後述する、「夏の嵐」(1956年の、日本の映画)には、東京港を遊覧する、遊覧用の豪華客船が出て来ていますが、参考に、シーライン東京(Sealine
Tokyo)は、現在、東京港を遊覧するレストラン船を運営している会社の一つで、シンフォニークラシカ(Symphony
Classica)(1989年就航)と、シンフォニーモデルナ(Symphony
Moderna)(1992年就航)の、2つの、東京港を遊覧するレストラン船を運営しています。
https://youtu.be/CvitDaf-RyI?si=cuKMMbctm63Dsmxs
動画は、借り物。シンフォニークラシカ(Symphony Classica)・シンフォニーモデルナ(Symphony Moderna)の、去年のクリスマスの、特別、料理メニュー(menu)の案内。
以下、三橋 達也(mihashi tatsuya)に関しては、wikiを参考にしました。
三橋
達也(mihashi
tatsuya):1923年、東京生まれ。2004年に亡くなる。1950年代初め頃から活躍していた、日本の俳優。第二次世界大戦中の、1942年に、多摩(tama)美術大学(東京の、私立の美術大学で、日本の、名門(有名な)、美術大学の一つ)に入ったが、(第二次世界大戦中で)満足な授業が無く、1年後に中退する。最初は、舞台美術家を目指していたが、俳優になるよう人から勧められ、1943年から1944年にかけて、劇団を転々と渡り歩いた後、映画にもエキストラとして出演する様になったが、そんな中、兵隊として招集されてしまう。第二次世界大戦後の、1940年代後期に、俳優に復帰。端役から始まり、1950年代初め頃から、本格的に、映画俳優として活躍するようになった。以後、1950年代から1960年代にかけて、映画俳優として、1950年代後期から1990年代頃にかけて、テレビのドラマ(drama)の俳優として、活躍した。
三橋 達也(mihashi tatsuya)は、身長172cmと、小柄でしたが、ハンサムな、演技派の俳優として活躍していた様です。
ちなみに、三橋 達也(mihashi tatsuya)の妻は、前に投稿で紹介した事がある、安西 郷子(anzai kyouko)(下の補足説明を参照)です。
安西 郷子(anzai kyouko):以下、安西
郷子(anzai kyouko)に関しては、wikiを参考にしました。1934年生まれ。2002年に、病気(肝不全(liver
failure))で、68歳で、亡くなる。1950年代に活躍していた(1961年に、三橋 達也(mihashi
tatsuya)と結婚し、芸能界を引退し、主婦になる)、大阪(東京に次ぐ日本第二の都市圏人口を有する都市)出身の、日本の女優。
安西 郷子(anzai kyouko)に関して、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
Mambo Italiano他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_5/view/id/3705330/page/27?&sfl=membername&stx=nnemon2
三橋 達也(mihashi tatsuya)は、妻である、安西 郷子(anzai kyouko)が亡くなった、2年後の、2004年に、心筋梗塞により、突然、80歳で亡くなりました。
三橋 達也(mihashi tatsuya)は、後述する、「夏の嵐」(1956年の、日本の映画)において、秋元(akimoto)の役を演じています。
北原 三枝(kitahara mie)(1933年生まれ。現在92歳)は、1950年代初め頃から活動を行い、1950年代中期から1960年にかけて活躍していた、日本の女優です。
北原
三枝(kitahara mie)は、1960年に、石原 裕次郎(ishihara
yujiro)(下の補足説明を参照)と結婚し、女優(芸能界)を引退、その後、石原 裕次郎(ishihara
yujiro)を中心とした、芸能事務所(芸能人の事務所)の経営者として活躍しました。
石原 裕次郎(ishihara
yujiro)と北原 三枝(kitahara mie)の夫婦は、子供を作らない方針であったのか、石原 裕次郎(ishihara
yujiro)か北原 三枝(kitahara
mie)、若しくは、両方(2人共)、子供を作れない(子供が出来ない)体質であったのか、子供はいませんでした。
石原
裕次郎(ishihara
yujiro):1934年生まれ。身長183cm。1956年にデビュー(debut)し、1950年代中期から、人気俳優として活躍していましたが、1987年に、52歳の若さで、癌により亡くなった、日本の有名な俳優。石原
