정직, 있는 것이 알고 있는 자료에 손이 닿지 않는 것은 안타깝다.성교 국회 도서관.뭐든지 넣어둬.대개, 총독부 시대의 자료는, 한국 국가 기록원에서 공개되고 있는 것 같지만, 보러 온다면 1개월전에 예약해 통역 첨부로 오라고인가.무리.호쿠다이 도서관?그런 곳 가는 돈과 짬이 있으면 우소탄나이로 사금굴이다―.아니, 여름에는 아마 가는데.트럭 왕국도.그렇다고 하는 것으로, 몇개의 자료는 도쿄의 대학 도서관(경응이나 도쿄대학)이나 홋카이도 대학에 존재하고 있는 일까지 판명.그렇지만 거기까지 뒤쫓고 있으면, 이야기의 영역으로부터 일탈해 나간다.할 수 있으면 대학에도 빨리 이러한 자료의 전자적 공개를 진행했으면 하면 바랄 뿐.그렇지만 지금의 정권 덕분에 어디도 그것어디 가 아니기 때문에, 당분간은 어려울 것이다.국회 도서관에서조차 정치적 배려라든지 인권적 배려라든가 말하는 매우 이상한 것으로 전자 공개하고 있지 않는 것이 있는 같고.등과 푸념 푸념.
그런데.
발진티푸스는 주로 인구 밀집지・비위생적인 지역에 봐?`
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孤盲猫を撫でる2 伝染病のお話2 窒扶斯-2 シラミって恐いですよねぇ
正直、ある事が分かっている資料に手が届かないのはもどかしい。ファック国会図書館。なんでもいれとけ。大体、総督府時代の資料って、韓国国家記録院で公開されているようだけど、見に来るなら1ヶ月前に予約して通訳付で来いとか。無理。北大図書館?そんなとこ行く金と暇があったらウソタンナイで砂金堀じゃー。いや、夏には多分行くんだけど。トロッコ王国も。ということで、いくつかの資料は東京の大学図書館(慶應や東大)や北海道大学に存在している事まで判明。でもそこまで追いかけてると、お話の領域から逸脱していく。できれば大学さんにも早くこういった資料の電子的公開を進めてもらいたいと願うばかり。でも今の政権のおかげでどこもそれどころじゃないから、当分は厳しいだろうなぁ。国会図書館ですら政治的配慮とか人権的配慮とか言う摩訶不思議なもので電子公開してないものがあるっぽいし。等と愚痴愚痴。
さて。
発疹チフスは主に人口密集地・不衛生な地域に見られ、コロモジラミによって媒介される伝染病です。第一次世界大戦のロシアにおいて3000万人が罹患するなど、冬期・寒冷地での流行が多い病気。現在はアフリカや南米高地と言った寒冷地に発生しているとの事です。予防法は非常にはっきりしていて、衣類・寝具の清潔、身体の清潔を心掛けシラミを少なくすることです。ちなみに、コロモジラミは55℃のお湯で卵も完全に死ぬので、見つかったときは衣類・ふとんを熱湯(もしくはそれに準じる方法で)消毒するとよいでしょう。なお、類似のアタマジラミは清潔な環境でも発生する事があり、日本でも保育園などでの集団発生がまま見られます。私の家でも子供が一回アタマジラミにやられた事があり、病院へ連れて行ったら「薬局でかくかくしかじかのクスリを買ってください」と言われた事があります。Wiki等ではアタマジラミも媒介するような事があると書かれていますが、この辺は著述に混乱がありおそらく誤記。さすがに専門書を読むまではしていないので、ここではあくまでコロモジラミ媒介、ということで話を進めます。
M42(1909)シャルル・ジュール・アンリ・ニコルがこのシラミによる媒介を発見するまでは予防法が確立していなかったため、日本の伝染病予防に関する書籍中には『家庭衛生新書』(M32(1899))では腸チフスと同じようにして消毒を心掛ける事とおり、『八種伝染病看護法』(M34(1901))では不潔な生活をしているとかかりやすく上流家庭にはほとんど見られない等、『家庭衛生新書』と同じような発生原因を記述しています。ただ衣類を焼却しろ等、対抗的な予防を既に確立していたようです。『実地看護法』(M43(1910))では腸チフスと違い、接触型感染をするものとして隔離が必要としていますが、まだ空気感染するというような記述も見られます。『北里研究所補修講演録』(T3(1914))では既にニコルの研究成果を北里研究所では理解しており、「似ているが腸チフスと発疹チフスは全く別の病気」と述べていますので、明治末年から大正初めにかけてニコルの研究が日本に紹介されたと思われます。
