以下、「以下、新緑の、鎌倉(kamakura)散歩1からの続きです」と言う文までは、前回の投稿と、同じ文です。
5月の第一木曜日と5月の第二金曜日に、一泊二日で、鎌倉(kamakura)に遊びに行って来た時の物です。この時は、両親の湘南(syonan)areaの、別荘に宿泊しました(この時(5月の第一木曜日と5月の第二金曜日)は、両親は、旅行中で、その別荘は、使用していなかった)。ちなみに、両親は、東京都心部の我が家の近所の実家(元々、母方の祖父母の家。現在は、両親が引き継いで暮らしている)に暮らしているのですが、15年程前に、湘南(syonan)area(下の補足説明参照)に、父が仕事を引退したら暮らす為の別荘(別荘とは言っても、典型的な別荘ではなく、普通の一戸建て住宅です)を購入しました。父が、半分、定年退職状態になってからは、両親は、基本的に、一週間の内の、半分を、東京都心部の我が家の近所の実家(元々、母方の祖父母の家。私の母にとっては、元々両親の家。ちなみに、母は、一人っ子です)、もう半分を、保養と気分転換に、湘南(syonan)areaの別荘で過ごしています。
湘南(syonan):東京近郊の、茅ヶ崎(chigasaki)、江ノ島(enoshima)(藤沢(fujisawa))、(以下は、三浦(miura)(半島)areaとして、湘南(syonan)には、含めない考え方もあるが、私は、湘南(syonan)に含めて考えている。このへんは、地元の人も、結構大雑把だと思う)、鎌倉(kamakura)、逗子(zushi)、葉山(hayama)、横須賀(yokosuka)(西海岸の一部)等から成る、湘南(syonan)は、東京都心部方面から見て、横浜(東京areaの海の玄関口(gateway)である、大きな港町)の向こう側(反対側)に隣接するareaであり、東京areaに暮らす人々にとって、最も身近な、東京近郊のビーチリゾート(beach resort)地となっています。
ちなみに、この時、鎌倉(kamakura)には、自動車ではなく、電車で行きました。私は、元々、通常、鎌倉(kamakura)散歩が主目的の場合、(鎌倉(kamakura)は、道が狭くて、自動車を運転するのが疲れる等の理由により)、自動車ではなく、電車を使って行くのですが、この時は、ゴールデンウイーク(Golden Week)中(下の補足説明参照)で、東京都心部と鎌倉(kamakura)の間の、行き帰りの道路及び、現地の道路は、大いに混雑する事が予想されましたし、また、翌日、東京都心部の我が家へ帰る日の夕食を含む、現地での、夕食(外食)時に、お酒(アルコール(alcoholic)飲料)を飲みたかったからです。
ゴールデンウィーク(Golden Week):4月の末から5月の初めまでは、日本では、祝日が続き、期間が長い祝日連休となる事から、ゴールデンウィーク(Golden Week)と呼ばれています。
東京の南部近郊(東京圏の南部を占める神奈川(kanagawa)県の南東部)にある、鎌倉(kamakura)は、中世(1185年から1333年まで)に、日本の政治の中心地であった中都市であり、中世以来の歴史を有する、寺や神社(shrine)が、数多くあります(ただし、鎌倉(kamakura)の寺や神社(shrine)の、現在の建物については、(極一部の例外を除き)中世よりも後の時代に、火事等の焼失により、再建された物であったり、時代に合わせて、建て替えられている物です)。その為、鎌倉(kamakura)は、東京近郊の主要な観光地の一つとなっています。
以下、新緑の、鎌倉(kamakura)散歩1からの続きです。
以下、この投稿は、この時の、初日(以下、この日と書きます)の後編です。
以下、この日の、鎌倉(kamakura)散歩の続き。。。
八雲(yakumo)神社(shrine)。1083年に創建された、神道の神社(shrine)です。特に、観光地と言う訳ではなく、何気ない、町の、神道の神社(shrine)と言った趣(雰囲気)の神社(shrine)です。アメリカや西ヨーロッパの国々に、非常に多くのキリスト教の教会がある事と同様、日本には、非常に多くの、仏教の寺と神道の神社(shrine)があり、また、アメリカや西ヨーロッパの国々では、どの町内でも、少なくとも一つの、キリスト教の教会があると思いますが、それと同様に、日本でも、どの町内にも、一般的には、少なくとも、1つの仏教の寺又は神道の神社(shrine)、もしくは両方が存在します。こうした、神道の神社(shrine)と仏教の寺は、宗教と言うよりも、生活文化として、町内の人々の生活の中に自然と溶け込んでいます。
写真以下22枚。妙本(myouhon)寺。1260年に創建された仏教の寺です。紅葉等が、美しい寺です。以下、妙本(myouhon)寺に関する説明は、wiki等を参考にしました。妙本(myouhon)寺の敷地は、元々は、比企 能員(hiki yoshikazu)の邸宅の敷地でした。比企 能員(hiki yoshikazu)は、源 頼朝(minamoto no yoritomo)(1147年生まれ。1199年に亡くなる。中世の日本の、非常に有力な侍(samurai)。鎌倉(kamakura)を拠点に、日本全国の、侍(samurai)達の、長(leader)として、日本を実質的に統治した)に、側近として仕えた、有力な侍(samurai)です。