。日本で最初の200m級超高層ビル群)の一角にある損保ジャパン(sompo japan)本社ビル(1976年完成。高さ200m)の、ほぼ最上階を占める美術館です。

 

写真以下4枚。新宿副都心の、損保ジャパン(sompo japan)本社ビルの周辺の超高層ビル。

 


写真左端の茶色いビルは、新宿centerビル(高さ216m。1979年完成)。写真真ん中のビルは、Mode学園Cocoon Tower(高さ約204m。2008年完成)。Mode学園Cocoon Towerは、新宿副都心の超高層ビルの中では、最も新しい物の一つです。ファッションデザイナー(fashion designer)等を養成する専門学校、Mode学園(1966年創立。本部は、名古屋(nagoya)。東京校は、1980年開校)の、東京校の校舎ビルとなっています。

 

 

写真左から、新宿centerビル、新宿野村(nomura)ビル、損保ジャパン(Sompo Japan)本社ビル、Mode学園Cocoon Tower。

 

 

写真以下2枚。写真真ん中が、損保ジャパン(sompo japan)本社ビル(1976年完成。高さ200m)。その、すぐ後方に見えるのが、新宿野村(nomura)ビル(高さ209.9m。1978年完成)。

 

 

 

 

 

 

 

写真以下2枚。損保ジャパン(sompo japan)美術館の展望台から見た、東京都心部の中でも、中心的な地区の夜景。ちなみに、損保ジャパン(sompo japan)本社ビルは、新宿副都心の、北東端地区にあり、また、損保ジャパン(sompo japan)美術館の展望台(同ビルの展望台)は、東に面している為、損保ジャパン(sompo japan)美術館の展望台からは、新宿副都心の超高層ビル郡は眺める事が出来ません。

 

 

 

 

 

 

写真右側の背の高いタワー(tower)は、東京tower。高さは約333mで、1958年に完成した当時は、パリのEiffel tower(約324m)を抜かし、世界一高い、(観光用の展望台を有する)塔でした。今となっては、世界的には、それ程は、背の高いタワー(tower)では無く、また、東京中心部の北東部に、東京sky tree(高さ634m)が開業した事により、やや影が薄くなってしまいましたが、今でも、東京を象徴する建物の一つとなっています。東京towerは、来るべきTVの大衆化時代(日本では、TV放送は、1953年に始まり、当初は、TVは、庶民にとっては、中々手が届かない贅沢品で有ったが、1950年代末には、テレビ(TV)が、庶民の家庭にも普及する様になった)に備えて、東京areaにTV電波を大量に送信する為に建てられたTV電波塔ですが、展望台を有し、観光施設の側面も有しています。

 

 

損保ジャパン(sompo japan)は、安田火災海上保険(前身で有る、東京火災保険は、1888年創業)と日産火災海上保険(1911年設立)と言う二つの損害保険会社が、合弁して2002年に発足した、損害保険会社で、損保ジャパン(sompo japan)発足前は、損保ジャパン(sompo japan)本社ビルは、安田火災海上保険本社ビル、損保ジャパン(sompo japan)美術館は、安田火災美術館でした。損保ジャパン(sompo japan)は、安田火災海上保険時代から、日本有数の損害保険会社です(日本で、3本の指に入る損害保険会社)。損保ジャパン(sompo japan)美術館は、安田火災海上保険が、社会貢献の一環として、安田火災海上保険の新本社ビル(現在の損保ジャパン(sompo japan)本社ビル)が完成した1976年に、同ビルに開館(open)した、私営の美術館で、前述の通り、損保ジャパン(sompo japan)本社ビル(旧、安田火災海上保険の新本社ビル)の、ほぼ最上階を占めています。

 

写真以下2枚。この時、私が見て来た、(この時、損保ジャパン(sompo japan)美術館で行われていた)アンリ・ル・シダネル(Henri Le Sidaner)(1862年生まれ。1939年に亡くなる。1890年代から1930年代に活躍した、フランスの有名な画家)の展覧会(exhibition)のチラシ(leaflet)。この展覧会(exhibition)は、彼女は、会期中、(私と彼女の休みが合わなかった日に)いち早く、見に行っていました。私は、シダネル(Sidaner)は、あまり興味がなかった為、当初、この展覧会(exhibition)は、見るつもりはなかったのですが、結局、彼女の真似をしてw、この展覧会(exhibition)を見て来ました。この様な経緯から、この展覧会(exhibition)は、それ程、期待していた訳ではなかったのですが、実際に見た所、とても良い展覧会(exhibition)で、この展覧会(exhibition)をきっかけに、シダネル(Sidaner)の魅力が分かり、シダネル(Sidaner)は、お気に入りの画家となってしまいました。印象派の、眩いばかりの(きらびやかな)光の表現とは異なる、シダネル(Sidaner)の、落ち着いた、静かな光の表現は、私の好みに合います。

 

 

チラシ(leaflet)の表紙になっている作品は、この展覧会(exhibition)の展示作品の一つで、アンリ・ル・シダネル(Henri Le Sidaner)の、「薔薇の花に覆われた家」(1928年)。

 

 

写真以下4枚。この展覧会(exhibition)の展示作品例。展覧会(exhibition)のチラシ(leaflet)及び、絵葉書から。。。

 

 

上段、左から、「青いテーブル」(1923年)、「離れ屋」(1927年)、「帰りくる羊の群れ」(1889年)。下段左から、「夕暮れの小卓」(1921年)、「朝」(1896年)、「広場」(1934年)。

 

 

「テーブルと家」(1935年)。

 

 

 

「教会下の家、黄昏」(1934年)。

 

 

 

「運河」(1901年)。

 

 

 

写真以下2枚。この日の夕食は、仕事の用事で、新宿を訪れた際に、個人的に、昼食でも、夕食でも、よく利用する、(新宿にある)、小ぢんまりとした、庶民的な、ステーキ(beef steak)食堂で食べました。このステーキ(beef steak)食堂は、安い値段で、値段の割に、美味しいステーキ(beef steak)を食べさせてくれます。このステーキ(beef steak)食堂は、昼食を食べたり、仕事帰りに夕食を食べたりする男性会社員を中心に、いつも混んでいる店で、常に席が空くのを待つ人がいる程、混雑しています。この店は、会社員の男が、一人で、さっと(短時間で)、ステーキ(beef steak)と、ご飯(rice)を食べて出て行くと言った感じの店で、落ち着きはなく、率直に言って、女性やカップル(couple)には、不向きと言った感じの店です。

