日本は、第一次世界大戦(1914年から1918年)が終る頃には、名実共に、工業国且つ世界の大国(列強)の一つとなりましたが(日本は、第一次世界大戦後は、戦勝国且つ資本主義工業国且つ大国として、イギリス、フランス、イタリアと共に、国際連盟(League of nations)の発足時の常任理事国となりました)、その一方で、日本と、(日本よりも遥かに前から、強力に工業化やインフラ(infrastructure)整備を推し進めていた)イギリス、ドイツ、アメリカ等との差は、ずっと大きく、また、日本は、途中、第二次世界大戦において、各産業が壊滅的な損害を被った事等もあって、(日本は)、1960年代初め頃まで(特に1950年代頃まで)は、南欧諸国(イタリア、スペイン、ポルトガル(Portugal)、ギリシア(Greece))等と共に、資本主義工業国(若しくは、資本主義的な工業国。第二次世界大戦後は、西側先進工業国)の中では、最も貧しく、農業国的で、後進的なグループ(group)に属していました。
日本の近代造船の歴史は、19世紀中期に始まりましたが、その後、(島国である日本において、国防上・経済(貿易)上、重要な産業であった事から)国策事業として、国の支援を受けながら、日本の造船業は、急速に成長し、日本は、造船先進国へ追いついて行きました。
1914年に第一次世界大戦が起こり1918年まで続きました。この間、日本の造船業は、空前の好況に恵まれ、1917年には、進水量において、アメリカ、イギリスに次いで、世界3位を記録しました。
第二次世界大戦以前から、日本は、既に、世界有数の造船技術を持っていた為、(それを基に発展した、第二次世界大戦後の日本の)造船業は、第二次世界大戦後の、日本の経済復興と経済成長の、主要な原動力の一つとなりました。日本の造船業は、1956年に、イギリスを抜いて、世界一位となりました。
以下、参考の投稿。
大和ミュージアム・宇宙戦艦ヤマト他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3903429/page/28?&sfl=membername&stx=nnemon2
日本の近代の船の歴史後編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3877760?&sfl=membername&stx=nnemon2
大和ミュージアム・宇宙戦艦ヤマト他(韓国語)→
https://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_11/view/id/3903429/page/28?&sfl=membername&stx=nnemon2
日本の近代の船の歴史後編(韓国語)→
https://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_11/view/id/3877760?&sfl=membername&stx=nnemon2
日本の飛行機の技術は、第一次世界大戦と、第二次世界大戦の、戦間期の後期(1930年代後半)には、世界水準に達しました。
以下(すぐ下でリンクを付けた投稿)、参考の投稿。
日本の飛行機の歴史他1→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3890065?&sfl=membername&stx=nnemon2
日本の飛行機の歴史他1(韓国語)→
https://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_14/view/id/3890065?&sfl=membername&stx=nnemon2
日本は、第二次世界大戦前から、自動車の、開発・生産を行っていましたが、当時の、日本の自動車産業は、国内の需要を満たす為に存在していたと言った感じで、総合的に、世界に、大規模に自動車を輸出出来る程の、技術力・競争力は、有していませんでした。
第二次世界大戦において、敗戦国となった(連合軍に対して、無条件降伏した)日本は、連合国軍(実質的には、アメリカ)の機関により、第二次世界大戦後、しばらくの間、飛行機の開発・生産が禁止されてしまいました(大学の授業から航空力学の科目を取り除かれもしました)。これにより、(1930年代後半以降、第二次世界大戦までは、世界有数の飛行機の技術を有する国であった)日本の飛行機の技術の、発展は、しばらくの間、空白となって(途絶えて)しまいました。しかしながら、行き場を失った、日本の飛行機の開発者・技師(engineer)達の多くは、自動車産業へと移り(自動車の開発者・技師(engineer)へと転職し)、(もちろん、飛行機の技術と、自動車の技術は、似ている部分もあるが、異なる部分も多いので、それにより、日本の自動車技術が、直ちに、世界水準に達した訳ではなく、日本の自動車技術が、世界水準に達するには、時間がかかりましたが)、第二次世界大戦後の、日本の自動車技術及び自動車産業の発展の基礎を築くのに、少なからぬ貢献をしました。
以下(すぐ下でリンクを付けた投稿)、参考の投稿。
日本の飛行機の歴史他2→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3890064?&sfl=membername&stx=nnemon2
日本の飛行機の歴史他2(韓国語)→
https://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_14/view/id/3890064?&sfl=membername&stx=nnemon2
日産(nissan)自動車は、日本の、三大自動車会社(トヨタ(toyota)、日産
