基本的に(参考の投稿を足しています)、2012年の12月の下旬に行った投稿の再掲です(投稿文は、2012年の12月の下旬の投稿を前提としています)。ちなみに、私は、今も、痩せの大食い体質ですが(大食いと言っても、標準よりも、若干(ほんの、少しだけ)、多く食べる程度です)、この時の方が、食欲旺盛でした(よく食べていました)。ちなみに、当時、私の今の彼女(以下、彼女と書きます)と付き合い始めの頃で、彼女は、まだ10代の大学生で、私も、まだ、30代後半の初め頃でした。
日々の食事の中から、適当に。。。
写真以下4枚。先週の金曜日、仕事から我が家に帰って来て、一人で食べた夕食。これと、あと、ご飯(rice)、野菜サラダ(salad)を食べました。

マートの、沖縄(okinawa)県(日本の最南端に位置する県)産の、活(生)車海老。単純に焼いて食べました。美味しかったです。

マートの、広島(hiroshima)県(日本の西部に位置する県。良質な牡蠣(oyster)の主要な産地となっている)の、江田島(edajima)産の、牡蠣(oyster)の揚げ物。

マートの、鰊の焼き物。私の街のマートの一つの、鰊の焼き物なのですが、この鰊の焼き物は、とてもチープで(とても安くて)、美味しく、お気に入りで、よく買っています。

デザート(dessert)として食べた、頂き物の、西洋梨。かなり熟れてしまっている感じですが(頂いて、食べていた西洋梨の、最後の1個)、美味しかったです。この、頂き物の西洋梨は、12月24日(Christmas Eve)の夕食等でも、食べましたが、美味しかったです。
この翌日(先週の土曜日。以下、この日と書きます)は、個人的に仕事で、夜は、一人だったのですが、この日の夕食は、我が家で、一人で、豚肉のしゃぶしゃぶ(shabu-shabu)にしました。

この日、仕事から、我が家に帰って来て、一人で食べた夕食の、しゃぶしゃぶ(shabu-shabu)の、メイン(main)の具の、マートの、豚肉。月山(gassan)芳醇豚(山形(yamagata)県(日本の、東北地方に位置する県の一つ)の、高品質な豚肉の一つ)の、しゃぶしゃぶ(shabu-shabu)用。この日は、ちょっと、しっかりと食べたい感じだったので、肉の量は、少し多目です。この他、この日の、しゃぶしゃぶ(shabu-shabu)の具は、うどん、野菜(白菜、ほうれん草、モヤシ)、茸(舞茸、エノキ)にしました。

この日の、しゃぶしゃぶ(shabu-shabu)のタレ(tare)の一つ。山梨(yamanashi)県(日本の中部地方に位置する県の一つ。東京圏の西部等に隣接している)の白州(hakusyu)の、お気に入りの温泉(塩分を多く含んでいる)の塩を使った、山梨(yamanashi)県産の、ポン酢。この、ポン酢は、お気に入りの、ポン酢となっています。この日の、しゃぶしゃぶ(shabu-shabu)のタレ(tare)は、この他、胡麻ダレ(胡麻tare)にしました。
写真以下3枚。11月の第4木曜日(以下、この日と書きます)、仕事の用事で、飯能(hannou)に、自動車で訪れた際に(ちなみに、私は、通常、仕事の外回りは、一人で行っているのですが、この日は、例外的に、仕事のパートナー(partner)と、二人で、出掛けました)、仕事の用事を終えた後、高麗(koma)郷(高麗(goryeo)郷)のカフェ(cafe)で、早目の夕食を食べました。高麗(koma)郷(高麗(goryeo)郷)は、飯能(hannou)(東京の北西部近郊(東京都心部から遠い、東京の北西部郊外。埼玉(saitama)県(東京圏の北部に位置する県)の、南端部の中西部)に位置する、人口8万人程の小都市)の、北部近郊に位置する地域です。高麗(koma)郷は、高句麗(Goguryeo。紀元前37年から668年)が滅亡した際に、日本に移住して来た、(おそらく、高句麗(Goguryeo)の上流階級に属していた)人々が、朝廷(日本の中央政府)の命令により、この地に、716年に移住し、(当時の、高句麗(Goguryeo)の進んだ技術により)開拓した地域です。高麗(koma)郷(高麗(goryeo)郷)には、高麗(koma)神社(shrine)があります。高麗(koma)神社(shrine)は、高麗(koma)郷の開拓で指導的な役割を果たした高句麗(Goguryeo)人、高麗 若光(komano jyako)を祀る為に、高麗(goryeo)郷の、高句麗(Goguryeo)系の人々が、高麗 若光(komano jyako)が亡くなった後に、創建した、神道の神社(shrine)です。高麗(koma)郷(高麗(goryeo)郷)の人々(高句麗(Goguryeo)からの移民の子孫)は、祖先が日本に移住してから、1300年以上も経ち、既に、完全に、「日本人」となっていますが、現在でも、高句麗(Goguryeo)からの移民の子孫である事を誇りに思い、また、祖先の母国である、韓国に対し、通常の日本人よりも、親しみを感じている様です。
写真以下3枚。この日の夕食は、高麗(koma)郷(高麗(goryeo)郷)にある、自然食を、売りとする(自慢とする)、カフェ(cafe)で食べました。このカフェ(cafe)を利用したのは、今回で3回目でしたが、中々、良い感じのcafeです。このカフェ(cafe)は、阿里山(Alishan)カフェ(cafe)と言い、台湾にある山(阿里山(Alishan)。標高2,481m)の名前を持つカフェ(cafe)です。このカフェ(cafe)のオーナー(owner)は、アメリカ人で(確かに、カフェ(cafe)の建物は、アメリカと言った感じw)、オーナー(owner)の奥さん(妻)は、台湾(Taiwan)人の様です(したがって、カフェ(cafe)の名前は、台湾(Taiwan)の山の名前)。東京近郊の高麗(koma)郷(高麗(goryeo)郷)にある、アメリカ系と台湾(Taiwan)系の夫妻が経営する、アメリカ式の建物と、台湾(Taiwan)の名前を持つ、カフェ(cafe)、興味深いですね。

