先週の月曜日は、横浜の2つの取引先との仕事が有ったので、横浜(東京areaの海の玄関口(gateway)となっている大きな港町)に出ました。最初の取引先での仕事の用事を終えた後、次の取引先(最初の取引先の関連会社)との仕事の前に、少し空き時間が有ったので、この日、宿泊した、横浜の都心部のビジネス(budget)ホテルにチェックイン(check-in)し、部屋で、ほっと一息。高島屋(takashimaya)デパート(日本の主要なデパートchainの一つ。本店は、大阪。1831年、京都で創業。大阪には、1898年に進出。東京へは、1922年に進出)、横浜店(横浜の都心部(横浜駅周辺。横浜最大の繁華街で有ると供に、東京の南部郊外最大の繁華街となっている)に有る、規模の大きなデパート(一時期売場面積で日本最大となった事もある(wikiより))の、食料品売場で買った食べ物で、遅目の昼食を取りました。ちなみに、この日、最初に訪れた取引先は、高島屋(takashimaya)デパート、横浜店の近くに有ります。
写真以下6枚。この日の昼食(ただし、コーヒー(coffee)系のケーキ(cake)は、除く)。
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高島屋(takashimaya)デパート、横浜店の、食料品売場で買った、巻き寿司。
高島屋(takashimaya)デパート、横浜店の、食料品売場に入っている、「RF1」で買った、おかず。「RF1」は、デパート等の食料品売場等に、よく入っている、おかず専門店(delicatessen)のチェーン店(chain)です。「RF1」の、おかずは、中々美味しいと思います。私は、時々、仕事の外回りの帰りに、「RF1」で、おかずを買って来て、普段働いている日の一人で食べる夕食の、おかずとして食べています。
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高島屋(takashimaya)デパート、横浜店の、食料品売場に入っている、「神戸(kobe)コロッケ」で買った、メンチカツ。美味しかったです。「神戸(kobe)コロッケ」は、デパート等の食料品売場等に、よく入っている、揚げ物系のおかず専門店のチェーン店(chain)です。メンチカツは、コロッケの様な食べ物ですが、中身は、ポテト(potato)では無く、主に牛肉の挽肉(hamburg steakの様な物)となっている食べ物です。メンチカツは、典型的な洋食(日本人の好みに合わせる様に、日本で、(日本人の視点からすれば)改良された西洋料理)の一つです。
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ホテル近くのマートで買った、「オリエンタルのハヤシ」味のスナック(snack)菓子。オリエンタルは、名古屋(東京、大阪に次ぐ、日本第3位の都市圏人口を有する都市)の即席カレールウ(下の補足説明参照)を中心としたカレー(curry)の会社で、その商品は、名古屋都市圏で、昔から根強い人気を博しています(私は、まだ、オリエンタルの即席カレールウを使って作られたカレー(curry)を食べた事が有りません)。オリエンタルは、(定番商品の、パッケージ(package)デザイン(design)の変更を、やたらと行わず?)、1960年代頃の雰囲気を、よく残した、古い感じの、定番商品のパッケージ(package)のデザイン(design)も、特徴となっています。
即席カレールウ:カレー(curry)の調理を楽にする、炒めた小麦粉にカレー(curry)粉等をあらかじめ加えた物。粉末の即席カレールウは、1926年にハウス(HOUSE)食品(1913年創業の大阪の食品会社。日本の大手(major)食品会社の一つ。即席カレールウで、日本最大のシェア(share)を誇る)が、固形の物(1970年代以降?は、即席カレールウは、固形の物が主流となる)は、1954年に、エスビー(S&B)食品(1923年創業の東京の食品会社。日本の大手(major)食品会社の一つ)が初めて販売を開始しました(wikiより)(オリエンタルは、1945年に、粉末の即席カレールウを発売開始)。日本では、カレー(curry)は、日本人の好みに合わせる様に、(日本人の視点からすれば)改良され、家庭で、最も食べられている食べ物の一つ(日本食では無いが、日本において現地化し、代表的な大衆食の一つとなっている)となっていますが、日本の家庭料理におけるカレー(curry)(日本における、母親の味のカレー(curry))と言えば、通常は、即席カレールウを使って(どの即席カレールウを使うのは、家庭によって様々ですし、複数の種類の即席カレールウを組み合わせて使っている家庭も有り))作るカレー(curry)で有ると言って良い位に?、即席カレールウは、日本の家庭において、よく使われています(子供のいる家庭は、通常、常時、台所(kitchen)の棚(closet)には、即席カレールウが、すぐ使える様に置いてあると言って良い位)。