内地ではM17-M24(1884-1891)・T3(1914)・S18-25(1943-1950)※1の三回大流行を見ますが、それ以外の年はほとんど発生せず、1955以降は患者がいない状況という、日本人には一部世代以外にあんまりなじみのない病気ですね。日本の場合東北の寒村や東京の大都市の貧民層に蔓延した事があり、「貧困による不衛生」の代名詞みたいな部分があろうかと思います。この3回のうち初回は近代最初の大流行と思います。当時は大陸と日本を結ぶ交通網が急激に発達していった(日本郵船の登場など)時期ですので、こうした影響もあった事でしょう。対して3回目は戦中戦後の影響です。敗戦直後のDDTの写真なんかはお馴染みですね。そして、こつんと1914に大流行しています。この時の流行については『大正期日本における感染症の突発的流行-発疹チフス1914年-』(永島剛:2006)に詳しくありますのでご興味のある方は是非ご一読あれかし。当時の日本における労働者の移動など、非常に興味深い論考です。
かくの如く日本には資料あるところに論考ありというところなのですが、半島ではどうなのでしょう?『韓国農村社会研究』(崔在錫:邦訳1976)なども読みましたが、もうこれだけでおなかいっぱい。やはり電波浴は一日一本までにしないと体調を崩します。実際、こういうところに関する論考は医学的なところはともかく、歴史的な研究ははなはだ心許ないと思われます。
それはともかく。
朝鮮において発疹チフスは常在していた病気か?というと、統計上はそうでもないのです。次のグラフをご覧下さい。
年次別の発疹チフス発生グラフ
これを見てもらうとおわかりの通り昭和に入った頃から突然患者数・発生率が0.05-0.1‰に跳ね上がります。内地人の伝染病発生率はどの病気のどんな時期も朝鮮人より大きいのが常なのですが、1926-27あたりは逆転すらしています。※1
※1 今までのグラフでもそうですがおおむね朝鮮の発生総数≒朝鮮人の発生総数なので、欠落部分もそう見て構わないと考えています。
この時期朝鮮人社会が突然不衛生になった、としか考えられない不思議な現象です。正確には「大正期に比較して相対的に不衛生な環境になってしまった」と考えられます。もしくはこの時期に急激に医療機関利用が増加したか。後者については前述したとおりで、大正中期に一旦受診者が激減し、昭和6年から回復していくので、あながち間違いとは言えないまでも、大正初期にはもっと患者が出てもおかしくないはずです。
前者の場合、腸チフスでもそうでしたが、この時期朝鮮人社会に不衛生な環境をもたらした原因が存在しているはずなのです。これはあくまでお話でしかないので、これ以上の突っ込みはありません。しかし考えられる事はいくつかありますので列挙しておきます。
1 腸チフスと同じく近代医療に対する失望から受診が低下したことによる病気蔓延の下地があった
2 大正期以降の人口増加に伴う相対的不衛生の発生(特に都市部)
3 労働人口の移動による伝染経路の増加
4 生活状況の変化
1から3ももちろん重要な要因ですが、今回は4についてどうだったか考えてみました。ということで、ざっと朝鮮半島の衛生に関する記述を拾っていくと以下のようなものが出てきます。
『韓国地理』(M37(1904))
…衣服の清潔は尊ぶがその他の家屋や飲食物の清潔は全く意に介さない…
『最近朝鮮事情』(M39(1906))
…下層階級では不潔でビンデーという南京虫が沢山いる…夜具もろくにない…
『朝鮮の研究』(M44(1911))
…豚小屋同然…※2
併合前後はもうメタクタにいわれています。このあたりについては西洋人の記述でも、あれな人が大好きな記述がずらっと並びます。
※2 この辺は皆さんもご存じの事が多いと思いますので抽出での記述です。
これが次の時代では
『朝鮮人の衣食住及其ノ他ノ衛生』(第八師団軍医部編:T4(1915))※3