このカフェ(cafe)の外観。素朴で良いと言う意味で、田舎っぽい(田舎臭い)カフェ(cafe)です(まあ、カフェ(cafe)の周辺も、東京近郊ではあるものの、田舎と言った感じです)。
写真以下2枚。このカフェ(cafe)で食べた、この日の、早目の夕食。

ベイクトバナナチーズケーキ(baked banana cheesecake)。

ベジタブルバーガー(veggie burger)。
以下、参考の投稿。
高麗郷23他前編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/4060788/page/5?&sfl=membername&stx=nnemon2
高麗郷23他後編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/4060787/page/5?&sfl=membername&stx=nnemon2
高麗(goryeo)郷他前編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/4060136/page/6?&sfl=membername&stx=nnemon2
高麗(goryeo)郷他後編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/4060135/page/6?&sfl=membername&stx=nnemon2
この翌日(11月の第4金曜日。以下、この日と書きます)は、国民の祝日(休日)でしたが、個人的に、仕事でした。
この日は、仕事の用事で、東京opera cityを訪れました。東京opera cityは、東京新国立劇場(主にoperaの上演を行う)等が入る複合施設(1996年開業)です。東京opera cityは、我が家から、結構近いです(近いと言っても、自動車を基準とした近さですが。。。)。
東京opera cityは、新宿副都心(下の補足説明参照)の西端部に位置しています。
新宿副都心:新宿(東京都心部の西部に位置する)にある、主として1970年代に開発された、200m級の超高層ビルが建ち並ぶ、ビジネス(business)地区。日本で最初の200m級超高層ビル群。第二次世界大戦後に、開発された、東京の主要なビジネス(business)地区の一つ。

