4月の初旬に、東京の我が家から自動車で2時間半程の、長野(nagano)県の中南部の高原地帯(避暑地)にある別荘(別荘とは言っても、比較的裕福な人々が保有する様な典型的な別荘ではなく、庶民的な中古の一戸建て住宅です)に滞在したついでに、諏訪(suwa)湖周辺の温泉旅館に宿泊した時の物です。この時は、初日は、諏訪(suwa)湖周辺の温泉旅館に宿泊し、二日目は、別荘に宿泊、三日目は、別荘からの帰りに、山梨(yamanashi)県の、桃の郷(桃の村)(桃の花を鑑賞する為)、河口(kawaguchi)湖等に立ち寄り、静岡(shizuoka)県の御殿場(gotenba)を経由して、神奈川(kanagawa)県の小田原(odawara)に向かい、小田原(odawara)で、ビジネスホテル(budget hotel)に泊まり(翌日、小田原(odawara)で仕事の用事があった。ちなみに、彼女は、その日(三日目)、小田原(odawara)で夕食を食べた後、小田原(odawara)から、一足先に電車で、東京都心部に帰った)、四日目、小田原(odawara)で仕事の用事を済ませてから、東京都心部に帰って来ました。この投稿は、その内、諏訪(suwa)湖周辺の温泉旅館に宿泊した時の物です。
私の別荘の有るエリア(area)(長野(nagano)県の中南部area)は、大きく、諏訪(suwa)湖(下の補足説明参照)周辺の盆地エリア(area)と、高原エリア(area)に分かれますが、私の別荘は、高原エリア(area)の方に有ります。諏訪(suwa)湖は、諏訪(suwa)湖周辺の盆地エリア(area)の中心に位置する湖です。高原エリア(area)と、諏訪(suwa)湖周辺の盆地エリア(area)の間は、自動車で簡単に行き来出来ます(諏訪(suwa)湖周辺の盆地エリア(area)と高原エリア(area)の経済的・文化的な繋がりは、強いです)。 諏訪(suwa)湖:長野(nagano)県の中南部に有る大きな湖。諏訪(suwa)湖周辺は、温泉が豊富で、規模の大きな温泉保養地等となっています。
この時は、諏訪(suwa)湖周辺の盆地エリア(area)(諏訪(suwa)市、下諏訪(shimosuwa)町、岡谷(okaya)市から成る)の、諏訪(suwa)市(下の補足説明参照)の、温泉リゾート(resort)ホテルと温泉旅館、両方の要素を持つ温泉宿泊施設に宿泊しました。別荘に滞在する際、時々、気分転換に、別荘の有る長野(nagano)県や隣接する山梨(yamanashi)県の、旅館やリゾート(resort)ホテル、ペンション等に一泊程度宿泊しています。
諏訪(suwa)市:人口5万人程の小都市ですが、諏訪(suwa)湖周辺の盆地エリア(area)だけでなく、(高原エリア(area)も含む)長野(nagano)県の中南部area(諏訪(suwa)area)の中心都市となっている。大規模な温泉保養地となっていて、温泉を、家の風呂に引いている一般家庭も有る程、温泉の湯量が豊富。
写真以下20枚。初日(以下、この日と書きます)、諏訪(suwa)湖周辺に着いてから、まず、高島(takashima)城(castle)跡及び、その周辺を散歩しました(ちなみに、この日は、朝寝坊をし、遅い朝食兼昼食を食べてから、のんびり、東京の我が家を出ました)。
写真以下16枚。高島(takashima)城(castle)(高島(takashima)城(castle)跡)。高島(takashima)城(castle)は、封建制時代における、諏訪(suwa)家(古くから、長野(nagano)県の中南部area(諏訪(suwa)area)を統治していた、地方領主の家。近代日本においては、貴族階級に組み入れられ、子爵となる)の城(castle)です。
