우리동네

この投稿の動画・曲は、全て、you tubeから借りて来た物です。IE等で、この投稿の写真が見られない場合は、FireFoxで、ご覧下さい。


今までの、kjの投稿の中から、自動車のBGMとして聴く曲に関連する物を、抜粋して来た物です。


写真は、借り物(写真の作者:160SX )。「Cosmo AP」。「Cosmo AP」は、MAZDA(日本の、大規模、自動車会社の一つ。ただし、大規模会社としては、規模が小さい)が、1975年に販売を開始した、ミドルクラス(中級class)の乗用車です。「Cosmo AP」は、私が、幼い頃から子供の頃、実家(両親)の、自動車でした。私が幼い頃から現在に至るまでの、(我が家の近所の)私の実家の(私の両親の)、自動車の変遷は、MAZDA「Cosmo AP」→Nissan Volkswagen Santana(日産(nissan)自動車が、日本国内市場向けに、日本国内で生産していた、2代目、Volkswagen Passat(Volkswagen Passat (B2))の姉妹自動車。1984年に販売開始)→Mercedes-Benz C-Class →Mercedes-Benz E-Class (W211)(現在)(Mercedes-Benz E-Class の中では安い物です)となっていますが、両親は、まだ、W211 E-Classに乗り続けていて、今のところ、一向に(全く)、買い替える気配を見せません。私の、家系(家族の性質)は、一度、自動車を買ったら、とても長く乗る(乗り潰す位の、つもりで乗る)、家系(家族の性質)ですw(私も、私の弟も、そうです)。

私の実家(両親)の自動車の選択は、母が主導権を握っているので、私の母は、ミーハーでチャラチャラしたところがあるんでw(現代に若者時代を過ごしていたら、ギャルになったような気もしますw)、Nissan Volkswagen Santanaは、ドイツ車(当時、日本では、おそらく、まだドイツ車のブランド力が高かった)が、国産の同クラスの車と同程度の価格で買える、「ラッキー!」と言った程度の乗りで買ったような気がしますw その後、両親は、Mercedes-Benz C-Class、Mercedes-Benz E-Classと乗り継いでいるのですが、ベンツと言う選択は、母の見栄の部分もある事は、否定出来ないと思いますw まあ、(私もそうなのですが)、両親は、休日に高速道路を使う機会が多いので、その点において、ドイツ車と言う選択は、良いのだと思いますが。


ちなみに、私の母は、運動神経が良く、自動車の駐車等、確かに女性にしては(と言うか男女関係なく)上手いのですが、自分が自動車の運転が上手いと言う自信が、妙に高くてw(今は、さすがに、もう高齢者の年齢に突入し、昔よりも、自動車の運転は、慎重になっているようですw)、私が子供の頃から中学生・高校生の頃、それが故に、母が運転する車に乗るのは、ちょっと怖かったですw(家の車(両親の車)の運転は、同乗者(家族(妻・子供))の事を気遣い、慎重な安全運転である父の運転の方が、安心でしたw)。


私の母は、チャラチャラした所があり、現代に若者時代を過ごしていたら、ギャルになったような気もしますw

私の母は、私と私の2歳年下の弟(私には、兄弟姉妹は2歳年下の弟が一人います)が、幼稚園・小学校の頃、天気が良くて、気分が乗ったりしたら、突然、幼稚園・学校を、ずる休みさせて、動物園・遊園地等に、子供達(子供)を、遊びに連れて行く事がありましたw

また、私の母は、昔から(若い頃から)、自分の脚線美に自信があるらしく(今は、さすがに、母は、もう、おばあさんなので、それはない(自分の脚線美に自信があるという事はない)と思いますが。。。ちなみに、母は、身長は、163cm位と、私の母の世代の女性にしては、割と高く、また、痩せの大食い体質で(ちなみに、私は母の痩せの大食い体質を受け継いでいますw)、年を取っても相変わらず痩せています)、私の母は、今はさすがにそれはしませんが、60代の初め頃までは、(もちろん、カジュアルな服装としてですが)、ショートパンツに、生足で、お出掛けする事もありましたw



CHICAGO - 「Hard To Say I"m Sorry」(1982年)。これは、おまけで、私の父と母が、私が子供の頃、drive中に、よく聴いていた曲の一つです。

前述の通り、私は、兄弟姉妹は、2歳年下の弟が、一人いますが、私は、弟とは、昔から(幼い頃から)、お互いに、過干渉しない、適度な距離感の、個人主義と言った感じで、仲が良いです(弟と激しい喧嘩なんて、生まれてから、一度もした事がありません)。

私は、小さな個人事業を営んでおり、私の弟は、外資系の会社員をしています。私の弟は、既に、結婚をし、子供が二人いて、上の(年上の子供)は、男の子、下の(年下の子供)は、女の子で、まだ、二人共、幼いですが(女の子(妹)の方は、一昨年、生まれたばかり)、二人共、とても可愛いです。弟は、弟の家族(弟の妻と子供達と共に)、東京の西部郊外の静かで落ち着いた住宅地に買った一戸建て住宅に暮らしています。弟の、奥さん(妻)は(ちなみに、弟の、奥さん(妻)は、弟よりも、かなり年下です)、結婚する前は、服関係(ファッション関係)の、会社で、会社員として働いていましたが、結婚してからは、主婦となりました。弟の、奥さん(妻)は、専業主婦で、弟と結婚してからは、アルバイトを含めて、仕事は、一切していない様です。現在、弟は、妻を愛し、大切にし、守ると共に、妻と共に、二人の子供に愛情を、たくさん注ぎ、子育てを、とても楽しんでいるようです。弟は、我が家の近所の私の実家の両親に、二人の幼い子供の写真を、よく送信しているようです。

弟は、弟の幸せをみつけ、今は、兄として、遠くから、弟の幸せを、温かい気持ちで見守っている感じです(まあ、弟は、弟の家族(弟の妻と子供達と共に)、東京の西部郊外の静かで落ち着いた住宅地に買った一戸建て住宅に暮らしており、物理的な距離は、近いのですがw)。

私は、弟との、個人主義の原則に基づき、弟の私生活には、干渉しない主義ですが、これから先、弟が、金銭面においても精神面においても、いかなる面においても、私の助けが必要となる場合が生じた時は、私は、兄の責任として、弟に対する、出来る限りの援助(助け)をしたいと思っています。

ちなみに、私は、会社員と比べて、相対的に、安定的ではなく、相対的に、ビジネスにおいて危険性が高いが、相対的に、自分で自分の時間を自由に管理する事が出来、又、自分の才能・仕事の能力・仕事の効率性・努力が、自分の収入に直結する(直接繋がる)、個人事業の道を選びました。

そして、以下の参考の投稿のような、ライフスタイル(lifestyle )で生きています。
以下、参考の投稿。
ヒュッゲと物欲主義(日本語)→
/jp/board/exc_board_8/view/id/2580461/page/5?&sfl=membername&stx=jlemon
ヒュッゲと物欲主義(韓国語)→
/kr/board/exc_board_8/view/id/2580461/page/5?&sfl=membername&stx=jlemon
 

私は、人間関係において、群れると言う事が嫌いです。必ず、当てはまると言う訳ではありませんが、学校のclub活動(部活)と会社の人間関係と言うのは、群れると言う傾向があると思います。もちろん、群れると言う点において、良い面も、たくさんあり、皆で、共同して、何かを成し遂げたりする事は、素晴らしい事であると思います。でも、私は、個人的には、人間関係において、群れると言う事が嫌いです。一方で、私は、寂しがり屋の面もあり、お互いの個性を認め合った、独立した人間同士が、集うと言う事に関しては、好きです(自分で言うのも何ですが、性格は完全に猫と言った感じですw)。

私も私の弟も(弟は、その事に関して、私の影響を受けた)、中学校・高校時代、学校のclub活動に縛られない、帰宅部(kitakubu)(学校のスポーツ・文化関連等のclubに、所属しないか、又は、所属していても、ほとんど活動に参加しない事(この様な事を日本では幽霊部員と言います)を言う)であったので、学校外の時間は、ふんだんにあったのですが、私の場合、女の子遊び・悪友達との夜遊びで、弟の場合、サーフィン(surfing)・スケートボード(skateboarding)・スノーボード(snowboarding)や(弟は、高校時代から、サーフィン(surfing)を通じた、幅が広い年齢層の人脈を築いていました)、空手(karate)で(弟は、小学生の頃から大学生の頃にかけて、私の街の空手(karate)(柔道(Judo)等と共に、日本を代表する、格闘技(martial art)の一つ)教室に通っていて、特に中学生から高校生の頃、熱心に通っていました。私の弟は、初段だか二段だか三段だか、弟に確認してみないと分かりませんが、何れにしても、私の弟は空手(karate)は黒帯(black belt)です)、それなりに忙しかったですw 私は、高校生の時は、放課後は女の子・女の子達や私と同じチャラチャラした男友達達と遊ぶのに忙しく(渋谷でよく遊んでいました)、クラブ等での夜遊びや合コンもたくさんしていました。