 

写真以下2枚。このステーキ(beef steak)食堂で食べた、この日の夕食。これに、ご飯(rice)と、付け合せ(side dish)のサラダ(salad)が付きます。


 

 

付け合せ(side dish)のスープ(soup)(corn soup)。この店の、付け合せ(side dish)のスープ(soup)の味は、意外と、侮れなく、中々美味しいです(ファミリーレストラン(family restaurant)のスープ(soup)よりも、美味しい)。

 

 

 

 

 

サーロインステーキ(sirloin steak)。

 

 

 

 

 

この日、我が家に帰って来て、デザート代わりに食べた、台湾産のマンゴー(mango)。このマンゴー(mango)は、あまり美味しくありませんでした。

 

 

 

 

一つ食べてしまってから撮影しましたが、頂き物の、新潟(niigata)県産の、ちまき(chimaki)。もち米を葉で包んだ、伝統的な保存食で、葉の包みを取り、砂糖入りの、きな粉(大豆を粉末にした食品)(写真右)を付けて食べます。これは、この翌日(6月の第4土曜日)の朝食として食べました。

 

 

 

写真以下、適当に、おまけ。。。


 

 

頂き物。夕張(yuubari)メロン(melon)。夕張(yuubari)メロン(melon)は、北海道(hokkaido)の夕張(yuubari)市を産地とするメロン(melon)で、日本の代表的な高級メロン(melon)となっています。

 

 

 

開封して、使っている途中に撮影した物ですが、マートで販売されている、ブルガリア(Bulgaria)製の薔薇のジャム(jam)。下の、ブルガリア(Bulgaria)製品専門店で売られている薔薇のジャム(jam)よりも、入っている薔薇の花弁の密度は低いですが、香りは、強いです。また、下の、ブルガリア(Bulgaria)製品専門店で売られている薔薇のジャム(jam)よりも、酸味が少なく、まろやかな味です。

 

 

これは、前に、kjでアップ(upload)した写真の再利用で、開封してしまって、使っている途中に撮影した写真ですが、私の街の、ブルガリア(Bulgaria)製品専門店で売られている、ブルガリア(Bulgaria)製の薔薇のジャム(jam)。(やはり、香りは、良いものの)上の、マートで販売されている、ブルガリア(Bulgaria)製の薔薇ジャム(jam)に比べて、香りは弱いです。また、上の、マートで販売されている、ブルガリア(Bulgaria)製の薔薇ジャム(jam)に比べて、入っている薔薇の花弁の密度が高く(たくさん、薔薇の花弁が入っていて)、酸味が強い味です。この薔薇のジャム(jam)は、おそらく、上の、マートで販売されている薔薇のジャム(jam)よりも高級品です。マートで販売されている、ブルガリア(Bulgaria)製の薔薇のジャム(jam)、私の街の、ブルガリア(Bulgaria)製品専門店で売られている、ブルガリア(Bulgaria)製の薔薇のジャム(jam)、それぞれ個性がありますが、両方共、好きです。

 

 

写真以下2枚。6月の下旬に行った投稿、「鎌倉(kamakura)散歩&食事」で加え忘れた物。鎌倉(kamakura)に有る、神奈川(kanagawa)県立近代美術館の本館の建物(絵葉書より。。。)。神奈川(kanagawa)県立近代美術館の本館は、神奈川(kanagawa)県(東京圏の南部を占める県。中心都市は、横浜。ちなみに、箱根(hakone)・小田原(odawara)・真鶴(manazuru)は、神奈川(kanagawa)県の南西端areaに位置しています)が運営する、日本の近代美術・現代美術を中心に収蔵する公立の美術館で、1951年に開館した、日本で最初の、公立の近代美術館(近代美術・現代美術専門の美術館)です(日本の近代美術・現代美術に関する、幅の広い、充実したコレクション(collection)を有しています)。1951年に建てられた、神奈川(kanagawa)県立近代美術館の本館の建物は、坂倉 準三(sakakura jyunzo)(下の補足説明参照)の設計による物で、第2次世界大戦後の初期の日本の現代建築の名作の一つとなっています。
坂倉 準三(sakakura jyunzo):1901年生まれ。1969年に亡くなる。1930年代後半から亡くなるまで活躍した、日本の有名な現代建築家。他の、日本の第二次世界大戦後の復興期(1950年代から1960年代初期)の、現代建築界をリード(lead)した、日本の有名な建築家達と共に、日本の現代建築設計の水準を、世界最高水準に引き上げる為の基礎を、1950年代に、固めた建築家の一人。代表作は、1937年のパリ(Paris)万国博覧会(The Exposition Internationale des Arts et Techniques dans la Vie Moderne)の日本館(坂倉 準三(sakakura jyunzo)は、1937年のパリ(Paris)万国博覧会(The Exposition Internationale des Arts et Techniques dans la Vie Moderne)において、フィンランド(Finland)のAlvar Aalto、スペインのJosep Lluis Sertと共に、建築部門のグランプリ(最高の賞)を受章しました)、神奈川(kanagawa)県立近代美術館の本館(1951年)、渋谷(shibuya)駅(1954年)、東急(tokyu)文化会館(1956年)、羽島(hashima)市庁舎(1958年)、芦屋(ashiya)市民センター(luna hall)(1964年)他、多数。

 

 

 

 

 

 

これは、1951年に、建てられた当時の、神奈川(kanagawa)県立近代美術館の本館の建物の写真。

 

 

 

写真以下3枚。どこから取って来たのか、忘れてしまいましたが、東京都現代美術館(東京都(日本の47の都道府県(prefecture)の内の一つ。主に、東京中心部(東京23区)と東京の西部郊外・近郊から成る)が運営している、規模の大きな現代美術専門の美術館。東京中心部(東京23区)の東部にある)で近々開催される展覧会(exhibition)、「日本のファッション(fashion)の未来性(Future Beauty: 30 Years of Japanese Fashion)」のチラシ(leaflet)。この展覧会(exhibition)は、2010年にイギリスのロンドンのBarbican Art Gallery、2011年に、ドイツのミュンヘン(Munich)のHaus der Kunstで行われた展覧会(exhibition)、「Future Beauty: 30 Years of Japanese Fashion」に、新たな作品を加えた展覧会(exhibition)です。

