食べ物






少し前の事ですが、7月の前半、東京の我が家から自動車で2時間半程の、長野(nagano)県の中南部の高原地帯(避暑地)にある別荘(別荘とは言っても、比較的裕福な人々が保有する様な典型的な別荘ではなく、庶民的な中古の一戸建て住宅です)に滞在した時の物です。




以下、初夏の高原滞在&食べ物5からの続き。。。



以下、この時の、四日目(以下、この日と書きます)の続きです。



この日も、天気が悪く(天気は、雨で)、ハイキング(hiking)しても、仕方がないと言う事で、この日は、諏訪(suwa)湖周辺の盆地areaの、岡谷(okaya)市にある、PRINCE&SKYLINE MUSEUMを訪れました。




野(nagano)県の、私の別荘の有るエリア
(area)(長野(nagano)県の中南部area)は、大きく、諏訪(suwa)湖(下の補足説明参照)周辺の盆地エリア(area)と、高原エリ
ア(area)に分かれます。私の別荘は、高原エリア(area)の方に有りますが、高原エリア(area)と、諏訪(suwa)湖周辺の盆地エリア
(area)の間は、自動車で簡単に行き来出来ます。
諏訪(suwa)湖:長野(nagano)県の中南部に有る大きな湖。諏訪(suwa)湖周辺は、温泉が豊富で、規模の大きな温泉保養地等となっています。




諏訪(suwa)湖周辺の盆地エリア (area)は、諏訪(suwa)市(人口、約5万人)、下諏訪(shimosuawa)町(人口約2万人)、岡谷(okaya)市(人口、約5万人)と、三つの、地方自治体からなっています。




の日は、諏訪(suwa)湖周辺の盆地エリア(area)の、岡谷(okaya)市(人口、約5万人程の、小都市)にある、
PRINCE&SKYLINE MUSEUMを訪れました。PRINCE&SKYLINE
MUSEUMは、SKYLINE、SKYLINE
GT-R、(SKYLINEを生み出した、自動車会社である)prince自動車の自動車専門の、自動車博物館です。
PRINCE&SKYLINE MUSEUMは、SKYLINE及びSKYLINE
GT-Rを愛する、日本国内の、個人の自動車愛好家達の熱意により、設立された自動車博物館と言う特徴を持つ美術館である事から、
PRINCE&SKYLINE
MUSEUMが、展示向けの自動車として所有する自動車は、わずか3台のみであり、その他の、PRINCE&SKYLINE
MUSEUMに展示されている、自動車は、全て、SKYLINE、SKYLINE
GT-R、(SKYLINEを生み出した、自動車会社である)prince自動車の自動車を愛する、日本国内の、個人の自動車愛好家達が、それぞれ、自分
達が、個人で、所有する、SKYLINE、SKYLINE
GT-R、prince自動車の自動車を、おそらく無償で(おそらく無料で)、PRINCE&SKYLINE
MUSEUMに貸し出している物となっています。



また、日本には、多くの自動車博物館がありますが、日本製の自動車の、
単一の車種(PRINCE&SKYLINE MUSEUMの場合、SKYLINE(SKYLINE
GT-Rを含む))を専門とする、自動車博物館は、非常に珍しい物となっており(おそらく。。。)、それも、この自動車博物館の、大きな特徴となっていま
す。それだけ、日本国内において、SKYLINE、及び、SKYLINE 
GT-Rと言う、自動車の、ブランド(brand)力が高いと言えるでしょう。ちなみに、SKYLINEは、(その歴史も含めて)、日本を代表する、GT
カー(下の補足説明参照)であり、SKYLINEの、スポーツカー(sports
car)版であり、世界最高水準の性能を有する、スポーツカー(sports car)である、SKYLINE
GT-R(現在は、日産(nissan)GT-R)は、日本を代表する、スポーツカー(sports car)の一つとなっています。
GTカー:
セダン(sedan)の乗り心地の良さ・静粛性・車内の快適性と、(スポーツカー(sports
car)のような)速く走る性能を合わせた、セダン(sedan)とスポーツカー(sports
car)の中間のような自動車。一般的に、セダン(sedan)よりも、空力を考えた流線型の外観。長距離を、高速で、快適に移動するのに適した乗用車。




prince
自動車(1947年設立)は、(第二次世界大戦が終わるまで、三菱(mitsubishi)重工業と共に、日本の、2大、飛行機会社であった)中島
(nakajima)飛行機(1917年設立)を前身とする、自動車会社です(中島(nakajima)飛行機については、前回の投稿、参照)。ちなみ
に、prince自動車と共に、中島(nakajima)飛行機を前身とする、日本の大規模自動車会社に、スバル(subaru)(1945年設立)があ
ります(スバル(subaru)は、prince自動車と異なり、現在まで、存続。スバル(subaru)について、詳しくは、前回の投稿参照)。





本の飛行機の技術は、第一次世界大戦と、第二次世界大戦の、戦間期の後期(1930年代後半)には、世界水準に達しましたが、第二次世界大戦において、敗
戦国となった(連合軍に対して、無条件降伏した)日本は、連合国軍(実質的には、アメリカ)の機関により、第二次世界大戦後、しばらくの間、飛行機の開
発・生産が禁止されてしまいました(大学の授業から航空力学の科目を取り除かれもしました)。これにより、日本の飛行機の技術の、発展は、しばらくの間、
空白となって(途絶えて)しまいました。しかしながら、行き場を失った、日本の飛行機の開発者・技師(engineer)達の多くは、自動車産業へと移り
(自動車の開発者・技師(engineer)へと転職し)、(もちろん、飛行機の技術と、自動車の技術は、似ている部分もあるが、異なる部分も多いので、
それにより、日本の自動車技術が、直ちに、世界水準に達した訳ではなく、日本の自動車技術が、世界水準に達するには、時間がかかりましたが)、第二次世界
大戦後の、日本の自動車技術及び自動車産業の発展の基礎を築くのに、少なからぬ貢献をしました。





以下、
PRINCE&SKYLINE MUSEUMの続きです。PRINCE&SKYLINE
MUSEUMは、展示する自動車を定期的に入れ替えながら、常時、30台程の、SKYLINE、SKYLINE
GT-R、(SKYLINEを生み出した、自動車会社である)prince自動車の、自動車を展示しているようです。





真以下14枚。(SKYLINEを生み出した、自動車会社である)prince自動車の、自動車の例。(SKYLINEを生み出した、自動車会社であ
る)prince自動車は、1947年から、1966年に、日産(nissan)自動車に吸収されるまで存在した、日本の、大規模自動車会社(ただし、大
規模自動車会社としては、規模は、小さい)で、高級自動車会社です。




写真以下2枚。初代、Prince、
SKYLINE。PRINCE&SKYLINE
MUSEUMの展示より。。。1957年に、デビュー(debut)した、prince自動車の、乗用車です。当時の、トヨタ(toyoya)の、同
classの、小型の高級自動車に比べて、性能の優れたエンジン(engine)、はるかに優れた機構を持つ、先進的自動車でした。デザイン
(design)は、当時の、トヨタ(toyoya)の自動車等と同様、(当時、世界の、圧倒的な、自動車生産国・自動車大国であった)アメリカの自動車
のデザイン(design)の影響を強く受けた物となっています(おそらく、当時は、日本のみならず、世界においても、高級な自動車と言えば、アメリカの
自動車と言うイメージが、強かった時代であると思います。それだけ、アメリカが、世界において、圧倒的に豊かで、勢いがある時代でした)。ちなみに、現在
は、どうか分かりませんが、少なくとも、少し前までは、キューバ(Cuba)には、この様な感じの、1950年代の、アメリカ製の、小型の自動車が、たく
さん走っていた様です。
























