食べ物

 

 

先々週の金曜日(以下、この日と書きます)の、昼食と夕食等です。

 

 

この日は、仕事の用事で、汐留(shiodome)を訪れました。汐留(shiodome)は、200m級の超高層ビルが建ち並ぶ、東京都心部のビジネス(business)・商業地区です(東京都心部でも中心的地域の東南部に位置する)。

 

 

汐留(shiodome)の風景例。写真中央の超高層ビルは、電通(dentsu)本社ビル(高さ、約213m))。汐留(shiodome)の、200m級、オフィス(office)用ビルの一つです。設計は、Jean Nouvel(1945年生まれの、フランスの建築家。世界最高水準の建築家の一人)が、手掛けました。この角度から見ると平凡な形ですが、見る角度により、ビルの形が、変わる超高層ビルです。東京に、とても、たくさんある超高層ビルの中でも、個人的に、最も、デザイン(design)が優れた超高層ビルの一つだと思います。ちなみに、電通(dentsu)(1901年設立)は、日本の大規模広告会社(広告代理店)の一つであり、世界最大級の広告会社(広告代理店)です。写真右側の超高層ビルは、Shiodome City Center(高さ、約216m)。汐留(shiodome)の、200m級、オフィス(office)用ビルの一つです。

 

この日の昼食は、汐留(shiodome)の、ベトナム(Vietnam)料理レストランで食べました。この、ベトナム(Vietnam)料理レストランは、前に一度、昼食で利用して、麺料理が、美味しかった事から、この時、また利用しました。

 

 

 

この、ベトナム(Vietnam)料理レストランで食べた、この日の昼食。麺料理。美味しいです(夏の、さっぱりとした、健康的で、軽い昼食に、調度良いと言った感じ。。。)。麺の上に載っている具は、豚肉(皿の写真下側)、海老の練り物(皿の写真右)、野菜(皿の写真上)です。写真右上の、追加の野菜と、写真右下の、汁も、全て、麺の上に載せて(麺にかけて)、混ぜ合わせて食べます。ベトナム(Vietnam)料理に欠かせない、パクチー(Vietnamese coriander)は、自分で、好きな量、かけて食べる方式となっています。

 

 

 

 

 

写真以下19枚。この日、汐留(shiodome)で、仕事の用事の合間に、汐留(shiodome)にある、Panasonic、汐留(shiodome)museumで、現在開催中の、ピエール・シャロー(Pierre Chareau )の展覧会(exhibition)を見ました。

 

 

Panasonic、汐留(shiodome)museum(旧、Panasonic電工(denko)、汐留(shiodome)museum)が入る、超高層ビル、Panasonic、汐留(shiodome)ビル(高さ約120m)。現在は、Panasonic(日本の大規模、電気製品会社の一つ。本社は、大阪)の、東京における拠点として使われているビルです。このビルは、かつては、Panasonic電工(denko)(下の補足説明参照)の、東京の本社ビル(Panasonic電工(denko)、東京本社ビル)でしたが、2012年に、Panasonic電工(denko)が、Panasonicに吸収合併された事に伴い、Panasonic、汐留(shiodome)ビルと言う名前になりました(それに伴い、Panasonicが、経費の削減の、一環として、それまでの、東京の本社のビルを売却し、東京の拠点機能を、このビルに移しました)。
Panasonic電工(denko):Panasonic電工(denko)(旧、松下(matsushi・ta)電工(denko))(1918年創業。1935年設立)は、日本の、照明機器、電気設備、健康家電、介護・福祉機器、制御機器等の大規模会社で、大阪に本社がある会社でした(ただし、東京にも本社があり、本社機能を分散させていました)。Panasonic電工(denko)は、Panasonic(旧松下(matsushi・ta)電気産業。本社は大阪(ただし、Panasonic、汐留(shiodome)ビルに、東京の拠点機能を移す前は、東京にも本社があり、本社機能を分散させていた)。日本の大規模、電気製品会社。1918年創業。世界に、(一般的に)知られているPanasonicは、こちらの方)と、根っこは(元々は)同じ会社ですが(Panasonic電工(denko)は、元々、Panasonicの一部門であった)、1935年に、Panasonicから分社化しました(Panasonicとは、別の会社となりました)。しかしながら、Panasonic電工(denko)は、2012年に、Panasonicに吸収合併されて、約77年ぶりに、再び、Panasonicと同じ会社になりました(ちなみに、Panasonic電工(denko)は、Panasonicに吸収合併される直前において、(Samsung、LG 等に、押されている)Panasonicと違って、経営状態は、良かったです(経営状態は、安定していました)。おそらく。。。)。ちなみに、Panasonicによる、Panasonic電工(denko)の吸収合併は、かつて、世界市場を席巻していた、Panasonicを含む、日本の、大規模、電気製品会社が、韓国の、Samsung、LG、アメリカの、Appleの台頭により、押されて来た事と、大きく関連しています(依然として、Panasonicを含む、日本の、大規模、電気製品会社は、世界的に見ても、最先端の技術は、有しているものの、ここ10数年の間、油断している内に、開発と投資の方向性を間違え、市場の流れに遅れた)。個人的には、現在の、日本の、大規模、電気製品会社の衰退の、大きな原因の一つとして、1990年代において、日本の、大規模、電気製品会社が、韓国の、SamsungとLGを、甘く見過ぎていた(過小評価し過ぎていた)事があると思います。

 

 

 

写真以下18枚。Panasonic、汐留(shiodome)museum(旧、Panasonic電工(denko)、汐留(shiodome)museum)。Panasonic、汐留(shiodome)museum は、Panasonicが、運営する、私営の、博物館・美術館の一つで、Panasonic、汐留(shiodome)ビル(旧、Panasonic電工(denko)、東京本社ビル)に入る、小規模な美術館です。Panasonic、汐留(shiodome)museumは、かつては、Panasonic電工(denko)が運営する、私営の美術館、Panasonic電工(denko)、汐留(shiodome)museum(元々は、松下(matsushi・ta)電工(denko)、汐留(shiodome)museumと言う名前であった)でしたが、2012年に、Panasonic が、Panasonic電工(denko)を吸収合併した事に伴い、Panasonicが、運営する美術館となり、名前も、Panasonic、汐留(shiodome)museumに変わりました。Panasonic、汐留(shiodome)museumのコレクション(collection)の中心は、ルオー(Georges Rouault)の作品となっており、ルオー(Georges Rouault)の作品の充実したコレクション(collection)を有しています(おそらく、Panasonic電工(denko)の、元会長が、ルオー(Georges Rouault)が好きであった為。。。)。また、ルオー(Georges Rouault)とは関連性の薄い展覧会(exhibition)も、多く行われますが、Panasonic電工(denko)、汐留(shiodome)museumであった時から、住宅や建築、照明、陶磁器の様な、生活関連の美術品の展示(Panasonic電工(denko)の事業を関わりの深い(Panasonic電工(denko)の事業を関わりが深かった)、「建築・住居」、「生活文化」をテーマとする企画展(exhibition))が多いのも、特徴となっています(説明文は、wiki及び、美術館のsiteを参考にしました)。

 

 

写真以下18枚。Panasonic、汐留(shiodome)museum(旧、Panasonic電工(denko)、汐留(shiodome)museum)の、パンフレット・チラシ(leaflet)。

 

写真以下10枚。Panasonic、汐留(shiodome)museum(旧、Panasonic電工(denko)、汐留(shiodome)museum)の、パンフレット(leaflet)。

 

 

 

 

 

 

 

