3月の下旬、個人的に休みであった日(以下、この日と書きます)に、東京の、東京の下町(旧市街)(東京都心部の東部)に、遊びに行った時の事です。
この日は、浅草(asakusa)(後で、詳しく説明します)に、主に、遊びに訪れました。
この日は、我が家の最寄りの、通勤電車・地下鉄駅から、地下鉄に乗って、一度、地下鉄を乗り換えて(地下鉄、銀座(ginza)線に乗り換えて)、浅草(asakusa)に行きました。我が家から、浅草(asakusa)に遊びに行く際は、通常、この方法で行きます。
以下、参考に、少し、地下鉄、銀座(ginza)線に関する説明です。
銀座(ginza)線(路線距離14.3km)は、渋谷(shibuya)(東京最大級の繁華街の一つ。東京都心部の西部に位置する)と、浅草(asakusa)を、銀座(ginza)area(東京を代表する繁華街、且つ、東京最大級の繁華街の一つ。東京都心部の中でも、中心的な地域に位置する)を経由して結ぶ地下鉄路線です。銀座(ginza)線は、1927年に開業した、アジアで、最初の地下鉄路線(主に、地下を走る、鉄道路線)です。
写真以下2枚。前に、kjでアップ(upload)した写真の、再利用。地下鉄、銀座(ginza)線の、浅草(asakusa)駅(1927年に、銀座(ginza)線の開業と共に開業した、とても古い地下鉄(地下を走る鉄道)駅)です)にて。。。アジアで最初の、地下鉄(主に地下を走る鉄道)である、銀座(ginza)線の、1927年の開業時の、ポスター(poster)の展示。


ちなみに、第2次世界大戦前には、既に、(日本の2都市を含む)世界の15都市で、地下鉄(主に地下を走る鉄道)が走っていました。以下、第二次世界大戦前に、既に、地下鉄(主に地下を走る鉄道)が開業していた、世界の15の都市、開業順に(()内は、開業年)、イギリスのLondon(1863年)、ハンガリーのBudapest(1896年)、イギリスのGlasgow(1896年)、アメリカのBoston(1898年)、フランスのParis(1900年)、ドイツのBerlin(1902年)、アメリカのNew York(1904年)、アメリカのPhiladelphia(1907年)、ドイツのHamburg(1912年)、アルゼンチンのBuenos Aires(1913年)、スペインのMadrid(1919年)、スペインのBarcelona(1924年)、日本の東京(1927年)、日本の大阪(1933年)、ロシア(当時は、ソビエト連邦)のMoscow(1935年)。第二次世界大戦前に、既に、国内の、複数の都市で、地下鉄(主に地下を走る鉄道)が走っていた国は、世界でも、アメリカ(3都市)、イギリス(2都市)、ドイツ(2都市)、スペイン(2都市)、日本(2都市)の、五カ国だけでした。スウェーデン(1950年に、Stockholmに、地下鉄が開業)、カナダ(1954年に、最初の地下鉄が、Torontoに開業)、イタリア(1955年に、最初の地下鉄が、Romeに開業)、オランダ(1968年に、最初の地下鉄が、Rotterdamに開業)等に、地下鉄(主に地下を走る鉄道)が開業したのは、第二次世界大戦後の事です。ちなみに、韓国の方は、ご存知の方もいると思いますが、韓国で、最初の地下鉄(主に地下を走る鉄道)は、香港(1979年に開業)とシンガポール(1987年に開業)に、先んじて、1974年に、ソウルに開業しました。
この写真は、この日に撮影した写真(我が家から、浅草(asakusa)に行く際の、地下鉄の乗換駅にて撮影した写真)。現在、銀座(ginza)線では、01系車両(1984年にデビュー(debut)(試作車は、1983年にデビュー(debut))した車両)と、新1000系車両(2012年にデビュー(debut)した車両)と、2種類の(2つの系統の)、地下鉄車両が使われていますが、写真は、新1000系車両です。新1000系車両のデザイン(design) は、1927年に、地下鉄、銀座(ginza)線の開業と共にデビュー(debut)した、地下鉄、銀座(ginza)線で、最初の車両である、1000系車両をイメージした物となっています。日本では、近年、近代のデザイン(design)を、再評価する流れにあります。今後、01系車両との置き換えが進められ、来年(2016年)までに、全て、01系車両と置き換えられ、銀座(ginza)線の、全ての車両が、新1000系車両となる予定です。