私は、高校時代(私の高校生活は)、爽やかな面も、あった事はあったのですが、素朴で、爽やかな青春と言うよりは、どちらかと言えば、(当時、当時の私と同じ位、程度の低かったw、友達達と共に)、club(nightclub)等で、よく、夜遊びしたり、(私は、普通の、男女共学の高校に通っていて、学校内の、女の子達とも、仲良くしていたのですが)、よく、他の高校に通う、女の子達等と、合コン(友人や知り合い等の紹介による、男女が、知り合う為の、居酒屋等での、飲み会や食事会。日本では、大学生等の学生位の年齢(18歳位)から20代位の年齢の若者の間で、盛んに行われている)したりして、また、ここでは書けないような事をしたりして(人を傷つけるような事ではありません)、どちらかと言えば、都会の、荒くれた(率直に言ってしまえば、爽やかと言うよりも、どちらかと言えば、猥雑で、堕落して、馬鹿っぽい(馬鹿のような))高校生活を送っていましたw(まあ、それは、それで、楽しかった)。

ちなみに、私も、当時、私と一緒に遊んでいた、悪友達(友達達)も、学校の先生の前では、優等生で(素直で、礼儀正しく、一般的には、学校内においては、学校の規則を、しっかりと守る生徒で)、親の前でも、一般的には、反抗期なんて言う物は存在しない位、良い子(良い、子供)でしたw  また、私には2歳年下の弟がいるのですが、私の弟は、(前述の通り、若い頃、サーフィン(surfing)や、スケートボード(skateboarding)、スノーボード(snowboarding)を、よく、やっていて、そう言う面(運動と言った面)に関しては、私よりも活発でしたが)、私に比べれば、かなり真面目でした。

私の母自身、何も考えていないと言うか、母自体がチャラチャラしている面があり、男の子は、ある程度、遊んだ方が良い・やんちゃした方が良い位に、思っていた節があり、父は父で、私が子供の頃・若い頃は、典型的な、仕事人間・会社人間と言った感じで、土・日・祝日や休暇時期に、子供(私及び弟)を積極的に遊びに連れていったり・子供(私及び弟)と積極的に遊んだりして、子供(私及び弟)の思い出作りには、出来るだけ協力するが、子供(私及び弟)の教育に関しては、妻である私の母に全て任せて、自分は(私の父は)、子供(私及び弟)の教育に関して、一切、関与する事はなく、(父は、私及び私の弟が子供の頃は、子供(私及び弟)の事は好きで、一緒に遊ぶのは楽しいが)、子供の教育に関しては面倒くさいので何も考えないと言った感じの、ある意味、子育てに関して自己中心的な面があった男性である事から、私が中学・高校時代、遊んでいても、ほったらかしと言った感じでしたw

私の弟は、高校時代から、サーフィン(surfing)を通じた、幅が広い年齢層の人脈を築き、高校時代、学校内(通っていた高校内)で彼女も作っていましたが、サーフィン(surfing)を通じた人脈で、彼女を作る等もしていました。

前述の通り、私は、弟とは、昔から(幼い頃から)、お互いに、過干渉しない、適度な距離感の、個人主義と言った感じで、仲が良いです(弟と激しい喧嘩なんて、生まれてから、一度もした事がありません)。

私と弟は、お互いの女性関係に関しても、(互いに気を遣って無関心をよそおうと言う事も含めて)互いに無関心・不干渉主義でした。それでも、私は、少なくとも、私の弟の歴代の彼女の顔くらいは知っていますw 一方、弟は、(弟に比べて不真面目であった)私の、女性関係の全貌は、二人とも実家暮らしであった時に限定しても、全く掴めていないと思います。

前述の通り、私の父は、私が子供の頃・若い頃は、典型的な、仕事人間・会社人間と言った感じで、土・日・祝日や休暇時期に、子供(私及び弟)を積極的に遊びに連れていったり・子供(私及び弟)と積極的に遊んだりして、子供(私及び弟)の思い出作りには、出来るだけ協力するが、子供(私及び弟)の教育に関しては、「君(私の母)に、全て、任せる」と言った感じで、子供(私及び弟)の教育に関しては、妻である私の母に全て任せて、自分は(私の父は)、子供(私及び弟)の教育に関して、一切、関与する事はありませんでした。

そして、私の父に、子供(私及び弟)の教育の全てを任された、私の母は、どうだったのかと言うと。。。私の母は、子供に対して、勉強しろと、一切、言わないタイプの親でした。

率直に言って、私と、弟が、それぞれ、子供の頃から高校生の頃、私の両親は、子供を(私と私の弟を)、とても甘やかしていた事は、否定出来ません。私の両親は、子供(私と私の弟)に、勉強の妨げになるような誘惑になる物を、どんどん買い与える一方で、私の母は、あまりに、子供(私と私の弟)に対して、勉強しろと言わないものだから、私は、かえって、勉強に関して、これで良いのかと不安になり、勉強に関して、自分で、どうにかしなければならないと思うようになりました。そして、私の、勉強に関して、自分自身で、どうにかしなければならないと思う気持ち・姿勢は、(おそらく)、私の弟にも、影響を与えました。

私も、私の弟も、大学は、(地元の東京の)私立の大学を卒業しましたが、(私も、私の弟も)、小学校から、高校まで、ずっと、公立の学校でしたし、また、模試(予備校(大学受験準備学校)が主催する試験)は、自分の学力を知る為と、大学の受験の予行練習の為に、何度か受けましたが、大学受験の為の、予備校(大学受験準備学校)は、通わず、学校の勉強と(ちなみに、日本は、高校における、学習時間は、おそらく、韓国よりも、遥かに(ずっと)、少ないです)、(自分で選んだ参考書を使った)自宅の勉強だけで(家で、自分だけで行った勉強だけで)、大学を受験し、合格したので(浪人(希望の大学を受験する為に、高校卒業後、一定期間(通常は1年間)、予備校(大学受験準備学校)に通う等して勉強する事)もしなかった)、私の両親は、大学受験までは、私にも、私の弟にも、教育費に関しては、あまり掛からなかったと思います。私は、学生時代、自分が必要と思う量以外の勉強はしない方針で(と言うか、自分が必要と思う量以外の勉強はしたくなかった。言い換えれば、高校時代も、勉強よりもw、遊ぶ事を、とても、大切にしていたw)、弟は、おそらく、その影響を受けたと思いますw

弟は、大学時代に1年間、アメリカの大学に留学した事等についても、私の影響を受けており、(前述の通り)、私は、弟とは、昔から(幼い頃から)、お互いに、過干渉しない、適度な距離感の、個人主義なのですが、ちゃんと、私の背中を見ていてくれたのだなと思います。

ちなみに、卒業した大学の、入試の難易度(難度)と言う点においての、学歴においては、私の弟は、私の、父親に負け(ちなみに、父は、東京の国立の大学を卒業しています)、私は、私の、弟に負けていますが、私は、その事に関して、私の弟や、私の父に、劣等感と言った物は、全くありませんw(自分は、自分(私は、私)なので。。。)。父は、外貌は、どちらかと言えば、ガリ勉タイプの人(勉強を非常に熱心にする人)とは、正反対の外貌と言った感じなのですがw、中学校時代・高校時代に、(勉強ばかりしていたと言う訳ではなかった様ですが)、とても真面目に、熱心に勉強した様です。


東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地にある我が家の近所の実家は、元々、私の母方の祖父母の家で、既に母方の祖父母とも亡くなっており、現在は両親が引き継いで暮らしています(ちなみに、母は、一人っ子です)。

私の母は、大学は英米文学科を出ているのですが、それはあまり関係がなく、洋画がとても好きだったと言うのがあるのか、英語がとても好きで、女版、小林 克也?と言った感じで(もちろん外貌は、小林 克也と、全く、違います。 私の母は、特に今よりも若い頃は、年齢よりもかなり若く見えた事もあって、今よりも若い頃、外貌が老けてからのYOU(タレント。元FAIRCHILD)に似ていると言われていましたw)、留学経験はなくても、独学で、英語は、昔から発音も良く流暢に話せましたし(今でも大丈夫でしょう(それ程英語は忘れていないでしょう))、父も、留学経験はないですが、仕事で使う関係で、昔から英語は話せます(発音は、あまり上手くありませんがw)。