写真以下2枚。Panasonic、汐留(shiodome)museum(旧、Panasonic電工(denko)、汐留(shiodome)museum)のコレクション(collection)の中心は、ルオー(Georges Rouault)の作品となっており、ルオー(Georges Rouault)の作品の充実したコレクション(collection)を有しています(おそらく、Panasonic電工(denko)の、元会長が、ルオー(Georges Rouault)が好きであった為。。。)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Panasonic、汐留(shiodome)museum(旧、Panasonic電工(denko)、汐留(shiodome)museum)は、ルオー(Georges Rouault)とは関連性の薄い展覧会(exhibition)も、多く行われますが、Panasonic電工(denko)、汐留(shiodome)museumであった時から、住宅や建築、照明、陶磁器の様な、生活関連の美術品の展示(Panasonic電工(denko)の事業を関わりの深い(Panasonic電工(denko)の事業を関わりが深かった)、「建築・住居」、「生活文化」をテーマとする企画展(exhibition))が多いのも、特徴となっています(説明文は、wiki及び、美術館のsiteを参考にしました)。ちなみに、Panasonic、汐留(shiodome)museumは、ルオー(Georges Rouault)とは関連性の薄い展覧会(exhibition)が開催されている時は、ルオー(Georges Rouault)の展示作品は、とても少なくなるので、Panasonic、汐留(shiodome)museumに、ルオー(Georges Rouault)の作品を見に行く場合は、Panasonic、汐留(shiodome)museumで、ルオー(Georges Rouault)関連の、展覧会(exhibition)が、開催されている時に、訪れるのが、お勧めです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下5枚。Panasonic、汐留(shiodome)museum(旧、Panasonic電工(denko)、汐留(shiodome)museum)の、展示風景例。過去の展覧会(exhibition)より。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下2枚、Panasonic、汐留(shiodome)museumの、展覧会(exhibition)の、スケジュール(schedule)の、パンフレット(leaflet)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下3枚。この時は、Panasonic、汐留(shiodome)museumで、現在開催中の、ピエール・シャロー(Pierre Chareau)(1883年生まれ、1950年に亡くなる。主として、1920年代から1930年代に活躍した、フランスの有名な、家具デザイナー(designer)、建築家)の、展覧会(exhibition)を見ました。この展覧会(exhibition)(Panasonic、汐留(shiodome)museumで、現在開催中の、ピエール・シャロー(Pierre Chareau)の、展覧会(exhibition))は、フランス国外においては、世界初の、ピエール・シャロー(Pierre Chareau)の、展覧会(exhibition)となっています。この展覧会(exhibition)、中々、面白かったです(まあ、全く興味がない人が、見たら、つまらないと思いますがw)。

 

 

 

 

 

 

 

写真以下2枚。Panasonic、汐留(shiodome)museumで、現在開催中の、ピエール・シャロー(Pierre Chareau)の、展覧会(exhibition)の、チラシ(leaflet)。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下2枚。Panasonic、汐留(shiodome)museumで、次回、開催予定(10月25日から12月26日にかけて開催予定)の、キリコ(Giorgio de Chirico)の、展覧会(exhibition)の、チラシ(leaflet)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下、19枚。この日は、仕事を、少し、早目に切り上げ、汐留(shiodome)で仕事の用事を終えた後、彼女と待ち合わせて、お台場(odaiba)に移動し(汐留(shiodome)areaから、お台場(odaiba)areaまでは、ゆりかもめ(yurikamome)と呼ばれる、無人、自動運転の新交通system(1995年開業)で、15分程です)、夜景を楽しんだり、ショッピングモール(shopping mall)で買い物をしたり、夕食を食べたりしてから、我が家に帰りました。お台場(odaiba)(臨海副都心)は、東京中心部の海沿いに有る、住商複合地区で、1980年代から開発が始まり(本格的な、開発は、1990年代に入ってから、特に、ほぼ現在の形に整ったのは、1990年代半ばの事。。)、現在も、まだ、開発が進んでいます。その規模は、六本木ヒルズ(roppongi hills)や、東京ミッドタウン(東京midtown)とは、比べ物にならない位、大きく、また、横浜の、みなとみらい(minatomirai)地区も、上回っていると思います。

 

 

この時、AQUA CITY お台場(ODAIBA)(お台場(odaiba)areaにある、ショッピングモール(shopping mall)の一つ。ちなみに、お台場(odaiba)areaには、私が知る限り、6つのショッピングモール(shopping mall)があります)に入っているカフェ(cafe)の一つで、飲み物と共に食べた、ベリー(berry)のパンケーキ(pancake)。一つ頼んで、二人で分けて食べました。飲食店で食べる、パンケーキ(pancake)としては、不味かったです(値段に比べた、満足度は、低い)。この時、私は、飲み物は、Malibu and Pineapple(Malibu Rum の、パイナップル(pineapple)ジュース(juice)割り)を、飲みました。

 

 

 

 

写真以下3枚。お台場(odaiba)からの、夜景。海の上に、光って浮かんでいる、小さな船の集まりは、屋形船(yakatabune)(船上で、宴会(party)や飲食等を楽しむ、娯楽用の船)。屋形船(yakatabune)は、もちろん、現在は、船は、近代的・現代的な物になっていますが、その歴史は、江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)に、遡ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

向こうに見える吊り橋(suspension bridge)は、raibow bridge。1993年に完成した、規模の大きな、吊り橋(suspension bridge)です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下7枚。この日の夕食は、AQUA CITY お台場(ODAIBA)(お台場(odaiba)areaにある、ショッピングモール(shopping mall)の一つ)の、食堂街に入っている、イタリア料理レストランの一つで食べました。このイタリア料理レストランは、東京圏で、6店舗程、店舗を展開しているイタリア料理レストランの、お台場(odaiba)areaの店舗です。このイタリア料理レストランの、新宿(東京の主要なビジネス(business)地区の一つであると共に、東京最大級の繁華街の一つ。東京都心部の西部に位置する)の店舗は、味と言うよりも(味は、全般的に、そこそこ。。。)、立地の良さから(とても便利な場所にある割には、新宿の雑踏から距離を置く事が出来る)、時々利用していますが、このイタリア料理レストランの、お台場(odaiba)areaの店舗は、この時、初めて利用しました。このイタリア料理レストランの、お台場(odaiba)areaの店舗は、夜景を見ながら、夕食を楽しむ事が出来ます。

 

 

写真以下2枚。この夕食時に、私が飲んだ飲み物の一部。この他、この夕食時は、私は、飲み物は、ワイン(wine)を飲みました。

 

最初の、一杯として(最初の飲み物)として飲んだ、Birra Moretti(イタリアのビール)。

 

 

 

 

 

 

食後に飲んだ、アマレット(Amaretto)。ストレート(straight・neat)で飲みました。

 

 

 

 

写真以下2枚。このレストランで食べた、この日の夕食。

 

 

 

彼女が食べた、簡単な前菜。

 

 

 

 

 

 

 

彼女が食べた、パスタ(pasta)。ペペロンチーノ(aglio, olio e peperoncino)。

 

 

 

 

 

 

 

 

私が食べた、パスタ(pasta)。渡り蟹の、トマト(tomato)クリームパスタ(cream pasta)。

 

 

 

 

 

 

 

彼女が食べた、メイン(main)料理。高品質な豚肉。

 

 

 

 

 

 

 

私が食べたメイン(main)料理、牛肉。

 

 

 

 

 

 

 

お台場(odaiba)からの、夜景。写真の吊り橋(suspension bridge)は、raibow bridge。1993年に完成した、規模の大きな、吊り橋(suspension bridge)です。その奥に見える塔は、東京tower。東京towerは、高さは約333mで、1958年に完成した当時は、パリのEiffel tower(約324m)を抜かし、世界一高い、(観光用の展望台の付いた)塔でした。東京towerは、来るべきTVの大衆化時代(日本では、TV放送は、1953年に始まり、当初は、TVは、庶民にとっては、中々手が届かない贅沢品で有ったが、1950年代末には、テレビ(TV)が、庶民の家庭にも普及する様になった)に備えて、東京areaにTV電波を大量に送信する為に建てられたTV電波塔です。お台場(odaiba)から眺める、東京towerと、raibow bridge(1993年に完成した、規模の大きな、吊り橋(suspension bridge))の組み合わせの都市景観(特に、夜景)は、東京の個性を決定づける都市景観の内の一つとなっています。

 

 

 

 

 

写真以下7枚。この時、お台場(odaiba)の、ショッピングモール(shopping mall)で買って来た物の一部。「FLYING TIGER」(デンマーク(Denmark)の、コペンハーゲン(Copenhagen)に本社を置き、デンマーク(Denmark)を拠点とし、ヨーロッパと日本で店舗を展開する、デンマーク(Denmark)版、100円shopと言った感じの店舗のチェーン(chain))の、AQUA CITY お台場(ODAIBA)(お台場(odaiba)areaにある、ショッピングモール(shopping mall)の一つ)の店舗で、この時、買った物等。中々、安いでしょう。。。w(「FLYING TIGER」の商品の、デザイン(design)は、概して、子供っぽく(子供向けと言った感じで)、私の様な、30代終わりの、おじさんが買う様な物は、あまりないのですが。。。w)。

 

 

写真以下2枚。「FLYING TIGER」の袋。これは、ただで(無料で)、買物をすると、これに商品を入れてくれます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下2枚。クッキー(cookie)。大き目の缶に、昔から有り勝ちな、デンマーク(Denmark)産の、クッキー(cookie)が、ぎっしりと(ふんだんに)入って、500円。昔から有り勝ちな、デンマーク(Denmark)産の、クッキー(cookie)は、子供の頃から、結構、好きです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ボールペン(ballpoint pen)。三本で、100円。

 

 

 

 

 

