基本的に、2015年の9月の後半に行った投稿の再掲で(投稿文は、2015年の9月の後半の投稿を前提としています)、彼女(私の今の彼女)と、日本橋(nihonbashi)areaに遊びに行って来た時の物です。ちなみに、この時、私は、まだ30代の後期、彼女は、20代の初めの大学生でした。
8月の、終わり、個人的に休みであった日(以下、この日と書きます)に、近場で、休日を過ごした時の物です。
この日、我が家で食べた、朝食は、普段、働いている日に食べている朝食(パン、シリアル(cereal)、野菜サラダ(salad)、3種類程の果物、牛乳、ジュース(juice)、ヨーグルト(yoghurt))と、基本的に同じでした。
この日は、東京都心の、日本橋(nihonbashi)areaで、この時、行われていた(厳密には、9月23日まで行われています)、アートアクアリウム(art aquarium)と言う催しを見て来ました。
この日、日本橋(nihonbashi)areaは、地下鉄を利用して行きました。我が家(東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地に位置します)の最寄りの、通勤電車・地下鉄駅から、地下鉄で、日本橋(nihonbashi)areaに行く方法は、何通りかあるのですが、何れにしても、最低、一回は、地下鉄を乗り換える必要があります。我が家の最寄りの、通勤電車・地下鉄駅から、地下鉄で、日本橋(nihonbashi)areaに、最短で行く方法で、行く場合、我が家の最寄りの、通勤電車・地下鉄駅(東京都心部の西部に位置する)から、日本橋(nihonbashi)areaまでは、地下鉄の乗り換え・待ち時間を含まないで、20分強位、地下鉄の乗り換え・待ち時間を含んで、30分強位です。
この日は、我が家の最寄りの、通勤電車・地下鉄駅から、地下鉄で、日本橋(nihonbashi)areaに、最短で行く方法の一つである、途中で、銀座(ginza)線に乗り換えて行く方法で、日本橋(nihonbashi)areaに行きました。
銀座(ginza)線(路線距離14.3km)は、渋谷(shibuya)(東京最大級の繁華街の一つ。東京都心部の西部に位置する)と、浅草(asakusa)(上野(ueno)と共に、東京の下町(旧市街)(東京都心部の東部)最大級の繁華街)を、銀座(ginza)area(東京を代表する繁華街、且つ、東京最大級の繁華街の一つ。東京都心部の中でも、中心的な地域に位置する)を経由して結ぶ地下鉄路線です。銀座(ginza)線は、1927年に開業した、アジアで、最初の地下鉄路線(主に、地下を走る、鉄道路線)です。

おまけ(写真は、借り物)。銀座(ginza)線の、1927年の開業時の、ポスター(poster)。
ちなみに、第2次世界大戦前には、既に、(日本の2都市を含む)世界の15都市で、地下鉄(主に地下を走る鉄道)が走っていました。以下、第二次世界大戦前に、既に、地下鉄(主に地下を走る鉄道)が開業していた、世界の15の都市、開業順に(()内は、開業年)、イギリスのLondon(1863 年)、ハンガリーのBudapest(1896年)、イギリスのGlasgow(1896年)、アメリカのBoston(1898年)、フランスの Paris(1900年)、ドイツのBerlin(1902年)、アメリカのNew York(1904年)、アメリカのPhiladelphia(1907年)、ドイツのHamburg(1912年)、アルゼンチンのBuenos Aires(1913年)、スペインのMadrid(1919年)、スペインのBarcelona(1924年)、日本の東京(1927年)、日本の大阪(1933年)、ロシア(当時は、ソビエト連邦)のMoscow(1935年)。第二次世界大戦前に、既に、国内の、複数の都市で、地下鉄(主に地下を走る鉄道)が走っていた国は、世界でも、アメリカ(3都市)、イギリス(2都市)、ドイツ(2都市)、スペイン(2都市)、日本(2都市)の、五カ国だけでした。スウェーデン(1950年に、Stockholmに、地下鉄が開業)、カナダ(1954年に、最初の地下鉄が、Torontoに開業)、イタリア(1955年に、最初の地下鉄が、Romeに開業)、オランダ(1968年に、最初の地下鉄が、Rotterdamに開業)等に、地下鉄(主に地下を走る鉄道)が開業したのは、第二次世界大戦後の事です。ちなみに、韓国の方は、ご存知の方もいると思いますが、韓国で、最初の地下鉄(主に地下を走る鉄道)は、香港(1979年に開業)とシンガポール(1987年に開業)に、先んじて、1974年に、ソウルに開業しました。
