この投稿は、前に、kjで行った、「初めて買ったCD」と言う投稿に、内容を付け加えて、編集したものです。IE等で、写真が見られない場合は、Firefoxで、ご覧下さい。
この投稿の、動画・曲は、全て、you tubeから借りて来た物です。
IE等で、この投稿の写真が見られない場合は、FireFoxで、ご覧下さい。
私が子供の頃(小学生の頃)の写真です(前に、我が家の近所の実家を訪れた際に、出て来た、古い写真の中から、私が写っている物の一部を貰って来て、我が家に保管してある物の中から、一枚)。この写真は、一定期間経過後、削除するかもしれません(と書きつつ、使い勝手の良い写真なので、私の多くの投稿で使い回してしまっていますがw)。夏の休暇時期の写真で、とても日焼けしていますw 左側の帽子は、私の2歳年下の弟の帽子(私は兄弟姉妹は2歳年下の弟が一人います)、右側の帽子は、私の父の帽子で、写真は、私の母が撮影した写真です。服は、夏の休暇時期なので、とてもカジュアルな服装になっています(普段、小学校に通う時は、もう少し、お洒落をして行きましたw)。子供の頃(小学生の頃)は、夏の休暇時期は、この様な服で、飛び回っていました。 ちなみに、私の家族の肌の色は、父(白)、母(白)、私の弟(白)、私だけ、(おそらく私の母方の祖父の隔世遺伝で)どちらかと言えば黒です(ちなみに、どうでも良い事ですが、家族全員、酒飲みで、酒には強いですw)。例えがイケメン俳優さんで申し訳ありませんがw、私の肌の色は、調度、竹野内 豊さんと同じ位の感じです(ちなみに、どうでも良い事ですがw、私よりも竹野内豊さんの方がまあまあ年上です)。この写真は、いつ頃、撮影された写真か、記憶が定かではないのですが、たぶん、Bon Joviごっこをしていたw(Bon Joviごっこをし始めた)、小学校、高学年の頃の写真です。上の写真で見て分かる通り、私は、子供の頃(小学生の頃)は、少し、丸々としていました(少し、太っていました)。
上の写真の詳細に関しては、以下の投稿を、参照して下さい。
適当に雑多なJ-pop(日本語)→
http://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_2/view/id/2572135?&sfl=membername&stx=jlemon
適当に雑多なJ-pop(韓国語)→
http://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_2/view/id/2572135?&sfl=membername&stx=jlemon
「きまぐれオレンジロード(Kimagure Orange Road)」の、TVアニメシリーズ(TV anime series)(1987年から1988年にかけて放映)の、テーマ曲(Openingテーマ曲と終わりのテーマ曲)集です。「きまぐれオレンジロード(Kimagure Orange Road)」は、1980年代の、日本の、中学か高校(どちらか忘れた)を舞台とした、青春物の、漫画・TVアニメシリーズ(TV anime series)です(漫画は、1984年から1987年。アニメ(anime)は、1987年から1988年)。「きまぐれオレンジロード(Kimagure Orange Road)」の当時、私は、まだ小学生でしたが、将来(中学生・高校生になったら)、「きまぐれオレンジロード(Kimagure Orange Road)」の、主要な登場人物の一人である、鮎川 まどか(ayukawa madoka)(黒髪(黒い髪)で、髪が、比較的、長い方の女性)のような、女性を、彼女にしたい(鮎川 まどか(ayukawa madoka)のような女性に惚れられたい)と思ってましたw
今年の1月、彼女とデートした際に、東京駅の前で、彼女が、ふざけて撮った、私の写真。プライバシーの為、髪型(髪)まで、全て隠す為に、顔を隠す黒い部分は、ゆとりを持って、大きめに取ってあり、実際の顔は、黒い部分よりも、小さいですw ちなみに、私の肩の形の関係かな。。。私は、コート(coat)を着ると、体格が、良く見えますが、実際は、コート(coat)を着て見えるよりも痩せていますw(コート(coat)の中身は、痩せていますw)。
上の写真の詳細に関しては、以下の投稿を、参照して下さい。
東京(日本語)→
http://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_39/view/id/2538883?&sfl=membername&stx=jlemon
東京(韓国語)→