写真以下2枚。このグラス(glass)は、200円。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以下、おまけ。。。

 

我が家の新聞の折り込みチラシ広告(定期購読している新聞に挟まれて来る広告)から。。。


以下の投稿文は、私が、少し前に、「食べ物」板と、「うちの町内」板に、アップ(upload)した投稿、「私の街&食べ物1」に、関連している物です。

 

私の街(東京中心部(東京23区)の西部に位置する渋谷(shibuya)区の中北部)は、基本的に、静かで、落ち着いた住宅地となっています。私は、現在一人暮らしですが、実家(元々、私の母方の祖父母の家。現在は、両親が、引き継いで暮らしている)が近所で、この街で、生まれ育ちました。私の街は、お金持ちから、中上流・中流層、そして、私の様な庶民層まで、様々な人々暮らしていますが、個人の家の庭の緑等も、結構多い(ただし、少しずつ、減っては、来ている)、静かで落ち着いた、住宅地となっています(もっとも、郊外の住宅地に比べれば、限度が有りますが(郊外の住宅地には、敵いませんが。。。))。私の街は、元々、1920年代から1930年代頃に、(当時は)東京の西の郊外(まあ、郊外とは言っても、東京の都心部に比較的近い郊外でしたが)に開発された、中流層や新興金持ち向けの新興住宅地です。新興住宅地として開発される前は、まだ農村の雰囲気が色濃く残る、のどかな地域だった様で、また、新興住宅地として開発された後も、かなり、しばらくの間は、まだ、のどかな雰囲気が残っていた様です(私の母が、まだ幼かった頃(私の母が、幼稚園児の頃から小学校低学年生の頃。1950年代初め頃)は、実家の庭では、当たり前の様に、蛍が見られたそうです)。

 

私の街もそうですが、第2次世界大戦後の、(貧富の格差を無くす為の)不動産等を相続する際に支払う税金の税率の大幅な引き上げ等により、1960年代頃から、現在に至るまで、東京areaや関西(kansai)大都市圏の、高級住宅街や静かで落ち着いた住宅地の、ゆったりとした敷地を持つ邸宅は、低層の高級アパート、企業や公務員の社宅、老人ホーム(高齢者が入居する施設。公営の物と私営の物が有る)等の公共・福祉施設等へと、次々と建て替えられて来ました(所有者が、相続税を払い切れずに、(日本では、第2次世界大戦後、貧富の格差を縮小させる為に、相続税率が、大幅に上がった)、邸宅を土地と供に売り払い、邸宅の建物が取り壊された後、低層の高級アパート(マンション)が建つ場合が多いです)。

 

私の街に関しても、私の子供の頃から比べても、明かに、ゆったりとした敷地を持つ邸宅は減りましたし(減り続けて来ましたし)、ゆったりとした敷地を持つ邸宅の、低層の高級アパート(マンション)等への建て替えは、現在進行形で、徐々に、進んでいます(これは、ずっと実感し続けて来ましたし、今でも実感しています)。ただし、この様な現象の進む速度については、街によって差がある様です。例えば、東京中心部(東京23区)の閑静な(静かで落ち着いた)住宅地の中でも、比較的、外れに(都心から離れた場所)に位置する住宅地は、地価(土地の価格)が、相対的に低い為か、この様な現象の進む速度は、遅く、昔ながらの、ゆったりとした敷地を持つ邸宅や一戸建て住宅の、低層の高級アパート等への建替えが、それ程進んでいない感じです。一方、私の街は、この様な現象の進む速度が、かなり早い方に属する感じです(かなり早いとは言っても、何も、一夜にして、街の景色が変わると言う訳ではなく、割と、長い期間をかけて、この様な現象が、徐々に進んで来たのではありますが。。。)。この様な現象において、草木が生い茂る邸宅の庭が潰され、かつての邸宅の敷地、ほとんど目一杯に、共同住宅(低層の高級アパート(マンション))等が建てられて来た事は、東京areaや関西(kansai)大都市圏の、高級住宅街や、静かで落ち着いた住宅地の緑の減少と景観破壊に繋がって来ましたが、一方において、この様な現象は、第2次世界大戦後、日本で、貧富の格差が解消して来た事の証の一つとも言えるでしょう。

 

 

現在、その一室(一世帯分)が売り出し中の、私の街の、低層の高級アパート(マンション)の広告(広告の写真は、アパート(マンション)の外観と、アパート(マンション)の室内)。この、アパート(マンション)は、1983年に建てられた物で(私が、子供の頃に建てられた物で)、比較的、古い、低層の高級アパート(マンション)です。

 

 

 

 

広い敷地を持つ、古い邸宅の跡地は、低層の高級アパート(マンション)になる場合が多いですが、ゆったりとした敷地を持つ、古い一戸建て住宅の敷地の跡地は、分割されて、複数の、比較的、小さな一戸建て住宅が建てられる場合が多いです。ゆったりとした敷地を持つ、古い一戸建て住宅の敷地が、分割されて、複数の、比較的、小さな一戸建て住宅が建てられると言う状況も、ゆったりとした敷地を持つ邸宅の、低層の高級アパート(マンション)等への建て替え同様、現在進行形で、徐々に、進んでいます。何れにしても、かつての敷地、ほとんど目一杯に建物が建てられる場合が、ほとんどで、かつての庭の植物等は、失われてしまいます。

 

 

この様な中、私が暮らす、渋谷(shibuya)区(東京中心部(東京23区)の西部に位置する区)において、ちょっとした動きがありました。今年(2014年)の3月に、渋谷(shibuya)区において制定された、「渋谷(shibuya)区、土地利用調整条例」が、今年(2014年)の、10月1日に施行されます。この、「渋谷(shibuya)区、土地利用調整条例」の、詳しい、正確な内容は、もう少し詳しく調べて見ないと分かりませんが、渋谷(shibuya)区内における、静かで落ち着いた住宅地域において、「最低限敷地面積(土地の細分化を抑制し、良好な、住宅環境を守る為の、建築物を建設する際の基準)」、「集合住宅(アパート)を、新たに建設する際に、従来よりも、道路や、隣の住宅やアパートの敷地から、離れて建物を建設する事」等を、定めた条例のようです。

 

この条例が施行されると、新しく敷地を分割する場合、分割した敷地が、一定程度の面積(最低限敷地面積)を下回る場合、そこには、住宅等の建物を建てる事が制限されます(実質的には、敷地を、一定程度の面積(最低限敷地面積)を下回る敷地に、新たに分割する事を制限する条例と言って良いでしょう)。

 

 

写真以下2枚は、この条例の内容を知らせる、不動産会社の広告で、要は、この条例が、施行される前に、土地を売ってしまいませんか?と言う広告のようです(この、広告は、新聞の折り込みチラシ広告(定期購読している新聞に挟まれて来る広告)ではなくて、我が家の郵便受け(mailbox)に入っていた広告かも。。。(無意識に(あまり意識しないで)取ったので、どちらか忘れた。。。)。

 

 

 

 

 

 

 

渋谷(shibuya)区内の、各、静かで落ち着いた住宅地域の、最低限敷地面積。この条例が、施行されると、住宅地域によって幅がありますが、渋谷(shibuya)区内の、静かで落ち着いた住宅地において、新たに敷地を分割する場合、最も、規制が緩やかな所で、80平方m(約24坪)を下回る、最も、規制が厳しい所で、200平方m(約61坪)を下回る敷地に分割する場合、そこには、住宅等の建物を建てる事が制限されます(渋谷区(shibuya)区内の、静かで落ち着いた住宅地、全体の平均では、新たに敷地を分割する場合、約156平方m(約47坪)を下回る、私の街(渋谷(shibuya)区の中北部)に属する住宅地域の平均では、約162平方m(49坪)を下回る敷地に分割する場合、そこには、住宅等の建物を建てる事が制限されます)。

 

 

我が家の近所の、私の実家(元々、私の母方の祖父母の家で、現在は、両親が、その家を引き継いでいる)は、敷地面積100坪程(約330平方m)の、庭がある、一戸建て住宅なのですが、まだ、大分、先の話になると思いますが(両親は、長生きして欲しいです)、もし、両親が、亡くなり、実家の、一戸建て住宅を相続し、その敷地を、分割して、住宅用敷地として売却する場合、仮に、半分に分割したとしても、分割した敷地は、一つ当たり、50坪(約165平方m)となり、私の実家(及び我が家)がある、住宅地域の、最低限敷地面積を下回ってしまう為、そこには住宅等の建物を建てる事が制限されます(私の実家(及び我が家)がある、住宅地域は、この条例によると、新たに敷地を分割する場合、分割した土地が、50坪(約165平方m)であっても、そこには、住宅等の建物を建てる事が制限されます)。すなわち、私の実家の敷地は、半分(50坪(約165平方m))に分割したとしても、実質的に、住宅の敷地として売却する事は制限される為、何の制限も受けないで、実家の敷地を、住宅用の敷地として売却する場合、実質的に、そのまま、100坪(約330平方m)の住宅の敷地として売却するしかなくなります。まあ、将来、両親が亡くなったとしても、今の所、実家は、売却するつもりはありませんが。。。