 

以下、日本のファッション(fashion)に関する説明は、東京都現代美術館のsiteの、この展覧会(exhibition)に関する説明を抜粋した物です。

 

20世紀後半、日本のファッション(fashion)は、日本経済の成長と共に世界に羽ばたき、その独自性を開花させました。1970年代に、高田 賢三(Takada Kenzo又はKenzo Takada)や三宅 一生(Miyake Issey又はIssey Miyake)が活躍を始めます。1981年、川久 保玲(Kawakubo Rei又はRei Kawakubo)や山本 耀司(Yamamoto Yoji又はYohji Yamamoto)がパリ(Paris)でデビュー(debut)。欧米の美意識から解き放たれた日本のデザイナー(designer)の作品は、前衛的と評され、その表現には、賛否両論が飛び交いました。しかし、日本のファッション(fashion)こそが、やがて、ファッション(fashion)界を牽引していくことになりました。

 

平面性、素材の重視、無彩色など、三宅 一生(Miyake Issey又はIssey Miyake)、川久 保玲(Kawakubo Rei又はRei Kawakubo)、山本 耀司(Yamamoto Yoji又はYohji Yamamoto)等の作品には、西洋的な美意識にとらわれない独自の表現と強度を持ったスタイル(様式)が備わっていました。彼等が、西洋中心的だったファッション(fashion)界に与えた影響の大きさは、彼等を尊敬するデザイナー(designer)が国籍問わず存在し、その前衛的であった表現が、様々なレベルで一般化されているのをみれば明らかです。彼等の最も大きな功績は、アート(art)からの視線を引き付ける等、ファッション(fashion)の可能性を大きく広げた事、西洋の美意識の枠内に留まっていたファッション(fashion)の創造性の扉を、広く世界へと開いた事だと言えるでしょう。


 

チラシ(leaflet)の表紙となっているのは、川久 保玲(Kawakubo Rei又はRei Kawakubo)(Comme des Garçons)1983年秋冬。

 

 

写真上、山本 耀司(Yamamoto Yoji又はYohji Yamamoto)1983年春夏。写真下、大矢 寛朗(Oya Hiroaki又はHiroaki Ohya)(OH!YA?)2000年春夏。

 

 

写真上、滝沢 直己(Takizawa Naoki又はNaoki Takizawa)(Issey Miyake)2004年春夏。写真下、太田 雅貴(Ota Masataka又はMasataka Ohta)(Ohta)2011年秋冬。

 

 


하코네(hakone) 짧은 여행&식사 후편.

 

 

작년의 연말에, 하코네(hakone)에, 일박 이틀의 짧은 여행이라고 말하는지, 보양하러 갔다 왔을 때의 물건입니다.하코네(hakone)는, 닛코(nikko)와 함께, 도쿄 근교를 대표하는 관광지·보양지·피서지가 되고 있습니다(하코네(hakone)는, 일본 유수한 온천지나 되고 있습니다).

 

 

사진 이하 50매, 하코네(hakone) 짧은 여행&식사 전편으로부터의 계속...

 

사진 이하 2매.호텔의 방(이 때, 저희들이 숙박한 방)의 창으로부터 본 경치.


 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 6매.다음날(이하, 이 날이라고 씁니다)의 아침 식사는, 호텔(이 때, 저희들이 숙박한 하코네(hakone) 호텔)의 아침 식사 바이킹(buffet)으로 먹었습니다.

 

사진 이하 6매.이 때, 호텔의 아침 식사 바이킹(buffet)으로, 내가 먹은 것.

 

 

사진 우하는, 두부 스테이크(steak).

 

 

 

 

사라다(salad)는, 한잔 더, 한 그릇 더 했습니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 3매.아침 식사 후, 호텔의 앞을, 조금 산책.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

저 편으로 보이는, 눈으로 흰 산은, 후지산.후지산(표고 3,776 m)는, 일본에서 가장 높은 산임과 동시에, 그 형태의 아름다움으로부터, 세계적으로 이름이 알려져 있는 산입니다.

 

 

사진 이하 6매.호텔의 방(이 때, 저희들이 숙박한 방)의 창으로부터 본 경치.이 날은, 오전중은, 후지산이, 잘 보였습니다.


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

이 날은, 호텔을 체크아웃(check-out) 한 후, 하코네(hakone) area의 drive를 즐겨(도중 , 10국(jitsukoku) 상을 방문했습니다), 그 후, 오다와라(odawara)의 어묵(kamaboko) 점(령광(suzuhiro))을 방문하고 나서 돌아갔습니다.

 

사진 이하 2매.10국(jitsukoku) 상으로부터 돌아오고, 촬영한 사진입니다만, 아시노코(ashino호수).아시노코(ashino호수)(사진으로 보이고 있는 것은, 일부)는, 하코네(hakone)에 있는 큰 호수입니다.이 때, 저희들이 숙박한 하코네(hakone) 호텔(전회의 투고 참조)은, 아시노코(ashino호수)의 호반에 있는 리조트(resort) 호텔의 하나입니다.


 

 

 

 

 

 

