
(日本遠征の時を描いた<モンゴル襲来会社>の一絵. 写真左側の兵士らが 高麗軍という説がある. 絵では切られたが前で戦う兵士ら裏側に矢を当たって逃げだす兵士らがあるのにその兵士らの複式がモンゴルだね複式にもっと近いからだ. 余談だが右側の騎馬無事がモンゴル襲来会社を描くようにしたと知られたダケザキスエナが(竹崎季長). 元々この絵はヨモングヨンハブグンの矢と砲弾をくぐって突撃するスエナがを描いたことだと言う. 絵では言葉が血をこぼしながら倒れていて戦死することのように見えられるが彼はこの戦争で死ななかったし, かなり長生きしたのか 1324年まで生存したのが確認されるが正確な沒年は伝わらない.)

下の絵が一番上の絵すぐ左につながる絵. 矢当たって逃げだす兵士が見える. この兵士らの複式がモンゴル兵士に近いという理由で先頭に立って争う兵士らを高麗軍で見るお正月があること. 逃げだす兵士らが使っているかぶとを見ればかぶと横の差し上げることが首の前部まで皆くるむ形態でただされていることを見られるのにこれは明らかなモンゴルの形式だ. 敢えて他の姿でグリーンので見て弓を射っている人々がモンゴル君ではない可能性は十分だ. その上にこの絵が 1274年 1次遠征時の事実を描いた絵なのを勘案して見ればあのモンゴル君と異質的な服を着ている軍隊が南中国兵士らでもないということが分かる. またモンゴル君は降伏した国の軍隊を先鋒に建てる戦術を一般的に使ったがこの絵でもあの兵士らが先鋒に立っている. その上にモンゴル君が逃げだす状況で彼らが堪えていることも, 当時遠征記録をよく見ればモンゴル君が後退する状況で高麗軍が幕府君の襲撃を撃退した事実が何回見えるので根拠になるに値する.