この写真は、前にアップ(upload)した写真の再利用ですが、写真真ん中の、一番奥に見えるビルが、東京opera cityの中心的な建物である、東京opera cityビル。高さ、約234m。1996年完成。新宿副都心の超高層ビルの中では、新しいビルです。写真左端に、端だけ少し見える超高層ビルは、keio plazaホテル。1971年完成。高さは、178m。当時、アジアで最も高いビルであった、同じく日本(東京)の世界貿易センタービル(world trade center building。高さ、約163m)を追い抜き、完成当時アジアで最も高いビルでした。日本で、最初、また、アジアでも最初の超高層ホテルです。写真右端に端だけ、少し見える、超高層ビルは、新宿三井(新宿mitsui)ビル。新宿三井(新宿mitsui)ビルは、1974年9月に完成した、高さ、225mの、オフィス(office)用ビルです。同じく、新宿副都心にある、新宿住友(新宿sumitomo)ビル(1974年3月に完成した、高さ210mの、オフィス(office)用ビル。日本のみならず、アジアでも最初の高さ200m以上のビル)を追い抜き、完成当時、アジアで最も高いビルでした。新宿住友(新宿sumitomo)ビルの高さ210m及び、新宿三井(新宿mitsui)ビルの高さ225mは、1972年に完成した、フランスで最初の高さ100mを越す超高層ビルであり、且つ、完成当時、西ヨーロッパで最も高いビルであった、Tour Montparnasseの高さ、210mを意識した物なのかも知れません(ちなみに、Tour Montparnasseは、1990年まで、西ヨーロッパで最も高いビルでした)。写真で、東京opera cityビルの、両側手前に見えるビルの、右側の、大きいビルは、東京都庁第一本庁舎ビル(一般的に、東京都庁ビルと言う場合、このビルを指す事が多いです)。1991年完成。高さは、243.4m。新宿副都心の超高層ビルの中では、比較的、新しい方のビルですが、現在は、新宿副都心を代表する超高層ビルとなっています。写真で、東京opera cityビルの、両側手前に見えるビルの、左側のビルは、東京都庁第二本庁舎ビル。高さは、163m。1991年完成。 やはり、新宿副都心の超高層ビルの中では、比較的、新しい方のビルです。東京都庁ビルは、東京都(日本の47の都道府県(prefecture)の内の一つ。主に、東京中心部(東京23区)と東京の西部郊外・近郊から成る)の庁舎(government building)となっているビルで、東京都庁第一本庁舎ビル、東京都庁第二本庁舎ビル等から成ります。設計は、丹下健三(Tange Kenzo)(下の補足説明参照)です。ちなみに、東京都庁ビルを設計した丹下健三(Tange Kenzo)は、シンガポール(Singapore)で、最も高い三つのビルの内、二つの設計を手掛けています(OUB center(1986年完成)、UOB plaza one(1995年完成))。シンガポール(Singapore)のスカイライン(skyline)で、目立つビルのデザイン(design)の傾向が、何となく、東京都庁ビルに似ているのは、その為です。ちなみに、シンガポール(Singapore)で、最も高い三つのビルの内、残りの一つ(republic plaza。1995年に完成)は、丹下健三(Tange Kenzo)弟子であり、日本の、世界最高水準の建築家の一人で有る、黒川 紀章(kurokawa kisyo)が、設計しました。
丹下 健三(Tange Kenzo):日本の世界最高水準の建築家の一人。1950年代から、亡くなる近くまで活躍。日本人建築家の中で、初めて世界に名が知られた建築家であると共に、1960年代に、日本を、現代建築設計の分野において、世界最高水準の国の一つに、引き上げた人物として知られています。1913年に生れ、90歳以上生きて、2005年に、亡くなりました。丹下健三(Tange Kenzo)の弟子には、磯崎 新(Isozaki Arata)、黒川 紀章(kurokawa kisyo)、槇 文彦(maki fumihiko)と言った、世界的に有名な、日本人建築家達が、名を連ねています。黒川 紀章(kurokawa kisyo)は、既に亡くなりましたし、他の弟子達も、既に、80歳代の高齢です。
写真以下3枚。東京opera cityの、今年の、クリスマスツリー(Christmas tree)。



東京opera cityビルは、基本的には、オフィス(office)用のビルですが、上層階には、レストラン街がありますし、下層階は、(ショピングモール(shopping mall)と言える程の、規模ではありませんが)、多くの飲食店と店舗があります。

「Le Pain Quotidien」(ベルギーのブリュッセル(Brussels )発祥(1990年開業)の、bakery-cafeのチェーン(chain))の、東京opera cityの店舗で食べた、この日の昼食。アボカド(avocado)と海老のタルティーヌ(tartine・open sandwich)。
この翌日(11月の第4金曜日。以下、この日と書きます)は、土曜日でしたが、個人的に仕事でした。この日は、前日に、引き続き、東京opera cityに、仕事の用事で訪れました。

東京opera cityの、今年の、クリスマスツリー(Christmas tree)。
写真以下2枚。東京opera cityでの、仕事の用事を終えた後、「Le Pain Quotidien」の、東京opera cityの店舗で食べた、この日の、2回目の朝食兼早目の昼食(この日、朝食は、通常通り、我が家で食べて来ました)。