http://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_39/view/id/2538883?&sfl=membername&stx=jlemon
私は、小学校高学年で、聴く音楽に関して、親離れをし(親の影響下を脱し)、自分自身の(自分独自の)、音楽の趣味に目覚めるまでは、親(主に母親)の影響で、J-popやソフトな(柔らかい)洋楽(イギリス・アメリカを中心とした西洋の)pop等を聴いていました。
そんな、親(母親)の影響で、よく聴いていた、J-pop・ソフトな(柔らかい)洋楽(イギリス・アメリカを中心とした西洋の)pop等の一つに、Duran Duranがあります。ちなみに、Duran Duranのベーシスト(bassist)、John Taylorは、小学生の頃、思い出せる限り、男ながら、漫画・アニメの登場人物以外で、初めて格好良いと思った男の一人です。ちなみに、私は、別にホモではありませんw(と言うか、自分では、かなりの女好きの(女性が好きな)男だと思いますw)。
Duran Duran-「Notorious」(1986年)。
前述の通り、私は、小学校高学年で、聴く音楽に関して、親離れをし(親の影響下を脱し)、自分自身の(自分独自の)、音楽の趣味に目覚めるまでは、親(主に母親)の影響で、J-popやソフトな(柔らかい)洋楽(イギリス・アメリカを中心とした西洋の)pop等を聴いていたのですが、小学校高学年の時、Bon Joviを、初めて聴いた際に、こんな音楽があるのかと衝撃を受け、以来、hard rock・ heavy metalの魅力に取りつかれ、中学生の頃、hard rock・ heavy metalを、とても、よく聴いていました(CDも、たくさん買いました(CDもたくさん、持っていました))。
ちなみに、Bon Joviは、世界的に人気が出る前に、日本で、むしろアメリカ国内よりも(たぶん)、人気があったのですが(日本の若い女性達にアイドル的な人気を博していた)、そんな、日本で、若い女性達に、アイドル的な人気を博していた頃の、Bon Joviは、当時、私は知らなくて(その当時は、まだ、私は、親の影響下で、J-popやソフトな(柔らかい)洋楽(イギリス・アメリカを中心とした西洋の)pop等を聴いていた)、私が、Bon Joviを知ったのは、Bon Joviが世界的に人気が出てからです(Bon Joviの3作目のアルバム、「Slippery When Wet(日本名、ワイルド・イン・ザ・ストリーツ)」(1986年)が、世界的に、ヒットしてからです)。
私が、小学校高学年の頃、生まれて初めて、自分の意志で、且つ、自分の、お小遣いで買ったCDは、Bon Joviの3作目のアルバム、「Slippery When Wet(日本名、ワイルド・イン・ザ・ストリーツ)」(1986年)です。ちなみに、当時、私は、異性に目覚めている部分はありましたが、まだ、性欲には目覚めていなかったのですが、「Slippery When Wet(日本名、ワイルド・イン・ザ・ストリーツ)」の、日本版のジャケット(と言うか、日本版のジャケットが、元々のジャケットで、アメリカ国内版のジャケットは、元々のジャケットが、過激過ぎる等と言った理由で、差し替えられた物であるようです)が、恥ずかしいと言う認識はあり、それを誤魔化す為等の理由で、EUROPEのアルバム、「The Final Countdown」(1986年)も、その時、一緒に買ったのは内緒ですw(と言うか、別に内緒ではありませんw ちなみに、「The Final Countdown」も、いいアルバムでした)。
小学校高学年から中学校2年生頃、家で、Bon JoviのCDをかけながら、鏡に自分を映して、Bon Joviのボーカリスト、Jon Bon Joviの歌真似をして、一人で、Bon Joviごっこをしていたのは、赤面の(恥ずかしい)思い出ですw しかしながら、この小学校高学年から中学校2年生頃の赤面の(恥ずかしい)行為(Bon Joviごっこ)が、後に、意外な所で、役に立ち、若い頃(大学生の頃)、北米(アメリカ・カナダ)の、カラオケ(karaoke)バー・カラオケ(karaoke)パブに客として訪れ、店のステージで、Bon Joviを歌った際に、店内の客達に、大うけしましたw
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Bon Jovi-「You Give Love a Bad Name」(1986年)。私が、小学校高学年の時、生まれて初めて買ったCD、「Slippery When Wet(日本名、ワイルド・イン・ザ・ストリーツ)」(1986年)の収録曲です。
