[しおりの中の今日]1952年李承晩平和線宣布
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1952年に入りながら日本漁民たちは 4月 28日を指折り数えて待った. 第2次世界大戦終決のために 1951年 9月8日締結した講和條約がその日発効するからだった. 日本を占領したアメリカは日本漁民たちが ‘本土’ 周辺の決まった線を脱して操業することができないようにした. ‘マッカーサーライン’に命名されたこの線は講和條約発効と同時に廃止されるはずだった.
ところが、1952年 1月 18日. 大韓民国大統領李承晩が 50〜100マイルにのぼる海上に線を引いて ‘隣接海洋に対する主権宣言’をしたのだ.
日本はこれを ‘李承晩ライン’と呼んで撤廃を強力に要求した. 友邦であるアメリカ, 自由中国も責めたが李承晩はひょっともしなかった
. 韓国政府は軍艦まで動員して ‘平和線’を越える日本漁船を容赦なく捕えた. その過程で日本漁民 1人が死んだりした. 1961年まで拿¥捕された日本漁船は 300尺が超えて抑留された日本人は 4000人に近かった.
平和線の中に独島を含ませたのが絶妙だった. 講和條約の ‘日本があきらめる地域’に独島を入れてくれという要求が拒否されると先手を打ったのだ. 切羽詰った日本は十¥日後 ‘韓国の一方的な領土侵略’と
言いながら ‘独島問題’を争点化したがもう機先を制圧された後だった.
ヨギュビョング記者
いくら韓国人であっても、
一部の知識人は事実を、歴史を知っている。
その事実を愚民に少しだけ披瀝する時でも、
韓国政府の非道な侵略行為、民間人殺害を
美化して報道するのが韓国人らしいところ。
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