塚(hiratsuka)市美術館(東京の、南部近郊にある美術館)で、2009年に開催された、日産(nissan)の自動車のデザイン
(design)の歴史の展覧会(exhibition)より。。。Prince、SKYLINE BLRA-3。1962年に、デビュー(debut)
した、prince自動車の、高級自動車です。デザイン(design)は、イタリアの、Giovanni Michelottiが手掛けました。。。








真以下3枚。2代目、Prince、GLORIA(S40型系、Prince、GLORIA)。PRINCE&SKYLINE MUSEUMの展示より。。。1962年に、デビュー(debut)した、prince
自動車の、中型の、高級自動車です。2代目、Prince、GLORIA(S40型系、Prince、GLORIA)に搭載されていた、2.0 L
(1988cc)の、直列6気筒の、PRINCE自動車製の、エンジン(engine)は、おそらく、当時、2.0
L以下の自動車のエンジン(engine)としては、世界でも、最高水準の性能でした(おそらく、当時、このPRINCE自動車製の、直列6気筒、2.0
L (1988cc)エンジン(engine)に匹敵する水準の、2.0
L以下の自動車のエンジン(engine)を設計・製造する技術力を有する自動車会社は、世界でも、BMW位でした)。2代目、Prince、
GLORIA(S40型系、Prince、GLORIA)は、デザイン(design)も、中々、良い(デザイン(design)も、優れている)自動車
だと思います。可能性は、低かったと思いますが、2代目、Prince、GLORIA(S40型系、Prince、GLORIA)は、prince自動車
が、滅びずに、順調に発展して行ったら、BMWの様な、高級自動車会社になっていたのではないかと感じさせる様な自動車です。




























2
代目、Prince、GLORIA(S40型系、Prince、GLORIA)は、1964年の東京夏季Olympics(日本、且つ、アジアで、最初
の、Olympics。元々、日本、且つ、アジアで、最初の、Olympicsは、1940年に、東京で開催される予定であったが、戦争の影響で中止とな
り、結局、日本、且つ、アジアで、最初の、Olympicsは、1964年の東京夏季Olympicsまで、待たなければなりませんでした)の公用自動車
の一つとして採用され、prince自動車は、1964年の東京夏季Olympicsに、105台の、2代目、Prince、GLORIA(S40型系、
Prince、GLORIA)を提供しました。写真以下3枚は、1964年の東京夏季Olympics仕様の、2代目、Prince、
GLORIA(S40型系、Prince、GLORIA)です。PRINCE&SKYLINE MUSEUMの展示より。。。




























1964
年に販売が開始された、prince自動車の、小型の、トラック(truck)です。PRINCE&SKYLINE
MUSEUMの展示より。。。以下、この、トラック(truck)関する説明は、PRINCE&SKYLINE
MUSEUMの展示解説を参考にしました。小型の商用のトラック(truck)でありながら、乗用車に匹敵する、技術水準と、進歩的な機構を、随所に散り
ばめ、その、動力性能のみならず、乗り心地でも、ライバル(rival)車を、圧倒していました。







真以下2枚。写真は、借り物。Prince、R380(1966年に、prince自動車が、日産(nissan)自動車に吸収された後は、Nissan
R380と改名)。Prince、R380は、1965年に登場した、prince自動車が開発した、レーシングカー(racing
car)です。Prince、R380(Nissan R380)は、日本国内の自動車レース(car
racing)において、Porscheのレーシングカー(racing car)を破り、活躍しました。Prince、、R380(Nissan
R380)は、1967年に、7つの、世界速度、新記録を樹立しました(wikiより。。。)。



写真の作者:Mytho88








写真の作者:Iwao








真以下2枚(写真は、借り物)。Prince  Royal。以下、Prince Royalに関する説明は、wikiを参考にしました。Prince
Royal(1967年に登場)は、(日産(nissan)自動車に吸収される前において)prince自動車が開発し、1967年から1972年にかけ
て日産(nissan)自動車が製造した(7台が、製造され、納入されました)、日本の、皇室(天皇家)専用の、V型8気筒W64型
6.4L(6,473cc
)の、エンジン(engine)(日本製の乗用車用のエンジン(engine)としては史上最大級のエンジン(engine))を搭載した、乗用車です。
日本の皇室(天皇家)は、1912年、公式の乗り物として、馬車に代えて自動車を初めて採用しましたが、以来、公式の自動車は、Prince
Royalが採用されるまでは、第二次世界大戦前後を通じて、全て、ロールス・ロイス(Rolls-Royce)等の、輸入、大型、高級自動車を採用して
来ました(何故なら、それまで、日本には、先進国の、皇室・王族・国家元首が、公式の自動車として使用するに値する程の水準の、limousineタイプ
の、大型の、高級乗用車を、独自に、開発・製造する技術がなかったからです)。Prince
Royalは、一般には、販売されませんでしたが、仮に、一般に販売されて、日本の、金持ち達に支持されて、成長して行ったのならば、もしかしたら、日本
版の、ロールス・ロイス(Rolls-Royce)の様な、ブランド(brand)になっていたかもしれません。ちなみに、現在の(Prince
Royalの後継の)、日本の皇室(天皇家)の、公式の自動車は、2006年から2008年に、トヨタ(toyota)自動車が製造した、トヨタ
(toyota)自動車の、日本の、皇室(天皇家)専用の(一般には、販売されない)、V型12気筒、5Lエンジン(engine)の乗用車、トヨタ
(toyota)CENTURY
ROYALです(4台が製造され、納入されました)。ちなみに、日本の皇室(天皇家)の、歴代の、公式の自動車は、Daimler
(1912年から)、ロールス・ロイス(Rolls-Royce)(1921年から)、Mercedes-Benz(1932年から。ただし、ロールス・
ロイス(Rolls-Royce)も、1936年まで、使用されている)、Cadillac(1951年から。。。ただし、1957年と、1961年に、
ロールス・ロイス(Rolls-Royce)も導入されている)、Prince Royal(1967年から)、トヨタ(toyota)CENTURY
ROYAL(2006年から)となっており、何となく、その時々の、日本の、国情、世界状況、世界の国々の趨勢を、反映している様な気がします。


写真の作者:Photo by me.





