
Vol.8 アストラハニ
列車はロシアに入国し、アストラハニに到着した。街はボルガ川の河口に広がっていた。ロシア人にとっては、母なる川といわれるボルガ川が、この街でカスピ海に流れ込む。ここから列車でカスピ海西岸を南下することにしていた。しかしアストラハニ周辺は、外務省の渡航情報(危険情報)では、「十分に注意してください」というエリアになり、列車が通過するダゲスタン共和国は、2段階高い「渡航の延期をお勧めします」というエリアになっていた。隣接するチェチェン共和国、そしてオセチア地方では、ロシア政府への反発が強く、ダゲスタン共和国でもしばしばテロが起きていたのだ。アストラハニ駅で、アゼルバイジャンのバクー行きの切符を手に入れた。列車は予定通り、南に向かう線路を走りはじめた。

アストラハニの街は歴史の街だ。1900年代の前半に建てられたロシア風のれんがづくりの建物も多い。街歩きが楽しい。中央には、クレムリンと呼ばれる広い城があり、周囲は高い城壁で囲まれている。なかに入ると、そこがひとつの都市であったことがわかる。

モスクワの北方から約3700キロを流れ、下るボルガ川。カスピ海に流れ込む河口は流れも緩やかだ。夕日のなかを船がのんびり下っていく。昼は何隻もの観光船が行き交い、釣り人も集まってくる。水は汚れていたが、魚はそこそこ釣れていた。

夜になると、ボルガ川に沿った遊歩道に人が集まってくる。大人はただ散歩。子供はローラースケート。なんだかとても健全な夏の夜だ。アジアだったら、食べ物屋台が並ぶところだろうが、ロシア色が強いこの街、遊歩道はただ歩くだけの道だった。

バクーに向かう列車が入ってきた。この列車はサンクトペテルブルクからモスクワを経由して走ってきた。アストラハニ駅で、最後尾に新たに1両が連結された。僕らが乗ったのはその車両だった。爆破テロが起きても、最後尾なら少しは安全? そんなことを考えていた。

車両はロシアの旧式車両。トイレはこんな感じ。洋式なのかとも思ったが、滑り止めの凹凸で、しゃがむスタイルだとわかった。危うく座ってしまうところだった。しかし日本の便座に比べると、ずいぶん大きい。広大なロシア、便座もデカかった。

列車はダゲスタン共和国に入った。そして起きてしまった。先を走っていた貨物列車が爆破されたのだ。この年、すでに2回列車爆破テロが起きていたが、この日に……。車掌室の無線から、緊張した声が響く。僕らの列車は緊急停車。しかし乗客は動揺しない。

バスとワゴン車を使って振り替え輸送することになった。テロ現場の反対側に止まっている列車に移るのだという。日本だったら大変なことになっているだろうが、淡々と振り替えがはじまった。人々はテロに慣れていた。僕らはそういう世界を進んでいた。





落ち込んだときは飯を食べるしかない。デルベント駅の食堂で牛肉スープとサラダ。パンは中央アジアの味がした。そう、ここはダゲスタン共和国のなかなのだ。このスープもダゲスタン風? 質素な味だった。政情不安は料理の進化を止めるのだろうか。

デルベント駅はシャンデリアのある立派さだが、かなりの年代物だった。ダゲスタン共和国とロシアの関係は、それほど悪くはなかった。しかし隣接するチェチェンの反政府勢力がダゲスタン共和国に入り込み、ロシアへのテロが起きるようになっていった。

アストラハニ行きの列車に乗り込む。車内販売でティーパックを買う。緑茶と紅茶の中間のような味だった。熱いときに飲むといいのだが、冷めてくるとイラつく味になる。「お前は紅茶なのか緑茶なのか?」。砂糖もついてくるが、まったく合わない。


再びアストラハニに戻った。市内の運河に「結婚の橋」とか「恋人の橋」と呼ばれる橋があった。結婚式の後、ここに来て、南京錠をかけて鍵は運河に投げる。ふたりの誓いというわけだ。離婚したら渡ることができない橋だろう。

日曜日、「結婚の橋」には次々にカップルがやってきた。人口は50万人を超えるアストラハニは、隣国のカザフスタンからやってきた人が多く暮らしている。20~30%はカザフスタン人だといわれている。国境の街でもあるのだ。

カップル用に馬車も用意されていた。しかし開店休業状態。アストラハニの景気もあまりよくないのだろう。チェチェンなどのコーカサス地方の反政府組織のテロに脅かされている街でもある。市内を巡視する警官や兵士がやけに多い。

文化センターのような建物前で行われていたのは、コサックダンスのような踊りだった。ロシア南部で生まれたコサックダンス。アストラハニはそのメッカのひとつだったといわれている。平和な風景だった。

アストラハニはキャビアの産地。カスピ海のチョウザメの卵だ。地元スーパーに行くと、ひと壜(びん)4000ルーブル、約1万2000円という高級品もあった。が、とても買えず、その横の37ルーブル、約100円のキャビアを買う。これは本物? よくわからないので、本物だと思って食べました。

アストラハニからバクーまでの飛行機の切符は買えたのだが、僕らのミスで乗り遅れてしまった。その日でビザが切れる。外国人登録オフィスに出向かなければならなかった。すると、空港で出会った青年ダーレン(写真右)が、助けてくれた。彼はモスクワで働いているが、休暇で実家のあるアストラハニに戻っていた。

特別ビザができるまで滞在したホテル。ダーレンが見つけてくれた。僕は風邪をひき、外国人登録オフィスが開くまで、この宿に寝込んでいた。長い列車旅。ロシア出国も拒まれ、疲れが一気に出てしまったのかもしれない。

ホテルの部屋は不思議だった。風が吹くと、天井が上下に動く。どうも立てつけが悪く、天井の板をしっかり止めていないようだった。毎日、熱のある体で、天井と窓の外に広がる路地裏を眺めていた。

熱も引き、このホテルから出て、特別ビザを発給してもらった。モスクワにいたら「すぐに国外に出ろ」といわれるところだったろう。アストラハニという辺境にいたおかげで、特別につくってもらえたビザだった。
※写真は2010年9月7日~9月15日の取材で撮影したものです
※各国の現在の情勢については、外務省の海外安全ホームページなどでご確認ください
(更新日:2011年05月12日)
http://doraku.asahi.com/earth/clickdeep/110512.html
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現地の住人にとっては、
テロは日常茶飯事なのかねぇ。
(;´・ω・)
・・・列車の旅をやめて、
馬車の旅にしようとは思わなかったのかな。
( ´・∀・)b
~ 以上 ~