銀座(ginza)線は、2分から3分間隔の、高頻度で運行されています(したがって、1本、電車を逃したとしても、ほとんど待たずに、次の電車に乗る事が出来ます)。銀座(ginza)線(1927年開業)は、東京で、最も、古い地下鉄(主に地下を走る鉄道)路線である事から、東京で、最も、条件の良い(営業効率の良い)場所を走る地下鉄路線である事(新宿を通らない事を除けば、渋谷(shibuya)、表参道(omotesando)、青山(aoyama)、赤坂(akasaka)、新橋(shinbashi)、銀座(ginza)、日本橋(nihonbashi)、上野(ueno)、浅草(asakusa)等、西から東へ、概ね、東京の、主要な繁華街・商業地を結ぶ、黄金ルートと言えるルートの路線である事)、また、土地の値段や建設費が安かった、古い時代に建設された、地下鉄路線である事から、おそらく、東京の地下鉄路線の中で、最も、利益率が高く(経営者(経営会社)等にとって、効率が良く)、黒字額が大きい、地下鉄路線となっています。また、たぶん、東京圏の、全ての、通勤電車・地下鉄路線の中で、山手(yamanote)線(下の補足説明参照)と並び、最も、利益率が高い(経営者(経営会社)等にとって、効率が良い)、路線であると思います。
山手(yamanote)線:東京都心の環状(loop)路線(通勤電車路線)。1885年開業。路線距離、34.5km。東京の四大繁華街(東京最大級の、四つの繁華街。銀座(ginza)・有楽町(yurakucho)、新宿、渋谷(shibuya)、池袋(ikebukuro))の、全てを通ると共に、東京駅(東京を代表する鉄道駅で、東京の駅の中で、最も、鉄道の発着数が多い駅。周辺は、丸の内(marunouchi)等、東京を代表する、ビジネス(business)の中心地区となっている)、上野(ueno)(浅草(asakusa)と共に、東京の下町(旧市街)(東京都心部の東部)最大級の繁華街)等も通る。
さらに、銀座(ginza)線は、御堂筋(midousuji)線(大阪(東京に次いで、日本第二の都市圏人口を有する都市)で、最初に開業した地下鉄(主に地下を走る鉄道)路線。1933年開業。路線距離、24.5km)、東山(higashiyama)線(名古屋(nagoya)(東京、大阪に次ぐ、日本第三の都市圏人口を有する都市)で、最初に開業した、地下鉄(主に地下を走る鉄道)路線。1957年開業。路線距離20.6km)に次いで、日本全国の地下鉄(主に地下を走る鉄道)路線の中で、3番目に、黒字額が、大きい、地下鉄(主に地下を走る鉄道)路線となっています。
以上、銀座(ginza)線に関する説明、終わり。。。以下、この日、訪れた、浅草(asakusa)(上野(ueno)と共に、東京の下町(旧市街)(東京都心部の東部)最大級の繁華街であると共に、東京の下町(旧市街)を代表する繁華街)についての話に戻ります。
東京都心部の東部(北東部)に位置する、浅草(asakusa)は、現在は、東京の主要な繁華街の一つに過ぎませんが(それでも、東京の下町(旧市街)(東京都心部の東部)の中心的な繁華街となっている)、第二次世界大戦前は、銀座(ginza。東京都心部の中でも、中心的な地域に位置する)と共に、東京の二大繁華街でした(第二次世界大戦前は、銀座(ginza)が、中流層及び上流層の為の中心的繁華街、浅草(asakusa)が、庶民の為の中心的繁華街と言った感じでした。ちなみに、銀座(ginza)は、今でも、東京を代表する繁華街の座を維持していると共に、東京を代表する高級繁華街となっています)。浅草(asakusa)は、第二次世界大戦末期の空襲で、壊滅的な被害を受けました。また、第二次世界大戦後、浅草(asakusa)が、衰退して行く一方で、東京都心部の西部(1920年代から1930年代に、本格的な開発が始まった、東京の新市街・新興住宅地)の、新宿(shinjyuku)や渋谷(shibuya)等が、東京の新たな主要な繁華街として、成長し、台頭して来ました。これにより、浅草(asakusa)は、東京最大級の繁華街の座は、新宿(shinjyuku)や渋谷(shibuya)等、他の繁華街に譲りました(ちなみに銀座(ginza)は、第二次世界大戦前と後を通じて、現在に至るまで、東京を代表する繁華街で有ると共に、隣の有楽町(yurakucho)と合わせて(銀座(ginza)・有楽町(yurakucho))、東京最大級の繁華街の座を維持)。
