6月の下旬に、東京の北西部近郊の、秩父(chichibu)areaに、一泊の、小旅行に行って来た時の物です。秩父(chichibu)市(下の補足説明参照)を中心とする秩父(chichibu)areaは、古くから仏教の巡礼地として人気の場所であると共に、豊かな自然を有し、観光地となっています。
秩父(chichibu)市:東京の北西部近郊(東京圏の北部に位置する埼玉(saitama)県の西部)に位置する、人口6万5,000人程の小都市で、埼玉(saitama)県西部の中心都市。埼玉(saitama)県は、東京中心部(東京23区)の北部等に隣接し、基本的には、東京都心部に通勤する人々が多く暮らす、東京の北部郊外の住宅地域となっていますが、西部地域は、豊かな自然を有しています。秩父(chichibu)市は、秩父(chichibu)area(ほぼ、埼玉(saitama)県西部と一致)の中心都市となっていますが、秩父(chichibu)市自体、豊かな自然を有しています(ちなみに、Singaporeの国土面積は、秩父(chichibu)市の面積(600平方m近く)の、約1.2倍に過ぎませんが、人口は、約518万人で、秩父(chichibu)市の約80倍あります)。秩父(chichibu)市の中心部にある、とても歴史が古い(創建は、紀元前87年頃と伝えられています)、神道の神社(shrine)、秩父(chichibu)神社(shrine)の、お祭りである、秩父(chichibu)夜祭りは、東京圏(東京area)で、最大級の祭りの一つとなっています。秩父(chichibu)夜祭りの歴史は、とても古い様ですが、現在の様な形式になったのは、18世紀初め頃の様です。
秩父(chichibu)は、古くから(15世紀頃から)、仏教の巡礼地として人気の場所であり(特に、秩父(chichibu)への巡礼が盛んとなったのは、17世紀頃から)、秩父(chichibu)areaにある、仏教の寺・お堂(礼拝所)の内、34ヶ所(ほとんどが、寺)が、「秩父(chichibu)34ヶ所」と言う、(秩父(chichibu)areaの34ヶ所の)巡礼地として指定されています(全て、狭義の秩父(chichibu)area内にあると言った感じで、25ヶ所が、秩父(chichibu)市内にあり、残りは、何れも、秩父(chichibu)市に隣接する町にある)。私は、一時期、秩父(chichibu)にはまっていて(秩父(chichibu)が気に入り、秩父(chichibu)に、盛んに、小旅行に行っていた時期があって)、「秩父(chichibu)34ヶ所」に指定されている、全ての、寺・お堂を、訪れた事があります(一度に、全部、訪れた訳ではありません)。
私達は、この時は、電車を利用して、秩父(chichibu)を訪れました。自動車は便利であり、自動車に頼りがちですが、私は、鉄道を含めた、乗り物全般に、広く浅く興味がある事から、鉄道を使った旅は、元々、嫌いではありません(自動車を使う旅行と、鉄道を使う旅行、両方、好きです)。鉄道を使った旅だと、自動車を使った旅に比べて、歩く事が多くなりますが、近郊や田舎を、鉄道で旅行する際に、道を歩いていると、自動車で、さっと通り過ぎるのでは、見過ごしてしまう、何気ない、趣のある風景や物や植物や花に、多く出会う事が出来ます(また、鉄道を使った旅行は、基本的に、いつでも(昼食時でも、何でも)、お酒(アルコール(alcoholic)飲料)を、自由に飲めると言う利点がありますしw、移動時に(行き帰りに)寝る事が出来ると言う利点もあります)。
この時、秩父(chichibu)へは、池袋(ikebukuro)駅まで、通勤電車(韓国式に言えば地下鉄)を乗り継いで行き、池袋(ikebukuro)駅から、西武(seibu)鉄道の、特急(express)、「レッドアロー(Red Arrow)」を利用して行きました(帰りは、逆で、秩父(chichibu)から池袋(ikebukuro)駅まで、「レッドアロー(Red Arrow)」を利用し、池袋(ikebukuro)駅から、通勤電車(韓国式に言えば地下鉄)を乗り継いで帰って来ました)。
「レッドアロー(Red Arrow)」は、東京の都心部の池袋(ikebukuro。東京都心部の北西部に位置する。銀座(ginza)・有楽町(yurakucho)、新宿、渋谷(shibuya)と並ぶ東京最大級の繁華街の一つ)と秩父(chichibu)を結ぶ、西武(seibu)鉄道(下の補足説明参照)の、特別料金が必要な、特急電車(express)です。
西武(seibu)鉄道:東京圏の9つの、大手(大規模)私営鉄道会社(ちなみに、これには、JR東日本(元、日本国有鉄道)は、含まれていません)の一つで、東京の都心部と、東京の、北西部郊外・北西部近郊を結ぶ、通勤電車(韓国式に言えば地下鉄)路線・近郊電車路線を運営する、私営鉄道会社(1892年に設立。1894年に最初の路線が開業)。保有(運営)する路線の、総距離は、179.8km。
