食べ物

 

ちょっと前の事になりますが、4月の第1週の週末に、長野(nagano)県の中南部(八ヶ岳(yatsugatake)周辺)にある別荘(別荘とは、言っても、みすぼらしい物ですがw)で過ごした際に(この時は、ほとんどメンテナンス(maintenance)の為に別荘に行ったと言った感じでした(この翌週別荘に行くか、まだ、ちょっと不確かだった為)。ちょっと前までは、年間平均で、1ヶ月に2回位、週末に別荘で過ごしていたのですが、土日に仕事の用事が入る事が増えた事と、最近、ちょっと飽き気味で。。。)、ついでに足を延ばして(まあ、この時は、先に、戸倉上山田(togurakamiyamada)温泉で過ごしてから、別荘に向かったのですが)、長野(nagano)県の中北部に有る、戸倉上山田(togurakamiyamada)温泉に行った時の物です。

 

戸倉上山田(togurakamiyamada)温泉は、長野(nagano)県の中北部に有る、湯量豊富な、規模の大きな温泉保養地で、長野(nagano)(長野(nagano)県の北部に有る中都市。長野(nagano)県北部の中心都市で有ると供に、長野(nagano)県最大の人口を有する、長野(nagano)県の県庁所在地(capital)。1998年に、(1972年の北海道(hokkaido)の札幌(sapporo)に続いて)、日本で、2回目の冬季オリンピック(Olympics)が開かれた)と上田(ueda)(長野(nagano)県の中北東部に有る中都市。長野(nagano)県第3位の都市圏人口を有する都市)から割りと近く(長野(nagano)の南。上田(ueda)の北)、長野(nagano)都市圏及び上田(ueda)都市圏に暮らす人々の、週末温泉保養地となっている感じの、のどかな温泉保養地です。

 

私は、ここ7年程、ほぼ毎年、杏子の花の時期に、別荘から、少し足を延ばして、戸倉上山田(togurakamiyamada)温泉の近くの、杏子の里(杏子の村)に、杏子の花を見に訪れているのですが、戸倉上山田(togurakamiyamada)温泉は、前から、一度、訪れてみたいと思っていたものの、この時、初めて訪れました。この時は、杏子の里(杏子の村)の杏子は、残念ながら、まだ咲き始めと言った状態でしたが、この、翌週、別荘で過ごした際に、足を延ばして、杏子の里(杏子の村)に行った時は、杏子の花が、見頃でした(実は、この翌週にも、ついでに、戸倉上山田(togurakamiyamada)温泉に宿泊しました。別の旅館だったけど。。。)。

 

写真以下2枚。戸倉上山田(togurakamiyamada)温泉は、千曲(chikuma)川(信濃(shinano)川)(新潟(nigata)県と長野(nagano)県を流れる全長367kmの川)沿いに開けた温泉保養地です。千曲(chikuma)川を挟んで、西側が、上山田(kamiyamada)温泉、東側が、戸倉(togura)温泉となっていて、両方合わせて、戸倉上山田(togurakamiyamada)温泉となっています(合わせて、約50軒の温泉旅館を中心とした宿泊保養施設が有ります。wikiより)。この時は、上山田(kamiyamada)温泉側の温泉旅館、この、翌週、戸倉上山田(togurakamiyamada)温泉を訪れた際は、戸倉(togura)温泉側の温泉旅館に宿泊しました。戸倉上山田(togurakamiyamada)温泉は、日本が近代化され始めてから、温泉が発見され開発された(それより前も、集落(村)は、存在していたが、ただの、小規模な農村集落(農村)と言った感じだったと思います)、歴史の浅い、近代温泉保養地です(温泉保養地としての歴史は、戸倉(togura)温泉が、1893年から、上山田(kamiyamada)温泉が1903年から。。。)。温泉保養地としての歴史の深みは有りませんが、湯量が、非常に豊富な温泉保養地で、温泉旅館の温泉風呂は、源泉かけ流しが、当たり前と言った感じになっています。


 

 

 

 

 

 

写真以下41枚。私達が、この時、戸倉上山田(togurakamiyamada)温泉で宿泊した温泉旅館。比較的規模の大きな中級classの温泉旅館です(中級classの温泉旅館の中では、比較的大衆的な旅館です)。

 

旅館の建物は、時代に合わせて建て替えられており?、現在は、現代的な建物になっているのですが、旅館の廊下には、大正から昭和初期?(1910年代から1930年代頃?)の、この温泉旅館の写真が展示してありました(写真以下5枚)。昔から、比較的規模の大きな温泉旅館だった様です。

 

温泉旅館のメイン(main)の建物?。

 

 

二階建ての貸し別荘。

 

 

 平屋(一階建て)の貸し別荘の一部。

 

 

写真以下2枚。旅館の全景。このまま営業していれば、趣の有る温泉旅館になったでしょう(建物を建て替えてしまった?のが惜しいですね)。

 

 

 

 

 

写真以下2枚。この温泉旅館の部屋(この時、私達が宿泊した部屋)。二間続きになっていました。。。

 

 

 

 

 

旅館のオーナー(owner)が絵が好きらしく?(厳密には、先代のオーナー(owner)趣味だそう。確か。。。)、旅館の所々には、絵が飾ってありました。写真以下6枚は、その例です。

 

写真以下4枚。円山 応挙(maruyama oukyo。1733年生まれ。1795年に亡くなる。18世紀後半に活躍した、日本の有名な画家(絵師))の絵。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あねもね」。 梅原 龍三郎(umehara ryuzaburou。1888年生まれ。1986年に亡くなる。1910年代から1970年代にかけて活躍した日本の有名な近代画家)の作品。