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Bon Jovi-「I"ll Be There for You」(1988年)
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Bon Jovi-「Living in Sin」(1988年)。
前述の通り、私は、小学校高学年の時、Bon Joviを、初めて聴いた際に、こんな音楽があるのかと衝撃を受け、以来、hard rock・ heavy metalの魅力に取りつかれ、中学生の頃、hard rock・ heavy metalを、とても、よく聴いていましたが(CDも、たくさん買いました(CDもたくさん、持っていました))、Skid RowとL.A. Gunsは、私が中学生の頃、とても好きであった、bandです。L.A. Gunsに関しては、中学から高校の初めにかけて好きでした(当時、Guns N" Rosesも好きでしたが、L.A. Gunsの方が、より好きでした)。
Skid Row-「I Remember You」(1989年)。
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L.A. Guns-「The Ballad of Jayne」(1989年)。ちなみに、L.A. Gunsの、ボーカリスト(vocalist)、Phil Lewisの、奥さん(妻)は、日本の、一般人の(たぶん。。。)、女性です。
以下、おまけで、前に行った投稿の中から、抜粋して来た物です。
私は、東京生まれ、東京育ちで、個人的に、若い頃(特に高校生から20代の前半にかけて)、東京の都心部等のclub(nightclub)で、よく、夜遊びしたり、よく、合コン(友人や知り合い等の紹介による、男女が、知り合う為の、居酒屋等での、飲み会や食事会。日本では、大学生等の学生位の年齢(18歳位)から20代位の年齢の若者の間で、盛んに行われている)に参加する等して、よく遊んでいました。ちなみに、今は、落ち着いて、真面目なw、大人となっています。
私は、高校時代(私の高校生活は)、爽やかな面も、あった事はあったのですが、素朴で、爽やかな青春と言うよりは、どちらかと言えば、(当時、当時の私と同じ位、程度の低かったw、友達達と共に)、club(nightclub)等で、よく、夜遊びしたり、(私は、普通の、男女共学の高校に通っていて、学校内の、女の子達とも、仲良くしていたのですが)、よく、他の高校に通う、女の子達等と、合コン(友人や知り合い等の紹介による、男女が、知り合う為の、居酒屋等での、飲み会や食事会。日本では、大学生等の学生位の年齢(18歳位)から20代位の年齢の若者の間で、盛んに行われている)したりして、また、ここでは書けないような事をしたりして(人を傷つけるような事ではありません)、どちらかと言えば、都会の、荒くれた(率直に言ってしまえば、爽やかと言うよりも、どちらかと言えば、猥雑で、堕落して、馬鹿っぽい(馬鹿のような))高校生活を送っていましたw(まあ、それは、それで、楽しかった)。
私は、学生(高校生・大学生)の頃は、今と違い、外見を派手に飾り立てていて、ヘソにピアスを開けていた事もあります(まあ、後述するように、ヘソにピアスを開けていた期間は、それ程、長くなかったのですが)。
私は、学生時代、耳(耳たぶ)とヘソにピアスを開けていた時期があったのですが、(男ですが)軟弱者で、両方共、他人に開けて貰いました。
私は、耳(耳たぶ)の方は、当時、親しくしていた女の子に、ヘソの方は、そうした事が得意な、当時の、男性の友人の一人(優しくて、いい奴でしたが、「穴あけ名人」ある事を、女性を口説く手段にも使っていましたw)に開けて貰いましたw ちなみに、ヘソのピアスに関しては、ヘソにピアスをしていた事で、具体的に健康に影響があった訳ではありませんが、何だか、違和感があって、ヘソのピアスは、それ程、長い期間していませんでしたw 私は、東洋医学の、体のツボのような事は、あまり信じない方ですが、それでも、何だか、内臓に近い場所に絶えず穴を開けて置くと言うのは、体に良くないような気がしますw
