かなり前の事ですが(投稿の機会を失っていたもの)、去年の10月の上旬に、前日に我が家に泊まった彼女と、湘南(syonan)の茅ヶ崎(chigasaki)に、車で、遊びに出掛けて来た時のものです(以下、この日と書きます)。
この日は、前日に我が家に泊まった彼女と、夜更かしをし、朝寝坊をし、遅い朝食兼昼食を食べた後、車で、我が家(東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地に位置します)を出ました。話と気の合う彼女と遊びに出掛けるのは、とても楽しいものです。
ちなみに、この日の、遅い朝食兼昼食は、普段の朝食(パン、シリアル(cereal)、野菜サラダ(salad)、3種類程の果物、牛乳、ジュース(juice)、ヨーグルト(yogurt))と同じ内容でした。
以下、「」内。私の前の投稿文より。。。
「東京近郊の、茅ヶ崎(chigasaki)、江ノ島
(enoshima)(藤沢(fujisawa))、(以下は、三浦(miura)(半島)areaとして、湘南(syonan)には、含めない考え方もあるが、私は、湘南(syonan)に含めて考えている。このへんは、地元の人も、結構大雑把だと思う)、鎌倉(kamakura)、逗子(zushi)、葉山(hayama)、横須賀(yokosuka)(西海岸の一部)等から成る、湘南(syonan)(東京圏の南部を占める神奈川(kanagawa)県の南部に位置する)は、東京都心部方面から見て、横浜(東京areaの海の玄関口(gateway)である、大きな港町)の向こう側(反対側)に隣接するareaであり、東京areaに暮らす人々にとって、最も身近な、東京近郊のビーチリゾート(beach
resort)地となっています。湘南(syonan)は、海岸線で見ると30km位ある様な気がしますが、大磯(ooiso)、二宮(ninomiya)辺りまで含めると、(海岸線で見ると)50km近くある様な気がします。
ちなみに、湘南(syonan)は、20代半ば頃までは、夏に、海水浴に行ったりしたのですが、現在は、湘南(syonan)は、よくドライブ(drive)しますが、夏の海水浴時期に行く事は、基本的には、あまりありません。」
ちなみに、横浜(神奈川(kanagawa)県の中心都市)・湘南(syonan)は、何れも、神奈川(kanagawa)県(東京圏の南部を占める県)に属しています。
以下、「」内。私の前の投稿文より。。。
「私は休日を外で過ごす事は好きで、美味しい物を食べる事、自然の中を散歩する事、温泉に入浴する・温泉旅館等の温泉宿泊施設に宿泊する事、芸術や花を愛でる(鑑賞する)事等は、好きなのですが、本格的な登山やキャンプ等のアウトドアは好みません。
私は、交際する女性との趣味が合うか合わないかと言う事は、若い頃は気にしなかったのですが、成熟した大人になってからは、私と趣味が合う女性を好きになるプラス交際相手の女性が、私色に染まってw、私と趣味が合って来ると言う事を合わせて、私と趣味が合う女性と交際するようになりました。」
茅ヶ崎(chigasaki)市美術館は、湘南(syonan)areaに位置する都市の一つである、茅ヶ崎(chigasaki)市が運営する、公立の美術館です。
この日は、茅ヶ崎(chigasaki)市美術館で、この時行われていた、「The
新版画(shinhaga) 版元・渡邊 庄三郎(watanabe
syouzaburou)の挑戦」と言う、新版画(shinhaga)の展覧会(exhibition)(以下、この展覧会(exhibition)と書きます)を見て来ました。この日、茅ヶ崎(chigasaki)市美術館を訪れた目的は、この展覧会(exhibition)を見る事にありました。
茅ヶ崎(chigasaki)市美術館は、前から、ちょっと気になっていた美術館ですが、この時、初めて、訪れました。
川上 音二郎(kawakami otojirou)(1864年生まれ。1911年に亡くなる)は、19世紀後期から、1900年代初めに活躍していた、日本の、俳優・興行師・芸術家です。