銀座(ginza)線は、2分から3分間隔の、高頻度で運行されています(したがって、1本、電車を逃したとしても、ほとんど待たずに、次の電車に乗る事が出来ます)。銀座(ginza)線(1927年開業)は、東京で、最も、古い地下鉄(主に地下を走る鉄道)路線である事から、東京で、最も、条件の良い(営業効率の良い)場所を走る地下鉄路線である事(新宿を通らない事を除けば、渋谷(shibuya)、表参道(omotesando)、青山(aoyama)、赤坂(akasaka)、新橋(shinbashi)、銀座(ginza)、日本橋(nihonbashi)、上野(ueno)、浅草(asakusa)等、西から東へ、概ね、東京の、主要な繁華街・商業地を結ぶ、黄金ルートと言えるルートの路線である事)、また、土地の値段や建設費が安かった、古い時代に建設された、地下鉄路線である事から、おそらく、東京の地下鉄路線の中で、最も、利益率が高く(経営者(経営会社)等にとって、効率が良く)、黒字額が大きい、地下鉄路線となっています。また、たぶん、東京圏の、全ての、通勤電車・地下鉄路線の中で、山手(yamanote)線(下の補足説明参照)と並び、最も、利益率が高い(経営者(経営会社)等にとって、効率が良い)、路線であると思います。
山手(yamanote)線:東京都心の環状(loop)路線(通勤電車路線)。1885年開業。路線距離、34.5km。東京の四大繁華街(東京最大級の、四つの繁華街。銀座(ginza)・有楽町(yurakucho)、新宿、渋谷(shibuya)、池袋(ikebukuro))の、全てを通ると共に、東京駅(東京を代表する鉄道駅で、東京の駅の中で、最も、鉄道の発着数が多い駅。周辺は、丸の内(marunouchi)等、東京を代表する、ビジネス(business)の中心地区となっている)、上野(ueno)(浅草(asakusa)と共に、東京の下町(旧市街)(東京都心部の東部)最大級の繁華街)等も通る。
さらに、銀座(ginza)線は、御堂筋(midousuji)線(大阪(東京に次いで、日本第二の都市圏人口を有する都市)で、最初に開業した地下鉄(主に地下を走る鉄道)路線。1933年開業。路線距離、24.5km)、東山(higashiyama)線(名古屋(nagoya)(東京、大阪に次ぐ、日本第三の都市圏人口を有する都市)で、最初に開業した、地下鉄(主に地下を走る鉄道)路線。1957年開業。路線距離20.6km)に次いで、日本全国の地下鉄(主に地下を走る鉄道)路線の中で、3番目に、黒字額が、大きい、地下鉄(主に地下を走る鉄道)路線となっています。
この写真は、地下鉄の乗換駅にて、この日の行きに撮影した写真。現在、銀座(ginza)線では、01系車両(1984年にデビュー(debut)(試作車は、1983年にデビュー(debut))した車両)と、新1000系車両(2012年にデビュー(debut)した車両)と、2種類の(2つの系統の)、地下鉄車両が使われていますが、写真は、01系車両(1984年にデビュー(debut)(試作車は、1983年にデビュー(debut))した車両)。01系車両は、もうすぐ、全て、引退し、全て、下の、新1000系車両に置き換わる予定です。
写真以下2枚は、地下鉄の乗換駅にて、この日の帰りに撮影した写真。こちらは、銀座(ginza)線の、新1000系車両(2012年にデビュー(debut)した車両)です。新1000系車両のデザイン(design) は、1927年に、地下鉄、銀座(ginza)線の開業と共にデビュー(debut)した、地下鉄、銀座(ginza)線で、最初の車両である、1000 系車両をイメージした物となっています。日本では、近年、近代のデザイン(design)を、再評価する流れにあります。今後、01系車両との置き換えが進められ、来年(2016年)までに、全て、01系車両と置き換えられ、銀座(ginza)線の、全ての車両が、新1000系車両となる予定です。
日本橋(nihonbashi)area(東京都心部の中でも、中心的な地域に位置する)は、江戸(edo)時代(17世紀)から、東京を代表する一等商業地です。
写真以下6枚。日本橋(nihonbashi)areaの風景例。