 

「花・花器」小林 昌朗(kobayashi masao)と言う画家(私は、この画家の事を知りませんでした)の作品です。中々、いい感じです。

 

この温泉旅館には、共同温泉風呂(それぞれ、屋内温泉風呂と温泉露天(野外)風呂を有する)が、3つ有り、3つの内、どれが、男用共同風呂、女用共同風呂と、固定的に決まっている訳では無く、時間によって替わりました(したがって、男女別の共同風呂(男用共同風呂、女用共同風呂)と言う形式を保ったまま、男も、女も、様々な温泉風呂を、楽しめる様になっていました)。この旅館の温泉風呂は、全て、湯量豊富な、源泉かけ流しでした。この様な、温泉風呂の規模が比較的大きな、比較的、規模の大きな温泉旅館で、源泉かけ流しが可能である点が、湯量が非常に豊富な、戸倉上山田(togurakamiyamada)温泉らしいと言えるでしょう。尚、この温泉旅館は、複数の源泉から、温泉を引いている様で、温泉の湯の色や湯の色の濃さが、透明に近い湯であったり、濁り湯であったり、湯船によって異なっていました。

私は、宿泊収容人数の少ない、規模の小さな温泉旅館の温泉共同風呂を、実質的に、私一人で、貸し切り状態で入る様な感じも好きですが(宿泊収容人数の少ない、規模の小さな温泉旅館は、時間帯によっては、その様な状態になる時が、結構ある)、宿泊収容人数の少ない、規模の小さな温泉旅館は、通常、温泉共同風呂の規模も小さいです。一方、私は、規模の大きな温泉旅館の規模の大きな温泉風呂に、伸び伸び入るのも好きです(規模の大きな上に、湯量豊富な源泉かけ流しだったら、正に申し分ない。この旅館が、そうですが(温泉風呂の規模の大きな上に、湯量豊富な源泉かけ流し)、その様な旅館は、例外的で、少ないです)。もっとも、その様な、比較的規模の大きな温泉旅館は、宿泊収容人数が、比較的多いので、通常、常に、ある程度の人が、共同温泉風呂に入っており、私一人で、共同温泉風呂が、貸し切り状態になる様な事は、あまり有りません。。。まあ、小規模温泉旅館の温泉風呂、大規模温泉旅館の温泉風呂、個人的に、それぞれ、良い点と、悪い点があると言った感じです。

この時も、そうでしたが、通常、この温泉旅館の様な、比較的規模の大きな温泉旅館は、共同風呂が、私一人で貸し切り状態になる時間は、あまり無いです(宿泊収容人数の少ない、規模の小さな温泉旅館の温泉共同風呂の場合、時間帯によっては、私が入浴中、最初から、最後まで、実質的に、私一人で、貸し切り状態なんて事も、割りとあるのですが、この様な、比較的規模の大きな温泉旅館の場合、どんな時間帯であっても、私が入浴中、最初から、最後まで、実質的に、私一人で、貸し切り状態なんて事は、めったに有りません)。この時も、最初は、他に人が入っていたが、途中で上がった、最初は、私一人で有ったが、後から、他の人が入って来た等、一時的に、私一人で貸し切り状態になる事はあっても、私が入浴中、最初から、最後まで、実質的に、私一人で、貸し切り状態になる事は、1回も有りませんでした。写真以下15枚(途中パンフレット(leaflet)の写真1枚を除く)、そんな中、私一人で、貸し切り状態になった時を見計らって(見計らってと言っても、慌てて撮影する必要が有った訳ではなく、どれどれ、私一人になったから(私一人だから)撮影するかなぁと言った感じの、ゆとりが有ったのですが。。。)撮影した、この温泉旅館の共同温泉風呂です。

 

写真以下6枚。夜に撮影した、この温泉旅館に3つ有る、温泉共同風呂の一つ。この温泉共同風呂には、サウナ(sauna)がついていました。

 

この温泉共同風呂の、屋内温泉風呂。いかにも効きそうな濁り湯。

 

写真以下5枚。この温泉共同風呂の温泉露天(野外)風呂。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下3枚。夜に撮影した、この温泉旅館に3つ有る、温泉共同風呂の一つ。

 

この温泉共同風呂の、屋内温泉風呂。

 

写真以下2枚。この温泉共同風呂の温泉露天(野外)風呂。

 

 

 

 

パンフレット(leaflet)の写真から。。。この温泉旅館に3つ有る、温泉共同風呂の一つ。

 

写真以下5枚。翌朝撮影した、この温泉旅館に3つ有る、温泉共同風呂の一つ(夜に撮影した、温泉共同風呂の内、最初の方の温泉共同風呂)。

 

屋内温泉風呂。

 

写真以下4枚。温泉露天(野外)風呂。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下9枚。この旅館の夕食(この時、私達が食べた夕食)。夕食は、この翌週、戸倉上山田(togurakamiyamada)温泉で泊まった旅館(戸倉(togura)温泉の旅館)の方が、全般的に良かったです。全て一人一皿ずつです(写真は、一人分)。これに、ご飯(rice)と味噌汁(miso soup)でした。

 

食前酒(梅酒)。

 

写真左は、菜花(菜の花)と、ホッキ貝の和え物(美味しかったです。確か。。。)。写真右上は、蕎麦(蕎麦は、長野(nagano)県で、昔から、よく食べられている長野(nagano)県の名物料理となっています)。