 

東京中心部(東京23区内)の場合、1920年代から1930年代頃に、中流階級向けの新興住宅地として開発され初め、1960年代半ば以前には、既に結構たくさんの人々が暮らしていた様な、静かで落ち着いた住宅地は、親の家を引き継いで暮らしている人々も、結構多く(大部分は、土地だけ引き継いで、時代に合わせて、家の建物は建替えている)、こうした場合は、土地を購入する負担が無い事から、庶民や普通の中産層(私の父は、普通の会社員)でも、東京中心部(東京23区内)で、ある程度の広さの一戸建て住宅に暮らす事が可能です(ただ、敷地が、東京中心部(東京23区内)の住宅の敷地としては、かなり広い場合には、相続税の関係で無理でしょう)。ちなみに、私は、弟と二人兄弟なのですが(弟は、私よりも2歳年下で、会社員です)、弟は、近年、結婚し、既に、子供も生まれました。弟は、東京の西部郊外の、国立(kunitachi)に、一戸建て住宅を購入し、暮らしていますが、まだ、大分、先の話になると思いますが(両親は、長生きして欲しいです)、もし両親が、亡くなったら、我が家の近所の実家は、私が、このまま家庭を持たない限り、(放蕩息子の私と違ってw)真面目で安定した、弟に譲ろうと思っています。(まだ、大分、先の話なので、どうなるか分かりませんが)、もし、弟が、実家を継ぐ事になったら、税金等は、出来る限り補助するつもりでいます(弟が、私に補助される必要性を感じなければ、若しくは、私に補助される必要性が、全くなければ、しませんが。。)。

 

ちなみに、(実家の近所の)我が家は、庭はなく、狭い土地に3階建てにし、1階部分を駐車場にして、居住床面積を稼ぐ、地価が高い、東京中心部(東京23区)における、典型的な、比較的、新しい、庶民向け、建売り一戸建て住宅(下の補足説明参照)で、庭はなく、3階建てで、1階部分は駐車場、居住床面積30坪(約100平方m)程度の、一戸建て住宅です。我が家は、約12年前に、新築で購入したのですが、仮に、この条例が、私が、我が家を購入する前に施行されていたのならば、当時、我が家と同じ条件の住宅を、私の街(実家の近所。私が生まれ育った街)において、手に入れる事が、比較的、難しかったかもしれません。。。
建売り一戸建て住宅:不動産会社等が、ある程度規格化された一戸建て住宅を建設して販売する形式の一戸建て住宅。消費者は、土地を購入して、自分の好みの一戸建て住宅を建てる(注文住宅)よりも、安く一戸建て住宅を手に入れる事が出来るが、住宅の建物は、比較的チープで(比較的安っぽく)、規格化されていて無機質。東京都市圏等、地価が、比較的高い場所で、よく見られる。現在建てられる、(地価が高い)東京中心部(東京23区)や大阪中心部(大阪市内)の庶民向けの建売り一戸建て住宅は、狭い土地(もちろん庭はない)に、3階建てにして、床面積を稼ぐ形態が多い。

 

 

この条例、どれ位、効力があるのか分かりませんが、強い効力があるのならば、私の街を含む、渋谷(shibuya)区内の、静かで落ち着いた住宅地において、(ゆったりとした敷地を持つ邸宅の、低層の高級アパート(マンション)等の建て替えは、防ぐ事は出来ませんが)、昔ながらの、古い一戸建て住宅の、ゆとりのある敷地が、分割されて、複数の、比較的、小さな一戸建て住宅が建てられると言う状況は、制限される事により、落ち着いた住宅環境が、徐々に、失われて行く事を、一定程度、防ぐ事になるでしょう。

 

 

 

 

 

 


적당하게, 풍경&음식

 

 

앞으로주의 금요일(이하, 이 날이라고 씁니다)의, 점심 식사와 저녁 식사등입니다.

 

 

이 날은, 일의 용무로, 시오도메(shiodome)를 방문했습니다.시오도메(shiodome)는, 200 m급의 초고층 빌딩이 늘어서는, 도쿄도심부의 비즈니스(business)·상업지구입니다(도쿄도심부에서도 중심적 지역의 동남부에 위치한다).

 

 

시오도메(shiodome)의 풍경예.사진 중앙의 초고층 빌딩은, 덴츠(dentsu) 본사 빌딩(높이, 약 213 m)).시오도메(shiodome)의, 200 m급, 오피스(office) 용 빌딩의 하나입니다.설계는, Jean Nouvel(1945 년생의, 프랑스의 건축가.세계 최고 수준의 건축가의 한 명)이, 다루었습니다.이 각도에서 보면 평범한 형태입니다만, 보는 각도에 의해, 빌딩의 형태가, 바뀌는 초고층 빌딩입니다.도쿄에, 매우, 많이 있는 초고층 빌딩 중(안)에서도, 개인적으로, 가장, 디자인(design)이 뛰어난 초고층 빌딩의 하나라고 생각합니다.덧붙여서, 덴츠(dentsu)(1901년 설립)는, 일본의 대규모 광고회사(광고 대리점)의 하나이며, 세계 최대급의 광고회사(광고 대리점)입니다.사진 우측의 초고층 빌딩은, Shiodome City Center(높이, 약 216 m).시오도메(shiodome)의, 200 m급, 오피스(office) 용 빌딩의 하나입니다.

 

이 날의 점심 식사는, 시오도메(shiodome)의, 베트남(Vietnam) 요리 레스토랑에서 먹었습니다.이, 베트남(Vietnam) 요리 레스토랑은, 전에 한 번, 점심 식사에 이용하고, 면요리가, 맛있었던 일로부터, 이 때, 또 이용했습니다.

 

 

 

이, 베트남(Vietnam) 요리 레스토랑에서 먹은, 이 날의 점심 식사.면요리.맛있습니다(여름의, 시원시원한, 건강적으로, 가벼운 점심 식사에, 세간 좋다고 한 느낌...).면 위에 실려 있는 도구는, 돼지고기(접시의 사진 아래 쪽), 새우의 반죽물(접시의 사진 오른쪽), 야채(접시의 사진상)입니다.사진 우상의, 추가의 야채와 사진 우하의, 국물도, 모두, 면 위에 싣고(면에 치고), 혼합해 먹습니다.베트남(Vietnam) 요리에 빠뜨릴 수 없는, 파크치(Vietnamese coriander)는, 스스로, 좋아하는 양, 걸쳐 먹는 방식이 되고 있습니다.

 

 

 

 

 

사진 이하 19매.이 날, 시오도메(shiodome)에서, 일의 용무의 사이에, 시오도메(shiodome)에 있는, Panasonic, 시오도메(shiodome) museum로, 현재 개최중의, 피에르·샤로(Pierre Chareau )의 전람회(exhibition)를 보았습니다.

 

 