これは、借り物写真ですが、初代(先代)の、「レッドアロー(Red Arrow)」の車両。1969年にデビュー(debut)し、(1993年から、現在(2代目)の、「レッドアロー(Red Arrow)」の車両が導入された事に伴い)、1995年に、現在(2代目)の、「レッドアロー(Red Arrow)」の車両に、完全に取って替わられました。この写真は、渡辺 美里(watanabe misato。1980年代半ばから1990年代前半に、日本で高い人気を博した、日本の女性 pop singer。車両の前面の写真の女性)の、西武(seibu)球場(西武(seibu)鉄道の路線の沿線にある野球場。1999年に屋根が付けられ、西武(seibu)domeと言う名前に改称)でのコンサート(concert)(毎年、行われていた)に合わせて、毎年、運行されていた、臨時の特急電車(express)に、この形式の車両が、使われた際の写真です。私は、現在(2代目)の、「レッドアロー(Red Arrow)」の車両よりも、この、初代(先代)の、「レッドアロー(Red Arrow)」の車両の方が、ずっと好きです。私は、子供の頃、小田急(odakyu)Romance car(東京都心部と、箱根(hakone)・江ノ島(enoshima)等を結ぶ、小田急(odakyu)電鉄の特急電車(express))等と違って、「レッドアロー(Red Arrow)」には、あまり縁がなく、乗る機会も、少なかったのですが、この車両、格好良いと思ってしました。
これは、「日本の旅 鉄道見聞録」と言うsite→http://www.uraken.net/rail/から借りて来た写真ですが、現在(2代目)の、「レッドアロー(Red Arrow)」の車両。1993年にデビュー(debut)し、1995年に、初代(先代)の、「レッドアロー(Red Arrow)」の車両に、完全に、取って替わりました。私は、現在(2代目)の、「レッドアロー(Red Arrow)」の車両は、率直に言って嫌いです。外観のデザイン(design)が、どうして、こんなに退屈なデザイン(design)にしたのだろうと思う位、地味で、退屈なデザイン(design)だからです。地味でも洗練されていれば、文句はないのですが、個人的に、洗練されてもいないと思います。まるで、実用性しか考えていない、退屈で、地味な、事務用の机の様なデザイン(design)だと思います。通勤とビジネス(商用)で使われる、特急電車(express)の車両として見た場合、まあ、これで良いとして、観光客・保養客を運ぶ特急電車(express)の車両として見た場合、外観デザイン(design)に、あまりに、華やかさや、特別感、高級感と言った物が足りない気がします。個人的に、観光客・保養客を乗せる(又は、観光客・保養客も、乗せる可能性の高い)、特急列車(express)の、外観デザイン(design)は、これから乗ると言う時に、多少なりとも(出来たら、大いに)、心が踊る(心が高揚する)デザイン(design)にして欲しいのですが、現在(2代目)の、「レッドアロー(Red Arrow)」の車両からは、そうした要素が、全く感じられません。
初日(以下、この日と書きます)の昼食は、「レッドアロー(Red Arrow)」の車内で、池袋(ikebukuro)のデパートで買った、弁当(bento。基本的に、一つの容器に、おかずと、ご飯(rice)が入った、簡易な食事)で済ませました。
写真以下13枚。この日は、秩父(chichibu)に着いた後、秩父(chichibu)の中心部から、秩父(chichibu)鉄道(秩父(chichibu)本線を運営する、中小規模の鉄道会社)の、秩父(chichibu)本線(下の補足説明参照)の電車に乗って、秩父(chichibu)本線の、秩父(chichibu)area側の終点である、三峰口(mitsumine guchi)駅(秩父(chichibu)市中心部から、南西に約12km)まで行き、秩父(chichibu)本線の白久(shiroku)駅(三峰口(mitsumine guchi)駅から、秩父(chichibu)の中心部方面に一駅)まで、一駅戻る形で、秩父(chichibu)の南西部近郊を散歩しました。東京近郊とは言っても、ここまで来ると、のどかな田舎と言った感じです。
秩父(chichibu)本線:1901年開業。秩父(chichibu)areaと、埼玉(saitama)県(東京圏の北部に位置する県)の北端部を結ぶ、近郊電車路線。全長約72km。地元の高校生の通学路線・観光路線・鉱物(秩父(chichibu)で産出される良質な石灰石)を運ぶ貨物路線(もちろん、貨物輸送には、貨物用車両が使われます)等の役割を果たしている。
三峰口(mitsumine guchi)駅に、保存・展示されている、秩父(chichibu)鉄道の100系電車車両。1950年にデビュー(debut)した、秩父(chichibu)鉄道の車両です。1980年代に入っても使われていましたが、1988年に、全車、引退しました。

