音楽/歌手



この投稿は、前に、kjで行った、「初めて買ったCD」と言う投稿に、内容を付け加えて、編集したものです。IE等で、写真が見られない場合は、Firefoxで、ご覧下さい。


この投稿の、動画・曲は、全て、you tubeから借りて来た物です。


IE等で、この投稿の写真が見られない場合は、FireFoxで、ご覧下さい。




私が子供の頃(小学生の頃)の写真です(前に、我が家の近所の実家を訪れた際に、出て来た、古い写真の中から、私が写っている物の一部を貰って来て、我が家に保管してある物の中から、一枚)。この写真は、一定期間経過後、削除するかもしれません(と書きつつ、使い勝手の良い写真なので、私の多くの投稿で使い回してしまっていますがw)。夏の休暇時期の写真で、とても日焼けしていますw 左側の帽子は、私の2歳年下の弟の帽子(私は兄弟姉妹は2歳年下の弟が一人います)、右側の帽子は、私の父の帽子で、写真は、私の母が撮影した写真です。服は、夏の休暇時期なので、とてもカジュアルな服装になっています(普段、小学校に通う時は、もう少し、お洒落をして行きましたw)。子供の頃(小学生の頃)は、夏の休暇時期は、この様な服で、飛び回っていました。 ちなみに、私の家族の肌の色は、父(白)、母(白)、私の弟(白)、私だけ、(おそらく私の母方の祖父の隔世遺伝で)どちらかと言えば黒です(ちなみに、どうでも良い事ですが、家族全員、酒飲みで、酒には強いですw)。例えがイケメン俳優さんで申し訳ありませんがw、私の肌の色は、調度、竹野内 豊さんと同じ位の感じです(ちなみに、どうでも良い事ですがw、私よりも竹野内豊さんの方がまあまあ年上です)。この写真は、いつ頃、撮影された写真か、記憶が定かではないのですが、たぶん、Bon Joviごっこをしていたw(Bon Joviごっこをし始めた)、小学校、高学年の頃の写真です。上の写真で見て分かる通り、私は、子供の頃(小学生の頃)は、少し、丸々としていました(少し、太っていました)。

上の写真の詳細に関しては、以下の投稿を、参照して下さい。


適当に雑多なJ-pop(日本語)→

/jp/board/exc_board_2/view/id/2572135?&sfl=membername&stx=jlemon

適当に雑多なJ-pop(韓国語)→

/kr/board/exc_board_2/view/id/2572135?&sfl=membername&stx=jlemon







「きまぐれオレンジロード(Kimagure Orange Road)」の、TVアニメシリーズ(TV anime series)(1987年から1988年にかけて放映)の、テーマ曲(Openingテーマ曲と終わりのテーマ曲)集です。「きまぐれオレンジロード(Kimagure Orange Road)」は、1980年代の、日本の、中学か高校(どちらか忘れた)を舞台とした、青春物の、漫画・TVアニメシリーズ(TV anime series)です(漫画は、1984年から1987年。アニメ(anime)は、1987年から1988年)。「きまぐれオレンジロード(Kimagure Orange Road)」の当時、私は、まだ小学生でしたが、将来(中学生・高校生になったら)、「きまぐれオレンジロード(Kimagure Orange Road)」の、主要な登場人物の一人である、鮎川 まどか(ayukawa madoka)(黒髪(黒い髪)で、髪が、比較的、長い方の女性)のような、女性を、彼女にしたい(鮎川 まどか(ayukawa madoka)のような女性に惚れられたい)と思ってましたw










今年の1月、彼女とデートした際に、東京駅の前で、彼女が、ふざけて撮った、私の写真。プライバシーの為、髪型(髪)まで、全て隠す為に、顔を隠す黒い部分は、ゆとりを持って、大きめに取ってあり、実際の顔は、黒い部分よりも、小さいですw ちなみに、私の肩の形の関係かな。。。私は、コート(coat)を着ると、体格が、良く見えますが、実際は、コート(coat)を着て見えるよりも痩せていますw(コート(coat)の中身は、痩せていますw)。


上の写真の詳細に関しては、以下の投稿を、参照して下さい。


東京(日本語)→

/jp/board/exc_board_39/view/id/2538883?&sfl=membername&stx=jlemon

東京(韓国語)→

/kr/board/exc_board_39/view/id/2538883?&sfl=membername&stx=jlemon








私は、小学校高学年で、聴く音楽に関して、親離れをし(親の影響下を脱し)、自分自身の(自分独自の)、音楽の趣味に目覚めるまでは、親(主に母親)の影響で、J-popやソフトな(柔らかい)洋楽(イギリス・アメリカを中心とした西洋の)pop等を聴いていました。

そんな、親(母親)の影響で、よく聴いていた、J-pop・ソフトな(柔らかい)洋楽(イギリス・アメリカを中心とした西洋の)pop等の一つに、Duran Duranがあります。ちなみに、Duran Duranのベーシスト(bassist)、John Taylorは、小学生の頃、思い出せる限り、男ながら、漫画・アニメの登場人物以外で、初めて格好良いと思った男の一人です。ちなみに、私は、別にホモではありませんw(と言うか、自分では、かなりの女好きの(女性が好きな)男だと思いますw)。




Duran Duran-「Notorious」(1986年)。














前述の通り、私は、小学校高学年で、聴く音楽に関して、親離れをし(親の影響下を脱し)、自分自身の(自分独自の)、音楽の趣味に目覚めるまでは、親(主に母親)の影響で、J-popやソフトな(柔らかい)洋楽(イギリス・アメリカを中心とした西洋の)pop等を聴いていたのですが、小学校高学年の時、Bon Joviを、初めて聴いた際に、こんな音楽があるのかと衝撃を受け、以来、hard rock・ heavy metalの魅力に取りつかれ、中学生の頃、hard rock・ heavy metalを、とても、よく聴いていました(CDも、たくさん買いました(CDもたくさん、持っていました))。

ちなみに、Bon Joviは、世界的に人気が出る前に、日本で、むしろアメリカ国内よりも(たぶん)、人気があったのですが(日本の若い女性達にアイドル的な人気を博していた)、そんな、日本で、若い女性達に、アイドル的な人気を博していた頃の、Bon Joviは、当時、私は知らなくて(その当時は、まだ、私は、親の影響下で、J-popやソフトな(柔らかい)洋楽(イギリス・アメリカを中心とした西洋の)pop等を聴いていた)、私が、Bon Joviを知ったのは、Bon Joviが世界的に人気が出てからです(Bon Joviの3作目のアルバム、「Slippery When Wet(日本名、ワイルド・イン・ザ・ストリーツ)」(1986年)が、世界的に、ヒットしてからです)。

私が、小学校高学年の頃、生まれて初めて、自分の意志で、且つ、自分の、お小遣いで買ったCDは、Bon Joviの3作目のアルバム、「Slippery When Wet(日本名、ワイルド・イン・ザ・ストリーツ)」(1986年)です。ちなみに、当時、私は、異性に目覚めている部分はありましたが、まだ、性欲には目覚めていなかったのですが、「Slippery When Wet(日本名、ワイルド・イン・ザ・ストリーツ)」の、日本版のジャケット(と言うか、日本版のジャケットが、元々のジャケットで、アメリカ国内版のジャケットは、元々のジャケットが、過激過ぎる等と言った理由で、差し替えられた物であるようです)が、恥ずかしいと言う認識はあり、それを誤魔化す為等の理由で、EUROPEのアルバム、「The Final Countdown」(1986年)も、その時、一緒に買ったのは内緒ですw(と言うか、別に内緒ではありませんw ちなみに、「The Final Countdown」も、いいアルバムでした)。

小学校高学年から中学校2年生頃、家で、Bon JoviのCDをかけながら、鏡に自分を映して、Bon Joviのボーカリスト、Jon Bon Joviの歌真似をして、一人で、Bon Joviごっこをしていたのは、赤面の(恥ずかしい)思い出ですw しかしながら、この小学校高学年から中学校2年生頃の赤面の(恥ずかしい)行為(Bon Joviごっこ)が、後に、意外な所で、役に立ち、若い頃(大学生の頃)、北米(アメリカ・カナダ)の、カラオケ(karaoke)バー・カラオケ(karaoke)パブに客として訪れ、店のステージで、Bon Joviを歌った際に、店内の客達に、大うけしましたw

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Bon Jovi-「You Give Love a Bad Name」(1986年)。私が、小学校高学年の時、生まれて初めて買ったCD、「Slippery When Wet(日本名、ワイルド・イン・ザ・ストリーツ)」(1986年)の収録曲です。














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Bon Jovi-「I"ll Be There for You」(1988年)















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Bon Jovi-「Living in Sin」(1988年)。
















前述の通り、私は、小学校高学年の時、Bon Joviを、初めて聴いた際に、こんな音楽があるのかと衝撃を受け、以来、hard rock・ heavy metalの魅力に取りつかれ、中学生の頃、hard rock・ heavy metalを、とても、よく聴いていましたが(CDも、たくさん買いました(CDもたくさん、持っていました))、Skid RowとL.A. Gunsは、私が中学生の頃、とても好きであった、bandです。L.A. Gunsに関しては、中学から高校の初めにかけて好きでした(当時、Guns N” Rosesも好きでしたが、L.A. Gunsの方が、より好きでした)。




Skid Row-「I Remember You」(1989年)。

















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L.A. Guns-「The Ballad of Jayne」(1989年)。ちなみに、L.A. Gunsの、ボーカリスト(vocalist)、Phil Lewisの、奥さん(妻)は、日本の、一般人の(たぶん。。。)、女性です。













以下、おまけで、前に行った投稿の中から、抜粋して来た物です。



私は、東京生まれ、東京育ちで、個人的に、若い頃(特に高校生から20代の前半にかけて)、東京の都心部等のclub(nightclub)で、よく、夜遊びしたり、よく、合コン(友人や知り合い等の紹介による、男女が、知り合う為の、居酒屋等での、飲み会や食事会。日本では、大学生等の学生位の年齢(18歳位)から20代位の年齢の若者の間で、盛んに行われている)に参加する等して、よく遊んでいました。ちなみに、今は、落ち着いて、真面目なw、大人となっています。

