参考に、以下、「」内。私の前の投稿文より。。。
「私は休日を外で過ごす事は好きで、美味しい物を食べる事、自然の中を散歩する事、温泉に入浴する・温泉旅館等の温泉宿泊施設に宿泊する事、芸術や花を愛でる(鑑賞する)事等は、好きなのですが、本格的な登山やキャンプ等のアウトドアは好みません。
私は、交際する女性との趣味が合うか合わないかと言う事は、若い頃は気にしなかったのですが、成熟した大人になってからは、私と趣味が合う女性を好きになるプラス交際相手の女性が、私色に染まってw、私と趣味が合って来ると言う事を合わせて、私と趣味が合う女性と交際するようになりました。」
ちなみに、私の今の彼女と、私の元カノは、元々、面識はあり、知り合い同士であったのですが、今は、親しい友人同士となっています。
参考に、以下、「」内。2018年に行った投稿から抜粋して来た物です。
「前述の通り、実は、私の気が多い性格から、私の今までの、恋愛の結末のほとんどが、交際相手の女性にとっては、GO
BANG‘Sの曲の、「BYE-BYE-BYE」の歌詞のような結末で終わらせてしまったのですが(本当に、ごめんなさい)、私が当時、交際していた女性(私の元カノ)と別れた原因も、私が当時、交際していた女性(私の元カノ)には、本当に、申し訳なかったのですが、私が、私の今の彼女の事を、とても好きになってしまった事です(ちなみに、その時、私の今の彼女は、とても若かったのですが、その時、私は、別に、私の今の彼女の、その点に、惚れた訳では全くありませんw)。
私は、私の元カノと、親しい友人として、現在まで、ずっと交流が続いています。ちなみに、私の元カノは、私と別れた後、今、夫となっている男性(結婚した男性)とは違う男性達との交際やデートの経験を経て(ちなみに、私は、その事に関して、よく、その元カノの相談に乗る等していました)、比較的、最近の話なのですが、優しく頼りがいのある素敵な男性(彼女の事を、十分に幸せにしてくれるであろう男性。ちなみに、その男性は、長身でイケメンですw)を見つけて結婚をし、今は、主婦として幸せに暮らしています。
また、私の今の彼女と、私の元カノは、元々、面識はあり、知り合い同士であったのですが、今は、親しい友人同士となっていて、私の今の彼女と、私が当時、交際していた女性(私の元カノ)は、二人きりで遊びに出掛けたりもしています。二人とも、趣味や価値観があって、とても仲が良いようです。それは、もしかしたら、前述の通り、私は、交際する女性との趣味が合うか合わないかと言う事は、若い頃は気にしなかったのですが、成熟した大人になってからは、私と趣味が合う女性を好きになるプラス交際相手の女性が、私色に染まってw、私と趣味が合って来ると言う事を合わせて、私と趣味が合う女性と交際するようになったのですが、その事も、関係しているのかもしれませんw」
以下、基本的に、2011年の8月の前半に行った投稿の再掲で(投稿文は、2011年の8月の前半の投稿を前提としています)、2011年の6月の下旬に、当時交際していた、私の元カノと、日光(nikkko)に、一泊二日の小旅行に行って来た時の物です。
6月の下旬に、日光(nikko。箱根(hakone)と共に、東京近郊を代表する観光地・保養地・避暑地)に1泊2日で、小旅行に行って来た時の物です。
私は、この時も、そうでしたが、日光(nikko)に、遊びに行く時は、通常、電車を使って行きます。
