食べ物

 

 

 

 

写真以下20枚。投稿の本文に入る前に、ちょっと、おまけ。。。投稿の、本文(8月の後半の高原滞在&食べ物)とは、全く、関係がありません。

 

写真以下17枚。おまけ1。日本橋(nihonbashi)&食べ物。

 

今週の火曜日(以下、この日と書きます)は、個人的に、(かなり早目に仕事を終えると言う形で)、半日弱、休みを取りました。この日は、仕事の終わりに、日本橋(nihonbashi)の取引先を訪れたのですが、その後、3時過ぎ位に、東京国立近代美術館(東京都心部の中でも、中心的な地域に有る、国立の近代美術館)で、この時行われていた、竹内 栖鳳(takeuchi seihou。1864年生まれ。1942年に亡くなる。1890年代から1930年代に活躍。京都の画家で、近代日本伝統画を代表する画家の一人)の展覧会(exhibition)を見て来た彼女と(彼女は、この日、一日休みでした)、日本橋(nihonbashi)で待ち合わせ、合流しました。

 

 

 

写真以下3枚。前に、kjでアップ(upload)した写真の再利用。日本橋(nihonbashi)の風景例。

 

 

日本橋(nihonbashi)areaの通り。日本橋(nihonbashi)(東京都心部の中でも、中心的な地域に位置する)は、江戸(edo)時代(17世紀)から、東京を代表する一等商業地です。

 

 

 

 

 

 

 

 

日本橋(nihonbashi)areaにある三井(mitsui)本館。1929年に完成した、銀行等が入る、オフィス(office)用のビルで、第二次世界大戦前に、東京に建てられた近代建築のオフィス(office)用のビルの内、現在も残されている、数少ない物の内の一つです。現在も、オフィス(office)用ビルとして、活用されています(近代建築の保存意識の高まり等から、文化財に指定されています)。第二次世界大戦前の1920年代から、1930年代には、日本の東京や大阪等には、重厚で、美しい近代建築のビルが、たくさん有りましたが、現在は、第二次世界大戦前に建てられた近代建築のビルは、非常に少なくなっています。ちなみに、第二次世界大戦前の1920年代から、1930年代には、地震地帯では無い、アメリカのニューヨーク(New York)とシカゴ(Chicago)では、既に、次々と超高層ビルが建設されていましたが、地震地帯の、日本では、その頃は、当然、大地震に耐えられるような、超高層ビルの建築設計技術が完成されておらず、東京や大阪には、超高層ビルが存在しませんでした(もっとも、その頃は、アメリカの地震地帯では無い地域を除けば、日本だけでなく、アメリカ西海岸、ヨーロッパ等、世界中、どの都市でも、超高層ビルは、ほとんど存在しませんでした)。第二次世界大戦が終って間も無い、1940年代後半から、(戦後復興中期前半の)1950年代半ば頃くらいまでは、東京や大阪では、主として、(第二次世界大戦時の、アメリカによる空襲で破壊されずに生き残った)第二次世界大戦前に建てられた、近代建築のビルを、引き続き活用していました。その後、高度経済成長に伴い、1950年代後期頃から、ようやく、戦後の現代建築のビルの建設ブーム(boom)が起り始め(ちなみに、日本で、日本の様な地震地帯の大地震でも、大丈夫な超高層ビルを設計建築する技術が成熟し、超高層ビルが建てられる様になったのは、1960年代後期以降)、1950年代後期から1960年代を通じて、東京や、大阪では、戦前に建てられた、重厚な近代建築のビルが、戦後に建てられた、機能的な現代建築のビルに、次々と、取り替えられる様になりました(その頃は、経済成長最優先であり、老朽化した近代建築を修理しながら、保存・活用しよう等と言う、ゆとりが無かった)。


 

 

 

 

 

写真上は、三井(mitsui)本館に隣接して建てられている、超高層ビル、日本橋(nihonbashi)三井(mitsui)tower(高さ約195m。39建て)。隣接する三井(mitsui)本館に調和する様、落ち着いたデザイン(design)となっています。日本橋(nihonbashi)三井(mitsui)towerの、主として上層階には、東京の、最高級ホテルの一つである、マンダリンオリエンタル東京(Mandarin Oriental, Tokyo)が入居しています(日本橋(nihonbashi)三井(mitsui)towerは、それ以外は、概ね、オフィス(office))。

 

 

 

 

彼女と、待ち合わせた後(高島屋(takashimaya)デパート、日本橋(nihonbashi)店で待ち合わせました)、高島屋(takashimaya)デパート(1831年、京都で創業した、日本のデパートのchain。本店は、大阪(大阪には、1898年に進出。東京へは、1922年に進出))の、日本橋(nihonbashi)店に入っている、Joel Robuchonのカフェ(cafe)で、おやつを食べました。

 