それでも、浅草(asakusa)は、今でも、上野(ueno)と共に、東京の下町(旧市街)(東京都心部の東部)最大級の繁華街であると共に、東京の下町(旧市街)を代表する繁華街となっています。浅草(asakusa)は、東京の庶民的な繁華街の代表的な存在であると共に、昔の東京の、大衆の繁華街の雰囲気が、食文化、食堂、工芸品、土産物店等、文化として、たくさん残っている為に、東京を代表する観光地の一つとして、栄えています。浅草(asakusa)には、歴史が古い、食堂・レストラン・店舗等が、多くあります。
写真以下3枚(借り物写真)は、おまけ。。。かつて、浅草(asakusa)に存在した、近代建築の搭、凌雲閣(ryounkaku)。1890年に完成(開業)した、観光用のタワー(tower)で、東京で最初の、近代・現代建築の、高層且つ、観光用の展望台が付いた、搭(tower)です。設計は、イギリス人が行いました。12階建て、高さは、約52.4m(約66.7mと言う説もあり)で、1階は、入口(ロビー(lobby)と言った感じかな)、2階から7階は、世界中の(世界各国の)品物を販売する店舗が入り、8階は、休憩室、10階から12階は、展望台となっていました。開業して、しばらくの間(1890年代)は、東京の主要な観光場所の一つとして、とても多くの人々で賑わった様ですが、1900年代に入ると、飽きられ、徐々に、人気を失って行った様です。巨大地震に耐えられる様な、近代建築の設計技術・耐震技術が未熟であった事から、1923年の、関東大震災(1923年に東京areaを襲った巨大地震。東京都心部等が、非常に大きな被害を受けた)で、8階部分よりも上が崩壊し(地震発生当時、展望台には、12、3名がいたが、1名を除き、全員が崩壊に巻き込まれ亡くなりました。wikiより。。。)、運営していた会社が、復旧を諦めた事から、同年(1923年)、爆破解体処理されました。ちなみに、凌雲閣(ryounkaku)が開業してから、およそ125年後の、現在は、浅草(asakusa)の近くには、東京ski tree(高さ634m)が、そびえ立っています(もちろん、巨大地震が起きても、大丈夫である為の技術が、投入されています)。もう一つ、ちなみに、浅草(sensou)寺の、先代の五重塔(17世紀に建てられた。後で、説明します)は、凌雲閣(ryounkaku)と異なり、関東大震災(1923年に東京areaを襲った巨大地震。東京都心部等が、非常に大きな被害を受けた)でも、大丈夫でした(地震地帯に位置する国である日本の、伝統的な建築技術が、19世紀後期当時のヨーロッパ(イギリス)の、近代的な建築技術に勝ったと言った感じでしょうか。。。)
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松屋(matsuya)デパート(1869年創業)、浅草(asakusa)店(1931年開店。写真は、借り物で、1931年開店当時の物)。松屋(matsuya)デパート、浅草(asakusa)店には、日本で最初の、本格的な、デパートの屋上の遊園地が設置されました(上の1931年の開店時の写真にも、屋上に、遊園地が見えます。現在は、松屋(matsuya)デパート、浅草(asakusa)店の建物の屋上は、遊園地となっておらず、展望場所を兼ねた、休憩場所となっています)。松屋(matsuya)デパート、浅草(asakusa)店は、1931年の開店以来、長らく、庶民の為のデパートとして賑わって来ましたが、時代の流れにより(デパートと言う営業形態自体が、時代遅れとなって来た)、現在は、デパートの建物の内、地下から3階までが、松屋(matsuya)デパート、浅草(asakusa)店、4階以上の階(4階から7階まで)は、「EKIMISE」と言う、ショピングモール(shopping mall)となっています。ちなみに、銀座(ginza)にある、1925年に開店した、松屋(matsuya)デパート、銀座(ginza)店(現在の、松屋(matsuya)デパートの本店)は、銀座(ginza)を代表するデパートの一つとなっています。松屋(matsuya)デパート、銀座(ginza)店の、現在の建物は、1925年の開店時からの物ですが、内外装に、大きな改装が、加えられており、昔の面影は、ほとんど感じられません(松屋(matsuya)デパート、銀座(ginza)店の、開店当初(1925年から1930年代)の内装は、非常に豪華な物であった様です)。
