「以下、沖縄(okinawa)旅行&食べ物7からの続きです」と言う文までは、前々回までの投稿と、ほとんど同じです。
沖縄(okinawa)県は、日本の47の都道府県(prefecture)の内の一つで、日本の都道府県(prefecture)の中で、最南端に位置する県です(沖縄(okinawa)県の気候は、熱帯性から亜熱帯性となっています)。沖縄(okinawa)県は、1879年まで、琉球(ryukyu)王国と言う独立国だった為、日本の中で、かなり個性的な文化を有する地域となっています(沖縄(okinawa)県の伝統文化は、地理的条件及び、中継貿易国として栄えた歴史から、とても大雑把言えば、日本・中国・東南アジア・オセアニア(Oceania)の要素が入り混じった文化と言う感じかな。。。)。また、沖縄(okinawa)県は、第二次世界大戦の日本の敗戦に伴い、1945年から、1972年に日本に返還されるまで、アメリカの統治下に置かれていた事等から、沖縄(okinawa)県の現代文化は、日本の他地域の、それよりも、アメリカの影響を強く受けていると言う特徴を持っており、その事が、さらに、沖縄(okinawa)県の文化を、日本の中で、個性的な物にしています(まあ、第二次世界大戦後の、アメリカからの影響による、現代、沖縄(okinawa)文化の個性は、沖縄(okinawa)県が、長い歴史の中で育んで来た、沖縄(okinawa)県の伝統文化の個性に比べれば、微々たる物だと思いますが。。。)。沖縄(okinawa)県は、非常に多くの熱帯的で美しいビーチ(beach)と魅力的な文化を有する事から、沖縄(okinawa)県は、日本の他地域から、非常に多くの観光客・保養客が訪れます。
沖縄(okinawa)県は、沖縄(okinawa)本島(沖縄(okinawa)県の中心となっている、沖縄(okinawa)県で最大の島であると共に、最大の人口を有する島)及び、その周辺の島々から成ります。沖縄(okinawa)県は、東西約1,000km、南北約400kmの海域に広がる、約160の島々により構成されていますが、沖縄(okinawa)県の島々の、ほとんどが、熱帯的な、とても美しい海に囲まれています。沖縄(okinawa)県の、約160の島々の内、有人島(人が居住している島)は、47から49ぐらい(資料によって異なる)、また、有人島の内、(今回、私達が訪れた)久米(kume)島の様に、美しいビーチ(beach)があると言う事(まあ、前述の通り、沖縄(okinawa)県の島々の、ほとんどが、熱帯的な、とても美しい海に囲まれているのですが。。。)と、宿泊施設が整っていると言う事の、二つの条件を満たす島は、沖縄(okinawa)本島(沖縄(okinawa)県の中心となっている、沖縄(okinawa)県で最大の島)を含み、30ぐらいだと思います。ちなみに、沖縄(okinawa)県では、有人島から、美しいビーチ(beach)を有する無人島への、海水浴ツアー(tour)も、盛んに行われています。沖縄(okinawa)本島のビーチ(beach)の海も十分美しいですが、一般的に、沖縄(okinawa)県の、沖縄(okinawa)本島以外の島々のビーチ(beach)の海は、より美しいと思います(まあ、沖縄(okinawa)本島は、多くの人々が暮らし、多くの観光客・保養客が訪れるので、仕方がないと思います。。。沖縄(okinawa)本島のビーチ(beach)の海も、東京に住んでいる、私からすれば、十分過ぎる程、美しいですが。。。)。
この時、私達が、訪れた、久米(kume)島は、沖縄(okinawa)本島(沖縄(okinawa)県の中心となっている、沖縄(okinawa)県で最大の島)から、西に、約100kmの位置にある、面積約60平方km、人口約8,000人の島です。久米(kume)島は、沖縄(okinawa)本島から、飛行機で、30分程です。久米(kume)島については、沖縄(okinawa)旅行&食べ物」の1から6、若しくは、前回及び、前々回の投稿を参照して下さい。
以下、沖縄(okinawa)旅行&食べ物7からの続きです。。。