高島屋(takashimaya)デパート、横浜店の食料品売場で、次ぎの取引先への差入れの菓子を買ったのですが、私自身の為にも、甘い物を買いましたw。
写真以下3枚。高島屋(takashimaya)デパート、横浜店の食料品売場に入っている、グラマシーニューヨーク(Gramercy New York)のケーキ(cake)。グラマシーニューヨーク(Gramercy New York)は、ニューヨーク(New York)と名がついていますが、プレジィール(plaisir)(元々、名古屋(nagoya)を拠点としていた西洋菓子・ケーキ(cake)会社。名古屋(nagoya)郊外に本社が有る)が展開する、ケーキ(cake)・西洋菓子のチェーン店(chain)店です。グラマシーニューヨーク(Gramercy New York)のケーキ(cake)は、美味しいと思います。そう言えば、「キルフェボン(Quil fait bon)」は、1号店は、静岡(shizuoka)店だし(運営する会社の本社は、静岡(shizuoka)に有る)、「HARBS」は、名古屋(nagoya)を拠点としているし、(名古屋都市圏及び静岡(shizuoka)県(日本の中部地方の太平洋沿岸部)を中心とした)東海地方、意外と?(個人的に、この地域は、日本における西洋菓子の本場と言うイメージは無い)、中上級から高級ケーキ(cake)店も、優れている様です。
写真左は、コーヒー(coffee)系(coffee jelly&coffee mousse系)のケーキ(cake)。写真右は、シトラス(citrus)系のケーキ(cake)。どちらも、美味しかったです。コーヒー(coffee)系(coffee jelly&coffee mousse系)のケーキ(cake)は、翌日の朝食時に食べました。
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昼食時に食べた、シトラス(citrus)系のケーキ(cake)。
夕食は、取引先の方々と食べました。取引先との仕事は、深夜まで及び、仕事を終えて、ホテルに帰って来た時は、午前2時近くになっていました。
写真以下4枚。翌日(先週の火曜日)、ホテルの部屋で食べた朝食(食べ物の写真は、前日の昼食前、纏めて撮影した物ですが。。。)。
写真以下2枚。高島屋(takashimaya)デパート、横浜店の、食料品売場に入っている、「神戸(kobe)コロッケ」で買った、Small sizeの、ヒレ肉(fillet)、味噌豚カツ(トンカツ)丼。味噌豚カツ(味噌トンカツ)と言えば、名古屋(nagoya)が、本場となっています。別に意識した訳では、全く有りませんが、この時買って来た食べ物は、名古屋(nagoya)と何らかの関連が有る物の割合が、高かったです。
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写真以下2枚。グラマシーニューヨーク(Gramercy New York)のコーヒー(coffee)系(coffee jelly&coffee mousse系)のケーキ(cake)。
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翌日(先週の火曜日)は、1日、横浜で外回りをしてから帰りました。
この日(先週の火曜日)の昼食は、横浜の都心部のケンタッキーフライドチキン(Kentucky Fried Chicken)にて、食べました。ケンタッキーフライドチキン(Kentucky Fried Chicken)は、今回、利用するのは、久しぶりでした(ケンタッキーフライドチキン(Kentucky Fried Chicken)は、今は、たまにしか利用しませんが、子供の頃は、母親が、時々、チキンを買って来ましたし、若い頃(中学生から20代の半ば位まで)は、よく利用していました)。腹が減っていたので、若い頃のノリで、チキン(chicken)、4ピース(pieces)食べたら、年を取ったからなのか、さすがに、ウウップと言った感じになりましたw。
