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基本的に(参考の投稿を入れ替える等しています)、2019年の12月の後半に行った投稿の再掲です。


以下の投稿の続きです。

400年近い歴史を有する温泉旅館他3→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3746980?&sfl=membername&stx=nnemon2



以下、「以下、400年近い歴史を有する温泉旅館他3からの続きです。。。」と言う文までは、前回の投稿と重複します。



私の両親に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。

小津 安二郎映画「晩春」他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_2/view/id/3580708/page/2?&sfl=membername&stx=nnemon2
以下2つ。すぐ上でリンクを付けた投稿の関連投稿。
嫁と姑の話前編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3618226/page/20?&sfl=membername&stx=nnemon2
嫁と姑の話後編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3618225/page/20?&sfl=membername&stx=nnemon2





以下、「」内。私の母と、私の彼女(私の今の彼女)を連れて、私、私の母、彼女(私の今の彼女)の、3人で、湯河原の伊藤屋に泊まった時に関する投稿から抜粋して来た物です。


「以下、前に行った投稿から抜粋して来た物で、私が、近所の実家の私の母と、彼女を連れて(私と、私の母と、彼女の3人で)、湯河原(yugawara)の、伊藤屋(itouya)と言う歴史のある高級温泉旅館に宿泊して来た時の物です。ちなみに、この時の、少し前には、彼女と、彼女の母を連れて(私と、彼女と、彼女の母の3人で)、湯河原(yugawara)の、山翠楼(sansuirou)と言う高級classの温泉旅館に一泊して来ました(ちなみに、山翠楼(sansuirou)は、彼女と二人でも宿泊した事があります)。ちなみに、何れの形態の旅行(私と、私の母と、彼女の3人の宿泊を伴う旅行、及び、私と、彼女と、彼女の母の3人の宿泊を伴う旅行)も、とても珍しい物で、と言うか、今まで、それぞれ、その時(私の母と、彼女を連れて(私と、私の母と、彼女の3人で)、湯河原(yugawara)の伊藤屋(itouya)に宿泊した時と、彼女と、彼女の母を連れて(私と、彼女と、彼女の母の3人で)、湯河原(yugawara)の、山翠楼(sansuirou)に宿泊した時)、1回だけです。

ちなみに、彼女と彼女の母の仲は、決して上手く行っている訳ではないのですが、私と、彼女の母の仲は、特に悪くも何もありません(彼女の母の、私に対する、人当たりは、良いですと言うか、何故か、不思議と、気に入られてる感すらありますw)。


ちなみに、この、私が、近所の実家の私の母と、彼女を連れて(私と、私の母と、彼女の3人で)、湯河原(yugawara)の、伊藤屋(itouya)と言う歴史のある高級温泉旅館に宿泊して来た時の旅行も、私が、彼女と、彼女の母を連れて(私と、彼女と、彼女の母の3人で)、湯河原(yugawara)の、山翠楼(sansuirou)に宿泊した時の旅行も、旅館の宿泊費等、旅行の、お金は、全員分、私が、支払っています。」


彼女(私の今の彼女。以下、彼女と書きます)と彼女の母の関係性に関しては、以下の投稿を参照して下さい。

Cinderella(ヨーロッパの昔話)他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3478413/page/30?&sfl=membername&stx=nnemon2
アニメのテーマ曲他3→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3588995/page/24?&sfl=membername&stx=nnemon2





以下、「」内、前に行った投稿から抜粋して来た物です。


「私は、その時の事に関して、kjで、アップ(upload)していますが、私は、一昨年の、2月の終わりに、(我が家の近所の私の実家の)両親を連れて、箱根(hakone)の、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊して来ました。

私の2歳年下の弟(東京の西部郊外に暮らしています)は、既に、結婚して、子供がいて、今は、子育てに忙しいので、今の所、こう言う役割は、私と言う事で。。。

その前の年の12月の初めに、両親を連れて、箱根(hakone)の、萬翠楼 福住(bansuiro fukuzumi)と言う、温泉旅館に宿泊して来た時に(その時、両親と旅行したのは、とても久しぶりでした。その時の事も、kjで、アップ(upload)しています)、勢いで、両親に、今度、富士屋(fujiya)ホテルに連れて行くと言ってしまった事が、その時の、両親を連れた、富士屋(fujiya)ホテルの宿泊に、繋がりましたw(ちなみに、それから、私は、両親を旅行に連れて行っていませんし、これから、やや、しばらくの間は、両親を連れて旅行に行くかどうかは、ちょっと分かりませんw)。

富士屋(fujiya)ホテルがある、箱根(hakone)(東京圏(東京圏の南部を占める県である、神奈川(kanagawa)県)の、南西端部に位置します)は、日光(nikko)(栃木(tochigi)県(東京圏の北端に位置する県)に位置する)と並ぶ、東京近郊を代表するリゾート(resort)地・保養地・観光地・避暑地です。ちなみに、箱根(hakone)は、東京近郊を代表するリゾート(resort)地・保養地・観光地・避暑地であり、私の両親は、よく、箱根(hakone)に訪れていますし、私も、今まで、たくさん、箱根(hakone)に訪れています。

金谷(kanaya)ホテル(日光(nikko)を代表する、歴史のある高級リゾート(resort)ホテル。1873年開業)は、私は、子供の頃、私の母方の祖父に連れられて、(私の母方の祖父母、両親、弟と共に)、3回、大人になってから1回(女性と2人での、coupleでの宿泊)の、合計4回、宿泊した事があります。私の両親は、金谷(kanaya)ホテルは、私が、子供の頃に、私の母方の祖父(私の母方の祖父母)に連れられて、子供と共に(私と、私の弟と共に)、3回、宿泊した事があります。