アメリカや西ヨーロッパの国々では、どの街でも、少なくとも一つの、キリスト教の教会があると思いますが、それと同様に、日本では、どの街にも、一般的には、少なくとも、1つの、神道の神社(shrine)又は、仏教の寺、もしくは両方が存在します。こうした、神道の神社(shrine)と仏教の寺、(特に、神道の神社(shrine))は、宗教と言うよりも、生活文化として、街の人々の生活の中に自然と溶け込んでいます。
写真以下2枚。小ぢんまりとした、神道の神社(shrine)。この神社(shrine)は、この時、初めて訪れました。この神社(shrine)は、1275年に、この近くに創建されましたが、この場所には、比較的新しい、1912年に移転して来た様です。何気ない、田舎の村(集落)の、小ぢんまりとした神社(shrine)と言った感じです。

写真以下4枚。円通(entsu)寺と言う、1395年に創建された仏教の寺です。この寺は、この時、初めて訪れました。何気ない、田舎の村(集落)の、小ぢんまりとした仏教の寺と言った感じです。この寺は、「秩父(chichibu)34ヶ所」には、含まれていません。

散歩を終えた後は、白久(shiroku)駅から、秩父(chichibu)本線(下の補足説明参照)の電車に乗って、秩父(chichibu)の中心部方面に、さらに一駅戻り、武州日野(bushu hino)駅(秩父(chichibu)市中心部から、南西に約8km)で、電車を降りました。
この時、秩父(chichibu)では、柴原(shibahara)鉱泉に、二つある鉱泉(温泉)旅館の内の一つに宿泊しました。柴原(shibahara)鉱泉は、秩父(chichibu)の南西部近郊の山の中の谷間に位置する、隠れ家的な、鉱泉(温泉)保養地です。ちなみに、鉱泉とは、温泉と同じ成分を含む湧水で、温泉と同じ療養効果(美容、健康、病気等の治療への効果)がありますが、温泉よりも温度の低い物を言います。逆に、鉱泉の内、温度の高い物が温泉であるとも言えます。したがって、温泉と鉱泉は、実質的に同じ様な物です。鉱泉は、そのままでは、冷たくて、入浴して暖まるのに、適した温度ではない為、温泉として(温泉の様に)入浴するには、沸かして、人工的に温める必要があります。また、温泉であっても、比較的温度の低い物は、入浴に利用する場合は、やはり、入浴に適した温度に、沸かして、温める必要がありますし、また、逆に、温度が高過ぎる物は、入浴に利用する場合は、冷ますか、水を加えて、人工的に、温度を低くする必要があります。
柴原(shibahara)鉱泉は、この時、初めて訪れました。柴原(shibahara)鉱泉は、前から、ちょっと気になっていて、一度、宿泊して、鉱泉(温泉)に入ってみたいなと思っていた場所です。この時、秩父(chichibu)を訪れた目的は、柴原(shibahara)鉱泉の、温泉(鉱泉)旅館に宿泊する事にありました。
武州日野(bushu hino)駅まで、この時、宿泊した、柴原(shibahara)鉱泉の温泉(鉱泉)旅館の送迎自動車に迎えに来て貰いました(駅から、旅館までは、送迎自動車で10分程でした)。柴原(shibahara)鉱泉は、武州日野(bushu hino)駅(秩父(chichibu)の中心部から、電車で約15分)から、3km位、山の中の細い道を入った所にあります。
写真以下。柴原(shibahara)鉱泉。柴原(shibahara)鉱泉は、鉱泉(温泉)保養地(湯治場)としての歴史は、古く、400年以上の歴史がある様です(柴原(shibahara)鉱泉の源泉の井戸(現在も、柴原(shibahara)鉱泉で営業している、二軒の温泉(鉱泉)旅館で使用している様です)の歴史は、鉱泉(温泉)保養地(湯治場)としての柴原(shibahara)鉱泉の歴史よりも、さらに古く、10世紀から14世紀初め頃に掘られたと言われています)。歴史的に、世帯数は、少なく、常時、鉱泉(温泉)施設・鉱泉(温泉)宿泊施設を含めて、7世帯以下位だった様です。柴原(shibahara)鉱泉は、(特に、現在は)交通の便は、あまり不便ではありませんが、山奥にあると言った感じで、隠れ家的な、鉱泉(温泉)保養地と言った雰囲気は、十分です。