저 편으로 보이는 붉은 지붕의 건물은, 산의 호텔의 건물입니다.산의 호텔은, 아시노코(ashino호수)의 호반의 고급 리조트(resort) 호텔에서, 정원의, 철쭉의 꽃이 깨끗한 일로 알려져 있습니다.산의 호텔은, 근대의 일본에서 최대급의 재벌(근대 일본의, 3 대재벌 또는 4 대재벌)의 하나로 있던, 미츠비시(mitsubishi) 재벌(현재의, 미츠비시(mitsubishi) group(일본 최대급의 기업 그룹(conglomerate) 중의 하나))의 오너(owner)로 있어, 귀족(남작)이라도 있던, 자본가의 집, 이와사키(iwasaki) 가의, 1911년에 만들어진, 부지면적, 약 100,000평( 약 330,000평방 m)의, 하코네(hakone)의 아시노코(ashino호수)의 호반의 별장(건물은, 현존 하지 않고)의 부지의 일부(반 미만)를 이용하고, 1948년에 개업한 리조트(resort) 호텔에서, 45,000평( 약 149,000평방 m)의 부지면적이 있습니다.이 그 밖에도, 하코네(hakone)에서는, 하코네(hakone) 유모토(yumoto) area에 있는, 고급 class의 여관, 요시이케(yoshiike) 여관( 나는, 숙박한 일이 없습니다)이, 1904년부터 1908년 정도의 사이에 정비된, 겐, 이와사키(iwasaki) 가의, 하코네(hakone) 유모토(yumoto) area의 별장의 부지(면적 약 10000평( 약 33,000평방 m))에 세워지고 있습니다.도쿄 중심부에도, 겐, 이와사키(iwasaki) 가의 저택, 별장(별저)이었던 장소가, 꽤 있어, 이와사키(iwasaki) 가는, 제이차 세계대전전은, 많은, 매우 넓은 부지의 저택·별장을 보유하고 있던 같습니다.이와사키(iwasaki) 가는, 원래, (사무라이(samurai)의 집안이었습니다만), 신분이 비싼 집안은 아니었던 때문?, 아무리 재산을 쌓아 올려도, 근대 귀족으로서는, 남작(가장, 신분이 낮은 작위.일본의 근대 귀족의 작위는, 신분이 비싼 순서에, 공작, 후작, 백작, 자작, 남작) 정지였지만, 아마, 제이차 세계대전전에 있고, 일본에서, 가장 부유인 가족의 한 살이었겠지요.

 

 

사진 이하 17매.10국(jitsukoku) 상에서...10국(jitsukoku) 상은, 하코네(hakone) area의 아타미(atami)에 가까운 장소에 있는, 전망이 좋은 장소입니다.10국(jitsukoku) 상은, 하코네(hakone) area로, 마음에 드는 장소가 되고 있습니다.

 

사진 이하 4매.후지산.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10국(jitsukoku) 상의 케이블카(funicular)의 선로.10국(jitsukoku) 상의 케이블카(funicular)는, 1956년에 개업했습니다.위로 보이는 건물은, 산정의 전망대·매점의 건물.

 

 

사진 이하 2매.사진이라고, 얇아져 버리고, 약간 보이기 어렵습니다만(실제는, 더, 분명히 보입니다), 후지산.


 

 

후지산은, 사진안쪽입니다.

 

 

 

 

후지산은, 사진 좌측입니다.

 

 

사진 이하 2매.마나츠루(manazuru) 반도.마나츠루(manazuru) 반도를 포함한 마나츠루(manazuru)는, 작은 반도(마나츠루(manazuru) 반도) 및, 그 주변부로부터 되는, 보양지·어촌입니다.온천지는 아닙니다만, 해산물(seafood) 요리로 유명하고, 해산물(seafood) 요리를 먹기 위해, 도쿄도심부 방면에서 마나츠루(manazuru)를 방문하거나 마나츠루(manazuru)에 숙박하는 사람도 상당히 있습니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 2매.전망대·매점의 건물(저 편으로 보이는 건물)은, 아마, 1956년의, 케이블카(funicular) 개업시 이래의 물건입니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진이라고, 꽤 얇아져 버리고 있습니다만(실제는, 사진보다, 분명히 보입니다), 전망대·매점의 건물의 좌횡에, 후지산이 보이는 것이, 알까...

 

 

사진 이하 3매.저 편으로 보이는 것은, 바다.

 

 

 

 

 

 

저 편으로 보이는, 작은 섬은, 아타미(atami)(이즈(izu) 반도의 동쪽의 밑에 있는 해안의 대규모 온천 보양지)의 바다에 있는 시마, 하츠시마(hatsushima)입니다.하츠시마(hatsushima)는, 나는, 간 일이 없습니다만, 회원제의 고급 리조트(resort) 등이 있는 것 같습니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

이 때는, 마지막으로, 오다와라(odawara)의, 령광(suzuhiro)의 본점을 방문하고, 쇼핑&지목의 점심 식사를 먹고 나서, 우리 집에의 귀로에 올랐습니다.

 

오다와라(odawara)는, 하코네(hakone)의 현관(하코네(hakone) 관광의 거점)가 되고 있는, 해안안도시입니다.령광(suzuhiro)은, 오다와라(odawara)의, 1865년 창업의, 규모의 큰 어묵(kamaboko) 점입니다.어묵(kamaboko)(물고기의 반죽물 식품의 일종)는, 일본 전국에서 먹을 수 있고 있는 음식입니다만, 오다와라(odawara)의 명물(주요한 산물)의 하나가 되고 있어(오다와라(odawara)는, 동경권(관동)에 있어서의, 어묵(kamaboko)의 대표적인 산지가 되고 있습니다), 오다와라(odawara)에게는, 많은 어묵(kamaboko) 점(어묵(kamaboko) 회사)이 있습니다(오다와라(odawara)의 어묵(kamaboko)의 역사는, 1500년대까지 거슬러 올라간다고 말해지고 있습니다).그 중에서도(오다와라(odawara)의 어묵(kamaboko) 점(어묵(kamaboko) 회사) 중(안)에서도), 령광(suzuhiro)은, 롱청(kagosei.1814년 창업)과 함께, 2대어묵(kamaboko) 점(어묵(kamaboko) 회사)이며, 아마, 오다와라(odawara) 최대의 어묵(kamaboko) 점(어묵(kamaboko) 회사)이라고 생각합니다.

 

오다와라(odawara)에게 있는, 령광(suzuhiro)의 본점은, 복수의 점포와 음식점으로부터 완성되어(어묵(kamaboko)의 박물관(자료관)까지 있다), 약간의, 쇼핑 몰(shopping mall)이라고 한 느낌으로, 오다와라(odawara) 최대의, 어묵(kamaboko) 점의 점포가 되고 있습니다(아마...).

 

이 때, 령광(suzuhiro)의 본점에서, 조금 신경이 쓰이고 있던, 바이킹(buffet) 레스토랑에서, 지목의 점심 식사를 먹어 쇼핑(주로, 선물의 선택과 구입 수속, 또, 우리 집의 부근의 친가에의, 선물로서의 어묵(kamaboko)의 구입(근처의 친가의 어머니에게, 연말에 하코네(hakone)에 간다면, 오다와라(odawara)로, 정월용의 어묵(kamaboko)을 사 와 줘라고 부탁받고 있던 w)을 실시했습니다)을 하고 나서 돌아갔습니다.