写真以下47枚。この時、初日に訪れた、日光(nikko)田母沢(tamozawa)御用邸記念公園。日光(nikko)田母沢(tamozawa)御用邸記念公園は、日本の天皇家の、かつての、日光(nikko)の御用邸(別荘)(日光(nikko)田母沢(tamozawa)御用邸)の一部(中心部分)で、現在は、日光(nikko)が属する、栃木(tochigi)県(東京圏の北端に位置する県)が、保有・管理し、一般公開していて、日光(nikko)の観光場所の一つとなっています。日光(nikko)田母沢(tamozawa)御用邸記念公園は、前から、ちょっと気になっていたのですが、この時、初めて、訪れました。日光(nikko)の観光場所と言えば、どうしても、華厳(kegon)の滝や、世界遺産の日光(nikko)東照宮(toshogu)が人気(有名)で、日光(nikko)田母沢(tamozawa)御用邸記念公園は、日光(nikko)の観光地の中では、どちらかと言えば、有名ではない(それ程知られていない)場所ですが、中々、興味深く、見応えがありました。
日光(nikko)田母沢(tamozawa)御用邸は、19世紀後期以来、日本の上流階級(貴族・実業家等)及び、(日本・日本以外の東アジア・東南アジア在住の)欧米人富裕層の、別荘地・避暑保養地として有名であった日光(nikko)に、1899年に整備された、天皇家の、日光(nikko)の別荘です(1947年に廃止)。日光(nikko)田母沢(tamozawa)御用邸は、第二次世界大戦当時、まだ、学習院(gakushuin)初等科(学習院(gakushuin)大学付属の小学校)の小学生であった、今上天皇(現在の天皇)の疎開(sokai)(下の補足説明参照)先ともなりました。
疎開(sokai):戦争中、空襲の被害から逃れる為、空襲の被害を受け易い、大都市や中都市(中規模程度の人口の都市)の中心部を離れ、郊外や田舎に、一時的に滞在若しくは、一時的に移り住む事で、第2次世界大戦中、空襲の被害が大きかった、日本とヨーロッパでは、盛んに、行われました。比較的裕福な層は、郊外や田舎に、家を購入して移り住んだり、(元々保有していた)郊外や田舎の別荘に滞在する事が可能でしたが、庶民は、(田舎から大都市に出て来ている場合等は)実家を頼るか、若しくは、親戚を頼るか、学校疎開(学校毎の疎開(sokai))に、子供を送るしかありませんでした。
かつての、日光(nikko)田母沢(tamozawa)御用邸の敷地の中心部分(面積約23,000平方m(約7,000坪))は、元々、日光(nikko)出身の、銀行家(地方の銀行の社長)、小林
年保(kobayashi
nenpo)の別荘で、「別荘庭園田母沢(tamozawa)園」と呼ばれていました(その庭園は、鳴虫(nakimushi)山を借景(庭園外の山や樹木などの風景を、庭を形成する背景として取り入れた物)とし、敷地内には、田母沢(tamozawa)川を取り入れた、広大な物でした)。国は、小林(kobayashi)家の別荘(別荘庭園田母沢(tamozawa)園)を買い取り、それを基に、周辺の土地と合せて、1899年に、天皇家の、日光(nikko)の別荘(日光(nikko)田母沢(tamozawa)御用邸)(敷地面積107,000平方m(約32,000坪))として、整備しました。
日光(nikko)田母沢(tamozawa)御用邸の建物は、当初、元(かつての)、小林(kobayashi)家の別荘の建物に、19世紀に建てられた建物を移築し、さらに、新たな部分(新築部分)を加えた物で、床面積は、約2,800平方m(約850坪)でしたが、その後、小規模な、増改築を経て、1918年から、大規模な増改築が行われ、1921年に、最終完成形(メイン(main)の建物・付属の建物を合せて、建物の床面積は、約8,000平方m(約2,400坪))となりました。