前述の通り、私の母方の祖父は、普段の生活は、つましかったですが、何故か、家族を(妻、娘夫婦、孫)を、金谷(kanaya)ホテルに連れて行く事に関しては、気前が良かったです。ちなみに、日光(nikko)は、私の母方の祖父の、お気に入りの場所でした。

私は、富士屋(fujiya)ホテルは、今まで、6回、宿泊しています(一昨年の、2月の終わりに、(我が家の近所の私の実家の)両親を連れて、箱根(hakone)の、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊して来た時の、1回を除き、(残りの5回は)、全て、couple(女性と2人)での宿泊)。

(亡くなった)私の母方の祖父母は、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊した事がありましたが(母方の祖父母は夫婦で宿泊した事があり、母方の祖母に関しては、結婚前(子供の頃を含む)、母方の祖母の家族でも宿泊した事あり)、私の母は、その時まで、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊した事がありませんでした。また、私の父は、その時まで、富士屋(fujiya)ホテルは、会社の研修で、一度、宿泊した事がありましたが、個人的な旅行で宿泊した訳ではないので、富士屋(fujiya)ホテルの雰囲気を、ゆっくりと味わう事は、全く、出来なかったそうです。その様な事から、その前の年の12月の初めに、両親を連れて、箱根(hakone)の、萬翠楼 福住(bansuiro fukuzumi)と言う、温泉旅館に宿泊して来た時に(その時、両親と旅行したのは、とても久しぶりでした)、弾みで(勢いで)、両親に、今度、富士屋(fujiya)ホテルに連れて行くと言ってしまった事が、その時の、両親を連れた、富士屋(fujiya)ホテルの宿泊に繋がりましたw ちなみに、その時の、両親の、富士屋(fujiya)ホテルの印象が良かったらしく、両親は、その時から今まで、2回、夫婦で、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊している様です。


ちなみに、上記の、私の、両親を連れた、萬翠楼 福住(bansuiro fukuzumi)に宿泊した旅行、及び、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊した旅行の、宿泊費、食事代等は、両親の分を含めて、全て、私が支払っています。」


私の母方の祖父に関しては、以下の2つの投稿を参照して下さい(一部、父方の祖父の話も含みます)。

芸者(geisha)・祖父の話他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3658686/page/11?&sfl=membername&stx=nnemon2
旧朝香宮(asakanomiya)邸他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3658681/page/11?&sfl=membername&stx=nnemon2





以下、400年近い歴史を有する温泉旅館他3からの続きです。。。

 




以下、2016年に行った投稿から抜粋して来た物です(ほぼ再掲)。




去年の12月の初めに、(東京都心部の我が家の近所の、実家に暮らす)両親を連れて、箱根(hakone)に、一泊、二日の、小旅行に行って来た時の物です。両親と旅行したのは、この時、とても久しぶりでした(まあ、私の2歳年下の弟(東京の西部郊外に暮らしています)は、既に、結婚して、子供がいて、今は、子育てに忙しいので、今の所、こう言う役割は、私と言う事で。。。)。


箱根(hakone)(東京圏(東京圏の南部を占める県である、神奈川(kanagawa)県)の、南西端部に位置します)は、日光(nikko)(栃木(tochigi)県(東京圏の北端に位置する県)に位置する)と並ぶ、東京近郊を代表するリゾート(resort)地・保養地・観光地・避暑地です。


ちなみに、箱根(hakone)は、東京近郊を代表するリゾート(resort)地・保養地・観光地・避暑地であり、私の両親は、よく、箱根(hakone)に訪れていますし、私も、今まで、たくさん、箱根(hakone)に訪れています。



以下、この時の、初日の、続きです。


この時は、箱根(hakone)の、萬翠楼 福住(bansuiro fukuzumi)と言う、温泉旅館に宿泊しました。萬翠楼 福住(bansuiro fukuzumi)は、箱根(hakone)に、よく訪れている、私の両親も、(この時まで)、まだ宿泊した事がなく、私も、(この時まで)、宿泊した事がなく、前から、ちょっと気になっていて、いつかは、宿泊しようと思っていた旅館であったので、この機会に、宿泊する事にしました。


萬翠楼 福住(bansuiro fukuzumi)は、1625年創業の、400年近い歴史を有する、温泉旅館です。萬翠楼 福住(bansuiro fukuzumi)は、箱根(hakone)の玄関口であり、それ自体が、規模の大きな、温泉地(温泉保養地)となっている、箱根(hakone)湯本(yumoto)areaにあります。



萬翠楼 福住(bansuiro fukuzumi)は、箱根(hakone)を代表する、歴史のある、高級温泉旅館の一つとなっています(ちなみに、現代においては、箱根(hakone)には、萬翠楼 福住(bansuiro fukuzumi)よりも、高級な、新しい、温泉旅館・温泉リゾート(resort)ホテルは、少なくありません(かなりあります))。



萬翠楼 福住(bansuiro fukuzumi)は、客室数が、15程の、規模が小さな、高級温泉旅館です。


萬翠楼 福住(bansuiro fukuzumi)は、今まで、数え切れない程の、有名人が、宿泊し、また、貴族、作家(文学者・小説家)等も、多く、宿泊して来た温泉旅館です。


萬翠楼 福住(bansuiro fukuzumi)について、詳しくは、以下2つの投稿を参照して下さい。

400年近い歴史を有する温泉旅館他2→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3746982?&sfl=membername&stx=nnemon2
400年近い歴史を有する温泉旅館他3→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3746980?&sfl=membername&stx=nnemon2