これは、前にアップ(upload)した写真の再利用。
写真以下3枚は、この時、COREDO室町(muromachi)(後で説明します)から撮影した写真。
写真以下2枚は、前にアップ(upload)した写真の、再利用。

日本橋(nihonbashi)areaにある、三井(mitsui)本館。1929年に完成した、銀行等が入る、オフィス(office)用のビルで、第二次世界大戦前に、東京に建てられた近代建築のビルの内、現在も残されている、数少ない物の内の一つです。現在も、オフィス(office)用ビルとして、活用されています(近代建築の保存意識の高まり等から、文化財に指定されています)。第二次世界大戦前の、1920年代から1930年代には、日本の東京や大阪等には、重厚で美しい近代建築のビルが、たくさんありましたが、現在は、第二次世界大戦前に建てられた近代建築のビルは、非常に少なくなっています。ちなみに、第二次世界大戦前の1920年代から、1930年代には、地震地帯では無い、アメリカのニューヨーク(New York)とシカゴ(Chicago)では、既に、次々と超高層ビルが建設されていましたが、地震地帯の、日本では、その頃は、当然、大地震に耐えられるような、超高層ビルの建築設計技術が完成されておらず、東京や大阪には、超高層ビルが存在しませんでした(もっとも、その頃は、アメリカの地震地帯ではない地域を除けば、日本だけでなく、アメリカ西海岸、ヨーロッパ等、世界中、どの都市でも、超高層ビルは、ほとんど存在しませんでした)。第二次世界大戦が終って間も無い、1940年代後半から、(戦後復興中期前半の)1950年代半ば頃くらいまでは、東京や大阪では、主として、(第二次世界大戦時の、アメリカによる空襲で破壊されずに生き残った)第二次世界大戦前に建てられた、近代建築のビルを、引き続き活用していました。その後、高度経済成長に伴い、1950年代後期頃から、ようやく、戦後の現代建築のビルの建設ブーム(boom)が起り始め(ちなみに、日本で、日本の様な地震地帯の大地震でも、大丈夫な超高層ビルを設計建築する技術が成熟し、超高層ビルが建てられる様になったのは、1960年代後期以降)、1950年代後期から1960年代を通じて、東京や、大阪では、戦前に建てられた、重厚な近代建築のビルが、戦後に建てられた、機能的な現代建築のビルに、次々と、取り替えられる様になりました(その頃は、経済成長最優先であり、老朽化した近代建築を修理しながら、保存・活用しよう等と言う、ゆとりが無かった)。

写真上は、三井(mitsui)本館に隣接して建てられている、超高層ビル、日本橋(nihonbashi)三井(mitsui)tower(高さ約
195m。39建て)。隣接する三井(mitsui)本館に調和する様、落ち着いたデザイン(design)となっています。日本橋(nihonbashi)三井(mitsui)towerの、主として上層階には、東京の、最高級ホテルの一つである、マンダリンオリエンタル東京(Mandarin
Oriental,
Tokyo)が入居しています(日本橋(nihonbashi)三井(mitsui)towerは、それ以外は、概ね、オフィス(office))。
この時、日本橋(nihonbashi)areaに置いてあった、チラシ(leaflet)の一つ。私は、この展覧会(exhibition)に行っていませんし、今の所、行くつもりもありませんが、三井(mitsui)本館に入っている、三井(mitsui)記念美術館(下の補足説明参照)で、8月29日から11月3日まで行われている、日本の、修験道(syugendo)(日本古来の山岳信仰と、仏教が合わさった宗教)の、古い、仏像等の展覧会(exhibition)の、チラシ(leaflet)。写真の、チラシ(leaflet)の仏像は、この展覧会(exhibition)の、展示物の例で、何れも、平安(heian)時代(794年から1185年)から鎌倉(kamakura)時代(1185年から1333年)に造られた、日本の仏像です。
三井(mitsui)記念美術館:三井(mitsui)家(近代の日本で最大級の財閥(近代日本の、三大財閥又は四大財閥)家の一つ)の、財宝(三井(mitsui)家の財宝の内、主として、日本、及び、日本以外の東洋の、伝統、美術品・工芸品)や歴史的資料を、保存・展示する、私営の美術館。