 

サトイモ(里芋)、そぼろ肉、あんかけ。

 

 

茶碗蒸し。

 

海老、野菜等の天麩羅。皿の右上の緑の物は、フキノトウの天麩羅。私は、フキノトウが苦手で、(フキノトウ好きの)彼女にあげましたw

 

信州牛(長野(nagano)県産牛肉)の、すき焼き。

 

 

鮑(アワビ)の焼き物。小さい鮑(アワビ)でしたが、味は、悪くなかったです。何となく、この辺りの温泉旅館で出る、海の魚介類(seafood)は、長野(nagano)県の北の隣りの新潟(nigata)県辺りから来るか、若しくは、輸入物かなと思ったのですが、この鮑(アワビ)は、東北地方(三陸)産との事でした。鮑(アワビ)と言えば、この翌週、戸倉上山田(togurakamiyamada)温泉で泊まった旅館の夕食でも、同じ様な鮑(アワビ)が出ました。何か、この辺りの温泉旅館で、共同して、東北地方(三陸)から鮑(アワビ)を仕入れたりしているのかな。。。

 

長芋の石焼き。

 

 

デザート(dessert)。

 

朝食は、バイキング(食べ放題。buffet)方式になっていて、日本式朝食にする事も、西洋式朝食にする事も可能でした。朝食は、個人的に、この翌週、戸倉上山田(togurakamiyamada)温泉で泊まった旅館よりも、この旅館の方が、良かったです。

 

写真以下4枚。この温泉旅館で、この時、私が食べた朝食。これに、多分、コーヒー(coffee)か何か飲んだと思います。

 

 

左側の皿の左は、肉団子(meatball)。肉団子(meatball)とフライドポテト(french fries)は、お代りしました。写真左上の林檎ジュース(juice)は、さすが長野(nagano)県だけあって?(長野(nagano)県は、林檎の主要な産地となっています)、美味しかったです。写真右下は、温泉玉子です。

 

コーンスープ(corn soup)。

 

 

これは、置いてあった複数の物を組み合わせて?、彼女が持って来てくれた物(かなり、遊びが入ってるw?)。内容も味も忘れましたw

 

ヨーグルト(yogurt)、果物。そう言えば、この前の日光(nikko)の投稿で、リゾート(resort)宿泊施設で食べた朝食、写真の物その他に加えて、ヨーグルト(yogurt)を食べた事を書くのを忘れました(まあ、どうでもいいけど。。。)。

 

個人的に、食事は、(質に)若干不満足でしたが、温泉が良かったので、まあ、また泊まっても、いいかなと思う旅館でした。

 

写真以下3枚。旅館をチェックアウト(check-out)した後、入りに行った、戸倉上山田(togurakamiyamada)温泉の温泉施設の一つのパンフレット(leaflet)から。。。建物や施設は、比較的新しいですが、100年以上の歴史を有する、温泉施設です。温泉は、湯量豊富な、源泉かけ流しです。それぞれ、屋内温泉風呂と温泉露天(野外)風呂を有する、男用共同風呂と、女用共同風呂が有ります(男用共同風呂と、女用共同風呂、造りは、ほとんど同じな様です)。

 

 

 

男用共同風呂の屋内温泉風呂。

 

 

男用共同風呂の温泉露天(野外)風呂。

 

写真以下39枚。温泉施設を出た後、荒砥(arato)城(castle)の跡を見に行きました。荒砥(arato)城(castle)は、かつて、戸倉上山田(togurakamiyamada)温泉の上山田(kamiyamada)温泉の地域辺り?(当時は、まだ、この地域の温泉は、発見されていなかったので、ただの、小規模な農村集落(農村)と言った感じだったと思います)を統治していた、小規模、地方領主(豪族)、山田(yamada)家が、1524年頃に建てた、城(castle)と言うか、砦(fort)です。

 

荒砥(arato)城(castle)のパンフレット(leaflet)(一部、私が、書き込み)から。。。当時の様子(想像図)。山田(yamada)家は、普段(平和な時)は、住み易い、平地の邸宅(図の1の部分)に暮らしていました。荒砥(arato)城(castle)は、戦争時(他地域の、地方領主や豪族の軍隊が攻めて来た時等)に、山に篭って戦う(抵抗する)為に、築かれた物で、いくつかの砦(fort)によって構成されていましたが、その一部(主要部分)(図の2の部分)の建物等が、現在、復元されています(荒砥(arato)城(castle)の有った山の上までは、現在、道路が整備され、楽に自動車で上がる事が出来ます)。中世から16世紀頃にかけては、荒砥(arato)城(castle)の様な、小規模、地方領主(豪族)の砦(fort)が、日本全国に、たくさん有ったと思います。

 

写真以下5枚。荒砥(arato)城(castle)の跡から眺めた、戸倉上山田(togurakamiyamada)温泉の街並み等。大分、春霞(春の季節に立つ霞(かすみ。霧)。春になると、遠くの景色が見えにくくなる。説明は、wikiから借りて来ました)が、かかってしまっていますが。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下28枚。現在、荒砥(arato)城(castle)の建物の一部が、復元され、観光場所として、綺麗に整備されています(とは、言っても、荒砥(arato)城(castle)の建物に関する資料が、少ない為か?(荒砥(arato)城(castle)は、16世紀中に、必要がなくなり、廃城となりました)、かつての荒砥(arato)城(castle)の(一部の)姿を、完全に近い形で、復元したと言う物では無く、日本の中世から16世紀頃の、山城(砦(fort))の雰囲気を再現すると言った形となっています)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下5枚。再び、荒砥(arato)城(castle)の跡から眺めた、戸倉上山田(togurakamiyamada)温泉の街並み等。大分、春霞が、かかっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昼食は、何処で食べようかと、ちょっと迷ったけど、結局、戸倉上山田(togurakamiyamada)温泉の温泉施設の一つ(午前中に行った温泉施設とは別の温泉施設)に併設されている食堂で食べました。