以下、5日目(以下、この日と書きます)の続きからです。。。この日(久米(kume)島での、最終日)は、レンタカー(rent-a-car)を利用して、drive&観光を楽しみました(前回及び前々回の投稿、参照)。借りる時は、レンタカー会社(car rental company)が、ホテルまで自動車を届けてくれますし、最後は、空港の駐車場に、自動車を乗り捨てる事が可能です。
久米(kume)島の空の玄関口(gateway)となっている、久米(kume)島空港。那覇(naha)空港(沖縄(okinawa)本島(沖縄(okinawa)県で、最大且つ、最大の人口を有する、沖縄(okinawa)県の中心的な島)の空の玄関口(gateway)であると共に、沖縄(okinawa)県の、中心的な、空の玄関口(gateway)となっている空港)と、久米(kume)島の空の玄関口(gateway)となっている久米(kume)島空港の間は、基本的に、日本トランスオーシャン(transocean)航空(JTA)と琉球(ryukyu)エアコミューター(air Commuter)(RAC)(どちらも、那覇(naha)空港をハブ空港(airline hub)としている、日本の航空会社)の旅客機が、1日、7往復運行しています(交通の便は、良いと言えます)。日本トランスオーシャン(transocean)航空(JTA)が、ジェット(jet)旅客機での運行、琉球(ryukyu)エアコミューター(air Commuter)(RAC)が、小型のプロペラ(propeller)旅客機での運行となっています。夏の休暇時期の最盛期(7月の中旬から8月)には、日本トランスオーシャン(transocean)航空(JTA)が、東京の羽田(haneda)空港(東京の2大空港の一つ)と久米(kume)島空港の間の直行便(ジェット(jet)旅客機)を、1日1往復運行している様です。
この時は、行きの、那覇(naha)空港から、久米(kume)島空港までは、日本トランスオーシャン(transocean)航空(JTA)(下の補足説明参照)を使い、帰りの、久米(kume)島空港から那覇(naha)空港までは、琉球(ryukyu)エアコミューター(air Commuter)(RAC)(下の補足説明参照)を使いました。
日本トランスオーシャン(transocean)航空(JTA):日本航空の子会社である、航空会社の一つ。本社は、沖縄(okinawa)県、那覇(naha)市。沖縄(okinawa)本島(那覇(naha))と、沖縄(okinawa)県の、沖縄(okinawa)本島以外の主要な島を結ぶ航空路線を主体に運行している。保有している旅客機は、全て、ジェット(jet)旅客機。
琉球(ryukyu)エアコミューター(air Commuter):日本トランスオーシャン(transocean)航空(JTA)の子会社。本社は、沖縄(okinawa)県、那覇(naha)市。沖縄(okinawa)県内の島と島との間の航空路線を運行。保有している旅客機は、全て、小型のプロペラ(propeller)旅客機。
写真以下2枚。今回、帰りに、久米(kume)島の久米(kume)島空港から、沖縄(okinawa)本島の那覇(naha)空港まで利用した、琉球(ryukyu)エアコミューター(air Commuter)の飛行機。久米(kume)島空港から那覇(naha)空港までの、この日の最終便を利用しました。前述の通り、久米(kume)島の久米(kume)島空港から、沖縄(okinawa)本島の那覇(naha)空港までは、飛行機で、30分程です。
前述の通り、沖縄(okinawa)県は、東西約1,000km、南北約400kmの海域に広がる、約160の島々により構成されていますが、沖縄(okinawa)県の島々の、ほとんどが、熱帯的な、とても美しい海に囲まれています。沖縄(okinawa)県の、約160の島々の内、有人島(人が居住している島)は、47から49ぐらい(資料によって異なる)、また、有人島の内、美しいビーチ(beach)があると言う事(まあ、前述の通り、沖縄(okinawa)県の島々の、ほとんどが、熱帯的な、とても美しい海に囲まれているのですが。。。)と、宿泊施設が整っていると言う事の、二つの条件を満たす島は、沖縄(okinawa)本島(沖縄(okinawa)県の中心となっている、沖縄(okinawa)県で最大の島)を含み、30ぐらいだと思います。沖縄(okinawa)本島は、沖縄(okinawa)県で、最大の島だけあって、非常に多くの(40ヶ所以上の)、熱帯的な、美しいビーチ(beach)を有しています。