ちなみに、私の家族が出た学校に関し、私の父(大学から田舎から東京に出て来ました)は、大学までずっと公立(大学は国立)、私の母、私、私の弟(私の2歳年下。外資系の会社に勤める会社員。既に結婚をし、まだ2人共幼いですが、子供が2人いて、妻・子供達と共に東京の西部郊外の静かて落ち着いた住宅地に買った一戸建て住宅に暮らしている)は、高校までずっと公立です。

私の母方の祖母(既に亡くなっています)は、田舎の裕福な地主の家(戦後は、おそらく農地改革により没落した)の娘で、地元の私立のミッション系の女学校を卒業した後、東京のA学院大学に進学しました。母方の祖母は、女子大生時代、祖母の実家(祖母の父)の、麻布の東京の別宅に暮らし、身の回りの世話は、お抱えの女中さん達にやって貰っていたようです。

私の母方の祖母は、女学校ではカナダ人の女性(だったかな?)の先生に親しんでいて、大学でも、外国人(おそらく北米)の先生に接する機会があったのでしょう。古い人の割には、少し英語は話せました(発音も良かったw)。

また、さすがに今は、そういう事はないかもしれませんが、ここだけの話(ここだけの話とは言いながら、今までkjで書いて来てしまっていますがw)、私の母も、私も、私の弟も、A学院大学だけを受験する事を条件とすれば、受験の点数いかんに関わらず、母方の祖母のコネでA学院大学に行く事が可能であったと言う、ズルい現実もありましたw

ちなみに、母は、K大学に行きたかったので、コネは使わなかったのですが、K大学を落っこちて、コネを使わずに普通に受験して受かったA学院大学の英米文学科に進学しました。私は、当時のA学院大学の通学環境で別の大学の方が良かったので、コネを使わないで、A学院大学も受かったのですが、概ね学力が同じ位の第一志望であった別の私立大学に行きました。弟は、やはりコネを使わずに受験して、A学院大学も受かったのですが、第一志望であったA学院大学よりも学力が高い別の私立大学に行きました。

以上の事から実家では、(私が子供の頃、それを読んでいた訳ではありませんが)、英語の雑誌を定期購読していたり、英字新聞をとっていたり、母がよくFENの音楽番組等を聴いたりしていて、幼い頃から、英語自体には、慣れる環境にあり、また、帰国子女と言える程の期間ではなく、また、住むよりも滞在していたと言った表現の方が、ふさわしいと言った短い期間ではあるのですが、会社員の父の仕事の関係で、小学校低学年の時の約2年間(当時、日本のアニメ等は祖母が私の為にマメにビデオに録画してくれましたw)、中学1年と2年の間の約1年間、アメリカに暮らしていて(小学生の頃はL.A.、中学の頃は、サンフランシスコ。休みの日に、現地で親に色々遊びに連れて行って貰ったり、良い(楽しい)思い出として残っています)、又、大学生の時、アメリカの大学に1年間留学する等していました(ちなみに、弟も、大学生の時、アメリカの大学に1年間留学したのですが、弟は、その事に関して、私の影響を受けました(私の真似をしました))。したがって、私の話す英語は、発音も含めて、アメリカ英語ですw

ちなみに、私は、中学・高校の英語の授業は好きでしたし、勉強も、全く苦になりませんでした。私は高校時代(高校1年の時か2年の時かどちらか忘れた)に一回の受験で英検準1級を取ったのですが、英検準1級ともなると基本的な日常会話程度では使わないような単語も憶えなければならないのですが、単語を憶えるのも全く苦ではなかったですし、又、当時、まだ青くて、授業の時間、当てられて教科書を朗読する時、発音が良くて、かっこいいアピールが出来る事も快感に思っていましたw ちなみに、過去に付き合っていた女の子に、(その子は付き合う前から、私が外国人と英語で話したりするのを見て(聞いて)いたのですが)、付き合った後、「○○くんて、前から、漢字が読めない人なのかなと言う印象を勝手に持っていた」と言われた事がありますw

私は、完全に文系なのですが(ちなみに、私は、高校の時、物理のテストで赤点をとって母と共に学校に呼びだされた事がありますw)、高校受験にしても大学受験にしても、ほとんど、英語と社会で、点数を稼いだような物です。ちなみに、私は、小学生・中学生・高校生の頃、学校の授業の科目の中で、社会は、好きな科目でした。

私も私の弟も文系で、(育った家庭環境もあり)昔から英語が得意と言う事は共通しているのですが、弟は私程、社会(歴史や地理)に興味を示さなかった一方で、私よりも読書家で、私よりも、本をよく読み、国語が得意科目でした。また、弟は、文系ですが、昔から、パソコンやITに関する知識は割と豊富で(私は、パソコンやITに関する知識は乏しく、疎いですw)、実家ではパソコンの調子が変になったり使い方が分からなかったりしたら、弟に聞けと言うのが家訓になっていましたw 私も私の弟も、父に似て、知的好奇心が旺盛と言う点に関しては共通していますが、興味の方向性と言う事に関しては、昔から微妙に異なります。

以下、参考の投稿。
私が大学を選んだ基準後編(日本語)→
/jp/board/exc_board_8/view/id/2561949/page/7?&sfl=membername&stx=jlemon
私が大学を選んだ基準後編(韓国語)→
/kr/board/exc_board_8/view/id/2561949/page/7?&sfl=membername&stx=jlemon



Luther Vandross-「Endless Love(with Mariah Carey)」(1994年)。私が、まだ10代の大学生の頃に、女の子とのdriveデートでよく聴いていた曲の一つです。マセガキでしたw











写真以下2枚(写真は、借り物)。私が、18歳から20代の半ば頃まで乗っていた自動車である(18歳の自動車の免許取得と同時に、親に、中古の物を買って貰った。買って貰った物は、中古であったが、買った時点において、ほとんど乗っていない感じの物で、中古としては、とても状態の良い物であった)、5代目のHonda Civic(1991年にデビュー(debut))。













5代目のHonda Civic。この、ごにょごにょ話す(済みません)自動車評論家(私は、この、日本の、自動車評論家について知りません)は、絶賛しているようですが、私は、子供の頃から、自動車を含む、乗り物全般に、広く浅く興味がありますが、自動車に特に興味がある自動車好きの人程、自動車に対する興味も、自動車に関する知識もなく、また、昔から(若い頃から)、峠をガンガンに攻めるような自動車の運転はしないタイプなので、本当に、この自動車が、そんなに良かったのかどうかは分かりません。ただ、初めて乗る(1台目の)自動車として、大きさを含めて、扱い易い自動車であったと思います。何れにしても、個人的に、デート(date)では、大活躍しました(どれだけ女の子を乗せたのか分からない位ですw)。










初代のHonda CR-V(1995年にデビュー(debut))。私の弟は、1台目の自動車として、18歳の自動車の免許取得と同時に、新車で、当時、登場したばかりであった、初代のHonda CR-Vを、親に買って貰いました。






写真は、借り物。初代の、日産(nissan) X-Trail。日産(nissan) X-Trailは、弟(弟の家族)の、前の自動車で(弟の2台目の自動車、且つ、弟が、自分の金で買った最初の自動車です(弟は、新車で買いました))、弟が独身時代から、とても、長い間、乗っていた自動車です。





写真以下2枚(写真は、借り物)。BMW・X1。BMW・X1は、弟(弟の家族)の、今の自動車で、弟の3台目の自動車で、弟が自分の金で買った自動車としては2台目の自動車で(弟は、新車で買いました)、弟(弟の家族)が、去年から乗っている自動車です。



写真の作者:ThomasGigold




写真の作者:ThomasGigold








2 Unlimited の曲の例。2 Unlimited - 「No Limit 」(1993年)。
私が、10代の後半頃は、2 Unlimited系のテクノダンス音楽が、とても流行していました。ちなみに、1990年代の前半の、ジュリアナ東京(JULIANA’S TOKYO)が営業していた時期は、調度、私の高校時代と被るのですが、ジュリアナ東京(JULIANA’S TOKYO)は、当時、たまにですが夜遊び関連の人脈で遊びに訪れていましたw 私は、当時、特に、その様な音楽(2 Unlimited系のテクノダンス音楽)のファンと言った訳ではなかったのですが、一応、2 Unlimitedのアルバム、「Get Ready!」(1992年)、「No Limits」(1993年)、「Real Things」(1994年)(何れも、私が10代の後半に出たアルバムです)とかのCDを買って持っていて、私は、前述の通り、18歳の免許取得と同時に、親に自分の車を買って貰ったのですが、当時、車でドライブする際に聴くBGMとして、2 Unlimited等、よく聴いていました。