Panasonic, 시오도메(shiodome) museum( 구, Panasonic 전공(denko), 시오도메(shiodome) museum)가 들어가는, 초고층 빌딩, Panasonic, 시오도메(shiodome) 빌딩(높이 약 120 m).현재는, Panasonic(일본의 대규모, 전기제품 회사의 하나.본사는, 오사카)의, 도쿄에 있어서의 거점으로서 사용되고 있는 빌딩입니다.이 빌딩은, 이전에는, Panasonic 전공(denko)(아래의 보충 설명 참조)의, 도쿄의 본사 빌딩(Panasonic 전공(denko), 도쿄 본사 빌딩)이었지만, 2012년에, Panasonic 전공(denko)이, Panasonic에 흡수 합병된 일에 수반해, Panasonic, 시오도메(shiodome) 빌딩이라는 이름 전이 되었습니다(거기에 따라, Panasonic가, 경비의 삭감의, 일환으로서 지금까지의, 도쿄의 본사의 빌딩을 매각해, 도쿄의 거점 기능을, 이 빌딩으로 옮겼습니다).
Panasonic 전공(denko):Panasonic 전공(denko)( 구, 마츠시타(matsushi·ta) 전공(denko))(1918년 창업.1935년 설립)은, 일본의, 조명 기기, 전기 설비, 건강 가전, 개호·복지 기기, 제어 기기등의 대규모 회사에서, 오사카에 본사가 있는 회사였습니다(다만, 도쿄에도 본사가 있어, 본사 기능을 분산시키고 있었습니다).Panasonic 전공(denko)은, Panasonic(구마츠시타(matsushi·ta) 전기 산업.본사는 오사카(다만, Panasonic, 시오도메(shiodome) 빌딩에, 도쿄의 거점 기능을 옮기기 전은, 도쿄에도 본사가 있어, 본사 기능을 분산시키고 있었다).일본의 대규모, 전기제품 회사.1918년 창업.세계에, (일반적으로) 알려져 있는 Panasonic는, 이 쪽)와 뿌리는(원래는) 같은 회사입니다만(Panasonic 전공(denko)은, 원래, Panasonic의 1부문에서 만난), 1935년에, Panasonic로부터 분사화 했습니다(Panasonic란, 다른 회사가 되었습니다).그렇지만, Panasonic 전공(denko)은, 2012년에, Panasonic에 흡수 합병되고, 약 77년만에, 다시, Panasonic와 같은 회사가 되었던(덧붙여서, Panasonic 전공(denko)은, Panasonic에 흡수 합병되기 직전에 있고, (Samsung, LG등에, 밀리고 있다) Panasonic와 달리, 경영상태는, 좋았습니다(경영상태는, 안정되어 있었습니다).아마...).덧붙여서, Panasonic에 의한, Panasonic 전공(denko)의 흡수 합병은, 일찌기, 세계 시장을 석권 하고 있던, Panasonic를 포함한, 일본의, 대규모, 전기제품 회사가, 한국의, Samsung, LG, 미국의, Apple의 대두에 의해, 밀려 온 일과 크게 관련하고 있습니다(여전히, Panasonic를 포함한, 일본의, 대규모, 전기제품 회사는, 세계적으로 봐도, 최첨단의 기술은, 가지고 있지만, 최근 10 수년동안, 방심하고 있는 동안에, 개발과 투자의 방향성을 잘못해 시장의 흐름에 늦었다).개인적으로는, 현재의, 일본의, 대규모, 전기제품 회사의 쇠퇴의, 큰 원인의 하나로서, 1990년대에 있고, 일본의, 대규모, 전기제품 회사가, 한국의, Samsung와 LG를, 너무 얕잡아 봐서 있던(너무 과소평가해서 있던) 일이 있다고 생각합니다.

 

 

 

사진 이하 18매.Panasonic, 시오도메(shiodome) museum( 구, Panasonic 전공(denko), 시오도메(shiodome) museum).Panasonic, 시오도메(shiodome) museum 는, Panasonic가, 운영하는, 사영의, 박물관·미술관의 하나로, Panasonic, 시오도메(shiodome) 빌딩( 구, Panasonic 전공(denko), 도쿄 본사 빌)에 들어가는, 소규모의 미술관입니다.Panasonic, 시오도메(shiodome) museum는, 이전에는, Panasonic 전공(denko)이 운영하는, 사영의 미술관, Panasonic 전공(denko), 시오도메(shiodome) museum(원래는, 마츠시타(matsushi·ta) 전공(denko), 시오도메(shiodome) museum라는 이름 전이었다)였지만, 2012년에, Panasonic 가, Panasonic 전공(denko)을 흡수 합병한 일에 수반해, Panasonic가, 운영하는 미술관이 되어, 이름도, Panasonic, 시오도메(shiodome) museum로 바뀌었습니다.Panasonic, 시오도메(shiodome) museum의 콜렉션(collection)의 중심은, 르오(Georges Rouault)의 작품이 되고 있어 르오(Georges Rouault)의 작품의 충실한 콜렉션(collection)을 가지고 있습니다(아마, Panasonic 전공(denko)의, 전 회장이, 르오(GeorgesRouault)가 좋아함 때문...).또, 르오(Georges Rouault)와는 관련성의 얇은 전람회(exhibition)도, 많이 행해집니다만, Panasonic 전공(denko), 시오도메(shiodome) museum였을 때부터, 주택이나 건축, 조명, 도자기와 같은, 생활 관련의 미술품의 전시(Panasonic 전공(denko)의 사업을 관계의 깊은(Panasonic 전공(denko)의 사업을 관계가 깊었다), 「건축·주거」, 「생활 문화」를 테마로 하는 기획전(exhibition))이 많은 것도, 특징이 되고 있습니다(설명문은, wiki 및, 미술관의 site를 참고로 했습니다).

 

 

사진 이하 18매.Panasonic, 시오도메(shiodome) museum( 구, Panasonic 전공(denko), 시오도메(shiodome) museum)의, 팜플렛·광고지(leaflet).

 

사진 이하 10매.Panasonic, 시오도메(shiodome) museum( 구, Panasonic 전공(denko), 시오도메(shiodome) museum)의, 팜플렛(leaflet).

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 2매.Panasonic, 시오도메(shiodome) museum( 구, Panasonic 전공(denko), 시오도메(shiodome) museum)의 콜렉션(collection)의 중심은, 르오(Georges Rouault)의 작품이 되고 있어 르오(Georges Rouault)의 작품의 충실한 콜렉션(collection)을 가지고 있습니다(아마, Panasonic 전공(denko)의, 전 회장이, 르오(Georges Rouault)를 좋아함 때문...).

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Panasonic, 시오도메(shiodome) museum( 구, Panasonic 전공(denko), 시오도메(shiodome) museum)는, 르오(Georges Rouault)와는 관련성의 얇은 전람회(exhibition)도, 많이 행해집니다만, Panasonic 전공(denko), 시오도메(shiodome) museum였을 때부터, 주택이나 건축, 조명, 도자기와 같은, 생활 관련의 미술품의 전시(Panasonic 전공(denko)의 사업을 관계의 깊은(Panasonic 전공(denko)의 사업을 관계가 깊었다), 「건축·주거」, 「생활 문화」를 테마로 하는 기획전(exhibition))이 많은 것도, 특징이 되고 있습니다(설명문은, wiki 및, 미술관의 site를 참고로 했습니다).덧붙여서, Panasonic, 시오도메(shiodome) museum는, 르오(Georges Rouault)와는 관련성의 얇은 전람회(exhibition)가 개최되고 있을 때는, 르오(Georges Rouault)의 전시 작품은, 매우 적게 되므로, Panasonic, 시오도메(shiodome) museum에, 르오(Georges Rouault)의 작품을 보러 가는 경우는, Panasonic, 시오도메(shiodome) museum로, 르오(Georges Rouault) 관련의, 전람회(exhibition)가, 개최되고 있을 때에, 방문하는 것이, 추천입니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 5매.Panasonic, 시오도메(shiodome) museum( 구, Panasonic 전공(denko), 시오도메(shiodome) museum)의, 전시 풍경예.과거의 전람회(exhibition)에서...

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 2매, Panasonic, 시오도메(shiodome) museum의, 전람회(exhibition)의, 스케줄(schedule)의, 팜플렛(leaflet).

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 3매.이 때는, Panasonic, 시오도메(shiodome) museum로, 현재 개최중의, 피에르·샤로(Pierre Chareau)(1883 년생, 1950년에 죽는다.주로, 1920년대부터 1930년대에 활약한, 프랑스의 유명한, 가구 디자이너(designer), 건축가)의, 전람회(exhibition)를 보았습니다.이 전람회(exhibition)(Panasonic, 시오도메(shiodome) museum로, 현재 개최중의, 피에르·샤로(Pierre Chareau)의, 전람회(exhibition))는, 프랑스 국외에 있어서는, 세계 최초의, 피에르·샤로(Pierre Chareau)의, 전람회(exhibition)가 되고 있습니다.이 전람회(exhibition), 꽤, 재미있었습니다(뭐, 전혀 흥미가 없는 사람이, 보면, 시시하다고 생각합니다만 w).

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 2매.Panasonic, 시오도메(shiodome) museum로, 현재 개최중의, 피에르·샤로(Pierre Chareau)의, 전람회(exhibition)의, 광고지(leaflet).


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 2매.Panasonic, 시오도메(shiodome) museum로, 다음 번, 개최 예정(10월 25일부터 12월 26일에 걸쳐 개최 예정)의, 키리코(Giorgio de Chirico)의, 전람회(exhibition)의, 광고지(leaflet).