川上
音二郎(kawakami otojirou)の妻、川上 貞奴(kawakami
sadayakko)(1871年生まれ。1946年に亡くなる)は、19世紀末から1900年代初めに、国際的に活躍していた(アメリカとヨーロッパで、高評価と高い人気を博した)、芸者(geisha)(下の補足説明を参照)出身の、日本の、舞台女優です。
芸者(geisha):舞踊等で、客をもてなす、日本の、古くからある、伝統的な職業の、女性。外国では、混同される事もあるが、遊女(yuujyo)(日本の、伝統的な、売春婦)とは、あくまで、区別される。遊女(yuujyo)は、売春婦であるのに対し、芸者(geisha)は、宴会(party)の席等で、客をもてなす、日本の、伝統的な職業の、女性(愛人関係等、客と、男女(男と女)の関係等になる事はあるが、それは、芸者(geisha)としての職業の範囲外での話)。
以下、「」内。川上 貞奴(kawakami sadayakko)の、西洋(ヨーロッパ・アメリカ)での人気ついて、基本的に、wikiより。
「1899年、川上
音二郎(kawakami otojirou)の企画で、アメリカで、巡回公演を行い、エキゾチックな(異国的な)川上 貞奴(kawakami
sadayakko)の美貌と写実的な演技が評判を呼び、欧米中(アメリカ・ヨーロッパ)で空前の人気を得た。
1900年、川上
音二郎(kawakami otojirou)と共に、日本通で知られるロンドンのアーサー・ディオシー(Arthur
Diosy)(イギリスの講演活動家)の歓迎を受け、ロンドンで興行を行った後、アーサー・ディオシー(Arthur
Diosy)の友人のロイ・フラー(Loie Fuller)(世界的に有名な、アメリカの、女性、舞踏家(dancer)。モダンダンス(modern
dance)の先駆者)やサラ・ベルナール(Sarah Bernhardt)(フランスの、世界的に有名な、舞台女優)に紹介され、フラー(Loie
Fuller)の支援を受けて その同年に、パリ(Paris)で行われていた万国博覧会(Exposition Universelle of
1900・1900 Paris Exposition)に招かれ、会場の一角にあったロイ・フラー(Loie
Fuller)劇場において公演を行い、アメリカ興行に続いて人気を博した。7月4日の初日の公演には、彫刻家ロダン(Auguste
Rodin)も招待されていた。ロダン(Auguste Rodin)は川上 貞奴(kawakami
sadayakko)に魅了され、彼女の彫刻を彫りたいと申し出たが、彼女はロダン(Auguste
Rodin)の名声を知らず、時間がないとの理由で断ったという逸話がある。8月には、当時の、フランス大統領エミール・ルーベ(Émile
Loubet)が官邸で開いた園遊会にも招かれた。
翌年、いったん、日本に帰国したあと、再びヨーロッパに渡り、1902年に帰国した。
川上
貞奴(kawakami
sadayakko)の影響で、パリ(Paris)の社交会では、着物(kimono)(日本の伝統衣装)風の「ヤッコ(yakko)ドレス(dress)」が流行。ドビュッシー(Claude
Debussy)やジッド(André Gide)、ピカソ(Pablo Picasso)は、彼女の演技を絶賛した。
フランス大統領エミール・ルーベ(Émile
Loubet)より、官邸のエリゼ宮殿(Élysée Palace)にて、川上 音二郎(kawakami
otojirou)と共に、オフシェー・ド・アカデミー三等勲章(現在の芸術文化勲章(Ordre des Arts et des
Lettres))を授与され、外国人に贈られる最高章(当時)を授章した。」
サラ・ベルナール(Sarah Bernhardt)(1844年生まれ。1923年に亡くなる)は、フランスの、世界的に有名な、舞台女優です。

写真は、借り物。サラ・ベルナール(Sarah Bernhardt)。1864年頃。