A Tribe Called Questの曲の例。A Tribe Called Quest - 「Can I Kick It?」(1990年)。私が、高校生の頃から、大学生の初め頃にかけて、最も好きであり、よく聴いていた、hip hopグループは、A Tribe Called Questです。私は、ロックにしてもその他のジャンルの音楽にしても、昔から、基本的には、ガテン系・汗臭いタイプの物は、あんまり好みに合いません。その点においても、A Tribe Called Questは、私の嗜好に合っていたのだと思います。私の1台目の自動車は、18歳の自動車の免許取得と同時に親に買って貰った物であるのですが、免許を取って自動車を運転するようになってからは、A Tribe Called Questは、自動車のBGMとしても、よく聴いていました。













写真以下8枚。私の前の自動車等です。写真は、一昨年の初めに、自動車の買い替え前の、私の前の自動車の、お別れdriveに行った(デート(date)で行った)時の物です。場所は、湘南(syonan)(東京areaに暮らす人々にとって、最も身近な、東京近郊のビーチリゾート(beach resort)地)です。私は、湘南(syonan)が好きで、主に、(若者達で、騒々しくなる)夏の海水浴時期以外に、よくdriveしています。

写真以下2枚。湘南(syonan)にある、お気に入りの、フランス料理・西洋料理レストランです。








向こうに見える山は、富士山です。富士山(標高 3,776m)は、東京圏に近い場所にある、日本で最も高い山で、その形の美しさから、世界的に名が知られている山です。




写真以下6枚。私の前の自動車です。2代目トヨタ(TOYOTA)ARISTO。この自動車は、とても長い間(10数年)乗っていました。私の2台目の自動車で、自分の金で買った最初の自動車で、且つ、新車で買った自動車としても、最初の自動車です。ちなみに、私は、仕事は、男性の共同経営者と、二人で、小さな事業(その男性(元々、大学時代の友人)と二人だけで、営んでいる会社です)を営んでいるのですが、私の前の自動車は、仕事が勢いに乗っていた時に(ちなみに、当時、仕事は、今よりも、ずっと(遥かに)、忙しかったです)、購入した自動車です。ちなみに、男性の共同経営者(元々、大学時代の友人)とは、もう友人と言う関係ではなく、プライベートで(個人的に)、一緒に、遊ぶ事はないですし、休憩時間に、一緒に外食もしません(ただし、仕事が絡んだ外食は除く。。。)。まあ、そもそも、二人だけで会社を営んでいる事から、休憩は、交互に取る事が多く、同時に取る事はあまりないのですが。。。その男性とは、仕事で、しょっちゅう(いつも)顔を合わせているので、プライベートで(仕事以外で)、一緒にいる気は、一切しない(仕事以外で、一緒に過ごす気分には、全くならない)と言った感じですw。







写真以下5枚。向こうに、富士山が見えます。


写真以下2枚。駐車場内で、場所を変えて撮影。











写真以下3枚。今度は、向きを変えて撮影w。





















これは、私の今の自動車です。一昨年の初めから乗っています。私の3台目の自動車で、自分の金で買った自動車としては2台目の自動車で、且つ、新車で買った自動車としても、2台目の自動車です。写真は、千葉(chiba)県(東京圏の東部に位置する県。東京圏に暮らす人々の、海沿いの保養地等となっている)に、小旅行に出掛けた際に撮影した物です。現行の、トヨタ(TOYOTA)PRIUSです。
前述の通り、私の前の自動車は、愛着があって、パワーがあり相対的に運転も楽であったのですが、(私は、公共交通の便利な、東京中心部(東京23区内)に暮らしていると言っても、車は個人的に必需品(自分の生活(の休日)を豊かにする為に必要ですし、仕事でも使う)なのですが)、ハイオク・ガス食い(燃費の悪い自動車)はもういいかな(自動車関連に余計に使う金は、他の楽しみ等に使うか貯めた方がいい)と思い、一気にエコにふりましたw 







私は、家や車(自動車)で聴くBGMとしては、JazzやAcid Jazz等を聴いています。



Acid Jazz系の曲なのですが、私は、車の中で(自動車を運転中に)、この様な感じの曲を、BGMとして、よく聴いています(面倒臭いので、動画の最初の方しか聴いていませんが、動画の最初の方を聴いた限り、この様な感じの曲を、車の中で(自動車を運転中に)、よく聴いています)。

ちなみに、私は、大人の男性の、たしなみ(作法)として、女性を助手席に乗せて自動車を運転する場合、俺の自動車は偉いんだぞ的な傲慢な運転や俺の自動車は速いんだぞ的な運転テクニック自慢の運転をするよりも、隣りに乗っている女性を大切に思い、乗り心地の良い運転・安全運転を心掛ける方が、はるかに格好良いと思い、実際に、女性を助手席に乗せて自動車を運転する場合、その様な自動車の運転(隣りに乗っている女性を大切に思い、乗り心地の良い運転・安全運転)を心掛けています。それで、助手席の女性が寝てしまっても、御愛嬌と言った感じで暖かい目で見守っていますw(基本的に、誰でも、楽しく目一杯遊んだ後は疲れて眠くなるものです)。BGMにしても、例えば、彼女とドライブする際には、BGMなしで、彼女と話をしている方が楽しいです(彼女が、遊び疲れて寝てしまったら、(彼女を起こさない程度のボリューム(音量)で)BGMに切り替えますw)。


私が、家(我が家)で聴く、BGMとして、例えば、休みの日の、遅い朝食兼昼食(内容は、通常は、普段働いている日の朝食と同じで、パン、シリアル(cereal)、野菜サラダ(salad)、3種類程の果物、牛乳、ジュース(juice)、ヨーグルト(yoghurt)と言った内容です)の際には、会話に全く差し障りのない程のボリューム(音量)で、ゆったりとした、明るいJazz等をBGMとしてかけています。


私は、エッチ(sex)は、若い頃と違って、今は回数よりも、どちらかと言えば時間(長いエッチ(sex)の時間を楽しむ)と言った感じです(まあ、若い頃は回数+時間と言う感じだったけどw)。エッチ(sex)のせいで、翌日、朝寝坊をし、翌日の朝食・昼食が、朝食兼昼食となる事が多いですw

そんな、エッチ(sex)のせいで、朝寝坊をした、休みの日、BGMとして、会話に全く差し障りのない程のボリューム(音量)で、ゆったりとした、明るいJazz等をBGMとしてかけながら、彼女と、遅い朝食兼昼食を食べながら、ゆったりとした時間を過ごす事は、前日の夜から、夜遅く、又は、明け方にかけて、長い時間エッチ(sex)をした後に(エッチ(sex)は、その時の、二人の気分(好み)により、激しいエッチ(sex)の時と、まったりとしたエッチ(sex)の時、又は、その複合の時とがありますw)、寝て起きてからの、口直しの意味も含まれていますw そうして、休日に、まったりと口直しの、遅い朝食兼昼食を食べた後(遅い朝食兼昼食の時間を過ごした後)、(彼女と)遊びに出掛ける事が多いです。





動画の、おじさんの写真が余計ですがw、面倒臭いので、動画の最初の方しか聴いていませんが、動画の最初の方を聴いた限り、休みの日の、遅い朝食兼昼食のBGMとしては、この様な感じの曲を、よく聴いています。



以下、参考の投稿。

女性は普通そんなにイカないもの?→

/jp/board/exc_board_50/view/id/2612070?&sfl=membername&stx=jlemon


自動車のBGMとして聴く曲(まとめ編)