この温泉旅館の、食事は、部屋出し(食堂(dining room)で食べるのでは無く、ホテルのroom serviceの様に、部屋まで料理が運ばれて来て、部屋で料理を食べる形式。もっとも、基本的に、料理が、一度に運ばれて来るroom serviceと異なり、料理は、夕食の場合、基本的に、一皿ずつ、出来立ての物が、運ばれて来る)、又は、それぞれの客室専用の、個室の、食堂(dining room)での食事となります。この時、私達は、この温泉旅館の、食事は、夕食も、朝食も、部屋出し(食堂(dining room)で食べるのでは無く、ホテルのroom serviceの様に、部屋まで料理が運ばれて来て、部屋で料理を食べる形式。もっとも、基本的に、料理が、一度に運ばれて来るroom serviceと異なり、料理は、夕食の場合、基本的に、一皿ずつ、出来立ての物が、運ばれて来る)で食べました。





写真以下19枚。この温泉旅館で食べた、この日の夕食。ちなみに、この夕食時は、飲み物は、主に、日本酒を飲みました。ちなみに、私の両親も、私も、酒(アルコール (alcoholic)飲料)は、割と、たくさん飲みます。箱根(hakone)は、小田原(odawara)等、良質な海産物(seafood)の産地が、周辺にある為、良質な、海産物(seafood)にも、恵まれています。
小田原(odawara):神奈川(kanagawa)県(東京圏の南部を占める県。箱根(hakone)も、神奈川(kanagawa)県に属する)南西部にある中都市(中規模程度の人口の都市)で、箱根(hakone)の観光の拠点となっている都市。海に面した都市であり、海産物(seafood)の産地ともなっている。




写真以下4枚は、一人、一皿ずつです。


写真以下3枚。前菜。

 






この盆(tray)は、この旅館で、130年前から、使われ続けている物だそうです。


































胡麻豆腐。











写真以下2枚。小田原(odawara)の漁港産の、地魚(箱根(hakone)周辺産の、魚)を含む、刺身(三人分)。
























写真以下2枚。松茸(matsutake。香りの良い、高級な茸)と、地魚(箱根(hakone)周辺産の、魚)の、土瓶蒸し(お吸い物)。一人、一皿ずつ。






















写真以下2枚は、基本的な料理とは、別に注文した物で、金目鯛の、煮物。三人で、分けて食べました。とても、良質な、金目鯛で、調理も上手で、とても、美味しかったです。伊豆(izu)半島等、箱根(hakone)の周辺は、金目鯛の産地となっています。



























写真以下9枚は、全て、一人、一皿ずつです。





宮崎(miyazaki)県(九州(kyusyu)(日本の南部)の、中南西部に位置する県。良質な、牛肉の産地となっている)産の、黒毛和牛(日本原産の、高級な牛肉)の、焼き物。










写真以下2枚。口直し。鴨肉(鴨の肉)の汁の、稲庭(inaniwa)うどん。
























写真以下2枚。地魚(箱根(hakone)周辺産の、魚)の、蒸し物。














茸は、鮑茸と言う、鮑(貝)の、食感を持つ茸です。










写真以下3枚。松茸(matsutake。香りの良い、高級な茸)、ご飯(rice)、味噌汁(miso soup)、漬物。



































デザート(dessert)。





この温泉旅館の、料理(特に、夕食)は、良質で(質が高くて)、とても、美味しかったです。








以下、この時の、翌日(この時の、2日目。以下、この日と書きます)についてです。



写真以下8枚。この温泉旅館で食べた、この日の朝食。全て、一人、一皿ずつです。朝食の内容は、これと、ご飯(rice)です。













































































食後の、サービス(おまけ)の、コーヒー(coffee)。







この温泉旅館、従業員の、サービス(service)の感じも、良く(まあ、高級温泉旅館なので、当たり前であるとも言えますが)、料理(特に夕食)も、美味しく、温泉の湯も、良質で、気持が良く、良い、温泉旅館でした。








この日は、旅館を、のんびりと、チェックアウト(checkout)した後、小田原(odawara)市の、丘陵地の、別荘地区にある、松永(matsunaga)記念館を訪れました。小田原(odawara)は、神奈川(kanagawa)県(東京圏の南部を占める県。箱根(hakone)も、神奈川(kanagawa)県に属する)南西部にある中都市(中規模程度の人口の都市)で、箱根(hakone)の観光の拠点となっている中都市です。小田原(odawara)は、温暖な気候等から、近代以降、別荘地としても注目を集め、多くの政財界人・軍人(将校)等が、小田原(odawara)に、別荘・邸宅を構えました。


 





写真は、借り物。参考に、福澤 桃介(fukuzawa momosuke)。1868年、日本の、田舎の、裕福な農家(裕福な、農民の家)に生まれる。1938年に亡くなる。大同(daidou)電力(第二次世界大戦前の、日本の、五大、電力会社の一つ)の社長。前々回の投稿(「400年近い歴史を有する温泉旅館他2」)で紹介した、福澤 諭吉(fukuzawa yukichi)(1835年生まれ。1901年に亡くなる。日本の有名な、思想家・教育者。慶応(keio)大学の創始者)の、婿養子(福澤 諭吉(fukuzawa yukichi)の、次女の、夫)。電力(発電)事業の分野で活躍した、日本の実業家で、第二次世界大戦前に、電力王と言われた、日本の、実業家の一人。