写真の作者:Photo by me.








prince
自動車が、存在した時代は、第二次世界大戦直後の混乱は、一段落したけど、まだ、経済復興の途中で、日本は、まだ貧しく、第二次世界大戦以前や第二次世界
大戦直後の貧しさの名残があった時代です。その一方において、誰もが、日本が急速に経済成長をしている事を実感出来て、いつかは、日本が欧米の富裕な先進
国に追いつき追い抜くだろうと言う希望と、いつかは、日本を欧米の富裕な先進国に追いつき、追い抜かせて見せると言う気迫に満ち溢れていた時代と言った感
じでしょうか。。。日本は、第一次世界大戦(1914年から1918年)が終る頃には、名実供に、工業国且つ世界の大国(列強)の一つとなりましたが(日
本は、第一次世界大戦後は、戦勝国且つ資本主義工業国且つ大国として、イギリス、フランス、イタリアと供に、国際連盟(League of
nations)の発足時の常任理事国となりました)、その一方で、日本と、(日本よりも遥かに前から、強力に工業化やインフラ
(infrastructure)整備を推し進めていた)イギリス、ドイツ、アメリカ等との差は、ずっと大きく、また、日本は、途中、第二次世界大戦にお
いて、各産業が壊滅的な損害を被った事等もあって、(日本は)、1960年代初め頃まで(特に1950年代頃まで)は、南欧諸国(イタリア、スペイン、ポ
ルトガル(Portugal)、ギリシア(Greece))等と供に、資本主義工業国(若しくは、資本主義的な工業国。第二次世界大戦後は、西側先進工業
国)の中では、最も貧しく、農業国的で、後進的なグループ(group)に属していました。



スバル(subaru)
と同じ、中島(nakajima)飛行機を前身とする、自動車会社でも、大衆的な自動車会社を目指した(大衆的な自動車会社であった)、スバル
(subaru)
と異なり、高級自動車会社を目指した(高級自動車会社であった)、prince自動車は、経営が上手く行かなくなり、1966年に、日産(nissan)
自動車(日本の、三大、自動車会社の一つ)に吸収され、消滅しました。prince自動車が、滅んだ、主な理由として、会社の規模から考えて、収益性(利
益)を、度外視した(無視した)、研究開発費の高さ(prince自動車の、当時の、研究開発費は、(prince自動車よりも、はるかに(ずっと)大き
な自動車会社であった)、当時の、日産(nissan)自動車よりも高かった様です。現在の感覚で言えば、Mazdaやスバル(subaru)の、研究開
発費が、トヨタ(toyota)とまでは行かないが、日産(nissan)や本田(honda)を、上回ると言った、イメージかな。。。)と、高級自動車
会社を支える程、まだ、日本の国内市場(日本の消費者)が豊かではなかったと言う事が挙げられます。日本の国内市場だけでは、不十分であるのならば、海外
で(世界で)、売れば良いかとも思いますが、当時は、まだ、自動車を含む、日本の工業製品の、ブランド(brand)力は、全般的に、あまり高くはなく、
日本の自動車会社が、いきなり、世界に、高級自動車を販売しても、たくさん売るのは、無理であったと思います。例えば、現在において、スペインや、ポ
ルトガル(Portugal)、ギリシャから、Mercedes-BenzやBMWと同程度の技術力を有する(逆に言えば、全般的に、Mercedes-
BenzやBMWを超える技術力ではない)自動車会社が登場したとしても、いきなり、世界で、たくさんの、高級自動車を売るのは無理であると思います。仮
に、prince自動車が、(全ての国々を合わせれば)、当時の日本とは、比べ物にならない位の、富裕層がいた、当時の、ヨーロッパに存在した自動車会社
であったのならば、prince自動車は、滅びる事はなく、Mercedes-BenzやBMWとまでは行かないが、Alfa
RomeoやSaab自動車(Saab自動車は、近年、破産しましたが。。。)程度の、自動車会社・自動車brandとして、存続していたかもしれませ
ん。




prince自動車は、経営が上手く行かなくなり、1966年に、日産(nissan)自動車に吸収され、
消滅しましたが、prince自動車の技術者及び技術は、日産(nissan)自動車の経営方針の制約を受けながらも、日産(nissan)自動車に承継
されました。日産(nissan)自動車(1911年創業。1910年代に乗用車の生産を開始(前にkjの投稿で、1931年に乗用車の生産を開始と書き
ましたが、1910年代の間違えでした。済みません))は、トヨタ(toyota)(1936年に乗用車の生産を開始)等と共に、日本の自動車会社の中で
は、比較的、乗用車の生産の歴史の長い会社であり、1980年代までは、トヨタ(Toyota)と供に、日本の2大自動車会社でした。





産(nissan)自動車は、日本の、三大自動車会社(トヨタ(Toyota),日産(Nissan),本田(honda))の内の一つです。三大自動車
会社の中でも、トヨタ(Toyota)が抜きん出ていて(日本最大の自動車会社で有ると供に、世界最大級の自動車会社)、日産(Nissan)と本田
(honda)は、トヨタ(Toyota)に次ぐ、日本で2番目に大きな自動車会社の地位を争う関係に有ります。日本の自動車会社の主要な市場は、日本と
アメリカですが、アメリカでは、日産(Nissan)よりも、本田(honda)の方が、brand力も上で、存在感も有りますが、日本では、本田
(honda)よりも、日産(Nissan)の方が、伝統的に、brand力も上で、存在感も有る様な気がします。自動車販売台数も、アメリカでは、本田
(honda)>日産(Nissan)ですが、日本では、伝統的に、日産(Nissan)>本田(honda)となっています。日産(Nissan)自動
車は、1980年代までは、トヨタ(Toyota)と供に、日本の2大自動車会社でしたが(本田(honda)は、三菱(mitsubishi)、マツダ
(Mazda)と供に、日本で3番目に大きな自動車会社の地位を争う会社に過ぎなかった)、1990年代以降、経営が悪化し、トヨタ(Toyota)に、
大きく差をつけられました。



日産(nissan)自動車は、かつては、技術の日産(nissan)と呼ばれ、売れる(大
衆の、消費者の、ニーズ(必要性)に応えて、商品力が高い)自動車を作るのは、日産(nissan)よりも、トヨタ(Toyota)の方が上手でしたが、
日産(nissan)自動車は、トヨタ(Toyota)よりも、高い、自動車の技術力を有していました。



本田
(honda)(1946年創業)は、自動車の分野に進出したのは、1963年の事で(ただし、それ以前から、オートバイ(motorcycle)会社の
技術力としては、しっかりとした物があった)、日本の大規模自動車会社の中では、最も、後発の自動車会社ですが、冒険的・革新的な発想の、自動車を作り、
若者層の心を捉える事により、成長して来ました。




一昔前までは、日産(nissan)自動車と本田
(honda)が、新しい発想の自動車を発売して、新たな市場を開拓した後、トヨタ(Toyota)自動車は、その発想を真似た上で、それを上回る、商品
力の高い(より、消費者の、ニーズ(必要性)に応える)自動車を、開発・発売し、日産(nissan)自動車と本田(honda)が、開拓した市場を奪う
事により、成長して来ました。



この様に、一昔前までは、日産(nissan)自動車は、技術面において、本田
(honda)は、冒険的・革新的な発想において、それぞれ、トヨタ(Toyota)自動車を、上回っていたのですが、現在は、トヨタ(Toyota)自
動車の、一人勝ちの状態により、その状況は、変わって来ています。



まず、現在は、大企業体質になってしまった、本田(honda)は、大企業病と言うのか、前に比べて、保守的となり、前に比べて、冒険的・革新的な発想の、自動車は、あまり出さなくなった様な気がします。




