投稿しようと写真を撮ったものの、投稿する機会を失っていた、風景と食べ物の写真を、アップ(upload)します。
以下の風景写真は、基本的に、2008年の9月の下旬(かなり、前ですが。。。w)、去年(2013年)の3月の中旬、去年(2013年)の12月の初旬に、それぞれ、運動を兼ねて、私の街を散歩した際に撮影した物です。現在の風景は、これ等の写真を撮影した時と変わった部分もありますが、基本的には、これ等の写真を撮影した時と、ほとんど、変わっていません。
写真以下85枚。私の街(東京中心部(東京23区)の西部に位置する渋谷(shibuya)区の中北部)の風景例。。。
私の街は、基本的に、静かで、落ち着いた住宅地となっています。私は、現在一人暮らしですが(まあ、一人暮しと言っても、一週間に、1日から3日位は、二人なの(彼女が我が家に泊まっているの)ですが。。。)、実家(元々、私の母方の祖父母の家。現在は、両親が、引き継いで暮らしている)が近所で、この街で、生まれ育ちました。私の街は、お金持ちから、中上流・中流層、そして、私の様な庶民層まで、様々な人々暮らしていますが、個人の家の庭の緑等も、結構多い(ただし、少しずつ、減っては、来ている)、静かで落ち着いた、住宅地となっています(もっとも、郊外の住宅地に比べれば、限度が有りますが(郊外の住宅地には、敵いませんが。。。))。私の街は、元々、1920年代から1930年代頃に、(当時は)東京の西の郊外(まあ、郊外とは言っても、東京の都心部に比較的近い郊外でしたが)に開発された、中流層や新興金持ち向けの新興住宅地です。新興住宅地として開発される前は、まだ農村の雰囲気が色濃く残る、のどかな地域だった様で、また、新興住宅地として開発された後も、かなり、しばらくの間は、まだ、のどかな雰囲気が残っていた様です(私の母が、まだ幼かった頃(私の母が、幼稚園児の頃から小学校低学年生の頃。1950年代初め頃)は、実家の庭では、当たり前の様に、蛍が見られたそうです)。
私の街の、不特定多数の、たくさんの自動車が走るための道路の、風景例(去年(2013年)の3月の中旬に散歩した際に撮影)。この様な道路に対し、住宅地の中の道路は、狭いですが、基本的に、住民しか利用しないので(配達の自動車や、植木屋さん(一戸建て住宅や邸宅等の、庭等の、木々や植物を整える仕事をする人)の自動車等を除けば、基本的に、住民の自動車しか通らないので)、静かです。
私の街もそうですが、第2次世界大戦後の、(貧富の格差を無くす為の)不動産等を相続する際に支払う税金の税率の大幅な引き上げ等により、1960年代頃から、現在に至るまで、東京areaや関西(kansai)大都市圏の、高級住宅街や静かで落ち着いた住宅地の、ゆったりとした敷地を持つ邸宅は、低層の高級アパート、企業や公務員の社宅、老人ホーム(高齢者が入居する施設。公営の物と私営の物が有る)等の公共・福祉施設等へと、次々と建て替えられて来ました(所有者が、相続税を払い切れずに、(日本では、第2次世界大戦後、貧富の格差を縮小させる為に、相続税率が、大幅に上がった)、邸宅を土地と供に売り払い、邸宅の建物が取り壊された後、低層の高級アパート(マンション)が建つ場合が多いです)。
私の街に関しても、私の子供の頃から比べても、明かに、ゆったりとした敷地を持つ邸宅は減りましたし(減り続けて来ましたし)、ゆったりとした敷地を持つ邸宅の、低層の高級アパート(マンション)等への建て替えは、現在進行形で、徐々に、進んでいます(これは、ずっと実感し続けて来ましたし、今でも実感しています)。ただし、この様な現象の進む速度については、街によって差がある様です。例えば、東京中心部(東京23区)の閑静な(静かで落ち着いた)住宅地の中でも、比較的、外れに(都心から離れた場所)に位置する住宅地は、地価(土地の価格)が、相対的に低い為か、この様な現象の進む速度は、遅く、昔ながらの、ゆったりとした敷地を持つ邸宅や一戸建て住宅の、低層の高級アパート等への建替えが、それ程進んでいない感じです。