かなり古いですが、基本的に(参考の投稿を足しています)、2010年の2月の前半に行った投稿から抜粋して来た物です(投稿文は、2010年の2月の前半の投稿を前提としています)。
東京近郊の、茅ヶ崎(chigasaki)、江ノ島(enoshima)(藤沢(fujisawa))、(以下は、三浦(miura)(半島)areaとして、湘南(syonan)には、含めない考え方もあるが、私は、湘南(syonan)に含めて考えている。このへんは、地元の人も、結構大雑把だと思う)、鎌倉(kamakura)、逗子(zushi)、葉山(hayama)、横須賀(yokosuka)(西海岸の一部)等から成る、湘南(syonan)(東京圏の南部を占める神奈川(kanagawa)県の南部に位置する)は、東京都心部方面から見て、横浜(東京areaの海の玄関口(gateway)である、大きな港町)の向こう側(反対側)に隣接するareaであり、東京areaに暮らす人々にとって、最も身近な、東京近郊のビーチリゾート(beach reort)地となっています。湘南(syonan)は、海岸線で見ると30km位ある様な気がしますが、大磯(ooiso)、二宮(ninomiya)辺りまで含めると、(海岸線で見ると)50km近くある様な気がします。
1月の下旬に、葉山(hayama)にある、山口 蓬春(yamaguchi housyun)記念館を訪れました。山口 蓬春(yamaguchi housyun)記念館を訪れたのは、今回で2回目です。山口 蓬春(yamaguchi housyun)記念館は、山口 蓬春(yamaguchi housyun)が、1948年から1971年に77歳で亡くなるまで暮らしていた家で、現在は、山口 蓬春(yamaguchi housyun)の作品を展示する美術館となっています。山口 蓬春(yamaguchi housyun)(1893年生まれ、1971年に亡くなる)は、1920年代から1960年代に活躍した、有名な、近代、日本伝統画家です。我が家(東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地に位置します)の近所の私の実家には、山口 蓬春(yamaguchi housyun)の絵が、1枚あります。山口 蓬春(yamaguchi housyun)は、有名な画家とは言っても、超一流の画家と言う程ではなく、また、有名な画家達の間では、格別な才能や、際だった個性があると言う訳ではないと思いますが(とても秀才な画家ではあったけど、天才ではないと言った感じかな。。。)、実家に絵があるせいか、何となく、昔から、親しみを感じる画家です。ちなみに、山口 蓬春(yamaguchi housyun)は、1920年代後半の一時期、東京の私の街(渋谷(shibuya)区の中北部)に暮らしていた事があります。

もう、大分前の事になりますが、前回、山口 蓬春(yamaguchi housyun)記念館を訪れた時に、購入した、山口 蓬春(yamaguchi housyun)の画集。

写真左が、山口 蓬春(yamaguchi housyun)。写真右が、山口 蓬春(yamaguchi housyun)の、(妻の)春子(haruko)夫人です。1920年代、新婚の頃の写真です。
写真以下16枚。絵葉書等の写真で申し訳ありませんが、山口 蓬春(yamaguchi housyun)の作品例等。当時としては、お洒落で、また、どちらかと言えば、女性が好む様な繊細で上品な絵を描く画家だったと思います。

瓶花(1923年から1924年)。

佐保村の初夏(1924年)。
写真以下3枚。「現代風俗絵巻」からゴルフ(golf)(1928年)。




扇面流し(1930年)。

松原図(1932年)。
1932年7月、山口 蓬春(yamaguchi housyun)は、韓国を旅行し、慶州(Gyeongju)やソウル(Seoul)に、約1ヶ月滞在し、写生(sketch)を行いました。

韓国で、写生(sketch)をする、山口 蓬春(yamaguchi housyun)(写真左)。モデル(model)となっている3人の女性の内、真ん中の女性は、山口 蓬春(yamaguchi housyun)の妻の春子(haruko)夫人。
写真以下2枚。市場(1932年)。韓国の市場を描いた物です。



南嶋薄暮(1940年)。台湾(Taiwan)の田舎を描いた作品です。
1945年4月、第2次世界大戦末期の空襲の激化に伴い、戦時中の混乱の中、山口 蓬春(yamaguchi housyun)は、世田谷(setagaya)区(東京中心部(東京23区)の西端に位置する区。当時は、比較的都心に近い東京の西部郊外の新興住宅地と言った感じ)にあった家(1939年に、吉田五十六(yoshida isoya)(近代日本伝統建築の設計で、当時有名だった建築家) の設計により、新築したばかりであった)を手放し、疎開(sokai)(下の補足説明参照)の為に、東北地方の山形(yamagata)県に引越しました。
疎開(sokai):戦争の空襲を逃れる為、空襲の標的となり易い、大都市・中都市(中規模程度の人口の都市)の都心部等を離れ、比較的空襲の危険性が少ない、近郊や田舎に、一時的に滞在、若しくは、引っ越す事。
吉田五十六(yoshida isoya)に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
現代日本伝統様式(戦前日本の客船の内装)他3→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3758715/page/21?&sfl=membername&stx=nnemon2
現代日本伝統様式(戦前日本の客船の内装)他3(韓国語)→
https://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_11/view/id/3758715/page/21?&sfl=membername&stx=nnemon2
以下(すぐ下でリンクを付けた投稿)、すぐ上でリンクを付けた投稿の関連投稿。
日本の近代の船の歴史後編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3877760?&sfl=membername&stx=nnemon2
日本の近代の船の歴史後編(韓国語)→
https://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_11/view/id/3877760?&sfl=membername&stx=nnemon2
山口 蓬春(yamaguchi housyun)は、第2次世界大戦後、東京近郊の海沿いの保養地、葉山(hayama)を、一生を過ごす場所として定め、1971年に77歳で亡くなるまで、そこで、暮らしました。写真以下5枚は、山口 蓬春(yamaguchi housyun)が、1948年から1971年に77歳で亡くなるまで暮らしていた、(山口 蓬春(yamaguchi housyun)の)葉山(hayama)の家(現在の、山口 蓬春(yamaguchi housyun)記念館)で、山口 蓬春(yamaguchi housyun)が描いた、作品の例です。

榻上の花(1949年)。

夏の印象(1950年)。

望郷(1953年)。

秋(1961年)。

静物(1971年)。山口 蓬春(yamaguchi housyun)の最晩年(77歳の時)の作品です。
写真以下7枚。東京近郊の海沿いの保養地、湘南(syounan)の葉山(hayama)にある、山口 蓬春(yamaguchi housyun)記念館。山口 蓬春(yamaguchi housyun)が、1948年から1971年に77歳で亡くなるまで暮らしていた家です。現在は、山口 蓬春(yamaguchi housyun)の作品を展示する美術館となっています。山口 蓬春(yamaguchi housyun)記念館を訪れたのは、今回で2回目です。今回(先々週)、丁度、敷地内では、梅の花が咲き始めていました。葉山(hayama)と、その隣りの逗子(zushi)は、海沿いの別荘地となっています(葉山(hayama)や逗子(zushi)に別荘を保有する人は、比較的裕福な人達が多いです)。







以下(すぐ下でリンクを付けた投稿)、参考の投稿。
山口 蓬春記念館他色々→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/4091877?&sfl=membername&stx=nnemon2