写真以下。この日は、COREDO室町(muromachi)(日本橋(nihonbashi)areaにある商業ビルの一つ。実質的には、デパートの様な物)で、この時、開催されていた、アートアクアリウム(art aquarium)と言う催しを見て来ました。アートアクアリウム(art aquarium)は、一言で説明すれば、金魚(goldfish)の水族館(public aquarium)と、art(現代art)が融合した様な催しです。日本橋(nihonbashi)areaでは、アートアクアリウム(art aquarium)は、2011年から、毎年、夏に開催されていて、今年で、5回目となります。日本橋(nihonbashi)areaの、アートアクアリウム(art aquarium)は、前から、ちょっと気になっていたのですが、この時、初めて、訪れました。まあ、綺麗で、興味深くはあったのですが、金魚(goldfish)が、ちょっと、可哀相な気もしました。別に、もう、見に行かなくても良いかなと言った感じですw。ちなみに、おそらく、日本は、良質な(高級な)、金魚(goldfish)の、世界的な産地の一つとなっています。
写真以下2枚。この時、日本橋(nihonbashi)areaに置いてあった、アートアクアリウム(art aquarium)関連の、チラシ(leaflet)。
写真以下。今年の、日本橋(nihonbashi)areaの、アートアクアリウム(art aquarium)の展示風景例。アートアクアリウム(art aquarium)の展示内容は、毎年、異なる様です。
写真以下2枚は、日本橋(nihonbashi)areaの、無料の情報誌より。。。
写真以下2枚の金魚(goldfish)は、中国原産の金魚(goldfish)ですが、日本を思わせる(日本の国旗を思わせる)、金魚(goldfish)で、日本で、人気が高い金魚(goldfish)の一つとなっています。
ちょっと、前の人の、頭が、邪魔ですが。。。w
以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)に続く。。。
日本橋・taimeikenグラタン他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3989962?&sfl=membername&stx=nnemon2
기본적으로, 2015년의 9월의 후반에 간 투고의 재게로(투고문은, 2015년의 9월의 후반의 투고를 전제로 하고 있습니다), 그녀( 나의 지금의 그녀)와 니혼바시(nihonbashi) area에 놀러 갔다 왔을 때의 물건입니다.덧붙여서, 이 때, 나는, 아직 30대의 후기, 그녀는, 20대의 처음의 대학생이었습니다.
8월의, 끝나, 개인적으로 휴일인 날(이하, 이 날이라고 씁니다)에, 근처에서, 휴일을 보냈을 때의 물건입니다.
이 날, 우리 집에서 먹은, 아침 식사는, 평상시, 일하고 있는 날에 먹고 있는 아침 식사(빵, 시리얼(cereal), 야채 사라다(salad), 3 종류정도의 과일, 우유, 쥬스(juice), 요구르트(yoghurt))와 기본적으로 같았습니다.
이 날은, 도쿄도심의, 니혼바시(nihonbashi) area로, 이 때, 행해지고 있던(엄밀하게는, 9월 23일까지 행해지고 있습니다), 아트 아쿠아리움(artaquarium)라고 하는 행사를 보고 왔습니다.
이 날, 니혼바시(nihonbashi) area는, 지하철을 이용해 갔습니다.우리 집(도쿄도심부의 서부의 조용하고 침착한 주택지에 위치합니다)의 근처의, 통근 전철·지하철역으로부터, 지하철로, 니혼바시(nihonbashi) area에 가는 방법은, 몇가지인가 있다의입니다만, 어느 쪽으로 해도, 최저, 1회는, 지하철을 갈아 탈 필요가 있어요.우리 집의 근처의, 통근 전철·지하철역으로부터, 지하철로, 니혼바시(nihonbashi) area에, 최단에 가는 방법으로, 가는 경우, 우리 집의 근처의, 통근 전철·지하철역(도쿄도심부의 서부에 위치한다)으로부터, 니혼바시(nihonbashi) area까지는, 지하철의 환승·대기 시간을 포함하지 말고, 20분 강위, 지하철의 환승·대기 시간을 포함하고, 30분 강위입니다.