写真以下6枚。高島屋(takashimaya)デパート、日本橋(nihonbashi)店(写真は、帰り際に撮影)。現在の建物は、1933年に建てられた物です。高島屋(takashimaya)デパート、日本橋(nihonbashi)店は、東京を代表する高級デパートの一つとなっています。内装は、近代建築ならではの重厚感があると共に、とても高級感がある物となっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下2枚。この時、高島屋(takashimaya)デパート、日本橋(nihonbashi)店に入っている、Joel Robuchonのカフェ(cafe)で食べた、おやつ(デザート)。ちなみに、私も、彼女も、既に、昼食は、済ませていました。Joel Robuchonのカフェ(cafe)は、この時、初めて利用しました。Joel Robuchonは、東京では、最高級classのレストランから、カフェ(cafe)まで、多様な形態の、飲食店を展開していますが、高島屋(takashimaya)デパート、日本橋(nihonbashi)店に入っている、Joel Robuchonのカフェ(cafe)(現在も、世界で唯一かどうかは、分かりませんが、世界で初めての、Joel Robuchonのカフェ(cafe)です)は、その中で、最も、気軽に、手頃な値段で、食事が出来る店となっています。

 

 

 

彼女が食べた、おやつ(デザート)。

 

 

 

 

 

 

 

私が食べた、おやつ(デザート)。

 

 

 

 

 

 

 

写真以下6枚。Joel Robuchonのカフェ(cafe)で、飲み物を飲んだりしながら、のんびりした後、たいめいけん(taimeiken)で、この日、1回目の夕食を、食べてから、地下鉄で、私の街に帰りました。たいめいけん(taimeiken)は、1931年創業の、日本橋(nihonbashi)の、洋食(日本で、近代以降、日本に合う様に、(日本人の視点からすれば)改良された西洋料理)レストランです。

 

写真以下2枚。たいめいけん(taimeiken)のパンフレット(leaflet)より。。。

 

 

写真上、昔の、たいめいけん(taimeiken)の建物。写真下、たいめいけん(taimeiken)の初代、オーナー(owner)兼シェフ(chef)。泰明軒(taimeiken)本店(honten)(1885年創業の、東京の京橋(kyobashi)(日本橋(nihonbashi)に近いbusiness・商業地区)の、西洋料理・洋食・中国料理レストラン。現在は、存在しない)に、勤務した後、独立。たいめいけん(taimeiken)は、元々、泰明軒(taimeiken)本店(honten)の支店として開業しました。その名残か、たいめいけん(taimeiken)は、洋食レストランですが、メニュー(menu)には、ラーメンがあります。現在の、たいめいけん(taimeiken)の、オーナー(owner)兼シェフ(chef)は、3代目で、たいめいけん(taimeiken)の初代、オーナー(owner)兼シェフ(chef)の孫に当たります(ちなみに、たいめいけん(taimeiken)の、2代目の、オーナー(owner)兼シェフ(chef)は、たいめいけん(taimeiken)の初代、オーナー(owner)兼シェフ(chef)の息子)。

 

 

 

 

 

現在の、たいめいけん(taimeiken)の建物。1階が、手頃な値段の、カジュアル(casual)な洋食レストラン、2階が、比較的、高級な洋食レストランとなっています。この日は、1階の、手頃な値段の、カジュアル(casual)な洋食レストランの方で食べました(1階の方は、値段が手頃で、気軽に利用でき、かなり大衆的な雰囲気です)。たいめいけん(taimeiken)は、日本橋(nihonbashi)の、歴史のある、洋食レストランで、古くから、作家や、映画監督等の、常連も、多い店です。

 

 

 

 

写真以下4枚。たいめいけん(taimeiken)で食べた、この日、1回目の夕食(軽食)。二人共、オムライス(omerice)を食べました。たいめいけん(taimeiken)の、オムライス(omerice)は、美味しいと思います(オムライス(omerice)としては、ちょっと高いですが。。。)。

 

 

彼女が食べた、牛肉の、オムライス(omerice)。中に、牛肉のピラフ(pilaf)が入っています(オムライス(omerice)の、ご飯(rice)は、牛肉のピラフ(pilaf)となっています)。ドミグラスソース(demi-glace)を、自分で、お好みの量(好きな量)、かけて食べます。

 

 

 

 

 

写真以下3枚。私が食べた、ご飯(rice)の上に載った、半熟のオムレツ(omelette)を、真ん中から、切り開いて食べる形式の、オムライス(omerice)。ケチャップ(ketchup)を、自分で、お好みの量(好きな量)、かけて食べます。ご飯(rice)の上に載った、半熟のオムレツ(omelette)を、真ん中から、切り開いて食べる形式の、オムライス(omerice)は、今では、日本で、かなり広まっていますが、この店が、発祥のようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本橋(nihonbashi)から、地下鉄で、私の街に帰ってから、この日、2回目の夕食(まあ、食事をしたと言うより、おつまみを食べたと言う感じでしたが)を、私の街の、バー(bar)的な店で、(お酒(アルコール(alcoholic)飲料)を)飲みながら、食べました(彼女は、アルコール(alcohol)は、体質的に、かなり苦手なので、飲み物は、ソフトドリンク(soft drink)等を飲みました)。