 

사진 이하 11매.령광(suzuhiro)의 본점에 있는 음식점의 하나인, 바이킹(buffet) 레스토랑에서, 지목의 점심 식사를 먹었습니다.이 레스토랑은, 전은, 바이킹(buffet) 레스토랑은 아니었습니다만, 근년, 개장되고, 현지의 식품 재료와 어묵(kamaboko) 점만이 가능한 어묵(kamaboko) 등의 물고기의 가공식품을 살린 바이킹(buffet) 레스토랑이 되었습니다.

 

사진 이하 11매.이 때, 이 바이킹(buffet) 레스토랑에서, 내가 먹은 것.이것과 그리고, 쌀가루의 빵과 인삼 빵을 먹었습니다.이 레스토랑은, 건강지향의, 가격이 싼 바이킹(buffet) 레스토랑입니다.싼 바이킹(buffet) 레스토랑이므로, 고가의(고급) 재료(식품 재료)는 사용하고 있지 않았습니다만, 줄지어 있는 음식의 종류는, 풍부하고(저녁 식사 시간대가 되면, 점심 식사 시간대에 비해 가격은 오릅니다만, 음식의 종류는, 한층 더 증가하는 것 같습니다), 게다가 일품 일품, 현지의 식품 재료를 살리면서, 질이 좋은 재료를 사용하고 있는 느낌이었습니다.맛내기도, 적당한 레스토랑의 식사의 맛내기로서는, 전반적으로, 세련 되고 있었습니다.이 바이킹(buffet) 레스토랑은, 또 이용해도, 좋을까라고 생각했습니다.

 

 

사진으로, 접시의 하부를 제외해, 어묵(kamaboko)을 중심으로 한, 물고기의 반죽물 식품 여러가지.물고기의 반죽물 식품의 종류의 풍부함과 질은, 과연, 어묵(kamaboko) 점이 경영하고 있는, 바이킹(buffet) 레스토랑이라고 한 느낌입니다.

 

 

 

사진 좌상, 먹고 있는 도중 , 점원이, 갓 만들어낸의 빵을 가져 왔으므로, 받았습니다.

 

 

 

 

사진 제일 왼쪽의 한가운데는, 해산물(seafood)로 만든 소세지(sausage)입니다.령광(suzuhiro)의, 해산물(seafood)로 만든 소세지(sausage)는 맛있습니다.

 

 

 

 

사진왼쪽, 사라다(salad).사라다(salad)의 야채는, 모두, 현지산의 야채가, 늘어놓을 수 있고 있었습니다(확실히..).령광(suzuhiro)에 의하면, 환경을 생각하고 어묵(kamaboko)을 만들 때에, 물고기로부터 몸을 잡은 후에 남는 가죽이나 뼈나 내장으로부터 비료를 만들어, 현지의 농가에 사용해 받는다고 하는 연구를 진행시켜 오고, 안심·안전한 야채·과일을 만드는 일에 성공해, 그러한, 야채·과일을, 이 바이킹(buffet)으로 사용하고 있다고 합니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

닭고기(퇴육)의 요리.실연(콕(cook)이, 그 자리에서 만들고, 분리한다) 형식이었습니다.

 

 

 

 

오다와라(odawara) 된장 라면.이것은, 너무 맛있지 않았습니다.

 

 

 

 

어묵(kamaboko)의 핀쵸스(pinchos)가 맛있었기 때문에, 많이, 한 그릇 더 w.

 

 

사진 이하 2매.디저트.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

령광(suzuhiro)의 본점의, 어묵(kamaboko)의 박물관(자료관)에 있는 전시의 하나로, 일본의 중세(1115년)의 귀족의, 연회(party)의 식사를, (당시의 그림과 기록을 바탕으로) 재현한 모형.어묵(kamaboko)의 원형의 하나라고 생각되는, 물고기의 반죽물 식품이, 볼 수 있습니다.

 

 

사진 이하 2매.이 때의, 하코네(hakone) 여행에서 사 온 것의 일부.

 

령광(suzuhiro)의 본점에서 산, 어묵(kamaboko)(자택용).이것은, 자택(우리 가) 용의 싼 것입니다만, 친가용으로는, 더 좋은 어묵(kamaboko)을, 선물용으로는, 전반적으로, 한층 더 좋은 어묵(kamaboko)을 샀던 w .싼 어묵(kamaboko)이라고는 해도, 키분(kibun..일본의 대규모 식품 회사의 하나.주력 상품은, 주로 어육 가공식품)의 어묵(kamaboko)(대량생산의 싼 어묵(kamaboko)의 대명사적(대표적)인 물건)같은 것에(이) 비교하면 높으며, 맛있습니다.령광(suzuhiro)으로 해도, 롱청(kagosei)으로 해도, 오다와라(odawara)의 2대어묵(kamaboko) 회사(아마..)(이)라고 말해도, 결국, 중 규모의 어묵(kamaboko) 회사이며, 키분(kibun)과 같이, 일본 전국적인, 초대형량 생산의 회사와는 다릅니다.덧붙여서, 어묵(kamaboko)은, 명절 특별 요리(osechi) 요리(일본의 가정에서, 전통적으로, 정월에 먹을 수 있고 있는 요리)의 하나이기도 합니다만, 별로, 일본에서, 평상시, 잘 먹을 수 있고 있는 음식이기도 합니다.

 

 

령광(suzuhiro)의 본점에서 산, 해산물(seafood)로 만든 소세지(sausage)(좌측이 새우로, 우측이 범립)입니다.령광(suzuhiro)의, 해산물(seafood)로 만든 소세지(sausage)는 맛있습니다.령광(suzuhiro)은, 전통에만 고집하지 않고 , 다양하게 새로운 분야에 도전하고 있는 어묵(kamaboko) 회사입니다(뭐, 고문의 경영이라고 한 느낌일까...).

 

 

하코네(hakone) 짧은 여행&식사, 마지막...

 

 

 

사진 이하, 덤...