この投稿の動画・曲は、全て、you tubeから借りて来た物です。IE等で、この投稿の写真が見られない場合は、FireFoxで、ご覧下さい。


今までの、kjの投稿の中から、自動車のBGMとして聴く曲に関連する物を、抜粋して来た物です。


写真は、借り物(写真の作者:160SX )。「Cosmo AP」。「Cosmo AP」は、MAZDA(日本の、大規模、自動車会社の一つ。ただし、大規模会社としては、規模が小さい)が、1975年に販売を開始した、ミドルクラス(中級class)の乗用車です。「Cosmo AP」は、私が、幼い頃から子供の頃、実家(両親)の、自動車でした。私が幼い頃から現在に至るまでの、(我が家の近所の)私の実家の(私の両親の)、自動車の変遷は、MAZDA「Cosmo AP」→Nissan Volkswagen Santana(日産(nissan)自動車が、日本国内市場向けに、日本国内で生産していた、2代目、Volkswagen Passat(Volkswagen Passat (B2))の姉妹自動車。1984年に販売開始)→Mercedes-Benz C-Class →Mercedes-Benz E-Class (W211)(現在)(Mercedes-Benz E-Class の中では安い物です)となっていますが、両親は、まだ、W211 E-Classに乗り続けていて、今のところ、一向に(全く)、買い替える気配を見せません。私の、家系(家族の性質)は、一度、自動車を買ったら、とても長く乗る(乗り潰す位の、つもりで乗る)、家系(家族の性質)ですw(私も、私の弟も、そうです)。

私の実家(両親)の自動車の選択は、母が主導権を握っているので、私の母は、ミーハーでチャラチャラしたところがあるんでw(現代に若者時代を過ごしていたら、ギャルになったような気もしますw)、Nissan Volkswagen Santanaは、ドイツ車(当時、日本では、おそらく、まだドイツ車のブランド力が高かった)が、国産の同クラスの車と同程度の価格で買える、「ラッキー!」と言った程度の乗りで買ったような気がしますw その後、両親は、Mercedes-Benz C-Class、Mercedes-Benz E-Classと乗り継いでいるのですが、ベンツと言う選択は、母の見栄の部分もある事は、否定出来ないと思いますw まあ、(私もそうなのですが)、両親は、休日に高速道路を使う機会が多いので、その点において、ドイツ車と言う選択は、良いのだと思いますが。


ちなみに、私の母は、運動神経が良く、自動車の駐車等、確かに女性にしては(と言うか男女関係なく)上手いのですが、自分が自動車の運転が上手いと言う自信が、妙に高くてw(今は、さすがに、もう高齢者の年齢に突入し、昔よりも、自動車の運転は、慎重になっているようですw)、私が子供の頃から中学生・高校生の頃、それが故に、母が運転する車に乗るのは、ちょっと怖かったですw(家の車(両親の車)の運転は、同乗者(家族(妻・子供))の事を気遣い、慎重な安全運転である父の運転の方が、安心でしたw)。


私の母は、チャラチャラした所があり、現代に若者時代を過ごしていたら、ギャルになったような気もしますw

私の母は、私と私の2歳年下の弟(私には、兄弟姉妹は2歳年下の弟が一人います)が、幼稚園・小学校の頃、天気が良くて、気分が乗ったりしたら、突然、幼稚園・学校を、ずる休みさせて、動物園・遊園地等に、子供達(子供)を、遊びに連れて行く事がありましたw

また、私の母は、昔から(若い頃から)、自分の脚線美に自信があるらしく(今は、さすがに、母は、もう、おばあさんなので、それはない(自分の脚線美に自信があるという事はない)と思いますが。。。ちなみに、母は、身長は、163cm位と、私の母の世代の女性にしては、割と高く、また、痩せの大食い体質で(ちなみに、私は母の痩せの大食い体質を受け継いでいますw)、年を取っても相変わらず痩せています)、私の母は、今はさすがにそれはしませんが、60代の初め頃までは、(もちろん、カジュアルな服装としてですが)、ショートパンツに、生足で、お出掛けする事もありましたw


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CHICAGO - 「Hard To Say I"m Sorry」(1982年)。これは、おまけで、私の父と母が、私が子供の頃、drive中に、よく聴いていた曲の一つです。

前述の通り、私は、兄弟姉妹は、2歳年下の弟が、一人いますが、私は、弟とは、昔から(幼い頃から)、お互いに、過干渉しない、適度な距離感の、個人主義と言った感じで、仲が良いです(弟と激しい喧嘩なんて、生まれてから、一度もした事がありません)。

私は、小さな個人事業を営んでおり、私の弟は、外資系の会社員をしています。私の弟は、既に、結婚をし、子供が二人いて、上の(年上の子供)は、男の子、下の(年下の子供)は、女の子で、まだ、二人共、幼いですが(女の子(妹)の方は、一昨年、生まれたばかり)、二人共、とても可愛いです。弟は、弟の家族(弟の妻と子供達と共に)、東京の西部郊外の静かで落ち着いた住宅地に買った一戸建て住宅に暮らしています。弟の、奥さん(妻)は(ちなみに、弟の、奥さん(妻)は、弟よりも、かなり年下です)、結婚する前は、服関係(ファッション関係)の、会社で、会社員として働いていましたが、結婚してからは、主婦となりました。弟の、奥さん(妻)は、専業主婦で、弟と結婚してからは、アルバイトを含めて、仕事は、一切していない様です。現在、弟は、妻を愛し、大切にし、守ると共に、妻と共に、二人の子供に愛情を、たくさん注ぎ、子育てを、とても楽しんでいるようです。弟は、我が家の近所の私の実家の両親に、二人の幼い子供の写真を、よく送信しているようです。

弟は、弟の幸せをみつけ、今は、兄として、遠くから、弟の幸せを、温かい気持ちで見守っている感じです(まあ、弟は、弟の家族(弟の妻と子供達と共に)、東京の西部郊外の静かで落ち着いた住宅地に買った一戸建て住宅に暮らしており、物理的な距離は、近いのですがw)。

私は、弟との、個人主義の原則に基づき、弟の私生活には、干渉しない主義ですが、これから先、弟が、金銭面においても精神面においても、いかなる面においても、私の助けが必要となる場合が生じた時は、私は、兄の責任として、弟に対する、出来る限りの援助(助け)をしたいと思っています。

ちなみに、私は、会社員と比べて、相対的に、安定的ではなく、相対的に、ビジネスにおいて危険性が高いが、相対的に、自分で自分の時間を自由に管理する事が出来、又、自分の才能・仕事の能力・仕事の効率性・努力が、自分の収入に直結する(直接繋がる)、個人事業の道を選びました。

そして、以下の参考の投稿のような、ライフスタイル(lifestyle )で生きています。
以下、参考の投稿。
ヒュッゲと物欲主義(日本語)→
/jp/board/exc_board_8/view/id/2580461/page/5?&sfl=membername&stx=jlemon
ヒュッゲと物欲主義(韓国語)→
/kr/board/exc_board_8/view/id/2580461/page/5?&sfl=membername&stx=jlemon
 

私は、人間関係において、群れると言う事が嫌いです。必ず、当てはまると言う訳ではありませんが、学校のclub活動(部活)と会社の人間関係と言うのは、群れると言う傾向があると思います。もちろん、群れると言う点において、良い面も、たくさんあり、皆で、共同して、何かを成し遂げたりする事は、素晴らしい事であると思います。でも、私は、個人的には、人間関係において、群れると言う事が嫌いです。一方で、私は、寂しがり屋の面もあり、お互いの個性を認め合った、独立した人間同士が、集うと言う事に関しては、好きです(自分で言うのも何ですが、性格は完全に猫と言った感じですw)。

私も私の弟も(弟は、その事に関して、私の影響を受けた)、中学校・高校時代、学校のclub活動に縛られない、帰宅部(kitakubu)(学校のスポーツ・文化関連等のclubに、所属しないか、又は、所属していても、ほとんど活動に参加しない事(この様な事を日本では幽霊部員と言います)を言う)であったので、学校外の時間は、ふんだんにあったのですが、私の場合、女の子遊び・悪友達との夜遊びで、弟の場合、サーフィン(surfing)・スケートボード(skateboarding)・スノーボード(snowboarding)や(弟は、高校時代から、サーフィン(surfing)を通じた、幅が広い年齢層の人脈を築いていました)、空手(karate)で(弟は、小学生の頃から大学生の頃にかけて、私の街の空手(karate)(柔道(Judo)等と共に、日本を代表する、格闘技(martial art)の一つ)教室に通っていて、特に中学生から高校生の頃、熱心に通っていました。私の弟は、初段だか二段だか三段だか、弟に確認してみないと分かりませんが、何れにしても、私の弟は空手(karate)は黒帯(black belt)です)、それなりに忙しかったですw 私は、高校生の時は、放課後は女の子・女の子達や私と同じチャラチャラした男友達達と遊ぶのに忙しく(渋谷でよく遊んでいました)、クラブ等での夜遊びや合コンもたくさんしていました。