写真以下15枚は、前にkjにアップ(upload)した写真の再利用ですが、沖縄(okinawa)本島の海の例。。。
写真右側に見えるホテルは、沖縄(okinawa)を代表する、高級リゾート(resort)ホテルの一つ、ブセナテラス(The Busena Terrace)(私は、宿泊した事がありません)。ブセナテラス(The Busena Terrace)は、第26回G8 Summit(沖縄(okinawa)Summit)(2000年)の、主会場となりました。
私達が、この旅行の最終日に宿泊した、那覇(naha)は、沖縄(okinawa)本島(沖縄(okinawa)県の中心となっている、沖縄(okinawa)県で最大且つ、最大の人口を有する島)の、南部に位置する中都市で、沖縄(okinawa)県最大の人口を有する都市であると共に、沖縄(okinawa)県の中心都市です。
写真以下35枚(前にkjでアップ(upload)した写真の再利用)は、参考に、首里(shuri)。首里(shuri)は、琉球(ryukyu)王国の首都(政治の中心地)として栄えた、小都市です。首里(shuri)は、1954年に、首里(shuri)の貿易港都市・商業都市として発展して来た那覇(naha)市に編入され、那覇(naha)市の一部(現在の那覇(naha)市の北東部(内陸部の北部)area)となりました。
写真以下18枚。首里(shuri)にある、首里城(castle)(首里(shuri)城(castle)跡)。首里(shuri)城(castle)は、琉球(ryukyu)王国の国王が、居住し、琉球(ryukyu)王国の政府(王府)の拠点となっていた城(castle)です。首里(shuri)城(castle)の創建年代は、明らかではありませんが、13世紀末から14世紀頃と推定されています。14世紀初めから15世紀初めまでは、中山(chuzan)王国(現在の那覇(naha)市を中心に存在していた王国)の城(castle)として使われていました。首里(shuri)城(castle)の建物は数度にわたり焼失しており、その度に再建されてきました。一度目の焼失は、15世紀半ばの、琉球(ryukyu)王国の王位争いの際で、城(castle)の敷地内の建物は、完全に破壊されました。二度目の建物の焼失は、1660年の事であり、再建に11年の年月を要しました。しかしながら、1709年に、三度目の火災が起きて、主な建物が焼失してしまいました。現在の首里(shuri)城(castle)の建物は、三度目の火災で焼失した建物の再建が完了した1715年の以降の、首里(shuri)城(castle)の姿(おそらく、基本的に、18世紀から19世紀後期までの姿)を基に復元(再建)されています(これから復元(再建)予定の建物も、そうだと思います)。
昔風に描かれた、首里(shuri)城(castle)公園の地図。首里(shuri)城(castle)跡(かつての首里(shuri)城(castle)の敷地)は、現在は、首里(shuri)城(castle)公園として、首里(shuri)城(castle)の復元・整備が進められています。
首里(shuri)城(castle)主要部の復元完成予想図。パンフレット(leaflet)より。。。首里(shuri)城(castle)の完全な復元を目指し、現在も、復元が進められています。なお、首里(shuri)城(castle)の復元は、三度目の火災で焼失した建物の再建が完了した1715年以降の、首里(shuri)城(castle)の姿(おそらく、基本的に、18世紀から19世紀後期までの姿)を基に行われています。


正殿(seiden。首里(shuri)城(castle)で、最も重要であった建物)を中心とした、首里(shuri)城(castle)の中心(琉球(ryukyu)政府(王府)の中心)となる建物群の図。