 

 

 

 

 

 

写真以下3枚。おまけ2。「日本橋(nihonbashi)&食べ物」及び、投稿の、本文(8月の後半の高原滞在&食べ物)とは、全く、関係がありません。

 

Kentucky Fried Chickenは、庶民的・大衆的な、ファーストフード(fast food)店のチェーン(chain)ですが、これは、予約注文して、店舗で受け取る形式の、Kentucky Fried Chickenの、比較的高級なチキン(chicken)商品(高品質な鶏肉のコンフィ(confit)、鶏のレバー(肝臓)とフォアグラ(foie gras)のムース(mousse)等)の、新聞の折込みチラシ広告(定期購読している新聞に挟まれて来る広告)です。私は、この、Kentucky Fried Chickenの、予約注文は、利用した事がありませんが(今の所、あまり、興味がありませんが)、Kentucky Fried Chickenは、こんな事も、やっているのかと、参考に。。。ちなみに、ケンタッキーフライドチキン(Kentucky Fried Chicken)は、1970年に日本に進出しました(北米以外の地域に、ケンタッキーフライドチキン(Kentucky Fried Chicken)が初めて進出したのは、イギリスで、1964年に進出しました)。ケンタッキーフライドチキン(Kentucky Fried Chicken)は、日本以外のアジアの先進国・準先進国(地域)では、香港に1973年に進出、シンガポール(Singapore)に1977年に進出、韓国と台湾に、それぞれ、1984年に進出しました。ケンタッキーフライドチキン(Kentucky Fried Chicken)は、今は、たまにしか利用しませんが、子供の頃は、母が、時々、チキン(chicken)を買って来ましたし、若い頃(中学生から20代半ば位まで)は、よく利用していました。ケンタッキーフライドチキン(Kentucky Fried Chicken)のチキン(chicken)は、年齢と共に、私の舌が肥えたのか、昔程、美味しいと思わなくなりましたが、それでも、たまに、食べたくなります。

 

 

 

 

 

 

ハックルベリー(huckleberry)。これで、ジャム(jam)を作ります。普段の朝食は、パン、シリアル(cereal)、野菜サラダ(salad)、3種類程の果物、牛乳、ジュース(juice)、ヨーグルト(yoghurt)と言った内容なので、個人的に、ジャム(jam)の需要は、多いですw

 

 

 

 

 

 

北海道(hokkaido)バター(butter)ポテトチップス(potato chips)。チープな(安い)、ポテトチップス(potato chips)としては、美味しいです。

 

 

 

 

 

以下。投稿の、本文に入ります。

 

8月の後半に、東京の我が家から自動車で2時間半程の、長野(nagano)県の中南部の高原地帯(避暑地)にある別荘(別荘とは言っても、比較的裕福な人々が保有する様な典型的な別荘ではなく、庶民的な中古の一戸建て住宅です)に滞在して来た時の物です。

 

この時の初日(以下、この日と書きます)は、遅目に、東京を出て、現地では、温泉に入って、夕食を食べて、寝るだけと言った感じでした。

 

 

この日、別荘周辺に向かう途中、高速道路(motorway)の、山梨(yamanashi)県(東京圏と長野(nagano)県の間に位置する県。東京圏の西部と、長野(nagano)県の中南東部に隣接)の、PA(rest area)で、おやつとして買って食べた、みたらし(mitarashi)団子(団子に、砂糖醤油餡(砂糖醤油ソース(sauce))をかけた物。日本の伝統的な、おやつ・お菓子)。一人一本ずつ。

 

 

 

 

別荘の風呂は、基本的に、シャワー(shower)で汗を流す時位にしか使わず、別荘滞在中は、基本的には、風呂は、別荘周辺等の温泉を利用しています(別荘周辺には、温泉が、たくさんあります)。

 

 

 

写真以下8枚(写真は、前にkjでアップ(upload)した写真の再利用)。この日、利用した温泉施設(別荘周辺の温泉施設の一つ)。この温泉施設は、別荘周辺で、お気に入りの温泉の一つとなっています。

 

 

この温泉施設のパンフレット(leaflet)から。。。この温泉施設は、男女別の共同風呂形式となっていて、共同温泉風呂が二つ有り、それぞれ、温泉露天(野外)風呂4個(風呂に、よって温度が違う。一つは、水風呂)と室内温泉風呂1個ずつ、これに加えて、サウナ(sauna)又は、洞窟温泉風呂(mist風呂)(温泉露天(野外)風呂の一つと一体化している)が有ります。二つ有る、共同温泉風呂の内、どちらが、男用共同風呂で、どちらが、女用共同風呂と固定的に決まっている訳では無く、日替わり交替で、それぞれの風呂が、男用共同風呂となったり、女用共同風呂となったりします。この温泉施設の、温泉露天(野外)風呂が点在する、森に囲まれた、野外エリア(area)は、ゆったりとしていて、周りの木々を眺めながら、ゆったりと、温泉露天(野外)風呂を楽しむ事が出来ます。わたしは、温度が、ぬるめの温泉露天(野外)風呂に、長時間、ゆっくりと浸かるのが好きです。なお、この温泉施設の温泉風呂は、源泉かけ流しです。