…寝具ハ日本内地ノモノト異ナラス衾褥アリト雖モ其ノ内容タル獣毛若クハ綿絮ノ量ハ甚タ小量ニシテ随テ薄ク所謂煎餅蒲団ト称スヘク而シテ極寒ノ期ニ於テモ敷蒲団一枚ヲ延ヘ上ニ薄キ衾ヲ被フモノアルモ二枚以上ヲ使用スルモノ少数ニ過キス寝具ニハ殆ント木綿ヲ用ヒ稀ニハ紬或ハ緞子製ノモノヲ用ウ但シ夏季ハ麻若クハ木綿製ノモノヲ用ウ又中流以下ニ在リテハ寝具を用ヰス只衣ヲ著ケタル儘「アンペラ」上ニ臥スルモノ多シ…
…寝具ヲ有スルモ地質ノ損セン事ヲ顧慮シ洗濯ヲ行ハサルモノアリ…
…沐浴ハ殆ント行ハレサルカ或ハ行フモ甚タ稀ナリ…
『朝鮮部落特別報告』(朝鮮総督府:T13(1924))※4
…私は貧民窟に就いては内部がよく片付いて掃除が届いてゐると云ふ外に…
…郡の役所の朝鮮の通訳の人に案内をしてもらつて歩いてゐたとき…(注:この間筆者は民間住宅の写真を撮っていた)…とうとう彼は堪えられなくなって叫び声を挙げて私をにらみ付けながらかう言ったのである「どうして汚い家ばかり写真に撮るんですか」…彼は若くてハイカラな身態をしていた…
となり、昭和に入りますと
『昭和七年六月細民ノ生活状況調査第二報』(全羅北道警察部:S7(1932))
…細民ノ春窮期ニ於ケル糧食ハ慨シテ草根木皮等ノ悪食ノ関係上多クハ胃腸ヲ害シ栄養不良ニ陥リ…全州署管内ニアリテハ細民ノ下痢患者続出シ本年一月ヨリ四月迄道立病院施療券ノ発行数三百二十枚ニ達シ昨年同期ニ比シ倍加セリ…
…春窮期ハ古来麦嶺ト称シ其ノ生活状況ハ今モ昔モ変ルコトナク細民ハ草根木皮ヲ食シツツアリテ敢テ異トスルニ足ラザルガ相当有産階級ニアリテモ昔日ハ絹布ヲ纏フハ殆ンド冠婚葬祭ノ場合ニ限ラレタルガ現今ニ於テハ貴賤ノ別ナク絹布若ハ唐木(※5)等ヲ購入着用シゴム靴ヲ穿チ流行帽ヲ冠ル等衣食住共ニ朝鮮人ノ生活程度ハ併合前ニ比シテ著シク向上セルハ一般ノ等シク認ムル処ナリ。
『朝鮮の農村衛生:慶尚南道蔚山邑達里の社会衛生学的調査』(朝鮮農村社会衛生調査会:S14(1939))
…多くの農家では屋根の丸太や土壁がそのままになってゐる。かうした部屋の塵埃、隙間、不潔更に蚤、しらみ、その他の害虫の繁殖、かうした一連の事情を注意すべきであるのは云ふまでもない…便所は庭の隅または軒下にあるのが普通である…
…滞症、皮膚疾患の如きは、彼らの生活様式から直接くるものであり、住宅、飲食、衣服の非衛生的条件並に労働と休養との不調和が主要なる要因をなすものである…※6
とあります。
※3 この時期の咸鏡北道諸地域の衛生記録
※4 この報告のみ他に比較してかなり好意的なものでした。これは報告者(今 和次郎)が朝鮮民家に素朴な美を認めていたためと思われます(本人叙述あり)
※5 唐木は唐木綿の事と思われます。春窮で餓死寸前の窮乏農民ですらこうした高級織物を手に入れられるようになったという事です
※6 コピーミスで手元に不如意なのですが、上級農民は風呂をあしらえていた、と言う記述がありました。ただし内地人が3世帯あったので、これらの家族が拵えていたのではなかろうかとも思われます。
これらを見ると併合前から住居に南京虫が蔓延している、昭和10年代でも害虫の繁殖について注意を促されている事がはっきり分かります。ちょっと横道ながら面白いのは『朝鮮部落特別報告』において、若くハイカラな通訳が「汚い家を写真に撮るな」と怒っている事ですね。もちろんこの時期総督府の技官の通訳ができる若くてハイカラと言う事は良家の子女で金持ちの子でしょうから、そもそも貧農の家を蔑む気持ちがあった事は否めませんが、そういうものが「恥ずかしい」ものだという意識が、この時期には生まれていたという事です。
また、昭和10年代の『朝鮮の農村衛生』では中層農民でも「便所」をあしらえていた事も注目すべきかと思います。少なくとも併合前後では都市部の上級階級の家でもないと便所がなかった事は当時の家屋の調査から分かっています(敷地の外側などに簡易的な便所を設けるなどしていた)。それが農村部の中層でも便所を作る(少なくとも堆肥と隣接していない、禽獣と一緒ではない)ようになっていたのはかなりの進歩だと思います。
ところが統計上は1919のパンデミックまで発疹チフス自体ほとんど報告されておらず、またそれを過ぎるとしばらく下火になります。そもそも南京虫やアタマジラミと違い、綿や毛織物と言ったところを住処にするコロモジラミは対象物(布団や綿入れ・防寒着)が無ければ広がりにくいし、薄着かつ洗濯は頻繁に行っていたと目される李朝以来の伝統的な服装では発生しにくかったのではないかと思います。これが昭和になると増加するのは、貧民層も厚着ができるようになった、もしくは布団を敷く習慣が日本人によって常態化したのでは無かろうか?という仮説が成り立ちます。入浴や綿の打ち直しなどの習慣に乏しい状況で「暖かくなれる」文化的な道具が流入したことが、むしろ発疹チフスの増加につながってしまったのではないか?と言う仮説です。