 

食堂には、手打ち蕎麦も有ったのですが(さすが長野(nagano)w)、何だか、長野(nagano)県で、蕎麦を食べるのも、ちょっと飽き気味だったので、海老フライ(海老の揚げ物)の定食(ご飯(rice)と、おかずの、組み合わせメニュー(menu))を食べました。二人供、同じ物(海老フライ(海老の揚げ物)の定食)を食べました(写真は、一人分)。元々期待値が低かったと言うのも有るのですが、結構美味しかったです(この手の食堂の物としては。。。)。食後、少しのんびりした後、この温泉施設の風呂に、のんびり入ってから、「戸倉上山田(togurakamiyamada)温泉の温泉を満喫した」と言った感じで、別荘に向かいました。

 

写真以下2枚。この温泉施設のパンフレット(leaflet)から。。。この温泉施設の温泉も、源泉かけ流しです。

 

 

 

 

 

戸倉上山田(togurakamiyamada)温泉は、日本が近代化され始めてから、温泉が発見され開発された歴史の浅い、近代温泉保養地なので、温泉街から、歴史の深みや厚みは、あまり感じられませんでしたが、湯量の豊富さに参りました。

 

温泉でのんびり&食べ物、終り。。。

 

以下、おまけ。

 

両方供、前に、enjoyで、アップ(upload)した事が有ると思いますが、それぞれ、長野(nagano)県の、私の別荘が有るareaの名物の食べ物の一つです(もっとも、私の別荘の有るareaは、大きく(大雑把に)、私の別荘が有る高原areaと、諏訪(suwa)湖と言う大きな湖を中心とした盆地areaに分かれるのですが(高原areaと盆地areaの間は、自動車で簡単に行き来可能)、これ等は、大きな湖を中心とした盆地areaの方の名物の食べ物です)。

 

写真以下2枚。大社煎餅。甘い煎餅です。素朴な、お菓子ですが、中々美味しいです。

 

 

 

 

 

ちょっと、もう摘んでしまった後に撮影しましたが、えびす屋と言う、1858年創業の佃煮・川魚(湖魚)料理販売店の、わかさぎの空揚げ(揚げ物)です。えびす屋の、わかさぎの空揚げ(揚げ物)は、私の好物となっています(他の店(会社)の、わかさぎの空揚げ(揚げ物)も、まあ美味しいですが、個人的に、えびす屋の物が、一番美味しいと思います)。一度に、たくさん食べたら、塩分と油で、体に悪いのは、分かっているのですが、止められない止まらないと言った感じですw。


온천에서 한가로이&음식.

 

조금 전의 일이 됩니다만, 4월의 제1주의 주말에, 나가노(nagano) 현의 중남부(야츠카타케(yatsugatake) 주변)에 있는 별장(별장이란, 말해도, 초라한 것입니다만 w)에서 보냈을 때에(이 때는, 거의 멘테넌스(maintenance)를 위해 별장에 갔다고 한 느낌이었습니다(이 다음주 별장에 가는지, 아직, 조금 애매했던 때문).조금 전까지는, 연간 평균으로, 1개월에 2회 정도, 주말에 별장에서 보내고 있었습니다만, 토일요일에 일의 용무가 들어오는 것이 증가한 일과 최근, 조금 싫증 기색으로...), 하는 김에 발길을 뻗치고(뭐, 이 때는, 먼저, 토구라 가미야마다(togurakamiyamada) 온천에서 보내고 나서, 별장으로 향했습니다만), 나가노(nagano) 현안북부에 있는, 토구라 가미야마다(togurakamiyamada) 온천에 갔을 때의 물건입니다.

 

토구라 가미야마다(togurakamiyamada) 온천은, 나가노(nagano) 현안북부에 있는, 탕수의 양 풍부한, 규모의 큰 온천 보양지에서, 나가노(nagano)(나가노(nagano) 현의 북부에 있는 중 도시.나가노(nagano) 현 북부의 중심 도시에서 있으면 보조자에, 나가노(nagano) 현 최대의 인구를 가지는, 나가노(nagano) 현의 현청 소재지(capital).1998년에, (1972년의 홋카이도(hokkaido)의 삿포로(sapporo)에 잇고), 일본에서, 2번째의 동계 올림픽(Olympics)이 열렸다)과 우에다(ueda)(나가노(nagano) 현안북동부에 있는 중 도시.나가노(nagano) 현 제3위의 도시권 인구를 가지는 도시)로부터 나누기와 근처(나가노(nagano)의 남쪽.우에다(ueda)의 키타), 나가노(nagano) 도시권 및 우에다(ueda) 도시권에 사는 사람들의, 주말 온천 보양지가 되고 있는 느낌의, 한가로운 온천 보양지입니다.