裕次郎(ishihara
yujiro)は、若い頃は、女性達に、アイドル(idol)的な、人気を博していましたが、エルヴィス・プレスリー(Elvis
Presley)同様、中年になると、太ってしまいました。
北原 三枝(kitahara mie)は、後述する、「夏の嵐」(1956年の、日本の映画)において、稜子(ryoko)(主人公)の役を演じています。
長門
裕之(nagato
hiroyuki)(1934年生まれ。2011年に亡くなる)は、1950年代中期頃から活躍していた(1940年代初めに、子役として活躍していたが、学生の時期は、俳優を、一時、休業。1950年代初めに俳優として活動を再開)、日本の、俳優です(父親は、歌舞伎(kabuki)(日本の、伝統、大衆演劇の一つ)の俳優。母親も、女優)。
長門 裕之(nagato hiroyuki)の弟の、津川 雅彦(tsugawa masahiko)(1940年生まれ。2018年に亡くなる)は、1940年代中期、子役の頃から活動を行い、1950年代中期頃から活躍していた、日本の俳優です。
ちなみに、若い頃は、長門
裕之(nagato hiroyuki)よりも(長門 裕之(nagato
hiroyuki)は、どちらかと言えば、演技派の俳優として、幅の広い映画で活躍していた様です)、津川 雅彦(tsugawa
masahiko)の方が、イケメン(ハンサム)でした。
津川 雅彦(tsugawa masahiko)は、後述する、「夏の嵐」(1956年の、日本の映画)において、明(akira)の役を演じています。
金沢(kanazawa)(人口45万人程。石川(ishikawa)県の中部に位置する)は、石川(ishikawa)県(北陸地方(日本の中部地方の北西部)に位置する県の一つ)で、最大の人口を有する都市、且つ、中心都市で、北陸地方(日本の中部地方の北西部)の中心都市であると共に、日本の中部地方の主要都市の一つとなっています。金沢(kanazawa)は、封建制時代(19世紀半ば以前)に、日本で、最も、有力、且つ、裕福な、地方領主の家の一つ(前田(maeda)家(近代以降は、貴族階級に組み入れられ、貴族(侯爵)となる))に統治されていた事から、古くから、文化や、工芸、(今は、どうか分かりませんが、少なくとも、昔は)財力が、豊かな都市と言うイメージがあります。
金沢(kanazawa)に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
金沢城跡他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3905231/page/7?&sfl=membername&stx=nnemon2
女学校(jyogakko)は、第二次世界大戦以前の日本における、女子向けの中等教育機関で、ほぼ、現在の小学校と大学の間、即ち、中学校と高校に当たります。女学校(jyogakko)は、第二次世界大戦以前の階級社会の日本において、主として、比較的裕福な、中流階級以上の家庭の娘(中流階級・中上流階級(upper-middle
class)・上流階級の、家庭の娘)が通いました。
以下、女学校(jyogakko)に関する参考の投稿。
弥生美術館・近代女袴展他1→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/4044152?&sfl=membername&stx=nnemon2
須藤しげる・吉屋信子・涼宮ハルヒ他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3825889/page/14?&sfl=membername&stx=nnemon2
「夏の嵐」(1956年の、日本の映画)は、日本の著名な(有名な)文学賞の一つの候補となった、当時の、日本の女子大生(女性の大学生)の小説作品を原作とした映画で、文学的な、映画です。
現在、you tubeで、「夏の嵐」(1956年の、日本の映画)が、期間限定で(8月13日の21時から8月30日の21時まで)、公式で公開中です。
現在、you tubeで、期間限定で(8月13日の21時から8月30日の21時まで)、公式で公開中の、「夏の嵐」(1956年の、日本の映画)(フル映画)→
https://youtu.be/icayfGXgbo0?si=GTtpcElaakVEb6z2
参考に、以下、「」内。私の前の投稿文より。。。