他の可能性としては発疹チフス自体がはっきりと確認できない病気だったので、腸チフスに入れられていた可能性です。内地の場合でも東北地方ではそう言ったケースがあった事が確認できます。※7
※7『大正期日本における感染症の突発的流行-発疹チフス1914年-』(永島剛:2006)
実はここで行き詰まっていました。私は朝鮮半島における寝具・沐浴・服飾について全く知らなかったからです。で、多少調べてみた結果は
「朝鮮半島には日本で云うところの敷き掛け布団という文化はなかった」
(布団自体はあったが日本のそれとはかなり異なる)
「入浴習慣は全くと言っていい位なかった」
(沐浴はともかく、風呂を持つとか風呂を焚くという習慣はない)
「防寒用の衣服はあるが、とにかく徹底的に洗うので服自体は意外に清潔であった」
(でも冬場はあんまり洗っていないらしい)
でした。
まず布団がないというのは文化的に遅れているという事ではなく、オンドルを含め冬対策を基準にした家屋だったため部屋が暖かく、そういうものをあまり必要としなかった事によります。逆に堅い板の間に寝る習慣が普通だったため、夏の暑い時期は外の地面に普通に寝ていても問題を感じていないと言う記述や、逆に日本人にはこの板の間が固くて寝られないと言う記述はあちこちで見つかりました。
入浴習慣については生まれてこの方風呂に入った事がないという記述が土幕民関係などに見つかりました。
衣服の洗濯については川で叩いて、灰汁で煮沸して、砧で打つという記述が多くこの煮沸によって少なくとも害虫は殲滅していたと思われます。
よって、少なくとも伝統的な生活では部屋をよく掃除していればコロモジラミの発生は防げたと考えられます。(アタマジラミや南京虫はともかくとして)
では仮説はどうなのでしょうか?布団が入ってくる事によって発疹チフスが増加したのでしょうか?これについては比較的明快な答えを持つものがありました。
『土幕民の生活・衛生』(S17(1942)第3節
…東部緒土幕部落間に発疹チフスの蔓延を来した事も斯の如き彼等の住居と次章に述べる衣服の状況から推して容易に肯かれる…
…冬服一着宛の者及び一着も持たぬ者、三二二戸、総数の五八%は一着の着換も有しない者で、夏と異なり、冬期には簡単に洗濯する訳には行かないから一冬中、ただ一着の着物にくるまって過ごすと想像する他はなく、斯かる衣服の不備に、更に住居食物の非衛生さがかてて加わって次篇衛生調査に述べる如く、土幕民の罹病率を高からしめるのであらう。…
…掛蒲団一戸当一枚以下の者二九五戸、総戸数の五五%を占め過半数の者が一家族ただ一枚の蒲団にくるまって夜を過ごす事を示す。…
…敷蒲団の枚数は更に少なく一人当各々一枚宛有するのは極く暮らしのよい数戸に限られる。一枚も有しない者六八戸、全戸数の一割に達し、一枚乃至二枚を有する者四〇〇戸、七五%に及ぶが、これらは幼弱者、老衰者だけ敷き他は直かに温突上に寝るのである。…
風呂に入らず、洗濯もままならないままひとつの蒲団にくるまっていれば、発疹チフスの温床まっしぐらですね。この記述は当時としても最も下層域の生活ですから全部がこうだったとは言いませんが、中層域でも服の枚数が増え布団が個別になる程度でしょう。それでもずいぶん違うとは思われますが。
総督府時代は半島での綿生産・消費は急激に増加しており、下層域でも冬服に綿を入れるのは常態化していたようで(冬服ひとつしかないので夏はそこから綿を抜いて急場をしのぐという記述が上掲書にあります)、ここに出てくる布団も『朝鮮人の衣食住及其ノ他ノ衛生』に出てくるようなものからは多少は進歩していたのではなかろうかと思います。正確には「下層域でも掛け布団にくるまって眠れるようになった」と見ていいでしょう。ただし、和ぶとんが流入した事で発疹チフスが増加した、とは言えないでしょう。むしろ経済的な向上や人口の増加により相対的衛生状態の劣化が発疹チフス増加の原因と思われます。