一方、私の街は、この様な現象の進む速度が、かなり早い方に属する感じです(かなり早いとは言っても、何も、一夜にして、街の景色が変わると言う訳ではなく、割と、長い期間をかけて、この様な現象が、徐々に進んで来たのではありますが。。。)。この様な現象において、草木が生い茂る邸宅の庭が潰され、かつての邸宅の敷地、ほとんど目一杯に、共同住宅等が建てられて来た事は、東京areaや関西(kansai)大都市圏の、高級住宅街や、静かで落ち着いた住宅地の緑の減少と景観破壊に繋がって来ましたが、一方において、この様な現象は、第2次世界大戦後、日本で、貧富の格差が解消して来た事の証の一つとも言えるでしょう。
写真以下9枚。私の街の、お金持ちの、邸宅の例。。。この様な、広い敷地を持つ、邸宅らしい邸宅は(広い敷地や、邸宅の敷地を囲む木々等により、邸宅の外(道路)からは、邸宅の建物が、あまり見えない邸宅も、多いです)、まだ、(私の街にも)、ある程度ありますが、(前述した、相続税の問題等により)、毎年、一つ、二つと、低層の高級アパート(マンション)等へ建て替えられる事によって、消え続けています。
写真以下7枚は、去年(2013年)の12月の初旬に、散歩した際に撮影。
写真以下4枚は、同じ邸宅。
写真以下2枚。写真右側が、邸宅の敷地。
写真以下2枚。写真左側が、邸宅の敷地。
写真以下3枚は、同じ邸宅。
写真以下2枚は、2008年の9月の下旬に散歩した際に撮影。。。
写真右側が、邸宅の敷地。
写真両側、それぞれ、邸宅の敷地。前述の通り、住宅地の中の道路は、狭いですが、この道路は、その中でも、特に、狭い道路です。。。
去年(2013年)の12月の初旬に、散歩した際に撮影。写真左側は、私の街の、公営の老人ホーム(高齢者が入居する施設。公営の物と私営の物が有る)の一つ。敷地面積は、1,500坪(tsubo)から2,000坪(tsubo)(5,000平方メートルから6,600平方メートル)位かな。。。この公営の老人ホームある場所(敷地)は、私が、幼い頃は、立派な門に猛犬注意と言うサイン(標示)の有る、(おそらく、1920年代から1930年代に建てられたと思われる、立派な西洋式の邸宅の建物を有する)、西洋式の個人の邸宅でした。
写真以下5枚。去年(2013年)の12月の初旬に、散歩した際に撮影。私の街の、低層の高級アパート(マンション)等の、風景例。。。
写真以下2枚は、ある程度、古い(たぶん、1970年代前半頃に建てられた)、低層の高級アパート(マンション)です。
写真(去年(2013年)の12月の初旬に、散歩した際に撮影)の、一戸建て住宅が、複数、建っている場所は、かつては、木々や植物の多かった、広い敷地を持つ、一つの、一戸建て住宅の敷地だったのですが、その、(今はない一つの)住宅の(かつての)敷地を分割して、複数の、一戸建て住宅が建てられた物です。広い敷地を持つ、古い邸宅の跡地は、低層の高級アパート(マンション)になる場合が多いですが、ゆったりとした敷地を持つ、古い一戸建て住宅の敷地の跡地は、分割されて、複数の、比較的、小さな一戸建て住宅が建てられる場合が多いです(何れにしても、かつての敷地、ほとんど目一杯に建物が建てられる場合が、ほとんどで、かつての庭の植物等は、失われてしまいます)。
写真(去年(2013年)の3月の中旬に散歩した際に撮影)の、現在は、低層の高級アパート(マンション)が建っている場所(敷地)は、私が、幼い頃は、東京の、カナダ大使館(Embassy of Canada in Tokyo)関連の施設として使われていた、西洋式の住宅(住宅の建物は、おそらく、1920年代から1930年代頃建てられた物だと思います)がありました(初めから、カナダ大使館関連の施設として建てられた住宅の建物なのか、それとも、カナダ大使館が、その西洋式の住宅を、後から購入して、一時の、カナダ大使館関連の施設として使用していたのか、よく分かりません)。ちなみに、東京の、カナダ大使館(Embassy of Canada in Tokyo)は、フランスのパリ(Paris)の、カナダ大使館(Embassy of Canada in Paris)、アメリカのWashington D.C.の、カナダ大使館(Embassy of Canada in Washington D.C.)に次いで、世界で、3番目に古い、カナダの、在外国、公使館(legation)の様です。