写真以下4枚。前に、kjでアップ(upload)した写真の、再利用。浅草(asakusa)の、風景例。
松屋(matsuya)デパート、浅草(asakusa)店の建物。1931年に建てられた物です。時代の流れにより(デパートと言う営業形態自体が、時代遅れとなって来た)、現在は、デパートの建物の内、地下から3階までが、松屋(matsuya)デパート、浅草(asakusa)店、4階以上の階(4階から7階まで)は、「EKIMISE」と言う、ショピングモール(shopping mall)となっています。
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神谷(kamiya)bar。1880年創業の、浅草(asakusa)にある、バー(bar)です。長い間、東京の、酒飲み(酒(アルコール(alcoholic)飲料)を飲むのが好きな)庶民の、社交場として親しまれて来ました。現在の建物は、1921年に建てられた物です。神谷(kamiya)barは、電気ブラン(denki bran)と言う、1882年に誕生した、神谷(kamiya)bar独特の、お酒(アルコール(alcoholic)飲料)(アルコール(alcohol)度数は、30%と40%の2種類)で、有名で、電気ブラン(denki bran)は、同bar(神谷(kamiya)bar)で、古くから、人気の、飲み物となっています。
写真正面の、高層ビルは、アサヒ(asahi)ビール(日本の大規模ビール会社の一つ(日本の四大ビール会社の一つ)。1889年創業)の本社ビル(1989年完成。高さ約95m)です。設計・デザイン(design)は、Philippe Starck(1949年生まれ。フランスの、世界的に有名な、デザイナー(designer)。建築の分野でも活躍)等が手掛けました。ビルのデザイン(design)は、グラス(glass)に入ったビール(おそらく、生ビール)をイメージした物です。高層ビルの右下の、金色の雲にも、汚物の様にも見える物は、グラス(glass)から溢れ出た、ビールの泡でも表現しているのでしょうか。。。何とも、理解し難いです。私は、前は、この、醜悪で、おぞましいデザイン(design)の、アサヒ(asahi)ビールの本社ビル(のデザイン(design))は、大嫌いでしたが(アサヒ(asahi)ビールは、何で、この様なデザイン(design)案を、採用(承認)したのか、不思議です(私には、理解が出来ません))、今は、まあ、色々な物があって、楽しい、浅草(asakusa)areaにおいては(浅草(asakusa)areaは、雑然とした所が、大きな魅力となっています)、悪くはないのではないかと思うようになりました(このビルが、私の街にあったら、嫌だけど。。。w)。
浅草(asakusa)を含む、東京の下町(東京の旧市街。東京都心部の東部)は、第二次世界大戦末期の、アメリカ軍による空襲により、壊滅的な被害を受けた為、下町(旧市街)とは言っても、ほとんどの建物は、第二次世界大戦後に建てられた物です。もっとも、第二次世界大戦前(1930年代以前)に建てられた建物も、少しは残っています。写真は、浅草(asakusa)に残る、1920年代から1930年代頃に建てられたと思われる建物の例。。。ちなみに、写真右端の、日本伝統式の建物は、この日の、昼食(この日の、追加の、遅い朝食兼昼食)を食べた、蕎麦食堂、「並木(namiki)藪(yabu)蕎麦」の建物です。
この日は、朝寝坊をし、11時過ぎ位に、我が家で、遅い朝食兼昼食(内容は、普段、働いている日に食べている朝食(パン、シリアル(cereal)、野菜サラダ(salad)、3種類程の果物、牛乳、ジュース(juice)、ヨーグルト(yoghurt))と同じでした)を食べた後、我が家を出たのですが、浅草(asakusa)にある、1913年創業の蕎麦食堂、「並木(namiki)藪(yabu)蕎麦」で、追加の、遅い朝食兼昼食として、軽食の蕎麦を食べました。「並木(namiki)藪(yabu)蕎麦」は、神田(kanda)(東京都心部でも、中心的な地域に位置する)の、1880年創業の蕎麦食堂、「神田(kanda)藪(yabu)蕎麦」の系統の店です。