腹がパンパンになりながらも、食べようかな、どうしようかな?と、迷った挙句、結局、追加で注文して食べた、カーネル(colonel)おじさんの、玉子のアイスクリーム(ice cream)。まあ、美味しかったですが、もう一度食べたいと言う程では、有りませんでした。Lotte(日本の大手(major)菓子会社の一つ。1948年創業。韓国の方は、ご存知の通り、韓国と非常に関係が深い会社)が、開発及び製造を請け負っている製品の様です。1981年に販売が開始された、Lotte の雪見大福(yukimi daifuku)(餅(mochi) ice cream)に、とても、よく似ていました。雪見大福(yukimi daifuku)よりも美味しかったですが、雪見大福(yukimi daifuku)との価格差程の美味しさは、感じられませんでした。
写真以下2枚。通ったので、撮影した、新緑の日本大通り風景。日本大通りは、関内(kannai)area(横浜の都心部に有る、横浜の古くからの中心ビジネス(business)地区)に有る、横浜を代表する通りです。関内(kannai)areaには、第2次世界大戦前(1920年代から1930年代頃)の関内(kannai)areaの姿を想像させる、第2次世界大戦末期の空襲や、戦後の建て替えの波の中で生き残った、1910年代から1930年代頃に建てられた、規模の大きな建物が点在しています。
写真以下3枚。前にenjoyでアップ(upload)した写真の再利用ですが、関内(kannai)areaに有る、日本郵船株式会社の横浜支店(日本郵船歴史博物館)。第2次世界大戦前、日本は、世界第3位の海運(marine transportation)国でしたが、日本郵船株式会社は、日本の三大海運(marine transportation)会社の内の一つでした(今でも、日本郵船株式会社は、日本の三大海運(marine transportation)会社の内の一つです。運航船舶数規模及び直結売上高で、日本1位、世界2位の海運(marine transportation)会社(wikiより))。この建物は、1936年に建てられた、日本郵船株式会社の横浜支店の建物です。この建物は、現在でも、日本郵船株式会社の横浜支店の建物となっていますが、現在では、日本郵船株式会社の東京areaの事務所機能は、東京の都心部に有る、東京本店に集中している為、建物は、主として、日本郵船歴史博物館として、日本郵船株式会社の歴史を紹介する資料館として使われています。
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横から見た、日本郵船株式会社横浜支店(現在では、主として、日本郵船株式会社の歴史を紹介する資料館として使われている)の建物。1936年に完成した物です。支店の建物でありながら、堂々とした近代建築です。当時の日本郵船株式会社の勢いを感じます。
1930年代当時、アメリカとカナダの会社も、北米と日本の間に、豪華客船を走らせていましたが、日本郵船株式会社も、当時、太平洋航路では、6隻の豪華客船を保有し、日本の横浜と北米を結んでいました。日本とシアトル(seattle)、バンクーバー(Vancouver)を結ぶ、比較的小さな豪華客船3隻と、日本と、サンフランシスコ(San Francisco)を結ぶ比較的大きな豪華客船3隻です。この6隻の中で、代表的な、1929年に完成し、営業を開始した、横浜とホノルル(Honolulu),サンフランシスコ(San Francisco)を結ぶ浅間丸(asamamaru)(上の写真の豪華客船)は、現存していませんが、他の同社の日本とサンフランシスコ(San Francisco)を結ぶ豪華客船同様に、同社の日本とシアトル(seattle)、バンクーバー(Vancouver)を結ぶ豪華客船よりも一回り大きく、約17,000トンあり、また、同社の日本と北米を結ぶ豪華客船の中でも取り分け豪華で、「太平洋の女王」と呼ばれたそうです。
写真、すぐ下。浅間丸(asamamaru)、又は、浅間丸(asamamaru)と同じく日本とSan Franciscoを結んだ、浅間丸(asamamaru)と同級の、約17,000トンの、日本郵船株式会社の豪華客船、龍田丸(tatsutamaru)(どちらか分からない)の、2等(second class)客用の食堂(dining room)。
写真、すぐ上。浅間丸(asamamaru)、又は、浅間丸(asamamaru)と同じく日本とSan Franciscoを結んだ、浅間丸(asamamaru)と同級の、日本郵船株式会社の豪華客船、龍田丸(tatsutamaru)(どちらか分からない)の、2等(second class)客用のラウンジ(lounge)。