写真以下4枚。首里(shuri)城(castle)の正殿(seiden。首里(shuri)城(castle)で、最も重要であった建物で、首里(shuri)城(castle)を象徴する建物)。(たぶん、先代の建物の、1712年頃に再建された当時の姿で)復元(再建)された物(ちなみに、首里(shuri)城(castle)の正殿(seiden)の、先代の建物(1712年頃に再建された物)は、第二次世界大戦末期の、1945年に焼失するまで、現存し、国宝に指定されていました)。首里(shuri)城(castle)の正殿(seiden)は、琉球(ryukyu)王国の国王が、自ら政治を執り行ったり、琉球(ryukyu)王国の王家が、様々な儀式を執り行っていた建物で、首里(shuri)城(castle)で、最も重要な建物でした。また、琉球(ryukyu)王国の王家の権威を示す(象徴する)建物、琉球(ryukyu)王国を象徴する建物と言う意味においても、首里(shuri)城(castle)で、最も重要な建物でした。首里(shuri)城(castle)の正殿(seiden)の建物は、中国の宮廷建築と日本の建築様式を基本にしながら、琉球(ryukyu)独特の意匠(design・装飾)に纏められています(首里(shuri)城(castle)公園のsiteより。。。)。
以下、朝拝儀式及び、朝拝儀式に関連する説明は、首里(shuri)城(castle)のパンフレット(leaflet)の説明文を参考にしました。琉球(ryukyu)王国では、様々な祭祀・儀礼等の行事を行う事で、国家の安泰を願っていました。かつて、琉球(ryukyu)王国の政府(王府)が、執り行った儀式は、年間に90回程あり、その中で、最も行事が多い月が、正月でした。正月だけでも、年間の、政府(王府)行事の約三分の一である、30を越す行事がありました。その中で、最大の儀式は、御庭(una)(首里(shuri)城(castle)の正殿前の広場)を中心に、大晦日から1月1日にかけて行われる、朝拝御規式(chohaiokishiki)と呼ばれる朝拝儀式でした。朝拝御規式(chohaiokishiki)は、中国風の規模の大きな儀式でした。
写真以下2枚。首里(shuri)城(castle)で行われていた、琉球(ryukyu)王国の朝拝御規式(chohaiokishiki)の復元模型。
パンフレット(leaflet)より。。。
ちなみに、写真右端の建物は、南殿(nanden)。南殿(nanden)については、後で説明します。
南殿(nanden)の建物。復元(再建)された物。南殿(nanden)は、正殿(seiden)の右側に位置する、日本風の建物で、年間を通じて日本風の儀式を行っていた場所です。
写真以下10枚。首里(shuri)にある、玉陵(Tamaudun)。玉陵(Tamaudun)は、琉球(ryukyu)王国の王家(第二尚(第二sho)家(1469年から1879年まで琉球(ryukyu)王国を統治した王家で、琉球(ryukyu)最後の王家))の墓だった物で、尚 真王(sho shin王)(第二尚(第二sho)家からの、第三代国王)(在位1477年から1526年)が、父、尚 円王(sho en王)(第二尚(第二sho)家からの、初代国王)を葬る為に、1501年に建設した物です。
玉陵(Tamaudun)の建物の模型。

写真以下7枚。首里(shuri)の、琉球(ryukyu)王国時代(首里(shuri)が、琉球(ryukyu)王国の首都であった時代)の面影を残す、石畳の道及び、その周辺。時の流れも、ゆったりとしている感じです。



沖縄(okinawa)県は、公共交通は、後述する、ゆいレール(yui rail)を除けば、沖縄(okinawa)本島(沖縄(okinawa)県の中心となっている、沖縄(okinawa)県最大の島)ですら、基本的に、バス(bus)とタクシー(taxi)しかなく、完全な自動車(自家用車)社会である(沖縄(okinawa)県では、おそらく、日本の、他の、田舎、地方都市、地方大都市郊外と同じく、おばあさんを除いて(日本の、田舎、地方都市、地方大都市郊外においては、これから、女性driverの高齢化も、さらに進んで行き、かなり近い内に、アメリカの様になると思います)、18歳以上の男女、ほぼ一人につき、一台、自動車を保有していると言った感じだと思います)のに加えて、那覇(naha)市及び那覇(naha)都市圏は、日本の地方都市及び地方都市圏の中で、最も人口密度が高く(おそらく。。。)、日本で一番過密な地方都市(地方都市圏)である事から、那覇(naha)の、通勤の自動車による、朝夕の交通渋滞は、深刻な様です。私は、沖縄(okinawa)旅行時に、レンタカー(rent-a-car)で、平日は、出勤時間帯に、那覇(naha)の郊外から都心に入る事と、退勤時間帯に、那覇(naha)の都心から郊外に出る事は、極力避けているので、那覇(naha)の渋滞の深刻さは、それ程、実感した事がないのですが。。。