私は、高校時代(私の高校生活は)、爽やかな面も、あった事はあったのですが、素朴で、爽やかな青春と言うよりは、どちらかと言えば、(当時、当時の私と同じ位、程度の低かったw、友達達と共に)、club(nightclub)等で、よく、夜遊びしたり、(私は、普通の、男女共学の高校に通っていて、学校内の、女の子達とも、仲良くしていたのですが)、よく、他の高校に通う、女の子達等と、合コン(友人や知り合い等の紹介による、男女が、知り合う為の、居酒屋等での、飲み会や食事会。日本では、大学生等の学生位の年齢(18歳位)から20代位の年齢の若者の間で、盛んに行われている)したりして、また、ここでは書けないような事をしたりして(人を傷つけるような事ではありません)、どちらかと言えば、都会の、荒くれた(率直に言ってしまえば、爽やかと言うよりも、どちらかと言えば、猥雑で、堕落して、馬鹿っぽい(馬鹿のような))高校生活を送っていましたw(まあ、それは、それで、楽しかった)。

私は、学生(高校生・大学生)の頃は、今と違い、外見を派手に飾り立てていて、ヘソにピアスを開けていた事もあります(まあ、後述するように、ヘソにピアスを開けていた期間は、それ程、長くなかったのですが)。

私は、学生時代、耳(耳たぶ)とヘソにピアスを開けていた時期があったのですが、(男ですが)軟弱者で、両方共、他人に開けて貰いました。

私は、耳(耳たぶ)の方は、当時、親しくしていた女の子に、ヘソの方は、そうした事が得意な、当時の、男性の友人の一人(優しくて、いい奴でしたが、「穴あけ名人」ある事を、女性を口説く手段にも使っていましたw)に開けて貰いましたw   ちなみに、ヘソのピアスに関しては、ヘソにピアスをしていた事で、具体的に健康に影響があった訳ではありませんが、何だか、違和感があって、ヘソのピアスは、それ程、長い期間していませんでしたw  私は、東洋医学の、体のツボのような事は、あまり信じない方ですが、それでも、何だか、内臓に近い場所に絶えず穴を開けて置くと言うのは、体に良くないような気がしますw

前述したように、私は、学生の頃、外見を派手に飾り立てていて、また、年齢も若かった事もあって、街を歩けばホストのスカウトの声がかかったりしてました(ちなみにホストなんて絶対やる気がしませんでしたw)。また、芸能人・モデル(model)事務所の人から、スカウトの声をかけられる事もありましたが、その様な世界は、興味がなかった為、全て、断っていました(私は身長は176cmから177cmで、モデル(model)としては、身長が物足りないと思いますし、俳優をするにしても、(そもそも、演技なんてした事ないですが)、演技なんて出来ないと思います。何れにしても、その様な世界に入っても、成功しないまま、無駄な時間を費やして、ストレスだけ抱えて、芸能人・モデル(model)事務所をやめて終わったと思いますw また、そもそも、芸能人・モデル(model)事務所を名乗っていても、詐欺だったのかもしれませんし。。。)。


私は、若い頃、私の疑似的な弟と言った、男性の親友がいました。以下、その、私の若い頃の、男性の親友について書きます。


以下、参考に、しばらく、大島 薫(ooshima kaoru)について紹介します。以下、大島 薫(ooshima kaoru)についてはwikiを参考にしました。



写真は借り物。写真左、堀江 貴文(horie takafumi)。写真右、大島 薫(ooshima kaoru)。堀江 貴文(horie takafumi)(1972年生まれ。九州(kyusyu)(日本の南部)出身。東京大学(東京にある国立の大学で、日本を代表する名門大学)中退)は、日本の実業家です。かつては、自分の経営している会社の株(株式)等で、日本有数の、金持ちとなりましたが、2006年に、証券取引法違反により逮捕されました。裁判を経て、2011年に刑務所に収監され、2013年に釈放されました。その後は、前程、目立ちませんが、地道に、実業家やタレント(テレビに出演する事等を職業とする人)等として活動を行っています。堀江 貴文(horie takafumi)は、一時期(2016年頃)、大島 薫(ooshima kaoru)との交際を噂されていました。私は、大島 薫(ooshima kaoru)の事は、堀江 貴文(horie takafumi)の、大島 薫(ooshima kaoru)との交際の噂のニュース(報道)で初めて知りました(私は、大島 薫(ooshima kaoru)の事は、それまで知りませんでした)。ちなみに、堀江 貴文(horie takafumi)は、普通に、女が好きな男性のようで、別に、ゲイ(gay)ではない様です。堀江 貴文(horie takafumi)は、大島 薫(ooshima kaoru)と、実際に、交際していたのかどうかは分からないようですが、堀江 貴文(horie takafumi)と大島 薫(ooshima kaoru)が、一緒に、ホテルに宿泊した事があるのは事実な様です(また、大島 薫(ooshima kaoru)の話によれば、堀江 貴文(horie takafumi)との間に、少なくとも、肉体関係はあったようです)。


大島 薫(ooshima kaoru)(1989年生まれ。身長165cm)は、元(かつての)、女性の役として、AV(日本の、porn作品)に出演する、AV(日本の、porn作品)俳優(男性)です。日本系、ブラジル(Brazil)人ですが、幼い頃から、日本に暮らし、日本で育ちました(大阪(東京に次ぐ、日本第二の都市圏人口を有する都市)育ち。私の推測なので間違っていたら申し訳ありませんが、おそらく、割と、貧しい家庭で、育ったのではないでしょうか)。大島 薫(ooshima kaoru)は、あくまで、男性であり、性転換手術や女性ホルモンの注射等は、行っていない様です。大島 薫(ooshima kaoru)は、15歳から、趣味で、女装(女性の服を着たり、女性のような化粧をする事)を始め、女装(女性の服を着たり、女性のような化粧をする事)のまま、男性とsexを経験した事もあり、生活の為に、ゲイ(gay)の、AV(日本の、porn作品)に出演したりしましたが、それまでの、男性とのsex経験は、あくまで、趣味としての、女装(女性の服を着たり、女性のような化粧をする事)から来る、男性とのsex経験であった為、男性として、男性とsexをする、ゲイ(gay)業界に疑問を抱き、2010年代初め頃から、女性の役として、AV(日本の、porn作品)に出演する、AV(日本の、porn作品)俳優となり活躍し、2015年に引退してからは、地味に(目立たなく)、タレント(テレビに出演する事等を職業とする人)等として活動を行っている様です。大島 薫(ooshima kaoru)は、男性への性的な興味は、女装(女性の服を着たり、女性のような化粧をする事)の趣味を通じての物で、恋愛の対象は、基本的に、女性であるとしていますが、女性に性転換手術をした男性と交際していた事もある様です。ちなみに、大島 薫(ooshima kaoru)は、現在は、本人(大島 薫(ooshima kaoru))と同様の、趣味で、女装(女性の服を着たり、女性のような化粧をする事)を行う男性と交際している様です。


写真以下5枚。写真は、借り物。大島 薫(ooshima kaoru)。後述する、O君は、私の親友であった若かった頃、以下5枚の写真の、大島 薫(ooshima kaoru)に顔が似ていました。

















以下、私の若い頃の、親友の一人で、上で紹介した、大島 薫(ooshima kaoru)の、この投稿でアップ(upload)した上の5枚の写真の顔に、当時、顔が似ていた男性について書きます。その男性の名前については、以下、(大島 薫(ooshima kaoru)の、この投稿でアップ(upload)した上の5枚の写真の顔に、当時、顔が似ていた事から)、仮にO君と書きます。


O君の顔は、上の5枚の写真の、大島 薫(ooshima kaoru)の顔に、そっくり(完全に同じ位に、とてもよく似ている)と言う程ではありませんが、似ていました。

ちなみに、O君は、大島 薫(ooshima kaoru)のような、女装(女性の服を着たり、女性のような化粧をする事)の趣味はなく、髪も男性にしては長かったですが、女性のように長いと言う程でもなく、髪型、及び、髪の長さは、私は、ホストについては、あまり詳しくないのですが、ホストによくあると言った感じの(イメージの)、髪型、及び、髪の長さでした。髪の色は、茶色く染めていた時もありましたし、地毛の黒い髪の時もありました。

身長は、大島 薫(ooshima kaoru)は、165cmと、とても小柄ですが、O君は、大島 薫(ooshima kaoru)よりかは、身長は高く、身長は、168cmから170cm位ありました。まあ、それでも、何れにしても、O君は、小柄な事は、小柄でした。

O君は、上の5枚の写真の、大島 薫(ooshima kaoru)の顔に、顔が似ていた通り、可愛い顔系の、イケメンで、女の子達に、モテモテでした(とても、もてていました)。

韓国では、男性の身長は重要な様ですが、日本では、小柄な男性でも、イケメンであったり、可愛い顔をしていれば、女性達に、もてます。

O君も、街を歩けばホストのスカウトの声がかかったりしていた様ですが、(私は前述の通り、学生の頃、芸能人・モデル(model)事務所の人から、スカウトの声をかけられる事もありましたが)、O君の場合、身長が、168cmから170cm位と小柄で、身長が足りなかった為か、芸能人・モデル(model)事務所の人から、スカウトの声をかけられた事は、一度もなかったそうです。ただ、O君は、下手な(平凡な)、ジャニーズのアイドルグループのメンバーよりも、ハンサムで可愛い顔をしていた為、(ジャニーズ事務所の採用の方式はよく分からないのですが)、O君が、その様な世界に興味があり、自ら、又は、ジャニーズのアイドルに有り勝ちな?w、(O君は、一人っ子でしたが)、仮にO君に、お姉さんがいたとして、お姉さんが、ジャニーズのオーディションに応募していたとしたら、O君は、少なくとも、ジャニーズのオーディションには、簡単に?、受かっていたような気がします。

私が、O君と知り合ったのは、私が、20歳の時で、O君は、当時、18歳でした。

O君は、元々、私が、当時、交際していた女の子の知り合いで、私は、その女の子の紹介で、O君と知り合いました。私は、その女の子とは、短期間で別れたのですが、私とO君との、親友としての付き合いは、その後、長く続きました。

