8月の、終わり、個人的に休みであった日(以下、この日と書きます)に、近場で、休日を過ごした時の物です。
この日、我が家で食べた、朝食は、普段、働いている日に食べている朝食(パン、シリアル(cereal)、野菜サラダ(salad)、3種類程の果物、牛乳、ジュース(juice)、ヨーグルト(yoghurt))と、基本的に同じでした。
この日は、東京都心の、日本橋(nihonbashi)areaで、この時、行われていた(厳密には、9月23日まで行われています)、アートアクアリウム(art aquarium)と言う催しを見て来ました。
この日、日本橋(nihonbashi)areaは、地下鉄を利用して行きました。我が家の最寄りの、通勤電車・地下鉄駅から、地下鉄で、日本橋(nihonbashi)areaに行く方法は、何通りかあるのですが、何れにしても、最低、一回は、地下鉄を乗り換える必要があります。我が家の最寄りの、通勤電車・地下鉄駅から、地下鉄で、日本橋(nihonbashi)areaに、最短で行く方法で、行く場合、我が家の最寄りの、通勤電車・地下鉄駅(東京都心部の西部に位置する)から、日本橋(nihonbashi)areaまでは、地下鉄の乗り換え・待ち時間を含まないで、20分強位、地下鉄の乗り換え・待ち時間を含んで、30分強位です。
この日は、我が家の最寄りの、通勤電車・地下鉄駅から、地下鉄で、日本橋(nihonbashi)areaに、最短で行く方法の一つである、途中で、銀座(ginza)線に乗り換えて行く方法で、日本橋(nihonbashi)areaに行きました。
銀座(ginza)線(路線距離14.3km)は、渋谷(shibuya)(東京最大級の繁華街の一つ。東京都心部の西部に位置する)と、浅草(asakusa)(上野(ueno)と共に、東京の下町(旧市街)(東京都心部の東部)最大級の繁華街)を、銀座(ginza)area(東京を代表する繁華街、且つ、東京最大級の繁華街の一つ。東京都心部の中でも、中心的な地域に位置する)を経由して結ぶ地下鉄路線です。銀座(ginza)線は、1927年に開業した、アジアで、最初の地下鉄路線(主に、地下を走る、鉄道路線)です。

前に、kjでアップ(upload)した写真の、再利用。銀座(ginza)線の、1927年の開業時の、ポスター(poster)。
ちなみに、第2次世界大戦前には、既に、(日本の2都市を含む)世界の15都市で、地下鉄(主に地下を走る鉄道)が走っていました。以下、第二次世界大戦前に、既に、地下鉄(主に地下を走る鉄道)が開業していた、世界の15の都市、開業順に(()内は、開業年)、イギリスのLondon(1863 年)、ハンガリーのBudapest(1896年)、イギリスのGlasgow(1896年)、アメリカのBoston(1898年)、フランスの Paris(1900年)、ドイツのBerlin(1902年)、アメリカのNew York(1904年)、アメリカのPhiladelphia(1907年)、ドイツのHamburg(1912年)、アルゼンチンのBuenos Aires(1913年)、スペインのMadrid(1919年)、スペインのBarcelona(1924年)、日本の東京(1927年)、日本の大阪(1933年)、ロシア(当時は、ソビエト連邦)のMoscow(1935年)。第二次世界大戦前に、既に、国内の、複数の都市で、地下鉄(主に地下を走る鉄道)が走っていた国は、世界でも、アメリカ(3都市)、イギリス(2都市)、ドイツ(2都市)、スペイン(2都市)、日本(2都市)の、五カ国だけでした。スウェーデン(1950年に、Stockholmに、地下鉄が開業)、カナダ(1954年に、最初の地下鉄が、Torontoに開業)、イタリア(1955年に、最初の地下鉄が、Romeに開業)、オランダ(1968年に、最初の地下鉄が、Rotterdamに開業)等に、地下鉄(主に地下を走る鉄道)が開業したのは、第二次世界大戦後の事です。ちなみに、韓国の方は、ご存知の方もいると思いますが、韓国で、最初の地下鉄(主に地下を走る鉄道)は、香港(1979年に開業)とシンガポール(1987年に開業)に、先んじて、1974年に、ソウルに開業しました。