이 날은, 우리 집의 근처의, 통근 전철·지하철역으로부터, 지하철로, 니혼바시(nihonbashi) area에, 최단에 가는 방법의 하나이다, 도중에, 긴자(ginza) 선으로 갈아 타 가는 방법으로, 니혼바시(nihonbashi) area에 갔습니다.
긴자(ginza) 선(노선 거리 14.3 km)는, 시부야(shibuya)(도쿄 최대급의 번화가의 하나.도쿄도심부의 서부에 위치한다)와 아사쿠사(asakusa)(우에노(ueno)와 함께, 도쿄의 게노마치(구시가)(도쿄도심부의 동부) 최대급의 번화가)를, 긴자(ginza) area(도쿄를 대표하는 번화가, 한편, 도쿄 최대급의 번화가의 하나.도쿄도심부안에서도, 중심적인 지역에 위치한다)를 경유해 묶는 지하철 노선입니다.긴자(ginza) 선은, 1927년에 개업한, 아시아에서, 최초의 지하철 노선(주로, 지하를 달리는, 철도 노선)입니다.

덤(사진은, 차용물).긴자(ginza) 선의, 1927년의 개업시의, 포스터(poster).
덧붙여서, 제2차 세계대전전에는, 이미, (일본의 2 도시를 포함한다) 세계의 15 도시에서, 지하철(주로 지하를 달리는 철도)이 달리고 있었습니다.이하, 제이차 세계대전전에, 이미, 지하철(주로 지하를 달리는 철도)이 개업하고 있던, 세계의 15의 도시, 개업순서에(() 안은, 개업년), 영국의 London(1863 해), 헝가리의 Budapest(1896년), 영국의 Glasgow(1896년), 미국의 Boston(1898년), 프랑스의 Paris(1900년), 독일의 Berlin(1902년), 미국의 New York(1904년), 미국의 Philadelphia(1907년), 독일의 Hamburg(1912년), 아르헨티나의 Buenos Aires(1913년), 스페인의 Madrid(1919년), 스페인의 Barcelona(1924년), 일본의 도쿄(1927년), 일본의 오사카(1933년), 러시아(당시는, 소비에트 사회주의 연방공화국 )의 Moscow(1935년).제이차 세계대전전에, 이미, 국내의, 복수의 도시에서, 지하철(주로 지하를 달리는 철도)이 달리고 있던 나라는, 세계에서도, 미국(3 도시), 영국(2 도시), 독일(2 도시), 스페인(2 도시), 일본(2 도시)의, 5개국만이었습니다.스웨덴(1950년에, Stockholm에, 지하철이 개업), 캐나다(1954년에, 최초의 지하철이, Toronto에 개업), 이탈리아(1955년에, 최초의 지하철이, Rome에 개업), 네델란드(1968년에, 최초의 지하철이, Rotterdam에 개업) 등에, 지하철(주로 지하를 달리는 철도)이 개업한 것은, 제이차 세계대전 후의 일입니다.덧붙여서, 한국 분은, 아시는 분도 있다고 생각합니다만, 한국에서, 최초의 지하철(주로 지하를 달리는 철도)은, 홍콩(1979년에 개업)과 싱가폴(1987년에 개업)에, 앞서, 1974년에, 서울에 개업했습니다.