た、かつては、日産(nissan)自動車は、トヨタ(Toyota)自動車と、日本最大の自動車会社の地位を争う関係にありましたが、現在は、トヨタ
(Toyota)自動車は、日産(nissan)自動車に、大差をつけて、日本で、最大の自動車会社となっています。この事は、トヨタ(Toyota)自
動車は、日産(nissan)自動車に比べて、はるかに(ずっと)、多くの、金を、自動車の研究開発にかける事が出来る事を意味します。この様な事等か
ら、現在は、日産(nissan)自動車は、トヨタ(Toyota)自動車に、技術面において、有利に立つどころか、劣勢な状態となっています。




産(nissan)自動車が、トヨタ(Toyota)自動車に、技術面において、劣勢に立つ、大きな転換期は、個人的に、1989年の、初代、Lexus
LS(4.0L
V8エンジン(engine)を搭載する、トヨタ(Toyota)自動車の、大型の、高級自動車)の登場であると思います。初代、Lexus
LSの、当時の、世界の他の高級自動車に比べた、圧倒的な静粛性(高級自動車の静粛性は、伝統的に、トヨタ(Toyota)が、得意として来た所ですが、
Lexus
LSにおいては、静粛性を、さらに、高い次元で、実現させました)と、圧倒的な品質は、(それまで、世界最高の、高級自動車を作る技術力を有すると自負し
て来た?)ヨーロッパの高級自動車会社(Mercedes-Benz、BMW、Jaguar)に、衝撃を与え、Mercedes-Benz、BMW、
Jaguar等は、初代、Lexus LSを、徹底的に研究し、初代、Lexus
LSは、その後の、世界の高級自動車に、影響を与えました。これに対し、初代、Lexus LSと同時期に登場した、初代、Lexus
LSの、(日産(nissan)自動車の)、ライバル(rival)車である、日産(nissan)自動車の、初代、INFINITI
Q45(1989年に、デビュー(debut))(4.5 L
V8エンジン(engine)を搭載する、大型の、高級自動車)は、デザイン(design)は、冒険的、個性的であったものの(評価は、分かれるデザイ
ン(design)だと思います)、自動車自体の、完成度は、当時の、アメリカの高級自動車を、少し上回る程度で(おそらく。。。)、日本の自動車なの
で、当時の、アメリカの自動車と、ヨーロッパの自動車(ドイツの自動車、Jaguar等)に比べて、品質は、良かったと思いますが(もっとも、品質は、
Lexus
LSには、かなりの差で、負けていたと思います)、その特徴的なデザイン(design)を除けば、世界の高級自動車会社及び、日本国内外の消費者を、特
別に驚かせるような物はありませんでした。



prince自動車が、1966年に、日産(nissan)自動車に吸収され
てからの、日産(nissan)自動車の、prince自動車の伝統・技術を引き継ぐ、自動車である、日産(nissan)、SKYLINE、及び、
SKYLINE  GT-Rについては、次回の投稿で紹介します。




以下、板違い防止的な写真になってしまいますが。。。





真以下2枚。この日、PRINCE&SKYLINE
MUSEUMへ行く前の話ですが。。。この日の夕食のレストランの予約を遅い時間にした為(まあ、ぎりぎりで(比較的、間際に)予約するのが、悪いのです
が、この前後の日は、予約が一杯で、また、この日も遅い時間しか空いていなかった)、PRINCE&SKYLINE
MUSEUMから、一旦、別荘に帰って来た後、夕食までに、おやつ・間食としてケーキ(cake)を食べようと思い、別荘周辺のマートで買い物をした帰り
に、別荘周辺のケーキ(cake)・西洋菓子店の一つに寄り、ケーキ(cake)を買って、別荘に戻り、ケーキ(cake)を冷蔵庫に入れて、すぐに、
PRINCE&SKYLINE MUSEUMへ向かいました。



写真以下2枚。この時、ケーキ(cake)を買った、ケーキ(cake)・西洋菓子店。この店は、前から、ちょっと気になっていた店ですが、この時、初めて利用しました。安い値段の、庶民的な、ケーキ(cake)・西洋菓子店です。





















局、PRINCE&SKYLINE
MUSEUM等から、一旦、別荘に帰って来た後、レストランに夕食を食べに行くまでの間、バタバタしてしまい、ケーキ(cake)を食べる時間がなく、結
局、レストランで夕食を食べた後、別荘に帰って来てから、このケーキ(cake)を食べました。





の日の夜、別荘で食べた、この日、別荘周辺のケーキ(cake)・西洋菓子店の一つで買った、ケーキ(cake)。左、私が食べた、チーズ
(cheese)系の、ケーキ(cake)。右、彼女が食べた、抹茶(緑茶・green
tea)系の、ケーキ(cake)。ちなみに、この日の夕食については、次回の、投稿で、アップ(upload)します。




初夏の高原滞在&食べ物7へ続く。。。









초여름의 고원 체재&음식 6






조금 전의 일입니다만, 7월의 전반, 도쿄의 우리 집으로부터 자동차로 2 시간 반정도의, 나가노(nagano) 현의 중남부의 고원지대(피서지)에 있는 별장(별장이라고는 해도, 비교적 유복한 사람들이 보유하는 것 같은 전형적인 별장이 아니고, 서민적인 중고의 독립주택입니다)에 체재했을 때의 물건입니다.




이하, 초여름의 고원 체재&음식 5로부터의 계속...



이하, 이 때의, 4일째(이하, 이 날이라고 씁니다)의 계속입니다.



이 날도, 날씨가 나쁘고(날씨는, 비로), 하이킹(hiking) 해도, 어쩔 수 없다고 하는 일로, 이 날은, 스와(suwa) 호수 주변의 분지 area의, 오카다니(okaya) 시에 있는, PRINCE&SKYLINE MUSEUM를 방문했습니다.



장 야(nagano) 현의, 나의 별장이 있는 에리어 (area)(나가노(nagano) 현의 중남부 area)는, 크고, 스와(suwa) 호수(아래의 보충 설명 참조) 주변의 분지 에리어(area)와 고원 에리 아(area)로 나누어집니다.나의 별장은, 고원 에리어(area)에 있습니다만, 고원 에리어(area)와 스와(suwa) 호수 주변의 분지 에리어 (area)의 사이는, 자동차로 간단하게 왕래 할 수 있습니다.
스와(suwa) 호수:나가노(nagano) 현의 중남부에 있는 큰 호수.스와(suwa) 호수 주변은, 온천이 풍부하고, 규모가 큰 온천 보양지등이 되고 있습니다.




스와(suwa) 호수 주변의 분지 에리어 (area)는, 스와(suwa) 시(인구, 약 5만명), 시모스와(shimosuawa) 마치(인구 약 2만명), 오카다니(okaya) 시(인구, 약 5만명)와 세 개의, 지방 자치체로부터 되어 있습니다.



와 의 날은, 스와(suwa) 호수 주변의 분지 에리어(area)의, 오카다니(okaya) 시(인구, 약 5만명정도의, 소도시)에 있는, PRINCE&SKYLINE MUSEUM를 방문했습니다.PRINCE&SKYLINE MUSEUM는, SKYLINE, SKYLINE GT-R, (SKYLINE를 낳은, 자동차 회사이다) prince 자동차의 자동차 전문의, 자동차 박물관입니다. PRINCE&SKYLINE MUSEUM는, SKYLINE 및 SKYLINE GT-R를 사랑하는, 일본내의, 개인의 자동차 애호가들의 열의에 의해, 설립된 자동차 박물관이라고 하는 특징을 가지는 미술관인 일로부터, PRINCE&SKYLINE MUSEUM가, 전시 전용의 자동차로서 소유하는 자동차는, 불과 3대뿐이어, 그 외의, PRINCE&SKYLINE MUSEUM에 전시되고 있는, 자동차는, 모두, SKYLINE, SKYLINE GT-R, (SKYLINE를 낳은, 자동차 회사이다) prince 자동차의 자동차를 사랑하는, 일본내의, 개인의 자동차 애호가들이, 각각, 자신 들이, 개인으로, 소유하는, SKYLINE, SKYLINE GT-R, prince 자동차의 자동차를, 아마 무상으로(아마 무료로), PRINCE&SKYLINE MUSEUM에 대출하고 있는 것이 되고 있습니다.