私とO君は、知り合って、間もなく、不思議と、お互いに惹かれ合い(惹かれ合いと言っても、私もO君も、ゲイ(gay)では、全くありませんし、二人とも、女好きの(女が好きな)男性ですw)、すぐに、とても仲良くなり、私が20代の初め頃から20代の半ば頃、O君が10代の終わりから、20代の初め頃、二人は、親友として、とても、よく、一緒に、遊んでいました。

O君は、調度、私の弟と、同い年の、私の2歳年下で、O君は、一人っ子であるので、O君は、私の事を、お兄ちゃんのように(私を、お兄ちゃん代わりとして)、とても、よく慕ってくれました。また、私も、O君も、とても、女好き(女が好き)と言う共通点がありましたw O君は、club(nightclub)での、女の子・女性のナンパ等、夜遊びの先輩としても、私の事を、よく慕ってくれました。ちなみに、私は、根本的に、shyな性格であるので、若い頃、(路上で、女性を、ナンパした事は、全くない訳ではありませんが)、路上では、女性をナンパする事は、ほとんどありませんでしたが(路上等での、女性のナンパは、苦手でしたが)、club(nightclub)での、女性のナンパは、個人的に、大丈夫でした。O君と二人で、よく、夜遊びをし、club(nightclub)で、女の子・女性をナンパしましたし、また、それぞれ、当時、交際していた女の子を連れて、4人で、よく、ダブルデート(double date)に出掛けて、遊んでいたりしていました(私も、O君も、それぞれ、当時、女性の入れ替わりが激しかったので、ダブルデート(double date)において、私も、O君も、女性は、よく入れ替わっていましたがw)。ちなみに、O君は、AV(日本の、porn作品)を見るのも、好きで、交際している女性と一緒にAV(日本の、porn作品)を見るのも好きでした。ちなみに、私は、男と一緒に、AV(日本の、porn作品)を見る気はせず(AV(日本の、porn作品)は見るならば、一人か、又は、交際している又は親密な、女性と見るのが良い)、O君と一緒に、AV(日本の、porn作品)を見た事はありません。

私も、O君も、当時、外見を派手に飾り立てていて、私と、O君が、夜の繁華街を、二人で歩いていると、キャバクラ(kyabakura)(下の補足説明参照)の、客引きの男性達が、(私達が通ると)、「こいつ等(私とO君)は、キャバクラ(kyabakura)で、ホステス(hostess)から金を巻き上げられるよりも、ホストとして、ホストクラブに客として来た、ホステス(hostess)から金を巻き上げる方だろう」と言った感じで、一歩、後ずさったりしていましたw  また、当時、私と、O君が、二人で歩いていて、何故か、ホストクラブの客引きの、若いホストに、会釈された事もありますw
キャバクラ(kyabakura):日本の特殊な飲食店の形態の一つで、女性が、会話等で、男性の接待を行う形式の、酒(アルコール(alcoholic)飲料)を提供する飲食店。キャバクラ(kyabakura)は、日本では、大都市の、大規模な繁華街を中心に多くあります。ちなみに、私は、昔から(若い頃から)、キャバクラ(kyabakura)には、全く、興味がなく、キャバクラ(kyabakura)は、仕事の取引先の方と、東京都心の繁華街の、キャバクラ(kyabakura)に、何度か、訪れた事があるだけです(私生活において、キャバクラ(kyabakura)を訪れる気には、全くなりません)。ホステス(hostess)は、日本においては、キャバクラ(kyabakura)に勤務する女性を意味します。ホステス(hostess)は、売春婦とは異なり、ホステス(hostess)の仕事には、sex等、性的な物は、含まれていません(愛人関係等、客と、男女(男と女)の関係等になる事はあるが、それは、ホステス(hostess)としての職業の範囲外での話)。

O君は、ギター(electric guitar)が、とても上手で、高校生の頃は、(もちろんアマチュアで)、バンド活動をしていて(O君は、バンドではギターを担当していました)、O君は高校生当時、女の子達の、ファンも、それなりに多くいたようです(もちろん、アマチュアバンドのメンバーとして)。O君は、高校卒業後は、バンド活動はしていませんでしたが、たまに、O君の友人が所属する、アマチュアバンドの、助っ人として、又は、ゲストとして、ステージでギターを弾く事があったのですが、その際には、観客の女の子達から、「あの格好良い(又は、イケメンの・可愛い)人は、誰?」と言った感じで話題になったようです(もちろん、アマチュアとして)。ちなみに、私は、高校生の頃は、バンド活動はしていませんでしたが、大学生の頃、Jロック系のバンド活動もしていて(もちろんアマチュアで)、バンドではボーカルを担当していましたが(ちなみに大学卒業後は音楽活動のような物は一切していません)、私とO君では、バンド活動していた音楽の分野が異なります(私はJロック系、O君は、Visual系・hard rock/ heavy metal系)。

O君は、高校を卒業した後、4年間程の間、専門学校に通ったり、アルバイトで、バーテンダー(bartender)として働いたり、アルバイトで、服店の店員として働いたりしながら、割と、ふらふらと過ごした後、20代の初め頃に、服関係の会社に正式に就職し、服関係の会社の会社員となりました。

前述の通り、私が20代の初め頃から20代の半ば頃、O君が10代の終わりから、20代の初め頃、二人は、親友として、とても、よく、一緒に、遊んでいましたが、私が20代の後期以降、O君が20代の半ば以降は、お互いに、仕事が忙しく、また、それぞれ、新たな交遊関係が出来た事等から、徐々に、お互いに会わなく・お互いに連絡を取らなくなり、親友・友人の関係は、自然消滅して行きました。O君とは、現在は、既に、連絡が途絶えていますが、O君は、頭が良く、何でも、器用に上手にこなせる男性であるので、何をやっているにしても(現在も、そのまま、服関係の会社の会社員として働き続けているにしても)、上手くやっているのではないでしょうか(ただし、O君が、結婚したと言う消息を聞かないまま、O君とは連絡が途絶えてしまったのですが、O君は、女癖が良くなかったので、それが直っていなければ、結婚しても、上手く行かないと思います(O君の浮気で、妻が苦労すると思います))。

O君は、母親一人、息子(O君)一人の、母子家庭で育ち、当時、実家で、母親と二人暮らしでした。O君の、母親は、未婚の母であり、O君は、O君の、母親が、キャバクラ(kyabakura)のホステス(hostess)として働いていた時に生まれた子供であり、O君の父親は、O君の、母親を妊娠させた後、どこかに逃げてしまったそうで、O君は、父親に一度も会った事がありませんでした。O君の母親は、私は、少し会った事がある程度ですが、O君に、顔が、よく似ていると言う訳ではなかったのですが、(水商売で働いている女性なので、化粧は濃かったですが)、可愛い顔をした女性であり、若い頃は、とても可愛かったのだろうなと言う面影を感じさせる女性でした(O君の、母親が、キャバクラ(kyabakura)のホステス(hostess)として働いていた若い頃、O君の、母親は、働いていた、キャバクラ(kyabakura)で、人気トップクラスのホステス(hostess)であったそうです)。O君の、母親は、当時、スナック(snack)(下の補足説明参照)を経営しており(スナック(snack)のママ(mama)をしており)、O君の、母親が経営する、スナック(snack)は、とても繁盛しており、O君の実家は(まあ、実家と言っても、O君の母とO君の二人暮らしでしたが)、金銭的に、ゆとりがありました。O君の実家は、下町(shitamachi)(旧市街。東京中心部(東京23区)の東部。基本的に、庶民的な街・住宅地となっている)にありましたが、立派で、広い、マンション(アパート)でした。
スナック(snack):私は、スナック(snack)を利用した事が、ほとんどないので、よく分かりませんが、スナック(snack)は、日本では、女性が経営をし(経営者は、ママ(mama)と呼ばれる)、接客を行う、バー(bar)の事を意味します(おそらく。。。)。日本には、もちろん、普通の、バー(bar)も、とても、たくさんありますが、スナック(snack)も、とても、たくさんあります。恋愛を含めて、たくさんの経験を積んだ、話の上手な、ママ(mama)(スナック(snack)の経営者である、中年から高齢者の女性)と、話しをしながら、酒(アルコール(alcoholic)飲料)を飲むのは、男でも、女でも楽しい様です(スナック(snack)の客は、男性が、主な客層であり、女性客よりも、男の客の方が、ずっと(遥かに)、多い様ですが。。。)。ちなみに、私は、通常のバー(bar)では、よく(頻繁に)、お酒(アルコール(alcoholic)飲料)を飲んでいますが、今の所、スナック(snack)には、興味がありません。

O君は、ファッションがとても好きで(服を、お洒落に着るのが、とても好きで)、とても、たくさんの服を持っていました。O君とは、割と長い親友としての付き合いでしたし、よく会っていたので、O君は、もちろん、同じ服を着て来る時もありましたが、イメージ的には、毎回、違う服を着て来ると言った感じでした。O君の母は、仕事が忙しく、子供の頃から、O君に寂しい思いをさせて来た、後ろめたさからか、O君の事を、物質的には、とても、甘やかしていました。O君は、もちろん、自分がアルバイトで稼いだ金も、自分の服を買うために使っていましたが、O君が持っている、とても、たくさんの服を買う金の、ほとんどは、O君の母親が出していたと言った感じでした。


O君は、ファッションがとても好きで(服を、お洒落に着るのが、とても好きで)、ファッションに拘りを持っていましたが、女性用の服を、男性用の服として、着こなす事にも、とても拘りを持っていて、自分が、男性用の服として、着こなす為の服(O君は、女装(女性の服を着たり、女性のような化粧をする事)の趣味は、全くなかったので、決して、女装(女性の服を着たり、女性のような化粧をする事)の為の服ではありません)として買った、女性向けの服も、たくさん持っていました。また、O君は、男性であるのにも関わらず、通常の(普段の)、お出掛けの際にも、唇に、女性向けのグロスを付けていました。