写真は、借り物。参考に、松永 安左エ門(matsunaga yasuzaemon)。1875年、日本の、田舎の、商人の家に生まれる。1971年に亡くなる。東邦(touhou)電力(第二次世界大戦前の、日本の、五大、電力会社の一つ)の社長。電力(発電)事業の分野で活躍した、日本の実業家で、第二次世界大戦前に、電力王と言われた、日本の、実業家の一人。古美術品(古い美術品)の、コレクター(collector)としても、有名であった。身長は、180cmと、当時の、男性としては、かなりの長身であった。以下、松永 安左エ門(matsunaga yasuzaemon)に関する説明は、wiki等を参考にしました。松永 安左エ門(matsunaga yasuzaemon)は、慶応(keio)大学(1858年創立。日本を代表する、有名な、私立大学の一つ。東京にある。比較的、裕福な家の子供が通う大学と言う、イメージがある大学)に、在学中、学問に興味がなくなった事を、知遇を得ていた(松永 安左エ門(matsunaga yasuzaemon)の才能を強く認めていた)、大学(慶応(keio)大学)の先輩である、福澤 桃介(fukuzawa momosuke)(慶応(keio)大学の、在学中に、福澤 諭吉(fukuzawa yukichi)の次女と結婚し、福澤 諭吉(fukuzawa yukichi)の婿養子となっていた)に相談すると、「(大学の)卒業等、大した意義はない(大した意味はない)。そんな気持ちであるのならば、社会に出て、働くのが良い(社会に出て、働きなさい)。」と勧められ、大学を中退し、福澤 桃介(fukuzawa momosuke)の紹介により、日本銀行(日本の中央銀行(central bank))に就職しました。しかしながら、松永 安左エ門(matsunaga yasuzaemon)は、1年で、日本銀行(日本の中央銀行(central bank))を辞職し、福澤 桃介(fukuzawa momosuke)と共同で、材木商(材木商人)や、石炭業を営んだ後(その後も、様々な場面で、福澤 桃介(fukuzawa momosuke)は、松永 安左エ門(matsunaga yasuzaemon)を支援しました)、最終的に、電力(発電)事業に落ち着きました。




参考に、第2次世界大戦後、貴族、資本家、地主等の、日本の上流階級は、貴族制度の廃止、財閥の解体、地主や広い土地を持っている者に、従来よりも不利益となる制度改革等により、かなりの土地と財産を処分せざるを得なくなった事、第二次世界大戦後は、第二次世界大戦前に比べて、大衆・庶民の、税金の負担が、軽減され、高所得者の、税金の負担が、とても、大きくなった事等により、第二次世界大戦後、日本の上流階級・富裕層は、没落し、以前の様な、贅沢な暮らしは出来なくなりました。


松永(matsunaga)記念館は、松永 安左エ門(matsunaga yasuzaemon)が、老後を、夫婦、二人で、静かに、質素に暮らす為に、第二次世界大戦直後の、1946年に、小田原(odawara)市の、丘陵地の、別荘地区に整備した、住宅の跡で、現在は、小田原(odawara)市が、所有し、松永 安左エ門(matsunaga yasuzaemon)に関する資料館として、庭園等を、一般に、公開しています。松永 安左エ門(matsunaga
yasuzaemon)は、1946年、72歳の時から、1971年に、97歳で亡くなるまで、この住宅に暮らしていた様です。松永 安左エ門(matsunagayasuzaemon)は、古美術品(古い美術品)の、コレクター(collector)としても、有名でしたが、この住宅に暮らすようになってからも(老後も)、古美術品(古い美術品)の収集は、熱心に続けていた様です。



私は、古い建物を観賞したりするのが、好きなので、松永(matsunaga)記念館は、この時を、含めて、何回か訪れていますし、私の両親も、この時の前に、松永(matsunaga)記念館を訪れた事がありましたが、両親は、この時まで、紅葉の時期に、松永(matsunaga)記念館を訪れた事がなかったので、この時、両親を、松永(matsunaga)記念館に連れて行きました。この時、松永(matsunaga)記念館の、紅葉は、丁度、見頃でした。


松永(matsunaga)記念館に関しては、この投稿、一番下でリンクを付けた、次回の投稿を参照して下さい。




私の両親に関して、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)と合わせて、ご覧下さい。

400年近い歴史を有する温泉旅館他1→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3746983?&sfl=membername&stx=nnemon2


写真以下17枚。松永(matsunaga)記念館を訪れた後(松永(matsunaga)記念館については、次回の投稿で、詳しく紹介します)、松永(matsunaga)記念館の、駐車場に、自動車を、少し、そのまま、置かせて貰って、松永(matsunaga)記念館の周辺を、散歩した際に撮影した、小田原(odawara)市の、丘陵地の、別荘地の風景例。ちなみに、私の両親は、ウォーキング(運動を兼ねて歩く事)・ハイキング (hiking)が好きで、(普段、運動不足の)私よりも、歩くのが速く、足も丈夫な位ですw  小田原(odawara)市の、丘陵地の、別荘地は、現在は、基本的には、普通の、一戸建て住宅・普通の別荘の合間に、かつての、政財界人等の、別荘の跡地、及び、敷地の広い、金持ち等の別荘・住宅等が、点在していると言った感じになっています。




























































































































大きな、個人の別荘(記憶が曖昧ですが、たぶん。。。)の、入り口。











写真以下5枚。広い敷地を有する、1920年に建てられた、かつての、大倉(okura)財閥(近代日本の中規模財閥の一つ。第二次世界大戦以前の日本の15大財閥の一つであった)家の、小田原(odawara)の別荘の、入り口。数年前までは、旅館・食堂として運営されていたのですが(食事で、何度か、利用した事がありました)、閉店してしまいました。現在は、広い敷地は、手入れもされておらず、荒れ放題となっている様です。雰囲気の良い場所であったのに、残念です。



























































以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)に続く。。。

400年近い歴史を有する温泉旅館他5→

 

 