日光(nikko)田母沢(tamozawa)御用邸記念公園の園内図(map)。現在は、かつての、日光(nikko)田母沢(tamozawa)御用邸の敷地の一部(中心部。敷地面積39,390平方m(約12,000坪))が、栃木(tochigi)県が、所有・管理する、日光(nikko)田母沢(tamozawa)御用邸記念公園として、一般に公開されています。
写真以下2枚。日光(nikko)田母沢(tamozawa)御用邸記念公園のパンフレット(leaflet)から。。。

日光(nikko)田母沢(tamozawa)御用邸記念公園に、保存・公開されている、かつての、日光(nikko)田母沢(tamozawa)御用邸の、メイン(main)の建物を、空から見た写真。かつての、日光(nikko)田母沢(tamozawa)御用邸の、メイン(main)の建物は、日本伝統式の建物(近代日本伝統建築)で、基本的に、平屋建て(一階建て)の建物であり、床面積は、4,471平方m(約1,350坪)あります。当初、元(かつての)、小林(kobayashi)家の別荘の建物に、19世紀に建てられた建物(最も古い物は、1840年に建てられた物)を移築し、さらに、新たな部分(新築部分)を加えた物でしたが、その後、小規模な、増改築を経て、1918年から、大規模な増改築が行われ、1921年に、最終完成形(現在の姿)になりました。

日光(nikko)田母沢(tamozawa)御用邸記念公園に、保存・公開されている、かつての、日光(nikko)田母沢(tamozawa)御用邸の、メイン(main)の建物の間取り図。部屋数は、106あります。
写真以下44枚。この時、私が撮影した、日光(nikko)田母沢(tamozawa)御用邸記念公園(かつての、日光(nikko)田母沢(tamozawa)御用邸の中心部(メイン(main)の建物、及び、その周辺の庭園等)。保存、一般公開されている、かつての、日光(nikko)田母沢(tamozawa)御用邸の、メイン(main)の建物は、19世紀後期から1920年代にかけて、東京圏及び、その周辺の保養地に、数多く(たくさん)造られた御用邸(天皇家の別荘)の、メイン(main)の建物の中で、(ほぼ)第二次世界大戦前の姿のまま、全体が、ほぼ完全に現存する貴重な例として、2003年に、国の文化財に指定されています(1947年に、日光(nikko)田母沢(tamozawa)御用邸(天皇家の日光(nikko)の別荘)が廃止された後、博物館、宿泊施設等を経て、荒廃した状態にあった物を、1996年に、栃木(tochigi)県が取得。約3年をかけて、柱等をクリーニング(cleaning)する等の修復・整備を行い、周辺の庭園等(かつての、日光(nikko)田母沢(tamozawa)御用邸の一部(中心部))と合せて、日光(nikko)田母沢(tamozawa)御用邸記念公園として整備し、一般に公開しました)。日本は、歴史的に、木材が、豊富な国であり(現在も、日本の国土に占める森林(森)の割合は、約70%と、フィンランド(Finland)、スウェーデン(Sweden)と並び、先進工業国の中だけでなく、世界でも、最高classにあります(世界平均は、約30%。
2005年の統計))、伝統的に、木造建築文化の国ですが、国の文化財となっている、かつての、日光(nikko)田母沢(tamozawa)御用邸の、メイン(main)の建物は、木造建築文化の国の、君主(emperor)の、木造(木造建築)の近代別荘建築として、世界的に見て、貴重な(個性的な)物だと思います。





































写真に見える花は、九輪草と言う花です。







写真以下2枚は、参考に、イタリア大使館別荘記念公園のパンフレット(leaflet)から。。。イタリア大使館別荘記念公園は、前から、ちょっと気になっているのですが、まだ、訪れた事がありません(今後、気が向いたら、訪れようと思っています)。イタリア大使館別荘記念公園は、日光(nikko)の中禅寺(cyuzenji)湖の湖畔にある、かつての、在日本イタリア大使の別荘(別荘の建物は、1928年に建てられた物)で、1997年まで、歴代の、在日本イタリア大使が、別荘として使用してきましたが、(イタリアの国家予算の削減の一環か?)、イタリアが、栃木(tochigi)県に売却し、栃木(tochigi)県は、これを、歴史資料館として整備し、一般に公開している物です。大量生産・大量消費社会(一般大衆が、消費及び社会の中心を担う時代)の到来により、第二次世界大戦後は、ヨーロッパ(及び日本)の富裕層にとって、最早、良き時代ではなくなりましたが、現在は、特に、日本及び、西ヨーロッパ・南ヨーロッパの成熟した先進工業国においては、高齢化社会、経済の停滞(経済成長の限界)、社会保障費の高騰等により、(低所得者層を含む)一般大衆にとっても、良き時代ではなくなりつつあるのかもしれません。。。


写真左下は、かつての、在日本イタリア大使の、日光(nikko)の別荘の付属の建物。
以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)に続く。
日光lakesideホテル→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/4065258?&sfl=membername&stx=nnemon2