O君は、血液型は、O型でしたが、細かい・繊細な性格であり、潔癖症でした。O君は、常に、自分の、身だしなみを整える事に、気を遣っていましたが、O君は、潔癖症で、外で、自分の、身だしなみを整えたり、用を足したりするのに、まだ、男性用の公共トイレよりも、女性用の公共トイレの方が、ましと言った感じで、男であるのにも関わらず、よく、女性用の公共トイレも使っていました。私は、O君が、女性用の公共トイレを使っている時は、いつもヒヤヒヤしていましたが、O君は、自分は、女性用の公共トイレを使っても大丈夫であると言う、妙な自信を持っていました。ちなみに、O君は、前述の通り、決して、女装(女性の服を着たり、女性のような化粧をする事)をしていた訳ではなかったのですが、当時、不思議と、O君は、女性用の公共トイレを使っても、一度も、通報されたような事はありませんでした。

O君は、潔癖症でしたが、O君にとって潔癖症が解除される(潔癖症が適用されない)、一部の例外的な人達がいました。私を含む一部の男性(と言うか、当時、少なくとも、私は、私以外で、O君の、潔癖症が解除される(潔癖症が適用されない)男性は知りませんでした)と、O君の母親、O君が交際している又は好意を持っている女性です(女性でも、O君の母親と、O君が交際している又は好意を持っている女性以外は、駄目でした(O君の、潔癖症が適用されました))。

ちなみに、O君は、潔癖症なのに、交際している女の子と同じ歯ブラシを共有する事に関しては、平気でした(私は、潔癖症ではありませんが、たとえ交際している女性であっても、それは出来ません)w 私は、無論、ディープキスは平気ですしエッチ(sex)において女性の体のどこを舐めるのも平気ですが(それは、O君も同様でした)w

私は、血液型は、B型で、行動・発言が大雑把な傾向があり(A型の人がイラッと来る大雑把な行動をとる事もあるかもしれませんw その一方で、私は、極端な場合を除き、他人の、大雑把な行動・発言にも寛大であるので、私と過ごす人は気楽であると言う面もあると思います)、不器用である事から、私は、食べ方(食事の仕方)は、決して、綺麗であるとは言えませんが、それでも、食べる時に口の中でクチャクチャ音を立てたり、スープを音を出してすすったり等、食事をする際の最低限のNGは出さないようにしています(と言うか、それ位の事(食べる時に口の中でクチャクチャ音を立てたり、スープを音を出してすすったりしない事等位)は、私の場合、既に、幼稚園児位の時から、自然に身に付いています)。また、私は、行動・発言が大雑把と言う事に関しては、年と共に(年齢を重ねると共に)、注意して来てはいます(あまり、そうし過ぎないようにして来てはいます)。

私とO君が、親友であった当時、二人で、よく、大衆的な居酒屋のチェーンの店舗で、安い焼酎をボトルで頼み、ロックで、ガンガンに飲んでいたりもしたのですが(ちなみに、私も、O君も、酒は強いです)、私は、O君と飲んでいて、酔っ払って来ると、行動が、ますます大雑把になって、面倒になって、よく、O君のグラスに、指で氷をつまんで入れて、O君に渡していたりしたのですが(今は、もちろん、さすがに、如何に酒に酔っても、どの様な場所であっても、誰が相手であっても、その様な事は、絶対にしませんw)、O君は、潔癖症であるのにも関わらず、相手が私の場合は、その様な行動も、全く、平気でした。

ちなみに、私は、若い頃は、馬鹿で、無茶苦茶な事をしていて、私とO君が、親友であった当時、私とO君、女の子・女性の、3人で、ラブホテルや(もちろん、O君の母が留守中に)O君の実家のマンション(アパート)で、3P(男二人対、女性一人のエッチ(sex))をしたりもしていました。ちなみに、下でリンクを付けた、参考投稿、私のAV・男性経験話の中で、「私が、人生の内で、男性と、性的な、接触を持ったのは、後にも、先にも、この時、一度だけです。」と書いていますが、私とO君、女の子・女性の、3P(男二人対、女性一人のエッチ(sex))は、私もO君も、男として(前述の通り、私もO君も、ゲイ(gay)では、全くありません)、女の子・女性、一人相手に、同時に、エッチ(sex)を行っていたので、私は、それは、私の「男性と、性的な、接触」には、含めていません。


以下、参考の投稿。


私のAV・男性経験話(日本語)→

/jp/board/exc_board_50/view/id/2519210?&sfl=membername&stx=jlemon

私のAV・男性経験話(韓国語)→

/kr/board/exc_board_50/view/id/2519210?&sfl=membername&stx=jlemon




처음으로 산 CD



이 투고는, 전에, kj로 간, 「처음으로 산 CD」라고 하는 투고에, 내용을 덧붙이고, 편집한 것입니다.IE등으로, 사진을 볼 수 없는 경우는, Firefox로, 봐 주세요.


이 투고의, 동영상·곡은, 모두, you tube로부터 빌려 온 것입니다.


IE등으로, 이 투고의 사진을 볼 수 없는 경우는, FireFox로, 봐 주세요.




내가 어릴 적(초등 학생의 무렵)의 사진입니다(전에, 우리 집의 부근의 친가를 방문했을 때에, 나온, 낡은 사진중에서, 내가 비치고 있는 것의 일부를 받아 오고, 우리 집에 보관되어 있는 것중에서, 한 장).이 사진은, 일정기간 경과후, 삭제할지도 모릅니다(라고 쓰면서, 사용하기 편리한 사진이므로, 나가 많은 투고로 사용해 돌려 버리고 있습니다만 w).여름의 휴가 시기의 사진으로, 매우 햇볕에 그을리고 있습니다 w 좌측의 모자는, 나의 2세 연하의 남동생의 모자( 나는 형제 자매는 2세 연하의 남동생이 한 명 있습니다), 우측의 모자는, 나의 아버지의 모자로, 사진은, 나의 어머니가 촬영한 사진입니다.옷은, 여름의 휴가 시기이므로, 매우 캐쥬얼인 복장이 되어 있습니다(평상시, 초등학교에 다닐 때는, 좀 더, 멋을 부려서 갔던 w).어릴 적(초등 학생의 무렵)은, 여름의 휴가 시기는, 이와 같은 옷으로, 날아다니고 있었습니다. 덧붙여서, 나의 가족의 피부의 색은, 부(백), 모(흰색), 나의 남동생(흰색), 나만, (아마 나의 외가의 조부의 격세 유전으로) 어느 쪽일까하고 말하면 흑입니다(덧붙여서, 꼭 좋은 일입니다만, 가족 전원, 술꾼으로, 술에는 강합니다 w).비유가 이케멘 배우씨로 죄송합니다만 w, 나의 피부의 색은, 세간, 타케노우치 유타카 씨와 같은 정도의 느낌입니다(덧붙여서, 꼭 좋은 일입니다만 w, 나보다 타케노우치 유타카 씨가 그저 연상입니다).이 사진은, 언제쯤, 촬영된 사진인가, 기억이 확실하지 않습니다만, 아마, Bon Jovi 놀이를 하고 있던 w(Bon Jovi 놀이를 하기 시작한), 초등학교, 고학년의 무렵의 사진입니다.위의 사진으로 보고 아는 대로, 나는, 어릴 적(초등 학생의 무렵)은, 조금, 환들로 하고 있었습니다(조금, 살쪄 있었습니다).

위의 사진의 상세하게 관계해서는, 이하의 투고를, 참조해 주세요.


적당하게 잡다한 J-pop(일본어)→

/jp/board/exc_board_2/view/id/2572135?&sfl=membername&stx=jlemon

적당하게 잡다한 J-pop(한국어)→

/kr/board/exc_board_2/view/id/2572135?&sfl=membername&stx=jlemon






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「와 우연 오렌지 로드(Kimagure Orange Road)」의, TV애니메이션 시리즈(TV anime series)(1987년부터 1988년에 걸쳐 방영)의, 테마곡(Opening 테마곡과 마지막의 테마곡) 집입니다.「와 우연 오렌지 로드(Kimagure Orange Road)」는, 1980년대의, 일본의, 중학이나 고등학교(어느 쪽인지 잊었다)를 무대로 한, 청춘물의, 만화·TV애니메이션 시리즈(TV anime series)입니다(만화는, 1984년부터 1987년.애니메이션(anime)은, 1987년부터 1988년).「와 우연 오렌지 로드(Kimagure Orange Road)」의 당시 , 나는, 아직 초등 학생이었지만, 장래(중학생·고교생이 되면), 「와 우연 오렌지 로드(Kimagure Orange Road)」의, 주요한 등장 인물의 한 사람으로 있다, 아유카와 창문인가(ayukawa madoka)(흑발(검은 머리카락)로, 머리카락이, 비교적, 긴 분의 여성)과 같은, 여성을, 그녀로 하고 싶다(아유카와 창문인가(ayukawamadoka)와 같은 여성에게 반할 수 있는 싶다)라고 생각하고 있었습니다 w










금년의 1월, 그녀와 데이트 했을 때에, 도쿄역의 앞에서, 그녀가, 장난쳐 찍은, 나의 사진.프라이버시이기 때문에, 머리 모양(머리카락)까지, 모두 숨기기 위해, 얼굴을 숨기는 검은 부분은, 여유를 가지고, 큰에 취해 있어, 실제의 얼굴은, 검은 부분보다, 작습니다 w 덧붙여서, 나의 어깨의 형태의 관계일까...나는, 코트(coat)를 입으면, 체격이, 잘 보입니다만, 실제는, 코트(coat)를 입어 보이는 것보다도 야위고 있습니다 w(코트(coat)의 내용은, 야위고 있습니다 w).


위의 사진의 상세하게 관계해서는, 이하의 투고를, 참조해 주세요.


도쿄(일본어)→

/jp/board/exc_board_39/view/id/2538883?&sfl=membername&stx=jlemon

도쿄(한국어)→

/kr/board/exc_board_39/view/id/2538883?&sfl=membername&stx=jlemon








나는, 초등학교 고학년으로, 듣는 음악에 관해서, 부모 떨어져를 해(부모의 영향하를 벗어나), 자기 자신의(자신 독자적인), 음악의 취미에 눈을 뜰 때까지는, 부모(주로 모친)의 영향으로, J-pop나 소프트한(부드럽다) 서양 음악(영국·미국을 중심으로 한 서양의) pop등을 듣고 있었습니다.