「ちなみに、私は、実家は、我が家(東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地にあります)の近所にある、一戸建て住宅(私の実家は、元々、私の母方の祖父母の家で(私の母の実家で)、母方の祖父母共既に亡くなり、現在は、両親が引き継いで暮らしています。ちなみに、母は、一人っ子です)、彼女の実家は、横浜市(彼女の実家は、普通に、毎日、通勤電車で、東京都心に通勤している人々が暮らす、横浜市の、静かで、落ち着いた住宅地にある、一戸建て住宅)なので、私も彼女も、帰省するという感覚がありません。私は、実家に訪れるのは、近所のマート(スーパー)に歩いて買い物に行くのと同じ感覚(距離感)、彼女も、実家は、前述の通り、普通に、毎日、通勤電車で、東京都心に通勤している人々が暮らす、横浜市の住宅地にあるので、行くなら、日帰りで、チャチャっと行って来れます。
」
先週の土曜日は、何処にも遊びに出掛けずに、前日に我が家に泊まった彼女と、休日を、我が家で、まったりと過ごしていました(それはそれで楽しい)。
「夏の嵐」(1956年の、日本の映画)、先週の土曜日に、彼女と我が家のテレビで見てみましたが、普通と今一つの中間と言った感じの映画でした。「夏の嵐」(1956年の、日本の映画)は、現代の価値観とは合わない部分があります。「夏の嵐」(1956年の、日本の映画)は、最後まで、飽きずに見る事が出来ましたが、元々、自殺願望に、取り憑かれていた、秋元(akimoto)はともかくとして、稜子(ryoko)が、秋元(akimoto)と共に自殺する事を選ぶまでの、心理描写を含めた描写が足りないと感じました。
「夏の嵐」(1956年の、日本の映画)は、東京を舞台(舞台設定)とした映画です。
以下、「夏の嵐」(1956年の、日本の映画)の、主要な登場人物と、あらすじに関して(ネタバレを含みます)、記憶頼りなので、細かい部分で、間違っている点があったら、申し訳ありません。
以下、「夏の嵐」(1956年の、日本の映画)の、主要な登場人物の説明です。
稜子(ryoko)の父:仕事は、既に、引退しているか、親の資産を受け継いで無職。元々、比較的、裕福であったが、世界中の(日本国内及び日本国外の)骨董品(古い工芸品・美術品)を買い集める趣味で財産を使い果たしてしまい(財産を全部使ってしまい)、現在は、(かつての購入した)骨董品(古い工芸品・美術品)を、定期的に売りに行きながら、自分及び家族の生活費に充てている。
稜子(ryoko)の母:主婦。お手伝いさん(maid)を一人雇っている。敬虔な(熱心な)キリスト教徒で、とても保守的な女性。自分は、良心的で人道的な人間だと信じている。稜子(ryoko)の父も、妙子(taeko)(稜子(ryoko)の姉)も、稜子(ryoko)の母の影響下にあり、稜子(ryoko)の母に陰で支配されている(陰で操られている)。金沢(kanazawa)の、没落した、侍(samurai)の家出身。兄弟姉妹は、兄又は弟が一人いる。兄又は弟に、子供がいなかった為、実家(金沢(kanazawa)の、没落した、侍(samurai)の家)の正しい後継者を作るために、稜子(ryoko)を、(稜子(ryoko)の母の)実家の、(稜子(ryoko)の母の)兄又は弟に、養女に出した。しかし、(稜子(ryoko)の母の)兄又は弟の妻(稜子(ryoko)の養母)は、(稜子(ryoko)の母の)兄又は弟が、第二次世界大戦中に、(軍人又は兵士として、戦場で)戦死すると、あっさりと、稜子(ryoko)を捨て(その事から、稜子(ryoko)は、東京の実家に戻って来た)、金沢(kanazawa)とは別の場所(おそらく東京)の商人の男性と再婚し、金沢(kanazawa)を出た。その事から、稜子(ryoko)は、(善人ぶりながらも、自分を道具の様に扱い)自分を養女に出した母(実の母)も、養母(母の、兄又は弟の妻)も、憎んでいる。ちなみに、稜子(ryoko)の母も、兄又は弟の妻(稜子(ryoko)の養母)を、兄又は弟が死んだから言って、あっさりと、自分(稜子(ryoko)の母)の実家と、稜子(ryoko)を捨てた、兄又は弟の妻(稜子(ryoko)の養母)を憎んている(嫌っている)。稜子(ryoko)の母の、兄又は弟の妻(稜子(ryoko)の養母)は、再婚した男性の連れ子が、知的障害がある為、稜子(ryoko)に、稜子(ryoko)が勤務している、知的障害者向けの中学校に、再婚した男性の連れ子の入学相談に来たが、稜子(ryoko)は、冷たくあしらっている(冷たく、対応している)。
妙子(taeko):稜子(ryoko)の姉。無職。母(稜子(ryoko)・妙子(taeko)の母)の影響下にある。敬虔な(熱心な)キリスト教徒。
稜子(ryoko):主人公。北原
三枝(kitahara
