最近食べた昼食についての投稿です。
写真以下11枚。先週末から今週初めの三連休(先週の土曜日、今週の日曜日、今週の月曜日(国民の祝日(休日)。成人の日))は、個人的に、土曜日と日曜日は、仕事、月曜日は、半日弱仕事(午後の3時頃から仕事)だったのですが、月曜日に、遅ればせながら(少し、遅過ぎるか。。。w)、初詣(hatsumode)(下の補足説明参照)に行って来ました。
初詣(hatsumode):新年に、神社(shrine)や寺に、お参りして、その年の願い事などをする、日本の風習。
今年の初詣(hatsumode)は、川崎(kawasaki)(下の補足説明参照)の海沿いエリア(area)に有る寺、川崎大師(kawasakidaishi)(東京圏の(特に、東京圏中部から南部に暮らす人々にとっての)人気の初詣(hatsumode)場所の一つとなっている)に行くか、鶴見(tsurumi)(下の補足説明参照)の、総持(souji)寺に行くか迷ったのですが、結局、二人供(私も、彼女も)、まだ訪れた事が無く、そして、前から、ちょっと気になっていた、鶴見(tsurumi)の、総持(souji)寺に行く事にしました。
川崎(kawasaki)・鶴見(tsurumi):東京都心部から海に沿って、南に進むと、東京中心部(東京23区)→川崎(kawsaki)(海沿いは、主として、工場(&倉庫)地帯&庶民的な住宅地、内陸部は、主として、東京都心部に通勤する人々が多く暮らす、静かで落ち着いた郊外住宅地)→横浜(東京areaの海の玄関口(gateway)となっている大きな港町&主として、東京都心部に通勤する人々が多く暮らす、静かで落ち着いた郊外住宅地)となりますが、鶴見(tsurumi)は、横浜の海沿いの北端に位置するareaで、川崎(kawasaki)の海沿いに接しており、川崎(kawsaki)の海沿いareaと似て、主として、工場地帯&住宅地(全般的には、庶民的な住宅地と言った感じなのかな。。。)となっています。今は、どうか分かりませんが、wikiによれば、第二次世界大戦中は、鶴見(tsurumi)には、(工場で働く?)、北朝鮮(North Korea)系の人々が、多く暮らしていた様です。ちなみに、(鶴見(tsurumi)に隣接する)、川崎(kawsaki)の海沿いareaは、昔から(第二次世界大戦前から)、韓国系・北朝鮮(North Korea)系の人々が、多く暮らす地域となっています。
写真以下7枚。総持(souji)寺。鶴見(tsurumi)に有る、規模の大きな、仏教の寺です。私も、彼女も、総持(souji)寺だけでなく、鶴見(tsurumi)自体、今回、初めて、訪れました。総持(souji)寺は、敷地面積が、約10万坪(tsubo)(約33万平方m)有り、山寺(山に有る寺)や、(土地に、ゆとりが有る)、のどかな近郊や田舎に有る寺ではない、市街地若しくは、市街地的な住宅地域(市街地に近い住宅地域)に有る寺としては、非常に敷地面積の広い寺です。総持(souji)寺は、元々、8世紀に、現在の、石川(ishikawa)県、輪島(wajima)市で、創建された寺ですが、1911年に、現在地(鶴見(tsurumi))に移転して来ました。総持(souji)寺は、1898年に、火災により、(当時存在していた建物を)焼失した後、1911年に、石川(ishikawa)県から現在地に移転してきた寺院であるため、建物の大部分は、1911年以降に建てられた物となっています(wikiを参考にしました)。したがって、建物は、全般的に、趣が無い感じでした。。。
総持(souji)寺には、たくさんの建物が有りますが、写真以下7枚は、その一部等です。総持(souji)寺の建物の大部分は、1911年以降に建てられた物となっていますが、総持(souji)寺の、現在の建物の内、60%位は、第二次世界大戦前に建てられた物の様です(逆に言えば、総持(souji)寺の、現在の建物の内、40%位は、第二次世界大戦後に建てられた物)。現在の、総持(souji)寺の建物の内、最も古い物は、19世紀半ばに建てられ、1911年に、現在地に、移築されて来た、2つの建物の様です。
この建物は、かなり新しそう。。。

三門。1969年に建てられた物です。総持(souji)寺の、現在の建物の内、比較的新しい物の一つです。
香積台(総持(souji)寺の総受付)。1920年に建てられた物です。
大祖堂。鉄筋コンクリート(reinforced concrete)造り。1965年に建てられた物です。総持(souji)寺の現在の建物の内、比較的新しい物の一つです。