그런, 부모(모친)의 영향으로, 잘 듣고 있던, J-pop·소프트한(부드럽다) 서양 음악(영국·미국을 중심으로 한 서양의) pop등의 하나에, Duran Duran가 있어요.덧붙여서, Duran Duran의 베이시스트(bassist), John Taylor는, 초등 학생의 무렵, 생각해 낼 수 있는 한, 남자면서, 만화·애니메이션의 등장 인물 이외로, 처음으로 근사하다고 생각한 남자의 한 사람입니다.덧붙여서, 나는, 별로 호모가 아닙니다 w(라고 말하는지, 스스로는, 상당한 여자 좋아하는(여성을 좋아하는) 남자라고 생각하는 w).



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Duran Duran- 「Notorious」(1986년).














상술한 대로, 나는, 초등학교 고학년으로, 듣는 음악에 관해서, 부모 떨어져를 해(부모의 영향하를 벗어나), 자기 자신의(자신 독자적인), 음악의 취미에 눈을 뜰 때까지는, 부모(주로 모친)의 영향으로, J-pop나 소프트한(부드럽다) 서양 음악(영국·미국을 중심으로 한 서양의) pop등을 듣고 있었습니다만, 초등학교 고학년때, Bon Jovi를, 처음으로 들었을 때에, 이런 음악이 있다 의 것인지와 충격을 받는 이래, hard rock· heavy metal의 매력에 사로잡혀 중학생의 무렵, hard rock· heavy metal를, 매우, 잘 듣고 있었습니다(CD도, 많이 샀습니다(CD도 많이, 가지고 있었습니다)).

덧붙여서, Bon Jovi는, 세계적으로 인기가 있기 전에, 일본에서, 오히려 미국내보다(아마), 인기가 있었습니다만(일본이 젊은 여성들에게 아이돌적인 인기를 얻고 있던), 그런, 일본에서, 젊은 여성들에게, 아이돌적인 인기를 얻고 있었을 무렵의, BonJovi는, 당시 , 나는 몰라서(그 당시는, 아직, 나는, 부모의 영향하에서, J-pop나 소프트한(부드럽다) 서양 음악(영국·미국을 중심으로 한 서양의) pop등을 듣고 있던), 내가, Bon Jovi를 안 것은, Bon Jovi가 세계적으로 인기가 있고 나서입니다(Bon Jovi의 3 작목의 앨범, 「Slippery When Wet(일본명, 와일드·인·더·스트리트)」(1986년)이, 세계적으로, 히트 하고 나서입니다).

내가, 초등학교 고학년의 무렵, 태어나고 처음으로, 자신의 의지로, 한편, 자신의, 용돈에서 산 CD는, Bon Jovi의 3 작목의 앨범, 「Slippery When Wet(일본명, 와일드·인·더·스트리트)」(1986년)입니다.덧붙여서, 당시 , 나는, 이성에게 눈을 뜨고 있는 부분은 있었습니다만, 아직, 성욕에는 눈을 뜨지 않았습니다만, 「Slippery WhenWet(일본명, 와일드·인·더·스트리트)」의, 일본판의 쟈켓(라고 말하는지, 일본판의 쟈켓이, 원래의 쟈켓으로, 미국내판의 쟈켓은, 원래의 쟈켓이, 너무 과격한 등이라고 한 이유로, 교체된 것인 것 같습니다)이, 부끄럽다고 하는 인식은 있어, 그것을 속이기 때문에(위해) 등의 이유로, EUROPE의 앨범, 「The Final Countdown」(1986년)도, 그 때, 함께 산 것은 비밀입니다 w(라고 말하는지, 별로 비밀이 아닙니다 w 덧붙여서, 「The Final Countdown」도, 좋은 앨범이었습니다).

초등학교 고학년으로부터 중학교 2 학년무렵, 집에서, Bon Jovi의 CD를 걸치면서, 거울에 자신을 비추고, Bon Jovi의 가수, Jon Bon Jovi의 노래 흉내를 내고, 혼자서, Bon Jovi 놀이를 하고 있던 것은, 빨간 얼굴의(부끄럽다) 추억입니다 w 그렇지만, 이 초등학교 고학년으로부터 중학교 2 학년무렵의 빨간 얼굴의(부끄럽다) 행위(Bon Jovi 놀이)가, 후에, 뜻밖의 곳에서, 도움이 되어, 젊은 무렵(대학생의 무렵), 북미(미국·캐나다)의, 가라오케(karaoke) 바·가라오케(karaoke) 퍼브에 손님으로서 방문해 가게의 스테이지에서, BonJovi를 노래했을 때에, 점내의 객들에게, 대 받아 했던 w

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Bon Jovi- 「You Give Love a Bad Name」(1986년).내가, 초등학교 고학년때, 태어나고 처음으로 산 CD, 「Slippery When Wet(일본명, 와일드·인·더·스트리트)」(1986년)의 수록곡입니다.














</iframe>"><iframe src="https://www.youtube-nocookie.com/embed/mh8MIp2FOhc?rel=0" allowfullscreen="" frameborder="0" width="560" height="315"></iframe>
Bon Jovi- 「I"ll Be There for You」(1988년)















</iframe>"> <iframe src="https://www.youtube-nocookie.com/embed/VI2-ASiNCac?rel=0" allowfullscreen="" frameborder="0" width="560" height="315"></iframe>
Bon Jovi- 「Living in Sin」(1988년).
















상술한 대로, 나는, 초등학교 고학년때, Bon Jovi를, 처음으로 들었을 때에, 이런 음악이 있다 의 것인지와 충격을 받는 이래, hard rock· heavy metal의 매력에 사로잡혀 중학생의 무렵, hard rock· heavy metal를, 매우, 잘 듣고 있었습니다만(CD도, 많이 샀습니다(CD도 많이, 가지고 있었습니다)), Skid Row와 L.A. Guns는, 내가 중학생의 무렵, 매우 좋아함, band입니다.L.A. Guns에 관해서는, 중학으로부터 고등학교의 처음에 걸쳐 좋아했습니다(당시 , Guns N" Roses도 좋아했습니다만, L.A. Guns가, 보다 좋아했습니다).



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Skid Row- 「I Remember You」(1989년).

















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L.A. Guns- 「The Ballad of Jayne」(1989년).덧붙여서, L.A. Guns의, 가수(vocalist), PhilLewis의, 부인(아내)은, 일본의, 일반인의(아마...), 여성입니다.













이하, 덤으로, 앞에 간 투고중에서, 발췌해 온 것입니다.



나는, 도쿄 태어나 도쿄 태생으로, 개인적으로, 젊은 무렵(특히 고교생으로부터 20대의 전반에 걸치고), 도쿄의 도심부등의 club(nightclub)로, 자주(잘), 밤놀이하거나 자주(잘), 미팅(친구나 알게 되어 등의 소개에 의한, 남녀가, 알게 되기 때문에(위해)의, 선술집등으로의, 회식이나 식사회.일본에서는, 대학생등의 학생위의 연령(18세 정도)으로부터 20 대위의 연령의 젊은이의 사이로, 활발히 행해지고 있다)에 참가하는 등 하고, 잘 놀고 있었습니다.덧붙여서, 지금은, 침착하고, 성실한 w, 어른이 되고 있습니다.

나는, 고교시절( 나의 고교생활은), 상쾌한 면도, 어느A 일은 있었습니다만, 소박하고, 상쾌한 청춘이라고 말하는 것보다는, 어느 쪽일까하고 말하면, (당시 , 당시의 나와 같은 정도, 정도가 낮았던 w, 친구들과 함께), club(nightclub) 등으로, 자주(잘), 밤놀이하거나( 나는, 보통, 남녀공학의 고교에 다니고 있고, 학교내의, 여자 아이들 (와)과도, 사이좋게 지내고 있었습니다만), 자주(잘), 다른 고교에 다니는, 여자 아이들등과 미팅(친구나 알게 되어 등의 소개에 의한, 남녀가, 알게 되기 때문에(위해)의, 선술집등으로의, 회식이나 식사회.일본에서는, 대학생등의 학생위의 연령(18세 정도)으로부터 20 대위의 연령의 젊은이의 사이로, 활발히 행해지고 있다) 하거나 하고, 또, 여기에서는 쓸 수 없는 듯한 것을 하거나 하고(사람을 상처 입히는 일이 아닙니다), 어느 쪽일까하고 말하면, 도시의, 난폭한(솔직하게 말해 버리면, 상쾌라고 말하는 것보다도, 어느 쪽일까하고 말하면, 추잡하고, 타락 하고, 바보 같다(바보와 같은)) 고교생활을 보내고 있었던 w(뭐, 그것은, 그래서, 즐거웠다).

나는, 학생(고교생·대학생)의 무렵은, 지금과 달라, 외관을 화려하게 성장하고 있고, 배꼽에 피어스를 열고 있던 일도 있습니다(뭐, 후술 하도록(듯이), 배꼽에 피어스를 열고 있던 기간은, 그렇게, 길지 않았습니다만).

나는, 학생시절, 귀(귓불)와 배꼽에 피어스를 열고 있었던 시기가 있었습니다만, (남자입니다만) 연약자로, 양쪽 모두, 타인에게 열어 받았습니다.

