1月の中旬、個人的に休みだった日に、近場で休日を過ごした時の物です。
その前に、写真以下4枚は、おまけ。。。1月の中旬、仕事の用事で、吉祥寺(kichijyoji)(東京の西部郊外最大の繁華街。東京中心部(東京23区)に近い東京の西部郊外に位置する)に訪れたついでに、吉祥寺(kichijyoji)で、たまに利用するレストランで食べた昼食。このレストラン、創業は、私が子供の頃の、1980年代初めですが、店の雰囲気や料理は、古風で、1940年代から1970年代頃の、日本の高級(西洋料理)レストランと言った感じです(店の雰囲気や料理は、創業以来、あまり変わっていない様です)。このレストランは、ステーキ(beefsteak)等の牛肉料理を中心としたレストランで、地上3階、地下2階となっており、地下2階が、しゃぶしゃぶ(shabu-shabu)と創作料理のレストラン、地下1階がbar、1階がcafe、2階がステーキ(steak)レストラン、3階が、焼肉レストランとなっています。このレストランは、古風な雰囲気と料理(料理の味)に安心するのか、(若い時に、この様な雰囲気と味に親しんだ?)中高年(中年・高齢者)の利用が多い店となっています(私は、この様なレストランも、嫌いではありませんw)。私は、このレストランを利用する場合、ほとんど、2階のステーキ(steak)レストランを利用しています。この時も、2階のステーキ(steak)レストランを利用しました(この時は、ビーフシチュー(beef stew)を食べました)。
写真以下4枚に、パンが付きます。
サラダ(salad)用のドレッシング(dressing)。写真左側は、醤油風味のドレッシング(dressing)。写真右側は、ブルーチーズ(blue cheese)と林檎のドレッシング(dressing)。
付け合せ(side dish)のサラダ(salad)。
ビーフシチュー(beef stew)。
デザート。クリームブリュレ(cream brulee)。
写真以下、投稿の本文に入ります。1月の中旬、個人的に休みだった日に、近場で休日を過ごした時の物です。
写真以下13枚。この日は、朝寝坊をし、遅い朝食兼昼食を食べた後、家を出て、新宿のデパートで、贈り物の買い物をした後、新宿御苑(shinjyukugyoen)を散歩しました。
新宿御苑(shinjyukugyoen)は、新宿(shinjyuku)区(東京都心部の西部に位置する区)最大の繁華街である新宿(東京のビジネス(business)の中心地区の一つであると共に、東京最大級の繁華街の一つ)の南にある広大な都市公園で(新宿(shinjyuku)区と渋谷(shibuya)区の境にあり、公園の敷地は、新宿(shinjyuku)区と渋谷(shibuya)区に跨っている)、東京都心部に有る公園の中では、最大級の物の内の一つです。新宿御苑(shinjyukugyoen)は、元々、江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)に、現在の長野(nagano)県に該当する地域の地方領主の家の一つ、内藤(naito)家の、東京の別荘の一つの広大な敷地だった物です。明治(meiji)時代(1868年から1912年)に入ると、近代的な新中央政府の方針によって、日本全国に、たくさんいた、地方領主達は、地方領主としての地位を失うと供に、封建制時代の城(castle)と庭園を失いました(もっとも、多くの地方領主達は、貴族階級に組み入れられ、近代社会(19世紀末から第2次世界大戦後、間も無くまで)においても、日本の上流階級としての地位と富は、維持しました)。また、19世紀後半に、天皇家は、メイン(main)の住まいを、京都から、東京に移しました。この様な事から東京の新宿御苑(shinjyukugyoen)は、19世紀後半以降、皇室(天皇家)の庭園となり、整備し直されました。新宿御苑(shinjyukugyoen)は、この様な歴史を経た後、第2次世界大戦後(1949年)に、都市公園となり、現在に至っています。我が家から、比較的近い、広い都市公園は、代々木(yoyogi)公園(同じく、東京都心部にある公園の中では、最大級の物の内の一つ)と新宿御苑(shinjyukugyoen)がありますが、代々木(yoyogi)公園(原宿(harajyuku)・渋谷(shibuya.。shibuya.区最大の繁華街)に近く、若者が多い)に比べて、新宿御苑(shinjyukugyoen)は、落ち着いた雰囲気となっています。
写真以下3枚。水仙(paper white水仙)の花。
散歩途中に食べた、森永(morinaga)ミルクキャラメル(milk caramel)(新宿御苑(shinjukugyoen)の売店で買った物)。これは、大きなサイズ(size)の森永(morinaga)ミルクキャラメル(milk caramel)です(新宿御苑(shinjukugyoen)の売店では、大きなサイズ(size)の物しか売っていなかった。。。)。森永(morinaga)ミルクキャラメル(milk caramel)は、森永(morinaga)製菓(日本の大手(大規模)菓子会社の一つ。1899年創業)のキャラメル(caramel candy)菓子の一つです。森永(morinaga)ミルクキャラメル(milk caramel)は、森永(morinaga)製菓の創業時(1899年)から販売されている、歴史のある人気商品で、長い間、日本人に親しまれて来ました。森永(morinaga)ミルクキャラメル(milk caramel)のパッケージ(package)のデザイン(design)は、基本的に、1910年代半ば頃から変わっていない様です。