仏殿。1915年に建てられた物です。総持(souji)寺の建物の大部分は、1911年以降に建てられた物となっていますが、仏殿を始めとする、主要建物の多くは、20世紀前半(1910年代から1930年代頃)の本格的な木造建築となっています(wikiより。。。)。
写真以下4枚。この日の昼食は、スペアリブ(spare ribs)とアップルパイ(apple pie)を売り(自慢のメニュー(menu))とする(スペアリブ(spare ribs)以外の料理も、色々有る様です)、総持(souji)寺の近くの、個人経営の、小さなレストランで、食べました。
写真以下4枚。この日の昼食。これと、ご飯(rice)を食べました。
付け合せ(side dish)のサラダ(salad)。一人一皿ずつ。この他、付け合せ(side dish)として、スープ(soup)(コンソメスープ(consomme))が付いて来ました。
私が食べた、バーベキューソース(barbecue sauce)の、スペアリブ(spare ribs)。
彼女が食べた、醤油ソース(醤油sauce)の、スペアリブ(spare ribs)。
デザート(dessert)。アップルパイ(apple pie)。一人一皿ずつ(写真は、私が食べた、ラズベリーソース(raspberry sauce)のアップルパイ(apple pie))。アップルパイ(apple pie)のソース(sauce)は、ブルーベリー(blueberry)、ラズベリー(raspberry)、チョコレート、キャラメル(caramel)、メープル(maple)の中から選べました。
このレストラン、スペアリブ(spare ribs)は、肉が柔らかくて美味しかったし、アップルパイ(apple pie)も、とても美味しかった上に、店の雰囲気も、中々良かったのですが、また鶴見(tsurumi)を訪れる機会が有るかな。。。このレストラン、我が家の近くに有ったら、お気に入りの店となるかもしれないですが、わざわざ、このレストランで食べる為だけに、鶴見(tsurumi)を訪れたいと思う程では有りませんでした。。。ちなみに、もし、私が、アップルパイ(apple pie)を、大好物と言える程、好きだったら、このレストランのアップルパイ(apple pie)を食べる為に、わざわざ、鶴見(tsurumi)を訪れる価値が有ると言ったかもしれません。。(このレストランのアップルパイ(apple pie)は、個人的に、それ位、美味しかった。ただ、いかんせん、アップルパイ(apple pie)と言う食べ物自体、個人的に、数ある甘い物の中で、格別好きと言う程ではないので。。。)。
写真以下3枚、その翌日(今週の火曜日)、横浜で、仕事の用事の合間に、横浜の都心部の、桜木町(sakuragicho)駅の高架下のBubby’sで食べた昼食。Bubby’sは、New Yorkのトライベッカ(Tribeca)に本店を有する、cafe兼レストランです。
写真以下2枚。ブルーチーズバーガー(blue cheese burger)。
デザート(dessert)。チェリーパイ(cherry pie)。
Bubby’sは、初めて利用しましたが、チェリーパイ(cherry pie)は、美味しかったです。
写真以下2枚。その翌日(今週の水曜日)、新宿(東京都心部の西部に位置する。東京最大級の繁華街の一つで有ると供に、東京の主要なビジネス(business)街の一つ)で、仕事の外回りの空き時間に、小田急(odakyu)デパートの食堂街に入っている、韓国料理レストラン(新宿区の四谷(yotsuya)に本店が有る)で食べた昼食。仕事の用事で、新宿を訪れる際、最近、この店の、石焼ビビンバとチヂミ(jeon。日本では、チヂミと呼ばれる事が一般的)の組み合わせメニュー(menu)を、昼食で、時々食べています(この日も、石焼ビビンバとチヂミ(jeon)の組み合わせメニュー(menu)を食べました)。この店で、他の料理も頼んだ事が有りますが、やはり、この店では、石焼ビビンバとチヂミ(jeon)の組み合わせメニュー(menu)が、個人的に、ベスト(best)の様な気がします。この店の、石焼ビビンバの味は、まあ普通と言った感じだろうと思いますが、この店の、チヂミ(jeon)は、とても美味しいと思います。
この店のチヂミ(jeon)は、とても美味しいと思います。韓国では、チヂミ(jeon)は、居酒屋のメニュー(menu)と言ったイメージが強い様?ですので、昼から食べるのは、あまり一般的ではないのかな。。。?