나는, 귀(귓불)는, 당시 , 친하게 지내고 있던 여자 아이에게, 배꼽은, 그러한 일이 자신있는, 당시의/`A남성의 친구의 한 명(상냥하고, 좋은 놈이었지만, 「구멍내기 명인」있다 일을, 여성을 설득하는 수단에도 사용하고 있었던 w)에 열어 받았던 w   덧붙여서, 배꼽의 피어스에 관해서는, 배꼽에 피어스를 하고 있던 일로, 구체적으로 건강에 영향이 있던 것은 아닙니다만, 무엇인가, 위화감이 있고, 배꼽의 피어스는, 그렇게, 긴 기간 하고 있지 않았습니다 w 나는, 동양 의학의, 몸의 단지와 같은 일은, 별로 믿지 않는 분입니다만, 그런데도, 무엇인가, 내장에 가까운 장소에 끊임 없이 구멍을 뚫어 둔다고 하는 것은, 몸에 좋지 않는 듯한 생각이 드는 w

전술한 것처럼, 나는, 학생의 무렵, 외관을 화려하게 성장하고 있고, 또, 연령도 젊었던 일도 있고, 거리를 걸으면 호스트의 스카우트의 소리가 나돌거나 하고 있었습니다(덧붙여서 호스트는 절대 할 마음이 나지 않았습니다 w).또, 연예인·모델(model) 사무소의 사람으로부터, 스카우트가 권유를 받는 일도 있었습니다만, 그 님세계는, 흥미가 없었던 때문, 모두, 끊고 있었던( 나는 신장은 176 cm에서 177 cm로, 모델(model)로서는, 신장이 어딘지 부족하다고 생각하고, 배우를 한다고 해도, (원래, 연기는 한 일 없습니다만), 연기는 할 수 없다고 생각합니다.어느 쪽으로 해도, 그 님세계에 들어가도, 성공하지 않은 채, 쓸데 없는 시간을 소비하고, 스트레스만 안고, 연예인·모델(model) 사무소를 그만두어 끝났다고 생각하는 w 또, 원래, 연예인·모델(model) 사무소를 자칭하고 있어도, 사기였는지도 모르고...).


나는, 젊은 무렵, 나의 유사적인 남동생이라고 말한, 남성의 친구가 있었습니다.이하, 그, 나의 젊은 무렵의, 남성의 친구에게 대해서 씁니다.


이하, 참고에, 당분간, 오오시마 카오루(ooshima kaoru)에 대해 소개합니다.이하, 오오시마 카오루(ooshima kaoru)에 대해서는 wiki를 참고로 했습니다.



사진은 차용물.사진왼쪽, 호리에 타카후미(horie takafumi).사진 오른쪽, 오오시마 카오루(ooshima kaoru).호리에 타카후미(horie takafumi)(1972 년생.큐슈(kyusyu)(일본의 남부) 출신.도쿄대학(도쿄에 있는 국립의 대학에서, 일본을 대표하는 명문 대학) 중퇴)은, 일본의 실업가입니다. 이전에는, 자신의 경영하고 있는 회사의 주식(주식) 등으로, 일본 유수한, 부자가 되었습니다만, 2006년에, 증권거래법 위반에 의해 체포되었습니다.재판을 거치고, 2011년에 형무소에 수감되어 2013년에 석방되었습니다.그 다음은, 행방, 눈에 띄지 않습니다만, 착실하게, 실업가나 탤런트(텔레비전에 출연하는 일등을 직업으로 하는 사람) 등으로서 활동을 실시하고 있습니다.호리에 타카후미(horie takafumi)는, 한시기(2016년경), 오오시마 카오루(ooshima kaoru)와의 교제가 소문되고 있었습니다.나는, 오오시마 카오루(ooshima kaoru)의 일은, 호리에 타카후미(horie takafumi)의, 오오시마 카오루(ooshima kaoru)와의 교제의 소문의 뉴스(보도)로 처음으로 알았던( 나는, 오오시마 카오루(ooshima kaoru)의 일은, 그것까지 몰랐습니다).덧붙여서, 호리에 타카후미(horietakafumi)는, 보통으로, 여자를 좋아하는 남성같고, 별로, 동성애자(gay)는 아닌 님입니다.호리에 타카후미(horie takafumi)는, 오오시마 카오루(ooshima kaoru)와 실제로, 교제하고 있었는지 어떤지는 모르는듯 하지만, 호리에 타카후미(horie takafumi)와 오오시마 카오루(ooshima kaoru)가, 함께, 호텔에 숙박한 일이 있다의는 사실인 님입니다(또, 오오시마 카오루(ooshima kaoru)의 이야기에 의하면, 호리에 타카후미(horie takafumi)와의 사이에, 적어도, 육체 관계는 있던 것 같습니다).


오오시마 카오루(ooshima kaoru)(1989 년생.신장 165 cm)는, 원(한 때의), 여성의 역으로서 AV(일본의, porn 작품)에 출연하는, AV(일본의, porn 작품) 배우(남성)입니다.일본계, 브라질(Brazil) 인입니다만, 어릴 적부터, 일본에 살아, 일본에서 자랐던(오사카(도쿄에 뒤잇는, 일본 제2의 도시권 인구를 가지는 도시) 태생.나의 추측이므로 잘못되어 있으면 죄송합니다만, 아마, 생각보다는, 궁핍한 가정에서, 자란 것은 아닐까요).오오시마 카오루(ooshima kaoru)는, 어디까지나, 남성이며, 성전환 수술이나 여성호르몬의 주사등은, 가서 않은 님입니다.오오시마 카오루(ooshimakaoru)는, 15세부터, 취미로, 여장(여성의 옷을 입거나 여성과 같은 화장을 하는 일)을 시작해 여장(여성의 옷을 입거나 여성과 같은 화장을 하는 일)인 채, 남성과 sex를 경험한 일도 있어, 생활을 위해, 동성애자(gay)의, AV(일본의, porn 작품)에 출연하거나 했습니다만, 지금까지의, 남성과의 sex 경험은, 어디까지나, 취미로서의, 여장(여성의 옷을 입거나 여성과 같은 화장을 하는 일)으로부터 오는, 남성과의 sex 경험인 때문, 남성으로서 남성과 sex를 하는, 동성애자(gay) 업계에 의문을 안아, 2010년대 초 무렵부터, 여성의 역으로서 AV(일본의, porn 작품)에 출연하는, AV(일본의, porn 작품) 배우가 되어 활약해, 2015년에 은퇴하고 나서는, 수수하게(눈에 띄지 않고), 탤런트(텔레비전에 출연하는 일등을 직업으로 하는 사람) 등으로서 활동을 실시하고 있는 님입니다.오오시마 카오루(ooshima kaoru)는, 남성에게의 성적인 흥미는, 여장(여성의 옷을 입거나 여성과 같은 화장을 하는 일)의 취미를 통한 것으로, 연애의 대상은, 기본적으로, 여성이다고 하고 있습니다만, 여성에게 성전환 수술을 한 남성과 교제하고 있던 일도 있는 님입니다.덧붙여서, 오오시마 카오루(ooshima kaoru)는, 현재는, 본인(오오시마 카오루(ooshimakaoru))와 같은, 취미로, 여장(여성의 옷을 입거나 여성과 같은 화장을 하는 일)을 실시하는 남성과 교제하고 있는 님입니다.


사진 이하 5매.사진은, 차용물.오오시마 카오루(ooshima kaoru).후술 하는, O군은, 나의 친구인 젊었던 무렵, 이하 5매의 사진의, 오오시마 카오루(ooshima kaoru)에 얼굴이 닮았습니다.

















이하, 나의 젊은 무렵의, 친구의 한 사람으로, 위에서 소개한, 오오시마 카오루(ooshima kaoru)의, 이 투고로 업(upload) 한 위의 5매의 사진의 얼굴에, 당시 , 얼굴이 비슷한 남성에게 대해서 씁니다.그 남성의 이름에 대해서는, 이하, (오오시마 카오루(ooshima kaoru)의, 이 투고로 업(upload) 한 위의 5매의 사진의 얼굴에, 당시 , 얼굴이 비슷한 일로부터), 만일 O군과 씁니다.


O군의 얼굴은, 위의 5매의 사진의, 오오시마 카오루(ooshima kaoru)의 얼굴에, 전부(완전하게 같은 정도에, 매우 잘 비슷하다)라고 말할 정도가 아닙니다만, 닮았습니다.

덧붙여서, O군은, 오오시마 카오루(ooshima kaoru)와 같은, 여장(여성의 옷을 입거나 여성과 같은 화장을 하는 일)의 취미는 없고, 머리카락도 남성으로서는 길었습니다만, 여성과 같이 길다고 하는만큼도 아니고, 머리 모양, 및, 머리카락의 길이는, 나는, 호스트에 대해서는, 별로 자세하지 않습니다만, 호스트에게 자주(잘) 있다라고 한 느낌의(이미지의), 머리 모양, 및, 머리카락의 길이였습니다.머리카락의 색은, 갈색구 물들이고 있었을 때도 있었고, 제머리의 검은 머리카락때도 있었습니다.

신장은, 오오시마 카오루(ooshimakaoru)는, 165 cm로 매우 몸집이 작습니다만, O군은, 오오시마 카오루(ooshima kaoru)보다인가는, 신장은 크고, 신장은, 168 cm에서 170 cm위 있었습니다.뭐, 그런데도, 어느 쪽으로 해도, O군은, 몸집이 작은 일은, 몸집이 작았습니다.

O군은, 위의 5매의 사진의, 오오시마 카오루(ooshimakaoru)의 얼굴에, 얼굴이 비슷한 대로, 귀여운 얼굴계의, 이케멘으로, 여자 아이들에게, 인기만점이었습니다(매우, 인기있었습니다).

한국에서는, 남성의 신장은 중요한 님입니다만, 일본에서는, 몸집이 작은 남성이라도, 이케멘이거나 귀여운 얼굴을 하고 있으면, 여성들에게, 가질 수 있습니다.

O군도, 거리를 걸으면 호스트의 스카우트의 소리가 나돌거나 하고 있던 님입니다만, ( 나는 상술한 대로, 학생의 무렵, 연예인·모델(model) 사무소의 사람으로부터, 스카우트가 권유를 받는 일도 있었습니다만), O군의 경우, 신장이, 168 cm에서 170 cm위로 몸집이 작고, 신장이 부족했던 때문인가, 연예인·모델(model) 사무소의 사람으로부터, 스카우트가 권유를 받은 일은, 한번도 없었다고 합니다.단지, O군은, 서투른(평범한), 쟈니즈의 아이돌 그룹의 멤버보다, 핸섬하고 귀여운 얼굴을 하고 있던 때문, (쟈니즈사무소의 채용의 방식은 잘 모릅니다만), O군이, 그 님세계에 흥미가 있어, 스스로, 또는, 쟈니즈의 아이돌에 흔한?w, (O군은, 독자였지만), 만일 O군에게, 언니(누나)가 있었다고 해서, 언니(누나)가, 쟈니즈의 오디션에 응모하고 있었다고 하면, O군은, 적어도, 쟈니즈?`후오디션에는, 간단하게?, 합격하고 있던 것 같은 생각이 듭니다.