ハム(ham)とグリュイエールチーズ(Gruyere)のクロワッサン(croissant)。

ワッフル(waffle)。
写真以下8枚。この日は、この後、仕事の用事で、練馬(nerima)方面を訪れたのですが、外回りの、空き時間を、ちょっと、利用して、練馬(nerima)区美術館で、この時、行われていた、棚田 康司(tanada koji)の展覧会(exhibition)を見て来ました。
写真以下2枚。練馬(nerima)区美術館。練馬(nerima)区美術館は、練馬(nerima)区(東京中心部(東京23区)を構成する、23の区の内の一つ。東京中心部(東京23区)の西北端に位置する)が運営する、公立の美術館です。小ぢんまりとした美術館です。日本には、非常に多くの私営美術館・博物館に加えて、国や地方自治体が運営する、公立の美術館・博物館が、非常に多くありますが、公立の美術館・博物館の中でも、区が運営する美術館・博物館は、小ぢんまりとした物が、一般的です。


写真以下2枚。この日は、練馬(nerima)区美術館で、この時、行われていた、棚田 康司(tanada koji)の展覧会(exhibition)を見て来ました。棚田 康司(tanada koji。1968年生まれ)は、現在活躍中の、日本の、木彫りの、現代彫刻家です。 棚田 康司(tanada koji)の展覧会(exhibition)は、今回、初めて見たのですが、とても良かったです。


この展覧会(exhibition)の、パンフレット(leaflet)。表紙の作品は、この展覧会(exhibition)の展示作品の一つで、「立ち上がった少年」。2005年。棚田 康司(tanada koji)作。
写真以下4枚は、おまけ。。。この時、練馬(nerima)区美術館に置いてあった、東京国立近代美術館で、12月9日に開催された、日本の、現代彫刻の歴史と将来に関する、シンポジウム(何人かの専門家が、特定の問題やテーマについて、聴衆の前で、意見を述べ、聴衆と質疑応答を行う形式の討論会)のチラシ(leaflet)より。。。

表紙の作品は、「煌く嫉妬」(1924年)。戸張 狐雁(tobari kogan。1882年生まれ。1927年に亡くなる。日本の画家・彫刻家)作。

写真右端は、何れも、このシンポジウムに、専門家として参加した、現在活躍中の、日本の、現代彫刻家の作品です。写真上から2番目は、「双影塊」(2006年)。戸谷 成雄(toya shigeo。日本の彫刻家。1947年生まれ)作。写真上から3番目は、「ball sheet ball」(2006年)。富井 大裕(tomii motohiro。日本の彫刻家。1973年生まれ)作。

「現れた少女」の部分(2011年)。棚田 康司(tanada koji)作。

「Trans-Rio(Stroke)」(2012年)。名和 晃平(nawa kohei。日本の彫刻家。1975年生まれ)作。
この日は、練馬(nerima)方面を訪れた後は、仕事の用事で、巣鴨(sugamo)(東京都心部の北部に位置する。下町(旧市街)的な雰囲気の、庶民的な繁華街。まあ、繁華街と言うよりも、商店街と言った感じかな。。。)を訪れたのですが、仕事の外回りの合間に、遅目に、この日、2回目の昼食を、巣鴨(sugamo)の、大衆的な食堂で食べました。この食堂は、巣鴨(sugamo)の取引先の会社の一つの方に、教えて頂いた(勧めて頂いた)食堂で、巣鴨(sugamo)に、仕事の用事で訪れた際に、よく利用する食堂です。

この食堂(巣鴨(sugamo)の、大衆的な食堂)で食べた、この日、2回目の昼食。刺身定食(刺身と、ご飯(rice)の、組み合わせメニュー(menu))。刺身定食(刺身と、ご飯(rice)の、組み合わせメニュー(menu))は、この食堂で、お気に入りのメニュー(menu)となっています。この食堂では、この他、豚カツ(tonkatsu)定食(豚カツ(tonkatsu)と、ご飯(rice)の、組み合わせメニュー(menu))、海老フライ(海老の揚げ物)定食(海老フライ(海老の揚げ物)と、 ご飯(rice)の、組み合わせメニュー(menu))が、お気に入りです。
ちなみに、この翌日(11月の第4日曜日)も、個人的に、仕事でした。
写真以下2枚。12月の第3金曜日(以下、この日と書きます)、仕事の用事で、新宿(東京最大級の繁華街の一つ。東京都心部の西部に位置する)を訪れた際に、新宿の、庶民的なトルコ料理レストランで、軽く済ませた、この日の昼食。このトルコ料理レストランは、たまに利用しています。

パンとスープ(soup)。

ドネルケバブ(doner kebab)。
この翌日(12月の第4土曜日。以下、この日と書きます)は、個人的に、仕事でした。もっとも、仕事を早目に切り上げて、彼女と池袋(ikebukuro。東京都心部の北西部に位置する。銀座(ginza)・有楽町(yurakucho)、新宿、渋谷(shibuya)と並ぶ東京最大級の繁華街の一つ)で待ち合わせ、池袋(ikebukuro)のSunshine City(規模の大きなshopping mall)で、少し買い物をしてから(彼女に、彼女が選んだ物を買ってあげてから)、池袋(ikebukuro)のレストランで行われた、私と彼女の共通の友人・知り合い同士の忘年会に参加しました。