写真以下2枚。前にenjoyでアップ(upload)した写真の再利用(別に、今回、日本郵船歴史博物館を訪れた訳では有りません)。
これは、1937年の、ある日の、日本郵船株式会社保有の豪華客船のdinnerを蝋(wax)で再現したものです。
これも、1930年代の、日本郵船株式会社保有の豪華客船の食事を蝋(wax)で再現したものです。
日本郵船株式会社は、日本と北米を結ぶ航路において、競合他社に対し、絶対的な優位を確立すべく、(1936年にドイツのBerlinで開催されたオリンピックに引き続き)1940年に開催されるはずだった、東京オリンピック(Olympics)(夏季Olympics)(第2次世界大戦により中止)に合わせる様に、(同社の6隻の既存の日本(横浜)と北米を結ぶ豪華客船に)、新たに、5隻の、日本(横浜)と北米を結ぶ太平洋航路用豪華客船を加える事を計画し、1930年代半ば以降、次々と起工させましたが、第2次世界大戦により、これ等5隻の日本郵船株式会社の太平洋航路用新造客船は、いずれも、建造途中に軍事用の船に変更されたか、又は、純粋な客船として活躍したのは、極僅かな期間であり、すぐに軍事用の船へと改造されました。これ等5隻の日本郵船株式会社の太平洋航路用新造客船の中に、幻の豪華客船、橿原丸(kashiharamaru)(27,700トン)が有ります。橿原丸(kashiharamaru)は、豪華さにおいて、浅間丸(asamamaru)を、さらに、遥かに上回る予定で有り、日本の客船史上、最も豪華な客船となる予定で有りましたが、第2次世界大戦により、建造途中で、空母に変更されました(空母、隼鷹(jyunyou)。ちなみに、日本郵船株式会社の5隻の太平洋航路用新造客船の内の一つで有り、橿原丸(kashiharamaru)と同級の豪華客船として就航する予定で有った出雲丸(izumomaru)(27,700トン)も、やはり、建造途中で、空母に変更されました(空母、飛鷹(hiyou))。
現在横浜港には、1930年代に、日本とシアトル(seattle)、バンクーバー(Vancouver)を結ぶ航路で活躍した豪華客船、氷川丸(hikawamaru)(1930年完成and使用開始)が、永久保存され、文化財に指定されると供に、一般公開されています。氷川丸(hikawamaru)(約11,600トン)は、他の、当時、日本とシアトル(seattle)、バンクーバー(Vancouver)を結ぶ航路で活躍していた日本郵船株式会社の豪華客船同様、当時、日本と、サンフランシスコ(San Francisco)を結ぶ航路で活躍していた、浅間丸(asamamaru)等の同社の豪華客船よりも、一回り小さな物でした。
写真以下2枚。今回宿泊したビジネス(budget)ホテルのロビー(lobby)に置いて有った、日本郵船歴史博物館で現在開催中の企画展(exhibition)、「船をとりまくアールデコ(Art Deco)」(1920年代から1930年代の、日本郵船株式会社の客船をとりまく、アールデコ(Art Deco)を中心とした展覧会(exhibition))のパンフレット(leaflet)。この企画展(exhibition)、ちょっと興味が有るけど、まあ行かないかな。。。以下「」内、このパンフレット(leaflet)より「1920年代から1930年代にかけて、豪華客船は全盛期を迎えていました。また同時にアールデコ(Art Deco)が隆盛を極めたのも、この時代でした。豪華客船の時代は、まさしくアールデコ(Art Deco)の時代でもあったのです」。
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パンフレット(leaflet)の表の右下(写真右下の方)に、1920年代から1930年代頃?のヨーロッパ大陸旅行の日程表の表紙(漢字が書かれている物)が見えます。当時の、日本の一般庶民にとっては、この様な旅行は、夢の中だけで実現可能な事、いや、もしかしたら、想像の範囲すら超えていたかもしれません。1920年代、1930年代の日本は、現在の日本とは、比べ物にならない位、庶民層・低所得者層と、富裕層・お金持ちとの間の生活水準格差が有りました。まあ、現在でも、日本では、豪華客船を使った、世界一周旅行なんかは、定年退職した、比較的、ゆとりの有る層が行うと言うイメージが有りますが。。。(それでも、この様な旅行は、お金持ちしか行う事が出来ないと言う程のイメージでは無い)。ちなみに、私は、豪華客船を使った、世界一周旅行を行う、時間の、ゆとりも無ければ、金の、ゆとりも有りません。
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パンフレット(leaflet)の裏。
