投稿が、かなり遅れてしまいましたが、1月の前半(もう1年近く前w。投稿文は、ほとんど出来ていたが、投稿する機会を失っていた)、個人的に休みだった日に、一人で、東京都心部の白金(shirokane)areaにある、東京都庭園美術館に、企画展示(美術館が、テーマを決めて、一時的に、行う展示)を見に行った際、ついでに、白金(shirokane)areaの住宅地を、ぶらぶらと散歩してきた時の物です。
写真以下2枚、前にkjでアップ(upload)した写真の再利用。白金(shirokane)エリア(area)は、東京都心部の高級住宅地・商業地の一つで有り、洒落た店や商業ビル・オフィス(office)用ビルが点在し、東京のお洒落な地区の一つとして知られています。
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これは、先月(11月)の第2週の火曜日に、仕事の用事で、白金(shirokane)エリア(area)を訪れた際に撮影した写真。
白金(shirokane)エリア(area)は、古くからの高級住宅地ですが、現在は、マンション(アパート)や、商業ビル・オフィス(office)用ビルも多く見られ、マンション(アパート)に暮らしている人々も多いです。土地価格や、マンション(アパート)の家賃がとても高い為に、暮らしている人々の平均収入が高く、白金(shirokane)エリア(area)に暮らす事自体が、ちょっとしたステータス(status)となっている面が有ります。
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写真以下2枚。白金(shirokane)areaには、中々の数の、仏教の寺が、点在していますが、これは、白金(shirokane)areaにある、神道の神社(shrine)、氷川(hikawa)神社(shrine)。氷川(hikawa)神社(shrine)と名のつく神社(shrine)は、東京圏に多く存在しますが、これは、白金(shirokane)の氷川(hikawa)神社(shrine)です。建物は、現代の物ですが(第二次世界大戦末期(1945年)の空襲により、先代の建物が、焼失した後に、1950年代に建てられた物)、創建は、白鳳(hakuhou)時代(7世紀後半から8世紀初め)と伝えられている、歴史の古い神社(shrine)です。
白金(shirkane)areaでも、奥地に少し足を踏み入れれば(白金(shirokane)area(白金(shirokane)・白金台(shirokanedai))かなり広い範囲に渡っています)、昔ながらの高級住宅地の雰囲気を比較的残す、落ち着いた、静かな高級住宅街の雰囲気となります(東京中心部(東京23区)には、高級住宅地が、たくさん有りますが、他の東京中心部(東京23区)の高級住宅地の多くも、白金(shirkane)areaと似た感じで、大きな通り・自動車の通行が多い通り・商店街沿いには、マンション(アパート)や、商業ビル・オフィス(office)用ビル、店舗等が立ち並び、やや窮屈な雰囲気ですが、奥地(高台である事が多い)に少し足を踏み入れれば、大きな一戸建て住宅(邸宅)が多い、落ち着いた、静かな高級住宅街の雰囲気となります)。
写真以下、この時は、そんな、白金(shirokane)areaの奥地を、少し散歩して来ました。
これは、白金(shirokane)areaの写真とは、関係有りませんが、すぐ下の投稿文に関連する写真としてアップ(upload)しておきます。私が、前に撮影し、enjoyにアップ(upload)した写真の再利用ですが、銀座(ginza)(東京を代表する高級繁華街であると供に、東京を代表する繁華街)の中心部の写真。写真左側にある、時計台のある建物は、和光(wako)です。和光(wako)は、銀座(ginza)の一等地にある、東京を代表する高級デパートです。現在の建物は、1932年に建てられたものです。和光(wako)は、1881年に創業した輸入時計店、服部(hattori)時計店を起源に持つ高級デパートです。
写真以下10枚。個人的に、近代建築を見る事に興味を持ち始めてから、ちょっと気になっていた、白金(shirokane)areaに残る、元、服部(hattori)家(世界最大級の時計会社?であるSeiko(1881年、輸入時計の販売店、服部(hattori)時計店として創業)の創業者家族)の邸宅(ちなみに、銀座(ginza)の、元、服部(hattori)時計店のあった場所には、Seikoの子会社が経営する、和光(wako)(東京を代表する、高級デパート。1932年に建てられた、時計台を有する、重厚な造りの、近代建築のビルは、建てられて以来、銀座(ginza)を象徴する建物の一つとして君臨し続けている)が建っています(上の写真参照))。この、白金(shirokane)の、元、服部(hattori)家の邸宅は、現在は、どの様な用途で使用されているのか分かりませんが、服部(hattori)家の資産管理会社が、保有している様です。敷地面積は、10,000坪(約33,000平方m)位と言った感じでしょうか。。。(現在における地図からの、想像に過ぎないのですが、もしかしたら、戦前(第二次世界大戦前)、あるいは、服部(hattori)家の邸宅だった頃までは、敷地は、もっと広く、15,000坪(約49,600平方m)位、あったのかもしれません。。。)。