発生地域もまとめてみたのですが、各地域の経済力などがもう一つはっきりしないので、なんとも言えないところがあります。それでも咸鏡北道に異常な発生率が認められました。これはロシア(よく発生していたと思われる)と近い事、北部で寒冷である事、そしてやはり貧困があったと考えられます。京畿道に多かったのは間違いなく都市衛生の不備ですが、黄海道と忠清北道に多い理由はよく分かりません。鉱山が多いわけでもないし、工業が盛んなわけでも無し。人口が少ないので見た目発生率が高いわけでもなし。細民(火田民・土幕民・春窮民)が多かったのか?と言うことくらいしか思いつきません。
昭和9年発疹チフス地域別(対地域人口)発生率
今回の結論
1 発疹チフスはパンデミック期以前にはあまり報告されない。これは伝統的生活によるものか、腸チフスと報告される例があったためと思われる
2 昭和期に突然発疹チフスが増加するのは貧民層の経済的向上と人口増加によるものではないかと考えられる
3 発生地域は都市部(京畿)、北方(特に咸鏡北道)が多いが、なぜか黄海道と忠清北道にも目立つ。
今回のおまけ
布団、今私たちが言うところの布団自体はどうやら南宋時代には原型があり、日本でも17世紀には敷き布団が存在しています。大衆への普及はかなり遅れて19世紀以降のようですが。欧州では羽毛布団が14世紀には上流階級に、産業革命以降はこれが庶民に爆発的に広がったそうです。調べてもらったところ、麻の布団に関する事が実録に出てくる位で、朝鮮での綿布団はいまいち不明。麻の布団ってどうしても台所マット位しか思いつかないのですが、麻袋に何かを詰めていたのかもしれません。とはいえ上述の事から考えてもほとんど何も入れてなかったのではないかと思います。先に述べたとおり、これはもう文化の違いであり、ここは東アジアでも独特と言っていいと思います。
ちなみに、同時期ということではありませんが大正10年(1921)から内務省が日本の農村の衛生状況について広範な調査を行っています。その結果は『農村保健衛生実地調査成績』(S4(1929))にまとめられ、また各地域については別途報告書が発行されています(おそらく全地域分があるのでしょうが、一部のみ国会図書館に蔵書として存在)。
内務省直での調査は7村、地方の警察や保健機関などに委託されたものは134に及ぶ、かなり大がかりな調査です。北は北海道秩父別村(現雨竜郡秩父別町)・白石村(現札幌市白石区)から都市部では東京府伊興村(現足立区伊興)、南は沖縄県南風原村(現南風原町)まで、全府県を対象にしています。洗濯などについては調査がないのですが、着衣(夏冬の違い)などと一緒になぜか入浴回数と個人用の手ぬぐいの有無、洗面器の有無なんかを調べてます。もちろん身長体重や疾病、食事や家屋の状態は調査しているのですが。おそらく個人用の衛生具がどれ位普及しているのかという調査だったのでしょう。歯ブラシの項目はなく、農村では塩をつけた指で磨く程度という事が出てくる程度でした。
この報告によると、秋田県山本郡富根村(現能代市富根)は冬場に毎日風呂に入る家が2、大体の家が月に1-2回、もしくは3-6回程度の入浴をしており、冬場は正月のみ入浴する、と言う家が40戸あったとしています。これが夏になると毎日入浴は2、240戸が随時河川で行水もしくは井戸水で水浴をし入浴に代える、とあります。これが都市に近い村や南になると大体毎日入浴する家が増えていきます。佐賀県杵島郡佐留志村(現江北町)の輪番で公共浴場をわかし、当番はその日の清掃や燃料代を持つ代わりに村人全員が入浴すると言う例もありました。
やはり東北は貧しかったのです。
次回は赤痢、そしてコレラ、その後産業別の病気の発生や、年齢別の発生変化なんかを取り上げられたらいいなぁと思います。
当初の考えでは2回程度のものがいつのまにやらまた長編になっていく。実にまとめるのが下手、としか云いようがないとかなり自省中。これでも一旦書いた文章を3割程度まで削っているんですが。青な人と類似青な人のために3行にまとめても良いんだけど、そうすると毎回「来た見た勝った」みたいになるんで、さすがにそれは嫌だなぁと。
おまけのおまけ(むしろこっちがメインか)
シラミつながり

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댓글 ( 15 )-