400年近い歴史を有する温泉旅館他4





基本的に(参考の投稿を入れ替える等しています)、2019年の12月の後半に行った投稿の再掲です。


以下の投稿の続きです。

400年近い歴史を有する温泉旅館他3→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3746980?&sfl=membername&stx=nnemon2



以下、「以下、400年近い歴史を有する温泉旅館他3からの続きです。。。」と言う文までは、前回の投稿と重複します。



私の両親に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。

小津 安二郎映画「晩春」他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_2/view/id/3580708/page/2?&sfl=membername&stx=nnemon2
以下2つ。すぐ上でリンクを付けた投稿の関連投稿。
嫁と姑の話前編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3618226/page/20?&sfl=membername&stx=nnemon2
嫁と姑の話後編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3618225/page/20?&sfl=membername&stx=nnemon2





以下、「」内。私の母と、私の彼女(私の今の彼女)を連れて、私、私の母、彼女(私の今の彼女)の、3人で、湯河原の伊藤屋に泊まった時に関する投稿から抜粋して来た物です。


「以下、前に行った投稿から抜粋して来た物で、私が、近所の実家の私の母と、彼女を連れて(私と、私の母と、彼女の3人で)、湯河原(yugawara)の、伊藤屋(itouya)と言う歴史のある高級温泉旅館に宿泊して来た時の物です。ちなみに、この時の、少し前には、彼女と、彼女の母を連れて(私と、彼女と、彼女の母の3人で)、湯河原(yugawara)の、山翠楼(sansuirou)と言う高級classの温泉旅館に一泊して来ました(ちなみに、山翠楼(sansuirou)は、彼女と二人でも宿泊した事があります)。ちなみに、何れの形態の旅行(私と、私の母と、彼女の3人の宿泊を伴う旅行、及び、私と、彼女と、彼女の母の3人の宿泊を伴う旅行)も、とても珍しい物で、と言うか、今まで、それぞれ、その時(私の母と、彼女を連れて(私と、私の母と、彼女の3人で)、湯河原(yugawara)の伊藤屋(itouya)に宿泊した時と、彼女と、彼女の母を連れて(私と、彼女と、彼女の母の3人で)、湯河原(yugawara)の、山翠楼(sansuirou)に宿泊した時)、1回だけです。

ちなみに、彼女と彼女の母の仲は、決して上手く行っている訳ではないのですが、私と、彼女の母の仲は、特に悪くも何もありません(彼女の母の、私に対する、人当たりは、良いですと言うか、何故か、不思議と、気に入られてる感すらありますw)。


ちなみに、この、私が、近所の実家の私の母と、彼女を連れて(私と、私の母と、彼女の3人で)、湯河原(yugawara)の、伊藤屋(itouya)と言う歴史のある高級温泉旅館に宿泊して来た時の旅行も、私が、彼女と、彼女の母を連れて(私と、彼女と、彼女の母の3人で)、湯河原(yugawara)の、山翠楼(sansuirou)に宿泊した時の旅行も、旅館の宿泊費等、旅行の、お金は、全員分、私が、支払っています。」


彼女(私の今の彼女。以下、彼女と書きます)と彼女の母の関係性に関しては、以下の投稿を参照して下さい。

Cinderella(ヨーロッパの昔話)他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3478413/page/30?&sfl=membername&stx=nnemon2
アニメのテーマ曲他3→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3588995/page/24?&sfl=membername&stx=nnemon2





以下、「」内、前に行った投稿から抜粋して来た物です。


「私は、その時の事に関して、kjで、アップ(upload)していますが、私は、一昨年の、2月の終わりに、(我が家の近所の私の実家の)両親を連れて、箱根(hakone)の、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊して来ました。

私の2歳年下の弟(東京の西部郊外に暮らしています)は、既に、結婚して、子供がいて、今は、子育てに忙しいので、今の所、こう言う役割は、私と言う事で。。。

その前の年の12月の初めに、両親を連れて、箱根(hakone)の、萬翠楼 福住(bansuiro fukuzumi)と言う、温泉旅館に宿泊して来た時に(その時、両親と旅行したのは、とても久しぶりでした。その時の事も、kjで、アップ(upload)しています)、勢いで、両親に、今度、富士屋(fujiya)ホテルに連れて行くと言ってしまった事が、その時の、両親を連れた、富士屋(fujiya)ホテルの宿泊に、繋がりましたw(ちなみに、それから、私は、両親を旅行に連れて行っていませんし、これから、やや、しばらくの間は、両親を連れて旅行に行くかどうかは、ちょっと分かりませんw)。

富士屋(fujiya)ホテルがある、箱根(hakone)(東京圏(東京圏の南部を占める県である、神奈川(kanagawa)県)の、南西端部に位置します)は、日光(nikko)(栃木(tochigi)県(東京圏の北端に位置する県)に位置する)と並ぶ、東京近郊を代表するリゾート(resort)地・保養地・観光地・避暑地です。ちなみに、箱根(hakone)は、東京近郊を代表するリゾート(resort)地・保養地・観光地・避暑地であり、私の両親は、よく、箱根(hakone)に訪れていますし、私も、今まで、たくさん、箱根(hakone)に訪れています。

金谷(kanaya)ホテル(日光(nikko)を代表する、歴史のある高級リゾート(resort)ホテル。1873年開業)は、私は、子供の頃、私の母方の祖父に連れられて、(私の母方の祖父母、両親、弟と共に)、3回、大人になってから1回(女性と2人での、coupleでの宿泊)の、合計4回、宿泊した事があります。私の両親は、金谷(kanaya)ホテルは、私が、子供の頃に、私の母方の祖父(私の母方の祖父母)に連れられて、子供と共に(私と、私の弟と共に)、3回、宿泊した事があります。