또, 일본에는, 많은 자동차 박물관이 있습니다만, 일본제의 자동차의, 단일의 차종(PRINCE&SKYLINE MUSEUM의 경우, SKYLINE(SKYLINE GT-R를 포함한다))를 전문으로 하는, 자동차 박물관은, 매우 드문 것이 되고 있어(아마...), 그것도, 이 자동차 박물관의, 큰 특징이 되어 지금 .그 만큼, 일본내에 있고, SKYLINE, 및, SKYLINE  GT-R라고 말하는, 자동차의, 브랜드(brand) 력이 높다고 말할 수 있겠지요.덧붙여서, SKYLINE는, (그 역사도 포함하고), 일본을 대표하는, GT 카(아래의 보충 설명 참조)이며, SKYLINE의, 스포츠카(sports car) 판이며, 세계 최고 수준의 성능을 가지는, 스포츠카(sports car)인, SKYLINE GT-R(현재는, 닛산(nissan) GT-R)은, 일본을 대표하는, 스포츠카(sports car)의 하나가 되고 있습니다.
GT카: 세단(sedan)의 승차감의 좋은 점·정숙성·차내의 쾌적성과(스포츠카(sports car)와 같이) 빠르게 달리는 성능을 맞춘, 세단(sedan)과 스포츠카(sports car)의 중간과 같은 자동차.일반적으로, 세단(sedan)보다, 공력을 생각한 유선형의 외관.장거리를, 고속으로 , 쾌적하게 이동하는데 적합한 승용차.




prince 자동차(1947년 설립)는, (제이차 세계대전이 끝날 때까지, 미츠비시(mitsubishi) 중공업과 함께, 일본의, 2대, 비행기 회사에서 만난) 나카지마 (nakajima) 비행기(1917년 설립)를 전신으로 하는, 자동차 회사입니다(나카지마(nakajima) 비행기에 대해서는, 전회의 투고, 참조).연관되어 에, prince 자동차와 함께, 나카지마(nakajima) 비행기를 전신으로 하는, 일본의 대규모 자동차 회사에, 스바루(subaru)(1945년 설립)가 (스바루(subaru)는, prince 자동차와 달리, 현재까지, 존속.스바루(subaru)에 대해서, 자세한 것은, 전회의 투고 참조).




일 책의 비행기의 기술은, 제1차 세계 대전과 제이차 세계대전의, 전 간기의 후기(1930년대 후반)에는, 세계 수준에 이르렀습니다만, 제이차 세계대전에 대하고, 패 전국이 된(연합군에 대해서, 무조건 항복 한) 일본은, 연합국군(실질적으로는, 미국)의 기관에 의해, 제이차 세계대전 후, 당분간의 사이, 비행기의 개 발·생산이 금지되어 버렸습니다(대학의 수업으로부터 항공 역학의 과목을 제거되어도 했습니다).이것에 의해, 일본의 비행기의 기술의, 발전은, 당분간의 사이, 공백이 되어(끊어져) 버렸습니다.그렇지만, 갈 곳을 잃은, 일본의 비행기의 개발자·기사(engineer) 들의 상당수는, 자동차 산업으로 옮겨 (자동차의 개발자·기사(engineer)로 전직해), (물론, 비행기의 기술과 자동차의 기술은, 비슷한 부분도 있지만, 다른 부분도 많기 때문에, 그것에 의해, 일본의 자동차 기술이, 즉시, 세계 수준에 이른 것은 아니고, 일본의 자동차 기술이, 세계 수준에 이르려면 , 시간이 걸렸습니다만), 제2차 세계 대전 후의, 일본의 자동차 기술 및 자동차 산업의 발전의 기초를 쌓아 올리는데, 적지않은 공헌을 했습니다.





이하, PRINCE&SKYLINE MUSEUM의 계속입니다.PRINCE&SKYLINE MUSEUM는, 전시하는 자동차를 정기적으로 바꾸어 넣으면서, 상시, 30대 정도의, SKYLINE, SKYLINE GT-R, (SKYLINE를 낳은, 자동차 회사이다) prince 자동차의, 자동차를 전시하고 있는 것 같습니다.




사진 진이하 14매.(SKYLINE를 낳은, 자동차 회사이다) prince 자동차의, 자동차의 예.(SKYLINE를 낳은, 자동차 회사에서 ) prince 자동차는, 1947년부터, 1966년에, 닛산(nissan) 자동차에 흡수될 때까지 존재한, 일본의, 대규모 자동차 회사(다만, 대 규모 자동차 회사로서는, 규모는, 작다)로, 고급 자동차 회사입니다.




사진 이하 2매.초대, Prince, SKYLINE.PRINCE&SKYLINE MUSEUM의 전시보다...1957년에, 데뷔(debut)한, prince 자동차의, 승용차입니다.당시의, 토요타(toyoya)의, 동 class의, 소형의 고급 자동차에 비해, 성능이 뛰어난 엔진(engine), 아득하게 뛰어난 기구를 가지는, 선진적 자동차였습니다.디자인 (design)(은)는, 당시의, 토요타(toyoya)의 자동차등과 같이, (당시 , 세계의, 압도적인, 자동차 생산국·자동차 대국인) 미국의 자동차 의 디자인(design)의 영향을 강하게 받은 것이 되고 있습니다(아마, 당시는, 일본 뿐만 아니라, 세계에 있어도, 고급 자동차라고 말하면, 미국의 자동차라고 하는 이미지가, 강했던 시대이다고 생각합니다.그 만큼, 미국이, 세계에 있고, 압도적으로 풍부하고, 기세가 있는 시대였습니다).덧붙여서, 현재 (은)는 아무쪼록 모릅니다만, 적어도, 조금 전까지는, 쿠바(Cuba)에는, 이와 같은 느낌의, 1950년대의, 미국제의, 소형의 자동차가, 싶고 씨 달리고 있던 같습니다.























평 총(hiratsuka) 시 미술관(도쿄의, 남부 근교에 있는 미술관)에서, 2009년에 개최된, 닛산(nissan)의 자동차의 디자인 (design)의 역사의 전람회(exhibition)에서...Prince, SKYLINE BLRA-3.1962년에, 데뷔(debut) 한, prince 자동차의, 고급 자동차입니다.디자인(design)은, 이탈리아의, Giovanni Michelotti가 다루었습니다...