(nissan)、本田(honda))の一つです。日産(nissan)自動車(1911年創業。1910年代に乗用車の生産を開始)は、トヨタ(toyota)(日本最大、且つ、世界最大の自動車会社。1936年に乗用車の生産を開始)等と共に、日本の自動車会社の中では、比較的、乗用車の生産の歴史の長い会社であり、1980年代までは、トヨタ(toyota)と共に、日本の、2大、自動車会社でした(日産(nissan)自動車は、かつては、技術の日産(nissan)と呼ばれ、売れる(大衆の、消費者の、ニーズ(必要性)に応えて、商品力が高い)自動車を作るのは、日産(nissan)よりも、トヨタ(toyota)の方が上手でしたが、
日産(nissan)自動車は、トヨタ(toyota)よりも、高い、自動車の技術力を有していました)。
以下、Datsun 110/210に関しては、wikiを参考にしました。
Datsun 110/210は、日産(nissan)自動車が、1955年から1959年にかけて販売していた、小型の自動車です。
Datsun 110/210は、イギリスの、Mini(1959年から2000年にかけて販売)と、デザイン(design)が似ていますが、Datsun 110/210の方が、出たのが、先です(おそらく、Datsun 110/210も、Miniも、当時流行していた、自動車の、デザイン(design)の傾向を取り入れたのでしょう)。
Datsun 110は、日産(nissan)自動車が、1955年から1957年にかけて販売していた、小型の自動車です。
日本の乗用車の生産制限をGHQ(下の補足説明を参照)が解いたのが1949年であったと言う事情があった為、Datsun 110は、日本の乗用車の中で、最も、初期の頃に、第二次世界大戦前の自動車の技術ではなく、第二次世界大戦後の、現代的な技術に基づいて、開発・生産・販売された自動車の一つとなりました。
GHQ:正式名称は、連合国軍最高司令官総司令部(Supreme Commander of the Allied Powers)。第二次世界大戦の、日本の敗戦に伴い、日本において占領政策を実施した連合国軍(実質的にアメリカ)の機関。1952年、日本の、完全な、主権の回復により、活動を停止。
写真以下3枚(写真は、借り物)。Datsun 110(Datsun 110系自動車)。



写真の作者:Mytho88
Datsun 210(Datsun 1000とも言われる)は、Datsun 110の後継の自動車で、日産(nissan)自動車が、1957年から1959年にかけて販売していた、小型の自動車です。
写真以下4枚(写真は、借り物)。Datsun 210(Datsun 1000)(Datsun 210系自動車)。




Datsun 210(Datsun 1000)は、1958年に、オーストラリア(Australia)で開催された、オーストラリア(Australia)・モービルガス(Mobil)・トライアル(trial)に参戦しました。オーストラリア(Australia)・モービルガス(Mobil)・トライアル(trial)は、オーストラリア(Australia)大陸1周1万6,000 kmを、19日間で走破する、過酷なラリー(rally)でしたが(65台参加した自動車の内、完走出来たのは37台のみであった)、Datsun 210(Datsun 1000)は、参加した2台共、完走し、1台は、クラス(class)優勝(クラス(class)1位)(総合24位)、もう1台は、クラス(class)4位と言う、好成績(良い成績)を収めました。
ちなみに、日本国内市場において、Datsun 210(Datsun 1000)の、ライバル(rival)自動車(競合する自動車)は、トヨタ(toyota)自動車(日本の三大自動車会社(トヨタ(toyota)、日産(nissan)、本田(honda))の一つであると共に、日本最大の自動車会社、且つ、世界最大の自動車会社)の、トヨタ(toyota)コロナ(CORONA)の初代の自動車(1957年から1960年に販売)でした。
トヨタ(toyota)コロナ(CORONA)の初代の自動車、及び、トヨタ(toyota)コロナ(CORONA)に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
トヨタ・コロナ→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/4028763/page/17?&sfl=membername&stx=nnemon2
トヨタ・コロナ(韓国語)→
https://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_26/view/id/4028763/page/17?&sfl=membername&stx=nnemon2
以下、参考の投稿・関連投稿。
Datsun FAIRLADY→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/4041571?&sfl=membername&stx=nnemon2
日産 FAIRLADY Z→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/4041572?&sfl=membername&stx=nnemon2
Datsun FAIRLADY(韓国語)→
https://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_26/view/id/4041571?&sfl=membername&stx=nnemon2
日産 FAIRLADY Z(韓国語)→
https://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_26/view/id/4041572?&sfl=membername&stx=nnemon2