前述したように、私は、学生の頃、外見を派手に飾り立てていて、また、年齢も若かった事もあって、街を歩けばホストのスカウトの声がかかったりしてました(ちなみにホストなんて絶対やる気がしませんでしたw)。また、芸能人・モデル(model)事務所の人から、スカウトの声をかけられる事もありましたが、その様な世界は、興味がなかった為、全て、断っていました(私は身長は176cmから177cmで、モデル(model)としては、身長が物足りないと思いますし、俳優をするにしても、(そもそも、演技なんてした事ないですが)、演技なんて出来ないと思います。何れにしても、その様な世界に入っても、成功しないまま、無駄な時間を費やして、ストレスだけ抱えて、芸能人・モデル(model)事務所をやめて終わったと思いますw また、そもそも、芸能人・モデル(model)事務所を名乗っていても、詐欺だったのかもしれませんし。。。)。
私は、若い頃、私の疑似的な弟と言った、男性の親友がいました。以下、その、私の若い頃の、男性の親友について書きます。
以下、参考に、しばらく、大島 薫(ooshima kaoru)について紹介します。以下、大島 薫(ooshima kaoru)についてはwikiを参考にしました。
写真は借り物。写真左、堀江 貴文(horie takafumi)。写真右、大島 薫(ooshima kaoru)。堀江 貴文(horie takafumi)(1972年生まれ。九州(kyusyu)(日本の南部)出身。東京大学(東京にある国立の大学で、日本を代表する名門大学)中退)は、日本の実業家です。かつては、自分の経営している会社の株(株式)等で、日本有数の、金持ちとなりましたが、2006年に、証券取引法違反により逮捕されました。裁判を経て、2011年に刑務所に収監され、2013年に釈放されました。その後は、前程、目立ちませんが、地道に、実業家やタレント(テレビに出演する事等を職業とする人)等として活動を行っています。堀江 貴文(horie takafumi)は、一時期(2016年頃)、大島 薫(ooshima kaoru)との交際を噂されていました。私は、大島 薫(ooshima kaoru)の事は、堀江 貴文(horie takafumi)の、大島 薫(ooshima kaoru)との交際の噂のニュース(報道)で初めて知りました(私は、大島 薫(ooshima kaoru)の事は、それまで知りませんでした)。ちなみに、堀江 貴文(horie takafumi)は、普通に、女が好きな男性のようで、別に、ゲイ(gay)ではない様です。堀江 貴文(horie takafumi)は、大島 薫(ooshima kaoru)と、実際に、交際していたのかどうかは分からないようですが、堀江 貴文(horie takafumi)と大島 薫(ooshima kaoru)が、一緒に、ホテルに宿泊した事があるのは事実な様です(また、大島 薫(ooshima kaoru)の話によれば、堀江 貴文(horie takafumi)との間に、少なくとも、肉体関係はあったようです)。
大島 薫(ooshima kaoru)(1989年生まれ。身長165cm)は、元(かつての)、女性の役として、AV(日本の、porn作品)に出演する、AV(日本の、porn作品)俳優(男性)です。日本系、ブラジル(Brazil)人ですが、幼い頃から、日本に暮らし、日本で育ちました(大阪(東京に次ぐ、日本第二の都市圏人口を有する都市)育ち。私の推測なので間違っていたら申し訳ありませんが、おそらく、割と、貧しい家庭で、育ったのではないでしょうか)。大島 薫(ooshima kaoru)は、あくまで、男性であり、性転換手術や女性ホルモンの注射等は、行っていない様です。大島 薫(ooshima kaoru)は、15歳から、趣味で、女装(女性の服を着たり、女性のような化粧をする事)を始め、女装(女性の服を着たり、女性のような化粧をする事)のまま、男性とsexを経験した事もあり、生活の為に、ゲイ(gay)の、AV(日本の、porn作品)に出演したりしましたが、それまでの、男性とのsex経験は、あくまで、趣味としての、女装(女性の服を着たり、女性のような化粧をする事)から来る、男性とのsex経験であった為、男性として、男性とsexをする、ゲイ(gay)業界に疑問を抱き、2010年代初め頃から、女性の役として、AV(日本の、porn作品)に出演する、AV(日本の、porn作品)俳優となり活躍し、2015年に引退してからは、地味に(目立たなく)、タレント(テレビに出演する事等を職業とする人)等として活動を行っている様です。大島 薫(ooshima kaoru)は、男性への性的な興味は、女装(女性の服を着たり、女性のような化粧をする事)の趣味を通じての物で、恋愛の対象は、基本的に、女性であるとしていますが、女性に性転換手術をした男性と交際していた事もある様です。ちなみに、大島 薫(ooshima kaoru)は、現在は、本人(大島 薫(ooshima kaoru))と同様の、趣味で、女装(女性の服を着たり、女性のような化粧をする事)を行う男性と交際している様です。