この時、私達が宿泊した温泉(鉱泉)旅館のパンフレット(leaflet)から。。。空から見た、柴原(shibahara)鉱泉。現在、柴原(shibahara)鉱泉では、この時、私達が宿泊した温泉(鉱泉)旅館を含めて、二つの、温泉(鉱泉)旅館が営業しています。写真下部の真ん中の、建物郡が、上から見た、この時、私達が宿泊した温泉(鉱泉)旅館。その右隣りの、建物郡が、上から見た、現在、柴原(shibahara)鉱泉で営業している、もう一つの、温泉(鉱泉)旅館です(おそらく。。)。後述しますが、この時、私達が宿泊した温泉(鉱泉)旅館と、もう一つの、温泉(鉱泉)旅館、どちらも、それぞれ魅力的な部分があり、どちらに宿泊するのか、迷いました。
写真以下54枚。この時、私達が、柴原(shibahara)鉱泉で宿泊した温泉(鉱泉)旅館。開業は、1954年と、おそらく、柴原(shibahara)鉱泉で、最も新しく開業した温泉(鉱泉)宿泊施設です(建物は、時代に合わせて建て替えられています)。この、温泉(鉱泉)旅館は、日本秘湯(hitou)を守る会に加盟している鉱泉(温泉)旅館です。秘湯(hitou)とは(説明は、wiki等を参考にしました)、主に山奥等の交通の便が悪い、辺鄙な場所に存在する、ひっそりとした、人に知られていない(または、常連客が、他人に知らせたくない)、素朴で、鄙びた温泉旅館・温泉民宿等の温泉宿泊施設(又は温泉地)の事を言います。日本には、もちろん、普通の温泉旅館が、非常に多いですが、秘湯(hitou)と呼ばれる、又は、秘湯(hitou)と呼べる、温泉(又は鉱泉)宿泊施設も、結構たくさん有ります。もっとも、この温泉旅館は、秘湯(hitou)と呼ぶには、少し洗練され過ぎている様に思いました(ちなみに、個人的には、この温泉旅館に関しては、その事が、悪い評価に繋がる事は、全く有りません。。。)。秘湯(hitou)と言えば、むしろ、柴原(shibahara)鉱泉で、現在営業している、もう一つの温泉(鉱泉)旅館の方が、どちらかと言えば、日本秘湯(hitou)を守る会に加盟するのに、ふさわしい宿泊施設の様な気がします(その温泉(鉱泉)旅館は、日本秘湯(hitou)を守る会に加盟していません)。
この温泉(鉱泉)旅館は、中級classの温泉旅館であり、中級classの温泉旅館の中では、比較的安い温泉旅館です。客室数は、10室程度と少なく、静かで、落ち着いた温泉旅館です。この温泉旅館は、個人的に、温泉(鉱泉)風呂、食事を中心とした、総合的な、満足度は、かなり高かったです。個人的に、お気に入りの温泉旅館と、十分なり得る温泉旅館なのですが、秩父(chichibu)は、少し飽きていて、今は、頻繁に訪れる程の魅力を感じる場所ではないので、今後、お気に入りの旅館になるかについては、微妙と言った感じです。
この温泉(鉱泉)旅館は、ロビー(lobby)や廊下、温泉風呂等、建物と施設に、ふんだんに、榧の木が使われている事が特徴となっています。
写真以下4枚。この温泉(鉱泉)旅館のパンフレット(leaflet)から。。。
ロビー(lobby)等が入る、この温泉(鉱泉)旅館の玄関の役割を果たしている建物。
写真左側、この温泉(鉱泉)旅館の客室。写真右側、この温泉(鉱泉)旅館は、ロビー(lobby)や温泉風呂等、建物と施設に、ふんだんに、榧の木が使われている事が特徴となっています。
写真以下2枚。この温泉(鉱泉)旅館の温泉(鉱泉)風呂。
写真以下2枚。ロビー(lobby)等が入る、この温泉(鉱泉)旅館の玄関の役割を果たしている建物。
客室に置いてあった、サービスの(無料の)、お菓子。
写真以下3枚。この温泉(鉱泉)旅館の館内にて。。。