銀座(ginza)線は、2分から3分間隔の、高頻度で運行されています(したがって、1本、電車を逃したとしても、ほとんど待たずに、次の電車に乗る事が出来ます)。銀座(ginza)線(1927年開業)は、東京で、最も、古い地下鉄(主に地下を走る鉄道)路線である事から、東京で、最も、条件の良い(営業効率の良い)場所を走る地下鉄路線である事(新宿を通らない事を除けば、渋谷(shibuya)、表参道(omotesando)、青山(aoyama)、赤坂(akasaka)、新橋(shinbashi)、銀座(ginza)、日本橋(nihonbashi)、上野(ueno)、浅草(asakusa)等、西から東へ、概ね、東京の、主要な繁華街・商業地を結ぶ、黄金ルートと言えるルートの路線である事)、また、土地の値段や建設費が安かった、古い時代に建設された、地下鉄路線である事から、おそらく、東京の地下鉄路線の中で、最も、利益率が高く(経営者(経営会社)等にとって、効率が良く)、黒字額が大きい、地下鉄路線となっています。また、たぶん、東京圏の、全ての、通勤電車・地下鉄路線の中で、山手(yamanote)線(下の補足説明参照)と並び、最も、利益率が高い(経営者(経営会社)等にとって、効率が良い)、路線であると思います。
山手(yamanote)線:東京都心の環状(loop)路線(通勤電車路線)。1885年開業。路線距離、34.5km。東京の四大繁華街(東京最大級の、四つの繁華街。銀座(ginza)・有楽町(yurakucho)、新宿、渋谷(shibuya)、池袋(ikebukuro))の、全てを通ると共に、東京駅(東京を代表する鉄道駅で、東京の駅の中で、最も、鉄道の発着数が多い駅。周辺は、丸の内(marunouchi)等、東京を代表する、ビジネス(business)の中心地区となっている)、上野(ueno)(浅草(asakusa)と共に、東京の下町(旧市街)(東京都心部の東部)最大級の繁華街)等も通る。
さらに、銀座(ginza)線は、御堂筋(midousuji)線(大阪(東京に次いで、日本第二の都市圏人口を有する都市)で、最初に開業した地下鉄(主に地下を走る鉄道)路線。1933年開業。路線距離、24.5km)、東山(higashiyama)線(名古屋(nagoya)(東京、大阪に次ぐ、日本第三の都市圏人口を有する都市)で、最初に開業した、地下鉄(主に地下を走る鉄道)路線。1957年開業。路線距離20.6km)に次いで、日本全国の地下鉄(主に地下を走る鉄道)路線の中で、3番目に、黒字額が、大きい、地下鉄(主に地下を走る鉄道)路線となっています。
この写真は、地下鉄の乗換駅にて、この日の行きに撮影した写真。現在、銀座(ginza)線では、01系車両(1984年にデビュー(debut)(試作車は、1983年にデビュー(debut))した車両)と、新1000系車両(2012年にデビュー(debut)した車両)と、2種類の(2つの系統の)、地下鉄車両が使われていますが、写真は、01系車両(1984年にデビュー(debut)(試作車は、1983年にデビュー(debut))した車両)。01系車両は、もうすぐ、全て、引退し、全て、下の、新1000系車両に置き換わる予定です。
写真以下2枚は、地下鉄の乗換駅にて、この日の帰りに撮影した写真。こちらは、銀座(ginza)線の、新1000系車両(2012年にデビュー(debut)した車両)です。新1000系車両のデザイン(design) は、1927年に、地下鉄、銀座(ginza)線の開業と共にデビュー(debut)した、地下鉄、銀座(ginza)線で、最初の車両である、1000 系車両をイメージした物となっています。日本では、近年、近代のデザイン(design)を、再評価する流れにあります。今後、01系車両との置き換えが進められ、来年(2016年)までに、全て、01系車両と置き換えられ、銀座(ginza)線の、全ての車両が、新1000系車両となる予定です。
日本橋(nihonbashi)area(東京都心部の中でも、中心的な地域に位置する)は、江戸(edo)時代(17世紀)から、東京を代表する一等商業地です。
写真以下6枚。日本橋(nihonbashi)areaの風景例。

これは、前に、kjでアップ(upload)した写真の再利用。
写真以下3枚は、この時、COREDO室町(muromachi)(後で説明します)から撮影した写真。
写真以下2枚は、前に、kjでアップ(upload)した写真の、再利用。