写真以下3枚。この日、新宿の超高層ビル街(新宿副都心)で、近くを通った際、撮影した、東京都庁ビル等。。。

手前のビル(写真右側に見えるビル)。keio plazaホテル。1971年完成。高さは、178m。当時、アジアで最も高いビルであった、日本(東京)の世界貿易センタービル(world trade center building)を追い抜き、完成当時アジアで最も高いビルでした。日本で、最初、また、アジアでも最初の超高層ホテルです。設計は、日本の建築設計事務所、日本設計。奥のビルは、下で紹介する東京都庁ビル(東京都庁第一本庁舎ビル)。

東京都庁ビル(東京都庁第一本庁舎ビル)。1991年完成。高さは、243.4m。設計は、丹下健三(Tange Kenzo)(下の補足説明参照)です。隣りに有る、東京都庁第二本庁舎ビル(高さ163m。1991年完成。設計は、同じく丹下健三(Tange Kenzo)。こちらも、大きなビルです)と供に、東京都(日本の47の都道府県(prefecture)の内の一つ。主に、東京中心部(東京23区)と東京の西部郊外・近郊から成る)の庁舎(government building)となっているビルです。新宿副都心の超高層ビルの中では、比較的、新しい方のビルですが、現在は、新宿副都心を代表する超高層ビルとなっています。東京都庁ビルを設計した丹下健三(Tange Kenzo)は、シンガポール(Singapore)で、最も高い三つのビルの内、二つの設計を手掛けています(OUB center(1986年完成)、UOB plaza one(1995年完成))。シンガポール(Singapore)のスカイライン(skyline)で、目立つビルのデザイン(design)の傾向が、何となく、東京都庁ビルに似ているのは、その為です。ちなみに、シンガポール(Singapore)で、最も高い三つのビルの内、残りの一つ(republic plaza。1995年に完成)は、丹下健三(Tange Kenzo)弟子であり、日本の、世界最高水準の建築家の一人で有る、黒川 紀章(kurokawa kisyo)が、設計しました。
丹下 健三(Tange Kenzo):日本の世界最高水準の建築家の一人。1950年代から、亡くなる近くまで活躍。日本人建築家の中で、初めて世界に名が知られた建築家であると供に、1960年代に、日本を、現代建築設計の分野において、世界最高水準の国の一つに、引き上げた人物として知られています。1913年に生れ、90歳以上生きて、2005年に、亡くなりました。丹下健三(Tange Kenzo)の弟子には、磯崎 新(Isozaki Arata)、黒川 紀章(kurokawa kisyo)、槇 文彦(maki fumihiko)と言った、世界的に有名な、日本人建築家達が、名を連ねています。黒川 紀章(kurokawa kisyo)は、既に亡くなりましたし、他の弟子達も、既に、70歳代、80歳代の高齢です。
1960年代において、日本は、日本の様な地震地帯の大地震でも、大丈夫な超高層ビルを設計・建築する技術が成熟するに至り、1968年に、日本初の超高層ビル、霞ヶ関(kasumigaseki)ビル(高さ156m。日本初且つアジア初の超高層ビルであり、完成当時、アジアで最も高かったビル)が東京の霞ヶ関(kasumigaseki)に完成しました。こうした流れを受けて、新宿副都心は、日本初の200m級、超高層ビル街として、1970年代に開発されました。1970年代に入ると、日本では、超高層ビルの建設が、本格化し、東京を中心として、次々と超高層ビルが、建てられる様になりました。