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応永の外寇は

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細分類: 自由テーマ 93786 JA 20

史実では朝鮮が万全の準備で奇襲で攻め込み、態勢を整えた対馬勢に逆襲され大敗を喫した。責任者は大敗の責任を取らされそうになったが、中華でも蛮夷に負ける事が有ると不問にされた。

始めから勝つ事を想定していなかったのではないだろうか。


応永の頃の朝鮮は太祖が簒奪して建て、太宗が他の兄弟を武力で排除して半ば先代を脅迫し奪い取る形で王位に就いた。世宗が継いでいるとは言え、第二の太祖や太宗が何時現れるか安心できない。太宗は万全の状態にも拘らず大敗した自軍の弱さを見て簒奪の危険無しと安心できたのではないでしょうか。


対馬襲撃が軍縮、政府の完全制御下に置くための戦争だとしたら自軍の弱さを見られた明人の解放、敗北責任の追及が軽度で済んだ事の説明になるのかもしれない。

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오에이의 외구는

사실에서는 조선이 만전의 준비로 기습으로 쳐들어가, 태세를 정돈한 대마도세에 역습 되어 대패를 당했다.책임자는 대패의 책임을 받아들이게 해질 것 같게 되었지만, 중화에서도 만이에 지는 것이 있으면 불문으로 되었다.

처음부터 이기는 일을 상정하지 않았기 때문에는 없을까.


오에이의 무렵의 조선은 태조가 찬탈해 세워 태종이 다른 형제를 무력으로 배제해 반선대를 협박해 강탈하는 형태로 왕위에 들었다.세종이 잇고 있다고는 말할 수 있어 제2의 태조나 태종이 몇 시 나타날까 안심할 수 없다.태종은 만전 상태에도 구애받지 않고 대패한 자군의 약함을 보고 찬탈의 위험 없음과 안심할 수 있던 것은 아닐까요.


대마도 습격이 군축, 정부의 완전 제어하에 두기 위한 전쟁이라고 하면 자군의 약함을 볼 수 있던 아키히토의 해방, 패배 책임의 추궁이 경도로 끝난 일의 설명이 될지도 모른다.

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コメント ( 5 )
  • 倭寇戦闘に強かった海賊けんか能熟

    11年前

  • 当時の対馬の人口、戦闘員の数を考えると錬度でどうにかなる状態ではない。それで負けたのだから将軍は処刑されてもおかしくはない。

    11年前

  • 当時の朝鮮軍は王子の乱(1398年、1400年)を経て、戦乱の疲労も癒え最強に近い状態で動員数も17000を越える。

    11年前

  • ここまでの大敗だと上申者も含めて処刑になってもおかしくはないけど、「中華も蛮夷に負ける事が有るから仕方がないよね」で済ませている。

    11年前

  • 簒奪の危険の有無を見るための試金石だったのでは。将軍も下手に勝って危険視され粛清されるより、負けている状態で退いて生き残りに賭けたとか。

    11年前

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