封建制時代には、日本全国には、たくさんの地方領主の城(castle)が有りました。しかしながら、明治(meiji)時代(1868年から1912年)に入ると、出来るだけ効率良く、迅速に、日本を近代的な国家にする事を目指す、新中央政府にとっては、(無駄に多い、維持費のかかる、前近代的な建物が、広大な敷地内に建っている)封建時代の象徴的な建物で有る、城(castle)は、必要の無い物(無用の長物)となります。これによって、19世紀末に、日本全国の、多くの城(castle)の、ほとんどの建物が取り壊され、かつての地方領主達の城(castle)の敷地は、他の用途の土地に転用されました(もっとも、地方領主としての地位を失うと供に、封建制時代の城(castle)等を失ったものの、多くの地方領主達は、貴族階級に組み入れられ、近代社会(19世紀末から第2次世界大戦後、間も無くまで)においても、日本の上流階級としての地位と富は、維持しました。
高島(takashima)城(castle)も例外ではなく、19世紀後期に、城(castle)が廃止となり、城(castle)の建物の、全てが、取り壊されるか、移築された後、かつての城(castle)の中心部分は、1876年に、公園となり、一般に開放されました。なお、高島(takashima)城(castle)の主(所有者)であった、諏訪(suwa)家(古くから、長野(nagano)県の中南部area(諏訪(suwa)area)を統治していた、地方領主の家)は、城(castle)と、地方領主としての地位は、失ったものの、前述の通り、近代日本においては、貴族階級に組み入れられ、子爵となりました。ちなみに、諏訪(suwa)家は、地方領主としては、あまり豊かではありませんでした(小領主(小規模領主)でした)。
諏訪(suwa)家の家紋(紋章)(coat of arms)。高島(takashima)城(castle)跡の、パンフレット(leaflet)より。。。
写真以下2枚。かつての、高島(takashima)城(castle)の敷地地図。高島(takashima)城(castle)跡の、パンフレット(leaflet)より。。。高島(takashima)城(castle)は、1598年に築城された、城(castle)です。現在は、干拓・埋め立て等が進み、その面影は見られませんが、昔は、城(castle)の際まで、諏訪(suwa)湖の湖水(水)が迫り、「諏訪(suwa)の浮城(水(湖)に浮いた城(castle))」と呼ばれていました(小規模な、城(castle)ながら、日本、三大、湖城(湖の城(castle))に数えられていました)。

番号は、敷地内の建物・建造物を表しています(ちなみに、前述の通り、19世紀後期の、城(castle)の廃止伴って、高島(takashima)城(castle)の建物の、全てが、取り壊されるか、移築されました)。諏訪(suwa)湖は、南方向です。番号の内、グレー(gray)に色が塗られている物は、現在、外見のみ復元されたか、再移築された、建物・建造物を表しています。

現在、かつての、城(castle)の敷地の一部(中心部分)のみが残り、高島(takashima)城(castle)跡として公園となっています。(汚くて(雑で)申し訳ありませんが)赤のボールペン(ballpoint pen)で囲った部分が、現在、残っている、かつての、高島(takashima)城(castle)の敷地の一部(中心部分)です。前述の通り、グレー(gray)に色が塗られている物は、現在、外見のみ復元されたか、再移築された、建物・建造物を表しています。番号の、5番は、橋、番号の2番(赤のボールペン(ballpoint pen)で囲った部分の右下の端)は、天守閣(tensyukaku)(城(castle)の建物の内、城(castle)の権威を象徴する建物)です。かつて、城(castle)の中心部分(本丸(honmaru))(赤のボールペン(ballpoint)で囲った部分)には、天守閣(tensyukaku)等の他、本丸(honmaru)御殿(goten)(城(castle)の主(所有者)の家族が暮らす建物の内、最も、重要な建物)、(城(castle)の主(所有者)が、地方領主としての)政務を行う建物、書院、能(noh)舞台(能(noh)(日本の伝統芸能(伝統演劇)の一つ)の舞台)等がありました。