사진 진이하 3매.2대째, Prince, GLORIA(S40형계, Prince, GLORIA).PRINCE&SKYLINE MUSEUM의 전시보다...1962년에, 데뷔(debut)한, prince 자동차의, 중형의, 고급 자동차입니다.2대째, Prince, GLORIA(S40형계, Prince, GLORIA)에 탑재되고 있던, 2.0 L (1988 cc)의, 직렬 6 기통의, PRINCE 자동차제의, 엔진(engine)은, 아마, 당시 , 2.0 L이하의 자동차의 엔진(engine)으로서는, 세계에서도, 최고 수준의 성능이었습니다(아마, 당시 , 이 PRINCE 자동차제의, 직렬 6 기통, 2.0 L (1988 cc) 엔진(engine)에 필적하는 수준의, 2.0 L이하의 자동차의 엔진(engine)을 설계·제조하는 기술력을 가지는 자동차 회사는, 세계에서도, BMW위였습니다).2대째, Prince, GLORIA(S40형계, Prince, GLORIA)는, 디자인(design)도, 꽤, 좋은(디자인(design)도, 우수하다) 자동차 (이)라고 생각합니다.가능성은, 낮았다고 생각합니다만, 2대째, Prince, GLORIA(S40형계, Prince, GLORIA)는, prince 자동차 하지만, 멸망하지 않고 , 순조롭게 발전해서 가면, BMW와 같은, 고급 자동차 회사가 되어 있던 것은 아닐까 느끼게 하는 것 같은 자동차입니다.




























2 대째, Prince, GLORIA(S40형계, Prince, GLORIA)는, 1964년의 도쿄 하계 Olympics(일본, 한편, 아시아에서, 최초 의, Olympics.원래, 일본, 한편, 아시아에서, 최초의, Olympics는, 1940년에, 도쿄에서 개최될 예정이었지만, 전쟁의 영향으로 중지와 , 결국, 일본, 한편, 아시아에서, 최초의, Olympics는, 1964년의 도쿄 하계 Olympics까지, 기다리지 않으면 안되었습니다)의 공용 자동차 의 하나로서 채용되어 prince 자동차는, 1964년의 도쿄 하계 Olympics에, 105대의, 2대째, Prince, GLORIA(S40형계, Prince, GLORIA)를 제공했습니다.사진 이하 3매는, 1964년의 도쿄 하계 Olympics 사양의, 2대째, Prince, GLORIA(S40형계, Prince, GLORIA)입니다.PRINCE&SKYLINE MUSEUM의 전시보다...




























1964 해에 판매가 개시된, prince 자동차의, 소형의, 트럭(truck)입니다.PRINCE&SKYLINE MUSEUM의 전시보다...이하, 이, 트럭(truck) 관한 설명은, PRINCE&SKYLINE MUSEUM의 전시 해설을 참고로 했습니다.소형의 상용의 트럭(truck)이면서, 승용차에 필적하는, 기술 수준과 진보적인 기구를, 여기저기에 가셔 째, 그, 동력 성능 뿐만 아니라, 승차감에서도, 라이벌(rival) 차를, 압도하고 있었습니다.






사진 진이하 2매.사진은, 차용물.Prince, R380(1966년에, prince 자동차가, 닛산(nissan) 자동차에 흡수된 다음은, Nissan R380와 개명).Prince, R380는, 1965년에 등장한, prince 자동차가 개발한, 레이싱 카(racing car)입니다.Prince, R380(Nissan R380)는, 일본내의 자동차 레이스(car racing)에 두고, Porsche의 레이싱 카(racing car)를 찢어, 활약했습니다.Prince, , R380(Nissan R380)는, 1967년에, 7의, 세계 속도, 신기록을 수립했습니다(wiki보다...).



사진의 작자:Mytho88








사진의 작자:Iwao






사진 진이하 2매(사진은, 차용물).Prince  Royal.이하, Prince Royal에 관한 설명은, wiki를 참고로 했습니다.Prince Royal(1967년에 등장)는, (닛산(nissan) 자동차에 흡수되기 전에 대해) prince 자동차가 개발해, 1967년부터 1972년에 써라 (이)라고 닛산(nissan) 자동차가 제조한(7대가, 제조되어 납입되었습니다), 일본의, 황실(천황가) 전용의, V형 8 기통 W64형 6.4L(6,473cc )의, 엔진(engine)(일본제의 승용차용의 엔진(engine)으로서는 사상 최대급의 엔진(engine))을 탑재한, 승용차입니다. 일본의 황실(천황가)은, 1912년, 공식의 탈 것으로서 마차에 대신해 자동차를 처음으로 채용했습니다만, 이래, 공식의 자동차는, Prince Royal가 채용될 때까지는, 제이차 세계대전 전후를 통해서, 모두, 롤스 로이스(Rolls-Royce) 등의, 수입, 대형, 고급 자동차를 채용해 왔습니다(왜냐하면, 그것까지, 일본에는, 선진국의, 황실·왕족·국가원수가, 공식의 자동차로서 사용하는 것에 적합할 정도의 수준의, limousine 타입 의, 대형의, 고급 승용차를, 독자적으로, 개발·제조하는 기술이 없었기 때문입니다).Prince Royal는, 일반적으로는, 판매되지 않았습니다만, 만일, 일반적으로 판매되고, 일본의, 부자들에게 지지를 받고, 성장해서 간 것이라면, 혹시, 일본 판의, 롤스 로이스(Rolls-Royce)와 같은, 브랜드(brand)가 되어 있었을지도 모릅니다.덧붙여서, 현재의(Prince Royal의 후계의), 일본의 황실(천황가)의, 공식의 자동차는, 2006년부터 2008년에, 토요타(toyota) 자동차가 제조한, 토요타 (toyota) 자동차의, 일본의, 황실(천황가) 전용의(일반적으로는, 판매되지 않는다), V형 12 기통, 5 L엔진(engine)의 승용차, 토요타 (toyota) CENTURY ROYAL입니다(4대가 제조되어 납입되었습니다).덧붙여서, 일본의 황실(천황가)의, 역대의, 공식의 자동차는, Daimler (1912년부터), 롤스 로이스(Rolls-Royce)(1921년부터), Mercedes-Benz(1932년부터.다만, 롤스· 로이스(Rolls-Royce)도, 1936년까지, 사용되고 있다), Cadillac(1951년부터...다만, 1957년으로 1961년에, 롤스 로이스(Rolls-Royce)도 도입되고 있다), Prince Royal(1967년부터), 토요타(toyota) CENTURY ROYAL(2006년부터)가 되고 있어 웬지 모르게, 그때그때의, 일본의, 국정, 세계 상황, 세계의 나라들의 추세를, 반영하고 있는 것 같은 생각이 듭니다.


사진의 작자:Photo by me.