日本庭園の中の、サラ・ベルナール(Sarah Bernhardt)。ルイズ・アベマ(Louise Abbéma)(下の補足説明を参照)作。1885年。
ルイズ・アベマ(Louise Abbéma):1853年生まれ。1927年に亡くなる。フランスの、女性、画家。社交界の人々を描いた肖像画で知られる(説明は、wikiから借りて来ました)。
Japonismeとは、19世紀中期から20世紀初頭にかけて(特に、19世紀の後半に)、フランスを中心とした、西洋の国々(ヨーロッパ及び北米)で、浮世絵(ukiyoe)(日本の伝統的な、大衆画・大衆版画)等の日本文化が流行すると共に、当時の(近代の)ヨーロッパを中心とした西洋の芸術・工芸に強い影響を与えた現象の事を言います。
以下、参考の投稿。
Japonisme他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3593602/page/2?&sfl=membername&stx=nnemon2

写真は、借り物。サラ・ベルナール(Sarah Bernhardt)。1881年。
写真以下2枚。写真は、借り物。川上 貞奴(kawakami sadayakko)。

舞台衣装を着た、川上 貞奴(kawakami sadayakko)。1900年。

ヨーロッパ巡回講演中に撮影された、ドイツのベルリン(Berlin)での、川上 貞奴(kawakami sadayakko)。1901年。

川上 貞奴(kawakami sadayakko)(左)。川上 音二郎(kawakami otojirou)(右)。
前述の通り、この日訪れた、茅ヶ崎(chigasaki)市美術館は、湘南(syonan)areaに位置する都市の一つである、茅ヶ崎(chigasaki)市が運営する、公立の美術館です。
茅ヶ崎(chigasaki)市美術館は、小規模な美術館で、1998年に開館した、比較的新しい美術館です。
茅ヶ崎(chigasaki)市美術館の敷地(敷地面積6,577平方m(約2,000坪)。隣接する茅ヶ崎(chigasaki)の市営の図書館の敷地も、川上
音二郎(kawakami otojirou)・川上 貞奴(kawakami sadayakko)夫妻の別荘の敷地であった可能性もあるので、川上
音二郎(kawakami otojirou)・川上 貞奴(kawakami
sadayakko)夫妻の別荘の敷地は、もっと大きかった可能性もあります)は、元々、川上 音二郎(kawakami otojirou)・川上
貞奴(kawakami sadayakko)夫妻が、ヨーロッパから帰って来た、1902年頃に建てた別荘の敷地であったものです。
ちなみに、当時の(川上
音二郎(kawakami otojirou)・川上 貞奴(kawakami
sadayakko)夫妻の別荘であった時の)建物は、現存していません。ちなみに、川上 貞奴(kawakami
sadayakko)が、女優引退後の、60代の初め頃(1933年)に、岐阜(gifu)県(日本の中部地方に位置する県の一つ)の、各務原(kakamigahara)市(岐阜(gufu)市(岐阜(gufu)県の中心都市。人口約40万人)の郊外に位置する)に建てた、萬松園(bansyouen)と言う、川上
貞奴(kawakami
sadayakko)の別荘(敷地面積、約1,000坪)は、建物も含めて、ほぼ、1933年の創建当時のまま残されており、現在は、結婚式場等として活用されています。
https://youtu.be/X63qbrgUosI?si=1Y-AJFNYceFeW3bP
動画は、借り物。参考に、萬松園(bansyouen)。萬松園(bansyouen)は、前述の通り、川上 貞奴(kawakami sadayakko)が、女優引退後の、60代の初め頃(1933年)に、岐阜(gifu)県(日本の中部地方に位置する県の一つ)の、各務原(kakamigahara)市(岐阜(gufu)市(岐阜(gufu)県の中心都市。人口約40万人)の郊外に位置する)に建てた、川上 貞奴(kawakami sadayakko)の別荘(敷地面積、約1,000坪)です。建物も含めて、ほぼ、1933年の創建当時のまま残されており、現在は、結婚式場等として活用されています。