写真以下5枚。写真は、借り物。大島 薫(ooshima kaoru)。後述する、O君は、私の親友であった若かった頃、以下5枚の写真の、大島 薫(ooshima kaoru)に顔が似ていました。





以下、私の若い頃の、親友の一人で、上で紹介した、大島 薫(ooshima kaoru)の、この投稿でアップ(upload)した上の5枚の写真の顔に、当時、顔が似ていた男性について書きます。その男性の名前については、以下、(大島 薫(ooshima kaoru)の、この投稿でアップ(upload)した上の5枚の写真の顔に、当時、顔が似ていた事から)、仮にO君と書きます。
O君の顔は、上の5枚の写真の、大島 薫(ooshima kaoru)の顔に、そっくり(完全に同じ位に、とてもよく似ている)と言う程ではありませんが、似ていました。
ちなみに、O君は、大島 薫(ooshima kaoru)のような、女装(女性の服を着たり、女性のような化粧をする事)の趣味はなく、髪も男性にしては長かったですが、女性のように長いと言う程でもなく、髪型、及び、髪の長さは、私は、ホストについては、あまり詳しくないのですが、ホストによくあると言った感じの(イメージの)、髪型、及び、髪の長さでした。髪の色は、茶色く染めていた時もありましたし、地毛の黒い髪の時もありました。
身長は、大島 薫(ooshima kaoru)は、165cmと、とても小柄ですが、O君は、大島 薫(ooshima kaoru)よりかは、身長は高く、身長は、168cmから170cm位ありました。まあ、それでも、何れにしても、O君は、小柄な事は、小柄でした。
O君は、上の5枚の写真の、大島 薫(ooshima kaoru)の顔に、顔が似ていた通り、可愛い顔系の、イケメンで、女の子達に、モテモテでした(とても、もてていました)。
韓国では、男性の身長は重要な様ですが、日本では、小柄な男性でも、イケメンであったり、可愛い顔をしていれば、女性達に、もてます。
O君も、街を歩けばホストのスカウトの声がかかったりしていた様ですが、(私は前述の通り、学生の頃、芸能人・モデル(model)事務所の人から、スカウトの声をかけられる事もありましたが)、O君の場合、身長が、168cmから170cm位と小柄で、身長が足りなかった為か、芸能人・モデル(model)事務所の人から、スカウトの声をかけられた事は、一度もなかったそうです。ただ、O君は、下手な(平凡な)、ジャニーズのアイドルグループのメンバーよりも、ハンサムで可愛い顔をしていた為、(ジャニーズ事務所の採用の方式はよく分からないのですが)、O君が、その様な世界に興味があり、自ら、又は、ジャニーズのアイドルに有り勝ちな?w、(O君は、一人っ子でしたが)、仮にO君に、お姉さんがいたとして、お姉さんが、ジャニーズのオーディションに応募していたとしたら、O君は、少なくとも、ジャニーズのオーディションには、簡単に?、受かっていたような気がします。
私が、O君と知り合ったのは、私が、20歳の時で、O君は、当時、18歳でした。
O君は、元々、私が、当時、交際していた女の子の知り合いで、私は、その女の子の紹介で、O君と知り合いました。私は、その女の子とは、短期間で別れたのですが、私とO君との、親友としての付き合いは、その後、長く続きました。
私とO君は、知り合って、間もなく、不思議と、お互いに惹かれ合い(惹かれ合いと言っても、私もO君も、ゲイ(gay)では、全くありませんし、二人とも、女好きの(女が好きな)男性ですw)、すぐに、とても仲良くなり、私が20代の初め頃から20代の半ば頃、O君が10代の終わりから、20代の初め頃、二人は、親友として、とても、よく、一緒に、遊んでいました。
O君は、調度、私の弟と、同い年の、私の2歳年下で、O君は、一人っ子であるので、O君は、私の事を、お兄ちゃんのように(私を、お兄ちゃん代わりとして)、とても、よく慕ってくれました。また、私も、O君も、とても、女好き(女が好き)と言う共通点がありましたw O君は、club(nightclub)での、女の子・女性のナンパ等、夜遊びの先輩としても、私の事を、よく慕ってくれました。ちなみに、私は、根本的に、shyな性格であるので、若い頃、(路上で、女性を、ナンパした事は、全くない訳ではありませんが)、路上では、女性をナンパする事は、ほとんどありませんでしたが(路上等での、女性のナンパは、苦手でしたが)、club(nightclub)での、女性のナンパは、個人的に、大丈夫でした。