 

 

 

 

 

 

写真以下5枚。この温泉施設の共同温泉風呂の一つの、温泉風呂の例。

 

 

室内温泉風呂。

 

 

 

 

 

 

写真以下4枚。温泉露天(野外)風呂。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真左側の、小さな建物は、サウナ(sauna)。

 

 

 

 

 

 

写真以下2枚。この、温泉施設の、もう一つの共同温泉風呂の、野外(屋外)エリア(area)の一部。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

手前は、洞窟温泉風呂の屋根。洞窟温泉風呂(温泉露天(野外)風呂の一つと一体化している)は、ハーブ(herb)のmist(霧)風呂となっています。

 

 

 

 

 

写真以下。この日の夕食は、比較的、最近(近年)オープン(open)した(おそらく。。。)、別荘周辺の、日本料理を基本としつつ、様々な料理を出す、手頃な値段の食堂(小綺麗な店です)で、食べました。この店は、前から(その存在に気付いてから)、ちょっと気になっていた店ですが、この時で、利用したのは2回目でした(この1ヶ月弱程前に、初めて利用しました)。この店は、年中無休で、個人経営の店ではなく、地元の、しっかりとし会社が経営している店の様で、頼り甲斐のある(頼もしい)店ですw(別荘周辺の飲食店は、さすが田舎と言った感じで、気紛れで、折角行っても、臨時に休みと言った事が、多々あるw)。

 

 

写真以下。この食堂で食べた、この日の夕食。この他、白ご飯(rice)を食べました。

 

 

写真以下7枚は、二人で分けて食べました。


 

 

豚の軟骨の、柔らか煮。この店の、豚の軟骨の、柔らか煮は、安くて、美味しいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

豆腐サラダ(salad)。左下は、豆腐サラダ(salad)にかけて食べる、胡麻ドレッシング(dressing)。

 

 

 

 

 

 

写真以下3枚。刺身。この店の刺身は、まあまあ、美味しいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下2枚。牛肉(特選牛(高品質な牛肉))の炭火焼き、焼き物。この店の、牛肉の炭火焼き、焼き物は、中々、美味しいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

蟹の味噌汁(miso soup)。一人一杯ずつ。

 

 

 

 

 

8月の後半の高原滞在&食べ物2へ続く。。。。

 

 

 

 

 


8월의 후반의 타카하라 체재&음식 1.

 

 

 

 

사진 이하 20매.투고의 본문에 들어가기 전에, 조금, 덤...투고의, 본문(8월의 후반의 타카하라 체재&음식)이란, 완전히, 관계가 없습니다.

 

사진 이하 17매.덤 1.니혼바시(nihonbashi)&음식.

 

이번 주의 화요일(이하, 이 날이라고 씁니다)은, 개인적으로, ( 꽤 빨리 일을 끝낸다고 하는 형태로), 반나절미만, 휴가를 냈습니다.이 날은, 일의 마지막에, 니혼바시(nihonbashi)의 거래처를 방문했습니다만, 그 후, 3 시 넘어위에, 도쿄 국립 근대미술관(도쿄도심부안에서도, 중심적인 지역에 있는, 국립의 근대미술관)에서, 이 때 행해지고 있던, 다케우치세이호우(takeuchi seihou.1864 년생.1942년에 죽는다.1890년대부터 1930년대에 활약.쿄토의 화가로, 근대 일본 전통화를 대표하는 화가의 한 명)의 전람회(exhibition)를 보고 온 그녀와(그녀는, 이 날, 하루 휴일이었습니다), 니혼바시(nihonbashi)에서 만나 합류했습니다.

 

 

 

사진 이하 3매.전에, kj로 업(upload) 한 사진의 재이용.니혼바시(nihonbashi)의 풍경예.

 

 

니혼바시(nihonbashi) area대로.니혼바시(nihonbashi)(도쿄도심부안에서도, 중심적인 지역에 위치한다)는, 에도(edo) 시대(17 세기)부터, 도쿄를 대표하는 일등 상업지입니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