この温泉(鉱泉)旅館の、温泉(鉱泉)風呂(おそらく、源泉かけ流しです)は、男女別の共同風呂で、二つの共同温泉(鉱泉)風呂があって、時間によって、男用共同温泉風呂と女用共同温泉風呂が入れ替わります。仮に、この投稿において、この温泉(鉱泉)旅館の、共同温泉(鉱泉)風呂の一つを共同温泉(鉱泉)風呂A、もう一つの、共同温泉(鉱泉)風呂を、共同温泉(鉱泉)風呂Bとしますが、私達が宿泊した時は、チェックイン(check-in)時間から、夜の比較的遅い時間までは(確か、夜10時までだったかな。。。)、共同温泉(鉱泉)風呂Aが、男用の共同温泉(鉱泉)風呂、共同温泉(鉱泉)風呂Bが、女用の共同温泉(鉱泉)風呂、夜10時(確か。。。)に、男用の共同温泉(鉱泉)風呂と女用の共同温泉(鉱泉)風呂が入れ替わり、それ以降、チェックアウト(check-out)時間までは、共同温泉(鉱泉)風呂Aが、女用の共同温泉(鉱泉)風呂、共同温泉(鉱泉)風呂Bが、男用の共同温泉(鉱泉)風呂となりました。
この温泉(鉱泉)旅館の、温泉(鉱泉)風呂は、前述の通り、榧の木で作られている事が特徴で、良い香りがして、心地良かったです。この温泉(鉱泉)旅館の、温泉(鉱泉)風呂は、雰囲気も良く、湯は、優しい感じで、入浴していて、気持ちが、とても安らぐ温泉(鉱泉)風呂でした。