なお、かつての、城(castle)の中心部分にあった建物の内、本丸(honmaru)御殿(goten)(城(castle)の主(所有者)の家族が暮らす建物の内、最も、重要な建物)、(城(castle)の主(所有者)が、地方領主としての)政務を行う建物、書院、能(noh)舞台(能(noh)(日本の伝統芸能(伝統演劇)の一つ)の舞台)等は、上の、かつての、高島(takashima)城(castle)の敷地地図の中では、番号の、1番で、纏めて、示されています。
現在、残っている、かつての、高島(takashima)城(castle)の敷地の一部(かつての、高島(takashima)城(castle)の中心部分)の地図。現在、かつての、高島(takashima)城(castle)の敷地の一部(かつての、高島(takashima)城(castle)の中心部分)と、その(かつての、高島(takashima)城(castle)の中心部分)の周囲の、石垣(stone wall)と堀(moat)の一部が残り、高島(takashima)城(castle)跡として、公園(おそらく、市立(諏訪(suwa)市立)の公園)となっています(諏訪(suwa)市の、市街地に位置する)。おそらく、高島(takashima)城(castle)の、本丸(honmaru)御殿(goten)(城(castle)の主(所有者)の家族が暮らす建物の内、最も、重要な建物)、(城(castle)の主(所有者)が、地方領主としての)政務を行う建物、書院、能(noh)舞台(能(noh)(日本の伝統芸能(伝統演劇)の一つ)の舞台)等は、上の地図の、右側(現在は、上側が、広場、下側が、神道の神社(shrine)となっている)に建っていたと思われます。左下の端は、天守閣(tensyukaku)(城(castle)の建物の内、城(castle)の権威を象徴する建物)です。
写真以下12枚。現在残っている、かつての、高島(takashima)城(castle)の敷地の一部(かつての、高島(takashima)城(castle)の中心部分)の風景例。
かつての、高島(takashima)城(castle)の中心部分の一部に、1900年に建てられた、神道の神社(shrine)。
写真以下2枚。天守閣(tensyukaku)(城(castle)の建物の内、城(castle)の権威を象徴する建物)。前述の通り、19世紀後期の、城(castle)の廃止伴って、高島(takashima)城(castle)の建物の、全てが、取り壊されるか、移築され、1598年に建てられた高島(takashima)城(castle)の天守閣(tensyukaku)も、1875年に解体されました。しかしながら、諏訪(suwa)の人々の、高島(takashima)城(castle)に寄せる、愛着は、強く(高島(takashima)城(castle)跡の、パンフレット(leaflet)より。。。)、天守閣(tensyukaku)等、かつての、高島(takashima)城(castle)の中心部分の建物・建造物の一部は、1970年に、外見だけ復元して、再建されました。復元された、高島(takashima)城(castle)の天守閣(tensyukaku)の内部は、資料館となっています(内部は、現代的であり、内部に入ると、おそらく、がっかりすると思います)。なお、天守閣(tensyukaku)の外見の復元の際は、解体される前に撮影された写真も参考にされています。


写真以下2枚。角(sumi)櫓(yagura)。天守閣(tensyukaku)の子供の様な外観・大きさの建物です。高島(takashima)城(castle)の中心部分の周囲には、この様な建物(櫓(yagura))が、3つありましたが、その内の一つが、外見だけ復元して、再建されています。
写真右端、高島(takashima)城(castle)の天守閣(tensyukaku)(1598年に建てられ、1875年に解体された物を、1970年に、外見だけ復元して、再建)。