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하, 19매.이 날은, 일을, 조금, 빨리 끝맺어 시오도메(shiodome)에서 일의 용무를 끝낸 후, 그녀와 만나고, 오다이바(odaiba)로 이동해(시오도메(shiodome) area로부터, 오다이바(odaiba) area까지는, 유리카모메(yurikamome)로 불리는, 무인, 자동 운전의 신교통 system(1995년 개업)로, 15분 정도입니다), 야경을 즐기거나 쇼핑 몰(shopping mall)로 쇼핑을 하거나 저녁 식사를 먹거나 하고 나서, 우리 집에 돌아갔습니다.오다이바(odaiba)(임해 부도심)는, 도쿄 중심부의 해안에 있는, 주상복합 지구에서, 1980년대부터 개발이 시작되어(본격적인, 개발은, 1990년대에 들어오고 나서, 특히, 거의 현재의 형태에 갖추어진 것은, 1990년대 중반의 일..), 현재도, 아직, 개발이 진행되고 있습니다.그 규모는, 록뽄기 힐즈(roppongi hills)나, 도쿄 미드타운(도쿄 midtown)이란, 비교도 되지 않는 위, 크고, 또, 요코하마의, 미나토미라이(minatomirai) 지구도, 웃돌고 있다고 생각합니다.

 

 

이 때, AQUA CITY 오다이바(ODAIBA)(오다이바(odaiba) area에 있는, 쇼핑 몰(shopping mall)의 하나.덧붙여서, 오다이바(odaiba) area에는, 내가 아는 한, 6개의 쇼핑 몰(shopping mall)이 있습니다)에 들어가 있는 카페(cafe)의 하나로, 음료와 함께 먹은, 베리(berry)의 팬케이크(pancake).하나 부탁하고, 둘이서 나누어 먹었습니다.음식점에서 먹는, 팬케이크(pancake)로서는, 맛이 없었습니다(가격에 비해 , 만족도는, 낮다).이 때, 나는, 음료는, Malibu and Pineapple(Malibu Rum 의, 파인애플(pineapple) 쥬스(juice) 나누기)를, 마셨습니다.

 

 

 

 

사진 이하 3매.오다이바(odaiba)로부터의, 야경.바다 위에, 빛나 떠올라 있는, 작은 배의 모임은, 지붕있는 노릿배(yakatabune)(선상에서, 연회(party)나 음식등을 즐기는, 오락용의 배).지붕있는 노릿배(yakatabune)는, 물론, 현재는, 배는, 근대적·현대적인 쓸모 있게 되고 있습니다만, 그 역사는, 에도(edo) 시대(17 세기부터 19 세기 중반)에, 거슬러 올라갑니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

저 편으로 보이는 조교(suspension bridge)는, raibow bridge.1993년에 완성한, 규모의 큰, 조교(suspension bridge)입니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 7매.이 날의 저녁 식사는, AQUA CITY 오다이바(ODAIBA)(오다이바(odaiba) area에 있는, 쇼핑 몰(shopping mall)의 하나)의, 식당거리에 들어가 있는, 이탈리아 요리 레스토랑의 하나로 먹었습니다.이 이탈리아 요리 레스토랑은, 동경권으로, 6 점포정도, 점포를 전개하고 있는 이탈리아 요리 레스토랑의, 오다이바(odaiba) area의 점포입니다.이 이탈리아 요리 레스토랑의, 신쥬쿠(도쿄의 주요한 비즈니스(business) 지구의 하나임과 동시에, 도쿄 최대급의 번화가의 하나.도쿄도심부의 서부에 위치한다)의 점포는, 맛이라고 말하는 것보다도(맛은, 전반적으로, 적당히...), 입지의 좋은 점으로부터(매우 편리한 장소에 있는 비교적은, 신쥬쿠의 혼잡으로부터 거리를 둘 수가 있다), 가끔 이용하고 있습니다만, 이 이탈리아 요리 레스토랑의, 오다이바(odaiba) area의 점포는, 이 때, 처음으로 이용했습니다.이 이탈리아 요리 레스토랑의, 오다이바(odaiba) area의 점포는, 야경을 보면서, 저녁 식사를 즐길 수가 있습니다.

 

 

사진 이하 2매.이 저녁 식사시에, 내가 마신 음료의 일부.이 외, 이 저녁 식사시는, 나는, 음료는, 와인(wine)을 마셨습니다.

 

최초의, 한 잔으로서(최초의 음료)로서 마신, Birra Moretti(이탈리아의 맥주).

 

 

 

 

 

 

식후에 마신, 아마 렛(Amaretto).스트레이트(straight·neat)로 마셨습니다.

 

 

 

 

사진 이하 2매.이 레스토랑에서 먹은, 이 날의 저녁 식사.

 

 

 

그녀가 먹은, 간단한 전채.

 

 

 

 

 

 

 

그녀가 먹은, 파스타(pasta).페페론치노(aglio, olio e peperoncino).

 

 

 

 

 

 

 

 

내가 먹은, 파스타(pasta).이동게의, 토마토(tomato) 크림 파스타(cream pasta).

 

 

 

 

 

 

 

그녀가 먹은, 메인(main) 요리.고품질인 돼지고기.

 

 

 

 

 

 

 

내가 먹은 메인(main) 요리, 쇠고기.

 

 

 

 

 

 

 

오다이바(odaiba)로부터의, 야경.사진의 조교(suspension bridge)는, raibow bridge.1993년에 완성한, 규모의 큰, 조교(suspension bridge)입니다.그 안쪽으로 보이는 탑은, 도쿄 tower.도쿄 tower는, 높이는 약 333 m로, 1958년에 완성한 당시는, 파리의 Eiffel tower( 약 324 m)를 빠뜨려, 세계 제일 높은, (관광용의 전망대가 붙은) 탑이었습니다.도쿄 tower는, 와야 할 TV의 대중화 시대(일본에서는, TV방송은, 1953년에 시작해, 당초는, TV는, 서민에게 있어서는, 꽤 손이 닿지 않는 호화품으로 있었지만, 1950년대말에는, 텔레비전(TV)이, 서민의 가정에도 보급하는 것처럼 되는 것)에 대비하고, 도쿄 area에 TV전파를 대량으로 송신하기 위해 지어진 TV전파탑입니다.오다이바(odaiba)로부터 바라보는, 도쿄 tower와 raibow bridge(1993년에 완성한, 규모의 큰, 조교(suspension bridge)) 의 편성의 도시 경관(특히, 야경)은, 도쿄의 개성을 결정 짓는 도시 경관 중의 하나가 되고 있습니다.

 

 

 

 

 

사진 이하 7매.이 때, 오다이바(odaiba)의, 쇼핑 몰(shopping mall)에서 사 온 것의 일부.「FLYING TIGER」(덴마크(Denmark)의, 코펜하겐(Copenhagen)에 본사를 두어, 덴마크(Denmark)를 거점으로 해, 유럽과 일본에서 점포를 전개하는, 덴마크(Denmark) 판, 100엔 shop라고 한 느낌의 점포의 체인(chain))의, AQUA CITY 오다이바(ODAIBA)(오다이바(odaiba) area에 있는, 쇼핑 몰(shopping mall)의 하나)의 점포에서, 이 때, 산 것등.꽤, 쌀 것입니다...w( 「FLYING TIGER」의 상품의, 디자인(design)은, 대체로, 아이 같고(어린이용이라고 한 느낌으로), 나와 같은, 30대 마지막의, 아저씨가 사는 것 같은 것은, 별로 없습니다만...w).

 

 

사진 이하 2매.「FLYING TIGER」의 봉투.이것은, 공짜로(무료로), 쇼핑을 하면, 이것에 상품을 넣어 줍니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 2매.쿠키(cookie).대나무눈의 캔에, 옛부터 흔한, 덴마크(Denmark) 산의, 쿠키(cookie)가, 가득이라고(충분하게) 들어가고, 500엔.옛부터 흔한, 덴마크(Denmark) 산의, 쿠키(cookie)는, 어릴 적부터, 상당히, 좋아합니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

볼펜(ballpoint pen).3 개로, 100엔.

 

 

 

 

 

사진 이하 2매.이 글래스(glass)는, 200엔.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

이하, 덤...

 

우리 집의 신문의 끼워넣음 광고지 광고(정기 구독하고 있는 신문에 끼워져 오는 광고)로부터...


이하의 투고문은, 내가, 조금 전에, 「음식」판과 「우리 동내」판에, 업(upload) 한 투고, 「 나의 거리&음식 1」에, 관련하고 있는 것입니다.