この温泉(鉱泉)旅館の、共同温泉(鉱泉)風呂Aの脱衣室。
写真以下12枚。この温泉(鉱泉)旅館の、共同温泉(鉱泉)風呂A。
写真以下5枚。この温泉(鉱泉)旅館の、共同温泉(鉱泉)風呂Aの、屋内(室内)温泉(鉱泉)風呂。
写真以下7枚。この温泉(鉱泉)旅館の、共同温泉(鉱泉)風呂Aの、温泉(鉱泉)露天(野外)風呂。

この温泉(鉱泉)旅館の食事は、夕食も、朝食も、部屋出し(食堂(dining room)で食べるのでは無く、ホテルのroom serviceの様に、部屋まで料理が運ばれて来て、部屋で料理を食べる形式)でした。
この温泉(鉱泉)旅館の食事は、夕食、朝食共に、地元で採れた食材を、最大限に活かした食事でした。全般的に、美味しく、満足感の高い食事でした(唯一の、ちょっとした不満は、朝食の、おかずの量と内容が、少し寂しかった事かな。。。)。
写真以下14枚。この時、食べた、この旅館の夕食(この日の、夕食)等。
写真以下2枚。この時、私が飲んだ飲み物の一部(最初の1杯)。

秩父(chichibu)ビール。温泉に入って喉が渇いていたので、これは、一気飲みと言った感じで、あっと言う間に飲んでしまいました。この時は、私は、これ以外は、お酒(アルコール(alcoholic)飲料)は、ひたすら日本酒を飲みました。

