4月の第4月曜日(この日は、個人的に休みでした。以下、この日と書きます)に、鎌倉(kamakura)を散歩して来た時の物です。
東京の南部近郊(東京圏の南部を占める神奈川(kanagawa)県の南東部)にある、鎌倉(kamakura)は、中世(1185年から1333年まで)に、日本の政治の中心地であった中都市であり、中世以来の歴史を有する、寺や神社(shrine)が、数多くあります(ただし、鎌倉(kamakura)の寺や神社(shrine)の、現在の建物については、(極一部の例外を除き)中世よりも後の時代に、火事等の焼失により、再建された物であったり、時代に合わせて、建て替えられている物です)。その為、鎌倉(kamakura)は、東京近郊の主要な観光地の一つとなっています。
私は、通常、鎌倉(kamakura)散歩が主目的の場合、(鎌倉(kamakura)は、道が狭くて、自動車を運転するのが疲れる等の理由により)、自動車ではなく、電車を使って行きます。この時も、電車を使って行きました。
この日の昼食は、前から気になっていて、一度利用して見たいと思っていた、北鎌倉(北kamakura)の、ピザ(pizza)レストランで食べようと思っていたのですが、残念ながら、その店は、予約で一杯で入れず、代わりに、別のピザ(pizza)レストラン(鎌倉(kamakura)で、お気に入りの、小ぢんまりとした、ピザ(pizza)レストラン)で、食べました。
写真以下3枚。この日の昼食は、鎌倉(kamakura)で、お気に入りの、小ぢんまりとした、ピザ(pizza)レストランで食べました。
写真以下2枚。このピザ(pizza)レストランで食べた、この日の昼食。二つ共、二人で分けて食べました。
水牛のモッツァレラチーズ(mozzarella)、セミドライトマト(semi-dried tomato)、バジル(basil)のピザ(pizza)。
生ハム(ham)、モッツァレラチーズ(mozzarella)、マッシュルーム(mushroom)、ポモドーロ(salsa di pomodoro)のピザ(pizza)。
鎌倉(kamakura)は、(中世には、日本の政治の中心地でしたが)、15世紀半ば以降、衰退し、一時期、基本的に衰退した状態に有りましたが、19世紀頃から、徐々に観光地として発展し始め、また、19世紀後期以降、東京に近い、近代別荘地・保養地として発展し、再興しました(wikiを参考にしました)。鎌倉(kamakura)は、19世紀後期以降、作家や詩人等、多くの文学者が、好んで、居住し、若しくは、別荘を構えて来ました。また、鎌倉(kamakura)は、1920年代、1930年代頃から、横浜や東京に通勤する、大学教授や高学歴(大学卒)会社員等の、インテリ(知識人)中流層・中上流層が暮らす、郊外住宅地として発展して行きました。鎌倉(kamakura)は、現在も、小説家や、画家、文系の大学教授等、文化人達に好まれ、鎌倉(kamakura)及びその周辺には、こうした人々が、多く暮らしているイメージが有ります。
写真以下40枚。この日は、鎌倉(kamakura)の、静かで落ち着いた住宅地にある(ちなみに、鎌倉(kamakura)は、中心部の繁華街や、自動車の通行量の多い幹線道路沿いを除けば、基本的には、静かで落ち着いた住宅地となっています)、かつての、里見 とん(satomi ton)(下の補足説明参照)の住宅を訪れました。ちなみに、この日は、基本的に、鎌倉(kamakura)の、所謂、観光場所(寺や神社(shrine))は、訪れず、かつての、里見 とん(satomi ton)(下の補足説明参照)の住宅を訪れて、新緑の鎌倉(kamakura)の住宅街を、のんびり散歩しただけと言った感じでした。
里見 とん(satomi ton):1888年、横浜(神奈川(kanagawa)県(東京圏の南部を占める県)の中心都市)生まれ。1983年に亡くなる。1910年代半ば頃から活躍した、日本の作家(小説家)。
写真以下2枚。かつての、里見 とん(satomi ton)の住宅の周辺の、住宅地の風景。
写真左上は、小さな、仏教の寺の建物。
写真以下38枚。かつての、里見 とん(satomi ton)の住宅を訪れました。
里見 とん(satomi ton)。パンフレット(leaflet)より。。。里見 とん(satomi ton)(1888年、横浜生まれ。1983年に亡くなる)は、1910年代半ば頃から活躍した、日本の、作家(小説家)です。里見 とん(satomi ton)は、有名な作家(小説家)ではありますが、超有名な作家(小説家)と言う程ではなく、日本人ならば、誰でもが、常識として知っているべき作家(小説家)と言う程ではありません(日本人であっても、特に日本文学に興味がない人ならば、知らない人が多いと思います)。