写真以下2枚。写真右側、高島(takashima)城(castle)の天守閣(tensyukaku)。
写真以下4枚。高島(takashima)城(castle)跡の周辺にて。。。
写真以下2枚。流されているのは(流し放しになっているのは)、水ではなくて温泉です。諏訪(suwa)市は、大規模な温泉保養地となっていて、温泉を、家の風呂に引いている一般家庭も有る程、温泉の湯量が豊富となっています。

写真以下2枚。古い、味噌工場と味噌店の建物。長野(nagano)県は、味噌の主要な産地の一つで有り、その中(長野(nagano)県の中)でも、さらに、長野(nagano)県中南部areaは、味噌の主要な産地の一つとなっていますが、諏訪(suwa)市は、その中でも、また、さらに、味噌の主要な産地となっています。
諏訪(suwa)市の、諏訪(suwa)湖の周辺には、温泉旅館等の温泉宿泊施設が、たくさんあります。
写真以下、この時、私達が宿泊した、温泉宿泊施設。この宿泊施設は、温泉リゾート(resort)ホテルと温泉旅館、両方の要素を持つ宿泊施設です。大衆的な中級classの宿泊施設、若しくは、中級classの宿泊施設と大衆的な宿泊施設との中間位の宿泊施設で、諏訪(suwa)湖の周辺の温泉宿泊施設の中では、規模の大きな、温泉宿泊施設の一つです。
この温泉宿泊施設の客室は、日本伝統式の客室と西洋式の客室があります。
写真以下12枚。この時、私達が、この温泉宿泊施設で宿泊した客室。このホテルの、日本伝統式の客室の中では、標準的な(基本的な・安いclassの)、客室に宿泊しました。
正面の、障子の向こうは、全面、窓となっています。窓際の椅子に座って、外の景色(諏訪(suwa)湖)を眺めながら、仕事をしたり、読書をしたり、手紙を書いたり、話をしたり、お茶やコーヒー(coffee)を飲んだり、おやつを食べたりするのも、良さそうです(また、夜景を見ながら、お酒を飲むのも。。。)。
部屋に置いてある、無料の、お菓子。御柱(onbashira)祭り(長野(nagano)県中南部areaで、6年に一度行われる、規模の大きな、奇祭(風変わりな、お祭り)。起源は、古代以前まで遡ると言われている)で使用される、御柱(木の柱)をイメージした、お菓子。
写真以下3枚。客室(この時、私達が宿泊した客室)の窓から見た景色。別に、中国から、黄砂が飛んで来た訳では、全くなくw、景色が、ぼやけているのは、室内と外の、温度差で、客室の、窓のガラス(glass)が曇ってしまって、窓ガラス(glass)自体が、曇っていたからです。。。窓から見える湖は、諏訪(suwa)湖の一部です。諏訪(suwa)湖は、長野(nagano)県の中南部に有る大きな湖で、周辺は、温泉の湯量が豊富な、温泉保養地等となっています。
窓ガラス(glass)を、拭いて、少しは、マシに(良く)なった感じ。。。それでも、相変わらず、曇っているが。。。
写真以下9枚。この温泉宿泊施設の温泉風呂とプール(swimming pool)。この温泉宿泊施設の、パンフレット(leaflet)より。。。この温泉施設の温泉風呂は、規模の大きな共同温泉風呂が、2つと、貸切り温泉風呂(下の補足説明参照)が、3つあります。
貸切り温泉風呂:貸切り温泉風呂は、共同温泉風呂では無く、夫婦やcouple、家族だけで入れる温泉風呂で、通常は、小規模で(普通の家の家庭用風呂よりかは、大きいが、裕福な家の家庭用風呂位?)、入る時は、内側から鍵をかけたり、入浴中の表示を出したりして、他の人が、入って来ないようにします(鍵が、かかっていたり、入浴中の表示が、出ていると、利用中だと判断して、他の人が、入って来ない)。
写真以下2枚。この温泉宿泊施設の、温泉風呂とプール(swimming pool)の図と、温泉風呂の例等。。。