前述の通り、私の母方の祖父は、普段の生活は、つましかったですが、何故か、家族を(妻、娘夫婦、孫)を、金谷(kanaya)ホテルに連れて行く事に関しては、気前が良かったです。ちなみに、日光(nikko)は、私の母方の祖父の、お気に入りの場所でした。

私は、富士屋(fujiya)ホテルは、今まで、6回、宿泊しています(一昨年の、2月の終わりに、(我が家の近所の私の実家の)両親を連れて、箱根(hakone)の、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊して来た時の、1回を除き、(残りの5回は)、全て、couple(女性と2人)での宿泊)。

(亡くなった)私の母方の祖父母は、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊した事がありましたが(母方の祖父母は夫婦で宿泊した事があり、母方の祖母に関しては、結婚前(子供の頃を含む)、母方の祖母の家族でも宿泊した事あり)、私の母は、その時まで、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊した事がありませんでした。また、私の父は、その時まで、富士屋(fujiya)ホテルは、会社の研修で、一度、宿泊した事がありましたが、個人的な旅行で宿泊した訳ではないので、富士屋(fujiya)ホテルの雰囲気を、ゆっくりと味わう事は、全く、出来なかったそうです。その様な事から、その前の年の12月の初めに、両親を連れて、箱根(hakone)の、萬翠楼 福住(bansuiro fukuzumi)と言う、温泉旅館に宿泊して来た時に(その時、両親と旅行したのは、とても久しぶりでした)、弾みで(勢いで)、両親に、今度、富士屋(fujiya)ホテルに連れて行くと言ってしまった事が、その時の、両親を連れた、富士屋(fujiya)ホテルの宿泊に繋がりましたw ちなみに、その時の、両親の、富士屋(fujiya)ホテルの印象が良かったらしく、両親は、その時から今まで、2回、夫婦で、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊している様です。


ちなみに、上記の、私の、両親を連れた、萬翠楼 福住(bansuiro fukuzumi)に宿泊した旅行、及び、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊した旅行の、宿泊費、食事代等は、両親の分を含めて、全て、私が支払っています。」


私の母方の祖父に関しては、以下の2つの投稿を参照して下さい(一部、父方の祖父の話も含みます)。

芸者(geisha)・祖父の話他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3658686/page/11?&sfl=membername&stx=nnemon2
旧朝香宮(asakanomiya)邸他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3658681/page/11?&sfl=membername&stx=nnemon2





以下、400年近い歴史を有する温泉旅館他3からの続きです。。。




以下、2016年に行った投稿から抜粋して来た物です(ほぼ再掲)。




去年の12月の初めに、(東京都心部の我が家の近所の、実家に暮らす)両親を連れて、箱根(hakone)に、一泊、二日の、小旅行に行って来た時の物です。両親と旅行したのは、この時、とても久しぶりでした(まあ、私の2歳年下の弟(東京の西部郊外に暮らしています)は、既に、結婚して、子供がいて、今は、子育てに忙しいので、今の所、こう言う役割は、私と言う事で。。。)。


箱根(hakone)(東京圏(東京圏の南部を占める県である、神奈川(kanagawa)県)の、南西端部に位置します)は、日光(nikko)(栃木(tochigi)県(東京圏の北端に位置する県)に位置する)と並ぶ、東京近郊を代表するリゾート(resort)地・保養地・観光地・避暑地です。


ちなみに、箱根(hakone)は、東京近郊を代表するリゾート(resort)地・保養地・観光地・避暑地であり、私の両親は、よく、箱根(hakone)に訪れていますし、私も、今まで、たくさん、箱根(hakone)に訪れています。



以下、この時の、初日の、続きです。


この時は、箱根(hakone)の、萬翠楼 福住(bansuiro fukuzumi)と言う、温泉旅館に宿泊しました。萬翠楼 福住(bansuiro fukuzumi)は、箱根(hakone)に、よく訪れている、私の両親も、(この時まで)、まだ宿泊した事がなく、私も、(この時まで)、宿泊した事がなく、前から、ちょっと気になっていて、いつかは、宿泊しようと思っていた旅館であったので、この機会に、宿泊する事にしました。


萬翠楼 福住(bansuiro fukuzumi)は、1625年創業の、400年近い歴史を有する、温泉旅館です。萬翠楼 福住(bansuiro fukuzumi)は、箱根(hakone)の玄関口であり、それ自体が、規模の大きな、温泉地(温泉保養地)となっている、箱根(hakone)湯本(yumoto)areaにあります。



萬翠楼 福住(bansuiro fukuzumi)は、箱根(hakone)を代表する、歴史のある、高級温泉旅館の一つとなっています(ちなみに、現代においては、箱根(hakone)には、萬翠楼 福住(bansuiro fukuzumi)よりも、高級な、新しい、温泉旅館・温泉リゾート(resort)ホテルは、少なくありません(かなりあります))。



萬翠楼 福住(bansuiro fukuzumi)は、客室数が、15程の、規模が小さな、高級温泉旅館です。


萬翠楼 福住(bansuiro fukuzumi)は、今まで、数え切れない程の、有名人が、宿泊し、また、貴族、作家(文学者・小説家)等も、多く、宿泊して来た温泉旅館です。


萬翠楼 福住(bansuiro fukuzumi)について、詳しくは、以下2つの投稿を参照して下さい。

400年近い歴史を有する温泉旅館他2→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3746982?&sfl=membername&stx=nnemon2
400年近い歴史を有する温泉旅館他3→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3746980?&sfl=membername&stx=nnemon2