写真以下3枚。茅ヶ崎(chigasaki)市美術館の敷地。前述の通り、茅ヶ崎(chigasaki)市美術館の敷地(敷地面積6,577平方m(約2,000坪)。隣接する茅ヶ崎(chigasaki)の市営の図書館の敷地も、川上
音二郎(kawakami otojirou)・川上 貞奴(kawakami sadayakko)夫妻の別荘の敷地であった可能性もあるので、川上
音二郎(kawakami otojirou)・川上 貞奴(kawakami
sadayakko)夫妻の別荘の敷地は、もっと大きかった可能性もあります)は、元々、川上 音二郎(kawakami otojirou)・川上
貞奴(kawakami sadayakko)夫妻が、1902年頃に建てた別荘の敷地であったものです(別荘の建物は、現存していません)。
茅ヶ崎(chigasaki)市美術館のパンフレット(leaflet)。
写真以下2枚。茅ヶ崎(chigasaki)市美術館の建物の一部。茅ヶ崎(chigasaki)市美術館は、小規模な美術館で、1998年に開館した、比較的新しい美術館です。茅ヶ崎(chigasaki)市美術館の収蔵作品の中心は、茅ヶ崎(chigasaki)市に縁のある、日本の、近代・現代の芸術家の作品となっています。
前述の通り、この日は、茅ヶ崎(chigasaki)市美術館で、この時行われていた、「The
新版画(shinhaga) 版元・渡邊 庄三郎(watanabe
syouzaburou)の挑戦」と言う、新版画(shinhaga)の展覧会(exhibition)(以下、この展覧会(exhibition)と書きます)を見て来ました。この日、茅ヶ崎(chigasaki)市美術館を訪れた目的は、この展覧会(exhibition)を見る事にありました。
新版画(shinhaga)とは、近代版の、浮世絵(ukiyoe)(日本の伝統的な、大衆画・大衆版画)である、版画です。渡邊
庄三郎(watanabe
syouzaburou)(1885年生まれ。1962年に亡くなる。日本の美術商人)は、新版画(shinhaga)を牽引した人物です。
写真以下12枚。この展覧会(exhibition)の展示作品例。この展覧会(exhibition)の、パンフレット(leaflet)・絵葉書より。。。この展覧会(exhibition)、良かったです(彼女も、良かったと言っていました)。
写真上側。「清洲橋」。1931年。川瀬 巴水(kawase hasui)(下の補足説明を参照)の作品。
川瀬 巴水(kawase hasui):1883年生まれ。1957年に亡くなる。主として、1910年代から1950年代初めに活躍した、日本の、近代、浮世絵(ukoyoe)(日本の伝統的な、大衆画・大衆版画)画家。
「清洲橋」。1931年。川瀬 巴水(kawase hasui)の作品。
「黒猫を抱く女」。1915年。フリッツ・カペラリ(Friedrich Capelari)(下の補足説明を参照)の作品。
フリッツ・カペラリ(Friedrich Capelari):1884年生まれ。1950年に亡くなる。オーストリア(Austria)の版画家。1911年から1921年にかけて、日本に滞在し、日本で制作活動を行う。
写真上側。川瀬 巴水(kawase hasui)の作品。1919年。
川瀬 巴水(kawase hasui)の作品。1919年。
「ホノルル(Honolulu)波乗競争」。1919年。チャールズ・W・パートレット(Charles W. Bartlett)(下の補足説明を参照)の作品。ハワイ(Hawaii)を題材にした作品です。
チャールズ・W・パートレット(Charles
W. Bartlett):1860年生まれ。1940年に亡くなる。イギリスの画家・版画家。以下、チャールズ・W・パートレット(Charles
W.