 

사진 이하 15매.6월의 제4 금요일(이하, 이 날이라고 씁니다)의 저녁 식사등.이 날은, 일의 마지막에, 신쥬쿠(도쿄 최대급의 번화가의 하나임과 동시에, 도쿄의 주요한 비지니스(business) 지구의 하나.도쿄도심부의 서부에 위치한다)의 거래처를 방문했습니다만, 그 후(일을 끝낸 후), 신쥬쿠의 손해보험 재팬(sompo japan) 미술관에서, 이 때 행해지고 있던, 앙리·르·양치 네루(Henri Le Sidaner)의 전람회(exhibition)를 보고 나서 우리 집에 돌아갔습니다.손해보험 재팬(sompo japan) 미술관은, 신쥬쿠 부도심((주로) 1970년대에 개발된, 200 m급의 초고층 빌딩이 늘어서는, 비지니스(business) 지구.일본에서 최초의 200 m급 초고층 빌딩군)의 일각에 있는 손해보험 재팬(sompo japan) 본사 빌딩(1976년 완성.높이 200 m)의, 거의 최상층을 차지하는 미술관입니다.

 

사진 이하 4매.신쥬쿠 부도심의, 손해보험 재팬(sompo japan) 본사 빌딩의 주변의 초고층 빌딩.

 


사진 좌단의 갈색 빌딩은, 신쥬쿠 center 빌딩(높이 216 m.1979년 완성).사진 한가운데의 빌딩은, Mode 학원 Cocoon Tower(높이 약 204 m.2008년 완성).Mode 학원 Cocoon Tower는, 신쥬쿠 부도심의 초고층 빌딩 중(안)에서는, 가장 새로운 것의 하나입니다.패션 디자이너(fashion designer) 등을 양성하는 전문학교, Mode 학원(1966년 창립.본부는, 나고야(nagoya).도쿄교는, 1980년 개교)의, 도쿄교의 교사 빌딩이 되고 있습니다.

 

 

사진왼쪽에서, 신쥬쿠 center 빌, 신쥬쿠 노무라(nomura) 빌, 손해보험 재팬(Sompo Japan) 본사 빌딩, Mode 학원 Cocoon Tower.

 

 

사진 이하 2매.사진 한가운데가, 손해보험 재팬(sompo japan) 본사 빌딩(1976년 완성.높이 200 m).그, 바로 후방으로 보이는 것이, 신쥬쿠 노무라(nomura) 빌(높이 209.9m.1978년 완성).

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 2매.손해보험 재팬(sompo japan) 미술관의 전망대로부터 본, 도쿄도심부안에서도, 중심적인 지구의 야경.덧붙여서, 손해보험 재팬(sompo japan) 본사 빌딩은, 신쥬쿠 부도심의, 북동단 지구에 있어, 또, 손해보험 재팬(sompo japan) 미술관의 전망대( 동빌딩의 전망대)는, 동쪽에 접하고 있기 때문에(위해), 손해보험 재팬(sompo japan) 미술관의 전망대에서는, 신쥬쿠 부도심의 초고층 빌딩군은 바라볼 수가 없습니다.

 

 

 

 

 

 

사진 우측의 키가 큰 타워(tower)는, 도쿄 tower.높이는 약 333 m로, 1958년에 완성한 당시는, 파리의 Eiffel tower( 약 324 m)를 빠뜨려, 세계 제일 높은, (관광용의 전망대를 가진다) 탑이었습니다.이제 와서는, 세계적으로는, 그렇게는, 키가 큰 타워(tower)는 아니고, 또, 도쿄 중심부의 북동부에, 도쿄 sky tree(높이 634 m)가 개업한 일에 의해, 약간 눈에 띄지 않아져버렸습니다만, 지금도, 도쿄를 상징하는 건물의 하나가 되고 있습니다.도쿄 tower는, 와야 할 TV의 대중화 시대(일본에서는, TV방송은, 1953년에 시작해, 당초는, TV는, 서민에게 있어서는, 꽤 손이 닿지 않는 사치품으로 있었지만, 1950년대말에는, 텔레비젼(TV)이, 서민의 가정에도 보급하는 것처럼 되는 것)에 대비하고, 도쿄 area에 TV전파를 대량으로 송신하기 위해 지어진 TV전파탑입니다만, 전망대를 가져, 관광 시설의 측면도 가지고 있습니다.

 

 

손해보험 재팬(sompo japan)은, 야스다 화재해상보험(전신으로 있는, 도쿄 화재보험은, 1888년 창업)과 닛산 화재해상보험(1911년 설립)이라고 하는 두 개의 손해보험 회사가, 합작 해 2002년에 발족한, 손해보험 회사에서, 손해보험 재팬(sompo japan) 발족전은, 손해보험 재팬(sompo japan) 본사 빌딩은, 야스다 화재해상보험 본사 빌딩, 손해보험 재팬(sompo japan) 미술관은, 야스다화재 미술관이었습니다.손해보험 재팬(sompo japan)은, 야스다 화재해상보험 시대부터, 일본 유수한 손해보험 회사입니다(일본에서, 3개의 손가락에 들어오는 손해보험 회사).손해보험 재팬(sompo japan) 미술관은, 야스다 화재해상보험이, 사회공헌의 일환으로서 야스다 화재해상보험의 새책사 빌딩(현재의 손해보험 재팬(sompo japan) 본사 빌딩) 이 완성된 1976년에, 동빌딩에 개관(open)한, 사영의 미술관에서, 상술한 대로, 손해보험 재팬(sompo japan) 본사 빌딩( 구, 야스다 화재해상보험의 새책사 빌딩)의, 거의 최상층을 차지하고 있습니다.

 

사진 이하 2매.이 때, 내가 보고 온, (이 때, 손해보험 재팬(sompo japan) 미술관에서 행해지고 있던) 앙리·르·양치 네루(Henri Le Sidaner)(1862 년생.1939년에 죽는다.1890년대부터 1930년대에 활약한, 프랑스의 유명한 화가)의 전람회(exhibition)의 광고지(leaflet).이 전람회(exhibition)는, 그녀는, 회기중, ( 나와 그녀의 휴일이 맞지 않았던 날에) 재빨리, 보러 가고 있었습니다.나는, 양치 네루(Sidaner)는, 별로 흥미가 없었던 때문, 당초, 이 전람회(exhibition)는, 볼 생각은 없었습니다만, 결국, 그녀의 흉내를 내 w, 이 전람회(exhibition)를 보고 왔습니다.이와 같은 경위로부터, 이 전람회(exhibition)는, 그렇게, 기대하고 있던 것은 아니었습니다만, 실제로 본 곳, 매우 좋은 전람회(exhibition)에서, 이 전람회(exhibition)를 계기로, 양치 네루(Sidaner)의 매력을 알 수 있어, 양치 네루(Sidaner)는, 마음에 드는 화가가 되어 버렸습니다.인상파의, 눈부실 정도인뿐인(휘황찬란한) 빛의 표현과는 다른, 양치 네루(Sidaner)의, 침착한, 조용한 빛의 표현은, 나의 취향에 맞읍니다.