写真以下37枚。鎌倉(kamakura)の、静かで落ち着いた住宅地にある、かつての、里見 とん(satomi ton)の住宅。住宅の建物は、西洋式の建物(住宅のメイン(main)の建物)と、付属の日本伝統式の建物から成り、西洋式の建物と、日本伝統式の建物は、渡り廊下で繋がっています。西洋式の建物は、1926年に完成し、日本伝統式の建物は、西洋式の建物に増築される形で、1929年に完成しました。里見 とん(satomi ton)は、この住宅の建物を建てる際に、設計の段階から、大きく関わり、この住宅の建物を、こだわりを持って(自分の好みを、大きく反映させて)建てた様です。かつての、里見 とん(satomi ton)の住宅は、近年まで、現在の所有者(owner)が暮らしていた様ですが、現在は、この住宅の所有者(owner)は、同じ、鎌倉(kamakura)かどうか分かりませんが、別の場所に暮らしており、現在は(2007年より)、建築士が、この住宅を借り、自分の事務所(建築設計事務所)として使用しています。この様に、かつての、里見 とん(satomi ton)の住宅は、現在は、建築設計事務所として使われていますが、建築設計事務所になってから、一週間に一度、月曜日だけ、見学を受け付けています(一般に公開しています)。かつての、里見 とん(satomi ton)の住宅は、所謂、観光場所ではなく、特定の興味を持つ人(日本文学に、深い興味がある人や、私の様に、古い住宅の建物に興味がある者等)以外にとっては、あまりに地味で、つまらない場所だと思います。私は、個人的に、古い住宅の建物等に興味がある事等から、かつての、里見 とん(satomi ton)の住宅は、前から(一般公開されている事を知ってから)、気になっていて、機会があれば、一度、訪れたいと思っていたのですが、この時、初めて訪れました(この日の、鎌倉(kamakura)散歩の、主目的は、かつての、里見 とん(satomi ton)の住宅を訪れる事にありました)。かつての、里見 とん(satomi ton)の住宅の、見学時は、この建築設計事務所に勤務されている、若い(まあ、若いと言っても、おそらく、私と、同年齢位又は、私より、少し若い位の)、建築士?の方が、とても丁寧に、住宅の建物等について、解説して下さって、良かったです(なお、以下、かつての、里見 とん(satomi ton)の住宅の説明は、この方の解説も、参考にしています)。
かつての、里見 とん(satomi ton)の住宅(現在は、建築設計事務所として使われている)の、西洋式の建物(住宅のメイン(main)の建物)の1階と、日本伝統式の建物の、間取り図。パンフレット(leaflet)より。。。左上(緑色で塗られている部分)は、日本伝統式の建物の間取り。日本伝統式の建物と、西洋式の建物は、渡り廊下で繋がっています。西洋式の建物(住宅のメイン(main)の建物)の1階の間取りは、以下、左上から、時計回りに、説明して行きます。間取りの上の方、左から。。。里見 とん(satomi ton)の住宅であった時に、書生(syosei。家賃を払わずに、他人の家の一角(一隅)に住まわせて貰う代わりに、簡単な家の手伝いを行いながら、勉強に励む学生。第二次世界大戦前においては、少なからぬ富裕層の家庭が、書生(syosei)を受け入れていました)の部屋であった部屋。トイレの部屋(WCと書いてある所)。里見 とん(satomi ton)の住宅であった時に、女中(maid)の部屋であった部屋。物置(倉庫)として使われている部屋。バスルーム(bathroom)。間取りの下の方に行き、右から。。。台所(kitchen)。里見 とん(satomi ton)の住宅であった時に、食堂(dining room)であった部屋(現在は、建築設計事務所の、事務室(仕事部屋)として使われています)。応接間・居間(living room)(水色(青色)で塗られている部分)とサンルーム(sunroom)。ロビー(玄関・家の入口の空間)(ピンク色で塗られている部分)。