これは、借り物写真ですが、池袋(ikebukuro)にある超高層ビル、Sunshine60ビル。まあ、デザイン(design)は、この上なく(非常に)、退屈ですが、かつて、アジアで、最も高かったビルで、1978年完成、高さ約240mの、オフィス(office)用ビルです。現在は、日本で、ちょっとした高いビル(日本で9番目に高いビル)に過ぎませんが、当時、アジアで最も高いビルであった、新宿(東京有数のビジネス(business)街&東京最大級の繁華街の内の一つ。東京都心部の西部に位置する)にある、新宿三井(新宿mitsui)ビル(1974年完成。高さ225mのoffice用ビル)を追い抜き、完成当時アジアで最も高いビルでした(1985年に、韓国のソウルに完成した、63ビル(高さ249m)に、アジアで、最も、高いビルの座を奪われました)。Sunshine60ビルの下層階及び周囲には、水族館、劇場等の娯楽・文化施設、ホテル等を併設した、規模の大きなshopping mall、Sunshine city(Sunshine60ビルと同じく、1978年にオープン(open))が広がっています。
写真以下4枚。Sunshine cityの、噴水広場の、今年のクリスマス飾り。ちなみに、個人的に、池袋(ikebukuro)は、昔から(子供の頃から)、新宿や渋谷(shibuya)と比べて、比較的、縁のない繁華街です。




この日の、忘年会(日本の文化の一つ。年末に、居酒屋等で行う、(通常、飲酒を伴う)宴会(party))は、最初、私と彼女の共通の友人・知り合い同士、8人(私と彼女を含む)で、池袋(ikebukuro)のレストランで行い、その後、希望者のみ4人(私と彼女を含む)で、二次会と言った感じで、池袋(ikebukuro)のbarで飲みました(その様な場で、食べ物の写真を撮るのは、恥ずかしいので、写真は省略)。
写真以下。この日、池袋(ikebukuro)から我が家に帰る途中、通勤電車の、乗換駅の、新宿の新宿駅(東京最大級の鉄道駅の一つ。東京のみならず、日本で最も多くの利用者を有する鉄道駅。多くの通勤電車・地下鉄路線が通る)の南口周辺の、冬のイルミネーション(光の飾り)を、少し見てから帰りました。

正面に見える、超高層ビルは、新宿Park Towerビル。高さ235m。1994年完成。設計は、丹下健三(Tange Kenzo)。三つに連なった、三角屋根が特徴のビルです。基本的には、オフィス(office)用ビルですが、上層階には、新しいホテルながら(1994年開業)、東京を代表する、高級ホテルの一つとなっている、Park Hyatt Tokyoが入っています。新宿副都心の超高層ビルの中では、比較的、新しいビルで、東京opera cityビル等と同様、新宿副都心の西端部に位置するビルです。写真右側に見える、超高層ビルは、KDDIビル。1974年完成、高さ、約165mの、オフィス(office)用ビルです。新宿副都心の南端部に位置する、超高層ビルです。



写真真ん中の巨大なビルは、JR東日本(下の補足説明参照)の、本社ビル(高さ151m。1997年完成)です。新宿の超高層ビル群の、南東端部に位置する超高層ビルの一つです。
JR東日本:1987年に、日本の国営鉄道会社であった、日本国有鉄道(Japanese National Railways)が、7つの会社(旅客を扱う会社が6つ、貨物を扱う会社が一つ)に分割民営化された際に、生まれた会社の一つ。かつての日本の国有鉄道の、東京都市圏、東北地方、中部地方の北東部の路線の旅客輸送営業を引き継いでいる。日本最大且つ、世界でも、最大級の、鉄道会社。




写真左上の、上に、大きな時計が付いた、超高層ビルは、NTTドコモ(docomo)代々木(yoyogi)ビル。2000年完成、高さ240mのオフィス(office)用ビルです。新宿の超高層ビル群の、南東端部に位置する超高層ビルで、新宿の超高層ビルの中では、新しいビルです。このビルは、2011年まで、世界一高い、時計台でした。

ちなみに、この翌日(12月の第4日曜日)も、個人的に、仕事でした。
以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)に続く。
デパート クリスマス食事12他→