긴자(ginza) 선은, 2분부터 3분간격의, 고빈도로 운행되고 있습니다(따라서, 1개, 전철을 놓쳤다고 해도 , 거의 기다리지 않고 , 다음의 전철을 탈 수가 있습니다).긴자(ginza) 선(1927년 개업)은, 도쿄에서, 가장, 낡은 지하철(주로 지하를 달리는 철도) 노선인 일로부터, 도쿄에서, 가장, 조건의 좋은(영업 효율의 좋다) 장소를 달리는 지하철 노선인 일(신쥬쿠를 통하지 않는 것을 제외하면, 시부야(shibuya), 오모테산도(omotesando), 아오야마(aoyama), 아카사카(akasaka), 신바시(shinbashi), 긴자(ginza), 니혼바시(nihonbashi), 우에노(ueno), 아사쿠사(asakusa) 등 , 서쪽에서 동쪽에, 대체로, 도쿄의, 주요한 번화가·상업지를 묶는, 황금 루트라고 할 수 있는 루트의 노선인 일), 또, 토지의 가격이나 건설비가 쌌다, 낡은 시대에 건설된, 지하철 노선인 일로부터, 아마, 도쿄의 지하철 노선 중(안)에서, 가장, 이익율이 높게(경영자(경영 회사) 등에 있어서, 효율이 좋고), 흑자액이 큰, 지하철 노선이 되고 있습니다.또, 아마, 동경권의, 모든, 통근 전철·지하철 노선 중(안)에서, 산쪽(yamanote) 선(아래의 보충 설명 참조)과 대등해, 가장, 이익율이 높은(경영자(경영 회사) 등에 있어서, 효율이 좋다), 노선이다고 생각합니다.
산쪽(yamanote) 선:도쿄도심의 환상(loop) 노선(통근 전철 노선).1885년개업.노선 거리, 34.5km.도쿄의 4대번화가(도쿄 최대급의, 네 개의 번화가.긴자(ginza)·유라쿠쵸(yurakucho), 신쥬쿠, 시부야(shibuya), 이케부쿠로(ikebukuro))의, 모두를 통과함과 동시에, 도쿄역(도쿄를 대표하는 철도역에서, 도쿄의 역안에서, 가장, 철도의 발착수가 많은 역.주변은, 마루노우치(marunouchi) 등 , 도쿄를 대표하는, 비즈니스(business)의 중심지구가 되고 있다), 우에노(ueno)(아사쿠사(asakusa)와 함께, 도쿄의 게노마치(구시가)(도쿄도심부의 동부) 최대급의 번화가) 등도 통과한다.
게다가 긴자(ginza) 선은, 미도스지(midousuji) 선(오사카(도쿄에 이어, 일본 제2의 도시권 인구를 가지는 도시)에서, 최초로 개업한 지하철(주로 지하를 달리는 철도) 노선.1933년 개업.노선 거리, 24.5 km), 히가시야마(higashiyama) 선(나고야(nagoya)(도쿄, 오사카에 뒤잇는, 일본 제3 도시권 인구를 가지는 도시)로, 최초로 개업한, 지하철(주로 지하를 달리는 철도) 노선.1957년 개업.노선 거리 20.6 km)에 이어, 일본 전국의 지하철(주로 지하를 달리는 철도) 노선 중(안)에서, 3번째에, 흑자액이, 큰, 지하철(주로 지하를 달리는 철도) 노선이 되고 있습니다.
이 사진은, 지하철의 환승역에서, 이 날의 가에 촬영한 사진.현재, 긴자(ginza) 선에서는, 01계 차량(1984년에 데뷔(debut)(시작차는, 1983년에 데뷔(debut))한 차량)와 신1000계 차량(2012년에 데뷔(debut)한 차량)와 2 종류의(2개의 계통의), 지하철 차량이 사용되고 있습니다만, 사진은, 01계 차량(1984년에 데뷔(debut)(시작차는, 1983년에 데뷔(debut))한 차량).01계 차량은, 곧 있으면, 모두, 은퇴해, 모두, 아래의, 신1000계 차량에 옮겨질 예정입니다.
사진 이하 2매는, 지하철의 환승역에서, 이 날의 오는 길에 촬영한 사진.이쪽은, 긴자(ginza) 선의, 신1000계 차량(2012년에 데뷔(debut)한 차량)입니다.신1000계 차량의 디자인(design) (은)는, 1927년에, 지하철, 긴자(ginza) 선의 개업과 함께 데뷔(debut)한, 지하철, 긴자(ginza) 선으로, 최초의 차량인, 1000 계 차량을 이미지 한 것이 되고 있습니다.일본에서는, 근년, 근대의 디자인(design)을, 재평가하는 흐름에 있습니다.향후, 01계 차량과의 치환이 진행되어 내년(2016년)까지, 모두, 01계 차량과 옮겨놓을 수 있어 긴자(ginza) 선의, 모든 차량이, 신1000계 차량이 될 예정입니다.