O君と二人で、よく、夜遊びをし、club(nightclub)で、女の子・女性をナンパしましたし、また、それぞれ、当時、交際していた女の子を連れて、4人で、よく、ダブルデート(double date)に出掛けて、遊んでいたりしていました(私も、O君も、それぞれ、当時、女性の入れ替わりが激しかったので、ダブルデート(double date)において、私も、O君も、女性は、よく入れ替わっていましたがw)。ちなみに、O君は、AV(日本の、porn作品)を見るのも、好きで、交際している女性と一緒にAV(日本の、porn作品)を見るのも好きでした。ちなみに、私は、男と一緒に、AV(日本の、porn作品)を見る気はせず(AV(日本の、porn作品)は見るならば、一人か、又は、交際している又は親密な、女性と見るのが良い)、O君と一緒に、AV(日本の、porn作品)を見た事はありません。
私も、O君も、当時、外見を派手に飾り立てていて、私と、O君が、夜の繁華街を、二人で歩いていると、キャバクラ(kyabakura)(下の補足説明参照)の、客引きの男性達が、(私達が通ると)、「こいつ等(私とO君)は、キャバクラ(kyabakura)で、ホステス(hostess)から金を巻き上げられるよりも、ホストとして、ホストクラブに客として来た、ホステス(hostess)から金を巻き上げる方だろう」と言った感じで、一歩、後ずさったりしていましたw また、当時、私と、O君が、二人で歩いていて、何故か、ホストクラブの客引きの、若いホストに、会釈された事もありますw
キャバクラ(kyabakura):日本の特殊な飲食店の形態の一つで、女性が、会話等で、男性の接待を行う形式の、酒(アルコール(alcoholic)飲料)を提供する飲食店。キャバクラ(kyabakura)は、日本では、大都市の、大規模な繁華街を中心に多くあります。ちなみに、私は、昔から(若い頃から)、キャバクラ(kyabakura)には、全く、興味がなく、キャバクラ(kyabakura)は、仕事の取引先の方と、東京都心の繁華街の、キャバクラ(kyabakura)に、何度か、訪れた事があるだけです(私生活において、キャバクラ(kyabakura)を訪れる気には、全くなりません)。ホステス(hostess)は、日本においては、キャバクラ(kyabakura)に勤務する女性を意味します。ホステス(hostess)は、売春婦とは異なり、ホステス(hostess)の仕事には、sex等、性的な物は、含まれていません(愛人関係等、客と、男女(男と女)の関係等になる事はあるが、それは、ホステス(hostess)としての職業の範囲外での話)。
O君は、ギター(electric guitar)が、とても上手で、高校生の頃は、(もちろんアマチュアで)、バンド活動をしていて(O君は、バンドではギターを担当していました)、O君は高校生当時、女の子達の、ファンも、それなりに多くいたようです(もちろん、アマチュアバンドのメンバーとして)。O君は、高校卒業後は、バンド活動はしていませんでしたが、たまに、O君の友人が所属する、アマチュアバンドの、助っ人として、又は、ゲストとして、ステージでギターを弾く事があったのですが、その際には、観客の女の子達から、「あの格好良い(又は、イケメンの・可愛い)人は、誰?」と言った感じで話題になったようです(もちろん、アマチュアとして)。ちなみに、私は、高校生の頃は、バンド活動はしていませんでしたが、大学生の頃、Jロック系のバンド活動もしていて(もちろんアマチュアで)、バンドではボーカルを担当していましたが(ちなみに大学卒業後は音楽活動のような物は一切していません)、私とO君では、バンド活動していた音楽の分野が異なります(私はJロック系、O君は、Visual系・hard rock/ heavy metal系)。
O君は、高校を卒業した後、4年間程の間、専門学校に通ったり、アルバイトで、バーテンダー(bartender)として働いたり、アルバイトで、服店の店員として働いたりしながら、割と、ふらふらと過ごした後、20代の初め頃に、服関係の会社に正式に就職し、服関係の会社の会社員となりました。
前述の通り、私が20代の初め頃から20代の半ば頃、O君が10代の終わりから、20代の初め頃、二人は、親友として、とても、よく、一緒に、遊んでいましたが、私が20代の後期以降、O君が20代の半ば以降は、お互いに、仕事が忙しく、また、それぞれ、新たな交遊関係が出来た事等から、徐々に、お互いに会わなく・お互いに連絡を取らなくなり、親友・友人の関係は、自然消滅して行きました。O君とは、現在は、既に、連絡が途絶えていますが、O君は、頭が良く、何でも、器用に上手にこなせる男性であるので、何をやっているにしても(現在も、そのまま、服関係の会社の会社員として働き続けているにしても)、上手くやっているのではないでしょうか(ただし、O君が、結婚したと言う消息を聞かないまま、O君とは連絡が途絶えてしまったのですが、O君は、女癖が良くなかったので、それが直っていなければ、結婚しても、上手く行かないと思います(O君の浮気で、妻が苦労すると思います))。
