斎藤 一郎(saito ichiro)(1909年生まれ。1979年に亡くなる)は、1940年代中期頃から活躍していた、日本の作曲家です。斎藤 一郎(saito ichiro)は、多くの映画の音楽を手掛けました。
斎藤 一郎(saito ichiro)は、(後述する)「花と波濤(hatou)」(1954年の、日本の映画)の音楽を手掛けています。
京都(kyoto)は、794年から19世紀半ばまで、長らく日本の首都であった大都市であり、日本の伝統文化の中心都市です。
京都(kyoto)は、京都(kyoto)大学、及び、それぞれ、日本の、名門(有名な)、私立大学の一つである、同志社(doshisya)大学(1875年創立)、立命館(ritsumeikan)大学(1900年創立)を含む、多くの大学を有する、東京と並ぶ、日本の学問の中心都市となっています。京都(kyoto)にある京都(kyoto)大学(日本の、国立の大学の一つ。1869年創立)は、東京にある東京大学(日本の国立の大学の一つ。1877年設立。起源は、1684年まで遡る)と共に、日本を代表する大学(日本の一流大学の間でも頂点に位置する大学)で、韓国で言えば、ソウル大学の様な感じです。
東京大学と京都(kyoto)大学に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
東京大学・学士会→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/4035204/page/8?&sfl=membername&stx=nnemon2
日本の中国(cyugoku)地方(日本の西部地域)は、関西(kansai)大都市圏(大阪・京都(kyoto)・神戸(kobe)を中心とする大都市圏。東京圏に次ぐ、日本第二の人口を有する大都市圏)と、九州(kyusyu)(日本の南部)の間に位置する地域です(ちなみに、中国(cyugoku)地方の名前の由来は、国の、中国とは、全く関係がありません)。
岡山(okayama)県は、日本の中国(cyugoku)地方(日本の西部地域)に位置する県の一つです。
玉野(tamano)は、岡山(okayama)県の中部の海沿いにある、人口5万人程の小都市です。

写真は、借り物(写真の作者:Yoshio Kohara)。玉野(tamano)の風景。
井上 靖(inoue yasushi)(1907年生まれ。1991年に亡くなる)は、1950年代初めから、1991年に、急性肺炎で、83歳で亡くなる近くまで活躍していた、日本の、小説家です。
井上 靖(inoue yasushi)は、劣等感から来る孤独と人間の無常を、時間と空間を通した舞台と詩情あふれる文体・表現によって多彩な物語の中に描き、高い評価を得ました(wikiより)。
「花と波濤(hatou)」(1954年の、日本の映画)は、同名の、井上 靖(inoue yasushi)の小説を原作とした映画です。
「花と波濤(hatou)」(1954年の、日本の映画)は、人間ドラマ映画(人間関係・人間の心理を描いた映画)・恋愛映画です。
「花と波濤(hatou)」(1954年の、日本の映画)は、京都(kyoto)と、玉野(tamano)を舞台とした(主に、京都(kyoto)を舞台とした)、映画です。
現在、「花と波濤(hatou)」(1954年の、日本の映画)が、you tubeで、公式で、期間限定で(7月3日の13時から7月17日の12時59分まで)、公開中です。
現在、you tubeで、期間限定で(7月3日の13時から7月17日の12時59分まで)、公式で、公開中の、「花と波濤(hatou)」(1954年の、日本の映画)(フル映画)→
https://youtu.be/EF4a6jhLHMk?si=BQ0xHTuVEt71miOJ
「花と波濤(hatou)」(1954年の、日本の映画)、先々週の土曜日の夜、彼女と我が家のテレビで見てみましたが、まあ、普通と言った感じでした。人間の心理が、よく描かれた、佳作と言えますが、ストーリー(話)的には、驚かされる様な事はなく、淡々とした映画と言え、少し退屈な映画であるとも言えます。