Bartlett)に関しては、wikiを参考にしました。1915年から1917年に日本に滞在し制作活動を行う。1917年から1919年にハワイ(Hawaii)のホノルル(Honolulu)に滞在。1919年に、再び、日本を訪れ、制作活動を行った後、ハワイ(Hawaii)で暮らした。
織田 一磨(oda kazuma)(1882年生まれ。1956年に亡くなる。日本の版画家)の作品。1925年。
川瀬
巴水(kawase hasui)の作品。1928年。川瀬 巴水(kawase hasui)の、版画作品の、美しい青色は、
巴水(hasui)ブルー(blue)と言われています。ちなみに、スティーブ・ジョブズ(Steve Jobs)は、川瀬 巴水(kawase
hasui)の作品の、熱心なコレクター(collector)でした。
写真左側の、兎を描いた作品。小原 古邨(ohara koson)(下の補足説明を参照)の作品。1929年。
小原 古邨(ohara koson):1877年生まれ、1945年に亡くなる。日本の、近代、浮世絵(ukoyoe)(日本の伝統的な、大衆画・大衆版画)画家。
写真左側の、女性を描いた作品。平野 白峰(hirano hakuhou)(1879年生まれ。1957年に亡くなる。日本の版画家)の作品。1932年。
写真左端上の、鳥を描いた作品。小原 古邨(ohara koson)の作品。1920年代から1930年代。
写真左端下の、裸の女性を描いた作品。橋口 五葉(hashiguchi goyou)(1881年生まれ。1921年に亡くなる。日本の版画家・装丁家)の作品。1915年。
写真真ん中右上側の、歌舞伎(kabuki)(日本の、伝統的な、大衆(大衆向けの)演劇)の役者(俳優)を描いた作品。山村
耕花(yamamura
kouka)(1885年生まれ。1942年に亡くなる。日本の、画家・版画家・近代、浮世絵(ukoyoe)(日本の伝統的な、大衆画・大衆版画)画家)の作品。1917年。
写真右側下の、富士山(fujisan)(標高 3,776m。東京圏に近い場所にある、日本で最も高い山で、その形の美しさから、世界的に名が知られている山)を描いた作品。川瀬 巴水(kawase hasui)の作品。1931年。
写真真ん中左上の、猫を描いた作品。高橋 松亭(takahashi syoutei)(1871年生まれ。1945年に亡くなる。日本の、近代、浮世絵(ukoyoe)(日本の伝統的な、大衆画・大衆版画)画家)の作品。1926年。
写真真ん中左下の、ハワイ(Hawaii)のホノルル(Honolulu)の漁師(fisherman)を描いた作品。チャールズ・W・パートレット(Charles W. Bartlett)の作品。1919年。
写真以下2枚。茅ヶ崎(chigasaki)市美術館の、2022年10月から2023年3月の、展覧会(exhibition)の予定の、パンフレット(leaflet)より、川瀬 巴水(kawase hasui)の作品。1925年。
写真以下。おまけ。この時、茅ヶ崎(chigasaki)市美術館に置いてあった、パンフレット(leaflet)・チラシ(flyer)の中から。。。
太田(oota)記念美術館:太田(oota)記念美術館は、日本(及び、世界)有数の、浮世絵(ukiyoe)(日本の伝統的な、大衆(大衆向けの)版画・絵画)の、収集家(collector)であった、日本の生命保険会社の社長を務めていた、日本のビジネスマン(businessman)、太田 清蔵(oota seizou)(1893年生まれ。1977年に亡くなる)の、浮世絵(ukiyoe)の、コレクション(collection)を公開する為に、1980年に開館した、東京都心部にある、浮世絵(ukiyoe)専門の美術館です。
太田(oota)記念美術館に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
太田(oota)記念美術館→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3683862/page/4?&sfl=membername&stx=nnemon2
写真以下2枚。泉屋博古館(senokuhakukokan)東京(下の補足説明を参照)で、2022年11月3日から12月18日に開催されていた、板谷
波山(itaya
hazan。1872年生まれ。1963年に亡くなる。19世紀後期頃から活動を行い、1900年代後期頃から活躍した、日本の、陶芸家)の作品の、展覧会(exhibition)の、パンフレット(leaflet)。
泉屋博古館(senokuhakukokan)東京:住友(sumitomo)家(下の補足説明を参照)の、美術品・工芸品のコレクション(collection)を公開している美術館の一つ。東京都心に位置する。