私は、高校時代(私の高校生活は)、爽やかな面も、あった事はあったのですが、素朴で、爽やかな青春と言うよりは、どちらかと言えば、(当時、当時の私と同じ位、程度の低かったw、友達達と共に)、club(nightclub)等で、よく、夜遊びしたり、(私は、普通の、男女共学の高校に通っていて、学校内の、女の子達とも、仲良くしていたのですが)、よく、他の高校に通う、女の子達等と、合コン(友人や知り合い等の紹介による、男女が、知り合う為の、居酒屋等での、飲み会や食事会。日本では、大学生等の学生位の年齢(18歳位)から20代位の年齢の若者の間で、盛んに行われている)したりして、また、ここでは書けないような事をしたりして(人を傷つけるような事ではありません)、どちらかと言えば、都会の、荒くれた(率直に言ってしまえば、爽やかと言うよりも、どちらかと言えば、猥雑で、堕落して、馬鹿っぽい(馬鹿のような))高校生活を送っていましたw(まあ、それは、それで、楽しかった)。

ちなみに、私も、当時、私と一緒に遊んでいた、悪友達(友達達)も、学校の先生の前では、優等生で(素直で、礼儀正しく、一般的には、学校内においては、学校の規則を、しっかりと守る生徒で)、親の前でも、一般的には、反抗期なんて言う物は存在しない位、良い子(良い、子供)でしたw  また、私には2歳年下の弟がいるのですが、私の弟は、(前述の通り、若い頃、サーフィン(surfing)や、スケートボード(skateboarding)、スノーボード(snowboarding)を、よく、やっていて、そう言う面(運動と言った面)に関しては、私よりも活発でしたが)、私に比べれば、かなり真面目でした。

私の母自身、何も考えていないと言うか、母自体がチャラチャラしている面があり、男の子は、ある程度、遊んだ方が良い・やんちゃした方が良い位に、思っていた節があり、父は父で、私が子供の頃・若い頃は、典型的な、仕事人間・会社人間と言った感じで、土・日・祝日や休暇時期に、子供(私及び弟)を積極的に遊びに連れていったり・子供(私及び弟)と積極的に遊んだりして、子供(私及び弟)の思い出作りには、出来るだけ協力するが、子供(私及び弟)の教育に関しては、妻である私の母に全て任せて、自分は(私の父は)、子供(私及び弟)の教育に関して、一切、関与する事はなく、(父は、私及び私の弟が子供の頃は、子供(私及び弟)の事は好きで、一緒に遊ぶのは楽しいが)、子供の教育に関しては面倒くさいので何も考えないと言った感じの、ある意味、子育てに関して自己中心的な面があった男性である事から、私が中学・高校時代、遊んでいても、ほったらかしと言った感じでしたw

私の弟は、高校時代から、サーフィン(surfing)を通じた、幅が広い年齢層の人脈を築き、高校時代、学校内(通っていた高校内)で彼女も作っていましたが、サーフィン(surfing)を通じた人脈で、彼女を作る等もしていました。

前述の通り、私は、弟とは、昔から(幼い頃から)、お互いに、過干渉しない、適度な距離感の、個人主義と言った感じで、仲が良いです(弟と激しい喧嘩なんて、生まれてから、一度もした事がありません)。

私と弟は、お互いの女性関係に関しても、(互いに気を遣って無関心をよそおうと言う事も含めて)互いに無関心・不干渉主義でした。それでも、私は、少なくとも、私の弟の歴代の彼女の顔くらいは知っていますw 一方、弟は、(弟に比べて不真面目であった)私の、女性関係の全貌は、二人とも実家暮らしであった時に限定しても、全く掴めていないと思います。

前述の通り、私の父は、私が子供の頃・若い頃は、典型的な、仕事人間・会社人間と言った感じで、土・日・祝日や休暇時期に、子供(私及び弟)を積極的に遊びに連れていったり・子供(私及び弟)と積極的に遊んだりして、子供(私及び弟)の思い出作りには、出来るだけ協力するが、子供(私及び弟)の教育に関しては、「君(私の母)に、全て、任せる」と言った感じで、子供(私及び弟)の教育に関しては、妻である私の母に全て任せて、自分は(私の父は)、子供(私及び弟)の教育に関して、一切、関与する事はありませんでした。

そして、私の父に、子供(私及び弟)の教育の全てを任された、私の母は、どうだったのかと言うと。。。私の母は、子供に対して、勉強しろと、一切、言わないタイプの親でした。

率直に言って、私と、弟が、それぞれ、子供の頃から高校生の頃、私の両親は、子供を(私と私の弟を)、とても甘やかしていた事は、否定出来ません。私の両親は、子供(私と私の弟)に、勉強の妨げになるような誘惑になる物を、どんどん買い与える一方で、私の母は、あまりに、子供(私と私の弟)に対して、勉強しろと言わないものだから、私は、かえって、勉強に関して、これで良いのかと不安になり、勉強に関して、自分で、どうにかしなければならないと思うようになりました。そして、私の、勉強に関して、自分自身で、どうにかしなければならないと思う気持ち・姿勢は、(おそらく)、私の弟にも、影響を与えました。

私も、私の弟も、大学は、(地元の東京の)私立の大学を卒業しましたが、(私も、私の弟も)、小学校から、高校まで、ずっと、公立の学校でしたし、また、模試(予備校(大学受験準備学校)が主催する試験)は、自分の学力を知る為と、大学の受験の予行練習の為に、何度か受けましたが、大学受験の為の、予備校(大学受験準備学校)は、通わず、学校の勉強と(ちなみに、日本は、高校における、学習時間は、おそらく、韓国よりも、遥かに(ずっと)、少ないです)、(自分で選んだ参考書を使った)自宅の勉強だけで(家で、自分だけで行った勉強だけで)、大学を受験し、合格したので(浪人(希望の大学を受験する為に、高校卒業後、一定期間(通常は1年間)、予備校(大学受験準備学校)に通う等して勉強する事)もしなかった)、私の両親は、大学受験までは、私にも、私の弟にも、教育費に関しては、あまり掛からなかったと思います。私は、学生時代、自分が必要と思う量以外の勉強はしない方針で(と言うか、自分が必要と思う量以外の勉強はしたくなかった。言い換えれば、高校時代も、勉強よりもw、遊ぶ事を、とても、大切にしていたw)、弟は、おそらく、その影響を受けたと思いますw

弟は、大学時代に1年間、アメリカの大学に留学した事等についても、私の影響を受けており、(前述の通り)、私は、弟とは、昔から(幼い頃から)、お互いに、過干渉しない、適度な距離感の、個人主義なのですが、ちゃんと、私の背中を見ていてくれたのだなと思います。

ちなみに、卒業した大学の、入試の難易度(難度)と言う点においての、学歴においては、私の弟は、私の、父親に負け(ちなみに、父は、東京の国立の大学を卒業しています)、私は、私の、弟に負けていますが、私は、その事に関して、私の弟や、私の父に、劣等感と言った物は、全くありませんw(自分は、自分(私は、私)なので。。。)。父は、外貌は、どちらかと言えば、ガリ勉タイプの人(勉強を非常に熱心にする人)とは、正反対の外貌と言った感じなのですがw、中学校時代・高校時代に、(勉強ばかりしていたと言う訳ではなかった様ですが)、とても真面目に、熱心に勉強した様です。


東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地にある我が家の近所の実家は、元々、私の母方の祖父母の家で、既に母方の祖父母とも亡くなっており、現在は両親が引き継いで暮らしています(ちなみに、母は、一人っ子です)。

私の母は、大学は英米文学科を出ているのですが、それはあまり関係がなく、洋画がとても好きだったと言うのがあるのか、英語がとても好きで、女版、小林 克也?と言った感じで(もちろん外貌は、小林 克也と、全く、違います。 私の母は、特に今よりも若い頃は、年齢よりもかなり若く見えた事もあって、今よりも若い頃、外貌が老けてからのYOU(タレント。元FAIRCHILD)に似ていると言われていましたw)、留学経験はなくても、独学で、英語は、昔から発音も良く流暢に話せましたし(今でも大丈夫でしょう(それ程英語は忘れていないでしょう))、父も、留学経験はないですが、仕事で使う関係で、昔から英語は話せます(発音は、あまり上手くありませんがw)。