내가, O군과 알게 된 것은, 내가, 20세 때로, O군은, 당시 , 18세였습니다.

O군은, 원래, 내가, 당시 , 교제하고 있던 여자 아이의 아는 사람으로, 나는, 그 여자 아이의 소개로, O군과 알게 되었습니다.나는, 그 여자 아이란, 단기간으로 헤어졌습니다만, 나와 O군과의, 친구로서의 교제는, 그 후, 길게 계속 되었습니다.

나와 O군은, 알게 되고, 머지 않아, 신기하다와 서로 서로 끌려 (끌려 합실 말해도, 나도 O군도, 동성애자(gay)에서는, 완전히 않고, 두 사람 모두, 여자 좋아하는(여자를 좋아하는) 남성입니다 w), 곧바로, 매우 사이가 좋아져, 내가 20대의 처음무렵부터 20대의 반 무렵, O군이 10대의 마지막으로부터, 20대의 처음무렵, 두 명은, 친구로서 매우, 자주(잘), 함께, 놀고 있었습니다.

O군은, 세간, 나의 남동생과 동갑의, 나의 2세 연하로, O군은, 독자이므로, O군은, 나의 일을, 형과 같이( 나를, 형대신으로서), 매우, 잘 그리워해 주었습니다.또, 나도, O군도, 매우, 여자를 좋아하는 사람(여자를 좋아해)이라고 하는 공통점이 있었던 w O군은, club(nightclub)로의, 여자의 찬`q·여성의 헌팅등 , 밤놀이의 선배로서도, 나의 일을, 잘 그리워해 주었습니다.덧붙여서, 나는, 근본적으로, shy인 성격이므로, 젊은 무렵, (노상에서, 여성을, 헌팅한 일은, 전혀 없는 것이 아닙니다만), 노상에서는, 여성을 헌팅하는 일은, 거의 없었습니다만(노상등으로의, 여성의 헌팅은, 서툴렀습니다만), club(nightclub)로의, 여성의 헌팅은, 개인적으로, 괜찮았습니다.O군과 둘이서, 자주(잘), 밤놀이를 해, club(nightclub)로, 여자 아이·여성을 헌팅했고, 또, 각각, 당시 , 교제하고 있던 여자 아이를 동반하고, 4명으로, 자주(잘), 더블 데이트(double date)에 나가고, 놀아 있거나 하고 있었습니다( 나도, O군도, 각각, 당시 , 여성의 교체가 격렬했기 때문에, 더블 데이트(doubledate)에 두고, 나도, O군도, 여성은, 잘 바뀌고 있었습니다만 w).덧붙여서, O군은, AV(일본의, porn 작품)를 보는 것도, 좋아하고, 교제하고 있는 여성과 함께 AV(일본의, porn 작품)를 보는 것도 좋아했습니다.덧붙여서, 나는, 남자와 함께, AV(일본의, porn 작품)를 볼 생각은 들지 않고(AV(일본의, porn 작품)는 본다면, 한 명인가, 또는, 교제하고 있는 또는 친밀한, 여성이라고 보는 것이 좋다), O군과 함께, AV(일본의, porn 작품)를 본 일은 없습니다.

나도, O군도, 당시 , 외관을 화려하게 성장하고 있고, 나와 O군이, 밤의 번화가를, 둘이서 걷고 있으면, 카바레식 클럽(kyabakura)(아래의 보충 설명 참조)의, 손님 끌기의 남성들이, (저희들이 통과하면), 「진한 개등 ( 나와 O군)은, 카바레식 클럽(kyabakura)에서, 호스테스(hostess)로부터 돈을 감아올릴 수 있는 것보다도, 호스트로서 호스트 클럽에 손님으로서 온, 호스테스(hostess)로부터 돈을 감아올리는 분일 것이다」라고 한 느낌으로, 한 걸음, 뒤로 물러나거나 하고 있었던 w 또, 당시 , 나와 O군이, 둘이서 걷고 있고, 왜일까, 호스트 클럽의 손님 끌기의, 젊은 호스트에게, 인사 된 일도 있습니다 w
카바레식 클럽(kyabakura):일본의 특수한 음식점의 형태의 하나로, 여성이, 회화등으로, 남성의 접대를 실시하는 형식의, 술(알코올(alcoholic) 음료)을 제공하는 음식점.카바레식 클럽(kyabakura)은, 일본에서는, 대도시의, 대규모 번화가를 중심으로 많이 있어요.덧붙여서, 나는, 옛부터(젊은 무렵부터), 카바레식 클럽(kyabakura)에는, 완전히, 흥미가 없고, 카바레식 클럽(kyabakura)은, 일의 거래처쪽과 도쿄도심의 번화가의, 카바레식 클럽(kyabakura)에, 몇 번인가, 방문한 일이 있다 뿐입니다(사생활에 대하고, 카바레식 클럽(kyabakura)을 방문할 생각에는, 전혀 되지 않습니다).호스테스(hostess)는, 일본에 있어서는, 카바레식 클럽(kyabakura)에 근무하는 여성을 의미합니다.호스테스(hostess)는, 매춘부란 달라, 호스테스(hostess)의 일에는, sex등 , 성적인 물건은, 포함되어 있지 않습니다(애인 관계등 , 손님과 남녀(남자와 여자)의 관계등이 되는 일은 있다가, 그것은, 호스테스(hostess)로서의 직업의 범위외에서의 이야기).

O군은, 기타(electricguitar)가, 매우 능숙하고, 고교생의 무렵은, (물론 아마츄어로), 밴드 활동을 하고 있고(O군은, 밴드에서는 기타를 담당하고 있었습니다), O군은 고교생 당시 , 여자 아이들의, 팬도, 그 나름대로 많이 있던 것 같습니다(물론, 아마츄어 밴드의 멤버로서).O군은, 고교 졸업 후는, 밴드 활동은 하고 있지 않았습니다만, 이따금, O군의 친구가 소속하는, 아마츄어 밴드의, 돕는 사람으로서 또는, 게스트로서 스테이지에서 기타를 연주하는 것이 있었습니다만, 그 때에는, 관객의 여자 아이들로부터, 「그 근사한(또는, 이케멘의·귀엽다) 사람은, 누구?」라고 한 느낌으로 화제가 된 것 같습니다(물론, 아마츄어로서).덧붙여서, 나는, 고교생의 무렵은, 밴드 활동은 하고 있지 않았습니다만, 대학생의 무렵, J락계의 밴드 활동도 하고 있고(물론 아마츄어로), 밴드에서는 보컬을 담당하고 있었습니다만(덧붙여서 대학졸업 후는 음악 활동과 같은 물건은 일절 하고 있지 않습니다), 나와 O군에서는, 밴드 활동하고 있던 음악의 분야가 다릅니다( 나는 J락계, O군은, Visual계·hard rock/ heavymetal계).

O군은, 고등학교를 졸업한 후, 4년간정도의 사이, 전문학교에 다니거나 아르바이트로, 바텐더(bartender)로서 일하거나 아르바이트로, 복점의 점원으로서 일하거나 하면서, 생각보다는, 흔들흔들보낸 후, 20대의 처음무렵에, 옷관계의 회사에 정식으로 취직해, 옷관계의 회사의 회사원이 되었습니다.

상술한 대로, 내가 20대의 처음무렵부터 20대의 반 무렵, O군이 10대의 마지막으로부터, 20대의 처음무렵, 두 명은, 친구로서 매우, 자주(잘), 함께, 놀고 있었습니다만, 내가 20대의 후기 이후, O군이 20대의 반 이후는, 서로, 일이 바쁘고, 또, 각각, 새로운 교제 관계를 할 수 있던 일등으로부터, 서서히, 서로 만나지 않고·서로 연락을 하지 않게 되어, 친구·친구의 관계는, 자연 소멸해 갔습니다.O군과는, 현재는, 이미, 연락이 끊어지고 있습니다만, O군은, 머리가 좋고, 뭐든지, 손재주가 있게 능숙하게 해낼 수 있는 남성이므로, 무엇을 하고 있다고 해도(현재도, 그대로, 옷관계의 회사의 회사원으로서 계속 일하고 있다고 해도), 능숙하게 하고 있는 것은 아닐까요(다만, O군이, 결혼했다고 말하는 소식을 (듣)묻지 않은 채, O군과는 연락이 끊어져 버렸습니다만, O군은, 녀벽이 좋지 않았기 때문에, 그것이 고쳐지지 않으면, 결혼해도, 능숙하게 가지 않는다고 생각합니다(O군의 바람기로, 아내가 고생한다고 생각합니다)).