니혼바시(nihonbashi) area(도쿄도심부안에서도, 중심적인 지역에 위치한다)는, 에도(edo) 시대(17 세기)부터, 도쿄를 대표하는 일등 상업지입니다.
사진 이하 6매.니혼바시(nihonbashi) area의 풍경예.

이것은, 전에 업(upload) 한 사진의 재이용.
사진 이하 3매는, 이 때, COREDO 무로마치(muromachi)(다음에 설명합니다)로부터 촬영한 사진.
사진 이하 2매는, 전에 업(upload) 한 사진의, 재이용.

니혼바시(nihonbashi) area에 있는, 미츠이(mitsui) 본관.1929년에 완성한, 은행등이 들어가는, 오피스(office) 용의 빌딩에서, 제이차 세계대전전에, 도쿄에 지어진 근대 건축의 빌딩중, 현재도 남아 있는, 얼마 안되는 것 중의 하나입니다.현재도, 오피스(office) 용 빌딩으로서 활용되고 있습니다(근대 건축의 보존 의식의 고양등으로부터, 문화재로 지정되어 있습니다).제이차 세계대전전의, 1920년대부터 1930년대에는, 일본의 도쿄나 오사카등에는, 중후하고 아름다운 근대 건축의 빌딩이, 많이 있었습니다만, 현재는, 제이차 세계대전전에 지어진 근대 건축의 빌딩은, 매우 적게 되고 있습니다.덧붙여서, 제이차 세계대전전의 1920년대부터, 1930년대에는, 지진 지대는 아닌, 미국의 뉴욕(New York)와 시카고(Chicago)에서는, 이미, 차례차례로 초고층 빌딩이 건설되고 있었습니다만, 지진 지대의, 일본에서는, 그 무렵은, 당연, 대지진에 견딜 수 있는, 초고층 빌딩의 건축 설계 기술이 완성되지 않고, 도쿄나 오사카에는, 초고층 빌딩이 존재하지 않았습니다(가장, 그 무렵은, 미국의 지진 지대가 아닌 지역을 제외하면, 일본 뿐만이 아니라, 미국 서해안, 유럽등 , 온 세상, 어느 도시에서도, 초고층 빌딩은, 거의 존재하지 않았습니다).제이차 세계대전이 끝나 동안도 없는, 1940년대 후반부터, (전후 부흥 중기 전반의) 1950년대 중반무렵 정도까지는, 도쿄나 오사카에서는, 주로, (제이차 세계대전시의, 미국에 의한 공습으로 파괴되지 않고 살아 남은) 제이차 세계대전전에 지어진, 근대 건축의 빌딩을, 계속 활용하고 있었습니다.그 후, 고도 경제성장에 수반해, 1950년대 후기무렵부터, 간신히, 전후의 현대 건축의 빌딩의 건설 붐(boom)이 일어나기 시작해(덧붙여서, 일본에서, 일본과 같은 지진 지대의 대지진에서도, 괜찮은 초고층 빌딩을 설계 건축하는 기술이 성숙해, 초고층 빌딩이 지어지는 것처럼 된 것은, 1960년대 후기 이후), 1950년대 후기부터 1960년대를 통해서, 도쿄나 , 오사카에서는, 전쟁 전에 지어진, 중후한 근대 건축의 빌딩이, 전후에 지어진, 기능적인 현대 건축의 빌딩에, 차례차례로, 바꿀 수 있는 것처럼 되었습니다(그 무렵은, 경제성장 최우선이며, 노후화 한 근대 건축을 수리하면서, 보존·활용하자 등이라고 말하는, 여유가 없었다).