日本橋(nihonbashi)areaにある、三井(mitsui)本館。1929年に完成した、銀行等が入る、オフィス(office)用のビルで、第二次世界大戦前に、東京に建てられた近代建築のビルの内、現在も残されている、数少ない物の内の一つです。現在も、オフィス(office)用ビルとして、活用されています(近代建築の保存意識の高まり等から、文化財に指定されています)。第二次世界大戦前の、1920年代から1930年代には、日本の東京や大阪等には、重厚で美しい近代建築のビルが、たくさん有りましたが、現在は、第二次世界大戦前に建てられた近代建築のビルは、非常に少なくなっています。ちなみに、第二次世界大戦前の1920年代から、1930年代には、地震地帯では無い、アメリカのニューヨーク(New York)とシカゴ(Chicago)では、既に、次々と超高層ビルが建設されていましたが、地震地帯の、日本では、その頃は、当然、大地震に耐えられるような、超高層ビルの建築設計技術が完成されておらず、東京や大阪には、超高層ビルが存在しませんでした(もっとも、その頃は、アメリカの地震地帯では無い地域を除けば、日本だけでなく、アメリカ西海岸、ヨーロッパ等、世界中、どの都市でも、超高層ビルは、ほとんど存在しませんでした)。第二次世界大戦が終って間も無い、1940年代後半から、(戦後復興中期前半の)1950年代半ば頃くらいまでは、東京や大阪では、主として、(第二次世界大戦時の、アメリカによる空襲で破壊されずに生き残った)第二次世界大戦前に建てられた、近代建築のビルを、引き続き活用していました。その後、高度経済成長に伴い、1950年代後期頃から、ようやく、戦後の現代建築のビルの建設ブーム(boom)が起り始め(ちなみに、日本で、日本の様な地震地帯の大地震でも、大丈夫な超高層ビルを設計建築する技術が成熟し、超高層ビルが建てられる様になったのは、1960年代後期以降)、1950年代後期から1960年代を通じて、東京や、大阪では、戦前に建てられた、重厚な近代建築のビルが、戦後に建てられた、機能的な現代建築のビルに、次々と、取り替えられる様になりました(その頃は、経済成長最優先であり、老朽化した近代建築を修理しながら、保存・活用しよう等と言う、ゆとりが無かった)。

写真上は、三井(mitsui)本館に隣接して建てられている、超高層ビル、日本橋(nihonbashi)三井(mitsui)tower(高さ約 195m。39建て)。隣接する三井(mitsui)本館に調和する様、落ち着いたデザイン(design)となっています。日本橋(nihonbashi)三井(mitsui)towerの、主として上層階には、東京の、最高級ホテルの一つである、マンダリンオリエンタル東京(Mandarin Oriental, Tokyo)が入居しています(日本橋(nihonbashi)三井(mitsui)towerは、それ以外は、概ね、オフィス(office))。
この時、日本橋(nihonbashi)areaに置いてあった、チラシ(leaflet)の一つ。私は、この展覧会(exhibition)に行っていませんし、今の所、行くつもりもありませんが、三井(mitsui)本館に入っている、三井(mitsui)記念美術館(下の補足説明参照)で、8月29日から11月3日まで行われている、日本の、修験道(syugendo)(日本古来の山岳信仰と、仏教が合わさった宗教)の、古い、仏像等の展覧会(exhibition)の、チラシ(leaflet)。写真の、チラシ(leaflet)の仏像は、この展覧会(exhibition)の、展示物の例で、何れも、平安(heian)時代(794年から1185年)から鎌倉(kamakura)時代(1185年から1333年)に造られた、日本の仏像です。
三井(mitsui)記念美術館:三井(mitsui)家(近代の日本で最大級の財閥(近代日本の、三大財閥又は四大財閥)家の一つ)の、財宝(三井(mitsui)家の財宝の内、主として、日本、及び、日本以外の東洋の、伝統、美術品・工芸品)や歴史的資料を、保存・展示する、私営の美術館。
写真以下42枚。この日は、COREDO室町(muromachi)(日本橋(nihonbashi)areaにある商業ビルの一つ。実質的には、デパートの様な物)で、この時、開催されていた、アートアクアリウム(art aquarium)と言う催しを見て来ました。アートアクアリウム(art aquarium)は、一言で説明すれば、金魚(goldfish)の水族館(public aquarium)と、art(現代art)が融合した様な催しです。日本橋(nihonbashi)areaでは、アートアクアリウム(art aquarium)は、2011年から、毎年、夏に開催されていて、今年で、5回目となります。日本橋(nihonbashi)areaの、アートアクアリウム(art aquarium)は、前から、ちょっと気になっていたのですが、この時、初めて、訪れました。まあ、綺麗で、興味深くはあったのですが、金魚(goldfish)が、ちょっと、可哀相な気もしました。別に、もう、見に行かなくても良いかなと言った感じですw。ちなみに、おそらく、日本は、良質な(高級な)、金魚(goldfish)の、世界的な産地の一つとなっています。