O君は、母親一人、息子(O君)一人の、母子家庭で育ち、当時、実家で、母親と二人暮らしでした。O君の、母親は、未婚の母であり、O君は、O君の、母親が、キャバクラ(kyabakura)のホステス(hostess)として働いていた時に生まれた子供であり、O君の父親は、O君の、母親を妊娠させた後、どこかに逃げてしまったそうで、O君は、父親に一度も会った事がありませんでした。O君の母親は、私は、少し会った事がある程度ですが、O君に、顔が、よく似ていると言う訳ではなかったのですが、(水商売で働いている女性なので、化粧は濃かったですが)、可愛い顔をした女性であり、若い頃は、とても可愛かったのだろうなと言う面影を感じさせる女性でした(O君の、母親が、キャバクラ(kyabakura)のホステス(hostess)として働いていた若い頃、O君の、母親は、働いていた、キャバクラ(kyabakura)で、人気トップクラスのホステス(hostess)であったそうです)。O君の、母親は、当時、スナック(snack)(下の補足説明参照)を経営しており(スナック(snack)のママ(mama)をしており)、O君の、母親が経営する、スナック(snack)は、とても繁盛しており、O君の実家は(まあ、実家と言っても、O君の母とO君の二人暮らしでしたが)、金銭的に、ゆとりがありました。O君の実家は、下町(shitamachi)(旧市街。東京中心部(東京23区)の東部。基本的に、庶民的な街・住宅地となっている)にありましたが、立派で、広い、マンション(アパート)でした。
スナック(snack):私は、スナック(snack)を利用した事が、ほとんどないので、よく分かりませんが、スナック(snack)は、日本では、女性が経営をし(経営者は、ママ(mama)と呼ばれる)、接客を行う、バー(bar)の事を意味します(おそらく。。。)。日本には、もちろん、普通の、バー(bar)も、とても、たくさんありますが、スナック(snack)も、とても、たくさんあります。恋愛を含めて、たくさんの経験を積んだ、話の上手な、ママ(mama)(スナック(snack)の経営者である、中年から高齢者の女性)と、話しをしながら、酒(アルコール(alcoholic)飲料)を飲むのは、男でも、女でも楽しい様です(スナック(snack)の客は、男性が、主な客層であり、女性客よりも、男の客の方が、ずっと(遥かに)、多い様ですが。。。)。ちなみに、私は、通常のバー(bar)では、よく(頻繁に)、お酒(アルコール(alcoholic)飲料)を飲んでいますが、今の所、スナック(snack)には、興味がありません。
O君は、ファッションがとても好きで(服を、お洒落に着るのが、とても好きで)、とても、たくさんの服を持っていました。O君とは、割と長い親友としての付き合いでしたし、よく会っていたので、O君は、もちろん、同じ服を着て来る時もありましたが、イメージ的には、毎回、違う服を着て来ると言った感じでした。O君の母は、仕事が忙しく、子供の頃から、O君に寂しい思いをさせて来た、後ろめたさからか、O君の事を、物質的には、とても、甘やかしていました。O君は、もちろん、自分がアルバイトで稼いだ金も、自分の服を買うために使っていましたが、O君が持っている、とても、たくさんの服を買う金の、ほとんどは、O君の母親が出していたと言った感じでした。
O君は、ファッションがとても好きで(服を、お洒落に着るのが、とても好きで)、ファッションに拘りを持っていましたが、女性用の服を、男性用の服として、着こなす事にも、とても拘りを持っていて、自分が、男性用の服として、着こなす為の服(O君は、女装(女性の服を着たり、女性のような化粧をする事)の趣味は、全くなかったので、決して、女装(女性の服を着たり、女性のような化粧をする事)の為の服ではありません)として買った、女性向けの服も、たくさん持っていました。また、O君は、男性であるのにも関わらず、通常の(普段の)、お出掛けの際にも、唇に、女性向けのグロスを付けていました。