この温泉宿泊施設の、温泉風呂とプール(swimming pool)の図。右下は、プール(swimming pool)。この温泉宿泊施設は、泡(jacuzzi)風呂を併設した、温水のプール(swimming pool)があります。この温泉宿泊施設の、共同温泉風呂は、男女別の、共同温泉風呂の形式となっています。この温泉宿泊施設にある、二つの規模の大きな共同温泉風呂の内、どちらが、男用の共同温泉風呂、どちらが、女用の共同温泉風呂と、固定的に決まっている訳ではなく、時間によって、男用の共同温泉風呂と、女用の共同温泉風呂が、入れ替わります。
以下、この温泉宿泊施設の温泉風呂の説明は、この温泉宿泊施設のsiteを、参考にしました。この温泉宿泊施設の共同温泉風呂は、二つの共同温泉風呂を合わして、温泉露天(野外)風呂が2つ、地元産の日本酒入りの温泉露天(野外)風呂が2つ、黒曜石(obsidian)を通した温泉が流れる温泉風呂が一つ、伊那(ina)市長谷(hase)(かつて、人口2,000人程の村だったが、2006年、伊那(ina)市(長野(nagano)県南部の北部に位置する小都市)に吸収される)産の、蛇紋石(マグネシウム(magnesium)等、ミネラル(mineral)を多く含んだ、緑色の石。遠赤外線を放つ事から、古来より、体を温めるのに利用された)を通した温泉が流れる温泉風呂が1つ、分杭(bungui)峠(長野(nagano)県の、伊那(ina)市長谷(hase)と大鹿(ooshika)村(長野(nagano)県の南部の中南部に位置する、人口1,000人程の村)の間に位置する峠)産の石を通した温泉が流れる温泉風呂が1つ、漢方系の薬草が入った、薬草の温泉風呂(血流促進、肩こり・腰痛・冷え性等の対策用)が一つ、西洋で使われているハーブ(herb)系の薬草が入った、薬草の温泉風呂(癒し・休息、疲労回復・筋肉痛回復用。この薬草の温泉風呂には、諏訪(suwa)市の木に指定されている、キハダ(黄檗)が含まれています。キハダ(黄檗)は、かつては湿布薬や腹痛止めに用いられたと言われ、高島(takashima)城(castle)内にも植えられています)が一つ、サウナ(sauna)が二つ、水風呂が二つあります。
写真以下3枚。この温泉宿泊施設の、共同温泉風呂の、温泉風呂の例。
分杭(bungui)峠(長野(nagano)県の、伊那(ina)市長谷(hase)と大鹿(ooshika)村(長野(nagano)県の南部の中南部に位置する、人口1,000人程の村)の間に位置する峠)産の石を通した温泉が流れる温泉風呂。分杭(bungui)峠は、中国の、有名な、気功師等により、世界有数の、気場(気(energy)が、凝縮している場所)とされた場所です(私は、この様な事は、あまり信じませんが。。。)。この温泉風呂は、その分杭(bungui)峠の周辺で、最も、気(energy)が大きいとされる、水汲み場から借りて来た石を通した温泉が流れる温泉風呂です。
黒曜石(obsidian)を通した温泉が流れる温泉風呂。長野(nagano)県の中南部areaの、下諏訪(shimosuwa)町(諏訪(suwa)市に隣接する)の、和田(wada)峠(世界有数の質の良い、黒曜石(obsidian)の産地として知られる。その岩層からの湧水は、地元では名水として知られる)産の、黒曜石(obsidian)(水の分子を一定の構造にし、抗菌効果をもたらすと言われている)を通した、温泉の湯が流れる、温泉風呂です。
温泉露天(野外)風呂の一つ。
地元産の日本酒入りの温泉露天(野外)風呂の一つ。日本酒入りの温泉風呂は、温泉に含まれるメタケイ酸(metasilicic acid)と、日本酒に含まれるアミノ酸(amino acid)が血行を促進し、体内の老廃物を排除する効果があると共に、肌の美容にも効果があります(この温泉宿泊施設のsiteより。。。)。長野(nagano)県の中南部areaには、私が知る限り、真澄(masumi)、麗人(reijin)、神渡(miwatari)、舞姫(maihime)、本金(honkin)、高天(koten)、御湖鶴(mikotsuru)、横笛(yokobue)、ダイヤ菊と、9つの、日本酒の会社があります(会社名では無くて、分かり易い様に、製造している日本酒の代表的なbrand名で、挙げました)。