江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)には、蕎麦、寿司、天麩羅等は、東京において、庶民・大衆の為のファーストフード(fast food)でした(日本料理における、握り寿司(所謂、世界的に、一般的に知られている、日本の寿司)、天麩羅は、元々、江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)に、東京において、庶民・大衆の為のファーストフード(fast food)として、発展・流行した食べ物です)。「並木(namiki)藪(yabu)蕎麦」は、その様な、東京の、昔ながらの(伝統的な)蕎麦を、現在に伝える店の一つであると思います(おそらく。。。)。
写真以下3枚。「並木(namiki)藪(yabu)蕎麦」で食べた、この日の、追加の、遅い朝食兼昼食。蕎麦(東京の、伝統的な、ファーストフード(fast food))。蕎麦の、汁(soup)は、昔ながらの、東京の蕎麦と言った感じで、濃い味です(おそらく、薄い、繊細な味付けに慣れた、関西(kansai)(大阪や京都(kyoto)を中心とする大都市圏。東京圏に次ぐ、日本、第二の都市圏人口を有する、大都市圏。日本の西側に位置する)の人々が食べたら、少し、濃過ぎて、田舎臭い(粗野な)味と感じる味です)。
写真以下2枚。私が食べた、おかめ(okame)蕎麦(蒲鉾(kamaboko)(魚の練り物)を、主体とした具の、蕎麦)。
蕎麦の具は、上から、湯葉(yuba)(豆乳から出来る食材)、松茸(matsutake)(茸の一種。日本料理において、高級食材となっている)の形を模した麩(fu)(グルテン (gluten)を、主な、原料とした、加工食品(食材))、蒲鉾(kamaboko)(魚の練り物)。
彼女が食べた、玉子とじ蕎麦。
写真以下7枚。前に、kjでアップ(upload)した写真の、再利用。浅草(asakusa)areaの、風景例。
写真以下3枚。浅草(sensou)寺の、雷門(kaminari)門(浅草(sensou)寺と、雷門(kaminari)門については、後で、説明します)の向かいにある、台東(taito)区(東京中心部(東京23区)を構成する、23の区の内の一つ。浅草(asakusa)が位置している)が運営する、割と最近(2012年に)、完成した、新しい、観光案内所の建物(8階建て。高さ、約40m)。設計は、隈 研吾(kuma kengo)(1954年生まれ。日本の、世界的に有名な建築家)が手掛けました。周囲の景色と調和しながらも、個性がある建物、また、奇抜な(風変わりな)なデザイン(design)の建物でないのにも関わらず(厳密に見れば、奇抜な(風変わりな)なデザイン(design)の建物であるが、建築家の技量により、奇抜な(風変わりな)なデザイン(design)の建物に見せない)、個性的な建物で、優れた建築であると思います(現代において建てられる建物の、理想的なデザイン(design)の形の一つであると思います)。
写真以下2枚。この写真を撮影した日は、残念ながら、天気が悪かったのですが、この、観光案内所の、最上階の、屋外展望台から見た景色。
写真以下2枚。写真中央に見える、高いtowerは、東京sky tree。東京sky treeは、東京の下町(旧市街。東京中心部(東京23区)の東部)の、浅草(asakusa)areaに近い場所にあるTV電波塔です。東京ski tree(2012年完成)は、東京tower(下の補足説明参照)に代わり、東京areaにTV電波を送信する為の、(東京圏の)主力TV電波塔となった、TV電波塔で、東京tower同様、展望台を有し、観光施設の側面も有しています。高さは、634mあり、日本で最も高い、また、世界でも、Burj Khalifaに次いで、二番目に高い建造物であり、世界一高い塔です。ちなみに、東京ski treeの、デザイン(design)は、現在において建てられる建築のデザイン(design)としては、あまりに保守的で(古臭く)、平凡で、嫌いです。写真右下に見えるのは、アサヒ(asahi)ビールの本社ビル。
東京tower:来るべきTVの大衆化時代(日本では、TV放送は、1953年に始まり、当初は、TVは、庶民にとっては、中々、手が届かない贅沢品で有ったが、1950年代末には、テレビ(TV)が、庶民の家庭にも普及する様になった)に備えて、東京areaにTV電波を大量に送信する為に建てられたTV電波塔。東京都心部でも、中心的な地域に位置する。高さは約333mで、1958年に完成した当時は、パリのEiffel tower(約324m)を抜かし、世界一高い、(観光用の展望台の付いた)塔でした。