 

나는, 최근 7년 정도, 거의 매년, 쿄코의 꽃의 시기에, 별장으로부터, 조금 발길을 뻗치고, 토구라 가미야마다(togurakamiyamada) 온천의 가까이의, 쿄코의 마을(쿄코의 마을)에, 쿄코의 꽃을 봐에 방문하고 있습니다만, 토구라 가미야마다(togurakamiyamada) 온천은, 전부터, 한 번, 방문해 보고 싶었지만 , 이 때, 처음으로 방문했습니다.이 때는, 쿄코의 마을(쿄코의 마을)의 쿄코는, 유감스럽지만, 아직 피기 시작해라고 한 상태였지만, 이, 다음주, 별장에서 보냈을 때에, 발길을 뻗치고, 쿄코의 마을(쿄코의 마을)에 갔을 때는, 쿄코의 꽃이, 볼만했습니다( 실은, 이 다음주에도, 하는 김에, 토구라 가미야마다(togurakamiyamada) 온천에 숙박했습니다.다른 여관이었지만...).

 

사진 이하 2매.토구라 가미야마다(togurakamiyamada) 온천은, 천곡(chikuma) 천(시나노(shinano) 카와)(니가타(nigata) 현과 나가노(nagano) 현을 흐르는 전체 길이 367 km의 강) 가에 연 온천 보양지입니다.천곡(chikuma) 강을 사이에 두고, 서쪽이, 가미야마다(kamiyamada) 온천, 동쪽이, 토구라(togura) 온천이 되고 있고, 양쪽 모두 맞추고, 토구라 가미야마다(togurakamiyamada) 온천이 되고 있습니다(맞추고, 약 50채의 온천 여관을 중심으로 한 숙박 보양 시설이 있습니다.wiki보다).이 때는, 가미야마다(kamiyamada) 온천측의 온천 여관, 이, 다음주, 토구라 가미야마다(togurakamiyamada) 온천을 방문했을 때는, 토구라(togura) 온천측의 온천 여관에 숙박했습니다.토구라 가미야마다(togurakamiyamada) 온천은, 일본이 근대화 되기 시작한 다음, 온천이 발견되어 개발되었다(그것보다 전도, 취락(마을)은, 존재하고 있었지만, 단순한, 소규모의 농촌 취락(농촌)이라고 한 느낌이었다고 생각합니다), 역사의 얕은, 근대 온천 보양지입니다(온천 보양지로서의 역사는, 토구라(togura) 온천이, 1893년부터, 가미야마다(kamiyamada) 온천이 1903년부터...).온천 보양지로서의 역사의 깊은 곳은 없습니다만, 탕수의 양이, 매우 풍부한 온천보양지에서, 온천 여관의 온천 목욕탕은, 원천 내기 흘려 보내기가, 당연이라고 말한 기분이 들고 있습니다.


 

 

 

 

 

 

사진 이하 41매.저희들이, 이 때, 토구라 가미야마다(togurakamiyamada) 온천에서 숙박한 온천 여관.비교적 규모의 큰 중급 class의 온천 여관입니다(중급 class의 온천 여관 중(안)에서는, 비교적 대중적인 여관입니다).

 

여관의 건물은, 시대에 맞추어 다시 세워져 있어?, 현재는, 현대적인 건물이 되어 있습니다만, 여관의 복도에는, 타이쇼로부터 쇼와 초기?(1910년대부터 1930년대무렵?)의, 이 온천 여관의 사진이 전시되어 있었습니다(사진 이하 5매).옛부터, 비교적 규모의 큰 온천 여관이었다 같습니다.

 

온천 여관의 메인(main)의 건물?.

 

 

이층건물의 임대 별장.

 

 

 단층집(1층건물)의 임대 별장의 일부.

 

 

사진 이하 2매.여관의 전경.이대로 영업하고 있으면, 정취가 있는 온천 여관이 되었겠지요(건물을 개축해 버렸다?의가 아깝네요).

 

 

 

 

 

사진 이하 2매.이 온천 여관의 방(이 때, 저희들이 숙박한 방).2간 계속이 되어 있었습니다...

 

 

 

 

 

여관의 오너(owner)가 그림을 좋아하는 것 같고?(엄밀하게는, 선대의 오너(owner) 취미 내자.확실히...), 여관의 곳곳에는, 그림이 장식해 있었습니다.사진 이하 6매는, 그 예입니다.

 

사진 이하 4매.마루야마 오쿄(maruyama oukyo.1733 년생.1795년에 죽는다.18 세기 후반에 활약한, 일본의 유명한 화가(화가))의 그림.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「언니(누나)도」. 우메하라 류자부로(umehara ryuzaburou.1888 년생.1986년에 죽는다.1910년대부터 1970년대에 걸쳐 활약한 일본의 유명한 근대 화가)의 작품.

 

「꽃·꽃병」코바야시 아키라랑(kobayashi masao)이라고 하는 화가( 나는, 이 화가의 일을 몰랐습니다)의 작품입니다.꽤, 좋은 느낌입니다.

 

이 온천 여관에는, 공동 온천 목욕탕(각각, 옥내 온천 목욕탕과 온천 노천(야외) 목욕탕을 가진다)이, 3있어, 3개중, 어떤 것이, 남용 공동 목욕탕, 녀용 공동 목욕탕과 고정적으로 정해져 있는 것은 아니고, 시간에 의해서 바뀌었던(따라서, 남녀별의 공동 목욕탕(남용 공동 목욕탕, 녀용 공동 목욕탕)이라고 하는 형식을 유지한 채로, 남자도, 여자도, 여러가지 온천 목욕탕을, 즐길 수 있는 것처럼 되어 있었습니다).이 여관의 온천 목욕탕은, 모두, 탕수의 양 풍부한, 원천 내기 흘려 보내기였습니다.이와 같은, 온천 목욕탕의 규모가 비교적 큰, 비교적, 규모의 큰 온천 여관에서, 원천 내기 흘려 보내기가 가능한 점이, 탕수의 양이 매우 풍부한, 토구라 가미야마다(togurakamiyamada) 온천인것 같다고 말할 수 있겠지요.상, 이 온천 여관은, 복수의 원천으로부터, 온천을 당기고 있는 것 같고, 온천의 뜨거운 물의 색이나 뜨거운 물의 색의 진함이, 투명하게 가까운 뜨거운 물이거나 탁함탕이거나 목욕통에 의해서 차이가 났습니다.