写真以下2枚(借り物写真)は、参考に。。。
ゆいレール(yui rail)。那覇(naha)市内を東西(都心部は、南北)に走る、2003年に開業した、全長12.9kmのモノレール(monorail)(モノレール(monorail)路線)です(車両は、ゆいレール(yui rail)開業と共に2003年にデビュー(debut)した形式の車両が使われています)。那覇(naha)空港から、那覇(naha)都心部(国際通り周辺)、那覇(naha)新都心を通り、首里(shuri)まで走り、運転間隔は、6分から15分毎(通常時間帯は、10分毎)位の様です。ゆいレール(yui rail)は、那覇(naha)市内の交通渋滞緩和に役立つ事を期待されて建設された様ですが、渋滞緩和に対して期待されていた程の成果は上げていない様です。
那覇(naha)新都心のモノレール(monorail)(ゆいレール(yui rail))の駅、おもろまち(omoromachi)駅。那覇(naha)新都心は、那覇(naha)市の中北東部に位置する、1990年代に開発が始まった、文字通り、那覇(naha)の新都心です。那覇(naha)の商業・ビジネス(business)・文化等の新たな拠点として、また、那覇(naha)の副都心として、注目が集まっている場所です。私は、那覇(naha)新都心は、訪れた事がありません。ちなみに、那覇(naha)新都心にある、免税店、DFS Galleria沖縄(okinawa)(2005年オープン(open))は、世界最大級の免税店となっています(那覇(naha)には、大規模免税店の他、南部郊外に、日本最南端のアウトレットモール(outlet mall)(2002年オープン(open))があります)。
この日(5日目)の夜と、翌日(6日目。最終日)、東京へ出発する午後までは、那覇(naha)の、国際通り周辺のみを楽しむ予定であったので、今回、那覇(naha)空港では、レンタカーを借りませんでした(レンタカー会社(car rental company)から、自動車を借りませんでした)。
今回、那覇(naha)空港と那覇(naha)都心部(国際通り周辺)の間の、行き帰りは、ゆいレール(yui rail)を利用しました。ゆいレール(yui rail)は、今回、初めて利用しました。私は、乗り物に、広く浅く興味がある事から、ゆいレール(yui rail)は、前から、ちょっと気になっていて、機会があれば、乗ってみたいと思っていたので、今回、乗る事が出来て、良かったです。
ゆいレール(yui rail)の、那覇(naha)空港駅にて。。。翌日には、那覇(naha)空港に戻って来るので、一泊に、最低限、必要な荷物以外は、全て、那覇(naha)空港のロッカー(locker)に入れて、那覇(naha)の都心部(国際通り周辺)に出発しました。
この日は、ほとんど、国際通り及び、国際通り周辺で、夕食を取って、(酒(アルコール(alcoholic)飲料を)飲んで、寝るだけの予定であったので、今回、那覇(naha)では、交通の便利さと、値段(安さ)を優先して、国際通り沿いの、ビジネスホテル(budget hotel)に宿泊しました。
国際通り。国際通りは、那覇(naha)の都心部にある、全長約1.6kmの、那覇(naha)で一番賑やかな通りです。国際通り及び、国際通り周辺は、那覇(naha)のみならず、沖縄(okinawa)県で、最大の繁華街となっています。
写真以下7枚。国際通り沿いの、沖縄(okinawa)料理食堂・居酒屋で、食べた、この日の夕食等。この店は、今回、初めて利用しましたが、美味しかったです。