ちなみに、私の家族が出た学校に関し、私の父(大学から田舎から東京に出て来ました)は、大学までずっと公立(大学は国立)、私の母、私、私の弟(私の2歳年下。外資系の会社に勤める会社員。既に結婚をし、まだ2人共幼いですが、子供が2人いて、妻・子供達と共に東京の西部郊外の静かて落ち着いた住宅地に買った一戸建て住宅に暮らしている)は、高校までずっと公立です。

私の母方の祖母(既に亡くなっています)は、田舎の裕福な地主の家(戦後は、おそらく農地改革により没落した)の娘で、地元の私立のミッション系の女学校を卒業した後、東京のA学院大学に進学しました。母方の祖母は、女子大生時代、祖母の実家(祖母の父)の、麻布の東京の別宅に暮らし、身の回りの世話は、お抱えの女中さん達にやって貰っていたようです。

私の母方の祖母は、女学校ではカナダ人の女性(だったかな?)の先生に親しんでいて、大学でも、外国人(おそらく北米)の先生に接する機会があったのでしょう。古い人の割には、少し英語は話せました(発音も良かったw)。

また、さすがに今は、そういう事はないかもしれませんが、ここだけの話(ここだけの話とは言いながら、今までkjで書いて来てしまっていますがw)、私の母も、私も、私の弟も、A学院大学だけを受験する事を条件とすれば、受験の点数いかんに関わらず、母方の祖母のコネでA学院大学に行く事が可能であったと言う、ズルい現実もありましたw

ちなみに、母は、K大学に行きたかったので、コネは使わなかったのですが、K大学を落っこちて、コネを使わずに普通に受験して受かったA学院大学の英米文学科に進学しました。私は、当時のA学院大学の通学環境で別の大学の方が良かったので、コネを使わないで、A学院大学も受かったのですが、概ね学力が同じ位の第一志望であった別の私立大学に行きました。弟は、やはりコネを使わずに受験して、A学院大学も受かったのですが、第一志望であったA学院大学よりも学力が高い別の私立大学に行きました。

以上の事から実家では、(私が子供の頃、それを読んでいた訳ではありませんが)、英語の雑誌を定期購読していたり、英字新聞をとっていたり、母がよくFENの音楽番組等を聴いたりしていて、幼い頃から、英語自体には、慣れる環境にあり、また、帰国子女と言える程の期間ではなく、また、住むよりも滞在していたと言った表現の方が、ふさわしいと言った短い期間ではあるのですが、会社員の父の仕事の関係で、小学校低学年の時の約2年間(当時、日本のアニメ等は祖母が私の為にマメにビデオに録画してくれましたw)、中学1年と2年の間の約1年間、アメリカに暮らしていて(小学生の頃はL.A.、中学の頃は、サンフランシスコ。休みの日に、現地で親に色々遊びに連れて行って貰ったり、良い(楽しい)思い出として残っています)、又、大学生の時、アメリカの大学に1年間留学する等していました(ちなみに、弟も、大学生の時、アメリカの大学に1年間留学したのですが、弟は、その事に関して、私の影響を受けました(私の真似をしました))。したがって、私の話す英語は、発音も含めて、アメリカ英語ですw

ちなみに、私は、中学・高校の英語の授業は好きでしたし、勉強も、全く苦になりませんでした。私は高校時代(高校1年の時か2年の時かどちらか忘れた)に一回の受験で英検準1級を取ったのですが、英検準1級ともなると基本的な日常会話程度では使わないような単語も憶えなければならないのですが、単語を憶えるのも全く苦ではなかったですし、又、当時、まだ青くて、授業の時間、当てられて教科書を朗読する時、発音が良くて、かっこいいアピールが出来る事も快感に思っていましたw ちなみに、過去に付き合っていた女の子に、(その子は付き合う前から、私が外国人と英語で話したりするのを見て(聞いて)いたのですが)、付き合った後、「○○くんて、前から、漢字が読めない人なのかなと言う印象を勝手に持っていた」と言われた事がありますw

私は、完全に文系なのですが(ちなみに、私は、高校の時、物理のテストで赤点をとって母と共に学校に呼びだされた事がありますw)、高校受験にしても大学受験にしても、ほとんど、英語と社会で、点数を稼いだような物です。ちなみに、私は、小学生・中学生・高校生の頃、学校の授業の科目の中で、社会は、好きな科目でした。

私も私の弟も文系で、(育った家庭環境もあり)昔から英語が得意と言う事は共通しているのですが、弟は私程、社会(歴史や地理)に興味を示さなかった一方で、私よりも読書家で、私よりも、本をよく読み、国語が得意科目でした。また、弟は、文系ですが、昔から、パソコンやITに関する知識は割と豊富で(私は、パソコンやITに関する知識は乏しく、疎いですw)、実家ではパソコンの調子が変になったり使い方が分からなかったりしたら、弟に聞けと言うのが家訓になっていましたw 私も私の弟も、父に似て、知的好奇心が旺盛と言う点に関しては共通していますが、興味の方向性と言う事に関しては、昔から微妙に異なります。

以下、参考の投稿。
私が大学を選んだ基準後編(日本語)→
/jp/board/exc_board_8/view/id/2561949/page/7?&sfl=membername&stx=jlemon
私が大学を選んだ基準後編(韓国語)→
/kr/board/exc_board_8/view/id/2561949/page/7?&sfl=membername&stx=jlemon


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Luther Vandross-「Endless Love(with Mariah Carey)」(1994年)。私が、まだ10代の大学生の頃に、女の子とのdriveデートでよく聴いていた曲の一つです。マセガキでしたw











写真以下2枚(写真は、借り物)。私が、18歳から20代の半ば頃まで乗っていた自動車である(18歳の自動車の免許取得と同時に、親に、中古の物を買って貰った。買って貰った物は、中古であったが、買った時点において、ほとんど乗っていない感じの物で、中古としては、とても状態の良い物であった)、5代目のHonda Civic(1991年にデビュー(debut))。













<iframe width="560" height="315" src="https://www.youtube-nocookie.com/embed/ikWdsAteuxQ?rel=0" frameborder="0" allow="autoplay; encrypted-media" allowfullscreen></iframe>5代目のHonda Civic。この、ごにょごにょ話す(済みません)自動車評論家(私は、この、日本の、自動車評論家について知りません)は、絶賛しているようですが、私は、子供の頃から、自動車を含む、乗り物全般に、広く浅く興味がありますが、自動車に特に興味がある自動車好きの人程、自動車に対する興味も、自動車に関する知識もなく、また、昔から(若い頃から)、峠をガンガンに攻めるような自動車の運転はしないタイプなので、本当に、この自動車が、そんなに良かったのかどうかは分かりません。ただ、初めて乗る(1台目の)自動車として、大きさを含めて、扱い易い自動車であったと思います。何れにしても、個人的に、デート(date)では、大活躍しました(どれだけ女の子を乗せたのか分からない位ですw)。









<iframe width="560" height="315" src="https://www.youtube-nocookie.com/embed/WkYAhz-lbjI?rel=0" frameborder="0" allow="autoplay; encrypted-media" allowfullscreen></iframe>
初代のHonda CR-V(1995年にデビュー(debut))。私の弟は、1台目の自動車として、18歳の自動車の免許取得と同時に、新車で、当時、登場したばかりであった、初代のHonda CR-Vを、親に買って貰いました。






写真は、借り物。初代の、日産(nissan) X-Trail。日産(nissan) X-Trailは、弟(弟の家族)の、前の自動車で(弟の2台目の自動車、且つ、弟が、自分の金で買った最初の自動車です(弟は、新車で買いました))、弟が独身時代から、とても、長い間、乗っていた自動車です。





写真以下2枚(写真は、借り物)。BMW・X1。BMW・X1は、弟(弟の家族)の、今の自動車で、弟の3台目の自動車で、弟が自分の金で買った自動車としては2台目の自動車で(弟は、新車で買いました)、弟(弟の家族)が、去年から乗っている自動車です。



写真の作者:ThomasGigold




写真の作者:ThomasGigold








<iframe width="560" height="315" src="https://www.youtube-nocookie.com/embed/RkEXGgdqMz8?rel=0" frameborder="0" allow="autoplay; encrypted-media" allowfullscreen></iframe>2 Unlimited の曲の例。2 Unlimited - 「No Limit 」(1993年)。
私が、10代の後半頃は、2 Unlimited系のテクノダンス音楽が、とても流行していました。ちなみに、1990年代の前半の、ジュリアナ東京(JULIANA’S TOKYO)が営業していた時期は、調度、私の高校時代と被るのですが、ジュリアナ東京(JULIANA’S TOKYO)は、当時、たまにですが夜遊び関連の人脈で遊びに訪れていましたw 私は、当時、特に、その様な音楽(2 Unlimited系のテクノダンス音楽)のファンと言った訳ではなかったのですが、一応、2 Unlimitedのアルバム、「Get Ready!」(1992年)、「No Limits」(1993年)、「Real Things」(1994年)(何れも、私が10代の後半に出たアルバムです)とかのCDを買って持っていて、私は、前述の通り、18歳の免許取得と同時に、親に自分の車を買って貰ったのですが、当時、車でドライブする際に聴くBGMとして、2 Unlimited等、よく聴いていました。