写真は、去年(2013年)の12月の初旬に、散歩した際に撮影。私の街は、お金持ちから、中上流・中流層、そして、私の様な庶民層まで、様々な人々暮らしていますが、地価が高い、東京中心部(東京23区)(私の街も、含まれる)においては、比較的、新しい、庶民の一戸建て住宅は、(写真右側の、一戸建て住宅の様に)、狭い土地に3階建てにし、1階部分を駐車場にして、居住床面積を稼ぐ様な住宅が多いです。我が家も、この様な、典型的な、比較的、新しい、東京中心部(東京23区)の、庶民向け、一戸建て住宅と言った感じで、庭はなく、3階建てで、1階部分は駐車場、居住床面積30坪(約100平方m)程度の、住宅です。
写真は、去年(2013年)の12月の初旬に、散歩した際に撮影。私の街の、比較的、新しい中流層(金持ちと庶民の間の層)の住宅の一例。地価が高い、東京中心部(東京23区)(私の街も、含まれる)においては、昔からの中流層は、比較的、ゆとりのある土地に暮していますが、比較的、新しい中流層の住宅は、土地に、比較的、ゆとりがない為、この様に、ほとんど、敷地目一杯に建てられている場合も多いです
ちなみに、我が家の近所の、私の実家は、敷地面積100坪程(約330平方m)の、庭がある、一戸建て住宅です。私の実家は、私の母方の祖父母の家で、現在は、両親が、その家を引き継いでいます(ちなみに、私の母は、一人娘です)。元々は、私の母方の祖母の父(山梨(yamanashi)県(東京圏の西部に隣接する県)の、裕福な地主であった)が、東京に保有していた不動産の一つであった物で(私の母方の祖母の父が、私の母方の祖母が結婚した際に、私の母方の祖父母に与えた物。当時の中流階級の一戸建て住宅として、小さな方であったと思います)、元々の家の建物は、1920年代頃?に建てられた、日本伝統式の住宅の建物だった様ですが、現在の家の建物は、1960年代初め頃に、建替えられた物です(現在は、耐震補強もなされています)。東京中心部(東京23区内)の場合、1920年代から1930年代頃に、中流階級向けの新興住宅地として開発され初め、1960年代半ば以前には、既に結構たくさんの人々が暮らしていた様な、静かで落ち着いた住宅地は、親の家を引き継いで暮らしている人々も、結構多く(大部分は、土地だけ引き継いで、時代に合わせて、家の建物は建替えている)、こうした場合は、土地を購入する負担が無い事から、庶民や普通の中産層(私の父は、普通の会社員)でも、東京中心部(東京23区内)で、ある程度の広さの一戸建て住宅に暮らす事が可能です(ただ、敷地が、東京中心部(東京23区内)の住宅の敷地としては、かなり広い場合には、相続税の関係で無理でしょう)。ちなみに、私は、弟と二人兄弟なのですが(弟は、私よりも2歳年下で、会社員です)、弟は、近年、結婚し、既に、子供も生まれました。弟は、東京の西部郊外の、国立(kunitachi)に、一戸建て住宅を購入し、暮らしていますが、まだ、大分、先の話になると思いますが(両親は、長生きして欲しいです)、もし両親が、亡くなったら、我が家の近所の実家は、私が、このまま家庭を持たない限り、(放蕩息子の私と違ってw)真面目で安定した、弟に譲ろうと思っています。(まだ、大分、先の話なので、どうなるか分かりませんが)、もし、弟が、実家を継ぐ事になったら、税金等は、出来る限り補助するつもりでいます(弟が、私に補助される必要性を感じなければ、若しくは、私に補助される必要性が、全くなければ、しませんが。。)。