この住宅が建てられた当時の、日本の、上流階級の家や、比較的裕福な中上流層の家では、女中(maid)用の部屋や、書生(syosei)用の部屋は、来客等に、その気配を感じさせない為に、なるべく、家の、隠れた見えない場所に配置されていたのですが、この住宅は、当時の、上流階級の家や、比較的裕福な中上流層の家に比べれば、小さいので、女中(maid)用の部屋や、書生(syosei)用の部屋は、応接間・居間(living room)や、食堂(dining room)の、すぐ近くに配置されています。ちなみに、日本伝統式の建物と、西洋式の建物(住宅のメイン(main)の建物)の応接間・居間(living room)は、現在は、建築設計事務所において、顧客等の訪問者を、迎えたり・接待する場所(部屋)、建築設計事務所の代表(所長)の建築士と、建築事務所に勤務する建築士等が会議を行う場所(部屋)、建築設計事務所の代表(所長)の建築士と、建築事務所に勤務する建築士・従業員が、寛いだり、宴会(party)を行ったりする場所(部屋)等として使われている様ですが、パーティー(party)や会合等用に、一般に貸し出されてもいる様です。
写真以下6枚。絵葉書より。。。
写真以下4枚。かつての、里見 とん(satomi ton)の住宅の西洋式の建物(住宅のメイン(main)の建物)。1926年に建てられた物です。
玄関。
ロビー(玄関・家の入口の空間)。
応接間・居間(living room)。奥に見えるのは、サンルーム(sunroom)。
応接間・居間(living room)に付属した、サンルーム(sunroom)。大きな窓で、日の光を浴びながら、寛ぐ部屋です。
写真以下2枚。日本伝統式の建物。西洋式の建物に増築される形で、1929年に完成しました。

里見 とん(satomi ton)は、設計段階において、(日本伝統式の建物の部屋から見える景色を考慮しながら)、日本伝統式の建物の床の高さを決めるだけに、半年も、時間をかけたそうです。
写真以下30枚は、この時、私自身が、撮影した写真。
写真以下17枚。かつての、里見 とん(satomi ton)の住宅の、西洋式の建物(住宅のメイン(main)の建物)。1926年に建てられた物です。
写真以下3枚。玄関。
左奥に、日本伝統式の建物が見えます。日本伝統式の建物は、西洋式の建物に増築される形で、1929年に完成しました。西洋式の建物(住宅のメイン(main)の建物)と、日本伝統式の建物は、渡り廊下で繋がっています。
ロビー(玄関・家の入口の空間)の、部分(窓)。

ロビー(玄関・家の入口の空間)から見た、応接間・居間(living room)に付属した、サンルーム(sunroom)。サンルーム(sunroom)は、大きな窓で、日の光を浴びながら、寛ぐ部屋です。
ロビー(玄関・家の入口の空間)から見た、応接間・居間(living room)。奥の扉の向こう部屋は、里見 とん(satomi ton)の住宅であった時に、食堂(dining room)であった部屋で、現在は、建築設計事務所の、事務室(仕事部屋)として使われています(この住宅が、一般公開が行われている時も、公開はされていません。この時は、特別に、少しだけ見せて貰いましたが。。。)。写真では閉まっていますが、奥の扉を開けると、食堂(dining room)(現在は、前述の通り、建築設計事務所の、事務室(仕事部屋)として使われています)、応接間・居間(living room)(及び、応接間・居間(living room)に付属した、サンルーム(sunroom))、ロビー(玄関・家の入口の空間)が、一つに繋がって、一つの、とても大きな部屋の様になり、多くの人を招待するパーティー(party)等に対応出来る設計となっています。
応接間・居間(living room)から見た、応接間・居間(living room)に付属した、サンルーム(sunroom)。サンルーム(sunroom)は、大きな窓で、庭の景色を見たり、日の光を浴びながら、寛ぐ部屋です。
応接間・居間(living room)の暖炉(fireplace)(左上)と、応接間・居間(living room)から見た、応接間・居間(living room)に付属した、サンルーム(sunroom)。
写真以下2枚。応接間・居間(living room)から眺めた、ロビー(玄関・家の入口の空間)。