この温泉旅館には、真澄(masumi)の日本酒が入った温泉露天(野外)風呂が一つと、御湖鶴(mikotsuru)の日本酒が入った温泉露天(野外)風呂が一つあります。日本酒が入った温泉風呂は、この温泉旅館の、特徴の一つとなっています。この温泉宿泊施設のsiteによると、日本酒入りの温泉風呂の効能は、保湿効果、新陳代謝の促進、美肌(肌の美容)効果、血圧の低下、体内の老廃物の排除、肩こり・腰痛の緩和等です。
この温泉宿泊施設の、共同温泉風呂の、サウナ(sauna)の一つ。
この温泉宿泊施設の温水のプール(swimming pool)。パンフレット(leaflet)の写真には、写っていませんが、泡(jacuzzi)風呂を併設しています。この時は、水着を持って行って、日頃の運動不足解消に、プール(swimming pool)で、少し泳ぎました(パンフレット(leaflet)には、プール(swimming pool)は、1月から4月休業と書いてありますが、この時は、営業していました)。
写真以下12枚。この温泉宿泊施設で食べた、この日の夕食等。
この時の夕食時に、私が飲んだ、お酒(アルコール(alcoholic)飲料)の一つ。長野(nagano)県の中南部areaには、私が知る限り、真澄(masumi)、麗人(reijin)、神渡(miwatari)、舞姫(maihime)、本金(honkin)、高天(koten)、御湖鶴(mikotsuru)、横笛(yokobue)、ダイヤ菊と、9つの、日本酒の会社がありますが(会社名では無くて、分かり易い様に、製造している日本酒の代表的なbrand名で、挙げました。この中では、諏訪(suwa)市の、真澄(masumi)(1662年創業)が、一番有名かな。。。)、これは、御湖鶴(mikotsuru)(1912年創業の、下諏訪(shimosuwa)町の日本酒の会社。会社の正式な名前は、菱友醸造だが、御湖鶴(mikotsuru)のbrand名で、知られる)の日本酒(純米酒)です。この夕食時は、この他、私は、飲み物は、お酒(アルコール(alcoholic)飲料)は、生ビールを2杯、御湖鶴(mikotsuru)の、超辛口の日本酒(純米酒)を、枡(masu)で一杯、飲みました。
写真以下11枚。この温泉宿泊施設で食べた、この日の夕食。この温泉宿泊施設の夕食の中では、一番、安いclassの物です。ワカサギ(wakasagi)の天麩羅と、地元産の、新鮮な野菜以外は、全て、一人一皿ずつです。地元産の、新鮮な野菜は、バイキング(サラダバー(salad bar))形式で、食べ放題となっています。
写真右上。食前酒。梅酒。こんな物は、個人的に、酒(アルコール(alcoholic)飲料)に入りませんw。
写真以下2枚。前菜等。
刺身。刺身の盛り付けは、桜餅(日本の伝統菓子の一つ。春に、よく食べられる)をイメージした盛り付けとなっていました。
地元産の、新鮮な野菜。地元産の、新鮮な野菜は、バイキング(サラダバー(salad bar))形式で、食べ放題となっています。野菜は、もう一杯、お代わりしました。
信州(shinsyu)牛(長野(nagano)県産の、高品質牛肉)の、焼き物。
ワカサギ(wakasagi。湖の魚の一つ)の天麩羅(二人分)。ワカサギ(wakasagi)は、長野(nagano)県の中南部で、よく食べられている食材の一つです。ワカサギ(wakasagi。湖の魚の一つ)の天麩羅は、揚げ立ての物が、お代わり自由(食べ放題)となっています。ワカサギ(wakasagi)の天麩羅は、2杯、お代わりして、二人で、合計、3杯、食べました(もちろん、私が、多目に、食べました)。ワカサギ(wakasagi)は、子持ちで、パンパンで、美味しかったです。
蛤(貝)の焼き物。
ヨモギ(蓬・yomogi)、トロロ(tororo)(山芋又は長芋を、すり下ろした物)、蕎麦。蕎麦は、長野(nagano)県で、昔から、よく食べられている、食べ物で、長野(nagano)県の、名物料理となっています。