<iframe width="560" height="315" src="https://www.youtube-nocookie.com/embed/O3pyCGnZzYA?rel=0" frameborder="0" allow="autoplay; encrypted-media" allowfullscreen></iframe>A Tribe Called Questの曲の例。A Tribe Called Quest - 「Can I Kick It?」(1990年)。私が、高校生の頃から、大学生の初め頃にかけて、最も好きであり、よく聴いていた、hip hopグループは、A Tribe Called Questです。私は、ロックにしてもその他のジャンルの音楽にしても、昔から、基本的には、ガテン系・汗臭いタイプの物は、あんまり好みに合いません。その点においても、A Tribe Called Questは、私の嗜好に合っていたのだと思います。私の1台目の自動車は、18歳の自動車の免許取得と同時に親に買って貰った物であるのですが、免許を取って自動車を運転するようになってからは、A Tribe Called Questは、自動車のBGMとしても、よく聴いていました。













写真以下8枚。私の前の自動車等です。写真は、一昨年の初めに、自動車の買い替え前の、私の前の自動車の、お別れdriveに行った(デート(date)で行った)時の物です。場所は、湘南(syonan)(東京areaに暮らす人々にとって、最も身近な、東京近郊のビーチリゾート(beach resort)地)です。私は、湘南(syonan)が好きで、主に、(若者達で、騒々しくなる)夏の海水浴時期以外に、よくdriveしています。

写真以下2枚。湘南(syonan)にある、お気に入りの、フランス料理・西洋料理レストランです。








向こうに見える山は、富士山です。富士山(標高 3,776m)は、東京圏に近い場所にある、日本で最も高い山で、その形の美しさから、世界的に名が知られている山です。




写真以下6枚。私の前の自動車です。2代目トヨタ(TOYOTA)ARISTO。この自動車は、とても長い間(10数年)乗っていました。私の2台目の自動車で、自分の金で買った最初の自動車で、且つ、新車で買った自動車としても、最初の自動車です。ちなみに、私は、仕事は、男性の共同経営者と、二人で、小さな事業(その男性(元々、大学時代の友人)と二人だけで、営んでいる会社です)を営んでいるのですが、私の前の自動車は、仕事が勢いに乗っていた時に(ちなみに、当時、仕事は、今よりも、ずっと(遥かに)、忙しかったです)、購入した自動車です。ちなみに、男性の共同経営者(元々、大学時代の友人)とは、もう友人と言う関係ではなく、プライベートで(個人的に)、一緒に、遊ぶ事はないですし、休憩時間に、一緒に外食もしません(ただし、仕事が絡んだ外食は除く。。。)。まあ、そもそも、二人だけで会社を営んでいる事から、休憩は、交互に取る事が多く、同時に取る事はあまりないのですが。。。その男性とは、仕事で、しょっちゅう(いつも)顔を合わせているので、プライベートで(仕事以外で)、一緒にいる気は、一切しない(仕事以外で、一緒に過ごす気分には、全くならない)と言った感じですw。







写真以下5枚。向こうに、富士山が見えます。


写真以下2枚。駐車場内で、場所を変えて撮影。











写真以下3枚。今度は、向きを変えて撮影w。





















これは、私の今の自動車です。一昨年の初めから乗っています。私の3台目の自動車で、自分の金で買った自動車としては2台目の自動車で、且つ、新車で買った自動車としても、2台目の自動車です。写真は、千葉(chiba)県(東京圏の東部に位置する県。東京圏に暮らす人々の、海沿いの保養地等となっている)に、小旅行に出掛けた際に撮影した物です。現行の、トヨタ(TOYOTA)PRIUSです。
前述の通り、私の前の自動車は、愛着があって、パワーがあり相対的に運転も楽であったのですが、(私は、公共交通の便利な、東京中心部(東京23区内)に暮らしていると言っても、車は個人的に必需品(自分の生活(の休日)を豊かにする為に必要ですし、仕事でも使う)なのですが)、ハイオク・ガス食い(燃費の悪い自動車)はもういいかな(自動車関連に余計に使う金は、他の楽しみ等に使うか貯めた方がいい)と思い、一気にエコにふりましたw 







私は、家や車(自動車)で聴くBGMとしては、JazzやAcid Jazz等を聴いています。



<iframe width="560" height="315" src="https://www.youtube-nocookie.com/embed/yoDhFxscSmo?rel=0" frameborder="0" allow="autoplay; encrypted-media" allowfullscreen></iframe>Acid Jazz系の曲なのですが、私は、車の中で(自動車を運転中に)、この様な感じの曲を、BGMとして、よく聴いています(面倒臭いので、動画の最初の方しか聴いていませんが、動画の最初の方を聴いた限り、この様な感じの曲を、車の中で(自動車を運転中に)、よく聴いています)。

ちなみに、私は、大人の男性の、たしなみ(作法)として、女性を助手席に乗せて自動車を運転する場合、俺の自動車は偉いんだぞ的な傲慢な運転や俺の自動車は速いんだぞ的な運転テクニック自慢の運転をするよりも、隣りに乗っている女性を大切に思い、乗り心地の良い運転・安全運転を心掛ける方が、はるかに格好良いと思い、実際に、女性を助手席に乗せて自動車を運転する場合、その様な自動車の運転(隣りに乗っている女性を大切に思い、乗り心地の良い運転・安全運転)を心掛けています。それで、助手席の女性が寝てしまっても、御愛嬌と言った感じで暖かい目で見守っていますw(基本的に、誰でも、楽しく目一杯遊んだ後は疲れて眠くなるものです)。BGMにしても、例えば、彼女とドライブする際には、BGMなしで、彼女と話をしている方が楽しいです(彼女が、遊び疲れて寝てしまったら、(彼女を起こさない程度のボリューム(音量)で)BGMに切り替えますw)。


私が、家(我が家)で聴く、BGMとして、例えば、休みの日の、遅い朝食兼昼食(内容は、通常は、普段働いている日の朝食と同じで、パン、シリアル(cereal)、野菜サラダ(salad)、3種類程の果物、牛乳、ジュース(juice)、ヨーグルト(yoghurt)と言った内容です)の際には、会話に全く差し障りのない程のボリューム(音量)で、ゆったりとした、明るいJazz等をBGMとしてかけています。


私は、エッチ(sex)は、若い頃と違って、今は回数よりも、どちらかと言えば時間(長いエッチ(sex)の時間を楽しむ)と言った感じです(まあ、若い頃は回数+時間と言う感じだったけどw)。エッチ(sex)のせいで、翌日、朝寝坊をし、翌日の朝食・昼食が、朝食兼昼食となる事が多いですw

そんな、エッチ(sex)のせいで、朝寝坊をした、休みの日、BGMとして、会話に全く差し障りのない程のボリューム(音量)で、ゆったりとした、明るいJazz等をBGMとしてかけながら、彼女と、遅い朝食兼昼食を食べながら、ゆったりとした時間を過ごす事は、前日の夜から、夜遅く、又は、明け方にかけて、長い時間エッチ(sex)をした後に(エッチ(sex)は、その時の、二人の気分(好み)により、激しいエッチ(sex)の時と、まったりとしたエッチ(sex)の時、又は、その複合の時とがありますw)、寝て起きてからの、口直しの意味も含まれていますw そうして、休日に、まったりと口直しの、遅い朝食兼昼食を食べた後(遅い朝食兼昼食の時間を過ごした後)、(彼女と)遊びに出掛ける事が多いです。




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動画の、おじさんの写真が余計ですがw、面倒臭いので、動画の最初の方しか聴いていませんが、動画の最初の方を聴いた限り、休みの日の、遅い朝食兼昼食のBGMとしては、この様な感じの曲を、よく聴いています。



以下、参考の投稿。

女性は普通そんなにイカないもの?→

/jp/board/exc_board_50/view/id/2612070?&sfl=membername&stx=jlemon



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