나는, 숙박 수용 인원수의 적은, 규모의 작은 온천 여관의 온천 공동 목욕탕을, 실질적으로, 나 혼자로, 전세 상태로 들어가는 것 같은 느낌도 좋아합니다만(숙박 수용 인원수의 적은, 규모의 작은 온천 여관은, 시간대에 따라서는, 그 같은 상태가 될 때가, 상당히 있다), 숙박 수용 인원수의 적은, 규모의 작은 온천 여관은, 통상, 온천 공동 목욕탕의 규모도 작습니다.한편, 나는, 규모의 큰 온천 여관의 규모의 큰 온천 목욕탕에, 성장해 성장해 들어가는 것도 좋아합니다(규모의 큰 위에, 탕수의 양 풍부한 원천 내기 흘려 보내기라면, 정말로 더할 나위 없다.이 여관이, 그렇습니다만(온천 목욕탕의 규모의 큰 위에, 탕수의 양 풍부한 원천 걸쳐 개수대), 그 같은 여관은, 예외적으로, 적습니다).무엇보다, 그 같은, 비교적 규모의 큰 온천 여관은, 숙박 수용 인원수가, 비교적 많기 때문에, 통상, 항상, 어느 정도의 사람이, 공동 온천 목욕하고 있어 나 혼자로, 공동 온천 목욕탕이, 전세 상태가 되는 것 같은 일은, 별로 없습니다...뭐, 소규모 온천 여관의 온천 목욕탕, 대규모 온천 여관의 온천 목욕탕, 개인적으로, 각각, 좋은 점과 나쁜 점이 있다고 한 느낌입니다.

이 때도, 그랬습니다만, 통상, 이 온천 여관의 같은, 비교적 규모의 큰 온천 여관은, 공동 목욕탕이, 나 혼자로 전세주어 상태가 되는 시간은, 별로 없습니다(숙박 수용 인원수의 적은, 규모의 작은 온천 여관의 온천 공동 목욕탕의 경우, 시간대에 따라서는, 내가 입욕중, 최초부터, 끝까지, 실질적으로, 나 혼자로, 전세 상태같은 일도, 나누기와 있습니다만, 이와 같은, 비교적 규모의 큰 온천 여관의 경우, 어떤 시간대여도, 내가 입욕중, 최초부터, 끝까지, 실질적으로, 나 혼자로, 전세 상태는 일은, 좀처럼 없습니다).이 때도, 처음은, 그 밖에 사람이 들어가 있었지만, 도중에 오른, 처음은, 나 혼자로 있었지만, 나중에, 다른 사람이 들어 온 등 , 일시적으로, 나 혼자로 전세주어 상태가 되는 일은 있어도, 내가 입욕중, 최초부터, 끝까지, 실질적으로, 나 혼자로, 전세 상태가 되는 일은, 한번도 없었습니다.사진 이하 15매(도중 팜플렛(leaflet)의 사진 1매를 제외하다), 그런 가운데, 나 혼자로, 전세 상태가 되었을 때를 가늠해(가늠하고라고 말해도, 당황해서 촬영할 필요가 있던 것은 아니고, 어떤 것 어떤 것, 나 혼자가 되었기 때문에(나 혼자이니까) 촬영할까라고 한 느낌의, 여유가 있었습니다만...) 촬영한, 이 온천 여관의 공동 온천 목욕탕입니다.

 

사진 이하 6매.밤에 촬영한, 이 온천 여관에 3개 있는, 온천 공동 목욕탕의 하나.이 온천 공동 목욕탕에는, 사우나(sauna)가 붙어 있었습니다.

 

이 온천 공동 목욕탕의, 옥내 온천 목욕탕.그야말로 효과가 있을 것 같은 탁함탕.

 

사진 이하 5매.이 온천 공동 목욕탕의 온천 노천(야외) 목욕탕.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 3매.밤에 촬영한, 이 온천 여관에 3개 있는, 온천 공동 목욕탕의 하나.

 

이 온천 공동 목욕탕의, 옥내 온천 목욕탕.

 

사진 이하 2매.이 온천 공동 목욕탕의 온천 노천(야외) 목욕탕.

 

 

 

 

팜플렛(leaflet)의 사진으로부터...이 온천 여관에 3개 있는, 온천 공동 목욕탕의 하나.

 

사진 이하 5매.이튿날 아침 촬영한, 이 온천 여관에 3개 있는, 온천 공동 목욕탕의 하나(밤에 촬영한, 온천 공동 목욕탕중, 최초의 분의 온천 공동 목욕탕).

 

옥내 온천 목욕탕.