写真下側の川を走っている船は、松本 零士(matsumoto reiji)(下の補足説明参照)がデザイン(design)した、東京の、水上バスです(海にも出ます)。浅草(asakusa)と、お台場(odaiba)(東京中心部の海沿いに有る、1980年代から開発が始まった(本格的な、開発は、1990年代に入ってから。特に、ほぼ現在の形に整ったのは、1990年代半ばの事)、東京中心部の海沿いに有る、規模の大きな、住宅・商業・ビジネス(business)の複合地区。東京で、最も、未来的な景観を有する地域の一つ)等を、結んでいます。2004年から運行されています。 松本 零士(matsumoto reiji):1938年生まれ。日本の、有名な漫画家。代表作、「銀河鉄道999(Galaxy Express 999)」(1977年(漫画)。1978年から1981年にかけて、TVアニメシリーズ(TV anime series)として放映)、「宇宙戦艦ヤマト(Space Battleship Yamato・Star Blazers)」(TVアニメシリーズ(TV anime series)(1974年))。
写真以下2枚は、桜の花の時期に撮影した写真で(この写真を撮影した日も、天気が悪かったです)、浅草(asakusa)周辺の、隅田(sumida)川沿いに位置する、元々、水戸(mito)徳川(tokugawa)家(江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)に、現在の茨城(ibaraki)県(東京圏の北東端に位置する県)の中部及び北部を統治していた地方領主の家。非常に有力な地方領主の家であった)の、東京(当時は、江戸(edo)と呼ばれていた)の別荘の一つの敷地の一部(半分弱位かな。。。)であった場所(現在は、公園として整備されています)から、撮影した、桜の花と、東京sky tree。桜の花は、おそらく日本人に最も親しまれている花で有り、菊(皇室(天皇家)の紋章(coat of arms)となっている花)と供に、日本の実質的な国家となっている花です。春には、日本各地で、所々に、多くの桜の花が咲きます(もっとも、日本は、国土が、南北に細長く伸びた国で有る為、桜の花の見頃の時期は、日本の各地域で異なります)。水戸(mito)徳川(tokugawa)家は、近代日本において、貴族(侯爵)となりました(封建制時代の地方領主達は、近代に入ると、地方領主としての地位を失うと供に、封建制時代の城(castle)等を失ったものの、多くの地方領主達は、貴族階級に組み入れられ、近代社会(19世紀末から第2次世界大戦後、間も無くまで)においても、日本の上流階級としての地位と富は、維持しました)。この、水戸(mito)徳川(tokugawa)家の、東京の別荘の一つは、近代に入り、水戸(mito)徳川(tokugawa)家の本邸(メイン(main)の家)となりましたが、関東大震災(1923年に東京areaを襲った巨大地震。東京等が、非常に大きな被害を受けた)及び、それに伴う火災により、壊滅的な被害を受けました。それにより、水戸(mito)徳川(tokugawa)家は、この土地を手放し、その一部(半分弱位かな。。。)が、1931年に公園として整備され、現在に至っています。
この日は、浅草(asakusa)を散歩途中、二軒のカフェ(cafe)で、のんびりとしたのですが、写真以下3枚は、この日、浅草(asakusa)で入った、カフェ(cafe)の一つ。適当に目に付いて、入ったカフェ(cafe)・喫茶店(日本式coffee shop)です。
写真以下2枚。この、カフェ(cafe)・喫茶店(日本式coffee shop)の内装例。
私が、この時、この、カフェ(cafe)・喫茶店(日本式coffee shop)で飲んだ、飲み物。オレンジ(orange)アイスティー(冷たい紅茶)。
写真以下14枚。浅草(asakusa)の、風景例。
写真以下13枚(写真以下9枚は、前に、kjでアップ(upload)した写真の、再利用)。浅草(sensou)寺。浅草(sensou)寺は、浅草(asakusa)にある、仏教の寺で、古くから、東京の庶民に、親しまれて来た寺です。浅草(sensou)寺は、仲見世(nakamise)通りと共に、古くから、浅草(asakusa)の観光の中心地となっています。浅草(sensou)寺は、とても歴史の古い寺で、歴史自体は、7世紀まで遡りますが、現在の建物の、ほとんどが、第2次世界大戦後(1950年代から1970年代初め)に、鉄筋コンクリートにより、再建された物です。第2次世界大戦後に、再建された、浅草(sensou)寺の建物については、外観は、17世紀に建てられた、先代の建物を、再現しています。