사진의 작자:Photo by me.







prince 자동차가, 존재했던 시대는, 제이차 세계대전 직후의 혼란은, 일단락했지만, 아직, 경제 부흥의 도중에, 일본은, 아직 궁핍하고, 제이차 세계대전 이전이나 제2차 세계 대전직후의 궁핍함의 자취가 있었던 시대입니다.그 한편에 있고, 누구나가, 일본이 급속히 경제성장을 하고 있는 일을 실감 되어있어 언젠가는, 일본이 구미의 부유인 선진 나라에 따라 잡아 앞지를 것이라고 하는 희망과 언젠가는, 일본을 구미의 부유인 선진국을 따라 잡아, 앞지르게 해 보인다고 하는 기백으로 가득 차 흘러넘치고 있었던 시대라고 한 감 글자입니까...일본은, 제1차 세계 대전(1914년부터 1918년)이 끝나는 무렵에는, 명실보조자에, 공업국 한편 세계의 대국(열강)의 하나가 되었습니다만(일 책은, 제1차 세계 대전 후는, 전승국 한편 자본주의 공업국 한편 대국으로서 영국, 프랑스, 이탈리아와 보조자에, 국제연맹(League of nations)의 발족시의 상임이사국이 되었습니다), 그 한편, 일본과(일본보다 훨씬 더 전부터, 강력하게 공업화나 인프라 (infrastructure) 정비를 추진하고 있던) 영국, 독일, 미국등과의 차이는, 훨씬 크고, 또, 일본은, 도중 , 제이차 세계대전에 있고, 각 산업이 괴멸적인 손해를 입은 일등도 있고, (일본은), 1960년대 초 무렵까지(특히 1950년대무렵까지)는, 남 유럽 제국(이탈리아, 스페인, 포 르트갈(Portugal), 그리스(Greece)) 등과 보조자에, 자본주의 공업국(혹은, 자본주의적인 공업국.제이차 세계대전 후는, 서쪽 선진 공업 나라) 중(안)에서는, 가장 궁핍하고, 농업국적이고, 후진적인 그룹(group)에 속하고 있었습니다.



스바루(subaru) (와)과 같을, 나카지마(nakajima) 비행기를 전신으로 하는, 자동차 회사에서도, 대중적인 자동차 회사를 목표로 한(대중적인 자동차 회사에서 만난), 스바루 (subaru) (와)과 달리, 고급 자동차 회사를 목표로 한(고급 자동차 회사에서 만난), prince 자동차는, 경영이 능숙하게 가지 않게 되어, 1966년에, 닛산(nissan) 자동차(일본의, 3대, 자동차 회사의 하나)에 흡수되어 소멸했습니다.prince 자동차가, 멸망한, 주된 이유로서 회사의 규모로부터 생각하고, 수익성(이익 이익)을, 도외시한(무시한), 연구 개발비의 높이(prince 자동차의, 당시의, 연구 개발비는, (prince 자동차보다, 아득하게(쭉) 대나무 자동차 회사에서 만난), 당시의, 닛산(nissan) 자동차보다 비쌌다 같습니다.현재의 감각으로 말하면, Mazda나 스바루(subaru)의, 연구개 발비가, 토요타(toyota)까지는 가지 않지만, 닛산(nissan)이나 혼다(honda)를, 웃돈다고 한, 이미지일까...)(와)과 고급 자동차 회사를 지탱하는만큼, 아직, 일본의 국내 시장(일본의 소비자)이 풍부하지 않았다고 말하는 것이 들 수 있습니다.일본의 국내 시장만으로는, 불충분해요라면, 해외 그리고(세계에서), 팔면 좋을까도 생각합니다만, 당시는, 아직, 자동차를 포함한, 일본의 공업제품의, 브랜드(brand) 력은, 전반적으로, 별로 비싸(높)지는 않고, 일본의 자동차 회사가, 갑자기, 세계에, 고급 자동차를 판매해도, 많이 파는 것은, 무리였다고 생각합니다.예를 들면, 현재에 있고, 스페인이나, 포 르트갈(Portugal), 그리스로부터, Mercedes-Benz나 BMW와 동일한 정도의 기술력을 가진다(반대로 말하면, 전반적으로, Mercedes- Benz나 BMW를 넘는 기술력이 아니다) 자동차 회사가 등장했다고 해도, 갑자기, 세계에서, 많은, 고급 자동차를 파는 것은 무리이다라고 생각합니다.가 에, prince 자동차가, (모든 나라들을 맞추면), 당시의 일본이란, 비교도 되지 않는 위의, 부유층이 있던, 당시의, 유럽에 존재한 자동차 회사 에서 만난 것이라면, prince 자동차는, 멸망하는 일은 없고, Mercedes-Benz나 BMW까지는 가지 않지만, Alfa Romeo나 Saab 자동차(Saab 자동차는, 근년, 파산했습니다만...) 정도의, 자동차 회사·자동차 brand로서 존속하며 있었을지도 몰라 키 응.




prince 자동차는, 경영이 능숙하게 가지 않게 되어, 1966년에, 닛산(nissan) 자동차에 흡수되어 소멸했습니다만, prince 자동차의 기술자 및 기술은, 닛산(nissan) 자동차의 경영방침의 제약을 받으면서도, 닛산(nissan) 자동차에 승계 되었습니다.닛산(nissan) 자동차(1911년 창업.1910년대에 승용차의 생산을 개시(전에 kj의 투고로, 1931년에 승용차의 생산을 개시라고 써 했지만, 1910년대가 잘못해였습니다.끝나지 않습니다))는, 토요타(toyota)(1936년에 승용차의 생산을 개시) 등과 함께, 일본의 자동차 회사안에서 (은)는, 비교적, 승용차의 생산의 역사의 긴 회사이며, 1980년대까지는, 토요타(Toyota)와 보조자에, 일본의 2대자동차 회사였습니다.




일 출산(nissan) 자동차는, 일본의, 3대자동차 회사(토요타(Toyota),닛산(Nissan),혼다(honda)) 중의 하나입니다.3대자동차 회사안에서도, 토요타(Toyota)가 빼기응 나와 있고(일본 최대의 자동차 회사에서 있으면 보조자에, 세계 최대급의 자동차 회사), 닛산(Nissan)과 혼다 (honda)(은)는, 토요타(Toyota)에 뒤잇는, 일본에서 2번째로 큰 자동차 회사의 지위를 싸우는 관계에 있습니다.일본의 자동차 회사의 주요한 시장은, 일본과 미국입니다만, 미국에서는, 닛산(Nissan)보다, 혼다(honda)가, brand력도 위에서, 존재감도 있습니다만, 일본에서는, 혼다 (honda)보다, 닛산(Nissan)이, 전통적으로, brand력도 위에서, 존재감도 있는 것 같은 생각이 듭니다.자동차 판매 대수도, 미국에서는, 혼다 (honda)>닛산(Nissan)입니다만, 일본에서는, 전통적으로, 닛산(Nissan)>혼다(honda)가 되고 있습니다.닛산(Nissan) 자동 차는, 1980년대까지는, 토요타(Toyota)와 보조자에, 일본의 2대자동차 회사였지만(혼다(honda)는, 미츠비시(mitsubishi), 마츠다 (Mazda)(와)과 보조자에, 일본에서 3번째로 큰 자동차 회사의 지위를 싸우는 회사에 지나지 않았다), 1990년대 이후, 경영이 악화되어, 토요타(Toyota)에, 크게 차가 났습니다.



닛산(nissan) 자동차는, 이전에는, 기술의 닛산(nissan)으로 불려 팔린다(대 사람들의, 소비자의, 요구(필요성)에 응하고, 상품력이 비싸다) 자동차를 만드는 것은, 닛산(nissan)보다, 토요타(Toyota)가 능숙했습니다만, 닛산(nissan) 자동차는, 토요타(Toyota)보다, 높은, 자동차의 기술력을 가지고 있었습니다.