 

사진 이하 4매.온천 노천(야외) 목욕탕.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 9매.이 여관의 저녁 식사(이 때, 저희들이 먹은 저녁 식사).저녁 식사는, 이 다음주, 토구라 가미야마다(togurakamiyamada) 온천에서 묵은 여관(토구라(togura) 온천의 여관)가, 전반적으로 좋았습니다.모두 일인일명씩입니다(사진은, 일인분).이것에, 밥(rice)과 된장국(miso soup)이었습니다.

 

식전술(매실주).

 

사진왼쪽은, 채화(유채꽃)와 혹기조개의 무침 요리(맛있었습니다.확실히...).사진 우상은, 소바(소바는, 나가노(nagano) 현에서, 옛부터, 잘 먹을 수 있고 있는 나가노(nagano) 현의 명물 요리가 되고 있습니다).

 

사트이모(토란), 육, 고명.

 

 

계란찜.

 

새우, 야채등의 천부라.접시의 우상의 초록의 물건은, 후키노트우의 천부라.나는, 후키노트우에 약하고, (후키노트우 좋아하는) 그녀에게 주었던 w

 

신슈우(나가노(nagano) 현산 쇠고기)의, 스키야키.

 

 

전복(전복)의 구이.작은 전복(전복)이었지만, 맛은, 나쁘지 않았습니다.웬지 모르게, 이 근처의 온천 여관에서 나오는, 바다의 어패류(seafood)는, 나가노(nagano) 현의 북쪽의 이웃의 니가타(nigata) 현 근처로부터 오는지, 혹은, 수입물일까라고 생각했습니다만, 이 전복(전복)은, 동북지방(산리쿠) 산과의 일이었습니다.전복(전복)이라고 말하면, 이 다음주, 토구라 가미야마다(togurakamiyamada) 온천에서 묵은 여관의 저녁 식사라도, 같은 전복(전복)이 나왔습니다.무엇인가, 이 근처의 온천 여관에서, 공동 하고, 동북지방(산리쿠)으로부터 전복(전복)을 구매하거나 하고 있는 것일까...

 

참마의 사기 그릇.

 

 

디저트(dessert).

 

아침 식사는, 바이킹(마음껏 먹기.buffet) 방식이 되어 있고, 일본식 아침 식사로 하는 일도, 서양식 아침 식사로 하는 일도 가능했습니다.아침 식사는, 개인적으로, 이 다음주, 토구라 가미야마다(togurakamiyamada) 온천에서 묵은 여관보다, 이 여관이, 좋았습니다.

 

사진 이하 4매.이 온천 여관에서, 이 때, 내가 먹은 아침 식사.이것에, 아마, 커피(coffee) 같은 것 마셨다고 생각합니다.

 

 

좌측의 접시의 왼쪽은, 고기 경단(meatball).고기 경단(meatball)과 fried potato(french fries)는, 더 주세요 했습니다.사진 좌상의 사과 쥬스(juice)는, 과연 나가노(nagano) 현답게?(나가노(nagano) 현은, 사과의 주요한 산지가 되고 있습니다), 맛있었습니다.사진 우하는, 온천 계란입니다.

 

콘 스프(corn soup).

 

 

이것은, 놓여져 있던 복수의 물건을 조합해?, 그녀가 가져 와 준 것( 꽤, 놀이가 들어가있는 w?).내용도 맛도 잊었던 w

 

요구르트(yogurt), 과일.그렇게 말하면, 지난 번의 닛코(nikko)의 투고로, 리조트(resort) 숙박시설로 먹은 아침 식사, 사진의 물건 그 외에 가세하고, 요구르트(yogurt)를 먹은 일을 쓰는 것을 잊었습니다(뭐, 아무래도 좋은데...).

 

개인적으로, 식사는, (질에) 약간 불만족스러웠습니다만, 온천이 좋았기 때문에, 뭐, 또 묵어도, 좋을까라고 생각하는 여관이었습니다.

 

사진 이하 3매.여관을 체크아웃(check-out) 한 후, 들어가러 간, 토구라 가미야마다(togurakamiyamada) 온천의 온천 시설의 하나의 팜플렛(leaflet)으로부터...건물이나 시설은, 비교적 새롭습니다만, 100년 이상의 역사를 가지는, 온천 시설입니다.온천은, 탕수의 양 풍부한, 원천 내기 흘려 보내기입니다.각각, 옥내 온천 목욕탕과 온천 노천(야외) 목욕탕을 가지는, 남용 공동 목욕탕과 녀용 공동 목욕탕이 있습니다(남용 공동 목욕탕과 녀용 공동 목욕탕, 구조는, 거의 같은 같습니다).

 

 

 

남용 공동 목욕탕의 옥내 온천 목욕탕.

 

 

남용 공동 목욕탕의 온천 노천(야외) 목욕탕.

 

사진 이하 39매.온천 시설을 나온 후, 아라토(arato) 성(castle)의 자취를 보러 갔습니다.아라토(arato) 성(castle)은, 일찌기, 토구라 가미야마다(togurakamiyamada) 온천의 가미야마다(kamiyamada) 온천의 지역 근처?(당시는, 아직, 이 지역의 온천은, 발견되어 있지 않았기 때문에, 단순한, 소규모의 농촌 취락(농촌)이라고 한 느낌이었다고 생각합니다)을 통치하고 있던, 소규모, 지방 영주(호족), 야마다(yamada) 가가, 1524년경에 세운, 성(castle)이라고 말하는지, 사이(fort)입니다.