写真(パンフレット(leaflet)の裏)右側、上から順番に。。。
一番上の右側:「TO THE FAR EAST」ポスター(poster)。日本郵船株式会社、大阪商船株式会社(現在の株式会社商船三井。日本の三大海運(marine transportation)会社の内の一つ)、南満州鉄道会社(The South Manchuria Railway Company)の共同制作のポスター(poster)の様です。第2次世界大戦前の日本の帝国主義的な考えが反映されている様な感じのデザイン(design)のポスター(poster)です(おそらく、韓国の方や中国人が見たら、あまり良い気分はしない感じのデザイン(design)ではないでしょうか。。現在の日本においては、この様なデザイン(design)のポスター(poster)が制作される可能性は、ほとんど無いと言って良いでしょう)。
その左:日本郵船株式会社の裏南洋航路のパンフレット(leaflet)。1924年。
その下:日本郵船株式会社のcalendar(「NYK LINE」カレンダー)。1937年。里見 宗次(satomi munetsugu)(下の補足説明参照)のデザイン(design)です。
里見 宗次(satomi munetsugu):1904年生まれ、1996年に亡くなる。主に、フランスと日本で活躍した、日本の有名なグラフィックデザイナー(graphic designer)(フランスでの活躍の方が、目覚しかった)。1920年代から活躍し、1920年代、1930年代から、ヨーロッパの大企業や、その商品(GauloisesタバコやKLMオランダ航空)等のポスター(poster)のデザイン(design)を手がける。1937年のパリ万国博覧会(International Exposition dedicated to Art and Technology in Modern Life。スペイン館には、Pablo Picassoの「Guernica」が出展された)の広告館に出展、日本国有鉄道のポスター(poster)、「JAPAN」で名誉賞と金杯を受賞。1939年-1940年ニューヨーク万国博覧会(1939-40 New York World"s Fair)の日本館のデコレーション(decoration)を担当。第2次世界大戦後も、デザイナー(designer)としての活動は衰えることなく、生涯に渡って、20,000点を超える作品を残した(wikiより)。
その下の右側:日本郵船株式会社のポスター(poster)(「around the world」ポスター(poster))。1932年。ゲオルギー・ヘミング(Georgii Hemming)(下の補足説明参照)のデザイン(design)。
ゲオルギー・ヘミング(Georgii Hemming):ロシア系スウェーデン人の画家・建築家。ちなみに、娘は、日本を中心に活躍している、スウェーデン人pianist、Fuzjko Hemming(1932年生まれ)。
その左側:日本郵船株式会社のポスター(poster)(「躍進日本郵船」ポスター(poster))。1941年(ただし、写真の物(この展覧会の展示作品)は、第2次世界大戦後に、再制作された物)。里見 宗次(satomi munetsugu)のデザイン(design)です。このポスター(poster)が登場してから間も無く、日本は、第2次世界大戦に、本格的に足を踏み入れる事となりました。日本郵船株式会社は、1941年の時点で、133隻の船を保有していて、第2次世界大戦中に、89隻の船を建造しましたが、戦時中に185隻もの船を失い、1945年の戦争終結時には、わずか37隻の船を保有しているに過ぎませんでした。他の日本の海運(marine transportation)会社も、同様に、第二次世界大戦で大きな痛手を受け、日本は、それまで世界3位の海運(marine transportation)国として、630万総トンの商船を保有していましたが、(商船が、軍事用として徴用されたり、アメリカ軍によって撃沈されたりした結果)、1945年に、日本が保有する商船は、150万トンにまで激減し、日本の海運(marine transportation)界は、ほぼ壊滅状態に陥りました(その後、戦後復興を果たす事になりましたが)。
一番下:日本郵船株式会社のヨーロッパ航路スケジュール(schedule)の表紙。1925年。
写真以下2枚。仕事の外回り中の空き時間に、ちょっと息抜きに、絵等を鑑賞した、横浜都心部のギャラリー(gallery)で、購入した絵葉書。川村 コウイチ(kawamura Koichi)と言う人の作品だそうです。