 

 

광고지(leaflet)의 표지가 되어 있는 작품은, 이 전람회(exhibition)의 전시 작품의 하나로, 앙리·르·양치 네루(Henri Le Sidaner)의, 「장미꽃에 덮인 집」(1928년).

 

 

사진 이하 4매.이 전람회(exhibition)의 전시 작품예.전람회(exhibition)의 광고지(leaflet) 및, 그림 엽서로부터...

 

 

상단, 왼쪽에서, 「푸른 테이블」(1923년), 「멀어져 가게」(1927년), 「돌아가 오는 양의 무리」(1889년).하단왼쪽에서, 「황혼의 탁자」(1921년), 「아침」(1896년), 「광장」(1934년).

 

 

「테이블과 집」(1935년).

 

 

 

「교회하의 집, 황혼」(1934년).

 

 

 

「운하」(1901년).

 

 

 

사진 이하 2매.이 날의 저녁 식사는, 일의 용무로, 신쥬쿠를 방문했을 때에, 개인적으로, 점심 식사라도, 저녁 식사라도, 자주(잘) 이용하는, (신쥬쿠에 있다), 소로 한, 서민적인, 스테이크(beef steak) 식당에서 먹었습니다.이 스테이크(beef steak) 식당은, 싼 가격으로, 가격에 비해, 맛있는 스테이크(beef steak)를 먹여 줍니다.이 스테이크(beef steak) 식당은, 점심 식사를 먹거나 퇴근길에 저녁 식사를 먹거나 하는 남성 회사원을 중심으로, 언제나 혼잡하는 가게에서, 항상 석이 비는 것을 기다리는 사람이 있는만큼, 혼잡하고 있습니다.이 가게는, 회사원의 남자가, 혼자서, 휙(단시간으로), 스테이크(beef steak)와 밥(rice)을 먹어 나간다고 한 느낌의 가게에서, 침착성은 없고, 솔직하게 말하고, 여성이나 커플(couple)에게는, 부적합이라고 한 느낌의 가게입니다.

 

사진 이하 2매.이 스테이크(beef steak) 식당에서 먹은, 이 날의 저녁 식사.이것에, 밥(rice)과 곁들여(side dish)의 사라다(salad)가 붙습니다.


 

 

곁들여(side dish)의 스프(soup)(corn soup).이 가게의, 곁들여(side dish)의 스프(soup)의 맛은, 의외로, 경시할 수 없고, 꽤 맛있습니다(패밀리 레스토랑(family restaurant)의 스프(soup)보다, 맛있다).

 

 

 

 

 

sirloin 스테이크(sirloin steak).

 

 

 

 

 

이 날, 우리 집에 돌아오고, 디저트 대신 먹은, 대만산의 망고(mango).이 망고(mango)는, 너무 맛있지 않았습니다.

 

 

 

 

하나 먹어 버리고 나서 촬영했습니다만, 선물의, 니가타(niigata) 현산의, 장작(chimaki).찹쌀을 잎으로 싼, 전통적인 보존식으로, 잎의 소포를 취해, 설탕 넣은의, 콩가루(대두를 분말로 한 식품)(사진 오른쪽)를 붙여 먹습니다.이것은, 이 다음날(6월의 제4 토요일)의 아침 식사로서 먹었습니다.

 

 

 

사진 이하, 적당하게, 덤...


 

 

선물.유우바리(yuubari) 멜론(melon).유우바리(yuubari) 멜론(melon)은, 홋카이도(hokkaido)의 유우바리(yuubari) 시를 산지로 하는 멜론(melon)으로, 일본의 대표적인 고급 멜론(melon)이 되고 있습니다.

 

 

 

개봉하고, 사용하고 있는 도중에 촬영한 것입니다만, 마트에서 판매되고 있는, 불가리아(Bulgaria) 제의 장미의 잼(jam).아래의, 불가리아(Bulgaria) 제품 전문점에서 팔리고 있는 장미의 잼(jam)보다, 들어가 있는 장미꽃변의 밀도는 낮습니다만, 향기는, 강합니다.또, 아래의, 불가리아(Bulgaria) 제품 전문점에서 팔리고 있는 장미의 잼(jam)보다, 산미가 적고, 순한 맛입니다.

 

 

이것은, 전에, kj로 업(upload) 한 사진의 재이용으로, 개봉해 버리고, 사용하고 있는 도중에 촬영한 사진입니다만, 나의 거리의, 불가리아(Bulgaria) 제품 전문점에서 팔리고 있는, 불가리아(Bulgaria) 제의 장미의 잼(jam).(역시, 향기는, 좋은) 위의, 마트에서 판매되고 있는, 불가리아(Bulgaria) 제의 장미 잼(jam)에 비해, 향기는 약합니다.또, 위의, 마트에서 판매되고 있는, 불가리아(Bulgaria) 제의 장미 잼(jam)에 비해, 들어가 있는 장미꽃변의 밀도가 높고(많이, 장미꽃변이 들어가 있고), 산미가 강한 맛입니다.이 장미의 잼(jam)은, 아마, 위의, 마트에서 판매되고 있는 장미의 잼(jam)보다 고급품입니다.마트에서 판매되고 있는, 불가리아(Bulgaria) 제의 장미의 잼(jam), 나의 거리의, 불가리아(Bulgaria) 제품 전문점에서 팔리고 있는, 불가리아(Bulgaria) 제의 장미의 잼(jam), 각각 개성이 있습니다만, 양쪽 모두, 좋아합니다.