mie)が演じる。女子大学(生徒が女性だけの大学)を卒業している。知的障害者向けの中学校の英語の教師をしている。稜子(ryoko)に、「自分の事を殴って欲しい」と言う、マゾヒスト(masochist)的な、自分の爪を噛む癖のある、大門(daimon)と言う、男子生徒に好かれている。稜子(ryoko)は、大門(daimon)の、「自分の事を殴って欲しい」と言う願いを断ったが、大門(daimon)に何度もお願いされ、(苛立った)稜子(ryoko)は、終に、「爪を噛むのを止めなさい」と言って、大門(daimon)を殴ってしまい、後に、その事が、学校で、問題となる。虚無的で、人生及び家族(父、母、妙子(taeko))に対して冷めている。ただし、明(akira)だけは、自分の理解者として認めている部分がある。見せかけだけの善人である母と、(その影響下にある)妙子(taeko)、さらに社会に対して、反逆心を持っている。しかし、同時に、反逆心から来る、(稜子(ryoko)自身が、非道徳的である(道徳的でない)と考えている)自分の行動に対して、自己嫌悪を抱き続けてもいる。
明(akira):津川
雅彦(tsugawa
masahiko)が演じる。妙子(taeko)と、稜子(ryoko)の義理の弟。浪人(ronin)生(sei)(志望の大学の入学試験に合格する為に、高校卒業後、(通常は、1年間)、大学受験の為の勉強に専念している学生)。妙子(taeko)と、稜子(ryoko)の従弟(父方の従弟)。生まれてすぐに、両親が亡くなり、稜子(ryoko)・妙子(taeko)の両親の養子となった。自分が養子である事は知らされていないが、薄々、養子である(妙子(taeko)・稜子(ryoko)の実の弟ではない)事は、気付いている。
秋元(akimoto):三橋
達也(mihashi
tatsuya)が演じる。若い、ハンサムな、大学の科学の研究者。妙子(taeko)の、見合いによる婚約者(妙子(taeko)は、秋元(akimoto)に好感を持っている)。大学生・大学院生の頃から暮らしているアパートに一人暮らしをしている。虚無的であり、非常に繊細であり(心に、とても弱い部分があり)、陰のある(暗い部分のある)男性だが、(表面上は、他人に対して、明るく振る舞い)、その事は(陰のある部分(暗い部分)は)、稜子(ryoko)に対してしか見せていない(後に、明(akira)にも見せる様になる)。かつて、交際していた女性と自殺を図った事があり、交際相手の女性は、亡くなり、自分は、助かった為、自分は、死に損ないだと思っている。自殺願望に、取り憑かれている。秋元(akimoto)は、稜子(ryoko)の存在で動揺し、妙子(taeko)との結婚を延期して欲しいと言った為(妙子(taeko)は、秋元(akimoto)が、結婚を延期して欲しいと言った理由を知らない)、妙子(taeko)は、焦り、秋元(akimoto)のアパートに押しかけて、秋元(akimoto)とエッチした。一方、稜子(ryoko)は、外国人墓地で、秋元(akimoto)に、「理性を試しましょうか」と言い、暗闇に身を横たえた際(秋元(akimoto)に、エッチを誘った際)、秋元(akimoto)は、稜子(ryoko)とエッチしなかった為、結局、秋元(akimoto)は、最後まで、稜子(ryoko)とエッチする事はなく、稜子(ryoko)は、(稜子(ryoko)の言う)秋元(akimoto)を征服する(秋元(akimoto)を自分の物にする)事は、出来なかった。
以下、「夏の嵐」(1956年の、日本の映画)の、あらすじに関しては、基本的には、このsiteから借りて来た物です→
https://eiga.com/movie/72344/
以下、「夏の嵐」(1956年の、日本の映画)の、あらすじです。
稜子(ryoko)の家に、妙子(taeko)(稜子(ryoko)の姉)の見合いによる婚約者の、秋元(akimoto)(若い、大学の科学の研究者)が訪ねて来た。稜子(ryoko)は、秋元(akimoto)を見て驚いた。稜子(ryoko)は、二年前、女学校(jyogakko)時代の親しい友人達とキャンプ(camping)に行った時の夜、(沼の畔りで口笛を吹く、ハンサムな男性の)秋元(akimoto)の傲慢な眼差しに、一瞬、秋元(akimoto)を征服したい衝動にかられ、秋元(akimoto)と抱擁と接吻(kiss)を重ねた末、名も告げず別れた(その時以来、秋元(akimoto)は、それが恋愛なのか、秋元(akimoto)自身にも、よく分からなかったが、稜子(ryoko)の印象が強く残り、稜子(ryoko)の事を、忘れられなくなった)。その夜(稜子(ryoko)の家に、秋元(akimoto)が訪れた日の夜)、秋元(akimoto)の帰りを待伏せた、稜子(ryoko)に、秋元(akimoto)は、狼狽しながら「結婚という平凡な人生は自分にとって死と同じだ。(自殺願望に取り憑かれている自分は)、死(自殺)の代りに結婚を選んだ迄だ」と言った。