O君は、血液型は、O型でしたが、細かい・繊細な性格であり、潔癖症でした。O君は、常に、自分の、身だしなみを整える事に、気を遣っていましたが、O君は、潔癖症で、外で、自分の、身だしなみを整えたり、用を足したりするのに、まだ、男性用の公共トイレよりも、女性用の公共トイレの方が、ましと言った感じで、男であるのにも関わらず、よく、女性用の公共トイレも使っていました。私は、O君が、女性用の公共トイレを使っている時は、いつもヒヤヒヤしていましたが、O君は、自分は、女性用の公共トイレを使っても大丈夫であると言う、妙な自信を持っていました。ちなみに、O君は、前述の通り、決して、女装(女性の服を着たり、女性のような化粧をする事)をしていた訳ではなかったのですが、当時、不思議と、O君は、女性用の公共トイレを使っても、一度も、通報されたような事はありませんでした。
O君は、潔癖症でしたが、O君にとって潔癖症が解除される(潔癖症が適用されない)、一部の例外的な人達がいました。私を含む一部の男性(と言うか、当時、少なくとも、私は、私以外で、O君の、潔癖症が解除される(潔癖症が適用されない)男性は知りませんでした)と、O君の母親、O君が交際している又は好意を持っている女性です(女性でも、O君の母親と、O君が交際している又は好意を持っている女性以外は、駄目でした(O君の、潔癖症が適用されました))。
ちなみに、O君は、潔癖症なのに、交際している女の子と同じ歯ブラシを共有する事に関しては、平気でした(私は、潔癖症ではありませんが、たとえ交際している女性であっても、それは出来ません)w 私は、無論、ディープキスは平気ですしエッチ(sex)において女性の体のどこを舐めるのも平気ですが(それは、O君も同様でした)w
私は、血液型は、B型で、行動・発言が大雑把な傾向があり(A型の人がイラッと来る大雑把な行動をとる事もあるかもしれませんw その一方で、私は、極端な場合を除き、他人の、大雑把な行動・発言にも寛大であるので、私と過ごす人は気楽であると言う面もあると思います)、不器用である事から、私は、食べ方(食事の仕方)は、決して、綺麗であるとは言えませんが、それでも、食べる時に口の中でクチャクチャ音を立てたり、スープを音を出してすすったり等、食事をする際の最低限のNGは出さないようにしています(と言うか、それ位の事(食べる時に口の中でクチャクチャ音を立てたり、スープを音を出してすすったりしない事等位)は、私の場合、既に、幼稚園児位の時から、自然に身に付いています)。また、私は、行動・発言が大雑把と言う事に関しては、年と共に(年齢を重ねると共に)、注意して来てはいます(あまり、そうし過ぎないようにして来てはいます)。
私とO君が、親友であった当時、二人で、よく、大衆的な居酒屋のチェーンの店舗で、安い焼酎をボトルで頼み、ロックで、ガンガンに飲んでいたりもしたのですが(ちなみに、私も、O君も、酒は強いです)、私は、O君と飲んでいて、酔っ払って来ると、行動が、ますます大雑把になって、面倒になって、よく、O君のグラスに、指で氷をつまんで入れて、O君に渡していたりしたのですが(今は、もちろん、さすがに、如何に酒に酔っても、どの様な場所であっても、誰が相手であっても、その様な事は、絶対にしませんw)、O君は、潔癖症であるのにも関わらず、相手が私の場合は、その様な行動も、全く、平気でした。
ちなみに、私は、若い頃は、馬鹿で、無茶苦茶な事をしていて、私とO君が、親友であった当時、私とO君、女の子・女性の、3人で、ラブホテルや(もちろん、O君の母が留守中に)O君の実家のマンション(アパート)で、3P(男二人対、女性一人のエッチ(sex))をしたりもしていました。ちなみに、下でリンクを付けた、参考投稿、私のAV・男性経験話の中で、「私が、人生の内で、男性と、性的な、接触を持ったのは、後にも、先にも、この時、一度だけです。」と書いていますが、私とO君、女の子・女性の、3P(男二人対、女性一人のエッチ(sex))は、私もO君も、男として(前述の通り、私もO君も、ゲイ(gay)では、全くありません)、女の子・女性、一人相手に、同時に、エッチ(sex)を行っていたので、私は、それは、私の「男性と、性的な、接触」には、含めていません。
以下、参考の投稿。
私のAV・男性経験話(日本語)→
http://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_50/view/id/2519210?&sfl=membername&stx=jlemon
私のAV・男性経験話(韓国語)→
http://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_50/view/id/2519210?&sfl=membername&stx=jlemon