(里見 とん(satomi ton)の住宅であった時に)、女中(maid)の部屋であった部屋の正面の、一階の廊下部分に、設置された、女中(maid)用の、家の主人及び、その家族が、女中(maid)に用事がある事を知らせる装置。女中(maid)に用事がある事を知らせるボタン(button)?(基本的に、住宅の全ての部屋に設置されている)を、家の主人又は、その家族が押すと、この装置は、音が鳴ると共に、どの部屋で、家の主人又は、その家族が、女中(maid)を呼んでいるのか、女中(maid)に知らせます(装置の、丸い部分が、それぞれの部屋を表し、家の主人又は、その家族が、各部屋において、女中(maid)に用事がある事を知らせるボタン(button)を押すと、音が鳴ると共に、(家の主人又は、その家族が、ボタン(button)を押した部屋に該当する)丸い部分に、標が付きます)。この住宅が建てられた当時(1920年代から1930年代頃)の、日本の、中上流階級から上流階級の家では、この様な装置が、設置されているのが、一般的であった様です。ただし、当時の、日本の、上流階級の家や、比較的裕福な中上流層の家では、この様な装置は、女中(maid)用の部屋と共に、家の、隠れた場所にあったのですが、この住宅は、当時の、日本の、上流階級の家や、比較的裕福な中上流層の家に比べれば小さいので、(この住宅においては)、女中(maid)用の部屋と共に、応接間・居間(living room)の、すぐ近くに配置されています(この装置は、応接間・居間(living room)と女中(maid)用の部屋の間の廊下(1階の廊下)に、女中(maid)用の部屋は、1階の廊下を挟んで、応接間・居間(living room)の向かいに配置されている)。

1階の廊下。
写真以下2枚。2階へと上がる階段。2階は、寝室(bedroom)となっています(2階は、この住宅が、一般公開が行われている時も、公開はされていません)。

写真右下の、階段の手摺りの柱の上の部分は、角が削られています。こうする事によって、子供や女性に、恐怖感を感じさせない効果があるそうです。
写真以下11枚。かつての、里見 とん(satomi ton)の住宅の、日本伝統式の建物。日本伝統式の建物は、(1926年に建てられた)西洋式の建物に増築される形で、1929年に完成しました。西洋式の建物(住宅のメイン(main)の建物)と、日本伝統式の建物は、渡り廊下で繋がっています。
外観。前述の通り、里見 とん(satomi ton)は、設計段階において、(日本伝統式の建物の部屋から見える景色を考慮しながら)、日本伝統式の建物の床の高さを決めるだけに、半年も、時間をかけたそうです。
日本伝統式の建物から見た、西洋式の建物。
かつての、里見 とん(satomi ton)の住宅の、西洋式の建物の、ロビー(玄関・家の入口の空間)。
かつての、里見 とん(satomi ton)の住宅の、西洋式の建物の、ロビー(玄関・家の入口の空間)から眺めた、応接間・居間(living room)の一部。
前述の通り、鎌倉(kamakura)は、1920年代、1930年代頃から、横浜や東京に通勤する、大学教授や高学歴(大学卒)会社員等の、インテリ(知識人)中流層・中上流層が暮らす、郊外住宅地として発展して行きました。
写真以下16枚。新緑の、鎌倉(kamakura)の、静かで、落ち着いた住宅地を散歩。前述の通り、鎌倉(kamakura)は、中心部の繁華街や、自動車の通行量の多い幹線道路沿いを除けば、基本的には、静かで落ち着いた住宅地となっています。
写真の中の、建物の内、奥の方の建物は、仏教の寺の建物です。
第2次世界大戦前に建てられた一戸建て住宅の建物は、日本では、戦後、特に1970年代以降、建替え等により、急速に失われてしまいましたが、その様な中で、鎌倉(kamakura)は、東京近郊の都市の中では、第2次世界大戦前(1920年代から1930年代頃)に建てられたと思われる、古い趣の有る、一戸建て住宅の建物が、比較的、多く残っている方だと思います(それでも、鎌倉(kamakura)でも、古い趣の有る、一戸建て住宅の建物は、建て替えにより、少しずつ、失われて行っていますが。。。。)。
写真以下2枚(写真以下2枚は、同じ、一戸建て住宅)。第2次世界大戦前(1920年代から1930年代頃)に建てられたと思われる、基本的に、日本伝統式だが、一部、西洋式を取り入れた、一戸建て住宅。
写真以下2枚(写真以下2枚は、同じ、一戸建て住宅)。(改装はなされていると思いますが)、第2次世界大戦前(1920年代から1930年代頃)に建てられたと思われる、西洋式の、一戸建て住宅。
第2次世界大戦前(1920年代から1930年代頃)に建てられたと思われる一戸建て住宅の建物の、一部。