写真左側が、元、服部(hattori)家の邸宅です。
敷地内には、多くの建物がある(あるいは、敷地内の建物は、多くの建物が連なった感じで建てられた、一つの、あるいは、複数の、大きな邸宅を中心としている)様ですが、敷地の外からは、その、極一部しか、見る事が出来ません。
写真以下3枚。写真で見える建物(もしかしたら、写真の部分(外から見える部分)は、多くの建物が連なった感じで建てられた、大きな邸宅の建物の一部かもしれません)は、高橋 貞太郎(takahashi teitaro。1892年生まれ。1970年に亡くなる。1920年代から活躍。邸宅やホテルの近代建築の設計を得意とした、日本の有名な建築家)の設計により、1933年に建てられた物です。
写真の建物も、外から見える、敷地内の建物の極一部(これも、多くの建物が連なった感じで建てられた、大きな邸宅の建物の一部かも。。。)。やはり、1930年代初めに建てられた物の様です。
第二次世界大戦前の、東京や大阪在住の金持ち(上流階級)は、近郊や、保養地等に、複数の、広い別荘を持つ事が多かった頃から、服部(hattori)家が、昔は、この、白金(shirokane)の邸宅以外に、複数の邸宅を保有していたかもしれないと言う事は、容易に想像出来ます。ちなみに、第二次世界大戦後は、貧富の格差を縮小させる為の、様々な法政策により(その内の一つに、高い相続税率がある)、日本の上流階級・富裕層は、没落して行きました(以前の様に、贅沢な暮らしが出来なくなりました)。第二次世界大戦前の日本は、もちろん、現在の日本よりも貧しく、日本の庶民層・低所得者層は、現在とは、比較にならない位、物質的に、貧しく暮らしていましたが、日本の少女向けの漫画に出てくる金持ちの様なw生活をする日本の金持ちは、現在よりも、むしろ、日本が、世界の資本主義工業国又は資本主義的な工業国の中で、最も農業国的で貧しく後進的なグループ(group)に属していた、第二次世界大戦前に、多く存在していました。
写真正面に見えるのは、白金(shirokane)にある、聖心(seishin)女子学院の敷地です。白金(shirokane)にある、聖心(seishin)女子学院(1910年開校)は、広尾(hiro)(東京都心部の高級住宅地の一つ)にある、私立女子大学、聖心(seishin)女子大学(1916年開校。東京areaの、お嬢様大学(富裕層の娘が通う大学)の一つとして知られる)の、中等科・高等科に当たる、私立の女子中学校・高校で、やはり、東京areaの、お嬢様高校(富裕層の娘が通う高校)の一つとして知られています。
白金(shirokane)には、現在も、昔ながらの、ゆったりとした敷地を持つ邸宅が、ある程度、ある事はありますが、そうした邸宅は、少なくなってきており(比較的少なく)、現在は、写真以下4枚の様な、それ程は、広くない(ゆったりとした敷地の内部に、ゆとりを持って、建物が建っている訳ではない。もしかしたら、広い裏庭が、あるかもしれないが、少なくとも、建物は立派でも、道路から見れば、ほとんど敷地目一杯に住宅の建物が建っている(比較的限られた土地を効率的に活用して、建物を建てている)様に見える)、一戸建て住宅が、比較的多くなっています(それでも、建物は、庶民の住宅に比べれば、ずっと立派です(何だか、高そうにみえますw)し、敷地や建物の大きさも、少なくとも、東京都心部(東京23区内)の、庶民向けの、建売り(tateuri)一戸建て住宅(下の補足説明参照)に比べれば、はるかに大きいですが。。。)。前述の通り、東京中心部(東京23区)には、高級住宅地が、たくさん有りますが、こうした傾向は、現在において、白金(shirokane)に限らず、東京中心部(東京23区内)の、多くの高級住宅地で、共通して見られる傾向であると言えます。
建売り(tateuri)一戸建て住宅:不動産会社等が、ある程度規格化された一戸建て住宅を建設して販売する形式の一戸建て住宅。消費者は、土地を購入して、自分の好みの一戸建て住宅を建てる(注文住宅)よりも、安く一戸建て住宅を手に入れる事が出来るが、住宅の建物は、比較的チープで(比較的安っぽく)、規格化されていて無機質。東京都市圏等、地価が、比較的高い場所で、よく見られる。
白金(shirokane)areaで、適当に目に付いて入った、寿司屋(寿司食堂)で、食べた、この日の昼食。
おまぜ(ちらし寿司の一種。この店だけの呼び名?)。これに、白味噌の味噌汁(miso soup)と、赤だしの味噌汁(miso soup)、2種類の味噌汁(miso soup)が付きます。通常の、ちらし寿司と違って、ご飯(rice)が、混ぜご飯風になっていました。美味しかったです。
この寿司屋で、おまけで貰った、どら焼き(dorayaki。日本伝統菓子の一つ)。昼食時には、(食事をした人)全員にくれるのかな。。。
白金(shirokane)散歩&食べ物2へ続く。。。