この温泉旅館の、食事は、部屋出し(食堂(dining room)で食べるのでは無く、ホテルのroom serviceの様に、部屋まで料理が運ばれて来て、部屋で料理を食べる形式。もっとも、基本的に、料理が、一度に運ばれて来るroom serviceと異なり、料理は、夕食の場合、基本的に、一皿ずつ、出来立ての物が、運ばれて来る)、又は、それぞれの客室専用の、個室の、食堂(dining room)での食事となります。この時、私達は、この温泉旅館の、食事は、夕食も、朝食も、部屋出し(食堂(dining room)で食べるのでは無く、ホテルのroom serviceの様に、部屋まで料理が運ばれて来て、部屋で料理を食べる形式。もっとも、基本的に、料理が、一度に運ばれて来るroom serviceと異なり、料理は、夕食の場合、基本的に、一皿ずつ、出来立ての物が、運ばれて来る)で食べました。





写真以下19枚。この温泉旅館で食べた、この日の夕食。ちなみに、この夕食時は、飲み物は、主に、日本酒を飲みました。ちなみに、私の両親も、私も、酒(アルコール (alcoholic)飲料)は、割と、たくさん飲みます。箱根(hakone)は、小田原(odawara)等、良質な海産物(seafood)の産地が、周辺にある為、良質な、海産物(seafood)にも、恵まれています。
小田原(odawara):神奈川(kanagawa)県(東京圏の南部を占める県。箱根(hakone)も、神奈川(kanagawa)県に属する)南西部にある中都市(中規模程度の人口の都市)で、箱根(hakone)の観光の拠点となっている都市。海に面した都市であり、海産物(seafood)の産地ともなっている。




写真以下4枚は、一人、一皿ずつです。


写真以下3枚。前菜。






この盆(tray)は、この旅館で、130年前から、使われ続けている物だそうです。


































胡麻豆腐。











写真以下2枚。小田原(odawara)の漁港産の、地魚(箱根(hakone)周辺産の、魚)を含む、刺身(三人分)。
























写真以下2枚。松茸(matsutake。香りの良い、高級な茸)と、地魚(箱根(hakone)周辺産の、魚)の、土瓶蒸し(お吸い物)。一人、一皿ずつ。






















写真以下2枚は、基本的な料理とは、別に注文した物で、金目鯛の、煮物。三人で、分けて食べました。とても、良質な、金目鯛で、調理も上手で、とても、美味しかったです。伊豆(izu)半島等、箱根(hakone)の周辺は、金目鯛の産地となっています。



























写真以下9枚は、全て、一人、一皿ずつです。





宮崎(miyazaki)県(九州(kyusyu)(日本の南部)の、中南西部に位置する県。良質な、牛肉の産地となっている)産の、黒毛和牛(日本原産の、高級な牛肉)の、焼き物。










写真以下2枚。口直し。鴨肉(鴨の肉)の汁の、稲庭(inaniwa)うどん。
























写真以下2枚。地魚(箱根(hakone)周辺産の、魚)の、蒸し物。














茸は、鮑茸と言う、鮑(貝)の、食感を持つ茸です。










写真以下3枚。松茸(matsutake。香りの良い、高級な茸)、ご飯(rice)、味噌汁(miso soup)、漬物。



































デザート(dessert)。





この温泉旅館の、料理(特に、夕食)は、良質で(質が高くて)、とても、美味しかったです。








以下、この時の、翌日(この時の、2日目。以下、この日と書きます)についてです。



写真以下8枚。この温泉旅館で食べた、この日の朝食。全て、一人、一皿ずつです。朝食の内容は、これと、ご飯(rice)です。













































































食後の、サービス(おまけ)の、コーヒー(coffee)。







この温泉旅館、従業員の、サービス(service)の感じも、良く(まあ、高級温泉旅館なので、当たり前であるとも言えますが)、料理(特に夕食)も、美味しく、温泉の湯も、良質で、気持が良く、良い、温泉旅館でした。








この日は、旅館を、のんびりと、チェックアウト(checkout)した後、小田原(odawara)市の、丘陵地の、別荘地区にある、松永(matsunaga)記念館を訪れました。小田原(odawara)は、神奈川(kanagawa)県(東京圏の南部を占める県。箱根(hakone)も、神奈川(kanagawa)県に属する)南西部にある中都市(中規模程度の人口の都市)で、箱根(hakone)の観光の拠点となっている中都市です。小田原(odawara)は、温暖な気候等から、近代以降、別荘地としても注目を集め、多くの政財界人・軍人(将校)等が、小田原(odawara)に、別荘・邸宅を構えました。






写真は、借り物。参考に、福澤 桃介(fukuzawa momosuke)。1868年、日本の、田舎の、裕福な農家(裕福な、農民の家)に生まれる。1938年に亡くなる。大同(daidou)電力(第二次世界大戦前の、日本の、五大、電力会社の一つ)の社長。前々回の投稿(「400年近い歴史を有する温泉旅館他2」)で紹介した、福澤 諭吉(fukuzawa yukichi)(1835年生まれ。1901年に亡くなる。日本の有名な、思想家・教育者。慶応(keio)大学の創始者)の、婿養子(福澤 諭吉(fukuzawa yukichi)の、次女の、夫)。電力(発電)事業の分野で活躍した、日本の実業家で、第二次世界大戦前に、電力王と言われた、日本の、実業家の一人。