男性は、多様な遺伝子を受け継ぐ、出来るだけ多くの子孫を誕生させる、女性は、優秀な相手(男性)を一人選び、優秀な子孫を産み育て上げると言う、進化心理学的な観点からすれば、(男性は、複数の女性が同時に気になると言うのは、割と有り勝ちな事ですが)、義之(yoshiyuki)、大槻(ootsuki)、真崎(mazaki)の事が、同時に気になっている、紀代子(kiyoko)(主人公)は、女性としては、複数の男性を同時に気にし過ぎだろうと言う感じもありますが、実際には、この様なタイプの(紀代子(kiyoko)の様なタイプの)女性も、少なからず存在します。
また、紀代子(kiyoko)は、優柔不断な感じもしますが、結婚し、これから一生を共に過ごして行く男性に、完璧な男性を求めて、迷う、紀代子(kiyoko)の気持ち(心理)も理解出来ます。紀代子(kiyoko)は、大槻(ootsuki)と、義之(yoshiyuki)に、同時に、求婚(結婚の申し込み)をされて、選択と返事を、急かされて、(特に、紀代子(kiyoko)の様に、男性と男性との恋愛に慣れていない女性の場合)、迷い、悩み、どうして良いか分からなくなり、追い詰められて、精神を病んでしまうのも理解出来ます(現代においても、とても、真面目に、とても保守的に生きて来た女性ならば、紀代子(kiyoko)の様になる事があり得ると思いますが、現代においては、男性も女性も、中学生・高校生の頃から、異性と交際する事が当たり前で、男性も女性も、異性と異性との恋愛に慣れている事から、現代においては、紀代子(kiyoko)の様になってしまう女性は、少ないかもしれません)。
義之(yoshiyuki)は、こんなに些細な事で、自殺未遂?とも思いますが、比較的裕福な家の息子として育った男性に少なくない、(薄弱な面もある)プライド(誇り)を有し、些細な失敗や、少しでも、自分の思い通りに行かない事により、自分が思い描く完璧な理想の自分と現実の自分との間に、ちょっとでも(少しでも)ギャップ(差)が生じただけで、繊細なプライド(誇り)を傷つけられ、自殺を考えてしまうと言う、弱さ・心理も理解出来ます。
ちなみに、大槻(ootsuki)の様な、自信過剰なパワハラ気質の人物(Donald
Trumpの様な人物を思い浮かべると良いでしょう)の性格は、出世や社会的成功には、有利である事は少なくないものの(ちなみに、仕事が出来る・出来ない、出世や社会的成功と、人間性は、全く関係ありません(無関係です)。人間性が最悪でも、仕事が出来る人、出世する人、社会的に成功する人は、幾らでもいます)、(大槻(ootsuki)の様な、自信過剰なパワハラ気質の性格は)、生まれ持っての部分が多く(先天的な部分が多く)、一生かかっても、直すのが、非常に困難であると思います。
前述の通り、「花と波濤(hatou)」(1954年の、日本の映画)は、人間ドラマ映画(人間関係・人間の心理を描いた映画)・恋愛映画です。
前述の通り、「花と波濤(hatou)」(1954年の、日本の映画)は、京都(kyoto)と、玉野(tamano)を舞台とした(主に、京都(kyoto)を舞台とした)、映画です。
以下、「花と波濤(hatou)」(1954年の、日本の映画)の、主要な登場人物の説明と、あらすじです。ネタバレを含みます。記憶頼りなので、細かい部分で間違っている点があったら申し訳ありません。
以下、「花と波濤(hatou)」(1954年の、日本の映画)の、主要な登場人物の説明です。
紀代子(kiyoko):主人公。玉野(tamano)の医師(医者)の娘(父親は、医師(医者)、母親は、主婦)。お酒を飲むのが、ある程度好き。義之(yoshiyuki)(後述します)とは、幼馴染(義之(yoshiyuki)とは、子供の頃からの親しい友人同士)。紀代子(kiyoko)と、義之(yoshiyuki)は、お互いに、子供の頃から、ずっと仲良く、お互いに、好きであるが、紀代子(kiyoko)が、義之(yoshiyuki)が好きな度合よりも、義之(yoshiyuki)が、紀代子(kiyoko)を好きな度合の方が大きい。
紀代子(kiyoko)の叔母:京都(kyoto)在住。主婦(無職)。夫は、京都(kyoto)の大学の教授をしていたが、既に亡くなっている。住み込みの女中(maid)と2人暮らししていたが、紀代子(kiyoko)を家に受け入れて、3人暮らしとなる。