ご飯(長野(nagano)県産の、こしひかり(koshihikari))。漬物。赤出汁(赤味噌)の、シジミ(蜆)(シジミ(貝)は、下の方に、沈んでいます)、味噌汁(miso soup)。
デザート(dessert)。抹茶(緑茶(green tea))の寒天(kanten)寄せ、初物の、西瓜等。長野(nagano)県の中南部(特に、長野(nagano)県の中南部の高原地帯)は、日本の主要な寒天(kanten)(下の補足説明参照)の産地となっていて、日本で作られる寒天(kanten)の内、伝統的な製法で作られる物の、相当部分(かなりの部分)を生産しています。
寒天(kanten):天草(海藻(seaweed)の一種)等の粘液質を凍結・乾燥した物(wikiを参考にしました)。和菓子(日本伝統菓子)の材料の一つや、寒天(kanten。jelly状の、おやつ)の材料になる。
写真以下6枚。翌日(以下、この日と書きます)の朝、この温泉宿泊施設の客室(この時、私達が宿泊した客室)の窓から見た景色。今度は、窓ガラス(glass)の曇り止め対策(曇り防止策)を施したので(曇り防止策と言っても、全く、大した事ない事で、石鹸を付けた、濡れた、お絞り(towel)で拭くだけ)、大丈夫です(自然に、景色が見えます)。窓から見える湖は、諏訪(suwa)湖(長野(nagano)県の中南部に有る大きな湖で、周辺は、温泉の湯量が豊富な、温泉保養地等となっている)の一部。
写真右端に見えるビル(この宿泊施設に隣接して建つビル)は、諏訪(suwa)赤十字(Japanese Red Cross Society)病院の建物の一部。諏訪(suwa)赤十字(Japanese Red Cross Society)病院は、おそらく、長野(nagano)県の中南部areaで、最も、設備の整った、総合病院ではないでしょうか。。。僻地での緊急な患者、登山・スキー(skiing)等の、遭難者・緊急の負傷者等の為の、ヘリポート(heliport)も、完備しています。
ホテルの窓の一つから見た、諏訪(suwa)市の、市街地の住宅地と、富士山。写真、中央よりも、やや左の奥に見える山が、富士山です。富士山(標高3,776m)は、山梨(yamanashi)県(東京圏の西部に隣接する県)と、静岡(shizuoka)県(東京圏の南西部に隣接する県)に跨る山で、日本で最も高い山であると共に、その形の美しさから、世界的に名が知られている山です。ちなみに、長野(nagano)県の中南部areaは、山梨(yamanashi)県の、南西部areaに隣接しています。
写真以下8枚。この温泉宿泊施設の共同温泉風呂の一つ。写真の浴槽の他、サウナ(sauna)があります。ちなみに、この温泉宿泊施設の、もう一つの共同温泉風呂の方が、広いです。
写真以下2枚。分杭(bungui)峠(長野(nagano)県の、伊那(ina)市長谷(hase)と大鹿(ooshika)村(長野(nagano)県の南部の中南部に位置する、人口1,000人程の村)の間に位置する峠)産の石を通した温泉が流れる温泉風呂。
手前、薬草が入った、薬草の温泉風呂。奥、水風呂。
地元産の日本酒が入った、温泉露天(野外)風呂。
写真以下4枚。温泉露天(野外)風呂。
温泉露天(野外)風呂から見た、諏訪(suwa)湖。
写真以下。この日の朝食は、この温泉宿泊施設の、朝食バイキング(buffet)で食べました。
写真以下。この時、私が、この温泉宿泊施設の、朝食バイキング(buffet)で食べた物。この他、パンを食べました。
右上の皿の、右下は、ワカサギ(wakasagi)の佃煮(tsukudani。砂糖、醤油等で、甘辛く、煮つめた(よく煮た)、煮物食品)。
トロロ(tororo)(山芋又は長芋を、すり下ろした物)、ご飯(rice)と、味噌汁(miso soup)。
写真左、サラダ(salad)。サラダ(salad)は、3杯、食べました。
温泉&食べ物、終わり。。。