写真以下28枚。私の街の、1920年代から1930年代頃に建てられたと思われる、古い、一戸建て住宅の例。。。私の街においても、この様な古い住宅の建物は、年々、失われ続けています。私は、(古い一戸建て住宅の建物を含む)古い建物を眺めるのが好きなのですが、日本では、(日本の建物は、歴史上、長らく、石造りでは無く、木造が基本で有ったと言う事が関係していると思いますが)、古い建物を長く使い続けると言う発想が、乏しく、文化財にでも指定されていない限り、寺や神社(shrine)の建物でさえ、老朽化したと言って、結構、あっさりと建て替えてしまいます(もっとも、現存している、江戸(edo)時代(19世紀半ば)以前に建てられた、寺や神社(shrine)の建物に関しては、普通は、文化財に指定されていると思いますが)。したがって、古い住宅の建物となると、尚更、安易に建て替えられてしまう傾向が有ります(我が家の近所の実家の建物も、前述の通り、(元は、第2次世界大戦前に建てられた建物であったそうですが)、私が、生まれる前に、現在の建物に建て替えられてしまっています)。文化財に指定されている様な、古い建物は、とりあえず安心なので、個人的に、差し迫って、写真を撮影する必要は有りませんが、私は、やがて消え行く運命に有る(それは、もしかして、すぐ明日にでも、訪れるかもしれない)、無名の古い住宅の建物を、せめて、私の街の分だけでも(出来たら、私の街以外の物も)、まだ存在している内に、出来るだけ多く、写真の中に収めて置こうと思っています。が、しかし、面倒臭さが勝って、中々作業が、進んでいません。。。
写真以下11枚(写真以下11枚は、同じ、一戸建て住宅です)。1920年代から1930年代頃建てられたと思われる、西洋式の、一戸建て住宅。去年(2013年)の12月の初旬に、散歩した際に撮影。1920年代から1930年代頃の典型的な中流階級向け、西洋式の田園住宅と言った感じです(私の街は、1920年代から1930年代頃は、まだ、のどかな風景が広がる、当時の中流階級や新興金持ち向けの新興住宅地でした)。
写真以下3枚。1920年代から1930年代頃建てられたと思われる、西洋式と、日本伝統式、両方の要素を持つ、一戸建て住宅。
去年(2013年)の3月の中旬に散歩した際に撮影。
写真以下2枚は、同じ、一戸建て住宅です。2008年の9月の下旬に散歩した際に撮影。
写真以下14枚。1920年代から1930年代頃建てられたと思われる、日本伝統式の、一戸建て住宅。
写真以下3枚。2008年の9月の下旬に散歩した際に撮影。
写真以下2枚は、同じ、一戸建て住宅。
写真以下6枚は、去年(2013年)の3月の中旬に散歩した際に撮影。
写真以下2枚は、同じ、一戸建て住宅。この一戸建て住宅は、写真を撮影した時、既に、人は、住んでおらず、建物と土地が、売られていました。現在、この土地の買い手が付いたのか分かりませんが、この住宅の建物は、取り壊されてしまいました。
写真以下2枚は、同じ、一戸建て住宅。
写真以下2枚は、同じ、一戸建て住宅。
写真以下5枚は、同じ、一戸建て住宅。去年(2013年)の12月の初旬に、散歩した際に撮影。
写真以下4枚。去年(2013年)の3月の中旬に散歩した際に撮影。この土地には、第二次世界大戦前(1920年代から1930年代頃)に建てられた程、古い、住宅の建物ではありませんが、ある程度、古い、かなり立派な、日本伝統式の、一戸建て住宅の建物が建っていたのですが、建て替えの為、取り壊されてしまいました。現在は、既に、新しい建物が建っています。
前述の通り、私が、まだ幼かった頃には、まだ、私の街には、第2次世界大戦前(1920年代から1930年代頃)に建てられたと思われる一戸建て住宅の建物が、かなり残っていましたが、その様な、一戸建て住宅の建物は、ずっと減り続けてきましたし(それは、ずっと実感して来ました)、現在進行形で減り続けています。その一方で、私が幼い頃に比べて、現代的な一戸建て住宅は、かなり増えました。