大槻(ootsuki):京都(kyoto)の大学の考古学の、助教授(assistant
professor)。紀代子(kiyoko)の叔母の知人(紀代子(kiyoko)の叔母の夫(大学教授であった。既に亡くなっている)の、教え子(生徒))。酒に強く、酒を飲むのが好き。
真崎(mazaki):京都(kyoto)在住の彫刻家。彫刻家としての収入だけで暮らして行ける程の彫刻家としての収入はあるが、知名度の高い彫刻家と言う程では全くなく、映画の最初の方に出て来る様な(紀代子(kiyoko)と、真崎(mazaki)が知り合った様な)高級ホテルに頻繁に宿泊する様な生活をするには、木虎(kitora)夫人の様な、パトロン(後援者)の存在が必要。
木虎(kitora)夫人:京都(kyoto)の商人の妻。主婦。子供はいない。裕福で(京都(kyoto)の富裕層で)、真崎(mazaki)のパトロンをしている(真崎(mazaki)の作品を購入したりして、真崎(mazaki)の後援者となっている)。独身時代に、真崎(mazaki)と交際していた(真崎(mazaki)の、かつての交際相手の女性)。
朱実(akemi):東京を拠点に活動している、無名の(有名ではない)女優。現在、真崎(mazaki)が交際している女性(真崎(mazaki)の、現在の交際相手の女性)。かつて、真崎(mazaki)との間の子供が出来たが、流産している。真崎(mazaki)との関係は(真崎(mazaki)との仲は)、既に、実質的に、破綻している。真崎(mazaki)は、朱実(akemi)に対する、恋愛感情は、完全に冷めているが、朱実(akemi)は、まだ、真崎(mazaki)に対して未練があり、真崎(mazaki)に対する恋愛感情は残り、真崎(mazaki)に対する思いは捨て切れないでいる。義之(yoshiyuki)(後述します)は、朱実(akemi)の兄(第二次世界大戦で兵士として徴用され、戦地で亡くなっている)の親友で、朱実(akemi)は、義之(yoshiyuki)の事を知っている。
義之(yoshiyuki):玉野(tamano)の、比較的、裕福な家の息子。第二次世界大戦中(おそらく、第二次世界大戦後期から末期)に、兵士として徴用され、戦地に送られた(おそらく、朱実(akemi)の兄(おそらく、義之(yoshiyuki)よりも、ある程度、年上。戦死した)とは、第二次世界大戦中の戦地(又は、軍隊で)、知り合い、親友同士となった)。玉野(tamano)の、実家暮らしで、無職。お酒(アルコール(alcohol))に体質的に弱く、お酒が飲めない。文学青年(文学が好きな青年)で、小説家を目指している。紀代子(kiyoko)の幼馴染(紀代子(kiyoko)とは、子供の頃からの親しい友人同士)。紀代子(kiyoko)と、義之(yoshiyuki)は、お互いに、子供の頃から、ずっと仲良く、お互いに、好きであるが、紀代子(kiyoko)が、義之(yoshiyuki)が好きな度合よりも、義之(yoshiyuki)が、紀代子(kiyoko)を好きな度合の方が大きい。
以下、「花と波濤(hatou)」(1954年の、日本の映画)の、あらすじに関する文の、一部に関しては、このsiteから借りて来ました→
https://eiga.com/movie/71530/
以下、「花と波濤(hatou)」(1954年の、日本の映画)の、あらすじです。
岡山(okayama)県の、田舎の、玉野(tamano)で生れ育った、紀代子(kiyoko)は、(京都(kyoto)で暮らす)叔母の知人で、京都(kyoto)で、大学の、考古学の助教授(assistant
professor)をしている、大槻(ootsuki)の紹介で、京都(kyoto)の出版社に勤めるべく、京都(kyoto)にやって来た。
大槻(ootsuki)は、間もなく、紀代子(kiyoko)の事を気に入り、紀代子(kiyoko)にプロポーズする( 結婚を申し込む)。