これが、本格的な、最初の1杯と言った感じ。。。私が、この時に飲んだ、日本酒の一つで、矢尾(yao)本店(1749年創業の、秩父(chichibu)市の日本酒の会社。秩父錦(chichibu nishiki)と言うブランド(銘柄)で、日本酒を製造している)の、「秩父(chichibu)米」と言う日本酒。
写真以下11枚。この時、食べた、この旅館の夕食(この日の、夕食)の一部。
写真以下7枚は、全て、一人一皿ずつです。
写真以下2枚。地元の食材を活かした、様々な前菜。
左から。。。抹茶(green tea)豆腐。行者ニンニク、おろし和え。山蕗の田舎煮。百合根茶巾絞り。マタタビの、お浸し。
新じゃがいも(収穫したての、しゃがいも(potato))、トマト(tomato)。
鱒(美雪鱒)の刺身。
筍寿司。
お吸い物。筍、すり流し。
鮎の、塩焼き。
煮物(おでん(oden)の様な感じでした)は、4種類が、二人分(したがって、合計8個が)、纏めて、大きな皿に盛られて来て、取り分けて、食べる形式でしたが、写真以下2枚は、取り分けた、煮物の具の一部(大きな皿は、写真を撮る前に、彼女が、煮物を1個取ってしまって、盛り付けの形が崩れてしまったので、写真は、撮りませんでした)。
柴原(shibahara)鉱泉で採れたワラビ(蕨)の、大根巻。煮物の具の中で、一番、印象に残った物。。。
豚肉。
口直し。トマト(tomato)の蜜煮。一人一皿ずつ。
以上で、この温泉(鉱泉)旅館で、この時、出された夕食の、全体の、三分の二(70%弱位)だったのですが、ここまで写真を撮って、デジカメ(digital camera)の充電が尽きてしまいました(旅行前に、充電するのを忘れていました。夕食の、終わり位までは、持つだろうと思っていたが、考えが、甘かった。。。)。料理が部屋出しなので、この後、充電しながら、料理が来る度に、充電を一時中断し、写真を撮る事が可能ではありましたが、かなり酒に酔ってしまったので(この時は、食事の序盤に、少し早いペース(速度で)、お酒(アルコール(alcoholic)飲料)を飲み過ぎました)、そこまでするのは、面倒になってしまったし、上手く表現出来ませんが、何だか、酒に酔ったのと美味い食事で、やけに上機嫌になってしまい、もう、写真は、どうでも良くなり、美味しい食事を食べるのに集中したくなってしまいましたw
この後、様々な種類の山菜(山や、森、野原で採れる食用植物)の天麩羅、酢の物、多目の量の舞茸(茸)の雑炊(お粥に似た料理)、漬物が出て、何れも、美味しかったです。
酔いが、ある程度醒めて来た&デジカメ(digital camera)が、ある程度充電されたので、最後に出てきた、デザート(dessert)。豆腐のアイスクリーム(ice cream)と果物。一人一皿ずつ。夕食は、最後まで(デザート(dessert)まで)、全て、美味しかったです。ちなみに、夕食の他、夜食として、お握り(rice ball)が出て来ました。
写真以下2枚。夕食後、酔いが、かなり醒めるのを待って、まず、女性用の共同風呂に変わる前に、この温泉(鉱泉)旅館の、共同温泉(鉱泉)風呂Aに、もう一度、入浴しに行きました。
屋内(室内)温泉(鉱泉)風呂。
温泉(鉱泉)露天(野外)風呂。
写真以下6枚。この温泉(鉱泉)旅館の、共同温泉(鉱泉)風呂Bが、男用の共同風呂に変わってから、(共同温泉(鉱泉)風呂Bに)入浴しに行きました。前述の通り、夜10時(確か。。。)に、男用の共同温泉(鉱泉)風呂と女用の共同温泉(鉱泉)風呂が入れ替わり、それ以降、チェックアウト(check-out)時間まで、共同温泉(鉱泉)風呂Aが、女用の共同温泉(鉱泉)風呂、共同温泉(鉱泉)風呂Bが、男用の共同温泉(鉱泉)風呂となりました。
写真以下3枚。この温泉(鉱泉)旅館の、共同温泉(鉱泉)風呂Bの、屋内(室内)温泉(鉱泉)風呂。

この温泉(鉱泉)旅館の、共同温泉(鉱泉)風呂Bの、屋内(室内)温泉(鉱泉)風呂から、温泉(鉱泉)露天(野外)風呂へ行く廊下。
写真以下2枚。この温泉(鉱泉)旅館の、共同温泉(鉱泉)風呂Bの、温泉(鉱泉)露天(野外)風呂。
写真以下は、二日目(以下、この日と書きます。。。)から。。。
写真以下9枚。翌朝は、早起きして(寝不足でしたが、まあ、自動車の運転もないし、いいかと言う事で。。。(東京都心部への帰りの電車で寝て行けるし。。。))、まず、朝の心地良い光に包まれた、温泉(鉱泉)風呂に入りに行きました。
写真以下9枚。この温泉(鉱泉)旅館の、共同温泉(鉱泉)風呂B。何度か書いていますが、この温泉(鉱泉)旅館の、温泉(鉱泉)風呂は、榧の木で作られている事が特徴で、良い香りがして、心地良かったです。
写真以下4枚。この温泉(鉱泉)旅館の、共同温泉(鉱泉)風呂Bの、屋内(室内)温泉(鉱泉)風呂。