写真以下2枚。この時、日本橋(nihonbashi)areaに置いてあった、アートアクアリウム(art aquarium)関連の、チラシ(leaflet)。
写真以下40枚。今年の、日本橋(nihonbashi)areaの、アートアクアリウム(art aquarium)の展示風景例。アートアクアリウム(art aquarium)の展示内容は、毎年、異なる様です。
写真以下2枚は、日本橋(nihonbashi)areaの、無料の情報誌より。。。
写真以下2枚の金魚(goldfish)は、中国原産の金魚(goldfish)ですが、日本を思わせる(日本の国旗を思わせる)、金魚(goldfish)で、日本で、人気が高い金魚(goldfish)の一つとなっています。
ちょっと、前の人の、頭が、邪魔ですが。。。w
写真以下9枚。日本橋(nihonbashi)areaの、風景例。この日は、天気は、良くありませんでした(曇りでした)。
写真以下4枚は、COREDO室町(muromachi)から撮影した写真。
写真以下6枚。三越(Mitsukoshi)(日本で最もbrand力の有る、デパートchainの一つ。1673年に、東京で創業)の、本店である、三越(Mitsukoshi)、日本橋(nihonbashi)店の、本館(honkan)(1927年に完成)。三越(Mitsukoshi)、日本橋(nihonbashi)店は、東京を代表する高級デパートの一つとなっています。三越(Mitsukoshi)、日本橋(nihonbashi)店は、時代に合せて建物を建て替えてはいるものの、17世紀から、同じ場所で営業を行っています。現在の、三越(Mitsukoshi)、日本橋(nihonbashi)店の建物は、1927年に建てられた、本館(honkan)の建物(写真以下6枚)と、2004年に建てられた、(現在の)新館(shinkan)の建物から成り、1927年に建てられた、重厚な、近代建築の本館(honkan)の建物は、現在の、三越(Mitsukoshi)、日本橋(nihonbashi)店を象徴する建物となっています。
何かの宣伝の一環なのか、三越(Mitsukoshi)デパートを象徴する、ライオン(Lion)の像(デパートの、正面入り口に、2体、設置されています)には、この時、変な物が、掛けられていました。何か、三越(Mitsukoshi)のイメージに合わない感じ。。。 これも、時代の流れなのでしょうか。。。 三越(Mitsukoshi)、日本橋(nihonbashi)店の、本館(honkan)の、ライオン(Lion)の像は、1914年に造られた物で、三越(Mitsukoshi)、日本橋(nihonbashi)店の、先代の、本館(honkan)の建物(1914年に完成)の時代から、正面入り口に設置されています。三越(Mitsukoshi)、日本橋(nihonbashi)店の、本館(honkan)の、2体の、ライオン(Lion)の像は、第二次世界大戦中、金属類回収令により、日本政府(第二次世界大戦中は、実質的に、日本軍が、日本の政府を掌握していた為、日本軍)に供出されてしまいましたが、日本の海軍の配慮により、東郷(togo)神社(shrine)(下の補足説明参照)に奉納と言う形で、東郷(togo)神社(shrine)で保管(保存)され、第二次世界大戦後の、1946年に、再び、元の位置(三越(Mitsukoshi)、日本橋(nihonbashi)店の、本館(honkan)の、正面入り口)に戻され、現在に至っています。
東郷(togo)神社(shrine):東郷 平八郎(togo heihachiro)(下の、補足説明参照)を祀る神社(shrine)(1940年に創建)。東京都心部の西部(渋谷(shibuya)区)に位置する。ちなみに、私の弟が、東郷(togo)神社(shrine)で、結婚式を挙げています。