一方、紀代子(kiyoko)は、最初に京都(kyoto)に到着した時、京都(kyoto)のホテルに宿泊した際に、偶々、知り合い、仲良くなった、真崎(mazaki)(京都(kyoto)在住の彫刻家)に、出会った時から好感を持っていた。真崎(mazaki)は、現在、交際している女性の、朱実(akemi)(東京を拠点に活動している、無名の(有名ではない)女優)とは、既に仲が破綻し、実質的に、別れている状態だが、かつて、(真崎(mazaki)が)交際していた女性である、既婚者の、(裕福で(京都(kyoto)の富裕層で)、真崎(mazaki)のパトロンをしている(真崎(mazaki)の作品を購入したりして、真崎(mazaki)の後援者となっている))木虎(kitora)夫人(京都(kyoto)の商人の妻。真崎(mazaki)は、木虎(kitora)夫人が、独身時代に、交際していた男性)と親しく、その事に関して、紀代子(kiyoko)は、軽く嫉妬する。
京都(kyoto)の生活や出版社での仕事に、すっかり慣れ、田舎娘(田舎育ちの垢抜けない女性)から、すっかり、洗練された、都会的な女性となった、紀代子(kiyoko)は、正月に、一時的に、故郷の、玉野(tamano)に(実家に)、帰った際、幼馴染の、小説家志望の文学青年、義之(yoshiyuki)(比較的、裕福な家の息子)に、プロポーズされた(結婚を申し込まれた)。紀代子(kiyoko)と、義之(yoshiyuki)は、お互いに、子供の頃から、ずっと仲良く、お互いに、好きである。ちなみに、義之(yoshiyuki)は、紀代子(kiyoko)が、京都(kyoto)に行ってから、紀代子(kiyoko)に、たくさん手紙を送っていた。
一方、以前から、紀代子(kiyoko)にプロポーズしていた(結婚を申し込んでいた)、大槻(ootsuki)が、紀代子(kiyoko)を追って、玉野(tamano)に来た。ちなみに、紀代子(kiyoko)も、大槻(ootsuki)に対して好感を持っているが、紀代子(kiyoko)は、大槻(ootsuki)のプロポーズ(結婚の申し込み)に対する返事は、保留にし、曖昧にして来た。大槻(ootsuki)は、紀代子(kiyoko)と2人きりでいる時に、紀代子(kiyoko)に強引にキス(kiss)までした。紀代子(kiyoko)は、(自信家で、隙のない)大槻(ootsuki)と、気弱な(気が弱い、繊細過ぎる)青年、義之(yoshiyuki)の間で、自分が、どちらが好きなのか、心が揺れた。
京都(kyoto)に戻った、紀代子(kiyoko)は(紀代子(kiyoko)は、大槻(ootsuki)と、義之(yoshiyuki)の事、両方好きだが、両方、嫌いな面もある)、大槻(ootsuki)と、義之(yoshiyuki)の事を、真崎(mazaki)に相談した。真崎(mazaki)は、紀代子(kiyoko)に、「男でも女でも、最初の人が(最初に好きになった人が)、一生忘れられないのではないですか?」と言った。しかし、紀代子(kiyoko)は、その、真崎(mazaki)の言葉を、素直に受け入れはしなかった。
義之(yoshiyuki)は、(東京の出版社に自分の書いた小説を見て貰う用事で、東京を訪れた帰りの途中に、京都(kyoto)に寄って、京都(kyoto)の旅館に宿泊した際に)、(紀代子(kiyoko)が、京都(kyoto)で暮らしている)紀代子(kiyoko)の叔母の家で、紀代子(kiyoko)と、大槻(ootsuki)と会い、紀代子(kiyoko)と、大槻(ootsuki)の仲の良い様子にショックを受けた(衝撃を受けた)。一方、大槻(ootsuki)も、義之(yoshiyuki)の存在に焦り、紀代子(kiyoko)に、(大槻(ootsuki)を取るか、義之(yoshiyuki)を取るか)、はっきりとさせる事を迫るが、紀代子(kiyoko)は、大槻(ootsuki)の強引な態度に反発する。
義之(yoshiyuki)は、東京の友人から、義之(yoshiyuki)の小説の出版社の反応は駄目だったとの電報が届き、小説家になる夢が絶たれたと思い、又、大槻(ootsuki)の存在と、紀代子(kiyoko)の曖昧な態度に、紀代子(kiyoko)と交際・結婚する希望も絶たれたと思った。気の弱い、義之(yoshiyuki)は、自分の能力の無さを悲観し、滞在先の京都(kyoto)の旅館で、(薬の大量摂取による)自殺未遂を起こした。