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写真以下6枚。家に帰って来て食べた、先週の火曜日の夕食。
写真以下3枚。おかず(二人分)。これに、ご飯(rice)で、食べました。あと、野菜サラダ(salad)を食べました。
昼に続いて、また鶏肉でしたが、棒棒鶏(bang bang Ji)。
適当な鮭料理。
厚目の油揚げ。醤油等を付けて食べました。
写真以下3枚。デザート(dessert)。帰り際に、高島屋(takashimaya)デパート、横浜店で、同店の食料品売場に入っているユーハイム(JUCHHEIM)で買って来たケーキ(cake)。ユーハイム(JUCHHEIM)は、1909年創業の神戸(kobe)の西洋菓子・ケーキ(cake)店(会社)です。ユーハイム(JUCHHEIM)は、まだ、日本の、一般庶民にとって、西洋菓子自体が、物珍しかった時代においては、高級ブランド(brand)だったかもしれませんが、現在においては、比較的、大衆的な方の西洋菓子ブランド(brand)(ちょっと言い方が変かもしれませんが、大衆的な中級ブランド(brand)位)となっています。ユーハイム(JUCHHEIM)は、日本全国的な、西洋菓子の会社で有り、当然、東京圏にも進出しています。
写真左は、チョコレート系のケーキ(cake)、写真右は、レモン(lemon)系のケーキ(cake)。グラマシーニューヨーク(Gramercy New York)のケーキ(cake)が現代artの様だとしたら、こちらは、ひたすら可愛さを追求した感じ。。。
私が食べた、チョコレート系のケーキ(cake)。美味しかったです。
レモン(lemon)系のケーキ(cake)。少し味見をさせて貰いましたが、美味しかったです。
翌日(先週の水曜日)から先週の金曜日にかけて、2泊3日で、旅行で、隠岐(okino)島へ行って来ました(これは、仕事ではなく、遊び(休暇)の旅行です)。隠岐(okino)島は、日本の西部、島根(shimane)県の北部にある群島です。隠岐(okino)島を訪れたのは、今回が初めてでした。
写真以下10枚。先週の金曜日、旅行から帰って来て、我が家で食べた夕食。
写真以下3枚。帰りに東京の羽田(haneda)空港で買った、空弁(soraben)(下の補足説明参照)。
空弁(soraben):主として、日本の国内線の飛行機の利用客の為に、空港で販売されている、飛行機内で、食べる弁当(lunch box)です。日本では、国内線の利用客が多い空港を中心として、様々な種類の空弁(soraben)が販売されています。
東京の築地(tsukiji)の寿司屋さん、寿司岩の関連会社?が製造する、穴子寿司(左)、穴子の棒寿司(右)。両方供、美味しかったです。
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穴子寿司。
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穴子の棒寿司。
写真以下4枚。隠岐(okino)島は、行きも帰りも、途中、大阪(伊丹(itami)空港)で、飛行機を乗り継いだのですが、帰りに、伊丹(itami)空港で買った、空弁(soraben)。鯖の棒寿司。美味しかったです。握り寿司(多くの外国人が、思い浮かべる寿司)は、(元々)東京が本場ですが(現在は、日本全国的に広まっている)、この様な、押し寿司は、関西(kansai)area(大阪、京都、奈良(nara)等)や西日本areaが、本場となっています。
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写真以下3枚。デザート(dessert)。帰りに、伊丹(itami)空港で買った、京都の生八ツ橋(yatsuhashi)。八ツ橋(yatsuhashi)は、京都の和菓子(日本伝統菓子)で、固い、普通の八ツ橋(yatsuhashi)と、柔らかい、生八ツ橋(yatsuhashi)が有ります。私は、普通の八ツ橋(yatsuhashi)と生八ツ橋(yatsuhashi)、両方好きですが、特に、生八ツ橋(yatsuhashi)の方は、大好物です。これは、聖護院(shogoin。1689年創業の、八ツ橋(yatsuhashi)を中心とした、お菓子屋さん)の、ニッキ(cinnamon)と抹茶(green tea)の生八ツ橋(yatsuhashi)です。生八ツ橋(yatsuhashi)は、甘い餡子を包んだ物が人気ですが、私は、この様な、餡子無しの、生八ツ橋(yatsuhashi)も、好きです。