韓国の大邱にある寿城池(スソンいけ、スソンモッ、수성못)は、農業用貯水池として日本人によって造られた人造湖として大邱市民に広く知られています。この寿城池を造った日本人は、水崎林太郎という人物でした。彼は岐阜町長を歴任した後、1915年に日本から大邱に開拓農民として渡ります。しかし、その地で干ばつや洪水に苦しむ大邱の農民の姿を目の当たりにすることになります。考え抜いた水崎林太郎は治水事業に取り組むことを決意します。朝鮮総督に直談判し、最初は「日本統治下の韓国で韓国人の暮らしをよくする必要はない」と支援を断られるものの、「韓国人の生活向上が、最終的には日本にとってもよいこと」と粘り強く説き伏せ、10年もの歳月と多大な苦難を乗り越えて、寿城貯水池を完成させました。現在、「寿城池」とよばれる貯水池のおかげで荒野は美田に生まれ変わり、250万坪(東京ドーム約180個分)を超える水崎農園の礎となりました。そんな寿城池は時代の流れから灌漑ため池としての役目を終え、現在では大邱市民憩いの場として定着しており、日本と大邱を結ぶ絆として、今でも韓国の大地にしっかりと根付いています。
岐阜県加納町(現岐阜市)の町長だった水崎林太郎(1868年 - 1939年)は、1914年に開拓農民として朝鮮へ渡った。花栽培などで成功した後、旱魃と洪水によって荒れ未墾地が多かった現地のために土地改良組合長として貯水池を造ることを決め、朝鮮総督府の支援一万二千円(現在の十億円相当)と私財を投じ、十年の歳月をかけて築造工事を行い寿城池を築造した。
한국의 대구에 있는장수 성과 수로