O군은, 모친 한 명, 아들(O군) 한 명의, 모자 가정에서 자라, 당시 , 친가에서, 모친과 두 명 생활이었습니다.O군의, 모친은, 미혼의 어머니이며, O군은, O군의, 모친이, 카바레식 클럽(kyabakura)의 호스테스(hostess)로서 일하고 있었을 때에 태어난 아이이며, O군의 부친은, O군의, 모친을 임신시킨 후, 어디엔가 도망쳐 버렸다고 하고, O군은, 부친을 한번도 만난 일이 없었습니다.O군의 모친은, 나는, 조금 만난 일이 있다 정도입니다만, O군에게, 얼굴이, 잘 비슷하다고 하는 것은 아니었습니다만, (접객업으로 일하고 있는 여성이므로, 화장은 진했습니다만), 귀여운 얼굴을 한 여성이며, 젊은 무렵은, 매우 귀여웠을 것이다라고 하는 모습을 느끼게 하는 여성이었습니다(O군의, 모친이, 카바레식 클럽(kyabakura)의 호스테스(hostess)로서 일하고 있던 젊은 무렵, O군의, 모친은, 일하고 있던, 카바레식 클럽(kyabakura)에서, 인기 톱 클래스의 호스테스(hostess)였다고 합니다).O군의, 모친은, 당시 , 스넥(snack)(아래의 보충 설명 참조)를 경영해 ?`네야 i스넥(snack)의 마마(mama)를 하고 있어), O군의, 모친이 경영하는, 스넥(snack)은, 매우 번성하고 있어, O군의 친가는(뭐, 친가라고 말해도, O군의 어머니와 O군의 두 명 생활이었지만), 금전적으로, 여유가 있었습니다.O군의 친가는, 변두리(shitamachi)(구시가.도쿄 중심부(도쿄 23구)의 동부.기본적으로, 서민적인 거리·주택지가 되고 있다)에 있었습니다만, 훌륭하고, 넓은, 맨션(아파트)이었습니다.
스넥(snack):나는, 스넥(snack)을 이용한 일이, 거의 없기 때문에, 잘 모릅니다만, 스넥(snack)은, 일본에서는, 여성이 경영을 해(경영자는, 마마(mama)로 불린다), 접객을 실시하는, 바(bar)의 일을 의미합니다(아마...).일본에는, 물론, 보통, 바(bar)도, 매우, 많이 있어요가, 스넥(snack)도, 매우, 많이 있어요.연애를 포함하고, 많은 경험을 쌓은, 이야기의 능숙한, 마마(mama)(스넥(snack)의 경영자인, 중년으로부터 고령자의 여성)이라고 이야기를 하면서, 술(알코올(alcoholic) 음료)을 마시는 것은, 남자라도, 여자라도 즐거운 님입니다(스넥(snack)의 손님은, 남성이, 주된 객 초`w이며, 여성 손님보다, 남자의 손님이, 쭉(훨씬 더), 많은 님입니다만...).덧붙여서, 나는, 통상의 바(bar)에서는, 자주(잘)(빈번히), 술(알코올(alcoholic) 음료)을 마시고 있습니다만, 지금 단계, 스넥(snack)에는, 흥미가 없습니다.

O군은, 패션을 아주 좋아하고(옷을, 세련되게 입는 것이, 매우 좋아하고), 매우, 많은 옷을 가지고 있었습니다.O군과는, 생각보다는 긴 친구로서의 교제였고, 잘 만나고 있었으므로, O군은, 물론, 같은 옷을 입고 올 때도 있었습니다만, 이미지적으로는, 매회, 다른 옷을 입고 온다고 한 느낌이었습니다.O군의 어머니는, 일이 바쁘고, 어릴 적부터, O군에게 외로운 마음을 시켜 온, 꺼림칙함때문인지, O군의 일을, 물질적이게는, 매우, 응석을 받아 주고 있었습니다.O군은, 물론, 자신이 아르바이트로 번 돈도, 자신의 옷을 사기 위해서 사용하고 있었습니다만, O네가 가지고 있다, 매우, 많은 옷을 사는 돈의, 대부분은, O군의 모친이 내고 있었다고 한 느낌이었습니다.


O군은, 패션을 아주 좋아하고(옷을, 세련되게 입는 것이, 매우 좋아하고), 패션에 구애됨을 가지고 있었습니다만, 여성용의 옷을, 남성용 의 옷으로서 맵시있게 입는 일에도, 매우 구애됨을 가지고 있고, 자신이, 남성용의 옷으로서 맵시있게 입기 때문에(위해)의 옷(O군은, 여장(여성의 옷을 입거나 여성과 같은 화장을 하는 일)의 취미는, 전혀 없었기 때문에, 결코, 여장(여성의 옷을 입거나 여성과 같은 화장을 하는 일)을 위한 옷이 아닙니다)으로서 산, 여성취향의 옷도, 많이 가지고 있었습니다.또, O군은, 남성인데도 관련되지 않고, 통상의(평상시의), 나가 시에도, 입술에, 여성취향의 글로스를 붙이고 있었습니다.


O군은, 혈액형은, O형이었지만, 세세한·섬세한 성격이며, 결벽증이었습니다.O군은, 항상, 자신의, 몸가짐을 정돈하는 일에, 배려를 하고 있었습니다만, O군은, 결벽증으로, 밖에서, 자신의, 몸가짐을 정돈하거나 일을 보거나 하는데, 아직, 남성용의 공공 화장실보다, 여성용의 공공 화장실이, 해라고 한 느낌으로, 남자인데도 관련되지 않고, 자주(잘), 여성용의 공공 화장실도 사용하고 있었습니다.나는, O군이, 여성용의 공공 화장실을 사용하고 있을 때는, 언제나 히야히야 하고 있었습니다만, O군은, 자신은, 여성용의 공공 화장실을 사용해도 괜찮다라고 말하는, 이상한 자신을 가지고 있었습니다.덧붙여서, O군은, 상술한 대로, 결정되어?`트, 여장(여성의 옷을 입거나 여성과 같은 화장을 하는 일)을 하고 있던 것은 아니었습니다만, 당시 , 신기하다와 O군은, 여성용의 공공 화장실을 사용해도, 한번도, 통보된 것 같은 일은 없었습니다.

O군은, 결벽증이었지만, O군에게 있어서 결벽증이 해제되는(결벽증이 적용되지 않는다), 일부의 예외적인 사람들이 있었습니다.나를 포함한 일부의 남성(라고 말하는지, 당시 , 적어도, 나는, 나 이외로, O군의, 결벽증이 해제되는(결벽증이 적용되지 않는다) 남성은 몰랐습니다)와 O군의 모친, O네가 교제하고 있는 또는 호의를 가지고 있는 여성입니다(여성이라도, O군의 모친과 O네가 교제하고 있는 또는 호의를 가지고 있는 여성 이외는, 안되었습니다(O군의, 결벽증이 적용되었습니다)).

덧붙여서, O군은, 결벽증인데, 교제하고 있는 여자 아이와 같은 칫솔을 공유하는 일에 관해서는, 아무렇지도 않았습니다( 나는, 결벽증이 아닙니다만, 비록 교제하고 있는 여성이어도, 그것은 할 수 없습니다) w 나는, 물론, 진한키스는 아무렇지도 않고 에이치(sex)에 대해 여성의 몸의 어디를 빠는 것도 아무렇지도 않습니다만(그것은, O군도 마찬가지였습니다) w

나는, 혈액형은, B형으로, 행동·발언이 대략적인 경향이 있어(A형?`후인이 이락과 오는 대략적인 행동을 취하는 일도 있을지도 모릅니다 w 그 한편, 나는, 극단적인 경우를 제외해, 타인의, 대략적인 행동·발언에도 관대하다 것으로, 나와 보내는 사람은 마음 편하다라고 말하는 면도 있다고 생각합니다), 서투른 일로부터, 나는, 먹는 방법(식사의 방법)는, 결코, 깨끗하다라고는 말할 수 없습니다만, 그런데도, 먹을 때에 입속에서 쿠체크체 소리를 내거나 스프를 소리를 내 훌쩍거리거나 등 , 식사를 할 때의 최저한의 NG는 내지 않게 하고 있습니다(라고 말하는지, 그것위의 일(먹을 때에 입속에서 쿠체크체 소리를 내거나 스프를 소리를 내 훌쩍거리거나 하지 않는 것등위)은, 나의 경우, 이미, 유치원아위때부터, 자연스럽게 자기 것이 되고 있습니다).또, 나는, 행동·발언이 대잡파라고 하는 것에 관해서는, 해와 함께(연령을 거듭함과 동시에), 주의해 오고는 있습니다(너무, 너무 그렇게 하지 않게 하고 오고는 있습니다).

나와 O군이, 친구인 당시 , 둘이서, 자주(잘), 대중적인 선술집의 체인의 점포에서, 싼 소주를 보틀로 부탁해, 락으로, 땅땅에 마셔 있거나도 했습니다만(덧붙여서, 나도, O군도, 술은 강합니다), 나는, O군과 마시고 있고, 몹시 취해 오면, 행동이, 더욱 더 대잡파가 되고, 귀찮게 되고, 자주(잘), O군 글래스에, 손가락으로 얼음을 집어 넣고, O군에 건네주어 있거나 했습니다만(지금은, 물론, 과연, 여하에 술에 취해도, 어떤 장소에서 만나도, 누가 상대여도, 그 님일은, 절대로 하지 않습니다 w), O군은, 결벽증인데도 관련되지 않고, 상대가 나의 경우는, 그 님행동도, 완전히, 아무렇지도 않았습니다.

덧붙여서, 나는, 젊은 무렵은, 바보같고, 터무니없는 일을 하고 있고, 나와 O군이, 친구인 당시 , 나와 O군, 여자 아이·여성의, 3명으로, 러브호텔이나(물론, O군의 어머니가 부재중에) O군의 친가의 맨션(아파트)에서, 3 P(남자 두 명대, 여성 한 명의 에이치(sex))를 하기도 하고 있었습니다.덧붙여서, 아래에서 링크를 붙인, 참고 투고, 나의 AV·남성 경험이야기속에서, 「내가, 인생중에서, 남성과 성적인, 접촉을 가진 것은, 후에도, 먼저도, 이 때, 한 번 뿐입니다.」라고 쓰고 있습니다만, 나와 O군, 여자 아이·여성의, 3 P(남자 두 명대, 여성 한 명의 에이치(sex))는, 나도 O군도, 남자로서(상술한 대로, 나도 O군도, 동성애자(gay)에서는, 전혀 없습니다), 여자 아이·여성, 한 명 상대에게, 동시에, 에이치(sex)를 실시하고 있었으므로, 나는, 그것은, 나의 「남진`와 성적인, 접촉」에는, 포함하고 있지 않습니다.


이하, 참고의 투고.


나의 AV·남성 경험이야기(일본어)→

/jp/board/exc_board_50/view/id/2519210?&sfl=membername&stx=jlemon

나의 AV·남성 경험이야기(한국어)→

/kr/board/exc_board_50/view/id/2519210?&sfl=membername&stx=jlemon





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