니혼바시(nihonbashi) area에 있는 미츠이(mitsui) 본관.1929년에 완성한, 은행등이 들어가는, 오피스(office) 용의 빌딩에서, 제이차 세계대전전에, 도쿄에 지어진 근대 건축의 오피스(office) 용의 빌딩중, 현재도 남아 있는, 얼마 안되는 것 중의 하나입니다.현재도, 오피스(office) 용 빌딩으로서 활용되고 있습니다(근대 건축의 보존 의식의 고양등으로부터, 문화재로 지정되어 있습니다).제이차 세계대전전의 1920년대부터, 1930년대에는, 일본의 도쿄나 오사카등에는, 중후하고, 아름다운 근대 건축의 빌딩이, 많이 있었습니다만, 현재는, 제이차 세계대전전에 지어진 근대 건축의 빌딩은, 매우 적게 되고 있습니다.덧붙여서, 제이차 세계대전전의 1920년대부터, 1930년대에는, 지진 지대는 아닌, 미국의 뉴욕(NewYork)와 시카고(Chicago)에서는, 이미, 차례차례로 초고층 빌딩이 건설되고 있었습니다만, 지진 지대의, 일본에서는, 그 무렵은, 당연, 대지진에 견딜 수 있는, 초고층 빌딩의 건축 설계 기술이 완성되지 않고, 도쿄나 오사카에는, 초고층 빌딩이 존재하지 않았습니다(가장, 그 무렵은, 미국의 지진 지대는 아닌 지역을 제외하면, 일본 뿐만이 아니라, 미국 서해안, 유럽등 , 온 세상, 어느 도시에서도, 초고층 빌딩은, 거의 존재하지 않았습니다).제이차 세계대전이 끝나 동안도 없는, 1940년대 후반부터, (전후 부흥 중기 전반의) 1950년대 중반무렵 정도까지는, 도쿄나 오사카에서는, 주로, (제이차 세계대전시의, 미국에 의한 공습으로 파괴되지 않고 살아 남은) 제이차 세계대전전에 지어진, 근대 건축의 빌딩을, 계속 활용하고 있었습니다.그 후, 고도 경제성장에 수반해, 1950년대 후기무렵부터, 간신히, 전후의 현대 건축의 빌딩의 건설 붐(boom)이 일어나기 시작해(덧붙여서, 일본에서, 일본의 같은 지진 지대의 대지진에서도, 괜찮은 초고층 빌딩을 설계 건축하는 기술이 성숙해, 초고층 빌딩이 지어지는 것처럼 된 것은, 1960년대 후기 이후), 1950년대 후기부터 1960년대를 통해서, 도쿄나/`A오사카에서는, 전쟁 전에 지어진, 중후한 근대 건축의 빌딩이, 전후에 지어진, 기능적인 현대 건축의 빌딩에, 차례차례로, 바꿀 수 있는 것처럼 되었습니다(그 무렵은, 경제성장 최우선이며, 노후화 한 근대 건축을 수리하면서, 보존·활용하자 등이라고 말하는, 여유가 없었다).


 

 

 

 

 

사진상은, 미츠이(mitsui) 본관에 인접해 지어지고 있는, 초고층 빌딩, 니혼바시(nihonbashi) 미츠이(mitsui) tower(높이 약 195m.39세워).인접하는 미츠이(mitsui) 본관에 조화를 이루는 님, 침착한 디자인(design)이 되고 있습니다.니혼바시(nihonbashi) 미츠이(mitsui) tower의, 주로 상층층에는, 도쿄의, 최고급 호텔의 하나인, 만다린 동양풍 도쿄(Mandarin Oriental, Tokyo)가 입주하고 있는(니혼바시(nihonbashi) 미츠이(mitsui) tower는, 그 이외는, 대체로, 오피스(office)).

 

 

 

 

그녀와 만난 후 (다카시마야(takashimaya) 백화점, 니혼바시(nihonbashi) 점에서 만났습니다), 다카시마야(takashimaya) 백화점(1831년, 쿄토에서 창업한, 일본의 백화점의 chain.본점은, 오사카(오사카에는, 1898년에 진출.도쿄에는, 1922년에 진출))의, 니혼바시(nihonbashi) 점에 들어가 있는, Joel Robuchon의 카페(cafe)에서, 간식을 먹었습니다.

 

사진 이하 6매.다카시마야(takashimaya) 백화점, 니혼바시(nihonbashi) 점(사진은, 돌아갈 때에 촬영).현재의 건물은, 1933년에 지어진 것입니다.다카시마야(takashimaya) 백화점, 니혼바시(nihonbashi) 점은, 도쿄를 대표하는 고급 백화점의 하나가 되고 있습니다.내장은, 근대 건축만이 가능한 중후감이 있음과 동시에, 매우 고급감이 있는 것이 되고 있습니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 2매.이 때, 다카시마야(takashimaya) 백화점, 니혼바시(nihonbashi) 점에 들어가 있는, Joel Robuchon의 카페(cafe)에서 먹은, 간식(디저트).덧붙여서, 나도, 그녀도, 이미, 점심 식사는, 끝마치고 있었습니다.Joel Robuchon의 카페(cafe)는, 이 때, 처음으로 이용했습니다.Joel Robuchon는, 도쿄에서는, 최고급 class의 레스토랑으로부터, 카페(cafe)까지, 다양한 형태의, 음식점을 전개하고 있습니다만, 다카시마야(takashimaya) 백화점, 니혼바시(nihonbashi) 점에 들어가 있는, Joel Robuchon의 카페(cafe)(현재도, 세계에서 유일할지는, 모릅니다만, 세계에서 첫, Joel Robuchon의 카페(cafe)입니다)는, 그 중으로, 가장, 부담없이, 적당한 가격으로, 식사를 할 수 있는 가게가 되고 있습니다.