写真左は、突き出し(居酒屋等で最初に出される、ちょっとした料理)。一人一皿ずつ。写真右は、この時、私が飲んだ飲み物。国泉(kokusen)(下の補足説明参照)の、花酒(hanasaki)どなん(donan)と言う、泡盛(awamori)(下の補足説明参照)です。アルコール(alcohol)度数は、60%も、あります。この時、私は、飲み物は、花酒(hanasaki)どなん(donan)を、ロック(on the rocks)で、グラス(glass)で、2杯、ちびりちびり(ゆっくりと)、飲みました(私は、本来的には、濃い酒を、ゆっくりと飲むのが、好きです)。
国泉(kokusen):沖縄(okinawa)県の、与那国(yonaguni)島(沖縄(okinawa)県最西端の島であると共に、日本最西端の島。沖縄(okinawa)本島から、南西に、約500kmの場所にある)の、泡盛(awamori)の会社の一つ。ちなみに、与那国(yonaguni)島は、人口1,600人程の島ですが、泡盛(awamori)の会社が、三つもあります。
泡盛(awamori):インディカ米(細長い米)を使って作られる、沖縄(okinawa)県の、伝統的な焼酎。アルコール(alcohol)度数は、通常30%から40%強位と、普通の焼酎(通常25%位)に比べて高い。沖縄(okinawa)県で、非常に、よく飲まれている、お酒で有り、沖縄(okinawa)県の名物の一つとなっている(沖縄(okinawa)県には、非常に多くの(50近い)、泡盛(awamori)の会社が有ります)。
写真以下6枚。この店で食べた、この日の夕食。
写真以下4枚は、二人で分けて食べました。
海葡萄サラダ(salad)。海葡萄は、沖縄(okinawa)県で、よく食べられている海藻です。
ミヌダル(minudaru)。胡麻のタレ(tare)に覆われた、豚肉(豚のロース肉(loin))の蒸し物です。沖縄(okinawa)料理の一つで、元々、琉球(ryukyu)王国の宮廷料理の一つだった物です。
白身魚の、アーサ(asa。海藻の一つ。日本本土では、アオサ、青海苔等と呼ばれる。沖縄(okinawa)では、味噌汁(miso soup)の具等として、よく使われている))包みの、揚げ物。
ソーキ(soki)(豚の、あばら肉(pork spare ribs))。ハーフ(半分)サイズ(size)。沖縄(okinawa)では、豚の、あばら肉(pork spare ribs)の事を、ソーキ(soki)と呼びます。美味しかったです。ハーフ(半分)サイズ(size)ではなく、通常サイズ(size)(フルサイズ)の物を頼んでも、良かったかなと思いました。
軟骨、ソーキ(soki)蕎麦。二人で分けて食べましたが、私が、かなり多目に食べました。ソーキ(soki)蕎麦は、ソーキ(soki)(豚の、あばら肉(pork spare ribs))が載った、沖縄(okinawa)蕎麦です。沖縄(okinawa)蕎麦は、沖縄(okinawa)料理の一つで、沖縄(okinawa)県で、非常に、よく食べられている軽食です。
あぐー(agu)豚肉丼。あぐー(agu)豚肉は、沖縄(okinawa)県の高級豚肉です。一人一皿ずつ。
この日の夜は、この他(この店の他)、国際通り及び、その周辺の、bar等を、2軒はしごして、(酒(アルコール(alcoholic)飲料)を)飲みました(国際通り及び、その周辺の、2軒の、bar等で、飲みました)。
翌日(6日目。最終日。以下、この日と書きます)は、朝寝坊しました。
国際通り。
国際通りで、買って飲んだ、サトウキビ(sugar cane)ジュース(juice)。沖縄(okinawa)県では、サトウキビ(sugar cane)が多く栽培されていて、沖縄(okinawa)は、砂糖の主要な産地となっています。
写真以下24枚。市場エリア(area)にて。。。(市場エリア(area)とは、正式な名称でも、一般的に、そう呼ばれている訳でも、地元の人が、そう呼んでいる訳でもなくて、便宜上、私が、そう呼んでいるだけです)。市場エリア(area)は、国際通り周辺(国際通り近く)の、規模の大きな、在来市場地区です。国際通りは、もちろん、地元の人々も、多いですが、どちらかと言えば、観光客向けの繁華街としての性格が強いのに対し、市場エリア(area)は、現在は、観光客も、とても多いですが、古くから、地元(那覇(naha))の、庶民の台所(日常的に、食料品等を買いに来る場所)としての性格を持っています。