住友(sumitomo)家:住友(sumitomo)財閥(下の補足説明を参照)の当主家。1910年に、住友(sumitomo)家の邸宅で、住友(sumitomo)家の、美術品・工芸品のコレクション(collection)を見学した、ドイツ人の、女性、東洋美術研究家のフリーダ・フィッシャー(Frieda
Fischer-Wieruszowski)は、「世界中の大富豪が束になったとしても、住友(sumitomo)コレクション(collection)を凌駕することは到底無理だろう」
と圧倒された様子を綴っている(wikiより)。
住友(sumitomo)財閥:住友(sumitomo)財閥(第二次世界大戦後に、連合国総司令部(GHQ)の政策により、日本全国の財閥が解体された事に伴い解体)は、大阪(東京に次ぐ、日本第二の都市圏人口を有する都市。日本の商業の中心都市)に拠点を置く財閥であり、第二次世界大戦前の、日本の三大財閥の一つ。住友(sumitomo)財閥の歴史は、17世紀以前に遡り(源流企業は、1590年創業)、Rothschild財閥等を超える、世界最古の財閥とも呼ばれています(wikiより)。
写真以下2枚。秦野(hadano)市立、宮永
岳彦(miyanaga
takehiko)記念美術館(下の補足説明を参照)で、2022年10月1日から2023年3月26日に行われていた、「誘惑する女」と言う、宮永
岳彦(miyanaga takehiko)の作品の展覧会(exhibition)の、パンフレット(leaflet)。
秦野(hadano)市立、宮永
岳彦(miyanaga
takehiko)記念美術館:秦野(hadano)市(東京の南西部近郊(神奈川(kanagawa)県(東京圏の南部を占める県)の西部)に位置する、中都市(中規模程度の人口の都市))が運営している、公立の美術館で、宮永
岳彦(miyanaga takehiko)の作品の美術館。この美術館は、訪れた事がありません。
宮永 岳彦(miyanaga takehiko):1919年生まれ。1987年に亡くなる。1940年代から1980年代に活躍していた、日本の画家。1946年から15年間、秦野(hadano)市に在住し、創作活動を行っていた。
以下、「」内。この展覧会(exhibition)の説明。この展覧会(exhibition)のパンフレット(leaflet)より。。。
「宮永
岳彦(miyanaga takehiko)は、女性の目を持った画家でした。宮永 岳彦(miyanaga
takehiko)の描く女性は、洗練され、自信に満ち溢れています。宮永 岳彦(miyanaga
takehiko)は、女性が、自身の精神と肉体を理解し、肯定した時に、初めて、己を解き放ち、誇りや、寛ぎを感じる事が出来ると知っていました。そして、それを男性の目を通し、生涯をかけて理想の女性像として描き続けました。
宮永 岳彦(miyanaga takehiko)は、第二次世界大戦後の商業デザインで、人々の夢や欲望、時代を象徴する女性を、ポスターや表紙に、多く描きました。また、一方で、自分の内なる声に響く夢の女性を、純粋芸術という形で、情熱を持って表現しました。」
1978年の作品。
右側、上から、1969年の作品、1967年の作品、制作年不明の作品。真ん中、左、1967年の作品。真ん中右、制作年不明の作品。左側、上から、1962年の作品、1961年の作品、1976年の作品。
写真以下2枚。2022年11月12日から12月25日にかけて、そごう(sogo)美術館(そごう(sogo)デパート横浜店(横浜の都心部にある規模の大きなデパートの一つ)に入っている美術館)で行われていた、ゆるかわふう(yurukawafu)(下の補足説明を参照)の作品の展覧会(exhibition)の、パンフレット(leaflet)。この展覧会(exhibition)は、私も彼女も、ちょっと気になっていたのですが、結局、訪れませんでした。
ゆるかわふう(yurukawafu):1980年生まれ。2000年代後期頃から活動を行い、2010年代頃から活躍している、日本の、現代美術artist。ゆるかわふう(yurukawafu)自身が、生みだした、世界で初めての技法、発泡断熱材「スタイロフォーム」を使用した「光彫り」の作品を特徴とする。
茅ヶ崎(chigasaki)市在住の、日本の、女性、木版画作家の、作品の展示会の知らせ。
写真以下。湘南(syonan)area在住の、茅ヶ崎(chigasaki)を拠点としている、日本の、女性、編み物作家の、作品の展示会の知らせ。
茅ヶ崎散歩後編(すぐ下でリンクを付けた投稿)に続く。。。
茅ヶ崎散歩後編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3733511?&sfl=membername&stx=nnemon2