 

 

 

그녀가 먹은, 간식(디저트).

 

 

 

 

 

 

 

내가 먹은, 간식(디저트).

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 6매.Joel Robuchon의 카페(cafe)에서, 음료를 마시거나 하면서, 한가한 후, 싶은 째 안되는(taimeiken)로, 이 날, 1회째의 저녁 식사를, 먹고 나서, 지하철로, 나의 거리에 돌아갔습니다.싶은 째 안되는(taimeiken)는, 1931년 창업의, 니혼바시(nihonbashi)의, 양식(일본에서, 근대 이후, 일본에 맞는 것처럼, (일본인의 시점으로부터 하면) 개량된 서양 요리) 레스토랑입니다.

 

사진 이하 2매.싶은 째 안되는(taimeiken)의 팜플렛(leaflet)보다...

 

 

사진상, 옛, 싶은 째 안되는(taimeiken)의 건물.사진하, 싶은 째 안되는(taimeiken)의 초대, 오너(owner) 겸 세프(chef).야스아키채(taimeiken) 본점(honten)(1885년 창업의, 도쿄의 쿄바시(kyobashi)(니혼바시(nihonbashi)에 가까운 business·상업지구)의, 서양 요리·양식·중국 요리 레스토랑.현재는, 존재하지 않는다)에, 근무한 후, 독립.싶은 째 안되는(taimeiken)는, 원래, 야스아키채(taimeiken) 본점(honten)의 지점으로서 개업했습니다.그 자취인가, 싶은 째 안되는(taimeiken)는, 양식 레스토랑입니다만, 메뉴(menu)에는, 라면이 있습니다.현재의, 싶은 째 안되는(taimeiken)의, 오너(owner) 겸 세프(chef)는, 3대째로, 싶은 째 안되는(taimeiken)의 초대, 오너(owner) 겸 세프(chef)의 손자에 해당됩니다(덧붙여서, 싶은 째 안되는(taimeiken)의, 2대째의, 오너(owner) 겸 세프(chef)는, 싶은 째 안되는(taimeiken)의 초대, 오너(owner) 겸 세프(chef)의 아들).

 

 

 

 

 

현재의, 싶은 째 안되는(taimeiken)의 건물.1층이, 적당한 가격의, 캐쥬얼(casual)인 양식 레스토랑, 2층이, 비교적, 고급 양식 레스토랑이 되고 있습니다.이 날은, 1층의, 적당한 가격의, 캐쥬얼(casual)인 양식 레스토랑쪽으로 먹었습니다(1층쪽은, 가격이 적당하고, 부담없이 이용할 수 있어 꽤 대중적인 분위기입니다).싶은 째 안되는(taimeiken)는, 니혼바시(nihonbashi)의, 역사가 있는, 양식 레스토랑에서, 옛부터, 작가나, 영화 감독등의, 단골도, 많은 가게입니다.

 

 

 

 

사진 이하 4매.싶은 째 안되는(taimeiken)로 먹은, 이 날, 1회째의 저녁 식사(경식).두 명모두, 오므라이스(omerice)를 먹었습니다.싶은 째 안되는(taimeiken)의, 오므라이스(omerice)는, 맛있다고 생각합니다(오므라이스(omerice)로서는, 조금 높습니다만...).

 

 

그녀가 먹은, 쇠고기의, 오므라이스(omerice).안에, 쇠고기의 필라프(pilaf)가 들어가 있습니다(오므라이스(omerice)의, 밥(rice)은, 쇠고기의 필라프(pilaf)가 되고 있습니다).도미 글래스 소스(demi-glace)를, 스스로, 좋아하는 양(좋아하는 양), 걸쳐 먹습니다.

 

 

 

 

 

사진 이하 3매.내가 먹은, 밥(rice) 위에 실린, 반숙의 오믈렛(omelette)을, 한가운데로부터, 열어 먹는 형식의, 오므라이스(omerice).케찹(ketchup)을, 스스로, 좋아하는 양(좋아하는 양), 걸쳐 먹습니다.밥(rice) 위에 실린, 반숙의 오믈렛(omelette)을, 한가운데로부터, 열어 먹는 형식의, 오므라이스(omerice)는, 지금은, 일본에서, 꽤 퍼지고 있습니다만, 이 가게가, 발상같습니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

니혼바시(nihonbashi)로부터, 지하철로, 나의 거리에 돌아가고 나서, 이 날, 2번째의 저녁 식사(뭐, 식사를 했다고 하는 것보다, 안주를 먹었다고 하는 느낌이었지만)를, 나의 거리의, 바(bar)적인 가게에서, (술(알코올(alcoholic) 음료)을) 마시면서, 먹었던(그녀는, 알코올(alcohol)은, 체질적으로, 꽤 서툴러서, 음료는, 소프트 드링크(soft drink) 등을 마셨습니다).