東郷 平八郎(togo heihachiro):1848年生まれ、1934年に亡くなる。日露戦争(1904年から1905年にかけて行われた、日本と、ロシア(Russia)との間の戦争)において、日本海軍の連合艦隊を率いて、(当時、世界最強の艦隊の一つと言われた)ロシア(Russia)のバルチック艦隊(Baltic Fleet)と戦い、勝利を収めた、日本の軍人(海軍大将)。この戦いの勝利は、この戦争の、日本の、実質的な勝利を決定づける、重要な要因の一つとなった。
写真以下3枚。日本橋(nihonbashi)areaの地名の由来となった橋、日本橋(nihonbashi)。現在の物は、1911年に架けられた物ですが、元々は、木造の橋で(17世紀から19世紀中期までは、木造であった)、その歴史は、1603年まで遡ります。
日本橋(nihonbashi)areaは、17世紀から、東京を代表する一等商業地だけあって、建物は、時代に合わせて、又は、第二次世界大戦末期の空襲等(第二次世界大戦末期の、アメリカ軍の空襲により、東京の都心部は、非常に大きな被害を受け、日本橋(nihonbashi)areaも、例外ではありませんでした)により、建て替えられていますが、歴史の古い店が、多くあります。
写真以下6枚。この日、日本橋(nihonbashi)areaを散歩途中、立ち寄った店の一つ、榛原(haibara)。1806年創業の、和紙(washi)(日本の、伝統的な紙)及び和紙(washi)(日本の、伝統的な紙)製品の専門店です。
榛原(haibara)の、英語のチラシ(leaflet)。
榛原(haibara)の、店のカード(card)。たかが、店のカード(card)といえども、紙の専門店だけあって、さすがに、しっかりとした、質の高そうな紙で作られています。
榛原(haibara)の袋。
写真以下3枚。この時、榛原(haibara)で買った物の一つ。和紙(washi)(日本の、伝統的な紙)で出来た、猫の、置物。
写真以下10枚。この日の昼食は、アートアクアリウム(art aquarium)を見た後、たいめいけん(taimeiken)で食べました。たいめいけん(taimeiken)は、1931年創業の、日本橋(nihonbashi)areaの、洋食(yoshoku)(日本で、近代以降、日本に合う様に、(日本人の視点からすれば)改良された西洋料理)レストランです。
写真以下2枚。前にkjでアップ(upload)した写真の、再利用。たいめいけん(taimeiken)のパンフレット(leaflet)より。。。

写真上、昔の、たいめいけん(taimeiken)の建物。写真下、たいめいけん(taimeiken)の初代、オーナー(owner)兼シェフ(chef)。泰明軒(taimeiken)本店(honten)(1885年創業の、東京の京橋(kyobashi)(日本橋(nihonbashi)areaに近いbusiness・商業地区)の、西洋料理・洋食(yoshoku)・中国料理レストラン。現在は、存在しない)に、勤務した後、独立。たいめいけん(taimeiken)は、元々、泰明軒(taimeiken)本店(honten)の支店として開業しました。その名残か、たいめいけん(taimeiken)は、洋食(yoshoku)レストランですが、メニュー(menu)には、ラーメンがあります。現在の、たいめいけん(taimeiken)の、オーナー(owner)兼シェフ(chef)は、3代目で、たいめいけん(taimeiken)の初代、オーナー(owner)兼シェフ(chef)の孫に当たります(ちなみに、たいめいけん(taimeiken)の、2代目の、オーナー(owner)兼シェフ(chef)は、たいめいけん(taimeiken)の初代、オーナー(owner)兼シェフ(chef)の息子)。

現在の、たいめいけん(taimeiken)の建物。1階が、手頃な値段の、カジュアル(casual)な洋食(yoshoku)レストラン、2階が、比較的、高級な洋食(yoshoku)レストランとなっています。この日の昼食は、1階の、手頃な値段の、カジュアル(casual)な洋食(yoshoku)レストランの方で食べました(1階の方は、値段が手頃で、気軽に利用でき、かなり大衆的な雰囲気です)。たいめいけん(taimeiken)は、日本橋(nihonbashi)areaの、歴史のある、洋食(yoshoku)レストランで、古くから、作家や、映画監督等の、常連も、多い店です。