写真は、借り物。参考に、松永 安左エ門(matsunaga yasuzaemon)。1875年、日本の、田舎の、商人の家に生まれる。1971年に亡くなる。東邦(touhou)電力(第二次世界大戦前の、日本の、五大、電力会社の一つ)の社長。電力(発電)事業の分野で活躍した、日本の実業家で、第二次世界大戦前に、電力王と言われた、日本の、実業家の一人。古美術品(古い美術品)の、コレクター(collector)としても、有名であった。身長は、180cmと、当時の、男性としては、かなりの長身であった。以下、松永 安左エ門(matsunaga yasuzaemon)に関する説明は、wiki等を参考にしました。松永 安左エ門(matsunaga yasuzaemon)は、慶応(keio)大学(1858年創立。日本を代表する、有名な、私立大学の一つ。東京にある。比較的、裕福な家の子供が通う大学と言う、イメージがある大学)に、在学中、学問に興味がなくなった事を、知遇を得ていた(松永 安左エ門(matsunaga yasuzaemon)の才能を強く認めていた)、大学(慶応(keio)大学)の先輩である、福澤 桃介(fukuzawa momosuke)(慶応(keio)大学の、在学中に、福澤 諭吉(fukuzawa yukichi)の次女と結婚し、福澤 諭吉(fukuzawa yukichi)の婿養子となっていた)に相談すると、「(大学の)卒業等、大した意義はない(大した意味はない)。そんな気持ちであるのならば、社会に出て、働くのが良い(社会に出て、働きなさい)。」と勧められ、大学を中退し、福澤 桃介(fukuzawa momosuke)の紹介により、日本銀行(日本の中央銀行(central bank))に就職しました。しかしながら、松永 安左エ門(matsunaga yasuzaemon)は、1年で、日本銀行(日本の中央銀行(central bank))を辞職し、福澤 桃介(fukuzawa momosuke)と共同で、材木商(材木商人)や、石炭業を営んだ後(その後も、様々な場面で、福澤 桃介(fukuzawa momosuke)は、松永 安左エ門(matsunaga yasuzaemon)を支援しました)、最終的に、電力(発電)事業に落ち着きました。




参考に、第2次世界大戦後、貴族、資本家、地主等の、日本の上流階級は、貴族制度の廃止、財閥の解体、地主や広い土地を持っている者に、従来よりも不利益となる制度改革等により、かなりの土地と財産を処分せざるを得なくなった事、第二次世界大戦後は、第二次世界大戦前に比べて、大衆・庶民の、税金の負担が、軽減され、高所得者の、税金の負担が、とても、大きくなった事等により、第二次世界大戦後、日本の上流階級・富裕層は、没落し、以前の様な、贅沢な暮らしは出来なくなりました。


松永(matsunaga)記念館は、松永 安左エ門(matsunaga yasuzaemon)が、老後を、夫婦、二人で、静かに、質素に暮らす為に、第二次世界大戦直後の、1946年に、小田原(odawara)市の、丘陵地の、別荘地区に整備した、住宅の跡で、現在は、小田原(odawara)市が、所有し、松永 安左エ門(matsunaga yasuzaemon)に関する資料館として、庭園等を、一般に、公開しています。松永 安左エ門(matsunaga
yasuzaemon)は、1946年、72歳の時から、1971年に、97歳で亡くなるまで、この住宅に暮らしていた様です。松永 安左エ門(matsunagayasuzaemon)は、古美術品(古い美術品)の、コレクター(collector)としても、有名でしたが、この住宅に暮らすようになってからも(老後も)、古美術品(古い美術品)の収集は、熱心に続けていた様です。



私は、古い建物を観賞したりするのが、好きなので、松永(matsunaga)記念館は、この時を、含めて、何回か訪れていますし、私の両親も、この時の前に、松永(matsunaga)記念館を訪れた事がありましたが、両親は、この時まで、紅葉の時期に、松永(matsunaga)記念館を訪れた事がなかったので、この時、両親を、松永(matsunaga)記念館に連れて行きました。この時、松永(matsunaga)記念館の、紅葉は、丁度、見頃でした。


松永(matsunaga)記念館に関しては、この投稿、一番下でリンクを付けた、次回の投稿を参照して下さい。




私の両親に関して、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)と合わせて、ご覧下さい。

400年近い歴史を有する温泉旅館他1→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3746983?&sfl=membername&stx=nnemon2


写真以下17枚。松永(matsunaga)記念館を訪れた後(松永(matsunaga)記念館については、次回の投稿で、詳しく紹介します)、松永(matsunaga)記念館の、駐車場に、自動車を、少し、そのまま、置かせて貰って、松永(matsunaga)記念館の周辺を、散歩した際に撮影した、小田原(odawara)市の、丘陵地の、別荘地の風景例。ちなみに、私の両親は、ウォーキング(運動を兼ねて歩く事)・ハイキング (hiking)が好きで、(普段、運動不足の)私よりも、歩くのが速く、足も丈夫な位ですw  小田原(odawara)市の、丘陵地の、別荘地は、現在は、基本的には、普通の、一戸建て住宅・普通の別荘の合間に、かつての、政財界人等の、別荘の跡地、及び、敷地の広い、金持ち等の別荘・住宅等が、点在していると言った感じになっています。




























































































































大きな、個人の別荘(記憶が曖昧ですが、たぶん。。。)の、入り口。











写真以下5枚。広い敷地を有する、1920年に建てられた、かつての、大倉(okura)財閥(近代日本の中規模財閥の一つ。第二次世界大戦以前の日本の15大財閥の一つであった)家の、小田原(odawara)の別荘の、入り口。数年前までは、旅館・食堂として運営されていたのですが(食事で、何度か、利用した事がありました)、閉店してしまいました。現在は、広い敷地は、手入れもされておらず、荒れ放題となっている様です。雰囲気の良い場所であったのに、残念です。



























































以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)に続く。。。

400年近い歴史を有する温泉旅館他5→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3746977?&sfl=membername&stx=nnemon2



TOTAL: 1106

番号 タイトル ライター 参照 推薦
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