写真以下3枚。現代的な、西洋式の、一戸建て住宅の例。。。2008年の9月の下旬に散歩した際に撮影。
写真右側の、一戸建て住宅。
写真以下3枚。現代的なデザイン(design)の、一戸建て住宅の例。。。私が幼い頃に比べて、特に、この様な、現代的なデザイン(design)の、一戸建て住宅は、かなり増えました。
2008年の9月の下旬に散歩した際に撮影。
写真以下2枚。去年(2013年)の12月の初旬に、散歩した際に撮影。
写真以下27枚。適当に、私の街の住宅地の風景例。。。前述の通り、私の街は、基本的に、静かで、落ち着いた住宅地となっています。また、前述の通り、住宅地の中の道路は、狭いですが、基本的に、住民しか利用しないので(配達の自動車や、植木屋さん(一戸建て住宅や邸宅等の、庭等の、木々や植物を整える仕事をする人)の自動車等を除けば、基本的に、住民の自動車しか通らないので)、静かです。電柱は、景観(美観)上、良くないですが、私が知る限り、日本では、住宅地においては、静かで落ち着いた住宅地であっても、あまり、電線の、地中化は、されていません。
2008年の9月の下旬に散歩した際に撮影。
写真以下10枚。去年(2013年)の3月の中旬に散歩した際に撮影。
写真以下16枚。去年(2013年)の12月の初旬に、散歩した際に撮影。
写真以下5枚。今年の1月13日(以下、この日と書きます)の、昼食。この日は、日本では、国民の祝日(国民の休日)でしたが、個人的に、夕方から、仕事に出て、また、それ以外は、基本的に、我が家で、自宅(我が家)に、持ち込んだ仕事をしていました(それでも、この昼食時に、ちょっと、ワイン(wine)を飲んでしまいましたがw)。この日の昼食は、比較的、最近(去年の10月に)、私の街に、オープン(open)した、カジュアル(casual)な雰囲気の、シーフード(seafood)料理を中心とした、西洋料理レストラン(以下、このレストランと書きます)で食べました。このレストランは、白金(shirokane)area(東京都心の南西に位置する)にある、素材を大切にした、カジュアル(casual)な雰囲気の、西洋料理レストラン(私は、そのレストランは、利用した事がありません)の、2号店として、私の街に、オープン(open)したレストランです。このレストランは、この時までに、既に、何回か利用していました。(このレストランは)、値段に比べた、総合的な、満足度と言う点において、お気に入りの店としたい程の魅力はありませんが(店員さんの、サービス(service)の感じは、良いのですが、席(テーブル(tabele))と席(テーブル(tabele))の間が、狭く、狭苦しいのが難点。。。)、時々、利用しています。
写真以下5枚。このレストランで食べた、この日の昼食。全て、二人で分けて食べました。この他、本日の(today’s)の野菜のスープ(soup)(この日は、バターナッツ南瓜(butternut squash)のスープ(soup)でした)とパンを食べました。
本日の(today’s)の鮮魚(新鮮な魚)(この日は、ホウボウでした)の、カルパッチョ(carpaccio)、蜜柑とハラペーニョ(jalapeno)の風味。
鮪の、ハチノミ(頭の肉)の、ステーキ(steak)。
写真以下2枚。本日の(today’s)の鮮魚(新鮮な魚)(この日は、ホウボウでした)の、ビスク(bisque)の、ブイヤベース(bouillabaisse)。魚を、1匹使っています。
鰤(魚)と牛蒡の、トマト(tomato)ソース(sauce)パスタ(pasta)。
写真以下4枚。2月の第二日曜日(以下、この日と書きます)の夕食等。この日は、選挙(都知事選)の投票をしに行った&昼食に出た(この日の昼食は、彼女と、私の街の、お気に入りの、フランス料理レストランの一つで食べました)以外は、(夕食を食べるまでは)、基本的に、自宅(我が家)に持ち込んだ、仕事をしていました(まあ、昼食時に、ちょっと、ワイン(wine)を飲んでしまいましたがw)。