 

나의 거리(도쿄 중심부(도쿄 23구)의 서부에 위치하는 시부야(shibuya) 구안북부)는, 기본적으로, 조용하고, 침착한 주택지가 되고 있습니다.나는, 현재 독신 생활입니다만, 친가(원래, 나의 외가의 조부모의 집.현재는, 부모님이, 계승하며 살고 있다)가 근처에서, 이 거리에서, 태어나 자랐습니다.나의 거리는, 부자로부터, 나카가미류·중류층, 그리고, 나와 같은 서민층까지, 여러가지 사람들 살고 있습니다만, 개인의 집의 뜰의 초록등도, 상당히 많은(다만, 조금씩, 줄어 들어서는, 와있다), 조용하고 침착한, 주택지가 되고 있습니다(가장, 교외의 주택지에 비하면, 한도가 있습니다만(교외의 주택지에는, 당해 내지 않습니다만...)).나의 거리는, 원래, 1920년대부터 1930년대무렵에, (당시는) 도쿄의 서쪽의 교외(뭐, 교외라고는 해도, 도쿄의 도심부에 비교적 가까운 교외였지만)에 개발된, 중류층이나 신흥 부자 전용의 신흥 주택지입니다.신흥 주택지로서 개발되기 전은, 아직 농촌의 분위기가 현저하게 남는, 한가로운 지역이었다 같고, 또, 신흥 주택지로서 개발된 후도, 꽤, 당분간의 사이는, 아직, 한가로운 분위기가 남아 있던 같습니다( 나의 어머니가, 아직 어렸던 무렵( 나의 어머니가, 유치원아?`후 무렵부터 초등학교 저학년생의 무렵.1950년대 초 무렵)은, 친가의 뜰에서는, 당연한님이, 반디를 볼 수 있었다고 합니다).

 

나의 거리도 그렇습니다만, 제2차 세계대전 후의, (빈부의 격차를 잃기 때문에(위해)의) 부동산등을 상속할 때에 지불하는 세금의 세율의 대폭적인 인상등에 의해, 1960년대무렵부터, 현재에 이르기까지, 도쿄 area나 칸사이(kansai) 대도시권의, 고급 주택가나 조용하고 침착한 주택지의, 느긋한 부지를 가지는 저택은, 저층의 고급 아파트, 기업이나 공무원의 사택, 양로원(고령자가 입주하는 시설.공영의 물건과 사영의 물건이 있다) 등의 공공·복지 시설등으로, 차례차례로 다시 세워져 왔습니다(소유자가, 상속세를 다 지불할 수 있지 않고 , (일본에서는, 제2차 세계대전 후, 빈부의 격차를 축소시키기 위해, 상속세율이, 큰폭으로 오른), 저택을 토지와 보조자에 매도해, 저택의 건물이 해체된 후, 저층의 고급 아파트(맨션)가 세우는 경우가 많습니다).

 

나의 거리에 관해서도, 나의 어릴 적부터 비교해도, 명확하게, 느긋한 부지를 가지는 저택은 줄어 들었고(계속 줄어 들어 왔고), 느긋한 부지를 가지는 저택의, 저층의 고급 아파트(맨션) 등에의 재건축은, 현재 진행형으로, 서서히, 진행되고 있습니다(이것은, 계속 쭉 실감해 왔고, 지금도 실감하고 있습니다).다만, 이와 같은 현상이 진행되는 속도에 대해서는, 거리에 의해서 차이가 있는 것 같습니다.예를 들면, 도쿄 중심부(도쿄 23구)의 한적한(조용하고 침착한) 주택지안에서도, 비교적, 변두리에(도심으로부터 멀어진 장소)에 위치하는 주택지는, 지가(토지의 가격)가, 상대적으로 낮기 때문에인가, 이와 같은 현상이 진행되는 속도는, 늦고, 옛날부터의, 느긋한 부지를 가지는 저택이나 독립주택의, 저층의 고급 아파트등에의 개축이, 그렇게 진행되지 않은 느낌입니다.한편, 나의 거리는, 이와 같은 현상이 진행되는 속도가, 꽤 빠른 분에 속하는 느낌입니다( 꽤 빠르다고는 말해도, 아무것도, 하룻밤으로 하고, 거리의 경치가 바뀐다고 하는 것이 아니고, 생각보다는, 긴 기간을 걸치고, 이와 같은 현상이, 서서히 진행되어 온 것은 있습니다만...).이와 같은 현상에 대하고, 초목이 무성한 저택의 뜰이 망쳐져 한 때의 저택의 부지, 거의 힘껏에, 공동 주택(저층의 고급 아파트(맨션)) 등이 지어져 온 일은, 도쿄 area나 칸사이(kansai) 대도시권의, 고급 주택가나, 조용하고 침착한 주택지의 초록의 감소와 경관 파괴에 연결되어 왔습니다만, 한편에 있고, 이와 같은 현상은, 제2차 세계대전 후, 일본에서, 빈부의 격차가 해소해 온 일의 증거의 하나라고도 말할 수 있겠지요.

 

 

현재, 그 일실(일세대분)이 매출중의, 나의 거리의, 저층의 고급 아파트(맨션)의 광고(광고의 사진은, 아파트(맨션)의 외관과 아파트(맨션)의 실내).이, 아파트(맨션)는, 1983년에 지어진 것으로(내가, 어릴 적에 지어진 것으로), 비교적, 낡은, 저층의 고급 아파트(맨션)입니다.

 

 

 

 

넓은 부지를 가지는, 낡은 저택의 철거지는, 저층의 고급 아파트(맨션)가 되는 경우가 많습니다만, 느긋한 부지를 가지는, 낡은 독립주택의 부지의 철거지는, 분할되고, 복수의, 비교적, 작은 독립주택이 지어지는 경우가 많습니다.느긋한 부지를 가지는, 낡은 독립주택의 부지가, 분할되고, 복수의, 비교적, 작은 독립주택이 지어진다고 하는 상황도, 느긋한 부지를 가지는 저택의, 저층의 고급 아파트(맨션) 등에의 재건축 같이, 현재 진행형으로, 서서히, 진행되고 있습니다.어느 쪽으로 해도, 한 때의 부지, 거의 힘껏에 건물이 지어지는 경우가, 대부분으로, 한 때의 뜰의 식물등은, 잃게 되어 버립니다.

 

 

이와 같은 안, 내가 사는, 시부야(shibuya) 구(도쿄 중심부(도쿄 23구)의 서부에 위치하는 구)에 있고, 약간의 움직임이 있었습니다.금년(2014년)의 3월에, 시부야(shibuya) 구에 대해 제정된, 「시부야(shibuya) 구, 토지 이용 조정 조례」가, 금년(2014년)의, 10월 1일에 시행됩니다.이, 「시부야(shibuya) 구, 토지 이용 조정 조례」의, 자세한, 정확한 내용은, 좀 더 자세하게 조사해 보지 않는다고 모릅니다만, 시부야(shibuya) 구내에 있어서의, 조용하고 침착한 주택지역에 대하고, 「최저한 부지면적(토지의 세분화를 억제해, 양호한, 주택 환경을 지키기 때문에(위해)의, 건축물을 건설할 때의 기준)」, 「집합주택(아파트)을, 새롭게 건설할 때에, 종래보다, 도로나, 근처의 주택이나 아파트의 부지로부터, 멀어져 건물을 건설하는 일」등을, 정한 조례같습니다.

 

이 조례가 시행되면, 새롭게 부지를 분할하는 경우, 분할한 부지가, 일정 정도의 면적(최저한 부지면적)을 밑도는 경우, 거기에는, 주택등의 건물을 짓는 것이 제한됩니다(실질적으로는, 부지를, 일정 정도의 면적(최저한 부지면적)을 밑도는 부지에, 새롭게 분할하는 일을 제한하는 조례라고 말해 좋을 것입니다).

 

 

사진 이하 2매는, 이 조례의 내용을 알리는, 부동산 회사의 광고로, 요점은, 이 조례가, 시행되기 전에, 토지를 팔아 버리지 않습니까?이렇게 말하는 광고같습니다(이, 광고는, 신문의 끼워넣음 광고지 광고(정기 구독하고 있는 신문에 끼워져 오는 광고)가 아니라, 우리 집의 우체통(mailbox)에 들어가 있던 광고일지도...(무의식 중에(별로 의식하지 말아줘) 취했으므로, 어느 쪽인지 잊었다...).

 

 

 

 

 

 

 

시부야(shibuya) 구내의, 각 , 조용하고 침착한 주택지역의, 최저한 부지면적.이 조례가, 시행되면, 주택지역에 의해서 폭이 있습니다만, 시부야(shibuya) 구내의, 조용하고 침착한 주택지에 있고, 새롭게 부지를 분할하는 경우, 가장, 규제가 완만한 곳에서, 80평방 m( 약 24평)를 밑돈다, 가장, 규제가 엄격한 곳에서, 200평방 m( 약 61평)를 밑도는 부지에 분할하는 경우, 거기에는, 주택등의 건물을 짓는 것이 제한됩니다(시부야구(shibuya) 구내의, 조용하고 침착한 주택지, 전체의 평균에서는, 새롭게 부지를 분할하는 경우, 약 156평방 m( 약 47평)를 밑도는, 나의 가(시부야(shibuya) 구안북부)에 속하는 주택지역의 평균에서는, 약 162평방 m(49평)를 밑도는 부지에 분할하는 경우, 거기에는, 주택등의 건물을 짓는 것이 제한됩니다).