この温泉(鉱泉)旅館の、共同温泉(鉱泉)風呂Bの、屋内(室内)温泉(鉱泉)風呂から、温泉(鉱泉)露天(野外)風呂へ行く廊下。
写真以下4枚。この温泉(鉱泉)旅館の、共同温泉(鉱泉)風呂Bの、温泉(鉱泉)露天(野外)風呂。
写真以下23枚。温泉(鉱泉)に入浴後、朝食前に、柴原(shibahara)鉱泉を、少し散歩しました。前述の通り、柴原(shibahara)鉱泉は、歴史的に、世帯数は、少なく、常時、鉱泉(温泉)施設・鉱泉(温泉)宿泊施設を含めて、7世帯以下位だった様です。現在も、全世帯数は、5、6世帯位と言った感じで、温泉(鉱泉)旅館を除けば、農家等が数軒ある程度と言った感じです。
写真以下7枚。柴原(shibahara)鉱泉では、この時、私達が宿泊した温泉(鉱泉)旅館を含めて、現在、二つの、温泉(鉱泉)旅館が営業していますが、この時、私達が宿泊した温泉(鉱泉)旅館の隣にある、柴原(shibahara)鉱泉の、もう一つの温泉(鉱泉)旅館の建物の一部。この温泉(鉱泉)旅館は、この時、私達が宿泊した温泉(鉱泉)旅館よりも、歴史が古く、19世紀半ばに創業した温泉(鉱泉)旅館です。この旅館は、手打ち蕎麦が有名な様です。また、料理は、この時、私達が宿泊した温泉旅館同様、地元で採れた食材を、最大限に活かした物の様です。前述の通り、この時、私達が宿泊した温泉(鉱泉)旅館と、この温泉(鉱泉)旅館、どちらに宿泊するのか、迷いましたが、個人的に、総合的な魅力は、この時、私達が宿泊した温泉(鉱泉)旅館が勝る感じだったので、この時、私達が宿泊した温泉(鉱泉)旅館の方を選びました。この温泉(鉱泉)旅館は、この時、私達が宿泊した温泉(鉱泉)旅館よりも、すこし大衆的で、大衆classと中級classの間と言った感じの、温泉(鉱泉)旅館の様です。また、いつか、この温泉旅館も、泊まってみたいと思っています。
この温泉(鉱泉)旅館の玄関となっている建物(おそらく。。。)。
写真以下6枚。この三階建ての建物は、150年以上前(1850年代末位。この温泉(鉱泉)旅館の創業時)に建てられた建物の様です。現在は、使われていません。

柴原(shibahara)鉱泉の農家の一つ。

柴原(shibahara)鉱泉では、近年まで、4つの、温泉(鉱泉)旅館が営業していた様ですが、二つが閉館し(後継者不足(旅館を継ぐ者がいない)、建物の老朽化(建物が、古くて、営業用の建物としての維持費等に限界が来ていた)等の理由がある様です)、現在は、前述の通り、二つの温泉(鉱泉)旅館しか営業をしていません。
写真以下2枚。近年閉館(営業を停止)した、柴原(shibahara)鉱泉の温泉(鉱泉)旅館の一つの建物。この温泉(鉱泉)旅館は、閉館した時点において、約300年もの歴史を有し、建物(写真以下2枚)も、(部分的に改装がなされているものの)、この旅館の開業時からの物で、閉館した時点において、建てられてから、約300年が経っていた様です。

ホタルブクロ(蛍袋)。ホタルブクロ(蛍袋)は、前日、(この時、私達が宿泊した)温泉(鉱泉)旅館の夕食で、山菜(山や、森、野原で採れる食用植物)の天麩羅の一つとして、天麩羅で出て来ました。


写真以下3枚。写真正面の、昔の、日本の城(castle)の一部の様な建物は、この時、私達が宿泊した、温泉(鉱泉)旅館の、オーナー(owner)が暮らす家です(おそらく。。。)。
写真以下。この時、私達が宿泊した、温泉(鉱泉)旅館の朝食(この時、私達が、この温泉旅館で、食べた朝食)。全て一人一皿ずつです(写真は、一人分)。これと、あと、ご飯(rice)が、朝食の内容です。
魚は、稚鮎。

東京近郊、温泉小旅行後編へ続く。。。