写真以下5枚。御成(onari)通りの、カフェ(cafe)・喫茶店の一つで、ココア(hot cocoa)を飲みながら、のんびりし、その後、(同(同じ)カフェ(cafe)・喫茶店(日本式coffee shop)で)、この日、一回目の夕食を食べました。電車の鎌倉(kamakura)駅の、すぐ近くには、小町(komachi)通り(下の補足説明参照)と、御成(onari)通りと言う二つの商店街がありますが、小町(komachi)通りは、地元の人々よりも、観光客が多い商店街と言った感じであるのに対し、御成(onari)通りは、観光客よりも、地元の人々の利用が多い商店街と言った感じで、(小町(komachi)通りよりも)、落ち着いています。
小町(komachi)通り:鎌倉(kamakura)の中心部にある、全長600m程の、幅の細い通りで、商店や飲食店が連なり、観光客や地元の人々で賑わう、鎌倉(kamakura)で、最も賑やかな通りとなっている。
写真以下2枚。この、カフェ(cafe)・喫茶店(日本式coffee shop)の、ココア(hot cocoa)。この店の、ココア(hot cocoa)は、お気に入りとなっています。この店のココア(hot cocoa)は、5時間かけて練って、12時間、寝かして作られています(手間がかかっている割に、手頃な値段です(とても良心的な値段です))。この店の、ココア(hot cocoa)は、とても、美味しいと思います。ちなみに、この店は、店に入って、すぐ右側の、カウンター(counter)席が、落ち着きます。
写真以下3枚。この店で食べた、この日、一回目の夕食。
写真以下2枚。鎌倉(kamakura)野菜と、生青海苔の、クリームパスタ(cream pasta)。一人一皿ずつ。二人共、同じ物を食べました(写真は、一人分)。
一瞬、野菜サラダ(salad)の様に見えますが、下の方は、こうなっています。
パスタ(pasta)の、おまけの、小さなデザート(dessert)。栗のアイスクリーム(ice cream)。一人一皿ずつ。
写真以下5枚。小町(komachi)通りの、カフェ(cafe)の一つで、この日、2回目の、夕食を食べました。このカフェ(cafe)(歴史が、古そうなカフェ(cafe)です)は、前から、ほんの少し気になっていたのですが、この時、初めて利用しました。
写真以下5枚。このカフェ(cafe)で食べた、この日、2度目の夕食。
彼女が食べた、海老入り、グラタン(gratin)。ちなみに、彼女は、この時は、飲み物は、アイスティー(冷たい紅茶)と、ソフトドリンク(soft drink)を飲みました(彼女は、アルコール(alcohol)は、体質的に、かなり苦手です)。
写真以下4枚。この時、私が、ビールと共に、食べた、軽い夕食の、セットメニュー(組み合わせメニュー(menu))。
写真左、ローストビーフ(roast beef)。写真右、サラダ(salad)。写真左上の、スープ(soup)は、コーンスープ(corn soup)。
蟹入り、グラタン(gratin)。
茸ピラフ(pilaf)。
デザート(dessert)。
この店は、安い値段で、中々、落ち着いた感じで、悪くありませんでした。
写真以下、この日は、鎌倉(kamakura)から、東京都心部の私の街に帰って来てから(ちなみに、彼女は、この日は、我が家に泊まらず、東京都心部の、別の街の、彼女のアパート(マンション)に帰りました)、時々利用する、私の街の、チェコ(Czech)料理レストラン(バー(bar)的に使える店でもあります)で、一人で、ちょっと、(酒(アルコール(alcoholic)飲料)を)飲んでから、我が家に帰りました。
この時、この店で食べた、おつまみの一つ。ハム(ham)とチーズ(cheese)の盛り合わせ。この時、まだ、腹は、満腹状態であったので、おつまみは、この、ハム(ham)とチーズ(cheese)の盛り合わせと、オリーブ(olive)だけ食べました。
写真以下。この時、この店で飲んだ、お酒(アルコール(alcoholic)飲料)の一部。
スタロプラメンプレミアム(Staropramen Premium)と言う、チェコ(Czech)のビール。
フェルネット(fernet)(アルコール(alcohol)度数は、40%程)の、ストレート(straight)。
ベヘロフカ(Becherovka)(アルコール(alcohol)度数は、38%)の、ストレート(straight)。
この他、この時、この店では、Veltlinske zeleneと言う、チェコ(Czech)の白ワイン(wine)をグラス(glass)で一杯と、ピルスナーウルケル(Pilsner Urquell)と言う、チェコ(Czech)のビールを、一本、飲みました。