写真以下2枚。市場エリア(area)の、沖縄(okinawa)の、伝統的な菓子を売る、庶民的な菓子店(まあ、市場エリア(area)の、ほとんどの店が、庶民的な店だと思いますが。。。)で、お菓子を買い食い。。。
胡麻サーターアンダギー(sata andagi)と、バナナ(banana)サーターアンダギー(sata andagi)。サーターアンダギー(sata andagi)は、沖縄(okinawa)県の、大衆的な、お菓子の一つで、揚げ菓子です(ドーナツ(doughnut)の様な物)。
黒糖ポーポー(popo)(チンビン(chinbin))。黒糖ポーポー(popo)(チンビン(chinbin))は、沖縄(okinawa)県の、伝統的な、お菓子(おやつ)の一つです。
写真以下20枚。第一(daiichi)牧志(makishi)公設市場にて。。。第一(daiichi)牧志(makishi)公設市場は、市場エリア(area)の、中心的な施設であり、1階は、魚店を中心とした、様々な、多くの食料品店が入居し、2階は、庶民的な食堂街となっています。2階の食堂では、1階の魚店で購入した、魚介類(seafood)を、好きな調理法で、調理して貰い、食べる事が出来ます。
写真以下10枚。第一(daiichi)牧志(makishi)公設市場の魚店の、店頭風景例。様々な、色鮮やかで、熱帯的な魚が並ぶ姿は、南の島の、市場のイメージ通り、また、沖縄(okinawa)は、古くから、海産物(seafood)が、豊富な場所と言うイメージがありますが、そのイメージ通りの風景です。
写真右下の魚は、おそらく、グルクン(gurukun)。間違っていたら済みません。
この日の、遅い朝食兼昼食は、第一(daiichi)牧志(makishi)公設市場の、1階の魚店の一つで購入した、海産物(seafood)を、同じく、第一(daiichi)牧志(makishi)公設市場の、2階の食堂の一つで、調理して貰い、食べました。
写真以下4枚。この時、私達が、第一(daiichi)牧志(makishi)公設市場で、2階の食堂で調理して貰って食べる為に、1階の魚店で選んだ、魚介類(seafood)。
夜光貝(yakou貝)。一個、丸ごとはいらなかったので、一個の身の、半分を買いました。2階の食堂では、刺身にして貰いました。
ノコギリガザミ(nokogiri gazami)(蟹)。一個(一パイ)買いました。2階の食堂では、茹でて貰いました。
店頭に出ていませんでしたが、店の方と、色々と話していた所、勧められて、購入した魚。オコゼ(okoze)の一種? 一匹(一本)買いました。この時、魚店の方は、「醜い魚程、美味しい」と言っていましたが、なる程、実際に、美味しかったです(2階の食堂では、刺身と揚げ物にして貰いました)。

この時、私達が、魚店で、購入した物。上から、魚(オコゼ(okoze)の一種?)、蟹(ノコギリガザミ(nokogiri gazami))、貝(夜光貝(yakou貝))。貝は、貝殻だけしか写っていませんが、身の半分を買いました。
写真以下6枚。この時、私達が、第一(daiichi)牧志(makishi)公設市場の、2階の食堂の一つで食べた、遅い朝食兼昼食等。第一(daiichi)牧志(makishi)公設市場の、2階の食堂は、おそらく、昔は、市場関係者(市場で働く人達)と、地元の人が、利用者の中心であったと思いますが、現在は、観光客の利用も、非常に、多くなっています。
写真左は、彼女が、この時、飲んだ飲み物の一つ。マンゴー(mango)ジュース(juice)。写真右は、この時、私が飲んだ飲み物、オリオン(orion)ビールの、生ビール。オリオン(orion)ビールは、沖縄(okinawa)に本社と工場がある、日本の中規模ビール会社です。オリオン(orion)ビールは、沖縄(okinawa)で、最も多くビールを売り上げているビール会社であり、沖縄(okinawa)県のビール市場における、オリオン(orion)ビールのシェア(市場占有率)は、50%以上にもなります。オリオン(orion)ビールは、日本の標準的なビールと異なり、さっぱりとした味のビールで、沖縄(okinawa)県の熱帯性から亜熱帯性の気候に合うビールです。この時の、食事の内容ならば、全般的に、オリオン(orion)ビールも合いますが、泡盛(awamori)の方が、より合うと思いますが、泡盛(awamori)は、ちょっと飽きていたので、結局、この時は、オリオン(orion)ビールの、生ビールを、4杯、飲みました(夜だったら、5杯は、飲んでいたと思いますが、この時は、昼でしたし、食後、市場エリア(area)と、国際通りを、ぶらぶらして、買い物する予定であったので、4杯で、止めておきました)。