 

 

 

 

 

 

사진 이하 3매.덤 2.「니혼바시(nihonbashi)&음식」및, 투고의, 본문(8월의 후반의 타카하라 체재&음식)이란, 완전히, 관계가 없습니다.

 

Kentucky Fried Chicken는, 서민적·대중적인, 패스트 푸드(fast food) 점의 체인(chain)입니다만, 이것은, 예약 주문하고, 점포에서 받는 형식의, Kentucky Fried Chicken의, 비교적 고급 치킨(chicken) 상품(고품질인 닭고기의 콘피(confit), 닭의 레버(간장)와 포아그라(foie gras)의 무스(mousse) 등 )의, 신문의 끼워넣어 광고지 광고(정기 구독하고 있는 신문에 끼워져 오는 광고)입니다.나는, 이, Kentucky Fried Chicken의, 예약 주문은, 이용한 일이 없습니다만(지금 단계, 너무, 흥미가 없습니다만), Kentucky Fried Chicken는, 이런 일도, 하고 있는지, 참고에...덧붙여서, 켄터키 프라이드치킨(Kentucky Fried Chicken)은, 1970년에 일본에 진출했던(북미 이외의 지역에, 켄터키 프라이드치킨(Kentucky Fried Chicken)이 처음으로 진출한 것은, 영국에서, 1964년에 진출했습니다).켄터키 프라이드치킨(Kentucky FriedChicken)는, 일본 이외의 아시아의 선진국· 준선진국(지역)에서는, 홍콩에 1973년에 진출, 싱가폴(Singapore)에 1977년에 진출, 한국과 대만에, 각각, 1984년에 진출했습니다.켄터키 프라이드치킨(Kentucky Fried Chicken)은, 지금은, 이따금 밖에 이용하지 않습니다만, 어릴 적은, 어머니가, 가끔, 치킨(chicken)을 사 왔고, 젊은 무렵(중학생으로부터 20대 반위까지)은, 자주(잘) 이용하고 있었습니다.켄터키 프라이드치킨(Kentucky Fried Chicken)의 치킨(chicken)은, 연령과 함께, 나의 혀가 높아졌는지, 석정, 맛있다고 생각하지 않게 되었습니다만, 그런데도, 이따금, 먹고 싶어집니다.

 

 

 

 

 

 

학크루베리(huckleberry).이것으로, 잼(jam)을 만듭니다.평상시의 아침 식사는, 빵, 시리얼(cereal), 야채 사라다(salad), 3 종류정도의 과일, 우유, 쥬스(juice), 요구르트(yoghurt)라고 한 내용이므로, 개인적으로, 잼(jam)의 수요는, 많습니다 w

 

 

 

 

 

 

홋카이도(hokkaido) 버터(butter) 포테이토칩(potato chips).저렴한(싸다), 포테이토칩(potato chips)으로서는, 맛있습니다.

 

 

 

 

 

이하.투고의, 본문에 들어갑니다.

 

8월의 후반에, 도쿄의 우리 집으로부터 자동차로 2 시간 반정도의, 나가노(nagano) 현의 중남부의 타카하라 지대(피서지)에 있는 별장(별장이라고는 해도, 비교적 유복한 사람들이 보유하는 것 같은 전형적인 별장이 아니고, 서민적인 중고의 독립주택입니다)에 체재해 왔을 때의 물건입니다.

 

이 때의 첫날(이하, 이 날이라고 씁니다)은, 지목에, 도쿄를 나오고, 현지에서는, 온천에 들어가고, 저녁 식사를 먹고, 잘 뿐(만큼)이라고 한 느낌이었습니다.

 

 

이 날, 별장 주변으로 향하는 도중 , 고속도로(motorway)의, 야마나시(yamanashi) 현(동경권과 나가노(nagano) 현의 사이에 위치하는 현.동경권의 서부와 나가노(nagano) 현의 중남 동부로 인접)의, PA(rest area)로, 간식으로서 사 먹은, 보면 해(mitarashi) 경단(경단에, 설탕 간장팥소(설탕 간장 소스(sauce))를 친 것.일본의 전통적인, 간식·과자).한 명 한 개씩.

 

 

 

 

별장의 목욕탕은, 기본적으로, 샤워(shower)로 땀을 흘릴 때 위밖에 사용하지 않고, 별장 체제중은, 기본적으로는, 목욕탕은, 별장 주변등의 온천을 이용하고 있습니다(별장 주변에는, 온천이, 많이 있습니다).

 

 

 

사진 이하 8매(사진은, 전에 kj로 업(upload) 한 사진의 재이용).이 날, 이용한 온천 시설(별장 주변의 온천 시설의 하나).이 온천 시설은, 별장 주변에서, 마음에 드는 온천의 하나가 되고 있습니다.