Lv 0
아이의 아타마지라미는, 정말로 어디서 받아 오는 것인가···.우리 경우는, 아마 임간 학교때일 것이다.생각해 낸 것만으로도 족으로 한다.
16년 전
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Lv 2
중세 유럽을 석권 한 흑사병은, 쥐에 매달린 이가 매개하는 페스트균에 의하는 것으로 되어 있는 것 같네요.원쿳션 맞은 (뜻)이유다.w
16년 전
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Lv 2
페스트는 쥐의 조를 매개하는지, 환자의 기침으로부터 물보라(공기?) 감염입니다.
16년 전
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Lv 0
벽|v′)<보통으로 정리하는 것만으로도 큰 일인데, 독자층을 넓게 설정되는 탓으로(w), 알기 쉽게 정리하는 것이라고 해도 와 대단히 됩니다 …
16년 전
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Lv 2
알기 쉬움과 정확함은 모순되는 것이 많다고 생각합니다.큰 범위를 파악받기 위해서는 대개, 이런 느껴로 하지 않으면 갈 수 없고.
16년 전
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Lv 2
적어도 그림을 그리는 능력이라든지가 있으면, 좀 더 좋아 질지도 모르는 것입니다만, 없는 것 졸라.
16년 전
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Lv 0
벽|v′)<분명히 몇 년전에 한국인이 본국 뉴스에 켠 기입으로, 조모 일가가 일본에 있었을 때, 자비 세탁을 하는데 평상시 취사하는 솥을 이용한 것을(계속 되는
16년 전
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Lv 0
계속) 주위의 일본인으로부터 불결로 여겨져 놀랐다고 하는 것이 있던 것을 생각해 냈습니다.
16년 전
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Lv 2
보통 식사용의 냄비로 갑자기 속옷이라든지 삶기 시작한다 라고 하는 이야기였습니까.그렇게 말하는 것도 연면과 문화로서 계속 되고 있습니다.
16년 전
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Lv 2
세탁의 일을 조사하고 있으면, 저 편의 세탁기는 95℃라든지의 온수가 나오는 기종이 있는, 같은 이야기도 힐끗 있어.
16년 전
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Lv 0
수고였습니다.길었습니다만 나같은 무학의 사람에게도 알기 쉽게 정리해 있었으므로, 읽을 수 있었던♪
16년 전
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Lv 2
선행 연구를 숙독하지 않는 채 진행하고 있는 일도 자성중.정직 귀면인을 위협한다고 하는 수법이구나와 여기도 맹성.그렇지만 한글을 구사할 수 있게 되고 싶다고 하는 욕망도 없음.
16년 전
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Lv 0
안 됨 맨 아직 있다 www 이번에 오프에 와
16년 전
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Lv 1
읽을 만함이 있는 역작을입니다.(′_`) 노시
16년 전
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Lv 0
수고 하셨습니다-
16년 전