1203年に、源 頼家(minamoto no yoriie)(源 頼朝(minamoto no yoritomo)の長男)が、重病で倒れると、比企 能員(hiki yoshikazu)(娘が、源 頼家(minamoto no yoriie)の妻となり、源 頼家(minamoto no yoriie)と、親族関係にまでなっていた)と、北条 政子(houjyou masako。1157年生まれ。1225年に亡くなる。源 頼朝(minamoto no yoritomo)の妻。源 頼家(minamoto no yoriie)の母)の実家である、北条(houjyou)家との間で、権力争いの戦いが、勃発しました(比企 能員(hiki yoshikazu)は、自分の孫(娘と、源 頼家(minamoto no yoriie)の間に生まれた子供)を、次期の、将軍(shogun。日本全国の、侍(samurai)達の、長(leader))として、推薦していたのに対し、北条(houjyou)家は、源 実朝(minamoto no sanetomo)(源 頼朝(minamoto no yoritomo)と北条 政子(houjyou masako)の次男)を、次期の、将軍(shogun。日本全国の、侍(samurai)達の、長(leader))として、推薦していました)。比企 能員(hiki yoshikazu)は、(比企 (hiki)家の台頭に、危機感を抱いていた)北条(houjyou)家に、不意打ちによりwas killed、比企 能員(hiki yoshikazu)の一族は、邸宅に篭って、北条(houjyou)家の軍と戦いますが、比企 (hiki)家の軍は、北条(houjyou)家の軍に敗れ、比企 能員(hiki yoshikazu)の一族は、基本的に、邸宅の建物に火を放って、自害(killed themselves)しました。比企 能員(hiki yoshikazu)の、娘(源 頼家(minamoto no yoriie)の妻)は、池に身を投げて、自害(killed herself)し、孫(娘と、源 頼家(minamoto no yoriie)の間に生まれた子供)も、戦火の中で亡くなりました。しかしながら、比企 能員(hiki yoshikazu)の末子、比企 能本(hiki yoshimoto)(当時、2歳であった)は、助命され、生き残りました。妙本(myouhon)寺は、比企 能本(hiki yoshimoto)が、権力闘争で、亡くなった、比企(hiki)家の人々を供養する為に、比企 能員(hiki yoshikazu)の邸宅の跡地に、1260年に、創建した寺です。


写真以下。この日の夕食は、鎌倉(kamakura)で、お気に入りの、蕎麦食堂の一つで食べました。この蕎麦食堂は、1924年創業の蕎麦食堂で、鎌倉(kamakura)の中心地の、若宮大路(wakamiyaouji)(下の補足説明参照)沿いにある、蕎麦食堂です。この蕎麦食堂は、個人的に、鎌倉(kamakura)で、一番、よく利用している蕎麦食堂です。この蕎麦食堂は、個人的に、(蕎麦以外の物も含めて)美味しいと思います。
若宮大路(wakamiyaouji):鎌倉(kamakura)で、最大且つ、最も有名な神社(shrine)である鶴岡八幡宮(tsurugaoka hachimangu)(下の補足説明参照)の参道(お参りする道)で、鶴岡八幡宮(tsurugaoka hachimangu)の正面から、海の方に、まっすぐに伸びる、全長2km程の大通り。鎌倉(kamakura)の中心的な通りとなっており、特に、(電車の)鎌倉(kamakura)駅付近から、鶴岡八幡宮(tsurugaoka hachimangu)までの、700m位が、賑やか。若宮大路(wakamiyaouji)の一部(鶴岡八幡宮(tsurugaoka hachimangu)側)は、中央部分が、段葛(dankazura)と呼ばれる、車道より高い位置にある歩行者専用の道となっており、桜の花の時期には、段葛(dankazura)の桜並木の花が咲き、若宮大路(wakamiyaouji)は、とても華やかな雰囲気となる。
鶴岡八幡宮(tsurugaoka hachimangu):鎌倉(kamakura)中心部にある規模の大きな神社(shrine)。源 頼義(miamoto no yoriyoshi。侍(samurai)。源 頼朝(minamoto no yoritomo)の祖先)が、1063年に、鎌倉(kamakura)の、別の場所に創建。1180年に、源 頼朝(minamoto no yoritomo)は、鶴岡八幡宮(tsurugaoka hachimangu)を、現在地に移すと共に、鎌倉(kamakura)の侍(samurai)の守護神として、改めて整備を行い、鶴岡八幡宮(tsurugaoka hachimangu)を中心に、鎌倉(kamakura)を、自分の本拠地及び、日本の政治の中心地として、整備して行った。
写真以下。この蕎麦食堂で食べた、この日の夕食。全て、一人一皿ずつです(写真は、一人分)。ちなみに、私は、この時、飲み物は、お酒(アルコール(alcoholic)飲料)は、日本酒を飲みました。
ナス(茄子)の、お浸し。
左、ヨモギ(蓬)と蟹の、すり流し。右、刺身。
胡麻豆腐。
シラス(鰯の子供)入り、茶碗蒸し。シラス(鰯の子供)は、湘南(syounan)の名物(よく獲れる産物)となっています。
蕎麦寿司。
浅蜊(アサリ・貝)の、道明寺(doumyouji)、蒸し。
里芋。中に、豚肉の煮物が詰められていました。
天麩羅。
とろろ(tororo)(山芋又は長芋を、すり下ろした物)、蕎麦。

デザート。桜、アイスクリーム(ice cream)。
新緑の、鎌倉(kamakura)散歩3へ続く。。。