写真以下4枚は、参考に、前にkjでアップ(upload)した写真の再利用。たいめいけん(taimeiken)のオムライス(omerice)。たいめいけん(taimeiken)の、オムライス(omerice)は、美味しいと思います。

牛肉の、オムライス(omerice)。中に、牛肉のピラフ(pilaf)が入っています(オムライス(omerice)の、ご飯(rice)は、牛肉のピラフ(pilaf)となっています)。ドミグラスソース(demi-glace)を、自分で、お好みの量(好きな量)、かけて食べます。
写真以下3枚。ご飯(rice)の上に載った、半熟のオムレツ(omelette)を、真ん中から、切り開いて食べる形式の、オムライス(omerice)。ケチャップ(ketchup)を、自分で、お好みの量(好きな量)、かけて食べます。ご飯(rice)の上に載った、半熟のオムレツ(omelette)を、真ん中から、切り開いて食べる形式の、オムライス(omerice)は、今では、日本で、かなり広まっていますが、この店が、発祥のようです。



写真以下4枚。たいめいけん(taimeiken)で食べた、この日の昼食。
彼女が食べた、チャーシューメン(豚肉ラーメン)。私は、ラーメンは、あまり詳しくないのですが、たいめいけん(taimeiken)のラーメンは、昔ながらの、東京の、醤油(醤油を基本としたスープ(soup)の)ラーメンと言った感じです。
写真以下3枚。私が食べた、海老、マカロニ(macaroni)グラタン(gratin)。
写真以下10枚。たいめいけん(taimeiken)で昼食を食べた後は、高島屋(takashimaya)デパート、日本橋(nihonbashi)店に入っている、Joel Robuchonのカフェ(cafe)で、デザート(dessert)・おやつを食べました。
高島屋(takashimaya)デパートは、1831年に、京都(kyoto)で創業した、日本のデパートのchainで、本店は、大阪(大阪には、1898年に進出)にあり、東京へは、1922年に進出しました。ちなみに、大阪(東京に次ぐ、日本、第二の都市圏人口を有する都市。日本の商業の中心都市)にある、高島屋(takashimaya)デパートの本店の、現在の建物(1932年完成)(重厚な近代建築の建物です)は、完成当時、アジア最大のデパートでした。
写真以下6枚。前にkjでアップ(upload)した写真の再利用。日本橋(nihonbashi)areaにある、高島屋(takashimaya)デパート、日本橋(nihonbashi)店の建物。現在の建物は、1933年に建てられた物です。高島屋(takashimaya)デパート、日本橋(nihonbashi)店は、東京を代表する高級デパートの一つとなっています。






写真以下4枚。高島屋(takashimaya)デパート、日本橋(nihonbashi)店に入っている、Joel Robuchonのカフェ(cafe)で、食べた、この日の、おやつ。Joel Robuchonは、東京では、最高級classのレストランから、カフェ(cafe)、パン店まで、多様な形態の、飲食店を展開していますが、高島屋(takashimaya)デパート、日本橋(nihonbashi)店に入っている、Joel Robuchonのカフェ(cafe)(世界で初めての、Joel Robuchonのカフェ(cafe)です)は、割と、気軽に、手頃な値段で、食事が出来る店となっています。
写真以下2枚。彼女が食べた物。
写真以下2枚。私が食べた物。
この日の、夕食は、私の街の、居酒屋で、(お酒(アルコール(alcoholic)飲料)等を)飲みながら、食べました。
日本橋(nihonbashi)散歩&食べ物、終わり。。。
以下、適当に、おまけ。。。
今週の日曜日(今週の日曜日(以下、この日と書きます)は、個人的に仕事でした)、仕事の出先の、LIONの店舗で食べた、この日の昼食。蟹と帆立(scallop)の、マカロニ(macaroni)グラタン(gratin)。LION(元々、エビス(yebisu)beer hallと言う名前だった)は、サッポロ(sapporo)ビール(日本の大手(大規模)ビール会社の一つ。1876年創業)が運営する、大衆的な、 beer hall・パブ(pub)・ビールを中心としたレストランの、チェーン(chain)(1899年創業)です。ちなみに、マカロニ(macaroni)グラタン(gratin)は、日本で、家庭料理としても人気が高い、大衆的な、洋食(yoshoku)の、軽食となっています。