写真以下5枚。この食堂で食べた、この日の、遅い朝食兼昼食の一部(全て、二人で分けて食べました)。この他、スクガラス(sukugarasu)豆腐(沖縄(okinawa)料理の一つで、スクガラス(sukugarasu)(アイゴ(魚)の稚魚を塩漬けにした、沖縄(okinawa)の伝統的な保存食)を豆腐の上に載せた料理)、豚肉の三枚肉の煮物、グルクン(gurukun)の唐揚げ(揚げ物)を、食堂で、注文して食べました。グルクン(gurukun)は、沖縄(okinawa)県で、よく食べられている魚で、沖縄(okinawa)県の県魚(県の魚)となっている魚です。この時の、沖縄(okinawa)旅行時の、沖縄(okinawa)で食べる、最後の、食事と言う事で、かなり食べ過ぎてしまい、腹が、パンパンに(とても一杯に)なってしまいましたw
写真以下4枚は、第一(daiichi)牧志(makishi)公設市場の、1階の魚店で買って、(2階の)この食堂で調理して貰った、魚介類(seafood)。
刺身。写真真ん中の、白い身の刺身は、魚店の方に勧められて、購入した魚(オコゼ(okoze)の一種?)。写真左下は、おまけの刺身。
夜光貝(yakou貝)の刺身。
蟹(ノコギリガザミ(nokogiri gazami))。
魚店の方に勧められて、購入した魚(オコゼ(okoze)の一種?)の、揚げ物。
タコライス(Taco-Rice)(下の補足説明参照)。他にも、たくさん食べたので、一つ頼んで、二人で分けて食べました。
タコライス(Taco-Rice):沖縄(okinawa)料理。メキシコ料理のタコス(taco)(メキシコだけでなく、アメリカでも、よく食べられている食べ物)の具である挽肉・チーズ(cheese)等を、ご飯(rice)の上に載せた料理。沖縄(okinawa)で昔から食べられている伝統料理と言う訳では無く、アメリカ文化の影響を受けた、現代的な沖縄(okinawa)料理です。
遅い朝食兼昼食を取った後は、市場エリア(area)と、国際通りを、ぶらぶらして、買い物をした後、東京への帰りの飛行機に乗る為、那覇(naha)空港へ、ゆいレール(yui rail)で向かいました。
ゆいレール(yui rail)の、那覇(naha)都心部の駅の一つ(国際通りの、最寄り駅の一つ)から。。。
写真以下2枚。ゆいレール(yui rail)の車両。
写真以下2枚。ゆいレール(yui rail)から眺めた、沖縄(okinawa)県で、最大の人口を有する都市(沖縄(okinawa)県で、最大の人口を有する都市と言っても、中都市ですが)、且つ、沖縄(okinawa)県の中心都市である、那覇(naha)の中心部の風景。
写真以下4枚。那覇(naha)空港。那覇(naha)の、那覇(naha)空港は、沖縄(okinawa)本島の空の玄関口(gateway)であると共に、沖縄(okinawa)県の、中心的な、空の玄関口(gateway)となっています。東京の羽田(haneda)空港と那覇(naha)空港を結ぶ航空路線は、日本有数の利用者数を誇る、航空路線となっています。
写真以下2枚。那覇(naha)空港から眺めた海。
ちなみに、この時の旅行は、東京(羽田(haneda)空港)と、沖縄(okinawa)本島(那覇(naha)空港)の間の、行き帰りは、日本航空(JAL)(全日本空輸(ANA)と共に、日本の二大航空会社となっている)を利用しました。
写真以下は、ちょっとした、おまけ。。。

ブルーシール(blue seal)(沖縄(okinawa)県に拠点を置く、アイスクリーム(ice cream)会社。1948年創業)の、チョコレート(chocolate)drink。この時の旅行の5日目(久米(kume)島)での最終日、久米(kume)島をdrive中に、飲もうと思って、(久米(kume)島で滞在していた)ホテルの売店で買った飲み