 

아라토(arato) 성(castle)의 팜플렛(leaflet)(일부, 내가, 기입)로부터...당시의 모습(상상도).야마다(yamada) 가는, 평상시(평화로운 때)는, 살기 쉬운, 평지의 저택(그림의 1의 부분)에 살고 있었습니다.아라토(arato) 성(castle)은, 전쟁시(타지역의, 지방 영주나 호족의 군대가 공격해 온 때 등)에, 산에 두문불출해 싸우는(저항한다) 때문에, 쌓아 올려진 것으로, 몇개의 사이(fort)에 의해서 구성되어 있었습니다만, 그 일부(주요 부분)(그림의 2의 부분)의 건물등이, 현재, 복원되고 있습니다(아라토(arato) 성(castle)이 있던 산 위까지는, 현재, 도로가 정비되어 편하게 자동차로 오를 수가 있습니다).중세부터 16 세기무렵에 있어서는, 아라토(arato) 성(castle)의 같은, 소규모, 지방 영주(호족) 사이(fort)가, 일본 전국에, 많이 있었다고 생각합니다.

 

사진 이하 5매.아라토(arato) 성(castle)의 자취로부터 바라본, 토구라 가미야마다(togurakamiyamada) 온천의 거리풍경등.상당히, 봄안개(봄의 계절에서는 안개(안개(봄안개).안개).봄이 되면, 먼 경치가 보이기 어려워진다.설명은, wiki로부터 빌려 왔습니다)가, 걸려 버리고 있습니다만...

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 28매.현재, 아라토(arato) 성(castle)의 건물의 일부가, 복원되어 관광 장소로서 깨끗이 정비되고 있습니다(란, 말해도, 아라토(arato) 성(castle)의 건물에 관한 자료가, 적기 때문에인가?(아라토(arato) 성(castle)은, 16 세기중에, 필요가 없어져, 폐성이 되었습니다), 한 때의 아라토(arato) 성(castle)의(일부의) 모습을, 완전하게 가까운 형태로, 복원했다고 하는 것은 아니고, 일본의 중세부터 16 세기무렵의, 산성(사이(fort))의 분위기를 재현한다고 한 형태가 되고 있습니다).

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 5매.다시, 아라토(arato) 성(castle)의 자취로부터 바라본, 토구라 가미야마다(togurakamiyamada) 온천의 거리풍경등.상당히, 봄안개가, 걸려 있습니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

점심 식사는, 어디에서 먹을까하고, 조금 헤매었지만, 결국, 토구라 가미야마다(togurakamiyamada) 온천의 온천 시설의 하나(오전중에 간 온천 시설과는 다른 온천 시설)에 병설되고 있는 식당에서 먹었습니다.

 

식당에는, 수타 소바도 있었습니다만(과연 나가노(nagano) w), 무엇인가, 나가노(nagano) 현에서, 소바를 먹는 것도, 조금 싫증 기색이었으므로, 새우 플라이(새우의 튀김)의 정식(밥(rice)과 반찬의, 편성 메뉴(menu))를 먹었습니다.두 명보조자, 같은 물건(새우 플라이(새우의 튀김)의 정식)를 먹었습니다(사진은, 일인분).원래 기대치가 낮았다고 말하는 것도 있습니다만, 상당히 맛있었습니다(이 손의 식당의 물건으로서는...).식후, 조금의 한 후, 이 온천 시설의 목욕탕에, 한가로이 들어가고 나서, 「토구라 가미야마다(togurakamiyamada) 온천의 온천을 만끽했다」라고 한 느낌으로, 별장으로 향했습니다.

 

사진 이하 2매.이 온천 시설의 팜플렛(leaflet)으로부터...이 온천 시설의 온천도, 원천 내기 흘려 보내기입니다.

 

 

 

 

 

토구라 가미야마다(togurakamiyamada) 온천은, 일본이 근대화 되기 시작한 다음, 온천이 발견되어 개발된 역사의 얕은, 근대 온천 보양지이므로, 온천 마을로부터, 역사의 깊은 곳이나 두께는, 그다지 느껴지지 않았습니다만, 탕수의 양의 풍부함에 갔습니다.

 

온천에서 한가로이&음식, 끝...

 

이하, 덤.

 

양쪽 모두보조자, 전에, enjoy로, 업(upload) 한 일이 있다고 생각합니다만, 각각, 나가노(nagano) 현의, 나의 별장이 있는 area의 명물의 음식의 하나입니다(가장, 나의 별장이 있는 area는, 크고(대략적으로), 나의 별장이 있는 타카하라 area와 스와(suwa) 호수라고 말하는 큰 호수를 중심으로 한 분지 area로 나누어집니다만(타카하라 area와 분지 area의 사이는, 자동차로 간단하게 왕래 가능), 이것등은, 큰 호수를 중심으로 한 분지 area의 분의 명물의 음식입니다).

 

사진 이하 2매.타이샤 전병.단 전병입니다.소박한, 과자입니다만, 꽤 맛있습니다.

 

 

 

 

 

좀, 벌써 따 버린 후에 촬영했습니다만, 가게라고 말하는, 1858년 창업의 해산물 조림·민물 고기(호어) 요리 판매점의, 원이나 사기의 튀김(튀김)입니다.가게의, 원이나 사기의 튀김(튀김)은, 나의 좋아하는 것이 되고 있습니다(다른 가게(회사)의, 원이나 사기의 튀김(튀김)도, 뭐 맛있습니다만, 개인적으로, 네가게의 물건이, 제일 맛있다고 생각합니다).한 번에, 많이 먹으면, 염분과 기름으로, 몸에 나쁜 것은, 알고 있습니다만, 멈출 수 없는 멈추지 않는다고 한 느낌입니다 w.



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