 

 

이 온천 시설의 팜플렛(leaflet)으로부터...이 온천 시설은, 남녀별의 공동 목욕탕 형식이 되고 있고, 공동 온천 목욕탕이 두 개 있어, 각각, 온천 노천(야외) 목욕탕 4개(목욕탕에, 따르고 온도가 다르다.하나는, 물목욕)과 실내 온천 목욕탕 1 개씩, 이것에 가세하고, 사우나(sauna) 또는, 동굴 온천 목욕탕(mist 목욕탕)(온천 노천(야외) 목욕탕의 하나로 일체화하고 있다)이 있습니다.둘 있는, 공동 온천 목욕탕중, 어느 쪽이, 남용 공동 목욕탕에서, 어느 쪽이, 녀용 공동 목욕탕과 고정적으로 정해져 있는 것은 아니고, 일일 교체로, 각각의 목욕탕이, 남용 공동 목욕탕이 되거나 녀용 공동 목욕탕이 되거나 합니다.이 온천 시설의, 온천 노천(야외) 목욕탕이 점재하는, 숲에 둘러싸인, 야외 에리어(area)는, 느긋하고 있고, 주위의 나무들을 바라보면서, 느긋하게, 온천 노천(야외) 목욕탕을 즐길 수가 있습니다.나는, 온도가, 완만한 온천 노천(야외) 목욕탕에, 장시간, 천천히 잠기는 것을 좋아합니다.덧붙여 이 온천 시설의 온천 목욕탕은, 원천 내기 흘려 보내기입니다.

 

 

 

 

 

 

사진 이하 5매.이 온천 시설의 공동 온천 목욕탕의 하나의, 온천 목욕탕의 예.

 

 

실내 온천 목욕탕.

 

 

 

 

 

 

사진 이하 4매.온천 노천(야외) 목욕탕.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 좌측의, 작은 건물은, 사우나(sauna).

 

 

 

 

 

 

사진 이하 2매.이, 온천 시설의, 또 하나의 공동 온천 목욕탕의, 야외(옥외) 에리어(area)의 일부.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

앞은, 동굴 온천 목욕탕의 지붕.동굴 온천 목욕탕(온천 노천(야외) 목욕탕의 하나로 일체화하고 있다)은, 허브(herb)의 mist(안개) 목욕탕이 되고 있습니다.

 

 

 

 

 

사진 이하.이 날의 저녁 식사는, 비교적, 최근(근년) 오픈(open)했다(아마...), 별장 주변의, 일본 요리를 기본으로 하면서, 여러가지 요리를 내는, 적당한 가격의 식당(아담한 가게입니다)에서, 먹었습니다.이 가게는, 전부터(그 존재를 알아차리고 나서), 조금 신경이 쓰이고 있던 가게입니다만, 이 때로, 이용한 것은 2번째였습니다(이 1개월약정전에, 처음으로 이용했습니다).이 가게는, 연중무휴로, 개인경영의 가게가 아니고, 현지의, 제대로 해 회사가 경영하고 있는 가게의 같고, 부탁한 보람이 있는(믿음직하다) 가게입니다 w(별장 주변의 음식점은, 과연 시골이라고 한 느낌으로, 변덕으로, 모처럼 가도, 임시에 휴일이라고 한 것이, 많이 있는 w).

 

 

사진 이하.이 식당에서 먹은, 이 날의 저녁 식사.이 외, 흰색 밥(rice)을 먹었습니다.

 

 

사진 이하 7매는, 둘이서 나누어 먹었습니다.


 

 

돼지의 연골의, 유등인가 익혀.이 가게의, 돼지의 연골의, 유등인가 익혀는, 싸고, 맛있습니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

두부 사라다(salad).좌하는, 두부 사라다(salad)에 쳐 먹는, 참깨 드레싱(dressing).

 

 

 

 

 

 

사진 이하 3매.생선회.이 가게의 생선회는, 그저, 맛있습니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 2매.쇠고기(특선소(고품질인 쇠고기))의 숯불 구이, 구이.이 가게의, 쇠고기의 숯불 구이, 구이는, 꽤, 맛있습니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

게의 된장국(miso soup).한 명 한 잔씩.

 

 

 

 

 

8월의 후반의 타카하라 체재&음식 2에 계속 된다....

 

 

 

 

 

 



TOTAL: 945

番号 タイトル ライター 参照 推薦
565
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10月中旬の高原滞在&食べ物1。 jlemon 2013-12-22 2017 0
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適当に、紅葉時期の公園の風景&昼....... jlemon 2013-12-19 6431 0
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適当に昼食等。 jlemon 2013-12-10 2761 0
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近場で過ごす休日&食べ物後編。 jlemon 2013-12-07 2550 0
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昨日の夕食等。 jlemon 2013-11-28 2380 0
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