写真以下。やや前の物ですが(確か、先週の土曜日の新聞に挟まれて来た物)、我が家の新聞の、折込みチラシ広告(定期購読している新聞に挟まれて来る広告)から。。。
写真以下2枚。(この広告は)車種が限定されていますが、Lexusの、広告。Lexusは、ようやく、デザイン(design)の統一的な個性が確立されて来たと言った感じですね。ちなみに、個人的に、現在の、Lexusの自動車のデザイン(design)の、統一的な個性が、個人的に、好きか嫌いかと問われれば、基本的に、嫌いですw まあ、長い年月をかけて確立された、BMWの自動車のデザイン(design)の、統一的な個性も、冷静に見れば、豚の顔のように見えるデザイン(design)ですし、現在は、違和感があったとしても、長い年月をかけて見慣れて来れば、違和感がなくなると言うのもあるのかもしれません。まあ(「まあ」が続きますがw)、今の、私の収入では、Lexusを買う、ゆとりはないので、関係がないと言われれば、関係がないのですがw、(自動車を含めた)乗り物に広く浅く興味があるので、自動車のデザイン(design)は、気になります(関心があります)。
表面は、最新のモデル(現行のLXの最新版(今年の8月にデビュー(debut))の、広告。写真の物は、LX570で、価格は、1,100万円。医者等(ちなみに、同じ富裕層でも、(ある程度、お金を稼いでいる)中小企業の社長ならば、Lexusならば、LSを選ぶ事が、多いイメージ)、完全に、富裕層向けですね。。。
裏面は、少し、お金を稼いでいる、若い層・比較的若い層向けの、広告と言った感じ。。。左側は、「IS200t turbo」を中心とした広告。右上は、「NX200t turbo」の広告。右下は、「NX300h hybrid」の広告。Lexus ISは、初代の物(1998年にデビュー(debut)。日本国内では、Lexusのブランド(brand)ではなく、Toyotaのブランド(brand)で、Altezzaと言う名前で販売されていた)は、日本国内では、高級車(高級自動車)でも、何でもなく、平凡な若者(中小企業に勤める、平凡な、若い、会社員等)が、普通に、買える自動車でしたが(事実、私が20代前半の頃の、同世代(当時、20代初め)の友人の一人で、高校卒業後、2年制の専門学校を卒業し、従業員5人以下の、会計事務所の事務員として働いていた友人(男)が、当時、初代のLexus IS(Toyota Altezza)に乗っていました)、先代の物(2代目の、Lexus IS。2005年にデビュー(debut))からは、富裕層と言う程ではないが、少し、お金を稼いでいる、比較的、若い層(20代後半から40代前半くらいの層)が乗る自動車と言うイメージになりましたね。これは、ライバル(rival)である、BMW 3 Seriesや、Audi A4 に通じるイメージですが、(厳密に値段を比較していないので、詳しい事は分からないのですが)、Lexus ISは、まだ、BMW 3 Seriesに、ブランド(brand)力も、値段も届かず、BMW 3 Series よりは、手頃な値段の自動車と言うイメージです。ちなみに、私の親戚の一人(私の、父方の、従兄の、お嫁さん(妻)(税理士))が、先代の(2代目の)、 Lexus ISに乗っています。現行の、Lexus IS(三代目の、Lexus IS。2013年にデビュー(debut))のデザイン(design)は、若い層・比較的、若い層(20代から40代初め位の層。まあ、気持ちが若い、中年層・高齢者層でも良いですがw)が乗る自動車としては、中々、格好良く、良いデザイン(design)だと思いますが(上の広告の写真よりも、実物の方が、良く見えます)、デザイン(design)に、落ち着きはない感じですね。先代の(2代目の)、Lexus ISのデザイン(design)は、現行の、Lexus IS(三代目の、Lexus IS)のデザイン(design)よりも、落ち着いていましたが、今度は、個性が、少し足りない感じで。。。高級車(高級自動車)のデザイン(design)は難しいですね。。。
東京midtown(東京都心部の主要な住商複合地区の一つ。東京都心部の中でも中心的な地域の西南部に位置する)の広告。東京midtownの、それなりの、しっかりとしたレストランは、強気の価格設定なので、同じ水準の食事をするのならば、東京midtown以外のレストランで食べる方が、安く食べる事が出来ます。