 

 

우리 집의 부근의, 나의 친가(원래, 나의 외가의 조부모의 집에서, 현재는, 부모님이, 그 집을 계승하고 있다)는, 부지면적 100평 정도( 약 330평방 m)의, 뜰이 있는, 독립주택입니다만, 아직, 상당히, 앞의 이야기가 된다고 생각합니다만( 부모님은, 장수해 주었으면 합니다), 만약, 부모님이, 죽어, 친가의, 독립주택을 상속해, 그 부지를, 분할하고, 주택용 부지로서 매각하는 경우, 만일, 반에 분할했다고 해도, 분할한 부지는, 하나 맞아, 50평( 약 165평방 m)이 되어, 나의 친가(및 우리 집)가 있는, 주택지역의, 최저한 부지면적을 밑돌아 버리기 때문에(위해), 거기에는 주택등의 건물을 짓는 것이 제한됩니다( 나의 친가(및 우리 집)가 있는, 주택지역은, 이 조례에 의하면, 새롭게 부지를 분할하는 경우, 분할한 토지가, 50평( 약 165평방 m)이어도, 거기에는, 주택등의 건물을 짓는 것이 제한됩니다).즉, 나의 친가의 부지는, 반(50평( 약 165평방 m))으로 분할했다고 해도, 실질적으로, 주택의 부지로서 매각하는 일은 제한되기 때문에(위해), 어떤 제한도 받지 말고, 친가의 부지를, 주택용의 부지로서 매각하는 경우, 실질적으로, 그대로, 100평( 약 330평방 m/`j의 주택의 부지로서 매각 할 수 밖에 없게 됩니다.뭐, 장래, 부모님이 죽었다고 해도, 지금 단계, 친가는, 매각할 생각은 없습니다만...

 

도쿄 중심부(도쿄 23 구내)의 경우, 1920년대부터 1930년대무렵에, 중류 계급 전용의 신흥 주택지로서 개발되어 처음, 1960년대 중반 이전에는, 이미 상당히 많은 사람들이 살고 있던 같은, 조용하고 침착한 주택지는, 부모의 집을 계승하며 살고 있는 사람들도, 상당히 많아(대부분은, 토지만 계승하고, 시대에 맞추고, 집의 건물은 개축이라고 있다), 이러한 경우는, 토지를 구입하는 부담이 없는 일로부터, 서민이나 보통 중산층( 나의 아버지는, 보통 회사원)에서도, 도쿄 중심부(도쿄 23 구내)에서, 어느 정도의 넓이의 독립주택에 사는 것이 가능합니다(단지, 부지가, 도쿄 중심부(도쿄 23 구내)의 주택의 부지로서는, 꽤 넓은 경우에는, 상속세의 관계로 무리이겠지요).덧붙여서, 나는, 남동생과 두 명 형제입니다만(남동생은, 나보다 2세 연하로, 회사원입니다), 남동생은, 근년, 결혼해, 이미, 아이도 태어났습니다.남동생은, 도쿄의 서부 교외의, 국립(kunitachi)에, 독립주택을 구입해, 살고 있습니다만, 아직, 상당히, 앞의 이야기가 된다고 생각합니다만( 부모님은, 장수해 주었으면 합니다), 만약 부모님이, 죽으면, 우리 집의 부근의 친가는, 내가, 이대로 가정을 가지지 않는 이상(방탕 아들 의 나와 달리 w) 성실하고 안정된, 남동생에게 양보하려고 생각합니다.( 아직, 상당히, 앞의 이야기이므로, 어떻게 될까 모릅니다만), 만약, 남동생이, 친가를 잇는 일이 되면, 세금등은, 가능한 한 보조할 생각으로 있습니다(남동생이, 나에게 보조되는 필요성을 느끼지 않으면, 혹은, 나에게 보조되는 필요성이, 전혀 없으면, 하지 않습니다만..).

 

덧붙여서, (친가의 부근의) 우리 집은, 뜰은 없고, 좁은 토지에 3층건물로 해, 1층 부분을 주차장으로 하고, 거주 바닥 면적을 버는, 지가가 비싼, 도쿄 중심부(도쿄 23구)에 있어서의, 전형적인, 비교적, 새로운, 서민 전용, 집장수 독립주택(아래의 보충 설명 참조)에서, 뜰은 없고, 3층건물에서, 1층 부분은 주차장, 거주 바닥 면적 30평( 약 100평방 m) 정도의, 독립주택입니다.우리 집은, 약 12년전에, 신축으로 구입했습니다만, 만일, 이 조례가, 내가, 우리 집을 구입하기 전에 시행되고 있던 것이라면, 당시 , 우리 집과 같은 조건의 주택을, 나의 거리(친가의 부근.내가 태어나 자란 거리)에 두고, 손에 넣는 것이, 비교적, 어려웠을지도 모릅니다...
집장수 독립주택:부동산 회사등이, 어느 정도 규격화된 독립주택을 건설해 판매하는 형식의 독립주택.소비자는, 토지를 구입하고, 자신의 취향의 독립주택을 세우는(주문 주택)보다, 싸게 독립주택을 손에 넣을 수가 있지만, 주택의 건물은, 비교적 저렴하고(비교적 싸구려 같고), 규격화되고 있어 무기질.도쿄도시권등 , 지가가, 비교적 높은 장소에서, 잘 볼 수 있다.현재 지어지는, (지가가 비싸다) 도쿄 중심부(도쿄 2?`R구)나 오사카 중심부(오사카시내)의 서민 전용의 집장수 독립주택은, 좁은 토지(물론 뜰은 없다)에, 3층건물로 하고, 바닥 면적을 버는 형태가 많다.

 

 

이 조례, 어떤 것위, 효력이 있는지 모릅니다만, 강한 효력이 있다면, 나의 거리를 포함한, 시부야(shibuya) 구내의, 조용하고 침착한 주택지에 있고, (느긋한 부지를 가지는 저택의, 저층의 고급 아파트(맨션) 등의 재건축은, 막는 일은 할 수 없습니다만), 옛날부터의, 낡은 독립주택의, 여유가 있는 부지가, 분할되고, 복수의, 비교적, 작은 독립주택이 지어진다고 하는 상황은, 제한되는 일에 의해, 침착한 주택 환경이, 서서히, 없어져서 가는 일을, 일정 정도, 막는 일이 되겠지요.

 

 

 

 

 

 

 



TOTAL: 945

番号 タイトル ライター 参照 推薦
645
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箱根(hakone)小旅行&食べ物1 jlemon 2014-10-14 2208 0
644
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箱根(hakone)小旅行&食べ物2 jlemon 2014-10-14 2141 0
643
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横浜散歩&食べ物 jlemon 2014-10-11 2282 0
642
No Image
鎌倉(kamakura)散歩&食べ物 jlemon 2014-10-06 2571 0
641
No Image
夏の高原滞在&食べ物4 jlemon 2014-10-03 2547 0
640
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夏の高原滞在&食べ物3 jlemon 2014-09-30 2815 0
639
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夏の高原滞在&食べ物2 jlemon 2014-09-27 1909 0
638
No Image
夏の高原滞在&食べ物1 jlemon 2014-09-26 1862 0
637
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湘南(syonan)滞在&食べ物。 jlemon 2014-09-24 2899 0
636
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野菜サラダ(salad)、色々。 jlemon 2014-09-21 2400 0
635
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箱根(hakone)小旅行&食べ物5 jlemon 2014-09-19 2273 0
634
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箱根(hakone)小旅行&食べ物4 jlemon 2014-09-18 2668 0
633
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箱根(hakone)小旅行&食べ物3 jlemon 2014-09-13 2666 0
632
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箱根(hakone)小旅行&食べ物2 jlemon 2014-09-13 4728 0
631
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箱根(hakone)小旅行&食べ物1 jlemon 2014-09-11 2237 0
630
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適当に、風景&食べ物 jlemon 2014-09-08 2436 0
629
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湘南(syonan)滞在&食べ物後編。 jlemon 2014-09-06 2284 0
628
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湘南(syonan)滞在&食べ物前編。 jlemon 2014-09-04 2693 0
627
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春の東京西部郊外散歩&食べ物4 jlemon 2014-09-02 2022 0
626
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春の東京西部郊外散歩&食べ物3 jlemon 2014-09-01 2041 0