사진상은, 미츠이(mitsui) 본관에 인접해 지어지고 있는, 초고층 빌딩, 니혼바시(nihonbashi) 미츠이(mitsui) tower(높이 약
195m.39세워).인접하는 미츠이(mitsui) 본관에 조화를 이루는 님, 침착한 디자인(design)이 되고 있습니다.니혼바시(nihonbashi) 미츠이(mitsui) tower의, 주로 상층층에는, 도쿄의, 최고급 호텔의 하나인, 만다린 동양풍 도쿄(Mandarin
Oriental,
Tokyo)가 입주하고 있는(니혼바시(nihonbashi) 미츠이(mitsui) tower는, 그 이외는, 대체로, 오피스(office)).
이 때, 니혼바시(nihonbashi) area에 놓여져 있던, 광고지(leaflet)의 하나.나는, 이 전람회(exhibition)에 가고 있지 않고, 지금 단계, 갈 생각도 없습니다만, 미츠이(mitsui) 본관에 들어가 있는, 미츠이(mitsui) 기념 미술관(아래의 보충 설명 참조)에서, 8월 29일부터 11월 3일까지 행해지고 있는, 일본의, 수험도(syugendo)(일본 고래의 산악 신앙과 불교가 합쳐진 종교)의, 낡은, 불상등의 전람회(exhibition)의, 광고지(leaflet).사진의, 광고지(leaflet)의 불상은, 이 전람회(exhibition)의, 전시물의 예로, 어느 쪽도, 평안(heian) 시대(794년부터 1185년)부터 카마쿠라(kamakura) 시대(1185년부터 1333년)에 만들어진, 일본의 불상입니다.
미츠이(mitsui) 기념 미술관:미츠이(mitsui) 가(근대의 일본에서 최대급의 재벌(근대 일본의, 3 대재벌 또는 4 대재벌) 가의 하나)의, 재보(미츠이(mitsui) 가의 재보중, 주로, 일본, 및, 일본 이외의 동양의, 전통, 미술품·공예품)나 역사적 자료를, 보존·전시하는, 사영의 미술관.
사진 이하.이 날은, COREDO 무로쵸(muromachi)(니혼바시(nihonbashi/`jarea에 있는 상업 빌딩의 하나.실질적으로는, 백화점과 같은 물건)으로, 이 때, 개최되고 있던, 아트 아쿠아리움(art aquarium)라고 하는 행사를 보고 왔습니다.아트 아쿠아리움(art aquarium)는, 한마디로 설명하면, 금붕어(goldfish)의 수족관(public aquarium)와 art(현대 art)가 융합한 님행사입니다.니혼바시(nihonbashi) area에서는, 아트 아쿠아리움(art aquarium)는, 2011년부터, 매년, 여름에 개최되고 있고, 금년으로, 5번째가 됩니다.니혼바시(nihonbashi) area의, 아트 아쿠아리움(art aquarium)는, 전부터, 조금 신경이 쓰이고 있었습니다만, 이 때, 처음으로, 방문했습니다.뭐, 깨끗하고, 흥미롭지는 있었습니다만, 금붕어(goldfish)가, 조금, 불쌍한 생각도 들었습니다.별로, 이제(벌써), 보러 가지 않아도 좋을까라고 한 느낌입니다 w.덧붙여서, 아마, 일본은, 양질인(고급), 금붕어(goldfish)의, 세계적인 산지의 하나가 되고 있습니다.
사진 이하 2매.이 때, 니혼바시(nihonbashi) area에 놓여져 있던, 아트 아쿠아리움(art aquarium) 관련의, 광고지(leaflet).
사진 이하.금년의, 니혼바시(nihonbashi) area의, 아트 아쿠아리움(art aquarium)의 전시 풍경예.아트 아쿠아리움(art aquarium)의 전시 내용은, 매년, 다른 님입니다.
사진 이하 2매는, 니혼바시(nihonbashi) area의, 무료의 정보지보다...
사진 이하 2매의 금붕어(goldfish)는, 중국 원산의 금붕어(goldfish)입니다만, 일본을 생각하게 하는(일본의 국기를 생각하게 한다), 금붕어(goldfish)로, 일본에서, 인기가 높은 금붕어(goldfish)의 하나가 되고 있습니다.
좀, 앞 사람의, 머리가, 방해입니다만...w
이하의 투고(바로 아래에서 링크를 붙인 투고)에 계속 된다...
니혼바시·taimeiken 그라탕외→