近場で過ごす休日&食べ物2へ続く。。。
写真以下、おまけ。。。
私は、(古い一戸建て住宅の建物を含む)古い建物を眺めるのが好きなのですが、日本では、(日本の建物は、歴史上、長らく、石造りでは無く、木造が基本で有ったと言う事が関係していると思いますが)、古い建物を長く使い続けると言う発想が、乏しく、文化財にでも指定されていない限り、寺や神社(shrine)の建物でさえ、老朽化したと言って、結構、あっさりと建て替えてしまいます(もっとも、現存している、江戸時代(19世紀半ば)以前に建てられた、寺や神社(shrine)の建物に関しては、普通は、文化財に指定されていると思いますが)。したがって、古い住宅の建物となると、尚更、安易に建て替えられてしまう傾向が有ります(我が家の近所の実家の建物も、(元は、第2次世界大戦前に建てられた建物(日本伝統式の建物)だったそうですが)、私が、生まれる前に、現在の建物に建て替えられてしまっています)。文化財に指定されている様な、古い建物は、とりあえず安心なので、個人的に、差し迫って、写真を撮影する必要は有りませんが、私は、やがて消え行く運命に有る(それは、もしかして、すぐ明日にでも、訪れるかもしれない)、無名の古い住宅の建物を、せめて、私の街の分だけでも(出来たら、私の街以外の物も)、まだ存在している内に、出来るだけ多く、写真の中に収めて置こうと思っています。が、しかし、面倒臭さが勝って、中々作業が、進んでいません。。。
東京都心部の西部に位置する渋谷(shibuya)区の、私の街(基本的に、静かで落ち着いた住宅地となっています)は、今でこそ、東京中心部(東京23区内)の住宅地ですが、1920年代から1930年代頃に、(当時は)東京の西の郊外(まあ、郊外とは言っても、東京の都心部に比較的近い郊外でしたが)に開発された、中流層や新興金持ち向けの新興住宅地で、新興住宅地として開発される前は、まだ農村の雰囲気が色濃く残る、のどかな地域だった様です。また、新興住宅地として開発された後も、かなり、しばらくの間は、まだ、のどかな雰囲気が残っていた様で、私の母が、まだ小学生の頃(1950年代初め頃)は、我が家の近所の実家(元々、母方の祖父母の家。現在は、両親が引き継いで暮らしている。東京中心部(東京23区)の一戸建て住宅としては、敷地が比較的広いですが(家の土地は、東京都心部の拡大により地価が上がる前から保有していた物なので。。。)、とても質素な家です。ちなみに、父は、普通の会社員ですし(既に、半分定年退職状態です)、母は主婦です)の庭では、当たり前の様に、蛍が見られたそうです。
現在においても、私の街でも、第2次世界大戦前(1920年代から1930年代頃)に建てられたと思われる趣の有る一戸建て住宅の建物が、点在して残ってはいますが、私の街に、比較的古くから有る家でも、その、ほとんどは、家の建物に関しては、家の家族が、時代に合わせて建て替えてしまっています。私が、まだ幼かった頃には、まだ、私の街には、第2次世界大戦前(1920年代から1930年代頃)に建てられたと思われる一戸建て住宅の建物が、かなり残っていましたが、その様な、一戸建て住宅の建物は、ずっと減り続けてきましたし(それは、ずっと実感して来ました)、現在進行形で減り続けています(つい最近も、私の街の、1920年代から1930年代に建てられたと思われる、日本伝統式の一戸建て住宅(の建物)が、幾つか、取り壊され、失われてしまいました)。その一方で、私が幼い頃に比べて、現代的なデザイン(design)の一戸建て住宅は、かなり増えました。幼い頃から見ていた風景が、少しずつ失われ、変わって行くのは、やはり寂しい気がします。
写真以下8枚。一昨年の12月中旬に撮影した、私の街の、1920年代から1950年代初め頃に建てられたと思われる、西洋式の一戸建て住宅(当時)。建て替えの建築計画を記した表示(board)に気付き、取り壊される前に写真に残して置いた物です。この西洋式の一戸建て住宅の所有者の家族が、不動産会社に、(この西洋式の一戸建て住宅の)土地を売ってしまったのか、それとも、この西洋式の一戸建て住宅の所有者の家族が、どこか他の場所に引っ越し、この西洋式の一戸建て住宅の建物を建て替えて、アパート(マンション)経営をしようと思ったのかどうか分かりませんが、何れにしても、この西洋式の一戸建て住宅の建物は、つい最近、少世帯が入居する、低層の小規模アパート(マンション)に建て替えられてしまいました。
この西洋式の一戸建て住宅の敷地(当時)。庭に、鬱蒼と茂っていた木々や植物も、建て替えにより、小規模アパート(マンション)の建物が、敷地目一杯に建てられた為、失われてしまいました。

写真以下10枚。消えて行く物もあれば、新しく生まれる物もありと言った感じで、比較的最近建てられた、私の街の、個性的な、現代建築の一戸建て住宅の例(去年の大晦日、ウォーキング(運動)を兼ねて、私の街を、ぶらぶら散歩した際に撮影)。
写真以下2枚。下が青で上が白い、豆腐の様な形の、単純ながら個性的な、一戸建て住宅。割と最近(とは言っても、もう、5、6年前位かな。。。)建った家です。
写真以下8枚。つい最近建った(去年完成した)、かなり個性的な一戸建て住宅。
道は、狭いですが、この様な道は、ほとんど住民しか使わないので、自動車の通行も少なく、静かです(自動車が、多く走る、自動車が主体の幅の広い道路は、別にあります)。
写真以下2枚。私の街の、自動車が、多く走る、自動車が主体の幅の広い道路の風景例(同じく、去年の大晦日、ウォーキング(運動)を兼ねて、私の街を、ぶらぶら散歩した際に撮影)。