紀代子(kiyoko)が、病院に、義之(yoshiyuki)の見舞いに訪れた際、朱実(akemi)が、義之(yoshiyuki)の看病をしていた。朱実(akemi)は、(戦死した、朱実(akemi)の兄の親友の)義之(yoshiyuki)と、元々、知り合いで、今では、義之(yoshiyuki)の事を愛しているのだ(朱実(akemi)は、真崎(mazaki)の事を、義之(yoshiyuki)に相談した事をきっかけに、義之(yoshiyuki)と親しくなった)。義之(yoshiyuki)は、紀代子(kiyoko)に対して、(紀代子(kiyoko)が側にいると苦しいので)、紀代子(kiyoko)に友人としての縁を切ると言った。
紀代子(kiyoko)は、大槻(ootsuki)に呼び出されたが、大槻(ootsuki)の強引な態度と、大槻(ootsuki)の自信のあり過ぎる(自信過剰な)様子に、大槻(ootsuki)に、益々、反発した(大槻(ootsuki)と、紀代子(kiyoko)が会っている最中に、大槻(ootsuki)の研究が、大手(大規模)新聞社の文化賞を受賞したとの情報が伝えられたが、(その事が、大槻(ootsuki)の自信を、さらに強めてしまうと思った)、紀代子(kiyoko)は、その事に関しても、さらに、大槻(ootsuki)への反発を強めるのであった)。
一方、義之(yoshiyuki)と、朱実(akemi)は、交際し、結婚する事になった。義之(yoshiyuki)は、父の仕事の紹介により、会社員となった(会社員として働く事になった)。
大槻(ootsuki)も、義之(yoshiyuki)も失い、孤独となってしまった、紀代子(kiyoko)は、(優しい)真崎(mazaki)の愛情にすがりつきたいと思うが、真崎(mazaki)は、木虎(kitora)夫人の、お互いの曖昧な感情と関係を清算したいとの希望により(木虎(kitora)夫人は、夫のみを愛する決心をした)、京都(kyoto)を去り、東京へ帰る決心をしていた。真崎(mazaki)は、紀代子(kiyoko)に、「あなたは、完全な男性を求め過ぎているのではないか。この世の中に(この世界に)、完璧な人間等いません。完全になろうと努力するかしないかの違いだと思います。結婚と言うものは、お互いに助け合って、完全になろうと努力して行かなければならないものです。自分と、朱実(akemi)は、努力しても上手く行かなかったが、こうした努力は、人間として(人間として成長するのに)、決して無駄ではないと思います。朱実(akemi)も、今度こそ、幸せになってくれるでしょう」と言った。紀代子(kiyoko)は、真崎(mazaki)に、「一緒に、東京に連れて行って欲しい、人生や芸術等、様々な事を教えて欲しい」と言ったが、真崎(mazaki)は、それは(紀代子(kiyoko)を、一緒に、東京に連れて行く事は)、断った。
大槻(ootsuki)が、(おそらく、自信過剰で、紀代子(kiyoko)に嫌われた反省から)「自分は、人格的に(人間的に)自信がない」として文化賞を辞退したと言う新聞記事を見て、紀代子(kiyoko)は、大槻(ootsuki)を訪ねた。
紀代子(kiyoko)は、大槻(ootsuki)に、「さよなら」を言いに来たと言った。大槻(ootsuki)は、紀代子(kiyoko)に、「今でも、あなた(紀代子(kiyoko))と結婚したいと思っているが、無理してまで結婚したいとは思わない(強引にまで結婚したいと思わない)。あなた(紀代子(kiyoko))が、いつか、私(大槻(ootsuki))と結婚したい気持ちが起こったら、その時は、あなた(紀代子(kiyoko))と結婚したい」と言った。紀代子(kiyoko)は、大槻(ootsuki)に、「分かりました」と言ったが、泣きながら、「私は、精神を病んでしまったので、今すぐは、結婚出来ません」と言った。大槻(ootsuki)は、「分かりました。あなたの心が回復して来たら、私と結婚して下さい。後は、あなたの心は、私が、治すでしょう。それまで、私は、たくさん(熱心に)勉強します」と言った。