혼다 (honda)(1946년 창업)는, 자동차의 분야에 진출한 것은, 1963년의 일로(다만, 그 이전부터, 오토바이(motorcycle) 회사의 기술력으로서는, 제대로 한 것이 있던), 일본의 대규모 자동차 회사안에서는, 가장, 후발의 자동차 회사입니다만, 모험적·혁신적인 발상의, 자동차를 만들어, 젊은층의 마음을 파악하는 일에 의해, 성장해 왔습니다.




한 옛날전까지는, 닛산(nissan) 자동차와 혼다 (honda)(이)가, 새로운 발상의 자동차를 발매하고, 새로운 시장을 개척한 후, 토요타(Toyota) 자동차는, 그 발상을 흉내낸 다음, 그것을 웃도는, 상품 힘의 높은(보다 , 소비자의, 요구(필요성)에 응한다) 자동차를, 개발·발매해, 닛산(nissan) 자동차와 혼다(honda)가, 개척한 시장을 빼앗는다 일에 의해, 성장해 왔습니다.



이와 같게, 한 옛날전까지는, 닛산(nissan) 자동차는, 기술면에 대하고, 혼다 (honda)(은)는, 모험적·혁신적인 발상에 대하고, 각각, 토요타(Toyota) 자동차를, 웃돌고 있었습니다만, 현재는, 토요타(Toyota) 자 동차의, 단독 승리 상태에 의해, 그 상황은, 바뀌어 와있습니다.



우선, 현재는, 대기업 체질이 되어 버린, 혼다(honda)는, 대기업병이라고 말하는지, 전에 비해, 보수적이 되어, 전에 비해, 모험적·혁신적인 발상의, 자동차는, 별로 내지 않게 된 같은 생각이 듭니다.



, 이전에는, 닛산(nissan) 자동차는, 토요타(Toyota) 자동차와 일본 최대의 자동차 회사의 지위를 싸우는 관계에 있었습니다만, 현재는, 토요타 (Toyota) 자동차는, 닛산(nissan) 자동차에, 대차를 내고, 일본에서, 최대의 자동차 회사가 되고 있습니다.이 일은, 토요타(Toyota) 자 동차는, 닛산(nissan) 자동차에 비해, 아득하게(쭉), 많은, 돈을, 자동차의 연구 개발에 걸칠 수가 있는 일을 의미합니다.이와 같은 일등인가 들 , 현재는, 닛산(nissan) 자동차는, 토요타(Toyota) 자동차에, 기술면에 대하고, 유리하게 서기는 커녕, 열세한 상태가 되고 있습니다.



일 출산(nissan) 자동차가, 토요타(Toyota) 자동차에, 기술면에 대하고, 열세하게 서는, 큰 전환기는, 개인적으로, 1989년의, 초대, Lexus LS(4.0L V8엔진(engine)을 탑재하는, 토요타(Toyota) 자동차의, 대형의, 고급 자동차)의 등장이다고 생각합니다.초대, Lexus LS의, 당시의, 세계의 다른 고급 자동차에 비한, 압도적인 정숙성(고급 자동차의 정숙성은, 전통적으로, 토요타(Toyota)가, 자랑으로 여겨 온 곳입니다만, Lexus LS에 대해서는, 정숙성을, 게다가 높은 차원에서, 실현시켰습니다)와 압도적인 품질은, (그것까지, 세계 최고의, 고급 자동차를 만드는 기술력을 가진다고 자부해 (이)라고 왔어?) 유럽의 고급 자동차 회사(Mercedes-Benz, BMW, Jaguar)에, 충격을 주어 Mercedes-Benz, BMW, Jaguar등은, 초대, Lexus LS를, 철저하게 연구해, 초대, Lexus LS는, 그 후의, 세계의 고급 자동차에, 영향을 주었습니다.이것에 대해, 초대, Lexus LS와 동시기에 등장한, 초대, Lexus LS의, (닛산(nissan) 자동차의), 라이벌(rival) 차인, 닛산(nissan) 자동차의, 초대, INFINITI Q45(1989년에, 데뷔(debut))(4.5 L V8엔진(engine)을 탑재하는, 대형의, 고급 자동차)은, 디자인(design)은, 모험적, 개성적이었지만(평가는, 나뉘는 데자이 (design)라고 생각합니다), 자동차 자체의, 완성도는, 당시의, 미국의 고급 자동차를, 조금 웃도는 정도로(아마...), 일본의 자동차야 그리고, 당시의, 미국의 자동차와 유럽의 자동차(독일의 자동차, Jaguar등 )에 비해, 품질은, 좋았다고 생각합니다만(가장, 품질은, Lexus LS에는, 상당한 차이로, 지고 있었다고 생각합니다), 그 특징적인 디자인(design)을 제외하면, 세계의 고급 자동차 회사 및, 일본 내외의 소비자를, 특 따로 놀래키는 것은 없었습니다.



prince 자동차가, 1966년에, 닛산(nissan) 자동차에 흡수되어 (이)라고로부터의, 닛산(nissan) 자동차의, prince 자동차의 전통·기술을 계승하는, 자동차인, 닛산(nissan), SKYLINE, 및, SKYLINE  GT-R에 대해서는, 다음 번의 투고로 소개합니다.




이하, 판차이 방지적인 사진이 되어 버립니다만...



사진 진이하 2매.이 날, PRINCE&SKYLINE MUSEUM에 가기 전의 이야기입니다만...이 날의 저녁 식사의 레스토랑의 예약을 늦은 시간으로 한 때문(뭐, 아슬 아슬하게(비교적, 직전에) 예약하는 것이, 나쁩니다 하지만, 이 전후의 날은, 예약이 가득하고, 또, 이 날도 늦은 시간 밖에 비지 않았었다), PRINCE&SKYLINE MUSEUM로부터, 일단, 별장에 돌아온 후, 저녁 식사까지, 간식·간식으로서 케이크(cake)를 먹으려고 해, 별장 주변의 마트에서 쇼핑을 한 귀가 에, 별장 주변의 케이크(cake)·서양 과자점의 하나에 들러, 케이크(cake)를 사고, 별장으로 돌아와, 케이크(cake)를 냉장고에 넣고, 곧바로, PRINCE&SKYLINE MUSEUM로 향했습니다.



사진 이하 2매.이 때, 케이크(cake)를 산, 케이크(cake)·서양 과자점.이 가게는, 전부터, 조금 신경이 쓰이고 있던 가게입니다만, 이 때, 처음으로 이용했습니다.싼 가격의, 서민적인, 케이크(cake)·서양 과자점입니다.




















결 국, PRINCE&SKYLINE MUSEUM등으로부터, 일단, 별장에 돌아온 후, 레스토랑에 저녁 식사를 먹으러 갈 때까지 , 푸드득푸드득 해 버려, 케이크(cake)를 먹을 시간이 없고, 결 국, 레스토랑에서 저녁 식사를 먹은 후, 별장에 돌아오고 나서, 이 케이크(cake)를 먹었습니다.




와 의 날의 밤, 별장에서 먹은, 이 날, 별장 주변의 케이크(cake)·서양 과자점의 하나에 산, 케이크(cake).왼쪽, 내가 먹은, 치즈 (cheese) 계의, 케이크(cake).오른쪽, 그녀가 먹은, 가루차(녹차·green tea) 계의, 케이크(cake).덧붙여서, 이 날의 저녁 식사에 대해서는, 다음 번의, 투고로, 업(upload) 합니다.




초여름의 고원 체재&음식 7에 계속 된다...









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