 

 

사진 이하 2매.6월의 하순에 간 투고, 「카마쿠라(kamakura) 산책&식사」로 더해 잊은 것.카마쿠라(kamakura)에 있는, 카나가와(kanagawa) 현립 근대미술관의 본관의 건물(그림 엽서보다...).카나가와(kanagawa) 현립 근대미술관의 본관은, 카나가와(kanagawa) 현(동경권의 남부를 차지하는 현.중심 도시는, 요코하마.덧붙여서, 하코네(hakone)·코다와라(odawara)·마나츠루(manazuru)는, 카나가와(kanagawa) 현의 남서단 area에 위치하고 있습니다)가 운영하는, 일본의 근대미술·현대 미술을 중심으로 수장 하는 공립의 미술관에서, 1951년에 개관한, 일본에서 최초의, 공립의 근대미술관(근대미술·현대 미술 전문의 미술관)입니다(일본의 근대미술·현대 미술에 관한, 폭의 넓은, 충실한 콜렉션(collection)을 가지고 있습니다).1951년에 지어진, 카나가와(kanagawa) 현립 근대미술관의 본관의 건물은, 사카쿠라 히토시3(sakakura jyunzo)(아래의 보충 설명 참조)의 설계에 의한 것으로, 제2차 세계대전 후의 초기의 일본의 현대 건축의 명작의 하나가 되고 있습니다.
사카쿠라 히토시3(sakakurajyunzo):1901 년생.1969년에 죽는다.1930년대 후반부터 돌아가실 때까지 활약한, 일본의 유명한 현대 건축가.다른, 일본의 제이차 세계대전 후의 부흥기(1950년대부터 1960년대 초기)의, 현대 건축계를 리드(lead)한, 일본의 유명한 건축가들과 함께, 일본의 현대 건축 설계의 수준을, 세계 최고 수준으로 끌어올리기 때문에(위해)의 기초를, 1950년대에, 굳힌 건축가의 한 명.대표작은, 1937년의 파리(Paris) 만국 박람회(The Exposition Internationale des Arts et Techniques dans la Vie Moderne)의 일본관(사카쿠라 히토시3(sakakura jyunzo)은, 1937년의 파리(Paris) 만국 박람회(The Exposition Internationale des Arts et Techniques dans la Vie Moderne)에 대하고, 핀란드(Finland)의 Alvar Aalto, 스페인의 Josep Lluis Sert와 함께, 건축 부문의 그랑프리(최고의 상)를 훈장을 받았습니다), 카나가와(kanagawa) 현립 근대미술관의 모토다테(1951년), 시부야(shibuya) 역(1954년), 토큐(tokyu) 문화 회관(1956년), 하시마(hashima) 시청사(1958년), 아시야(ashiya) 시민 센터(luna hall)(1964년) 외, 다수.

 

 

 

 

 

 

이것은, 1951년에, 지어진 당시의, 카나가와(kanagawa) 현립 근대미술관의 본관의 건물의 사진.

 

 

 

사진 이하 3매.어디에서 취해 왔는지, 잊어버렸습니다만, 도쿄도 현대 미술관(도쿄도(일본의 47의 도도부현(prefecture) 중의 하나.주로, 도쿄 중심부(도쿄 23구)와 도쿄의 서부 교외·근교로부터 완성된다)가 운영하고 있는, 규모의 큰 현대 미술 전문의 미술관.도쿄 중심부(도쿄 23구)의 동부에 있다)에서 가까운 시일내에 개최되는 전람회(exhibition), 「일본의 패션(fashion)의 미래성(Future Beauty: 30 Years of Japanese Fashion)」의 광고지(leaflet).이 전람회(exhibition)는, 2010년에 영국의 런던의 Barbican Art Gallery, 2011년에, 독일의 뮌헨(Munich)의 Haus der Kunst로 행해진 전람회(exhibition), 「Future Beauty: 30 Years of Japanese Fashion」에, 새로운 작품을 더한 전람회(exhibition)입니다.

 

이하, 일본의 패션(fashion)에 관한 설명은, 도쿄도 현대 미술관의 site의, 이 전람회(exhibition)에 관한 설명을 발췌한 것입니다.

 

20 세기 후반, 일본의 패션(fashion)은, 일본 경제의 성장과 함께 세계로 웅비해, 그 독자성을 개화시켰습니다.1970년대에, 다카다켄죠우(Takada Kenzo 또는 Kenzo Takada)나 미야케 잇세이(Miyake Issey 또는 Issey Miyake)가 활약을 시작합니다.1981년, 가와쿠 보레이(Kawakubo Rei 또는 Rei Kawakubo)나 야마모토 요지(Yamamoto Yoji 또는 Yohji Yamamoto)가 파리(Paris)에서 데뷔(debut).구미의 미의식으로부터 풀어 발해진 일본의 디자이너(designer)의 작품은, 전위적과 평 되어 그 표현에는, 찬반양론이 난무했습니다.그러나, 일본의 패션(fashion) 개소화, 이윽고, 패션(fashion) 계를 견인해 나가게 되었습니다.

 

평면성, 소재의 중시, 무채색 등, 미야케 잇세이(Miyake Issey 또는 Issey Miyake), 가와쿠 보레이(Kawakubo Rei 또는 Rei Kawakubo), 야마모토 요지(Yamamoto Yoji 또는 Yohji Yamamoto) 등의 작품에는, 서양적인 미의식에 사로 잡히지 않는 독자적인 표현과 강도를 가진 스타일(양식)이 갖춰지고 있었습니다.그들이, 서양 중심적이었던 패션(fashion) 계에게 준 영향의 크기는, 그들을 존경하는 디자이너(designer)가 국적 묻지 않고 존재해, 그 전위적임 표현이, 여러가지 레벨로 일반화되고 있는 것을 보면 분명합니다.그들의 가장 큰 공적은, 아트(art)로부터의 시선을 끌어당기는 등 , 패션(fashion)의 가능성을 크게 넓힌 일, 서양의 미의식의 범위내에 머물고 있던 패션(fashion)의 창조성의 문을, 넓게 세계로 열린 일이라고 말할 수 있겠지요.


 

광고지(leaflet)의 표지가 되고 있는 것은, 가와쿠 보레이(Kawakubo Rei 또는 Rei Kawakubo)(Comme des Garç ons) 1983년 가을 겨울.

 

 

사진상, 야마모토 요지(Yamamoto Yoji 또는 Yohji Yamamoto) 1983년 봄여름.사진하, 오야관랑(Oya Hiroaki 또는 Hiroaki Ohya)(OH!YA?) 2000년 봄여름.

 

 

사진상, 타키사와 나오키(Takizawa Naoki 또는 Naoki Takizawa)(Issey Miyake) 2004년 봄여름.사진하, 오오타아귀(Ota Masataka 또는 Masataka Ohta)(Ohta) 2011년 가을 겨울.

 

 

 



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