写真正面。浅草(sensou)寺の表玄関となる、雷門(kaminari)門。雷門(kaminari)門の前は、おそらく、東京で、最も人気のある、観光写真の撮影場所の一つです。先代の建物は、17世紀に建てられましたが、1865年に火事で焼失した後、長い間、仮の門でした。1960年に、およそ、100年ぶりに再建されました(外観は、17世紀に建てられた、先代の建物を再現した物)。雷門(kaminari)門の、奥に続いているのが、仲見世(nakamise)通り。仲見世(nakamise)通りは、雷門(kaminari)門から、浅草(sensou)寺の本堂(mainの建物)へと続く、参道(お参りする道)であり、歩行者専用の、買い物通り(商店街)となっています。仲見世(nakamise)通りは、商店の建物が、19世紀後半に、近代的な建物となり、より一層栄えるようになりました。仲見世(nakamise)通りは、伝統工芸品、伝統的な、お菓子、東京及び日本の、お土産品、チープで風変わりな品物を売る店等が建ち並び、常時、賑わっています。
写真以下4枚の大きな門は、17世紀に建てられた、先代の建物が、第2次世界大戦末期の空襲によって、焼失してしまった為、1964年に再建された物です(外観は、17世紀に建てられた、先代の建物を再現している)。写真以下3枚の、写真右側は、仲見世(nakamise)通りの店舗の一部です。
写真以下2枚は、正月時期に撮影した物。
写真以下3枚。浅草(sensou)寺の、五重塔。高さは、約53mあります。先代の建物は、17世紀に建てられたものですが、第二次世界大戦末期の空襲により焼失。現在の建物は、1970年代の初めに、再建されたものです(外観は、17世紀に建てられた、先代の建物を再現している。17世紀に建てられた、先代の建物は、江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)において、東京(当時は、江戸(edo)と呼ばれていた)で、目立つ建物の一つであった事でしょう)。
浅草(sensou)寺の本堂(hondo)(寺のmainの建物)です。先代の建物は、17世紀に建てられたものですが、第二次世界大戦末期の空襲により焼失。現在の建物は、1950年代後半に、再建された物です(外観は、17世紀に建てられた、先代の建物を再現している)。
写真以下4枚は、この日、撮影した写真。この日も、天気は、良くありませんでした。
左から、五重塔、(17世紀に建てられた、先代の建物が、第2次世界大戦末期の空襲によって、焼失してしまった為、1964年に再建された)大きな門、浅草(sensou)寺の本堂(hondo)(寺のmainの建物)。何れも、先代の建物は、17世紀に建てられた物でしたが、第二次世界大戦末期の空襲により焼失し、現在の建物は、第二次世界大戦後に、再建された物です。
17世紀に建てられた、先代の建物が、第2次世界大戦末期の空襲によって、焼失してしまった為、1964年に再建された門(外観は、17世紀に建てられた、先代の建物を再現している)。
門の奥に見えるのは、浅草(sensou)寺の本堂(hondo)(寺のmainの建物)。先代の建物は、17世紀に建てられたものですが、第二次世界大戦末期の空襲により焼失。現在の建物は、1950年代後半に、再建された物です(外観は、17世紀に建てられた、先代の建物を再現している)。
浅草(asakusa)の、路地の風景例。。。
この日、浅草(asakusa)の散歩の途中に、買い食いした、浅草(asakusa)独特の、大きくて、軽い、メロン(melon)パン。写真では、分かり難いですが、通常のメロン(melon)パンと比較すると、かなり大きいです。一つ買って、二人で分けて食べました。このメロン(melon)パンは、この時、初めて食べたのですが、(大きいが、軽いと言う事は、様々な情報で分かっていたのですが)、想像していたよりも、さらに軽くて、これならば、一人、一個ずつ食べても良かったかなと言う感じでした。
メロン(melon)パン:日本発祥の、大衆的な、甘いパンで、洋食(日本で、近代以降、日本に合う様に、(日本人の視点からすれば)改良された西洋料理)の一種とも言えます。
東京、下町(旧市街)散歩&食べ物後編へ続く。。。