稜子(ryoko)は、秋元(akimoto)が、「妙子(taeko)(稜子(ryoko)の姉)との結婚で悔いなく生きて見せる」と断言してから数日後、(妙子(taeko)の不在中、稜子(ryoko)の家に訪れた)秋元(akimoto)にデート(date)を約束させた。デート(date)の日、遊覧用の豪華客船の甲板で、楽隊の演奏で踊る二人(秋元(akimoto)と、稜子(ryoko))の表情はぎこちなかった。帰りに、外国人墓地を通り掛った際に、稜子(ryoko)は、突然、秋元(akimoto)に、「理性を試しましょうか」と言い、暗闇に身を横たえた。稜子(ryoko)は、秋元(akimoto)の全部を得ること(秋元(akimoto)と肉体関係を結ぶ(エッチする)事で)で、自分の、秋元(akimoto)への執着を棄てたかったのだ。
その頃、稜子(ryoko)の家では、稜子(ryoko)の母が、秋元(akimoto)の曖昧な態度に苛立っていた(秋元(akimoto)は、稜子(ryoko)の事で動揺し、妙子(taeko)との結婚を延期して欲しいと言っていた)。稜子(ryoko)は、そこに、疲れた顔で戻って来た。明(akira)(妙子(taeko)・稜子(ryoko)の、(義理の弟となっている)従弟。生まれてすぐに、両親が亡くなり、妙子(taeko)・稜子(ryoko)の両親の養子となった)は、二人(秋元(akimoto)と、稜子(ryoko))の関係に薄々感付き、嫉妬めいた気持と同情の念から、稜子(ryoko)を慰めようとした。しかし、稜子(ryoko)は自己嫌悪に落ち込んで行くだけだった。
ある日、稜子(ryoko)の処に、下心を持った、城戸(kido)(稜子(ryoko)と同じ学校に勤務する、稜子(ryoko)の同僚の、男性の教師)が来て、稜子(ryoko)が、(学校に通う生徒の親の会の会長の息子である)大門(daimon)という男子生徒(男の生徒)を殴った事が問題になっていて、稜子(ryoko)がクビになる(学校を解雇される)可能性もあるが、自分は(城戸(kido)は)、大門(daimon)の親と懇意だから、大門(daimon)の親を説得して、なだめる事も可能だと言う。稜子(ryoko)は、城戸(kido)に対し、「あなたは、野蛮で悪党(悪者)だが、あなたの、自分が悪いと言う事を隠さずに、はっきりとしている所が好きだ。」と言い、自分から、城戸(kido)の誘惑にのり、城戸(kido)とエッチした。
稜子(ryoko)は、城戸(kido)とエッチした翌朝、ホテルを抜け出て、秋元(akimoto)に、城戸(kido)とエッチした事を報告した。秋元(akimoto)は意外にも興奮して、稜子(ryoko)の行為をなじった(稜子(ryoko)の行為を、非難した)。明(akira)は、その夜、稜子(ryoko)の腕に抱かれたが(稜子(ryoko)は、明(akira)を誘惑し、明(akira)とエッチしたが)、(無邪気な誇りで自らの人生観を肯定している)明(akira)は、姉(義理の姉)(稜子(ryoko))の誘惑に乗り、姉(義理の姉)(稜子(ryoko))とエッチしても、自分の純潔・道徳心は傷つかないと平然としている。
(稜子(ryoko)の家族(妙子(taeko))と、稜子(ryoko)の間の板挟みに苦しむ)秋元(akimoto)は、妙子(taeko)・稜子(ryoko)・明(akira)と、郊外のビーチ(beach)(海水浴場)に遊びに行く約束した日までに自分を清算しようと考え、ある日、教会の礼拝堂で、(秋元(akimoto)と、妙子(taeko)の)結婚式の予行演習をやり、妙子(taeko)を喜ばせた。
秋元(akimoto)・妙子(taeko)・稜子(ryoko)・明(akira)が、郊外のビーチ(beach)(海水浴場)に遊びに行った日の当日、嵐(台風)が近づくので海岸(ビーチ(beach)(海水浴場))に人の姿は、少なかった。ビーチ(beach)(海水浴場)での午睡(昼寝)を、俄かの雷雨で破られた(起こされた)、妙子(taeko)・稜子(ryoko)・明(akira)は、秋元(akimoto)がいないのに気づいた。秋元(akimoto)は、浮きつ沈みつ、海の沖へと泳ぎ進んでいた。稜子(ryoko)は、秋元(akimoto)に対し、「卑怯だわ!(あなたは、卑怯だ!)」と叫ぶなり、秋元(akimoto)を追い、海に泳ぎ出した。稜子(ryoko)は、海の沖で、秋元(akimoto)に、追いつき、秋元(akimoto)と合流すると、2人は、波にもまれて、姿を没して行った(姿が消えて行った)。