写真以下4枚。この日、我が家で、一人で食べた夕食等。この日は、夜は、彼女は、(彼女の)友人達と会う予定があって、私は、一人でした。
写真以下3枚。この日、我が家で、一人で食べた夕食。この日の夕食は、持ち帰り(takeout)の、ハンバーガー(hamburger)にしました。この他、野菜サラダ(salad)を食べました。
写真左、私の街の、ハンバーグ(hamburger steak)・ハンバーガー(hamburger)レストランの、持ち帰り(takeout)の、トリュフ(truffle)のソース(sauce)の、フォアグラ(foie gras)ハンバーガー(hamburger)(patty、玉子等と共に、フォアグラ(foie gras)の焼き物が、挟まっているハンバーガー(hamburger))。だいぶ(かなり)形が、崩れてしまいましたが(私の責任ではありません。もう少し、形の崩れない様な包装方法で、包んで渡してくれると良いのですが。。。)、味は、美味しいです。この、ハンバーグ(hamburger steak)・ハンバーガー(hamburger)レストランは、比較的、最近(去年の11月に)、オープン(open)した店です(ちなみに、この店の、オープン(open)以来、この時までに、既に、何度か、この店の、フォアグラ(foie gras)ハンバーガー(hamburger)を、持ち帰り(takeout)していました)。この店の、フォアグラ(foie gras)ハンバーガー(hamburger)は、お気に入りとする程の味ではないのですが、たまに、食べています。写真右、Burger Kingの、私の街の店舗で、持ち帰り(takeout)した、林檎(apple)ハンバーガー(hamburger)。この日は、昼食は、私の街の、フランス料理レストランで、かなり、しっかりと食べたので、夕食は、軽く、フォアグラ(foie gras)ハンバーガー(hamburger)と、野菜サラダ(salad)だけで済まそうかなと思ったのですが、結局、Burger Kingの、林檎(apple)ハンバーガー(hamburger)も、買ってしまいましたw
私の街の、ハンバーグ(hamburger steak)・ハンバーガー(hamburger)レストランの、持ち帰り(takeout)の、トリュフ(truffle)のソース(sauce)の、フォアグラ(foie gras)ハンバーガー(hamburger)(patty、玉子等と共に、フォアグラ(foie gras)の焼き物が、挟まっているハンバーガー(hamburger))。形は、崩れてしまいましたが、味は、美味しいです。黒ビールが、良く合います。
Burger Kingの、オランデーズソース(Hollandaise sauce)の、林檎(apple)ハンバーガー(hamburger)。
この夕食時に、飲んだ飲み物。この夕食時は、ビールを飲みました。左から、エビス(yebisu)ビール(サッポロ(sapporo)ビール(日本の大規模ビール会社の一つ。1876年創業)のビールbrandの一つ(1890年発売開始)の、シルク(silk)エビス(yebisu)と言うビール。エビス(yebisu)ビールは、我が家の、定番ビール(ほとんどの場合、我が家に置いてあって、我が家で、一番、よく飲むビール)となっています。アサヒ(asahi)ビール(日本の大規模ビール会社の一つ。1889年創業)の、「super dry」(「super dry」は、アサヒ(asahi)ビールの主力ビール商品で、日本で、最も売れているビールの一つです)。キリン(kirin)ビール(日本の大規模ビール会社の一つ。起源は、1869年に遡る)の、STOUT(黒ビール)。
私の街&食べ物2へ続く。。。