これは、日本と同じく地震地帯にある、Los Angelsや、San Francisco等のアメリカ西海岸の大都市で、本格的に超高層ビルが建てられる様になった時期と一致しています。逆に、1970年代に入るまでは、アメリカの地震地帯では無い地域を除けば、世界に超高層ビルは、ほとんど存在しませんでした。日本以外のアジアで、超高層ビルを最初に建て始めたのは、香港とシンガポール(Singapore)です。香港と、シンガポール(Singapore)は、日本やアメリカ西海岸と違って、特に地震地帯ではありませんが、まだ、経済的に、発展途上であった為、日本と比べて超高層ビルが建てられ始める様になった時期が、若干遅れました(それでも、ほぼ同時期)。1970年代には、アジアにおける、超高層ビル建設をリード(lead)した日本ですが、日本に引き続き、1980年代に入ると、香港とシンガポール(Singapore)で、超高層ビルの建設が、本格化します。1985年に、韓国のソウルに完成した、63ビルは、当時アジアで、最も、高いビルであった、日本(東京の池袋(ikebukuro))のSunshine60ビルを追い抜き、完成当時アジアで最も高いビルでした。この様に、1980年代に入ると、日本に続いて、香港、シンガポール(Singapore)、韓国が、まず、アジアにおける、超高層ビル建設をリード(lead)する様になりました。さらに、1990年代半ばに入ると、超高層ビル建設の波は、当時東南アジアで、最も勢い良く発展していた発展途上国、Thai,Malaysia,Indonesiaまで、広がり、最早、超高層ビルは、先進国、準先進国・地域(香港、Singapore、韓国)(当時。現在は、これ等の国・地域は、既に、先進国・地域に含まれています)、中進国(中南米、南アフリカ)だけの物では、無くなりました。さらに、90年代末以降は、中国が、超高層ビルの建設において、急速に台頭する様になり、近年では、超高層ビルの建設は、他の発展途上国にまで広がると供に、中東では、ドバイ(dubai)を中心とした、過熱とも言える超高層ビル建築ブーム(boom)が起りました。
写真左側の超高層ビルは、新宿住友(新宿sumitomo)ビル。高さ210mの超高層office用ビルです。1974年3月完成。日本のみならず、アジアでも最初の高さ200m以上のビルです。完成当時アジアで最も高いビルでした。設計は、日本の世界最大級の建築設計事務所、日建設計です。断面が3角の個性的なデザイン(design)の超高層ビルである事から、3角ビルと呼ばれています。写真真ん中の黒い色の超高層ビルは、新宿三井(新宿mitsui)ビル。1974年9月に完成した、超高層office用ビルです。高さは、225m。この、ほんの少し前に出来た、新宿住友(新宿sumitomo)ビルを追い抜き、完成当時、アジアで最も高いビルでした。設計は、日本の不動産会社である三井(mitsui)不動産の建築設計部門と、日本の建築設計事務所である日本設計及び日本の構造力学(structural mechanics)研究所である武藤(mutou)構造力学(structural mechanics)研究所です。新宿住友(新宿sumitomo)ビルの高さ210m及び、新宿三井(新宿mitsui)ビルの高さ225mは、1972年に完成した、フランスで最初の高さ100mを越す超高層ビルであり、且つ、完成当時、西ヨーロッパで最も高いビルであった、Tour Montparnasseの高さ、210mを意識した物なのかも知れません(ちなみに、Tour Montparnasseは、1990年まで、西ヨーロッパで最も高いビルでした)。